Posted on 2014.05.22 by MUSICA編集部

Base Ball Bear、かつてない難産からかつてない最高傑作
――約3年ぶりのフルアルバム『29歳』堂々完成

僕、本心から曲を作るのができないタイプだったんです。
自分の心が部屋だとして、「本心」が入ってるドアがあるんですよ。
でもそのドアにはドアノブがなくて、溶接されているんです……。
で、ドアの向こうにあるらしい「本心」に必死に耳を当て、
「本心ってどんななんだろう?」ってふうに思ってる、
それが自分だったんです。だけど――

『MUSICA 6月号 Vol.86』P.98-105より掲載

■遂に難産なアルバムが生まれ落ちました。かなり長かったと思うんですよね、ここに至るまで。

「ほんとそうですよね。一度諦めたり、いろいろあったアルバムですから、でき上がった時は不思議な気持ちになったり(笑)」

■前作『新呼吸』が集大成感や達成感があったことを含め、その後に燃え尽き症候群もあったことも含め、これだけ時間がかかったのかなと思うんですが。この3年間を振り返って、どうですか?

「3年間………結構考えっ放しだったかもしれないですね、このアルバム。テーマ探しみたいなのがずっと断続的に続いてるっていう感じだったから。『新呼吸』がよっぽどだったんですよ、自分の中で。単純にアルバムの内容だけじゃなくて、アルバムを発売するまでの仕掛けをプロモーションっぽいところで引っ張るんではなく、作品のコンセプトとしてのシングルをちゃんと打って、最後アルバムに辿り着くっていう、正直言ってかなりわがままを通してやったアルバムだったし――」

■自己世界としてのある意味完璧なストーリーを作ったアルバムだったんだよね。

「だからあのアルバムを超える自分の中でのテーマがないといけないなってずっと思ってて。それはつまり、『何を歌うか?』っていうことなんですよね。それを考えるのに3年かかっちゃったっていうのが正直あります。『新呼吸』で辿り着いた考え方というか自分の意見っていうのをまた自分の中で噛み砕いて、反芻して、今自分がどう思ってるかっていうのを何度も何度も考え直すんだけど……でも、やっぱり『新呼吸』で1回上り切っちゃったから、なかなか下れないというか(笑)。そういうので苦労してましたね」

■『新呼吸』はあの時伝えた通り、本当に素晴らしい作品で。で、今回のアルバムも相変わらず素晴らしい作品だなと思います。でもいろんな意味で装いが違うアルバムになったよね。まず、「サウンド」と「歌詞も含めた歌」のふたつに分けて、サウンドのほうから話をしていきたいんですけど。

「はい」

■僕はサウンドが一番予想外だったんですよ。非常にバンドサウンドな作品になったことが意外だった。ここに至るまでの間の小出くんの過程でいくと、いろんな人とのコラボレートがあったり、今の日本の音楽シーンなりのサブカルチャー――ヒャダインやアイドルとか、そういうところとのリンクも表現世界の中にあったし。いろんな意味でもうちょっと脱・バンド的な作品になるのかなと思ったんですけど、『新呼吸』よりもさらにバンドサウンド然としてる作品だなと思ってて。そこは本当に意外だった。

「確かにそうなんですよ。ここまでの流れでいくと、より脱・バンド的な方向に行きたがるのかな?と僕も自分で思ってたんです。で、いざ今のバンドのモードだったり、自分も含めたコンディションみたいなものを1回見直してみたら、むしろ凄くバンドらしくなってきたなって思って。たとえば、今までのコラボレーションだったりとかフューチャリングをしていく中で、よりバンドっぽさっていうのが備わってきていて。それは最初にアルバムのプリプロに入った時にそう思ったんですよね。今この場で鳴っている、4人で『せーの』で出しましたっていう音の感触がいいから、ここをちゃんと届けられたほうがより今のバンドのモードになるなって思ったし。それってずっとやりたかったけど、意外とできなかったことだったんですよ。っていうのも、Base Ball Bearはギターロックの耐久性を検証するっていうのを批評的な意味も込めてやってきたバンドじゃないですか」

■まさにそうだね。

「だから意外と僕ら4人が『せーの』でポンッと出したものいいから、それをまんま作品にしたいっていうのが意外とないバンドだったんですよ」

■THEE MICHELLE GUN ELEPHANTは遥か彼方にってことね(笑)。

「ははは、そうそう。そこに対してのリスペクトだったり憧れは常にあるんだけど、でも僕達はひねくれ者だからそれは敢えてやらないっていうのでずっといたんです。でも、ここへ来てやっとそれをやれるだけのそれぞれのメンバーのポテンシャルが備わってきたなと思ったんですよね。で、やってみたと」

■それは人間的な問題なのか、もしくはいろんなコラボレートによってバンドのスキルが高まって、結果的にボトムアップしていったって感じなのかな?

「たぶん両方だと思いますね。演奏してる時にメンバー同士で『なんか……大人になったね』みたいにしみじみ言い合うシーンが何度かあったりして(笑)。それは単純に自分達が鳴らしてる音っていうのもそうだけど、音から感じる人間的な部分っていうの込みで、『大人になったね』って言い合う気持ち悪いシーンが結構ありました」

■言ってみればさ、デビューの時期からずっと思春期からの逃避みたいな気持ちがこのバンドにはあったわけじゃない。その逃避から今こうやって、4人のバンドやお互いに対する気持ちが「実態」になったのは感慨深いよね。

「そうですね。学生時代からずっと一緒にやってきてるバンドだからこそ、確かめ合える部分なのかなとは思いましたね」

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text by 鹿野 淳

『MUSICA6月号 Vol.86』

Posted on 2014.05.22 by MUSICA編集部

5年半の月日を経て、辿り着いた確かな覚悟
flumpool、山村隆太が葛藤と闘いの日々を激白

今までのツケが一気に回ってきた気がして………一瞬バンドから逃げました。
「3人でやっておいたらいいんじゃないか」みたいな感じで……
情けない話ですけど、あの時は不安定だったし、危なかった

『MUSICA 6月号 Vol.86』P.112-119より掲載

■凄く久しぶりだね。半年以上振りかな。

「そう言われてみれば、最近鹿野さんを見ないなぁと思って、寂しかったですよ(笑)」

■前はあんなに席を離してインタヴューしようとしてた人が、会えないと寂しくなるなんて(笑)。これが、つき合って5年という月日だよね。まあベストアルバムも出るよねって話で。

「そうですね(笑)。会えなくなると、あれ?っていう感じで。ずっと、新しい曲や今の自分の気持ちについて話したいなって思ってはいたんですけど」

■がっつり行こうね、今日は。まずは、先週から久しぶりのツアー(5th Anniversary tour 2014「MOMENT」)が始まりましたけど、どうですか?

「いやぁ…………大変っすね(笑)」

■そうか(苦笑)。

「(笑)でも設定した目標が凄く高いところにあるなっていうのを、やってみて改めて感じたんです。自分で言うのも変ですけど、昨年10月の武道館から、徹底的に努力してきたんですよね。で、あのライヴ(武道館)は確実に超えられてはいるんだけど……ここから先を見据えると、まだまだダメだなと思って。もうひと皮もふた皮も剥けなきゃいけないと思えたツアー初日(この時点で終えていた福岡公演)だったので、嬉しい反面、今は複雑ですね」

■今回のツアーって、何か具体的なテーマがあったり、自分に課しているものがあるの?

「バンドとしては、『解散ツアーになってもいい』っていう気持ちで迎えなきゃいけないっていうことは話してましたね」

■縁起が悪い言い方だけど、要はバンドをやってる意味がないツアーやるぐらいなら、辞めたほうがマシだという話?

「そうですね。flumpoolって、“花になれ”で知った人からしたら、『順風満帆なバンドだ』っていうイメージだったと思うんです。で、今もそういうイメージがあるかもしれないんですけど、僕らの中ではもう崖っぷちだと思っていて。だったらこのツアーのライヴでちゃんと説得できなければ――来てくれた人すべてを掴んで、『flumpoolから離さない』っていう気持ちでいかなければ、次のホールツアーは回れないと思ってるんです。だからこそ……『目にもの見せてやるぞ!』っていう気持ちで臨んだ分、大変なんですよね」

■でも、まだ2days公演(4/19、20の福岡公演)を1回しかやってないでしょ? そういった意味では、まだここから育っていけるノリシロはあると思うんだけど。

「いやあ、実はそれがまだ見えないんですよね。『この先どうなるんやろう?』っていう感じなんですよ。何か難しいことをやっているわけではないんですよ。セットリストはベストアルバムからのチョイスなので、今までにやったことのある曲達ばかりだし――」

■集大成的なライヴなんだよね。

「そうですね。だから、来た人は楽しみやすいと思うし、一体感も生まれやすいとは思うんです。だけどその分、僕らもこだわらなきゃいけないから、曲のアレンジを結構変えたりもしているんです。そういう意味では新しいことに挑戦してますけどね。……だけど、今当たっている壁って、そういうことではない気もするんですよ。バンドとしてもっと周りと向き合わなきゃいけないのと同時に、flumpoolの4人が、もっと内面で『もうこれ以上離れない』っていうところまで結束するような姿を見せていかなきゃいけない。そういう部分が、まだ全然まとまらんっていうか」

■難しいよね。「オリャー! 行くぞ!」が「オリャー!」のまま出てくるのが必ず素晴らしいバンドっていうわけじゃないし、そこにはバンドの持っている音楽性も関係するし。だけど、単純に「オリャー!」ではない音楽をやっているからこそ、自分達のソウルをどこまで見せられるかっていうことが、flumpoolにとっては大事で。

「いやー、そうですね。でも、この5年間を振り返ってみると、それがなかったなぁと思うんですよ。特に最近はね。変な言葉かもしれないけど、インディーズ感というか……あの頃って、失うものも得るものもなくて、ただその場に何かを刻まないと生きていられない感じだったんですよね。いつもいつも『次はない』と思ってライヴをやっていたことで、そこに懸ける想いがバンドとしてのモチベーションになっていたので、凄くやりやすかったんですね。だけど最近は、結局は『次がある』と思ってしまっていた自分達がいたし、そんなことをやっていたから、今になって次がなくなってきてるんです。そう考えたら、反省点だらけなんですよ。初日の福岡はこれまでのベストではあったけど、『これからのベスト』には程遠くて。……2日目に、初めて“花になれ”が歌えなくなっちゃいまして」

■それは何故?

「感極まってしまったんですよ。あの曲って、『散ることを恐れずに、花のように精一杯一瞬を刻もうぜ!』っていう歌なのに――“花になれ”をやる前のMCで、昔のインディーズの頃の話とか、解散もしょうがないと思っていた時のこととか、どん底の時の話をしたんです。それであの曲をやったら、『5年間よかったな』っていう想いとともに、なんか煮え切らない……『このままじゃいけない、もっと、もっと!』っていう想いが波のように襲ってきて」

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text by 鹿野 淳

『MUSICA6月号 Vol.86』

Posted on 2014.05.22 by MUSICA編集部

スガ シカオ、メジャー完全復帰
2年半のDIYな日々から得た確信と、その果てに生まれた大名曲を語る

ひと昔前は、ポップスってライフスタイルの提案でもあったと思うんですよ。
でも、今の時代に提案すべきなのはライフスタイルじゃなくて、
精神的なスタイルなんじゃないかって思うようになって。
それは大きなテーマになっていくと思う

『MUSICA 6月号 Vol.86』P.122-127より掲載

■メジャー完全復帰作となる『アストライド/LIFE』という両A面シングル、これがどちらも本当に素晴らしい楽曲で。これはいつくらいにできた曲なんですか?

「“LIFE”は去年の終わりくらいかな。映画のラフみたいなものを見せてもらって、監督とお話したりしたら、なんか急にスルスルスルッてできたんです。で、“アストライド”は結構昔に断片があって。いつか自分の勝負の時が来た時に、これを広げて曲にしようって思ってたんですよ。で、今回、『大きい仕事があるよ』ってタイアップの仕事が来たんで、『これを使うしかない!』みたいな感じで。そっからバーッと広げて作ってったんですけど」

■その断片って、サビがあったとかそういう話なんですか?

「コードと取っ掛かりのメロが頭の中にあったんです。そこからコードをもう1回広げて、一から曲にしていったっていう感じです」

■スガさんは独立後もコンスタントに配信シングルも切っていたし、“アイタイ”はSPEEDSTARからのリリースだったりしましたけど、今回のシングルはやはり、ポップスに対する気概が違うなという感じがして。基本的にこれまで独立後に出してきた曲は、どちらかと言うと、歌詞も含めたスガさん独特の歌唱のドラマチックさと音楽自体の面白さで引っ張る曲が多かったと思うんです。でも今回の曲は、とにもかくにも、まず純粋にメロディが素晴らしい。これは誰が歌っても素晴らしいっていうレベルのメロディで。これは、やはり今回のタイミングだからこその何かが働いたのか、それとも割と自然に辿り着いたのか、そこはどう思います?

「やっぱりどっちの曲も大きいタイアップがあるっていう前提があって作ってたので、そういう『たくさんの人が聴くんだろうな』みたいなところは無意識にあったと思います。そうすると、選ぶものが変わるんですよ。自分の中で何個か候補があってどれにしようかなって考える時に、『たくさんの人に聴かれるから秘蔵っ子だな』って感じになる(笑)。他にもエグい曲も作ってはいたんですけど、そっちには手を伸ばさなかったという。ただ、“LIFE”に関しては、自分でも『俺っぽくない新しい感じだな』とは思いました。本当に一瞬で作っちゃったから、あまりどうやって作ったかとかないんですけど。降ってきたっていうわけじゃないけど、メロディができて、弾き語りみたいな感じでバーッて作っちゃって、もうそのまま小林さん(小林武史/この曲のプロデューサーを務めた)に投げちゃったんで。俺、アレンジを他の人に出す時も、いつもはほぼ共作でやるんですけど。小林さんに関しては、小林さんの考えるスガ シカオがどういうものなのかを知りたかったのもあって、自分からはほぼ何も言わなかったんです。だから、ますます自分でコツコツ作った記憶がない感じだな。歌詞もササッと書けちゃったし」

■でもこの曲、ご自分でも手応えは大きかったんじゃないですか?

「うん、凄い不思議で。自分っぽくないけど、面白いしいい曲だなと思った。だから俺の中では、もうちょっとベタなアレンジがいいなって思ってたんですよ。そしたら凄いハイブリッドなアレンジが来てびっくりしちゃって(笑)。『こんなハードなアレンジで大丈夫かな?』って思ったんだけど、たぶん小林さんは僕のメジャーデビュー一発目だっていうのもあって、そこに賭ける想いをちゃんと考えてくれたんでしょうね。今になってようやくそれがわかってきました(笑)。これがベタなバラードでメジャー復帰一発目だったら、ちょっとなんかショボイなっていうか――」

■既視感があったかもしれないですよね。

「そうそう、『ヒヨったな、スガ』みたいに見られちゃったかもしれない。小林さんはそこをわかってやったんだなって後から気づいて、ヒーッてなりました(笑)」

■この曲って、確かに古きよき王道のバラード・アレンジでも成立すると思うんですけど、実際は攻めたアレンジで。エレクトロ以降のアプローチも巧くミックスされた、2014年の形になってますよね。これは最近のスガさんのモードにも近いのかなと思うんですが。

「それはそうですね。ダンスビートとして体が動くから――メロディがあって体が動くって、一番ライヴでもやりやすいし、そこは凄く嬉しかった。……でも、最初はちょっとショックだったんです」

■ショック? 何が?

「どバラードにしたほうがウケるんじゃないかって思ってたから」

■はははははは。でも、これめちゃくちゃいいですよ。ちゃんとこの2年半の活動で培ってきた音楽の質感も通底音として入ってるし。

「そうそう、今となってはそう思うんですけどね。やっぱね、『メジャー再デビューします』とか言うと、いやらしい心が働くんですよねぇ。『前にできなかったことをやってやる!』みたいな気負いがあったり、ちょっとやましい心が纏わりついてくるもんなんですよ!」

■(笑)。

「だから今回は“アストライド”もアレンジを他の人に丸投げしたんだけど、よかったと思う。俺が本当に自分でやったら、結構いやらしい心が満載のアレンジをしでかしそうな勢いだった。すっごいベタかすっごい振り切るか、どちらにしても『そんなこと誰も望んでないし』みたいなほうに行っちゃってたかもしれない(笑)」

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text by 有泉 智子

『MUSICA6月号 Vol.86』

Posted on 2014.05.19 by MUSICA編集部

新シングル『Crazy Crazy/桜の森』で才気大爆発!
星野源、衝動とともに新たな王道を突き進む

何か気をてらおうっていうのは全然ないです
自分がこれ面白そうだなって思いついたことをなるべく忠実に、
思いっ切りストレートにやる、みたいな。
いろんな人に無茶苦茶なことを届けるっていうのが、J-POPだとも思うし

『MUSICA 6月号 Vol.86』P.82-89より掲載

■ツアーもNHKホールで無事にファイナルを迎えたわけですが、まずは久しぶりのツアーをやり切った感想から伺えますか?

「楽しかった! やっぱり日に日に疲れていったので心配度は増していったんですけど(笑)、無事に終われてホッとしました」

■武道館からツアーまで終わった――つまり、ひと通り復活の流れはやり切ったわけですけど、今はどんなお気持ちですか。

「実はまだあんまり、そこに関しての感想がなくて。ほんと、ホッとしたっていうぐらい(笑)。すぐそのままシングルの作業に行っちゃってるんで、あんまり思うことがないかも」

■逆に言うと、それぐらいすんなり活動再開できていると。

「そうかも。でも、むしろ結構必死というか(笑)。いろんなことが押せ押せになちゃってて、前ほどではないけど忙しいんですよね」

■シングル作りつつ、コントもやりつつ、『蘇る変態』(単行本)の作業もありつつ――。

「そう、だから余裕ないです。ほんとに休みたい……」

■(笑)。でも凄く幸福なことですよね。音楽家としても役者としても文筆家としても、みんなに求められているってことだから。

「そうなんです。でも、やっぱり休みたい!(笑)。本当はツアーの最後に沖縄入れようって言ってたんだけど、結局なかったな……」

■というわけで、復活後初となる両A面シングル『Crazy Crazy/桜の森』が出ます。作業はツアー前から始めてたと思うんですけど。

「はい。作曲に関しては、ずいぶん前からやってました」

■“桜の森”は3月下旬からOAされていたし、“Crazy Crazy”も福岡に行った時(3月15日)にはオケはすでに録れていて、これから歌詞を書くっておっしゃってましたね。

「そうでしたね。実は、“Crazy Crazy”を作曲したのは去年の7月なんです。手術前に作ってた曲で」

■あ、そうなんだ。それは病院で書いてたってことですか?

「いや、まだ家にいて、手術を待ってる時期に書いたんです。最初はもの凄い悲しい曲だったんですよ」

■そうなんだ。でき上がりは快活な曲だから、そういうイメージはなかったんですけど。その時は、歌メロを作ってたんですか?

「普通に弾き語りでいつものように作曲をしてて。最初は“知らない”みたいな曲だったんですよ。浪々としたというか、悲壮感漂う曲だったの。……その時が一番辛かったので、そのままの感じで曲ができたんですよね。で、それはそれで、そのままメモとして残しておいたんです。発表する予定もなかったし、ただただ残しておいたんですけど。それで、去年の年末辺りにそろそろやり始めようと思った時に、“桜の森”の作業と同時にこの曲に手をつけて。元々、メンバーのアイディアが先にあったんですよ。この曲はピーちゃん(ピエール中野/凛として時雨)とハマくん(ハマ・オカモト/OKAMOTO’S)と、あとジャズピアニストの小林創さんっていう方のトリオで演奏してるんですけど――」

■というかこのピアノの方、もの凄いプレイヤーですね。演奏聴いてびっくりしちゃいました。

「もの凄いです。“桜の森”もやってもらってるんですよ。で、ジャズピアノ、つまり黒いピアノとヘビメタの白いドラム、そしてその間を繋ぐ日本人的な黄色いベースっていうトリオでやったら面白いんじゃないかっていうアイディアが入院中に思い浮かんで、このメンバーでやりたいなと思ったんです。それで、いろいろ自分の作曲メモを聴き直していった時に、どうせだったらこの曲を凄く明るくしてやりたいなと思って。それでやってみたらすぐ明るくなったので、これはイケる!と(笑)。で、年末にメンバーと合わせて、最初のリハーサルをしたんですけど」

■それは、辛かった時期に生まれた悲しい歌を明るくすることで、自分的にもひとつ昇華させたい、みたいな想いもあったんですか。

「そこはあんまり意識的に思ってたわけじゃないですけど、でも、無意識ではたぶんあったと思います。辛かったあの時を上書きするっていうか。……やっぱり長い休養生活があったから、しんみりしたのはもう飽き飽きって感じだったんですよね。とにかく明るいこととか、楽しいこと、面白いことがやりたいって凄く思うようになったので。だから、自然とそういうアレンジになっていったんだと思います」

 

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text by 有泉 智子

『MUSICA6月号 Vol.86』

Posted on 2014.05.19 by MUSICA編集部

the telephones、音楽の自由と心の躍動を鮮やかに刻む――
本領発揮の『SUPER HIGH TENSION!!!』、完成!

 

俺はそもそも、ライヴで騒ぐための道具というよりは、
日々それぞれの日常の中でちゃんと聴いてもらう音楽を作りたいし、
the telephonesはそういうバンドでありたい。
だから、ハイテンションを押しつけたいわけじゃなくて、
もっと音楽聴いて自然に昂って欲しいなっていう。
で、今回はそういうアルバムができたと思うんだよね

『MUSICA 6月号 Vol.86』P.90-97より掲載

■今回の『SUPER HIGH TENSION!!!』。これは本当に素晴らしいね。過去最高のアルバムができたんじゃないかと思うんですが。

「ありがとう! 自分でもよいアルバムができたと思います。抜けはいい気がしますよね」

■そうですね。変に気負うことなく、telephonesのニューウェイヴ&オルタナティヴな音楽性が十二分に発揮されてるし、ソングライティングも、アレンジのアイディアや音色のセンスにしても、純粋に今までの中で最もいいものが生まれたなと思いました。

「確かに今回、曲は凄くいいのが書けたなと思いますね。ちゃんと今まで経験してきたことを活かした上で、初期衝動に忠実に作れた気もするし。まぁ初期衝動っていう時期でもないんですけど――」

■そうね(笑)。

「でも、基本的に今回、まずバンドで勢いでバーッと作ってから音楽的な詰めとか音色選びをやっていったから、そういうバンドのフレッシュさはちゃんと出た作品になってるはず」

■あ、バンドでセッションして作ったんだ?

「そう。曲に関しては、もう俺が家で作って持っていくのはワンコーラスぐらいで、スタジオで全員で作るっていう方法を取ったから。前もって作るのはなるべくメインのリフとかメロディのアイディアぐらいに留めて、あとは実際にスタジオで、4人で音を出しながら作ったんだよね。今回はバンド4人がガチャーッてやってるイメージというか、肉体的なものを作りたかったから」

■そういうものを作りたかったのはどうして?

「前作の『Laugh, Cry, Sing… And Dance!!!』は普通のポップスみたいな曲も何曲かあったから、今回はそういう曲はあんまり入れないようにしようと思って。凄いストロングな、バンドらしさが出るアルバムにしたいなっていうテーマだったんです」

■でも、ストロングと言っても『Rock Kindom』的なソリッドなバンドサウンドではないし、『SUPER HIGH TENSION!!!』というタイトルだけど、メジャー初期みたいにアゲアゲハイテンションで圧倒していく作品でもないじゃない? もっと柔軟で奔放な音楽性が鳴ってる作品だし、感情的にも楽しさだけじゃない、悲しみとかやるせなさとか、いろんな感情の動きが入ってると思うんだけど。

「そうだね。感情を大切にしたいっていうのはあったな。あと、前作の曲って同期データを使わないと表現できない曲が多かったから、今作はなるべくオーヴァーダビングしないようにしようっていうテーマもあって。その代わり、ダビングする曲はめっちゃしよう、みたいな。それが8曲目の“Starship Romance”とかなんだけど」

■これはシンセや打ち込みをたくさん重ねてるもんね。その直前の“Space Communication”とか、“Night Parade”とかも、シンセや打ち込み、サンプルの使い方が凄く秀逸だなと思った。

「そこは、これまでの勉強の成果もちゃんと出てる気がするよね(笑)。波形の編集も自分でできるようになってきたし、音色の細かい部分のセンスとかは気をつけて作ったつもり。ただやっぱり………いっぱい曲を作っていくと知らないうちに過去の自分の作品から影響受けちゃいそうで怖いから、なるべく今までと違った作り方をしようっていうのは思ってたんだよね。だからこそ、スタジオでみんなで作るってやり方をしたんだけど。そういう意味では、作り方としては、むしろインディーズ時代に戻した感じかな」

■ソロのアルバムの取材をした時も、「もういっぱい曲を作ってきてるからある程度作り方もわかるし、こうなったらこう、みたいな展開も見える。だから、そこから外れるためにいろんな方法を取ってる」って話をしてましたけど。テレフォンズの場合は、その一番いい方法がスタジオで4人で音を出すっていうところなの?

「というか、やっぱりひとりで作ってるものと4人で作ってるものって、なんか違うんだよね。4人でやるとメンバーに任せられるところも結構多いから、あんまり俺がカチッと指定しなくても『こんな感じで』って言えば済むというか」

■いい意味で、自分がガイドラインを全部作らないことで生まれる面白さとか、遊びみたいなものが出てくるみたいなこと?

「というか、もっと根本的なところで、ちゃんとバンドやってる感じがするんだよね。変な言い方だけど(笑)。もしかしたら作業としては家で作るのと変わらないかもしれないけど、みんなでスタジオで音出しながら作ってると楽しい。仕事感がなくなる。で、そういう楽しさって凄い重要だと思ってて。それに、今回は、バンド4人の人間性みたいなものが出たらいいなって思ってたから。だから初期段階からみんなに曲に触れて欲しかったのもある。そういう作り方をしようっていう話をした気がする」

■それは石毛くん発信で?

「いや、涼平発信だった気がするな。次のアルバムどうしようかって話をした時に、『昔みたいにスタジオで1から作ってみない?』って話になって、『それいいかも!』みたいな」

(続きは本誌をチェック!

text by 有泉 智子

『MUSICA6月号 Vol.86』

Posted on 2014.05.17 by MUSICA編集部

BUMP OF CHICKEN、ツアー『WILLPOLIS 2014』
名古屋・日本ガイシホールでのライヴに完全密着!

「WILLPOLIS 2014」KICK OFF!
アルバム『RAY』を抱えながら再び始まった巨大ツアー。
4月18日の名古屋・日本ガイシホールに完全密着。
より楽しく、よりフィジカルに疾駆する4人のドキュメンタリーを、
光射す場所からあなたへ――

『MUSICA 6月号 Vol.86』P.70-81より掲載

外は肌寒かった。深夜には地震があり、韓国では船が沈没する悲劇が起こり、天気も雨が降ったり止んだり。何しろとても肌寒い1日だった。

 だけどWILLPOLIS 2014、ここだけはたとえようのないほど、とてもあたたかかった―――――。

 幕張メッセから始まったツアー「WILLPOLIS 2014」は、2カ所目の名古屋に移動した。その名古屋・日本ガイシホールでのライヴの2日目の、今にも雨が降りそうな12時18分。すでに長蛇の列ができているグッズ売り場の横を抜けてアリーナの中に入ると、スタッフが「まさに今、メンバーがやって来ますよ、早くこっちへこっちへ!」と誘ってくれる。その直後21分、メンバーが1台の車に乗ってやってきた。

 いつものように穏やかな表情で4人一列で入ってきて、いつものように楽屋にかばんを置き、いつものように今日のセットリストの確認を舞台監督とし、そしていつものように「じゃ、ご飯食べようかな」と、フジと増川がご飯を食べ出し、すでに喰ってきたチャマはギター片手に早くも発声練習。そして升は、これまたいつものようにいなくなった。今までの例でいくと、彼はきっとアリーナの客席内をひとりで散歩したり、軽くジョギングして、ライヴのイメージトレーニングをしているはずだ。

 ちなみに、メンバーが楽屋に入ってすぐに舞台監督とセットリストの確認をしている時から、ずっと飛ばしていたのはチャマ。「“○○”を今日はやりてー」だの、「でも“★★”はフジくんの喉にどうかな?」とか、3人の前でアッパーな提案をし続ける。時に「“◆◆”の出だし、勢い出し過ぎないで、しっかりと叩こう!」と瞬きすらしない視線で升を見据えながら話したり、完全にチャマワールドを楽屋全体で形成している。その空間に「まだついて行けねーよ、俺らはチャマに」と笑いながら話すのはフジ。このバンドなりの奇妙にして鉄壁のグルーヴは、今日も健在だ。

「昨日(のライヴ)も楽しかったよ」と言いながら、着替えるフジの後ろで、今度はチャマがベースをビッコンビッコン叩きながら弾いている(チョッパー奏法と言います)。何かここ最近のチャマと比べて随分とアクティヴかつハードだ。

 その後もメンバー4人みんなでブルーノ・マーズを観に行って本当によかったという話で盛り上がったり、僕がグラミー賞を観に行って、アメリカの音楽はどうだったのか?という話をしたり、とりとめもない話をしながら、やがて誰かが吹いた口笛に心地よさを感じ、徐々に楽屋は静かな世界に戻っていった。

(続きは本誌をチェック!

text by 鹿野 淳

『MUSICA6月号 Vol.86』

Posted on 2014.05.17 by MUSICA編集部

VIVA LA ROCK、全40ページ大特集
ロックへの愛と歓喜に満ちた新たなロックフェスの全容をレポート!

The Documentary about the First Year of VIVA LA ROCK
決して順風満帆ではなかった、ビバラ開催までの1年間。
そして予想を遥かに超えた、歓喜の現実!

『MUSICA 6月号 Vol.86』P.30-69より掲載

そもそもは3年前から始まっていました。

 このフェスは、イベントプロモーターのDISK GARAGEと我がMUSICAがリスクも成功も半々で負うというシンプルなものですが、それはDISK GARAGEの河津くんと僕のふたりで決めたことで、3年前に「まさに『ロックフェス』というものを一緒に新しく作れたらいいね」という話し合いから始まったものでした。

 フェスというのは「場所」と「スケジュール」が一番大切です。このさいたまスーパーアリーナという最高の場所を得るまでに僕らは4ヵ所、フェスをやりたいと思える場所を具体的に見つけ、何度も話をしましたが、しょうがない理由やつまらない理由で実現に至りませんでした。その絶望を抱えながら今後へ向けたミーティングをしていた時に、今回のさいたまスーパーアリーナの話が出てきたのです。

 さいたまスーパーアリーナでは「音蹴杯」という音楽業界限定のフットサル大会を1年に一度開催していて、それはDISK GARAGEとさいたまスーパーアリーナが共催しているものでした。僕も毎年その大会に出場するチームの一員として楽しんでいるのですが、そこで「何故、さいたまスーパーアリーナで本格的な音楽フェスをもっとやろうとしないのか?」という話が出たということを聞きました。

 そこで、早速さいたまスーパーアリーナに「フェスをやるとなったらどう使うのか?」を見るための下見に行きました。実はその最初の下見の時に会場のほぼすべてのスペースをこう使いたいというイメージが湧き、その段階でいろいろな話をし、それが今回のフェスでほぼすべて実現しています。5階にBARを作るのも、けやきひろばを使うのもそう。この下見で僕らは大変盛り上がりました。さいたまスーパーアリーナも、積極的にフェス空間としてアリーナを面白がる人達を見つけたから、盛り上がったのでしょう。僕らは、ロックフェスの夢やイメージを落とす現実の場所を失いかけていたので、それが見つかったことにとても興奮しました。

 しかし、さいたまスーパーアリーナはとても人気のあるアリーナです。基本的に、休日の空いているスケジュールがほとんどありません。

 ちなみに、このフェスは、開催するスケジュールをゴールデンウィークにこだわりました。前述したようにフェスはスケジュールがとても大事だからです。僕はこの国の年間スケジュールの中で「夏休み」「年末年始休暇」に匹敵する唯一の時期が「ゴールデンウィーク」だと思っていました。ですが、夏にも年末年始にももう象徴的なフェスがあります。なので、このゴールデンウィークにロックフェスを開催することに徹底的にこだわりたかったのです。

(続きは本誌をチェック!

text by 鹿野 淳

『MUSICA6月号 Vol.86』