Posted on 2016.05.18 by MUSICA編集部

04 Limited Sazabys、溢れ出る意志と衝動を詰め込んだ
シングル『AIM』を発表。
さらなる飛翔に向けた闘志の根幹をGENに問う

それこそ仲間のバンド達の活躍とかを見て、
自分の力とか自分の内側を見つめることは凄く多かったし、
<死にたくなるほど 負けたくないから>っていう言葉が出てきた時に
「ああ、俺って悔しいって思ってたんだ」って実感できたんですよ

『MUSICA 6月号 Vol.110』P.84より掲載

 

■フォーリミにとっての伝家の宝刀、つまり2ビートど真ん中の“climb”という曲を先頭に置いて、真っ向勝負にきたシングルです。収録された4曲ともメロディが抜けているし、特に言葉が直接的で強いと感じたんですけど、GENくん自身は、どういう感触を持っている作品なんですか?

「前回の『TOY』が秋のリリースだったのもあって、しっとりとした曲が多かったし、珍しいくらいちゃんと歌を歌う作品で。だから今回は初夏のリリースだし、夏らしく直球で、まさにフォーリミの伝家の宝刀を抜いた作品にしようと思ったんですよ。で、アレンジも、ある程度いろんなことがきるようになってきた今こそシンプルなものにしようって。“climb”のイントロのギターも、最初はHIROKAZが結構凝ったものを弾いてたんですけど、『もっと3コードくらいで、簡単でベタでもいいんじゃない?』って話して今の形になって。……でも僕らって、振り返ってみるとシンプルにしていくことが怖い時期もあったんですよ」

■それは、自分達の音楽的な引き出しをどんどん増やして、どんどん開けて、それによってメロディックパンクシーンに括られない大きな枠で活躍するんだっていう意志があったが故だし、その中で自分達自身でも新たなフォーリミ像を確立したいっていう想いもあったからですよね。

「そうですね。だけど、今の俺らがやる直球だからこそ新しく聴ける人もいるだろうなって思ったんですよ。それこそ特に“climb”みたいにベタな2ビートとかは、『昔の俺らでもできるじゃん』みたいなところがあったんです。でも、今は『来そうな時に来てくれる気持ちよさ』みたいなスカッとした気持ちよさに素直になっていいと思ったんです」

■逆にいうと、それくらいシンプルかつ直球でいいと思えたのは、今のフォーリミに対してどういうものを自分で感じられたからなんですか?

「うーん……自信がついたんですかね? たとえば、ギターのミュートひとつとっても、ド新人のメロコアバンドがやるのと(横山)健さんがやるのとでは、まったくカッコよさが違うじゃないですか。重みがまったく違うというか――そういう意味での影響力や、人間として成長できてきたっていう重みを今の自分達自身に感じられたのが大きいんだと思いますね。ドラムとかも、こんなにシンプルな2ビートだけど、明らかに以前よりもドッシリとしたと思うんです。そうやって出したいものをストレートに出していけば大丈夫なんじゃないかなっていう自信があったんだと思います」

■たとえば、先月取材させてもらったYON FESは、フォーリミにとっての夢の実現でもあり、タームとしては一旦の区切りだったと思うんです。ここでいうタームが何かって言うと、日本語も取り入れて、音楽的にも自分達4人が持っている引き出しをドバッと開けて、それまでのメロディックパンクシーンから抜け出してフォーリミだけの立ち位置を掴みにいった『sonor』からの3年くらいの道のりなんですけど。

「ああ、確かに僕も、そういう感覚はありましたね」

■そういうここまでを振り返った時に、獲得できたものはどういうものだと実感できて、一方で、これから得たいものは何だと思ったんですか?

「難しい質問きたなぁ(笑)。でも、実際にYON FESで自分達のこれまでを振り返ることがありましたけど、まだまだ足りないものばっかりだなっていうことのほうを強く感じたんです。それこそYON FESに出てもらった同世代のバンド達を観てても、俺らよりも表現力があるし、俺らよりもいいライヴやってるし――俺らよりも凄い人ばっかりだなあってことを痛感したんですよ。なおかつ、そういう気持ちがそのまま出たのが“climb”だと思うんですよね(笑)。いろんな同世代のバンドが嫉妬させてくれたおかげでドバっと出てきた歌だと思います。で、そこで改めて、自分の世代のバンドはみんな少しずつ違う位置で自分達だけの方法を掴もうとしている人達ばっかりだなと思えましたし、だからこそ、その中で自分達がシーンの中心なんだって示したい気持ちが強まりましたし。それはそのまま出ちゃった作品だと思いますね」

■そうですよね。<もっともっと行ってみる?><信じなきゃなあ>っていう、今までにないほど直接的で言葉が強い歌になっていて。今までの、メロディや音の重なりと共に情景を描いたり想像力を喚起させるような歌詞とは少し違って、ここにあるのは「意志」で。それがズバッと聴こえてくるのがこの曲の強さとしてまずあるんじゃないかと思ったんですよ。

「<信じなきゃなあ>っていうのはまさにそういう言葉ですね。やっぱり、YON FESを象徴にして、僕らよりも04 Limited Sazabysのことを考えてくれたり、思い入れを持ってくれていたりする人のことを尊いって思えたのが大きいと思うんですよ。こうして自分達を愛してくれている人達がたくさんいるって感じたら、今度は何よりも僕達自身が僕達自身を信じなきゃなって……何周も何周もバンドに向き合って、自分達の人生を乗っけてきましたけど、今のこの状況や、やってきたことを信じて進まなくちゃなって思ったんですよ。だから、今回の4曲とも、YON FESが間近になった2月から3月くらいに出てきたものなんですけど――」

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text by矢島大地

『MUSICA6月号 Vol.110』

Posted on 2016.05.18 by MUSICA編集部

SUPER BEAVERの強靭なる到達点『27』。
ロックにも生きることにも正面から立ち向かう、
そのすべてを渋谷&柳沢と語り尽くす

自分達の過去の見え方を自分達の今の生き方で変えることができたんなら、
今だって、未来の生き方次第でどうにでも変えていけるんだって思った。
そうやって一切疑うことなく、
楽しいことや喜びのエネルギーを人と生きることで生みたいんだよ

『MUSICA 6月号 Vol.110』P.78より掲載

 

■この前の4月10日には、バンド結成10周年〆のZepp DiverCityがパンパンに売り切れました。それから、1月から3月までの連続シングルも、リリースするたびにチャートアクションのベストを更新して。ビーバーを取り巻く熱の高さがいよいよ目に見える形になってきたと思うんですけど、この状況と一気に吹いた追い風は、ご自身ではどう捉えられてるんですか。

渋谷龍太(Vo)「凄く調子に乗ったような言い方をさせてもらえば、こういう状況になってもおかしくないな、っていうのは、去年『愛する』っていうアルバムを出したくらいから、なんとなく感じてたんだよね。自分達の音楽が人に届くための準備はちゃんとしてきたな、っていう気持ちにはなれていたんだよね。だから、凄く地に足の着いた状態でこの状況も喜べてる感じがするんだけど」

■「人の耳に自分達の音楽が届くための準備はしてきた」と話してくれたけど、言い換えてみると、そこで積み上げてきたものが今のビーバーの核になっているものですよね。それはどういうものなんだと思いますか?

渋谷「結構漠然としたものだと思うんだけど――いろんな人に助けてもらってきた、人から与えてもらうものが大きかった、っていうことをずっと大事にして、それを音楽にしてきた部分にあるんだと思う。バンドとして何かを発信したい、っていう想いになれるのは、結局はそうやって人に何かを与えてもらってきたから、っていうところに尽きると思っててね。散々与えられてきたバンドだし、メジャーから離れて自分達で始めたところからたくさん手を差し伸べられてきたバンドだから。それに気づける/気づけないっていうのはあるけど、そういう『人』を取りこぼさないようなアンテナだけはずっと敏感にしてきたバンドなんだと思う。人に対しては絶対に真摯でいたい、だとすればいちいち感謝もしたいし、いちいち共に喜びを感じたいし、っていう欲がどんどん生まれてきて。じゃあそれを何で成し遂げられるのかって考えたら、俺らには音楽と歌しかないから」

■なんでこういう質問から始めたかっていうと、今回の作品には、たくさんの人と共に歌いたい、たくさんの人と自分の意志を表現して生きていきたい、たくさんの人と感情を共有したい、っていう欲求が溢れている曲が多いなと思ったからで。シンプルに言えば、初めから曲の中にたくさんの人がいるような熱があるし、これまでの作品で一番アッパーかつ解放感のあるメロディ・歌・リズムがたくさんの名曲になっている作品だと思ったんですが。ご自身では今作をどういうふうに捉えてるんですか?

柳沢「そうだな……今のぶーやん(渋谷)の話もすべてこれに終始すると思うんだけど、『誠実さ』っていう言葉に終始する作品だなっていうのは思う。『誠実さ』っていうのは真面目くさった言い方だけど、それが、生きる上でも、音楽を作る上でも、俺らの思う『カッコいい』の基準でね。簡単に言ってしまえば、真正面から真剣に接してくれる人をカッコいいと思うし、逆を言えば、俺達も人に対していちいち真剣で在りたいと思わせてもらってきたんだよね。だから、真剣に生きている人に対して誠実に向き合いたい、っていう気持ちをちゃんと曲にしたいと思った。それが、このアルバムを作るに至った一番の核にあるものだと思うんだよね。ライヴにおいてもそうだし、どんな音楽のジャンルでもそうだし、どんな仕事をしてても同じだよね。そこにある真剣さに対して、人として誠実に生きていたいっていう想いが、ずっとビーバーの真ん中にあるものなんだと思う」

■きっと「真剣さ」っていう言葉の意味は人によって全然違うっていうことも承知した上で訊くけど、柳沢くんや渋谷くんにとっての「真剣さ」っていうのは、人のどこに宿るものだと思うの?

柳沢「それは、自分の生き方、自分の発言、その全部にちゃんと責任を持ててるかっていうことなんだと思う。無責任にしゃべること、無責任に人と接することは誰にだってできるだろうけど、ちゃんと自分に責任を持ってしたことなら、しくじった時にも『ごめんなさい』『でも、なんとか盛り返したいと思ってます』って人にも心から言えると思うんだよ。逆に言えばさ、責任がとれないっていうことがわかっちゃってるから、先にふざけたり茶化したりして、後で『冗談だったんだよ』って言えるような防衛線を張ったりすることが人にはあるじゃない? でも、そうじゃねえよなって。そこに『責任を持つ』っていう想いがある繋がりこそが真剣なものだと思ったし、そういう繋がりで人と一緒に生きたいって思った。そこから、『大人』と『責任』っていうテーマが出てきて、それが根底にあっての作品が、この『27』だと思うんですよ」

■そのテーマは、SUPER BEAVERとして重ねてきた作品・活動で考えたら、『愛する』以降を考えたところから始まったの?

柳沢「そうだね。あの作品で<あなたが愛する全てを愛する>って歌った以上は、もう人に対して何ひとつ無責任ではいられないって思ったし、人と人を音楽にすることを突き詰めていったら、自分達がカッコいいと思う生き方をとことん音楽にしたいと思ったんだよ。『こういう人になりたいな』と思える人と出会ってきたことで、『こう在るべきだ』って歌う以上に『我々はこう在りたい』っていう憧れみたいな感覚が曲になってきた気がしたし、そういう人との関係を大切に守れるバンドになりたいとも思ったんだよ」

渋谷「……きっと昔なら、『守る』っていうことが怖いと思う瞬間もあったと思うんだけど。だけど今は、それだけカッコいい人達がたくさん俺らの周りにはいるから。それが、どうしたって崩れないような強みになってると思えるんだよね」

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text by矢島大地

『MUSICA6月号 Vol.110』

Posted on 2016.05.18 by MUSICA編集部

ART-SCHOOL、その本質を改めて提示する
新作『Hello darkness, my dear friend』。
木下理樹の深淵に切り込む

僕は音楽をやっていて幸せになることは、まずないと思う。
でも、やらざるを得ない、やらなきゃ死んでしまうからで……
僕が救われることはないけど、聴いてくれる人が救われることがあるなら、
そのためだけにやり続けるんだって、そう思って生きてきたんです

『MUSICA 6月号 Vol.110』P.102より掲載

 

(前半略)

■今回のアルバムは素晴らしいです。まず、前作の『YOU』より音がさらによくなってるよね。これは何が作用してこうなったんですか?

「前回が集大成みたいな作品だったと思うんですよ。で、集大成みたいな作品を作った後って、ないわけじゃないですか」

■集大成っていうのはひとつの終わりだからね。

「そうそう。そこで次に何をやるかを考えた時に、今のメンバーで轟音みたいなことは結構やってきたから、静かなほうっていうか、メロディアスで繊細な音楽性に寄せていったらどうなるのかな?っていうのは、始まりの段階からひとつありましたね」

■それは、バンドの音としてだけじゃなく、たとえばソングライターとして、あるいは歌唄いとして勝負したかったとか、対シーンということを考えた時にそういう音楽性がいいんじゃないかとか、なんらかのことが頭の中にイメージとしてあったんですか?

「休んでる間に自分が聴いている音楽がいろいろ変わっていったんですよ。いわゆるJ-POPみたいなのはあんまり聴かなくて、クラシックとか、The Beach Boysとか近年のジョン・フルシアンテとかをよく聴いてて」

■っていうか、今まではそもそもJ-POPとか聴いてたんだ?

「聴いてますよ! というか僕、MUSICAで毎月レヴューも書いてるんですから、聴いてないわけないじゃないですか!(笑)」

■あぁ(笑)、シーンを俯瞰しないとレヴュアーにはなれないですからね。失礼しました。ということは、今の話は、休止期間中に敢えて1回シーンとの関係をシャットアウトして、静かな世界の中に行ったって感じなの?

「………そもそもを考えると、初期のART-SCHOOLっていうのは綺麗なアルペジオとか美しいメロディで勝負してたと思うんですよ。あと、止むに止まれぬ衝動とか。つまり、轟音というものをあまり求めてなかったはずなんですよね。だからここで1回、改めてそういうものを録ってみたいなっていう欲求はありましたね。じゃないと集大成みたいな作品である前作を超えられない、別の視点から考えないとしょうがないと思って。そこにプラス、無意識的に休んでた時に聴いていたクラシックとかThe Beach Boysの影響も出てきてるのかなとは思うんですけど」

■The Beach Boysは、要するに『Pet Sounds』みたいな静かに狂って彼岸に向かってゆくようなサイケデリックな方向性?

「そう。今さらですけど、『Pet Sounds』ってどうやって作ったのかな?っていうのを構造的に理解したいと思って聴いてた。クラシックで言えば僕はシューベルトが好きなんですけど、そういうのも構造的に理解したいなと思ったし。ジョン・フルシアンテもそうなんですけど」

■その「構造的」っていうのはどういうことなの? 『Pet Sounds』、シューベルト、ジョン・フルシアンテに共通項があるとすれば、それは彼岸的であるってことだと思うんだけど。そういう観念的なものを、ちゃんと改めて音楽的に解釈したいと思っていたということ?

「というか、音楽的に解釈できるスキルを持ちたかったっていうのはありますよね。ただ単純に音楽に惹かれたっていうのもありますけど、それをもっと言語化できないかな?っていうことをやってましたね」

■そこでどういう位置づけや結論が生まれて、このアルバムへと結実していったんですか?

「今回は、結構ひとりでプリプロダクションをしっかりやって、8割ぐらいの高い完成度でみんなに渡したんですよね。つまり――」

■アレンジまで含め、バンドでやる前に自分でかなり構築したんだ。

「そうです。1回家で作って、さらにひとりでスタジオに入ってエンジニアさんと一緒に作って。そこまでやったデモを渡して作ってるんで、より自分が出てきますよね。そういう自分ひとりの世界とバンドサウンドをどう混ぜ合わせるのかっていうのがテーマではありましたね」

■今作の紙資料に「今の状態でのART-SCHOOLのデビューアルバムを作ろうと思った」という理樹の言葉が引用されていて。デビューアルバムって、絶対に2回作れないじゃない? 活動休止してもう1回出てきたからって作れるものじゃない。それは批評家である僕よりも、アーティストである理樹自身のほうがわかってることだと思うんですよね。

「うん」

■ということは、この作品をデビューアルバムのつもりで作る、つまりもう1回衝動を取り戻すっていうのは、自分にとってどういうことだったのかを教えてもらえますか。

「活動休止して、自分でレーベル(Warszawa-Label)を立ち上げたわけですよね。で、最初はDVDを作ったんだけど、その次にフルアルバムを作ろうと思って。それって、デビュー盤作ってるみたいだなって思って」

■……ごめん、つまりどういうこと?(笑)。

「(笑)。新鮮な空気でやりたかったっていうのはあるし、やっぱり以前は意外と気を遣ってた部分もいっぱいあったんですよね」

■それはレーベルやマネジメント含め、あらゆる自分の周りにいる人達に対してっていうこと?

「うん。でも、自分でレーベルを作って自分でマネジメントすることになって、そういうのが全部フレッシュな状態に戻って。もちろん鹿野さんが言うように二度とデビュー盤は作れないんだけど……でも、今回は『これはデビュー盤ですよ』っていう想いが強かったんです。前回集大成みたいなのを作ってしまったってこともあるし、成熟したものももちろんあるんだけど、それを見せつけるんじゃなくて――ちょっと言い方に語弊があるかもわからないけど、もっとみっともないというか、『これが自分なんですよ』っていうのをちゃんと提示したいなと思ったんです」

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text by鹿野 淳

『MUSICA6月号 Vol.110』

Posted on 2016.05.18 by MUSICA編集部

復活を果たしたHEY-SMITH、
渾身の傑作『STOP THE WAR』リリース!
そのタフなポジティヴィティを猪狩に問う

みんなで楽しむだけやったらSMAPのコンサート行きますよ。
絶対楽しいですもん。
でも、バンドはそういうことではないっていうことです。
生き様が音になってる様を見てると感動するし興奮する。
楽しいの向こう側なんです

『MUSICA 6月号 Vol.110』P.72より掲載

 

■本当に素晴らしいアルバムです。メンバーの脱退と活動休止、オーディションから始めた新メンバーでの復活と、前作から3年の間に困難もたくさんあったと思うんですが、そのすべての変化がプラスのベクトルになってこのアルバムに結実していて。時代も世代も越えて響くべき強くて大きなロックアルバムだなと思うんですけど。

「あ、そのロックアルバムだっていうところは意識しました。だからそう言ってもらえるのは嬉しい。まさにそれをメインテーマにしてたんで」

■猪狩さん的には手応えはどうですか?

「めっちゃええのできたと思ってますよ。毎回アルバムの時は思うんですけど、それにしても今回はいいんちゃうかなって思ってます。みんなで合宿してる時も、『この1枚がこの後10年くらいの人生をずっと引っ張っていくものになるから』みたいな話はずっとしてたんですけど、それくらい我々にとってめちゃくちゃ大事なアルバムができたと思ってるし」

■メッセージがより明確かつ強い形でサウンドにまで結実していることもそうだし、今までよりも幅と厚みが広がった音楽的な進化もそうなんですけど、飛躍と深化の両方を果たしてるアルバムですよね。なんでこんな作品ができちゃったんでしょうね?

「なんでですかね? そこはやっぱり、才能なんでしょうね(笑)」

■(笑)。やはりメンバーチェンジも大きかったんですか。

「でも、結構いろんな時期の曲があるんですよ。1年間バンドをお休みしてて、その時にひとりで作っていたものもあるし、新しいメンバーに出会って、そのメンバーの色を感じてから作った曲もあるんで。……とにかく今回は曲数をめっちゃ作ったんですよ。曲だけでいったら30曲ぐらいあって、その中からテーマに当てはまるもの――今の時代に対してだったり、今自分が言いたいことに一番当てはまるものを選んでいったので。だからどの方向のアルバムも作れたと言えば作れたんですけど、こういう方向にしたかったっていうのが大きかったと思います」

■ということはつまり、今回の音楽性がその幅もスケールも以前のHEY-SMITHより増大させるものになったのは、このメンバーになる前からめざしていたことだったんですか。

「ひとりで作ってる時から思ってましたね。で、みんなが集まってから余計にそう思ったっていう感じで。前のHEYの延長上だけのものにはしたくなかったんですよ。それはもう休んでる時から、次は別のメンバーだから全然違う作品でいいやって思ってたし、その上で、誰が聴いても共有できるロック感っていうのがメインテーマとして考えてたんで。大きい意味でのロック観というか………もちろん精神的には今も変わらずパンクなんですけど、でもパンクだけじゃない、EDMとか演歌が好きな人が聴いても『いいやん!』って思えるロック感みたいなものってあると思うんです。たとえば俺だって、ロックとかパンク好きですけど、逆に演歌とかEDMとか全然違うのを聴いても『これはカッコええ』って思えるものもあるし。ライヴにしてもそうですけど、自分が普段は全然聴かないようなものでも感動できることもある。で、そういうところに行けるようなアルバムにしたいな、みたいな気持ちは凄くありましたね。俺らのこと好きなヤツにはもっと好きになって欲しいし、関係ないヤツにも響くような大きいものにしたかった」

■それはメンバーが切り替わるっていうこと以外にも、たとえば前作までの活動でHEY-SMITHとして一旦行けるところまで行ったような、ある種の達成を感じたからこそ、次の段階としてもっと大きな場所に打って出るべく音楽性を広げていったところもあるんですか?

「いや、達成感みたいなもんは全然ないです。……俺はあんまり変わりたくはないんですよ。根底には昔も今もずっとパンクがあるし。ただ、パンクを突き通すために、変わらないために変わらないといけない時が来ているような気がしてて。自分の持ってるパンクというものをしっかり伝えるために、いい意味で変わって、このパンクをしっかり伝えることが必要やと感じたっていうことだと思います」

■「パンクを貫き通すために変わらなきゃいけない時が来てる」っていうのは非常によくわかるんです。それは特にここ数年多くのパンクバンドが肌で感じていると思うし、実際Ken YokoyamaやBRAHMANの最近の作品はそれを実践していってると思うんですけど。猪狩さん自身は、周りの状況だったり世の中のことを見ていてそう考えるようになったのか、それとも、ご自分が表すべきもの、表したいものを考えた時に、こういう音楽的な変化を必要としたのか、その辺はどうだったと思いますか。

「両方あるんじゃないかと思いますね。周りにパンクバンドが減ってるように感じてるのは間違いなくあるし、自分の気持ちとしても、たとえば『STOP THE WAR!』って気持ちがバコーンって強くなってる中で、それを白黒のMVでギャーッみたいにやってても、それだけでは伝わらない感じがするし。だから、そういう精神的なメッセージを伝えるためにも、変わらないといけないっていうのは考えたんで。……まぁでもやっぱり、今ってこういうメッセージをはっきり言うパンクバンドがいないなっていのはどうしても思いますよね。みんな肩組んで『イェーイ! 四つ打ちやっとけ!』みたいな感じで、なんか気持ち悪い。そういうのが嫌やったです」

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text by有泉智子

『MUSICA6月号 Vol.110』

Posted on 2016.05.17 by MUSICA編集部

NICO Touches the Walls、
10年越しの想いを花開かせた大阪城ホール公演を
徹底レポート&インタヴュー!

その感情を燃やし尽くし、その想いを轟かせ、
彼らにしか鳴らせない音楽を、彼らにしか描けない景色を、
遂に大きく、大きく解き放った感動のステージ――
ターニングポイントたる名作アルバム『勇気も愛もないなんて』と
ツアーの中で確かなる覚醒を果たしたNICO Touches the Walls、
その証たる大阪城ホール公演レヴュー&インタヴュー!
さあ、NICOの飛躍は、まさに今ここからだ!!

『MUSICA 6月号 Vol.110』P.58より掲載

 

 NICO Touches the Walls、初の大阪城ホール単独公演「渦と渦~西の渦~」。1月8日に行われた日本武道館公演「渦と渦~東の渦~」と対をなすスペシャルライヴで、元々は昨年の12月に予定されていたが、古村の骨折によって5月6日に延期になっていたものだ。

 ご存知の通り、その間にNICOは紛うことなき最高傑作にしてターニングポイントとなるアルバム『勇気も愛もないなんて』を完成させて世に放ち、3~4月にはそれを掲げてのツアーも周った上で、この日の大阪城ホール公演に挑むことになった。つまり、NICOというバンドの歴史にとって非常に重要な期間であり、彼らがバンドとして著しい覚醒と飛躍を遂げた期間であったこのタームの締め括りを飾るステージとなった本公演は、本当に結果論だけど、彼らにとってもお客さんにとっても一番いい形での初の城ホール公演となったと思う。4月24日に行われたZepp DiverCityのツアーファイナルも観に行ったのだけど、そのライヴが間違いなくNICO史上のベストライヴだったと言えるほど素晴らしい――というか凄まじいと言っていいほどの出来栄えで、アルバム制作とツアーを通して果たして獲得したものの大きさに心の底から感動と感嘆を覚えたのだけど、そんなファイナルからまだ2週間後という脂の乗り切った状態で臨んだこの日のNICOは、あのファイナルとはまた別の意味をも孕む素晴らしさを体現していた。これは断言してもいいが、当初の予定通り昨年12月に開催していたら、城ホールという巨大な空間をこんなにもエモーショナルかつ音楽的で、そして飾らない自信と愛に満ちた感謝で溢れさせるライヴをやることはできなかっただろう。その感動は、別に古村の骨折からのリベンジストーリーとしてのドラマ性からくるものではなくて(それも多少はあったかもしれないけど)、この半年の間にNICOというバンド自体が自身と自らの力で遂に開かせた大輪の音楽がもたらしたものであり、さらに言えばここに至るまでの“ローハイド”からの3年間の旅――いや、10代で結成してから実に12年という長きにわたる旅の中で、彼ら4人が自分と音楽とバンドを見つめ続け、取っ組み合い続け、試行錯誤し続けた、その闘いの確かなる成果としてもたらされたものだ。

(中略)

 終演後、バックステージでやり切った達成感と共に満足げな笑顔を浮かべる4人とインタヴューをした。彼らの飛躍は、ここから始まるのだ。

 

■終わったばかりですが、どうですか?

光村龍哉(Vo&G)「うん、もうやり切った(笑)。ホッとしてるっていうのが一番かも」

坂倉心悟(B)「ひとまずのゴールは迎えられたかなっていうのはあるよね」

光村「図らずもツアーファイナル的な気持ちもあったしね(笑)」

■次がちゃんと見えたんだ。というか、延期でたくさんの人に迷惑をかけただろうけど、結果的に今日が城ホールでよかったと思った。アルバムツアーのファイナルもZepp DiverCity観に行って、あれが本当に素晴らしかったんだけど――。

光村「Zeppよかったでしょ?(笑)」

■あれは間違いなく今までのNICOで一番よかった。で、やっぱり『勇気も愛もないなんて』を出してツアー回ったことで覚醒も成長もしたし、その一番脂が乗ってる状態で城ホールに臨めたっていうのは、結果的に凄くよかったと思う。待ってた人も待っただけの甲斐があるライヴだったよ。

光村「そうですね。大阪って自分達にとってはやっぱりアウェーでもあって。東京のバンドだし、大阪って自分達の土地を愛する精神が凄いから。だからここまで、その人達とどうコミュニケーションを取っていくのかの歴史だったんですよね」

■10年前に梅田のシャングリラで大阪初ワンマンをやった時から。

光村「そう。あれから10年ずっとやってきて、今の自分達の『これ以上は出ないんだ』っていうぐらいのやり切りを大阪で残せたのは凄くよかった。同時にこの3年くらいのモードに1個区切りがつけられた達成感もあるし、充実感もあるし」

■達成感と共に、始まりの夜って感じは強くしたけどね。本領発揮したNICOがここから始まっていく、その場所にやっと立てた実感がありました。

光村「俺らとしてはこの3年、『この球を信じよう』って思いなが目の前にいるお客さんに投げ続けてきた感じはあって……だから自分達としてはどっちかっていうと、『やっと見てもらえた』って感じが強いかな。もちろんそこから始まるっていうのもあるんですけどね。ただ、ある種この城ホールで自分達の信じてきたものを証明したっていう、凄い勝利感があるんだよね」

■それは凄くよくわかる。

光村「だからお客さんにもそう思ってもらえて、今日を楽しんでくれたらよかったなって思うし。あと今日はスキャットもキレてたし(笑)」

古村大介(G)「長かったねぇ(笑)」

対馬祥太郎(Dr)「今までで一番長かった(笑)」

■というかあのスキャットはゾクゾクした。

坂倉「でも、その始まり感っていうのは俺も共感できますね。ほんとさっき言ってくれた通りで、自分達としても脂の乗った感覚でできたのは凄くよかったと思うし。大阪って普段はツアーの序盤にやることが多いので、それをこの土地の人と共有できたのはよかったなって」

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text by有泉智子

『MUSICA6月号 Vol.110』

Posted on 2016.05.17 by MUSICA編集部

KEYTALK、2ヵ月連続シングルで攻勢へ!
バンドのメカニズムを解き明かす全員ソロインタヴュー

Interview with 首藤義勝――
原動力はコンプレックスが大きいかな。
小っちゃい時から運動が苦手だったり、背が低かったり……。
その分自分が胸を張ってできることがあって、
そこから音楽が楽しいっていう感情が芽生え始めました

『MUSICA 6月号 Vol.110』P.50より掲載

 

■首藤くんは、今までずっとシングルの表題曲を書いてきたじゃないですか。これって、ご自分としてはどういう感覚なんですか?

「その都度その都度どの曲を表題にしようか話し合って決めるので、今まではたまたま僕の曲になってたんですけど、そういう流れでずっと続いてきてて。そういう表題曲であったりアルバムのリードって、どうしても表舞台に出ていく曲なので。その分気合いも入るし、曲に対する思い入れも強くなりますね。KEYTALKは、一応全員が作詞作曲できるバンドって言ってるんで、これからもその都度しのぎ合いになっていくと思うんですけど……負けない曲を作りたいって思ってます。自分で言うのもあれなんですけど、ポップセンスみたいなのは自分の武器だと思っていて。そこは失いたくないなっていうのはありますね」

■今話したメロディとポップっていう部分って、和音というより音階――簡単に言うと、歌メロの話だよね。さらに言うと、首藤くんの曲の歌メロから聴こえてくるこのセンチメンタリズムは、KEYTALKのアンセムの最大の売りであり、その涙は楽曲をメイクアップさせてる最大の化粧品じゃないかと思うんですけど。

「そうですね。僕もセンチメンタルな部分は必ず織り交ぜていきたいと思っていて。ただ単純に和風なメロディというか、何個か音を抜いた音階みたいなシンプルなメロディってあるじゃないですか。それもキャッチーなメロディを作る上では必要だと思うんですけど、そこだけで終わりたくないんですよね。そこから自分らしさを織り交ぜるとしたら何かって言ったら、日本人の琴線に触れるようなセンチメンタルなメロディをつけ足していって、結果『義勝節』みたいなものを作っていきたいなって思ってて」

■今回の表題曲“HELLO WONDERLAND”は、その首藤くんのセンチメンタルなメロディが勢いよく出た曲だと思うんですよね。一方のシングル『MATSURI BAYASHI』のCW“boys & girls”に関しては、よりシンプルな構成によってさらにセンチメンタルな部分が前に出てきている曲なんですけど。

「そうですね。このタイミングで2作連続シングルを作るってなった時に、このふたつの曲を作れたのはよかったかなって思ってて。自分達が持ってる武器の両翼をどっちも見せれたかなって思います。勢いだけじゃないっていうか」

■具体的にどういう音楽から影響を受けたんですか?

「影響はやっぱり……僕、サザンオールスターズが凄い好きで」

■あ、首藤くんが桑田さんオタクだったんだ。去年(VIVA LA ROCKの)J-ROCK ANTHEMSの時に“勝手にシンドバッド”をカヴァーしてもらった時に、「任せてください、うちには桑田佳祐研究家がいますから」って言われてて。

「あ、その節はありがとうございました(笑)。あとThe Beatlesもそうですし、Carpentersとかユーミンとかもそうですね。親がそういう音楽を聴いてたっていうのもあって、子供の頃から無意識のうちに耳に馴染んでたんですよね。それが自然と自分の武器になって今アウトプットされてるんじゃないかなって思います」

■凄く合点がいくね。たとえば、桑田さんの作る曲とジョン(・レノン)とポール(・マッカートニー)が作る曲って、やっぱり重力があるし、根が暗いと思うんですよね。で、ユーミンとCarpentersの曲って、悲しみも含めて涼しげでドライなものに聴こえる。首藤くんの作る曲には、この両方の感覚がありますよね。

「なるほど、そこは自分では気づかないんですけど……でも、そういうところが出せてたらいいなとは思ってます。桑田さんの書かれる曲って、桑田さん自身が持ってるヒューマンスキルみたいなものも含めて、重力みたいなものが生まれてますよね。まだその域にはとてもじゃないけど達せてないんですけど、大御所の方のバンドのライヴとか観てると、出囃子が鳴って、ステージにメンバーが出てきた時に、すでに凄みみたいなものが出てるじゃないですか。まずバンドとしてそういうバンドを目指していきたいっていう目標もありつつ、書く曲も然りで、首藤義勝が書いたからこそ重みを感じるものにしたいっていうか……漠然としてますけど、そこが最終的に辿り着きたい目標だなと思っているんです」

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text by鹿野 淳

『MUSICA6月号 Vol.110』

Posted on 2016.05.17 by MUSICA編集部

ストレイテナー、紛うことなき最高傑作『COLD DISC』リリース!
静かに滾る熱と確信をホリエアツシが語る

僕は今まで「死にたい」って思ったことが一度もなくて。
そんな自分が「あぁ、今は絶対に死にたくない」って思ったのは、
自分の作品を生み出すことに人生を懸けられるようになったってことなのかな

『MUSICA 6月号 Vol.110』P.42より掲載

 

■本当に素晴らしい作品−−−−名実共にロック界の最高傑作だと思います。

「うわっ。でもわざわざ留守電いただきましたもんね(笑)」

■あはは、ホリエくんがぶらりと旅情に浸っているところに、無駄に熱い留守電を残しちゃいましたね。

「はははははははは、凄く嬉しかったです、あれ。着信見て『あ、鹿野さんかぁ。VIVA LA ROCKで何かやってくれっていうお願いかな?』と思ったんですけど(笑)、全然違った」

■あははははははは。

「まさかのお褒めの言葉だったんで、こっちもビックリしましたよ(笑)。でも、嬉しかったなぁ」

■ご自分の中ではこの傑作(『COLD DISC』)を作って、今、どういう感触がありますか?

「なんですかね……かなり健康的なアルバムだなと(笑)」

■えっと…………何だそれ(笑)。

「過去最高に健康的なアルバムなんですよ」

■それはスムーズに作れたってことで「健康的」って意味なの?

「いや、実は今回って自分の影の部分を出さずに全部の曲が作れたんです。……自分の力をどこまで出せるかってところに今回はテーマがあったんですけど、出すべきものが出せたなって満足感もありますし、そういうすっきりした気持ちで作る切れることって、ほとんどないんですよね」

■凄くストレイテナーの作品だと思うし、ホリエアツシの世界だと思うんですよね。それが健康的な−−−−つまりは、内面をえぐり出したりしないでも自然と湧き出たのはどういうことなんでしょうね?

「…………『ロックアーティスト』ってやっぱり、『内』に入って誰にも理解できないような秘めたものを音楽なり作品にぶつけていくものだと根本的には思うし、実際、自分もそうありたいって思っていた時期もあって。……だけど、今は精神的にも『ロックアーティスト』っていうより『ミュージシャン』っていう部分に自分の重心があるんですよ。なので、自分のエゴに浸るんじゃなく、そのもっと先に届くような曲を作ろうっていうふうに思えていて。そういう状態でシングル~アルバムに向かっていけたんです。特に“NO ~命の跡に咲いた花~”辺りからですかね、音楽家としてどんどん自分の状態を上へ持っていけているような手応えを感じ始めていて。それが自分の中では『健康的だな』って思っているんです」

■「ロック」っていうスタイルの中で自分達を表現していくことは、化学反応っていう名のケミストリーを起こさないといけないってことと格闘してきたことで。でも、そうじゃなくて自分のありのままを音楽に封じ込めるってことができた結果、健康的な作品になったと?

「うん、まさしくそうですね」

■それを僕なりに解釈すると、ホリエくんとバンドが「感動」というものから逃げなくなったんじゃないかなと思っていて。感動とか直情に対するニヒリズムがなくなっていった結果、この作品が素晴らしいアルバムになったんじゃないかなって思うんですけど。

「あぁ、そうかもしれないですね。複雑化することが美徳だって思っていた時もあったんです。だけど、今はシンプルで純粋な姿−−−−誰にも染まってないし、誰にも作れないものがカッコいいし美しいなって思えるようになって。元々、周りに流されないとか、なびかないっていうのが自分のモットーだったりもするんで。それを初期の“ROCKSTEADY”って曲では『情に流されずに僕は前に突き進むんだ』ってことを比喩的に『旅人』だったり『冒険者』ってものに重ねて歌ってきたんです。だけど、今はもっとリアルな人間としてそういうことを伝えていかなきゃなと思っているし、目の前にいる人に対してもそれを伝えていかなきゃなって思ってますね」

■それって表現者としてはかなり大きな変化だと思うんですけど、キッカケみたいなものは何かホリエくんの中であったんですか?

「いろんな要因が重なっているとは思うんですけどね。僕は自分が好きな人に対しては心を開いていきますけど、初めて会った人とかに心を開いていくのって難しいし、それが必要とはされずに生きてこれたし、自分達の周りには本当に好きな人達しかいない環境で音楽活動ができているんで。………でもやっぱり、東日本の震災の時に今まで関わってこなかった人達とも関わって力を出し合っていかないと解決できなかったり、どうしようもない事態があって。そこで出会った人達って、あんなことが起きなかったら出会わなかったかもしれなかったわけで。でも、そういう人達と心の交流をしていると、『それ以前』と『それ以降』の自分ではかなり大きな変化があるなって思うんですよね」

■今、話してくれたことが具体的に自分の作る音楽−−−−作詞なのか作曲なのかにどういうふうに影響を及ぼしたんですか?

「震災後最初は『気を遣う』というか。……言葉選びもそうだし、音楽を作ることにしてもステージに上がるってこと、全部の面において気を遣わなきゃいけないって意識があったんですけど、それが『本来こうあるべきだったのかな』っていうふうに変わってきて。そういうふうに変わることって、昔は凄く内省的なスタンスでやってたから……ライヴでMCしなかったりアンコールをやらなかったバンドが急にニコニコしながらハンドクラップを煽ったりしたら、『あれ?コイツら変わったな』ってなるじゃないですか? でもそういうのも恥ずかしくないなぁって思うんです。変わっていくことは当たり前だなと思って。だから、ここで一気に変わっちゃっていいなって(笑)。もちろん、変わらないものもあるんですけどね」

■今の話を「外的要因」と位置づけましょう。すると、震災が起こった2年後(2013年)に10周年を迎えてますよね。自分達のキャリアとして、ここまで積み重ねてきた確信だとか自信も含めて、そういう気持ちになれたし、それを音楽に表せるようになったこともあったりするんですか?

「ありますね。こんなにも続けてこれたことは確実に関係があると思います。あとは10周年のツアーで全都道府県を周った時に、なんかいつものツアーとは違う感じがして。………何年か振りにストレイテナーのライヴに来てくれて、その間に結婚して子供ができたお客さんがいたりしたんですよ。小さいライヴハウスとかだとガンガンそういう声がフロアから届いてきて『あ、本当に?』みたいなのがあったんです。……10年続けてきたことが間違ってなかったっていう気持ちと、これだけ想ってもらえてるっていう実感も得ることができて。逆に自分達がファンのこと想えていなかった時期もあったりしたんですけど、そういう時代を経てもまだ、こうして愛されているんだなってわかって。そうやって自分とは少し離れたところに『ストレイテナー』ってバンドがある感覚って『いいなぁ、羨ましいな』って(笑)。その頃からバンドの内側−−−−メンバー同士も凄く素直にいろいろと言い合えるようになったんです」

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text by鹿野 淳

『MUSICA6月号 Vol.110』

Posted on 2016.05.16 by MUSICA編集部

indigo la End、『藍色ミュージック』完成。
ラジカリズムと大衆性を独自の境地まで昇華した名作を
メンバー全員で解き明かす

僕のせいでどうしても今は色眼鏡で見られる状態にあるし、
そういう目で見ている人達はindigoのことを知らない人が大多数だと思うんです。
だからこそ、このアルバムによって
ちゃんと硬派に音楽をやってるバンドなんだってことを知ってもらいたいし、
音楽で示していくしかないとも思ってます(川谷)

『MUSICA 6月号 Vol.110』P.34より掲載

 

川谷絵音(Vo&G)「あ、このアルバムの取材、これが初めてだ」

■それがその寝癖に表れてんのか?

川谷「あ、いや、これはまだ起きたばっかりなんで……(笑)」

■第一声インタヴューで、リラックスし過ぎでしょ。

全員「はははははははははははは」

■(笑)遂にできましたね。このメンバーになってから初めてのアルバムになりますけど、そのファーストアルバム感が如実に表れている作品だと思いました。まずは、おめでとうございます。

長田カーティス(G)「ありがとうございます(笑)。去年の10月からこのアルバムを録り始めたんですけど、栄ちゃんが去年の1月から叩き始めて10月にレコーディングが始まるまでの間に結構ライヴもこなしてきて、お互いのいいところ/悪いところがわかり始めてきた時期だったので、みんなで差し引きもできるようになって。僕自身に関しても、今回は自分のツボがわかってきた上で作れたアルバムだったので、そういう意味でも凄く手応えは感じてます」

後鳥亮介(B)「正直、これはもう一生できないんじゃないかってぐらいずっと録ってたんで、やっと完成したなって感じなんですけど(笑)。本当に、この4人でちゃんと作った作品だなっていう感じがしてます。前とは全然作っていく過程も違ったし、歌詞とかも全然違うし、まったく違うものだなって思ってるんですけど。僕、このバンドに入った時はできるだけやってやろう!と思ってたんですけど、栄太郎が入って、彼と一緒にリズム隊としても1個の作品にしなきゃっていう意識が生まれたことで立ち位置がだいぶ変わってきてて。それで戸惑ったことも大変だったこともいっぱいあったんですけど、この作品で答えが出たなって感じがします」

■と言われていますが?

佐藤栄太郎(Dr)「(笑)僕、普段は自分でプレイリスト作って音楽聴いていて、アルバム聴きを全然しないんですよ。そんな僕でも、久しぶりにアルバムを通して聴くことの感動があった作品で。あと、僕からしたら始まりのアルバムなんですけど、みんなからしたら今までを踏まえた最新作っていう位置づけじゃないですか。でも、みんな的にも今までとは全然違うっていう意見もありつつちゃんと最高傑作で、ここから始まるんだっていう感覚があるアルバムになったっていうことが素晴らしいことなんじゃないかなって。そこに凄く感動してます」

■そして、絵音くんはどうですか?

川谷「……今までで一番いいものができたなっていう感想しかないです」

■え、以上!?

川谷「いや、さっき起きたばっかりなので……」

長田「はははははははははは!」

■そこに逃げるな(笑)。

川谷「(笑)。でも本当に、ギター2本、ベース、ドラムっていう編成だと、これが最高レベルの音楽なんじゃないかと自分でも思うくらいのものができたなと思ってて。あんまりこういう音楽って聴いたことないし、完全にバンドとして独自なところに行けたアルバムだと思います。他に形容できないっていうか。音楽的にも優れてるし、かつポップミュージックとしても成り立ってるっていう意味でも、自分がやりたかったことがやっと具体化できたなって。(前作)『幸せが溢れたら』の時はできなかったことが今回できたかなと思います」

■前作の『幸せ~』は「悲しいっていうことはこんなにもセンチメンタルなことだ」っていうことを音楽的に表していたアルバムだと思ったんですけど、この『藍色ミュージック』は「悲しいっていうことはこんなにもエモーショナルなんだ」っていうことを表している作品だと思うんです。

川谷「はい。『幸せが溢れたら』は最初から『失恋のアルバム』っていうテーマを決めて歌詞を書いてたんですけど、今回はテーマを決めずに、自分が書きたいことをその都度書いて。その中で自分の気持ちもコロコロ変わっていったし……だから成長記録みたいなところもあるんですよね」

■実際にそういう詞になってますよね。何曲かは、純粋なラヴソングや失恋ソングっていうよりは、違う次元の歌詞になってるし。

川谷「はい。前向きな歌詞も書いたほうがいいのかなって、自分の中で変わってきてて。失恋の曲はやり切った感があったんですよね。aikoさんみたいにずっとそういう曲を書き続けるのは、僕にはちょっと無理かなって。悲しい歌詞を書いていくと、だんだん自分の気持ちも悲しくなるんで」

■そうなんですか、失恋の歌とかって、書いていけば書いていくほどどんどん客観的になっていくものじゃないんですか?

川谷「そういう時期もあったんですよ。『幸せが溢れたら』の時は歌詞を全然客観的に見れてたんですけど、だんだん客観的に見えなくなってきて。前に桜井和寿さんと宇多田ヒカルさんの対談を読んだことがあるんですけど、桜井さんが『自分が書いた歌詞が本当になった』っていう話をしてて。それに対して宇多田さんも『あるある。書いたらそうなるよね』みたいなことを言ってたんですけど、僕もあるわって思って(笑)。で、スガ(シカオ)さんとこの前呑んだんですけど、『そういうことありますか?』って訊いたら『あるよ』って言ってて」

■スガくんは、ある/ないじゃなくて、自分が作った歌詞に人生を持っていくんじゃないかな。あるんじゃなくて、そこに行きたくなっちゃう。

川谷「ははははは。で、スガさんが言うには『ある人はある』ってことらしいんですよ。それ聞いて、僕は完全にあるほうだったんで、そろそろ幸せな曲を書いといたほうがいいかなって(笑)」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA6月号 Vol.110』

Posted on 2016.05.16 by MUSICA編集部

BUMP OF CHICKEN、バンド史上空前の規模を誇る
「BFLY」密着連載開始!
第1回、ツアー初日・京セラドーム大阪公演

愛しき日々と命、その一つ一つに、
一本一本のマッチで一本一本のロウソクを灯し、
それがスタジアム全体にまで灯せるようになった
稀代のバンドBUMP OF CHICKEN。
初のスタジアムツアー、そのゲネプロと初日に完全密着。
かつてない緊張の中から見えた、変わらない覚悟と一期一会への想い

『MUSICA 6月号 Vol.110』P.22より掲載

 

(前半略)

4月9日 京セラドーム ツアー初日

 

 10時にドーム前駅に着くと、すでに本当に多くの人だかりができ上がっていた。みんな共通しているのは、白いビニールバッグを下げているのと、小さな段ボール箱を持っていること。ちょっとだけおかしな光景だ。

 実はこのビニールバッグを持ちながら何個もの小さな段ボール箱を抱えている人を心斎橋の駅辺りでも多数見かけたので、なんなのかと思い彼らの手元にある段ボール箱の中を覗いてみたら――。

 「ニコル」か。

 フジ画伯がかつて描いた名キャラクター「ニコル」のぬいぐるみが遂にグッズ化され、それを待望していたファンがみんな買い求めているのだ。

 10時30分、メンバー4人が入ってくる。みんな本当にツヤッツヤの顔で入ってくる。名実共に初日っぽい感じがする。「今日の天気よくて、ほんとよかったよな」と増川。「うんうん」とフジ。一通り楽屋を徘徊してから、4人はそれぞれご飯やコーヒーをたしなみ始めた。

「ゆっくり休めたんだけどさ、起きたら起きたで腰が痛くて。ベッドが変わるとダメだね、ふふふふふ」とフジは笑いながら、今回のツアーグッズの青いシャツを羽織った。これもまた、とても初々しい。その横で増川が「いいね、この味噌汁。貝が入っている」と、食事をしながら独り言のようにつぶやいている。その独り言に「貝というか、しじみだけどね」とさらりと返すフジ。

 みんながニコルの段ボールを抱えて街は大変な光景になっていたり、これまた新しいグッズであるガチャポンのピンズの交換会を開いたりしている景色を見た話をすると、フジと増川が反応し「凄いよね。もしかしたらニコル持っている人達って、スニーカーの新作をたくさんの人が買って持っているような感じなのかもね」と、スタジアムの外の光景を想像しながら、ご飯を進めている。

 11時、升が場内パトロールから戻ってくる。「今回、今までで一番サブステージが遠いよね。霞むぐらい遠い(笑)」とみんなに話しかける。そこから「でも、あのメインステージからサブまでボールを投げれるのって、やっぱりプロ野球選手は凄い」だの「しかもミットめがけて投げられるなんてあり得ない」だの、スタジアムでのライヴでなければなかなか出てこない会話をしている。

「いろいろな気持ちだよ。本当にいろいろな気持ちを抱えて今日が来たよ。でもやることはやったって言えるだけのことはやってきたんだよね。もうほんと週3でスタジオ入って、毎回4時間練習してさ。これが本当に楽しくて(笑)、ツアー終わってもずっとやろうねって言ってるんだよね。で、それ以外の日は身体を休めたりトレーニングをして、もうほんとこのツアーのためだけに過ごしきたよ、『20』が終わってからずっとね」と、チャマがわざわざ話をしにきてくれる。「まもなくサウンドチェックです」とスタッフに升が誘われ、ステージへと向かっていった。

 11時50分、「まだいたんだ」と増川を観てつぶやいたフジが(サウンドチェックは升→チャマ→増川→フジの順でステージに入ってゆくのです)、腹に力と空気を込めながら、「あっえっいっおっうっ」と発声練習を始めた。リハーサルへのカウントダウンだ。

 増川はローディーと一緒に機材の細かい確認と出音のニュアンスを、実際にギターをつま弾きながら繰り返している。11時58分、「ヒロさんまもなく」という声と共に、増川がステージへ向かった。フジはさらに喉をゴロゴロゴロゴロと転がしている。ほとんどのツアーに帯同した者なりの個人的な感想としては、この日の4人はまだ今までのツアーの初日以上の緊張感が若干見えるものの、だんだん自分らなりのペースを取り戻しているようにも見えた。何にせよ、緊張しているにしても緊張していないにしても、今の彼らはその状態を受け止めるだけではなく、楽しむ心のスペースを持っている。

 発声練習と共にどんどん鋭くなってゆくフジの声を前に、「ばっちりだね、届くよ」と言うと、「いやまだまだだよ。もっとだよ。まだ(声が)寝てる」とひと言。もう、ライヴが始まるまでの自分の声のカウントダウンもお手のものという感じだ。

「行きますか」とひと言残し、12時15分、最後の男、フジも、ステージへ向かった。

 12時28分、“パレード”からリハがスタートした。ワンコーラスやり、モニターのチェック。ほとんど問題なし。次の曲は2番のAメロまで。さらに次の曲は、1番のサビから2番のサビまで。

 チャマだけが、モニターの音量、音の位相を、細かくいろいろ試しているが、それ以外はもの凄くコンパクトにリハが進んでゆく。そんな中で“宝石になった日”だけは、増川が気になっている曲らしく、頭からやりたいと申し出て、イントロから始まってゆく。

 その後も淡々とリハーサルが続いていく。メンバーはいつも以上に淡々と演奏をするだけだが、ステージ上の演出が「淡々と」という言葉とはあまりにも不似合いなほどのエモーショナルな空間を彩っている。中には本物の宇宙が垣間見えるような、ドームという巨大な円形空間ならではのプラネタリウムみたいなステージ映像があったり、参加型のアトラクション性が高い映像があったりしながら、ステージも音も演出も順調に仕上がっていく。

 12時57分、サブステージへ移動。アコースティック系の楽器から流れる繊細なアルペジオが、音の背骨の線を残しながらも木霊する。改めてこのバンドの音楽性と本質が、スタジアムでツアーする規模に辿り着く奇跡を目の当たりにしていることに気づく。そのことはこの完全密着連載で今後も綴っていこうと思う。

 サブステージでのリハーサル辺りから、4人の表情にも笑顔が増えてきた。昨日は同じ場所を歩いてメインステージへ戻りながら鼻歌を歌っていたフジは、今日は声を張り上げながら歩いている。言うまでもなく喉を開くためだ。と同時に「だからなんだってわけじゃないけど、デッカいなあ! ここからあそこまで何メートルあるの?」と、社会科見学に来た子供のように舞台監督に問いかける質問王子になっている。

 再びメインステージでのリハーサルが再開された。ステージの上をレールに乗ってLED画面が右に左に動き続けたり、何しろ今回の光を中心とした映像演出は、そのからくりに気づかない程スムーズな動きを見せながら、裏側ではかなりラジカルな動きを見せている。

 その後もリハーサルを行う曲は、ほとんどが1コーラスだけ。チャマが話してくれたように、東京での度重なるリハーサル、そして順調に終わったゲネで不安を解消したからこそ、スタッフチェックのためのリハとして割り切り、あとは本番へと温存している。

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA6月号 Vol.110』

Posted on 2016.05.16 by MUSICA編集部

東京スカパラダイスオーケストラ feat. Ken Yokoyama、
無双タッグ、遂に実現!!
コラボ曲『道なき道、反骨の。』で、
その生き様を熱くここに刻む!

新しい常識を作る人っていうのは、最初は非常識なんですよ。
ただ反骨精神だったり不良の心に憧れるっていうよりも、
今は再構築しなければならない時期に来てると思う(谷中)

『MUSICA 6月号 Vol.110』より掲載

 

(前半略)

■では、健くんをヴォーカルに迎えることが決まりました、そこからこの曲ができるまでにどんな道のりを辿ったのかを教えてもらえますか。

加藤「とにかくやりたいことが多過ぎて(笑)」

茂木「そうそうそう(笑)」

加藤「ただ、スカパラってまずはメロディラインの強さで曲を選んでいくんで。だから前からあったメロディの強いものと、健さんをイメージして改めて曲出しをしたものと何曲か出てきた中から、最終的に川上さんが作ったこの曲の原型を発展させていった感じでしたね」

川上「これ、サビのモチーフだけは凄い昔からあったんですけど、落としどころが見つけられなかったんですよ。でも強いメロディだったんで、そこから健さんをイメージしてみんなで肉づけして」

■健くんは、「この曲で行こうと思うんだ」って提示された感じだったの?

Ken「そうですね。谷中さんから途中経過はメールで知らされてたんで、『うわぁ、どんなんになるんだろう!?』ってめっちゃ泣きそうな顔でドキドキしながら待ってました(笑)。で、最終的にはスタジオで初めて聴かせてもらいましたね」

谷中「リハーサルの時に初めて、生演奏で聴かせたんだっけ?」

茂木「そうだそうだ、そうだったね」

■健くん自身は、そもそもスカパラのメロディに対してどんな印象を持っていたんですか?

Ken「スカパラって昔からもの凄くコード使いが難しいんですよ。特に歌モノはもの凄い難しい。民生さんとやった“美しく燃える森”も凄い特徴的なコードだし……メロディはシンプルなんだけど、とにかく多彩なんですよね」

■その「多彩」っていうのは、定説から逸れていくものが多いってこと?

Ken「いや、逸れるんじゃなくて、豊かなんです。知識がないとこうはならないなっていうコード使いなんですよね。やっぱりジャズとか映画音楽とか、いろんな音楽に精通している人の集団だから、そういう人達が歌モノを作るとこうなるんだなっていう――だからただのメロディメイカーじゃないんですよ。しかもそういう人が何人もいるから、中入るまでは『どうなってるんだろう?』って不思議だったんですけど、入ってみたら9人が9人必要な役割というか、全員で作ってるんだなということがわかって。凄いなと思いました」

■実際に曲を聴いてどう思いました?

Ken「まだ歌詞がついてない状態だったんですけど、正直、もうついていくのでやっとでしたね。全員の生演奏で、谷中さんがラララで歌って聴かせてもらって。譜面が置かれてたんですけど、僕は譜面も読めないので結構固まって。でも固まってる場合じゃないから、一生懸命覚えて。で、実は候補として2曲聴かせてもらったんですけど、その2曲が頭の中で混ざっちゃって(笑)」

■あ、候補が2曲あったんだ?

加藤「実はね(笑)。僕らも迷ってたんですよ。どちらも川上さんの曲なんですけど、ひとつは健さんのイメージとはかなり違うどスカというか、オーセンティックなスカの曲で、もうひとつが今回“道なき道、反骨の。”になった、健さんのイメージもインクルードしながら、それをスカパラなりのビートに置き換えた曲で。で、とにかく1回両方とも聴いてもらいたい!っていう気持ちが強くて、どっちも聴いてもらって」

川上「そうね(笑)、イメージ通りのものもアリだし、イメージにないものもアリだよなって」

加藤「そしたら健さんが『どっちもやりたいです!』って言ってくれたんですよ!」

Ken「いや、本当に両方ともめちゃくちゃいい曲だなと思って。だからもう選べなくて、どっちもやりたいっす!って言ったんですけど(笑)」

■今回、もの凄くはっきりと日本語の言葉が響いてくる楽曲で、健くんにとっては初めてのオリジナルの日本語詞を歌う機会になったんですけど。これはどういうやり取りから着地したんですか。

Ken「歌詞に関しては、全部谷中さん任せです」

■健くんもそれを求めたの?

Ken「特に会話もなく、そういう感じでした。谷中さんがもの凄く入り込んでたし、僕も谷中さんの歌詞を歌いたいと思ってたので」

谷中「ずっと英語で歌っている健くんが日本語で歌うっていうのは、お客さんにとっては凄く身近に横山健を感じる瞬間だと思うんですよ。そういう素晴らしい機会をもらったなと思う反面、もの凄いプレッシャーがあって。やっぱりパンク界のヒーローなわけで、みんなの中に横山健というヒーロー像が育っているわけじゃないですか。それをいい意味で裏切るように書けたらいいんだろうけど、でもそこで『これは違うな』って思われたら凄いシャクだし、変な日本語の歌詞を歌わされてるなって思われるのも嫌だし。だから、僕の生き様もぶつけなきゃいけないと同時に、横山健の生き様も背負って書かなきゃいけないっていう……そういう想いが凄くあったから悩みましたね」

■それは今までのゲストヴォーカルへの作詞とは、また少し違う感覚だったんですか。

谷中「たとえば、初めての作詞は田島貴男に書いた詞(“めくれたオレンジ”)だったんだけど、あの時も『あんな素晴らしい歌詞を書く人間に対して俺は何を書けるんだろう?』っていうプレッシャーは相当あったんです。でも、田島の世界があった上で、スカパラなりの世界観で歌っている田島を楽しんでもらえたらいいなっていう気持ちでできたんですよね。で、民生さんの場合も、民生さんがいつも歌わないような、笑いでうやむやにできない大真面目なラヴソングを歌ってもらおうっていうアイディアがあったから、それはそれで全然違う感じで聴いてもらえればいいやっていう気持ちに持っていけた。でも今回の場合はそういうのとはまた違って、もう完全に新しく作り出さなきゃいけないなっていう(笑)。自分の人生も横山健の人生もスカパラの人生も全部歌詞に注ぎ込まなきゃいけないなっていうプレッシャーが凄くあったんですよね」

■健くんの中で、日本語で歌うことに関して、そもそも自分の中にその欲望はあったんですか? それとも「これはこれ」という感覚だったの?

Ken「実は、日本語で歌いたいなと思ったのは(東日本大)震災がきっかけだったんですよ。震災の後、東北のほうにライヴに行った時に、いろいろ語りかけて『じゃあ聴いてくれ!』って英語の歌を歌ったんじゃ、何も伝わらないんですよね。その時に初めて『やっぱりこういう時は日本語でないと』って思いました。でも、何故か自分で書こうっていう気にはならなかったんですよ。だから次の選択として、じゃあ誰の詞だったら歌いたいか?を考え始めたんです。僕が昔から好きなTHE BLUE HEARTS、現ザ・クロマニヨンズの(甲本)ヒロトさん、マーシー(真島昌利)さんの歌詞が好きだなとか、10-FEETのTAKUMAの詞だったら歌ってみたいなとか……その中に谷中さんの詞もあったんです。抽象的な詞だけど谷中さんの美学がゴーンと注ぎ込まれているような言葉の選び方だったり、そういうのが凄くいいなと感じていて。あと日頃から詩が送られてきて接しているもんだから、ちょっと思い入れもあったりするし(笑)」

川上「じわじわと効いてたんだ(笑)」

Ken「はい(笑)。で、谷中さんの歌詞ならば俺は歌える、歌いたいって思いました」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA6月号 Vol.110』