Posted on 2016.07.17 by MUSICA編集部

くるり、時代の先端と普遍性が同居する名曲
『琥珀色の街、上海蟹の朝』リリース。
岸田繁の真意をじっくり問う

自分が味方にならへんと誰も味方してくれない。
どれだけ綺麗ごとを言わずに先に行動するかとか、
相手が心を開いてくれるための権利を勝ち取るかが
重要やなと最近は思ってる

『MUSICA 8月号 Vol.112』P.100より掲載

 

(前半略)

■この曲はくるりがこれまで正面切ってはやってこなかった音楽性に突っ込んだ素晴らしい名曲です。何故こうなったんですか。

「実際にじゃあ新曲作ろうってなってポロンポローンとやったり、いくつか頭の中に思い浮かんでるものを形にしてみた時に、どれも自分があまり興奮しなかったんですよね。それで、これまでくるりの名義ではやってなかったこと――自分はそういうの好きやったり通ってたりするけど、今までくるりとしてはやってこなかった部分のネタを引っ張り出してきて。それをレゴブロック作るみたいにワーッと作っていったんです」

■それがこのブラックミュージックの骨格だったってことですか?

「そう。で、なんとなく組み立てた段階でメンバーとかスタッフに聴かせたら、意外と好反応やったんで。その時までは、意地の悪い言い方やけど『はいはい、やっぱみんなこういうの好きなのね』みたいな気持ちもあったんですけど(笑)。でも、そこからはもう何を思って作ったとかはないです。ただ完成させようと思って、然るべきミュージシャンにしっかり参加してもらってバーンと録った感じ。って言うと面白くないけど(笑)」

■「やっぱみんなこういうの好きなのね」というもの言いにも表れてると思うんですが、こういうブラックミュージック、ファンクやヒップホップ的なR&Bって、ここ数年の世界のポップミュージックのメインストリームにあるものじゃないですか。で、日本でも去年くらいから波は来ていて。くるりはここ最近、クラシックや民族音楽のような現行のポップミュージックからは外れた場所にある音楽的要素をポップミュージックに放り込んでいくということをやってきたと思うんですけど、この曲に関しては今の時代性、もっと言えば今の「旬」に真っ向から臨んでいったと言える。で、それをくるりがやるとどんな凄いことになるのか?を提示したようにも思える。そういうことは岸田さんの中に思惑としてあったんですか?

「ないです(笑)。結果、そういうチョイスをしていったっていうのはあるんですけど、旬がどうこうよりも、くるりとしてその封印を解いたってことです。いわゆるブラックミュージックと言われるものは昔から好きでよく聴いてるものやったし、京都にいたから、アマチュアでバンドやってた頃は元々そういう音楽をやってたんですよ。黒人がやってる音楽って、元を正せばゴスペルで、戦前のブルース、その後のジャズっていう流れやないですか。京都ってそういうの多いんで、くるりの前のバンドやってた時は、ほんまにそこに乗っかったものをやってたんですよね。そもそもギターもそうやって勉強していったし。ギター始めた頃はハンチング被って股上の浅い千鳥格子のパンツ履いてワカチョコワカチョコやってたんで(いわゆるファンキーなカッティング奏法)、もしプロになるとしたらワカチョコやる人になりたいと思ってし(笑)。で、バンドのグルーヴの作り方とかも、ルーツを知った上でストーンズみたいな演奏をする、とか」

■ストーンズのルーツはブラックミュージックですからね。

「そうそうそう。ほんでステージ上ではストリート・スライダーズみたいな格好する、みたいな(笑)。そういう美学があった時代やったから。でも、まだ形になる前の学生やった自分達は、おっさんらのそれに勝てへんから。だから前のバンドを解散した時点で、そのポジションで勝負するのはやめようって思った。それで組んだのがくるりだったんですよね。もっくんも割といい感じにグルーヴしてる16ビートっぽい横ノリのドラムやったし、佐藤くんはニットキャップ被って短パン履いてジャンプしながらチョッパーしてる人やったんですけど、そういう人達を従えてるんやけど割とオルタナ、グランジに寄ったスタイルでくるりを始めたわけです。だから意図的に黒人音楽っぽいものを避けてきた歴史はあるんですよね。もちろんそういう要素やマナーはあちらこちらに入ってはきてるんですけど」

■そうですね、それこそ初期の頃からその要素は散見されます。

「ちょっとアシッドジャズっぽい要素とかはやっぱり好きやからね。自分達の時代でいうところのチャカ・カーンとかローリン・ヒルとか――」

■The Brand New Heavysとかもありましたね。

「そうそう、そういうの大好きやったんで。The Brand New Heavys、インコグニート、ジェームス・テイラー・カルテットとか……くるりはそういう意味では、それへの反抗の歴史やったと思います。でも時代がひと周りして、若い人達で『どこで拾ってきたん?』みたいなネタを駆使して作ってるバンドも出てきて。たとえばHiatus Kaiyoteとかね。そういうのは佐藤くんのほうが詳しいけど、佐藤くんがラジオでよくかけてるような今っぽい黒いバンドを聴いてると、今こんなの流行ってるのねっていうのが安心材料になってるところはあるかな。あとはOKAMOTO’S、特にハマやショウみたいな黒い音楽が好きな人が自信持ってドーンとやってるのは見てて美しいなと思うんで、そういうのはどんどんやって欲しいし。ま、話を戻すと、今回の作品に関しては、自分が通ってきたけどくるりでは意図的に封印してた引き出しを今使ったら、一体どうなるんかな?っていう実験ではあったと思います」

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text by有泉智子

『MUSICA8月号 Vol.112』

Posted on 2016.07.17 by MUSICA編集部

the HIATUS、様々な挑戦の果てに掴んだ『Hands Of Gravity』。
細美武士の音楽家の本質に向かい合う

この旅をしなかったら、
同じコード進行で俺はなんぼでもメロディが書けるなんて
思えなかったはずなのね。あのまま行ってたら、
もうこの進行でのメロディは作り尽くしたみたいな気分で
延々と曲を書いて、過去曲の強さを求めたまま
成長できないっていう状況になってたと思う

『MUSICA 8月号 Vol.112』P.92より掲載

 

■間にMONOEYESを挟んだことでどんなアルバムになるのか興味深く待ってたんですが、いい意味で自分が予想していたものとは違っていて。

「あ、そうですか?」

■はい。私は勝手に、MONOEYESがあったことで逆にthe HIATUSはよりアートとしての側面が強い方向性というか、実験的であったり、先鋭性に振り切れる可能性も高いんじゃないかと思っていたんですけど、実際届いた作品は、相変わらず緻密さと深遠さを兼ね備えた音楽性ではあるんですが、でもストレートに開けた楽曲が多く並んでいて。特に後半は非常にエモーショナルな楽曲が多くて、そこからもたらされる感動が凄く大きいアルバムだと思いました。まずご自分ではどんな作品だと思いますか?

「the HIATUSは自分達でも毎回どんな作品になるかわかんない状態で作曲を始めるので、今回もそうだったんですけど。でも、大方の予想は今おっしゃってもらったものだったと思うんですよ。で、俺としてはそっちに向かっても全然構わないっていうか、どんなものができても構わないぜっていう気持ちで、凄くリラックスした状況で制作を始めました。基本的に柏倉隆史(Dr)と伊澤一葉(Key)と俺がスタジオに入って作曲を進めていったんだけど、その時も『音出してみないとわかんないよね』みたいな感じで始めてて。俺以外のふたりのモードがもの凄いアバンギャルドなものを作りたいっていうようなものであっても、俺はそこに乗っかっていくつもりだったし。でも、なんとなく5曲ぐらいアルバムに入れたい曲が出揃ってきた辺りで、意外とビッグソングが生まれてきてるなっていう印象があって」

■はい、まさにアルバムを聴いて感じたのはそこでした。つまりアンセム性の高い楽曲が多いという印象があったんですよね。

「別にそっちに行こうって決めて作ってたわけじゃないんだけど、俺達3人で曲のネタを作った時に、3人揃って行きたいと思う方向は今回そっちだったっていうことなんじゃないかな。………MONOEYESが生まれて、『the HIATUSで自分のすべてを表現しないといけない』みたいなしがみつき方がなくなった時点で、ようやくメンバー全員が対等になったっていうのかな。それによって本当に自由にthe HIATUSという場所で音楽を生み出すことができるようになったなっていう感覚はあって。the HIATUSはそもそも作品を出すぞって言って集まったメンバーだから、最初は5人のメンバーが一番活きる形を探るっていうか、それこそ『このバンドはどんなバンドなんだろう?』っていうのを探るようなところがあって。それが3作目ぐらいまでどうしてもかかったと思うんだけど、4作目ぐらいからは阿吽の呼吸みたいなものも含めて絆が太くなって、共同作業をすることに対してストレスがなくなった感じがあって。バンド内でのそれぞれのあり方というか、分業がどんどん明確になっていったのが『Keeper Of The Flame』の辺りだったんだけど。お互いに対するリスペクトもどんどん強くなって、『あいつがいいって言ってるんだから、いいんだろうな』みたいな割り切り方もできるようになった。で、今回はそこからもっと進んで、こいつがいいって言ってるからいいんだじゃなくて、全員が100点だと思うものになるまでみんなでひとつのものを作ることができたと思う。しかもそれに対してストレスをまったく感じずに、一緒に音楽を作り上げる楽しさの中でずっとやれたんですよね」

■the HIATUSはそもそも細美さんがご自分の新しいプロジェクトとして立ち上げたもので、言ってみれば、始まりの時点では細美さん自身が自分の新たな音楽世界というものをどういう形で表していくのか、自分なりの美学や信念をそれまでとは違う形でどう新しくアウトプットしていけるのか、それを探っていく旅でもあったんじゃないかと思うんです。そこからバンドへと進化して前作でそれぞれの特性や役割分担が明確になった時に、細美さん自身はthe HIATUSの中での自分の役割はどういうものだと捉え、そしてこのバンドで何を表したいと思うようになったんですか?

「the HIATUSの俺の役割という意味では、まずミュージシャンとしてはヴォーカルであり、素晴らしいリズムと音階の立体構造を作ってくれる仲間がいて、その仲間と作った曲に言語的な意味を与える――つまり詞を書くっていうのが俺の役割。で、いい歌を歌うこと。音楽性はみんなで作り合いたいので、ミュージシャンとしてはあくまで5人のうちのひとりで、上でもなければ下でもない。だけどそれ以外の部分では、バンドのリーダーだと思ってます。スケジュールを構成したりとか、今回のレコーディングの音的なテーマはこんな感じでどうか?とか、そういうことを考えるのも俺の役目。……俺、メジャーで音楽やるのはthe HIATUSが初めてだから、バンド内の体制を整えて絆が太くなっていくのと同時進行で、メジャーの中で自分達が音楽を作る環境も整えていかなきゃいけなかったんだけど。それが5~6年かかってようやく音楽を集中して作れる状況を作れたっていうのかな。DIYとは違うけど、誰かに指揮棒を振られてものを作るんじゃなくて、予算の管理も含めて全部をちゃんと自分達で割り振るっていうことができるようになった。そもそも俺は、メジャーでやってはいるんだけど、チャートの上位に行くっていうことを活動の目標から排除して、ただひたすら自分達で何度も聴きたくなる音楽とか、もしかしたらこういう音楽があったほうが朝飯が美味かったりすんじゃねえの?みたいなものを作りたいって思ってやってるので。そういうまっすぐさっていうか……まぁもう全員オヤジだから、ピュアさはないんだけど」

■でも、オヤジの純粋さはありますよね。

「ははははは、あるね。料理する時も味だけに向かう、みたいな(笑)」

■はい(笑)。売れるためにどうこうじゃなく、音楽家として純粋に音楽の旨味と美しさを追究する、そこは決して譲らないっていう。それはthe HIATUSというバンド/音楽の核になってると思うんですけど。

「うん、そういう感覚でメジャーレーベルと音楽を作って成立させるための状況をこの5~6年で整えてきて、なんとかここまで辿り着けた。それもバンドメンバーの中のストレスがなくなっていく要因だったのかな。そういうことが割と上手く行き始めたっていうのが、音にも表れてたりするかもしれない。あとやっぱり、俺にもう1個MONOEYESというバンドがあるっていうことが、今作に向かうモチヴェーションを大きく変えてくれたというか、整えてくれた感じがあるんで。逆に言えばthe HIATUSの外で音楽を作りたいと思ったのはそこを整えたかったからだし――」

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text by有泉智子

『MUSICA8月号 Vol.112』

Posted on 2016.07.17 by MUSICA編集部

lovefilm、初のアルバム『lovefilm』リリース!
バンドに宿るかけがえのない青春性の所以を、
石毛と江夏の言葉から紐解く

しっしが歌ってくれるから、俺も素直に蒼さを出せたところは絶対あります。
実際、俺も曲を作ってる時は頭の中では走って泣いてるから。
そういう心がなくなったら、こういう曲を作らなくてもよかったしね(石毛)

『MUSICA 8月号 Vol.112』P.78より掲載

 

■バンド結成からわずか半年でファーストアルバムが完成しました。蒼い衝動に溢れまくったギターポップ満載の、とうに青春を過ぎた自分みたいな世代でも思わずキュンキュンしてしまう甘酸っぱい青春感が迸っていて。自分達ではファーストが完成して、今どんなことを思っていますか?

石毛輝(Vo&G&Prog)「僕は人生2度目のファーストアルバムを作ったわけなんですけど、the telephonesの時よりもファーストアルバムらしいファーストアルバムが作れて、凄く気分がいいです」

■どういう意味でthe telephonesの時よりもファーストアルバムらしいの?

石毛「作品自体の実感としてなんだけど。the telephonesの時は今回のしっし(江夏詩織)みたいに、もう何が何だかわからない状態で録っていんだよね。そもそもレコーディングって作業自体に慣れてないしさ。でも10年間やってきたから、レコーディングという作業にも慣れてきて。ロックバンドって、ワケわかんないまま進んでいってもいいんだっていう衝動ってあるじゃん? その部分はしっしに任せて、俺はここにある衝動がちゃんと衝動として聴こえてくるためにどうしたらいいのか?ってことを客観的に見ることができたんだよね」

■つまり、本当に初めてのバンドで初めてのアルバムを作る詩織ちゃんのフレッシュな衝動や、あるいは結成まもないバンド自体が放っている衝動というものを、自分自身がちゃんと作品としてプロデュースすることができた。それによって、ロックバンドのファーストアルバムというものが持つ輝きを音楽的にここに封じ込めることができたと、そういうこと?

石毛「そうそう。そういった意味でバランスがよかったと思う。細かいディテールではこだわった部分は凄くあるんだけど、でもたどたどしいところとか粗くなるところとか、そういうのはそのまま活かしてて。直していくと、それこそ作品から衝動性とか蒼さが減るんだよ。それは減らしたくなかったから、だからそもそも今回はクリックも使ってないし。自分で聴いてて恥ずかしくなる箇所はたくさんあるんだけど、そういう照れとか自己評価よりも、聴いてる人がどう感じるかを重視したかな。たどたどしさとか粗さも含めたロックバンドの衝動感って、聴いてる人をワクワクさせるところもあると思うから。だから完璧なものというよりも、聴いている人が入り込める余地がある世界観を目指したんだけど」

■というか、実際演奏は拙い部分もあったりするんだけど、そのたどたどしい部分、未完成な部分をこのバンドの「音楽」として鳴らせてるよね。ただ、そういうプロデュース力もありつつも、石毛くん自身もかなり衝動的というか、自分の中のピュアな衝動を解放してる感は強いよね。

石毛「そこはやっぱりしっしを見て『俺もファーストの頃、こういう気持ちだったな』って思ったから、そこに引っ張られたところはある(笑)。で、実際そういう気持ちで歌ったりしたね。そうやって、自分のキャリアを使うところと使わないところを客観的に見たつもりではある」

■詩織ちゃんはどうですか?

江夏詩織(Vo&G&Syn)「私は本当に、作ってる間は右も左もわからない状況だったんですけど(笑)。でも、今の私ができる100%は出せたと思います。レコーディングまでに歌詞の意味を読み込んで考えたり……やっぱり、私が歌詞にキュンキュンしながら歌わなきゃ、聴いた人をキュンキュンさせるようなものにはならないと思ったから」

■今の流れで訊くと、21歳の詩織ちゃんから見たらおっさんと言っていい32歳の男性が書いた歌詞がこれだけロマンティックなものだっていうのは、実際どんな感覚だったんですか?

石毛「おいっ! なんだよその質問!(笑)」

江夏 「(笑)私的には凄く嬉しかったです。言い方は悪いですけど、最初の段階では歌わされている側じゃないですか。提供される側というか」

■人が書いた歌詞とメロディを歌うわけですからね。

江夏「はい。私は性格上嘘をつけない人なので、自分がよくないと思ってると本当に楽しくなさそうなものになっちゃうことがあるんですよ。でも石毛さんの歌詞は、歳も性別も違うのに全然違和感がなくって、自分のものとして歌うことができたから。確かに32歳の男性が書いた歌詞とは思えないような甘酸っぱい青春感が溢れる歌詞だと思うので(笑)、凄く歌いやすいし入り込みやすかったです。だからありがたいな、と」

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text by有泉智子

『MUSICA8月号 Vol.112』

Posted on 2016.07.16 by MUSICA編集部

THE ORAL CIGARETTES、
反骨心と本能剥き出しのシングル『DIP-BAP』発表。
山中拓也の哲学と本質を改めて掘る

シーンに対してとか、お客さんの今のフロアでの感じに対して
「違うな」って思う部分があって……
それを言葉で伝えるカッコよさもあるけど、
俺は楽曲でちゃんと伝えないとなって思った。
ポリープから復活したタイミングで、
「自分」っていうものをちゃんと出したいと思ったから

『MUSICA 8月号 Vol.112』P.58より掲載

 

■最近取材に限らず、いろんな人から「今ノッてますね。キテますね」って言われるでしょ。

「あ、言われますね」

■夢に見たその景色はどういうものだったんですか?

「でも、その『ノッてますね!』っていうのに、そこまでピンと来てないんですよ(笑)。もちろんステージに立った時にビックリするぐらいの数の人がいたりして時々実感したりはするんですけど、ずっとトータルで『俺、ノッてるぜ!』っていうのはなくて。自分でもずっと怖いし(笑)、そんなイケイケモードにはなってない」

■ただ、『FIXION』のリアクションもそうだし、今年に入ってから各地のライヴでの景色は明らかに変わったと思うんだよね。どういう起点とかきっかけがあってそういうふうになったと思いますか?

「最初は、『(喉のポリープの)手術を乗り越えた』っていう自分の中での変化と、お客さんのオーラルに対しての見方が変わったっていうのがデカいのかなって思ってました。でも、去年ポリープで手術してる間に自分達の動き方を見直すタイミングがあって。その時に、ポリープ手術でどうこうなったとかじゃなくて、4月に『エイミー』を出して、夏フェスの期間に『カンタンナコト』を会場限定で出して新しいことをやって、休んでる時に初めてのタイアップで“狂乱 Hey Kids!!”っていう曲を書けて、その積み重ねがあったからこうなったんだなって思ったんですよね。それができたことに対する僕らの自信もあからさまに違うから、お客さんがわかりやすく増え始めてるのかなって思って。だから、どこがどうだったかじゃなく、今に至るまででずっと繋がってる気がするんです」

■僕はね、オーラルはノッてないからこそ、今が上手くいってるんじゃないかなって思ってるんです(笑)。

「はははははは。きっとそうだと思います」

■去年の夏に『カンタンナコト』というシングルを出したよね。あの曲って、全然サマーアンセム感がない曲で、そういう曲を敢えて夏フェスの会場限定で売っていった。これは「俺達は今来ている波には乗らないぞ」って言ってるようなもんじゃないかなと思ったんです。

「そうですね」

■で、その後ポリープの手術をして、いろんなものが回復していって、“狂乱~”というアンセム度が高いシングルも作って、素晴らしいリベンジ公演もやった。この一連の流れって世の中の期待に応えているっていうよりは、自分達の失地回復を遮二無二やっていった結果だったと思うんだよね。で今回の『DIP-BAP』っていうシングルも、「波に乗ってる俺達!」っていう曲ではまったくないし、歌の内容に関しては真逆だったりしていて。そういうところが結果的にこのバンドの独自の道に繋がっているし、信頼感にも繋がっているような気がするんですよ。

「その通りだと思います。オーラル組み始めの時は、いろんなアーティストを見て『自分達はこうしたらいいのかな?』とか頭で考えて真似してたんですけど、『オレンジの抜け殻、私が生きたアイの証』を出すタイミングで『全国に流通するものだから、簡単な想いでは出せないよね』っていう話をして、その時に自分を見直すきっかけがあって。そこで自分は暗い人間なんだとか、捻くれてる人間なんだってことにちゃんと気づいたんで、もう無理に明るくするのはやめようとか、自分のペースでやろうって思った。それが自分達の強みだって気づいたし、『これが山中拓也だな』『これがオーラルだな』って胸張って言えるんですよね。だから、わざわざスタイルを変える気もないし、何処にもノらない。なんならちょっとアンチというか、『世間に対して俺はこう思う』とか『俺はそうじゃないんだ』みたいな反骨精神がオーラルを上げていってる気がして」

■拓也はもの凄く状況を読むじゃない? 今みんなが何を求めてるのかっていうところも読むし、マーケティングをリサーチしてるなとも思うし。昨今、いろんなアーティストから拓也の名前が出てくるんだけど、みんな「いやー、あいつにいろいろ吸われてます」って言うんだよ(笑)。

「はははははははははははははははははは!」

■「『ワンマンをこういうところでこういうふうにやるにはどうしたらいいんですか?』って話してくるんだけど、いろんな話をすると全部吸い取ってるんですよね」みたいな(笑)。拓也はそういう話を聞いた上で、自分達のやり方に繋げてると思うんだよ。つまりあなたはとても批評的なアーティストなんです。

「そうですね。聞いたことを吸収するのは昔から得意だったんですけど、それを上手く表現することが全然できなくて。でも、今はTHE ORAL CIGARETTESがどういうバンドであるかとか、自分がどういうヴォーカリストであるかっていうことは百も承知だから、フィルターを通してどう発信していくかってことを考えてて。そのフィルター自体が捻くれてるから、他のバンドとやることが変わってくるし、提示したいものが変わってくるんだなって思ってます」

■今話してくれた「自分達らしくあればいいんだ」「自分の歌い方はこういうものなんだ」って思った確信って、THE ORAL CIGARETTESっていうバンドが捻くれてるバンドだっていうこと以外に、俺達はどうだからこのままでいいんだって思ったんですか?

「………単純にバンドを通して学ぶこともあるんですけど、最近は個人の動き方を通して学ぶことが多くて。たとえば先輩とか、一緒に頑張ってきた同期のバンドから話を聞く中で、『ここは乗ろうとしてるな』とか『ここは譲れないんだな』とか、喋ってる相手を勝手に分析しちゃうんですよ(笑)。昔から人間観察が凄い好きだったから。そうやって人を見る中で、自分も見えてくるなって思ったんですよね。だから、オーラルを通してステージ上で得るものも凄く多いし、『山中拓也はこういう人間でいなきゃいけない』とか『オーラルはこういうバンドでいなきゃいけない』って思うことはあるけど、でもプライヴェートのほうが学ぶことが多いなって思ってて。ステージ上とプライヴェートの人格を分けてる人もいるし、そこが一緒の人もいるじゃないですか。じゃあ俺ってどっちなんだろう?って思った時に――前回のMUSICAのインタヴューでも話したと思うんですけど、自分はバランス感覚みたいなところを意識してやってるなって思ったんですよね。言い方は悪いかもしれへんけど、『俺がこういうふうにバランス取って出したら、絶対伝わるはず』っていうのをステージ上で試して、それをステージ以外でも試していったんです。だから、頭使ってるっちゃ使ってるけど、実際に一番自分らしくあれる道を選んでやってるし、今は周りの反応を見てこれでよかったんだなって思ってて」

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text by鹿野 淳

『MUSICA8月号 Vol.112』

Posted on 2016.07.16 by MUSICA編集部

ぼくのりりっくのぼうよみ、
初のEP『ディストピア』で描く現代社会への警鐘。
その真意を解き明かす

たとえば「自由」って言葉が完全に世の中から
なくなっちゃったら、誰かの奴隷になっても
自由になりたいって思えない。その概念がないから

『MUSICA 8月号 Vol.112』P.66より掲載

 

(前半略)

■『ディストピア』というタイトルで新曲3曲+“sub / objective”のリミックスが入ってるんですが、明確なテーマのある非常にコンセプチュアルなEPで。初回盤に入る小説も読ませてもらったんですけど――。

「ああ、この鬱病みたいな小説を(笑)。どうでしたか?」

■凄く面白かったし、凄く重かった。

「はははははははははは」

■小説の話はまた後でするけど、これも楽曲と密接にリンクしていて。じゃあそのテーマは何かといえば、1曲目の“Newspeak”に<オーウェルみたいな世界>、つまり「全体主義的ディストピア」を示唆する言葉(ジョージ・オーウェルの小説『1984年』に由来。なおNewspeakというタイトルも同名小説に描かれた架空言語を指す)と、<哲学的ゾンビ>という言葉があるんですが、つまり主体的に物事を感じたり考えたりすることができない、言い換えれば生きている実感を持つことなくただ人形のように生きる人々がテーマになっていると思うんです。

「はい、そういう感じです」

■こういうテーマで作品を作ろうと思ったのは、どうしてだったんですか。

「僕はインプットしないとアウトプットできないんで、3月~4月のちょっと暇な時期にいろいろ本とか読んだんですよ。新しいのも読みつつ、昔読んでた本をもう1回読んでみようかなと思って、オーウェルも読み直して、なるほどと思い。で、相変わらずツイッターとか見て思うこともあり。『私はバカだからよくわかんないですけど、ぼくりりさん凄いです』みたいなことを言われることもちょくちょくあるんですけど、まぁ嬉しいんですけど、自分でもちゃんと考えてみたら面白いのにな、みたいに思い。そういうところもきっかけになって、このテーマが出てきました」

■オーウェルは、最初はいつ読んだの?

「中学生とかじゃないですかね」

■その時とは感じ方は変わった?

「全然違うと思います。『ああ確かに! わかる! わかりみが強い!』とか思いながら読んでました」

■それは今、自分が見てる現実世界と比べた時に――。

「うん、本当にリンクしてるんだなと思って」

■「哲学的ゾンビ」っていう言葉は90年代にデヴィッド・チャーマーズという哲学者が提起した言葉だけど、この言葉が引っかかったのは?

「そういうのをテーマにしてる曲がボカロにあって(FICUSELの“思慮するゾンビ”)。それこそ初音ミクが哲学的ゾンビであるみたいなコンセプトの曲だったと思うんですけど、それで言葉の存在は知ってて。で、今の世の中ってみんなそうなっていってるんだなと思って……っていうか、オーウェルの言葉が少なくなっちゃうっていう流れを踏まえて(『1984年』の中で、Newspeakは国民の思想を単純化するために毎年語彙が減らされていく言語と設定されている)、それが進むと最終的にどうなるのかなと思ったら、哲学的ゾンビになるのか、みたいな感じで繋がって。で、そこからいろんな種類の哲学的ゾンビになり方があるなと思いまして、他にどういうのあるかなっていうパターンを探って曲にしました」

■つまりオーウェルや哲学的ゾンビという概念から発想してるけど、それはそのまま自分が今見ている現実社会に対する洞察――今この世の中はこうなっていってるな、人々は哲学的ゾンビになっていってるなということをこのEPにしたためたっていうことですよね。

「そうですね。“Water boarding”だけちょっと毛色が違いますけど」

■そうですね、この曲は前のインタヴューで話してくれた――。

「そうです、ストーリー系のやつ、1回やってみたかったんで」

■かつ、ぼくりりくん自身のことが入っているというか。

「ふふ、そうですね」

■まず“Newspeak”は<乾いた言葉を並べて意味を求めて彷徨い歩く>、<クオリアを取り戻せ>、<息絶えた言葉に縋って自分を探して彷徨い歩く>というリリックがありますけど、言葉を失うことで生きている意味もわからなくなってしまった人々が、それを取り戻そうとする様を描いていて。

「というか、いろんな概念を喪失しちゃった人がそれを思い出したいな、みたいになるっていう。たとえば『自由』って言葉が完全に世の中に存在しなくなっちゃったとしたら、誰かの奴隷みたいな状態になっても自由になりたいって思えないわけじゃないですか」

■自由っていう言葉がないってことは、自由っていう概念それ自体を認識できないっていうことだからね。

「そうです。でもなんかモヤモヤする、だからそのモヤモヤの正体を求めて彷徨う、みたいな。ニュアンス的にはそういう感じです」

■そして続く“noiseful world”では<言葉なんて今なんの意味も無く/血が垂れる>というリリックがあって。“Newspeak”からさらに進んで完全にクオリアを喪失するという――。

「いや、これはまた別の人達のストーリーなんです」

■あ、そうなんだ。

「はい。“Newspeak”の人は言葉が少なくなっていくことでクオリアというか、自分の意識を失っちゃうけど、“noiseful world”の人は情報が多過ぎて感性が麻痺しちゃうことによってクオリアを喪失していくっていう」

■ああ、なるほど。だから“noiseful world”なのね。

「いろんな道でクオリアを失っていくっていうのを書きたかったんで」

■その両方が今の世界の中で同時進行で起こっていると感じるんですか。

「そうです、僕が思う二大クオリア失い要因。“noiseful world”の情報が多過ぎて感性が麻痺しちゃうっていうのは、わかりやすいものに飛びついちゃう、みたいな。今ってそうじゃないですか。たとえば舛添さんがどうのとか、そういう与えられた餌にすぐバーッと群がる、あれ。『よく考える』ってフェーズがない。『何かを見る、よく考える、叩く』じゃなくて、『何か見る叩く』みたいなことが多いなって。前作の“CITI”っていう曲も割とそんな感じだったんですけど、情報が多くなり過ぎて、深く感じられなくなっちゃう。たとえば、どこを歩いてても音楽が鳴ってたりするじゃないですか。そのせいで、好きだったはずの音楽がただのBGMと化しちゃってるとか。なんでもそうなんですけど、そういうことを歌ってます」

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text by有泉智子

『MUSICA8月号 Vol.112』

Posted on 2016.07.16 by MUSICA編集部

SKY-HI、幸福なヴァイブスを持つ
新曲『ナナイロホリデー』リリース。
彼のアーティストとしての性と確信を再び問う

エンターテインできる曲じゃないと嫌なんです。
ディズニーランドとかマイケル・ジャクソンとか、
ポピュラリティの象徴に対する戦闘意識というか、
そことちゃんと張り合ってたいんで

『MUSICA 8月号 Vol.112』P.72より掲載

 

■売れる気しかしないですよ、この“ナナイロホリデー”は。

「あー、もう報われます、そう言っていただいただけで。“愛ブルーム”っていうメジャーデビューシングルは結構まぐれで生まれたんですけど、 “スマイルドロップ”以降自分に感じている可能性の1個は、“ナナイロホリデー”みたいな売れそう、広がりそうな曲が、コンスタントに作れるってことで。個人的にもあとはきっかけひとつでいくんじゃない?って思うんですけど(笑)、なかなかまだまだ渋くてですね」

■ははははははは、正直だね今日も。これはサマーアンセムを作ろうと思ったんですか? 

「ディスコっぽいシングルが最近なかったから……“アイリスライト”、“クロノグラフ”も、『カタルシス』もそうですけど内容が初期段階からシリアスだったんで、そろそろ無条件に気持ちがいいものを作ろうっていうのはあって」

■非常に明るくて開放的な曲を敢えてSKY-HIでやるのは、『カタルシス』では生きることを歌い、バラード調のラップにも挑戦してきた。その中で自分の音楽的な懐を見せられたことが嬉しくて、こういう曲を今俺が出してもいいんじゃないかっていうロジカルがあったりするんですか? 

「完全にないとは言い切れないんですけど、そこはあまり大事にはしてないですね。純粋に音楽でメッセージを届ける以上、エンターテインできる曲じゃないと嫌だなって思うんですよ。それが15分のショウケースでも2時間のショウケースでもちゃんとメッセージを吐き出す瞬間を作りたいからこそそれだけで終わらせたくないし、ちゃんと楽しませたくて。ディズニーランドとか、マイケル・ジャクソンとか、ポピュラリティの象徴みたいなものに対する戦闘意識というか、そことちゃんと張り合っていたいっていうのが基本的にはあるんで。今回は徹底的に楽しい曲を、と思って作り始めたので、完成盤は「幸せ」を詰め込んでるんだけど、デモの時は「楽しい」に寄ってたんですよね。ちょっとセクシーな感じだったり、ビートもコードも一緒で展開もほぼ一緒だけど、メロと歌詞は全然違うものを最初作ってたんです。……その後、4月に喉の手術をして1ヵ月くらい歌えなくて。最初2週間は歌えないことがツラくて何していいかわかんないし、情緒不安定ぽくなって5キロくらい太っちゃって。今までの人生でそんなことある!?って感じでした(笑)」

■この時期じゃないとスケジュールも上手くいかないから、今手術しようってくらい準備万端で、心の準備をして臨んだんだよね? 喉は。

「そうだったんですけど……実際歌えないし、不安にもなりましたね。『本当に(調子が)戻るのかな?』っていうのもあったし、そんな時も容赦なく仕事は入るし。でも、後ろ向きになってばっかりいるわけにもいかないので、気を紛らわそうと思って。歌えないって何がツラいって、曲を作ることもできないんですよね。それなら逆に今までできなかったことやろうと思ってギターを買いまして、真っ赤なグレッチを手に入れて」

■昔のドラマー気分を思い出して楽器欲が復活したみたいな? 

「むしろ新しいほうかもしんない。新しいドア開けよう!みたいな。鍵盤はなんだかんだ制作しながら触ってたから、6割くらいの力で弾けちゃうんです。でもギターは10でやるからツラさを忘れられるんですよね。で、自分の曲をいろいろ弾いているうちにだんだん楽しくなってきて、そんななか去来するものは今年のホールツアーとかで。『カタルシス』出してからのホールツアーは自分の中で大きかったっぽくて。ひとつの出口だったというか、普通に音楽を作って、こんなんじゃダメだってやり直して、認められた、認められてないっていうのを繰り返してアルバムが出て、それなりにこれは評価もらえたんじゃないか?とか、ホールツアーは絶対にいいものにできる、これは完璧だ!って思えるものを手術前は当たり前にできてたなぁって。スタートはひとりだったのが、こんなに仲間増えたんだなぁって実感しましたね。今年はコーラスがふたり増えたのもあって、仲間が増えてく様は『ONE PIECE』みたいで凄い楽しくて(笑)。自分のやってきたことをWikipedia見て感じるのではなく、自分の周りにいる人のおかげで積み重ねたものを感じられたことが凄く幸せだったし、『今は歌えないけど喉が治ったらもっといい状態でこの体験をもう1回できる、こんな幸せなことはない!』って言い聞かせて“ナナイロホリデー”を作り直しました。この曲、<“最高”を始めよう!>から<何度でも続けよう!>になって、<“最高”を届けよう!!!>で終わるんですけど、これはずっと楽しくなれる音楽だなって、幸せな曲になったんです」

■「大丈夫」とか「It’s all right.」って言葉は世界中多くの歌に使われてると同時に、ある種の極端な人間には致命傷とも無責任な言葉とも言われていて。でもきっと今日もポップミュージックでは不特定に向けて、不特定多数の人が歌ってる言葉だよね。日高くんの<It’s Alright>はどういう気分なんですか? 

「“カミツレベルベット”の<Everything’s gonna be alright>の時に僕は、それまで1番嫌っていた単語を使ったんですよ。<Everything’s gonna be alright>って単語が自分の口をついて出た瞬間、自分が一番驚いたみたいな(笑)。で、そんなこと思える日が来るんだなっていう“カミツレベルベット”を越えて“ナナイロホリデー”を歌う今の自分は、根拠はないけど自信はあるんです。それこそ一寸先は闇じゃないけど喉も治るかわかんないし、自分の音楽を聴いたことで聴いてくれた人が幸せになる保障はないんですけど————聴いて欲しいと思う以上は傲慢になっちゃいけないし、聴いてくれる対象をずっと意識したいと思ってて。聴いてくれる人にとって自分の音楽が幸せとか最高とか言い切る根拠はないけど、<It’s Alright>って言い切れるっていう……根拠のない自信がここに表れてる気がします」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA8月号 Vol.112』

Posted on 2016.07.15 by MUSICA編集部

スピッツ、約3年ぶりとなるアルバム『醒めない』完成!
ロックへの憧憬と衝動を詰め込んだ、
ロックバンド大作を全員で語り合う!

一貫したストーリーがあるアルバムを作ったら
面白いんじゃないかってなんとなく思って。
で、そうやってストーリーを構築するんだったら
「死と再生」で作るのが今の心境かなって(草野)

『MUSICA 8月号 Vol.112』P.14より掲載

 

■約2年10ヵ月ぶりになります。

草野正宗 (Vo)「2年10ヵ月?」

田村明浩(B)「何が?」

■アルバムが2年10ヵ月ぶりで、だから取材も2年10ヵ月ぶりです。ここ10年はずっと3年タームですけど、自分達の中で「3年の中で1枚は出そう」みたいなバイオリズムになってるんですか?

草野「そうね(笑)。それが今んとこ落ち着く感覚になってる」

三輪テツヤ(G)「そうだね。『これぐらいだったら無理なく作れるかな』っていうところかな。ツアーもやるからさ、ライヴはライヴで集中したいし作るものは作るほうで集中したいしってなると、このぐらいがちょうどいい。でもたとえば、ツアーの本数が少なくなれば――」

草野「(アルバムのタームは)もっと短くなるかもしれないね。あと、アルバムっていう形態がこれから先意味をなさなくなったりした時に――」

■2枚前のアルバム『とげまる』の時からそういう話はしてたよね。

草野「そうそう。だからたとえば『今回は5曲リリースします』みたいな感じで小刻みに出すっていうふうになってもおかしくないなと思ってたんだけど、でも意外と根強いから、アルバムってなくならないのかもしれないなとも思ったり。そんなにこだわりは強くはないんですけど考えはしますよ、いろいろとね」

■で、今回の作品は非常に元気がいい作品で。もの凄く元気がいいです。

草野「あ、そんな気がする。みんなでも言ってたよね、今回は明るいって(笑)。全部の曲が揃ってから曲順決めようって時にツルッと14曲全部聴いた時に、なんか明るいかもって思って。それまでは気づかなかったんだけど、鹿野くんも言うし、やっぱりそうなんだね」

■間違いないと思うよ。まずは、このアルバムに至る話を具体的に聞いていきましょう。この『醒めない』という作品についてそれぞれ今思うことからお願いします。

三輪「ま、いつも一緒になっちゃうんだけど。最新アルバムが一番いいと思ってるし、今回もそういうアルバムができてよかったなって。でき上がったアルバムを聴くことが楽しいんだよね。チェックという意味もあるんだけど、凄い聴くんだよ。何回も何回も聴くの。で、それが苦にならない。もちろん自分のギターに関して『もうちょっとあそこはああしたほうがよかったな』っていう反省点は毎回残るんだけど、聴いていて凄く楽しい」

田村「俺の場合は今回レコーディングに入る前に、レコーディングができることに対して嬉しいな、ラッキーだなっていう気持ちを持って臨もうと思ったんですよね。もう15枚目のアルバムなんだけど、これをルーティンとは思わずに、現状できることをすべてぶつけてみようって感じでね。自分ができることをすべてやり尽くして、今レコーディングができるっていう状況を当たり前のことと思わずに、バンドとして幸せな状況なんだなっていうことを忘れちゃいけないなって思った」

■それはスピッツでいられること、そして新しい音楽を作れることに感謝したいという想いとイコールなの?

田村「感謝っていうか、自分が元々やりたくてやってることなので。やりたくてやってることができるっていうのはラッキーじゃないですか。……でも、そういう感動を忘れがちなんだよね、長くやってると」

﨑山龍男(Dr)「俺はやっぱり、スピッツで十分に演奏できる充実感、責任感を感じながら演奏に込めた曲達が集まったなって思ってて――」

草野「ふふふふふ」

■ん? なんで笑ってんの?

草野「いや……なんか、みんな上手くまとめてんなって思って(笑)」

三輪「うん、既に終わろうとしてるから」

■いやいや、ここからかなり長く行くから! 﨑ちゃん続きを。

﨑山「はい(笑)。でも今回、自分達のキャリアを感じつつ、他のバンドの人達と話したりしながら、今のスピッツの在り方を見つめたりしながら、思いっ切りできることをやるっていうことを心がけましたね。いろいろみんな思うこともあるんだなと思うと同時に、スピッツでいられることの喜びって、現実誰も他の人は味わえないわけで、そこに自分がいる不思議さもあるけど、それをドラムというものでちゃんと形にしないと、とは 今回思ってました」

■素晴らしいメッセージをありがとうございます。マサムネくんは?

草野「……『おじさんの等身大のアルバム』って感じですかね(笑)」

全員「はははははははははははははは」

草野「もうあんまりカッコつけなくていい感じになってきて。それは長くやってきたバンドっていうこともあるかもだし、歳食ったからっていうのもあるんだけど。急にじゃなくて、徐々にそうなってきた感じなんだけどね。30代くらいのほうがもうちょっと悪あがきというか、香水振ったりする感じがあったと思うんですよ。加齢臭を消そう、みたいな」

■(笑)そうだろうね。あの頃のスピッツに加齢臭は危険だったし。

草野「あはは、でもそういうのはちょっとなくなってきましたね。石鹸の匂いぐらいはしてるかもしれないけど(笑)、過剰に香水振ったりはしてなくて。自分達が持ってるものだけでいいものが作れるんじゃないかっていう。それがちゃんと形にできたかなって。で、その結果、かえって若く感じるアルバムになったかなと思う」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA8月号 Vol.112』

Posted on 2016.07.15 by MUSICA編集部

10-FEET、遂に渾身の新曲『アンテナラスト』が完成!
暗中模索を極めた4年をTAKUMAと共に振り返る

曲できひんって思ってる時、
去年死んだばあちゃんのことずっと思い出してて。
小さい頃「ばあちゃんなんか嫌や、お母さんがいい」とか
酷いこと言った時もずっと変わらず愛してくれて。
僕もそういう優しさとか覚悟を含んだ愛を持てたら、もっと……

『MUSICA 8月号 Vol.112』P.48より掲載

 

(前半略)

■この曲には楽しさもあるし、やるせなさもあるし、盛り上がれるし歌えるし、まぁラジオでオンエアしたリアクションみればわかるように泣けるし全部の要素が集まったからこそ最良であり最高の新曲になったと思うんだよね。そんな中で、“1sec.”のようなカーッと盛り上がる楽曲をひとつ作ろう。でも心の中で今解決できないけど歌にしたいことはまだあって、それをもう1曲8分の6拍子の重いワルツとかで作って、これをダブルA面で出したら今の10-FEETの光と影って形になるじゃないかってことも考えたと思うんですよね。

「………うん、あらゆることは時間があったので考えては回っていたと思います。僕は音楽を作る側でもあるんですけど、いろんなバンドとかアーティストのファンで、聴く側の人間でもありますんで。作り手の気持ち知ってるくせに、今までコンスタントに出すアーティストが4年も空けて出してきた曲やったら『お前それなりの答えあんねやろな』って思って聴いてまうと思うんですよ(笑)。まさにそのタイミングだったと思うんです。ただその時に、『あ、そうきたか』って思わせてくれる……あのバンドが〇〇系に走ってた時ね、とか、あのバンドが結構ストイックな時期ね、とかパリピにいっちゃった時期ね、とかみんなから思われるような音源を出し続けても衰退しないアーティストって凄い人ばっかりやなって。桑田佳祐さんとか凄い泣けるラヴソング出したと思ったら、『ん、これ下ネタ? え、下ネタちゃうんか? やっぱ下ネタやん!』みたいな曲出して、しかもヒットしたり。そう考えた時に、うちらに求められている音楽の幅、曲の範囲ってめっちゃ広いわけでもないけど狭いわけでもない。そんな状況の中で所謂ど真ん中の曲出すんやったら……気絶してしまうくらいいい曲じゃないと意味ないなって、結果自分を縛っていたと言っても過言ではない時も長かったと思ってます。そんな曲ができたら出したらええし、そうじゃないんだったら今の10-FEETのライヴ感が投影されてるような楽曲でも凄い意味あるなとは思ってたので。…………だから“シガードッグ”とか“風”とか“蜃気楼”がなかったら“アンテナラスト”はシングルになってなかったかもしれないかなーとかも思いますね」

■彷徨った気持ちを、自分も弱いけどみんなも弱くて、だからゆっくりと現実見つめて、頑張らなくてもいいけど結果前へ進まないと日々が来ないってことをロックバンドバラードにしてゆくような歌たちがあったからこその“アンテナラスト”なんだ。

「そう、でも『そんなんよりもっと激しい曲やってよ』とか言われてもおかしくないし、最初は実際に言われてましたから。でもね、そういう曲をずっとやり続けてきたり、『TWISTER』くらいから日本語で伝える曲を表現してきたことによって、これもありやなって思ってもらえるようになったかなって思うんです。そういう意味で今の10-FEETのライヴ感があるって言ってもいい曲になったと思うんです」

■たとえばイベントとかフェスに出てどんどん目の前の景色が凄いことになってきているのを見て、「俺達の“マンPのGスポット”(サザンの名曲です)を目指して新しい曲を作ってみよう、今後もライヴでアンセム化する曲にもなるし、スタッフ含めてみんなが盛り上がるのもいいじゃないか。『thread』で相当魂は灯したはずだから、ノリを重視した曲をここで作ってもいいじゃないか」っていう発想は、“アンテナラスト”を発表するまでの長い長い期間に1回もならなかったんですか? 

「……そうでもなかったすね。ありました。実際にそういう曲もあります。でも今はそうではないんじゃないかって確信はあったんです。……俺達がやろうってなったのは、アップテンポなマンPじゃなかったんです。たぶんそれだけの差ですね、“アンテナラスト”と、その盛り上がりそうな曲の違いは。そっちもまた、どっちみち想いを伝えきるのには時間かかるもんやなと思ってたとこもありますし」

■実は今回のシングルの前に去年、2回ライヴで聴いたバラード的な新曲(京都大作戦、RISINIG SUN ROCK FESTIVALで披露された未発表曲)がありましたよね。あれはいかにして大切に育てていった曲なんですか? そもそもシングルにしたかった曲なの?

「あの時はシングルにしたかったんです。仮で“君の声”ってタイトルつけてるんですけど————その時はよくわからないけど寂しいみたいな時期が結構続いてたんかなぁ。寂しい時に寂しさを歌ってはる曲を聴いても寂しくはならないんですよ、僕は。『わかってくれる人がいた、ここにもこんな人がいた』って思えるからなのかもしんないんですけど、そういう想いであの曲を当時は見てた気はしますね。寂しい時にこういう曲あったらいいなー、どうしようもない時にこういう曲あったらいいなーみたいな。で、ほぼほぼでき上がるとこまで去年いったけど、あと一息ってところで詰め切れへんくって。続きは一旦またライヴとツアーやってからって、レコーディングが後ろ倒しになったんですよ。それでツアーの空き日の期間を丸ごと作曲期間にして、またずっと新たなものを考えてたんですよね。で、いろんな曲がちょっとずつ出るようになってきて、凄い速い曲とか、もっとストレートにアツい曲とかミクスチャーロックみたいのとかもありました。というか、今もあります。で、この“アンテナラスト”もできて。あとの流れはもう……先月の(MUSICAでの)鹿野さんのレヴューが当たってますわ」

■急にその期間に曲ができたっていうのは、TAKUMAの中で俗に言う覚醒したみたいな感覚があったんですか? 

「うーん……覚醒とまでは言えないですね。1回くらい覚醒ってものを感じてみたいですけどね(笑)。……でもなんか、今までと同じような感じで曲がまた作れるようになってきたなって感じっすね。この1年、2年前くらいからかな? 作曲する時に、10-FEETでできひんようなかけ離れた曲でもいいから、とにかく枠組みを決めずに作ろうってやってたんです。別にソロをやりたいわけじゃなかったけど、でもとにかく曲ができひんと進まないから。10-FEETの曲作ろうとして何にもできないくらいやったら、役立たへん曲でもいいからせめて曲作ろうみたいに思う時があって、それを始めてからほんまにいろんな曲がたくさんできたんですよ。しかもそれがまた楽しかったんですよね(笑)。それを経て、10-FEETの曲作りをまたやったら3、4曲できたっていう」

■最終的に仮題“君の声“がシングルにならなかったのは、10-FEETに求められているものとあの曲の乖離している部分が余りにも大き過ぎて、自分が10-FEETのファンだったら正直戸惑うなって思ったりしたの? 

「いや、そこまでのことじゃなくて、これを出したら少なからず戸惑いはあるやろなぁとは思ってたんですけど、かと言ってダメなラインのものではないと思ってましたね。上手く言えないですけど、ほんっとに些細なことやったんですけどね。そのまま押し通しても何にも問題なかったと思うんですけど、チームのみんなから『せっかく期間もあることだし、もう1回いちから作ってみませんか?』って言ってもらったんで、まあ新しく作るにしろ作らないにしろこの曲が候補に挙がってんねやったらいっちょやったろかいなと思ってまたいろいろと曲を作り始めたんですよ。曲を出さなかったけど、曲を作るのが嫌だったわけではないし、むしろ逆でしたから」

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text by鹿野 淳

『MUSICA8月号 Vol.112』

Posted on 2016.07.15 by MUSICA編集部

THE YELLOW MONKEY、復活!
宮城公演のレヴュー&全員インタヴューで
2016年におけるこのバンドの意味を紐解く

バンド名もね、イエローモンキーじゃなくてもよかった。
あのバンド名が必要なわけじゃない、
俺にはこのメンバーが必要なんですっていう。
だから新バンドとしてまた4人でやりたいってことを伝えたんです

『MUSICA 8月号 Vol.112』P.32より掲載

 

(前半略)

■まずは、復活から8本のライヴを終えた今、どんなことを思っているのかから伺えますか。

廣瀬洋一(B、以下ヒーセ)「やっぱり代々木の時は『取り戻してる』感があったんだけど、今はもう、いわゆる昔の絶対的イエローモンキー感みたいなところに行けてるなって感覚は自分でもあります。で、さらに、2016年の自分達がやってる感というのも日に日に強くなってるから。要は絶対的イエローモンキーはもう確実に取り戻せてる上で、それにどんどん2016年感がプラスできていってる感じはしてます。みんなの音をじっくり聴きながらプレイできてる感じも凄く気持ちいいし。最初の頃よりも今のほうがそういう部分が強まってますね。だからアップデートされてると思う」

菊地英昭(G、以下エマ)「俺は過去のことをすぐ古く感じちゃうタイプなので、代々木のことは自分の中でもう結構古いんですよ」

吉井和哉(Vo&G)「エマの中ではさっき食ったカレー、もう腐ってるもんね(笑)」

エマ「(笑)。だからあんまり振り返ることがないんだけど。ただ、ヒーセが言ったように常にアップデートしていく感じは確実に感じてますね。あと、やっぱり今回は全国各地、その土地に来たらその土地に来たで一種のリセット感が自分の中ではあって。一昨日の宮城初日も、このオーディエンスの前でまたイエローモンキーをできたっていう感覚があったし」

吉井「各地で復活していってるという」

エマ「そうそう」

菊地英二(Dr、以下アニー)「でもアップデート感は確かにあるよね。毎回最新のライヴが一番最高だと思えてるし。ただ個人的には、そろそろ冷静に振り返ることも必要かなとは思い始めてて」

■というのは?

アニー「8本やってきた中でいいエッセンスはいろんなところにあったと思うんで、それを振り返って引っ張り出してあげたほうがいいタイミングかなという気がしてるんですね。今はアップデートのベクトルが強過ぎてガッツリ行き過ぎちゃってるところもあるんで、このまま行くのもどうなんだろ?って。イエローモンキーを2016年にやるって決めた時、最初はもうちょっと大人のロックをしようかなって思った部分があるんですよ。でもやってみたら昔みたいにバーッとなって、『昔みたいにイケるねえ!』なんてなっちゃって(笑)」

■というか、そこが素晴らしいと思うんですが。むしろ代々木初日の前半は大人のロック感がありましたよ。なんかこう、ロックレジェンドのライヴを観てる感があったというか。

アニー「なんか最初のほうはそれがあったんだけど、今みんな子供になってるよね(笑)」

■や、そこがいいんですよ!

吉井「まぁ気をつけないと雑になってくるからね(笑)。親父が楽しんでるだけになっちゃうと一番ヤバいパターンだから」

アニー「お祭りみたいになって終わっちゃうと嫌なんで。ロックンロールやってるんで、人に届かないと嫌だなっていうのは思ってるから」

吉井「シリアスな部分はね」

アニー「そう。まぁ平均年齢50超えてるし(笑)、もうちょっと落ち着いてじっくりやった代々木の2日目の感じも好きなんで。そういう意味ではそろそろ立ち止まって考えるのもいいかなっていう時期に自分はきてるかな。まぁこのまま突き進んで成長していってくれてもいいんだけど、あまりに凄い駆け足で育っちゃってるから(笑)」

吉井「でも20世紀にやってた時のツアーも、初日はグラグラしてて、最終日には別モノになってたりしたんで、そこは今回も一緒なのかなって思うけど。でも、自分的には確かにどんどんロビンになってるね。なんかわかんないけど勝手になってるんですよ。なろうとしてないんだよ、別に」

■なろうとしてないんですか?

吉井「してないよ! ヤだよ、だって別にロビンにはなる必要ないよ。むしろ『なるかい!』って最初は思ってたけど」

■そうなんだ。でも私、初日のライヴで1時間半くらい経った時に明らかに吉井さんの顔がロビンになったと思った瞬間があって。あんな短時間であんなに人間の顔が変わるの、初めて見ましたよ。

吉井「特に俺は変わりやすいからね、顔が。今回、再集結のひとつのテーマとして『蛹』っていうキーワードがあって」

■復活告知のヴィジュアルも金の蛹でしたね。

吉井「“ALRIGHT”でも歌ってるんだけどさ、蛹ってあの中で1回スープ状にドロドロに溶けて細胞分裂して、それで蝶々になるんだって。それと同じで、代々木の初日はもの凄い細胞分裂をしてた感じがするのね。メンバーもイエローモンキーでありながらイエローモンキーじゃないような、これからまたイエローモンキーになるための儀式みたいな感覚は確かにあった。で、自分的には最終日の北海道でモルフォチョウ(“ALRIGHT”のビデオにも出てくる青い蝶)となってめでたく飛んで行くと思ってるんだけど(笑)」

■そこで真の新生イエローモンキーが飛び立つと。

吉井「毒を振り撒きながらね。毒がいっぱいなんだって、あのモルフォチョウの青い羽根って。青には毒が入ってるんだよ、フフフフフ」

(続きは本誌をチェック!

text by有泉智子

『MUSICA8月号 Vol.112』

Posted on 2016.07.15 by MUSICA編集部

SEKAI NO OWARI、全国ツアー「The Dinner」を基に、
稀代のバンドを超ロングレヴューで深掘る

凄かった。演出はもちろん、生リズム隊導入の音楽的な覚醒が、とにかく凄かった!
開催すればそれが音楽ライヴ演出記録更新な、
エンターテイメントツアーを行うSEKAI NO OWARI。
巨大洋館とシャンデリア、カニバリズム、息を飲むシリアスなストーリーと切なる希望。
そもそも「終わりという負から始まりという聖を唱える」彼らの世界の真骨頂、
「The Dinner」を基に、稀代のバンドを超ロングレヴューで深掘る

『MUSICA 8月号 Vol.112』P.42より掲載

 

 素晴らしい「生き抜くためのショー」だった。演出的にも音楽的にも、彼らにしかできないし、彼らしかやろうとしない、独自のツアーだった。

 今回、初日である3月25日(金)幕張メッセと4月17日(日)の福井サンドーム、そして写真を掲載したライヴでもある全25公演中の24公演目である6月18日(土)のさいたまスーパーアリーナの3本を観せてもらった。3回同じライヴを観てもまだ、もっと同じショーを観続けたいと思うことはなかなかないのに、このツアーだけはもっと何回も観てみたいという中毒症状が今も起こっている。何時間並んでも観たいし、ファストパスを取るために朝一から来てでも観たい。つまり度を超えた魅惑のライヴだった。

 そのエンターテイメント性は後述するが、まず綴りたいのは「音楽」である。このツアーから感じたのは、彼らの「新しい音楽表現」だった。それは新しくもあり、実は原点めいたものでもあり、英語表現や海外進出に対する、彼らなりの新しい明確な一歩なのではないか?と思った。

 SEKAI NO OWARIは今回、明確な編成替えをした。それは「ドラムとベース」を導入したことである。彼らはそもそもドラムレスなバンドとして頭角を現してきた。その編成に拘りもあったし、そのスタイルに彼らなりの「今」が表されていたし、そのことによって彼らは「ポストバンド的なる編成」という時代の臨界点を象徴するバンドになったし、旧態依然としたロックバンドスタイルに対するカウンターメッセージを発することもできた。

 しかし、今回の彼らの楽団編成は4人のストリングスチームと共に、ドラムとベースをサポートミュージシャンとして導入した。これで彼らの編成は言わば「バンド然」としたものになった。MCでも話していたが、そもそもこのような楽器編成を考えて楽曲制作された歌が多いわけではないし、サンプリング的な要素を自由に扱える編成だからこその「非楽器的なサウンド」がリズム音に関して多く導入されている曲が多いので、そのアレンジの転換には苦労したと福井で逢ったNakajinが語ってくれたが、きっと彼らはその苦労をしたかったのだろうし、それを何よりも楽しみたかったのではないかと思う。何故ならば、彼らはこのツアーで自分らの楽曲の「もうひとつの顔」、もしくは「本当の顔」を見つけたかったのではないかと思うからだ。

 ドラムとベースを入れたかった理由は複数あると想像できる。今から挙げるすべてが彼らの目的ではないかもしれないが、ある程度のものが彼らの脳内にはあったことと思う。

★今後の音楽性の幅を広げたかったこと。

★メンバー一部の年齢が30歳を超えたことを含め、今までより成熟したアレンジによる演奏、そして音楽制作をしたいと思ったこと。

★そもそもリフを生み出したり楽曲制作をする時にバンド編成的なシンプルな構成から始まっているものも多いこと(これは本当に勝手な推測だが)。

★英語の歌詞の曲が増えてきて、今後もさらに増える可能性が見受けられる中で、サウンドの質的にドラムやベースの生々しいトラックが必要になってきたこと。

★これまでのやり方に飽きてきたこと。

★バンドとして確信や自信が芽生えつつあるからこその肉体的な躍動感を得られる生リズムの導入。

――などである。

 今回のセットリストがドラムとベースが打ち込みによる同期ものではない曲が多かったことは、改めて彼らの楽曲の懐の広さを感じさせるにとても効果的なものだったし、単純に聴いていてとても楽しかった。それこそEDMのAviciiのアンセムの中にも、カントリー調のサウンドとメロディでキックの音も生音っぽく響き、でもサビ前からそんなウッディな展開が嘘のようにのびやかなエレクトロサウンドと大袈裟な展開が用意されるというものが多いが、今の時代、その音楽がいいものであれば、エレクトロと生音のギャップは曲が噛み砕いてくれるし、その矛盾を音楽的なエンターテイメントとして楽しめる土壌がシーンの中にもある。彼らは今までのSEKAI NO OWARIを楽しく裏切るために、そしてそもそも自分らの音楽が持っているエモーショナルかつ普遍的な部分を色濃く感じさせるためにも、この生リズム編成でのライヴに拘ったのではないかと思う。

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA8月号 Vol.112』