Posted on 2015.01.17 by MUSICA編集部

キュウソネコカミ、次のステージを見据えて放つ挑戦作。
『ハッピーポンコツランド』で幕を開けるキュウソ第二幕!

僕ら、全国的にフィジカルバンドっていう印象がついてるじゃないですか。
そういうバンドがオリコン1位を獲るっていうのは、
やっぱオモロイじゃないですか。
それを誰よりも早く達成したいっすよね

『MUSICA 2月号 Vol.94』P.88より掲載

 

■2015年の第一弾としてミニアルバム『ハッピーポンコツランド』が出ます。私はこの作品は、“GALAXY”を筆頭にキュウソが今の状況とここからのステージを見据えて意図的にターニングポイントへと向かった作品だと感じているんだけど、自分達ではどうですか。

ヨコタシンノスケ(Key&Vo)「ターニングポイントっていう意味で言えばそうかもしれない。“GALAXY”は特にそうですけど、他の曲も含めて、作り方とかやり方を変えていったんで。まぁ基本的な部分は今までと同じなんですけど、でもセイヤの歌詞の作り方にしても音の入れ方にしても、ちょっと違うことをやってみようってやってたのは間違いないです。目指してる方向的には『みんながわかんないことをやろう』じゃなくて、どっちかって言うと『もうちょっとわかりやすいことをやってみよう』っていう感じなんですけど。その意識はありましたね」

■そうだよね。どうしてそういう方向で制作をしていったんですか?

シンノスケ「前の『チェンジ ザ ワールド』作った時って、僕らの中では意識的にインディーズの頃の感じを引っ張って『キュウソです、よろしく!』みたいな感じにしたところがあって。で、そこでひとつ確立というか、自他共に認めるキュウソのイメージができるところまでは行ったんで、今度は『違うことやった時にどういう反応があるんだろう? “GALAXY”みたいな曲を書いてみたら、みなさんどう思います?』みたいな感じで、反応を見てみたいと思ったんですよ。で、これがもし受け入れられるんだったら、僕らとしてもバンドの息が長くなるんじゃないかと思って」

■要するに“GALAXY”のようなタイプの音楽性がキュウソネコカミとして成り立つならば、今ウケているキュウソの立ち位置やマーケットを越えられる、バンドとしての可能性が広がるっていうことだよね。

シンノスケ「そうですね。あと今回は、作り方としてセイヤの身を削る形では作ってないし。それよりも俺が割と先頭に立って、アイディアを上手いことハメて作るっていう感じでやったつもりで」

ヤマサキセイヤ(Vo&G)「そこは今回、結構時間がなかったっていうこともあって、シンノスケに任せた部分が大きかったんですよね」

■でも歌詞の書き方もちょっと変わったよね?

セイヤ「そうですね、変わりましたね」

■“GALAXY”もそうだし、“なんまんだ”みたいな曲もそうだけど、自分の中の憤りや鬱屈、世の中への皮肉を痛快に歌詞にしていく方法論とはまた違うタイプの歌詞が生まれてて。これも意図的なものなの?

セイヤ「テーマを自分の中身以外のところに向けたらそうなりましたね。今までやったら、無機物とか宇宙とか絶対書かなかったっすもん。だからディスが減ってるかもしれんな……メロディもそうやけど、切なさというか寂しさみたいなのがありますよね。ちょっと悟りが入ってるっていう」

■これって、歌詞の源泉にあった苛立ちとか怒りが解消されているっていうことなのか、単純に別のテーマが大きくなってるのか、どうなの?

セイヤ「『こいつ、ネタなくなったら終わりやな』って言われてることに対しての反発はちょっとあるかな。『自分のこと書かなくなったら、こいつらなんも書かれへんちゃうか』って言われてたりするから、『ネタなくなってもイケるし』みたいなんを見せたいのもあるかもしれん。だから今回、ほとんど自分のことをテーマにしてるもんはなくて」

シンノスケ「というか、今自分のこと書けって言われたら、ライヴの話しかできないっていうぐらいに他のことしてなくない?」

セイヤ「そう。本当にプライヴェートがない(笑)。それもあって、自分以外のことをテーマに書くっていうのをやろうとしてたとこはあります。でも、今回は全体にキャッチーやっていうのはあるんですけど、その一方では、“Scary song”をぶっ飛ばし過ぎて」

■いや、“Scary song”はめちゃくちゃ最高だよ!(笑)。

シンノスケ「僕も本当に一番最高だと思います、このアルバムの中で」

■キュウソらしくむちゃくちゃな展開をする曲なんだけど、音色や曲調の展開、ナレーション的な部分も含めて物語性が強い、ディズニーのストーリー性の高いアトラクションに乗ってるみたいな曲で。

セイヤ「これは本当にね、俺が言ったことをそのまま楽器隊が表現してくれたんですよ。『次はアイリッシュ!』とか言ったら、すぐそうなったし」

■中盤のアイリッシュの引き出しなんて、どこに隠し持ってたの?

シンノスケ「無理矢理ですよ、そこは(笑)。結構それ系の動画見たりして」

セイヤ「そうやって俺が言ったことを他の4人が再現するスピードが上がりましたね、今回から。もう『キュウソファクトリー』みたいな感じ」

シンノスケ「ま、“Scary~”のスピードがなんで速かったかっていうと、正直それまでの曲がちょっと窮屈だったっていうのもあったと思う。“Scary~”は最後に作ったんですけど、今回はみんな割と俺に任せてくれてたっていうのもあって、結構キャッチーメソッドみたいなのにハメていく形で曲を作ってたんですよ。でも、それってみんな的にはちょっと窮屈で、『もっと弾けようぜ』とか『わけわかんないことしようぜ』みたいな欲求が溜まってたところがあって。で、“Scary~”に関しては始めから『とにかく無茶苦茶なことやろうぜ』っていうところからスタートしたんで」

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text by有泉智子

『MUSICA2月号 Vol.94』

Posted on 2015.01.17 by MUSICA編集部

indigo la End、
圧倒的な確信と共に『幸せが溢れたら』完成。
「ドラマー、オオタユウスケの脱退」
発表前の全員取材、最後の4人語録

曲にもバンドにも本当に自信があるし、
今回はメロディも全部、自信があるんです。
この作品を出すっていうことだけで
2015年は相当明るくなる気がしてるんです

『MUSICA 2月号 Vol.94』P.82より掲載

 

■これ、まずジャケットがヤバいです。

長田カーティス(G)「あはははは! まずそこですか?」

■これは危ないジャケットだ。一番ドープな昼メロみたいな世界が匂ってきますよ。しかも、ここに写っているふたりは今、生きていない気がする。

川谷絵音(Vo&G)「これは……そうですね(苦笑)。でも、こんなふうになるとは思ってなかったんですけどね」

後鳥亮介(B)「悲壮感ハンパないですよね。触れてはいけないような」

■いやぁ、このジャケットは相当ヤバい(笑)。そして、新正式メンバー後鳥さん、弾きまくってますね。1曲目のAメロ聴いた瞬間、天を仰ぐようにベースが聴こえたんですけど。

後鳥「はい、泣きながら弾きました(笑)」

■これは正式メンバーになって最初のフルアルバムっていうことも含めて、自分が行くところまで行かないと、みたいな?

後鳥「そうですね。あとは川谷選手に求められてしまって、『もっと! もっと!!』っていうのがあったので(笑)」

■煽りまくったんだ?

川谷「そうですね。まぁ、もうベースがワッてなってるところは基本的に俺がレコーディングで煽って変えたところですね(笑)」

■そういうところも含めて、バンド史上最高の傑作アルバムができ上がったと思っています。2014年に『あの街レコード』を出した時は、「バンドの調子が凄く上向きだなぁ。ここから変わっていくんだろうな」って思ったんですけど、この作品はそれを通り越して驚きに近い感覚を感じた。まずはオオタさんから、このアルバムへの想いを聞かせていただけますか?

オオタユウスケ(Dr)「4人で初めて作ったアルバムなので、バンドらしく……バンドでいい作品を作るっていう。そういう感覚って今まであったようでなかったような感じで。今までは、曲作って録るっていう感じで」

長田「『曲作って録る』って、当たり前じゃない(笑)」

オオタ「そうなんですけど(笑)、今回はバンドの勢いをそのまま、本当に好きな作品を楽しんで録るような感じで、バンドやってる感が凄いあったんですよ」

■ある意味、職人的に作品に向かってきた今までと比べて、今回はバンドとしての生き様が鳴ってる、と。

オオタ「そうですね、はい(笑)」

長田「僕も、今まではぶっちゃけ、あんまり意味がなかったというか。今回はちゃんと歌詞も理解しようとしたし、展開も理解しようとしたし。自分の頭の中で1回ちゃんと『どうしよう?』っていうのを考えながらやってたんで。……今までは適当でした、はい、それは認めます(笑)」

川谷&オオタ「あははははは!」

■それによって、ご自分のギターやこのバンドへの関わり方がどう変わっていったんですか?

長田「変な言い方だけど、今までは歌に勝とうみたいな気持ちがあったんですよ、ギターで。今もそれはあるんだけども、共存を目指すようなスタイルにしようっていう感じですかね。やっぱり歌を聴かせたいバンドではあると思うんで、そういうのを意識して作っていこうかなってやってます」

■後鳥さんは?

後鳥「そうですね、僕はフル(アルバム)をちゃんと録ったのが初めてなんで。こんなに全部いい曲で大丈夫かな?っていう感じで。これから先が心配になるぐらい、本当にいいアルバムだと思っていて。indigoって特別なのかもしれないですけど、限定されたテーマがあんまりないんですよ。本人は違うのかもしれないですけど、作っていく曲がたくさんあって、全部いい曲で、『これでまとまったりするのかな?』って思うんです。でも、全部でき上がってみると、曲もまとまってるし、本当に1枚の作品だなっていう気がするので、とても驚きました。作っていて面白かったですし」

■さて、絵音くんは先月のインタヴューで「本当に自分が作ったのか?っていうぐらい素晴らしい作品になった」っていうことをおっしゃっていたんですが、いざでき上がってみて、どうですか?

川谷「そうですね。本当に最高傑作だと思います。indigo la Endの中でというか、歌モノのバンドとしても全然、稀に見る作品と言えるような……自分の中でも全然聴いたことがないなっていうものをいっぱい散りばめられたので」

■音楽として楽しい点がポイントとしてたくさんあるんですけど。その中で、『夜に魔法をかけられて』から2年間として考えていくと、あの作品に比べて音の違い――ダイナミックさ、ドラマチックさ、ファンタジックさ。何から何まで全部が同じバンドかと思うぐらい違ってるんですよ。音楽性が本当に広くなってきたし、コーラスワークまで含めてかなりレベルの高い作品になってると思うんですけど。

川谷「アレンジの幅広さっていうのは、そもそも後鳥さんが入ったし、ベースでいろいろできるのが2年前、1年前とは全然違うんで。で、ベースが変わるとやっぱりドラムも変わるし、全体的にも変わっていくんで。今回、本当に1曲目からベースがゴリゴリいってて。最初はあんまり意識せずに、メロディがよくなればいいなっていうぐらいで自分は思っていたんですけど、レコーディングをやっていく途中で後鳥さんならベースをもっと変えたいなと思って、リズムを結構変えたりして。それでやってみたら上手くいくパターンが多かったんですよね。“花をひとつかみ”とかもベースのスラップから始まるんですけど、最初はそういう感じじゃなかったのを僕がレコーディングの当日にその場で全部変えて――」

後鳥「ほんと大変だったんですよ(笑)」

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text by 鹿野 淳

『MUSICA2月号 Vol.94』

Posted on 2015.01.17 by MUSICA編集部

BOOM BOOM SATELLITES、
病と闘いながらも一切の妥協を許さず
魂からけずり出した渾身のアルバムと制作の日々……
川島道行・中野雅之へのソロインタヴュー×2で迫る

interview with 川島道行――
武道館の後、このバンドが作る音楽で歌いたいなって強く思ったんですよ。
あと2年だって言われた時も、
ここで歌って死んでいくんだと思った

『MUSICA 2月号 Vol.94』P.138より掲載

 

■とんでもなく素晴らしいアルバムができましたね。このアルバムはBOOM BOOM SATELLITESが完全体として立っているような作品であり、ひとつのBBSの完成形と言ってもいいだけの作品であり、そして個人的には1リスナーとしても今後自分の人生を支えてくれるアルバムに出会えたなと思える作品です。まず、川島さんの手応えを聞かせてください。

「僕らはいろんな時代背景を受けながら、その時々でアルバムというアートフォームを使って音楽を表現してきてるわけですけど。それを今回もまた更新できたと思うし、音楽の在り様が人の人生にとってどのように存在できるのかっていうことのひとつの力強い提示をしている作品になったなと思っていて。僕自身にとっても自信作です」

■前作『EMBRACE』が誕生した時に、これまでのBBSが培ってきた様々な音楽要素を全部昇華した上で、もっと大きな、より普遍的な響きと深みを持った音楽を作り上げたことに驚いたし感動したんですけど。でも、今回のアルバムは、またそこからの飛躍幅がもの凄くて。音楽的には前作から何か大きな変化があったわけではなく、延長線上にあると思うんですけど、ここまで更新することができたのは何故だと思いますか。

「他のアルバムと違うのは、表層的な部分での変化ではなくてもっと内面的なもの、人間の根底の部分から湧き出ているものがより強く楽曲に反映されているってことだと思うんですよ。客観的に聴いた時に――自分が作ったものが自分に大きな力を与えてくれることがあるんだけど、それが今回は凄く深いところまで訴えかけてきているなと思って。たとえば、昨今の音楽シーンでEDMが流行っていたりするけれど、でもそれにしたって、これまでのミュージックシーンの流れから言えば今のムーヴメントって小さなものだと思うんですよ」

■ミュージックシーンの流れを掌握したり、決定的な何かを象徴したりするような規模のものではないという。

「そう。ニューウェイヴ・リヴァイヴァルと言っても有象無象にバンドが出てくるような感じでもないし。そんな中でも、僕らは凄くドッシリと構えて、自分達の音楽を表現することができているということを、今回の制作の途中で実感できた部分があって。そういう音楽を作れた理由は、僕の病気とか、バンドがここまで続いてきた歴史とか、すべてが深く絡み合ってるんだと思うんですけど。今までこういうスタンスで活動してきたからこそ、根源的な命のエネルギーに満ち溢れた音楽が鳴らせたんだと思う」

■川島さんが途中で実感したっていうのは、いつ頃だったんですか?

「6~7月あたりだったと思います。凄く芯がしっかりしている楽曲とか、バンドの姿勢が貫かれているデモが揃っていたので、その時点でこれは大丈夫だと思った。僕らはふたりでやっているので、毎日その日のスタジオワークが終わると中野に『今作ってるの、大丈夫かな?』って何度も訊かれるんですよ。きっと、その『大丈夫かな?』っていうのは、世の中で聴かれて喜ばれているものと、自分が今やってることの間に関連性があるのかどうかってことだと思うんだけど。でも僕としては、今回の作品はそういう次元じゃないところに来ているなって思っていたので、ずっと『絶対大丈夫だから』って言い続けて。……僕はある種、当時はこのアルバムが最後かなって思ってたし、中野もそう思いながらやっていた時期が長かったから、その『絶対大丈夫だから』っていう言葉は、自分の中で重く考えた上での言葉だったんだけど。でも、そこまで考えた上でも、本当に大丈夫だとその頃から思えてたんです。……印象に残ってるのが、BAYCAMPで朝方ライヴをしたんだけど、もの凄い嵐だったんだけどお客さんは残っていて、その中で夜が明けていったんですよ。で、お客さんの後ろが海で、そこをタンカーが通るのが見えて。こっちでは爆音鳴らしてお客さんがワーッて言ってるのに、その後ろをタンカーがスーッと静かに走っていって……その様子を見ながら、僕らのバンドの姿勢はいつでもこうだったんじゃないのかなって思って。自分達の周りで何が流行っていようが、どんな嵐が起ころうが、僕らは僕らの音楽をやり続けてきて、その上で今9枚目を作ってるんだっていう感覚が湧き上がってきた。それを最後までやり遂げることができて凄くよかったなと思っています」

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text by 有泉智子

『MUSICA2月号 Vol.94』

Posted on 2015.01.16 by MUSICA編集部

凛として時雨、バンド史上初のベスト盤とニューシングルで
新たなシーズンの幕開けを高らかに告げる

自分には向き合うべき確固たる音が見えていて、
ずっとそれに向かって突っ走ってきた。
それに対してちゃんとふたりがついてきてくれることが、
本当に奇跡だなって感じました。
自分は音楽を信じていて、ふたりは僕を信じている。
そういう中でバンドを続けてきた軌跡を改めて凄く感じましたね

『MUSICA 2月号 Vol.94』P.62より掲載

 

■初回生産限定豪華盤を今、見せてもらってたんだけど――。

「はい。すぐ理解できないですよね(笑)」

■この中に音楽が入ってるとは思えないというか、下手したら大辞林とか広辞苑が入ってるんじゃないかぐらいのヴォリュームで(笑)。中を見ても、ヒストリー写真集もとてもぶっちゃけているし、今回のベスト盤、かなり楽しんで作りましたよね?

「はははははは。基本的には、今までのヒストリーみたいな感じで自分の手元にとってあったものなんですけど。いつか出せるタイミングがあるのかな?みたいな……結成当初からいろんなものを自分で持っていて。こんな思い切ったものを出せるとは全然予想してなかったんです。いわゆる曲だけをセレクトして作るベスト盤になるのかな?って最初は思ってたんですよね。でも、自分達にとって今出せるベスト盤って何なんだろうっていろいろ考えていくと、自然とこういう形になっていって。(スタッフなどの)周りが大変だったと思います(笑)。『これはできるのか? じゃあ、あれはできるのか?』とかいろいろ言いながら作ったんで」

■完全にそういうアイテムだよね。製本してからじゃないと印刷できない部分があるんでしょ? こういうのって、本当に面倒なんだよ、周りが(笑)。

「そうですよね、でもフェードアウトされることなく(笑)」

■スタッフに恵まれてよかったよね。

「そうなんです(笑)」

■そういう拘り切った、まさにベスト・オブ・ベスト盤なんですが。そもそもベストを出すに至ったきっかけっていうのは――おそらく10周年っていうところが大きかったと思うんですけど、どういう想いがあったんですか?

「最初は10年っていうタイミングが来たからっていう思いつきではなかったんですよね。たぶん2013年の武道館とかは割とひとつのポイントではあったと思うんですけど、そういう中でちょっと前からベスト盤の話はあって。でも、凛として時雨っていうバンドの性質とベスト盤っていうものがくっつこうにもくっつかないというか……自分の中でそぐわないイメージがあったんです。ミュージシャンとして、やっぱりどうしてもベスト盤に対してネガティヴなイメージがついてしまうというか」

■一般論としてベスト盤は消化試合のようなものがあるからね。

「自分達の意志がそこに組み込まれていないような気もしちゃいますし、それでなんとなく敬遠してたところはあるんですよね。ただ、武道館が終わって、それぞれのソロがあった中で、もう一度ベスト盤ってどうなんだろう?って考えた時に、CDっていうフォーマットがいつなくなるかわからないっていうのもあったし、今だったら面白い形で出せるんじゃないかっていう向き合い方ができたんですよね。凛として時雨のひとつのアルバムとして、ベストっていう選択ができるなって」

■それは、バンドで5枚アルバムを出して、それぞれがソロや他のバンドワークをできるアーティストになってきているっていうことも含めて一周した感じがあったの? もしくは、今の気分がそういうものだったの?

「あんまり一過性の気分っていう感じではなくて。自分達のいろんな表情に触れる中で、凛として時雨っていうものが少しだけ形を帯びて見えたというか……今までは中に入り過ぎていて見えていなかった部分とかもあるし、その中でまた時雨が動き出すタイミングに、一度今までの自分達を1枚の形にしてみるのもいいんじゃないかって思えたんですよね。今出会った人達とかこれから出会う人達にとって、今までの歴史が1枚で掴み取れるようなアイテムを作ることによって、また凛として時雨の新しい扉を開けることができるんじゃないかって思って。そういうオープンな気持ちだったり、前に向かう気持ちだったんです。タイミングとして10周年っていうのはもちろんあったと思いますけど、それ以上に届けたいっていう想いだったり、よりポップでありたいっていう想いだったりがあって。だったら新しい人達にも今までの自分達を一度曝け出して、舞台を真っ白に塗り替えてから新しいスタートを切ってもいいのかなって思って」

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text by 鹿野 淳

『MUSICA2月号 Vol.94』

Posted on 2015.01.16 by MUSICA編集部

サカナクション、草刈愛美の妊娠と
今秋までのライヴ活動休止――
山口一郎が2015年のバンドの動向と
新たな勝負の1年への想いを語る

不確かな未来へ舵を切った人達の結果が
ちゃんと残せるような未来の音楽シーンに
2015年がなり得るかっていうのは、これからわかることだし。
自分達がその一端を担えたらいいと思う

『MUSICA 2月号 Vol.94』P.54より掲載

 

■2014年の年明けも紅白で一緒に過ごし、『グッドバイ/ユリイカ』の取材をし――。

「はははははは、そっか。去年もそうでしたもんね。今年もこれが仕事始めですか? わざわざすいません、嬉しいです」

■そして2015年も紅白に続き、NHKの新年の特番「NEXT WORLD 私たちの未来」での主題歌の生演奏における取材になりました。まず、今日の生ライヴはどうでした?

「お話いただいたのは夏ぐらいで。実際に今日を迎えるまで、(オープニング用に“グッドバイ”の)リミックス作ったりとかいろんな準備がありましたけど……関わってる人達が、去年パリコレに出品したアンリアレイジの森永(邦彦)さんとか、今や世界のPerfumeの演出をやっている真鍋(大度)さんとか――」

■そして、国営放送のゴールデンの特番という。

「そう(笑)。規模みたいなのは体感しないとわかんなかったところもあったし、実際に今日その日を迎えて……なんか凄い経験したなって思いました。紅白と比較するものじゃないけど、紅白よりも誰も経験できないような、そして二度と同じことができないような凄いいい経験をNHKにさせてもらいました」

■“グッドバイ”っていう曲をリリースから1年おいて再生させるっていうチャンスでもあったよね。そういう気持ちってどれぐらいあって、どういう気持ちで今回やれたと思いますか?

「“グッドバイ”はシングル作った時点でタイアップついてなかったし、ずっとノンタイアップのままアルバムを迎えるだろうなと思ってて。アルバムのタイミングで“グッドバイ”をどういうふうに昇華するかっていうのを模索してましたし、今後どういうふうにあの曲が育っていくかっていうのは次のアルバムのツアーの時にわかるだろうなって思ってたけど……。でも、プロデューサーの寺園(慎一)さんが、<不確かな未来へ舵を切る>っていうキーワードを『NEXT WORLD』、2045年はどうなってるのか?っていうテーマに重ね合わせて、ぴったりな曲だって言ってくださって。実は最初は書き下ろしでお願いしたいっていう話だったんですよね。でも、そこが凄いはまるからこれで行きましょうって言ってくれて。……自分にとってあの曲は大切な曲だし、こういった形で2015年のスタートに“グッドバイ”を歌えるっていうのは凄い嬉しかったですね」

■2013年にタイアップ用に作っていた曲があって(“さよならはエモーション”の原曲)、でも“グッドバイ”のほうが、紅白に出た後の自分の作品としてシングルで切りたかったっていう想いの強い曲だったじゃない? その曲にこういう形でいろんなカルチャーが寄ってきてくれたってことは、かなり格別な気持ちなんじゃないかと思うんだけど。

「格別な気持ちというか、やっぱり自分が当時歌ったあの時の歌を違った解釈で、ああいうような真面目な未来に対しての番組で使っていただけるっていうのはそれだけで感謝だし、純粋に作曲者として嬉しいなって気持ちがあります。あと、サカナクション自体にとっても大事な曲だから、メンバーにとっても凄くいい経験だったかなって思いますけどね」

■というのは?

「ほら、“グッドバイ”を生み出すまでに右往左往したし、あれは2014年の始まりの曲だから――鹿野さんはそう言うな、それだけの結論に済ますなって言ってたけど、紅白出た後であんまり思ったような結果がこの曲で出なかったから。………バラードだったしね。そういった曲だったのがこういうふうに見直されるっていうのは、メンバーにとってもいいことだったんじゃないかと思うし、改めて自分達があの曲を愛する感覚みたいなものを取り戻せた気がしますけどね」

■<不確かな未来へ舵を切る>っていう言葉を私小説として生み出した人として、1年間経ってそれが時代のメッセージになる感触っていうのは、どういうもんですか?

「どちらかと言うと2014年って、不確かな未来へ舵を切ってる人達が損する時代だった気がしてて。わかり切ったものというか、みんなから求められてるものがはっきり、つまり確かなものになってたから。そのはっきりしてるものに気づけてた人もたくさんいたと思うんですよ。それを作ってきた人達が勝ってきたと思うし。そういう時代が2014年にあって、2015年も同じことが繰り返されるのか、求められるものに気づきやすいことなのか、わかりやすいものなのか、そこがこれからはっきりしていくとは思うけど、“グッドバイ”っていう曲のあのメッセージ、あの歌詞が担っている層みたいなのがあると思うんですよ。あの言葉が引き受けてる部分っていうかね。そういったところがまた注目されるっていうか、不確かな未来へ舵を切った人達の結果がちゃんと残せるような未来の音楽シーンっていうものに2015年がなり得るかっていうのは、これからわかることだし。自分達がその一端を担えたらっていうか、ひとつのアクセルになれたらいいなと思いました」

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text by 鹿野 淳

『MUSICA2月号 Vol.94』

Posted on 2015.01.16 by MUSICA編集部

星野源、横浜アリーナ2Days「ツービート」
完全独占密着&後日インタヴュー!

「みんなで『ひとり』になろう」――
15年前の孤独な部屋と満員のアリーナが
ひとつの線で真っ直ぐに結ばれ、未来を示した2日間。
初の横浜アリーナ2Days「ツービート」独占密着!

『MUSICA 2月号 Vol.94』P.42より掲載

 

 2014年12月16日と17日の2日間、星野源にとって初めての単独アリーナ公演となる「ツービート」が横浜アリーナで開催された。(中略)弾き語りDayとバンドDayという、スタイルを変えて挑んだこの2公演で、星野源はその過去と今をひとつの太い線で真っ直ぐに繋いでみせた。今回のツービートは星野源の原点であり、ここまでの集大成であり、さらには次のステージの幕を切って落とす出発点でもあった。――そんな2日間に密着しました。そのドキュメントと公演5日後に行ったインタヴューを、ここにお届けします。

 

2014年12月16日 弾き語りDay

 

 生憎の雨模様となった初日。前日までの行程では14時30分に予定されていた星野の会場入りは急遽13時30分に繰り上げられ、私はご本人より約10分ほど遅れて13時40分に会場到着。着々とチェックが進むステージを眺めつつスタッフの皆さんに一通り挨拶し、落ち着いたところで楽屋に向かおうとすると、マネージャー氏が「あ、今はいませんよ。場内をジョギングしてます」と言う。……場内をジョギング? アリーナに戻って周囲にグルッと目を凝らしてみると――発見しました、2階席の立ち見エリアをひとり走っていく星野源を。けれど発見したのも束の間、また扉の外へと消えていく。どうやら客席やコンコースをグルッと回りながらジョギングしているようだ。それからだいぶ経ってから、首からタオルを下げたTシャツ姿の星野がアリーナに降りてきた。「体を温めておこうと思って、早く来てジョギングしてた」そうだ。とはいえただジョギングするだけでなく、一番遠い客席にも行ってそこからステージがどう見えるのかも確認してきたらしい。

 この日は弾き語りDay、つまり、この広いアリーナでたったひとり、ギター1本で歌を響かせることで1万1000人の観衆の心を震わせなければならない公演だ。ほとんどのお客さんには歌い手の表情も生の息づかいも聴こえない、さらに一番遠くのお客さんには小指程度にしかステージ上の星野を視認できない状況で、でもその表情を伝え、その息づかいを伝え、そこに宿る心を伝え切らなければならない。しかも、サウンド的にも視覚的にもどうしても単調になってしまう弾き語りという形態の中で、最後まで観客を掌握し、飽きさせることなく惹き込み続けなければならない。

 これはかなり挑戦的なことだ。そもそもアリーナ以上の規模で弾き語りの単独公演をやるっていうのはほとんど例がなく、思い出すのは奥田民生が広島市民球場で「ひとり股旅スペシャル」をやったこと、そしてゆずがスタジアムでやったことくらい。今回の弾き語りDayは、形態としては星野がかつてやっていた「部屋」シリーズや2012年の「SHIWASU」に近いとも言えるかもしれないけど、でも規模はその5倍、10倍なのだ。

 星野に実際に会場に入ってみてどう感じるか?と訊いてみると、「狭いなって思った。で、『あれ? 俺、狭いなとか思ってるよ』って可笑しくなったんだけど(笑)」との返答が。お、頼もしい。ということはワクワクしてるのかなと思ってそう訊くと――「いや、緊張してる。意外と……ていうか、結構緊張してる」と言う。後に掲載するインタヴューでも語っているのだけど、事前リハまではまったく気負わずに進んできたものの、前日の夜から急に緊張が襲ってきたそうだ。それはそうだろう。そもそも久しぶりのライヴであることに加え、初アリーナで、しかも弾き語りライヴなのだ。これで緊張しないほうがおかしい。

 14時20分から、まずはシークレット・バンドのサウンドチェックが始まった。この日はいくつかのサプライズが用意されていて――。

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text by 有泉智子

『MUSICA2月号 Vol.94』

Posted on 2015.01.15 by MUSICA編集部

the telephones、10周年の決意
初の武道館ワンマンと年内いっぱいでの活動休止を語る

4人とも一貫して「telephonesをやめたくない」っていう気持ちはあった。
だけど、このまま続けていくと
辛いことしかないっていうのもみんなわかってて。
中途半端にするよりも、1回区切りをつけたほうがいいと思った

『MUSICA 2月号 Vol.94』P.14より掲載

 

■本当に最初の頃から濃いつき合いをしてきたけど。正直、telephonesとこういうインタヴューをする日が来るとは思ってなかったよ。

「そうだよね。俺も思ってなかった」

■一昨日の12月23日、「SUPER DISCO Hits 9 !!!」のアンコールで、石毛くんの口から10周年となる2015年をもって無期限の活動休止に入ることが告げられました。まず、解散ではなく、活動休止なんですね?

「活動休止です。でも、その期限は決めてないです。結成10周年がちょうどいい区切りになったというか……やっぱり10年経つといろいろ思うんだよね。俺だけじゃなくて、メンバーそれぞれいろいろ考えたり悩んだりしていて、そこにはお互いのズレも生まれていて……そういういろんなことをリセットする時間が必要なんじゃないかっていう。だからもう一度telephonesを楽しむ方法、続ける方法を見出すために、10周年を区切りに活動を休止させようっていうことになりました」

■それを決めたのはいつぐらいだったの?

「正式に決めたのは今月(12月)入ってから。それまでもずっと話としては出てたけど、ちゃんと無期限活動休止を決めたのは今月ですね」

■どういう経緯と話し合いを経てこの結論に至ったんですか。

「言葉では伝えづらいんだけど……まず言っておきたいのは、メンバーの仲は全然悪くない。むしろ凄くいいし、未だにウルサイって言われるくらい4人でいるとみんなよく喋るし、何も変わってないんだけど」

■そうだよね。仲のよさはいつも目の当たりにしてる。

「うん。でも、9年やってきた中でtelephonesというバンドに対する考え方が4人それぞれ少しずつ違ってきて。最初の頃はほんと無邪気な感じの作り方だったけど、今はみんな個々のプレイヤーとして成長してプライドとか個性が出てきてるから、意見の相違が出てき始めて、音楽的に噛み合わなくなってきたなっていうのを4人とも感じ始めて……そういうズレってどのバンドにもあると思うし、もちろんその都度修復していったところもあるんだよ。でも、見て見ぬ振りしてたズレも結構あった。その直さなかったズレがずっと残ってて、最終的にそれが臨界点まで達しちゃったんだと思う。……俺個人に関して言えば、バランスが上手く取れなくなったのが大きい」

■そのバランスっていうのは?

「時代の移り変わりの中で、telephonesのあるべき姿と俺のやりたいことがまとまらなくなってきちゃったというか、その釣り合いが上手く取れなくなってきちゃったっていう。俺は『telephonesはこうあるべきだ』みたいなのが割とあるから、バンドに対して客観的なところもあるんだけど、その客観的なところと主観的なところのバランスが上手く取れなくなったっていうか。………だからほんと、いろんな要因と想いをそれぞれが持っていて、その中で疲れてしまってたんだけど、でも4人とも一貫して『telephonesは辞めたくない』っていう気持ちは強くあって。だけど、このまま続けていくと辛いことしかないっていうのもみんなわかってて………選択肢として少し休みを取るっていう方法もあったけれども、中途半端にするより1回区切りをつけたほうがいいと思った。そう思ったのは、今までアルバム6枚、ミニアルバム6枚作ってきた中で――俺達は毎回テーマを作ってやってきたつもりだけど、それもやり切ったなと思ったところも大きい。この話が出た時に自分の中でいろいろ振り返ってみたんだけどさ、そもそも俺達がこのバンドを始めたのは、当時海外で流行ってたディスコパンクやニューレイヴ辺りの、2000年代のポストパンク・リヴァイヴァルのムーヴメントをやってるバンドが日本にいないから、それをやっちゃおう!ってことが大きくて。だから、普通のバンドとはちょっと組み方が違うんだよね。最初に組んだ時はノブはいなかったけど、でもすぐノブが入って。そこでまず4人が仲よくなって、音楽やりたいのはもちろんだけど、それよりこの4人でなんか面白いことやりたいなっていうところで、『じゃあ、まだ日本で誰もやってないことやろうよ』っていう感覚でそういう音楽を始めたの。要は、流行りの音楽をするっていう選択肢を取ったんだよ」

■それは流行に乗ったというより、海外で起こってる新しい音楽とムーヴメントを持ち込んで、この国に新しいシーンを作ろうとしたよね。

「そう、自分達の手で自分達の世代ならではの新しいシーンを作ろうとしたんだよね。それは、自分が子供の頃にハイスタとか聴いて、リアルタイムに洋楽とシンクロするメロコアのシーンを見てカッコいいと思ってたからっていうのが大きくて。でもメロコアは俺がやるべきことじゃないと思ってたから、じゃあ今海外で流行ってることってなんだっていったら、ポストパンク・リヴァイヴァルだったっていう……だから言ってみれば、元々このバンドってそういうプロジェクトだったんだよ。でも、ディスコパンクのムーヴメントはとっくに終わって、そこからだんだん『telephonesとはなんぞや』ってことを考えるようになって。その中で最近は、自分というものがアルバムにもどんどん出ていってたと思うんだけど。でもそれが割と中途半端な混ざりな気もして、それでソロを始めたり、ソロで掴んだことをバンドにフィードバックしたりっていうこともやってみて。だけど、そもそもtelephonesはそういうバンドじゃないなっていう思いもあったんだよ」

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text by 有泉智子

『MUSICA2月号 Vol.94』

Posted on 2015.01.15 by MUSICA編集部

KANA-BOON、初の表紙大特集2本立てインタヴュー②
谷口鮪が今まで決して語らなかったその半生を、初めて語る

僕は自分が孤独であることと引き換えにして音楽を得たと思ってて。
実際、今、親子関係がなかったりするのも、自分が選んだ道やし。
そもそも人間的にわかり合えなかった部分もありますけど、
そこまでの犠牲を払えば音楽がこっちに来てくれると思ったのもあって。
……自分にはもう何もないっていうことが、
ずっと自分を支えてきた感じはあります。
でも、新しい出会いによってそういうものが壊れ始めたというか

『MUSICA 2月号 Vol.94』P.34より掲載

 

■鮪くんはこれまで、自分の生い立ちについて語るということに関しては、意図的にやってこなかったと思うんですけど。

「そうですね、話してこなかったです」

■今回の『TIME』で過去の自分を振り返った曲が生まれていることも含めて、今日は鮪くんのここまでの24年間がどんな人生だったのかを聞かせていただければと思っています。

「はい、よろしくお願いします」

■まずは本当に小さい頃、幼稚園の頃はどんな子供だったんですか?

「幼稚園の頃は……絵を描くのが好きでしたね。絵を描いたり、モノを積み上げて遊んだりとかが好きな子やったと思います。幼稚園にクラブがあって、そこのお絵描きクラブに所属してました。他にもいろんなクラブがあって、女の子がバレエをやってたんですけど、それを覗きに行った記憶があります」

■その歳でバレエの女の子を覗き!? ませてたの?

「わからないです(笑)。覗くっていう行為に何か道が開けてたのかわからないし、ひとりやったのか友達と一緒やったのかも覚えてないんですけど、その記憶があって。でも明るめやったと思いますね。友達もおったし。小学校1年の時にそこから引っ越したんですけど、それまでは大阪で、割と普通の団地暮らしでした」

■一番古い記憶って幼稚園ぐらいですか?

「それが、その覗き事件かもしれないです(笑)。幼稚園の頃の記憶はほとんどないですね。とにかく絵を描くのが好きやったっていうことくらい」

■それはひとりで何かをすることが好きだったっていうこと?

「そんなにひとりが好きやったわけでもないと思うんです。お遊戯会の写真があるんですけど、ピエロの役をやってる自分が写ってたんで。だからそんなにおとなしい子ではなかったと思いますね。で、小学生に上がって……小学校の入学式に行かなかったのは覚えてます」

■どうして行かなかったんですか?

「たぶん、その頃に家がバタバタし始めたからやと思うんですけど。小学校1年の時に親が離婚して、数ヵ月通って引っ越したんですよ。だから小1の頃はあんまり学校に行かなかったような気がする。引っ越す前のことはあんまり覚えてないんですけど……団地の5階に住んでる女の子がいて、その子の顔面にゴキジェットみたいな、ゴキブリのスプレーをぶっかけて」

■それはまた大胆だね。

「どういう経緯でそうなったかは覚えてないんですけど、そしたら団地のその棟で問題になって。その時に人生で初めて土下座させられましたね」

■鮪くんはその子のことが好きだったのかな?

「いや、そういうんじゃなかったですね。好きとかはその頃はなかったと思う」

■でもゴキジェットかけるって凄いことだよ。よっぽど好きか嫌いかじゃない?

「そうなんですよ。なんでそんなことしたんですかね?(笑)。別にそんな猟奇的な人間やったわけじゃないんですよ。友達とも普通に遊んでましたし。うーん…………あ、あと、貧乏でしたね。1階にちょっと年上のお兄さんがいて。言うても小学校5年生ぐらいの人なんですけど、仲よくて。その人の家にカップラーメンもらいに行ってましたね、食うもんなくて。そんな時代でした」

■ご両親が離婚して、それからすぐに引っ越したの?

「いや、最初は父親についたんですよ。だからそのまま団地で少し暮らしてて。でも、どういう事情があったのかはあんまり知らないんですけど、たぶん経済的にも育てられないっていうことで母親に引き取られて、神戸に引っ越したんです」

■それも小学校1年の間に?

「そうですね、1年生の時に。で、引っ越したらもう内縁の旦那さんがいて。一度は母親のところで暮らしていこうっていう話になったんですけど、でも僕はずっと戻りたいって言ってたと思うんです。それでまた父親のほうに戻ることになって。でもやっぱり暮らせないってことで、またすぐに神戸に引き取られることになって。……ただ、向こうの人(内縁の旦那さん)も最初は僕と一緒に暮らしていく気持ちがあったんですけど、でも、僕はすぐ戻るって言ったり、それってそんなにいい気分じゃないじゃないですか。それで、そこから関係が悪くなっていって……それでも小学校4年までは神戸の母親のところで暮らしてました」

■お父さんの記憶っていうのは鮪くんにとってはどういうものなんですか?

「父親はどうしようもない人ですね。小学校4年の時にまた父親のほうに戻って、そこから高校出て家を出るまではずっと父親と一緒だったんですよ。だから記憶っていうのもそんなに浅いもんじゃないですけど……反りが合わなかったっていう感じですね。ギャンブル好きやし、仕事も長続きしないし、人として至らないところだらけというか、子を育てられるような人格者じゃないというか。でも、優しさはあるんですよ。優しい人なんやけど、ただそれが自分に対しても優しいっていう人で………。育ててもらった恩はありますけど、でも、あんまりなんとも思ってないですね。今はもう全然ないものと思って生きてるんで」

(続きは本誌をチェック!

text by 有泉智子

『MUSICA2月号 Vol.94』

Posted on 2015.01.15 by MUSICA編集部

KANA-BOON、初の表紙大特集2本立てインタヴュー①
完全覚醒を果たしたニューアルバム『TIME』
メンバー全員全曲解説!

飛躍と核心のセカンドアルバム『TIME』
メンバー全員Track by Trackインタヴュー

『MUSICA 2月号 Vol.94』P.20より掲載

 

■今回は初の表紙を飾っていただきます。

全員「ありがとうございます!」

谷口鮪(Vo&G)「古賀、なんか強い(笑)」

飯田祐馬(B)「テンション上がってる(笑)」

古賀隼斗(G)「上がるやろ、そこは!」

■(笑)前号の鮪くんのアルバム第一声インタヴューに続き、今回は『TIME』を1曲1曲紐解いていこうと思うんですが。まず、このアルバムに対する感想や手応えを、こいちゃんから。

小泉貴裕(Dr)「2014年はいろいろ悩んだ時期もあって。ドラムも凄い頑張ったし、音楽について考える時間も2013年とは比べものにならないぐらい多くて。そういうことを全部アルバムに詰められたなって思います。この1年で曲の中に自分の考えを入れていく形でドラムを叩けるようになったし、気持ち的にもいろんなものをそれぞれの曲に対して表すことができたので、全曲満足のいく出来やなって思います」

飯田「僕も、ほんまに凄いアルバムができたなって思っていて。2014年はシングルを4枚出したんですけど、その4曲はやっぱり凄い強い曲やって思ってて。だからシングルだけ強いアルバムも嫌やなって思ってたんですけど、曲ができていくにつれて『あ、この曲達なら大丈夫や』っていう自信が生まれたし、シングル曲もちゃんとアルバムの中で役割を果たしてるなって思えたし」

■“シルエット”の取材で、飯田くんは『DOPPEL』を超えるアルバムを作りたいって言っていて。あの時は佳境で、あとは鮪くんが歌詞を書いて歌を入れるだけという状況だったと思うんですけど。

飯田「そうですね。歌詞が入ってないサウンドだけでも凄くいいなって思ってたんですけど、歌詞がデータで来た時に『もの凄いアルバムになるぞ』って思いましたね」

■歌詞はデータで先に来るんだ?

飯田「あ、データっていうか、歌録りが終わった後に歌入りの音源データが来るんで」

古賀「俺、歌詞に関してはこの資料(取材用の資料)を持って帰ったで」

谷口「持って帰ったんや(笑)」

古賀「持って帰るやろ。で、家で読んで」

■そういうのって、鮪くんに感想伝えるの?

古賀「伝えないっす」

飯田「でも、3人で車に乗ってる時とかに『あれ、いいよな』って感じの話にはなるよな」

■たとえばどの曲?

飯田「1回、『確かに愛にまみれてんなぁ』みたいな話にはなりましたね」

古賀「そうそう、“愛にまみれて”は――」

飯田「今日の古賀、グイグイ来んな!」

古賀「だって、まみれてるとこを言いたいねん! でもわかった、順番待っとくわ」

飯田「ははははは。でも鮪って、前までやったらこういう自分の面をあんまり見せなかったと思うんですよ。前は『俺はこう思ってるけど周りはこう思ってる。まぁ別にいいけど』みたいな歌詞やったんですけど、“愛にまみれて”みたいな曲だけやなく、アルバム通して見ても『このままじゃいけない、みんなでなんとかしていこう』みたいな、外に向いてるなって凄く感じたし。なんか凄い正直になったなって思います」

■そう言われて鮪くん、どう思います?

谷口「一番近くで見てる人がそう思うなら、そうなんかなって。もちろん、自分自身が変わった意識は凄くありますから……人に合わすってことをしないようにはなりましたね。歌詞書く上でも、『自分が変わったからそれでいい』じゃなくて、自分が変わったからこそ、周りを変えていきたいって気持ちも強くなったし。自分の中で起きた変化をどんどん外に表現として出していこうっていうのは、このアルバムで新しく生まれた部分で」

■それが今作の芯と感動を強くしてるよね。で、お待たせしました、古賀くんはどうですか?

古賀「凄い成長したアルバムやと思うし、やっとバンドマンらしいアルバムができたなって思ってて。今まではフレーズに耳が行ってたんですけど、今回は音質にも耳が行くアルバムやと思います。音楽好きな人だけじゃなくて、楽器を好きな人達にもちゃんと聴かせられるアルバムやなって思いますね。どれを取っても胸張っていいって言えるギターフレーズが、胸張っていいって言える音質で入ってる。そこはめちゃくちゃこだわったし」

■古賀くんはこの1年、音色にも凄くこだわりながらギター表現を追求してきたもんね。

古賀「はい、その成果は出てるなと思います」

■鮪くんは、前号の取材は本当に録り終わったばかりだったけど、あれから1ヵ月経ってみて、このアルバムに対してどんな感想を持ってますか。

谷口「曲順含め、なるべくしてこのアルバムになったって思いますね。あれからずっと聴いてるんですけど、当然『できたことが嬉しい』っていうのもあるけど、いち音楽として聴いても全然飽きない、何回も何回も聴きたくなるアルバムやなって思うし、前半から後半への流れもグッとくるし……本当にKANA-BOONっていうものを前よりもちゃんと詰め込めるようになったし、それがより一層伝わるものになったなって思いますね」

■それでは、1曲1曲訊いていきましょう。

全員「よろしくお願いします!」

 

1. タイムアウト

 

■ど頭のヘヴィかつアグレッシヴなドラムのフィルからしてガツンと来る、重心の低いタフなバンドサウンドで押していく曲で。このストロングな始まりは『DOPPEL』の1曲目が“1.2. step to you”だったのとは好対照だし、この1年で音自体でちゃんとロックバンドとしての意志と衝動を表すバンドになったことを証明する曲でもあるよね。

古賀「作ったのは結構昔やね」

飯田「昔って言うても今年やろ。5月くらい?」

谷口「うん。この曲は全然アルバム想定で作ってないんですよね。本当に発散というか、スタジオの合間にノリで作った曲で。あ、自分達の中でリフ押しブームが来てた頃じゃない?」

飯田「そうや。“結晶星”ではやらなかったリフ押しのカッコよさをやりたかった頃や」

谷口「でも自分的には、サビを『ウォ~ウォ~』だけでぶち抜くっていう珍しい曲ですね。こういうサビで歌っていうものを歌わない曲って今までなかったし、割と新鮮な曲が1曲目に来てる」

■「ウォ~ウォ~」で攻めていくのもそうだし、楽曲自体も、こういう完全にバンドサウンドの強さで突破していく曲っていうのは珍しいよね。

谷口「リズム隊の強さがドンと前に出てますね」

小泉「この曲は、作った段階では始めのフィルがなかったんですよ。でも鮪に指摘されてレコーディング直前に考えて入れて。そしたら、レコーディングで録った時にカッコよ過ぎて。自分で言うのもなんですけど(笑)」

(続きは本誌をチェック!

text by 有泉智子

『MUSICA2月号 Vol.94』