Posted on 2017.02.17 by MUSICA編集部

新たなシーンの担い手と目される雨のパレード
アルバム『Change your pops』のすべてを明かす

行き着くところはみんなの新しい場所を示す
っていうことだったりするのかなって。
拠りどころみたいなものがない人も、やっぱりいるので。
そういう人達にとっての居場所に自分達がなれたらなとは思いますね

『MUSICA 3月号 Vol.119』P.106より掲載

 

■アルバムを聴いて、サウンドデザインも進化しているんですけど、何よりメロディのよさが凄い際立つなと感じました。

「あ、よかった! やっぱりメロディは第一に考えてて。最近の作風的にサビメロから作っていくのが多くなってきてるんですよね。より聴かせるメロを意識して作っていて、その上でオケを作っていくっていう作り方になっていて」

■“You”からその傾向が強いって話をしてくれましたよね。以前はどういう作り方をしていたんですか?

「前はメロもセッションで作っていく感じだったんですけど。今は自宅でひとりで弾き語りでサビメロのパターンを6~7個ぐらい考えてスタジオに持って行って、みんなに聴いてもらって選んで、話し合って全体を作っていく、みたいなやり方が多くて」

■たとえば“Take my hand”みたいな曲はセッション性が強そうな構造の曲だなと思う一方で、“Count me out”や“Hey Boy,”は作り込んだ上でバンドで展開して行ったのかなと思ったんですけど。

「僕らの言うセッションとみんなが思ってるセッションってたぶん全然違ってて、コード進行はどうしようか、音色はどういうのにしようか、音使いはこうでリズムはこうでみたいな、それを細かく考えて指定しながら一緒に作っていくっていうやり方なんですよね」

■つまり、楽器かき鳴らしながら即興演奏的に作っていくというセッションじゃないんだ。みんなでプロツールスやロジックみたいなDAWソフト上で組んでいくの?

「いや、もうスタジオでその場で鳴らしてます。パソコンで作って持っていくっていうのは1回もやったことがなくて」

■へー、そうなんだ! こういうエレクトロニックな音像やビートミュージックを組み込んだアーティストとしては珍しいね。

「そうなんですよね。やっぱりハードをそのまま触って音が出るっていうのが、自分達にとって一番直感的にできる作業なので。たとえば“Take my hand”の最初のパッドのドラムのビートとかも、Nord Padをただ叩いてるだけし、手弾きで全部やってて」

■ちなみに私は“Count me out”が非常に好きなんですけど。

「ああ、僕もです」

■打ち込みのビートとシンセの配置が非常に気持ちいいディープ目なダンストラックですけど、これはどんなふうに作ったの?

「僕らはどんどん機材を導入していく派なんですけど、デイヴ・スミス・インストゥルメンツっていう会社のシンセが凄い大好きで。Prophet(アナログシンセの名器のひとつ)とか作ってる会社なんですけど。そこが出してるTempestっていうドラムマシンを僕が買いまして。で、みんなでスタジオに入って、Disclosureみたいな曲を作りたいねって言いながら、TempestとProphetとベースで作った曲ですね。別にパソコン上で作ることを毛嫌いしてるわけでもないんですけどね。最近LiveっていうDAWソフトとPush2っていうコントローラーを手に入れて、それを使って楽しんでもいるんですけど、まだしっくりきてないなという感じで。自分達の感覚として、まだスタジオで実機を鳴らして作るほうが自然だっていう感じなんですよね」

■そういう意味では、バンドでやる必然が凄くある作り方をしているわけですね。

「そうですね。そういう作り方をしているから、メンバーみんなの意志が自ずと楽曲に入って行きますね」

■今回のアルバムはどんなヴィジョンで向かった作品なんですか。

「『New generation』を出して、ここをこうすりゃよかったとか、これ全然ダメだったなっていう反省点があって、その反省を活かして、『You』の制作の時から自分達がもっとこうして行きたいなっていうことを実践していったんです。今回アルバムを制作するにあたって、新しいシンセも手に入れたし、それこそProphetも使いながら、もっと柔軟に、自分のやりたかった音楽に近づけたような気はしてますね。かつ、それでいて80sポップだったり、Disclosureみたいな、ドラムマシンで組んだ、テンポ感がBPM120~130ぐらいで踊れるっていうニュアンスものだったりを入れられたなっていう思いもあるし、目指した部分は上手く落とし込めてるかなと思います。今の段階では後悔ない、自分達では凄く満足度の高い作品にはなってますね」

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text by有泉智子

『MUSICA3月号 Vol.119』

Posted on 2017.02.17 by MUSICA編集部

KANA-BOON、
2017年第1弾シングル『Fighter』リリース!
再び4人らしい活力を持って踏み出した今作を、全員で語る

今までは「いつかは終わってしまう」
っていうことがずっと頭にあったんですけど、
今はバンドを長く続けたいし、
自分の人生とバンドをしっかり繋いでおきたいと思ってて

『MUSICA 3月号 Vol.119』P.94より掲載

 

■えーと、古賀くんが遅刻してましてなんと3人しかいません。

飯田祐馬(B&Cho)「むしろ、いいスタートなんじゃないですか?(笑)」

■(笑)バンドシップは大丈夫なんですか?

谷口鮪(Vo&G)「問題ないです(笑)。珍しいな。珍しくはないか?」

飯田「リハだとたまにあるよな。12時からリハやったのに、12時に目覚めるみたいなのめっちゃ多いんですよ」

谷口「ま、古賀おらんでもリハできるしな」

■おい(笑)。2017年としては一発目のシングルなんですが、『Origin』以降ということで考えると、二発目のシングルになるわけですが。まず、前のシングルは決意宣言みたいなシングルだったと思うんですけど、そこからバンドとして何を思い、この制作に向かったのかっていうところから教えてもらえますか。

谷口「『Wake up』のリリースタイミングぐらいで“Fighter”自体は録りも終わってて。なので、『Origin』以降っていうことで、“Wake up”からずっと続いてるテンションはあります」

■『Wake up』の時は鮪くんひとりでインタヴューさせてもらっていて。あの時、一度はっきりと挫折をして、その上で新しい扉を開けた音楽があるっていう話をしてもらったんですけど、ふたりはどうだったんですか?

小泉貴裕(Dr)「僕も挫折だらけでしたね。去年1年は、後半に入るギリギリぐらいまでずっと悩んでて。で、やっと後半で徐々に自分の状態と向き合いながら、音楽を楽しめるようになってきた段階に来れていて。悩むほうが多かったんですけど、今は気持ち的にいい方向に向かってますね」

飯田「みんな言葉に出さなかったんですけど、今思えば、メンバー間の空気もそんなによくなかったんじゃないかなって。バンドってあんまり『挫折した』っていう決定的なことってわからないじゃないですか。勝敗みたいなのがなかったりするんで。それで『自分はこういう状況なんや』って気づかない感じがずっと続いてて。でも『Origin』のツアーでの挫折があったので………俺ら、昔はもっとキラキラしてたよなっていう感覚が凄くあったんですよ。音楽的によくはなっていってるはずなんですけど、でもキラキラした青さとは反比例してる感じがして。『あれ? 俺らこんなんやったっけ?』っていう感覚がだんだんデカくなってて」

■要するに、バンドとしての輝きとかエネルギーみたいな部分だよね。

飯田「そうですね。一人ひとりが上手くなったらバンドがよくなるんかって言ったら、それはそうなんですけど、バンドってそれだけじゃないところもあるじゃないですか。そこに気づいて、じゃあどうしないといけないのか?ってことを全員で話し合ったりしたんですよ。そういうことがあって、今は上を向いて歩いてますね。最近は凄いバンドの空気もいいし、ミーティングとかでも話す機会が凄く増えたし、レコーディングの空気もライヴの空気もちょっと前とは全然違ってて。個々の距離感が近寄ってきてるからいいものができてるんやなって思いますね」

■個々の距離感が近寄ってきてるっていうのは、鮪くんも感じます?

谷口「それは感じますね。特に古賀の距離感が凄いよな、最近。古賀の歩み寄りが一番大きいですね」

■それは古賀くんがゴーイングマイウェイじゃなくなったってこと?

谷口「いや、今もゴーイングマイウェイなんですけど、そのゴーイングマイウェイがこっち向いた、みたいな感じですかね」

飯田「はははははははは、確かに!」

谷口「こっち向かって突進して来てて、『近い近い!』みたいな(笑)」

飯田「でも、その結果いい混じり方してるよな(笑)」

谷口「メンバー全員、少し大人になった感じはするんじゃないかな。今までじゃれ合ってた子供みたいな感じから――まぁ精神年齢はずっと変わってないんですけど(笑)、挫折を経たり、メンバーともう一度顔を向き合わせたりしたし。それって人間的に大人になってるってことなのかなって思うから。そういう意味で、4人とも人としての成長みたいなところは感じますね。ちゃんと人と向き合うようになった気がします。中でも特に古賀に関しては、それを凄く感じるというか」

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text by有泉智子

『MUSICA3月号 Vol.119』

Posted on 2017.02.17 by MUSICA編集部

ACIDMAN、
小林武史と生み出したシングル『愛を両手に』完成。
たおやかな愛のバラードに、大木の真髄を見る

誰かの悲しみを少しでも音楽で、哲学で救えるのであれば、
それは自分の役割だなと凄く感じてるんですよね。
ロックだとか、パンクだとか、ジャズとかなんて、どうでもいい。
目の前の人の悲しみを少し楽にさせてあげることをどうしてもしたい

『MUSICA 3月号 Vol.119』P.100より掲載

 

■今取材している3日前の1月21日に、今年唯一のワンマン『ACIDMAN 20th Anniversary Fans’Best Selection Album “Your Song”』のリリース記念プレミアムライヴがありまして。凄いね、この結成20周年、デビュー15周年記念イヤーに今年唯一のワンマンが早くも終わっちゃうなんて。

「そうですね、1月の段階で早くも終わっちゃいました(笑)」

■そのライヴは、ACIDMANという想いの深さと大きさと重さが全部出ている、壮絶なもので。生きる覚悟を歌うとどうしても歌は儚くなるし、その覚悟と儚さの結晶のような23曲を鳴らし尽くすセットリストだったわけだけど、だからこそ観る側としては本っ当に疲れました。

「俺も本っ当に疲れましたよ」

■観終わった後に体力も精神力も使い果たした感じがした。あれは時間のせいでも曲数のせいでもなくて、ACIDMANの歌の重みと圧力のせいだと思います。その歌を生み出した人間としてはどう認識しているんですか?

「もちろんファン投票のベストアルバムを基にしたセットリストだったから、20位までのリストが出た時から『これをライヴで全部やるとしたら相当疲れるだろうな』って思ってましたし、実際にやってみると、その通りの結果になりましたね。実際、ライヴやるまではずっと不安があったんですよ。選曲的にアルバムの締めの曲だったり、バラードがとても多いディープな曲がいっぱい入ってきてるから、どこに気持ちの最高値を持っていくべきなのかわからなくなりそうで。自分が頑張って歌い切れたとしても、途中でお客さんの心が離れたりするかなって不安があったんですが、いざやってみると、自分も一度も緊張は途切れなかったし、むしろファンにどんどん気持ちを乗せられていくのを凄く感じて。俺が歌っている芯の部分を好きで聴いてくれているんだなって実感できました」

■そんなセットリストの中で一番ふんわり聴けた曲が1曲だけあって。それがアンコールで披露されたこの新曲“愛を両手に”だったんですよね。イントロで珍しく一悟(浦山一悟/Dr)がパッドを叩いているところから曲調から全部を含めて、一番ふんわりと聴けた。この曲をバラードとしてリリースすることになった、そこに大木が託した想いを教えてください。

「元々のネタとしては凄い前から温めていたメロディがあったんですけど、サビを上手く作れなくて。で、その頃に、うちのばあちゃんが3年前に亡くなったんですけど……ばあちゃんが病院に入って、何度かお見舞に行って声を掛けてたんだけど、ある日、急に誰が来たのかさえわかっていない状態に陥って、それが凄く悲しくて。正直、葬式よりも、意思の疎通ができなくなった時が一番悲しかったんです。それで車の中で泣きながら帰って。俺はずっと死というものに向き合ってきたし、学生時代に一緒にバンドしていたやつが自殺したこともあったし、自分の親戚が亡くなったりとか、いろんな死に出会ってきて、何故人は死ぬんだろう? 何故悲しみは生まれるんだろう?と考えてきたんですけど、何度経験してもいつも悲しいし、今回もやっぱり、もの凄く悲しかった。で、この悲しみはどうやったら救われるのかな?って死後の世界を考えてみたりもしたんだけど、やっぱりただシンプルに悲しくて……その悲しみに向かい合った時に、とにかくもう一度会いたいし、もう一度幸せだったのかを訊きたいと思ったんです。それでこの真っ直ぐな言葉が生まれて、同時にサビのメロディができて。それが自然と温めていたメロディと繋がったんです。俺の中では死者に向ける言葉としては<幸せだったかい?>という言葉が圧倒的に強いなと思うので、その気持ちからこの曲が生まれた感じでしたね」

■今話してくれたおばあちゃんのエピソードを知らないまま聴くと、生命を超えた愛が歌われているなって思うんです。つまりおばあちゃんに対してだけではなく、自分が死んだ時に<幸せだったかい?>と思えるかどうかとか、いろんな想いが内在しているのかなって思うんですけど。

「そうですね。個人的な想いやストーリーばっかりの曲だったら、ACIDMANとして発表するほどの作品にはならないので。やっぱり普遍的なもの、老若男女すべての人が聴いて、すべての人に当てはまるようなワードにしたいなと思って。だから、<神様がいなければ良かった>っていう普遍的な言葉も使っているけど、もちろん震災とか戦争とかもイメージしていて。……神様がいるからこそ我々は救われるんだけれども、だからこそ神様に依存してしまって、悲しみを自分の力で乗り越えることができなかったり、逆に神様を恨んだりしてしまったり、それによって戦争も起きてしまったりする。そういうものがいない状態で我々がひとつにまとまっていられれば、生命という価値観はもっとシンプルだったと思うんですけど……というような不思議な歪を含めてのストーリーにしたいなと思って。もちろん<幸せだったかい?>っていうのは、自分自身がどのように生きていくべきか?という問いかけでもありますしね。どんな幸せな人でもどんなに不幸に見えている人でも、地位も名声もある人でもない人でも、必ず誰もが死ぬ。音楽で言ったら、The Beatlesでも、バッハでもモーツァルトでも、何千年後には誰も聴かなくなる。そうやってすべてが消えていく、すべてが忘れ去られていく儚さの中で我々はどう生きるのかと考えると、究極的に言ったらこの瞬間を幸せだと思って生きる――つまり幸せっていうのは与えられるものではない、見つけることだと思うんです。幸せを自分で見つけ、自分で感じながら生きていく、そういう生き方をしていきたい。そういう想いを込めました。………俺はひとりでも多くの人にとって、この曲が悲しみを超えるものであって欲しい、死を超えるものであって欲しいと思っていて。そのためには泣いて欲しいんですよ。とにかく泣いて欲しい。まぁ美徳として男は泣かないほうがいいなんて時代があったし、実際俺も昔は全然泣かなかったけど、最近はすぐ泣いちゃう(笑)。で、俺はそれをいいことだなと思ってるんです」

■はい、涙のガードが硬い人として、とても羨ましいです。

「俺は、誰かの悲しみを少しでも音楽で、哲学で救えるのであれば、それは自分の役割だなと凄く感じてるんですよね。ロックだとか、パンクだとか、ジャズとかなんて、どうでもいい。どうしても目の前の人に悲しみを少し楽にさせてあげることを凄くしたいんです。そういう自分の思いが強くて、こういう曲になったんだと思います」

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text by鹿野 淳

『MUSICA3月号 Vol.119』

Posted on 2017.02.16 by MUSICA編集部

UVERworld、シングル『一滴の影響』ドロップ!
その生粋の真性ヒーローたる所以を垣間見る

お金あったらなんでも好きなもん食べれるし、
お金あったら好きな楽器、好きな環境で録れるけど、
その代わりいいもんを見抜く力がなくなっていきそうな気がする。
そこでしっかりといいものをチョイスできる能力が欲しい

『MUSICA 3月号 Vol.119』P.44より掲載

 

■今はレコーディングがずっと続いている状況なんですか? 今回、夏以来(2016年9月号)の取材ですけど。

「今年はありがたいことにUVERworldを聴いたことない人達に届けるチャンスが頭からいろいろ訪れていて。そのための新しい曲を今、作っています」

■UVERworldって基本1年間スタジオにいて、それはアルバムという終着点への終わりなき旅を、ある意味ミニマルに続けているっていうイメージがあるんですけど、去年くらいからライヴでもいろんなことをやったり、今回のように、2曲目とかはかなりタイアップ先(映画『新宿スワンⅡ』。2000年代初頭の歌舞伎町を舞台に、歌舞伎町の裏社会を描いた人気漫画の映画化2作目の挿入歌)に寄っていった作品だと思うし、外に特攻していっているイメージがあるんですよね。それはどういう気持ちの表れなんですか?

「……昔はですね、タイアップがもの凄く苦手だったんですよ。クライアントさんからのオーダーに答えていくのが凄く苦手だったんですね。そういう大きな流れに反発している時期とかもありましたし……でも最近凄く自分達に自信がついてきたのもあるし、言われたことにきちんと応えられる能力とかもついてきて。最近曲を作る時、僕は写真とか動画とかを見ながら作るんですよ。それこそ“ALL ALONE”やったら、曲を作るパソコンの隣にもう1台パソコンを置いて、YouTubeで『東京、夜景』とかって検索して30分とか1時間くらい東京の夜景の映像を見ながら曲の世界観に合うものを作っていくっていうのが結構楽しくて。クライアントさんから受けるオーダーを動画に置き換えて、元々自分になかった世界観で曲づくりをするっていうのを楽しんでいる感じですね」

■今回、“一滴の影響”に関しては久しぶりといってもいいくらい、自分の中の必殺技を出してきたって思ったんですけど。

「ですよね。ファンの人達は今までのUVERworldらしい楽曲が久々にきたっていうので喜んでくれてますし、僕達もそんな感じですね。ずっと僕達を応援してくれている人達はこういう曲好きだろうなとか、作りながら思ってて。僕達はそれに対して奇を衒ってアレンジを難しくしたりせずにストレートに作りましたね。この曲もタイアップなんですけど、オケは彰(G)が作ってきたもので、詞の内容が去年のイナズマロックフェス(2016年のイナズマロックフェスは2日目の中盤から会場付近で落雷が確認され公演中止となった)でUVERworld、MAN WITH A MISSION、T.M.Revolutionが大雨で出られなかったんですね。で、それを僕2日くらい引きずってて、気分がどよーんって落ちていたんです」

■出られなくて悔しかった?

「悔しかったっすね。友達いっぱい観に来てくれてたし、何よりも地元だし。雨でびっしょびしょになりながらUVERworldのタオルかけてTシャツ着て待っててくれている人達が結局ライヴ観れずに帰っていく姿を眺めながら、『……うわぁ、僕ら滋賀県に何しに来たんやろう』って。ライヴしていたバンドが観られたのは楽しかったですけど、なんとも言えへん悔しさっていうか悲しさっていうか……天気なんて責めようもないし、ましてや西川さん(TMR、このフェスのオーガナイザー)も責めれへんし、っていうより西川さんが一番落ち込んではったし(笑)。こういう怒りってどこにぶつけるべきかな、でもみんな同じ気持ちでいるやろなって思うと、悲しみとか悔しさを消化せずに引きずっていくのはただ立ち止まるだけで、それをしっかりと受け止めて一歩前に進んでいかないといけないなって思ったんです。そうしたら『今回は誰のせいにしよう?』って思った時に、僕は前向きに消化するっていう意味で『自分のせいにしよう』と思ったんですよ。(運を)持ってる人は持ってますから、持ってる人がステージに出た瞬間に、雨だったのに突然晴れたりするやないですか? そういう意味ではまだ自分は持ってなかったなぁ、自分がいけなかったんだなあって。こういうこと言うと精神的な話のようになりますけど、もうちょっと細かい部分で努力なり積んでいけばそういう男になれるみたいな感じで『1回自分のせいにしよう、これで俺、なんとなく気が済むわ』って思って」

■それは今回の歌詞を考えている時と、タイミングがドッキングしたの?

「そうなんです。ちょうど落ち込んでいる時に歌詞を書かなければいけなくて。で、雨に打たれているファンの人達が『これ(イナズマロックフェスの中止に対して)誰を責めればいいんやろう?』って思った時に、『今回はもう、全部俺のせいにしろ!』みたいな歌詞が出てきたんです。というか、そういう歌詞を書きたいって思って。で、実家から駅に向かって歩いてる時にサビの部分の歌詞がぶわーって出てきて、速攻携帯にメモして。マネージャーに電話して『曲できるからすぐスタジオ取ってくれ』って言って、メロディもなんとなく歌いながら形になってたんで、すぐに東京のスタジオ取ってもらって。2時間半くらいいろんなイメージしながら戻るんですけど、スタジオ着いてギター弾いて歌った時に世界観————コード進行とメロディの世界観が広げきれてなくて、『うわ、なんか違うな』って再度なっちゃったんです。今回、この曲を俺の手グセとメロディグセでやるのはちょっと違うなって思って、そのまま1回また放ったんですけど。そこで彰がこの曲のオケを持ってきた時に————『青の祓魔師』ってアニメのタイアップなんですけど、僕らこれの主題歌担当するのは3回目なので、ずいぶん内容も知ってて――あの世界観に合うなぁって思って、その新しいトラックに歌詞を乗せながらメロディ詰めていったら、それがズバッとハマった感じですね」

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text by鹿野 淳

『MUSICA3月号 Vol.119』

Posted on 2017.02.16 by MUSICA編集部

米津玄師、巨大な才と創造性を発揮する
新曲『orion』発表。
彼の心の奥にある声を聞く

誰しも生きてるだけで美しいじゃないですか。
美しくない人間なんていないと思うんです。
それを無視したまま「自分なんて」とは言えないなって、今は思う

『MUSICA 3月号 Vol.119』P.54より掲載

 

(前半略)

■実際、『LOSER / ナンバーナイン』は、カップリングの“amen”も含め、三者三様に個性を放つ音楽的にアグレッシヴな作品群だったと思うんですけど。それに対して今回の“orion”という楽曲自体は、音像自体は今のJ-POPとは明確に一線を画した攻めたサウンドデザインなんだけど、でも歌詞にしてもメロディにしても、歌としては非常に普遍的なものになっていて。今話してくれたようなことを経て、今回こういう楽曲になったのはどうしてなんですか?

「そこはもう、完全に『3月のライオン』ですね。今回は『3月のライオン』に寄り添うためのもの作りをするべきであって、そこに対して自分が今こういうモードだからこうじゃなければならないみたいなものって必要ではないというか。そもそも『3月のライオン』っていう美しい物語を彩るための一端を担う音楽であるっていう、そのためにどうしたらいいのかっていうことを第一に考えるべきであって。それをちゃんとやり遂げた上で、アレンジ感としては自分が今やりたいものを忍び込ませるっていう、そういう考え方だったと思います。それで結果として、アレンジ感とかは今のJ-POPっぽくない、アニソンっぽくないものになったんだと思うんですけど……でも、結局それもメロディだと思うんですよね。そもそもメロディが美しければ何にでも耐え得る、どんなアレンジでもサウンド感でも成立するんですよ。そういう、メロディさえ美しければ後は何をやってもいいっていう考え方が自分の中には昔から凄くあって。だから“orion”に関しては、『3月のライオン』というものにただひたすら引っ張られて行った結果、気がついたらここにいたという感覚で」

■ということはつまり、この曲はメロディと言葉からできていった感じなんですか?

「そうですね、弾き語りで曲だけ作ってて。そもそも結構前からこの曲はあったんですよね。『Bremen』を作ってた頃からあったんじゃないかな。その時はこんなアレンジになることは全然想定してなかったし、こんな形になるとは自分ですら思ってなかったですけど。で、『3月のライオン』のお話をいただいた時に、自分の頭の中にあるいろんな音楽のストックから、こいつは凄く合うんじゃないかっていう感じで引っ張り出してきて。そこから『3月のライオン』の物語に寄り添う形で歌詞を書いて行って」

■この曲は主人公である桐山零の目線から描かれているようにも感じるんですけど。彼は幼い頃に家族を事故で亡くして、自分が生きる居場所を獲得するためには将棋で強くなるしかないという思いの下、嵐の中を必死に歩くように努力をしていくわけですけど。米津くん自身は、桐山零というキャラクターにシンパシーを感じますか。

「少なからず共通する部分はありますね。零くんは将棋ですけど、あの原作を読んでる限り、将棋と音楽って少なからず共通してる部分もあるんだなって思ったし。自分の性質だとか適性だとか……零くんってほとんど将棋をやるために生まれてきたみたいな子じゃないですか。そのためにずっとひとりで家に篭って勉強するわけじゃないですか。そういう感じは自分と似通った部分があるのかなと思うし、またそういう自分の適性に対していろいろ振り回されてる感じも似ているなと思うし。自分が将棋を深く愛してるが故に、いろんな周りの人間との軋轢があったりするわけじゃないですか。そういう生き方だとか、それ故に感じる心の機微だとか、そういうものはもの凄く身に覚えがありましたね。だから最初にエンディングテーマどうですかって言われた時は、これならやれるっていうか。自分と共通してる部分があるからこそ、彼の気持ちなら自分にわかるんじゃないか、それなら曲が書けるんじゃないかっていうのはなんとなく思ったんで」

■零くんの場合、自分の居場所がない、自分が必要とされていないっていう現実の中で、なんとか自分の居場所を見つけたい、誰かに必要とされる、価値ある存在でありたいっていうことを目指してひたすら将棋を打っていくわけじゃないですか。自分と音楽の関係性もそこに重なる部分はあるんですか?

「あぁ……そうですね。最初はひたすら好きだっただけなんですよね。零くんもそうだったかはわからないんですけど、自分の場合は最初はただひたすら好きだっただけのものが、だんだん社会と繋がる唯一の接点になっていって……音楽がなければ自分はどうなってたかなっていう感じは、やっぱり凄くあるんですよね。そういう点では零くんも一緒だと思うし。こういうこと、あんまり言いたくないんですけどね。音楽がなければ生きていけなかったであろうってことは、俺はあんまり言いたくないんです。たぶん、なかったらなかったで上手くやってたんじゃないかと思うし、そもそもそういう話ってあんまり好きではないんですけど。でも、音楽がなかったらどうなってたか想像つかないですね」

(続きは本誌をチェック!

text by有泉智子

『MUSICA3月号 Vol.119』

Posted on 2017.02.16 by MUSICA編集部

水曜日のカンパネラ、
メジャー1作目のフルアルバム『SUPERMAN』完成!
彼らの2017年を3人取材でディープに暴く

歌うことって……泣くみたいなことなんです。
泣いたら『泣きたい』と思った気持ちが薄らぐのと同じで
思ったこととか強い気持ちを自分の中に
どんどん積み重ねていけるんです(コムアイ)

『MUSICA 3月号 Vol.119』P.62より掲載

 

(前半略)

■今回の『SUPERMAN』はメジャーファーストアルバムになるわけなんですけど、前作の『UMA』とは根本的に体裁が違うところがたくさんあって。まず、『UMA』をもって今回どういう作品にしていこうと思ったか、というところから教えてもらえますか。

コムアイ「『UMA』はストーリーみたいになってて私は結構気に入ってるアルバムなんですけど、意外と周りの評判がよくなくて。『好き』って言ってくれる人は、結構渋い人ばっかだったんですよね」

■あー、俺みたいな。ごめんね、渋くて。

コムアイ「ははははは! そうなんですよ、おじさんとか音楽知ってる人から『UMAよかったよ』って言われることが多くて(笑)。私は単純に女の子が歌ってればほぼ何でもポップだと思ってたんだけど、全然ポップじゃなかったんだって思ったんですよね。で、今回のアルバムでやりたいと思ってたことは、2017年はどういう年にするかってことを踏まえた上でこの作品を作りたいってことで。それはいつも考えてるんですけど、今回は時代性を最初から意識してました」

■具体的に、どういう時代性を切り取ったんですか?

コムアイ「今の時代って、山でも谷でもなく狭間にいると思うんですよ。私はバブルが崩壊した瞬間に生まれたんで、谷のどん底の時だったんですけど、物心ついた時の新聞が真っ暗だったのを覚えていて。今は全然暗い時期ではないと思うんですけど、明らかに政治とか世の中の情勢がポジティヴじゃない方向に向かっているじゃないですか。まだ現実化はしてないけど、何かが起こる予兆みたいなものがすでにあって。だから、次に来る波はいいものであって欲しいなって思ったんですよね。私は変化は歓迎しているので、その変化を起こしてくれたり、個人の力で変化をさらに10年早く起こすことも可能だと思っているから。スーパーマンってそういう人だなと思ってるんです」

■ダイレクトに言うと、タイトルの『SUPERMAN』には「曖昧な時代への救世主」っていう意味が含まれてるってことですね。

コムアイ「そうです。今はそういう人がいないから、『スーパーマン不在の2017年の日本』っていう前提が自分の中にあって。このジャケットもそうなんですけど、危機感を煽るようなイメージになってるような気がしますね。ポジティヴでもネガティヴでもない、淡々と、やることやっていかなきゃいけないっていう気持ちがあるっていうか。あと、音楽業界的にも自分達は今狭間にいると思っていて私達はこれからCDという形態でガンガン売っていくつもりはないですし、むしろ早くみんながCDを買わなくなったら、私達も早く移行できるのにって思ってるんですけど(笑)。でも、そう言えるほど次のメディアを提案できてない、もどかしい状態があって」

■今のこの国の音楽業界はずっと階段の踊り場にい続けていて、なかなかアップデートが完成してないってことね。世界レベルで行くと、もうCDが終わってる国はたくさんありますから。

コムアイ「そうそう。その中で、今年最低限できることを更新していこうという感じで作ったのがこの盤で。今回はCD盤とUSB盤を出していて、これがUSB盤なんですけど(と言って、パッケージを取り出す)。仕様はふたつともほぼ一緒になってるんですけど、USB盤のほうはプラスチックのCD型になっていて、端っこのところを折り返して、パソコンに挿してもらうとUSBになるんです」

■うぉっ! 凄いね、これ。USBが音楽というモノとしても楽しめる。つまりUSBとCDの狭間感をこの1枚で表現したってこと?

コムアイ「そうです。CD盤とUSB盤で違うのは、USBだと取り込み時間がないっていうのと、データに傷がつかないってことで。あと、USBのほうはCDよりも少しだけ音質がいいっていう、そういう違いにしました。このふたつを並べて突きつけてみたかったんです。たぶんこんなの出したいって思うの、今年だけだと思うんで」

■明らかにコストを度外視したUSB盤になってるけど。ケンモチさんは、『UMA』という作品をどういうふうに総括した上で、今回の作品に向かっていったんですか?

ケンモチ「さっきもコムアイが言ってたんですけど、『UMA』が内向的な感じの内容で、音数とかも引いて引いてソリッドなイメージで作ったEPだったんで――」

■実験的であるってことに自覚的だった作品だってことですよね。

ケンモチ「そうですね。むしろ『実験』っていうのが主題でしたし、それをあのタイミング(メジャーデビュー)でやるっていうことに意味があるんじゃないかっていう話をしていたので。それを踏まえた上で、『SUPERMAN』は逆にカンパネラの明るい面を見せようかなと思って。水曜日のカンパネラのイメージって、時期によっていろいろあるじゃないですか。“桃太郎”の時期は面白いことをやったりとか、『ジパング』の時は新しめのベースミュージックをやったりとか、『UMA』では内向的な音楽をやったりとか。そういう今までのカンパネラのイメージで聴いて、『俺はあんまり好きじゃないユニットだな』って思った人達に向けて『まだこういう一面もありますよ』っていう感じも届けたいなって思って、開かれた感じのアルバムにしたかったっていうのはありましたね。歌詞の内容も、今回はおバカなことをいろいろやっちゃおう!っていうのもあったりして。……『UMA』の時は、逆にあんまりふざけたことをしなくていいんじゃないかなとも思ってたんですよね。外部のアーティストさんもいるし、僕だけがふざけてるとバランスが崩れちゃうっていうのがあったんで。今回はそこを解禁しようっていう気概があって――」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA3月号 Vol.119』

Posted on 2017.02.15 by MUSICA編集部

SHISHAMO、完全無欠のポップアルバム
『SHISHAMO 4』リリース!
宮崎朝子のサガを紐解く、初の表紙巻頭特集!
そして、人生初の描き下ろし漫画『恋』も掲載!

幸せな人に向けて音楽やってるわけじゃないので。
私は悲しい時に音楽を聴きたいんですよね。
私のこの気持ちをわかってくれたり
共有してくれる人なんて絶対いないじゃないですか。
それを曲を聴いて賄うことが昔から多かった

『MUSICA 3月号 Vol.119』P.16より掲載

 

■記念すべきアルバムと、記念すべき表紙です。

「嬉しいです、よろしくお願いします!」

■SHISHAMOは1枚目のアルバムからずっとその時の自分達のベストな音楽、そしてベストなソングライティングをしてきたんですが、今回の『SHISHAMO 4』も、さらにそれができているアルバムだと思います。それによって目ざましくアレンジが広がった作品になったなと思う。自分的には今回はどんな作品を作れたらいいなと思って始めたんですか?

「今までのアルバムとは違うものにしたいなと思ってたんです。今までと同じやり方じゃダメだなと思ってて……今までっていうのは、リード曲があって、シングル曲が入って、アルバム曲が入ってて、みたいな感じのアルバムというか。今までは私の中でも、この曲はアルバム曲だっていうのがあったりしたんですよね(つまりは1曲として際立って聴こえる感じではなく、周りの曲との雰囲気で聴けたり、他の曲を引き立てる曲のこと)。でもそういうのじゃなくて、全部がリード曲になるようなアルバムを作れたらいいなっていうのは前から思っていて」

■つまり全曲シングルで構成されているようなアルバムだよね。そういうふうに作ろうとすると、曲を作る段階から自分のギアの入れ方が変わるの?

「そうですね。私は元々シングルを作る時とアルバム曲を作る時と作り方が違くて。なので今回はシングルを作る気持ちで全曲作りました」

■宮崎の中で、シングルを作る時とアルバムを作る時のソングライティングの違いってなんなんですか?

「シングルを作る時は、誰に届けようっていうことをちゃんと考えながら作るんですよね。で、アルバム曲は自分の好みとか、自分が好きなほうに好きなほうにっていう感じで楽しく曲を作ることが多かったんです。でも今回は、どういう時にどういう人に聴いてもらうみたいなことをいろいろ考えながら作った曲が多いですね」

■過去の宮崎語録を僕なりに意訳していくと、「私はとてもマイノリティだし、マイナーな音楽が好きなんですけど、SHISHAMOは違うんです。SHISHAMOはもっと大きくてみんなに聴かれるべきものなんです」と言っていたと思うんですけど――。

「いや、マイノリティだとはあんまり思ってないです(笑)、聴く曲とかに関しては。私、本当になんでも聴くんですよ。このバンドを応援しようと思ってそのバンドの曲をいっぱい聴くっていう感じではなくて、どんな顔のどんな人がやってるかわかんないようなものを聴いたり。このバンドは1曲しか好きじゃない、でも凄い好き!とかもあるし。そうやって自分の中であんまり制限をしてないというか、純粋に好きな音楽だけを聴くっていうふうにしてるのは昔から変わらないんじゃないかなって」

■雑食系で、いいものはいい、悪いものは悪いという感じだ。

「そうですね。同じバンドでも悪いものは悪いと思うし」

■そういう意味で言うと、今回のアルバムは誰が聴いても全部の曲をいいと思えるようなものが理想型だったの?

「いや、それは難しいんじゃないかなと思います。私自身も聴き手としてそういうアルバムってあんまりないから。アルバムの中でもこの曲は聴かないなっていうことがたくさんあるし、凄い難しいことだと思ってて。それに、別にそうでなきゃいけないとも思ってないんですよ。SHISHAMOを聴いてくれる人に対して、全部を聴けよとか、全部をちゃんと好きになれよとは思ってなくて。私自身がそういう音楽の聴き方だからなんですけど、みんなそれぞれ自由に好きになってくれればいいと思ってるので。だから今回もみんなが好きな曲を見つけて聴いてくれたらいいかなって」

■何を訊きたかったかというと、『SHISHAMO 3』ってあらゆる意味でこの作品へのウォーミングアップだったんだなと思うんです。それは音楽性としてもそうだし、歌詞としてもそうだし。たとえば歌詞で言えば、前作は大人になり始めた時期の、大人になりかけている人の視点で書かれたものが多かったと思うんです。でも今回の作品は、明らかに「大人になった人」の視点で書かれている、つまり「女の子」じゃなくて「女性」の歌だなと思う。宮崎は作家として音楽を書いているし、常々「歌の主人公は私ではないし、私の等身大の視点でもない」というようなことをおっしゃってますし、その通りだとは思うんだけど、ただ、この変化は自分のどういう変化によって起こっているんだと思います?

「自分では、今も昔も、自分の置かれている状況とか年齢とかは曲に反映されてないと思ってるんですよね。自分のことを書いてるわけじゃないので。ですが完成してこのアルバムを聴いてみると、確かに1個1個、主人公の女の子が大人になっていってるなとは思います。……でも、今回の変化は、歌詞の変化ではないような気がしてるんです。もちろん歌詞は変わってはいるんですけど、ずっと同じものを書いてるなと思ってて。ただ、やっぱり音楽面というか、曲がよくなってるなっていうのは凄く思いますね。できた後に聴いて、曲のレベルが上がってるなっていうのは自分でも思ったんです。自分でも聴いていて楽しい曲になってきてるなっていう」

 

(中盤略)

 

1好き好き!

 

■イントロのギターの感じも含め、ジャクソン5のような黒いファンキーなリズム感で始まる新しい予感を感じさせる曲ですね。この曲はどういうふうにできたんですか?

「この曲はアルバムの最後に作った曲で。今回レコーディングが結構大変で、全然間に合ってなかったんですよ。いつもだったら結構前からアルバムに向けて曲を作り溜めて、その上でレコーディングっていうふうになるんですけど、今回は曲がまったくない時点で『来月からレコーディングです』みたいな感じになって。だから凄い短い期間で作ったんですけど」

■なんでそうなっちゃったの?

「なんでですかね……なんか計算違いだったのかもしれないですけど」

■どういうこっちゃ(笑)。SHISHAMOの場合、ちょうど1年ごとぐらいにアルバムを出してるし、そのサイクルは宮崎の中でも自覚してるわけで。でも今回そういう状態になったのは、忙しかったからなのか、それとも曲のクオリティ設定から来るものなのか、どういう感じだったんだろうね?

「忙しさを言い訳にするようなギリギリの感じではなかったんですけど……確かにクオリティの問題もありますね。曲を作ってなかったわけではないので。作ってたけどアルバムに入らなかった曲は今回たくさんあったし。で、最後の1曲が全然できなくて、無理だ無理だできるわけないってなりながらツアー中に作ったのが、この曲なんです。熊本で録音する機材(MTR)を買ってホテルに戻って、どうしようってなって……それで1日で作って、次の広島で3人でスタジオに入って練習して、すぐ録って。イメージでいうと、“僕に彼女ができたんだ”を作ろうと思って作ったんです。何も考えないでいい曲っていうか。あれは歌詞を吉川が書いてるんですけど、あの曲って歌詞がくだらないというか、歌詞に中身がないんですよ(笑)。だからこそいい曲なんだろうなって思ってて。ああいうふうに何も考えないで聴けるような、で、ハッピーな感じの曲が1曲あったらいいなっていうイメージはありました。今回バランス的に悲しい曲が多かったんで、それも含めて」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA3月号 Vol.119』

Posted on 2017.02.15 by MUSICA編集部

星野源、新春ライヴ2デイズ「YELLOW PACIFIC」、
そして『恋』以降を語る2017年初インタヴュー!

規模の大きさを実感はあんまりしてなくて。
これ、なんでなんだろうね?
なんかほんと、普通に「凄いなー」みたいな、
どこか他人事って感じがしてる(笑)

『MUSICA 3月号 Vol.119』P.34より掲載

 

(前半略)

■『YELLOW DANCER』のブレイクがあったとはいえ、やっぱり『恋』以降、『逃げ恥(逃げるは恥だが役に立つ)』のヒットも含め、去年の10月からの3~4ヵ月での状況の拡大は凄まじいものがあったと思うんです。紅白での主役感を見れば明らかだけど、星野源という存在が、本当の意味で日本を代表するスターになったよね。で、そうなると、一歩間違えたら星野源というものが星野さんの実像から離れていく……たとえばロックスターとかポップスターの偶像崇拝じゃないけど、そういうふうになっていく可能性も当然高まるわけで。そういう予感があるからこそ、カメラの前でもステージの上でもちゃんとナチュラルな自分としてありたい、自然体のままで行ける存在になりたいっていう、そういう意識もあったんですかね?

「あると思います。とはいえ、それって最近始まったというよりも、星野源が自分の手から離れていくっていうのはずっと昔から、もっと小さな規模で活動していた頃からあったから。『星野源らしさ』っていうことって……」

■「『星野源らしい』って言われるのが一番嫌いなんです」って、前から言っていたし、YELLOW MAGAZINE(星野源の2016年をまとめたオフィシャル・イヤーブック)でも書いてましたね。

「そうですね(笑)。『星野源らしい』って一見いいことのようですけど、それを言われることイコール、今後の活動に制限が生まれるということだと思うんです。そこから外れることをすると、『らしくない!』っていうふうになる、活動の自由度を狭める言葉なんですね。人は時間とともに変わっていきますから、『らしい』と言われ出す時には、もうそこには自分がいないことが多いわけです。その時点で誤解されちゃってますよね。でもそこに関して、自分を誤解されないようにとか、星野源というものを100%誤解が生まれずに伝えたり、みんなに捉えてもらうっていうことは無理なんだなっていうのは、ずっと前から凄く思ってたことで。とはいえ、まだ自分は誤解されてないほうの音楽家だとは思うんですけど」

■はい、そう思います。

「それはこれまでの活動の成果なのかもしれないですね。それでも今まで誤解されてきた部分も多いし、レッテルも張られてきた。そこに関しては諦めてるんです。誤解が生まれない活動はないというか、どんな場所にもどんなことにも、よい受け取り方をする人もいれば悪い受け取り方をする人もいるので。それをコントロールしようっていうのはそもそも無理というか、疲弊していくだけなので。だから、一歩出た先のことは俺はもう知らないぞって感覚です。でも、そう言ったものに惑わされず、自分のやりたい音楽とか、活動において自分が大切にしたいものを、自分自身や、あるいは自分のチームの中ではしっかり大事に共有できるようにするには、好きだという気持ちを見失わずに、やりたいことをやっていくしかないんだと思います。そういう意識は、凄くありますね。自分の心持ちにおいてもチームにおいても、自分が音楽を嫌いになったり、活動に対してもう嫌だなとか思わないためにも、ちゃんと居心地のいい状態を作っておきたいな、と。だから、今バーッと広がったから急にそうしようっていうよりは、前から積み重ねたものがあるから、ナチュラルでいられるという感じ。……今、本当に“恋”が凄いことになってるじゃないですか(笑)」

■凄いことどころじゃないレヴェルで凄いことになってますよ、本当に。完全に社会現象化しちゃったもんね。

「130万ダウンロードを超えたとか言われて『へぇー』みたいな、全然自分のことって感じがしないっていうか(笑)。でも、そういう社会現象みたいなものなのに、音楽の面白いところとか楽しいところがちゃんと伝わってる気が凄くしてて。自分がこういうものを作りたいって思い描いて、こういうものにワクワクしながらこの音楽を作ってましたっていうところがちゃんと共有できている……これだけ凄い大きな規模になってるのに、その部分が届いてるなって感じることが多いんですよ。それがとても嬉しくて。それは『逃げ恥(逃げるは恥だが役に立つ)』に関してもそうなんですけど。楽曲にしてもダンスにしてもドラマにしても、チーム全体で面白いと感じながら作っていたものが社会現象になって、普通に楽しんでいる人達にも自分達が伝えたい芯の部分が伝わってる。規模の大きさから考えたら結構正確に伝わってる気がするので、それはとても幸せだなと思います」

■自分のことのような気がしないっておっしゃいましたけど、実際のところ、“恋”が社会現象になるくらいの国民的ヒットになったことは、ご自分にとってどういう感覚で受け止めてるんですか。それこそ紅白でも、星野さんも曲中で「日本の皆さん、踊ってますかー!」って叫んでたけど、本当にテレビの前であの曲を待ち構えて一緒に踊ってる人は間違いなく日本中にたくさんいたわけですよね。そういう反響っていうのは、自分的にはどういうものとして受け止めているんですか。

「とっても嬉しくて最高に楽しいです。気持ちよくてしょうがない。でも、その規模の大きさを実感はあんまりしてなくて。これ、なんでなんだろうね? なんかほんと、普通に『凄いなー』みたいな、どこか他人事って感じがしてる(笑)」

■それは『YELLOW DANCER』のヒットの時とも違う感覚?

「あー、『YELLOW DANCER』の時はどうだったかな?…………あの時は、(CDのセールス)枚数でじわじわと喜びを感じつつ、ツアーで各地の会場に行って、お客さんの反応を目の当たりにすることでだんだん実感していく、みたいな感じだったんだけど。今回は、テレビとか見てても急に自分が出てきたり、自分の曲が流れたりっていうことが凄く多くて。あと今、普通に街を歩けなくなってるので(笑)。そういう意味では実感はしてると思うんだけど……でもそれってドラマだと思うので」

■というか、音楽家と役者という両軸が最大出力でグワングワン回ってて、かつ両者がバッチリ化学反応を起こしたことで、星野源という存在がここまで押し上がっているところは凄くあるよね。こういう形は本当に珍しいし、真似しようと思っても真似できない。

「でも、俺がやったったぜ!っていう感じよりは、どっちかっていうとみんなよかったねって感じなんです。一緒に制作をしてくれているミュージシャンやスタッフのみんな、デザインのみんな、そしてドラマのみなさん、全部がほんと上手いこと噛み合って合ってここまでのことになってる感じがするので。だから、俺が凄い!っていうのはまったく思えない(笑)。もちろん、自分にとって凄く自信になってるのは、『恋』の発売がドラマの放送前で、その時点で10万枚を超えてたっていうことではあるんだけど。ちゃんと音楽だけの魅力としてもヒットしたんだという事実があって、それが『逃げ恥があったからでしょ』って言わせない力強さみたいなものになってるような気がしますね」

(続きは本誌をチェック!

text by有泉智子

『MUSICA3月号 Vol.119』