Posted on 2018.08.29 by MUSICA編集部

削ぎ落されたサウンドプロダクションの中で、
豊潤で果てなき宇宙を響かせたアルバム『Sonatine』。
大いなる進化と深化によって鮮やかに真価を開花させ、
猛スピードで新たなフェーズをひた走る3人と語り合う!

 

撮影=木村篤史

凄い柔軟に流動しながら曲ができてる。
3人がどんどん自由にミックスされていく、
その柔軟性ってそれこそ生き物みたいな、
自然の揺らぎのものだと思っていて。それはバンドサウンドのよさですよね。
肉体的な、根源的な部分で形が変化してくっていうのは面白い

『MUSICA9月号 Vol.137』より引用

 

(前略)

櫻木「本当に、凄い柔軟に流動しながら曲ができてる感じなんですよね。そうやって3人がどんどん自由にミックスされていく、その柔軟性ってそれこそ生き物みたいな、自然の揺らぎのものだと思っていて。それはやっぱり、バンドサウンドのよさですよね。電子音楽でもそういうことを表現できる人は本当に数少なくいますけど、やっぱりプログラムがあってのものだから。もっと肉体的な、根源的な部分で形が変化してくっていうのは面白いし、体に馴染みやすいんじゃないかなって思うし。D.A.N.にしかできない部分は結構そういうところにあるのかなって思いますね」

■そして歌詞のことも訊きたいんですけど。“Pendulum”の<きっと いつか わすれる つもり>、<どうせ いつか このほしも おわる>、<きっと いまは とどかぬ みらい>、あるいは“Replica”の<花は枯れるほどに/息吹を返すさ/有り余るほど脆い>という言葉など、非常に印象的な言葉が多いんですが。全体に、過去と未来の狭間にぽっかり浮かんでいる今っていうもの、終わりと始まりの狭間にいる感覚、あるいは生と死というものを感じさせる歌詞になっていて。その狭間感は過渡期にある今の時代を象徴しているなとも思うんですが、自分ではどう捉えてますか。

櫻木「歌詞ってどうしても、凄い潜在的な部分での自分の人生経験みたいな部分が反映されると思うんですよね。それはいつも、録音して聴いてみてから気づくんですけど。でも今回は、全体的に自分の死生観とか生きることとか、何かと離れる/別れるみたいな部分の刹那みたいなものを反映せざるを得なかったというか………今っていう瞬間をどういうふうに生きるかで過去も凄い意味が変わってくると思うんですよ。過去っていうものも確定されてない、凄く漠然とした不安定なものだと思うし、(略)未来も、自分が今どうするかによってどんどん変わっていくし。だから今ここにいるってことを強く意識することで、過去も未来も変わっていく。そういう感覚がひとつと、あと自分が生きてる今の世界って疲弊があると思うんですよね、どうしても。だから今回は<泳ぎ疲れた>という歌詞が僕の中でひとつのキーワードではあって――」

■実際、“Chance”と“Borderland”の両方でその言葉が出てきます。

櫻木「そうなんです、これは意図的に同じ言葉を使ってて。『Sonatine』っていうアルバムタイトルも、北野武さんの『ソナチネ』っていう映画から取ったんですけど、あの映画も主人公がもうヤクザやることに疲れたよって言って、沖縄へ逃避行するじゃないですか。その感じって自分が今回歌おうとした内容と偶然一致してたんで、それが個人的にはタイトルの決め手になったんですけど。だから“Boderland”っていうのも、生死の境界線のことなんです。その境界線に立ってる自分を俯瞰して書いてる部分があるし、この曲や、あるいはアルバムの全体的な流れに関しても僕は人生みたいだと思ってて。特に“Borderland”は人生で起こり得ることみたいな部分、死生観みたいな部分が、歌詞の上では大きいテーマではありましたね。………今回は全体的にどの曲も、『今を漂う』とか『今を生きる』みたいな部分に凄いフォーカスしてると思う。そう僕は解釈してますね」

■今話してくれたことがテーマとなった時、“Pendulum”で<いまは とどかぬ みらい>、<いまは とどかぬ ねがい>と、今何か叶うわけではないということを歌ったのは、ご自分の何を表してるんだと思いますか?

櫻木「基本的には、僕は未来がどうなるかっていうことに興味があって。具体的に言うと火星移住計画とか、今の地球が1回幕を閉じて人間がまた違う価値観と社会みたいなものを作る未来とか、そういう話に興味があるんですよね。で、結構意識としてはそういう状況下に置かれた自分達を歌っているというか。……でも、『漠然と生きるんじゃないぞ』っていう警戒を促す、みたいな部分も実はあります」

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text by有泉智子

『MUSICA9月号 Vol.137』

Posted on 2018.08.29 by MUSICA編集部

ぶっ飛んだセンス、鉄壁のグルーヴ、不敵なムード――
圧倒的な説得力で急速にその勢力を拡大するKing Gnuが
この夏投下したふたつの新曲“Flash!!!”、“Prayer X”。
次代への風穴を開けた革新犯、その現在地を探る!

 

撮影=中野敬久

世界的にみたらミドルテンポの曲でもハードコアな要素っていうかエッジの
効いたものってのは山ほどあって。
アップテンポだろうがミドルテンポだろうが、常に凄いパンチのある
エッジな表現ではありたいなと思ってる

『MUSICA9月号 Vol.137』より引用

 

(前略)

■曲の話からは離れるんですけど、そもそも常田くんってなんでバンドをやろうと思ったんですか? つまりバンドって世界的に見たら衰退してるし、常田くんはトラックメイクもできるわけで、現実的にKing Gnuの音源もかなり作り込んでるわけで、ひとりでやるほうが自由度が高いわけじゃないですか。でも、今この時代にバンドをやりたいと思うのは、そこにどんな勝算だったりロマンがあるからなんですか?

常田「バンド衰退っていうか、バンドが凄い乗り遅れてる原因として、こんだけ早い音楽の流れというか進化の中で、バンドっていうのはどうしても動きが重いし、音楽も平均値的になっちゃいがち。各々の裁量でプレイしていくからよっぽどメンバー全員で到達したい音楽像が共有できてない限り、ヌルくなるっていうか。変なバンドはね。で、正直、ヒップホップとかもそうだけど、生バンドよりもビートの効いたイカつい打ち込みのトラックが聴きたい事もあるし。……っていうのは確かにありつつ」

新井「うん、わかる」

常田「でもKing Gnuにおいては、最初に俺がガーンと出したヴィジョンへの共感と、各々へのリスペクトでの自然な形でのプレイっていうのが、King Gnuの前提になってるから。だからさっき挙げたようなバンドのストレスはない。そういう意味でその辺のバンドとはちょっと違うのと、あとはやっぱり、ライヴにおける身体性っていうのは絶対になくならないことだと思うんですよね。だからバンドが衰退してる原因は、俺は単純に音楽の進化の遅れだと思う。単純に一個人が新しい音楽を作り出してくスピード、『あれ新しいじゃん!』っていうスピードにバンドは今ついていけてないからヒップな印象がないっていうのがあると思うんだけど。でもバンドのカッコよさって絶対普遍的なものだと思うんで、そこにバンド勢は自信を持っていいんじゃないかと。かと言って、音楽的な発展が今のスピードのままでいいかって言われたらそれは別ですけどね。でもなくなんないと思いますよ、バンドのカッコよさって。バンドっていう見え方だからこそのエネルギーは絶対あると思います」

■話をちょっと戻すと、4人の平均値になってヌルくならないために、このバンドは具体的にどうしてるんですか?

常田「………(考える)……3人が、俺が最終的に描くサウンドヴィジョンを信頼してくれてるっていうのは大きくある。だからトライしてくれるっていうのはあると思うし、だからこそ『これ、バンドなの?』っていうエッジなトラック感があるバンドになってる。ビートメイカーのstaRoさんが“McDonald Romance”聴いた時に『バンドでこれやられたら勝ち目ないよ』って言ってくれたらしいんだけど、そういうことがちゃんと起こり得るっていうか。あれを普通に生のドラムでセッション感覚でや作りあげたらああはならないし。あと、このメンバーを決めるにあたって、各々の魅力っていうものをリスペクトした上での完成図なので。だからじゃないですかね」

新井「ある種無責任というか、頓着しないから。自分のプレイに納得してたらあとはなんでもいいよっていうところがあるんですよ。少なくとも俺は結構ある。それがいい作用になってるんじゃないですかね。なので、急に構成が変わっても全然いいし。各々自分ができることを最大限やる。あとは見えてる人に投げるっていう」

常田「みんな音楽の完成形・至上主義だから。俺もそうだし。完成形がカッコよければ俺がギター弾かなくてもいいし、和輝も別にベース弾かなくてもいいと思ってると思うし。そこへの執着はないかもしれないですね」

新井「そこは俺の場合は、元々バンドマンじゃなかったからっていうのもあると思いますね。ライヴミュージシャンではあったけども、ジャズやスタジオ・ミュージシャンもやってて、渡されてすぐ曲やって終わりみたいなのをやってたので。そこでは、その時に起こってることに対して自分の音をどう鳴らすかってだけなんですよ。そういう下地があって今やってるんで。で、King Gnuのライヴの強さっていうのは、俺と遊がそういうところでずっとやってたっていうのも大きいと思うし。そういうフィジカルの強さみたいなものは俺らにあって、一方で音楽のコンセプトとかサウンドの全体像は大希が先頭切ってやってくれてるっていう。そこでの両立が、結果、King Gnuの強さになってるんだと思いますね」

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text by有泉智子

『MUSICA9月号 Vol.137』

Posted on 2018.08.26 by MUSICA編集部

J-POPと2010年代的なるバンドドラマツルギーの再定義、
そして新時代のバンドポップの衝動と感動曲線の在り方――
両A面シングル『ファンファーレ/春夏秋冬』とともに、
sumikaが笑顔で担うものを改めて語り合う!

 

撮影=ヤオタケシ

 

“春夏秋冬”で悩んだ時も
「仲間とバンド始めた時の気持ちに戻れってことなんだ」
と思えたし、俺は片岡健太なだけじゃなくてsumikaなんだから、
ここはバンドで答えを出すターンなんだって思ったんです

『MUSICA9月号 Vol.137』より引用

 

(前略)

片岡「この5年、無意識的にライヴのことを考えながら曲を作ることがほとんどだったんですけど――たとえばsumikaをカラオケで歌ったら、意外とひとりで歌ったら成立しない曲が多いなってわかるんです(笑)。何故ならばバンドとライヴがイメージの中心にあるからなんですね。でも今回は『君の膵臓をたべたい』の書き下ろしなので、いい意味であまりライヴを意識しないで臨めたんですよ。ここ1、2年間でいろいろなことをやらせていただく中で、sumikaらしいタイアップとの向き合い方ってなんなんだろうな?と考えることもあったんですけど、バンドのメンバーだけだとsumikaは不完全だっていうのと一緒で、その都度、余白に意味を見出して、その余白をどう埋めるかを楽しむっていうことだと思ったんです。そこにある余白はマイナスじゃなくてポジティヴなスペースなんですよっていう。だから今回に関して言えば、sumikaの“春夏秋冬”じゃなくて、『君の膵臓をたべたい』の“春夏秋冬”を作るのがsumikaらしさだと思った。だからいい意味でライヴを意識していない作品なんだと思いますね」

(略)

荒井「そうだね。もちろん聴かせるタイプの曲はこれまでにもありましたけど、初期は特にストレートなバンドサウンドでやってきて。そこで、全国の劇場で公開される映画の最後に流れる曲っていう立ち位置でのタイアップとなると……今までは『ずっとバンドでやってきたし、本業でポップスをやってきた人のドラムと自分のドラムにはどこか違う部分があるんだろうな』っていうコンプレックス的なものを抱えていた気がしていて。バンドとして当たっていく“ファンファーレ”みたいなアプローチが正解の場合もあるけれど、初めてここでそのコンプレックスや課題と向き合って、“春夏秋冬”ではリズムでそこを脱却しないといけないと思ったんですよ。映画のストーリー性を踏まえて音楽を作るのもタイアップのひとつの意義ですけど、それと同様に、その映画が上映されるフィールドにふさわしいドラムを叩けなければ、『君の膵臓をたべたい』に関わらせてもらった以上、ちょっと無責任になってしまうんじゃないかって思った部分があって」

■バンドやポップスがどうあるべきかにこだわってる場合じゃなかったと。

荒井「そうですね。自分が何も知らないで映画館にいたとして、『この曲はsumika っていうバンドがやってるんだ』っていうよりも、『この音楽は聴き心地よく入ってくる』って思えるリズムにしたいと思ってました。そして、それがしっかりできたっていう手応えがある曲ですね」

■今の話も含めて、今までの中で一番聴き手を選ばない曲になったんじゃないかなって思うんですけど。それに、ソングライティングに対する執念を一聴した瞬間にガシッと感じました。割と転調を技として使うバンドだとお見受けしてますし、えげつない転調も割とあるじゃないですか。

片岡「はははははははははは、はい。割と」

■たぶん、そのえげつなさがバンド音楽のダイナミズムを表すからこそ敢えてえげつなく響かせていると思うんだけど。その中で今回は非常にしなやかな転調をしているし、そこにも執念を感じて。さっきの歌詞の話もそうだけど、やっぱりひとつここで打ち立てたい気持ちもあったんですか。

片岡「そうですね。作品自体のお話をいただいたのはもう1年前で、その時点で小説はベストセラーでしたし、実写版も評判になってて。だから劇場アニメ版を作ることが決まった時からこの作品が注目されないわけがないなって思ったし、その主題歌を担当するとなったら、そりゃ大ごとじゃないですか。そのチャンスでちゃんと打てる姿勢でいたか、バット握ってバッターボックスに立てていたかっていうことを問われる機会だと思ったので。歌詞や曲の作り方、それこそ転調やアレンジの積み方、コーラス……今までこれで勝ってきたっていう必勝パターンを全部入れましたね」

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text by鹿野 淳

『MUSICA9月号 Vol.137』

Posted on 2018.08.25 by MUSICA編集部

indigo la End 4枚目のアルバム『PULSATE』
ゲスの極み乙女。4枚目のアルバム『好きなら問わない』、
自身のレーベル「TACO RECORDS」を発進した川谷絵音が
新たな覚悟・指針・傑作を携え、新たなる充実へと向かう!

 

撮影=中野修也(TRON)

 

解放されたいって気持ちはずっとあったんですよ。
だから今のほうが凄く伸び伸びとしてるかもしれない。
ここ1年くらいでだいぶ自分のこの先みたいなのが見えて、
割と自由に全部やってるんで。久々の4年ぶりくらいに楽しく曲書いてるなって

『MUSICA9月号 Vol.137』より引用

 

(前略)

■リリースタイミングの話からいくとindigoのほうが先だけど、制作的にもindigoからゲスへと流れていったんですか?

「いや、割と同時並行でガッチャガチャしてました」

■2015年くらいからindigoもゲスも両方忙しくなっていったけど、当時の作品と比べると久しぶりに明確にindigo la Endはこういうバンドだからこういう作品であり、ゲスはこういうバンドにしたいからこういう作品にしたっていうのが、はっきりと分けて丁寧に作りましたね。

「indigoに関しては、そもそもアルバムを出そうとは考えてなかったんです。スケジュール的にミニアルバムくらいしか無理なんじゃないかなって思ってたんで。でも、ミニアルバム作るって言っても、ミニアルバムってなんか中途半端じゃないですか。曲数的にも何曲までがミニアルバムなのかもよくわかんないし。だから途中からアルバムでいいんじゃないかなって思って。ゲスのアルバムを出すことは決まってたし、年1 で俺らは出してて去年7月にindigoも出してたから、じゃあアルバムでいいやと。それでレコーディング日程を追加して曲を作ったんですけど……だから明確に何をやろうってことはindigoの場合は決めてなかったですね。ゲスはアルバムをここで出すっていうのが明確に元から決まってたけど――というよりも、ゲスは元はベストアルバム出そうって話だったんですよ。で、そっちも動いてたんですけど、なんとなく今じゃないなって思うようになって。今のモード的にも新しい曲をいっぱい出したかったし。そういう流れの中でアルバム出すことになったんですけど……割と今までって、『ゲスの極み乙女。っぽさ』みたいなものをやらないようにしてたんですよ」

■そうだね。メジャーに行ってからの話だよね?

「はい。だから最初は“オンナは変わる”的な感じでカッティングとかをみんなでやったら……恥ずかしかったんですよ。『ゲスっぽ過ぎない、これ?』みたいな(笑)。『どう、これゲスでしょ!?』みたいな感じが俺はちょっと恥ずかしかったんですけど、みんなが『懐かしいね、こういう感じ』ってなって。しかもみんな上手くなってるから、前よりよくなってて。アレンジをしてても、クラシック(の有名なフレーズ)とか久々にボンって入れたりとかしても、前とは入れ方が全然違うんです。前はそのままピアノだけ入れたんだけど、今回は超プログレッシヴにできて、今までと全然違う進化版みたいなのができたから、こういうのもいいねってことになり。で、米津(玄師)と仲よくなって、頻繁に会うようにもなって。“戦ってしまうよ”が全然よくない、みたいなことを言われたんですよ。そういうとこじゃないじゃん!みたいな」

■たしかNHKホールのライヴのMCで言ってたのは、「今のあなたは汚れてる」的なことを米津くんに言われたってことでしたけど。

「そう、美しくないって。『達磨林檎』や『あなたには負けない』もそうですけど、騒動も含めて作品にしてて。俺は騒動を作品にしようとしてたわけじゃなくて、それしか出てこなかったからそうなっていったっていう気持ちのサイクルがあったからなんですけど、それを自分しか経験できなかったことだからって美しい物語にするのは違うんじゃない?って言われて、俺も『確かにそうだな』って思って。ああいうことがあったからこそ、全然違う音楽の美しい部分で勝負しなきゃって思って。それで“もう切ないとは言わせない” っていう曲を作ったんですけど」

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text by鹿野 淳

『MUSICA9月号 Vol.137』

Posted on 2018.08.24 by MUSICA編集部

“アイデア”、想像の先を行く驚異のフルヴァージョン完成
己の中に存在し、けれど乖離していった陰と陽の自分、
それを超えて改めて再確認した、「生きることは歌うこと」
ありのままの星野源の胸中を、ここに届けます

 

撮影=関 信行

 

「生きる」と「歌う」っていうのを同じにしたかったんですよね。
僕にとって生きることは歌うことと同じであるっていうような、
そういう感覚の歌にしたい。音楽っていうものが自分にとって
どのくらい大事かっていう歌にもできたらいいなっていうのもぼんやり思ってた

『MUSICA9月号 Vol.137』より引用

 

(前略)

「音に関しては、本当にやりたいことやったって感じ。で、歌詞に関しては………うーん………なんか、気持ちの変化と共に、自分の中での歌詞を書くモードみたいなのが変わってきちゃって。なので、1番はパブリックな僕で、2番はその裏側のひとりの僕」

■まさに。

「で、そこからまた最後、パブリックな僕に戻っていくっていう……そのどっちもが自分なんだよっていう歌なんですよね。だから別に1番がパブリックな僕だからと言って、嘘の僕だってことじゃない。なんかそういう今の自分の状態を1曲の中で表現したいなって思ったっていう……だから自分というものが凄く色濃く投影されてる感じ。自分の今の人生みたいなものが、凄く形になったなっていう感じですかね。さっきも言ったけど、そういう意味でドキュメント的な部分が強くある曲っていうか。……ただ、そうやって上手く言葉にできない今の自分の状態を音にするっていうことと同時に、何も知らない人が聴いたらちゃんとポップスに聴こえる、単純に『なんか面白い音楽がやってきたぜ!』って思ってもらえるっていうのが自分がやりたいことだから。それをやり遂げるために、どんどん力が入っていく感じだったな」

■今話していただいたことの中には、突っ込んで訊きたいことがいくつかあるんですけど。まずは「去年までのモード」というのは、具体的にはどういうものなんですか? たとえば、『YELLOW DANCER』というアルバムを出して、「イエローミュージック」という概念を明確に打ち出しました。そしてそこから“恋”や“Continues”をはじめ、ソウルやファンクといったブラックミュージックを日本人である自分のフィーリングと歌心で昇華・融合しながら、いかにこの国の大衆的なポップスにしていくかっていうことをやってきました――というモードのこと?

「あ、でもそこに関しては今も変わってなくて……どちらかと言うと、明るいものを作るんだとかっていうことですかね。楽しいものを作ろうというか、明るくてコマーシャル感のあるポップスを作るんだっていうこと。要するに、『どうも~、星野源でーす!』っていう、あの感じ(笑)」

■なるほど、よくわかります。つまり、楽しくて元気な星野源。

「自分の内側がどうであろうが、それをやるんだ!っていうような感じだったんです、去年までは。で、実際に、それをやるのが楽しかったし。ただ、それをやっていくと共に、どんどんどんどん…………うーん、なんて言えばいいんだろうな…………去年1年が凄くしんどかったっていう話はしてるよね?」

■うん。今年1月の取材、『ドラえもん』のインタヴューの時に話してもらってます(MUSICA2018年3月号に掲載)。

「凄くしんどくて。なんて言うか、その………『積極的に何かを頑張らない』みたいなモードになってしまったのもあって、いろいろと思いつめてきたっていうか(笑)。で、『それじゃいかん!』ってなる直前くらいにできたのがこの曲のドラマで流れているバージョンなんですよ。だから、まだいろいろ我慢してる時っていうか。自分の心が出してる信号みたいなものを一旦遮断してる状態で作ったのが、テレビで流れてる状態のもので。で、そこからもっとやりたいこと、面白いことをどんどんやっていこうっていうふうになって――もちろん、あれ(ドラマで流れてるヴァージョン)はあれで自分がやりたかったことなんだけどね。でももっと、自分が今聴いてる音楽とか、自分が好きでやってみたいなって思うことを音楽的に全部入れてやるんだっていう、しかも1曲の中に異質なものを入れちゃうってことをやってみたいなっていう、そういうアプローチをやりたいっていう想いが出てきた。その一方で、歌詞の部分で、1番の歌ってる内容に関しては基本的にドラマのことを考えて書いてるんだけど、時間が空いて改めて歌詞を見た時に、なんか、『これ、自分の陽の部分だな』って凄く思ったんですよ。俺が陽の自分としてやろうとしてることだなっていうか。でも、自分の心の中にはそうじゃない部分も存在してるわけで、だったらこの陽の自分にプラスして、その裏側にある部分っていうのも表現しようって考えた時に、そういう意味合いだったら音楽的にも2番から音がガラッと変わるっていう構成がちゃんと成立するぞ!と思ったんです」

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text by有泉智子

『MUSICA9月号 Vol.137』

Posted on 2018.08.24 by MUSICA編集部

クリープハイプがクリープハイプを超えた名盤!
言葉にできない音楽、『泣きたくなるほど嬉しい日々に』。
尾崎単独、長谷川・小川・小泉3人取材、セルフライナー
ノーツ、手書き歌詞掲載、東京世界観最終回による完全読本

 

撮影=大森克己

「もう知らねぇよ!」と言ったり、「うるせぇ!」という感じで突っぱねて
逃げるのが僕にとってのロックだと思いながらやっていたんですけど、
でもやっぱり年を重ねて悔しい想いも、痛い想いもする中で、
こういうふうに変わってきた……今までは「悔しい」「怒る」「泣く」で
終わってたけど、その後に「嬉しい」という先がちゃんと見えた。ようやく
「泣くとか歌うのは、実はこういうことなんだ」と説明できるようになってきたのかもしれない

『MUSICA9月号 Vol.137』より引用

 

#1 尾崎世界観、単独インタヴュー

 ■敢えてこの言い方をさせてもらうけど、この2年はクリープハイプの尾崎世界観ではなく、ひとりの尾崎世界観としての仕事が多かったし、その中でヴァラエティやナレーションといったテレビの仕事もやっていって。そして音楽的にも、タワーレコードの企画でSTUTSと一緒にスワローズの歌を作るという形で音楽的な実験もやったし、本当に様々なことを全部やり切った上でここに行きました。そうやって自分自身が世の中に出て行った中で刈り取ってきた気持ちが、このアルバムの明るさと大衆性に結びついていると思いますか。

「それはあると思います。あとバンドをやっていく上で、時間がないとか調子が悪いとか、そういう言い訳が自分の中でなくなったことも大きいです。今までは一歩が出なかったんですよね。体が動かない、疲れた、と言って休んだりしていたところが、いろんなことをやっていたことで、単純に自信もついたし、経験値も上がって、いつの間にか動けるようになっていて、これは全然できるぞと思って。……あとやっぱり、メンバーとの関係も変わったと思います。前は遠慮して、『ここまでは言っていいけど、これ以上踏み込むのはどうなんだろ?』とお互いにお見合いしてたところがあったと思うんです。それってある種のリスペクトでもあるんですけど。でも今回は、自分も積極的にそこを超えてもっと意識することができたし、面倒くさいこともやってくれと任せられるようになりました。メンバーもメンバーで、僕が個人で動いている間、しっかり練習していたと思うんです。だから技術が格段に上がって、ミュージシャンとしてのレスポンスも早くなりました。そこが凄くよかったし、重要なことだったと思います。外から見たら『ただでさえワンマンバンドなのに尾崎ばっかり前に出て、ますます歪なバンドになっていくな』と思うかもしれないけど、実際は逆なんです。僕自身も本当に、いろんな仕事を全部音楽に落とし込むんだという気持ちでやっていたし、絶対にバンドに返すんだというのは明確にありました。……正直、(他の仕事は)応急処置みたいなところもあったんです。声の不調に悩んで、やっぱり音楽だけだと辛くなってきたりもして、だけど、どうにかしてこのバンドを沈ませたくない、なんとしてもバンドを続けたいという時に、自分の名前だけでも出しておけばちゃんとバンドが残っていけると思って。そういう気持ちがあるからこそ、それぞれ1個1個丁寧に本気でやっていたし、楽しくやってもいました。映画のコメントひとつ書くにしても、いろんな人のコメントが並んでいるけど、尾崎世界観って人のコメントが一番凄いと言われるように本気で書いていました。そういうことが全部、ちゃんとこのアルバムに返っているような気がします。……やっぱり僕は、今のクリープハイプがいるレベルに関して、悔しいと思っているんですよ。もっと売れたい、社会現象になりたいという目標は今も凄く持ってるので」

■今の話はよくわかる。とにかくこのアルバムにはメジャー感があるんですよ。このメジャー感は、ご自分がテレビの仕事や、本っていう全然違うフィールドに突っ込んでいったことによって、自分の皮膚感覚でちゃんと世の中のマーケットというものを知ったことが、なんらかの形で強く関係してるんじゃないかと思うんです。

「なるほど、でもそれはないです、きっと。やっぱりクリープハイプはカウンターとして存在しているとは思っているので。マーケットは見えてきました、確かに。でも見れば見るほどやっぱりよくわからないものだなと思います(笑)。単純にもう失敗したくないと思うんです。失敗してきた経験があるからわかるんですよ、作品が届かなかった時は本当に殴られたような痛みがあるんです。斬られたような切り傷、痛みがちゃんと残っていて。それを身体が覚えているから絶対に同じ失敗を繰り返したくない」

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#2 長谷川カオナシ、小川幸慈、小泉拓3人インタヴュー

(前略)

■引き算がお上手になったのは、つまり前作ぐらいからこのバンドがよりバンドになったからだと思うんです。で、それを“バンド”という曲がひとつ明確に表したことによって、クリープハイプがよりバンドになったことを、より僕らに伝えることになった気がして。で、そのことをメンバーのみなさんもキャッチしているような気がして。それがこのバンドだからこその押し引き、つまり引き算みたいなものになった気もするんです。

長谷川「まさにそれが大きいと思います。アルバムができる度にバンドらしくなったなといつも思うんですけど、『世界観』の時も思って、今回もやっぱり思いましたね。それは何が違うのかと言うと、もしかしたらいつも同じかもしれないですけど、俺ってこういう人間だよねというメンバーそれぞれが、『今俺が出たほうがいい』、『出なくていい』という心地いいところに着いているのかなと。それが外から見てもバンドらしく見えるのかなと思います」

小泉「そうですね。単純に風通しがよくなったんじゃないかなと思います。メンバー同士の関係性だったり、レコード会社の人達とのやり取りとか、ここにきていいふうにまとまってきたというか。それが音にも単純に出たんじゃないかなと思います」

■拓さんさ、ステージでもドーンと構えてて、声もこんな男気溢れる低音で、いつも威風堂々としてる気がするんだけど、それなのに気遣い――。

小泉「俺、気遣ってますよ、めっちゃ(笑)。いい意味だけでなく悪い意味も含めてバンドにも気を遣っているんです……性格もあるんでしょうけど。……でも、うーん、それも含めて単純に楽しくて、ここにきてようやく(笑)。きっと各々の考え方が微妙に変わったりして、今まで許せなかったことが許せるようになったりとか、きっとそういうことでしょうね」

小川「最初の頃は尾崎についていこうとしていて、尾崎も初めてでいろいろ考えてやらなきゃいけないことがあって、でも、俺らはそこについていけていないかもという想いがあって……その中でライヴをやって、作品を作っていくことによって、だんだんと今は大変な時期だからこういうふうにサポートしなきゃとか、俺らになんかできることないかなとか、そういうのが時間がかかったけどできるようになってきて。そういうところでよりちゃんとバンド4人でやっていく、やってきたことが残せているので」

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text by鹿野 淳

『MUSICA9月号 Vol.137』

Posted on 2018.08.15 by MUSICA編集部

どこまでも痛快に豪胆に突き抜けまくった
NICO Touches the Wallsの、光村龍哉の現在地にして、
かつてなく強く確信に満ち溢れた『TWISTER -EP-』。
断言します、今のNICOは史上最高最強です!

 

俺の中では不安と強気な部分が、他人には理解できないスピードで
目まぐるしく展開されてるんだなっていうことに気づいただけなの。
ただ、今は音楽的に、そのもの凄い複雑な自分に勝てるなっていう勝算がある

『MUSICA8月号 Vol.136』より引用

 

 

(前略)

■ちょっと話は変わりますけど、ここ1~2年くらいでのライヴにおけるみっちゃんの生き生き感は何なの?

「生き生き感……そんなに生き生きしてるように見えます?」

■見える。特に去年の夏くらいから、いい意味でドヤってるように見えるっていうか。肝が座った開き直り方ができてる気がする。

「そうなのかぁ。でもライヴにおいては、この2年ツアーも一緒にやってる浅野(尚志)くんも含めて5人でやってるんで。そこがひとつ武器になってるなって感じもあったし、もう1個音が入ったことで、俺がちゃんとヴォーカリストになれるための隙間が生まれたっていうのはあると思う。(略)でも、ドヤ感みたいなのは今年からじゃないかなって、俺は自分なりに分析してるけど。去年まではむしろ、自分の中の自分はあまりカッコよくなかった。すげぇいろんなことを気にしてたし、自分のスタイルをいろんな視点から模索してた。こう歌ったほうが自分の声がもっと太く聴こえるんじゃないかとか、こうやったらもっと長く歌えるんじゃないかとか、凄く細かいことをいろいろ考えてて。(略)でも、今年に入ってからそれがカッコ悪いなって思って。これじゃダメだ、と。策士策に溺れるじゃないけど、そういう感じになっちゃってんなと思って、いろいろやめようってなれたのは今年のライヴから。だから去年はまだ過渡期だった」

(略)

■じゃあ今年に入ってから割と心機一転っていう感じなの?

「心機一転というよりは、久しぶりに明確に自分に対してこれじゃダメだって思った感じ。どっちかって言うと『こんなはずじゃない!』っていう感じのほうが強かった。なんであんなに疲れてたのかとか、わかんないんですよ。たぶんいろいろ考え過ぎてたんだろうなって思ったから、ありのまま、反射的にやったほうがいいんだろうなっていう気持ちだったのかな」

■みっちゃんは割と常に考えてしまう傾向はあると思うんですよ。時期によって開き直るタイミングもあるけど、でもやっぱりいろいろ思い悩む中で紆余曲折することも過去にあったと思うし。その中で、ここまで「自分の反射神経を信じてありのままで」って行き切れてるのは、実は今回が初めてな気がするんですけど。そうなれたのはなんでなんでしょうね?

「…………なんだろうな」

■端的に言うと、強気なみっちゃんと、いろんなことを考えてしまうみっちゃんって常に同居してると思うんだけど、ここまで強気なみっちゃんが全面的に出てくる瞬間は少なかった気がするんですよ。

「まぁでもそんなにね、言うほど強気でもないですよ。今回でき上がった歌詞とか読んでても……できるだけありのままの自分に近いものを書いていこうってテーマでやってたから割とそのまま書いてるんだけど、それを見ても、俺の中では不安と強気な部分が、他人には理解できないスピードで目まぐるしく展開されてるんだなっていうことに気づいただけなの」

■確かに(笑)。

「だから俺も書き終わった後に『ああ、なるほどな』って……音楽的なものより、自分の中の文学的な部分で理解をして。で、そういうものが書けた後だと、やっぱりその自分と闘わなきゃいけないわけですよ。ただ、今は音楽的に、そのもの凄い複雑な自分に勝てるなっていう勝算があるんだと思う。音楽的に自信があるから、気持ちの部分で俺は俺に勝ってるんだよね」

(続きは本誌をチェック!)

text by有泉智子
『MUSICA8月号 Vol.136』

Posted on 2018.08.15 by MUSICA編集部

振り切った新しいロック桃源郷で弾け飛んでない!?
カップリングのメッセージ、さらに胸の奥に刺さらない?
KEYTALK、新しいのに「らしい」最強ソングにて、
4人の真夏のサドンデスマッチがキックオフ!

 

これまでも切なくて明るい曲はありましたけど、“Cheers!”は配分として
明るさに振り切れてる。そういうリード曲は今回が初めてだと思うんですよ。
その新しさが、もしかしたら今後の新機軸になるんじゃないかなって(小野)

『MUSICA8月号 Vol.136』より引用

 

(前略)

■“Cheers!”はもう、すべてが全開の曲ですけど、この曲はどういうふうに出てきたの?

首藤「この曲を作るにあたっては、ほんとに松岡修造さんの存在が大きくて。松岡修造さんから『一緒にやるにあたって顔合わせをしたい』と言っていただいて。そこでこのプロジェクトに懸ける想いを教えていただいて、そしたら、修造さんの言葉から『こういう曲がいいんじゃないか』っていうのが不思議と脳内に溢れてきて」

■Aメロからサビにかけてビート感が大きく変わっていくことも含めてリズム展開が多いし、ブリッジにはストリングスも入っている。歌詞にしても、「C.C.レモン」のタイアップに対してサービス精神が凄いよね。<ドキドキな炭酸>、<シュワッと刺激的な毎日>、<はじけ飛ぶイエロー>とか。その全部を3分23秒の中に詰め込んでいる曲で、ここまで詰め込んだアンセムも久々だと思ったんですけど。

首藤「確かに、言われてみればそういう感じですね。でも自分としてはそんなに詰め込んだ感覚はなくて。自然と出てきたものを散りばめただけっていうイメージですかね。特に頭を抱えることもなく」

八木「でも、全開な曲だって言われたのはシックリくる気がします。僕らとしても、ここまで開けた曲は意外と珍しい気がしていて。その上で、特にサビで義勝節というか――明るい曲なのに胸が締めつけられるようなメロディが出てきたりするし。義勝らしさを残したまま開けた曲ですよね」

■まさに。巨匠は“Cheers!”を聴いた時にどう思ったんですか。

寺中「もちろん『C.C.レモン』に繋がるイメージの言葉もそうなんですけど、曲全体として夏感があるのが印象的で。直接夏に結びつくワードはないのに、曲全体を通して感じるイメージは夏っていう」

■確かに、季語がないのに夏のイメージになるのは面白いね。

首藤「自分でも、でき上がってみて夏を感じたんですけど……これはたぶん、広瀬香美さんの“ロマンスの神様”現象ですね」

■ん?

首藤「ああは歌ってるけど、実はゲレンデが関係ない歌っていう(笑)」

■なるほど(笑)。

小野「とにかくかなり開けていて、これがKEYTALKのニュースタイルになっていく曲なのかなっていう気がしました。具体的に言うと、たとえばこれまでも切なくて明るい曲はありましたけど、“Cheers!”は配分として明るさのほうに振り切れていて、そういうタイプのリード曲は今回が初めてなんじゃないかと思うんですよ。その新しさが、もしかしたら今後の新機軸になるんじゃないかな?って。作ってる時にピンときたのは覚えてます」

■今回は『Rainbow』を出した後の処女作だし、新しいタームのキックオフソングでもありますよね。それは『Rainbow』っていう作品がエッジとダークネスも見せていく作品だったからこそ、逆にここまで屈託なく燦々とした曲を出したいっていうストーリーもあるのかなと思ったんです。

首藤「確かにそれはあると思います。もちろん『C.C.レモン』に書き下ろしたからこういう曲ができたとか、いろんなことが重なり合ってのことだとは思いますけど、でも実際、『Rainbow』があったことで、こういう開けた曲が生まれたところもあると思います。まさに今までもそうでしたけど、直近に作ったものとは違うことをしたくなるっていう流れで来ましたし。だから、僕ら自身もここからどう広がるのか楽しみなんですよね」

(続きは本誌をチェック!)

text by鹿野 淳

『MUSICA8月号 Vol.136』