Posted on 2017.12.19 by MUSICA編集部

アコースティック編成で魅せるthe band apart (naked)と、
荒井岳史(Vo&G)のソロ作が同日リリース! 20周年を前に
自由な活動を展開する現在を荒井単独インタヴューで紐解く

自分達4人で独立したこの数年を一緒にやってきた仲間達っていう感じが
凄くいいし、その仲間を守りたい気持ちが強い。
実はそこに音楽的なものはなくて。新しい音楽を生むためにバンドを
やるのではなく、やり続けるから音楽が出てくるって感じなんです

『MUSICA 1月号 Vol.129』より引用

 

(冒頭略)

■ここまで、ソロとしてミニアルバムひとつ、フルアルバム3枚出しましたよね。杓子定規的に言えば、ソロワークとしてまずは一周した感もあると思うんですけど。その中で会得できたのは、どういうものだと思います?

「………歌うことが、やっと身近になってきたかもしれないです。特に去年は凄く具合が悪かったから、余計実感したんですよね。具合悪いと、今までやれてきたことも本当にできなくなっちゃうし、もう力任せにはできない。逆に言えば、歌うことっていうのは『こうしないと歌えない』っていうもんじゃないんだなって。それこそ僕の大好きなアーティストにSING LIKE TALKINGがいますけど、まさしくその名前通りにできるのが『歌う』っていうことで。そういった歌のスタートラインに立てた感が出てきたのは、凄く大きいことだったと思います」

■荒井くんがこうしてソロで制作するようになる以前、2009年に吉村(秀樹/bloodthirsty butchers)とダカくん(ヒダカトオル/THE STARBEMS)と一緒に弾き語りの企画をやったじゃない? あれは本当に素晴らしい企画だったし、あそこから、荒井くんにとっての歌の在り方はだんだん変わっていったのかなと思うんですけど。

「ああ、本当にそうだと思います。『only the lonely』っていう企画でしたけど、あれがなかったら、今全然違うと思います。昨日は赤羽で弾き語りのワンマンライヴだったんですけど、そこでもちょうど『ソロをやっている理由はいろいろあるけど、弾き語りを始めた理由は、あの企画を吉村さんと一緒にやったことなんだ』って話したんです。……吉村さんは、僕がソロのアルバムを出す前に亡くなってしまったじゃないですか。だからね、今俺がやっている曲をあの人が聴いたらどう思うだろう?って、本当によく考えるんですよ。『そもそも俺はなんでこれをやってるんだ?』っていう頭になる時も、不思議と吉村さんを思い浮かべることがあって。あの時に、とても大事なきっかけをもらいました。改めて思いますね」

■そして、the band apart(naked)としての2枚目のアルバム『2』。こうしてアコースティック編成で2枚目のアルバムを出すのは、去年出した『1』で得たものが大きかったんだよね?

「そうですね。単純に、曲をアコースティックにリアレンジして演奏する楽しさもあったんですけど、アコースティックで演奏すること自体の味をしめたっていうことだと思うんですね。すると、アコースティックでやる口実が欲しくなってくるというか(笑)。本気でアコースティックもやっていることを早いうちに示したいし、この編成で早いタイミングでリリースすることが、それを示すことになるんじゃないかなっていう想いでしたね」

■自分達がアコースティックにハマった要因は、どういうものなの?

「そこを無理やり客観視すると、普段はエレキギターで相当入り組んだことをやっているバンドなわけで。まあ、アコースティックでもだいぶ入り組んではくるんですけどね(笑)。でも、アコースティックでやると、その入り組んだ形をわかりやすく提示できてる感じがするんです。聴いている人が、わかりやすくthe band apartの入り組み方を咀嚼できるっていうか。その辺が、自分達的にハマった部分だったと思いますね」

■ソロは歌に寄っている音楽で。一方バンアパは、アコースティックになっても歌に寄り添わないんだなっていう(笑)、バンアパの根深い本質がよくわかって面白い作品でした。

「はははははははははははは」

■バンアパの根深い本質がよくわかる作品でした。

「ほんとにそうですよね(笑)。自分でも、the band apartの音像以外の部分までクリアに浮き出てると感じるんです。たとえば『NEW ACOUSTIC CAMP』(というフェス)に出た時に“Eric.W”をアコースティックでやったら、『アコースティックの生のダイレクトな音だからこそ、何やってるかがわかっていいね』って言われたんですよ(笑)。ただのアコースティックっていうだけじゃない、『面白いね』って言ってもらえるのはそこが大きいのかなって。逆に言えば、リアレンジしても結局、入り組んだことをしたがるバンドなんだっていうことも、改めて思ったんですけどね」

■それは、バンアパとしてのスタイルを楽しんだり守ったりしているのか、この4人でやるとどうしてもそうなっちゃうのか、どうなの?

「まさに4人でやるとこうなっちゃうっていう感じだと思います。たとえば木暮(栄一/Dr)が曲を作った時に、『歌を聴かせる曲にしたいからアレンジを控えめにした』っていう旨の話をしてたことがあったんですよ。だけど、意図がそうであっても、現象としては『控えめ』に全然なってない(笑)。木暮の意図を自分達は理解できても、世間的に言うとちっともそうじゃない(笑)、それがthe band apartなんですよね。だけど、結局はそれが俺達の面白みだっていうこともわかってきて。さっきも『歌のスタートラインに立てた』って話しましたけど、歌うことに自覚的になって初めて、『こんなに歌わせてくれないバンドは他にねえな』ってわかったんです(笑)。でも、その大変さがあるからこそ今は楽しくて。単純に歌うことの楽しさはひとりでも実現できるけど、このバンドで歌う楽しさはやっぱりthe band apartにしかないなって。初めて実感できてるんですよ」

■今年リリースした名作『Memories to Go』を聴いていても、今の話そのままだなって思う。このバンドは歌わせてくれないけど、歌わせてくれないことを受け持つっていうより、それでも歌いてえんだっていうせめぎ合いが、明らかに音楽としてのスリリングさに繋がっていると思うんです。

「それはあると思いますね。そういう意味でも、the band apartでやっていることとソロは全然違うと思うし、それはより一層わかってきたことで」

(続きは本誌をチェック!)

 

text by鹿野 淳

『MUSICA1月号 Vol.129』

Posted on 2017.12.19 by MUSICA編集部

レーベルを運営しながら丹念に良質な音楽を育て続ける
唄歌い・Caravan。新作『The Harvest Time』を肴に
自主になってからの歩みと音楽に対する向き合い方を語らう

CD産業が盛り上がって何百万枚売れる人がいた後の俺達だから、
そこへのカウンターと言うか。震災後もリンクして、
大きい会社とか早さとかではない、どこか原始的なんだけど
最先端なことをやる時が来たのかなって

『MUSICA 1月号 Vol.129』より引用

 

(冒頭略)

■まず『The Harvest Time』っていうタイトル自体、仲間と一緒にやってるHARVESTという事務所で過ごす時間の総集編というか集大成というか、その道のりをここに刻もうという気持ちが表れてるのかなっていう気がしているんですけど。

「そうですね。HARVESTはジョニーとリンダと始めて今年で10周年なので、このタイミングでアルバムを出したいなっていうのがまずあって。10年ひと昔とか言うけど、10年ってどこかしら区切りな気もしてて、この10年で自分は何を得て何を失くしたのかとか、そういうのを振り返りつつ、ここまでの集大成にはしたいっていう気合いはありましたね。10年間畑を耕したんで、そろそろ1回収穫してみようというか、ちょうどリリースも秋だったし、タイトルとしてもいいかなって思って」

■それはこの14曲を作る中でも宿っていた考え方だったんですか?

「去年の段階で『来年で10周年なんですよ。よく10年もったねぇ』みたいな話はしていたので。だから制作中もなんとなく意識していましたね」

■“Retro”はMVもあってアルバムの顔になってる曲だと思うんですけど、その曲と“夜明け前”は凄い曲ですね。

「本当ですか! “夜明け前”について言ってくれたのは鹿野さんが初めてです! 僕もその2曲が凄く好きなんですよ。マスタリングしてくれた木村健太郎さんもその2曲がいいって言ってくれて。まぁ俺は凄く気に入ってるんですけど、評価してくれる人があまりいなくて。だから今、初めて安心しました(笑)」

■ははははは。素晴らしい曲ですよね。アルバム前半の曲達とラストの“In The Harvest Time”の中で、<雨>っていう言葉が凄くたくさん出てきて。僕はCaravanが歌う<雨>っていう言葉は、「涙」の意味合いに近いんじゃないかと思っているんですよ。この中には喜びの涙の歌もあるんだけど、悲しみの涙の歌もあって、変わるっていうChangeの気持ちが歌われている曲もたくさんあって。今自分が世の中に訴えかけたい、もしくは自分から示したい本質的なものなのかなっていう気がしたんですけど。

「普通に人間として暮らしていると、悲しいこともいっぱいあるから。プライヴェートでの悲しみもあれば、世間に対してのやるせなさもあるし。どうしてこうなっちゃうのかな?って思うことが繰り返されてるじゃないですか。たとえば、このアルバムのちょうど制作中にマンチェスターのテロがあったりもして、こういうことって繰り返すな、終わらないなっていうやるせなさも凄くあったし。でも、自分は旅とか自由とか平和を歌にしてはいるけど、旅って何?とか、自由って何?とか、本当の平和って何?とか突き詰めていくと、結局はひとつになることではないっていうか、バラバラのままで成り立つ秩序みたいなものなのかなって思うんです。みんなそれぞれのやり方でやって、自分でケツ拭いてくっていうのが一番のピースだと思うし。誰かと比べてこうだってことじゃなくて、自分の物差しで責任とプライド持ってやっていくことが、不自由なようでいて実は自由っていうか。作品としてそこをちゃんと伝えたいっていう意識があったかもしれないですね。誰にも雨は降るって意味ではみんな平等だけど、その雨の受け止め方、悲しみの受け止め方、涙の受け入れ方は人それぞれだから。強い人もいれば弱い人もいてみんな違うんだけど、降り注ぐ雨は一緒っていうのが自然の摂理な気がするし」

■クレジットの最後の部分に、原発と核ミサイルに対する抗議の意志が記されてるじゃないですか。それは今こういう歌を歌いたいっていう気持ちに大きな影響を及ぼしたものだったんですか?

「実はそれは、2011年以降ずっと入れてて。東北の震災以降から入れてるものなんです。『Thanks to』の記載はみんなよくやるけど、実は『No Thanks』なものもいっぱいあるよっていう皮肉とジョークを込めてたんだけど。実際それは自分の中で今まで以上により大事なものになってきているんだけど、でも下手すると悪者探しにもなりかねないというか、自分だって恩恵を受けてるって思ったら出口なくなっちゃうことなんだよね。ただ、せめてそういう意志表示をすることだったり、自分なりのチョイスをして対峙していかなきゃいけないって意味では、自由に生きる上で抱えなきゃいけない不自由さというか責任はある。だから敢えてその記述を入れてるんですけど」

■北朝鮮のこともそうだけど、今までは半笑い気味に話してきた異質な世界が、いよいよ異質じゃなくて恐怖の世界にイメージの中で変わったのが今年だと思うし、その気持ちが凄く敏感に節々に表れている気がしていて。

「日本って凄く小さな島国で、つい何百年か前まで鎖国していたような、それこそ北朝鮮みたいな国だったわけじゃないですか。『ウチらはウチら!』みたいな、偏ったインディペンデント感でずっと来てて、独自の神話や法律を持ってやってきたけど、ある時から『それだけじゃやっていけないでしょ!』ってなって外に開いていって、また変わった感じの日本という国になっていってるんだけど。そんな日本が自分は好きだし、面白い国だなって客観的に見ても思う。気持ちはスピリチュアルで、『お天道様が見てるよ』っていう不思議な倫理感を日本人は持ってるけど、悪いことやアメリカに媚び売るようなことも平気でする。そのバランスって日本特有で、それがどっちかに振り切ったりすると、ISISや北朝鮮みたいになっちゃうのかなとも思うんだけど。でも、その素質を持ってるのが日本人というか。いろんな意味で多様性を受け入れてきた民族なんだなっていうか……受け入れざるを得なかったのかもしれないけど。その独自のバランス感覚でもって本当の豊かさや幸せってものを表現するには、凄く説得力のある人種な気がするんですよね。日本人ってクラスで強い人でもないけど、いじめられっ子でもない、なんとなくいる傍観者みたいな国じゃないですか。そこで本気出したらちゃんと伝わるものを作れる気がする。そんな日本って嫌だなって思った時もあったし、日本っていい国だなって思うこともいっぱいある。どっちかに寄りたくなくて、ニュートラルでいたいっていうのはいつもあって。テロの話も出しましたけど、ライヴ会場って自分が一番大事にしてる場所でもあるから、『無邪気に音楽楽しみに来た若い子達に何やってくれてんだ!』って思うけど、それに対して、『やり返せ』とか『犯人探せ』とか『爆弾落とせ』ってやってると、結局9.11の繰り返しになってしまう。イスラム教が悪いわけじゃないし、イスラム教徒にもいい人はいっぱいいるし、北朝鮮にだっていい人はいるだろうし。でも、単純に国家とかチームになっちゃうとぶつかり合ったり、どっちが正しいかっていう議論になっちゃう。たとえば、砂漠の真ん中でひとり遭難して歩いてて、向こうからも誰か遭難して歩いてきたとしたら、たとえ北朝鮮人でもマブダチになると思うわけですよ。ひとりの人間だったら抱き合って『一緒に頑張ろう!』ってなるはずなのに、それが国家やチームになっちゃうと歪んじゃうっていうのは、凄くおかしいなと。だったら人間一人ひとりがソロアーティストのつもりで、極端に言っちゃうと『俺が俺の国なんだ』っていうマインドが一番いいのかなって思うんだよね。そういう感覚になれるのがひとり旅で……旅をしてると、出会う人がどんな境遇でどんな宗教観だろうが、知りたいし仲よくなりたいって思うじゃないですか。そこは自分の中では矛盾なく思えるし、世界は小さいものと大きいものの対峙なんだけど実は繋がっていて、それぞれが比例してるんだなって思う時が凄くあって。旅とか自由とか平和を、押しつけではなく、自分なりの解釈で伝えていきたいっていうのは今作で強く思ってましたね」

(続きは本誌をチェック!)

 

text by鹿野 淳

『MUSICA1月号 Vol.129』

Posted on 2017.12.19 by MUSICA編集部

再び充実期へと突入する気配を漂わせるゲスの極み乙女。
自分の状況を客観視しながら、無限に尽きない
クリエイティヴィティを発揮する川谷が語るその胸中とは?

当時あそこまでのことになったのに、それでも聴いてくれてる人がいて。
だからこれから伸びていけば絶対評価されるだろうなって思ってます。
いろんな雑音があってもちゃんと届けることができるのだとしたら、
本当の才能ってそこで評価されるじゃないですか

『MUSICA 1月号 Vol.129』より引用

 

(冒頭略)

■ゲスは今非常に畳みかけ始めました。10月10日に配信シングル(『あなたには負けない』)が出て、そこから始まったツアーでは『マレリ』という作品を会場限定で発売し。つまりここで一気にアウトプット期間に入っていて、“戦ってしまうよ”という既に先行配信されている久しぶりの大きいタイアップ曲も出てきていますし、しかもこれは来月に4曲入りのシングルになるんですよね。この辺の一連の流れは、どういうふうに考えての動きなのかを教えてもらえますか。

「いろいろ考えてっていうよりかは、単に何か出したかっていうのが大きいです。 “あなたには負けない”は久しぶりのシングルだったんで、ちょっとふざけようぜ、みたいな感じでその場で作ったものだったりしたんですけど。会場限定盤に関しては、ツアー回るしこれを機に昔の曲も聴いて欲しいなって思って。内容は本当にインディになる前の自主制作盤なんですけど、ちょうど“マレリ”っていう新曲もあったんで、会場限定ぐらいならちょうどいいクオリティの作品だなって思って」

■言ってる意味はわかる。ただ、それをプラスに捉えるならば、コアなファンにとっては近い距離に感じる楽曲がこの『マレリ』の中には入っているよね。その意味合いで絵音の言葉を借りると、「こんな状況にもかかわらず、こうやって僕達のところに来てくれてありがとう」っていう感覚を、この会場限定盤から感じたんですけど。そこまでは考えてなかった?

「いや、8月もツアーやって22本ぐらいワンマンやるっていうことで、来てくれる人には本当に感謝だなと思ったし、その中で一番近いファン向けのプレゼントというか、お返しみたいな意味合いは、確かにありましたね」

■そして『あなたには負けない』なんですけど。音楽性的にはDaft Punkの『Tron: Legacy』の頃のアナログエレクトロを彷彿としました。ゲスって人力性が強かったんだけど、ここではかなりエレクトロ色が入っていて、そこに何らかのモードチェンジを感じたんだけど。

「元々楽器を演奏せずに、マイクをヘッドセットにしてライヴやりたいっていうのがずっとあって。で、ゲスのキャラクターだったらふざけるやつがあってもいいかもって思って、それをこのタイミングだって思って作ってみました。だから打ち込みは適当にやったんですけど(笑)、チープな感じのほうが逆にいいかなって思ってたし、これに関しては音楽的っていうよりは、どっちかって言うとふざけたかったっていうことしかなかったです。なので逆に言うと、これはゲスじゃないとできないなっていうのがあったんですよ。indigoは『Crying End Roll』でまたさらに音楽的なほうに進んでいって、なんとなく俺の中での音楽的な評価はindigoのほうが高かったりするんで――でも、ゲスはまだ軽いイメージがあるんですよね」

■それがプラスに働いてるポップイメージもあるけどね。

「そうですね。まあindigoの場合は、まだみんながバンドの存在を知らないっていうのもあるんでしょうけどね。ゲスに比べたら圧倒的に知られてないので。ただ、そういう意味でindigoではこの曲は出しにくいし、とはいえ、DADARAYで“あなたには負けない”を出すのはよくわかんないじゃないですか?――当事者がメンバーの中にいなくて、それを他の誰かに歌わせんのもよくわかんないから(笑)」

■ていうか、やらされるほうは被害者だよね(笑)。

「だから自分でやんないとなって思って(笑)。それならゲスで1回消化しとかないとなっていうのがありました。あと文春とコラボとかもありましたけど、なんかああいうのもちょっと面白いと思って――なのでだんだんとタレント的な考え方になってきてたんですよね。自分の見せ方とかも、言ったら結構芸能人的になってしまったから」

■それは芸能かどうかっていうことは置いといて、自分自身に対する客観性が出てきたっていうことだと思うんだよね。それは月日が自分に対してそういう余裕をもたらしてくれたっていうのが大きいの?

「時間は経ったし、精神的に落ち着いてきたっていうところですかね」

■僕はあなたじゃないから本当のところはわからないんだけど、これをリリースするリスクはあったと思うんですよね。今の世の中って打って出ていっても、それでまた打ち負かされちゃうことってとても多いと思うんです。で、今回の(『あなたには負けない』のリリース)はそういうことになりかねない感じもあったんですけど、自分が知る限りでは、この作戦は当たったよね。

「いや、そもそも俺打ち負かされたことないですから。っていうか、みんな世間のよくわからない意見に寄り添って結局負けてるんですよ。みんな思ってもないことを言い合って世間の流れを作り出してたけど、俺は唯一自分を通したなって思ってます。で、さっきは見え方の意味でああ言いましたけど、僕は実際にはタレントじゃないんで、音楽っていう武器があって本当によかったなって思ったんです。タレントさんとか、俳優さん、女優さんとかってやっぱり使われる立場なので難しいと思うんですけど、でも僕らは自分が好きな時に曲を書けるから。別にレーベルがなかったとしても自分で歌って公開することもできるし、音楽ってやっぱり凄いなって思った。それで自分の生き方っていうのを見せつけれたんじゃないかなって思うし、これからもっと見せつけようかなって思ってます。…………人間って面白いなって思いましたね。本当今って直接に人に会って会話をするっていうことが、どんどんなくなってるじゃないですか。みんなTwitterとかで会話するだけで会話したことになっちゃうから」

■目の前の人に対して、目を見ずにLINEグループで会話する時代だよね。

「(笑)ああいうところの会話とか見てると、みんなそこにある情報に持ってかれそうになってるなって思うけど、俺はもうそういうの信用してないから。“あなたには負けない”を出した時のコメントとか見てても、流れ作業みたいに人を叩いてるし、みんなそういうのもわからないまま一喜一憂してるのって凄い情けないなと思って。俺は別に鉄の心を持ってるってことじゃないし、実際にそんなもん持ってないし。でもたぶんその人達とも会って話せば普通に話せるだろうし、だから人間って面白いなって思いました。ネットで全然自分じゃない人格を出してて、でもそれも3秒後には忘れてるし、本当どうでもいい使い捨てみたいな人間性なので、それをみんな気にし過ぎだなって思います」

(続きは本誌をチェック!)

 

text by鹿野 淳

『MUSICA1月号 Vol.129』

Posted on 2017.12.18 by MUSICA編集部

NICO Touches the Wallsの音楽観に迫る
幸福なる祭典「1125/2017 -ニコフェスト!-」レポートと
1年ぶりの新作『OYSTER -EP-』インタヴュー!

自分達のミュージシャンとしての在り方、
バンドとしての在り方みたいなものが、きちんと音楽で説明できた。
やっと、これまでの点と点が線で結ばれた感じなのかなって思います

『MUSICA 1月号 Vol.129』より引用

 

■ニコフェスト、素晴らしい1日でした。世代もジャンルもバラバラなラインナップにもかかわらずひとつの空気ができ上がってたのは、NICOがやってきたことがちゃんとお客さんに伝わってたんだなって感じがあって。

光村龍哉(Vo&G)「あれだけお客さんが盛り上がってくれると思ってなかったから、その事実に感動しちゃいましたね。ライヴ中も言ったけど、続けててよかったなってあんなに思う日はなかった」

坂倉心悟(B)「ライヴもみんな、本当に感動させられたしね。僕はTwitter担当でライヴレポをやってたんだけど、そもそも文章書くの苦手だし、結局みんな似たり寄ったりになっちゃうんじゃないかって心配してたんですけど、全然そんなことなくて、むしろ文字数が足りないくらいの状態で。とはいえ、俺らがメインなんで負けないようにしないとって思って……そこが俺は心配だったんですけど(笑)、でも観てくれた人がちゃんとトリ飾れてたって言ってくれて、凄く安心しました」

古村大介(G)「あの日は……緊張しっぱなしでした」

■はい。確かに古くんは朝会った時から緊張してました(笑)。

古村「はい(笑)。でも、緊張してたけど、パワーをもらったし楽しませてもらったっていう気持ちも凄くあって。コラボも楽しかったし。最後の自分らのステージも緊張する部分はあったんですけど、それまでの時間の過ごし方がよかったから、いい空気感が自分の中に入ってきてて。最終的には緊張とは違う気持ちを持って演奏できたかなって思うし、それも含めてみんなにパワーもらったなって感じですね」

対馬祥太郎(Dr)「ミュージシャンであってよかったなっていう、ひとことで言うとそれに尽きますね。音楽を通してたくさんのことを生み出せて伝えられたというか。僕もパスピエの後ろでやるっていうことで緊張してたんですけど、リハもやったし、一緒にご飯食べにいったりもして、ただ共演者として感じることとは違うことを感じたりして……勉強することはたくさんありました。それはまたNICOに還元できたらいいなって思いますね」

■古くんはブルエンにゲスト出演し、対馬くんはパスピエ全編でドラムを叩いたわけですけど、みっちゃんはあの日3つもコラボをやり、かなりの大車輪っぷりだったわけですけど。

光村「いやー、長い1日でしたねぇ(笑)」

■特にスカパラの大所帯にひとりで飛び込んでいってヴォーカルを執る、しかもただ歌い上げればいいわけじゃない、スキャットしたりアジテーション的な要素もあるヴォーカルをあそこまで見事にできたのは、この数年の成長を凄く感じた瞬間でもありました。実際、自分ではどうだったの?

光村「音楽の楽しみ方が自由なんだよっていうことがお客さんに伝わってもらえれば、俺らが今までやってきたことがちゃんと繋がるんだろうなって思ってて。スカパラだけじゃなく、クリープとTKとやった時もそうだし、みんながコラボしてた時もそうなんだけど、そういう瞬間を観てもらうことで、音楽の楽しみ方がどんどん広がっていけばいいなっていうことだったから。1日通してそのパワーを一番持ってたのは、俺から見ててスカパラだったんですよね。それはバンド歴の長さとか、場数の多さが自然と結果となって表われてるんだなって思うけど。で、その中に入り込んでいった時に、お客さんに一番感じて欲しかったことを、俺が一番感じちゃったんだよね(笑)。『音楽ってこれだよな!』って、あの輪の中に入った瞬間に感じちゃって。この気持ちを俺はNICOでももっともっと出していかないといけないなって凄い思った。その意味では大事なことを教えてもらったし、スカパラとのコラボの時は、自分の皮が一枚剥けたなっていう気が自分でもしてて。あの瞬間は今年のハイライトでしたね」

■実際、その殻を破った感はあの瞬間に感じた。いちヴォーカリストとして、いちアーティストとして、もの凄く解き放たれてたよね。

光村「完全にそう!(笑)。もの凄い追い風が吹く感じだったんだよね」

■スカパラの音楽のパワー自体が、自由にやっちゃえよ、解放しちゃえよっていうふうに背中を押してくれる感じなんだ?

光村「そうそう。音楽を奏でながら、その音楽が持ってるエネルギーに心動かされる感じがあって、それがそのまま歌にも出ていったし。で、そういう心動かされる感じこそ自分がみんなに見せたかったものだから、ちゃんと自分が感じられながらやれたのはよかったなって。そういう意味では、あの1日はお客さんも演者もみんな同じ気持ちだったんじゃないかと思うし、それが一番素敵だったことだなって。誰かが何かを作り上げたってことじゃなく、音楽の核心にみんなが触れられた、奇跡みたいな日でしたね」

■だからこそ、それは奇跡ではないってことを、ここからのNICOの音楽やライヴで見せ続けていかないとね。

光村「それもそうだし、自分達のミュージシャンとしての、バンドとしての在り方みたいなものが、きちんと音楽で説明できたってことだと思う。それを言葉じゃなくて音楽自体で伝えたいって思ってやってきたわけだけど、やっと点と点が線で結ばれた感じなのかなって思います。そういう意味では、どんどん奇跡じゃなくなっていくし、みんな欲深くなっていくだろうなっていう予感がしましたね」

(続きは本誌をチェック!)

 

text by有泉智子

『MUSICA1月号 Vol.129』

Posted on 2017.12.18 by MUSICA編集部

OGRE YOU ASSHOLEとD.A.N.、初のタッグツアー
「Optimo」実現。カウンター精神を持って
独自の秘境を突き進む両者のクロストークをここに

何にも属さず、何にも依存せず、そして何にも臆することなく
己の音楽的好奇心と信念を持って音のけもの道を切り開く
そんなバンド達によって今この国のシーンは多様性を増している、
その中でも傑出した存在たるOGRE YOU ASSHOLEとD.A.N.による
タッグツアー「Optimo」。両バンドのクロストークからその意義を探る

『MUSICA 1月号 Vol.129』より引用

■まずはそもそも、この2バンドでタッグツアーを行うことになった背景にはどんな経緯とどんな想いがあったんですか?

出戸学(OGRE YOU ASSHOLE)「『D.A.N.とOGREは一緒にやったほうがいい』っていうのは周りからずっと言われてて。もちろんD.A.N.のことは好きだったし、D.A.N.もOGREのことが好きだっていうのを薄っすら聞いていたんで、いずれ一緒にやるんだろうなとは思ってたんですよね。で、ある時、僕らを担当してくれてるイベンタースタッフから『単なる2マンで1回やるよりも、せっかくならツアーがいいんじゃないですか?』って言われて、それは面白そうだなと思って」

■D.A.N.はOGREへのリスペクトを公言してますけど、実際対バンしてどう感じました?

市川仁也(D.A.N.)「もうOGREのライヴが凄まじ過ぎて……元々僕らは昔からOGREを聴いてて、ライヴも観に行ってたんですよ。だからD.A.N.を始めた時から『いつかOGREとできたらいいね』って話もしてたし、マネージャーからも『やってみてもいいんじゃない?』って言われてたんですけど、ずっと『いや、まだ早いです』って言ってて。まだ足元にも及ばないと思ってたんで」

出戸「いやいや、どんだけ謙虚なんですか(笑)」

市川「でも今回こういう話をもらって、さすがにこれは断れないと思ったし、僕らもそれなりにライヴを積んできてたんでやろうってことになったんですけど……でも正直、OGREのライヴが凄まじ過ぎて、壁は高いってことを痛感しました」

櫻木大悟(D.A.N.)「僕らにとってOGREは、日本でも数少ない、本当に心からカッコいいと思える尊敬してるバンドなので。だからこのツアーはどの公演も日々勉強って感じでしたし、自分達としてはこの経験を活かしてなるたけ早くレベルアップをしていきたいと凄く思ってるとこですね」

川上輝(D.A.N.)「ほんと、日々勉強だったよね」

■OGREは一番最初のインディーズ時代は邦楽ギターロックバンド・シーンみたいなところにカテゴライズされてたのが、その後どんどん先鋭化して独自の道を歩いていくようになって。そこに意識的になったのはいつ頃からだったんですか?

出戸「『homely』からじゃないですかね。まさに“ロープ”とか作ったあの辺から、いわゆるロッキン系のところでやってても何も起こらないなっていうのを悟り出して。で、そこから違った感じになったと思いますね。まぁ別に意識的に狙って変えたというよりも、自分達がやりたいことをやったら自ずとそうなったって感じではあるんですけど。最初は求められてるものもそういう感じだったんですよ。たぶん事務所やレコード会社の人達はロッキン系に行って欲しかったと思うんですけど、『homely』を出して以降は周りにそういう人がいなくなりましたね(笑)」

■『homely』のひとつ前、『浮かれている人』の制作に入る前に東京を引き払って長野の原村に戻って、普通に野生の鹿が歩いてるような山の中にある出戸くんの実家をスタジオ化してプリプロするようになったり、同じ頃にそれまでの事務所も離れて、レーベルはメジャーとはいえインディペンデントな活動するようになったり、ある種、周りのバンドシーンとは距離を置くようになって。さっき「そこでやってても何にもならない」って言ってたけど、長い目で見た上での決断っていう感じだったの? それともごく自然な選択だった?

出戸「自然にやりたいっていうのももちろんそうだけど、それこそ『homely』を出した頃って、今の音楽シーンの雰囲気とは全然違ってたじゃないですか。ちょうど10年前ぐらいって、もうちょっとやわなものが多かった気がするというか。それを見ながら、こういうのは確かに今は人気あるけど、いずれ出てくるであろう新しい人達、それこそD.A.N.みたいな若手の人達にナメられるだろうなっていう未来が微妙に見えてて」

勝浦隆嗣(OGRE)「ナメられるって(笑)」

出戸「(笑)や、でもそういう感じあったんだよね。だからナメられないような音楽を作りたいなって気持ちはありましたね」

■結構尖った気持ちがあったんだ?

出戸「あったと思う、あの時は」

馬渕啓(OGRE)「明らかに尖ってたでしょ(笑)。だからこそ『homely』を作って、グッとそっちにのめり込んでたというか、何やってもいいっていうモードになってきてたんだろうね。あらゆる制限がない、みたいな感覚で作り始めて」

市川「それまでは制限あったんすか?」

馬渕「ある程度はあった。ギター2本で、ライヴでも普通にやれるものとして曲作ってたから、それまでは。でも『homely』の少し前ぐらいからスタジオワークをスタジオワークとして考えるというか、ライヴを意識しないものを作ってもいいよね、むしろそのほうが面白いんじゃない?っていう意識になっていって。そこから変わったよね」

(続きは本誌をチェック!)

 

text by 有泉智子

『MUSICA1月号 Vol.129』

Posted on 2017.12.18 by MUSICA編集部

UNISON SQUARE GARDEN、3ヵ月連続
メンバー個別インタヴュー、最終回は斎藤宏介編。
驚異の歌唱力でモンスターソングを制する彼の本音に迫る

「曲を作ってるほうが偉い」みたいな風潮にジレンマを感じてきて。
だからこそ、「いい声だね」よりも「いい歌だね」って感じてもらえる
レベルに達したい。だから僕は、1個の音と1個のメロディで
20ぐらいのパターンを持っているんです

『MUSICA 1月号 Vol.129』より引用

 

■今回のこの取材にかこつけて素敵なプレゼント、新曲の片鱗を聴かせてもらいました。これは既に情報が発表されている『3月のライオン』のオープニングテーマになるもので。曲名が“春が来てぼくら”。これが3月7日にシングルとしてリリースされるということが決まりました。僕が聴いたのは、オープニングヴァージョン的なものだと思うんですが。

「そうです。89秒ヴァージョンですね(『3月のライオン』のオープニングアニメに合わせた秒数のもの)」

■ユニゾンのセンチメンタルパートの新しい代表曲になる予感が強い楽曲だなと拝聴させていただきました。宏介くんは、どう思ってますか?

「もの凄い手応えを感じていて。今これを喋ってる時点ではまだまだレコーディングが終わってなくて、これからストリングスとかが入っていく段階で。なので、鹿野さんに聴いていただいたのは、まだ打ち込みのストリングスの段階なんですけど。ただ、歌っててその世界にのめり込み過ぎて、2~3日戻ってこれないみたいな熱量を持って臨んだレコーディングだったので、それが上手く形になってくれたらいいなっていう想いでいますね」

■そのぐらいゾーンに入っていけたのは、どういう気持ちの表れなの?

「なんなんでしょうね? ツアーを回りながらのレコーディングっていうこともあって、曲をCDにする重要性を肌で感じられる環境が常にあったっていうことですかね。あとは………バンドがよりよくなっていくためには、表に立って歌ってる自分がよりよくなっていかないといけないなっていうのもさらに今はあって。それは最近スカパラとやらせてもらったりとか、ツアーを回ったりっていう中で肌で感じてる部分なので、そこの意地みたいなところもあります。あとは、ライヴでやるんだろうなっていうことを想定した時に、珍しく歌ってて気持ちいい曲なので、よかったなっていう(笑)。田淵の作る曲って、『これ、ライヴでどう歌ったらいいんだ?』っていうのが多々あるじゃないですか(笑)」

■はははははははははははは。

「それを感じずにいられるっていう点では、最初から大きな苦労をせずに、ピュアにいろんな場所で歌っていけるんじゃないかなって思ってます」

■すんなり聴けるいい曲だっていうのが前提ではあるんですけど、A、B、サビの構成の曲で、A終わりとB終わりの両方でしっかり転調してて。

「あぁー! 確かにそうですね」

■バラードの転調って、大体最後のサビ前に大袈裟に盛り上げるために入ってくる曲が多い中で、極めて斬新なユニゾンイズムが出てるなって思ったんだけど。

「ははははははは、本当だ(笑)。でも、“flat song”っていう『10% roll,10% romance』のカップリングであったり、もう1曲ぐらいであった気がするんですけど、Bメロで転調してまた戻るっていう手法を、実は田淵が気に入ってて(笑)。その積み重ねで、僕だったり貴雄だったりリスナーだったりの中で違和感が取っ払われてしまっていて。だから、今言われて確かに転調してるなって気づいたぐらいなんです」

■宏介くんの中では、バラードを歌うということとアッパーでダンサブルな曲を歌う時に、ご自分の中で違いみたいなものはあるんですか?

「もちろんあります。技術的なところもそうですし、でも心技体が伴ってないと、そこに向かっていけないっていうのはあって。なので、歌う時の気持ちはまた全然違うものですね」

■なんで訊いたかって言うと、ユニゾンの曲の特徴だと思うんですけど――アッパーな曲ってアッパーらしい立ち振る舞いっていうものがあって。それは叫んだり、煽ったり、荒々しかったり、情熱過多なものだったりしていくことが、アッパーであるっていうことを表現していくスタイルだと思うんですよね。で、UNISON SQUARE GARDENの曲って、アッパーな曲の多くがとても美しく歌っているものが多くて。曲はあんなにも忙しないのに、歌をまるでバラードのごとく美しく歌うことによって、その曲がポップミュージックとして機能しているところがあると思っていて。

「面白いですね、その分析は。ただ、僕自身は一生懸命やってるだけなので、そんなに意識はないんですけど……客観的に見ると、詞曲をヴォーカルが自分で書いてないっていうところが一番影響してるのかなって思ってて。いろんなヴォーカリストの方と呑みに行ったりコミュニケーションを取っていく中で、詞曲を書いてる人は、そこで気持ちが結構な分量満たされてるんだなって気づくことがあって。その素晴らしい詞曲があるからこそ、それを自分が歌うことで完成させるみたいな気持ちでいるんだろうなと思ってて。でも僕の場合は違って、詞曲を田淵から渡されて、その中で自分が参加している意義をどうそこにプラスアルファしていくか?っていう考え方で。『その曲をより輝かせるために』とか『この曲をもっとよくするにはどうしたらいいか?』っていうことを常に考えながらやっているので、内容云々以上にどう歌うかっていうことが凄く大事になってくるんですよね。その『(曲に)歌わされず、(自分が)どう歌うか』っていうことを細かくやってるほうだと思うので、そういうところが鹿野さんの言うところの『綺麗に歌う』っていう部分に繋がってくるんじゃないかと思うんですけど」

■面白い。今話していただいたことが「自分が綴った言葉やメロディじゃないからこそ、自分の歌にしていくんだ」っていう意味だとしたら、ご自身のその自我がハッキリ見え出したのはいつぐらいからなんですか?

「最初からありましたね。最初からあったけど、もちろん続けていく中で技術が伴ってきてるので、その手法が変わってきたっていう感じですかね」

(続きは本誌をチェック!)

 

text by鹿野 淳

『MUSICA1月号 Vol.129』

Posted on 2017.12.15 by MUSICA編集部

BUMP OF CHICKEN、「PATHFINDER」完全密着第2弾。
久しぶりのライヴハウス編:Zepp Osaka Bayside 2デイズ
ここでしか読めない4人の姿を余すことなく綴る

久々のロングツアー「PATHFINDER」完全密着第2弾。
Zepp Osaka Bayside 2デイズに完全密着した、
ここでしか読めないし覗けない
ありのままの4人の愛しき時間、そして軌跡

『MUSICA 1月号 Vol.129』より引用

 

(冒頭略)

今回のPATHFINDERのライヴハウス編、僕はこの大阪のみならずZepp Nagoyaと新木場スタジオコーストも見せてもらい、その時からずっと思っていたが、今やBUMP OF CHICKENはアリーナ&スタジアムでライヴをするのが基本にあるバンドになったので、彼らのライヴにおける音楽的な環境はそこをベースに成立している。つまりライヴハウスに向けられた機材環境ではないし、スタッフ環境でもないということである。Zepp Nagoyaでも新木場スタジオコーストでも、とにかく今までのどのライヴハウスツアーよりもキラキラしてどっしりした、つまりは「凄い音」が今回のライヴハウスツアーでは鳴っているのだが、それは4人の成長だけではなく、スタッフの進化だけでもなく、アリーナでも最高の音響や映像を披露できる機材環境や、それにまつわるプロフェッショナルなスタッフが加わったからなのである。その技術や機材を、この2,000〜3,000人規模の場所でガーンと響かせたり灯したりすると、それはそれは必然的に凄い音や凄い演出になるのである。

 何故こういうことを長々と綴っているのかといえば、それは「リハーサルで神経尖らせて確認や試行しなければいけないことがたくさんある」ということを伝えたかったのだ。具体的に言うと、各々の楽器のワイヤレス環境。お互いのワイヤレス電波が干渉してしまうと、ノイズが出たり音が出なくなったり、様々なトラブルが起こる。それは実際に現場のライヴハウスで音を鳴らして曲を奏でないとわからないことも多く、その場その場で神経質にならなければいけない曲が複数あるのだ。それをスタッフ交えてリハーサルで丁寧に丁寧にやっている。

 さらに言えば、これだけの音声情報をこのクラスのホールでやると、必然的にモニター環境も変わってくる。いい音イコールいいモニター環境ではなく、その複雑な音の環境下ではプレイヤーとして演奏に集中するのが難しい局面も出てくる。この日のリハーサルでも、想定していたよりモニター音量を上げてくれだの、ドラムの下の音(キック音)をもっと欲しいだの、曲によって細かい要望や変更もあった。

 16時35分に一旦終了し、その後オープニングのリハーサルを行い、16時48分、終了。リハーサルを1時間20分浴びただけで、かなり心地よいエネルギーを放出した、そんな気持ちになるハードな時間だった。もちろん、僕の何十倍ものエネルギーを使って、自らの音楽をコントロールしたり、その音楽に振り回されているのは4人自身である。しかし彼らはむしろその葛藤を楽しみ、チャマとフジに至っては、Zepp Osaka Baysideという言葉を手拍子でリズムを取りながら、音頭にできないか、ステージ上で遊びながら試している。これ、本番どうなるんだろ?

 

(中略)

 

 本番用に着替えてきたチャマが、BFLYツアーの時のグッズのベースボールシャツを着て帰ってきたので突っ込んでみると、「最近はね、昔のツアーのグッズを着る気分なんだよ。音楽と同じように、時間が経っても自分で作ったグッズへの愛着は消えないんだよね。だからこうやって昔のグッズを着ることは、『大切に着てるよ、みんなはどう? 大切にしてくれてる?』って意味もどこか自分の中で含まれている気もするんだけど(笑)」と話しながら、鏡を見ている。

「ステージ上で、あ、爪切ってなかった!って自分の弾いている指を見て気づきたくないじゃん」と言いながら、フジが爪を切り、その発言にみんな「そうだよな、そんなことで一瞬でも気を散らせたくないよな」と真剣に受けている。その雰囲気に負けて「フジ、お前、割と楽屋に入ってすぐに爪切ってたよ、今日」とは言えずにいた18時40分、「5分押しで行きますよー」という舞台監督の声が廊下から響いてきた。その声を聞いてフジは最後の体ほぐしに動き、升はゴムパッドを均一に叩き始め、チャマがフジに続いて体のバランスを整え始める。

 そして18時52分、スタッフが4人のイヤモニを楽屋に持ってきて、装着し始めた。スタッフが「いい匂いがしますね」とメンバーに冗談混じりで言うと、大の大人がしっかりと恥じらんでいるのが面白い。兎にも角にもさあ、武器は揃った。

 19時02分、楽屋を出てステージ袖へ。ここでも今日の彼らは今までよりも若干「柔らかい」。これは緩いという意味ではなく、ほぐれていい塩梅ということ。緊張感を滲ませながらも、リラックスした空気が直前のステージ袖でも満ち溢れている。スタッフが「今日のライヴ、結構(フロアのお客さんの状況が)ギュウギュウなんで、かなり暑いと思います」と話す。チャマが「今日、2,800人いてくれてるんでしょ? 下北出身としては、その人数は最早ライヴハウスじゃない(笑)。ありがたいよね、ほんと」と話し、みんな微笑を浮かべながら頷いている。

 19時05分、オープニングのSEが流れる。2,800個の光る右手と、2,800個の誇り高き左手で、全力の手拍子が起こる中、升、ヒロ、チャマ、そしてフジが一人ひとりステージの光の中に吸い込まれていった。開演だ。

 オープニングSEは、アリーナ編と同じくフジが作った特製音源。ライヴハウス編はアリーナのように巨大LED画面を背負うことも左右に配置することもできないので、アリーナのように曲に合わせて作られたオープニング映像は出てこないのだが、逆にだからこそ、音の中から光の粒が弾けたり、絹のように綺麗で繊細な羽根のようなものが羽ばたく感触が目を瞑っているかのようにイメージできる。言うなれば、音楽という正解のない自由なイメージを楽しむオープニングだ。

 3曲終わり、リハーサルでチャマとフジが練習していた「手拍子つきの、Zepp Osaka Bayside音頭」でオーディエンスのみんなに合いの手を求めると、見事なコール・アンド・レスポンスが成立した。さすが上方大阪、リアクションの反射神経がハンパない。そこでチャマが「みんなギュウギュウ過ぎて、顔が肉まんみたいにパンパンになっているから(ちなみにここ、名古屋では『豚まん』ではなく『男梅』だった)、藤原さん、よろしく」と話すと、フジが「はいはい、ではみんな気持ち5cmでもいいから下がろうか、せーの」と促し、フロアを落ち着かせようとする。いつもはそれで如実に景色が変わって少しはスペースに余裕が生まれるのだが、この日は「あれ?」というほど景色が変わらない。その状況に不思議な顔をフジがすると、前線の複数のファンが「いや、横に! 横に!」と叫び出す。そこでフジが「みんなからの提案がありまして(笑)、後ろはいいんだと。ただ真ん中が詰まっているから、右に左に、横にズレてみようか」と言うと、今度は見事にスペースが生まれて割れんばかりの大拍手が湧き上がり、安堵の表情が宿る。冒頭から今日のライヴ、もうパーティー空間として完全にでき上がっている。

 リハーサルのパートで綴った通り、升のドラム台の前に3人が集まって輪になってイントロを奏で始めた“Ever lasting lie”が、やはりソウルフル極まりないというか、人生を一歩一歩慎重に、しかし力強く踏みしめる足取りそのもののようなグルーヴで奏でられ、心の奥をノックする。超初期の曲を久しぶりにこのツアーのために練習してやっているのだが、初期の頃と比べて随分と「育っている」。僕はこのツアーのZepp Nagoyaでのライヴ終演後、フジに「“とっておきの唄”や“宇宙飛行士への手紙”が、音やグルーヴの重量感が凄過ぎて、全盛期のGuns N’  RosesやBon Joviみたいだったよ」と話すと、「ありがとう。でもそれ、どういうリアクションなんだよ」と笑われたんだけど、でもこの日の“Ever lasting lie”も、そういう見事なソウルロックが地面に確かな証を打ちつけるように響いていた。

(続きは本誌をチェック!

 

text by鹿野 淳

『MUSICA1月号 Vol.129』

Posted on 2017.12.15 by MUSICA編集部

時代とロックバンドに新たな旋風を吹かせたSuchmos。
『THE KIDS』から始まった飛躍の1年を振り返り、
6人の今、そして未来へのヴィジョンを、語り尽くす

それぞれバンドマンとしてのアイデンティティがハッキリした感じはしますね。
プレイとか作る曲の雰囲気はその時々で変わっていくと思うけど、
そういうこと以前に、もう完全に、バンドとして間違いないものになった

『MUSICA 1月号 Vol.129』より引用

 

■MUSICAは毎年12月発売号で、その年の音楽シーンを振り返る年間総括特集をやっているんだけど、その中でMUSICAが選ぶ年間ベストアルバムのトップ50を発表していて。で、2017年のアルバム・オブ・ザ・イヤーにSuchmosの『THE KIDS』を選ばせていただきました。

全員「イェーーイ!」

■先日ファイナルを迎えた今年2度目のツアーも、ライヴバンドとしてのこの1年の確かな成長を見せつける形で大成功に終わって。その後でYONCE、HSU、KCEE、TAIKINGの4人はLAにバケーションに行って、つい最近帰ってきたんだよね?

YONCE(Vo)「そうですね。6月にもそれぞれ旅に行ったりしてたんですけど、今年はライヴも制作もやりつつ、ちゃんと各々のインプットする時間を取ることができて。日常以外の部分でそういうことができたっていうのはポジティヴなことだなって思うし」

■というか、今のこの国の若いバンドってリリースのスパンも短いしライヴの本数も多いし、常に何かに追われててインプットの時間が圧倒的に足りてないという状況があるんだけど、その中で今年のSuchmosの活動の仕方は凄く健全だし地に足がついてるなぁと思う。

YONCE「というか、元々それがしたかったんですよね。時間とかいろんな都合がつかなくて今までできなかったことができるようになってきたから、それぞれ自分のために旅をしたり、インプットしたりすることができてて。昔から、そうやって各々がキャッチしたものをバンドに持ち帰ってSuchmosの表現に落とし込んでいくことが楽しいと思ってずっとやってきてるんですけど、それがどんどんできてきてる。ある意味やってることは変わってないけど、行ける場所がもっと増えたしやりたいことも増えていってるっていう、そういう今ですね」

■本当にこの1年はSuchmosにとって本当に大きな飛躍の年になったと思うんですけど、まずはざっくりと、みんなにとって2017年という年はどんな1年でした?

YONCE「シンプルに、楽しかったです。2015年にCDを出してデビューしてから2年ですけど、毎年楽しむこと、楽しめることの幅が増えていっていて。それが凄くいいんですよ。楽しいよね、とにかく」

HSU(B)「っていうか、2017年はどんな1年でしたかって訊かれても結構答えにくいかも。だって1年で区切りついてないよね。むしろ区切りはなくない?って思うというか」

KCEE(DJ)「わかる。区切りないよね、ずっと続いてる感覚っていうか。そういう意味では『ここ3ヵ月どうでした?』って言われたほうが、言葉にしやすいかもしれない(笑)」

TAIHEI(Key)「まぁでも、2017年ってことで考えてみると、やっぱりツアーが一番リアルに脳みそに残ってるかな」

■この秋のツアーでZepp Tokyoと豊洲PITでのライヴを観ながらふと思ったんだけど、ちょうど1年前のツアーファイナルはまだLIQUIDROOMだったんだよね。2デイズで即日完売だったとはいえ。

YONCE「『MINT CONDITION』の時ね」

■そう。で、今年はツアーを2本回って、東京で言えばこの1年で新木場STUDIO COASTに恵比寿ガーデンホール、日比谷の野外大音楽堂、そしてZepp Tokyoと豊洲PITでワンマンをやったわけだけど、それら全部が初めてやるハコだったわけで。そんなバンド、他にいないよ。

YONCE「確かに初めて尽くしではありましたね。あと、ROCK IN JAPAN FES.に出るのも初めてだったし」

■国内最大規模の邦楽フェスに初登場でいきなりメインステージという。ONE OK ROCKのゲストとしてアリーナライヴをやったのも含め、ライヴバンドとして相当拡大したし、経験を積んだ1年だったよね。

KCEE「まぁそもそも、俺らがチョイスしてるツアーだったりライヴでは、同じところでは絶対やりたくないんですよね。毎回違うところで、常に上に行き続けてるっていう感覚を持ってたいんで」

YONCE「だし、自分達の歩みが早いとも別に思わないんですよ。あんまり他と比較してない、自分達のペースでやってるだけだから」

HSU「そうそう。だから自分達ではわかんないよね。他人と比べることを忘れちゃったから、嫌みじゃなくて本気で気にしてなくて。だし、あんまりその必要もなくなったというか」

YONCE「そもそも他を気にして音楽やるのって楽しくないしね。でもほんと、前にも増して気にならなくなりましたね。俺らは俺らっていうか………だからさっき言ってもらったようなことも、自分達としてはただただ普通にやってたらこうなってたって感じでしかなくて。もちろん、実際いろんなことが変わっていってはいるけど、でもそれも、すげぇ自然にグラデーションになってるような感じだよね」

KCEE 「たぶん周りから見たら、数百人のところからいきなり3,000人のところでやってるって思われてるのかもしれないけど、でも実際は500、700、1000って全部踏んでってるから」

■ただ、そのペースが尋常じゃなく早いってことなんだけどね(笑)。

KCEE「でも、たとえば今の俺らだったら武道館もできると思うんだけど、それはまだやらない、今はまだそこじゃないっていうのはチームみんなが理解してるわけじゃないですか。ほんと、着実に1歩ずつ上がってる感覚。だからビックリしてない」

TAIKING(G)「そうだね、ビックリしてない。あくまでちゃんとひとつずつ上がっていってる感覚だよね」

YONCE「まさに。で、その階段みたいなのは全部チーム(=スタッフ)がちゃんと考えて作ってくれてるんで。俺らは安心して歩めてるっていう」

OK(Dr)「そうね。でもそういう意味では、ハコの規模とかじゃなくて、チームメイトというか――たとえば照明さんが増えたりだとか、そういう仲間が増えてきたことで、自分らが大きくなっていってるのかなっていう実感を感じることはあったかも。俺らが表現をするために絶対に必要な人達がどんどん仲間になっていってるっていう、そこで感じる」

TAIHEI「確かに。あ、だから俺、今年1年と去年とで一番違うとこわかった。2017年は、Suchmosのツアースタッフが完全にグルーヴし出したきっかけの年だったかもしれない」

YONCE「あー、そうだね。それは間違いない」

TAIHEI「『THE KIDS』のツアーと今回のツアーで全国一緒に練り歩いて旅をしたことで、ローディさんとかPAさん、照明さん、あともちろんマネージャーさんも含めて完全にグルーヴし出したというか。お互いのことをちゃんとイジり始めたしね(笑)。なんか、チーム全体がバンドになってきたって感じがする」

YONCE「それは凄いあるね。だから今、いろんな距離感が凄くいい感じになってきてるなっていうのは思いますね」

(続きは本誌をチェック!

 text by有泉智子

『MUSICA1月号 Vol.129』

Posted on 2017.12.15 by MUSICA編集部

ヤバイTシャツ屋さん、戌年に放つセカンドアルバム
『Galaxy of the Tank-top』。新たなパンクロックの在り方
なのか、それとも得体の知れないただのタンクトップなのか

FM802の生放送に出た時に「週間2位、凄いね」って言われて。
僕らをバカにしてきたヤツらが急に思い浮かんで、生放送で号泣したんです。
横で全然関係ない運動会の話してるのに(笑)

『MUSICA 1月号 Vol.129』P.216より掲載

 

■セカンドアルバムだね。直近のシングル『パイナップルせんぱい』がチャートで2位まで行ったんだから、そして岡崎体育のアルバムが2位だったから、次は1位だ!っていう超越感も含めて宇宙(『Galaxy of the Tank-top』)を掲げてる作品なんですよね?

「いや、まったくそんなこともないんですけどね(笑)。やっぱり、1位獲ったらあかんなって思っちゃったんですよ。前回の『パイナップルせんぱい』の時に。あの作品は2位やって、『2位でよかった』って思ったんです。ホントに1位になってしまったら、ストーリー的なものも終わってしまうと思ったんで。理想を言ったら、1位を獲れる売上枚数で1位じゃないっていうのがいいです」

■往生際が悪いね(笑)。でも、どちらにせよ勝ちにいく作品だよね。そういう作品を作るにあたってはどういうイメージがあったの?

「言ったら、前のフルアルバムは既にライヴでやってる曲ばかりを入れたベストアルバムみたいなもので、新曲はほぼなかったんです。だけど今回は、アルバムのために作った新曲達で。新しいことにも挑戦したいし、だけど『らしさ』は残したいし、そやけど伸びしろもあるっていう――僕の持ってる『セカンドアルバム』のイメージそのままの作品にできたと思ってて。前のアルバムは、曲順に関してもガッチリ自分の理想があって、その曲順に合わせて曲を作っていく感じだったんです。だけど今回は、でき上がったものを納得いく形に並べていったらこうなった。だから、コンセプトも特になかったですね。その結果としてジャンルもぐちゃぐちゃで、うるさくて面白い作品になったと思うんですけど」

■そうだね。少し振り返ると、まず“ハッピーウェディング前ソング”が成功した要因は、どういうものだと解釈したの?

「これ、ライヴでのウケがいい曲なんですよね。叫ぶところもあるし、『パン、パパン、フー!』もあるし、サビは一緒に踊れるし」

■それに、サビのメロディが秀逸だった。

「ああ、嬉しいです。TAKUMAさん(10-FEET)にも褒められたんですよ。『メロディええな』って。よくこの曲があの苦しんでる時期に出てきたと思います(笑)。だからこの曲はアルバムの真ん中にも置いてて。この曲が好きで買ってくれる人もいてはると思うし」

■アルバム、相変わらず素晴らしいんですよ。前作を聴いた時にも「いいアルバムを作れるバンドだったんだ」っていうことに気づかされたけど、今回の作品は「いい作品だ」というより、いいロックバンドになったという感触を持ちました。いろんな曲が入っているけど、策にいろんなことを求めるというよりも、いいロックバンドとして、いいパンクバンドとしていい曲と音楽を作るんだっていう意志が作品全体から伝わってくる。

「嬉しいなあ、そういう気持ちは確かにありました。だからこそ、後半は結構エモい曲で固めちゃったんです。アルバム全体としてはそんなにトリッキーなこともしてへんし、ジャンルはいろいろあっても曲自体はかなりシンプルで――普通に、ボケ方を忘れてたっていうか(笑)。最後は肩幅のこと歌ってる曲ですけど、最後になんとなく聴いたら、凄くいい終わり方に聴こえると思うし」

■歌詞さえ追わなければ完璧なエンディングだよね(笑)。でも、「ボケを忘れた」と言ってくれたけど、そこはある程度意図的だったんじゃないのかなって思うんですが。

「そうですね。アルバムですし、そもそもボケだけで続くバンドじゃないと思ってるんで……そこに賛否両論があってもいいと思うんですよ。具体的に言えば“気をつけなはれや”と“サークルバンドに光を”は、今までのヤバTになかった完全ストレートな表現をしてる曲やと思ってるんですけど」

■完全に自叙伝ですよね。

「はい。それは(今までのヤバTが好きな人の間で)賛否両論あるかもしれへんけど、でも、だからこそ反応が楽しみですよね。否定的な人がいてもいいと思うし、こういう曲が好きな人もいると思うし。だからこそ、そこは攻めるところやと思ったし」

■ただ楽しいだけのバンドじゃないっていう意志や、ライヴで鍛え上げて、ソングライターとしても追究してきたここまでの落とし前をつけようっていう覚悟が、この作品の根底から聴こえてきて。その進化と変化は、バンドにとって人生の岐路を分けていく瞬間だと思うんです。その辺は、プロデューサー的な視点で言うとどういう想いがあったんですか。

「まさに考えたんですよね。ヤバイTシャツ屋さんって楽しいだけのほうがいいんかな?とか……それはライヴもなんですけど。ただ楽しいだけのライヴをする時もある一方、笑えるだけじゃなくて泣ける瞬間も作りたいと思うし、そういう瞬間は、活動の中で出るようになってきたと思います。ヘラヘラしたくない時だってやっぱりあるし、そういう時は無理してヘラヘラせず作っていったのが今回のアルバムやと思います。真面目になった瞬間に作った曲はやっぱり真面目になったし、だけどそれも今の自分やから入れておきたかったし……そしたら、自然とこういう作品になりましたね。まあ、リスクがあるとは思いましたけど、でも、このタイミングで『こんなにストレートなのもやるんや』って思ってもらえたら、それが今後の強みになると思ったんで。……正直な話、セカンドアルバムのうちにストレートなものをやっとかんとあかん!っていう気持ちもありました。そういう意味では、逆に今やっといたほうがええかなって」

■手札をちゃんと持ちたいし、持っている手札を隠すこともない状況を早めに作っておきたかったっていうことだよね。

「そうですね。今回はフォークソングもあるし。この感じって絶対メロコアバンドのアルバムではないじゃないですか。そうやって『何やっても許される状況を作る』っていう意味では前からやってきたことで、それが続いた結果の今作っていう感じだと思います。要は、何やっても許される状況作りです(笑)」

■でも、それを続けていくためには進化と自信と確信が必要なわけじゃない? こやま的には、ソングライティングのスキルとキレに対しての自信があった上でこうなっているのか、どういう感じなんですか。

「………後から自分の曲や歌詞を見返して『面白いな』と思うことはあるんですけど、作ってる最中はずっと『大丈夫かな』っていう感じですねえ。っていうかね、歌詞の分量がね、前作に比べて増えまくってるんですよ(笑)」

■そう、情報量が多いとも言えるし、言い切る潔さが少ないとも言えるけど。これは、何が表れてるものなんですか。

「……たぶん、いろいろ情報量を詰め込まないと不安なんやと思います。本当はね、前みたいにシンプルで言い逃げ感があるやつも作りたいんですよ。だから次は、そういうのを狙って作るとは思うんですけど」

(続きは本誌をチェック!

 

text by鹿野 淳

『MUSICA1月号 Vol.129』