Posted on 2018.07.27 by MUSICA編集部

自由に颯爽と彼女にしか描けない今を映し出していく感覚で
確かにポップシーンの先頭に立ち始めたあいみょん。
本流ど真ん中から湧き出た名曲“マリーゴールド”――
心を揺さぶり、人を動かし、時代をその歌で染めてゆく

 

これが自分の表題曲になればいいのにって思うくらい。
本道っていうか、一番やりたいのは何なのかっていう話になると、
“マリーゴールド”のこの感じ。
本当に私の土台、根っこはここにあるんですよね

『MUSICA8月号 Vol.136』より引用

 

(前略)

■この前の“満月の夜なら”や、あるいは“愛を伝えたいだとか”みたいなタイプの曲における独特のフロウもあいみょんの武器だと思うけど、でも今回の“マリーゴールド”は、フォークをルーツに持つあいみょんのど真ん中が非常に真っ直ぐに出た、これぞあいみょんの芯という曲ですよね。

「嬉しい……この曲、実は去年の夏にできてたんです。たぶん今までの曲の中だと“愛を伝えたいだとか”が1番注目された曲ですけど、私の中では“君はロックを聴かない”っていう曲が1番やったんですよ」

■それはどのポイントで?

「やっぱり、自分が今まで憧れてきた人から受け取った音楽性が滲み出てる気がするっていうのもあるし、私が今1番やりたい音楽の方向性はそこやったっていうのがあったんで。もちろん、いろんなジャンルの曲をやりたいし、できるようになりたいんですけど、でも“君はロックを聴かない”ができた時に凄く達成感があったんですよね。だから、私の中では次に超えるべき壁は“愛を伝えたいだとか”じゃなくて、“君はロック~”やったんです。だから“君はロック~”ができた後はずっと、この曲を超える曲を書かなきゃいけない!と思ってた。あの曲を超える曲を書かへんかったら私は音楽の中で残っていけへんって、自分の中で謎に壁を作ってしまって。それでずっとあの曲を超えないと、あの曲を超えないとって思ってた中でできた曲がこの“マリーゴールド”で。できた時に凄いめっちゃいい曲できた!って思って、すぐスタッフさんにも送りましたし、絶対にこの曲もシングルで切りたい!って思ってたんですけど、タイミング的に夏にリリースできるタイミングでもなかったですし」

■というか、去年の夏にできたってことは、もうすぐにアルバムをリリースする予定になってたもんね。

「そうなんです。でも夏にシングルとして出したかったので、アルバムには入れずに寝かしていて。そういう曲なので、今回本当に念願叶ってリリースされるっていう。もうほんま、早くみんなに聴いて欲しい。歌詞とかは今までの楽曲に比べると、特にめちゃくちゃ捻ってるとかいうわけでもないんですけど、とにかくメロディと言葉が上手く乗ってくれた曲やし、凄くいい曲になったなってずっと思ってるんですよ」

■少し話を戻すと、“君はロックを聴かない”に対して、あいみょんの中でひとつ自分の明確な芯となるものを打ち立てることができたっていう感覚は、他の曲よりも強いんだ?

「強い。あの曲は凄い思い入れが強いです。“愛を伝えたいだとか”はそんなめちゃめちゃ悩んで作ったわけではないですけど、少し言葉を絞り出してたりはしたんですよ。でも、“君はロック~”はナチュラルに自分の中から出てきた言葉達とメロディやったので。で、それに近いです、“マリーゴールド”も。なので今は、“マリーゴールド”が次の壁になっちゃってるっていう状態なんですけど」

 

(続きは本誌をチェック!

text by有泉智子

『MUSICA8月号 Vol.136』

Posted on 2018.07.26 by MUSICA編集部

さらなる覚悟で新たなストラグルを始めたSuchmos、
The Blow Your Mind TOUR、熊本&沖縄公演、独占密着。
アルバム『THE ASHTRAY』に託された意志も探りながら
確かなる決意の下に進むべき道を選んだ6人の今を追う!

 

Suchmos The Blow Your Mind TOUR
2018年6月8日(金)熊本・B.9V1
2018年6月17日(日)沖縄・ミュージックタウン音市場

 『MUSICA8月号 Vol.136』より引用

3〜4月に大阪・名古屋・横浜で開催されたホールツアー「YOU’VE GOT THE WORLD TOUR」からほとんど間髪を容れず、5月11日より約1ヵ月にわたって開催された「The Blow Your Mind TOUR」。6月8日に行われた熊本公演、そして6月17日に行われたツアーファイナルである沖縄公演の2本に密着した。ご存知の通り、Suchmosは6月20日に『THE ASHTRAY』をリリース。『THE KIDS』でポップシーンまでをも席巻し、確かなる時代のアイコンとなった彼らが、だからこそ何にも囚われることなく自分達自身の刺激的な旅を開拓するために、だからこそより揺るぎない自由を獲得するために、自身の信念を握りしめて突き進む姿が明確に示された作品だ。何故彼らがこの作品に至ったのか、そこにある意志はどんなものなのか、その背景も探りながら、Suchmosの今を追うドキュメントをここに送ります。

 

【6月8熊本B.9 V1

 

 阿蘇くまもと空港から熊本市内へと移動し、街に出た途端、まるでサウナにいるかのような暑さに驚く。雨はほぼ止んでいたけれど、雨上がりであるが故の湿度の高さがハンパない。13時40分過ぎに会場である「B.9 V1」に着くとメンバーは既に会場に入っていて、リラックスした様子で迎えてくれた。彼らは前日から熊本に入っていて、昨夜も街に繰り出したらしい。MCなどでもよく話しているけれど、ライヴツアーとはいえただ慌ただしく全国を駆け巡るだけではなく、彼らはよく街に出て歩き、自分達の肌と五感で訪れた土地の空気を感じ、それを吸い込んだ上でその日その場所そのオーディエンスと自分達の音楽を交わし合う。ツアーとは旅であり、仲間と共にその旅を味わいながらライヴを行えば行うほど、バンドとしてもアーティストとしても得るものは大きい。何故ならば、豊かな人生体験と感性への刺激は、着実に次なる音楽へとフィードバックされてゆくからだ。

 楽屋でメンバーが顔を突き合わせ、何やら一生懸命スマホをいじってる。何してるの?と訊くと、とある夏フェスにみんなで行こうと思い立ち、今まさにチケットを買っているのだという。そういえば去年のフジロックは、出演はなかったけどメンバーみんなで3日間遊びに行ったと話してたっけ。そのままどのライヴが楽しみだとひとしきり盛り上がり、あるいはとあるアーティストが来日するけどその日は自分らもライヴがあるから行けないんだと悔しがり、さらにSuchmosも出演する韓国での「INCHEON PENTAPORT ROCK FESTIVAL」の話題に流れ、自分らが出演する日のヘッドライナーがMy Bloody Valentineであることへの喜びをKCEE(Dj)とYONCE(Vo)が興奮気味に話してる。その横でTAIHEI(Key)が、ロバート・グラスパーの新しいバンド(R+R=NOW)のメンバーはどんなメンツでいかに面白いのかを楽しそうにレクチャーしてくれる。なんというか、こういう時のSuchmosは本当にただの音楽好きな兄ちゃん達(ただし筋金入り)。「こういう時の」と書いたけれど、でもたとえば取材の合間も大抵の場合、彼らは「誰々の新譜聴いた?」とか「あのアルバムがよかった」とか「何々のあの音ヤバくない?」とか、もちろん時には「あれはこう評価されてるけど、でも俺は……」みたいな話も含め、様々な音楽談義を延々と繰り返して楽しんでる。とても心地いいのです、その熱が。

(続きは本誌をチェック!

text by有泉智子

『MUSICA8月号 Vol.136』

Posted on 2018.07.25 by MUSICA編集部

圧巻のツアー「INSOMNIA TRAIN」最終日、完全密着!
遂に『Tree』以来のアルバムを視野に入れ始めた
SEKAI NO OWARI、4人のツアーへの想い――
100分間にわたって語り合ったソウルインタヴュー!

 

自分はどっか凄く無感動な人間だと思ってる節があるというか。
怒ったり泣いたり、悔しい気持ちで涙がいっぱいとか、
そういう気持ちが全然ない人間だと思い込んでいて。
けど、僕は今回のライヴでようやく生きものになったんだなって感じが
凄くしました。うん、生きてる感じがしたんです(Fukase)

『MUSICA8月号 Vol.136』より引用

 

(前略)

■最終公演の北海道を観せていただいたんですけど、その前が富士急の初日だったんですね。本数としては結構空いてたんですけど、凄い変わりましたよね。ツアー自体も4人も覚醒したけど、ヴォーカリストとしての表現性、フロントマンとしての在り方としてのFukaseは豹変に等しいほど進化していました。

Fukase「うん、途中から僕は違ってたと思う」

■動きのクイックさの違い、そしてお客さんと無垢に向き合う違い、自分を曝け出す違いみたいなものが、明確にこのツアーの中でも変わっていて。

Fukase「ツアー中に先生が実際に僕の私生活を見てるというか、たとえば子供と話してる時の僕とか、ひとりで考えごとをしてる僕とか、私生活の素の自分っていうものを凄く見てくれてて、それをステージに反映させてくれようとしたというか、Fukase100%で出そうとしてくれたから。『子供と話してる感じがもう少しステージ上で出たほうがいいんじゃない?』って言われて、『そういうのもステージでやっていいんだ!』みたいなことを先生と話し合って、どんどん変わっていったんです。『気持ちがアガれば走っていいんじゃない?』、『そっか、走っていいんですね!』みたいな。『どう走ればいいんですか?』、『こうじゃないかな』みたいなことをずっとやって。自分の中でずっとかけてたストッパーを1個ずつ外してくれてる感じがして。今回のツアーは特にストッパーが外れまくってファイナルって感じになった」

■そうやって叫びたい時に叫ぶ、走りたい時に走る、僕は観てないんですけど東北のライヴではご自分の哀しい気持ちをステージで――。

Fukase「ああ、そうですね」

■決して楽しい話ではないと思うんですけど、人前で泣いて、泣いた理由、哀しい別離をちゃんと話せるようになったと聞いてるんですけど。

Fukase「そこはそうなのかもしれないですね。全部自分の感情のままというか……やっぱり自分はどっか凄く無感動な人間だと思ってる節があるというか。あんまり動じないし、怒ったり泣いたり、悔しい気持ちで涙がいっぱいとか、そういう気持ちが全然ない人間だと思い込んでいて。だからステージ上では凄くドライに、やらなきゃいけないことを1個1個やるだけだと思ってたところを、感情的な部分をそのままステージで表現するっていうことが、脳がそう思ってることをちゃんと体に向けて発信するってことの大事さを知ったし、教えてもらったんです。その心から発したものを体が対応していくっていうのがダンスだったりするので、僕は今回のライヴでようやく生きものになったんだなって感じが凄くしました。うん、生きてる感じがしたんです」

■その気持ちは“ラフレシア”という曲に特に強く出ていると思うんですが、言ってみればこの曲にこのツアーのメッセージとコンセプト、今日話していたものが全部ぶちまけられています。

Fukase「でもこの曲だって書きたくて書いたわけじゃなくて、とりあえず<甘い匂いに誘い込んで気づいたら麻痺してる>っていう最初のところを書いて、これは何が書きたいんだろうな?って思いながら書いていった感じだったんです。社会というものに対して漠然と思うことをひたすら書いていった感じだったんで。意図があったといえばあったのかもしれないし、でもあんまり……もう少し無意識層のレベルの意図だったような気もするし、だからどうってこともないんですよ、この曲。<ついてこいよ>って言ってるけど、それはどうついて行くんだ?って感じだし(笑)、明確な答えは何も言ってなくて。結構吐き捨てるように書いた言葉というか、そういうのが強くて。“死の魔法”もそうだし、“虹色の戦争”、“深い森”とかもそうなんですけど、何か問題提起をした後に僕は必ず答えみたいなものを入れてる、『だからこうなんじゃない?』っていうのがある感じなんですけど、“ラフレシア”はあんまりなくて。それが自分の中では新しい。理性的な部分から凄く人間っぽい部分、怒りだったりそういうものがそのまま言葉になったっていう感じはしてる。苛立ちがそのままデフォルメしないで言葉になって歌ってる感じが、自分でもしています」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA8月号 Vol.136』

Posted on 2018.07.24 by MUSICA編集部

“シリウス”“Spica”“望遠のマーチ”といった
新曲を続々と完成させたBUMP OF CHICKEN。
「今まで」から「これから」へ完全シフトした
BUMPのすべてを藤原基央が語り尽くす表紙巻頭大特集!

 

要は普遍的なものを作りたいなっていうことだと思うんです。
僕は16歳か17歳の時に“ガラスのブルース”って曲を作りましたけど、
それって20年以上前なんですよ。あの曲には20年以上前があるわけで、
そう考えると20年以上先もあるわけですね。
僕が明日死んだとしてもあるわけです

『MUSICA8月号 Vol.136』より引用

(前略)

■(“シリウス”について)これは転調してサビが来るという非常にテクニカルな、でも自然とスッと入ってくるメロディなんですけど、そこの部分で歌われてる言葉には非常に根源感がありますけど、そういうところに至ったのはどうしてなの?

「これも日頃思ってるんだよね。最近特に思うことってわけではなくて、きっと大昔の曲を引き合いに出したとしても同じことが言えるし」

■簡単に解決できることを思ってるわけじゃないから永遠に追求していくことになる、と。

「うん、だと思います。僕は『今、僕はこれを歌うべきだ』みたいな使命感とかテーマみたいなものを持って制作活動をしてるわけではなくて。これは昔から言ってることだけど、童謡が作りたいなというか。童謡っていっても<さいた さいた チューリップのはなが>みたいな曲を作りたいってことではなくて……だから童謡だとちょっと言葉は違うと思うんですけど。要は普遍的なものを作りたいなっていうことだと思うんです。1年後だって20年後だって人間は持ってるわけじゃないですか。それと同じように10年前だって20年前だってほとんどの人があるわけじゃないですか。曲にもそれがあるなと思っていて。たとえば僕は16歳か17歳の時に“ガラスのブルース”って曲を作りましたけど、それって20年以上前なんですよ。あの曲には20年以上前があるわけで、そう考えると20年以上先もあるわけですね。たとえ僕が明日死んだとしてもあるわけですよ。だから『今、俺はこれを歌うべきだ』とか、そういうのは自分にとってはどうでもよくて。でも今この気持ちを曲にして残しておきたいっていう時はあるんです……たとえばツアー中に曲を作りたくなるのもそうで。それってたぶん誕生日に写真を撮る、みたいなことだと思うんです。誰かが誕生日ケーキの前でフーッてやってる瞬間を理由もなく写真撮るじゃん。あるいは富士山の山頂まで登って……僕は10年前くらいに升くんと登りましたけど(笑)、その山頂で写真を撮るみたいな、そういうことに近いと思います」

■なるほど。

「人は理屈じゃなく写真を撮るけど、でも、なんとなく撮っておいたその写真が未来にいろんな情報をくれたりするじゃないですか。その写真が恥ずかしいっていう場合もあるかもしれないし、その写真が凄くその時の自分を奮い立たせる何かになる可能性もあるし、その時の自分を癒やす何かになる可能性もあるし、いろいろあると思うんですけど、僕が曲を作るのもそれに近いかもしれないです。そういうスタンスで曲を作ってるというか。で、そういうスタンスで曲を作ってるから、バンド活動23年目ですけど、20年前に書いた曲と同じような感覚がいまだに出てくるし。だから時代性とか今に対してどうとか全然説明できないんだけど」

■時代性とか今ってものは生きてる以上は入り込んでくるんだけど、モチーフにしてないってことね。

「そうだと思う。ただ、生きてる以上は入り込んでるかどうかっていうのも、ちょっと怪しいかもしれない。時代性をそのひと言で表しちゃうようなものって意識的に避けちゃうんですね。たとえば“記念撮影”という曲を書きましたが、あの時は画像でもなく写真でもなく、『撮影した』という証拠を言葉で表現しなくてはいけないなと思ったんだよね」

■スマホ感を0にするってこと?

「いや、むしろ逆で。スマホの人でも、あるいは自分の親世代とかも……あ、でもウチの母ちゃんは全然スマホで写真見てるか(笑)。要するに、写ルンですを現像して持ってる写真が思い出の写真になってる人もたくさんいるじゃないですか。俺の世代のヤツらが高校生だった時の思い出は全部、フィルムで撮った紙の写真で残ってるだろうしね。だから、スマホでも写ルンですでもなく、ただ『撮影した』っていう行為を言葉にしないとダメだと思ったんだよね。時代性を限定しちゃうような作りにはなるべくしたくないなっていうのがあって」

■誰にとってのツール、誰にとっての生理に対してもちゃんと肯定してあげられるような曲にしたかった。

「そう。だからそれが、曲って20年前もあるし20年後もあるんだっていうことで。曲もちゃんと生きてるからさ。撮ったけどそのままタンスにしまって忘れられてる写真みたいに普段は忘れられてても、誰かの記憶に残ってて、いつか引っ張り出して聴いた時にどんな機能をするかっていうのは凄く大事なことだと思っていて」

(続きは本誌をチェック!)

text by鹿野 淳

『MUSICA8月号 Vol.136』