Posted on 2017.05.22 by MUSICA編集部

傑出した音楽を作り続けてきたplentyが
あまりに突然の解散を発表。
バンドの中心人物・江沼郁弥がその理由と胸中を語り尽くす

俺、「次は“拝啓。皆さま”みたいなのを作ろうかな」
ってポロッと言ったの。それは打算だったんだよ。
一瞬plentyらしさみたいなものにあやかろうとしちゃったんだろうね。
恥じたね。きっぱり辞めようと思った

『MUSICA 6月号 Vol.122』P.110より掲載

 

(前半略)

■そもそも解散に至る契機はいつ、どんなことから始まったんですか。

「『life』のレコーディングが終わった後ですね。一太(中村一太/Dr)がplentyを辞めるって言って………そこから始まりました。一太から何回か辞めたいって言われて、でも最初はよくわからなくて、『まあ、そういう時ってあるよ』みたいな感じだったんだけど」

■自分もよく「もうplenty辞めてやる! 解散だ!」って言ってたし。

「そうそう。『俺だって毎分毎秒思ってたよ!』みたいなことを言って返してみたいな、そういうのが何回かあって。最初は一太も詳細をあまり語らなかったんですよ。だから俺も全然腑に落ちなかったの。でも俺がしつこく訊いたら、『ひとりでやってみたくなった』って言われて。で、たぶんそれが本音だなと思って。でも、そもそも一太に関しては、plentyの活動以外にもいろんなバンドでもやったり、課外活動みたいなことしてもいいよっていうOKは出してたから、それなのに辞めたいっていう意味が俺はよくわかんなくて……ってなったんだけど、よくよく考えたら『俺、その気持ちわかる』って思っちゃったんだよね。たぶん挑戦なんだよね、一太にとっては。一太はこれまで音楽活動において0から1を作るっていうことをしてないっていうか、そういう役割じゃなかったから」

plentyでも、そしてthe cabs時代も自分で曲を作っていたわけではないし。

「そうそう。でも、一太は自分で曲を作りたくなったというか、自分自身で0から音楽を作りたくなったんだろうなって思って。で、自分自身で音楽を生み出したいっていう気持ちが生まれた時に、それはplentyに在籍しながらやるっていうことじゃないんだって思う気持ちが、俺にはわかっちゃったんだよね。……一太が入ってからplentyっていう体質が変わって、俺がひとりで組み上げていくっていうよりも、またそれをメンバーと一緒に作り上げていくっていう形になったでしょ?」

■そうですね、そして郁弥くんはそこに大きな喜びを覚えていたよね。特に一太くんとは、アレンジのやり取りもかなりしてたし。それこそ、郁弥くんが作ったデモをさらに一太くんがアレンジしたデモを聴かせてもらったことがあるくらいに。

「うん。ふたりでプリプロ入ったりもしたしさ。そういうことをやっていく中で、自分ひとりでもそういうことをやってみたくなったっていう気持ちもわかるし。そうだよなって。そもそも人と何かを作るっていうのはそういうことが起こる」

■相手のクリエイティヴィティを刺激するっていうことでもあるからね。

「そう。たぶん彼は、plentyでいろんなことをやってみて、そこを刺激されたんだよね。だから結構納得してるけどね」

■ただ、一太くんが抜けることになっても、選択肢として、このままplentyを続けていくっていうことはもちろんあったと思うんですよ。

「選択肢としてはね。我々にはなかったけどね(笑)」

■でも実際、サポートを入れて続けるっていう選択肢はあったわけじゃない?

「そうね、あった。けどさ、選択肢はあったけどさ、なしだよね?」

■と、郁弥くんは言うけど。それが何故なしなのか、私にはわからなくて。

「確かに論理的にはそういうやり方もあるよ。また新田(新田紀彰/B)とふたりで、サポートのドラマーを入れてやるっていう。でも、それをやるのは楽しくないと思っちゃったんだよね。それって補完作業っぽいじゃん。plentyというものを守るための手段っていうかさ。もちろん、俺自身がそのやり方が本当にいいなって思えたらいいんだよ。現に前にひとり辞めた時は、そうやって続けたわけだし。でも今回はね、それがあんまり魅力的じゃなかったんだよな」

■それは、あの時と今とでは、何が違ったからなの?

「そもそも、そういう気持ちで一太を入れてないんだよ」

■というのは?

「またひとり欠けてもいいと思って、一太を入れたわけじゃない。だって3年サポートを入れた体制でやってさ、そこからまた新しいドラマーを入れるっていうのも、それはそれでリスクじゃん。でも、それでも一太を入れたわけで」

■当時のことを振り返ると、一太くんを入れる前はレコーディングドラマーとしてサカナクションのエジー(江島啓一)、そしてライヴにおいてはドラマーに中畑大樹さん、ギターにヒラマミキオさんという強力なサポート陣を迎えた体制でやっていて、その完成度も表現力ももの凄く高くて。だから語弊を恐れずに言えば、純粋に音楽的な部分で考えると、あの体制を崩す必要はなかったと思うんだけど。でも、それでも郁弥くんはバンドでありたいと願って、本当の意味でバンドとして音楽を作って奏でることを求めて、一太くんを正式メンバーとして入れたわけだよね。

「そう。だから、『また抜けてもいいや』みたいな気持ちは全然なかったし、本当に覚悟を持って一太を入れたんだよね。で、実際に一太を入れてplentyは凄く変化して。変な意味じゃなくて、誰にも頼ってない感じがしたというか、メンバーだけでちゃんとバンドをやれてる、音楽をやれてるっていう感覚になることができて。3人のイエス/ノーが大事なんだっていう感覚でやれてたから。もちろん、いろんな人のサポートはあるんだけど、でも少なくとも俺はそういう気持ちでやれてた。そういう状態――要はちゃんとこの3人がplentyなんだっていう状態になったからには、それは誰かひとりでも欠けたら終わってしまうものだったんだよね。……新田との年月のほうが長いから、みんなそのことを言うんだけど、でも年月じゃないんだよね。もちろん新田とふたりでやるのが嫌だっていう話でもまったくないし。そういう話じゃないんだよね。期間がどうとか思いがどうとかじゃない」

■つまり、それくらい一太くんが入ってからのplentyは、この3人以外では替えのきかないレベルまで、ちゃんと本物のバンドになれていたってことだよね。

「うん。少なくとも俺にとってはそうだった。替えがきくものではなかったかな。でも、もちろん一太が抜けることだけが解散の理由じゃないんだよ。というか、一太のせいではないんだよ。誰も一太のせいにはしてないし」

■そうだよね。替えがきかないってことはあるにせよ、「一太くんが辞めます、だからplentyを解散します」っていうふうに直結的に結論が出せるようなことじゃなかったと思うんですよ。実際、『life』を作って、“born tonight”みたいな最近の自分の音楽的興味をplentyに落とし込んだ楽曲もできて、これまでのplentyの音楽性とは違う新たな広がりと手応えを感じてたと思うし。『life』に収録された以外にも、もっとそういう方向に振り切った曲も作ってるってインタヴューでも話していた通り、あの先に広がるplentyの音楽的な可能性だったり、自分自身の音楽家としての可能性っていうものを視野に捉えてたと思うんだけど。そういうものが断たれてしまうことに対する悔しさみたいなものはなかったの?

「でも、それもあの3人でのplentyの次の可能性だったから、その3人であるっていう前提がなければ成り立たないものだし。……でも確かに、一瞬、『またふたりでやりましょうか』とはなったの。一太が本当に抜けることになった後に(事務所の)社長に呼ばれて、これからどうするかっていう話し合いをして。その時に一瞬、ふたりでサポート入れてやってみましょうかって話にはなったんだけど。でも、それで何を作ろうかなって考えた時に、俺、『次はまた“拝啓。皆さま”みたいなのを作ろうかな』ってポロッと言ったの。その時に『ああ、終わったんだな』って思った」

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text by有泉智子

『MUSICA6月号 Vol.122』

Posted on 2017.05.22 by MUSICA編集部

ぼくのりりっくのぼうよみ、
シングル『SKY’s the limit/つきとさなぎ』を発表。
社会に対する問題定義を積極的に続ける、彼の思惑に迫る

これまでの僕は「何か大きな目標を達成することが尊い」と
思ってた節があったんですけど。
でも今は一周回って、今が楽しければいいっていうか。
誰かに赦されるために生きてるんじゃないんだよっていうのを凄い意識していて

『MUSICA 6月号 Vol.122』P.96より掲載

 

(前半略)

■で、アネッサのCMソングとして書き下ろした“SKY’s the limit”は、クレジットを見ないで聴いたらぼくりりだと気づかないかもしれないくらい、アッパーに振り切れたサマーチューンで。歌詞を見るとぼくりりくんらしいんだけど、聴感としてはバリバリのでパーティチューンですね。かなりびっくりしました。

「そうですね、CM100%寄せてみました。そういうふうに踏み切ってみたキッカケとしては、さっき話した『Noah’s Ark』を出してみた結果、『ストーリーとか全然聴いてねえな』って思ったところで。これは全然悪い意味じゃなくて、単純に『ここに注目してるぞポイント』が自分が思ってたのと違ったなっていうことなんですけど。だから気にしなくていいや、と思って作ってみた感じですね」

■自分の中では完全に戦略的なものなんですか? それとも、実はこういう音楽って楽しいなという快楽的な側面もあって、それをここで差し込んだ感じなんですか?

「スタートの時点では100%戦略的だったんですけど、作ってみたら、意外といい曲だし聴いてて楽しいな、みたいな。しかも初めて応援歌を作ったんですよ。Instagram系女子への応援歌なんですけど、応援歌作ってみようと思って、やってみて。だから1番ではInstagram上の世界を歌っていて、2番ではその裏側を歌っているっていう」

■<画面越しの世界だけ/愛を愛を/虚構のままで踊る>、<“本当は”なんて意味無いよ/太陽浴びて i gotta post my picture>という歌詞もありますけど、Instagram系女子への応援歌って言ってくれたように、この曲の歌詞はつまり、虚構の肯定だと思うんですけど。

「ガッツリそうです。嘘世界って幸せですからね。たとえば、普段のこの歌の人は満たされてなくてカップラーメンしか食べてないけど、月1で美味いもの食いに行くんですよね。で、その一瞬を写真に撮る。その写真に写ってる私が、<この一瞬の私がすべて>なんですよ。でも、それって別にいいことだなって思うんですよね」

■で、少し前のぼくりりくんだったら、虚構的なる世界をここまで肯定はしなかったんじゃないかなって思うんですけど。

「確かに。でも、あの世界ってみんな一生懸命自分を演出してるわけじゃないですか。その一生懸命さは偉いなと思って。たとえば、楽しそうにしてる人達に対して、カウンターとして『そんなことすんなよ』っていう人達が現れることって多いじゃないですか。でも、そのうちにそうやってカウンターを打つことにもみんな飽きてくる。今ってそういう流れがいつもあって。で、今だったらたとえばSNOWみたいなアプリがあって『盛るな、嘘つくな』って言われてるわけですけど、それを第三者的な立ち位置で肯定するゾーンってまだないなぁって思ったんですよね。で、それをやるか!と思って書いてみたんですけど」

■こういう、音楽的にも歌詞的にも、これまで自分が作ってきた世界観に対するカウンターを自分で作るということには意識的だったの?

「そうですね。ボツにした曲で『方舟とかぶっ壊そうぜ』っていう歌詞もあったんですけど、ちょっと伝わり辛そうだなと思ったのでナシにして。ただ、そうやって更新していきたい欲はあります。まだアルバムを2枚しか出してないのに『こういうの書かないよね』とか『これ、ぽくないよね』とか言われるのは癪だなって思って、だったら早めにいろいろやっとくか!と思って、やってみました。でも、この曲はいい曲だなって思います。お金も稼げそうだし。あと、やってて普通に楽しいし」

■ぼくりりくんは、お金を得て何がしたいの?

「だって、この生活をキープしていくためには、よりお金は必要だし。もちろん音楽をやりたくないわけじゃないですよ。自分が一緒に音楽を作りたい人と曲を作りたいっていう欲はあるんです。ただ、それが第一目標ではないっていうか。人生を満たすためのひとつの手段として、漫画を読んでるのも楽しいし、ドミニオン(ボードゲーム)をしてるのも楽しいし、音楽をいろんな人と作ってるのも楽しいっていう。だからオプションですよね。音楽のために生きるっていうのが全然ないというか」

■というか、そういう意識はそもそもあんまりなかったよね。

「そうですね。それが確信に変わった感じですね。だからいつ音楽を辞めてもいいんだなとも思いますし。なんなら、生活保護を受けてドミニオンをやる生活でもいいわけですし」

■それでもいいんだ!?

「え、よくないですか? ドミニオンやったらこの気持ちわかりますよ! “SKY’s the limit”はいい曲だしドミニオン楽しいし。僕は今、幸福感に満ち溢れてるんですよ! 最高!」

■まあ、そんなのは長く続かないだろうと思っちゃう私もいますけどね。

「そんなこと言ったら、全部が全部そうですよ。そうやって消費してコロコロ変えて生きていけばいいんですよ。マンネリ化してきたら、新しい目標をブチ上げればいいっていうか。自分の欲望をどれだけ上手くコントロールするだけっていう感じですね」

■とはいえ、ぼくりりくんの場合、半年後に話したら全然変わってる可能性もあるよね。

「確かにそれは全然あります。まったく違うこと言ってるかもしれない。『マジで目標ないヤツはクソです。今の僕には大いなる目標があって音楽をやっていて』とか言ってる可能性は全然あると思いますよ」

 

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text by有泉智子

『MUSICA6月号 Vol.122』

Posted on 2017.05.22 by MUSICA編集部

SKY-HI、新章開幕を告げるシングル『Silly Game』。
自身へのバイアスも受け入れ挑む、
新たな季節へ向けた揺るがぬ信念とは

 

ツイート見てても「AAAの人ガラガラだ、
やっぱりビバラにエイベックスはいらないってことだね」って(笑)。
「AAA」だし「エイベックス」だし、偏見の濃さを感じました

MUSICA 6月号 Vol.122P.90より掲載

 

(前半略)

■で、今回のシングル“Silly Game”なんですけど。『OLIVE』までの日高くんは攻めて攻めて、『OLIVE』でようやく包むっていう表現ができて、そこで武道館っていう集大成があって、ここまでがひとつのストーリーだったと思うんです。で、この曲はその後の一発目として、ここから先にもう1回世の中にミサイルを撃っていくような気持ちが明確に表された、新しいSKY-HIのキックオフ・ソングじゃないかなと思いました。

「まさに。おっしゃってくれたキックオフ的なイメージもあるし、でも地続き的なイメージもあって。『OLIVE』作ってる時はバンドの音像をイメージしながら作ってたんですけど、そのままそのツアーのリハで実際に生音でやって、バンドメンバーとのイメージの齟齬を直していくみたいなことをしてる時にこの新曲を作ってて。曲ができた後、編曲を誰かに振ろうかなと思ったんだけど、これはこのままいっちゃってバンドのみんなにただ演奏してもらえたらアリかもと思って。だからそういう作り方もあって音像としては地続きなところもあるんですけど、でも内容はやっぱり次っていうのはあって。『カタルシス』は凄いパーソナルなことで構成したし、パーソナルなことを踏まえての『OLIVE』はミクロとマクロくらいの違いがあって――でもミクロ=マクロなんだろうなっていう感じはしていて。武道館のMCでも『これからの世界平和を掲げる』って言ったんですけど、その第一歩は隣の人を愛することで、それって凄く『カタルシス』の延長だし、ゴールに『OLIVE』があって、LIVEがあって、ツアー『WE LIVE』があって。で、それができた後の、つまり生きること、死ぬこと、愛することの次に生まれるべきは闘うことだったんですよね。そういう意味でパーソナルな話も済んだ上で、改めて本当の意味で愛するとか生きるとかを歌って、その後『争いは避けて通れない』ってことを歌ったのは、ちゃんと次に行けたってことだと思っています。それがないと嘘になっちゃうから。『OLIVE』の中に“Walking on Water”っていう曲を入れて、ひたすら暴論を言い続けるみたいなのも自分にとって絶対大事なことというか、毒がないと薬じゃないとは思ってて。その序章を経て、“Silly Game”が生まれてきました」

■『OLIVE』っていうアルバムはさっき話してくれた通り、隣の人を愛すことによって自分も愛すんだっていう、要するに極めて近い二人称の物語だったと思うんです。この“Silly Game”の中では、<人が使う正義はトランプ/裏表隠し押し付けるジョーカー>っていう歌詞があって、この<トランプ>はカードのトランプというよりアメリカのトランプだと思うんですけど、それも含めて非常にテーマがデカくなったと思うんです。

「『カタルシス』収録の“F-3”っていう曲でもトランプのラインはあるんですけど、でもそこでは単にトランプタワーとかバブルの象徴のつもりで使ってたんですよね。でもそのキーワードがトランプ大統領まで成長しちゃって、ワードが成長するっていう奇跡的なことが起きてるんですよね(笑)。あの人ザ・ペンギンズ(バットマンのヒール役)みたいなルックスだし、我ながら気に入ってるラインだったんですけど――でも、これは『OLIVE』作ってる頃くらいからそうだった気がしてるんです。この前米津(玄師)くんと飲んでる時にちょうどその話になったんですけど、トランプの大統領就任っていうのはいい悪い関係なく、世界史において相当なターニングポイントで。そこから民主主義の崩壊とか、そもそも民主主義は幻想だったんだとか、そんな面倒くさい話をふたりでしてたんですけど(笑)、実際にそういう転機が今なわけじゃないですか。単純に生きてたら、今それを語らないほうが嘘になるなと思って。普通にニュース見てても、今から2020年のオリンピックまでの間って、たぶん世界の中の中間管理職・日本は、相当大きなポイントであるのは間違いがなくて、そういう空気が自然と出てるんだと思います。たとえばあんまり並びで語りたくないけど、大震災が起きた時って、みんな自分事だったじゃないですか。どんなに自分に直接生きる死ぬの危害がない人でも、自分事だったじゃないですか。そこで煽り過ぎ、煽らなさ過ぎとかっていうのはあると思うけど、それが出ないほうが不自然で。だから曲の作りとしては、プリンス然り80’sの西海岸の感じのテンションで、だんだんブラスとかがブライアン・セッツァー・オーケストラみたいな方向に膨らんでいって、それこそロックフェスでロックキッズでもロックできるもので、ちゃんと俺のDNAのブラックネスが内包されてるものを最初は作ってたんですけど。その頃の西海岸のロックとかダンスミュージックって、プリンスなんて<Go! Go! Let’s Go!>とか歌ってシンプルな強さがあって(笑)、でも同時に大西洋を隔てたUKのほうはもうちょっと殺伐とした曲が一世風靡してたわけで」

■ある意味、あの頃のUKロックって「サッチャー殺したいし、ついでに自分も死にたい」って言ってるような、メンタリティと曲ばっかりだからね。

「そう(笑)。だから2017年はそこら辺が結びついた曲を作っても許されると思って、バース2でポストパンクプロダクションを作って、ドラムにディストーションかけてやっちゃうっていうのもデモからなんとなく考えてて。そしたらどんなにダンスミュージックとして機能しててもテーマは思いっきし今の自分、社会におけるいち人間の言葉がいっぱい書けるなと思って。それでそういう内容の歌詞になっていったっていう」

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text by鹿野 淳

『MUSICA6月号 Vol.122』

Posted on 2017.05.19 by MUSICA編集部

スガ シカオ本人主催の「スガフェス!」、大成功!
未曽有のヴァラエティを誇るイベントの意義を振り返る

独立したころは、こんなことできるなんて夢にも思わなかった。
ゴールだとは思ってないけど、よくぞこの通過点を超えられたなって。
そういう意味では、「俺らもこんなフェスができたら最高だな」
っていう目標にはなれた気はしてます

『MUSICA 6月号 Vol.122』P.81より掲載

 

「いやぁ~、ほんと一瞬で終わっちゃいましたね」

■本当にあっという間だったでしょ。

「そうですね。朝8時に入って、リハが始まって、『これ、いよいよ本当に来るなぁ!』って思って。13時(開演時間)ピッタリに『来たぁー!』って思ったら、次はもう終わってた(笑)」

■実感があるっていうより、よくわからないまま終わった感じなんだ。

「そうだなぁ。もっと起こってることを楽しみたかったんだけど、結局鹿野さん自慢の楽屋ご飯も食べられず、ウイダーinゼリーを3本摂っただけで(笑)。あとはずっと何かに追われて――それで、気づいたら終わっちゃってたんだけど」

■出演者のみんなは、ちゃんとバックエリアのご飯楽しんでたから大丈夫。

「あ、ほんと? それはよかったです。俺は全然時間なかったからさ……第1部はそれぞれのバンドに1曲だけ参加だったから、その間に、館内を見て回ったり、変装してけやき広場に行ったり、LEDの大画面を確認しに行ったりしようと思ってたんです(笑)。でも結局、それも全然できなくて。楽屋にはテレビがあったので、それでみんなのライヴは全部観たんですけど。でも、外には1回も出られなかったなぁ」

■フードコートには「かけすぎガール」もいたのにね。「かけすぎガール」は、他ならぬスガさんのための企画だったし、メイド服わざわざ着てもらったのもあなたの癖だからね。

「ヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!」

■スガシカオかけすぎ部を究極にヴァージョンアップさせた、ネギや粉チーズや紅ショウガをかけすぎるブース。あれ、大行列だったよ。

「そうそう! 『かけすぎガール』も結局、オーディションの時に写真見ただけですもん。メイド服まで自分で指定したにもかかわらずねぇ(笑)。なんか、並んでたみんなブーブー言ってたみたいですね。『かけすぎガール、いつまで待たせんだ!』って!(笑)。それも楽しかったですよね」

■かけすぎガールも数に限りがあるからね(笑)。じゃあ今は、その楽しかったスガフェス!・ロスみたいになってるんですか。

「それがね、ロスになってないんですよ。……なんか、明日もスガフェス!があるんじゃないかな?みたいな。『いつでも大丈夫だぞ!』みたいな緊張状態がずっと続いてて(笑)。ずっと『本番くるぞ、くるぞ』みたいな精神状態が続いてたじゃないですか。そしたら、スガフェス!が終わってもまだそれが残ってて。だって今日もね、カバンに意味もなく譜面が入ってたりしたんですよ。いきなりUNISONSQUARE GARDEN)の譜面が出てきて、『いや、もうこれいいから!』みたいな(笑)」

■ははははは! シュガーソング・アゲイン!みたいなね。でも言ってみれば、そんなに気持ちが持続してしまうくらいの充実した経験値を得たっていうことだと思うんですけど。

「本当にそうですね。楽しかったし、お客さんも凄くよかったですねー」

■あんなに、ご自分のお客さんをリスペクトという意味で感動させられたことはなかったんじゃないですか?

「そうですねぇ。……俺、ミスチルのライヴが始まった時に『あれ、ミスチルのお客さんばっかじゃん!』『大丈夫かな、俺のステージ』って思ったの。それで水樹奈々ちゃんの時にも、あまりの盛り上がりに『水樹奈々ちゃんのお客さんばっかじゃん!』って思って(笑)。さらにはポルノグラフィティの時にも、会場中のタオル回を見て『全部ポルノのファンじゃん!』って思ったわけですよ。だけどそれは、『誰のファンが多い』っていうことじゃなく、ちゃんと音楽を楽しめるお客さんが集結してたっていうことなんですよね。だから俺のステージが始まった時も、最初から既に『俺たちファンクファイヤー状態』になってて。それプラス、『おめでとうビーム』が2万人からブワーッと来て……それにひたすら感動してしまいましたね」

■お客さんがみんな「何をすべきか」っていうことをわかってたよね。「これは音楽祭なんだ」っていうこと、「自分達はシカオちゃんを祝うんだ」っていうこと。そのふたつのお客のエネルギー設定が絶妙だった。

「そうそう。で、それはアーティスト側もそうで。みんな、このフェスのためにリハをやってくれて、何故このフェスに呼ばれたのかっていうことを考えながらセットリストとかいろんなことを組んでくれてさ。リハーサルも練習も全部に行ったんですけど、みんな忙しいのにリハーサルの時間をとってくれて、スタッフも集めて一緒にやってもらって――最初はちょっと申し訳なくもあったんだけど、いざ本番をやってみて思ったのは、それも含めてスガフェス!を受けてくれたんだなあっていうことで。それが感動的でしたね」

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text by鹿野 淳

『MUSICA6月号 Vol.122』

Posted on 2017.05.19 by MUSICA編集部

THE ORAL CIGARETTES、
「唇ワンマンTOUR 2017」仙台公演に完全密着!
彼らの進化を間近で捉え、全員取材も敢行!

 

武道館への道、アリーナバンドへの道、
日本を代表するロックバンドへの道――
その道を確かな足取りで駆け抜け始めた
UNOFFICIAL DINING TOUR 2017」。
仙台公演に朝から夜中まで完全密着&最新インタヴュー!!

MUSICA 6月号 Vol.122P.68より掲載

 

416日(日)仙台PIT

 

 大阪から飛行機で移動して、正午に仙台の会場に入った。大阪より遥かに暑い快晴の21度。晴れ晴れしたライヴ日和である。メンバーは東京からの当日入りだったが、既にハコの中に吸い込まれていた。会場であるPITのキャパは1200人。ご存知の方もいるかと思うが、このハコは東北大震災以降、プリンセスプリンセスが旗振り役となったTeam Smileの支援によって震災からちょうど5年後にあたる2016311日に建てられたもので、一足早くオープンした豊洲PITとは兄弟分のハコである。

 メンバー楽屋へ赴くと、リラックスしながらご飯を食べていた。「たぶん、しかっぺが食べ出したら止まらないよ、美味し過ぎて」とあきら(B&Cho)が笑っているのでメニューを見ると――「牛タンシチュー、笹かま青菜炒め、仙台牛タンラー油、秋田ひとめぼれご飯、三陸白身魚」など、ハンパない愛と美味と細やかな工夫に溢れたメニューが揃っていて、東北のコンサートイベンターの愛を感じる。もちろん、こういったバックエリアのご飯はライヴを頑張るアーティストやスタッフのためにあって、僕のような人間ががっつくのは完全アウトだが、地方に向かうと、こういった楽屋飯の色とりどりの工夫に心から感心する。1年に何回来るかわからないアーティストやバンドに気持ちのいい日を過ごして欲しい、そしてその街のファンを満喫させて欲しいという願いが詰まったこういう配慮は、地方ならではのものだ。

 山中拓也(Vo&G)に会ったので、「喉の調子はその後どうなの?」と問いかけると、「すべては気の問題なんだなと思うようになりました。実際はたぶんそんなことはないんだろうけど、でも気の問題だと思うことで気にしなくなれることってあるじゃないですか。自分にとっての喉は今、そういうものです。もちろんケアは怠らないけど」と軽快に答えながら、その後、パノラマパナマタウンやSaucy DogなどMASH A&Rの後輩バンドの新しい音源やキャラクターの話に花を咲かせた。そういう話をしている時に携帯を弄っているあきらは、聞いていないようで全部をしっかりと聞いているしたたか者である。関係ないことをやっていながら、時折会話に合わせてゆっくり微笑む彼の表情は、なんだか「日本の弟」みたいな可愛らしさがある。

 楽屋の端っこで中西雅哉(Dr)が背を向けて細かい作業をしているので無理やり覗くと、スティックにテーピングをしている。「こういうドラム専用のテーピングって売ってるんだね」と訊ねると、「確かに売ってるんですけど、それ、高いんですよ(笑)。だから僕はテニスラケット用のテーピングで代用してます。そっちのほうが数が出ているからか安いんで」と、しっかり者な一面を見せる。さすがライヴでグッズの紹介MCを担当するだけのことはあるなと、よくわからない感心を抱いた。

 そして――鈴木重伸(G)がいない。ずっと楽屋の階下にある喫煙可能なエリアで集中したりギターをつま弾いたりしているから、なかなか楽屋に戻ってこない。これもまたシゲのペースであり、4人のバランスなのである。

 1338分からサウンドチェック開始。まさやん、あきらと、だんだんメンバーがステージに吸い込まれてゆく。会場の外は灼熱の中、正午に目撃した時からずっとたくさんの人達が列をなしてグッズを求め続けている。

 自分の仙台入りを告げたインスタグラムへの返信を見ていたら、「最近、大人オーラルファンが増えてます。そんなところも見て欲しいなあと思います」というメッセージがあったので、横にいた拓也に話すと、「そうなんです、このツアーからそれを感じるんですよ」と若干の驚きをもって実感していることを教えてくれた。言うまでもなく、今、このバンドはそういう全国区的な、しかも世代を超えた認知を持たれ始めた状況にある訳で、それもそうなるべき作品をここ1年間で作ってきて、それを丁寧にライヴで育ててきたからだと言う確認をする。ついでに「そもそも拓也の綴る歌詞は世代を選ばないし、むしろ大人ファンの方が肌感でフィットするウェットかつセクシーな世界観も多いよね」と話すと、「確かにそうだけど、でも、自分の声は本当に好き嫌いがはっきりしますけどね」とニタっと笑った。まあ、それは拓也だけのものではなく、このバンドの音楽性にも繋がる話だと思いながら彼の言葉を胸で受けた。彼らのロックは今、加速度的に広がっては爆発し続けているが、それは決して大衆的な要素を意図的に配置したからではなく、幸福な異質感が音楽の中から沸き上がっては、その癖にハマった中毒者が続出しているからである。その異質感や違和感をスケールの大きな音楽で表し、このバンド独自のストーリーを多くの人の視界に入る場所で明確に見せたり魅せたり響かせたからこそ、彼らは今、ロックシーンの最先頭で最高の注目や衆目を集めているのだ。

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text by鹿野 淳

『MUSICA6月号 Vol.122』

Posted on 2017.05.19 by MUSICA編集部

Suchmos、目覚ましい勢いで新風を巻き起こしていく
彼らの姿をツアーの模様とYONCE単独取材から紐解く

ロックはサウンドに名前が付いてるわけじゃない。
そんな狭いところでロックがどうのこうのって
言われるのは俺は嫌だし、そんなふうにロックを語る奴には、
俺はまったく負ける気がしない

『MUSICA 6月号 Vol.122』P.54より掲載

 

(前半略)

■まず、今回はどんなツアーだったと思います?

「単純に短いスパンでこれだけライヴをこなすっていうのが、6人の人生で初めてのことだったんで。これまでのツアーは本数が少なかったんで、ただ楽しいねっていう感じだったんですよ。でも今回は酸いも甘いもあって、『これがいろんなバンドマンがやってきたツアーってやつか!』っていうのを初めて堪能することができたなって。スタッフ含めたチームで全国周って、その土地土地で古着屋行ったり飯行ったりして各地の風土に触れる時間も取ることができたし。まぁ、それと引き換えに地元で過ごす時間を犠牲にしたんですけど。『早く家で寝てえ』みたいな気持ちもちょいちょいあったんですけど(笑)」

■湘南の海が恋しいみたいな?(笑)

「そう(笑)。でも、それも含めて楽しむことができたツアーかなって思いますね。自分達のステージに対するモチヴェーションの作り方も、今までは『ぶっ倒すぞ』みたいなところで気合い入れてたのが、『俺らを求めて集まってくれた愛すべき音楽好きのみんなに、極上のグルーヴをお届けするぞ』っていう、ミュージシャンシップ的なモチベーションでステージに立つことができるようになったのも凄く進歩したなって思うし。あと、自分達は自分達だっていうことをキープして周ることができたのは大きかったですね。『大阪はこういう人が多そうだから、こういうテンションで行こう』とか、そういうことをまったく考えずに、自分達のライヴをするっていうのだけは心がけて。今回ツアーで20本ライヴをやって自分の中で明らかになったのが、土地によってお客さんのノリが違うのは当たり前じゃないですか。だからこっちもそれをちゃんと楽しめばいいってなれたのは、デカい発見だったなって思いますね。それも含めてライヴというものが愛おしく感じるようになって」

■去年1年間はいろんなカラーの違うフェスやイベントに出て。当時はそれを楽しみながらも、どうSuchmosのノリに巻き込んでいくかがひとつのテーマでもあったじゃない?

「そうっすね。やっぱり去年のフェスシーズンは道場破り的なスタンスだったんで。短時間で何か残るモノをお客さんに与えたかったし。そこで気合い入れて臨めたって意味では、道場破りのスタンスはすげぇよかったって思うんですけど。でも、今回はお客さんに対するスタンスも、『喰らえ!』みたいな感じじゃなく、『よく来たね!』みたいな感じで周ることができましたね」

■それはやっぱり、『THE KIDS』が大ヒットしたことで道場破りに成功したというか、この国の音楽シーンに自分達が一番カッコいいと思うものをちゃんとカッコいいと認めさせた、証明した上でのツアーだったってことも関係してるの?

「うーん……話題になってるという事実はもちろん自分達の耳には入ってるんですけど、それが自分達のステージに影響を与えたかというと、やっぱり、ないですね。それよりもこの期間中に得たいろんな感性というか、いろんなアーティストが過去に言ってたことややってたことに感銘を受けて、それをちゃんと引き継ごうっていう意志が生まれたとのが大きいっすかね。そこを継承する人が日本には今いなくなっちゃったなって思って。そういうことを『MINT CONDITION』を出した頃から考えるようになったんですよ。たとえばジョン・レノンとかボブ(・ディラン)とか、そういう人達が言ってきたことを純粋にリスペクトする心の余裕ができたのかな。この人達は凄いことをやってたんだな、作ってる音楽も凄いのに、なおかつその中に人々をよりよい方向にガイドするものを入れてるなんてすげえ!って真剣に思って。それって日本人だと(忌野)清志郎以降いないなって思うんですよ。だから俺はそれをやろうと思ったって感じですね」

■つまり、自分が表舞台に立って歌を歌うこと、ステージに立って音楽を鳴らすことに対する想いや役割を改めて見つめ直したっていうこと?

「そうですね。去年の夏くらいから、本当にいろんな出会いと別れがあって。その中で――まぁいわゆるロックバンドという存在に助けられてた中学2年の時からずっとそうだったんですけど、やっぱり音楽って人生のいろんな局面で手を差し伸べてくれるものだと改めて思ったし、かつ、この1年は、自分が音楽で誰かに手を差し伸べることができてるんだっていう実感をたくさん感じ取ることのできる1年だったんで。単純に、この手で掬い上げるものをもっと増やせたらいいなって思うし、それが、俺が音楽で得たものを還元する最良の方法かなっていうふうに真剣に思うようになったんですよね。で、それをより具体的に曲にしたり、今回のツアーを経てステージ上の発言だったりでも素直に出せるようになった気がしてて――」

(続きは本誌をチェック!

text by有泉智子

『MUSICA6月号 Vol.122』

Posted on 2017.05.17 by MUSICA編集部

BUMP OF CHICKEN、21年目以降のこれからを誓い合う
名曲“リボン”を配信リリース。
1年4ヵ月ぶりのソロ取材で藤原基央が語り尽くす

どんな曲も聴いた人がその曲との関係を作れる
普遍的なものであるべきだと思ってて。
ただ、今回そうじゃない作業を1個したとすれば、<赤い星>っていう言葉で。
これは僕達4人にとってのマークだから。それを書きたいと思ったんです

MUSICA 6月号 Vol.122P.38より掲載

 

■今日は5月の1日だね。

5月の1日って?」

■久々の新曲リリース日、おめでとうございます。

「……ああっっ! ありがとうございます」

■ちょっと待って、「5月の1日だね」って言ったら、そういう気持ちで言われてるって普通思うでしょ(笑)。

「ごめん、わかんなかったわ(笑)」

■アーティストに「今日だね」みたいな話をすると、大抵はみんな「嬉しいです、自分の子供がまた生まれたみたいで」みたいな話になるものなんだけど(笑)。仕切り直して、16時間前に“リボン”が配信という形で世の中に飛び出していったわけなんですけど、どんなお気持ちですか。

「いや、僕も本当に嬉しいですよ。もちろん僕にとって、自分の曲が世の中に聴いてもらえる瞬間っていうのはいつも凄く大きな喜びがあります。ただ、今どうしてすぐに反応できなかったかと言うと、“リボン”に関しては2月の時点で(スタジオライヴの)生配信という形をやらせてもらっているので、なんか、既に(この曲が世の中に)出た気でいたのは事実なんだよね」

■そうだよね、210日のP.M.1130から、スタジオライヴの生配信という形でこの曲を世の中に披露したことはプロモーションを超える出来事だったからね。結成20周年イヤーが終わってしまう最後の日の最後の時の直前に生配信したわけだよね。

「そう、間違いないです」

■この曲は、そういうことをやること込みで作った曲なんですか?

「結論から言うと、違います。曲が先ですね。そういうことをやるために曲を書こうよって言われてたら、たぶん僕は書けなかったと思います。そういう派手なことを思いつくのは周りのスタッフで、僕はただいつも通りに曲を書くだけです」

■じゃあこの曲も、コンセプチュアルに書いたというよりは、いつものようにポロッと自分の中から生まれて宿って、そして出てきたんだ。

「そう。1月くらいに書いたんですけど、その時、続けざまにスタジオ作業をしている日があって。その作業中に、やることなくなっちゃったな、みたいな時間に書いたぐらいの感じだったと思います」

■あ、そんなに何気ない感覚なの?

「そうそう。それで書いたらこういう感じの曲ができて。で、こういうタイミングでこういう感じの曲ができたんだったら、210日でアニヴァーサリーイヤーが終わるので、そのタイミングでオフィシャルサイトで発表でもなんでもいいんで聴いてもらえたらいいな、ぐらいのことは考えていたんですよ、僕やメンバーは。そうしたらスタッフがスタジオライヴで生配信しようっていうアイディアを出してくれて。僕らはそんな派手なこと思いつかないから(笑)」

■この曲は、曲先(歌詞よりも和音やメロディーが先にできること)?

「これはアルペジオが先です。イントロからそのままAメロまでずっと続くあのアルペジオが一番初めにあって、あそこから始まりました。あのアルペジオがあって、歌メロも鼻歌程度にあったんですよね、なんとなく。それはずっと前からあったんです。もう12年ぐらい前からあったんじゃないかな。<嵐の中を>っていうところから始まるじゃないですか。それもあったと思います、嵐感っていうんですかね」

■それ、なんだ(笑)。

「イメージだよ(笑)。情景みたいなものかな。嵐の情景みたいなものが浮かんでたと思います」

■なんで嵐の中だったの?

「わかんないよ、そんなの(笑)。でもそこから転がっていきました。それができてから時間空いてるし、じゃあ、時間もあるしあのアルペジオの鼻歌をちょっといじってみようかな、みたいな感じで本格的に作り始めて。それで『あ、1曲できた!』みたいな感じ」

■では、そこまでをゆっくり紐解いてゆくね。まず今日の取材は、去年の暮れに日産スタジアムのライヴ映像作品の取材をして以来になるんですけど。そこで2016年を振り返って、2017年もよろしくねっていう形でお別れしました。今の話を聞いていると、年明けは休まなかったってこと?

1月の中旬に曲を書いてるんだから、あんまり休んでないってことだろうね。正月は少しゆっくりみたいなのはあったと思うんですけど、割と間もなくスタジオに入ったんでしょうね。今年の初めどんなんだったか全然覚えてないな(苦笑)」

■そのタイミングでスタジオ入ったっていうのは、なんらかのことに急き立てられるような感じだったのか、それとも自分のルーティーンとしてのスタジオ入りだったのか。どんな感じだったんですか?

「周りのスタッフさん達のルーティーンであり、そこに急き立てられた僕、ってことでしょうね(笑)」

■ははははははははは。周りのスタッフ的には、ここらでフジにちょっと曲を書いて欲しい、その曲を持ってどこと何を話そうかみたいな?

「『年も明けたしそろそろ藤原に曲書かせておこうぜ』みたいな感じだったんじゃないですかね(笑)。……なんかあったっけ? 1月に急き立つ理由」

スタッフ「それです(笑)。年も明けたし、ツアーが9月からスタートするって決まってたから、このタイミングから曲を書き始めていこうっていうところでしたね」

■それこそ前回のインタヴューでメンバーみんなと話した時に、「2017年はどうしていこうみたいな話は、なんとなくやんわりと出てるよ」って言ってくれてたじゃない? それは今年のツアーの話だったんだね。

「そうだと思います。ただ、そういう話し合いはタイミングタイミングでちゃんとあるし、なんならこの前もやってるんだけど、その話の内容や約束を一番最初に忘れていくのがまず僕で」

■なんで?

「あんまり必要ないと思ってるから(笑)」

■ははは、どうして?

「(笑)たぶん、ちゃんとした1年間の見通しみたいなものがあっても、自分の役割の中で、その見通しに合わせて曲を書いていこうと思ったってできないし……っていうことだと思うんですよね、きっと。僕は曲を書く役割で、でも何かに合わせて曲を書くってことはできない人だから。だからそういう見通しっていうのは、自分俺の役割の中ではあんまり重要じゃないっていうか。僕はあんまり計画性がないので、スタッフのみんなが計画性を持って動いてくれているっていう。で、僕は曲を書いて、レコーディングをして、ツアーになったら精いっぱいやる、それだけです」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA6月号 Vol.122』

Posted on 2017.05.17 by MUSICA編集部

4度目の開催を迎えたVIVA LA ROCK大特集!!
ロックフェスとしての意義と自由を体現した
熱狂の3日間をドキュメントで振り返る!

最高の熱狂と歓喜が溢れた、最高に幸福な3日間をありがとう!!!
すべての参加者と出演者、そしてすべての音楽ファンに
心からの感謝と愛とリスペクトを込めて、ビバラ大特集を贈ります!

MUSICA 6月号 Vol.122Special Book in Bookより掲載

 

 大切なことほど、その本質が自分にとって大きくなり過ぎてわからなくなるということは多いですが、VIVA LA ROCKもまさにそういったフェスで、4度目となる今回も1年間、このフェスに振り回されてきました。

 このフェスはだいたいSWEET LOVE SHOWERが終わった辺り、つまり夏休みの最後の週辺りから具体的なイメージを浮かべ、9月の中旬頃にブッキングを始めます。まずはそこまでの間で具体的に出演に関しての話をした方、前回のブッキングの時に次にという話がどちらかから出た方にファーストオファーをします。そして次に、出演してもらうニューカマーの方々を探します。

 これは確信を持った上での推測なのですが、ビバラはロックフェスとして、一番ニューカマーの出演数が多いフェスだと思います。それはこのフェスのメディア性と物語性としてとても重要なものなのですが、今回も早い時期にD.A.N.yahyelに出演オファーをし、出演してもらうことになりました。そこで、このことは今回のビバラの重要なポイントになるなと思ったんです。つまりは「いわゆる邦楽フェスに出演し難いバンドやアーティストが、どう機能してゆくフェスにするのか?」ということです。このMUSICAの中ではいたって普通に登場し、シーンのキーを握っているバンドとして記事を作っていますが、いざフェスとして考えると、いわゆるフェスシーンという場所に彼らの居場所はあるのか? ただただ出演してもらうだけで、彼らのライヴがビバラで盛り上がるのか?という余計なお世話が始まったのです。

 そこでいろいろ見渡したところ、フェスシーンというのがあるらしいということを今更ながら知りました。その中にはMUSICAでも大活躍しているバンドもいますが、僕はその「フェス系ロック」という言葉自体にフェス側として違和感を感じたのです。「フェスってジャンルを定める場所なのかな?」、「いや。フェスってジャンルではない、現場で自分の好きな音楽を見つけるための発見や体験の場所なのではないか?」――そこでロックフェスであり続けるために、フェスシーンという壁を超えて、しかもフェス的であるフェスを作ろうという、なんだか今こうやって書いてもよくわからない信念の下に、ブッキングが進みました。

 年末になるとブッキングはまだ全部終わっていませんが、日割り別の出演アーティストを発表することになります。そこで前述したことをさらに熟考した結果、3日間、それぞれの日の「色」を明確に出そうと思いました。その結果、3日は「この5年間の中で階段を駆け上がり続けた若手のバンドが多く出演する日」。4日は「これまた前述したD.A.N.やyahyelのようなバンドも楽しみながら、所謂音楽フェスを避けて通りがちな音楽ファンの人も楽しめるフェスとしてのビバラを確立したい日」。そして5日は「パンクやロックバンドとしての独自性を持ち続けながら活動しているバンド勢が芯となり、そういうバンドをリスペクトしている気鋭のバンドも集まる日」。こう分かれていったのです。

 

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA6月号 Vol.122』

Posted on 2017.05.17 by MUSICA編集部

デビュー20周年に突入したDragon Ashから、
新しい感触に満ちた感動の名盤『MAJESTIC』が到着!
バンドの神髄と今を解き明かす、Kj単独インタヴュー!

自惚れてたんだろうね、俺は世界を変えてやるんだって。
俺にとってTHE BLUE HEARTSとかの音楽が
そういうものに聴こえてたんだと思う。
でも、実際は、ひとりの人間が些細な世界で歌ってることが、
結果的に俺にとっては超大きいことだったっていうことなんだよ

『MUSICA 6月号 Vol.122』P.26より掲載

 

Interview with Kj

 

7人でのインタヴューでも話した通り、予測していた以上に新たな挑戦や実験を取り入れた、新たなDragon Ashの音楽像が響いてくるアルバムになったなと感じてるんですけど。『光りの街』と『Beside You』のインタヴューでも話は聞いていますが、改めて、そもそもKjの中では、『THE FACES』という集大成から次へと向かうにあたり、いつ頃からどんな意識とイメージを持って取り組んできたんですか。

3年ぶりって言っても、『THE FACES』のツアーやった後もずっとライヴやってたし、同時にソロアルバム出したりそのライヴもやったりしてたから、自分が『よし、やろうか!』みたいになる前にDragonをやらなきゃっていう時期が来ちゃって。だから最初は全然定まってなかったんだけど。ただ、基本的に、Dragonってきちんと前を向いて意志を持ってやるために、常にその時々に少しずつ衣替えしていくって感じだから。下に着てる服は変わらないんだけどアクセサリー替えてみたりとかさ、そういう形で変えてるっていうか。で、今回もそれをやったっていう感覚なんだけど」

■つまり芯は変えることなく、自分達にとっての最新のモードを纏ったと。

「そうね。わかりやすいとこだと、大幅にダウンチューニングにしてみたりとかさ。あとやっぱ、賢輔が入ることでグルーヴが変わるってのはわかってたから、それに伴って少しずつ変えたい点――ドラムの音だったりBOTSくんの役割だったりについて話しながら、“Circle”から始めて。で、“Circle”、“Headbang”って録った感じがよかったから、その時点では今回は速めのBPMで剛腕的な曲で押し倒そうかなと思ってたんだけど」

■なので、当初は次は完全にゴリゴリなラウドで行くと公言していた、と。それが変わっていったことは前の取材でも話してくれましたけど。

「うん、ラウド一辺倒にしたかったのは実は俺だけだったっていう話ね(笑)。やっぱり俺はソロやってるから、メロディを作ることに対してとか、こういう音を入れたいみたいな音楽的欲求っていうのは、今はそっちで満たされてるし。かつ他の人の曲も書くし、最近だと舞台の音楽もやったりしてるから、アコースティックの曲とかも作ってるし。となると、自分がDragonでしか出さないアウトプットってラウドなものだけなんだよね。逆に言えば他の要素は全部表現できている生活だから、だからこそDragonはラウドなものにフォーカスしてやろうと思ったんだけど、それをやってるのはあくまで俺だけであって、みんながラウドなものだけでいいと思ってるわけじゃなかったっていうのが大きい。で、それもそうだなと思って(笑)。メンバーやスタッフが思うことって、俺も言われりゃ納得するみたいな(笑)。それで、自分の中にあるDragonの輪っかの濃い部分をもうちょっと大きくして、このアルバムを作った」

■その中で、この前の取材でサクさんも言ってましたけど、シンセやシーケンスが多用されているというか、久々にエレクトロニックな要素がガンガン入ってきていて、それとラウド感、肉体的なグルーヴとの融合が非常に新鮮に感じられる要因になってると思うんです。このサウンドが刷新された感覚って、それこそ『Río de Emoción』でラテンミュージックを導入した時以来のモデルチェンジ感を感じるんですけど。元々デジタルと生音の融合っていうことに関しては早い段階から意欲的でしたけど、今改めてこういうモードになったのはどうしてだったんですか?

「そこはもう、徐々に徐々に分量増やしていったら自分達なりにモノになってきたというか。でも、フレッシュな感じだよ。ソロじゃ絶対ああいう音使いはやらないし。あとソロはピアノソング多かったから、鍵盤を少し練習するようになって見方が変わったっていうのはあるかな。ちょっとだけだけど触れるようになったっていうのが大きい。これって楽器として面白いな、みたいなさ。そういうことなんだよ、すべては。だからそんなに特別に意識したことじゃないんだよね」

■ただ、『光りの街』の取材の時に、「『THE FACES』とそのツアーは、これを作るために今までの歴史があったって言っても過言ではないレベルまで行けた。だからすげぇ達成感があったし、あのツアーが終わった時点で俺の中では1Dragon Ashは終わってて」と話してくれた、つまり今回は明確に区切りがついた上での一歩であるという意識はあっただろうし、前回の取材でも「もう1回チームみんなで一緒に手を取り合って、薄明りの中で手探りで歩いてる感覚のほうが強い」とおっしゃってて。それを考えても、この7人の新しいバンドとして鳴らすDragon Ashの新しい音を求めていく部分が凄く強かった、それがこういう形で表れたっていうことなんじゃないかと思うんですけど。

「そうね……答え方が難しいな。悪く捉えられちゃうかもしれないけど、前も言ったけど、Dragonはもう『THE FACES』でやり切ってるんだよ。これ、別にDragonに対して冷めてるとかってことじゃ決してないよ」

■はい、凄くよくわかってます。

「もちろんDragonをやり続けたいっていう想いはある。で、そのために、自分達と観に来てくれる人・聴いてくれる人が楽しくやり続けるために、変化していってるってことなんだよね。だから正解かどうかはわからないけど、今はこれが楽しいからこれをやるって感覚。俺らの根底にあるのは、大好きなことだから一生懸命楽しくやるっていうのをまず自分達がやって、その結果として、観てる人とか聴いてる人も楽しくなったり、それぞれの中に何かの意志が芽生えたりするっていう――それって精神的な方法論としては一番シンプルだけど、でも一番大事に思ってることでさ。そのために、今回自ずとこういう形で変化したっていうこと。……ただまぁ、やっぱ『THE FACES』と比べれば、作り終わった後の摩耗感とか疲弊感と今回は全然ない。単に楽しく作ってたから。ほんと、まだまだできたと思うんだけど、気づいたら『あ、もう時間いっぱいか』みたいな感じだった」

■タイムアップか、みたいな。でも満足してないわけじゃないんでしょ?

「それはもちろん。『THE FACES』みたいな達成感はないってだけ」

■その達成感のなさっていうのは、これが新しい始まりの1枚だからっていうことは大きいのかなと思いますけどね。ここから先が見えてる状態というか、ここから先に進むための1枚ができたっていう手応えが、そういうふうに思わせてるんじゃないかと思うんですけど。

「そうね。だから取り組み出して形になってきてっていう、その充実じゃない? 体は1個しかなくて時間も24時間しかないんだけど、やりたいことと思いついてるアイディアは膨大にあるから、それやってたらあっという間に期限が来た、みたいな」

 

(続きは本誌をチェック!

text by有泉智子

『MUSICA6月号 Vol.122』

Posted on 2017.05.17 by MUSICA編集部

Dragon Ash、デビュー20周年を打ち立てる金字塔にして、
新たな始まりの号砲『MAJESTIC』完成!
20年の軌跡と最新の今を、
メンバー全員インタヴューで紐解く

今回は今までで一番ぐらいに光に満ちたアルバムっていうかさ。
喜びのままに音楽を鳴らしている印象が強い。
そういうアルバムが出せたのも、
自分がやってきたことがすべて価値があるって思えている今があるからで

『MUSICA 6月号 Vol.122』P.12より掲載

 

■アルバム完成おめでとうございます! シングルや配信でリリースされた楽曲を聴いて想像していた以上に、新しいDragon Ashの音が響いてくるアルバムで、20周年にして、また新しい始まりを明確に告げるアルバムになったなと思うんですが。まずはそれぞれ手応えを聞かせてください。

KjVo&G)「おっしゃる通り、20年の成人式っていうよりは、大人1年目みたいな感覚。賢輔(KenKen)が全曲弾いてる、要はゲストって感覚ではなくメンバーとして一緒に音を作っていくのは初めてのことだから。だから本当に1年生のつもりでやったし、抜本的に音作りから変えてったんだけど。TDも何度も何度もやり直して、やっと形になっていったのが(今回の制作)初期で。で、そこからだんだん何も言わなくてもお互いに意志の疎通ができるようになったぐらいで、タイムアップっていう感じだった」

■あ、そうなんだ。

Kj「うん。だからやり切った感とかは誰もまったくないと思う。この感じで楽しく真剣にやってたら、時間いっぱいになっちゃったっていう感覚。でも、ちゃんとDragon Ashは今こういうふうにしたいって思う形は十分に表現できたなと思う」

BOTSDJ)「俺もKjの言ってることに近いっすけど、『あぁ、終わっちゃった』みたいな感じはちょっとあって。新たに試したことが多いアルバムなんだけど、それがいい感じに形になってきたというか、その新たな試みに慣れてきたぐらいでレコーディングが終わっちゃった感はあるかな。でも最後に“Jump”っていう曲で終われたのが、個人的にはよくて(笑)。“Jump”っていう曲に形容詞をつけるとしたら、『凄い曲』なんで」

一同「はははははははははははは」

BOTS「『凄い曲』って超漠然としてるけど、あんまなくないっすか? 俺の中で“Jump”はそういう曲なんで。そういう凄い曲でアルバムが終われたのはよかったなと。だから満足してますね(笑)」

■というか、今回は久々にかなりシンセが多用されてて、めちゃくちゃ肉体的な生のグルーヴとデジタル感の融合が新しい響きを呼んでるんですけど、中でもこの曲は終盤にEDMっぽいシンセも入ってきて結構びっくりしたんですけど。

桜井「あー、あのウ――ッってところね。BOTSくんが最終的によりEDM感を強くするんですよ。ウ――ッみたいなのをガンガン入れてくるから」

BOTS「あれはEDMではなくトランスです!」

桜井「あ、失礼しました(笑)」

Kj「みんなBOTSくんにわかんないようにちょっとずつ(ウーッのバランスを)下げていくんだけど、最後にBOTSくんが『あの音上げよう』っつってね(笑)。バレたか!みたいな(笑)」

BOTS「ははははははははははははは」

HIROKIG)「BOTSも言った通り、やっぱり新たな試みをいっぱいやったアルバムなので、最後の最後までいろいろやったんですけど。それこそ前に話したドロップチューニングの問題に始まり(笑)、自分の立ち位置をどう取るかっていうのを探ったりもしたんだけど、それも途中から見えてきたし。最後までバランスとか取りながらやれたんじゃないかなと思いますね」

DRI-VDance)「僕もネクストステージに行ったなっていうのは、率直に思いましたね。今までだったら、アルバム最後の曲は完結するような曲で終わってたのが、今回は“A Hundred Emotions”がケツになったことで、次の世界に引っ張り出されていくような、次のショーが始まるみたいな印象があって。それがまたいいなと思いました」

ATSUSHIDance)「俺は、喜怒哀楽の詰まった、まさに威風堂々たる壮大なアルバムだと思ってますね。それぞれの曲で喜怒哀楽が全部表現されていって、最終的に一番最後の“A Hundred Emotions”に繋がっていくという。最後そこに落ち着くというか。そういうイメージがあります」

KenKenはどうですか?

KenKen「ひと言で言うと『MAJESTIC』だなと思いますね。ドーンッ!としてますよね、凄く」

Kj「ははははははは! あんだけいいベース弾いといて、ドーンッ!って、下手じゃない!?(笑)」

KenKen「いやいやいや、(太く力強い発声で)マジェスティックドーンッ!っていう(笑)」

Kj「それ文字にしたら伝わんねーから!(笑)」

KenKen「ははははは。でも本当に光栄なことだなと思ってて。Dragon Ash20周年を迎えるにあたって、一緒にやらせてもらえることが僕の人生の誇りなので、自信を持って弾かせてもらいました。あと、個人的には“Mix it Up”が印象に残ってて。『DIVE for FREEDOM』っていう自分が『オレパルーザ』で掲げてたテーマが、まさかそのまま歌詞になるとは思ってなかったので。普通に聴きながら『歌カッケェな』と思ってたら、『あれ? 今なんか言ったよね?』ってなって(笑)」

Kj「『おいおい、<dive for freedom>って言ってねーか!?』みたいな?(笑)」

KenKen「そう! それは本っ当に嬉しかった。全体としても『オレパルーザ』で掲げてた想いを上手く表現した歌詞になってるし、さすがだなぁ、凄くいいなぁと思いましたね」

■ちなみに、『MAJESTIC』っていうタイトルはいつぐらいについたんですか?

Kj「少なくとも“Beside You”と“Mix it Up”を録る前から“Stardust”と“Majestic”はあったから、だいぶ前だね。『MAJESTIC』っていうアルバムにするっていうのは、だいぶ前に決まってた」

BOTS「俺、(20167月頭の)京都大作戦に行く新幹線の中で言われた気がする。『MAJESTIC』でネタ探しといてってKjに言われて」

■そんなに前からあったんだ。

Kj「俺は基本的には1曲目から作るタイプなんで、1曲目は割と最初のほうに作ってるんだよね。今回のタームに入った段階から抜本的に録り方も変えていきたいっていうメッセージはみんなにも伝えてたし。どうなっていくかはわかんなかったけど、でも『MAJESTIC』っていうイメージはあった。で、一番アルバムを象徴する曲を最初と最後に持ってきてるつもりなんだけど。“Stardust”と“A Hundred Emotions”が、俺がこの7人でやりたいことだったというか。で、それが出せたね」

■ではお待たせしました、サクさんどうぞ。

桜井「俺、訊かれねぇなと思ってた(笑)。やっぱミクスチャーって、可能性が無限大だなって改めて思いましたね。王道のパンクだったりロックがありつつ、時代を反映するような音を上手く昇華して合わせていくっていう作業をしながらこういう音楽を制作すると、非常に面白いものになるんだなと思いました」

Kj「そもそも、新しいことやっていかないとやり甲斐が見出せないっていうのはあるよね。もちろん単純に音楽やるだけで楽しいんだけど、まだ制作して、まだリリースを楽しみにしてくれる人がいるなら、新しいことをやらないとやり甲斐がない。ぶっちゃけ続けてくっていうことで言えばさ、200曲ぐらい作ってれば、もう大丈夫じゃん?」

桜井「ま、ライヴに関してはね(笑)」

Kj「そうそう。20曲でライヴやりますとか言ってもさ、10曲に1曲しかできないわけだから。でもウチはやっぱ、あくまで前を見て、その時々に今やりたいことっていうのをやり続けてきて。その『今』の連鎖で気がついたらフルアルバム何枚も出して、何回もツアーやって、何回もイベントに呼んでもらってってとこに行き着いてるっていうか、いろんな人がまだポジションを用意してくれてるっていう。それは幸せなことだと思うよね。単純に自分達でもそうやってたほうが楽しいし――」

(続きは本誌をチェック!

text by有泉智子

『MUSICA6月号 Vol.122』