Posted on 2014.10.17 by MUSICA編集部

きのこ帝国、至高の傑作の誕生で
遂に完全覚醒を果たす!

もっと音楽で人と繋がりたいなって思ったんです。
音で人を圧倒することよりも、
メロディを人が口ずさんでくれることの方が、
自分の中での重要度が上がってきた。
そう素直に思えるようになったんです

『MUSICA 11月号 Vol.91』P.100より掲載

 

■きのこ帝国のことはこれまでも最大限に評価をしてきたつもりだったし、今度のセカンドアルバム『フェイクワールドワンダーランド』も絶対に素晴らしい作品になることを信じて疑っていませんでしたが、ちょっと今回のアルバムはね、そういう冷静な感じじゃいられないほど、本当に好きで好きでたまらない(笑)。

「先月のMUSICAの原稿も読ませてもらいました。嬉しかったです」

■そこでも書きましたけど、音楽的にはこれまでと何か特別違うことはほとんどやってないにもかかわらず、アルバムとして一枚通して聴いた時に、バンドとしてここでとんでもない飛躍を遂げた作品だと思うんです。どうしてそういう作品が生まれたんだろうってことを、今日はじっくりと訊いていきたいと思います。

「確かに、今まで自分たちがやってきたことから大きく外れることはなく、でも新しいものを作れたのかなって実感がありますね」

■その「新しいもの」というのを、もうちょっと具体的な言葉にするならどういうものなんだろう?

「単純に言うと、メロディアスな曲。いい曲」

■これまでのきのこ帝国のサウンドは、広い意味で言うところのサイケデリックロックの範疇にあったと思うんですよ。で、歴史的にサイケデリックロックのひとつの効用というのは音を聴いて「ぶっ飛ぶ」ことであるわけですけど、今回の作品はサウンドもそうだけど、何よりもメロディのポップさに「ぶっ飛ぶ」んですよね。意識が飛んじゃうくらいポップな瞬間が、何度も何度もやってくる。

「今作のレコーディングに入る前に、『なんで自分は音楽をやってるんだろう? なんで自分は歌を歌ってるんだろう?』ってことを見つめ直したんですね。その時に思ったのは、自分が本当にやりたかったことは、単純にいい曲を書いて、いい歌を歌って、それを聴いた人が感動してくれたり、ふとした時に口ずさんでくれること。理想はそれしかないなって。それを今まで意識的にやっていたかというと、そうではなかった。だから、今回はそれを自分の中で強く意識した上で、メロディを書いて、そこに歌詞をはめていく作業をしていこうと思ったんです」

■これまで、そこを敢えてあまり意識してこなかったのは、どうしてなんだろう?

「これまでも歌を大事にはしてきたと思うんですけど、やっぱりバンドで出すサウンドが好きだったし、どちらかというとライヴを重視してきたバンドだったので、ライヴでいかにサウンドの高揚感を生み出すかっていうことにより意識が向かっていたんですよね。そこに関して、もうやり切ったとまでは言わないですけど、この先もそこを突き詰めていくのではなく、もっと音楽で人と繋がりたいなって思ったんですよ。サウンドで人を圧倒することよりも、自分のメロディを人が口ずさんでくれることのほうが、自分の中での重要度が上がってきたというか。もっとリスナーと近い場所で鳴っているような人間らしい音楽を作って、自分の曲を聴いてくれた人が、まるで自分のことのようにその歌のことを思ってくれたらいいなって、素直に思えるようになったんです」

■それは、レコーディングやライヴを重ねてきたことでバンドとしてひとつ段階を上がることができたから、次の段階として、歌に立ち返るようになったということですか?

「いや、バンドとしての次の段階というより、『自分が本当にやりたかったことに気づいた』と言うほうが正しいです」

■今話してくれたようなことを、バンドのメンバーに言葉で伝えたりはしたんですか?

「そういうのはまったくないです。今までも一度もない」

■そうなんだ(笑)。でも、佐藤さんのその「自分が本当にやりたかったこと」というのは、バンドである必然性はないことじゃないかってちょっと思っちゃうんだけど。あと、きのこ帝国というちょっとアンダーグラウンド臭のする名前さえも、もはや足かせになってくるんじゃないかって。

「バンド名は、変えたほうがいいかなって思ったこともあるんですよ」

■そうですよね。その場の成り行きだけで決まったって話を、前にしてましたよね。

「でも、他にいい名前も思いつかないから(笑)。それに、今のバンドのメンバーとは、10代の終わりから20代の前半という、きっと振り返った時に人生においてとても大事な時期をずっと一緒に歩んできたので。これまでもバンド活動と平行してやってきたように、ソロのことも考えてないわけではないんですけど、曲のよさとバンドサウンドが化学反応を起こして生まれるものというのが、自分にとってのゴールなんじゃないかなという気はしてます。音楽、特にポップミュージックには、バンドではできないこともありますけど、一方でバンドにしかできないこともあると思うから。きのこ帝国は、そのバンドでしかできないことをやる場所だと思っているので。そこの部分での葛藤だったり摩擦だったりというのは、自分の音楽への意識が変化していく中でも、そんなに大きいものではなかったですね」

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text by 宇野維正

『MUSICA11月号 Vol.91』

Posted on 2014.10.17 by MUSICA編集部

SHISHAMO、メンバーチェンジのあり得ない顛末
宮崎朝子の独白と3人全員インタヴューですべてを語る

Interview with 宮崎朝子

松本を含めた3人でやってきた青春が終わったんだなって思ったんです。
だから青春的なものとは違う次元に入っていかなくちゃいけないし、
ここから、いろんな人の期待に応えるために頑張らなきゃいけない

『MUSICA 11月号 Vol.91』P.86より掲載

 

■今年は初めて夏フェスに出て、バンドのステージが着実に上がっていることを実感したんじゃないかと思うんですけど。

「ステージが上がっているというよりは……今年初めて夏フェスに出たんですけど、『SHISHAMOを観に来ている』っていう人がたくさんいたのがびっくりして。夏フェスって、アーティストというよりもイベント自体を大事にしている人もたくさんいると思うんですけど、そういう人達にも受け入れられてるんだっていうことは凄く実感しました。最初は他のステージでやられている人も気になったんですけど、やってみて、『そんなに引けをとってない』と思えて。高校生の頃は、暑いのは嫌だし人ごみも嫌いだったから、『夏フェスに行く人の気が知れない』っていうくらいだったんですけどね(笑)」

■その「行く人の気が知れない」と思っていた人が自分達のライヴで楽しそうに盛り上がってる景色を見て――。

「いやぁ、『夏フェスなんて』って思ってた私が間違ってましたね(笑)」

■懺悔か(笑)。自分自身も楽しめたし、バンドの音楽もそういう場所で楽しんでもらえたっていうことが凄くよかったんだね。

「はい。でも、やっぱりそれは“君と夏フェス”っていう曲のおかげだなって思いました。たとえば、大阪のFM802のチャートで“君と夏フェス”が5週連続1位になったと先に聞いて、でもその凄さはあまりわからないままRUSH BALLで“君と夏フェス”をやったら、やっぱり圧倒的に盛り上がったんですよね。ラジオって凄いなぁと思って」

■ラジオが凄いなぁと言うのもいいけど、その盛り上がりの49%がラジオのおかげだとしたら、51%は“君と夏フェス”という曲の凄さでしょ。

「うーん……でもあの曲って、割と狙って作った感があったと思うんです。元々は『夏に勝っていくための曲』っていうより、ただ『夏の曲を作ろう』っていうだけだったんですけど。……私は友達が全然いないんで、『夏』と言っても誰かとどこかに行けるわけでもないから、今の自分に近い『夏』といえば夏フェスかなと思って、曲を作るための題材としてフェスを使った感じなんです……現に、この夏もフェス以外、どこも行けなくて(笑)」

■バンドとしてどんどん忙しくなってるってことだ。

「はい。最近の大体は、CDジャケットの絵を描いたり、曲を作ったりばっかりですね。特に最近は絵を描くことが多くて。だからずっと引きこもったまま忙しくて、何もしない時間がないし……休みたいです。ただ、今は休んだ瞬間に何か取り返しのつかないことになるんじゃないか?っていう恐怖があって、それと闘ってる感じなんですよ」

■それはどういう気持ちなの? デビューして1年が経とうとしている今、不安はどこにあるの? それはどういう夢があるから生まれるものなの?

「元々、デビューした頃から何かを夢見てやってきたわけではないし、本当に流れに乗ってるだけなんですよ。だけど今は、とにかく目の前のお客さん、聴いてくれる人と触れることが凄く多くなったんです。そういう機会が増えたことで、『夢を見ているからやっている』っていうよりは、『そういう人がいるんなら、やってもいいんだ』と思えているというか……。ただ、目標があったわけではないからこそ、この状況を『満たされている』とは思っていないんですよね。……やっぱり、私は凄く用心深いし、人が本当に私のことを好いてくれてるのか、信用できないところもあって」

■その用心深さって、実は宮崎の全部の歌の根本にあるものだよね。それは自分で気づいてるの?

「ああ、ほんとそうだと思います。だけどお客さんは本当に素直に私の曲を好きでライヴに来てくれるじゃないですか。だから疑いようがないし、今は人に対して少し欲張りになったかもしれないです。相手に求めることが多くなったというか。だから結局、そこが満たされないと、私は人を突き放しちゃうと思うんですよ。そうすると、どんどんひとりになってく感じがするんです」

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text by 鹿野 淳

『MUSICA11月号 Vol.91』

Posted on 2014.10.17 by MUSICA編集部

凛として時雨、最響
再び鳴り始めたその純潔なる世界

「凛として時雨3人で出してる音だからいいんだ」
っていう慣れ方をしたくない。そうじゃなくて、
初めて聴いた時に電気が走るような感覚に賭けたいんです
(TK)

『MUSICA 11月号 Vol.91』P.92より掲載

 

■久しぶりなんですよ、ウチで3人でインタヴューやるの。

TK(Vo&G)「いつぶりでしたっけ?」

■メジャーデビュー以来です。

TK「え!」

ピエール中野(Dr)「そんなぶりですか!」

■そうなんです。なので楽しみにしていました。早速ですが、凛として時雨として1年7ヵ月ぶりとなるシングルがリリースされます。こっち側にはなんとなく復活感があるんですけど、自分達ではどうですか?

TK「でも、個人的には止まってた感覚もないんで……リリース活動やライヴ活動がまた始まるなっていうタームでしかなくて(笑)。元々時雨の活動自体、思いついた時にリリースしたり、リリースが少ない中でライヴをやってたりしたので、止まってる感覚っていうのは僕はなかったですね」

345(Vo&B)「私もあんまり止まってるっていう気持ちはないですね。3人で時々スタジオとか入ったりもしてましたし……春ぐらいだっけ? スタジオ入ったよね」

TK「そうだね。まぁちょこちょこ会ってたりもしたんで」

■ということは、ずっと続いてる感じなんだ?

345「ずっと一緒ですね。ふたりもいつも通り接してくれるんで(笑)」

TK「よそよそしくはならないでしょ(笑)」

■いや、案外そこは重要ですよね(笑)。ピエールはどうですか?

ピエール「僕は久しぶりだなっていう感じはありますけどね。止まってたという感覚も特にないんですけど、でも久々感はあるというか」

■今日3人でインタヴューしたいと思ったのは、3人それぞれに凛として時雨以外の活動を経て再び一緒にやるというタイミングだったので、その辺の話を聞きたいなと思って。まず345さんは、yukihiro(L’Arc~en~Ciel)と百々(和宏)と一緒にgeek sleep sheepというバンドをやったり、ナカコー(Koji Nakamura)のバンドに参加したり、いろいろな形でセッションをやって凄く新鮮な体験をされたと思うんです。まずそれはどうだったんですか?

345「えっと、あの、凄く楽しく……それぞれやってるんですけど……(TKとピエールに向かって)なんで笑ってるの?」

TK「いや、たどたどし過ぎるなって(笑)」

ピエール「前よりたどたどしいよ(笑)」

345「確かに……」

■全然大丈夫だから(笑)。

345「あの……私は最初にベースを始めたのが時雨だったので、時雨以外でベースを弾くってどうなんだろう?と思って、凄い緊張してたんですよ」

■それは「やってはいけないんじゃないか?」みたいな話?

345「じゃなくて、自分の技量的に他の人とやってできるのかな?みたいな。結構TKと中野くんに守られてじゃないですけど(笑)、いろいろ手助けしてもらいながらやってきてたので、ひとりでベーシストとして他のところに行った時にできるのかっていう不安が凄くあったんです」

■逆に言うと、ご自分の中でそう思っていたからこそ、門外試合っていうか、外でも挑戦したいなっていう気持ちもあったんですよね?

345「いや、挑戦したいなっていうのは自らはなかったんですけど(笑)。でも、お話をいただいて、やってみたいなと思って」

■で、いざやってみたらどうだったんですか?

345「知らぬ間に……TKにちゃんと育ててもらってたなって(笑)」

一同「ははははははははははははは!」

ピエール「なんの話だよ(笑)」

345「『あ、大丈夫だったな、ありがとうTK』って思いました(笑)」

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text by 鹿野 淳

『MUSICA11月号 Vol.91』

Posted on 2014.10.16 by MUSICA編集部

KEYTALK、この勢いはもはや誰にも止められない!
最強にして最狂のアッパーソング、堂々誕生!!

まだまだアゲれるし、もっとぶっ飛んだ方向に進めるんじゃないか……
そういうモヤモヤした空気感があったけど、
それをチーム全体で拭うことができたと思います。
今の僕らが振り切れるだけ振り切った感じがありますね

『MUSICA 11月号 Vol.91』P.80より掲載

 

■タイトル曲の“MONSTER DANCE”が、もう本当にこのバンドらしいお祭り感ある曲で。四つ打ちから祭囃子、サンバ、ラガマフィン、アラビア音楽となんでもアリで次々展開していくんですけど――。

首藤義勝(Vo&B)「この曲、できたのは他の3曲がもう出揃ってる状態で」

■この曲が一番最後にできたんだ?

首藤「はい。シングルを出すにあたって、表題曲に向いてる曲が欲しいねっていうことをチームで話し合って。そこで『表題曲っぽい曲ってなんだろう?』みたいなことを考えながら、結果、こういうパーティチューンを作るに至ったんですけど」

■他の3曲ができてて、最後に表題曲になる1曲が欲しかったっていうのは、もっと一発でパーンッ!と顔になってくれるキラーチューンが欲しいとか、そういう話し合いだったんですか?

首藤「そうですね。キラーチューンっていうのも大きなテーマではありました。せっかくシングルで出すっていうことなので、1曲で如何にインパクトを与えられるか?みたいなことを考えながら――大元のイメージとしては、このタイミングはどっちかって言うと歌モノでメロディが際立ってる曲を書いたらいいんじゃないかって思ってたんですけど、収録曲のバランスもそうだし、2曲目の“エンドロール”がテレビCMで盛り上がっている状況がすでにあったので、どうせだったら“エンドロール”とは違う、もう片方のKEYTALKを見せれて、かつパンチのある曲を作れたらいいなって思って、こういう曲調になりましたね」

■“エンドロール”は、今言ってくれた通り、CM曲としても流れてますが、寺中さん作曲らしいメロディアスで切なさを帯びた90年代の歌謡曲を彷彿とさせるポップナンバーですよね。

寺中友将(Vo&G)「これは最初、メロディを作るところから始めたんですけど、当時、女の子にフラれて悲しみの絶頂に立っていて」

一同「(爆笑)」

■それは、リアルな私生活の話?

寺中「はい(笑)。自分で髪むしりまくり、顔面殴りまくり、みたいな。自分を傷つけて、心がズタズタになってたんですけど(笑)、その時に『こうしちゃいられない! どうせこんな悲しいんだったら、このエネルギーで曲を作ってやる』って思って。その時にアコギをジャカジャカ適当に弾いてて、このメロディが出てきましたね」

■そうやって感情を吐き出す曲の書き方をすることって普段から多いんですか?

寺中「はい。半分ぐらいは自分の感情に任せて作ることが多いですね」

八木優樹(Dr)「たぶん、そういう寺中さんの内面的なものが出てくるんでしょうね。この曲、合わせた時にちょっと泣きそうになりました(笑)。Aメロ、Bメロって進んでって、サビが来た時に『ウワーッ!!』ってなるんですよ……共鳴したんでしょうね」

■小野さんは? “エンドロール”を初めて聴いた時にそういう感じってありました?

小野武正(G)「最初デモだけ聴いた時は、巨匠の作ってくる曲の中でも、今までとタイプは似てるんですけど、その延長線かと思いきや、その中でひと際輝いてるってイメージだったんですよ。今までの完成形というか、さらに際立ってるなっていうイメージがあって。で、後でそうやって感情的に作ったっていうのを聞いて、やっぱりそういうのって曲に出るんだなって素直に思いました。凄いキャッチーだけど、切なさもあって」

首藤「僕も最初聴いた時は、凄い綺麗なメロディだなと思ってて。僕のツボ的に凄い好きなメロディで……まさかそんな話があったとは(笑)」

小野「ははははははは」

首藤「だから、ビックリしました。自分の髪をむしったとかって話を聞いて、すげぇバカだなって思ってたんですけど(笑)。でも、まさかそういう事件でこんな美しいメロディが書けるとは思ってなかったんで。ある種、才能だなって思います(笑)」

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text by 寺田宏幸

『MUSICA11月号 Vol.91』

Posted on 2014.10.16 by MUSICA編集部

祝・SPACE SHOWER TV開局25周年!
記念ソングユニットThe Shower Club結成!!!
サイトウ“JxJx”ジュン×川上洋平×ROY 鼎談

JxJx「フロントマンだけが集まるユニットって、
結構な異常事態なんですけど。だから正直、
このユニットも最初は未知数なところがあって」
ROY「確かにフロントマン同士って、
一見危ない組合せだと思いますよね(笑)」
川上「結果的に、今までにないセッション感を体験することができて。
たぶん二度とできないと思う(笑)」

『MUSICA 11月号 Vol.91』P.64より掲載

 

■今回スペースシャワーTVの開局25周年に際し、3人がスペシャルユニットを組んでアニヴァーサリーソングを作ったということで。フロントマン3人のユニットって、かなり珍しいですよね。

川上「そうなんですよ。でもこの話が来た時は、もう最初から大船に乗った気持ちでいましたね。だって、どう考えてもJxJxさんがリーダー役なのは間違いないし、そこは頼りがいがある方なので、俺とROYくんはもう『JxJxさんという大船に乗っかって行こうぜ!』みたいな(笑)」

ROY「まさに。JxJxさんは、僕は中学校の頃から日本で一番――いや、世界で一番好きな男性なので」

■え、好きな男性!?

JxJx「ちょっと、わけわかんないことになってるけど大丈夫?(笑)」

ROY「大丈夫ですよ! まぁ世界はまだ細かく見渡せてないですけれど、でも日本で言ったら間違いなく一番センスのある男だと思ってるので。ほんと、僕はJxJxさんのことはずっと崇拝してるんですよね。で、洋平くんとは世代も近いし、この企画が始まる直前に僕らのツアーで何本か一緒にやって、お互いに仲間意識も芽生えた直後だったので。だから、凄くいい組合せの中で制作をさせていただいたなと思っていて。凄くやりやすかったですね」

■JxJxさん、さっきから「大船に乗った」とか「世界で一番センスのある男だ」とか、かなりアゲられてますけど(笑)。

JxJx「ヤバいですね(笑)」

■JxJxさんから見たふたりの印象はどういうものだったんですか。

JxJx「洋平くんは、僕の番組のゲストに来てくれたのが出会いだったんですよ。その時の印象は、とにかくいい声だなっていう。しかも、筋肉が柔らかそうだなって思って」

■筋肉が柔らかい?………それはどういう意味で………?

JxJx「いやいやいや、変な意味ではなく!」

■(笑)。

JxJx「声の質感的に、柔らかそうな筋肉を持ってる人の声だなと思って」

■それはつまり、ヴォーカリストとしていろいろなタイプのものを歌いこなせる資質を持っているっていうような感じですか?

JxJx「それはありますね。いろんなオケにハマるだろうし、いろんな表現ができる人だろうなって。それって自分にはないものなんで、凄いなと思って。あともうひとつ、その時は凄くハンサムというか、スマートな人だなと思ったんですよ。ところが、今回こうやって曲を作りながら一緒に時間を過ごしていくと、実はお茶目な人なんだなということが判明して(笑)」

川上「はははははははは」

JxJx「だから、なかなか奥深いキャラクターなんだなと思いまして。そういうギャップがあると、そりゃ好きになっちゃいますよね」

川上「ありがとうございます(笑)」

JxJx「いえいえ(笑)。で、ROYはそれこそもう長いつき合いですから。でもその中で、最近はレコーディングに呼んでもらう機会もあったり、今回のことにしてもそうですけど、今までとは違う形で音楽を通して絡めるのも面白いなって思って。ちなみにROYの印象としては、ROYも凄いハンサムなんですけど、ちょっとおかしい(笑)」

ROY「おかしい!?(笑)」

JxJx「ちょっと変わってるんですよ。そこが魅力だなって僕は思ってて。だから、洋平くんとROYはそれぞれタイプは違うんですけど、ふたりとも第一印象+αの部分が凄くあるなぁと思っていて。そこが魅力的だし、そういう部分が今回の曲でも出せるといいなと思ったんですけど」

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text by 有泉智子

『MUSICA11月号 Vol.91』

Posted on 2014.10.16 by MUSICA編集部

グッドモーニングアメリカ、僕達が今生きる場所――
金廣真悟が『inトーキョーシティ』で今最も歌いたかったこと

「みんな、コップ使ったことあるよな」とか
「みんな、カメラ使ったことあるよな」とか――
極端に言えばそれくらい普遍的なことしか歌ってないんだと思うし、
それが希望だとしても、痛みだとしても、
本当のことであればいいって思ってる

『MUSICA 11月号 Vol.91』P.72より掲載

 

■本当に素晴らしい作品だと思いました。

「お、ありがとうございます!」

■純粋にグッドソング集としても素晴らしいし、金廣さんの持っている人間観だったり、生活だったり、痛みだったり、希望だったり――それが、言葉だけじゃなく音楽として鮮やかなポップソングに昇華されている作品だと感じて。金廣さんとしては、どういう手応えを持たれてますか?

「ああ、確かに表現することが上手くなったなぁというか――自分の身近な、小さなことをピックアップして歌にするっていうことが上手くなったのかなって思いますね。それは呼人さん(寺岡呼人/“イチ、ニッ、サンでジャンプ”からプロデューサーとして参加)と出会ったことで歌詞の書き方がより具体的に変わったことが大きいと思うんですけど。そういう自分の小さな想いだったり、小さな悩みだったり、小さな景色みたいなものから大きなことを歌っていくっていうのができるようになってきたというか」

■その「小さなことから大きなこと」っていうのをもう少し具体的に言うと、どういうことですか?

「自分の生活からピックアップして歌にしていくっていう大枠でのテーマは変わってないんだけど、今回作った曲っていうのは、ツアー中とか、より自分の身近な環境の中で書いた曲が多いから、ピックアップしていく身近なものが、さらに小さくなっていったと思うんですよ。誰にでも当てはまるような身近なものから、その身近なものの中でも大きなテーマ――たとえば『何故生きて、何故死んでいくのか』みたいな大枠のところに繋がっていくっていう……そういう振り幅とかギャップが大きくなったと思うんですよね。だから、言ってくれたように、俺っていう人間がより深く伝わる作品になったのかなって思いますね」

■そういう歌を込めた作品にしたいっていう意図がそもそものイメージとしてあったんですか?

「うーん……それは結果としてっていう感じかな。曲の作り方も変わっていないし、結局、歌詞先行で作った曲は“スクランブル交差点”くらいだし。歌の部分だと、まずはオケに対してふっと出てきた適当な言葉を掘り下げてテーマが決まっていくっていう作り方で。たとえば“inトーキョーシティ”だったら、オケに対して適当に歌っているうちに<被害者><加害者>っていう言葉が出てきたところから『それは、自分にとってどういうことなんだろう?』『何を歌いたくて、何に繋がるんだろう』って考えて掘り下げたり、“アブラカタブラ”だったら<平成>っていう言葉が出てきて、『平成って何だろう?』って考えて掘り下げていったり――その結果として、小さなことから大枠のことまで繋がっていく歌になったと思う」

■今おっしゃった、最初に出てくる適当な言葉っていうのは、曲に呼ばれるっていうか、曲の喚起するイメージによるところが大きいんですか?

「そうだと思う。これはいつものことではあるんだけど、曲中の設定とか、曲を書いた時の環境や自分の状態、そういうものにピッタリとくる言葉を探していく感じなんだけど――」

■それで言うと、どれくらいの時期・環境で作った曲が多いんですか?

「大体が6月のツアー中に作った曲なんだけど――こうして見ると時期的には結構バラバラな曲も入ってる。たとえば“スクランブル交差点”とかは、グッドモーニングアメリカになる前(前身バンドのfor better,for worse)から原型があった曲だし、“夕暮れ”は、ほぼ完成した状態で『ウォールペーパーミュージックじゃ踊りたくないぜ』の頃からあった曲で。“inトーキョーシティ”は、書初めみたいな感じで今年のアタマに書いたから、比較的新しい曲なんだけど」

■つまり、より金廣さんの「生活」に近いところで生まれていった曲が多いということですよね。書くことが小さくなっていったっていうのは、そういうことなのかなと。

「そうだね。だから、書くことがより俺の見た身近なものっていう感じになってるんだと思う」

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text by 矢島大地

『MUSICA11月号 Vol.91』

Posted on 2014.10.15 by MUSICA編集部

ONE OK ROCK、過渡期の横浜スタジアム2days
そこに賭けたバンドの意志を紐解くクロストーク

海外進出という過渡期真っ直中に行われた
久しぶりの「ホーム」ライヴにして、初の野外スタジアムライブ2days。
そこに賭けたバンドの意志とは何だったのか。
ONE OK ROCKの今と進化を徹底クロストーク!

『MUSICA 11月号 Vol.91』P.48より掲載

 

有泉「1年と3ヵ月ぶりですよ。年末もこの夏もいくつかフェスに出ているからライヴは観ていましたけど、でも日本でのワンマンは2013年5~6月の『人生×君=』ツアー以来、(正確には2013年10月に『東北ライブハウス大作戦 ACOUSTIC TOUR』を行っていますが、通常のライヴセットでは)1年と3ヵ月ぶりで」

鹿野「そうだよね、長いセットのONE OK ROCKを観たのは久しぶりだなって、中盤のアコースティックコーナー辺りで感じたもん」

有泉「彼らは基本的に現場で大きくなってきたバンドだし、これだけ長い間、国内でワンマンやらなかったのはデビュー以来初めてなんじゃないですかね。もちろん、その間にヨーロッパ&アジアツアーをやったり、今年の6月にはWARPEDツアーに参加してアメリカを回ったり、バンドとしては変わらないペースでライヴをやっていたわけですけど。ただ、日本のファンにとっては本当に待望のワンマンでしたよね」

鹿野「これ、関東圏内だと横浜アリーナでやって以来のワンマンになるんだよね?」

有泉「そうですね。あの3デイズ以来」

鹿野「別に横浜出身でもないのに、なんで横浜にこだわるんだろうね?」

有泉「……鹿野さん、自分が横浜出身だから縄張り意識を持ってるんですか? 横浜という地にこだわっているわけではないような気もしますけど」

鹿野「いや、思ったのは、横浜スタジアムって関東圏でいうと東京ドームに行く前のひとつの布石の場所になりつつあるんじゃないかなぁと思って。実際、今ONE OK ROCKが東京ドームでワンマンを開いたら興行的にも成功すると思うんだけど、まだバンドとして過渡期であるということを位置づけた上での横浜スタジアムライヴだったと思うんだよね、今回のは。実際にレコーディング含めて海外進出を長期にわたって果たしている中での、新しいところへ向かう挑戦の季節のライヴだったわけだし」

有泉「この後も10~12月には南米&ヨーロッパツアーが控えていますし、バンドとしては非常に挑戦的な時期を過ごしている最中ですからね。だから今回の横浜スタジアムでのライヴは、もちろんスタジアムバンドという次のステップへの布石という意味もあったでしょうけれど、そういう『次のONE OK ROCKはこれだ!』という感じを打ち出すというよりも、久しぶりに日本で行うワンマンだからこそ、ファンがなるべくチケットを買える場所でライヴをしたいという意味合いが強かったんじゃないかなと。ライヴの内容的にもMCで放たれるファンへの言葉にしても、そういう印象があったんですけど」

鹿野「そうだよね。で、有泉は初日を観たんだよね? 僕は2日目なので、まずは初日の感想を」

有泉「まずひとつには、『ここがホームである』ということを確認&宣言するライヴだったと思いました。言い方を替えれば、バンドが次へと進むための――実際はもう進み始めていますけど――盤石な基盤をもう一度きっちりと固めるためのライヴというか。去年から精力的に始めている海外でのライヴや今年に入ってからのアメリカでのレコーディングなど、ONE OK ROCKはワールドワイドで活躍するバンドへのキャリアを、試行錯誤しながらも歩み始めているじゃないですか。そうやってより大きな視野で挑戦的な活動を展開し始めたバンドが、自分達のホームを確認することのできたライヴだったんじゃないかと思う。Takaのオーディエンスに対するMCも、グラウンド真ん中のステージで、割とユルいMCを交えながらのアコースティックセット含めたライヴの運び方も、そういう印象が強かったですけどね」

鹿野「なるほど。2日目は、お客さんが若かった」

有泉「それは初日だってそうですよ!」

鹿野「いや、そうじゃなくて。僕が言いたいのは、今ロックバンドがスタジアムでライヴをするにあたってこれだけ世代の幅が少ない観客、つまり、ほぼ10代から20代前半の観客で2日間6万人の規模のライヴをやり切ったというのが凄いなと思ったんだよね」

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text by 鹿野 淳×有泉智子

『MUSICA11月号 Vol.91』

Posted on 2014.10.15 by MUSICA編集部

サカナクション、苦悩の果ての名シングル
完成最速インタヴュー!

期待されているものを作れないし、作りたくない。
だけど、それに代わるものを生み出したいっていう感覚――
そのために何を失って、何を手放していくのか、
そして何を得ていくのかっていうのをずっと考え続けている

『MUSICA 11月号 Vol.91』P.38より掲載

 

「なんか久々だね」

■ちゃんとしたインタヴューは今年になって初めてです。

「そっか。前は大晦日だ。っていうか、紅白の時だ(笑)」

■そう。ぶっちゃけた話、間が空くと思わなかったんだけど(笑)、何よりも“さよならはエモーション”が本当に素晴らしい1曲で。

「イェーイ! よかった?」

■もの凄くよかった。客観的に聴いて、この曲は僕は“アイデンティティ”以来のイケメンソングだなと思う。

「イケメンってどういう意味ですか?」

■ヒットしそう。

「ウソ!? 本当に? どういう点でですか?」

■気持ちがもの凄く人に伝わる音と言葉になっている、今の状況に対して凄く的を得ている、そして楽曲自体もしっかりしているっていういろんな意味で。今“アイデンティティ”って言ったのを誤解されないように言うと、決してああいう快楽的な部分がある曲じゃないし、非常にセンチメンタルな曲なんだけど、素晴らしい大衆的な名曲だと思う。

「あぁ、よかったぁ。この曲、曲として今までみたいに派手な部分がないオケだったんですよ。だから言葉をちゃんと筋書き通りに書けないと曲として地味な曲で終わっちゃうだろうなと思ったし、メロディと曲構成が尻上がりなんで、言葉もちゃんと今の自分として尻上がりに書き切らないと伝わらないだろうなっていうのがあって、凄い迷ったんですよね。でも、作り上げてみて……まぁ、もっと時間あればもっと書きたかったけど」

■はははははははははは、これだけ時間かけておいて、それを言うか!

「(笑)。でも、瞬発的に書いたっていう部分では、後半にかけての部分はやり切ったなと思いましたけどね。1番の<レシートは捨てた>まででこの曲は決まるなって思って。ここが生まれるまでにギリギリまで時間かかった。ここから先はほぼ1日半で書いた」

■そこに至るまでのいろんな話を聞いていきたいんですけど。まず、“さよならはエモーション”の原型は去年、東進のCM曲として作ったもので。あの時にすでにAメロとCMで流れてる30秒のサビと両方あったと思うんですけど。でも、シングルにしなかったよね。僕の記憶だと、シングルにしなかったのは別にこの曲に対してネガティヴを持っていたからではなく、“グッドバイ”っていう曲への想いが強かったが故にこの曲を完成まで仕上げることができなくなって、1回制作を止めた。これは合ってる?

「合ってます」

■結果、“グッドバイ”がシングルとしてリリースされ、アルバムへの長い旅が始まったと。その時点では、この曲はどうしようと思ってたの?

「その時点で“蓮の花”のタイアップの話はもう動き始めていて、次にもう1回シングルを出すっていうのは決まってたんです。そこに“さよならはエモーション”が入るか入んないかっていうのは、実はまだ確定してなかったんですね。でも、“蓮の花”の制作が長引いた結果、もう1曲作る時間がなくなって。それで“さよならはエモーション”を成就させるっていうところに完全にシフトして、アレンジに入っていったんですよ」

■アレンジというか、ほとんど作り直すに近い感覚だと思うんだけど。そこに至るまでの“さよならはエモーション”ってどういうものだったの?

「本当にCMのために作ったメロディだったんですよ。CMに提出した時はサビだけだったから、曲の全体像はなかったんですよ」

■Aメロはあったよ。

「まぁあったけどね。一応AメロもBメロもサビもあった。だけど、提出した時には、サビの前の部分は詰めてなくて。つまり曲全体は完成させずに、サビの部分だけを完成させた状態で提出したの。そういうことを今までやったことがなかったから、そこから改めて曲を完成させていくことが凄く難しくなっちゃったんですよ」

■一郎は、本来的にそういう職業作家的な作り方ができない不器用の果てにいるアーティストだからね。

「そう。でも、だからと言って、あのままナシにはできないことだし、絶対曲にしなきゃいけないなっていうところもあったし、かと言って『これを楽曲にするにはどうしたらいいんだろう?』っていうのもあったし……正直億劫っていうか、忘れたかった。でも、メンバーでリハ入ってセッションした時にいろいろ見えてきて、そのうちに方向性も決まってきて……最初はAメロはメロディだけじゃなくて、ラップみたいな形だったんですよ。そういう形で曲として逃げるじゃないけど、ちょっとアンダーグラウンドなほう、飛び道具的なほうに持っていくっていうところに逃げようとしたこともあって」

(続きは本誌をチェック!

text by 鹿野 淳

『MUSICA11月号 Vol.91』

Posted on 2014.10.15 by MUSICA編集部

ゲスの極み乙女。――今最も新しい日本の音楽シーンの顔、
そのすべてがわかる全20ページ「ゲス白書」!
Section 1. 川谷絵音ソロインタヴュー

僕らは自分達で何もしなくても
勝手にエンタメ性があるバンドだって気づいたんです。
だから、逆に音楽にエンタメ性を求める必要がないなって思ったし、
もっと自分の本当の中身を出して、ちゃんとした音楽にしたかったんです

『MUSICA 11月号 Vol.91』P.18より掲載

 

■本当にゲス印が満載なアルバムになりました。前回の『猟奇的な(キスを私にして)』のインタヴューの時にも、「このアルバムを出したらバンドを辞める人が続出するだろうし、これでひとつのシーンが終わるんじゃないか」っていうふうに話してくれたんだけど。

「そうですね(笑)。自分達の中では金字塔的な作品だと思いますね。今もまた新曲作ったりとかしているんですけど――」

■また!? どっちの新曲なの?

「ゲスのほうです。まぁ、indigo(la End)も作ってますですけどね(笑)。けど、まだまだイケるなっていうか。この作品をずっと繰り返し聴いてて、それでまだまだいろいろできるなって気づいたこともあったんで」

■そういう意味ではさ、一番最初の『ドレスの脱ぎ方』を出してから、まだ1年半強しか経ってないんだよね。今、indigoもフルサイズのアルバムを作ってると思うし、バンド以外への楽曲提供も盛んにしてるし、異常な楽曲数だよね。

「そうですね、もう今年何曲作ったか覚えてないです(笑)。でも、これまでもずっと曲を作ってはいたので曲を作るペースとしては今までとあまり変わらないというか。ただ、『これをよしとする』とか『これは曲として出していい』っていう基準は変わりましたね。最近は『ここまでやらないと出せない』みたいな基準を設けているので」

■その、昔と今で自分の中でのハードルが違うっていうことは――絵音くん自身、世の中のいろんな楽曲を自分なりにセンサー働かせて聴いていたし、それだけの曲を作ってきた中で世の中の楽曲を分析したり、批評してきたと思うんだよね。

「そうですね」

■そういう自分自身がこの1年半の中でソングライターとして進化していて、その進化してる自分とプロデューサーとして分析してる自分とが追いかけっこしながら自然とハードルが上がっていったっていう感じなんですか?

「というよりは、今はやらないといけない状況にあるから、だんだん洗練されていくというか……自分の中で明確に『これ!』っていうものが見つかるんですよ。ポップスイッチみたいなのが入ってきて。今回は結構スイッチを入れて作ったんで、今までとは全然違うものができたと思います」

■今回の曲って、今までの曲とはレベルが全然違うし、総じてドラマ性が強いですよね。要するに、今のお話でいくと、自分の中でポップなスイッチが入ったことによって、絵音くん自身のモードも変わったっていうことですよね。絵音くんの中でどういうポップが自分の中に見つかって、それをどういうふうに噛み砕いてこういう作品になっていったんですか?

「“猟奇的なキスを私にして”を作った時に思ったんですけど、ゲスの極み乙女。が持ってる他3人のプレイヤビリティを――今までは無理に誰かをフィーチャーしたりしてたんですよ。たとえばショパンを入れたり、ベース(のソロパート)を入れたり。でも、あんまりそういうことをしなくてもゲスの極み乙女。になるなっていうのをシングルで確認できたんです。今までは名前に引っ張られて批評性を出したりもしていたんですけど、もっと個人的でもいいというか。だから、歌詞も今回は内省的なものが多いんですけど」

■っていうか、今回の曲は全部内省の極みだよね。

「そうですね(笑)。もっと自分を出したくなって」

■それは、何をもって絵音くんの中でそういう気持ちになっていったんですか?

「本当の話をすると、これまで課長(休日課長/B)が仕事をしながらバンドやってて。その時まであんまりこのバンドにスイッチが入り切らなかったんですよ。自分の中で――」

(続きは本誌をチェック!

text by 鹿野 淳

『MUSICA11月号 Vol.91』

Posted on 2014.10.15 by MUSICA編集部

ゲスの極み乙女。――今最も新しい日本の音楽シーンの顔、
そのすべてがわかる全20ページ「ゲス白書」!
Section 2. メンバー3人初インタヴュー

休日課長「最初の頃は『ちょっとスタジオで遊びません?』
みたいな軽い感じで、ふわっと始まったんです。結束してたわけでもないし」
ちゃんMARI「っていうか、バンドっていう概念もそんなになかった(笑)」
ほな・いこか「私は事後報告でバンド名を知らされて、
『何言ってんだ?』って思いました」

『MUSICA 11月号 Vol.91』P.33より掲載

 

■(冒頭略)この4人が出会ったのが2015年の5月で。

ちゃんMARI「はい、初めてスタジオに入ったのが2012年の5月です。対バンしたのが、その前の年の7月だったかな? マイクロコズムとindigoとCrimsonで一緒にやって」

いこか「そうだ。その前から対バンはしてたんですけど、元々知り合いで。私、Crimsonは観たことなかったんですよ。で、下北沢ERAの店長と『Crimsonってバンドめっちゃいいよ』っていう話をしてながら、7月に下北沢でERAで、マイクロコズムの企画で、課長がいた頃のindigoとCrimsonと他3バンドぐらいに出てもらって。全員が会ったのはそこが初めてだと思います。でもその頃には課長、辞めるって決まってましたよね? だから、ラスト2回か3回ぐらいのライヴみたいな感じでしたね」

■最初にゲスのゲの字が出てくるまではどういう流れだったんですか?

ちゃんMARI「そっからTwitterでいこかさんが川谷くんと――」

いこか「そう。私はもう1個ぐらいバンドやりたいなって思って。いろんな人とスタジオ入ってみたいなって思って、『バンドやりたいな』ってつぶやいていたら、『やろうよ』って川谷さんからリプライが返ってきて。しかも『課長連れてくよ』って言ってくれて。そのまま半年くらいは何もなかったんですけど――半年後にindigoのライヴがあって、ベースが課長から変わって、女性の方が入った初めてのライヴで。それを観たいなって思って観に行ったら、そこで本当にやろうよって話になって、『じゃあ、課長連れてくよ』って話に再度なって。本当は3人で入ろうとしてたんですけど、元々ちゃんMARIともバンドやろうよっていう話に偶然なって、もうひとりと3人で何回かスタジオ入ったりしてて。でもそれが自然消滅しちゃったので、ちゃんMARIも誘ってみようと思って、『キーボード連れていきます』って言って。それで4人で下北沢で入ったのが最初ですね」

■そこでセッションやったの?

いこか「ちょっと音合わせただけなんですけど、しっとりした歌モノみたいな感じの曲をやってて。『まぁ……楽しかったねぇ』みたいな感じでしたけど(笑)」

■全然楽しそうじゃないね。

課長「そんな楽しそうじゃない感じだったね(笑)。『ご飯どこ行こう?』みたいな」

ちゃんMARI「うん。ご飯が楽しみでしたよね(笑)」

■課長は、絵音くんにどう口説かれてそこに行ったの?

課長「『ちょっとスタジオで遊びません?』みたいな軽い感じですね。当時は働きながら、地元のおじさんとかと一緒に小学校でライヴやったりしてて。『バンド続ける?』みたいな話も別になかったんで、ふわっとした感じでしたね。しかも、最初、ほな・いこか来なかったんですよ、ご飯に。もうその瞬間ガッカリですよ」

■は?

いこか「そうそう、用事があって行けなくて(笑)。……バンド名って、1回目から決まったんだっけ?」

ちゃんMARI「その時のスタジオに入った後のスパゲッティ屋さんで、『バンド名どうする?』みたいな感じになって。『せっかくやるし、なんかつける?』みたいなノリで。それが私の持ってたトートバッグがネタになって決まったってやつなんですけど(笑)。本当に冗談で、『これは?』とか言ったら、『いいじゃん』って川谷くんがなって」

いこか「私は事後報告でメールで知ったんで(笑)。『何言ってんだ?』って思いましたよ(笑)」

課長「正直、僕は後ろ向きでしたね。でも、川谷がそう言ってるし、逆らえないなって……」

一同「はははははははははははははは!」

ちゃんMARI「『本当にこの名前でやるのかな?』って思ったよ(笑)」

課長「でも、あの時後ろ向きなこと言わなくてよかったって思う」

いこか「でも、言っても変わんないですけどね。私、1回『いや、これはなくないですか?』とか言ってたんですけど、2回目のスタジオの時に入った時には決まってたから(笑)」

■当時はこのバンドに魅力とか未来を感じていた人はいたんですか?

いこか「私は特に……」

ちゃんMARI「っていうか、バンドっていう概念もそんなになかった(笑)」

課長「確かに。結束してたっていうわけでもないもんね」

ちゃんMARI「全然他にやりたいこといっぱいあったし。たまに息抜きする感じでスタジオに入るのが楽しいなっていうぐらいでしたね」

■当時のみんなにとって、川谷くんはどういう存在だったんですか?

課長「結構人の強みを引き出すのが上手いっていうか。しかも、本人が気づいてないところを拾って、それを育てるみたいなところがあると思います。他のメンバーに対しても、ちゃんMARIのいいところとかほな・いこかのいいところを上手いこと引き出していて、凄いなと思います」

いこか「元々indigoとマイクロコズムっていう知り合い方をした時から、やっぱ違う感じがしたんですよね、その界隈の中で。indigoのことは結構好きだったんですよ。曲ができるスパン早いし。『今日は新曲しかやりません!』みたいなライヴとかあったりして、『1曲もわからない! でもカッコいい!』みたいな(笑)。『バンドやりたいな』って言った時、まさか返事が来ると思ってなかったので、『やった!』みたいな。その時は本当に友達っていう感じだったんですけど、こんなセンスある人と一緒にできて嬉しいなって思いましたね」

(続きは本誌をチェック!

text by 鹿野 淳

『MUSICA11月号 Vol.91』