Posted on 2014.08.23 by MUSICA編集部

TK from 凛として時雨、ロックを越えた狂気と普遍性、
ロックだからこそ生まれるポップ――
確かな「自分」を響かせた金字塔
『Fantastic Magic』に感嘆する

「結局、変われないんだな」っていう絶望もありますし、
でも、「ちゃんと自分の中には俺がひとりいるんだな」
っていう確かな想いもあって。だったら、
それを受け入れて音を生み出していくほうがいい
っていう選択をしたんです

『MUSICA 9月号 Vol.89』P.92より掲載

 

■期日ギリギリにできたんだよね?

「そうですね。いろいろありまして(笑)」

■そんなに困難を極めたんですか?

「いや、ギリギリで1曲追加したんですよ、自ら。ネガティヴな『できない、できない』っていう感じよりは、9曲のアルバムでいくのかどうかっていうところで、最終的なトータルバランスを考えて。こういう曲が1曲欲しいというよりは、1曲完全な新曲が欲しくて、やれるところまでやっていたらギリギリになりました」

■ちなみにその曲ってどれなんですか?

「“Spiral Parade”(8曲目)ですね」

■あ、やっぱり。

「はははははは。やっぱりわかります?」

■非常にこの曲は異端性があるので(笑)。その話はあとで聞きたいんですけど。まず、この10曲を聴いて最初に思ったのが、TKのキャリアの中でこれが一番の名作だということで。

「ほんとですか? 鹿野さんにそれを言ってもらえると嬉しいです」

■バンド活動を通じて、すべての中で一番素晴らしい作品だと思いました。もちろん、凛として時雨があるからこそ生まれたソロとしての傑作なんですが。ご自分の実感としてはどうなんですか?

「『flowering』を経て――あれは、ソロの形でのアルバムとして一発目だったんで、ある種、僕が何者なのかわからない状態から作れる作品だったと思うんですよ。あれはまるでセカンドヴァージンみたいな感覚だったから(笑)、カラフルなアルバムになったと思うんですけど。ただ、カラフルだけど、一体自分は何者で、どういう色なのかっていうのは、あんまり自覚できなかったんですよね。でも、それを経たことで、今回はいろんなものを削いで、そこにまた色をつけていく感じだったので、自分が今何色なのかっていう明確なものを感じられるアルバムになった気がして。前作よりもさらにソロとして成立したなっていう感覚はありましたね」

■このアルバムを「TKのキャリアの中で一番いい作品なんじゃないか」と思った理由はふたつあって。ひとつはソングライティングが素晴らしいんですよ。それはこのソロに限らず、時雨からずっとやってきた中での進化と成熟によるものだと思って。ふたつ目は、その素晴らしいソングライティングがある程度裸だから、その曲の素晴らしさの理由やパーツがダイレクトに聴こえてくる素直な作品になっているんだよね。『contrast』の時も、「もっと人に聴いてもらえる音楽をやってるはずなんだけど、ちゃんと届けられてないんじゃないか」という想いがこのソロプロジェクトのひとつのモチヴェーションなんだという話をしてくれたけど、そういう部分も踏まえて、このアルバムが素晴らしいのだと思います。

「『伝わってないな』っていう実感がフラストレーションにもなりますし、その反動が『伝えたい』っていう気持ちに本当に直結したという感じはありましたね。やっぱり凛として時雨をやってきて、そこからソロっていう形になったことで『まだまだ全然伝わってないんだな』って実感もしましたし――それも、弾き語りも始めたワケだったんですよ。で、弾き語りでソロの曲も時雨の曲を演奏すると、結構な数の人に『こういう綺麗なメロディだったんだ』とか、『こんな綺麗な言葉だったんだ』と言われて(笑)。さらに、『正直、凛として時雨は、刃物に次ぐ刃物みたいなイメージだった』と(笑)」

■はははははははは。

「もちろん、尖った部分が人の目や耳に突き刺さったことによって、凛として時雨が確立できたのもあるんですよ。だけどそれと同時に、尖ってない部分もあるってことが凄く見えづらかったんだろうなって……だとしたら、自分はまだまだ何も伝えられてないんだろうし、本当に伝えなきゃいけないって想いが自然と大きくなって。それが今年の『contrast』からの流れでしたね。で、その集大成みたいな作品が今回だと思うんです。もちろんまだまだ途中段階ですけど、『ソロだから好きなことやってやれ、聴いてもらえなくてもバンドがあるからいいや』みたいな気持ちはまったくなくて。逆に、ソロはソロでバンドのライバルでありたいし、バンドは聴けないけどソロは聴けるっていう人がいてもいいと思うし、その逆もあっていいと思いますし。いろんな間口が広がることによって、自分の音楽に触れてくれる人が増えるといいなっていうのは凄くありましたね」

(続きは本誌をチェック!

text by 鹿野 淳

『MUSICA9月号 Vol.89』

Posted on 2014.08.23 by MUSICA編集部

奥田民生&岸田繁&伊藤大地によるサンフジンズ、
白衣に聴診器のロックバンドがMUSICA初登場!

学生の時にバンドやってた時みたいな、
1アイディアでバッとやる感じに戻れたっていうか。
だから昔みたいにバンドでずっと遊んでる感じ、
でもゲームの腕はめっちゃ上手なってるみたいな

『MUSICA 9月号 Vol.89』P.108より掲載

 

■まずは自己紹介をお願いできますか?

Dr.カイ ギョーイ(奥田民生)「えーっと(笑)、カイ ギョーイでーす」

Dr.ジューイ ラモーン(岸田繁)「ジューイ ラモーンです」

Dr.ケン シューイ(伊藤大地)「ケン シューイです」

■たしかこのお名前は岸田さんがTwitterで募集したんですよね?

シューイ「あ、そうだった。してましたね」

ラモーン「そういえばそうや。忘れてました(笑)。でも俺は『お前はジューイ ラモーンだ』って民生さんに言われた記憶がある(笑)」

■ギョーイさん、その心は?

ギョーイ「別に心なんてないですよ! メンバー紹介する時のオチとしてね、これを最後に言いたいだけっていう(笑)」

■(笑)。実は2009年のMUSICA11月号で、ギョーイさんとラモーンさんには、奥田民生、岸田繁として対談表紙を飾っていただいてまして。

ギョーイ「ああ、そうだ!」

■で、あの時におふたりで一緒に何かやりたいねっていう話も出てたんですけど、実際このサンフジンズ結成の経緯はどんな感じだったんですか。

ギョーイ「……特になんの理由もきっかけもないんですけど、ただ時間が空いたから岸田となんかやろうってことになって」

ラモーン「『ふたりで曲作りませんか?』っていう話をしてて――僕はずっと一緒に作りたかったんで、そういう話をしてたら、いきなりギョーイ先生から弾き語りが送られてきて。家でポローンってやってるヤツやったんですけど、それが凄いよかって、『おぉ!』と思って続き作って送り返したりして、それで何曲か一緒に録音したりしたんですけど。それがやってるうちにだんだんライヴバンドのような感じになってきて今に至る、と」

■つまり最初はギョーイさんとラモーンさんふたりでやってた、と。そこにシューイさんはどう加わったんですか?

ラモーン「JAPAN JAMでライヴをやることになった時にドラマーが必要だってなって。で、ちょうどスケジュールが空いてると聞いたので(笑)」

シューイ「ある時、岸田くんが民生さんと録音してるっていうツイートを見て『うわ、このふたりが一緒にやってる!』って思ってたんですけど、そしたらその何日か後にふたりからJAPAN JAMのお誘いをいただいて『うわぁ!』みたいな(笑)。めちゃくちゃ嬉しかったな。僕、初めてドラムのコピーしたのってユニコーンだったんですよ。それこそ楽譜を買ってきて叩いたんですけど(笑)」

■そうだったんだ。サンフジンズは2013年に4回ライヴをしてますけど、最初の頃は民生さんの曲やくるりの曲のカヴァーもしてましたけど、最終的には全曲オリジナルになって。

ギョーイ「うん、それが目標でしたからね。まぁでも、サンフジンズに関しては軽い出来心のような気持ちでやりたいなと思ってて。だから頭はそんなに使ってない」

ラモーン「3人とも普段は割と難しいことをやってるほうやと思うんですけど、このバンドに関してはギョーイ先生から『難しいことはやるな』って言われるんで」

ギョーイ「そうです。だから、一応くるりの岸田を真っ当な人間にするためのバンドって言うんですかね」

ラモーン「ふはははははははは!」

ギョーイ「やっぱり暗いからね、岸田は(笑)。実はサンフジンズって『岸田を明るくしよう』っていうプロジェクトなんですよ」

■裏テーマとしてね(笑)。

ギョーイ「裏テーマっていうか、むしろメインテーマなんですけど(笑)」

シューイ「はははははははは」

ギョーイ「放っとくと暗くなっていくからね。そしたら僕が後ろから蹴るみたいな。『真面目にやるな!』って(笑)」

(続きは本誌をチェック!

text by 有泉智子

『MUSICA9月号 Vol.89』

Posted on 2014.08.23 by MUSICA編集部

BLUE ENCOUNT、
共に笑い、共に憤り、共に泣く共鳴型の泣き笑いロック、
エモーショナルロックの本望、遂にメジャーデビュー!

僕が自分ん家みたいに一番落ち着ける場所って、ステージの上なんです。
だから、お客さんが笑った顔を見てないと僕も笑えないし、
お客さんが泣いてる顔を見たら泣いちゃうんです

『MUSICA 9月号 Vol.89』P.114より掲載

 

■メジャーデビュー、おめでとうございます! やっと念願が叶ったという想いだと思うんですが。

「そうですね、本当に結成当初からの、10年前からの夢で。熊本にいた頃からメジャーデビューという言葉はずっと絶やさないキーワードのひとつだったんで。今回どういうふうにメジャーの門をくぐるか?ということで、凄く悩んだ時もあったんですけど」

■そうなんだ? それは何に悩んでたの?

「まずは曲の形というか、曲の方向性ですよね。どの形でメジャーという門を叩くのか?と考えた時に、2パターンあったので。1個目のパターンが、今までのBLUE ENCOUNTじゃないような、敢えてガラッと変えて――俗に言う、メジャー感というものに僕らの音楽を落とし込んだ時、それがどうなるのかな?っていうもので」

■いわゆるメジャー対応っていうやつだよね。より幅広いリスナー層に向けて、キャッチーな方向で勝負するっていう。

「そうですね。で、もう1パターンは、“JUST AWAKE”とか“HALO”、“アンバランス”っていうような今までの曲達の流れを汲んだ上で新しい流れを作ってみようかっていう。そのふたつの流れって、曲作りをする上でも結構悩んだところではあったんですけど。結果的にそのどっちのパターンにも当てはまらない曲っていうのが今回生まれたので、これは絶対にBLUE ENCOUNTでしかなし得られないメジャーの門の通り方なのかなっていうものができたので。一旦、その悩みは凄く落ち着いています」

■なるほどね。今回のリードの“MEMENTO”って、切り裂くようなメタリックなリフとかビートのアタック感とメロディの流麗さっていう凄くブルエンらしい部分がありつつ、一方で、もうテンポもアレンジも別曲みたいにガラッと変わる転調だったり、スパニッシュなギターとかラップっぽいヴォーカルが入ってきたりとか、これまでのブルエンになかった新しさもきちんと伝わる曲だと思うし。

「そうですね、かなり自分のひねくれた感じが出たというか(笑)」

■歌詞もそうだけど、田邉くんの「節」が出てるよね(笑)。そういう意味では、これから新しく出会う人達にも、これまでインディーズ時代をずっと支えてきてくれた人達にも、どっちにもぐっさりと切り込んでいくような曲だよね。

「今回、コンセプト的には『EPを作る』っていうことも別に決まってなく、とにかく作れるだけ作ろうっていう話になりまして。で、3ヵ月間で100曲以上作ったりしたんですよ」

■マジで!? ほぼ1日1曲じゃん。それは相当凄いね。

「(笑)でも、メジャーデビューする盤を出すってなったら、これまでの10年分の僕らの音楽性と出会ってくれた人達への感謝っていうものを大事にしたかったので」

■それだけ気合いが入っていた、と。

「そうですね。で、そういうふうに考えた時に、まず作り始めの頃は、かなりメジャーを意識して『キャッチーとは何か?』みたいな感じを――今まであった曲で形容するならば、“HANDS”っていう曲のストレートさ、壮大さっていうのをさらに塗り替えるような感じで作ってみようと思ったんです。けど、作っていけばいくほど、凄くそこから逸脱していって(笑)、結果的に、できる曲は『10周年でこれでいいのか?』って思うぐらいひねくれたヤツらが出てきて。その中で一番ひねくれてたのが“MEMENTO”だったんですよね。だから、凄くとんでもないものができたなって思った反面、これになんていう言葉を入れていけばいいのか、ちょっと怖くもなりましたね。できたと同時にメンバーそれぞれが同じタイミングで『ヤバい!』ってなったのを覚えてます。サビは凄くキャッチーだけど、これを如何にこねくり回してやろうかっていうのがお互いにあったと思うんですよね」

(続きは本誌をチェック!

text by 寺田宏幸

『MUSICA9月号 Vol.89』

Posted on 2014.08.22 by MUSICA編集部

syrup16g、復活連続企画・後編!
再生のニューアルバム『Hurt』全曲解説

「最低の中で 最高は輝く」
――もう誰も触れない、誰も届かないと思っていた五十嵐隆の世界が、
よりにもよってsyrup16gから羽撃いた。
アルバム『Hurt』全曲解説

『MUSICA 9月号 Vol.89』P.82より掲載

 

■この1ヵ月間ぐらい、久しぶりに世の中に出ていって、いろんな人にご挨拶をしたと思うんですけど、どうでした?

「インタヴューとかでいろんな方とおしゃべりして。そういう方と深い話をして振り返ったりすると、いろいろ解消されるところもあるし、発見することもあるし。でも、思い出すことで結構辛いこともあるんで、いいことも悪いこともありますけど(笑)。単純にこうやって外に出るのが新鮮ですね」

■よかったね、結論としては。

「うん。やっぱり1日の会話が3言とか、宅急便が来て『どなたですか?』みたいな、そんなことしかなかった日々だったから。今は、ちょっと楽しいなって思いました」

■じゃあ、毎月インタヴューやろうか。

「やだ! しゃべることないです(笑)」

■ははははは。今日は、そんな出不精な五十嵐の代わりに作品が世の中にどんどん出ていけばいいという気持ちも込めて、ニューアルバムの『Hurt』を微に入り細に入り全曲訊いていきたいんですけど。改めてアルバムが完成して感じてることを教えてもらえますか?

「うーん……休んでた時間を総括するような何かができるかなと思ったんですけど、そこまで掬い取れたかっていうと意外にちょっと疑問が残るような気もします。だから、何かを思い出すような作業よりは、レコーディングしてる時に感じたことをそのまま言葉にしていった感じが強いアルバムかなと思いますけどね」

■逆に言うと、このアルバムを作る一番最初のコンセプトは、この6年間のブランクの間の自分をこの1枚に閉じ込められるかもしれないっていうものだったの?

「単純にそれしか書くことがないというのももちろんありましたし……それができたら、何も意味がなかった時間になんらかの申し開きができるんじゃないかなと思ったりしましたけど」

■歌詞の面を置いておけば、今回のアルバムって――特に第1期の最後のアルバムと比べると顕著なんですけど――非常にバンド感とかグルーヴ感、そしてシューゲイズ感とかギター感というものがメインになってるアルバムだなと感じたんだけど。

「うん。やっぱアレンジに関しては凄くシンプルで。っていうのは、スケジュールの問題ももちろんあったけど、結局syrup16gでやるんであれば、再現性みたいなことも加味していかないといけないなと思って。そこに無理が生じないようなアレンジにしたいなと思ったら、グランジとかシューゲイズの方法論みたいなものが凄く成立させやすいんですよね。それは昔から思ってたんですけど」

■今言ったグランジとかシューゲイズって、五十嵐の好きな音楽なわけで。それって、自分が好きな音楽だから自分の世界観と合わせやすいっていう話なのか、もしくは、ある意味客観的なスタンスでその音像をプロデュースした時に、syrup16gっていうイメージとそれが合うっていう感じなのか、どういう感じなの?

「キタダ(マキ/B)さんと大樹ちゃん(中畑大樹/Dr)とスタジオで合わせた時の手っ取り早い共通言語というか……スタートがそういう下地だったわけだから、新しく自分の方法論が見つかってないんであれば、そういうアレンジとかソングライティングの方法は昔のプリミティヴなやり方で合わせていったほうがバンドとして上手く回るんじゃないかなって思って。それは一番ありました。向こうのプレイヤビリティを考えたら如何様にも対応してくれるのはわかってるんですけど、『何考えてるのかわかんない』と思われるのが凄く怖いのと、それを説明するだけのテクニックや方法論をまだ見つけられてなかったので。だから、自分のイメージを言ってわかり辛いことを要求して混沌としていくよりは、強い曲、強いメロディとわかりやすい構成、思春期性に近い初期衝動感が透けて見えるような曲のほうが、たぶんメンバーも『五十嵐はこれがやりたいんだな』ってわかってくれるんじゃないかなと思ったんです」

 

1.Share the light

 

■では、1曲目からいくよ。この曲がアルバムの中で一番激しいよね。一番激しいし、バンド感もある。一番最初に聴いた時、アラブのロックみたいな感じがした(笑)。

「アラブ? アラブってどういう音楽性なんだろう?」

■Aメロでさ、歌メロとギターのリフがユニゾンしてるじゃん。

「ああ、音階がちょっと中東っぽいっていう? そっかそっか。でも、どっちかって言うと、あのガッガッガガガッていうのは、もの凄くやり切れないぐらいのみじめな気持ちになったことがあって」

■それはこの曲を作ってる時?

「そう、今年なんですけど。そのリズムを無意識に弾いてました。ただ普通に6弦を上から叩いてるだけなんですけど。なんのコードも押さえてなくて、ただ殴りつけるように叩いてるだけ」

■この曲がいきり立って聴こえる理由は、やり切れなかったからなの?

「うん、やり切れないみたいな気持ちだった気がする。あんまり最初からギターを持ってガッガッて叩きつけるような衝動的なギターとの向き合い方はしてないんですけど――」

(続きは本誌をチェック!

text by 鹿野 淳

『MUSICA9月号 Vol.89』

Posted on 2014.08.22 by MUSICA編集部

スピッツ、至福の夏祭り“FESTIVARENA”
名古屋・日本ガイシホール&東京・日本武道館レポート

久しぶりの希少なアリーナツアー、
そのセットリストはシングルたった6曲!?
だけど実態はスピッツ史上最高のセットリストとライヴセット。
今なおポップと音楽感動の一番奥にあるものが何かを体感させる、
スピッツの世界を綴る

『MUSICA 9月号 Vol.89』P.72より掲載

 

 ライヴというのは言うまでもなく立体的な魅力があって。「どんな曲をやるんだろ?」、「どんなこと言うんだろ?」、「どんな演出があるんだろ?」、「どんな一体感があるんだろ?」など、たくさんの「どんな?」が秘めている。その第一歩はステージ演出――。

 チケットをもぎってもらい、自分の席やエリアが何処なのか?を探しながら扉を開けてライヴエリアに入ると、最初に目に飛び込んでくるのがステージセット。ここで、「うわぁー」というふうに目も心も一気に躍り上がる瞬間がスピッツのライヴでは表されていることがよくある。最近では、去年の夏の横浜赤レンガ倉庫横でのメモリアルなライヴのステージが見事だったな。スパンコールのようなキラキラ光る背景が何枚ものタペストリー状になっていて、あんなステージ観たことなかったが、見事なまでにスピッツ的だったし、何よりも野外という「風」を最大限に活かした演出だった。

 こういう数々のステージ装飾は、彼らが「今ある中でどんな選択をするのか?」ではなく、「どんなことをやりたいから、それを今ある選択肢のどれを使って実現させるのか?」という発想でライヴに臨んでいるからできることなんだと思う。

 今回のアリーナツアー「SPITZ THE GREAT JAMBOREE 2014“FESTIVARENA”」のセットはまさにそんな彼らの真骨頂で、ステージの上部には14個の円状のオブジェが左右非対称に設置されていた。これ、なんなんだろう? これが動くのかな? 光るのかな? 怒るのかな?(なわけはない)という空想に夢を膨らませながら、僕はまずツアーが始まった場所である名古屋ガイシホールでのライヴを観させてもらった。

 実際の円状オブジェは、線状になっているLEDライトによって構成されているもので、メンバーはそれを名古屋のMCでは「おっぱい」とか「ヌーブラ」とか言っていて、もうそう言われるとそれにしか見えなくなるのが楽しかったが、だからといって、というか、“おっぱい”という名曲を持っているからといってステージを14個の乳房がゆっさゆっさと揺さぶっているわけはない。

 きっとこの記事の中でも見事に輝いているであろうこのオブジェが、梅雨の真っ最中であり、実際にこの日もライヴ前はお湿りがあった名古屋では「綺麗な電飾の傘」に見えたのに、梅雨が明けて猛暑が続いていたツアーファイナルの東京の武道館では「花火」に見えた(実際にはやはり花火をイメージしたそうです)、そんなツアーをレポートしようと思う。というかもう、随分としてしまっているのだが。

 

  最初に“夜を駈ける”で始まった瞬間は、その曲の表情故にシリアスさが伝わってきたが、その後一気に5曲、軽快かつリズミカルな曲が続いた辺りで、これはアリーナツアーなんだなと。さらに言えば、「FESTIVARENA」というタイトルの意味が伝わってきた。

 デビュー時から一貫して作り笑いを排除してきたし、通常のフェスに出演した時もそんなに高揚したりアッパーなテンションを見せたことがないスピッツだからして、タイトルにフェスという言葉が入ってきても、今のフェスにあるクライマックス感や一体感や裏や影のない陽性は見えても響いてもこないが、ただ4人のマイペースの中からも伺える楽しんでいる様子や、オープニングからMCなしで一気に6曲畳み掛ける部分からも、このライヴが「自分らがまずはライヴを楽しみ、そしてファンにも祝祭感を味わって欲しい」という心情が伺える。

(続きは本誌をチェック!

text by 鹿野 淳

『MUSICA9月号 Vol.89』

Posted on 2014.08.22 by MUSICA編集部

RADWIMPS、「GRAND PRIX 2014 実況生中継」
ファイナル沖縄公演 ツアー総括レポート

これまで以上の挑戦の果てにこれまで以上の自由を獲得し、
最後まで大きな歓喜の中で音楽と一体化し続けた
RADWIMPS GRAND PRIX 2014 「実況生中継」
ファイナル、7月20日の沖縄公演レポート共に、
素晴らしき「再生と始まり」を提示したツアーを総括する

『MUSICA 9月号 Vol.89』P.64より掲載

 

 7月20日、台風に邪魔されることもなく綺麗に晴れた沖縄の地で、17時35分、RADWIMPSの今ツアー最後のライヴがスタートした。

 アリーナ後方、PA卓のすぐ後ろからニョキニョキとタワーが伸びていき、そこから投射された白いレーザーが鋭い電子音と共にステージ上に光の粒を走らせる。やがてヴィジョンに映し出された宇宙に煌めく無数の小さな光がひとつの生命の光に収束し、その光から零れた一滴のしずくが荒廃した岩地に弾け、そこから水が湧き出していくようにしてカラフルな色が広がり、街が生まれていく――そんなイメージを喚起させる映像が展開し、やがて『×と○と罪と』のジャケットへと結実。同時にメンバーが登場し、1曲目の“ドリーマーズ・ハイ”が始まった。ステージから放たれる複数の真っ白な光の筋が会場を染め上げ、天井にはまるでたくさんの夢の欠片のような無数の光がいっぱいに瞬く。とても幻想的な空間の中を軽やかに舞い踊るようなバンドサウンドが響き、その上を柔らかで透き通った洋次郎の歌声が美しく飛翔していく。その堪らなく心地よい快感に心洗われながら、穏やかな、でも確かなる昂揚感と共にRADWIMPSの音楽世界へと自然と引き込まれていった。そして続く“One Man Live”で、ステージのテンションもアリーナの熱量も一気に爆発。桑原と武田が左右に伸びた花道へと飛び出してエネルギッシュなプレイを繰り広げ、オーディエンスの熱も弾けるように高まっていく。桑原と洋次郎のMCを挟んで放たれた“DARMA GRAND PRIX”では、早くも桑原&武田が激しい掛け合いを披露。ダイナミックなバンドサウンドとオーディエンスを縦にも横にも自在にノセてしまうグルーヴに、アリーナは早くもクライマックスのような盛り上がりを見せる。バンドはそのまま一気に“ギミギミック”まで駆け抜けた。

 2月の熊本公演のレポートで私は、「今回のツアーは根本的に4人が発する『楽しさ』と『開放感』と、そして『自由さ』が違う。こんなにもフラットに4人が音楽を鳴らすことそのものを楽しめているライヴは、今までなかったんじゃないかと思う」と書いた。その感覚は今回の長いツアーを通して一貫して感じられたことだ。とにかく最初の頃からバンドの状態がとてもよかった。熊本で初めて今回のツアーを観た時(まだツアー8本目だった)に、メンバーの表情に笑顔が多く、かつとても活き活きと、無邪気なほど弾けたライヴをやっていることに驚いたのだけど、それは場所をアリーナに移してスケールの大きな表現となっても基本的に変わらなかった。演奏するメンバーの表情はもちろん、その息遣いや体温までを間近に感じられるライヴハウスとは違う、物理的な距離感故にそういったことを感じにくいアリーナという場においても、メンバーが自由に楽しそうに音楽と一体化している様は、確かに伝わってきた。

(続きは本誌をチェック!

text by 有泉智子

『MUSICA9月号 Vol.89』

Posted on 2014.08.20 by MUSICA編集部

andymori、復活、そして最後のワンマン――
大阪&東京2公演完全密着!!

青い空をいつか僕らは忘れてしまうけれど、
でも、あのバンドワゴンが駆けた輝く空は、
きっといつの日も忘れない――
andymori、復活にして最後のワンマンライヴ
2日間のバックステージからオンステージまで、独占完全密着

『MUSICA 9月号 Vol.89』P.12より掲載

 

 andymoriは、本当だったら昨年の9月24日に日本武道館公演を行い、それを最後に解散するはずだった。でも、昨年7月に壮平が重傷を負い、目前に迫っていたラストツアーと武道館公演をキャンセル。当時は壮平の容態を心配する声と共に「このまま解散になってしまうのか」という声も聞かれたが、約1ヶ月におよぶ集中治療室での治療を経て退院し、通院治療に切り替わった壮平とメンバーが出した結論は、「壮平が回復したらもう一度必ず素晴らしいライヴをやって、andymoriを最後までやり遂げよう」というものだった。

 あれから1年――。奇跡的にひとつの後遺症も残ることなく回復した壮平と共に、andymoriは遂に最後の旅に出た。2014年夏、6本のライヴをもって、3人はandymoriに終止符を打つ。

 MUSICAはここから2号連続でandymoriを追いかけます。まずは7月21日&27日に行われた最後のワンマン「ひこうき雲と夏の音」、この2日間の完全密着ドキュメントを、どうぞ。

 

7月21日 大阪城野外音楽堂

 

 どこまでも青い空に強い太陽が輝き、遮るもののなく降り注ぐその熱が茹だるような暑さをもたらしたこの日。11時30分に会場に着くと、すでに物販の開始を待つ人の列ができていた。場内ではいつもアンディのライヴを支えてきたスタッフチームが準備を進めている。ステージ上にはすでに3人のマイクやアンプ、ドラムセットが定位置に組まれていて、袖にはギターとベースも並んでいた。「ああ、3人はやっとここに帰ってくるんだな」。そんな実感が、静かに胸に湧き上がる。

 そして、12時22分。メンバーが会場にやってきた。すっと楽屋口に滑り込んできたタクシーの窓から、満面の笑顔の壮平が見える。今年の6月に30歳になったとは思えない少年のままの笑顔で車から降りてきた壮平と、その後から朗らかな笑みを浮かべてやってきた寛と健二と「おはよう」の言葉を交わし、そのまま一緒に中に入った。

 まず3人が向かった先はステージ。スタッフと挨拶を交わしながら、今はまだガランとした客席を見渡す3人。壮平は持ってきた追加のエフェクターをローディーさんに渡し、何やら話し込んでいる。寛がいかにも暑そうな顔で「暑いねぇ」とつぶやく。健二は黙って、でも優しい顔をしてドラムセットから客席を眺めている。1年の月日が空いていることを忘れる、いつも通りの3人。であるかのように、この時は見えたのだけど――。

 しばしの時をステージで過ごした後、楽屋に入り、用意されたお弁当でランチタイム。今どんな気持ちなのか訊くと、寛から「正直に言うと、まだ実感がないんだよね(笑)」という言葉が返ってきた。健二が「晴れてよかった」と笑う。

 雑談をしながら、穏やかな時間が流れていく。壮平が傍らのギターケースからアコギを取り出し、何を歌うでもなくポロポロとギターを弾いている。しばらくそのまま隣で彼の手から零れるギターの音に耳を傾けていると、壮平が突然、ぽつりとこんなことを言った。

「……この1年間ひっそりと暮らしていた人間がさ、いきなり3,000人くらいの人の前に放り出されるんだよ。これってさ、凄いことじゃない?」

 ちょっとびっくりした。普通に考えたらその通りなんだけど、なんとなく壮平からそんな言葉が出てくるなんて思ってなかったのだ。ほとんど反射的に、私は「え、っていうことは壮平、緊張してるの?」と問い返していた。

「うん。だって本当に久しぶりだからね。緊張っていうか……昂揚してる。凄い昂ってきてる。前からわかってたことだしさ、もっと落ち着いてできるかなって思ってたんだけど、やっぱり今日ここに来たら全然違う気持ちになってきた……」

(続きは本誌をチェック!

text by 有泉智子

『MUSICA9月号 Vol.89』

Posted on 2014.08.20 by MUSICA編集部

BUMP OF CHICKEN、初の東京ドーム独占密着
&ツアー「WILLPOLIS 2014」全総括大特集!!!

忘れ難き東京ドーム、あの光は何だったのか?
かけがえなきツアー「WILLPOLIS 2014」、
この多幸感と今まで観ることなかった
4人の表情は、どこからやって来たのか?
全40ページ、今、そのすべてをあなたに焼きつけたい!

『MUSICA 9月号 Vol.89』P.24より掲載

 

7月31日(木) 東京ドーム

 

 11時少し前に東京ドーム前に到着すると、そこは昼前から祭りが始まっていた――。

 何しろバンドのタオルを掲げた人の多さに驚く。あとで話を聞くと、朝の6時半の時点ですでに2500人、11時の時点で8000人が会場の周りに駆けつけ、グッズを購入する列を成したという。ドームをバックに記念撮影をしたり、木陰を見つけてぼーっとしていたり、思い思いのやりかたでみんなが特別な夏休みの1日を過ごしている。この日は猛暑にして多湿な1日。さぞかし暑く熱い1日を過ごすことだろう。くれぐれも熱中症にはならないようにと願いながらドーム内に入った。

 ドームにそびえ立つステージを眺める。テクニカル・リハーサルの幕張メッセで窮屈そうに収まっていた巨大な要塞のようなステージが、ここドームでは当たり前だが、ピタッっと気持ちよさそうに居座っている。

 広いなあー。

 11時20分に楽屋に入ると、4人共揃ってご飯を食べていた。リラックスしているようにも見えるし、いつもより寡黙な空間から緊張しているようにも見える。

「いや、もしかしたらそういうの(緊張)もあるのかもしれないけど、どっちかというと、いつもと勝手が違うから、居心地が悪いというか、不思議な感じがしてさ」とチャマが笑顔で言う。

「今日はさ、思いっ切り楽しんでよ、しかっぺもさ。こんな広いんだから、好きにしてていいと思うよ、ふふふ」とフジが静かな声で話してくれた。

 楽屋の隅ではこの時間から快活なチョッパーベースが聴こえてくる。チャマが元気よくベースを叩きまくっている。「俺なりの東京ドームへのリスペクトなんだよ」と、新木場スタジオコーストのライヴで着たベースボールユニフォームとも甚平とも言えるような、「TOKYO」というロゴが入った真っ赤な服を着ている。

 隣りにいる升は、彼独特の非常に姿勢のいい恰好でご飯をきちんと食べながら、今年のフジロックがどうだったかという僕の話を、目を輝かせながら聞いている。

 増川がすっと楽屋に入ってきて、なんかモジモジしている。思い出せば、初期のライヴの楽屋の増川はよくモジモジしていた。なんかライヴまでどうしようかね?みたいな感じだったんだと思う。その頃の彼を少しばかり思い出すが、しかし今の増川はライヴまでの自分のモチヴェーションの高め方も、そして何よりも自分のBUMP OF CHICKENとしての役割をしっかり握りしめている。だからこの日モジモジしていたのは、やはりこの日なりのほんの少し特別な感情だったのだろう。

 同じようだと言えば同じ、でもやはりほんの少しだけ違う、この日のバックエリア。でもそれはどこでもいつのライヴでもそうだったなと思うわけでもあり、でもそれでもやはり何かが違う、そんな昼時を過ごした。

 12時半、チャマがアコギを持ち出し、“firefly”、“宇宙飛行士への手紙”などを軽快に、しかし大声で歌い出す。その隣りで「ところでチューニングルームって今日はどこにあるの?」と増川が訊くと、「あそこを曲がって、あそこを降りて」と随分と複雑な説明になり、「やっぱり東京ドームは違うね」とフジと共に笑い合う。そのフジがアコギを手に取ったのが12時47分、喉を転がしながら穏やかな発声練習を始めた。メンバーの多くは巨大なステージにサウンドチェックに向かっている。フジの発声練習はいつもよりゆっくりというか、自分の喉や身体全体のコンディションとだらーんと自然に対峙しながら声を出しているように感じた。

 そのフジが静かに楽屋から出て行ったなあと思ったら、5分ほどして「意味もなく遠くまで行ってしまった。そしてまた帰って来てしまった」と苦笑いしている。なんだか心配ごとがありそうな、落ち着かない表情にも見える。

「みんないなくなっちゃったね。そういえばツアー中、この時間になるとよくしかっぺとふたりっきりになったよね、ふふふふ。ツアーも最後になっちゃったけど、どうだった?」と言ってくれたので、しばし話をした。

(続きは本誌をチェック!

text by 鹿野 淳

『MUSICA9月号 Vol.89』