Posted on 2016.03.17 by MUSICA編集部

20周年を超えたBRAHMAN、
名曲“天馬空を行く”を発表した一方、
TOSHI-LOWの胸に横たわる不安の影とは

今年入ってから、ずっと偏頭痛があるんだよ。
『A FORLORN HOPE』から『THE MIDDLE WAY』
になる時もそうだったし、震災の前もそうだった。
何かが変わる大きなタイミングの前は、痛みが伴うんだよね

『MUSICA 4月号 Vol.108』P.92より掲載

 

■今日は、過去、今、新曲、そして未来について、全部訊いていきたいんだけど。まずは去年、BRAHMANは20周年イヤーという特別な1年を過ごされましたけど、振り返ってみてどういうふうに感じてますか。

「オファーされるものに関してはすべて断らないっていうスタンスの1年だったんだよね。基本的に、『20周年だね』ってやってくれるものに関しては、『いや、いいよ』って遠慮するのはナシにしようかなと思って。『そっか、20周年って言って、やりたい人もいるんだ。じゃあ、やろうか』みたいな。だから忙しかったんだけど、どこか冷静なところもあったというか、真ん中でスッと引いて見てた自分もいたんだよね」

■そうしてスッと引いてたのは、BRAHMANの20周年に沸いてる周囲に対してってこと? あるいは、20年を迎えた今の自分達に対して?

「どっちに対してもちょっと引いてたっつーか。どちらにせよ、渦中にいる感じじゃなかったんだよ。敢えてやらされてる部分もあったからさ」

■その「やらされてる部分」っていうのは、どういう感覚だったの?

「まあ、周りが『20周年!』って言って神輿を担ぎ上げるわけだから、そこには敢えて『乗ろうかな』って思ったんだよね」

■そっか。BRAHMANの20周年って、ある意味「BRAHMAN達」にとってひとつの象徴的な出来事だったと思うんです。具体的に言うと、去年の11月に幕張でやった「尽未来際~尽未来祭~」の1日目に出ていた面々全体の歩みを表すものでもあって。そういう、周囲の20年も含めての象徴になっている感触はあったのか、もしくは、その実感がなかったなら、こう言われてどう思うのかを教えてもらえますか?

「自分の20周年っていうものを受け入れたことによって、他の人の歴史も同じように感じるっていう部分はあったよ。だってさ、自分達の20年がこれだけ大変だったんだから、他のバンドも大変じゃなかったわけがないんだよね。で、それによって、同世代の人達に対して、もっと信頼というか――深い意味での友達感覚みたいなものが生まれた気もするし、その中でもちろん『ありがとうございました』っていう気持ちもあったし。でも、『20周年で楽しかったなー!』っていうのは全然なかったかな」

■神輿に敢えて乗ってみたっていうことを置いといて、純粋にBRAHMANを20年続けてきたことに対してはどう感じたの?

「たとえば、一人前になるまでに10年とか言ったりするけど、20年って、その倍でしょ? そこで『一人前の倍って何なんだろう?』って考えることもあったし。そもそも、自分がお客さんとして観てたバンドが20年を超えた時の凄さも知ってるわけだよね。そういうものを観てた時の、『得体が知れなくなっていく』みたいな感触――それをグルーヴって言うのかオーラって言うのかはわかんないけど、上手いとか下手とか、合ってるとか合ってないとか、そういう次元じゃないものが出ちゃうのが20年なんだなっていうことは実感したかな。あとは、今までみたいにとにかく目の前のことから逃げずに、その都度クリアしていけば何かが見えるっていうこともわかった。……まあ逆に言えば、ここからまた30年目まで頑張ろう、みたいなことを考えたら、『ここからまた10年か』ってむしろウンザリしちゃった面もあるんだけど。だって、よく『人生山あり谷あり』って言うけど、本当は谷ばっかりだな!っていうこともさすがにわかったわけで(笑)。いいことと悪いことは全然半分半分じゃないし、最終的には悪いことが8で、いいことが2くらいのもんだなって。だから、『生きてくのってしんどいなあ』っていう面も同時に見えたところもあって。…………ただ、こんなこと言いながらも、人生で一番、音楽を一生懸命やってるのが今なんだけどさ。『この楽器習ってみたい』とか、『音楽やりたいな』って思ってる自分がいて。今までは『バンドやりたい』だけだったけどね」

■俺はアーティストでもなくミュージシャンでもなくバンドマンだって言い続けてきたのが、ずっと根底にあったよね。

「今もその根底は全然揺るがないんだけど、一方では『音楽やりたいな』って凄くピュアに思えてる俺がいて。もちろん、今までもピュアだったんだよ? バンドに対しては。だけどもっと自分個人として、今は音楽に対してピュアになりたい。そう考えてみると……20年かけてきた『バンド』っていうものに意味がないわけじゃないけど、そこにこだわり続ける必要もなくなっちゃう部分もあるのかなって思ったし」

■今の話って、20年やってきたことで5周も6周もしてきた周期としてのことなのか、OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUNDもやってるってことも含めての意味合いなのか、もしくは全然違う意味で音楽に捧げたいっていう新しい気持ちのか、どういう感じなの?

「バンドやってきて5周も6周もしてるから、それもきっとあるんだけど――だけどその周期で、その都度居心地の悪さは出てくるなって思うんだよ。たとえば20周年は終わったのに、今こうして20周年のことを取材で話してるじゃん? だけど『21年目の新しいBRAHMANについて話してください!』って言われても、『ねぇし』みたいな感じになるし(笑)。元々そういう年月でバンドを区切ることなんてしてなかったわけ。だけど自分達でその神輿に乗っちゃったもんだから、『そういやあ、切ってねえこと切っちゃったな』って――そんな感じだから、今後どうしていくか?っていうことに対しても、全然言葉がないんだよね」

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text by鹿野 淳

『MUSICA4月号 Vol.108』

Posted on 2016.03.17 by MUSICA編集部

赤い公園、奇天烈な純情がポップに乱れる
『純情ランドセル』を津野米咲と共に解く

自分がようやく、赤い公園という渦の中に入ることができた。
……よくも悪くも赤い公園のガンは自分だったんだなってことを痛感して(笑)。
それに気づいた時はものすっごい狼狽えましたけどね

『MUSICA 4月号 Vol.108』P.138より掲載

 

■1年半ぶりのアルバムが完成しました。まずは、米咲ちゃん自身は今回のアルバムをどんな作品だと捉えてますか?

「素直な作品。素直でまっすぐで、いろんな計算よりも心を使って作ったアルバム。だから今、これまでで一番評価に怯えている(笑)」

■怯えてるの?(笑)。

「うん(笑)。もう逃げられないっていうぐらい素直な感じだから」

■なるほど。私は凄く自由なアルバムだなということ、そしてもうひとつ、このアルバムは赤い公園のポップス、津野米咲のポップスを14の形に昇華した作品だと感じたんですよね。ロックっぽいとかオルタナっぽいとかそういうこと一切関係なしに、どの曲も素直にポップスたることをめざしているというか。実際、曲調的にはバラエティ豊かなんだけど、でもそういう姿勢で作られてるし、そういう曲が並んだ作品だと思う。

「そうですね、実際、曲のバランスのよさは結構まぐれで(笑)。今回はアルバムの全体像がまったく決まってない中でとにかく1曲1曲録っていったから、ずっとどんなアルバムになるのか見えてなかったんです。今までだったら、この曲はダークサイドな役割を果たす曲とか、この曲では救いがあるとか、それぞれの曲の役割を決めてやる感じだったんですけど」

■それは曲だけじゃなく作品に関してもずっとそうだったよね。作品ごとに「今回は自分達のこのサイドを出そう」ということに意識的だった。

「うん。でも、今回はそれができない状態だったんです。だけど全体像が見えないからって不安になってても仕方ないから、とにかく1曲ずつ心を込めて、心が伝わるように作ろうって。“デイドリーム”や“喧嘩”みたいな曲も、“Canvas”や“KOIKI”みたいな曲も、ただ聴いてくれ!届け!っていう気持ちを込めてやりました。だから『これは赤い公園のポップじゃないサイド』みたいな考え方をなくして、全部A面の気持ちで作っていって――まぁA面の気持ちで“喧嘩”を書くって、なかなかサイコパスだと思うけど(笑)」

■まぁこれは割とアヴァンギャルドなアレンジだからね。

「はい、このアルバムで唯一そういうものかも。でも、本当に全部A面の気持ちでやってた。まぁ最後の最後まですっごく悩んだんですけどね(笑)。ギター録りにしても何にしても、最後の最後まで音にしがみついたし」

■それくらいこだわったし、振り絞ったと。

「そう、不安でしたしね。でも、今思えば理想的な制作だったかもしれないですね。先にコンセプトを決めたがるのって、自分が安心したいからっていう以外に理由がないんですよ。先に課題が出てれば、それをこなせばいいわけだから。でも今回は、私ですら見えてない中で4人で切り開いていった感じが凄くあって。すっごい疲れたしすっごい不安だったけど(笑)、でも凄く充実してたし楽しかったなぁと思う」

■今の話の中でふたつ訊きたいことがあって。ひとつは、コンセプトを決めない状態で作った裏側には、赤い公園や自分の作曲家としての可能性をもうちょっとフラットに試してみたい、みたいな意識があったの?

「要はそういうことだと思うんですけど、でも最初にそれをちゃんと意図してたというよりも、結果論ですね。事務所変わった瞬間からずっと構想は練っていたんですよ。だから1年ぐらいかけてるんですけど、その中で私の制作のやり方がだいぶ変わっていったんですよね」

■前の体制の時はお題をもらうことが多かったけど今はそれがないって、『KOIKI』の取材の時に話してくれましたよね。

「そうなんです。事務所もレーベルも替わってますから、新しいスタッフの人達と作っていく中でやり方も変わってきて、だんだん自然とメンバーに頼りたい瞬間がたくさん出てきて。……たぶんというか、間違いなく、私はこの1年は凄くいっぱいいっぱいだったと思うんです。ずっと一緒にやってたディレクターはもういないし、でもせっかくめぐり会えた人達と一緒に情報交換しながらやりたいし、みたいな状況の中で、凄い不安もあったしいっぱいいっぱいで……だから今回は、やれることをするしかなかったんですよね。で、やれることをするしかないんだったら、それを最大限に心を込めてやるのが誠意だろうと思って。だからさっき最後まで音にしがみついたって言いましたけど、音だけじゃなく、人にも凄いしがみついた。お互い勝手がわからない状態の中でなんとかコミュニケーションを取ろうとするのもそうだし、メンバーに対してもなんとか曲に思い入れを持ってもらおうとしたこともそうだし……だからコンセプトどころじゃなかったっていうほうが正しい(笑)。でも、そういうやり方でやってみるのは、自分にとって凄くワクワクすることでした」

■今のコミュニケーションの話もそうだけど、つまり米咲ちゃんは今回、なりふり構わず「いい曲」を作るために振り絞っていったんだ?

「ほんとにそれだけだった(笑)。でも、前だってやろうと思えばできたはずなのに、それを状況が変わったことにかこつけて今やってるっていうことは、気づいてないだけで自分の中に自信は少なからず育ってたんだなとも思います。だからこそメンバーに投げるというか、託すこともできたし――前は、かなりデモを作りこんでたんですよ」

■そうだよね。作曲時点でほぼ完成系まで作り込んでたもんね。

「そう。でも今回は曲の骨組みだけをメンバーにポンと投げるってことをして。それって昔の私だったらあり得ないというか、100%まで至ってない原案をそのまま渡すなんて死んでもできないことだったんですけど(笑)。でも、今回はそれができたんですよね。で、何よりも今までで一番、自分自身がメンバーのひとり、赤い公園の25%を担った感じがあって」

■それは作曲家・津野米咲とはまた別の、バンドの中でのギタリストとしての津野米咲っていう部分の話だよね?

「そうです。プレイヤーとしての自分というか、ギターという役割を持つメンバーとしての自分。というか、とにかくギターを弾くのが楽しい(笑)。それは実は、曲を作る上でも結構大きなことなんですよね」

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text by有泉智子

『MUSICA4月号 Vol.108』

Posted on 2016.03.17 by MUSICA編集部

BLUE ENCOUNT、
アグレッシヴに振り切る新曲『Survivor』リリース。
メンバー全員インタヴューで、全力で言葉を撃ち合う!

初の武道館公演も決定、大飛躍の予感を撒き散らす中、
追い風どころか爆風を吹かす鋼鉄アンセム、『Survivor』投下!
この度を超えた熱量、度を超えた狂騒の根幹は何なんだ?
4人全員インタヴューにて激論す

『MUSICA 4月号 Vol.108』P.78より掲載

 

■徹底的にアッパーかつバキバキに振り切った、度を超えた疾走と闘争が聴こえてくる作品になりました。ご自身の手応えはいかがですか?

高村佳秀(Dr)「やっぱり、今年初めに“はじまり”っていうバラードをシングルにできたからこそ出せたシングルだと思っていて。っていうのも、“はじまり”をシングルにするのも、ブルエンにとっては勇気の要るトライだったんですよね。だからこそ、次はなおさらブルエンの持ち味――エモーショナルで強い曲をさらに振り切らせてみようって思えたんですよ」

田邊駿一(Vo&G)「そもそもは、去年の秋に“はじまり”を作るまでに20、30曲作った中にあったのが“Survivor”だったんです。で、『高校サッカーの応援歌』っていうタイミングでは“はじまり”が選ばれましたけど、この“Survivor”も『光ってるな』って感じてたんですよ。だからタイアップ云々っていうのも関係なく、最初から<まわりまわって さぁ今>っていう言葉とメロディが出てきて、そこから歌詞も変えてなくて。その上で、今回オープニングテーマの話をいただいた『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』のストーリーが、『大人に裏切られた少年達が、自分達の足で立ち上がって未来・目的地に向かっていく』っていう、青春感が強いもので、BLUE ENCOUNTが以前『誰にも見つけてもらえない、大人にも裏切られた』って勝手に思ってた時期にも重なるなと思えて。……なおかつ、『大人に裏切られた』っていう部分が、今の時代を選ばずに攻めてると思ったんですよ(笑)。だからこそ、今までの曲にあった熱血感とは真逆の、硬質さとか蒼さをより強めた音作りで攻めてみたい、って思ったんです」

江口雄也(G)「やっぱり“はじまり”は、今までで言えばJ-POP感をストレートに出した曲だったと思うんですね。だけどそれも受け入れられたことで、本当に何をやっても大丈夫なんだなっていう自信になったんですよ。レンジが広がったというか――極端に振ったものも出せるって各々が思えたんですよ。だから今回、4人それぞれが挑戦できたと思うし。田邊からも、もっと重さを出して欲しいんだって言われることもあって、ギターも思い切り重さを意識してやってみたんですけど」

田邊「それで、そうやって振り切ってみて結果的にわかったのは、『バンドとして持ってる質量』というか、『自分達の持ってる重みはどれくらいなのか』っていう部分だったんですよね」

■重く振り切ることで、自分達の真ん中が相対的に見えたというか。その自分達の真ん中って、どういうものだと思ったんですか?

辻村勇太(B)「やっぱり、どれだけ音を重くしても、自分達4人がやったら、結局は疾走感とか軽快さが出ていくんだなって思ったんですよ。それを実感できたからこそ、個人的にも、今までの『音符をバーッと詰め込む』っていう弾き方とは違う、ひとつの音に対してどれだけ刻めるかっていうプレイに挑戦できて。男気ルート弾きでガチガチガチッ!っていう(笑)。で、それがバンドとしての新しい要素になったと思うんですけど」

■ひとつ不思議なのは、今これだけバンドの状況も上向いてきている中で、<どうにかなりそうだよ 偽装した理想 思想><霧がかかった祈り>っていう、焦燥感やボンヤリとした不安を強く感じさせる歌詞が出てきていることで。こういう言葉が今出てくるっていうのは、どういう自分が表れてのことなんでしょうか。

田邊「なんですかね……? でも、<まわりまわって さぁ今>っていう歌詞が最初に出てきた時点で、なんか宇宙感があったんですよ。だから、そうやって浮遊しながら彷徨ってる感じにしたいと思って。……言ってみれば、これまでのブルエンの曲って、もう目指すべきところが見えてる上で、『あそこまで走れ!』っていう曲が多かったと思うんですよね。それこそ起承転結があったら、起があったら結にすぐ行く、みたいな(笑)。だけど、今回は歌の面でも新しさが欲しいなって思って、起と結だけじゃなくて、承と転があるものを書こうと思ったんですよ。そう考えたら、曲の始まりが絶望的なものでもいいし、そこから立ち上がっていく姿を描く書き方もあるんじゃないかなって。それで、暗闇の中を浮遊しているような感覚を書いた歌詞になったのかなって思うんですけど」

■流れとしてはわかるんですけど、でも、その敢えての「絶望」っていう言葉は、メンタリティとしてはどういうところから出てきたんですか? たとえば昨年から今年アタマのツアーは凄く順調だったと思うし、そのツアーファイナルのZepp Tokyoで10月の武道館も発表できたわけで。

田邊「でも、本当に気持ちが荒んでたわけではないと思うんですよ。で、“Survivor”を仕上げたのは今年に入ってからだったし、ツアーも最初から最後まで満足できるものだったと思いますし」

江口「ブルエンで初めて『大成功』って言えるツアーだったもんね(笑)」

田邊「そう、そう(笑)。で、やっぱりその大成功っていうのは、お客さんが勇気をくれたからだったんですよ。だからこそ、敢えて新しい面を出してみよう、マイナスの面から自分の思っていることを歌ってみよう、っていうのをやってみたくなったんだと思います。今までだったら、負があったとしてもそれをプラスの方向に歌うっていうことのほうが多かったと思うんですね。だけど、負のものを最後まで引きずっていくような歌でも、今なら出してもいいんじゃないかなって。だから、サビも<霧がかかった祈り>っていう言葉が入ってくるものになって。そうやって、自分が昔からずっと背負ってきた負の部分も、そのまんま出てる歌だと思うんですよ。ありがたいことに忙しくさせていただいてて、武道館も発表させていただいて――そういう今だからこそ、もう一度ゼロのところから歌ってみようと思えたし、気持ちいいくらい、自分達でBLUE ENCOUNTを裏切れてるのが今だなって思うんです。で、この“Survivor”も、言ってしまえば4人一緒になってBLUE ENCOUNTを裏切った曲のひとつなんですよ。……やっぱり今までも散々『ノンジャンル』って言い続けてきたし、毎回違うことをやりたいんだ、っていうのも見せてきましたけど、結局は、そうやって自分達を覆す変化をすることに対して、どこかで『嫌われるかも』って恐れてる自分達もいたんです。だけど、去年から今年にかけて回ったツアーや“はじまり”が自信になって、『もう、丸くなることなんて捨てていい』って思えたのがこの曲であり、この歌詞だと思うんです」

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text by矢島大地

『MUSICA4月号 Vol.108』

Posted on 2016.03.17 by MUSICA編集部

NICO Touches the Walls、
経験と感性のすべてをひと繋ぎにした
アルバム『勇気も愛もないなんて』完成!
万感取材にてその傑作を祝す

この気持ちは一生変わらないというのはわかっているのに、
それを伝え切れぬまま死にたくない。
そう思うことがこの3年間で凄いあったから。
ここで勇気振り絞らなかったら俺は終わるなと思ったんですよね

『MUSICA 4月号 Vol.108』P.70より掲載

 

■アルバム、もの凄くいいですね!

「あ、ほんと? よかったぁ、ありがとうございます!」

■音楽の楽しさと深さも、ポピュラリティもフェティッシュさも、このバンドの人間性も、全部が手を取り合って素晴らしいアルバムになっていて。この数年の間にNICOは本当にいいバンドになったし、みっちゃんは本当にいい歌唄いになったし、本当にいいコンポーザーになったなってことを凄く強く実感できる作品だと思いました。自分ではどうですか。

「結構がむしゃらにやってたから、今できるベストって感じですけど。ただね、終わってみたら意外と憑きものが取れたような感じがしてて。この調子でまだまだやらなきゃいけないこといっぱいあるじゃん!っていうのが今の正直な気持ちかな」

■その憑きものが取れた感っていうのは、感じた上で作ってたわけじゃなく、でき上がってみて感じたことなんだ?

「うん。というか、憑きものを取らなきゃ!っていう気持ちで作ってはいたんですよ。今回はできるだけ寄り道しないようにしようとはしてたから、アルバムのタイトルも先につけちゃったし。収録曲よりも先にアルバムのタイトルが決まりました(笑)。今回は、今までのアルバムとはちょっと違って、こんなことをやってみよう、挑戦してみようというよりは、今できることの中で『自分の一番得意なものはなんだろう?』みたいなことを突き詰めるっていう作業が長かったから。その集中力は凄い高かったと思いますね、今までと比べると」

■その「寄り道をしない」っていうのは具体的に言うと?

「たとえば今回アルバムの最初の段階で決めたのは、歌詞を書いてからアレンジしようっていうことで。まあ、小さいことなんだけど(笑)」

■いや、それ結構大きいでしょ。つまり音楽性よりも先に、まず自分が何を歌いたいかってことを突き詰めたっていうことでしょ?

「まさにそう。今までの俺だったら、まず音楽的ジャンルから固めていくっていうふうになりがちだったんだけど――まさに1個前の『Shout to the Walls!』はそういうアルバムだったし。でも、今回はそれをやってるとキリがなかったんですよ。というのも、去年の1月の時点で、すでにデモが50曲分ぐらいあったから」

■50曲! そういえば取材の度にいっぱい作ってるって言ってたね。

「そうそう(笑)。だから言ってみれば、ここからどうにでもできるぞっていうくらいに曲はたくさんある状態だったんだけど、でも、それをみんなでスタジオでやって、音楽ファン的な自分の欲求を満たしていくだけでは最早作れないというか、アルバムにならないなと思って。それで考えた結果、音楽ジャンル的な観点から曲を選んだり仕上げていくということをやめて、その代わり、この3年間は歌詞のストーリーとバンドのストーリーを重ね合わせて1曲1曲作ってきたわけだから、その延長線上にある曲だけをやろうっていうふうに思ったんですよね。で、改めてこの3年間、俺はシングルで何を歌ってきたのか?っていうことを整理した上で、次は何を歌おうか、何を歌いたいのかっていうことから考えていって……それで歌詞から書いていこうっていうふうに方向転換したんですけど。そういうやり方だったから、寄り道もするにも逃げ場がなかった(笑)。ほんとに『今、俺は何を歌う? 何を歌いたい? 何を歌うべき?』っていうことばっか考えてた。それで出てきたのが『勇気も愛もないなんて』っていう言葉だったし、一番最初にできたのが“エーキューライセンス”だったんです。ま、その方向に至るまでにめちゃくちゃ時間がかかったんだけど(笑)」

■ちょっと話を戻すけど、50のデモはどういう状態だったの?

「俺のiPhoneで録ったヴォイスメモみたいなやつもあるし、割とちゃんとバンドでプリプロまでしてるやつもあるし、形は本当にいろいろ。そういうのがダーッと放ったらかしにしてあったんですよ。気に入ってる曲なのにそのまま放置しちゃってたのもあったりして」

■なるほど。で、まず歌詞を書くところから始めようってなった時に、その50の中からどう選んで歌詞をつけていったの? それとも書きたいことにハマりそうなものをピックアップして歌詞を書いたの? それともまさか、また新しく作ったの?

「新しく作ったんですよね。今回の中にその50は1個も入ってない」

■えー!!!

「50のデモを整理したのは、もちろんその中からやりたい曲が出てくるかもしれないなと思ったから整理したんだけど、いざ並べてみたら案外アルバム即戦力系の曲がなくて(笑)。みんながいい曲だ、いい曲だって言うのばっか集めてたら、これもう1回ベスト盤出すんじゃないかぐらいの勢いの、シングルベストみたいな雰囲気のアルバムになっちゃったし。まぁそれもそれで、ご時世的にはありなのかもとか言ってたんですけど、でも俺ら的にはちょっと違うよなって」

■アルバムという作品性を大事にするアーティストとしては。

「そうそう、アルバム至上主義者としては、それは違うなと。あと、とにかく暗い曲が多かったんですよ。でも俺、とにかく今は暗い曲を聴きたくなくて。それは普段からそうなんだけど。で、リスナーとしてこういうの聴きたくないんだよなと思ったら、自分の作ってる曲でも暗い曲はどんどん排除していくことになって……だから結局、その50のデモはそのまま放置した(笑)。だから、すでにあったものに歌詞をつけていくっていうのとは別の感覚で、まったく新しく作っていった感じでしたね」

(続きは本誌をチェック!

text by有泉智子

『MUSICA4月号 Vol.108』

Posted on 2016.03.16 by MUSICA編集部

クリープハイプ、待ちに待ったキラーチューン“破花”完成!
尾崎世界観の心の移ろいを深く掘る

レコーディングスタジオの重たい扉を開ける時、その時の感覚を思い出したんです。
「あぁ“社会の窓”の時、こういうふうに自信を持ってこの扉を開けたなぁ」って。
それがすっごい嬉しくて、久しぶりにそういう歌を歌えたと思ってる

『MUSICA 4月号 Vol.108』P.64より掲載

 

(前半略)

■今回のシングル、名曲ですよ。

「…………あ、ありがとうございます……」

■ここ、疑うなよ(笑)。「おめでとう」って言いたい曲です。

「………いや、なんか本当嬉しくて。ありがとうございます」

■尾崎が今のシーンに対して、どういう音楽を投げかけるかに迷い出して、1年半くらい経ったと思うんだけど。その間に出てきたシングルって、“オレンジ”以降の自分達の持ち技で何を使うべきなのかってことを考えていたり、四つ打ちのシーンに対して自分達のどういう音楽で盛り上がれるのかってことを考えていたと思うし、そういうふうに後ろ側にシーンや戦略が仮想敵として見えている曲だったと思うんだよね。でも、この“破花”を聴いた時、久しぶりにクリープハイプとして「やってやろう」って曲が出てきたんじゃないかなって思ったんです。

「最初にタイアップ(代々木ゼミナール)の話をもらった時は『絶対断ろう』って思ったんですよ。次のシングルはそういうの関係なく作るって周りにも言ってたし。………でも、やっぱり話をもらえて嬉しかったんですよね。だから『やりたいです』って掌返して言って(笑)」

■ははは、それもらしいね。

「はい(笑)。最初は平べったい8ビートで刺すようなメロディの曲だったんですけど、『あ、これだ!』って思った時があって。でも、向こう(クライアント)からは今回も『“オレンジ”みたいな曲』って注文があって(笑)。でも、それを無視して提出したら、『こんな形の曲がくるとは思わなかったけど、凄くいい!』って言ってもらえて。……でも、自分ではまだ引っかかるものがあったんですよね。このビートじゃないなっていう……なんだろう、サーっと流れていって、引っかかりがない感じがして。その状態で、メンバーと久しぶりの合宿に入ったんですけど、そこでリズムを16ビートに思い切って変えて。イントロも今まで通り自分がバッキング弾いて、リードは小川(幸慈/G)が弾くっていうのが嫌になったんで、自分も(リードギターを)弾いてみようって思って。当てずっぽうでめちゃくちゃやってみて、そこから今のイントロに辿り着いて。その時になんか先が見えた気がしたんですよね。『今の自分はこういうことがしたかったんだ!』ってね」

■それは具体的に言うとどういうことなの?

「うーん……自分の中から出てきた素直なものを、なんとか粘って違うものをまたぶち込んで、無理矢理でもいいからそれを形にするんだっていう……このままでもいいんだけど、またCMのタイアップ決まって、シングル出してっていう中途半端な感じで終わる気がして、それは嫌だなって思って」

■そして、俺(尾崎)はまたスタッフのいろんな人達に愚痴るんだろうと。

「ははは、そうですね。前に、『クリープハイプって、シングル出せばある程度の数字は出るんだから、出さないとダメだよ』って言われたのが、凄いムカついたんですよ!」

■あははははははははははは!

「『めちゃくちゃ売れるわけじゃないけど、バンドの中では売れるほうだから』って言われたのが凄い悔しくて。その言葉も、そう言われる自分らも凄いダサいなぁって思ったし、実はそれが今回の粘りの原動力になったんですよね。かなり無茶のあることをリズムとかでやってるから、それをねじ込んでいる高揚感も出てきて。で、合宿終わって、東京戻ったらスカパラの加藤(隆志/G)さんにプロデュースしてもらうことになっていたので、加藤さんと一緒に悩みながらリズムを作って。そしたらだいぶ変わってきたんですよね。……今回、加藤さんの存在はデカかったなぁ。クリープハイプのファンで、単純に好きでいてくれたのもあって」

■クリープハイプのファンであり、半ばストーカーと化している加藤ちゃんを今回プロデューサーとして起用しようと思ったのは、どういう具体的な理由があったんですか?

「スカパラで歌わせてもらった時(『爆音ラヴソング/めくったオレンジ』)に、音楽的な知識が豊富だし、見えてるなぁって思って。……音楽って本当に見えないものだし、逆に見えないからやってるのかなとも思うし。自分はそれをにおいや音で表現することが多いんですけど、そんな音楽だからこそ見たい時もあって。それに凄いストレスを感じたりして……。でも加藤さんは音楽を見ている人だなぁって感じてたので、自分の作る曲もきっと見てくれるだろうっていうのがあって。……あとは単純に一緒にやりたいし、一緒にいたいなって人だったんですよね。そういう人が今、関わってくれたら心強いなっていう理由です。実際やってみても、的確に言ってくれたし。……でも、ダメな時は凄く不満そうにするんですよね。『この曲まだまだこんなもんじゃない』っていうのを、かなり顔に出してくれるので(笑)」

■あははは。凄い想像できる。

「実は、同じ時期にだいぶ先に出す予定の曲も詰めてたんですけど、その曲ばっかり『これは、本当にいい曲だなぁ~』とか言うんですよ(笑)。もう、それが悔しくて悔しくて。『この曲はどうでもいいんですよ! こっちですよ、加藤さん!』って言ったら、『うん、こっちもいい感じになると思うけど』って言うんですけど、全然気持ち入ってなくて……。去年の最後にも、『年明けレコーディング楽しみだね。俺も頑張るから、絶対いいものにしよう』って言ってくれたんですけど、絶対に加藤さんは満足してないなってわかってて。だから自分もこのままじゃ絶対に納得できないって思ったし、そのテンションの加藤さんとレコーディングを一緒にしてもつまらないって思ったので、正月なのに実家にも帰らず家に篭ってサビを粘ったんですよ。なんか、そういう気持ちで曲を作ったのが久しぶりで。最近はずっとゴールを見定めながら作ってたんですよね。メジャーのリリースのスパンにも慣れて、『こういうCMなんで、こういう曲が欲しい』って言われて、そこに向けて書いているうちに流れみたいなものができてしまって。期間内に曲を書けるって喜びだけで満足してしまっていたんだなって」

■でも、今回は違ったんだ?

「そう、今回はその先に行ったというか。ソングライターとしての欲のためだけに曲を作って。エンドロールが流れた直後に、まだ物語を作る感じ−−−−誰かに見せるわけでもないし、得するわけでもないんですけどね。でも、そんな気持ちで曲を作ったのは久しぶりで」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA4月号 Vol.108』

Posted on 2016.03.16 by MUSICA編集部

星野源、当日に誕生日を迎えた高松公演に密着。
飛躍のツアーの模様を徹底レポート!

今最も音楽を元気にし、音楽で人々を元気にし、
そして音楽に夢と自由を取り戻す男、星野源!
大ヒットを果たした金字塔『YELLOW DANCER』で
シーンの流れも自身の存在感も大きく変えた彼の、
飛躍のツアーにして根本的なターニングポイントとなる
「YELLOW VOYAGE」高松公演に密着!
(ちなみにこの日は35歳のお誕生日というオマケつき!)
変わらないまま「化わり」続ける星野源の今を読み解く!!

『MUSICA 4月号 Vol.108』P.56より掲載

 

 昨年12月にリリースしたアルバム『YELLOW DANCER』は、激賞に次ぐ激賞な勢いで高い音楽的評価を獲得したことはもちろん、この時代にすでに30万枚近いセールスを上げるというヒット作となり、星野ファンや音楽好きのみならず、より広い層の心を掴んだアルバムになった。ソウル/R&B、ファンク、ジャズといったブラックミュージックを再解釈&昇華してポップスの最先端を更新していくという流れは、数年前から海外の(アンダーグラウンドからメジャーまでを含めた)ポップミュージック・シーンの核にあり続けているものだが、日本人として、日本のポップスの継承者として、そして歌詞の世界も含めて他の誰でもない星野源のポップスとして、それを鮮やかに成し遂げて見せたこのアルバムが、この国のポップシーンに対してインパクトのみならずきっちりと結果を残したことの意味は、本当に大きい。アルバムリリース時から『YELLOW DANCER』以前と以降で音楽シーンの流れは変わるはずだと言い続けてきたが、それが確かに現実化し始めていることは、ここ最近様々なミュージシャンと話をしていても間違いないと感じることが多い。

 2016年の幕開けと共に、1月9日の札幌・ニトリ文化ホールからスタートした「星野源 LIVE TOUR 2016『YELLOW VOYAGE』」。全国11都市13公演、自身過去最大キャパでのアリーナライヴを含め、会場の大きさも動員数も前回までのツアーと比べて遥かにスケールアップした形での航海となった「YELLOW VOYAGE」は、本誌発売時点で残り1本、3月21日の大阪城ホールを残すのみとなった。結論めいたことを先に書いてしまうと、今回のツアーは、これまでも変わり続けることなく「化わり」続けてきた星野源の軌跡の中でも、最も大きなターニングポイントとなるツアーだったと言っていい。ここでは1月28日の高松公演での密着レポートをお届けする。なお、この記事はセットリストも演出も制限なく書いています。なので、大阪城ホールに参加する方でネタバレされたくない方は、ライヴが終わってから読んでください。

 

 1月28日(木)、小雨がパラつく中、高松空港から会場であるアルファあなぶきホール(香川県県民ホール)へと向かう。高松駅から徒歩8分のこの会場は、大小ふたつのホールに加え、リハーサル室や練習室、シンポジウムを行えるだけの広さを含む各種会議室、託児室やレストランが備わる二棟からなる大規模な芸術文化ホール。13時30分過ぎに場内に入ると、すでにバンドメンバーは会場入りしていて和やかにランチタイム中。舞台の立て込みも完了し、音響&照明スタッフが落ち着いた様子で着々と準備や調整を進めているステージを眺めながら客席をぐるりと一周し、ロビーエリアへと向かうと、ホール入り口の外ではすでに物販開始を待つファンの待機列ができていた。ちなみに、その手前ではひっそりとニセさんが待機中――って、もちろん等身大パネルですが。今回のツアーでは各会場にもはやファンにはすっかりおなじみなニセ明の等身大パネルが登場、たくさんの人々が代わる代わるニセさんとのツーショットを撮っていた。ちなみに、さいたまスーパーアリーナではなんと2時間を超えるニセ待ちが起こっていたという。星野源フィーバーに乗じてニセも全国区へ?

 14時32分、ニセ――ではなく、星野源ご本人が会場に到着。車から降りてきた星野に「お誕生日おめでとう!」と声をかけると、笑いながら「ありがとう!」と明るい声が返ってきた。そう、この日=1月28日は星野源35歳のバースデーなのである。すれ違うスタッフと笑顔で挨拶を交わながら、颯爽とした足取りで、「祝 星野源さんへ」という筆文字と「YELLOW VOYAGE」のツアーロゴが染め抜かれた大きなえんじ色の暖簾(スタッフみなさんからのプレゼントだそうです)がかけられた楽屋へと入っていく。大きなマスクでその顔が半分くらい覆われてはいるけれど、そこから覗く表情はとても元気そうだ。

 この日はツアー5本目。直前の1月23日&24日には星野の地元でもあるさいたまスーパーアリーナで2デイズライブをしたばかりだし、疲労が来ていてもおかしくはないのだが――。

「全然平気、凄く元気ですよ。前のツアーの時よりも元気なんだよね。なんでだろう? 会場は大きくなってるけど、日程的にはそんなにキツくないからなのかな。今回のツアーは大体1週間ごとの公演だからその都度ちゃんと家に帰れてるし。ライヴも今まで以上に楽しめてるんですよね」

 そういえば密着取材した前回(2年前)のツアー「復活アアアアア!」の時は初日の終演後に声が枯れてしまい、ステージで100%の歌を歌うために、リハで必要な場合などを除いて本番以外は徹底して声帯を使わない=声を出さないで過ごしていて、すべてのコミュニケーションを筆談で行っていたのを思い出す。もちろんあのツアーは本格的に活動再開をしてからすぐのツアーであり、すでに体は万全の状態だったとはいえ本人的には本当に完走できるのか不安も抱えながらのツアーでもあったから、念には念を入れての処置ではあったのだけど。そう考えても、やはり今は精神的にも体力的にも充実した日々を過ごせていることが大きいのではないかと思う。実際、さいたまスーパーアリーナの2デイズも、自分は2日目を観たのだけど声の調子がとてもよくて、それこそ2014年末の横浜アリーナ2デイズの時よりも最後の最後までしっかり歌声が伸びていく感触があった。

 ちなみに高松といえば、言わずと知れた讃岐うどん。前日夜に高松入りしていた星野はすでにうどんを3食も食べているらしく、この日も会場に来る前に食べた「釜玉バターうどん」がもの凄く美味しかったとそれはそれは幸せそうに話してくれた。「もうずっとうどん食べてたい。全然飽きないっていうか、食べ終わるとまたすぐに食べたくなるから不思議。屋台っぽい感じがあるからなのかな、ちょっと寄るって感覚で食べられるからあんまりごはん食べたぁ!って感じがしなくて。だからどんどん食べちゃう」。そんな星野の想いに応えるかのように、バックエリアの一角には昭和43年創業の元祖セルフうどんの店「竹清」が特別に出張開店。その場でうどんを茹で上げるのはもちろん、半熟卵と竹輪の天婦羅も揚げているという、なんとも嬉しいご当地ケータリング。

 14時45分からサウンドチェック開始。いつもそうなのだけど、まずは星野は入らない状態でバンド+ホーン隊でのサウンドチェックが入念に行われていく。この日のツアーメンバーは長岡亮介(G/ペトロールズ)、伊賀航(B)、伊藤大地(Dr/グッドラックヘイワ)、野村卓史(Key/グッドラックヘイワ)、石橋英子(Key&Mandolin)、武嶋聡(Sax&Clarinet)、東條あづさ(Trombone)、村上基(Trumpette)(なお、今回は公演によってDrが河村“カースケ”智康の時もあり、そしてKeyはこの高松公演以降は櫻田泰啓が務めている。また、アリーナ公演は星野のレコーディング&ライヴではおなじみ、岡村美央ストリングスが参加しております)。ガランとしたホールにタイトかつジューシーな、腰に来るグルーヴと品のある色気が滴るサウンドが響く。抜群に気持ちいい。巨大なアリーナに響き渡る音の海に身を溶かして踊るのも楽しいが、それぞれの演奏とグルーヴの細部の輪郭や熱感までもがダイレクトに感じられるホールライヴもやはりとてもいい。特に『YELLOW DANCER』の楽曲群はその音とリズム自体に無限の宇宙とソウルが宿っているわけで、それを手練のプレイヤー達の生演奏で体感することができるのは至福の時間だ。

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text by有泉智子

『MUSICA4月号 Vol.108』

Posted on 2016.03.16 by MUSICA編集部

BUMP OF CHICKEN、
結成20周年記念Special Live「20」に完全密着!
その奇跡の夜を記す徹底ライヴドキュメンタリー

メンバー自ら申し出て実現した、
「らしくない幸福な」結成20周年メモリアルライヴ「20」。
前日のゲネプロ、そして当日の入りから退出までの
すべてに完全密着した、満願のドキュメンタリー!

『MUSICA 4月号 Vol.108』P.36より掲載

 

 久しぶりのワンマンライヴだし、これだけの大規模なものなので、開催前々日にステージ設営が行われ、前日にはサウンドチェック、および実際のライヴ同様の擬似ライヴが行われる。その「当日と全く同じように、無人のフロアに向かってライヴをし、実際の照明や音響までを確認する」のを通称ゲネプロと呼ぶ。その模様を見に、開催前日の幕張へ向かった。

 館内に入ると、ゲネプロライヴ前のリハーサルがちょうど終わったところで、ステージ上のメンバーと、PAブースのところにいるスタッフがマイク越しにやり取りをしている。

 が。

 チャマが随分とヒソヒソ声でステージからスタッフに話をしている。このとき僕は、いつものようにギャグとしてふざけて発声してるんだろうと、笑いながら受け流した――。

 その後、メンバーそれぞれが戻った楽屋エリアへ行き、それぞれのメンバーに挨拶をした。そこで他の3人はいつもと同じだったが、大きな輪っかを両手で描きながらハグしてきたチャマが耳元で「鹿っぺ、どうしよう、こんな声で」と、例のヒソヒソ声を出してきた時に、ことの重さにようやく気づいた。

「風邪こじらせちゃってさ、ずっと声が出ないんだよ……」

 大変である。

 一体どうしたんだと訊くと「まあいろいろあるんだけど、でも最終的に自分の不注意でこんなことになってしまい、本当にごめんなさい。勝手にいろいろなプレッシャーも感じていたのかもしれないし、駄目だなあと自分で思うけど、でもまずは少しでも明日に向けて回復させないと」と透き通った眼差しを向けてきた。

 フジも楽屋に入るなり、「チャマのことは知ってる? 大変だけど、チャマの問題じゃなくバンドの問題だと思ってるからさ、自分も痛々しい思いになるよね。でもきっと大丈夫、だってチャマだからさ」と話してきた。

 増川が端っこにあるソファーに座りながら話す。

「今日、発売日だよね」

 そう、ゲネプロ日である本日2月10日は、アルバム『Butterflies』の発売日である。おめでとうと言うと――。

「ありがとう(笑)。実はさ、昨日フラゲ日にCDショップ行ってきたんだよ。したらさ、いろいろな店がいろいろなディスプレイしてくれたり、あーいうの本当に嬉しくて。写メして、その場でメンバーにLINEで送ったよ(笑)」と、いろいろなCDショップの『Butterflies』の愛あるディスプレイ写真を、自慢げに見せてくれた。

 その後、チャマが着ていたMA-1にBUMP OF CHICKENのロゴが入っていることに気づき、「これ、どうしたの?」と尋ねた。すると、メンバー同士で作ったものではなく、明日販売するグッズだという。こりゃまた、大胆なグッズを作ったねと話をすると、例のヒソヒソ声で「これはね、友達であるデザイナーと一緒に作ったんだけど、本当にいろいろ考えて、一から型を取って作ったんだ。ワッペンもね、マジックテープで外したり、いろいろつけ替えたりできるようにして。時にバンプのグッズだってわからないように着たい時もあるかもしれないでしょ。そういうことも考えてあげたくて。袖についているポケットも、普通のMA-1はペンポケットがついているじゃない。でもあれは軍服としては必要かもしれないけど、みんなの日常ではペン入れなんていらないでしょ? あ! 鹿っぺはいるか、仕事上(笑)。でもなくても大丈夫だよね? そういうのをなくしてスマートなデザインにしたり、いろいろ考えて作ったんだよ」と話してくれる。

 すると今度はメンバーみんなが試着を始め、「どう、似合う?」、「俺、カーキのほうが似合うかな」、「いや、黒のほうがいいんじゃね?」などと、お互いを品評しあう微笑ましい景色が広がった。きっと中学高校時代、4人は地元のショッピングモールのRight-onみたいな場所で、こうやってたんだろうなというフィルターをかけながら、じっくり眺めさせてもらった。

 ひとしきりMA-1会が済んだ後は、升と増川が、ヨガマットの上でストレッチを始める。それを少しばかり上から眺めながらフジが、「どう、ちゃんと(筋が)伸びてる?」と言いながら見つめる。そしてチャマは寝る。一生懸命に自分を休ませようと、火照ってる身体を必死になって休ませようとしている。

 その後、スタッフとゲネプロ前の最終打ち合わせ。そこで、何曲かは外音を出さずにやることを話し合った。

 何故か? 僅かな会場外への音漏れによって、明日のセットリストがわかってしまうからである。

 そういえば、何十回もこうやって密着をしている中でこういうことも過去にあった。でもそれは大抵の場合、レコーディング中のライヴで、リハが終わった後で外音を切って、ステージ内だけの音で、新曲のアンサンブルを見つめ直したり、確認したりする場合だった。仙台で“firefly”を必死になって練習していたのを、思い出す。

 しかし、今回はライヴ自体のリハーサルを外音で出さない。それほど、この20周年記念ライヴはプレシャスなものだし、実際に今もメッセの外では複数のファンが前日にもかかわらずアリーナを取り囲んでいるのだった。

「自分らにとっても、懐かしい曲が多いし、そういう久しぶりにやる曲とか、ライヴを観る前に知らせちゃうのって、可哀想じゃない。だから、わからないように、そういう感じの曲はなるべく外音を出さないでやろうと思って。それでも俺らはモニターの状態もわかるし、PAも照明も本番をシミュレーションできるしね」と、チャマが(もちろんのことヒソヒソ声で)説明してくれる。

「(ゲネが始る17時まで)まだあと20分間か、長いな」と、縄跳びしながらフジが話す。

「こんなにもやることなかったっけ?」と、久しぶりのワンマンの感覚を忘れている自分に対して軽い苦笑いを向けている。

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text by鹿野 淳

『MUSICA4月号 Vol.108』

Posted on 2016.03.16 by MUSICA編集部

WANIMA、名古屋公演に初密着!
「ロック界の太陽」の熱き現場を超放熱レポート!

ピークに達した疲労、それでも絶やさなかった笑顔、
誤魔化すことなく、己を全力で曝け出したステージ――
「俺達の人生の歌」として昇り続ける太陽、
圧巻の軌跡と奇跡を描いた『Are You Coming? Tour』
終盤・名古屋追加公演に徹底密着!

『MUSICA 4月号 Vol.108』P.48より掲載

 

2月22日 名古屋・DIAMOND HALL

 

12時を過ぎた頃に到着すると、会場入り口にはすでに、WANIMAのグッズや、WANIMAの3人が身に着けているブランド「LEFLAH」を身に纏ったキッズが数十人集まっていた。話を聞けば、「メンバーの入りでワンチャン狙って、ライヴ観て、その後は出待ちしてワンチャン狙うんです。それでまた夜は街に出て、ライヴの後のメンバーに会えるかどうか、ワンチャン狙うんです!」と、キラキラした表情で話してくれる。ここでの「ワンチャン」が意味するのは「WANIMAメンバーとの対面」だが、KENTAが「男と女の夜のスパーリングのことです」と毎度説明してきた「ワンチャン」が、ここまで汎用性の高い言葉になっているとは。デビューから1年、『Are You Coming?』で一気にロックシーンのど真ん中に駆け上がったWANIMAだが、その存在自体が、もはやキッズの習慣にさえ寄り添うものになっている。

14時20分、予定より少し遅れてWANIMAが会場入り。前日も同じ会場でライヴをして、なおかつツアー全体がタフな日程のはずなのだが、表情は明るく笑顔も多い。今日も、疲れを微塵も感じさせない3人である。

……と思ったのだが、楽屋に入ったKENTAにここまでのツアーの感触を訊くと――。

KENTA「理由もよくわからないんですけど、昨日の夜中、いきなり39度くらいの熱が出て大変だったんですよ(笑)。でも、朝方ニンニク注射打ったら、一気に元気になったんで! だからもう、歌も全然平気です!」

と、ツアー終盤に入ったところで一気に疲労がのしかかってきたことを話してくれた。もちろんいつも通り全開の笑顔なのだが、声の方はというと少々掠れ気味で、やはり疲労の色は隠せない。

 そんな様子を見て気を遣い、楽屋の死角でしばらくコッソリと彼らをウォッチしようとしたのだが、KENTAのほうから次から次へと話を繰り出しては、楽しませてくれる。普段は人をイジる側のことが多いKENTAだが、どんなに照れ隠しをしようとも、彼の笑顔や行動には、周囲にいてくれる人への感謝や気配り、温かな真差しが垣間見える。そう思ったことを直接KENTAに伝えると、「いやいや、そんなことないっすよ~!」と、また太陽みたいな笑顔を見せてくれた。

15時。本当ならリハーサルを開始するはずの時間なのだが、楽屋ではまだまだ、今日のセットリストや曲間の展開を3人で話し合っている。

FUJI「“夏の面影”の前で一回暗転して、そこで俺が曲名を『ネクストソーング……“夏の面影”』ってアナウンスしたらバッとセンターに照明が当たって、そこにKO-SHINくんが立っててイントロ――みたいな感じはどう?」

KO-SHIN「……ミスれないね(笑)」

などなど、ライヴ展開に関してのアイディア交換が止むことがない。

KENTA「フルアルバムを出して、曲が増えたので。やっぱり、その日その日お客さんをどう楽しませるか、っていうのはさらに考えるようになりましたね。だから、セットリストも変えていきたいなって思うし、毎回違うことやりたいんですよ。ま、シンプルに言っちゃうと………………驚かせたい、ってことっすね」

FUJI「ホントにシンプルだな(笑)」

そんな中、会話には参加しつつもあくまでマイペースに過ごしているのがKO-SHINだ。KENTAとFUJIが語り合う横で、ゆっくりコーヒーを飲んだり、体を動かしたり。ライヴではなかなかKENTAに話させてもらえない・なおかつMCのオチにされることの多いKO-SHINだが、彼の持つ穏やかな空気は、間違いなく、WANIMAの音楽が湛える温かさの大きなピースだ。

■『Are You Coming?』で、自分達の状況がもの凄い熱狂を生んでいることが目に見える結果として跳ね返ってきたわけですけど、そのツアーを回っていて感じたこととか、何かありましたか。

KO-SHIN「ステージが大きくなればなるほど、やっぱりちゃんと曲を届けようっていうことを考えるようになってきました。……でも、前の大分の時に、実は僕も熱が出ちゃったんですよ(笑)。昨日の名古屋1日目はFUJIくんも体調を崩して、KENTAも高熱出して。こんなの初めてだったんですけど――でも、そんな大変な中でも、たくさん待っててくれるお客さん達が自分達を自分達らしくいさせてくれたんですよね」

そう話していると、制作スタッフがしびれを切らしたように楽屋にやってきて、「(セットリスト)もう決まったぁー!?(笑)」と、「まったく、お前らはしょうがねぇなあ」という表情で3人を急かし、15時20分、ようやくサウンドチェックとリハーサルがスタートした。

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text by矢島大地

『MUSICA4月号 Vol.108』

Posted on 2016.03.15 by MUSICA編集部

小山田壮平&長澤知之らによる
新バンド・AL、第一声インタヴュー。
今、新たな時代の幕がここから開く

やっぱり自分の一番深いところで大切にしているものを
わかってくれる人は、他にいないから。
ひとつしっかり自分の場所ができたなと思う。(小山田)

『MUSICA 4月号 Vol.108』より掲載

 

■遂にファーストアルバムが完成しました。このバンドにとって素晴らしい始まりの1枚だなと思うんだけど、みんなは今やっと完成してどんな気持ちなのかを聞かせてもらえますか? ALを本格的にバンドとして始動すると決めてからここまでは長かった?

小山田壮平(Vo&G)「そうですね、長かったかなと思います。でも楽しかったし、今は凄くいいアルバムができたからよかったなって思ってて。自分でもよく聴いてます」

長澤知之(Vo&G)「俺もできてよかったなと思うし何より嬉しかった。よく聴いてます」

■自分で聴いてるとどんなことを思います?

長澤「お酒飲みながら聴いてると楽しいし、散歩しながら聴いてると凄く気持ちがよくて。いいアルバムになってよかったなと思う」

■寛くんはどうですか?

藤原寛(B)「俺は作ってる間ずっと凄く楽しかったから、やっとできたっていう感じよりは、もうちょっとふわっとしてるというか」

■それはどういう感覚なの?

藤原「遂にゴールしたぞ!っていう感覚よりは、楽しくやってたらでき上がったなっていう感じがあって。俺も自分でよく聴いてるんだけど――ふと思い立って起きてすぐ聴いてみる時もあるし、タイミング選ばず結構聴いてるんだけど、(何度も深くうなづきながら)『ええやん』って感じです(笑)」

■なるほど(笑)。大樹くんは今、アルバムができてどんな気持ちですか?

後藤大樹(Dr)「凄くいいのができたなと思って。俺もよく聴きますね。部屋でひとりでデカい音で聴いたりしてて。リラックスしてひとりで家で聴いたりできてるっていうのは、自分的には嬉しいことで。俺自身は制作中に結構混乱してたこともあったんですけど、マスタリング終わったのを聴いて凄い素敵だなと思えてるんですよね。それはなかなか得難いことだなというか、素敵なことだなと思ってます」

■壮平と知くんはもちろん、みんな昔から仲はよかったわけですけど、こうやって4人できっちり制作をするというのはまた違う部分もあったりしたんですか?

長澤「いや、結構自然だったと思う。あんまり違いを感じたこと自体もなかったし」

小山田「そうだね。部屋で曲作ってる時の感じのままレコーディングの場所に行けた感覚が凄くあって。まぁところどころ緊張する場面とかはあったけど、でも全体的に、自分が部屋で作ってる時の感覚と変わらずにやることができたから、それがよかったなと思っていて」

■というか、部屋で自然に曲を作ってる感じのままレコーディングにいけたっていうのは素敵なことだよね。やっぱり自分の部屋で曲が生まれる瞬間が一番自然だし喜びも感じていて、その時の感覚をどう維持しながらレコーディングできるかが大事というか、ポイントなんだっていう話を前にしてくれたこともあったと思うんですけど。

小山田「そうなんだよね。今回は完全にではないけど、でもかなり、そういう形でできたんじゃないかなって感覚はあって」

長澤「それを目指してたところもあったからね。変に緊張せず、ちゃんと楽しみながら作れたらいいなっていう話はしてたから」

藤原「うん、普段一緒に話している時と垣根みたいなのはそんなにない状態というか、お互い自然な状態でレコーディングできたと思う。ポイントポイントで一生懸命になり過ぎて周りが見えなくなる時もあったりはするけど、でも、大体自然に臨めたような気がする。そういうふうに音楽を作れたら理想だから。今回はだいぶそれに近い感じで、今までになく自由にやれたなっていう実感はある」

■今回はALとして初めての取材だし、結成の経緯から訊いていきたいんですけど。今回のアルバムは『心の中の色紙』というタイトルですが、実はこの曲を一番最初にやったのは2009年、andymoriの自主企画イベント「ANDY SHANTY」でandymori×長澤知之で対バンをした時だったんだよね。

長澤「え、マジで!?」

小山田「やってなくない? あの時一緒に“EXISTAR”(長澤の楽曲)をやったのは覚えてるんだけど」

長澤「うん、それはやったね」

■いや、やってたよ。もちろんその時はALとは名乗ってないし、バンドバージョンじゃなくて壮平と知くんふたりでの弾き語りだったけど。ふたりで福岡のことを思って作りましたって言って、この曲を歌ってた。

小山田「あ、そうだ。これをやって、その後寛と大樹を呼んで“EXISTAR”をやったんだ」

後藤「あ、そういえばこの4人でやったことあったね」

小山田「え、それ覚えてなかったの?」

後藤「いや、覚えてるけど、そういえばそうだったよなと思って(笑)」

■あの時が人前で一緒にやった初めてだよね。

長澤「うん、初めて。懐かしいなぁ」

■だから“心の中の色紙”に関してはもう7年越しだし、1曲目の“北極大陸”もALとして最初に渋谷B.Y.Gでライヴをやった時から歌っていたし、そう考えるとこのアルバムには長い歴史も入っているわけですけど。そもそもALは最初は知くんと壮平が、作品を作るということでもなく、一緒に曲を作り始めたところから始まっていて。ふたりの中でこれをちゃんとした形に持っていこうって思ったのはいつぐらいだったの?

小山田「そもそも、最初にふたりで飲みに行った日から一緒に曲を作ってたんだけど」

■あ、そうなんだ。

小山田「そう。それで一緒に遊ぶうちにどんどん曲ができていって。で、ある時期に『これはちょっと、ライヴでやってみようか』っていう話になったんですよね。それが2011年かな?」

■それで渋谷B.Y.Gでライヴをやったと。

小山田「そう、それでライヴ出るなら名前をっていうことで、ALと名づけて」

長澤「その頃は遊びと曲作りが同じだったというか、壮平と遊んでると自然に一緒に曲を作ってて。それが続いてだんだん楽しくなってきて、『これって俺達の自己満足じゃなくて、誰かが聴いたら楽しくなってくれるのかな?』みたいな感じになって、それでライヴをやろうってことになったんじゃないかな」

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text by有泉智子

『MUSICA4月号 Vol.108』

Posted on 2016.03.15 by MUSICA編集部

SiM、初の表紙巻頭特集!
『THE BEAUTiFUL PEOPLE』の真髄を紐解く
4人全員総力取材!

心からカッコいいって憧れる音楽を取り入れることで、
俺達はその憧れの入り口になれればいいし、
じゃあ俺らが日本でそれをやらなくちゃダメだよな、っていうのはスゲぇあった

『MUSICA 4月号 Vol.108』P.18より掲載

 

■ついに、初の表紙巻頭特集にご登場いただきます。

4人「ありがとうございまーす!」

■とにかく最高に狂っていて最高に飛べる作品になったと思うんですが、まずはアルバムが完成しての手応え・実感を訊かせていただけますか?

SHOW-HATE(G)「手応えはスゲぇあって。今までになかったUSポップ感も入れられて、いい意味で人を裏切る新しさやバラエティ感も多く見せられた作品だと思いますね。でも、押さえるべきところはちゃんと押さえられてるし、全体的にはちゃんとSiMとして外してないというか。その両方を兼ね揃えた上で、ちゃんと抜けがいいアルバムだと思うんですけど」

GODRi(Dr)「曲としては作った時期も録った時期もバラバラなんですけど、確かに、結果的に凄くまとまったアルバムだなって思う。まとまったっていうのも――俺らの代表作として『これを聴けば俺らのことがわかるでしょ!』ってハッキリ言えるものになったなっていうことですかね」

SIN(B)「元々予定してた曲を全部録ってから一度全体を見渡して、その上で“MAKE ME DEAD!”と“THE KiNG”の2曲を追加で録ったのも、そのバラエティ感とまとまりが両方あるっていう面では大きいと思う」

■急激な展開とポップパンク的なサビのコントラストが非常に際立ってる2曲ですけど。なんで追加しようということになったんですか?

SHOW-HATE「DEAD POP FESTiVALを屋外に持って行った去年の夏くらいから、モッシュしてる人以外にも音楽として届ける方法を考えるようになったし、自分達の音楽をさらに多くの人達に知ってもらうには?って考えた上で、武道館ではショー的要素の多いライヴもして――そうやって『バンドとして大きく見せていきたい』っていう軸を4人で共有できたことで、今回の曲作りも、MIXも、低音が強く出つつ、決してドンヨリさせない壮快感を目指すようになったと思うんですよね。だから、そういう壮快感が前に出た曲が欲しいと思って追加で作ったんですよ」

■確かに、グッときたのは、ヘヴィロックとハードコアとポップパンクにレゲエ/ダブを交錯させていく王道感が、“NO FUTURE”を象徴にしてスコンと抜けているところで。だから、バラエティ感があってもズバッと壮快なものとして聴けたし、これだけ狂った展開が多いのに体感として超スムーズなこの作品は、純粋に音楽としても面白いなぁと思うんです。

MAH(Vo)「今回はそもそも、2011年に出した『SEEDS OF HOPE』みたいに『ラウドロック』としてわかりやすいアルバムを作ろうと思ってたんですよ。で、その根幹のテーマは揺るがないまま、バラエティに富んだ曲を入れられたなと思ってて。……今までは、たとえば突拍子もなくダブステップが入ったり、イキ切ってから無理やり本筋に戻ってきたりっていう感じがあったと思うんです(笑)。だけど今回は、1曲1曲展開は結構激しいけど、太い幹の上でどっちに落ちることなく、上手くバランスをとれた曲が多いと思ってて。だから、現状のSiMが出すラウドロックアルバムとしては素晴らしいバランス感になったんじゃないかなぁと思いますね」

■ただ、これは今の言葉と反対のことのようで申し訳ないんですが、『THE BEAUTiFUL PEOPLE』を聴いた実感は、「ああ、ラウドロックっていう括りを名実ともにブチ抜いていったな」ってことだったんです(笑)。

MAH「はい、はい(笑)。そうだよね」

■4音のレンジが一気に広がってるし、“MAKE ME DEAD!”ではガレージやロカビリーの要素が前に出ていて、“CROWS”ではヒップホップの要素も色濃い。この消化と昇華の幅は、いわゆる現状のラウドロックシーンからは十二分にはみ出てると思ったんですよ。でも、今回は「SiMにとってのラウドロックアルバム」を作ろうとしたと。そこにある真意とか、SiMにとってのラウドロックっていう部分を伺いたいんですが。

MAH「それこそ去年武道館をやったことも含めて、モッシュしたいだけじゃない人とか、ライヴハウスとかよくわかんないっていう人にも届くようなものを作ることを凄く考えたんですね。そこで、もっとラウドロックっていう音楽の深みを見せたいと思って。ズクズン!ってやってギャーギャーしてるやつでしょ?みたいな印象しか持っていない人にもアプローチできるだけの幅とか、『音楽をやってるんだよ』っていう感じを出したかったんです。で、それを『敢えてラウドロックを清書する』っていうことで見せようとしたというか。これがSiM流のレゲエパンク、もといラウドロックです――みたいなね。そういう意識が、さっき話した太い幹になってたと思うし、その潜在意識と、2015年にバンドとしてワンステップ大きくなろうとしたのが合致して、こういう音楽的な振り幅になったのかな」

■でも、ひとつだけ疑問があって。「SiMとしてのラウドロックアルバムを作ろうと思った」と言われた点について、メジャー移籍後は特に「ラウドロックっていうラヴェリングとSiMを差別化しなくちゃいけない」っていう意識が強かったし、そこで2015年にライヴハウスの美学の外へ出ていく活動をしたことも含めて、ラウドロックという言葉の外に抜け出そうとしてきたのがこれまでのSiMだったと思うんですよ。その上で今「ラウドロックアルバムを作ろうと思った」っていうのは、今の自分達をどう位置づけようとしたからなんですか。

MAH「今まで『ラウドロックって呼ばれるのが嫌だ、差別化しなきゃいけない』って言い続けてきたのは、似たようなバンドばっかりが増えてきたと実感したからだったんですよ。そもそも俺達は俺達で、レゲエとパンクを混ぜて『これがカッコいい』と思ってきたことが、勝手に外から『ラウドロック』って呼ばれるようになっただけで。だけど、ただ似たバンドが出てくるだけの飽和が生まれたことで、『ラウドロック』の括りはもう終焉を迎えると思ったし、『俺達はもうそこにはいないよ?』っていうことを示さなくちゃと思ってたんですよね。……だからこそ今回、最後に『はい、これがラウドロックでした!』って俺達が言うようなアルバムを作るのが一番いいと思ったんですよ。今思えば、2011年の『SEEDS OF HOPE』によって、『日本のラウドロック感』のフォーマット――ズクズンっていうギターがあって、ツーステップを踏みやすいリズムがあって、サビはキャッチーで、っていう、ある程度の形を作れたと思うんです。もちろん、coldrainとかがやってきたことも合わさって、『ラウドロック』っていう形ができたと思うんですけど。で、フォーマットを作った身としてどう遊ぶか、音楽的な立ち位置をどう自由にするのかが、2012年から2015年だったと思うんですよ。たとえば2014年の『i AGAINST i』だったら、『レゲエやスカをどれだけ消化してるか』に特化して、EDMも取り入れた実験的な作品で。で、そうしてるうちに実際にラウドロックも伸びなくなっていって、ここからは『ロックバンドとしてどうなのか』が問われてくる時期だと思ったんです。だから一度遊ぶのをやめて、ちゃんとSiMの定義するラウドロックを提示して、本当の意味で『俺達はもうそこにはいない』っていうことを示して次にいこうと思ったんですよね」

(続きは本誌をチェック!

text by矢島大地

『MUSICA4月号 Vol.108』