Posted on 2016.12.17 by MUSICA編集部

Base Ball Bear、3人体制となって初のインタヴューで
バンドの「今」を徹底的に語り尽くす

不思議なんですけど、
特別何か新しいステージに立ったんだっていう感覚がないんです。
湯浅が抜けるってことになったけど、それも自分達のストーリーなのかなって、
どこか淡々と受けとめているところもあって(小出)

『MUSICA 12月号 Vol.117』P.94より掲載

 

■3人になってからインタヴューをするの、今日が初めてなんだね。

小出祐介(Vo&G)「そうですね、インタヴュー自体が結構久しぶりです」

■内容も含めて若干緊張しますが、頑張ります。今日もよろしくです。

小出「(笑)鹿野さんが最初でよかったですよ。よろしくお願いします」

■今年はベボベにとって、結成15周年、メジャー10周年のメモリアルな年ですけど、大変なことが年明けてすぐに起こりましたよね。まずは(湯浅)将平がいなくなったところのお話から訊いていきます。

堀之内大介(Dr)「めっちゃストレートど真ん中じゃないですか!」

小出「(笑)。ざっくりと言うなら……『そんなことある?』が率直な感想ですかね……。でも、周りを見渡すと今年は結構脱退とかそういう話が多いですよね」

■そうかな? むしろ「再結成」とか「復活」が今年のトレンドのような気もするけど。

堀之内「鹿野さんの言う通りで、俺らは脱退が多いなって思ってたけど、それはウチらが敏感になってるだけで、実際はそんなことないんですよね」

■80年代くらいから90年代の頭くらい――まだ「ロックバンド」ってシステムがビジネスとしてフォーマット化されていなかったり、マネージメントがここまでのシステムを整える前の時代は、メンバーが突然いなくなるとか消息不明になるとか、そういうことがあったけど、ベボベに起きた一連の流れって、最近としては非常に珍しいものではあったよね。

小出「ですよね。そもそもウチのバンドって『4人でやっていこう』って感じが根っこにあったじゃないですか」

■ずっとそうやって見てきました。

小出「だから本当に青天の霹靂で。前振りとか予兆みたいなのも本当になかったんですよ。」

関根史織(B)「『青天の霹靂』って言葉は知ってましたけど、本当に実感を持って『青天の霹靂ってこれのことか!』って思いましたね」

堀之内「一瞬で何にも考えられなくなりましたからね。事が起こった日は『嘘だろうな』とか『そんなことないでしょ』って思ってたけど、3日、4日と過ぎていくうちに『これは本当に無理かもな』って思い始め」

小出「段階はいくつかあったんですよ。湯浅がプリプロに来なくなった日から1週間くらいあの手この手で連絡を取ろうとしたんですけど、湯浅の知人とか全然知らなかったから、そこを調べるところから始めて」

■でも、将平とこいちゃんは中学から一緒だよね? しかもこのインタヴューをしているスタジオの割と近くで一緒に住んでいたじゃない。

小出「いや、少なくとも高校卒業後からは湯浅の交友関係は知らないんですよ。それは湯浅だけじゃなく他のメンバーもそうなんですけど、多少は交友関係が交差するものの、ほぼ知らないですね。プライベートに干渉し合わないので。……だって、関根の旦那さんがどんな人かもよく知らなかったくらいですからね」

関根「まぁ、それは置いといて(笑)」

小出「そうこうしているうちに唯一湯浅と連絡が取れている人が見つかって、その人とやりとりしている間に、もう戻らないんだ、ということがわかってきて。最終的に脱退という判断をするしかないところまで来たんです」

■コミュニケーションを取りたかったけど、取れなかったんだね。だからバンドとしては残った3人でいろんなことを決めていくことがリスナーに対しての礼儀も含めて正しいと判断をしたと。

小出「ツアーを控えていたのも大きかったですね。『やるのか・やらないのか』って葛藤もそりゃありましたし、そもそも『バンドをやっていくのか?』ってところもあって」

■やっぱりそこも考えてたんだね。

小出「『どうする?』とはなりましたね。スタッフ交えて何度も話し合いましたし。でも、『どういう形態になるのかは置いておいて3人でもバンドはやっていこう』っていうのはすぐに決まって。この逆境を受け流さずに昇華していくことで自分達の足場を再構築しようと決意を固めてツアーをやることにして。それより、ツアー直前(2月27日)にチャットモンチーのイベント(『チャットモンチーのこなそんフェス』)に出ることになっていたんですけど、これをもうどうしようかと。チャットのイベントに穴を開けたくなかったんですよ。同期だし、おめでたいライヴだし。……なんとか成立させようって思って石毛(輝/lovefilm)くんに連絡して」

■意外だけど、こいちゃんと石毛ってそれまで交流はなかったんだよね?

小出「そうなんですよ。去年くらいから石毛くんが下北沢GARAGEに来るようになってからですね。それこそ、MUSICAがバレンタインにやってたリキッドルームのイベント――」

■あぁ、VALENTINE ROCKだ。

小出「そう! 俺は仕事があってイベント自体には行けなかったんだけど、打ち上げには遊びに行ったじゃないですか?」

■……………。

小出「まぁ鹿野さん、俺が到着した時にはベロベロだったもんね(笑)」

堀之内・関根「あはははははははははははは」

小出「鹿野さんともあんまり会えてなかったんで、話したくて打ち上げに顔出したんですよ。まぁ、着いたら最後の挨拶のところだったんですけど(笑)。で、もう一軒行こうよって流れになって、石毛くんとかと渋谷で飲んで。それからGARAGEに石毛くんがちょくちょく顔を出すようになって、そこで仲よくなりました。石毛くんもthe telephonesが終わってlovefilmが始まりたての頃だったのかな。いろいろとお互いの状況は話をしてて。チャットの企画はおめでたい場だし、そういう場の似合う人を呼びたいと思って石毛くんにオファーしたんですよ。で、ツアーも石毛くんでいけたらって思っていたけど、石毛くんもlovefilmのレコーディングとかが入ってたから、難しそうだと。で、どうしようかと話し合いの中でフルカワ(ユタカ)さんの名前が挙がって。実はフルカワさんは湯浅と凄い交流があって、湯浅のことを後輩として面倒を見てくださってたんですよね。だからその文脈を汲んでお願いをしたいとは思ったんですけど、そもそもドーパン(DOPING PANDA)とはバンド的に全然交流がなかったし、なんならめっちゃビビってたんですよ。『怖い先輩』って印象がずっとあって(笑)。だから、正直言ってちょっと躊躇したんですけど、ここはもうフルカワさんしか考えられない!と思ってお願いをしてみたんです。そしたら、『いいよ』って言ってくれて。その段階では本当に交流がなかったから、リハーサルで初めてちゃんと会うみたいな感じだったんですけどね」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA1月号 Vol.117』

Posted on 2016.12.17 by MUSICA編集部

cero、待望のシングル『街の報せ』を発表。
その名曲集からバンドの今を探る

自分の感覚としては、このシングルで
『Obscure Ride』は一旦お終い、みたいなイメージ。
次に向かう意味ももちろんあるけど、
ここで1回句点を打つ感じのほうが強いかな(荒内)

『MUSICA 12月号 Vol.117』P.102より掲載

 

■アルバム『Obscure Ride』以来、約1年半ぶりとなるリリースです。『街の報せ』に収録された3曲は、『Obscure Ride』で新しく切り開いたceroの流れを洗練させつつ、リズムを中心にまた新しいアプローチが聴こえてくる作品で。日本でもこの1年でブラックミュージックのエッセンスを取り入れた音楽が増えましたが、その中でもいち早く駒を先へと進めた印象があります。まずは『Obscure Ride』以降、どんなことを思い、何をイメージしてこのシングルに向かってきたのかということから伺えますか?

髙城昌平「『Obscure Ride』を出して、その後、ツアーからフェスからいろいろありまして。だから新曲に向かうというムードはあんまりなかったんですけど、“街の報せ”自体は『Obscure Ride』の特典として、既にあの時に同時進行で作って出してたものだったんで(原曲は『Obscure Ride』のタワーレコード購入者特典として配布されていました)、それを温めつつやっていて。今回シングルとしてまとめようみたいなふうになったのは、ニューヨークに行って、元々あった“街の報せ”に対して、新しく黒田さん(黒田卓也/ニューヨーク・ジャズの前線で活動するジャズ・トランペッター)にブラスを入れてもらったんですよ。で、そうやって新たに“街の報せ”を録ったから、だったら改めてシングルにして行こうじゃないか、みたいになったんですよね」

■ニューヨークに行ったのはいつ頃だったんですか?

荒内佑「今年の5月ですね」

髙城「単純に何をしたいか?ってなった時に、3人で海外に行ってみない?っていう話になって。だからそもそもの話としては、特に録音みたいなことをするつもりはなくて。それくらいの気持ちだったんですけど」

■ニューヨークで録音をしよう!と思って行ったわけじゃなかったんだ?

髙城「違います(笑)。なんかほんとに、みんなでライヴ観たりするだけでもいいし、誰かに会うんでもいいしっていう。『Obscure Ride』出してから、割とクリアな、何もない状態になったんで、次に向かうきっかけ作りのようなものとして、このタイミングでみんなでニューヨークに遊びに行ったらどうかなって。で、ちょうどその前に黒田さんとビルボードで共演もしてたから、黒田さんを頼って遊びに行ってみたら何か面白い刺激を受けられるかもしれないな、ぐらいの感じで行きましたね(笑)。まぁでも、行くならせっかくだから黒田さんと一緒にスタジオで何かしようじゃないかっていう、そういう順番で」

■行き先をニューヨークに決めたのは、現代ジャズの一番エッジなシーンがそこにあるから、というような音楽的な理由もあったりしたんですか?

橋本翼「そういう意識も特になかったよね?(笑)」

髙城「うん(笑)。元からアート・リンゼイだったり、ニューヨーク的な音楽――って言ったら雑な括り方ですけど(笑)、そういう都市的な音楽は好きですけど。だからロサンゼルスよりはニューヨークかな、みたいな(笑)。僕はほんとそれくらいの気持ちだった。アラピーはどうですか?」

荒内「そもそも僕は最初はあんまり行きたくなかったんですけど」

髙城「そういや渋ってたね」

荒内「なんか大学生が自分を変えるために海外行く、みたいなノリだなと思って。30過ぎてそれは嫌だなと思ってたんですけど」

■(笑)。

荒内「だけど、黒田さんが自分の曲のリミックスをして欲しいからレコーディングしませんかって誘ってくれたりもしたし、だったらちゃんと行く理由もあるし、じゃあ行こうっていう。それぐらいのノリでしたね。まぁそうは言っても3人で海外に行ってみるっていうのは面白そうだなとは思ってたし。さすがに10何年一緒にやってきてて、ずっと同じ場所でやってるよりも、多少外部の刺激を入れてもいいのかなと思ってたので」

■そうやって新たな刺激を求めたのは、『Obscure Ride』で新しいceroの音楽を確立したが故のことだったんですかね?

髙城「自分の意識としては、『Obscure Ride』で確立できたというよりも、本当に乗り出したという感じで。全然あれで完結するような生半可なものではないと思ってるんですけど。ただ、そういう中でも『さて、次は何しようかな』っていう、本当に手探りの状態だったんですよね。ひとつの規制もなく、開かれた土地に来たなっていう感覚はあったから」

■あのアルバムは2015年の名盤のひとつとして多くの人に評価されたし、ちょうどあの作品が出た辺りから、日本のバンドミュージックやポップスの中にもブラックミュージックのエッセンスが色濃く入り込んでくる、かつそういうものが表舞台に出てくるようになって。cero自身も、たとえば今年は『SMAP×SMAP』にも出たり、今まで自分達が活動していた場所以外からも大きなリアクションを得たり、実際にそういう場に出て行ったわけですけど。それは自分達ではどんなふうに受け止めてるんですか?

髙城「『Obscure Ride』は、技術的なことも含めて、いろいろと背伸びをした作品だったと思うんですよ」

■というか、明確に挑戦でしたよね。

髙城「はい。ボールを少し遠くに投げて、それに自分が一生懸命追いついていくようなやり方だったというか。結果、それによってセカンドアルバムまでは関わることのなかったようなミュージシャン――それこそ黒田さんを筆頭に、そっち側の人達との交流が生まれたり、ライヴでのお客さんのノリも目に見えて変化があって。だから『Obscure Ride』はやってよかったんだなって思うようなことは凄く多かったんです。いいタイミングでやれたんだなっていうことを、出した後にじわじわっと実感したというか――」

(続きは本誌をチェック!

text by有泉智子

『MUSICA1月号 Vol.117』

Posted on 2016.12.15 by MUSICA編集部

BUMP OF CHICKEN、精力的に飛翔し続けた
2016年を全員で振り返る大特集!

僕の出した歌声や僕らの出した音は、隣どころか、
一番後ろの人達の耳の中まで入っていけるわけじゃないですか。
音は文字通り距離が関係ない。音楽によって一人ひとりと
繋がった感じが僕達は欲しいし、嬉しいわけです。
そこに凄く感動を覚えて、20年やってきたんです(藤原)

『MUSICA 12月号 Vol.117』P.60より掲載

 

(前半略)

■言うまでもなく今年はとてもメモリアルな20周年という1年だったので、その1年間を振り返っていただこうと思うんですが。まずは年末フェスから紅白に出演したわけですけど、その年末時点で『Butterflies』はできあがってたの?

藤原「えーっと、どうだったっけ?」

升「完パケはしてないんじゃない? 録りは終わってたと思うけど」

藤原「ヴォーカル1個ぐらい、歌入れ残ってなかったっけ?」

スタッフ「すいません、ちなみに年内にパケてましたね。マスタリングもしましたね」

藤原「はい、マスタリングまでいってたそうです(笑)」

■あはははははははは。

升「そんな感じで振り返っていくっていうわけね(笑)」

■そうして万全の形で年を越して、紅白にも初めて出るという新鮮な体験をして今年になりました。この雑誌では、2月に『Butterflies』がリリースされて以来のインタヴューになります。あれから、ここまで約10ヵ月ぐらい経って、わかったこと、おさまりのついたこと、周りをみて感じたこと、あの頃と違うことがあるんじゃないかなと思うんですが、この『Butterflies』というアルバムが自分にとってどういうものだったのか、4人全員に伺いたいんですが。

升「だんだん思い出してきたよ。『Butterflies』が完成して、マスタリング音源をもらったのに、忙し過ぎて全然聴かなかった(笑)」

藤原&増川「ああっ!」

直井「練習地獄だったんだよね、あの頃」

升「『20』のリハをやってたんだよね。だから今回はアルバム完成と同時っていうよりは、むしろツアーをやることによって『Butterflies』というアルバムを理解していったような、そんな感じはしますね。これはWILLPOLISとかのツアーも含めての話なんだけど、とにかくずーっと続いている感じはここ数年あって。その流れの中でアルバムも出てきたものだし、その流れでライヴもやっているし。でも、アルバムができて間が空いて、客観的に聴くっていう感じは、いつもあるんですけど今回はそうじゃなくて。作って出すことが決まっていて、ツアーも始まって……みたいな感じで、アルバムと距離を置かずにいて。曲を理解するっていうのは、レコーディング作業の時に散々やっているんですけど、そこに別の方向から光を当てたりする作業がライヴでは必要で。そういうことを、間を空けずにずーっとやってきた気がします」

■忙しくてずっと聴けなかった『Butterflies』は……。

升「忙しくて聴けなかったわけではなくて(笑)。聴いてはいると思うんだけど、整理できなかったんだよね。完成してからちょっとでも空白の時間があると、凄く客観的になれるというか。アルバムを単純に作品として見れるんだけど、今回はそれがあんまりなくて。ライヴではこれをどうしようか?っていう頭が常にあったから、そこがいつもと違うところかな。もちろん、聴いてはいるんです。だけど、どうしてもライヴでここをどう表現しようかな?っていう頭になっちゃう感じがしてました。だから現実的にライヴとアルバムが一体化していった」

■そして、そのツアーを経て、今はどうですか?

升「やったからよりわかるんですけど、共有していて嬉しい曲だったり、凄くいい曲がいっぱい入っているアルバムだなっていうふうに思います」

■チャマは?

直井「今年、一番デカかったのが『20』で。それは自分達でやりたい!って言ったライヴだからなんですよね、20周年記念で。ここでは、昔の曲から今の曲までまんべんなくやったんですけど。昔の曲とか、初めてやる曲もあって、構築し直すレベルでやらなきゃいけない曲が多かったので、4人でたくさんリハに入ったんですよ。『Butterflies』を作っている時は、4人でリハに入る暇があんまりなくて。フジくんが曲を作って、俺ら3人がリハに入って、そこに深夜にフジくんが合流して……とか、そういう結構濃密な時間だったんだけど。『20』のライヴの時、4人でライヴでやる曲を構築し直すみたいな。アレンジし直すっていうより、昔やっていたアレンジをちゃんと今できるグルーヴでやるっていうチャレンジだったんですけど。そうやって音を出している時に気づけたのが、昔よりも音に対して気づけることが増えているし、反応速度が上がっていたっていうことだったんです。NHKの『SONGS』に出る時とかも、あれって本当に一発撮りなんですよ。超緊張するんですよ(笑)」

■(笑)。

直井「ただでさえ、4人ともテレビ苦手だし、でもやっぱりNHKのスタッフさんとかは……もう本っ当にたくさんのカメラだったよね?」

藤原「すっげぇたくさんあったな、あの時は」

直井「もう僕らにはもったいないようなセットを作ってやってくださるから。やっぱりこっちもちゃんとやりたいですからね。そのリハもやったりとか。で、次はツアーに向けてのリハに明け暮れ……。『Butterflies』のアルバムの話に戻りますけど、このアルバムは、4人のグルーヴの持っていき方みたいなものを、よりシンプルにわかりやすく教えてくれたと今思っていて。『Butterflies』ができた時も、これは1曲1曲が持っているグルーヴのわかりやすいアルバムだなと思っていたんですけど、今回期せずして、『STADIUM TOUR 2016“BFLY”』はまったく同じセットリストだったわけですけど、そこで繰り返し演奏することで、レコーディングでは表現できなかった新たな側面が見れたりして。今思うことは、『Butterflies』ってグルーヴィなアルバムだったなって。4人はずーっとBUMP OF CHICKENの楽曲が好きで音楽をやっているんですけど、それが深まっているっていうのかなぁ。それがずっと続いているはずなんですけど、全然終わらないなっていう感じですかね。前よりも確実に、4人が確実に音楽に対して、BUMP OF CHICKENに対して深くなっているなっていうか。BUMP OF CHICKENでいるっていうことですよね。BUMP OF CHICKENとしての『Butterflies』を鳴らすっていう。今年が20周年なんですけど、この年に『Butterflies』っていうアルバムができて本当によかったなって思ってます。本当に当たり前のことを何度も言いますけど、僕らは楽曲がないと、何にもないので。あの忙しい中、あのスケジュールの中で、(楽曲を)生んだ藤原基央すげぇなって。そう思ってますね」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA1月号 Vol.117』

Posted on 2016.12.15 by MUSICA編集部

THE YEAR IN MUSIC 2016 年末恒例!
この1年の音楽シーンを振り返る総括大特集

90年代からこの国の音楽シーンを築き続けてきたアーティスト達と
新たな意志と感性を響かせる新世代の台頭――
2016年という年がこれからの音楽の未来に指し示したものとは
一体なんだったのか。この1年の音楽シーンを徹底考察

『MUSICA 12月号 Vol.117』P.8より掲載

 

有泉「2016年は、音楽シーンの潮流がいよいよ変わっていってるなということを強く感じた1年で。一昨年くらいから、若い世代から生まれてくる音楽の多様性が増しているという話はしてましたけど、それが水面下の話だけではなく、表舞台にまでちゃんと上がり始めてきたなという感覚が強くありました。その一方でいわゆるロックバンドシーンでも新しい世代のバンド達がメインの一翼を担い始めていっていることも含め、音楽シーン全体の動きが非常に活発化しているような印象があるんですよね。鹿野さん的にはどうですか?」

鹿野「無責任に聞こえるかもしれないんだけど、僕は2016年は総体的には『よくわからなかった年』だなっていう感覚があるんだよね」

有泉「というのは?」

鹿野「それこそ細分化されたトピックスはたくさんあるんだけど、全体としてはよくわからない、単純に時代感や世代感やムードで『こういう年だった』と括ることのできない年だった気がする」

有泉「なるほど、それはわかります。たとえば少し前だと『今年は四つ打ちロックが席巻した年だったよね』みたいな言い方ができたり、フェスシーンというものがそのままその年のシーンの情勢を表しているようなところがあったけど、今年はそういうわかりやすい括り方はできないですもんね。ひとつのジャンルが時代を先行するのではなく、それぞれが活発化することで多様性が増しているが故のカオスというか」

鹿野「そうそう」

有泉「でも、それは凄くポジティヴなカオスだなと思うんですよね。近年、あんまりこういう感覚は味わってなかったような気がします」

鹿野「もちろん可能性の種は撒いた年だったと思うからネガティヴではないけど、でも楽観的にポジティヴというのは個人的にはしっくりこないけどね。そういう状況の中で僕がまずひとつ思うのは、アジカンから影響を受けた2000年代中期以降のロックの流れ――つまりフェスブームの進化と共に発展してきたロックバンドシーンというのが、ひとまずここで一周した感じがあるなということは思っていて」

有泉「それは私も強く感じます」

鹿野「具体的に言うと、去年まででKANA-BOONやキュウソネコカミといったバンドがメジャーデビューしてフェスシーンの中心バンドになったことで、一周した感があるのが今年だったんじゃないかなと思う。で、そうなった場合に、またバンドロックというものが新陳代謝をして新しいフェーズに向かったり、新しいバンドがそこに台頭していくってことが起こるのが理想的なはずだし、もちろんKEYTALKやBLUE ENCOUNT、04 Limited SazabysやTHE ORAL CIGARETTESみたいな勢いのいいバンドがいるのは承知の上なんだけど。ただ、それらはKANA-BOONまでとシーン的にも世代的にも大差がないものだと思っていて。そうなると、その先が明確に見えるようで、イマイチ見えないなって感じるんだよね。今までと同じスケールでみんな活動していくのかって言うと、変わってくる可能性もあるなと思っているし。ただ、別にネガティヴな意味は孕んでないんだよ。何故なら、それでも相変わらずライヴハウスシーンには新たなバンドが次々に登場しているからなんだよね。ただ、そういう意味でも、今年はある程度大物の然るべき人達がちゃんとした作品を出したりとか、ちゃんとした活動をしてきたところに集約されていくなという印象がある」

有泉「『Butterflies』をリリースして初のスタジアムツアーを回ったBUMP OF CHICKENだったり、『君の名は。』を機に改めてブレイクしたRADWIMPSだったり、デビュー25周年にして近年になくフレッシュなロックバンド衝動を鳴らす『醒めない』をリリースしたスピッツだったり」

鹿野「そうそう。あと僕は勝手に『復活三羽烏』と呼んでるんだけど、THE YELLOW MONKEY、Hi-STANDARD、そして宇多田ヒカルの復活。そういう復活組も含め、90年代の終わりから長く続けてきたバンド達がちゃんとシーンの中心になっていたということは、言い方を変えれば、正統な活動を続けてきた人達がちゃんと光を浴びていたってことでもあるし、逆にこの10年の流れの中で、そういう人達が必然的に浮かび上がる状態になっていたということでもあって。つまりサイクルがあまりにも速過ぎたここ10年間のロックバンド事情の功罪だとも思ってる。あまりにも速いスピードでクルクルと主役が入れ変わり続けてきた結果、前世代の人達の安定感が際立ったというふうにも言えるんじゃないかなって」

有泉「なるほど、それは確かに。10-FEETのシングル『アンテナラスト』が、4年ぶりの新曲リリースだったにもかかわらず、キャリア最高位のオリコン5位にランクインしたのもひとつの例かもしれないですね。リスナーの興味もどんどん移り変わるし、若手バンド界って3~4ヶ月に1回くらいのペースでガンガン新曲切っていかないと忘れ去られるっていう恐怖とみんな闘ってるようなところもありますけど、そうじゃないところで長きにわたって自分達の音楽の地力を磨き、10年、20年と活動を積み続けてきたバンド達が、既存のリスナーも離さず、かつ新しいリスナーも引き寄せ、結果として刹那的なシーンの移り変わりを諸共せずに大きな存在感と充実を示してるという」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳×有泉智子

『MUSICA1月号 Vol.117』