Posted on 2013.12.18 by MUSICA編集部

9000人の超満員と共に歌を響かせた
高橋優の初武道館ライヴ完全密着!

 

名実共に、武道館、ロック、伝説を高橋が超えた、
「奇跡を凌駕したリアル」が爆発したライヴ!
素晴らし過ぎる一夜に
完全密着レポート&インタヴュー

 

『MUSICA 1月号 Vol.81』P.96より掲載

 

 

とても晴れ渡る、そして武道館近くの皇居をたくさんのランナーが日差しを受けて走り続ける午前11時30分。まだサポートミュージシャンも入っていない中で、高橋優は武道館入りした。当初は12時半入りの予定だったが、2日前に急遽「1時間早く入りたい」という話が彼自身からあったようで、そうなったようだ。

スタッフが慌ただしく動き回る暗闇の中で、ステージや客席をぐるっと見渡しながらいろいろ考えている高橋が、「入ってくる時にも見たんですが、こんな早くに来ているお客さんがいるんですよ。僕はね、いろいろやることがあるじゃないですか、今から。でも、みなさんどうするんですかね?」と言うので、「みんなにとっても今日は特別な日なんだよ。ここにいることで、すでにいろいろなことが始まってるんだと思うよ」と告げると、「あー………確かに僕はね、寝れなかったんですよ、昨日の夜から。それはね、もうしょうがないですよね。でも、ファンの人も寝れないって言って来てくれる人が凄く多かったんですよ。これって、そういうことなんですかね? 恵まれてるってことですよね」と話す。

 武道館のアリーナほぼ真ん中でさらに立ち話をする。

「時代に取り込まれちゃいけないなぁって、最近さらに思ってて。そんなことはわかってるつもりだったのに、ついつい自分が取り込まれちゃってる気が最近してて。『沈黙を破れ』ってスローガン掲げてアルバム作って、それでも取り込まれるんですよ。……なんなんですかね……だから、最近曲が作れなくなっちゃって」

 ■それ、去年の同じ頃も言ってたよね。

 「いや、違うんですよ。前はね、どういうモードで音楽をやるか悩んでいて、もうこういう曲は作りたくない、歌いたくないって感じだったんですけど、今は違うんですよ。曲を作っても作っても、どういう曲を自分がやりたいのかわからなくて、全部ボツにしちゃうんですよね。ちゃんと作って、ハードディスクとかに入れても、全部削除しちゃって。……スタッフからはもったいないと、せめて記録しておけばと言われるんですけど、今はスタッフにすら嘘をつきたくない。だから結果的に曲が表に出てこないんですよ」

 ■でも大切な時期だよね、この武道館ライヴをやった後というのは。

 「わかってるんですよ、それを自分でも。だからなのかもしれないですけどね。……だって、いろいろな先輩方が武道館でライヴをやって」

 ■あまり男性ソロアーティストがやる場所でもないけどね。

 「確かに。でもナオト・インティライミさんとか秦基博さんとかいろいろな方がやるじゃないですか。そうそう、星野(源)さんもですよね、元気になったんですよね? よかった! でも武道館をやった後って、それで一段落なのか、ゴール地点なのか、みなさん、いろいろあるじゃないですか。僕はそういうのを見てきたから、このライヴの後ですぐに動きたいんですよ。すぐにいろいろなアクションを起こしたい。でもそのための曲が作れないんですよね……」

 ■武道館がどうのではなく、必然的にここでライヴをやると、それがシーンや人からは節目として見られるから、そこで何かを持ち帰れるライヴができるといいね。

 「そうですねぇ、もうあと6時間後ですか。……そういえば、ポール・マッカートニー行ったんですよ。凄くいい機会でした。もう、溢れんばかりにビートルズの曲をやって、アンコールでは福島へメッセージを寄せて“Yesterday”を歌うんですよ。凄いですよね、『もう過去には戻れない、取り戻せない』って日本人を前に歌うんだから、ビートルズやってた人ってやっぱり凄いですよね。そういうライヴを4日前に見て、そしてそのビートルズが初めて立った武道館に――」

 ■日本武道館が武道以外に会場を貸した初めての機会だったわけだからね、1966年のビートルズの武道館公演は。

 「そうだったんですか! そのビートルズのポール・マッカートニーを見た直後に武道館でライヴをやるのはなんらかの意味があると思って。それを含めて楽しみなんですよ」

  そう言いながら、高橋は楽屋へ吸い込まれて行った。

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text by 鹿野 淳

『MUSICA1月号 Vol.81』

Posted on 2013.12.18 by MUSICA編集部

悲しみや憎しみに別れを告げて、
圧倒的高揚感の中で美しき絶頂を鳴らしたきのこ帝国、
眩しすぎる快進撃が始まった!

 

25歳って、本当にいろんなことが起きるなぁって。
別れが、悲しいことじゃなくなった。
絶対に認めたくなかったようなことが、
だんだん認めらえるようにもなってきた。
人間って変わっていくんだなって思う

 

『MUSICA 1月号 Vol.81』P.90より掲載

 

■前回、アルバム『eureka』のインタヴューの時に、ようやく過去を捨てて、「未来を思い描いた時に、もう自分はなんでもできるなって思えるようになった」と言ってましたけど、今回の『ロンググッドバイ』はまさにその言葉通りの素晴らしい作品で。

 「ありがとうございます」

 ■今、ちょうど年間ベストとかの時期で、そこで真っ先に思い浮かぶ作品のひとつに『eureka』があるんだけど、この『ロンググッドバイ』を聴いたら、「あれ? あれも2013年でこれも2013年か」って(笑)、本当にこの1年でもの凄くバンドが進化したなって。

 「とにかく年内にEPを出したいっていうのは、『eureka』を出す前から考えていて。で、『eureka』ができ上がって、夏頃には録りたいなって思っていたんだけど。『eureka』には凄く達成感があって、反響も凄くよくて、いろんな人にも聴いてもらえたり、評価してもらえたりしたから、嬉しかった半面、ちょっと次の作品を作る上でプレッシャーを感じてきてしまって。『eureka』を超えるものを作らないとなって思ってるうちに、ちょっと曲が書けなくなってしまった時期があって」

 ■でも、確か5月の代官山UNITでのワンマンの時には、アンコールで新曲をやってましたよね。それが今作にも収録されている“海と花束”というパーフェクトな曲で、バンドの未来に対してすっごく期待が膨らんでいたんですけど。

 「そう。ワンマンで新曲を披露したいなって思って、あの時、本当にギリギリまでみんなでアレンジをして“海と花束”を無理矢理やったんだけど、それ以降、しばらく曲ができなかったんですよ。で、1回『eureka』のことは忘れようと思って。あの作品は、自分たちとしては今のバンドの音を完璧に納得する形で作品に封じ込めようっていう目標でやったんですけど、逆に、今度は完璧なものは目指さなくてもいいのかなって。発展途上のものだとしても、やりたいことを思いっ切りやって、『未完成上等!』みたいなものをパッケージにしたいなと思って。『eureka』を録っていた時から、なんとなく次はこういうのにしたいっていう構想があったんですけど、作っているうちにそこから二転三転あって、結局最初に思い描いていたところに戻ってきたのがこの作品で。完璧じゃないかもしれないけど、ちょっと記録というか、去年の年末から今年にかけて感じたことを、ニュートラルに音源に残しておこうと思った辺りから楽になって。それで、完成までこぎ着けた感じです」

 ■バンドを取り巻く状況も、少しずつだけど変わってきましたよね。

 「今まで、必ず対バンがいくつかいる中でライヴをやってきたんですけど、『eureka』のツアーでは、名古屋と大阪はツーマンで、東京はワンマンでってなって。そうなると、自分たちを観たいお客さんがそこに集まってるわけじゃないですか。こう言ったらなんですけど(笑)、元々求められてないところにいって、そこでぶちかますのが好きだったから(笑)。それが、ステージに出た瞬間にウェルカムな状態で、もちろんそれは嬉しいんですけど、ちょっと調子が狂うっていうか、このままだと気が緩んでしまいそうだなって。変な危機感みたいなものを感じながらツアーをやってて」

 ■それは変な危機感だ(笑)。

 「すべてが受け入れられてしまうと、ミスとかもOKみたいになっちゃうんじゃないかなって。これは気持ちを引き締めていかなきゃなっていうことを考えさせられたツアーでした」

 ■みんな、人生においても、周囲から受け入れられることなく、ここまできたんだろうね(笑)。

 「いやいやいや、みんなちゃんと友達とかもいますよ(笑)」

 ■でも、お客さんみんながきのこ帝国目当てっていう環境でライヴを見たのは、自分もあの時が初めてだったんだけど、同世代の日本のバンドとは全然違う客層だなって思いましたね。UKインディーとかUSインディーの話題のバンドが来て、超満員になってるUNITの感じとほぼ変わらないっていう(笑)。

 「うん。昔から客層が謎とは言われてきていて。どういうタイプのリスナーを想定したらいいのかわかんないって。でも、逆に自分らはそこがいいと思ってて。これだけいろんな人に聴いてもらえたっていうのは、思わぬ誤算っていう感じで嬉しいですね」

 

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text by 宇野 維正

 『MUSICA1月号 Vol.81』

Posted on 2013.12.18 by MUSICA編集部

メジャー初のアルバムを遂にリリース
WHITE ASHのび太、この1年と新作で掴んだ手応えを語る

 

主流と違うところに意識的に行くっていうことに、
WHITE ASHが存在する意味があるんだと思う。
そういうところにこだわっていったほうが、
時代に左右されずに長く続けていけるんじゃないかな?と思ったんです

 

『MUSICA 1月号 Vol.81』P.110より掲載

 

 

■いきなりだけど、『Ciao, Fake Kings』のジャケット写真ある?

 「あ、そこにポスターがありますよ」

 ■これ(スーパーなどで使われるような『カート』が、布団を山盛りに積んで水中に浮かんでいる写真)、Nirvanaの『Nevermind』のジャケットとかけ合わせてるの?

 「そうです。『カート』っていうところで、ね(笑)」

 ■くっ………好きだよね、本当にそういうの。

 「はい、好きなんですよね……」

 ■ほんっとに突っ込みどころ満載のアルバムだよね。1曲目はまさかの3拍子ワルツで、しかもそれがリード曲。2曲目から日本語が記号のように入ってきて、その記号がサブリミナル効果のように曲が進むにつれて増えてきて。ラス前の曲に至ってはもう確信犯的にJ-ROCKに面した曲だし。もう、突っ込みどころが多過ぎるから、全部ひとりで喋っちゃってください。

 「いやいやいやいや………何を言ってくれるか楽しみにしてたんだから、仲よくお話しましょうよ(笑)」

 ■では、メジャー初のアルバムおめでとう。にも関わらず、リリースした2枚のシングルの曲が敢えて1曲も入ってない。ここに、攻めや戦略やカウンター意識が見えるんですけど。

 「そうなんです。シングルでもアルバムでも、ひとつの『作品』として考えてきたので、それぞれを1枚の絵として完成させたくて。アルバムっていう大きな絵の中に、前に描いた小さな絵の一部が入ってくると、絵として完成されないと思ったんです。だから、全部新曲でまっさらなものを作ったほうが、シングルにしてもアルバムにしても、『ひとつの作品を作っている』っていう説得力に繋がると思って。あとは、全部新曲のアルバムっていうこと自体、なかなかやる人がいない。そこで、『WHITE ASHはちょっと違うぞ(笑)』っていう部分を見せたい気持ちはありました」

 ■ちょっと違うぞっていう部分は確実に見えてるんですけど、何故他のバンドがそれをやらないのかっていうと、やっぱりシングルが入ってるっていうサインがアルバムのプロモーションとして機能するからだし、だからベスト盤っていうものが売れるんだろうし……そう考えると、非常に奇妙なやり方だよね。

 「(笑)単純に僕自身が、好きなアーティストの新曲を1曲でも多く聴きたいし、そのほうが嬉しいなっていう気持ちを持っていて。アルバムにシングルが入っているのは普通のことだとは思うんですけど、それを入れないで済むのであればその分新曲が多く入れられるわけだし、っていうシンプルな理由ではあるんですけど………でも、たとえば“Crowds”がアニメの主題歌で――」

 ■『ガッチャマン』ね。レーベルの人からは「なんのためにタイアップつけたんだ!」って言われちゃうでしょ。

 「そうです、そうです(笑)。でも、『全曲新曲のアルバムを出したい』っていうところは譲れなかったので、『いやいや~』と言い続けて………(レーベルの人に)泣いていただきました」

 ■(笑)のび太そういうの上手いよね、かわし戦法。それを含め、メジャーでのファーストシーズンはどうでしたか?

 「環境面で一番変わったのは、関わってくれる人の数が多くなったっていう部分で、人と出会う機会も増えました。だけど、サポートしてくれる人が増えた分、『こうしたい』っていう意識をより強く持たないと、たくさんの人を動かすことはできないんだなって――だからこそバンド内での話し合いも多くなったと思うし、メジャーにきたことで、むしろバンドがよりバンドらしくなった感じがします。逆に変わらなかったところは、音楽を作る上で『シンプルかつカッコいい』っていう軸にこだわり続けている部分だと思います」

 

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text by 鹿野 淳

 

『MUSICA1月号 Vol.81』

Posted on 2013.12.18 by MUSICA編集部

今度のスカパラのコラボは、
シンガーじゃなくバンド全体!!??
スカパラ×10-FEET、
12人全員で一気に語り合う大座談会!!

 

谷中「バンドとバンドって、仲いいながらも
プライドや歴史のぶつかり合いがあるじゃないですか? 
いい意味でスカパラをぶっ壊してもらえたらいいなって思って」
TAKUMA「最悪、疎遠になる覚悟で行きましたからね。
生意気でも思ったこと言おうって」

『MUSICA 1月号 Vol.81』P.102より掲載

 

 

■ヴォーカリストだけでは飽き足りず、今度はバンドごとコラボレートだという素晴らしいコラボレーションなんですが。スカパラとしては再び最高かつ厄介なコラボレートを3発かますぞと。

 北原雅彦(Tbn)「ははは。そういうこと(笑)。そもそもは来年(2014年)が25周年イヤーだし、何か盛り上がることを考えようかなっていうのが発端で。3部作とは言っていますが、面白かったら何度でもやりたいっす(笑)。それが本音」

 ■シンガーを迎えるだけでは収まらない、もっと凄いことやりたいなっていうところから始まったんですか?

 谷中敦(B.Sax)「そうですね。今までのヴォーカリストを迎える時は、歌詞も全部こちらで作った状態で歌いにだけ来てもらう感じだったんですけど、バンドコラボは最初っから一緒に作っていく感じで。歌詞も、10-FEETの歌詞の世界を大事にしながら、最初から割と相談しながらやったんですよね」

 ■ヴォーカリストを迎えるっていうのは、ある意味、スカパラに欠けているピースを埋めていくっていう作業だったわけじゃない? でもこうやってバンドを迎えるっていうのは能率がいいんだか悪いんだか――実際、ツインベース&ツインドラムだし(笑)。

 一同「あはははははははははははは!」

 茂木欣一(Dr)「そうなんだよね。だからアレンジはね、頭の中で考えて割り振りするというより、バンドのグルーヴとグルーヴをぶつけるみたいな(笑)。打ち込みではできない、生バンドでしかできないことをやりたいなと思ってさ」

 ■そこに今回は、スーツを着るとそっち系の人みたいで怖い、亀ちゃん(亀田誠治)がプロデューサーとして入って――。

 TAKUMA(10-FEET:Vo&G)「はははははははははははははは!」

 北原「そのお言葉、絶対にイキにして(笑)」

 ■亀田さんにプロデュースを頼んだっていうのは、どういういきさつや狙いがあったんですか?

 谷中「10-FEETもそうだし、亀田さんもそうだけど、いい意味で1回スカパラの音楽をぶっ壊してもらって、そこからまた新しい景色が見えたらいいなって思って。そういうつもりで亀田さんにお声をかけたし、バンドとバンドっていうのは、仲いいながらも、凄くプライドとプライドのぶつかり合いみたいなのがあったりするじゃないですか? フェスでの対バンとか。そういう勝負感みたいなものが1曲の中に出てくると――もちろんヴォーカリストを迎えてる時もあるんだけど、よりバンドのプライドや歴史みたいなものがぶつかり合う時にそれが面白いことになるんじゃないかな?みたいな」

 ■そんなご縁があってお誘いを受けたわけですけど。NAOKIは最初このお誘いが来た時、どう思いました?

 NAOKI(10-FEET:B)「…………すいません、人数が多いので完全に油断してました(苦笑)」

KOUICHI(10-FEET:Dr)「お前、油断すんなよ! 先輩方に失礼じゃないか」

NAOKI「すいません(苦笑)。今まではヴォーカリストを立ててっていうスタイルでしか知らなかったし、『バンドとやるんやったら、まずは10-FEETと』っていう話を最初聞いた時に、そこに参加できるのが凄い嬉しかったです。でも、その後に『っていうか、ツインベース&ツインドラムってどうなんやろ?』って(笑)。そもそも『俺、ベース弾くんかな?』みたいなドキドキ感というか――」

TAKUMA「『どっちかの音が小さめなんかな?』みたいな。『亀田さんもベースだし、川上さんがいて、俺は……ん?』みたいな」

 ■ははは。立場的にも年功序列的にも、いろいろ不利だよね。

 NAOKI「はい。川上さんと亀田さんが近くにいて、僕、座っててずーっと吐きそうでしたもん(笑)。『ベース弾くの、怖いな』って」

KOUICHI「でも、僕もNAOKIと一緒でした。最初TAKUMAから『バンドで』って言われて、『え、僕歌えるかな?』って」

一同「あはははははははははは!」

KOUICHI「そしたら、ツインドラム&ツインベースって聞いて、『ドラムなんだ、俺。それは面白いな』と思って」

 ■スカパラとしては、誘う段階でツインドラムとかツインベースって構想があったわけじゃない? たとえばリズムをお互いにこうしようとか、そういうことを考えた上で誘ったの?

 茂木「いや、決め切らないほうがいいよねって。あんまり考え過ぎちゃいけないって」

■なるほど。考え過ぎとか考え過ぎないとかじゃなく、ただ考えてなかったってことね。

 茂木「違う!(笑)。あんまり考え過ぎちゃダメなの。どれくらい自由にいけるかって話だよ。だから当日もね、セッティングとか機材の話ばっかりしてさ。あんまり『このフレーズのパターンはこうだよ』とか言いたくなくて、『このスネアの音、ヤバいよね』とか言って、1・2・3みたいな感じでもう始めちゃうっていう(笑)」

 

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text by 鹿野 淳

 

『MUSICA1月号 Vol.81』

Posted on 2013.12.17 by MUSICA編集部

貪欲に、不敵に、そして本能的に、
駆け上がり続けた2013年とその最新型を体現する
ニューシングルを語る

 

みんなが同じようにノって盛り上がってるんだったら、
そんなん全部ぶっ壊そうぜっていう意気込みで作ってる。
そうやって歴史は作られていくものだと思うし、
ウチらはそういうことがしたいんだと思います

 

『MUSICA 1月号 Vol.81』P.82より掲載

 

■ツアーも非常に素晴らしい形で一度区切りを向かえることができたわけですが、ツアーと並行して制作していた――つまり、厳しいスケジュールの中で作り上げたシングルが無事に完成しまして。

川上洋平(Vo&G)「はい(笑)」

 ■今回のダブルA面シングルは、それぞれまったく異なるカラーの2曲が揃っていて。まず、どんなことをイメージしてこのシングルに臨んだのかから訊きたいんですが。

 川上「前もそうだったんですけど、タイアップの話をいただいた時は、逆に考えないようにしてまず作るんですよ。で、そこから自然に合致する道を探していく感じで。だから今回も別に、とにかく4人でその時に思い描いたものを作っていったんですけど……ただ、『Me No Do Karate.』っていうアルバムを経ての初めてのシングルだっていうことは、結構意識しましたね」

 ■あのアルバムを出す過程で地上波のテレビ含め露出も広がって、イベントももの凄くいっぱい出て、これまでよりも広い層にアプローチしてきたと思うんだけど。その中で、そういう状況をここでもう1回後押しするような勝負シングルを作ろうという意気込みは、でき上がったシングルから感じるんだけど。

 川上「そうですね。ただ、そこに関しても――やっぱり周りからは、“starrrrrrr”と“Forever Young”の後だし、いわゆるポップめな曲で好きになってくれたお客さんを満足させられるようなものを凄く求められたっていう状況はあるんですけど。でも、そもそも[Champagne]自体が、シングル云々とは関係なく、『Me No Do Karate.』ぐらいから歌やメロディを中心に考えてるので。その流れの中にあるから、よりポップにとか、より開いてとか意識せずとも自然とそういう楽曲になるだろうなって思ってたんで。ただ、今回は、とにかく(制作)時間が全然なかったから(笑)」

 ■本当にそうだよね。夏フェスから途切れない形でツアーこなしながら曲作ってスタジオ入ってっていう、鬼スケジュール(笑)。

 川上「だからぶっちゃけ、凄く苦労はしたんですけど………でも妥協したくなかったし、メロディを大事にしたかったんで。で、ツアー中に制作したっていうところで一番辛かったのは、ツアーの合間に作ってると、作曲中にあんまり声を出せないってことで」

 ■密着に行った時も、喉に負担をかけないために基本ウィスパーで喋ってたもんね。

 川上「そうそう。俺、普段曲作る時はワーッて歌いながら作るんですよ。モニター環境とかも整ってない中だからなおさら声を張りながら作るんですけど、そうすると喉に負担がかかるし、次の日のライヴに影響しちゃうんで、今回はそれができなくて。だから実はメロディもウィスパーで作ったりしたんですけど、そしたら結果、ファルセットでサビを歌う曲ができてしまったという」

 ■はい。“Run Away”のサビは初のファルセットですね。

 川上「そうなんです。だからまあ、面白い作り方でしたね、今回は」

 磯部寛之(B)「だから俺が今回、唯一心配したのは、キーがなかなか決まらなかったところ(笑)。曲に関しては、いつも通り洋平が書いてくるメロディを単純に楽しみにしてたし信じてたから、俺らはとにかくメロディに対して最高のアレンジを考えるだけだって腹が括れてたんですけど。ま、時間は本当になかったけど、その辺のスピード感は『Me No Do Karate.』で鍛えられてたんで、不安はなくて。ただ、声が張れない中で作ってたから、メロディが決まっても最終的なキーが決まらなかったんですよね。それで土壇場まで何度もキーが変更になって……キーによってはせっかく詰めてたアレンジも変更しなきゃいけないから、そこだけは唯一最後まで気が重かったとこでもあるんですけど」

 川上「はははは。ごめん(笑)。本当にレコーディング前日ぐらいまで、キーが行ったり来たりしてましたもん」

 磯部「ま、そこは仕方ないから。逆に洋平に心配かけたくないなって思って、できる限りの準備はしたし、改めて自分の引き出しを増やしておく必要性も感じたんですけど……たぶん、そういう意味ではお互い凄く頑張ったと思います(笑)」

 川上「それこそ仙台のライヴの時、本番後にまーくんとふたりで、楽屋で仮歌録ってましたからね。キーを決めるために(笑)」

 白井眞輝(G)「やったね(笑)。マネージャーさんに『帰るよ』って言われながら、『もう1テイク録らして!』って粘って(笑)」

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text by 有泉 智子

『MUSICA1月号 Vol.81』

Posted on 2013.12.17 by MUSICA編集部

2013年ロックシーン最大の台風の目、
新たな「僕らのロック」の旗手となった
KANA-BOONの現在地に迫る

 

今までは1番のバンドになるっていう理想論だけやったけど、
ちゃんと現実的に何をするべきかとか、
何がしたいかっていうのが具体的に見えた。
僕らが発したいメッセージが何かも

 

『MUSICA 1月号 Vol.81』P.48より掲載

 

■MUSICAは毎年恒例で年間総括特集をやってるんですが、その年に素晴らしい活躍をしたバンドにこうやって取材をしていて。で、今年のMVPのひと組は、どう考えてもKANA-BOONだろうと。というわけで、この1年を振り返っていきたいんですが。4月にインディーズデビューし9月にメジャーデビュー、そして10月に出したファーストアルバムがオリコン3位を獲るという、近年稀に見る勢いで駆け上がったバンドなのですが。本人達としてはどんな1年でしたか?

 

谷口鮪(Vo&G)「アッという間やった」

 

古賀隼斗(G)「早かったなぁ、今年は。『初めて』がめっちゃ多かったよね。CD出すんもフェス出るんも、何もかも初めてで」

 

谷口「こういう取材もそうやし、ほんと全部が初めてやった」

 

古賀「インディーズデビューとメジャーデビューを1年でやったのも凄いよな。なんか、一番思い出に残る年なんちゃうかなと思う」

 

飯田祐馬(B)「ああ、一生の中で?」

 

古賀「そう。1年単位で言ったら、きっとそうやと思う」

 

谷口「ほんま楽しかったな。生きてる実感を感じられたから」

 

■今までは、そんなに生きてる実感はなかったの?

 

谷口「今まで感じてたのは全部まがいものやったんやなっていう感じは思いますね。『あ、これが本物か!』って」

 

■自分達を取り巻く状況も凄い勢いで変わっていっただろうし、言ってくれた通り初体験も多かったと思うんだけど、自分達の中では1個1個、確信を持ちながら進んでこれた感じだったの? それとも、いい感じで勢いに乗れちゃった感もあるの?

 

谷口「着実にやりたいことをやって、でも勢いには乗ってという形で来れたんやないかって……だから、『流されずに波に乗りたいな』っていう気持ちは強かったです。実際、何かを流したりせず、毎回毎回得るもんを見つけながら進んでこれたと思うんで」

 

■飯田くんはどうですか?

 

飯田「う~ん……でも、今年はすごく悩んだ年でしたね」

■それはどういうところで?

 

飯田「音楽面で。『あぁ、自分がやってきたことはなんも足りてなかってんなぁ』って、いろいろ気づかされて。で、知れば知るほど音楽って深いなぁとも思った年ですね」

 

■一番最初に取材したのは3月末だったんだけど、その時、レコーディングでリズム隊が凄くシゴかれたって話を聞いた(笑)。

 

飯田「あ、そん時か!」

小泉「シゴかれたなぁ(笑)」

古賀「ちゃんとディレクターさん入ってレコーディングしたの始めてやったからな。今まで自分らで録ってたのと同じ感じで録り出したら、リズム隊がめっちゃダメ出しされてて(笑)。俺、その様子見ながら『俺の番来たらヤバいんちゃうかなぁ?』って思ってた(笑)」

 

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text by 有泉 智子

『MUSICA1月号 Vol.81』

Posted on 2013.12.17 by MUSICA編集部

新世代の表現者の象徴となった
じん(自然の敵P)の2013年とは?

 

達成感に浸れる時間があんまりなくて。
また逆に、そこで浸ってしまってはダメだろうという危機感もあるし。
むしろ、自分にどれだけ後がないかをちゃんと自覚する必要があるなって思う

 

『MUSICA 1月号 Vol.81』P.60より掲載

 

■12月18日に8月のワンマンライヴを収録したライヴDVD『ライブインメカクシティ』が、そして2014年の1月1日に、カゲロウプロジェクトのミュージックビデオをまとめた『MEKAKUCITY V’s』がリリースされます。これはある意味、今年の活動を象徴するような2作だと思うんですけれども。

 「はい」

 ■5月にリリースしたアルバム『メカクシティレコーズ』はカゲロウプロジェクトの音楽篇を完結する作品でもあったわけですが、それからどういう日々を過ごしていましたか? もちろん、カゲロウプロジェクト自体はまだまだ続いているので、その執筆に追われる日々かとは思うんですが――。

 「そうなんですよ、まさに。確かに音楽篇は完結したんですけど………『メカクシティレコーズ』のマスタリングを終えた――というよりも、たぶん最後の曲の歌詞、つまり“サマータイムレコード”の歌詞を書いた瞬間に、自分の音楽がひとつ完結した感は確かにあったと思うんですけど。でも、その終わった感に浸れた時間っていうのも、歌詞を書き終わった後の3時間くらいのもので……」

 ■短い(笑)。

 「その3時間も、最初の2時間は『ああ、アルバム2枚分作ったなぁ』という感慨に浸れたんですけど、残りの1時間は『次は何をやろう?』みたいなことを考えてしまって(笑)。でも、それをじっくり考える時間もないまま、バタバタと物事が進んできてしまった半年間だったという感じですね(笑)。正直な話、『メカクシティレコーズ』のインタヴューを受けたりしてる時にはもう、早く次の新しい曲を作りたい!っていう気持ちがあったんですけど、でも小説だったり、マンガの原作だったりっていう書きものの作業がもの凄いびっちり入ってきてしまって、ひたすらそれに追われる生活になってしまいまして………」

 ■まぁそうですよね。凄く不思議なんですけど、すでに音楽で全体のストーリーとプロットは作ってしまっているわけじゃないですか。で、その中で並行して小説も書き、マンガの原作も書きっていうのは、自分の中でカオスになっていったりしないんですか?

 「なります。正直ゴチャゴチャになっていきます」

 ■やっぱり。

 「音楽で作ったストーリー、プロットと矛盾のない形で、でも小説版では0から100までこういう起伏でいこうっていうアイディアはあって、そうすると『今回の巻ではまだコイツにこのセリフは言わせられないぞ』みたいなことはやっぱりあるんですよ。さらにその横でマンガのストーリーも書いてるので……正直、かなりウワーッとなることもありますね。でも、同時に展開していくからこそ、ファンの人達からも『まさかここでこう来るとは思いませんでした』って意見をいただいたりするし、ちゃんと僕が狙ってたところでびっくりしてくれてる手応えはあるので、このやり方自体は凄くいいのかなと思うんですけど。でも本当に、ストーリーを書いていく作業はパズルですね。自分で切り出したパズルをどうやって組み立てていこうか、みたいな感じ(笑)。音楽はどっちかというと解放的な瞬間が凄く多いんですよ。歌詞では理性的に考えるところもあるんですけど、それよりももっとワーッと作れちゃうところも多いから、そこで救われている部分があって。楽器弾くのも好きですしね。でも、書きものの作業になるともの凄いドープになる(笑)。だから、正直言って、音楽篇が終わってしまって書きものだけになってからの半年間は、自分的に結構しんどい状況で進んでます(笑)」

 

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text by 有泉 智子

『MUSICA1月号 Vol.81』

Posted on 2013.12.16 by MUSICA編集部

マジョリティの中のマイノリティをさらに極めた
サカナクション、鮮烈な2013年を語る

 

芸能やエンターテイメントの枠の中にない人達の
音楽がちゃんと認められる場所が必要で。
そこを創るのが俺達の仕事だし、
役割のような気がしてる。
音楽で人をワクワクさせた人達が
表に出れる時代になればいいなって

 

『MUSICA 1月号 Vol.81』P.48より掲載

 

■今日は11月28日なんですが、世の中の旬的に言えば、「紅白おめでとう!」って感じだね。

「うん、ありがとう。でもまぁ、ちょっと遅いけどね(笑)」

■まだまだ旬でしょ。実際、どういう感じなの?

「紅白の中での俺らの位置づけが面白いなと思った。なんて言うか、『バンド』って感じの位置づけでさ。スポーツ新聞も見たけど、やっぱり異質だよね(笑)。自分でもそこを狙ってはいたんだけど、『マジョリティの中でのマイノリティ』みたいなポジションを、普段は自分で言ってるけど今回は外側から露骨に感じて」

■それは自分が予想してた通りのリアクションがあったってこと?

「うん、だって明らかに違和感あるじゃん。泉谷しげるさんとmiwaさんと、3人で並んでたのね。で、泉谷さんは照れ隠しみたいなの得意だし、実際そういう演技もしてて。けど、俺達もそれができるなって思ったんだよね。いい意味で粋がるっていうか……俺らがマスメディアに出た時に違和感を感じてもらいながら、でも、いつも音楽を聴いてくれてるコアなリスナーには俺達のベースにあるものをしっかり感じてもらうっていう。マスメディアの中にいる俺らの違和感を楽しんでもらうっていうかさ。だからMUSICAで言いたいのは、その違和感に読者やリスナーが慣れたらダメだし、そういう場で自分達をどういうふうに見せていくかが重要かなって思った」

■そもそも紅白には自分から積極的に出たかったの?

「というか、出るとしたら今年しかないなと思ったんだよね。今までなかったからさ、こんなにNHKに出る機会が。“Aoi”でNHKのサッカーのテーマ曲もやったし、『SONGS』って番組にも出たしさ」

■でも、もしかしたら今年しかないんじゃなくて、ここが元年で、これから始まっていくのかもしれないじゃん。

「うん。でも、たぶん来年は俺らみたいな『マジョリティの中のマイノリティ』感があるバンドがまた新しく出てくるんだよ、きっと。そうじゃないとダメなんだよね、たぶん」

■そういう意味では、北島三郎が引退する紅白って凄い時代感があるし、そういう年にサカナクションが出るのって、ある意味、NHKのプロデュースが効いてると思った。入れ替わっていく姿を見せるっていうか。他のアクトにも露骨にそれが出ているし。

「そうかもね(笑)」

■だって今はもう、バンドをやること自体が新しいことではないし、ロック=ユースカルチャーっていう時代でもないじゃん。別にロックとかアイドルとか関係なく新しいテーマでちゃんと音楽をやる人達がカテゴライズされてきた中で、サカナクションが紅白に出るっていうのは、凄く意図的に新陳代謝がなされてる年だなって思うんだよね。

「うん、鹿野さんには震災以降特に言ってるけど、『音楽好きな人のために音楽を』っていうことが僕らにとっては凄く重要なテーマで。そういう人達がちゃんとエンターテイメントのシーンの中でも枠をもらえるっていうのはいいなと思った。嬉しい。だって今まではそういう枠組みから排除されてたわけじゃん」

■いわゆる、芸能っていうものからの排除だよね。音楽の中にも芸能って呼ばれるものとそうじゃないロックバンド村みたいな棲み分けがなんとなくあって、紅白やマスメディアに出るのは芸能的なタイプの音楽が多いんだけど――。

「そう。でもそうじゃなくて、芸能やエンターテイメントの枠の中にない人達の音楽がちゃんと認められる場所が必要で。そこを創るのが今の俺達の仕事だし、役割のような気がしてるかな。やっぱ音楽で人をワクワクさせた人達が勝ちっていうか、そういう人達がちゃんと表に出れる時代になったらいいなって」

 

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text by 鹿野 淳

『MUSICA1月号 Vol.81』

Posted on 2013.12.16 by MUSICA編集部

さらなる快進撃を描き出す裏で意外にも抱いた悔恨
――クリープハイプ尾崎世界観、独白

 

“憂、燦々”は本当に希望だったし、
絶好のチャンスだったから。
無駄にしたとは思ってないけど、
そこで行き切れなかったのが
本当にショックだったんですよ

 

『MUSICA 1月号 Vol.81』P.54より掲載

 

■去年に引き続き、年末特集に登場です。ここに登場してもらうっていうことは、2013年に素晴らしい実績を残したということで。今年は、昨年以上に晴れ晴れしい活動をされたと思いますが、どう?

「そうですね……晴れ晴れしい活動をした……とは思います」

■なんか歯切れはよくないんだけど(笑)。去年だと、メジャーに行った新人バンドとして非常に象徴的な活躍をした1年だったわけで。それで今年は、真っ向からクリーンナップを打つための旅に出た1年だったと思うんです。振り返ってみて、どれくらいまでできたっていう感じなんですか?

「……ふぅ、去年の感じとは違って、凄く悔しかったんです、ずっと。そういう1年だったと思います」

■それはなんで?

「(思ってるところへは)やっぱり届かないんだっていうことを実感したし。今年は見ているところが高くなったというか、天井がなくなったし、いろんな大きなものと闘わなくちゃいけなかったから。そんなのは初めからわかっていたことだったけど、実際にそうなると……『二軍では成績を残せるのに、一軍に上がった途端打てない』みたいな感じがわかって。メジャーデビューした1年目(2012年)に『最初なのに凄いね!』って言われていたのもなくなって。そこから上がっていくしかない状況でCDの売り上げが不安な状況もずっとあったんです。『こんなふうにプロモーションしてるけど、これでいいのかな』とか、『忙し過ぎるし、時間に余裕がなさ過ぎる』とか――キャンペーンの時や取材を受けている時には安心できるんですけど、家に帰った途端、『本当にこれでCDが売れるんだろうか?』って思ってしまったりして。そういうので凄くモヤモヤしてて……そのモヤモヤが結果的にセカンドアルバムの曲に繋がっていったんですけど。その延長で今年の頭に『社会の窓』を出して、一旦のピークを迎えて。そこから『憂、燦々』の『大きく上がっていくぞ!』っていうタイミングの時に、自分の中で『……なんかなぁ』って。……リリースのペースが早過ぎて、忙し過ぎて、勢いのまま乗せられてしまっていたというか。気づいたら『こんなに出すんだ!?』ってなってしまってたんですよ」

■なんか、やたらネガティヴだね。去年の年末特集のインタヴューの時はピースサインもんだったんだよ?(笑)。「今年俺を呼ばないで誰を呼ぶんだ!」くらい言ってたけどね。

「あぁ……(笑)。随分と実感が違う1年でしたね………今日だって、『(年末特集に呼ばれることに対して)あ、そうなんだ?』っていう感じでしたもん」

■ははは。もうちょっと時節に沿って丁寧に訊いていこうと思うんだけど。まず、去年から“憂、燦々”のタイアップ(資生堂『アネッサ』のCM)は決まっていたよね。

「はい、そうですね」

■それはつまり、「夏とクリープハイプ」っていう組み合わせによる、大きなタイアップという絶対的な賭けだったというか。で、『憂、燦々』が光だとしたら、それに対して最高の影を作ろうとして先に出したシングルが、今年3月の『社会の窓』だったわけだよね。これは効果てきめんだったと思うんですよ。

「あれは驚きましたね。『こんなにやりたいことやって伝わるんだ!?』と思って。『これで認められたんだったら、当然もっといくだろう!』と思っていたんですけど……それがあったからこそ、『憂、燦々』の時に『あぁ……』って思ったんです」

 

(続きは本誌をチェック!

 

text by 鹿野 淳

『MUSICA1月号 Vol.81』

Posted on 2013.12.16 by MUSICA編集部

9年ぶりの革命的問題作のすべてを語る
銀杏BOYZ・峯田和伸 超ロングインタヴュー敢行!

エンターテイメントがドキュメントを
食い潰すところを見せてやりたいと思った。
そのカタルシスをもう1回作り出したいんだ。
今はみんな裏側を見ようとするけど、そこに真実
なんてない。真実は作品の奥にあるんだよ

 

『MUSICA 1月号 Vol.81』P.72より掲載

 

 ■2011年の6月、いわきでのライヴの楽屋で会って以来になりますね。あの時もレコーディング中で、「あともうちょっと」って言ってて、そこからさらに2年半経って。でも、もっとやつれたりしてるかと思ったんですけど、むしろちょっと若々しくなったくらいな感じて安心しました(笑)。憑きものが落ちた感じというか。

「うん、今は元気ですよ。ようやく終わったからね」

■でも、デビューアルバムからちょうど9年ということは、峯田くんの年齢でいうと、27歳から、この号が出る頃には36歳になってるわけで。僭越ながら自分に引き寄せて考えてみるとね、27歳から36歳の間に起こる出来事って、なんというか、すべてがそこにあると言ってもいいくらいの時期で。

「一般男性だったら、仕事の面で言うと稼ぎ時だよね(笑)」

■うん。稼ぎ時っていうか、働き盛りってやつですね。あとはまあ、感受性でいうと10代がピークかもしれないけど、人生的にはその時期にフルコースが来がちですよね。セックスをいっぱいしたり、結婚したり、子供ができたり。

「その9年間に何やってたんだっていう(笑)。アルバム2枚かよっていう(笑)」

■もちろんね、その期間も、ある時期まではシングルも何枚か出してきたし、ライヴもやってましたし、映画とかにも出たりしてたわけだけど。でも、まずはどうしてアルバムに9年かかったのかっていうところから訊かざるを得ない。

「実際はね、アルバムに向けてのレコーディングが始まったのが2009年くらい。だから、制作期間4年間ってところですね。録ってはボツにして、また録り直して。たった1個のギターフレーズを撮るのに4日かかったりとか、ずっとそういう状態だったから。その過程で、メンバーも抜けちゃったしね。メンバー4人がずっといいコンディションでやれてればまたちょっと違ったんだろうけど、そうはいかない状況がいろいろあって。本当にね、気がついたら大晦日が来て1年が終わってたりしてね。もちろん早く出さなきゃっていう焦りはあったり、今はレコーディングが終わったので言えますけど、スタッフからは『本当に大丈夫か?』みたいなのもあったと思うけどね。でも、敢えて寝かせてとかは一切ない。これが最短コースだったの」

■2011年6月30月の東北ツアーのステージでは、当時のMUSICAでもレポートしましたけど、今回のノイズどっぷりの音楽的アプローチをすでに披露してましたよね。つまり、あの時点で、今作をどういう作品にしようかっていうのは明確に見えていたんですよね?

「そう。ギターノイズっていうのは、レコーディングの初期段階から始めてたことで。あの時のライヴでは、それがどれだけステージで再現できるかっていう挑戦でもあったんだけど。正直、観にきてくれたいわきのあたりまではかなり試行錯誤してたんだけど、ライヴをやるうちにだんだん固まってきて、最後のほうは凄く手応えがあったんですよ」

■そっか。いや、いわきのライヴも相当なインパクトでしたけどね。あの完成形を4人でやってるところを見ることができないと思うと、それは本当に残念です。

「…………うん」

■地下に潜ってレコーディングを続けていた4年の間も、基本的には峯田くんも普通の日常生活を送っていたわけですよね。

「あのね、スマートフォンというのを持ったんですよ」

■う、うん(笑)。

「それがね、まるっきり違う世界で。僕、パソコンを持ってないんですけど、スマートフォンって、まぁ検索とかが早いんですよ」

■うん、知ってる(笑)。

「その画期的な商品をゲットして、生活がちょっと変わり始めて。結構大きかったな、それが。エロ画像とかね」

■でも、あの画面の大きさで興奮する?

「いや、それを見てオナニーするとかじゃないの。そういうのとは違くて、ずっと見てると、だんだん麻痺してくるんだけど、それでも探すんですよ、ベストショットを。で、100枚くらい見てると大体1枚くらいあるんですよ、ベストショットが。それをどんどん貯めていってね、こないだ1万枚超えました」

■ってことは、分母は100万ってこと?

「そう。100枚探して1枚ですよ。それで、今度その1万枚の中からベストを選んでいくんですよ。100分の1の確率で選んだ時は最高だと思うんですけど、そうやっていいのばっかりを集めてると、そのうちそれもだんだんちゃちく見えてきてしまう。なんなんだろう、この現象はっていう。それで、その1万枚の中から100枚をまた選んでいくっていう、そういう毎日でしたね」

■えっと、今、脱線話として聞いてましたけど、それと同じことを自分のバンドでもやってしまっていたという、的確な比喩でもあるんじゃないかという疑惑が(笑)。

「そう」

■100テイク重ねて1テイクっていう。

「うん。次から次へとね、どんどん気になることが出てきちゃって」

 

(続きは本誌をチェック!

 

text by 宇野 維正

『MUSICA1月号 Vol.81』