Posted on 2015.03.19 by MUSICA編集部

SUPER BEAVER、
あなたがあなたを愛するための最高作『愛する』
――眩い光を放つ愛のロック、ここに放たれる

たとえばこの世に俺ひとりしかいなければ、孤独や寂しさもないし、
生きていて起こるすべてのことも、誰かがいるから成り立つことで。
個性や「らしさ」以前の話で、
人に認識されて初めて自分なんだって、わかったんだよ

『MUSICA 4月号 Vol.96』P.94より掲載

 

■お世辞抜きで、大傑作だと思いました。

柳沢亮太(G)「お! ありがとうございます」

■本当にデカい作品だと思いました。歌と曲のすべてに、聴く人を真正面から受け止めていく強さとキャパシティがあって。『愛する』っていうタイトルにも、これまでの道が全部結実したことが表れてると思うんですけど。

渋谷龍太(Vo)「今まで、自分達で『節目』みたいなものを意識したことはなかったんだけど――今年で10周年っていうタイミングに不思議とピッタリくるような、『今までやってきたことが全部繋がったな』っていう感触が凄くある作品になったと思います。録ってる最中はそういう意識はなかったけど、改めて振り返ると、そういう作品になったなって」

■逆に言うと、「元々、自分達はこういうことを歌いたくてやってきたんだろうな」とか、「今まで歌ってきたことの一番根底にある想いはこういうことだったんだろうな」とか、そういう感触があったということ?

渋谷「ああ、その感触は、前作の『らしさ』の時に既にあったことなんだよね。凄く明確に『これだ!』っていうのがドハマりしたし、あなたの存在そのものがあなたらしさだって――『世の中の人がみんながこうあったら、一番素敵だな』っていうことをハッキリと曲にできた実感が凄くあって。バンド人生で一番ピンときた曲というか、10中の10がハマった感じがあったんだよね。その“らしさ”が基盤になって生まれてきた作品だと思うから、凄く自然で、凄く真っ直ぐに臨めた作品なんだよね」

柳沢「そうだね。それと、全体としてデカいスケールのあるアルバムっていうのは、確かにそうなったなって思う。言葉だけじゃなくサウンドの表し方的にも大きなものにしていくっていうのは、『あなたに歌ってるんだ』っていうことを明確なテーマにした『361°』くらいから考えてたし。あとは、バンドとしても個人的にもいろいろあった2014年も大きかったと思う。……別に、いろんなものを狙って音楽に付随させようとしてるわけじゃないけど、その全部のタイミングが不思議と合ったのかな。このバンドが始まって、いろんなタイミングで歌ってきたことが伏線になって、それを意図せずとも回収し切った作品だと思う」

■意図せずとも伏線を回収し切ったっていうのは、その時に自分達が歌い鳴らして伝えてきたことがちゃんとひとつの線で繋がっていたっていうことに気づけて、自分の中で腑に落ちたっていう感じなの?

柳沢「たとえば『361°』で歌った“ありがとう”だったり、“らしさ”だったりを聴いてから今回のアルバムに戻ってきてみると、凄く全部繋がってるし、大きく言えば、俺達の歌いたいことはそんなに変わらないんだなっていうことに気づけて。それが今作のタイトルの『愛する』っていう言葉に限るんだっていうことだったんだよね。たとえば人の本音を突くようなことを歌いたくなった時期があったのも、自分達自身が思ったように生きられなかったり、思ったようにバンドを愛せなかったりした時期を経験してきたからで。……20歳前後の頃に何がキツかったって、メジャー時代に自分達自身を疑ってしまっていたことや、自分達自身のことが好きじゃなかったっていうことで。そこから2012年に自分達でレーベルを始めて、自分達の音楽を取り戻していって、それで今のチームと出会ったりして――自分達で自分達を疑っていたところが始まりだったから、そこから積み重ねると、きっと結論はこういう『愛する』っていう言葉になるんだなって思ったんだよ。……だから逆に言うと、ようやく自分達を愛して、信じられるようになってきたんだよね。『自分はこうなりたいんだ』っていう理想を追いかけていく時に、単なるイメージだけなのと、何故それが理想なのか?っていうことを理想の正反対を知った上で話すのとでは、説得力が違って。で、俺達は図らずも、理想の反対の自分達を一番最初に経験したからこそ、『愛する』っていうタイトルになったんだと思う」

■じゃあ、柳沢くんが「この作品にとって、2014年にいろいろあったのもタイミングとして大きかった」って言ったのは、どういうことだったの?

柳沢「……俺が昨年の9月に突然体調を大きく崩してしまって、入院したんだよね。1ヵ月入院生活を送って、さらにそこからリハビリも含めて休養して、ようやくライヴに復帰できたのが11月の末だったんだけど」

■これは今だから訊くけど、体調を崩したっていうのは、どれくらいのレベルの病気だったんですか? 

柳沢「……今まではまったく言わなかったけど、病気のレベルとしては、生死を彷徨うくらいのものだったんだよね。意識が飛ぶことはなかったし、9月は『らしさ/わたくしごと』のリリースもあったから『入院なんて無理です』って言ったんだけど、調べてもらったら、本当に生きるか死ぬかギリギリの重い症状で。ただ、メンバーにもスタッフにも唯一お願いしたのは、『とにかくSUPER BEAVERの活動を止めないでくれ』っていうことで、メンバーもスタッフも『絶対に活動を止めない』って腹を決めてくれてたんだよね」

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text by 矢島大地

『MUSICA4月号 Vol.96』

Posted on 2015.03.19 by MUSICA編集部

04 Limited Sazabys、メロコアシーンを飛び越えて輝く
ロックの新たな希望

僕も人も、いろんな自分がいる中で、
小さかったころの自分や青春を今も持ってると思う。
それで、万人に共通する感覚に触れるポップな音楽をって考えると、
僕達にとっては、誰しもが知っている青春
っていうものになっていくのかもしれない

『MUSICA 4月号 Vol.96』P.88より掲載

 

■今のメロディックパンクに新しい風を吹かせて、今までになかった可能性を持ち込んでくれるバンドだと思って聴かせていただいていて、インタヴューを凄く楽しみにしてました。

「ありがとうございます。よろしくお願いします!」

■歌とメロディ自体が曲のリズムとして機能していたり、リズムパターンの多彩さにいろんな音楽的要素の消化を感じさせたり。日本語を主軸にしている部分も含めて、十数年にわたって根強かったメロディックパンクのフォーマットを、今の世代のものとして更新していくバンドだと感じてるんですけど、GENさん自身は、自分達の音楽をどう捉えられてますか?

「僕としては、ポップパンクとかパワーポップが凄く好きで。で、パワーポップって最終的にはメロディのよさだけで持っていったりするじゃないですか。だから、自分達で音楽をやる上でもメロディのよさは絶対なんですけど……ただ、これまでやってきて、ジャンル的な面で『こういう音楽です!』っていうのが自分達でもわからなくなってきていると思うし、だからこそ、自分達にとってはより一層よいのかな?と思っていて」

■ジャンルとかフォーマットに縛られていないものが生まれてきていて、それが個性になっているんじゃないか、っていうことですか?

「そうですね。どんどん、ジャンルっていうよりは『04 Limited Sazabysっていう音楽です!』みたいな感じになってきているというか」

■GENさん自身は、どういうところに「04 Limited Sazabysっていう音楽です」という要素を感じているんですか?

「たとえば……オケだけで言えばメロディックパンクっていうものにはなると思うんですけど、最初に言ってもらった通り、僕の歌い方や歌のフワフワ感――いわゆるメロディックパンク的でカッチリした疾走感の真反対の要素が入ることで、『こういう音楽です!』って言うよりは『04 Limited Sazabys』っていう音楽になってきていると思うんですよ」

■まさにそこがフォーリミの新しさのひとつだと思うし、それによって今、状況にちゃんと火が点けられたっていうところだと思うんですけど。ただ、今作で再録されている“Any”や“Buster call”のように、デビュー当初は直球のメロディックを英語でやってましたよね。

「そうですね。元々はlocofrankやdustbox、ELLEGARDENとかHi-STANDARDを聴いて影響を受けて、『実際に自分が音楽をやる分には、一番気持ちいいのはメロディックパンクで間違いない』って確信してバンドを始めたんですよ。で、その楽しさでバンドを続けて。メロディックパンクの衝動性とか、それこそモッシュとかダイヴとか――テンションが上がり過ぎてヤバい!っていう感じにグッときてたんですよね。エネルギーが余っていたし、暴れられる音が一番気持ちよかったんです。それに、暴れられるだけじゃなくて、やっぱメロコアはメロがいいじゃないですか。そこにキュンとして。ただ、似たバンドが集まっている場所――みんなが『ズッタン、ズッタン』っていうリズムで英語で、っていう中で対バンしていても、なんとなくみんな同じで徐々にグッタリしてきて」

■それは、単純に同じ種類の音・似たフォーマットだけ聴き続けていることでお腹いっぱいになった、っていうこと?

「やっぱり英語で歌っているバンドばかりだったんですけど、たとえば、AっていうバンドとBっていうバンド、その両方が英語で歌っていたら、聴いた時に歌っていることの違いやメッセージがわからないじゃないですか。同じ『英語』としてしか聴けないというか。そこに対して、『何か個性を出さなきゃな』っていうことを考え始めたんですよ。似たようなことをしているバンドだけ集まっていても、面白いことが起こる予感がなかったというか。やっぱりバンドをやっているのなら、アウェイのところに飛び込んで勝負しなきゃ意味がないなって思ったんですよね。それで、日本語で歌詞を書き始めたのが、2013年の『sonor』の時だったんですけど」

■自分が好きで飛び込んでいったジャンル、場所ではあったけど、このままだと「〇〇界隈」の一部にしかならないっていうことを察知したんだ。

「そうですね。このままじゃマズい、っていう気持ちだったと思います」

■バンドのメンバー4人それぞれ、GENさんと同じようにメロディックパンクにグッときて集まった方々なんですか?

「それが、結構別々なんですよ。KOUHEI(Dr)Iは、このバンド前は完全に歌モノのバンドをやっていて、僕がそこから連れてきたんです。歌とかメロディを立ててくれるようなドラムを叩くし、僕もそういうドラムがいいと思ったんですよね。RYU-TA(G)は90年代のパンクやハードコアも大好きで、HIROKAZ(G)はポップなものもGOOD4NOTHINGとかも好きで。で、僕はメロコアもドープなものも打ち込み系の音楽も好きで――バラバラなんですよね。だけど、たぶん僕の歌詞やメロディはみんなにちゃんと信頼されてるんだろうなっていうのは思っているんですけど」

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text by 矢島大地

『MUSICA4月号 Vol.96』

Posted on 2015.03.19 by MUSICA編集部

吉井和哉、『STARLIGHT』で遂に辿り着いた
「吉井和哉のスタンダード」

やっぱり相当苦しかったんですよ、今回の世界を作るのは。
自分がずっと幻想として抱いていたロック観と
そろそろ決別しなきゃって気持ちはあったし、
何を歌えばリアリティがあるのかとか、
何を歌えばポップソングになるのかは凄く考えた

『MUSICA 4月号 Vol.96』P.62より掲載

 

■4年ぶりという待望のアルバムなんですけど、その待望感以上に本当に素晴らしい、THE YELLOW MONKEY時代含めて吉井和哉という表現の真ん中に見え隠れしてたものが最高の形で音楽として結実した作品であり、同時に清々しいまでに新しい始まりを鳴らしたアルバムだなと思いました。吉井さん自身はどうですか?

「非常に名作ができたと思っております。よくできたなと思ってます」

■非常に難産だったと聞きましたけど(笑)。

「ははははは、難産だったねぇ(笑)。けど、難産の甲斐はありましたね」

■年末に『クリア』のインタヴューをした時は、1月にもう1回アメリカに渡って作業をするという話だったんですけど、結果的に作詞を最後まで詰めることになり、日本で作業をしていたという話も聞いたんですが。

「そうですね。いろいろスケジュールが重なってきてしまったところもあったし、やっぱり歌詞に関しては最後まで自分のスタジオで作りたいと思った部分もあったりして。でも、それが結果凄くよかったんだよね。今回はミックスを全部自分のスタジオとLAのジョー・バレシのスタジオでやったんだけど、オンラインで全曲ちゃんとやり取りできて。……やっぱりミックスって出産の瞬間だから、立ち会いたいんだよ。でも、立ち会うと結局『ここの音をもうちょっと上げてくれ』とか言っちゃうんだよね」

■というか、そのために行くわけですよね。

「そうなんだけど。でも、家を建てる時に、素人が余計なこと言ってめちゃくちゃになるパターンもたまにあるわけですよ(笑)。でも今回は1回向こうに任せて上がってきたものを聴いてチェックするっていうやり方でやって……もちろん今回も信頼してる、吉井和哉のことを凄いわかってるエンジニアにやってもらったから、失敗するわけはないなって思ってたからこそなんだけどね。でも、これは非常に効率がいいね(笑)。与えられた音をプロの耳でバランス取ってくれたものを、本当に新鮮なまま完成させることができたから。おかげでもの凄いサウンドが生まれたからね」

■本当に、凄くいい音が鳴ってますよね。曲調としてはカラフルだし、骨太なロックサウンドからキャッチーなものや哀愁系までいろいろありますけど、総じて抜けのいい、非常に気持ちがいい音が鳴っていて。

「そうなんだよね。自分でも感動したもん。実は今回は、サウンドに関しては結構人に頼ったんですよ。自分自身はとにかく歌詞の世界に夢中というか、『どういう世界観を書くか』っていうことに夢中で取り組んで、サウンドに関してはかなり人に任せたの。もちろん気にはするんだけどさ。でも、曲によっては元Queens of the Stone Ageのジョーイ・カステロとアラン・ヨハネスにドラムとギターをやってもらったり、Wilcoのパトリック・サンソンにシンセ、キーボード類はお願いしたり、あと、ウチのツアーメンバーのバーニー(日下部正則)にギター弾いてもらったり……もちろん僕がギター弾いてる曲もあるけど、僕が世界で信頼してるプレーヤーにお願いすることができたので。で、もう僕のことわかってる人達ばかりだからね。そういう意味ではある意味バンドでもあったし。エンジニアのジョーも、最早バンドメンバーみたいなところもあるしね」

■盟友と言っていいドラマー:ジョシュ・フリーズも参加してますけど、“ボンボヤージ”に続きR&B/ファンクの神様のようなドラマー:ジェームス・ギャドソンも2曲参加してたり――。

「そう、“ボンボヤージ”でこの人はやっぱり凄い!と思って、アルバムでもお願いして。ハーマン・ジャクソンもそうだね。スティーヴィー・ワンダーのツアーでキーボード弾いてる人なんだけど、ギャドソンとハーマンは一緒にやってもらいたいなと思って」

■他にもマット・チェンバレンという名ドラマーも今回初参加したり。

「うん、マットとはようやくできた。なんでできたかって言うと、マットがシアトルからLAに引っ越してきたからなんだけど(笑)。で、そういう感じで、気づいたら世界の吉井和哉バンドが形になってたっていう(笑)。だから本当に、安心して委ねられたっていうのはあるかな」

■なるほど。ただ、吉井さんはソロになってから、自分がどういうサウンドを鳴らすのかっていうことに関しては執着してたというか――。

「そうだね。むしろサウンドのせいでいろいろ壊したものもあるし(笑)」

■そこを人に委ねることもできたっていうのは何故なんでしょうね。

「そこはねぇ……こういう若いバンドも読んでいるであろう雑誌だからこそ言いたいんだけど、サウンドはどうでもいいんだよ」

■えっ!? ちなみに吉井さん、『クリア』のインタヴューで「今とコネクトするのはサウンドだ」っておっしゃってましたよ。

「そうなんだけど。つまり、『サウンドじゃねぇんだ、俺の声なんだ』っていうのが自分でちゃんと理解できてないと、自分のサウンドっていうのは一生得られないんだっていうことが、今回よくわかったんです」

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text by 有泉智子

『MUSICA4月号 Vol.96』

Posted on 2015.03.18 by MUSICA編集部

くるり、革命的金字塔『THE PIER』総括と
新曲をいち早く試聴して見えたくるりのこれから

僕がポップソングを聴いて「いいな」と思う時って、
それまでで考えたらあり得ないはずやったものが輝いて見えて、
決まりを作り変えてる時なんですよ

『MUSICA 4月号 Vol.96』P.46より掲載

 

3月18日に、アルバム『THE PIER』のツアーにおける中野サンプラザ公演の模様を収めたライヴ映像『THE PIER LIVE』と、一発録りという条件下で演奏する模様を収めたNHK-BSプレミアムの番組(昨年7月にOA)をパッケージ化した『THE RECORDING at NHK101st』という、ふたつの映像作品をリリースするくるり。『THE PIER』という季節の集大成だったツアーファイナルから約3ヵ月が経ち、今のくるりは次のアクションに向けた準備期間のような時を過ごしているわけだが、この映像作品を機にくるりにとっての『THE PIER』という季節を振り返り、かつ、『THE PIER』以降の今のくるりを探るべく、彼らの秘密基地のようなプライヴェートスタジオ「ペンタトニック」を訪れた―――。

 

■『THE PIER』のツアーが終わり、2013年5月から全国全県を回ったサーキットツアー「DISCOVERY Q」も1月の沖縄で完結し、今はどんなふうに過ごしてるんですか?

岸田繁(Vo&G)「今は特に何もやってない、今年の開幕に向けてのキャンプ情報をチェックしてるような生活でございます(笑)」

■(笑)と言いつつ、日々このペンタトニックスタジオに入ってると聞いてますけど。4月に開催する『さよならストレンジャー』&『図鑑』再現ライヴに向けたリハですか?

岸田「そのつもりやったんやけど、結局新曲を作ったりしちゃってますね」

■おおっ!

岸田「まぁでも割とゆるゆるとやっております」

■その話も訊きたいんですが、まずは今回リリースされる映像作品について。『THE PIER LIVE』は中野サンプラザでのライヴを収録したものですが、前半ほぼ曲順通りに『THE PIER』を演奏したこと含め、あのアルバムをライヴにおいて再現するということをコンセプチュアルにやったツアーだったと思うんです。みなさんにとってあのツアーはどういうものだったと思いますか?

岸田「これまでの僕らって、綿密に作り込んだ作品をライヴでどれぐらい再現するのか、あるいは全然違うタイプのアプローチで曲の魅力を伝えるのかってことで言うと、後者のやり方が多かったんですよね。音数の多いものだったりとか音を録った環境が特殊だったりする場合は、曲の根幹のところと向き合ってリアレンジするっていうのが多かったんですけど、今回は盤石の態勢を作ってアルバムをある程度再現しながら、そこに自由な要素を足していくやり方をして」

佐藤征史(B)「一緒にサポートしてくれはったメンバーのみなさんは、まさに『THE PIER』をやるっていう目的でお呼びしたんですよね。この音数の多いアルバムを再現しようと思ってもなかなか難しいんですけど、それを生楽器で――もちろん同期も流してるんですけど――ちゃんとできたライヴだったんじゃないかなと、自分も映像を観て思いました。思ってるよりライヴ感があったっていう。あんだけの人数でステージでやったから割とレコーディングっぽいものになってるかなって思ってたんですけど、映像観たらそんなこともなく、ちゃんとライヴになってるなって思って」

岸田「俺もそれは思った」

■ファンちゃんはどうでした?

ファンファン(Tr&Key)「あのツアーは結構曲数も多かったので、ライヴの間ずっと集中力が必要で……会場に来る時からもうずっと気を張ってて。リハの間のごはん食べる時間とかも心がギュッとなる感じやったんですけど。でもサポートメンバーの人達も含め、みんなが同じくらい大きな存在感で支えてくれて。自分個人の演奏としては、みんなのおかげでできたライヴだなって思います。そういう気持ちが改めて芽生えたツアーでした」

■アルバムを再現するライヴにしようと思ったのはどうしてだったんですか?

岸田「ひとつは『DISCOVERY Q』が割と小さいハコでラフな形でやってたから、逆にきっちりプロデュースした形でやろうっていうのもあったんやけど。でもやっぱり、『THE PIER』っていうアルバム自体にはとても満足してるんですけど、それをもっと聴いて欲しいっていう単純な動機もありますね。『THE PIER』のテーマに向き合うには、ディテールの面白さに気づいてもらうことが一番やと思うんで。ライヴをそこへの導線にしたいっていう意識はありましたね。最近、ライヴ会場で結構CDが売れるんですよ。それは何故かというと、アルバムを買って聴いてライヴに来るっていうよりは、単純にライヴにポンッと遊びに行くっていう感覚の人が多いからで。昔の自分らってアルバム出してツアーやっても、全然そのアルバムの曲やらへんかったりしたんですけど(笑)、今はライヴからアルバムを伝えるってこともやっていかなあかんのかなって気分にはなってますね。『DISCOVERY Q』で地方都市に行った時に思ったんやけど、やっぱり最近は街でCD買えないんですよね。お店がないし、あっても僕らのような音楽は置いてなかったりするし。大人はamazonで買ったりするけど、子供はなかなか買えない。そうなると、やっぱり定期的にライヴで地方回ってCDを直に売っていかなきゃあかんような気がするっていう……そこは結構痛感したところで」

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text by 有泉智子

『MUSICA4月号 Vol.96』

Posted on 2015.03.18 by MUSICA編集部

[Alexandros]、
その現在地に迫るリレー式ソロインタヴュー企画
後編――磯部寛之・白井眞輝

Chapter 1――磯部寛之
俺は全幅の信頼を洋平に置いてるし、
実際今でも自分が一番ワクワクしてるぐらいで。
でも、そういうバンドじゃないと
歴史に残るバンドにはなれない気がするんですよ

『MUSICA 4月号 Vol.96』P.46より掲載

 

■前号で洋平くんと聡泰くんにインタヴューをしまして、今月はヒロくんと白井くんです。まずは、2014年の6月に『Adventure / Droshky!』リリース後、ここまでの期間はヒロくんにとってどんな期間でした?

「俺の印象はいい意味でいつも通りというか(笑)。確かにリリースはなかったんですけど、制作はずっとやってたし、ライヴも割とやってたし……だからツアーがなかったくらいで、あとはいつも通り忙しく動いていたっていう感じですね。次の6月にアルバム発売なので、その仕込みは水面下で徐々に徐々にやってたし……その水面下の作業は今も進行中ですけど(笑)」

■というか、まさに佳境だと思いますが(笑)。でも、デビュー以降めまぐるしいスピード感で活動してきた中で、久しぶりに長いタームで制作に取り組めたことは有意義だったんじゃないかと思うんだけど。

「そうですね。とはいえ、これまでも1枚アルバムを出したら、すぐにもう次のアルバムを意識し始めるっていう感じはあったので。あと、制作って時間があればあるだけやっちゃうものだし、やっていく中でアイディアもどんどん出てくるから……だから結局、制作期間が短かろうが長かろうが、レコーディングまでにいかにして形にするかって部分は全然変わってない気がします(笑)。俺らは元々自分達がやりたいようにやってきたバンドなんで……もしかしたらそれがより自由になってる印象はあるかもしれないですけど。上モノに関して言えば、こういう音が入れたいってなった時にすぐ実現できる環境が今はあるし、そういう部分で自分達の中や、主にアイディアマン川上洋平から出てくる音を形にする方法は増えていると思うんですけど。……だから今回『も』自分達がやりたいようにやれている、自由にできている、という感覚ですかね」

■今回の『ワタリドリ / Dracula La』は10枚目のシングル、そして次のアルバムは5枚目なんですよね。これだけバンドの歴史と作品を重ねてきても、今なお落ち着くことなく新鮮な気持ちで、より果敢に新しいことに挑戦できている、そういうある種の無邪気な思春期性が失われないのは何故なんでしょうね?

「うーん……でも、歴史があるっていうには俺らはまだ早過ぎるって自分達では思ってて。やっぱり今でも乾いてるというか、もっともっとやりたいことのほうが多過ぎて、まだ落ち着く場合じゃないし、振り返ってる場合じゃないんですよね。やっぱり、まだまだ実現できてないことのほうが多いですから」

■そうだよね。

「それをどうやって実現させようかってことを考えて行動に移してるうちに、あっという間に月日が過ぎるというか(笑)。それはある種、凄く幸せなことなんですけど。そうやって常に考えて実践している途中なので、まだ微塵も落ち着く兆しはないし……でも、もしかしたらいきなり落ち着いたりするのかもしれないけど(笑)。音楽もバンドも、先のことはわからないですからね。ただ、自分達がこうなりたいっていう目標や指標に向かって、その先を見据えてやっていくのはこれからもずっと変わらないと思うんですけど」

■このバンドの目標はもっと遠く高いところにあって、それを考えれば今はまだ道半ばの状態であるということは理解しているんですけど。ただ、とはいえ去年武道館をやったり、夏フェスでメインステージやトリを任されたりしたことは、このバンドがずっと駆け上がってきた中で掴んだひとつの成果でもあったと言えると思うんだけど。その辺はどう捉えているんですか?

「純粋に嬉しかったですけどね。でも、そこで何らかの達成感を感じられたかというと、それはやっぱり全然なかったんですよね。だから『これからもっと上に行こうね』っていう活力剤になったっていう言い方が一番合ってるんじゃないかと思います」

■不思議なもので、何かを掴めば掴むほど、大きい場所に立てば立つほど、自分が届いてないもの、手に入れられていないものがはっきり見えたりするもんね。

「ほんとそうですね。……ただ、届いてないものがはっきりした上で、どうやってそこに行くのかっていうHOW TOの部分はひとつずつ明確になってる感じがあって。やっぱり何かを掴むと、自分の中でイメージがちょっと具現化されるんですよね。たとえばデカいステージに実際に立って、そこから見える景色っていうのを体験することは、次にどうすればいいかっていうことを考える機会にもなるし、それによって自分達が進むべき道筋が見えたりもするし。だから、一つひとつ具現化して、それを踏まえて次に向かってるっていう……そういう感覚が強いですね」

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text by 有泉智子

『MUSICA4月号 Vol.96』

Posted on 2015.03.17 by MUSICA編集部

ASIAN KUNG-FU GENERATION、
ナッシュビルの後藤正文を直撃取材!
久々の新曲でアジカンの新章が幕を開ける!

今ここでやらなきゃいけないことが凄くあるって思ってるから。
僕はここが正念場だと思ってるんですよ。
ひとりの人間として、ここで負けるわけにはいかない

『MUSICA 4月号 Vol.96』P.38より掲載

 

■ナッシュビルは今、朝の9時ということなんですが。今回は来るべきアルバムのミックスで渡米してるんですよね?

「そうなんです。今日もこの後11時からミックスをやります。で、もう今日の夜中3時にホテル出て帰るんですけど。それで日本に着いてそのままビデオの撮影っていう、地獄のスケジュールになってますね(苦笑)」

■当初の予定では、あとは日本で作業して、ミックスに関してはオンラインでやり取りして完成だという話を聞いてたんですけど。急遽行くことになったのはどうしてだったんですか?

「元々僕はずっと行きたいって言ってて。っていうのも、ソロアルバムのミックスを海外のエンジニアとやった時に、やっぱり直接やり取りしたほうが早いなと思って。それに今回のエンジニアは特にアナログ機材が多いから、元に戻すのがめちゃくちゃ大変なんですよ。っていうか、アナログだからどうしても人間的なブレが出るので、物理的に戻らない。だから、こっちに来てそのまま上げちゃうほうが絶対いいなと思って」

■ということは今日夜中3時までやって、一応アルバムのミックスは完了するっていう感じなんですか?

「いや、時間的に、どうしても3曲ぐらいは現地でチェックできないんだよね。そうするともう3日ないし2日いないといけないんだけど、それは厳しいんで帰ります(笑)。でも、重要な曲はここで仕上げる予定」

■なるほど。というわけで、アルバムもまもなく完成なわけですが、まずはシングルとして『Easter』が出ます。アジカンとしてはかなり久しぶりのシングル、それこそ2013年2月の『今を生きて』以来で。新曲という点で考えても昨年6月の“スタンダード”以来になるわけですよね。

「そうですね」

■今回の作品をFoo Fightersのスタジオで録ってきたっていうのがひとつのトピックになっていて、そのことも大きく関係してると思うんですが、“Easter / 復活祭”はとにかく今までにないぐらい骨太なロックサウンドが鳴った楽曲で。サウンド自体がもの凄くモノを言ってる曲だし、「ロックバンドの鳴り」をガツッと鳴らそうという気概と覚悟がきっちりと示された曲だなと思ったんですけど。ご自分ではどうですか?

「まず今回思っていたのは、ちゃんと自分達の好きな音楽の川下にいたいなっていうことと、プラス、その川はいろんな場所から湧き出たり、いろんな場所に分かれたりしていくのかもしれないけど、でもとにかく一番太い川、主流となっている川に浸かりにいこうっていう気持ちがあって」

■その主流って、つまりいわゆるロックバンドの王道性みたいな?

「そうですね。どうやって録ってるのかとか、どういう技術があるのかを知ることも含めて、自分達がその太い川に1回接続するというか、そこを味わっておく必要があるんじゃないかと思ったんですよね。そうじゃないと、たとえばこの先僕らが若い人に何かを渡すにしたって、渡せるものが少ないんじゃないかっていう気もして。で、『じゃあ本場に飛び込んでみよう!』っていうことだったんですけど。……そもそも、最初はデイヴ・グロールと一緒に作りたかったんだよね。デイヴにプロデュースしてもらおうと思って連絡したんですけど、ツアー中だから無理だと言われてしまって。でもその時に、『俺のスタジオを使ったらどうだ?』って言われて。『お前らだったらしっかりしたバンドだから、貸してやるよ』みたいな(笑)」

■おー、いい話だ。

「デイヴのスタジオ(Studio 606)ってほとんど貸し出してないんだけどね。でも、THE FUTURE TIMESの繋がりもあったし(2013年のRECORD STORE DAYの時の号でデイヴが表紙に登場)、レコード会社もソニーで繋がりがあったし、まぁこいつらは信用が置けるって判断だったんでしょうね。もちろん音源もチェックしてるとは思うけど(笑)。それでLAのスタジオで録ることが決まったんだけど、なんかやっぱり、そうなるとLAで録るなりの音楽をイメージするっていうか。デイヴのスタジオってSOUND CITY(数々のロック名盤を生み出したLAのスタジオ。2011年に閉鎖)の卓が入ってるんだよ。そうなるとNirvanaとか、俺達の好きなところで言ったらWeezerとか、あるいはまさにFoo Fightersとか、ああいうタッチのほうに(楽曲を)寄せていくのがいいのかなっていう意識が自然と働いたんだと思う」

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text by 有泉智子

『MUSICA4月号 Vol.96』

Posted on 2015.03.17 by MUSICA編集部

クリープハイプ、
ライヴハウスツアー高知キャラバンサライ公演密着
&新曲“愛の点滅”最速インタヴュー!!

ツアー「一つじゃつまらないから、せめて二つくらいやろう 前編」に
べったりと密着ドキュメンタリー。
尾崎世界観の第二の故郷での初のワンマン、
その満願なる想いはどんなロックとして降り立ったのか?
新曲“愛の点滅”最速インタヴュー込み、特別企画「尾崎写真観」!?

『MUSICA 4月号 Vol.96』P.28より掲載

 

 前日の朝に尾崎からメールが届いた。

「明日楽しみにしてますね! 高知は田舎だから今日ひとりで前乗りして、1日ゆっくりします!」

 読解力のない僕はここに書いてある田舎という文字の捉え方を間違っていた。彼が東京人なのは知っていたので、田舎という文字を「ホームタウン」という意味ではなく「カントリーシティ」という意味で捉えてしまったのだ。失礼。

 ライヴ当日、肌寒い高知の龍馬空港に降り立ち、15時30分頃にライヴハウスへ入ろうとしたその時、前を走っていた軽自動車から見慣れたヘアーとコートの男性が降りて、ぬっとライヴハウスへ入ろうとしていた。――間違いなく尾崎世界観、その人である。ただ、とても地元感のある軽自動車から何故彼が降りたのかわからないし、その彼を降ろした車が横を通り過ぎるのを見たら、なんともおっとりとした優しそうな叔母さまがふたり乗っている。しかもメンバーいないし。

 それはさておき、まずはライヴハウスへ入った。今回のライヴハウスは「キャラバンサライ」。350人ほどが入れる、楽器店を兼ねたライヴハウスだ。

 楽屋へ入ると、メンバーがまだ到着しておらず、尾崎ひとりだけがちょこんといる。とても穏やかでリラックスした柔らかい表情でいるので声をかけると、「鹿野さんに食べさせたいたこ焼きがあったんだけど、店が開いてなかったんですよねぇ。もしかして潰れちゃったのかなあ」と唐突に言い出す。あ、高知ってたこ焼きの名所だったんだ?と訊ねると、「いや、そういうことじゃなくて、子供の頃から、別に何が美味しいってわけじゃないんですけど大好きなたこ焼きがあって、それを食べて欲しかったんですよ」と話す。

 ん? 子供の頃から??

「あれ、今まで言ってなかったでしたっけ? 母由美子の実家が高知なので、僕の田舎なんですよ、ここ。だからいろいろ思い出もあるし、それこそこのライヴハウス、子供の頃に従兄弟がやっているハードコアバンドのライヴを観にきたことがあったんですけど、それが人生初のライヴハウス体験だったんですよね。だから、ここで今日やれるのも信じられない部分があるっていうか」

 ここで初めて尾崎にとっての高知の重みに気づかされた。彼の大切な故郷での初めてのワンマンライヴが、この日だったのである。その後も、「昔はもっと賑わっていたと思うんだけど、最近はシャッター閉まっちゃってますよね、商店街も。イオンができたり、いろいろ変わっちゃってるんだけど、おばさんもいるし、従兄弟もいるし、自分にとっては大切な場所なんですよね」と談笑しているうちに、小川、カオナシ、小泉の3人が楽屋に入ってきた。ここがライヴハウス然としたライヴハウスだったからかもしれないが、以前に増して4人が「バンドマン」然として見えたのは、気のせいなのだろうか?

 15時45分。入ってくるや、いきなりシリアスなミーティングが始まる。内容は今後のリリースや露出に関するものなので、まだ詳細はまったく明かせないが、バンドにとって大事な次の一手に関するもので、いきなりみんな眉間に皺を寄せて話し合っている。そんな張り詰めた空気の中、まだミーティングが終わったのか終わってないのか、正確に言うと内容的には終わったことは終わったんだけど、まだそのことについてみんなで話し合っている輪の中から、小川ひとりが無表情で気配を殺して抜け、横にあった弁当をひとつ掴み、そして3人に背を向けてひとり食べ始めた。

 お腹が空いていたんだね、きっと、ずっと。

「相変わらず音を立てて食べるんだから」と尾崎にからかわれながらあっという間に完食した小川の横で、3人はそれぞれ歯を磨いたり、ライヴで着る服を確認したり、カオナシは何やらずっとパソコンに向かって作業をしていたり、みんな淡々と余念がない時を過ごしている。そんな中、尾崎は「今年はどうなるんだろうなぁ。このツアーはきっと大事だし、今作ってる曲も大事だし……でもなんで大事かって言うと、今年は巻き返すって決めているからなんですよ。去年は音楽よりも他の出来事のほうが話題になって。そういう話題を作りたくてバンド始めたわけじゃないし、レコード会社入ったわけでも移籍したわけでもない、もっと言えば、音楽が話題にならないなら、こんなことやっててもしょうがないって思ったし。だから今年は音楽で必ず巻き返しますから。そのためにも、ワンマンライヴでどれだけみんなに特別な想いをしてもらうのかってことは、大事だと思ってるんです」と、静かに淡々と伝えてくれた。

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text by 鹿野 淳

『MUSICA4月号 Vol.96』

Posted on 2015.03.17 by MUSICA編集部

降谷建志、ソロ始動!!
新たな挑戦の真意に迫る最速第一声インタヴュー!!

放っといたらもう自分の器が定まってきちゃう時期に入ってるんだけど、
でも、アーティストとしてはまだ自分の器を決めたくないっていうか、
抗いたいっていう気持ちがすげぇある

『MUSICA 4月号 Vol.96』P.12より掲載

 

■では、ソロ第一声インタヴューを始めます。

「よろしくお願いしまーす」

■まさにこの雑誌の発売日、3月16日に、降谷建志名義でのソロ活動を始動させることが発表され、そして同時に“Swallow Dive”という曲がデジタルシングルとして配信されます。つまり第二のデビュー日ですね。

「そうっすね」

■“Swallow Dive”の他にもすでに5曲ほど聴かせていただいているんですが。最初に建志さんがソロをやるっていう話を聞いた時、一体どういう音楽性でどういう方向になるのかは、本当にいろんな可能性が考えられるなと思って楽しみにしてたんですけど。結論から言うと非常にど真ん中を来たな、という感触があって。

「うん、そうだね。ど真ん中って感じはわかる(笑)」

■「僕らのアンセム」満載だなぁと思いました。そこからもこのソロプロジェクトがサイドプロジェクトではない、コア向けではなく、ちゃんと音楽シーンに対して真っ向からご自分の音楽を放っていくものなんだっていうことが伝わってきたんですけど。そもそも何故、降谷建志名義でソロ作品をリリースしようと思ったんですか?

「名義についてはスタッフとも話して、Kjではなく降谷建志に落ち着いたんだけど。別枠感があっていいんじゃない?みたいな感じで。で、ソロをやるってことについては、Dragon Ashに関してはある程度バンドに対して『こうあろう』っていう条件をつけてやってるところがあるから。『このバンドはラウドバンドだからこうあろう』っていう美徳を握りしめて、その中でやってるから、振り幅や刺さるポイントは小さいけど、でもその分もの凄く強い光量が放てるっていうさ。だからそれはそれで楽しいし、もちろんやり甲斐も満足感も感じてはいるんだけど。ただ、ひとりの音楽家としてはそこから漏れていくものも多分にあるじゃない?」

■それは前からよく言ってましたよね。Dragonでは収まらない音楽性も自分の中にはあるっていう。

「うん。で、そういう部分は人のプロデュースやらせてもらうことで表現欲求を満たしたり、客演で誰かの作品に参加して違うものを歌うことによって、そっち側のアティテュードも表現できたりするんだけど、とはいえ、やっぱりそれだけでは収まらない表現欲求みたいなものもすげぇあって。……でもやっぱ、大きいのは、Dragonで去年ああいうことができたってことかな。バンドやってきた中で一番の窮地に凄くみんなで団結して、ほんとにバンド史上一番の団結を見せて、いいアルバム作って、自分達で素晴らしいと思えるようなツアーを周れたっていう、そこでの達成感だよね」

■馬場さんが急逝した後、『THE FACES』というアルバムに至るまでの過程とあのアルバム、そして初の武道館公演をファイナルに据えた昨年のツアーでの達成感はやっぱり大きなものだった、と。

「そう。そこである程度の終止符というかさ――別にDragonはあれで終わりじゃないし、やめる気もさらさらないけど、でもそれくらいの達成感があったのはデカかった。だからこそソロをやろうと思ったんだと思う」

■Dragonでひとつ達成したからこそ、音楽家としての自分をもう一度見つめたし、その可能性を出したいと思ったという。

「そうね。NHKに出たことも大きくてさ」

■ああ、大河ドラマに出演したこと?

「そう。あれはほんと、自分的にはもうマジでガクブル状態だったんだけど(笑)。だけど、今までじゃ絶対やらなかったようなことをやったドキドキっていうのがあってさ。俺、そういう経験が人より少ないんだよ。ほんと同じ人達と切磋琢磨しながらやっていくっていう生き方してるから。だけど、ああやってこれまでの自分が全然知らないところで、いろんな人達と一緒に何かを作り上げていくっていうのをやってみて、すげぇ緊張したけど毎日毎日面白くて。その感じも引き金にはなったのかなって思う。あとはやっぱり、年齢的なこともあるよね。こないだ36歳になったんだけど、30代後半になって……これくらいの歳になると、やっぱ好きなものも自分でわかってきちゃうじゃん。自分がこういうことに怒って、こういう人が好きでとか、あるいはこういう服買ってももう持ってるものと被るのに、やっぱり買っちゃってとかさ(笑)。そういう、放っといたらもう自分の器が定まってきちゃう時期に入ってるんだけど、でも、アーティストとしてはまだ自分の器を決めたくないっていうか、抗いたいっていう気持ちがすげぇあって。表現欲求もありがたいことに尽きないからさ、俺の場合は。そこだけはいつまで経っても枯渇しないから」

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text by 有泉智子

『MUSICA4月号 Vol.96』