Posted on 2017.07.19 by MUSICA編集部

『XXL』でオリコン週間チャート2位を獲得。
さらなる猛威をふるう岡崎体育が本誌初登場!
音楽家としての本性と意地と野望をガチで問う!

「こんなん芸人やん」とか「ただのユーチューバーやんけ」
っていう言われ方に、僕は凄く憤りを感じてたので。
ネタの上に曲が乗ってるんじゃなくて、
曲の上にネタが乗ってるんだぞっていうことを、
このアルバムで提示したいと思ってました

MUSICA 8月号 Vol.124P.98より掲載

 

■本日はDEAD POP FESTiVALで、ここはそのバックヤードなんですけど。MCでも言ってましたけど、岡崎くんはバンドではなく独りきりだから一緒に喋り合うメンバーもいないし、さぞかし寂しいだろうと思って、インタヴューの機会を設けさせていただきました(笑)。

「(笑)。ありがとうございます。ちょっとでも人と触れ合う機会を設けてくれて」

■とはいえ、今日のステージではSiMとのコラボレーションをしましたね。しかも、SiMは演奏せずに完全にエアー、つまり金爆状態での参加で。

「はい(笑)。SiMのメンバーを背負って“感情のピクセル”という曲をやったんですけど」

■今年の5月に彼らの対バンツアーにお呼ばれして北の大地で2マンを繰り広げたわけですけど、その時に綿密に打ち合わせしたの?

「そうですね。その打ち上げとかで、なんとなく『“感情のピクセル”とかできたら面白いですね~』とか言ってたら、SiMが『俺ら後ろであてぶりでよかったら、全然やるぞ』って言ってくれて。最初は社交辞令というか、その場の雰囲気で言ってくれてるんかなって思ってたんですけど、結構本気で言ってくれてる感じが伝わってきたんで、『これはマジでできるんかな!?』って思ってたら、だんだんマネジメント同士が動き出してくれて。今日、遂に実現しましたね」

■あのバンドは頭の90%が徹底的に固いんですけど、残りの10%が徹底的にアホみたいに柔らかくて。その10%の部分がちゃんと出たっていうのが得策でしたよね。

「ファンの人とか観に来てる人も、きっとSiMが出てくることを知らなかったんで。出てきた瞬間に雪崩のように人が前に来て。いやぁ凄かったです、本当に……伝説的なライヴ。そもそも、たぶん僕があの曲をライヴでやることはほとんどないので」

■そうなんだ。

「ひとりでやるとどうしてもカラオケになってしまうから、ヴィジュアル的にもあんまり楽しくないんかなって思ってたんで。でもこうやって、実際にSiMのメンバーがあてぶりをしてくれたことで、お客さんも凄く喜んでくれたかと思うんで。よかったですね」

■あの光景を見ながら、“感情のピクセル”をやりたかった理由はまさにこれなんだなって思って。これから夏にいろんなところでこういうコラボをやり続けて、そのパフォーマンスでより多くの人を口説き落としていくんだろうなって思ったんだけど、そういうわけじゃないんだ?

「本当はやりたいんですけど、今回はオーガナイザーのSiMが僕のことをよく思ってくれていて、『やろうよ!』って言ってくれたからできたことなんですよね。今後バンドがオーガナイザーをやってるイベントにまた出れたら、こういう面白いこともしていきたいなとは思ってるんですけど」

■というか、今の話だと、“感情のピクセル”ってそもそも、こうやってフェスとかライヴ用に作ったってわけじゃないってことだよね。

「そうですね、もう映像作品として完結させてるようなものだったので。実はデビューアルバムのリード曲“MUSIC VIDEO”も、去年のライヴで50本中4本くらいしかやってなくて。YouTubeで見れる岡崎体育のひとつのアドバタイズというか、宣伝のために打ち出した曲なんで、フェスでやることをまったく意識せずに書いた曲なんですよ。で、“感情のピクセル”もそれと同様で、映像の中で完結してたものだったので。でもこうやって実際にライヴでやってみて、バンドを背負ってやらせてもらうとこんなに盛り上がる曲だったんだなってことは改めて実感しましたね」

■“MUSIC VIDEO”って、ユーチューバー的なスキルがわかりやすく随所に盛り込まれてるじゃないですか。それがブレイクに繋がったと思うんだけど。でも“感情のピクセル”って、岡崎体育っていうキャラクターがエモをやってるから面白いんであって、別に普通にやればまったくもって普通にいい曲だし、普通のMVなわけじゃない? そんな中で、この曲で勝とうと思ったのは、どういう考えがあったからなんですか?

「うーん……僕ってミュージシャンっていうよりはエンターテイナーに近いと思ってるんですよね。世の中の音楽シーンにひとりで活動している人ってたくさんいると思うんですけど、その中でどうやって目立つかって言ったら自分が道化になり切るしかなくて。そういう意味では、本来はカッコいい音楽をやりたいなっていう気持ちも強いんですけど、こうやって感性が若いうちに、今の若い子達と近い年齢のうちに、できるだけピエロになって自分の活動に目を向けてもらえるようにって意識はしてます」

■今の話から、岡崎体育は20年、30年としっかりソロ活動や音楽活動を続けていく心構えだということがわかるんですけど。それにあたって、今回のアルバム『XXL』がオリコンで2位になり、かつ売り上げも『BASIN TECHNO』よりもかなり増しているという事実はどう感じているの?

「自分がデビュー前からやってきた施策というか宣伝が、徐々に積み重なっていってる証拠だと思っていて。それに付随してお客さんもどんどん増えてきているってことなんですけど。ただそれを差し置いても、今回の“感情のピクセル”と“Natural Lips”っていう曲は“MUSIC VIDEO”とは違った視点の面白さもあるかなって思ってるんです。“MUSIC VIDEO”は『映像ありきで、音楽単体で聴いても面白くないやんけ!』って言われたりもしたんですけど、今回の“Natural Lips”はラジオとかで流れたほうが面白い曲だなって思っていて。だってあの曲、映像がなくて音だけ聴いてたら、ホンマに英語にしか聞こえへんわけで。だから、また別の打ち出し方ができたんじゃないかなって思ってますね」

■昼の11時頃にFMでかけられる曲を作りましたね。むしろ岡崎体育というクレジットがないほうが機能する曲かもしれない(笑)。

「そうっすね(笑)。ランチ時に聴いたら爽やかな洋楽かと思うような曲ができたんで、それは前作の“MUSIC VIDEO”に比べると、1ランク高尚なエンターテイメントができたのかなって思ってます」

■要するに、YouTubeの世界でバズって、それがちゃんと人気とセールスに結びついたのが『BASIN TECHNO』だったわけですけど。その上で、YouTube超えをどこまで自分の音楽でしっかりやっていくかということを、『XXL』を作る段階でちゃんと考えていたってことなんですか?

「そこはとても考えてました。前作が映像ありきだったことに対する反響とか評価、もっと言うなら批判は、出した瞬間から結構あったので。なので、『そう言うんやったら、音だけで聴いても面白い曲作ってやるわ!』っていう意気込みはありましたね。それはもう去年のリリース直後くらいから考えていて。1年後にセカンドアルバムを出そうと思っていたので、そういう意識を持って12ヵ月の中で作っていったアルバムが今作ですね」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA8月号 Vol.124』

Posted on 2017.07.19 by MUSICA編集部

毎年挑戦的なサマーアンセムを作り続けてきた
SHISHAMOから、シングル『BYE BYE』が到着。
確かなる成長と変化を、宮崎朝子、赤裸々に語る!

ちょっと前だったらバンドシーンから抜け出したいって
思ってるところが少なからずあったんですけど、
今はあんまり気にならなくなりましたね。
今はもう抜け出た場所にいるというか、前にいた場所とは違う場所に感じます

MUSICA 8月号 Vol.124P.104より掲載

 

夏のシングルが出ます。表題曲の“BYE BYE”は進研ゼミ中学講座のCMソングになったんですが、あれはサビが流れるんですよね?

「サビが流れます」

たぶんCMでサビだけ聴いてた人からしてみたら、まったく予想外な曲調のイントロ〜AメロBメロになっていて。

「そうですね(笑)」

サビ以外の部分はクールでアグレッシヴなジャズファンクとでも呼ぶべき曲調で、サビだけがいきなり超キャッチーなJ-POPという、かなり斬新な構造の曲なんですけど。SHISHAMOは毎年夏にシングルを出してますが、2015年の夏が“熱帯夜”、2016年の夏が“夏の恋人”、そして今回がこの“BYE BYE”。これ、夏のシングルは攻めるって決めてるの?

「攻めるっていうより、最初に出した“君と夏フェス”がネックになってるというか。“熱帯夜”を作った時は“君と夏フェス”でSHISHAMOを知ってくれた人が多かった時だったんで、その次の年の夏のシングルだからって思っていろいろ考えた結果、何故か“熱帯夜”みたいな曲になって(笑)」

ある意味、“君と夏フェス”でできた自分達のパブリックイメージに対するカウンターみたいな感じでしたよね。

「そうですね、カウンターというか、今ならこれをやっても大丈夫なんじゃないか、みたいな。でも“夏の恋人”は、そうやって“熱帯夜”を出した時とは全然違くて、もういい音楽を出すだけで絶対に大丈夫だってわかってやったものだったんで。で、今回は夏のシングルをもう何曲も出してきて、今までやったことがないものにしようって思った時に、バンドとしてカッコいいシングルが出せたらいいなと思って作ったんです」

これまでのディスコグラフィと照らし合わせても明らかに音楽的な飛躍の幅が大きい、SHISHAMOとして新しい音楽性に挑戦した楽曲になったと思うんですけど。こういう曲調になったのはどうしてなんですか?

「自分の中で最初に決めた『カッコいいSHISHAMO』っていうところから自然に出てきたものかなって思いますね」

何故このタイミングでカッコいいSHISHAMOを見せたいと思ったの?

「普通にまだやってないことをやりたいっていうことと、あとは“明日も”でSHISHAMOを知ってくれた人が多いなと思って。ということは、みんなの中では次に出すシングルが“明日も”の次の曲になるだろうなと思ったので、その時にどういうふうにSHISHAMOを見て欲しいかなって考えたら、バンドとしてのよさを出せる曲がいいなと思って。“明日も”っていう曲はみんなに好きになってもらったんで、またそういう曲を作ることも簡単だとは思うんですけど。でも、これから先もいろんな音楽をやらないといけないので、そうすると今かなっていう」

“明日も”は、アルバムが完成した時のインタヴューで話していたように、朝子ちゃんの中では、これをSHISHAMOとして出すのはどうなんだろう?っていう疑問と抵抗が大きかった曲じゃないですか。

「そうですね。曲自体は元々好きじゃなかったんですよ。どっちかっていうと嫌いくらいの感じで、アルバムにも入れたくないし、ライヴでも歌えるのかな、みたいな気分だったんですけど」

って話してたよね(笑)。そういう曲がSHISHAMOの曲としてこれだけ愛されてるっていうのは、自分の中ではどう受け止めてるんですか?

「それが、自分でも嬉しいんですよね(笑)。3月からツアーを周ってきてこないだ終わったばっかなんですけど、“明日も”をやった時のみんなの表情が全然違くて。泣いてる子とかも凄いたくさんいて。そういうのを見て、お客さんのおかげで私もあの曲を好きになれたなっていうのはあります」

朝子ちゃんは、そのたくさんの泣いてる人達を見てどう分析したの?

「結局、“明日も”がこうやって聴いてもらえてるっていうことは、みんなが生活して生きてる上でこういう曲に助けられることが凄く多いんだろうなと思って。今までは私が欲しい曲をっていう気持ちもあって曲を作ってたと思うんです。私がこういう時はこういう曲を聴きたいと思うなっていう想像だったり。でも、“明日も”はサッカーの試合を観に行って、サポーターの人達を主人公にしてサポーターの人達の気持ちになって書いた曲だったから、それとはまたちょっと違くて。だから正直、あの気持ちとか感覚は私にはわかんないんですけど、でもみんなはたぶん、1週間頑張って土日にこうやって私達のライヴを観に来て頑張ってるんだなっていうのが伝わったし、そういう人がほとんどなんだろうなって思いました」

今回のシングルっていうことだけじゃなく、その“明日も”の経験で朝子ちゃんがSHISHAMOで書こうと思う曲って変わってきたりしてるの?

「いや、それはないですね(笑)。やっぱり基本的に恋愛の曲を書くのが好きなので、それは変わらないかなと思います」

話を戻すと、“BYE BYE”はSHISHAMOの音楽的バンド力がここまで培われてるんだぞっていうのを見せつける曲にもなっていて。この曲、演奏がとても難しいじゃないですか。こういう曲になったのは、今のリズム隊だったらこういう曲もできるなと思ったからなのか、このハードルを設定することでバンドを1個上のレベルに上げたいという思いがあったのか。

「どっちかっていうと後者ですね。今のバンドでできることの中で考えていくと、いつまで経っても変わらないじゃないですか。そういう考え方は昔から同じですかね。今の自分達よりもちょっと上のことに挑戦していった結果、ここまで来たと思ってるんで」

ちなみにこの曲を提示した時、メンバーはなんて言いました?

「若干青ざめてる感じでしたね」

そうだよね(笑)。この1年くらいのライヴを観ていて、吉川ちゃんは本当にドラムが上手になったなって思うし、さらにはこの曲を聴いて松岡ちゃんの成長にも驚くわけですよ。その信頼がないとこういう曲は作れないんじゃないかなって思うんだけど。

「いや、信頼とかは特にないです」

ないのか(笑)。

「そこを考えて曲を作るのは違うっていうか。曲を作る上では演奏する側の事情で縛ってしまわないほうがいいなと思って。いい曲っていうのが大前提なので、あくまでいい曲であるためのアレンジであるべきなんですよね。『自分達ができるアレンジ』ってことで考えてしまったら、曲がもったいないんで。ただ、できるだろうなっていうか、できないとは思ってないんですけど……でも『まぁ、やってくれよ!』ぐらいの感じでやってます」

(続きは本誌をチェック!

text by有泉智子

『MUSICA8月号 Vol.124』

Posted on 2017.07.18 by MUSICA編集部

ACIDMAN、20年史を凝縮したかのような
決定的シングル『ミレニアム』完成。
大木伸夫が辿り着いた千年紀を紐解く

世間に中指立てながら歌うのはカッコいい生き様かもしれないけど、
俺はカッコいいことをやりたいだけじゃなかったなって気づいて。
もっと人間を信じよう、もっと自分を信じよう、
裏切られてもいいからそれを伝えていこうって思うようになった

MUSICA 8月号 Vol.124P.84より掲載

 

(前半略)

■まず、今作の第一歩はどういうところから始まったんですか?

「たぶん67年前に違う形のAメロ、Bメロとサビを作ったんですよ。自分なりに『いい曲だな』と思って納得はしてたんだけど、何故かもっと練りたくて、暇さえあれば練って練って……っていう作業を繰り返してた曲で。数年前にレコード会社の人達にも、サビは一緒なんだけど今とは違う形のものを聴いてもらった時に、凄い反応がよくて。10人くらいで聴いてもらって一番みんなにいいって言ってもらった曲であるにもかかわらず、何故かまだ俺が練り続けたくて」

■それは何が物足りなかったの?

「当時はただポップなだけの曲になっちゃってたから、自分の中でピンと来てなくて。でも、せっかく評判もいいし、初めて作った時の手応えも忘れてないから、イントロの始まりとか歌い出しとかに新しいメロディをつけて、試行錯誤してたんです。そうしていった時に、何を俺が欲してたのかっていうと、いろんな要素を入れたかったんだなってことに気づいて。ポップなだけじゃなくてエモーショナルな部分も入れたかったし、センチメンタルなバラードっぽい雰囲気も入れたかったし……っていうのを、やっと今回全部入れ込むことができて完成しました」

■一発聴いただけでガッツポーズの曲で。具体的に言うと、“ある証明”と“FREE STAR”が合わさって化学爆発を起こしたような曲だと思ったんです。それってACIDMANに一番望まれるニュアンスだと僕は思うし、しかもその深層には“イコール”とか“式日”までが聴こえてきて、3人の姿がフラッシュバックする感覚もある。そういうことはどこまで意図的に作っていったの?

「結果的にそれを感じたのはレコーディングの時ですね。レコーディングの数日前くらいに歌詞も書き終わってて、録る時は曲に対してちょっと冷静な見方になってたんですよね。そこで、そもそも自信作ではあったけど、それにしてもいろんなものが混ざってるなってことに気づいて。だから意図的じゃなくて結果的なんですよ。レコーディングの最中に紐解いていくと、『このワードはあの時にこうやって使ったなぁ』とか気づいて。この20周年というタイミングでいろんなものが組み合わされたからこそ、今こうしてこの曲を録ってるんだなって思いましたね」

■自分の中にある黄金律を、この20周年のタイミングだからストレートに受け止められたし、みんなにも届けたいと思ったってこと?

「たぶんそうだと思います。きっとこのタイミングでこそやりたかったんだと思うんですよね。だから、67年前にこの曲を発売しなかったのかなって。まぁ後づけではあるんですけど(笑)」

■自分達の得意な曲とか、世の中にも受け入れられた代表曲って、ソングライターの内面のど真ん中にあるものだよね。こうやっていろんな人達にインタヴューしてると、「そういう曲はまたいつでも書けるんですよ」っていう話を本人からよく聞くんだけど、でも本当はそんなことないんだなって。だってなかなか同じように感動しないし、なかなか同じようにヒットもしないし。素晴らしいアーティストでさえ、世の中と一体になって、なおかつその人自身やバンドのことを表現し切る曲を作ることは、やっぱり簡単にはできない。たとえば、サザンオールスターズが“TSUNAMI”を作った時も、“いとしのエリー”を超えなきゃいけない、同じじゃダメだっていう意識があったからこそ、あそこまで行けたのかもしれないと思うし。今回の“ミレニアム”にもそういう熱量を感じるんですよね。

「嬉しいですね。自分達は(デビューから)15年やれてるし、武道館で5回もやれてるっていう実績はあるけれど、それでもヒット曲が1曲もないバンドだと思ってるんですよ」

■そうずっと言ってるよね。

「だからこそここまで繋がってきてるのかなとも思うし。でも、やっぱり今でもヒット曲が欲しいんですよね。ACIDMANの代表曲が欲しいってことではなくて、世の中に知ってもらえるような曲を作りたいっていう想いは強くあるんです。でも、だからと言って曲を作り、詞を書く時に目線は下げることはできないんですよ――そこが毎回自分との闘いなんですけど。老若男女に響くような嚙み砕いた言葉は選べないんだけど、でも少しでもわかりやすく、ギリギリのところまで行けるように自分の中で解釈はしてるつもりで。その闘いは未だに続いてますね」

■“FREE STAR”とか“ある証明”も、「やった! この1曲で世界が変わる!」って思ったわけではないんだ?

「いや、むしろ毎回どんな曲でも『この1曲で世界が変わる!』って思ってます(笑)。でも、スタジオでひとりで作ってるから、俺が『よっしゃー!』ってなってるところは、メンバーも含めて誰も見たことがないです。次の日にはもう落ち着いてたりするし。“ある証明”に関しては、ライヴでのお客さんの盛り上がりを見て、ファンのみんなにずっと支えられてる曲だなって思いますけど。しかも僕は、前にあった曲を超える、というような作品の作り方をしてないので。たとえばデビューシングルの“造花が笑う”っていう曲もそうだけど、もう一度書こうと思っても書けないものなんですよね。それは若いからとか、時代が違うからとかじゃなくて、記憶にインプットされてしまったからなんです。初恋のときめきは絶対に超えることができないのと一緒で。常にフラットに作ってるって言うのが正しいのかな。何かを目標に掲げてるつもりが、結局自問自答で、自分が今いいと思えるものに戻っていっちゃうんですよ。曲作りって、仮想敵がいると自分との闘いじゃなくなってきちゃうから、嫌になるんです。最終的にどんどん自分との闘いになっていく。お客さんが盛り上がって欲しい、曲が売れて欲しいとは思いつつも、いつも俺が選ぶのは自分との闘いですね」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA8月号 Vol.124』

Posted on 2017.07.18 by MUSICA編集部

MONOEYES、飽くなき探求心と確信をもって
生み出したマスターピース『Dim The Light』。
細美武士がその確かなる意志をじっくり語る

人とロックミュージックの関わり方が変わっていることは、
実際この時代に音楽を作ってる俺達にも必ず影響する部分だから。
自分達が今まで培ってきたものを崩さず、捨てずに、
新しい波なんて楽々超えてってやるよってことをやりたかった

MUSICA 8月号 Vol.124P.76より掲載

 

■今回の『Dim The Lights』は雄大な爽快感を感じると言いますか、清々しさや晴れ晴れしさを感じるアルバムで。繊細さや憂いもありつつも、でも全体にアップリフティングな感覚が強い楽曲が並んでいると思うし、かつ、ソングライティングやサウンドプロダクションにおいて様々なアップデートがなされていてファーストとは違うMONOEYESの新しいフィーリングと音像が凄く響いてくる作品だなと思ったんです。ご自分ではどう感じてますか。

「こういう曲を作ろうと思って作るタイプじゃないので、とにかく一生懸命曲を書いたっていうか。2月の頭から4月の頭まで、2ヵ月間ずっと作曲ばっかりやってたんだけど、なんとなく自分的には……いつもそうなんですけど、やっぱり新しい曲を作るとなると、前に自分が書いたものを超えていきたいなっていう感覚は常にあって」

■はい。

「何をもってそれまでに自分が出した作品を超えたとか、何をもってこれが一番新しいものだって問われると上手く答えられないんだけど、でも毎回、自分の中では今が一番いいものが作れたなっていう感覚になるまで作曲を続けるんですね。で、今作もそれができたなっていう感覚はあります。『ハードルを跳ぶ』っていう言い方をしてるんだけど、当然のことながらそのハードルは作品ごとに上がってくるわけで。しかもそれはMONOEYESだけの話じゃなくて――初めてレコードを出した時からずっとハードルが上がり続けてるっていう話なんだけど。そうやって毎回毎回ハードルを上げていくといつか跳べなくなるだろうなと思いながら、今まで作曲してて。でも、今回もちゃんと跳べたなって思う。どこかの時点で自分のソングライティングが完成したみたいな瞬間を迎えると、あとはその中でやっていくみたいな形になるのかもしれないけど、俺の場合はまだ自分の中に伸びしろを感じていて。で、今回もまだずいぶん伸びしろあったな、というのは思えたかな」

■昨年リリースしたthe HIATUSの『Hands Of Gravity』も、非常にアンセム性の高い楽曲が多く収められていて、メロディメイクにしても歌唱そのものにしてもまたひとつ大きな階段を昇った印象があったんですけど、その感触はこの作品でもまた改めて強く感じました。

the HIATUSの作曲は柏倉隆史と伊澤一葉と一緒に3人でやってるから最初から縛りがあるんだよね。リズムとコードの縛りがあって、その中で自分がどんなメロディを作れるかってところでやってるんだけど、MONOEYESの場合は何もないところから、0から自分ひとりで作るから、そこは全然違うんだけど。……まぁざっくり言っちゃうと俺は凄く普通のコード進行で新しいメロディを作るっていうのが自分の強みだなと思ってるので、今回もその辺は奇をてらわず、でも新しいものを作れたと思います。歌を歌うことに関しては最近伸びてる実感はあるかな。レコーディングエンジニアも、今回が一番よかったって言ってくれてたしね。発声にしても歌詞を書くことにしてもメロディを作ることにしても、常に新しいテーマが自分の中にあって、それに取り組んでいるつもり。自分が出したアルバムは通算12枚目になるんだけど、いろいろ試してきた中で上手くいった部分、そうじゃなかった部分の整頓がついてきたっていうか、そんな感じはあります」

MONOEYESthe HIATUSと違って制約がない中での作曲だとおっしゃいましたけど、とはいえファーストアルバムである『A Mirage In The Sun』はそもそも細美武士のソロプロジェクトとして作曲していたのに対し、今回はライヴも積んでMONOEYESというバンドがしっかりとした実体を持った中で臨んだ作曲だったわけですよね。つまり、そもそも前提としてこの4人のバンドで鳴らすということがあった上での作曲になった。そうなった時に、ご自分の中で何か前作と変わったことってありました?

「ファーストの時は一生に1回しか作らないソロアルバムを作ってるつもりだったから、自分の人生の軸になるものを1枚作れればいいなと思ってて、そこにはあんまり時代性とか関係なかったんだよね。それで20曲ぐらい作った時に、どうやら自分が欲してるサウンドっていうのは4ピースのバンドサウンドだってことがわかって、今のMONOEYESのメンバーに手伝って欲しいって声をかけたんだけど。で、そのレコーディングを進めてるうちに、MONOEYESってバンドが生まれるのを見ながら、ああ、ここで俺のソロは終わったなって思ったんだよね。その後、このバンドに肉がついてきて実体のあるバンドになっていって。だから1枚目と今回との違いっていうことで言うと、今はバンドがちゃんと肉体を持っていて、この2017年に存在するバンドだっていう発想で作ってるところなんじゃないかな。この2017年に対する時代性を持ったっていうのが、ファーストとセカンドの大きな違いだと俺は思ってます」

■その2017年というものに対する時代性っていうのは、具体的にはどんなところに表れてると思いますか?

「一般的なリスニング環境を含めた、音楽と人の関わり方……音楽って言うと大き過ぎるかもしれないけど、やっぱりここ数年って、生活の中のどういう部分に自分達の音楽があるのかっていうのが大きく変わった時代だよね。ちょっと説明が長くなっちゃうかもしれないけど、たとえば俺が子供の頃はアナログレコードしかないところから始まって、中学ぐらいの時にCDが出て、アナログレコードにしてもCDにしても中学生とか高校生の時は月に買えても1枚ぐらいでさ、レンタルで借りたりするんだけど、音楽的な情報にしてもインターネットで調べたりできなかったから、ジャケットの印象だけで借りてきてたし(笑)。そうやってアルバム1枚買ったり借りたりして聴き込んで、そういう聴き方の中から自分が好きなものが見つかった時に、この音楽を作った人はどこの国の人なんだろう?とか、そういう感じで深く触れていく感じだったんだけど。だんだんそれが物理メディアじゃなくてデータで音楽をやり取りするようになって、音楽をお金を出して買うっていうよりYoutubeで聴くだけでも大量の音楽に触れられるし、ミュージシャンが音楽を発表する形そのものも変わってきた。日本はまだレコードが売れるほうだけど、そうじゃない状況の国だと、いいものを作ったらそれをネットに上げて、無料で全曲公開して、それでライヴに来てもらう、みたいな活動の形にシフトしている人たちもいるじゃん?」

■まさに。海外ではSpotifyとかストリーミングで発表することが当然で、世界的なリスナー事情を見れば完全にそっちが主流ですからね。で、まだCDが売れている日本でも、お店で音楽を探すよりもYouTubeで音楽を探す子、YouTubeでその音楽に出会う子のほうが圧倒的に多いですし。

「そうなったことで、(かつてアナログレコードからCDへの移行など、音楽を収録するメディアが移行した時よりも)もっとずっと大きな違いが生まれてる。昔はアルバム単位でしか聴けないのが当たり前だったし、曲も簡単に頭出ししたり飛ばしたり出来なかったんだけど、今ではインターネット上に無限に近いような曲数がある中で、どうしても1曲最後までは聴かずに飛ばすことも多いし、たとえばiTunesでどんな曲なんだろうと思って聴いても、頭の1分しか聴けなかったりするわけで。昨今のミュージシャンは頭の1分ぐらいでこういう曲ですっていう紹介を終えるのが当たり前になってきた」

■ああ、なるほど。「アルバムを1枚通して聴かなくなった時代」というのはよく言われることだけど、もはや今はその段階すら通り越して、1曲ですら頭から最後まで通しては聴かれにくい時代になっているっていうことですよね。確かに、それはその通りかもしれない。

「そうなんだよね。だから、音楽を書くフォーマットそのものが変わってくるんだよね。たとえば、430秒から445秒までが本当に凄い曲みたいのは前ほど聴いてもらえない確率がどうしても高くなってしまうので、曲の後半にカタルシスを持ってくるにしても、その予感を前の方に置いとかないととか、そういうふうに曲の構造自体が変わってくる。じゃあそうやって曲の構造が変わってくることが悪なのか、音楽的後退なのかって言ったら、それは必ずしもそうじゃないわけ。実際にそういう今の時代の聴かれ方に則った新しい作法で作られた曲が世の中には溢れていて、かつ、その中から新しく、素晴らしい音楽がどんどん生まれてきているわけだから。そうやって時代にそって音楽は進歩してきたし、むしろそれはフォーマットがまったく変わらない状態では生まれなかったものかもしれないんだよね。文化の営みの中では必ずあることだし、同時に、それに対する反発でまたオールドスクールに回帰したりして、またそこから新しいものが生まれていくってことも起こるし。そういうことが起こらなければ流れのないスティルウォーターになっちゃうし、流れがないものは淀んでいくので――」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA8月号 Vol.124』

Posted on 2017.07.18 by MUSICA編集部

10-FEET、TAKUMAの最深部が露わになった
シングル『太陽の月』リリース!
名曲誕生をメンバー全員で語り合う

“太陽4号”は自分の核の部分に近いのかなって思います。
今まで夏服やったり冬服やったり、モッズやったりパンクやったり、
いろんな服装をしてきましたけど、海パン姿だけはやってなかったなって(笑)

MUSICA 8月号 Vol.124P.68より掲載

 

(前半略)

■“太陽4号”はとても10-FEETな名曲だなと思うと同時に、凄くビックリしました。一番ビックリしたのが、歌い出しの歌声で。これ、街中で突然聴こえてきたら、TAKUMAが歌ってるとは思わないと思います。

TAKUMA「あ、ほんとですか」

■はい。とはいえ曲としては自分の殻の中のものを全部出し切ったような感じもするし、バンドとしてはまたひとつ殻を破ったような曲でもあるし。とても不思議な感じで聴かせてもらった、素晴らしい曲なんですけど。どういうところから生まれてきた曲なのか、教えてもらえますか。

TAKUMA「メロディと、ゆっくりなテンポ感と、コードだけは最初にあって。サビ以外のメロディは最初はちょっと違ったんですけど、でも、それを持って3人でああでもないこうでもないって言いながら始めたんですよ。最初は、できたらこれも僕らの得意としてる速いテンポ、激しい感じでやりたいなって思いながらアレンジを始めて。だから途中で凄く速くなったりもしたんやけど(笑)、でも、これを速くしても他の速い名曲に負けたりするし、得意でやりやすいんやけどドキドキせえへんなっていうのもあって。だから遅い曲として生まれて速くなって、また遅くなって、それで最後の最後に『速いパターン、もう1回やってみいひん?』って言ってやってみて、最終的にこのゆっくりなテンポに戻ってきたっていう(笑)。僕らって遅い曲には腰が引けてしまうところがあるんですけど、2回確認を経たことで、『やっぱりこの曲はこのテンポなんや』って信じて集中できたのは大きかったですね。……僕らにしてみたら、速い曲も遅い曲も作ってる時は同じだけ楽しいし、やり甲斐も同じだけあるんですよ。だけど、特にキッズにとってはテンポの速い・遅いは凄く大事なんやろうなっていうのは思っていて。だけれども、別に僕らの気持ちが落ち着いたわけでもなく、ゆっくりな歌モノをやりたいっていう気持ちになってたわけでもない中なかで、それでも自分達がいいと思えるゆっくりな曲が生まれてきた時に……正直、それがみんなにとってもいい曲なのかどうか、一度聴いてみて欲しいっていうのが大きかったんですよね。……今までゆっくりな曲はそんなにやったことがなかったんで、僕ら自身は凄く新鮮な気持ちでアレンジできた曲やったんです。まぁ“シガードッグ”とか“風”とか、過去にゆっくりな曲はありましたけど、その時は『これは頭捻らんといい曲は生まれへんぞ』って意識でやってたんですよ。だけど“太陽4号”は変な煮詰まり方もせず、凄く集中して作れたんです。せやから、普段俺らのライヴに来てくれてる人達がこの曲を聴いてくれた時に、速い曲とか遅い曲とかを超えてちゃんと届くのかどうかっていうことを知りたい。僕自身はそういう力を曲に感じてたので、それを知りたい気持ちは強いですね。ただ、実は“太陽4号”をシングルにしようとは決めずにレコーディングに入ったんですよ。今回の2曲目に入ってる“月〜sound jammer せやな〜”が表題になったかもしれんし、他にも手をつけてる新曲が6曲くらいあったので」

KOUICHINAOKIは、“太陽4号”の原型を聴いた時にどういうことを思ったんですか。

KOUICHI「まぁテンポが遅かったのでびっくりはしましたけどね。でも、メロディもいいし、これをやることによってまた新しい10-FEETを見せられるなとは思って。……こういうゆっくりな曲ができ上がる時の話は他のバンドから聞いたりはしてましたけど、実際に自分がやってみたら、ほんまに難しくて(笑)。だけどこれをモノにできたら、バンド的にも自分的にもいいなっていうのは思いながらやってましたね」

NAOKI「最初にこの曲をスタジオで合わせていた頃は『これがシングルや』っていう感覚もなかったので。今まで“シガードッグ”みたいな曲があった上で、これをアルバムの中の1曲として入れようっていうのが自然な流れやなと思ってたんですけど、曲の構成ができ上がっていく中でシングルの候補に挙がっていって。さっきTAKUMAが話したテンポをいろいろ変えていった時は、やっぱり速いテンポもいいんですけど、なんか普通やなっていう感覚があったんですよ。で、この曲は遅いテンポのほうが面白くなるんやろうなって思って。そういう中で少しずつ、これは10-FEETのシングルとして出してもおかしくないんやろうなっていう曲に仕上がっていった気はします」

■『アンテナラスト』から3枚目になるシングルなんですけど、その楽曲達のバランスの中で、もっとハッチャケたアンセミックな曲のほうがいいんじゃないか?みたいな気持ちとか、逆に俺らはここまで成熟してきたんだっていうことを曲で伝えたいんだ!みたいな気持ちとか、そういう部分ではどういう気持ちだったんですか?

NAOKI「『アンテナラスト』、『ヒトリセカイ×ヒトリズム』と続けてきた上では、僕はハッチャケた感じの曲で行くべきやと思ってましたね。ただ、ハッチャケた曲ならなんでもいいっていう感じでもなく、ハッチャケる中でも突き抜け切ったものならアリやなって思ってて……最初はそう考えてました。けど、何曲か作っていく流れの中で少しずつ考え方は変わっていきましたね。そういうことに囚われず、曲として今どれがいいのかを一歩引いた感じで落ち着いて見られたというか」

■これまでも10-FEETっていうバンドは、いい意味で、心の中にある弱い気持ちをちゃんとスタイルにしてきたと思うんですね。

TAKUMA「はい、そうですね」

■それは毎回考え抜いた上でやってきたことだと思うんだけど、この曲の歌は、そのスタイルさえも外したなと思うくらい、ただただ丸裸なんだよね。そこが凄く新しく聞こえて聴こえてきたんです。

TAKUMA「ああー、はい(笑)。まさに僕もそう思います」

■歌詞もメロディとピタッとハマッていない、フォーク的な字余りがたくさんある歌詞だし、いろんな意味で10-FEETの曲として新鮮なんですよ。で、その上で圧倒的なサビのメロディの素晴らしさがあって。僕はこの曲をシングルにした決断は素晴らしいことだと思う。

TAKUMANAOKIも言ってましたけど、僕も頭で考えたら、次はハッチャケた曲やろ!って思ってたんです。イケイケやろ次は!って。だけど曲って……どんな曲を作ろうとしても、思ったように行く部分と思ったように行かへん部分が半々くらいなんですよね。たとえば『勢いはあるけどパッと来ぃへんな』って思ってた部分も、レコーディングが終わってみたら『めっちゃパッとくるやん!』ってなってたり。逆に『デモの段階では耳に残る曲やったのに、でき上がってみたら抽象的やな』みたいな印象になったり。そういう、完成した時に曲が色を変えてることもあったりするんですよ。ただ、そういうことを超えた、曲そのものの力っていうのを今回の1曲目にも2曲目にも同じくらい感じてて。……なんかね、どれをシングルにするか迷ってた時に『次のシングルが最後やったとしたら、どれにします?』って言われて。そしたら、やっぱりこの“太陽4号”やったんです。前回の2作品からの流れとかも考えず、今回できた中で純粋に曲の力を信じてどれを打ち出すかって考えたら、やっぱりこの曲やったんです。正直めちゃくちゃ迷いましたけど、“太陽4号”を選ぶことで、これから作っていく曲が広がっていく奥行きを感じてドキドキしましたね」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA8月号 Vol.124』

Posted on 2017.07.16 by MUSICA編集部

UNISON SQUARE GARDENより、
珠玉のシングル『10% roll, 10% romance』到着!
クロストークで楽曲の奥にある意志を解き明かす!

今までの常識からはみ出したところを
どうやって作品にしようか考えるほうが、
バンドとしての存在価値があると思っていて。
田淵が持ってくる破綻した曲を響かせるために
何をすべきかっていうのが、バンドの役割だと思ってます(斎藤)

MUSICA 8月号 Vol.124P.60より掲載

 

■王道過ぎるインタヴューの始まりになりますが、『10 roll, 10 romance』、素晴らしいシングルだと思います。

全員「ありがとうございます!」

■何が素晴らしいって、3曲それぞれの存在感と音楽性がはっきりしていて、今の時代にちゃんとCDとして出すべき作品になってるところが素晴らしいなと思うし、ちゃんとそこを意識している作品なんだろうなと思いました。まず、1曲目の“10 roll, 10 romance”はタイアップありきで書いた曲だと聞いてるんだけど、そこをどう意識して、かつ今のUNISONをどう意識してソングライティングしていったんですか?

田淵智也(B)「この曲は、まず(アニメ『ボールルームへようこそ』の)監督から『UNISONらしいノリのよいもの』っていうことと、ダンスがアニメのテーマになっているので『踊りに則したもの』っていうオーダーをもらってたんです。でも、踊りっていうテーマだから四つ打ちの曲にするっていうのは想像力が足りないなと思って、リズム感から違う手法を考えていって。あと、ダンスが主体になってるアニメーションなので、アニメだからできる動かし方があるなと思ったし、それを音楽で提示できたほうが面白いものになるんじゃないかなと思って――」

■要するに、この曲に乗ってキャラクターが踊るわけね。

田淵「そう。だから、実写で踊るにはちょっと速いよねぐらいのテンポのほうが、アニメの主題歌として歌う意味とか躍動感が出てくるんじゃないかなと思って。そのテンポ感のバランスはどれぐらいがちょうどいいかな?っていろいろ試しながら作りましたね」

■この曲を聴いた時はどう思いました?

鈴木貴雄(Dr)「僕はひと言で言うと、好きですね。僕、田淵がシングル用に書いてくる曲が好きなんですよ。そういう曲を書く時って凄い力入ってるし、田淵節の速いメロディとか歌詞の遊び方をやり過ぎなぐらい詰め込んでくるんですね。自分のドラムで言うと、フュージョンっぽい細かいところに打点を入れていくドラムが好きなんですよ。それって、自分のドラムが田淵の曲によって育てられたからこそ、こうなってるっていうのもあって。昔から展開が速くて細かいような曲が上がってきてたんですけど、そこに対して自分がこの曲をどうよくしていくか?って考えた時に自分が出した答えが、打点を増やしていく面白さを曲に入れるってことだったんですね。それって、本当は3人だからストリングスとかで彩りたいけど彩れない部分を、ドラムの細かい部分で出すっていう発想からきてるんですけど、今回もそういう部分を余すところなくぶち込んだなって(笑)。フレーズも含めて、これぞ2017年の鈴木貴雄ですって言えるぐらいの間違いないドラムが録れました。曲が上がってきた時に好きな曲だなって思ったし、今後に向けて今もいろいろ曲も作ったりしてるんですけど、現時点で今年1って言える曲かな」

斎藤宏介(VoG)「おぉー」

田淵「今年も生き延びたー!」

■まだ早いよ(笑)。というか、今の貴雄くん話の中で宏介くんが2回「おぉー」って言ってたけど(笑)、宏介くんが2回も驚くぐらい、この曲を好きだって言い切れる曲はなかなかないんだろうね。

鈴木「変な話になりますけど、僕が好きな曲って売れるんですよ(笑)」

田淵「あー、そういうジンクスあるね。やっぱり生き延びたー(笑)」

鈴木「そういう自分的な回路からすると、今回は来ちゃったなっていう感じなんで、言葉を選ばず言うと、また売れちゃうぞって思いました(笑)。本当に自分では『これぞUNISONの手札だ』って言えるような曲ですね」

■よーし、また2ヵ月後に会うぞ(笑)。

田淵「そうでもなかったらどうしよう(笑)」

斎藤「大丈夫だよ、絶対(笑)。固い頭で考えると、音楽的には破綻してる部分がたくさんある曲だと思うんですよ。でも、はみ出したり破綻してるからこそカッコいい部分があるし、音楽的にこれはどうなんだ?みたいなところを繋ぎ止めるのがメロディの力だと思ってて。このメロディがあるからこそ、展開としてあっち行ってこっち行ってみたいなのも1曲の枠の中でいい部分として提示することができるなと思ったので、そのメロディを最大限に生かすことが僕のやるべきことかなって一聴して思いました」

UNISON SQUARE GARDENの楽曲って、人気があればあるほどその破綻が大きかったりするわけじゃない。その破綻の中でも、今回はまた新しい破綻を感じたっていう感覚なんですか?

斎藤「あー、確かにそうですね。ただ、音楽的にどうかなんて聴いてる人からしたらどうでもいいことだし、むしろ今までの常識からはみ出したところをどうやって作品にしようかって考えていったほうが、バンドとしての存在価値があると思っていて。そこは本当にバンドとして一番大事にしなきゃいけないとこだなと思ってます。田淵が持ってくる破綻した曲を楽しく響かせるために何をすべきかっていうのが、UNISON SQUARE GARDENっていうバンドの役割だと思っているので」

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text by鹿野 淳

『MUSICA8月号 Vol.124』

Posted on 2017.07.16 by MUSICA編集部

独自の進化を続けるSEKAI NO OWARI、
不変と前衛が同居するシングル『RAIN』。
バンドの今を紐解く全員インタヴュー!

俺達はいきなりライヴハウスを作るところから始まってる、
つまり完全に道から逸れまくってやってきたから。
だから、ここで一旦メインストリートに合流して、
その後どこへ行くかはそれから決めよう、と(Fukase)

MUSICA 8月号 Vol.124P.50より掲載

 

■まず、“RAIN”がこうやってバンド史上飛び抜けて一番牧歌的なシングルになったのは、映画に引き寄せられたからなのか、もしくは自分達のバンドの今の気分なのか、から教えてもらえますか?

Saori「やっぱり映画のために作ったっていうのは凄く大きくて。最初のミーティングの時に、映画のプロデューサーのほうから『ビジネス的なタイアップだったら、別に主題歌なんていらないと思います』って言われて。呼ばれて行ったのに、いきなり挑戦状を叩きつけられるような感じで(笑)。自分達がいかに人生を賭けて『メアリと魔女の花』を作ってるかって話を聞いて。監督からもっと子供から大人まで幅広く届くような――それって私達の楽曲のファン層に当たる人でもあるんですけど、そういった人達に届く、映画に寄り添った楽曲が欲しいっていう話をもらったのが始まりなんです。で、Fukaseがミーティングの帰り道にイメージができたって言ってたり、Nakajinが『こんなのどう?』ってみんなにデモを送ってきてくれたりして。Nakajinはフルで作ってきてくれたんですけど、そのAメロを残してFukaseBメロを書いて。その上でNakajinがもう1回サビを書いたんですけど、私が『こんなサビがいいんじゃない?』って言って一緒にサビを作って。それで今回、作曲が共同クレジットになったんですけど」

Fukaseが帰り道で見えたイメージはどういうものだったんですか?

Fukase「どんな感じだったかな……まず、そのミーティングで主人公メアリのことを知ることができたんで。わかんない人のことは書けないんですけど、その人を知ればどういうものを作ればいいかもわかるから。でも最初は、主題歌ってどういうものなんだろうっていうのが僕の中のキーでしたね。要するに、自分達の作りたいものじゃなくて、映画に完璧に寄せてくれっていう感じで言われたのが、実は初めてだったんですよ。今回は映画の制作者側として主題歌を作って欲しいっていう感じだったんで」

■自分らのストーリーではなく、映画と共作する感じだったと。

Fukase「というか、もうスタッフ側という感じだった(笑)。でもそれは監督やプロデューサーと話してるうちになんとなく共有できて。『観た人が何か背中を押されたような気持ちになる映画にしたい』って言われたんで、その中で自分の中では大体の曲の感じも歌詞のタッチもおおよそ描けたっていうか。これはメアリの曲なんだなって思ってたので、自分達の方法論は一旦置いといて……『背中を押すことができる』ってことは、主人公が成長した部分があるってことだと思うんですよね。要するに、成長したことがない人は、人の背中を押せないじゃないですか。メアリは映画の中で、最初はかなりダメな感じなんですけど、それがどんどん成長していくんですよね。そういう物語だって聞いた時に、曲の中で僕も一緒に成長していかなきゃいけないと思って。でも、それは無理があるものではいけなくて。架空の物語だからこそ、ドキュメンタリーじゃないからこそ、リアルに考えていく必要があるんです。何でもなかった女の子がある日突然魔法が使えるようになって、でもそれがいずれ消えてしまった時に何ができるのか?っていうテーマを聞いた時に、僕の中には全然ない感覚だなって思って。もちろん魔法が使えたことがないし、比喩でそういう感覚になったこともないし。SEKAI NO OWARIっていうバンドで観てきた景色が、ある日突然消えるっていう、そこまで重いものではないし――だから今回の曲は、わからないことの想像から始まってるんですよね。これまでは実体験に基づく曲が多かったし、それしかできなかったし、そこだけでここまで来れたんですけど、ひとりの女の子を成長させていくことが、かなり僕の中で必要だなって思ったんで。そうやって帰り道の時にアイディアはおおよそ決まったんですけど……ただ時間はかかるなって思いましたね。炒飯じゃなくて煮物だなって」

■ははは、瞬時に火でババっと勝負するのではなくじっくり煮詰めるという過程が大事だと。

Fukase「(笑)過程も大事だし、じっくり精密に作っていく必要があるっていう。酒だとワインとかウイスキーとかそっち系かな。時間をかけることに意味があるし、時間をかけないと気づけない部分があったりとか。しかもデリケートじゃなきゃいけない。俺の中でカップリングの“スターゲイザー”は炒飯みたいに作った曲なんで。でも、“RAIN”は勢いで一朝一夕で作るものじゃないなって。この曲は時間かかるなってことを確信した帰り道でしたね」

SEKAI NO OWARIは自分達の物語と歌いたいことを明確に持ってるし、今まではその物語やメッセージを作品化することで階段を上ってきたと思うんだよね。それが今回、他者のためというか、明確に主人公がいる中で曲を作ることになった時、どう気持ちが変化したのか教えてください。

Fukase「そこは監督とプロデューサーの熱量によって書いていったっていうか。彼らふたりの中で世界はすべて決まっていたけど、僕らは頭の中までは覗けないんで、彼らの口から出る言葉によってこういうのが合ってるだろうなって思って書いていくというか。だから今回は、メッセンジャーというよりは、音楽家として機能していたんじゃないかと思いますね」

Saori45年前くらいに同じようなオファーをもらって書こうと思ったら、凄い違和感があったかもしれない。今だからこそ、他者の作品に寄せて作っていく余裕があるというか、そういう気持ちになれたのかなって思います。SEKAI NO OWARIとして自分達がこういうものを作ってきたっていう想いがあるからこそ、映画のために作ることができたのかな」

■で、家に帰ってNakajin1曲バーッと書き切ったんだよね。それはどういうイメージを持って曲を作ったんですか?

Nakajin「最初のミーティングを監督とプロデューサーとした時に、まずは『ポノック』という会社を作った歴史――元々ジブリにいたふたりが、どういう気持ちで新しい会社を立ち上げたのかっていうところから、映画のストーリーを説明してくれたりして。その時はまだ映画自体は全然完成からは程遠いものだったんですけど、重要なシーンとか背景を見ながら、その世界観と大筋のストーリーと、主人公がどんな人で、流れはどうやって進んでいくかっていうのを、監督直々に話してくれて。その後に、『ここで曲が流れます』っていうのを教えてくれて、“RAIN”の歌い出しになってる冒頭の部分が自分の中で流れて。だから、割と冒頭のイメージから作ったっていう感じです。鳴ったものがあったっていうか」

SaoriNakajinが最初に曲を上げてきた時に、Fukaseがすぐ『Bメロこうしたほうがいいんじゃない?』って言って、私も『サビはもっとこうしたほうがいいんじゃない?』って言って。そういうのがどんどん出てきたんで、今回は挙手性で作っていったっていうか。『ハイハイ、アイディアあります!』みたいな(笑)」

DJ LOVE「バンバン意見を投げ込んで、混ぜて出すみたいな感じです」

Nakajin「前回の(シングル)“Hey Ho”もそうですけど、個人で作るよりも、ざっくばらんに意見をどんどん言い合って、それをちょっとずつ足しながら曲を作っていくことが多くなったというか。前はもっと大筋をしっかり立てて、そこに各々が肉づけするくらいの曲作りだったと思うんですけど、最近は少しずつみんなで積み上げていく感じで、本当の共作になってきたというか。“RAIN”はその最たるものですね」

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text by鹿野 淳

『MUSICA8月号 Vol.124』

Posted on 2017.07.15 by MUSICA編集部

UVERworld、3年ぶりのアルバム『TYCOON』完成!
傑作のすべてを解き明かす2本立てインタヴュー!
――Interview with TAKUYA∞

もう完全に鎧は脱げたなと思いましたね。
かつては周りのバンドの目を気にしてた頃もあったし、
その人達にも認められたいという気持ちも大きかったし。
でも、今は素直な言葉を出せてる。
周りに何を言われようが、今の自分達に自信を持ってる

MUSICA 8月号 Vol.124P.24より掲載

 

(前半略)

■今回の『TYCOON』は、バンドの成熟と進化に裏打ちされた本当の名作だと思います。僕はこのアルバムはUVERworldのベストアルバムだなという感覚を持ったんですけど、TAKUYA∞はこのアルバムをどういうものとして作り上げ、そしてどういうものになったと思っていますか。

「いろんな想いがありますけど、まずファンの人達を3年待たせたことに対しては罪悪感があったし、だからこそしっかりと待った甲斐があったものにしたいなとも思っていたし。でも……毎回アルバムを出す度、僕らは少し不安を抱えながら出すんですよ。もちろん自信はあるものの、これを聴いて前作のほうがよかったと思うファンもいるのかなとかも思うし、自分でも出してからやっと客観的に聴けるようになる感じなので。でも、今は割とどっしり構えられてるんですよね。それは自分でも満足度が高いものができたと思ってるからだし、3年待った人達にも待った甲斐があったでしょって堂々と渡せるアルバムができたと思ってるからで。今の段階でやりたいことはしっかりできたアルバムだと思います。なんか、3年空けてよかった気もするんですよ。相当自信があった『LIFE 6 SENSE』、『THE ONE』、『Ø CHOIR』という3枚を、この3年間でひたすら振り回せたし、そこで自分達のライヴのポテンシャルがグッと上がったと思うし。そのスキルアップがあった上でやっとコントロールできる楽曲達が揃ったアルバムが、今回の作品やと思ってるんで」

■去年の夏ぐらいから、新しいアルバムを出せていないことを本当に申し訳なく思ってるということは取材での会話から伝わってきてたんだけど、一方でこの3年は、バンドとしてはライヴのクオリティもどんどん上がっているし、結果的にシーンの中での認知度もポテンシャルも大きく上がった期間だったと思うんだよね。そういう状況だったから、アルバムを出せないことに対する申し訳なさの根本がどこにあるのか、実はイマイチわからなかったんです。それは今思うとどういう感覚だったの?

「申し訳なさはやっぱファンに対してですね。それに自分達でも1年に1枚ぐらい出したいっていう願望もありますし。やっぱり自分達も新鮮さを感じながら、ファンに新しい衝撃と感動を与えながらライヴをやりたいし、そのライヴの空気を吸いながら自分達も感動したかったので。でも、その両立が上手くできなかったという」

■両立ができなかったのは、スランプっていう言葉を使うとするならば、具体的にどういうスランプが自分らをその状態にさせたんだと思う?

「単純に、年々、自分達に対するハードルは高くなってますよね。今回50曲ぐらい作ったんですけど、これがセカンドアルバムを作ってた時やったら全曲採用してたと思うんですよ。でも9枚目にして、この曲は前のあの曲を追っかけてるなって感じる曲も出てくるし。で、そんなことしても意味ないよなって思うから、そうなるとその曲はボツになったり。自分の曲はカラオケでちょっと歌いづらいって話も聞くから、歌いやすい曲作ろうかなと思う時もあったんですけど(笑)」

■はははははは。

「でも作ってはみたものの、そんなことして俺になんの意味がある?と思って。こんなことしてたら終わっていくよなって思ってボツにしたり。だからスランプというよりもハードルが高くなってたっていう感じですね」

■このバンドのあるべき姿をプロデュースするということによりシビアになったからこそ、3年という時間がかかったんだろうね。その結果生まれたアルバムのタイトルに『TYCOON』、つまり「王様」という意味合いの、非常にポジティヴかつ強気な言葉を掲げたのはどうしてなの?

「過去の作品を大幅に更新できたっていう自信があるからですね。前の3作も凄く自信があったんですけど、あの3枚って毎回僅差で(前作を)抜いてこられた気がしてて。でも今回は、大幅に階段を昇れた気がするんですよ。既発の曲の力も相まって随分と深い、濃いアルバムになったなと思うし。だからこの内容やったらこのタイトルをつけて大丈夫やろう、と(笑)。時間はかかりましたけど、一切妥協せずに作り抜いたことが自分達の満足度とこういうタイトルをつけられる自信に繋がったんやと思います」

■僕は今回、非常に素直に聴ける曲が多いと思ったんですよ。それはこのバンドの自信と確信から来るものなんじゃないかなと思っていて。特に歌詞において、TAKUYA∞の中で自分が届けたいサイズと、自分が見えているこの人達のために歌ってるんだっていうサイズが合ってきてるんじゃないかなと思ったんです。どういうことかと言うと、昔はこういう人に聴いて欲しいと思う、その「こういう人」っていうのが、もしかしたら目の前の凄くコアな数だったかもしれない。でも今はそのコアすらが巨大なものになってきていて、その人達に届けられるものでいいんだという、素直に言葉や音を曝け出す感覚みたいなものがここに収められたメッセージソングの何曲からも聴こえてきたんだけど。そう言われてどう思います?

「ああ……もう完全に鎧は脱げたなと思いましたね。かつてはシーンというものにハブられないように周りのバンドの目を気にしてた頃もあったし(笑)、そういう人達にも認められたいという気持ちも大きかったし。そのための鎧をたくさん着ていろんな曲を小難しくしよう、詞をもっと詩的にしようってやってた時代もあったと思うんですけど、そういう鎧を毎年少しずつ自分で脱ぐことができて、今は素直な言葉を出せてる。そうなったのは自分達に自信を持ってるからだろうし。周りに何を言われようが、今は『そんなん言うけど、じゃあなんでこんなにUVERworldの周りに人が集まるんだ』って胸張って言えますからね。だから余計なことを考えずにストレートに言葉が出せるようになったってことじゃないですかね」

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text by鹿野 淳

『MUSICA8月号 Vol.124』

Posted on 2017.07.15 by MUSICA編集部

UVERworld、3年ぶりのアルバム『TYCOON』完成!
傑作のすべてを解き明かす2本立てインタヴュー!
――Interview with 信人、彰、克哉、誠果、真太郎

正直、作っても作っても形にならなくて
一生アルバムできないんじゃないかって思ったくらいで。
世の中的な「ロックは古い」っていう空気を感じて、
だけど一方では、ストレートにやりたい気持ちもあって……
何やってもアカンのちゃうか?みたいな時期もあった

MUSICA 8月号 Vol.124P.30より掲載

 

(前半略)

TAKUYA∞とのインタヴューでも「これがUVERworldのベストアルバムだと思います」と申し上げましたが、名作が完成したと思います。

彰(G)「直接言われると嬉しいですね(笑)。正直、振り返る余裕もないままツアーが始まって、しかも既に次の音源制作も始まろうとしてるので、ゆっくり思い出すことはあんまりなかったんですけど――でも、改めて振り返ると、前作からの3年分がしっかり詰まってるなって思います。個人的にもかなり右往左往して苦労した作品ですし、そういう意味でも思い出になる作品だと思っていて」

■とにかくヴォリューム感が半端ないアルバムなんですけど、彰くんは、極限までの曲数になった理由はどういう部分にあると思ってるの?

彰「『Ø CHOIR』の後に『次はどうしよう?』って考えた時、当然、前回を超えるものを作ろうと思ったわけです。そしたらまず、メンバー内の曲のハードルがどんどん上がっていって。しかも、『普通じゃダメ!』みたいなワケのわからないハードルの上がり方で――全員がその深みにハマってしまった時期が長くて。そんな中、時間を置いて半年前のデモを聴き返して『これはいい』って言って曲が復活したり。……それを繰り返して曲が溜まっていった結果、収録曲がこれだけ多くなったんですけど」

真太郎(Dr)「僕、アルバムが出るたびに『超大作』って言ってきたんですよ。だけど今回は、内容的にもヴォリューム的にも、過去の作品を超大作と呼んだのがもったいないくらい、本当の超大作だなって思っていて」

■今後は言葉の使い方を気をつけないとね。

真太郎「ははははは。前作から3年空いたのはデビューしてからは初めてのことでしたけど、振り返ってみればシングルも凄くパンチのあるものを出してきたし、そこに収録してきたカップリング曲も凄く個性的で力強いもので。新曲だけじゃなくて、そうやって積み重ねてきたんだなっていう部分に『3年経ったんだ』っていうことを実感しているんですけど」

■曲が多いことも含めての「ヴォリューム感」ではあるんですけど、それに加え、今回はいろんなBPMの曲があって、このバンドとしては異色な緩やかな曲のバランスが多いですよね。そういうテンポの種類の多さは難しい半面、ドラマー冥利に尽きる部分でもあったと思うんですけど。

真太郎「(BPM200とか140辺りのテンポ感が多いのは前作くらいの時から感じてたんです。だからこそ、今回180くらいの意外とやってこなかったテンポを叩くのが気持ちよくて。それは新鮮というより、懐かしさに近かったと思うんですよ。昔からいろんな曲をやってきましたけど、今回は『最近なかった』っていう感覚が蘇ってきて、そこに楽しさとか気持ちよさがありました」

■リーダーはいかがですか?

克哉(G)「3年かけた甲斐があった作品だと思いますね。まあ、お客さんからしたら『3年も何してたん?』って感じだと思うんですけど――」

■いやいや、十分ライヴやってましたよ(笑)。

克哉「まあ、そうなんですけど(笑)。つまりは、3年間常に、ライヴとスタジオを行き来して音楽に触れ続けてたんですよ。スタジオで煮詰まったと思ったらライヴがあって――ライヴは常に本気だし原点であるのは変わらないし、つまりは『もっと新しいものを作るには?』っていう制作の葛藤と自分達の原点を行き来する日々を3年間繰り返してきて。で、今回の作品はその原点と新しさのちょうどいいところに行けた気がするんです」

■リーダーは朝早くからスタジオに入って音のレンジをひとりで作ってたっていうタレコミが、先にインタヴューした方からあったんですが(笑)。

克哉「確かに(笑)。以前は夜通し作業して朝の6時に帰ったりしてたので、前日作ったものを聴き返す作業があまりできなかったんです。だから今回は、その分朝早くスタジオに行って改めて見返す作業を大事にしてましたね。長い期間をかけて作っていくと、俯瞰することを忘れがちやと思うので。たとえば車の中で聴いたりとか、一歩離れたところで聴いたりっていうことは凄く意識してやってました」

信人(B)「……でも正直、作っても作っても形にならなくて『一生アルバムできないんじゃないかな』って思ったくらい長かったんですよ。年単位で深みにハマったというか。だから、今はホッとしてるっていうのが一番で」

■でもね、この3年間の取材でほぼ毎回おっしゃってきた「制作が長くかかって苦しかった」っていう感覚が、実はよくわかってないんです。何故かと言うと、実際はコンスタントにシングルを出されているし、そこにはタイアップもついていて状況も悪くない。かつ、ライヴもあれだけやっていて、「男祭り」ひとつとっても、いろんなバンドが憧れるような景色を作れていたじゃないですか。この3年には、ちゃんと充実したものが詰まっていたと思うんですよ。だからこそ、このアルバムを出せなかったことに対する「苦しかった」っていう想いがそれぞれにあるのが不思議でね。

信人「そう言われたらそうかもしれないんですけど――たとえばライヴはブレずにやってこられましたけど、こと制作においては、何かに飽きたり、逆にカッコつけたりすることをたくさん繰り返してきたし、ずっとグルグルしてたんですよ。でも最終的にはそれも抜け出して、自分達の『ええやん!』っていう感覚に還っていったからこそでき上がった作品でもあると思うし、それがよかったと思うんです。だから、この3年っていう長い時間も今思えば必要なものやったと思えるんですけど」

■具体的に訊くと、今作に向かう中でハマっていった負のスパイラルは何によってもたらされていたんですか。

信人「うーん………世の中的な『ロックは古い』っていう空気を感じたことで、自分も『確かに今の時代はそうかもな』って思ってしまったことがあったんです。だけど一方では、ストレートにやりたい!っていう気持ちもあって。そこでグルグルと考え込んじゃったんですよね。それに、リリース予定が延びていくほどファンに対して自分達の責任感が重くなっていって。さらに正解がわからなくなって、着地できなかったことが一番大きいかもしれないです。もしかしたら今まで通りやればよかったのかもしれないけど、『何やってもアカンのちゃうか?』みたいな時期もあったし――」

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text by鹿野 淳

『MUSICA8月号 Vol.124』

Posted on 2017.07.15 by MUSICA編集部

ライヴ活動を封印していたマキシマム ザ ホルモンが
「耳噛じる真打TOUR」にて完全復活!
暴飲暴食復活劇を完全レポ!

ブランクはあった、歳もとった、
随分と痩せた輩もいれば随分と太った輩もいた―――。
それでもホルモンは未だ日本のロックの真打だったのか!?!?
その結論をここに書いたら、この後の文章インタヴューじゃないし誰も読まないし、
でもツアー初日の殺人酸欠八王子、中盤の麺カタこってりの本場福岡、
そしてファイナル新牙スタジオコースト3箇所、
しかと出張ってきました。マキシマム ザ ホルモン復活劇、お読みくださいっ。

MUSICA 8月号 Vol.124P.42より掲載

 

 ロックバンドとは何か?を理屈で言うのは容易い。しかしそれ以上に容易いのは「ロックとは人生だ」と答えることである。何? ロックが生き様だというメッセージをお前は否定するのか? いやいや、そうではない。むしろその通りではあるのだが、そのロックとは生き様であるというのは言葉にするまでもない当たり前というか、焼きそば弁当に中華スープがついてくるようなものであって、それはもう語る前にそのまま存在しているのである。

 大切なのは、その生き方であるロックを、どうやって生き方に匹敵する凄いことにしてやるのか? その内容が、ロックとはなんなのか?の答えであるはずなのである。

 僕はロックとは「発狂」だと思っている。バランス感覚、批評性、時代との距離感、そういうものもロックという「マーケット」にとってはとても大切なものだし、生み出した音楽の育ち方としても大事なものだが、すっげえロックは、いつだって超越していたし発狂していた。

(中略)

その発狂をどこまでとことん高められるのか? それはもう、脳内麻薬まで自分でコントロールできるほど、発狂という状態を自己コントロール下に置くための鍛錬に鍛錬を積み重ねるしかないのである。以前、マキシマムザ亮君とのインタヴューで彼がどれだけ鍛錬を積んでいるのかの流れでこう語ってくれたことがある。

「毎朝、髪の毛を洗って、その髪を僕はドライヤーで乾かさない。ベランダに出て、この長髪が完全に乾くまでヘッドバンキングし続けるんです。それで鍛えた首があのライヴをさせるんです」。

 言葉を失う。

 耳も疑う。

 しかし。前述したように、ロックの超越を模索し続けるホルモンなら、これぐらいのことはやりかねない。何故ならば、彼らはよくできた音を鳴らしたり曲を作ったりライヴをしたりしたいわけじゃない。むしろ逆。まとまるよりは爆発したい、自然の摂理に任せるより乱れに乱れたいからである。マキシマムザホルモンは吠えるだけ吠えて、鳴らすだけ鳴らして、蹴散らすだけ蹴散らして、それを取り憑いたかのようにやりまくり、度を超えてやり切った者だけが得られる興奮と恍惚と笑いと刹那な幸福を、そのままフロアにぶん投げるライヴバンドなのである。

 そんなバンドがライヴで世の中に出てこなくなって2年。妊活と出産活動を終え、めでたく第二子を世の中に産み落としたナヲを除いたマキシマムザ亮君、ダイスケはん、上ちゃんはいつものように人知れずマキシマムザホルモンとして個人練、3人練に明け暮れていたのか? この2年間のシーンの変わりようは激しかったが、彼らはその新しきシーンに何を思い、どんな「石」を投げつけてくるのか? 遂に現れたニューホルモンの復活ツアーを今回は3ヵ所、観せてもらった。その3ヵ所のライヴレポを合わせながら、今回のライヴ復活のホルモンを迎撃しよう。

 

520日 八王子MATCH VOX

 

 嫌な予感はしていた。彼らのホームライヴハウスで、しかも初日を観られるのは幸せなことだが、ツアー初日をここで観るのは3回目。一度もまともな自分として終演を迎えたことがない。今回はその中でも最悪な最後を迎えるライヴとなった。

 ハコの中に入ると、もう客の「やる気」が気ではなく有機物のように目に飛び込んできて染みる。その染みた目をこすりながら開演を待つ間にBGMSoundgardenという、グランジロックの元祖にしてこの5月にあろうことかヴォーカルのクリス・コーネルが自殺を遂げてしまったバンドのものが続いていることに気づく。彼ららしい押しつけ一切なしの哀悼の意を感じながら待つと、この日の対バンであるKen Yokoyamaが登場した。復活を祝しながら腹ペコ!を連発して煽りながら、一気に25分ほど全力で浴びせかけるライヴだったが、相手が横山であることも含め、腹ペコはホルモンが選んだ相手に一切の妥協をしない。よって既に酸素は相当薄くなった中、彼らのライヴが終わった後で、ステージに幕が張られフロアから見えなくなる。なんらかの演出があるのだろうことはわかったが、静かにその時を待つ。

 この日はいいポジションを取った。前述したように以前、10-FEETとの対バンツアーの初日のここではまさに地獄絵図のような光景の中で撮影まで自分でこなし、挙げ句の果てにほとんどがレンズが曇ってまともに撮れていないという「惨事」もあったので、今回は久しぶりの4人の調子をなるべく冷静かつ情熱的に見たいと、モッシュエリアから1段登った部分の最前、つまりは全体を見渡せるポジションをゲットすることができた。さあ、新生ナヲが還ってきたホルモンを遺憾なく目撃しようと思う中、遂に黒幕が降り、いつものSEが――ん? 流れない。照明も煌々と焚かれない。その黒ずんだステージの真ん中には、これを隠すためにわざわざ黒幕を張ったのかと開いた口が塞がらない、ハリボテの大きな炊飯器がひとつ。そしてその炊飯器がなんと、喋り出したのである――。

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA8月号 Vol.124』