Posted on 2015.09.17 by MUSICA編集部

OKAMOTO’S、「ロックオペラ」のコンセプトの下に
制作された『OPERA』完成。
個性爆発! 自由獲得! 本領発揮!

「俺らはロックンロールバンドだし、
その一線は超えずにやろうよ」っていう、
自分達が決めてた境界線を壊したかった。
それを壊したら何が見えるかっていうのを
突き詰めていった部分があったんです

『MUSICA 10月号 Vol.102』P.90より掲載

 

■前回の取材でハマくんから「次のアルバムはロック・オペラなんです」と聞いて楽しみにしてたんですが、完成した『OPERA』は想像以上に様々な音楽性を自由に詰め込んだアルバムになっていて。今までの枠に囚われずに4人の個性を解放し、OKAMOTO’Sという音楽を見事に拡張する作品になったなと思います。自分達の手応えはどうですか。

ショウ(Vo)「そもそもアルバムに向かって変わろうとしていた部分は凄くありました。今までは自分達の中のルールを守って、OKAMOTO’Sがこういう曲をやったらみんな嬉しいよねっていうものを目指してきましたが、今回はそうじゃないタイプの楽曲をアルバムにたくさん入れたくて」

■ざっくり言えば、いわゆるロックンロールではない曲ってことだよね。

ショウ「そうです。実際そういう曲をたくさん入れることができた。自分達的にはもの凄い会心の一作になった手応えがあるし、これがどう評価されていくのか凄く楽しみです」

レイジ(Dr)「ほんと楽しみだよね。とにかくヤバいものができちゃったなって感じがして。俺は今までの作品の中で、早く聴いて欲しいっていう気持ちが一番強いかもしれない。人によっては『これもうヒップホップじゃないですか!』って言う人もいるし、世間の反応が超楽しみですね」

ハマ(B)「コンセプト云々は置いといて、凄く新しいものを作ったなっていう自信があります。そういう作品を作れたと思っているからこそ、『これはたくさんの人に伝わるだろう』という感覚も、まずは僕らを信用してくれている人や音楽が好きな人のアンテナに引っかかって、それが周りの人達に伝わって、倍々ゲームみたいに広がっていけばいいなと思っています。それが一番確実な伝わり方だなと、最近は特に思うので。だからまずは、この新しさや面白さをわかってくれた人達と凄い濃度で共有したい、その上でどれくらい世の中に広まるのか、どれくらいの評価がつくのか見てみたいですし、今はそれが楽しみなんですよね」

コウキ(G)「有泉さんが言ってくれた通り、ロック・オペラというテーマを設けることによって逆に自分達の音楽性をすべて出せた、解放することができたという感触があって。更にその裏にはもうひとつ、今回は『みんなが好きなものってどういうものなんだろう?って考えた上で、ポップにいいものを作ろう』という意識を捨てたことも大きい要素のひとつです。やりたい放題やって、すごく好きな人もいるけどすごく嫌いな人もいるみたいな、賛否両論が巻き起こるようなものにしたいなと思いまして」

■少し前のOKAMOTO’Sは、それこそ今コウキくんが言ってくれた「みんなが好きなポップなもの」と自分達の音楽性を上手く擦り合わせて、より多くの人に響くものを作ろうとしてた時期もあったじゃないですか。でも今の話を聞いてると、今回はそういう発想ではなく、自分達のやりたいことを思いっ切りやり遂げたっていう感覚なんだね。

ハマ「1度ああいうスタイルでやったからこそ、また見る角度が変わったというところはありますね」

コウキ「ただ、誤解して欲しくないのは、音楽的にも様々なことをやっている中で、だからといって距離が遠い難しい作品ではないということ。テーマや表現したいことは今までで一番距離が近い、自分達が普段思っているリアルなこと、身近なことを歌ってる。なので、そういう意味では同年代の人達も入りやすいと思いますね」

■確かに物語のテーマ設定が身近だっていうのもあると思うけど、何よりこのアルバムに漲るワクワクするようなエネルギーと昂揚感が、人を惹きつけるポップさを放ってると思う。OKAMOTO’Sのヤンチャなエネルギーが迸ってるし、4人が音楽で思いっ切り遊んでる様が見えるし。そういうワクワク感とか興奮って、音楽自体をポップにするというか、人を惹きつけるもので。そういう作品になったところが凄くいいと思います。

ショウ「まさに、そのワクワク感は自分達自身が感じながら作ることが出来たと思います。アルバム制作の舵取りは俺がしていて、たとえば俺がデモを作って聴かせた時に、みんなが『これ狂ってるね』と言うものや、『こんなことやっちゃっていいの?』って言うものを正解として進めていったところがあって。これまでだったら『俺らはロックバンドだし、その一線は越えずにやろうよ』と制限をかけていた節がありましたが、そういう自分達が決めていた境界線を壊したかったし、それを壊したら何が見えるかというのを突き詰めていった部分があった」

レイジ「あと、ライヴのことを考えなかったのも大きいよね」

ハマ「そうだね。今までは『ライヴでできないから、こういう音を入れるのはやめよう』というルールがなんとなくあったんですけど、そこも取っ払って。ショウが言ったことも含め、作っていく中で制約がまったくなかったんです。もちろん、そうすると自己満足的なものになってしまう可能性もあるんですけど、今回は1個物語を作るという前提があったので。その話だけは凄く間口が広いものというか、共感性を持たせるものにしようっていう話をしました。実際そういうストーリーを作れたからこそだいぶ気も楽になったし、何の制約もなく曲作りができました」

■設定の部分で間口は担保したから、曲はやりたい放題できたと。

ハマ「そうです。もちろん実際に作ったショウは大変なところがあったと思います(笑)、でもレコーディング自体は凄くスムーズでした」

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text by有泉智子

『MUSICA10月号 Vol.102』

Posted on 2015.09.17 by MUSICA編集部

flumpool、地元大阪で万感の想いと共に
やり遂げた初の単独野外ライヴ
「FOR ROOTS~オオサカ・フィールズ・フォーエバー~」に密着

すべてここからもう一度始めよう! 必ず上手く行く――――。
バンドの誕生地、大阪松原市に35,000人を集めて行われた初の野外ワンマン。
まさかこんなドラマが待っていようとは!?なアクシデントと
感動が降り注いだライヴに完全密着!
見てくれ、flumpoolはこんなにもタフで人生を牽引するバンドになっている

『MUSICA 10月号 Vol.102』P.68より掲載

 

彼らが関西出身なのは知っている人がほとんどだろうが、その中でも隆太と一生と元気の3人が大阪の松原市出身で(誠司は神戸出身)、この街の路上や広場で3人で弾き語りを始めたところからバンドの物語が始まっているのは、もしかしたら知らない人もいるかもしれない。

 メジャーデビューから5周年を過ぎた彼らは、その後いろいろと自分らの足元や足跡を見直して、いろいろなことを考えたり行動していたが、その総決算というか結晶のようなものが、この地元凱旋野外ライヴである。

 

8月7日(金)ゲネプロ日

 

 事前にあまり情報を求めずに会場に向かったので、大泉緑地がどんな公園かもわからず、おまけにタクシーの運転手がその公園を知らなかったり、中心部分からは随分と時間がかかったので、とても不安になったが、いざ着いてみると美しき緑に囲まれた最高の、しかも相当大きな公園で、びっくりした。

 その公園を彷徨いながら10分程かけてライヴエリアをようやく見つける。広大な円形の芝生の広場で、そこに巨大なステージと各施設が設営されている。これは相当盛り上がるんじゃないかと、予想外のスケールにまずは圧倒された。

 今年の猛暑を象徴するこの日、暑さに顔を真っ赤にして動いているメンバーに「このお宝のような公園はなんだ。何で今まで、フェスやイベントがなかったのか?」と訊ねると、「そもそもそういう場所じゃないんですよ。割とすぐに家もたくさんある住宅地ですし」と一生が話してくれる。「僕、この公園におばあちゃんに連れてきてもらったり、小さい頃からめっちゃ世話になってるんですよ」と、自分の家族を紹介するように話をする。そこに髪をバッサリと切った隆太が入ってきて、「僕も自転車で何度も――」と、お国自慢かよという様相を呈して来た中、気温は軽く35度を過ぎていった。

 前例がない野外公園でのライヴ。だからこそ、リハーサルでも音の問題に細心の注意をはらい、控えめな音量から始めていった。たぶん、デシベル値でいくと、「60」ぐらいしか出ていないのではないかと思うのだが、そもそもゲネプロというのは音の調整以上に演出面の確認、つまりは特効や、映像と楽曲のシンクロなどを計るものなので、寂しいわけではなく、逆にステージにダンサーが何十人、マーチング・ブラスバンドが何十人と、演出過多と言ってもおかしくないほどの豪勢なゲネが続いていく。野外でライヴやるのが目的でも、故郷に錦を飾ることが目的でもない。彼らは野外で、しかも故郷で、ゼロから自分らで作ったステージと演出と進行をもって、ポップスとしてのエンターテイメントをやり切るという、バンド史上最高にスペクタクルでスペシャルなライヴを行おうとしていることが、ゲネでわかった。

 17時頃になると暑さも若干和らぎ、涼しい風が入ってくる。このほどよくなってきた快適な天候の中で、アコースティック的な特設サブステージでのリハを行い、メンバーみんな調子がよくなってくるが、そこで元気が気づいた。「でも本番、14時から始まるから、17時には終わってるんじゃない?」。一同、本気でがっかりしながら、なおもリハに励む。テレキャスターを抱えながらマンドリンを爪弾く一生を見ながら、彼らも30歳になってこういう姿が似合うようになってきたなと、少しばかりに感慨にふける。

 テキパキとメンバーをはじめとしてスタッフにも指示や要求を示し続ける隆太を見て、彼がバンドのプロデューサーになってきたことを実感した。奴はこの1年で随分といい男になってきた。

 この大泉緑地は松原市と堺市の両方にかかっている緑地化計画の一環となっている場所で、だからこそ都会の公園らしからぬ豊かな自然に囲まれている。その樹々に溶け込むようなステージはとても穏やかな表情を浮かべているが、後半戦の盛り上がり&アンセム連発タイムになると、そのステージに大きな大きなバルーンの花が咲くという仕掛けがある。いざ花が咲くと、まるで公園の樹々がこの花を咲かせたんじゃないかというイメージになり、とても気持ちがいい。

 ゲネプロは15時から18時半まで続き、その後バックエリアで今一度打ち合わせをした後に、オープニングの演出を再度全部やり直した。

 夜の帳が降りた公園で、メンバーは明日に向けてかなりの手応えをこの日に感じたようで、満足げな表情を浮かべている。すっと隆太がやって来て、こう言った。

「やっぱりここでできてよかったです。こんな大きなところでこんなリラックスしてライヴができそうなのは初めてだから、どこか守られてる気もするし(笑)。今までとは明らかに違うライヴを見せられそうです。あとは天気だけかな。どこまで暑くなるのか、お客さんが大丈夫か、それが心配です」

 この話をもらった時は、まさか天気が初日のライヴにここまで大きなものをもたらすとは、しかも暑さとは違う「あれ」がやってくるとは思わなかった……。

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text by鹿野 淳

『MUSICA10月号 Vol.102』

Posted on 2015.09.17 by MUSICA編集部

くるり、シングル『ふたつの世界』に見える
作曲家・岸田繁の新たな挑戦期

今まで自分が避けてきたこと、
「これは自分っぽくないな」という思い込みで避けてきたことに
音楽で取り組んだことで、日常生活においても
今まで完全に蓋をしてた扉が開く感じがあるんですよ。だから今は、
ダーマ神殿に行ってレベル1になってやり直し、みたいな感覚(笑)

『MUSICA 10月号 Vol.102』P.84より掲載

 

■今年の頭にペンタトニック(くるりのプライベートスタジオ)に伺った時以来のインタヴューになるんですけど。

「ああ、そっか。あれ2月くらいでしたっけ?」

■はい。あの時、その後「NOW AND THEN」のアンコールで披露された“その線は水平線”も含め、3曲ぐらいのプリプロを聴かせてもらってたんですが、それとはまた全然別の、まっさらな素晴らしい曲が生まれましたね。これはいつ頃に生まれた曲なんですか?

「アニメのタイアップの話をいただいてから作りましたね。今回は書き下ろしなんで、ストーリーの世界観に沿うようにイメージを膨らませながら作ったんやけど。と言ってもまぁ、こういうことやるの初めてなんで、自分らがそこに沿えるかどうかはわからなかったんですけど(笑)」

■くるりって『ジョゼと虎と魚たち』や『奇跡』をはじめ映画の音楽や主題歌を手掛けたりはしてきましたけど、こうやってアニメのテーマを書き下ろすのは意外にも初めてですもんね。

「そうなんです、話がこないんですよ。なんでもやるんで話ください!」

■(笑)。具体的にアニメのストーリーを参照して作ったんですか?

「アニメはまだできていなかったんで、原作の漫画を読ませてもらって考えましたね。原作は高橋留美子さんの漫画なんですけど、高橋留美子さんの世界観って、基本的に好き同士の男女が上手く相手に気持ちを伝えられへんのやけど、それでもなんかでは伝わりつつ……みたいな奥ゆかしい恋愛の世界観と、妖怪変化とかが面白おかしく出てくるファンタジックな世界観と、凄くスピリチュアルなものが題材になってるっていう、そういう3つの要素があるやないですか。あとは割とキュートなキャラクターの感じかな。そういうのはできるだけフィーチャーしたいなって思いつつ、実際のエンディングの尺も意識しながら作っていったという感じかな。方向性とかアレンジとか、割と試行錯誤しながら作った感じやったんですけど。まぁでも、歌詞は難しかったですねぇ」

■<交わらないふたつの世界>っていう言葉が随所で印象的に出てくるんですけど。『THE PIER』という作品もそうだけど、そもそもくるりの音楽って、音楽性だったり時代性だったり、ふたつ以上の世界観を独自に融合させて真新しい音楽を生み出していくもので。そういうバンドの音楽性と、今の世の中にある多様な価値観を許容していくっていう近年のくるりのメッセージ性とが、上手く歌詞として結実してると思ったんですけど。

「そういう意味合いももちろんあるし、自分は普段からそういうことを考えたりもしてますけど、でもこの歌詞に関してはそういうことは凄い後づけで(笑)。この曲はあくまでラヴソングやし、そもそもこの曲で言いたいことっていうのは1行目の<君がきらい でも 愛してる/どうしようもない程に>っていうところだけやったんですよね」

■なるほど。何故そこを歌いたいと思ったんですか?

「それが一番ロマンチックな気持ちやと思うからですね。ロマンチックっていうか、面倒くさい心象と言いますか。たぶん、恋愛って面倒くさいことなんですよ。で、最近はバブル経済の頃と比べるとラヴソング的なものが減ったなと思うんですけど、それは要は、割と余裕のない時代になったからやと思っていて。みんな自分のことでいっぱいいっぱいやから、自然とそういう歌が増える。で、音楽聴く身からすると、それはやっぱり気持ち悪いんですよ。僕もそういう曲書いてるかもしれへんけど、リスナーからしたら『おまえの自分探しなんか聴きたくないわ』っていう(笑)。それよりはもうちょっとロマンチックなことを歌ってたり、余裕があるもののほうが俺は好きなんですけど。とは言いつつ、自分はリアルなラヴソングを書くタイプの作家ではないというか、得意じゃないし、やらないほうで」

■確かにくるりには愛を感じさせる曲はたくさんあると思いますけど、直接的なラヴソングっていうのはあんまりないですよね。

「そうね。俺の曲って、主人公だったり、二人称で出てくる人に対して期待をしてないんですよね。それはたぶん、自分の性格の中にあるなんらかの冷え切った部分っていうのが出てるからやと思うけど。どうやら対人の考え方として凄く冷酷な部分があるらしいんですよ(笑)。別にそれが悪いとも思わないんですけど。自分の創作で言うと、理想は人が出てこなかったり、なんか言うててもブワーッて風に吹かれてたり、そういう方向に行きがちやし、あとあんまりいい意味のほうに行かへんことが多いし」

■その主人公や二人称で出てくる人に対して期待してないっていうのはそうかもと思いつつ、でも冷たくはないと思いますけど。

「そうかな」

■だって景色とか時間の流れとか、そういうものに対する愛おしさみたいなものは凄く溢れてるじゃないですか。そういうものが心象とリンクしていくことで、深く温かな感動をもたらしてると思う。

「あ、そうそう、俺の場合は人やなくて、そういうものに何かを言わすんですよね。でも今回はちゃんと人がモノを言ってるラヴソングを書こうと――まぁ漫画自体が男女の話でもあるし、自分が普段思っててもどかしいことも含めて、絶対交わらへん平行線を辿ってるものについての歌詞を書いてみようっていう……そこにいろんな社会的なできごとをクローズアップして重ねることもできるけど、まずは男女やったり、近くにいる大切な人についての歌にしようっていう、そういう解釈で作りましたけどね」

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text by有泉智子

『MUSICA10月号 Vol.102』

Posted on 2015.09.16 by MUSICA編集部

クリープハイプ、『リバーシブルー』リリース。
新曲は抜群、心中は混沌。尾崎世界観の内側を覗く

この曲で一期終わったなって感じがするんですよね。
インディーズの時の必死さも、メジャーに来てからの作り方も、
全部捨てずに、新しい作り方をここからしていきたいなって

『MUSICA 10月号 Vol.102』P.62より掲載

 

■“リバーシブルー”を初めて聴いたのは今年の2月20日でした。

「あ、そうでしたね……あれ? もうインタヴュー始まってます?」

■はい。

「いきなりだなぁ(笑)」

■高知(キャラバンサライ)で密着取材をさせてもらった時にCM部分の30秒のサビをリハーサルで聴かせてもらったのが最初だったと記憶してます。実際、あの辺から制作は始まってる曲ですか?

「そうですね。1月のツアー中に(CMの制作サイドから)お話をもらって、だからツアー中は打ち上げ行かずにホテルで作ったりしてて……あの時は何回かやり取りをしているうちに曲が決まって詰めている時でしたね」

■この“リバーシブルー”はCMのタイアップ曲なわけだけど。クリープハイプはメジャーにきて以来、数々のタイアップを手掛けてきたと思うんですけど、やっぱり思い出すのは“憂、燦々”で。あの曲は初めてタイアップとして明確にお茶の間と勝負をした瞬間だった。で、いろんなことを考えると、今回はあれに次ぐ勝負曲だったと思うんですけど。

「確かに最近は映画のタイアップが多かったから、CMの限られた中で勝負する感じ−−−−たとえば秒数を気にして曲を作ったりするのは懐かしいなと思って、なんか嬉しかったですけど……でも、難しかったですねぇ。実際、(CM上ではクリープハイプという)クレジットが出ないとか、CMができてからもいろんな制約があったりしたし。それでも『あれクリープハイプだよね』って知ってくれてる人がいっぱいいたのは嬉しかったりもしたし」

■何故クレジットがなくとも多くの人にクリープハイプだとわかったかと言えば、それは尾崎にとってはコンプレックスのひとつでもあり、我々にとっては魅力的だと感じる「声の個性」が圧倒的に強いからで。スカパラ(東京スカパラダイスオーケストラ)のシングル『爆音ラヴソング / めくったオレンジ』でゲストヴォーカルをした時に、本当に「尾崎の声はクレジットが要らない唯一無二の声なんだな」と思った。だって、あの曲は最初の1ヵ月間、尾崎の名前を出さずにOAしていたけど、曲を聴いただけで誰もが尾崎が客演しているとわかってたからね(笑)。

「(笑)。“憂、燦々”の時はクレジットに『クリープハイプ』って出て『なんだこのバンド、クソ気持ち悪い声だな』とか言われてたけど、今回はクレジットがないことによって『あ、これクリープハイプだ!』っていうほうに意識が向いたんで、あんまり前みたいに気持ち悪いとは言われなかったんじゃないかなって思ってます(笑)」

■今日も自虐的な返しが絶好調です。

「ただ、やっぱり『あの声、無理』みたいに言われる状況っていうのは周期的に繰り返されるんですよねぇ。こっちとしては『もう過去に散々言われてきたし、その話は終わってるんだけどな』って思うんですけど、スカパラとやらせてもらっても、あるいはフェスでデカいステージに出させてもらっても、いまだに声のことをいろいろ言われるし。こっちとしては解決して次に向かってるのに『またそれか』っていうのはあって…………まぁ気にしなきゃいいんですけどね」

■うん、いい加減気にしなきゃいいと思う。

「そうなんですけどね………。この間も『ごめんなさい、声が無理です』と書かれてて、『ごめんなさい』って何だよって思って(笑)。…………はぁ」

■逆に言うと、よく毎回ちゃんと傷ついてるよね。

「ほんと凄いですよ、この運動量は(笑)。………そこだけ変われないんだよなぁ。こうやって出れば出るほど言われますからね。まぁ望んで出てるんでしょうがないんですけど。ただ、どうしても無視できないんですよね」

text by鹿野 淳

『MUSICA10月号 Vol.102』

Posted on 2015.09.16 by MUSICA編集部

Ken Yokoyama、渾身の金字塔アルバム
『Sentimental Trash』に滾る信念

今回思えたのは、「横山健、ミュージシャンとして意外といいな」ってことかな(笑)。
今までの僕は「存在として」っていう部分が大きかったと思うんです。
だけど今回は、ミュージシャンとしてまだできるなって思えました

『MUSICA 10月号 Vol.102』P.48より掲載

 

■この作品は、ここまでの健くんの音楽人生すべてにとって大きな階段の踊り場であり、これからの10年に向けた意図的な変化作だとも思っていて。さらに言うと、1枚目の『The Cost Of My Freedom』と同レベルで自分の心情をストレートに吐露している作品だと思うし、3枚目の『Third Time’s A Charm』以上に外へ目を向けている作品だとも思うんです。そういう重要な1枚だと思うんですが、この直感はどうですか?

「僕も、実はそう思ってます。作品の成り立ちや背景、音像も心境も違いますけど、1枚目の時と自分の向き合い方が近いっていうのはありますね」

■どうしてそうなったんでしょうね?

「どうしてだろうなぁ……。まず、1枚目の時は、ああやって内心を吐露することしかできなかったんですよ。もちろん、それ以前も歌詞は書いてましたけど、それはHi-STANDARDっていう『3人の集団』のために書いていたのであったので、全然違ったんです。だけど、自分が歌うとなった途端『こうも内面を曝け出せるのか!』っていうふうになったのが1枚目で。それで、今回もそれくらい内面を曝け出してると自分でも思うんですけど…………やっぱり、そうなったのは震災を経たからなのかな。震災後に『Best Wishes』を出しましたけど、あの作品は、内面を曝け出したというより、もっと自分の中にある風景を描いたり、みんなを鼓舞したりっていうものだったんです。じゃあ、何故今回こんなにパーソナルに曝け出せたかって考えると…………うーん。そういう時期、なんですかね?」

■何年かに一度のアルバムインタヴューだからじっくり紐解きましょう。今回は、音楽性の部分と歌詞・メッセージを分けて訊いていくね。

「はい、よろしくお願いします」

■まずは音楽性の話を訊きます。わかりやすく言うと今回は遅い曲が多いし、オーソドックスなロックンロールが主体で、なおかつブラスや生のストリングスが入った曲もあります。しかも、Minami(G)ちゃんがKEMURIから入って全然やってこなかったスカパンクもラストに入っているという、音楽的に幅広い作品で。その点については、『(I Won’t Turn Off My)Radio』の時に「Gretschのギターとの出会いが大きかった」という話をしてもらったんですけど、でもそれだけじゃなくて、健くんのキャリアの中でそういう音楽性にも手を出したかった、本質的な何かがあるんじゃないかなと思ったんです。

「僕は、無粋ですけど自分のことをパンクロッカーだと思ってるんですね。であれば、パンクのルーツと言われる音楽は日常的に聴いてるわけです。オールディーズと言われている音楽、ロカビリー、ジャズ……そういう古い音楽をなんでも聴くんですけど、Gretschを持ったことでその音楽達がさらに俄然輝きを持って聴こえ出したんですよ。……もちろん、『俺は今、なんでこういう曲を作って、こういう曲をやろうとしてるんだ?』みたいな自問も凄くあったんですよ。それはメンバーとも凄く話しましたし。だけど、いざ曲ができ上がってみて『何故?』って問われると、なかなか言葉が出てこないっていうのが実は本当のところで……うん」

■健くんには、Hi-STANDARDとして作り上げたメロディックパンクという音楽性があって、それを今の時代まで更新してきたよね。一方で、それだけじゃない音楽もミュージシャン人生としてやってみたいし、自分の中のもっと普遍的な音楽性を、今までの自分達の音楽が好きな人以外にも聴かせられる曲として作ってみたい、という気持ちはなかったですか?

「それはYESですね。そういう客観的な考えはありました。あと、それをやろうとしてる自分に対して、凄く興奮してたんですよ、前のアルバムからのこの2年間で。だから、『次にやりたいこと』と『やるべきこと』が一致し始めた2年だったというか………俺、言葉下手だなぁ(笑)。なかなか言葉になんないっす。でも確かなのは、ロックンロールっていうもの、ロックンロールに向かっていく自分に対して凄く興奮してたんですよ。たとえば、今までもたくさん『メロディックパンクの形』にオールディーズやジャズを流し込む作業はやってきたけど、何も『メロディックパンクの形』に流し込まなくてもいいんじゃないか?っていう部分も今回は出てきたんですよね。それは別に、メロディックパンクが嫌になったっていうこととは違うんですけれども」

■たとえば、メロディックパンクの中で横山健のポジションは自他ともに認める絶対的なものになってるわけで。そこでの「横山健」っていうブランド力を剥がしたいとか、その中だけにいても俺もメロディックパンクも尻すぼみになって共倒れだとか、そういう感覚はあったんですか?

「今言ってもらったふたつのことに関しては、結構自分の中で時期が違っていて。まず、自分のブランドに頼らないっていうことは昔から考えているんです。たとえば、自分にはもの凄い言語としてメロディックパンクがあって、そのマナーに沿ってアルバムを作ったら、割と普通にできちゃうんですよ。でも昔から、そんなのいつでも捨ててやるっていう気持ちはあったんですよ。ただ、これまではそのメロディックパンクの部分を更新するほうが自分の中で勝っていただけなのかもしれない。それから、尻すぼみになっていくロックをどうにかしたいっていうのは『Four』から考えてたし、それから今までの5~6年で、それを諦めることもあれば希望を持つこともあって――当時『こういう作品ができたなら、ロックの状況を変えられるかも』と思ってマーケットを見ても、やっぱりダンスグループ、アニメ、アイドルで占められてたわけです。でね、ロックの人がそれを『日本のチャートは腐ってる』って嘆くのは簡単で、僕もずっとそう言ってたんですよ。……だけど今回は突然、『ここに入って、なんとか突破できねぇか?』って思ったんです。だから、『自分が出て行くことで、周りの仲間や若手のバンドが出てきやすい環境を作るのが役目であり、やりたいことなのかな』っていうのは、この作品を作った後から思い始めたんですね。それが、ミュージックステーション出演とかに繋がったんだと思います」

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text by鹿野 淳

『MUSICA10月号 Vol.102』

Posted on 2015.09.16 by MUSICA編集部

indigo la End、冴えわたる充実期!
才気を爆発させたシングル『雫に恋して/忘れて花束』投下

自分でやってて、
こういうバンドは本当にいないなって思うし、
割と唯一無二的なところまで来てるなって思ってて(川谷)

『MUSICA 10月号 Vol.102』P.56より掲載

 

■引き続きコンスタントにシングルがリリースされてますが。どういう意味合いでこのシングルを出したかっていうところから伺いましょう。

川谷絵音(Vo&G)「栄太郎が入って1枚しか出してなかったのんで、とりあえず出したいっていう、ただ単にそれだけなんですけどね」

■なるほど。ゲスの極み乙女。もそうなんですけど、何しろ作品を出していくじゃないですか。世の中では10年ぐらい前から「シングルはタイアップがつかなきゃ出す意味がないんじゃないか」って言われ続けていて、それこそ5年前からはそういう定説がシーンの真ん中にあったりするんですよね。そこと自分らの行動のギャップはどういうふうに考えてるんですか?

川谷「まぁタイアップがつけばいいなぐらいに思ってはいるんですけど(笑)、逆に言えばタイアップがついても売れないのは売れないし。僕、定期的にALLジャンル、CDの売上げのチェックはしているので、『こんなデカいタイアップがついてるCDでも、これだけしか売れてないんだ』とか思うんですよね。それってタイアップの意味がないし、そもそもシングル出すこと自体に意味がないっていう話になっちゃうから、アルバムを売っていくために曲を出していかなきゃいけないっていう想いもあって。あと、僕らは出したい時に出せるっていう状況があるんで、ただ単に音楽的欲求として自分達の曲を出したいっていう、ほぼそれだけですね。今回は、元々両A面にするつもりはなかったんですけど、“雫に恋して”のバンドサウンドだけは1月からあって、もうレコーディングも録り終わってて。それで歌だけが入ってないっていう状態で『どうしようか?』って言ってたんですよね。そしたら、レコーディング寸前に“忘れて花束”っていう曲ができたんです。本当は別で録ったやつをシングルにするつもりだったんですけど――」

■ん? このタイミングでシングルを出そうと思ったけど、“雫に恋して”じゃなくてもよかったし、“忘れて花束”じゃなくてもよかったってこと?

川谷「そうですね(笑)。もっと別のものがあったのんで、それをシングルにするつもりで動いてたんですけど、直前に曲を作り始めたら、“忘れて花束”が凄いいい感じにできてきて。で、カップリングどうしようかと思っていたら、1月に録ってたやつがあったんですよ。それが後の“雫に恋して”で、それに歌を入れてみようってなったんですけど、全然思いつかなくて。で、全然サウンドが違う元々あった曲に使ってたサビの譜割と歌詞とメロディをこのバンドサウンドに当ててみたんです。そしたらバツンってはまって、『これがリードじゃない?』みたいな話になって。でも“忘れて花束”も凄くよかったから、甲乙つけがたいねって話になって。じゃあ、両A面でいこうかっていう感じになって」

■そもそも“雫に恋して”の元ヴァージョンを1月に録ったのって、“悲しくなる前に”(前作シングル)とかと一緒に録っちゃったからなのか、栄太郎くんが加入して、バンドで曲いっぱいやっていこうっていう流れから生まれてきたものなのか、どっちだったの?

川谷「“悲しくなる前に”よりはだいぶ前に録ったんですよ」

後鳥亮介(B)「“渇き”(カップリング曲)とかと一緒ですね」

佐藤栄太郎(Dr)「そもそも、あのシングルに入れるつもりじゃなかったんだっけ?」

長田カーティス(G)「“悲しくなる前に”のレコーディングの直前で、やっぱり曲作ろうってなって“悲しくなる前に”を作って、“雫に恋して”が溢れて、今度はこっちに回ってきたみたいな(笑)」

川谷「1月の時点では、『幸せが溢れたら』(アルバム)のレコーディングが終わって、まだリリースされてない状態で、かつオオタさん(オオタユウスケ/前任のドラム)が辞めた直後でもあったのんで、今までと違うっていうか――『幸せが溢れたら』はまだ世に出てないけど、世に出た後のことを考えて、これとはちょっと違うものをやろうと思って。『幸せが溢れたら』が結構ゴリゴリなアルバムではあったんで、そういう部分じゃなくてもうちょっと切ない新しい部分を見せようっていうのがあったんですよね。ミディアムテンポで、歌モノで、かつちゃんと栄太郎のドラムが映える曲というか。で、歌詞も言葉数が多い感じのサビにしてたんですけど、ずっと宙に浮いてて。それで今回やっとメロディがはまったっていう」

■この“雫に恋して”は特に名曲でした。バンドのストーリー的に言うと、僕は前号でこのバンドはどんどんバンド界のライザップ的存在になってると言ってきたんですけど。グルーヴや音の強度の筋肉が増しているという意味でのライザップね。

一同「(笑)」

■つまり“悲しくなる前に”はボトムの太さや演奏の強さが楽曲の中で割と前に出てきていたから、このシングルでは新しいメンバー編成でそもそもの武器であったindigo la Endの繊細さを出してみるっていうものかなと思ったんですけど。でも今の話を聞いてると…………外したか。

川谷「はははははは。でも、結局いつも自分が出したいタイミングで出してるんで、これも自分なりに『これがはまるんだろうな』っていうのはあったと思います」

佐藤「これ録った時って、みんなで合わせ始めてすぐの時なんですよね。特に僕は『幸せが溢れたら』のツアーをやるから曲を覚えてリハしようってなったので、初めて行った時にアルバムの中の曲を3曲ぐらい覚えて行ったんですよね。で、初めてのスタジオでその3曲をスパッとやったら、『じゃあ、2週間後ぐらいにレコーディングあるから、曲作っていい?』って言われて(笑)」

長田「『次までにお願い』みたいな(笑)」

佐藤「『次はまた新しい3曲覚えてきてね』っていう(笑)。でも、その時は不思議と『何言ってんの?』とは思わなかったんですよ。今もきっと思わないですけど、普通だったら『マジか!?』ってなるところが、『オッケー! わかった!』みたいな感じでスパッといけたんですよね」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA10月号 Vol.102』

Posted on 2015.09.15 by MUSICA編集部

キュウソネコカミ、初の表紙巻頭!
アルバム『人生はまだまだ続く』第一声、
さらにバンドの白歴史と黒歴史を全部曝け出した
保存版・キュウソ全史!!

「インディーズの時は『この道しかない』って感じやったけど、
今は他にも頑張ればいろんな道があるぞって思えてて。
ちゃんと頑張れば凄いことをやれる」(ヨコタシンノスケ)

「僕の目標はスーパースターになることなんですよ!
あと、サラリーマンの生涯年収を貯めたい(笑)」(ヤマサキセイヤ)

『MUSICA 10月号 Vol.102』P.12より掲載

 

Chapter.1 白歴史

「お前らやり残したことはないんか!?」

2009年12月、キュウソネコカミ結成!

 

■まずは結成の経緯からいきましょうか。

ヨコタ「実は2009年12月ではなく、基礎ができたのは2009年の8月にセイヤと俺とソゴウでバンドやろうってなった時なんですよね。初代ベースのはがね丸とは違う女子にベース弾いてもらって、部活内のライヴにキュウソネコカミっていう名前で出たのが最初だったんですよ」

■念のため確認だけど、オカザワくんとタクロウくんも含め、みんな関西学院大学の軽音楽部で出会ったんだよね?

ヤマサキ「そうです。純度100%関学(笑)」

ヨコタ「オカザワは後輩なんで1年遅れですけど」

■そもそもキュウソは何を目指してというか、どんなイメージで結成したの?

ヤマサキ「それはもうthe telephonesっす! 前のバンド(セルフボラギノール)はThe MirrazとかArctic Monkeysをやりたくて結成したんだけど、全然クソで(笑)。で、ちょうど2009年ってthe telephonesが初めてRUSH BALL出たりツアー回ったりしてて、俺めっちゃ観に行ってたんです。で、俺もあれやりたい!って思って」

ヨコタ「ニューレイヴ全盛でしたからね」

ソゴウ「海外のバンドでもあの頃多かったしな」

■KlaxonsとかLate of the Pierとかね。

ヤマサキ「めっちゃ聴いてたもんな。で、シンノスケとソゴウにああいうのやろうよ!って言って。その時まさに就活活動全盛期でしたけど(笑)」

■大学4年の夏ってことは追い込み時期か。

ヨコタ「いまだにセイヤにバンド組もうぜって言われた時のことは覚えてる。サークル同士のライヴがあって、その打ち上げの居酒屋で言われたんですよ。その時、俺はまだ就活する気もあって。というか、俺は単位が絶対足りないので1年留年することは決まってたんですけど、今年は諦めるにしても来年は就活するのかなと思ってて。で、セイヤは単位も取り切って余裕で就活!ぐらいの感じだったんだけど――」

ヤマサキ「そう、俺はもうちゃんとレールに乗ろうとしててん!」

ヨコタ「でも、そんなセイヤが居酒屋で突然、俺とソゴウに『お前ら、やり残したことないんか!?』って言ってきて」

■おーカッコいい! まさに青春!

ヨコタ「そうなんですよ。で、『この3人でバンドやらん? なんかイケそうな気がすんねんけど』って言われて」

■セイヤくんは順調に単位も取って、就活もしてたわけじゃない? でも、そこでレールを引っ繰り返そうと思ったのはどうしてだったの?

ヤマサキ「なんか……僕、昔から決められた慣習とかルールに静か~に逆らいたい人やったんですよね。先輩が決めた部活のルールとかも、絶対こっちのほうがええやん!って静か~に行動を起こして変えていくっていうか。で、就活の時も、あれって超巨大なルールの中に入らなダメじゃないですか。それがどうしてもできなくて。ふたりを誘った時は、落ちまくって就活が人間的に無理!ってなってる時期やったんですよね」

ソゴウ「その時に『この3人で組んでアカンかったらもうアカンやろ』っていう話はしたよな」

■3人ならイケるっていう根拠はなんだったの?

ヤマサキ「部活の中でも目立つ人間っているじゃないですか。で、この3人はその学年の中ではイケてたというか(笑)。いっつも3人で遊んでたし、友達グルーヴが高かったんですよ。で、こいつらと音出したらイケんじゃねぇの?みたいな」

ヨコタ「仲いいのにバンド組んでなかったよね」

ヤマサキ「元々シンノスケは結構楽器が上手くていろんなコピバンでライヴに出てて、友達やけど誘いにくい人だったんです。でもオリジナルバンドやるってなったら別じゃないですか。上手いヤツ入れたいじゃないですか!(笑)」

■そうね(笑)。

ヤマサキ「そんでソゴウはどっちかと言うと下手っぴやったんですけど、部活でめっちゃ一緒にコピバンしてたんで。で、12月にはがね丸とオカザワ入れた5人体制になるんですけど、オカザワはセルボラも一緒にやってたんで半ば強引に(笑)」

ソゴウ「正直、俺らは『オカザワ入れるわ〜』って言われた時、『え、マジで!?』ってなったよな?」

ヨコタ「そうそう、俺達仲よくもなかったし」

ソゴウ「仲よくないこともないけど(笑)、単なる後輩くらいの感じやったし、もっと仲のいいギタリストもいるのになんで?って。あと、オカザワは大学卒業して就職して、ちゃんとレールに乗って人生歩んでいくヤツやと思ってたから」

オカザワ「そうっすね。実際就職してますし」

ヨコタ「そうそう、博打打たなそうだから、無理なんじゃない?っていうのは思った」

■セイヤくんは何故オカザワくんを呼んだの?

ソゴウ「俺、その時セイヤが言ってたことで覚えてんのは、『オカザワは文句を言わずになんでもやってくれるから』って(笑)」

■酷っ!(笑)。

オカザワ「まぁまぁそんな感じですよ(笑)」

ヤマサキ「一緒にやってたセルフボラギノールって、ドラムとベースが頭おかしいヤツらやったんですよ。その中で唯一会話ができたっていうか、『セイヤさん!』って言ってくれるのがオカザワだけで。しかも当時から、俺が『◯▲っぽいフレーズで』とか言うとすぐ弾いてくれるヤツやったんですよね。まぁだから要するに…………使いやすいヤツやったんです(笑)」

(続きは本誌をチェック!

text by有泉智子

『MUSICA10月号 Vol.102』

Posted on 2015.09.15 by MUSICA編集部

サカナクション、草刈姉さん復帰!
久々の5人全員・再始動第一声!

「妊娠の苦しい感じがレコーディングしていたことによって――
身体的には苦しいこともあったけど、精神的にはラクに過ごせて。
みんなとモノを作り上げられてよかった。みんなのおかげです」(草刈)

『MUSICA 10月号 Vol.102』P.40より掲載

 

■姉さん、昨日から復帰したの?

山口一郎(Vo&G)「現場復帰は昨日から。一昨日からいろいろ始めたね」

■お帰りなさい。

草刈愛美(B)「ありがとうございます」

■どうですか? バンドに戻ってきて。

草刈「全国のお母さんにはおすすめしません(笑)。最初の日からいきなり20時間(仕事しっぱなし)はちょっとやめたほうがいいと思います」

岩寺基晴(G)「本当だよね(笑)。さっき朝方にMVの撮影が終わって、草刈が現場にいた時間がトータル20時間ぐらいになっちゃってですね」

■いきなり洗礼を受けちゃったんだ(笑)。

草刈「………はい。これからいろいろご相談しながらやっていこうと思っております(笑)」

■どうですか? リズム隊としてのパートナーが戻ってきた感覚は。

江島啓一(Dr)「俺、まだ楽器で合わせてないんですよ。撮影しかしてないんで。まぁこれからですかね、帰ってきた感を味わうのは(笑)」

■そもそも、「やった!」ってなったのはいつぐらいだったんですか?

草刈「妊娠したのがわかった時? わかったのは9月ぐらいだったかな」

■まさにこの“新宝島”のトラック録ってる時期ぐらいか?

草刈「デモとかセッションが終わって、もう作り始めてるぐらいですね」

岡崎英美(Key)「私はめちゃくちゃ幸せな気持ちになりました。その日はたしか“新宝島”の作業もしつつ、映画のサントラとかもやってて。発表する時は神妙な感じだったと思うけど(笑)、めでたいなって思いました」

■女性としてもまたね。

岡崎「そうですね。お母さんとしての先輩っていうのもあるし……」

山口「お母さんの先輩!? お前、お母さんじゃないじゃん(笑)」

草刈「これからなるかもしれないってことね(笑)」

岡崎「そうそう、女性としての先輩(笑)。これからはお母さんとしての大変さみたいなのもあると思うから、サポートができたらいいなって思いましたね。同性だからわかるところってあると思うんで」

岩寺「でも、話聞いた時は凄い幸せな気持ちになって、みんなで『朝からスタジオ集まって、夜12時前には終わろう』みたいな話をして。これを機にそうやって浄化しないとなって思いました(笑)」

■一郎は?

山口「前にも鹿野さんに話したかもしれないけど、僕はひとつ成し遂げた感がありましたね。草刈が札幌から東京に出てきて、東京で出会った人と結婚して、子供ができて。不安はもちろんありますけど、音楽で生活できてるわけじゃないですか。旦那さんも仕事してらっしゃるけど、そこまで来れたんだなって思って。……俺、草刈から下北の和食屋で聞いたんだっけ? 電話だっけ?」

草刈「電話。歌詞書いてた時で、もう(スタジオには)いなかったから」

江島「こっち側にはもういなかった(笑)」

山口「聞いた時は、宝くじ当たったみたいな感じだった。『きたー!!』みたいな感じだったよね?」

草刈「うん、『きたー!!』って言ってた気がする(笑)。そもそも『いつまでに』っていう具体的な相談をしたんですよね」

山口「凄く嬉しかったですけど、その瞬間に『ちょっと待ってよ。草刈いないのって大丈夫なのか?』みたいな不安感もありましたね。でも、実際に草刈がいない状態で、今回のカップリングとかいろいろ4人でレコーディングとかしてたけど、スケジュールに追われながらやってたからさ。……いなくなってわかったこともいっぱいあったんですよ。まず、草刈に頼ってた部分が凄い大きかったなって思ったし、役割がきっちり分担されてたんだなって思って。だから草刈がいなくなって空いた部分を誰かが埋めなきゃいけないわけで。僕は相変わらず言葉に追われる人間だから、3人で補わなきゃいけないっていう。たとえば『ここでバーッとこういう音が欲しい』とか『こういうコード感にしたい』みたいな、『簡単にラフ作って欲しい』っていう時に、草刈だったら1日もかからずできることが、3人だったら誰がそれをやるの?っていう。あと、俺がどうしたいかとか、『ここをもっとこうしたほうがいい』っていうのを瞬発的に理解して形にするのって、モッチとかがやってた時もあったけど、でも9割ぐらいは草刈だったんですよね。あらためてそれがわかって戸惑った」

■エジーはどうだったんですか?

江島「その日は割とパニックでしたね(笑)。レコーディング最中だったけど、もう今日はレコーディングできないなって感じで。でも、そういえば2年前ぐらいに『再来年ぐらいに産みたい』って話をしてて、すげぇ予定通りじゃんって思ったんですよ」

草刈「でしょう?(笑)」

江島「っていう話を2年前に聞いてるくせに、こっち側はなんの準備もできてなかったっていう」

■バンドとしてひとつの人生の階段の踊り場に来たってことだよね。

江島「うん。『きたか、この時が』っていう」

■というふうに、みなさん喜びながらいろいろ考えがあったみたいなんですけど、姉さん自身はどうだったんですか?

草刈「話にも出ましたけど、数年前に『ここで産みたい』っていう話をしていて――あれは結婚して1年くらいかな」

■それが自分がサカナクションを続けていくルールでもあり、けじめでもある的な感じだったの?

草刈「この速度で、こういうバンドで、こういう人数態勢(スタッフ含めて大掛かりという意味)でやってるし、いろんなことも先に決まってるから、いきなり妊娠が決まるといろんなことが大変だっていうのもわかってたんで、なるべく早め早めにとは思ってたんですよね。それで『もうちょっと早めにできるぞ』とか、自分でいろいろ計算しながら過ごしてたんですよ(笑)。『ツアーが次の秋だから、自分はこのくらい休んで――』とか考えて、結局今回は(出産前後)3ヵ月くらいは休ませてもらったんだけど。大丈夫かな?っていう気持ちもかなりあったんですよね。でも一郎くんも事務所も『思うようにやっていいよ』って言ってくださって――」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA10月号 Vol.102』

Posted on 2015.09.15 by MUSICA編集部

パスピエ、音楽の真髄と秘境と妄想を具現化した
会心のアルバム『娑婆ラバ』完成
大胡田なつきと成田ハネダ、
ふたつの視線からその確信と魔法を紐解く

ネットとかライヴってむしろ、
凄く限られてる空間だと思うんです。
僕は唯一解放される瞬間って、曲を聴いてる時間だと思ってるんですよ

『MUSICA 10月号 Vol.102』P.184より掲載

 

Interview with 成田ハネダ

 

■メジャー3枚目のアルバムが出ました。1枚目も2枚目も素晴らしかったけど、今回の『娑婆ラバ』は、また新しい名作が生まれたと思いました。

「おっ、ありがとうございます」

■まず、成田にとって「娑婆」ってなんなの?

「今回、初めての試みがいくつかありまして。それはシングルの“トキノワ”と“裏の裏”がタイアップだったっていうこともありますし、12月に武道館が控えてるっていうのもあると思うんですけど。最近は、自分の好き勝手に音楽をやって、ライヴをやったりリリースをさせてもらうようになってきたんですけど、実は言うほど外のことを意識してこなかったんですね。それこそフェスっていうものに向けてどういうアプローチをしていくかとかは考えてるんですけど、制作の部分において、外に目を向けられてない部分があったので、今作は『パスピエをより知ってもらうには』っていうところを意識したかもしれないです。『演出家出演』(1stアルバム)から遡ると、あの時はライヴシーンでパスピエをどう見せるかっていうところで、外を意識するっていうよりは、『こういうことやったら面白いんじゃないか』みたいな根拠のない想像を体現していってたんですけど」

■それが大胡田さんの書くイラストとか、姿を見せないでみんなに面白がってもらうっていうところだったんだよね。でも、その「面白がってもらえる」っていうところが音楽になってくると、ある意味作曲家であり総合リーダーである成田の主戦場になってくるわけだけど、そこはどういうふうに考えながら『演出家出演』の頃は作っていったんですか?

「そこはね、世の中の無尽蔵にアガるアッパーソングに対するパスピエなりのアプローチっていうことで作っていったんですよね。そして『パスピエがアッパーソングを作るとしたら』っていう仮定で作ったのが、“S.S”や“フィーバー”っていう曲達なんです」

■初期の代表曲だよね。バンドの初期の頃からそういうことを考えていたんだ。

「一番最初に出した『ONOMIMONO』っていうミニアルバムの時もそうなんですけど、『演出家出演』よりも前の段階は、打とうとしてるところに響かないっていう葛藤がずっとあったんですよね。インディの時は自己満を突き詰めてそれを具現化していったんですけど、メジャーになった時に『それだけじゃいかんぞ』っていうことに気づいて、『演出家出演』っていうアルバムを作ったんです。でも『演出家出演』って、自分の中では自分のアザーサイドで、『こうだったらパスピエは面白くなるんじゃないか』って仮定した、仮想世界みたいなものを表現したアルバムだったんです。そこでお客さんやリスナーが増えた喜びもあったんですけど、一方で自分の仮想世界のほうで得た実績に対しての疑問みたいなところがあって。なので、自分のクリエイティヴの部分を保つために、『幕の内ISM』(2ndアルバム)はインナーワールドに特化した作品にしたんですね。『演出家出演』でパスピエを知ってくれた人のためにも、改めてパスピエの人間性、内面性を自己紹介しなきゃいけないんじゃないかと思って」

■今の話って、『演出家出演』の頃は自分を出していっても成功しないと思ったからこそ、自分を上手く武装させたクローン的な音楽を使ったら、ポップになるんじゃないかと思ったってこと?

「そうですね。ポップというよりは、今のバンドシーンに対してなんですけど」

■そして、そのクローンを使ったらひとつ着地が見えた、と。そうしたら、今度はそのクローンに血を通わせるのが大事なんじゃないかと思ったのが『幕の内ISM』っていう?

「そうですそうです。『幕の内ISM』の時は『この作品がたくさんの人に届けばいいな』と思ったりもしましたけど、それよりも『演出家出演』でパスピエを知ってもらった人に、パスピエの内側を知ってもらいたいみたいな気持ちのほうが大きかったかもしれないです。で、リリースしてツアーを回った段階で『幕の内ISM』 のモードは昇華したんですよね。そして、今回の『娑婆ラバ』のタームになってなった時に、パスピエファンだったりパスピエリスナーに対する自分達なりの表現っていうのがある程度完結した部分もあり――」

■2枚のアルバムで表と裏を作った、と。

「じゃあ、今度は外に足を伸ばしてみようってイメージですかね、『娑婆』というのは」

■このアルバムに至る過程では、シングルの『トキノワ』と『裏の裏』でインタヴューをやらせていただいてて。僕は『トキノワ』のインタヴューの時に「七三分け」という言葉を使って、7がポップさで3がコアな欲望っていう割合だと話をしたんですけど。成田の中では、そこでタイアップも含めて世の中(=娑婆)に出ていこうとした時に、どういうふうにここまでのシングルに至ったの?

「結果的に正しかったかどうかはこの先になってみないとわかんないですけど、“トキノワ”の時も“裏の裏”の時も、パスピエが進もうとしてる道とパスピエがやってきたことを1曲の中で表現しないといけないなって漠然と思ったんですよね。でも、タイアップだと1コーラスしか流れないんで、パスピエのことを知って欲しいって思いながらも、1コーラスだと全然収まり切らなくて(笑)」

■それはクラシックをやってきた成田の音楽性の本質でもあり、問題でもあると思うんだけど。

「まさにそうですね(笑)。ずっとクラシックをやってて、1曲30分みたいなところを主戦場にしてやってきたので。で、“トキノワ”がアニメでも流れ始めて、そこから“裏の裏”に着手し始めたんですけど、そのぐらいからアルバムに向かっていく作品作りをしようと思ったんですね。“贅沢ないいわけ”と“トキノワ”で、パスピエとしては初めてぐらいポップな曲を表に出していくっていうことをやっていって。でも、そこで『パスピエってなんぞや?』って思った時に、『直球ポップスバンドではないぞ』って思い始めて。そこからアルバムの曲達が密度の濃いものを担ってきて、アルバムに繋ぐためにも“裏の裏”という曲を出しておこうと思ったんです」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA10月号 Vol.102』