Posted on 2016.06.21 by MUSICA編集部

フレデリックの決定打たる新曲『オンリーワンダー』。
バンドの肝を握る三原康司を徹底取材

「楽しさ」を求めるシーンを悪いことだとは思ってないんですよ。
でも、その時だけですぐ過ぎ去ってしまうことに対する恐怖はあるんです。
自分達がそのシーンにいるからこそ、自分達の手でその次の一手を提示したい

『MUSICA 7月号 Vol.111』P.68より掲載

 

■今回のシングル曲“オンリーワンダー”、めちゃくちゃ素晴らしいです。

「ふふ、ありがとうございます!」

■“オドループ”でジャンプアップしてからのいろんな作品や経験が見事に昇華されて、フレデリックのど真ん中を担う曲が遂に生まれたなぁと思うんだけど、これは自分でも手応えは感じてるんじゃないですか。

「感じてます。今まで書いた曲の中で一番しっくりきたっていう感触がもの凄くあるんですよね。自分の中では“ハローグッバイ”とか“FUTURE ICE CREAM”と、“オドループ”とか“オワラセナイト”ってまったく別の曲だったんですよ。“オドループ”や“オワラセナイト”は自分達が大事にしてきたリズムやビートを強化して持っていった楽曲で、“ハローグッバイ”や“FUTURE ICE CREAM”はメッセージを放っていくことに重きを置いた曲で……という感じだったんですけど、でも今回はその両方をちゃんとやり切る曲ができたなって思っていて。正直、今まで曲を書いてきた中で一番迷いましたけどね。めっちゃくちゃ大変でした(笑)」

■それはどういう部分が?

「いつもだったら曲を作る時、言葉を放っていて『口気持ちいいもの』をずっと探してたんですよ」

■発語感だったり響きだったり、言葉のリズム感だったりね。

「そうです。“オドループ”とかもその口気持ちいいものから素直にでき上がっていったものだったんですけど、この曲が最初にできた時、今とは全然違う歌詞で。メッセージは似通ったものがあったし、自分としては凄く気持ちいいものができたけど、でも凄く弱かったんですよ。曲としては凄く気持ちいいものではあったんですけど、歌詞を聴いた時に、これはたぶん気持ちよくないだろうなと思ったというか」

■要するに、音としての歌という意味では気持ちいいけど、メッセージとしてはまだちょっと奥歯にものが挟まってるような感じだったってこと?

「まさにそういう感じですね(笑)。まだ一歩抜けてないっていう感じが凄くあって、そこが今回一番闘った部分でした。本当にずっとずっと悩んでしまって……歌詞の気持ちよさっていう部分で絶対に抜きたくない言葉とか、僕、そういうこだわりがめちゃくちゃあるんですよ。音楽ってやっぱり、たったひとつの言葉が変わるだけででもまったくもって景色が変わるんで。その中で今回は自分の言葉でどういう景色に持っていくのか、どういう景色に持っていきたいのかっていうところまでを凄く考えました。今まではそういう作曲の仕方をしたことがなかったんで大変でしたね。……やっぱりずっと、一歩次に進みたいという気持ちは強かったんだと思います。昔からやりたいことは変わってないんですけど、でも自分がやりたかったことって、自分が今まで思っていたよりも音楽的に凄く難しいことだなっていうことを感じたりもしてたんですよ。言葉のリズムを気持ちよく乗せながら、同時に自分が感じていること、伝えたいメッセージがしっかり伝わるものにするっていうのは――そういうメッセージと言葉とリズムのマッチングって難しいっていうより、もう奇跡というか(笑)。でも今回はそれをやらなきゃダメだって思って。そうしないと次に行けないっていうのは、凄く感じてたんですよね」

■前作はkaz.くんの脱退もあって、自分の素直な心情が自然とストレートに曲や言葉の中に出て行ったって話をしてくれましたけど――。

「あの時期はそういうパターンが多かったですね。自然と出てきました」

■そうやって曲の中に自然と出てきた自分の想いがきっちり伝わっていったという体験をしたからこそ、自分の中にあるメッセージをどうしたらもっとヴィヴィッドに、かつ人を選ばない形で響くのかっていうことに意識的になり、挑戦をしていったというところもあったんですか。

「それは凄くあったと思います。僕らは昔から『みんなに届けたい』っていう言い方をすることが多かったんですよ。でも、その『みんな』って一体誰なんだろう?っていうことを最近凄く考えるようになって。去年フレデリズムツアーでいろんなところに行ったんですけど、インディーズで大阪でライヴをやっている時からずっと、わざわざ新潟から来てくれてた女の子がいて。その子が昔から『いつか絶対に新潟にワンマンで来てください』って言ってくれてて、僕らもいつか絶対にその夢を叶えてやりたいなっていう話をしてたんですよね。で、やっとフレデリズムツアーの時に新潟でワンマンができることになって、それが凄く嬉しくて……このひとりの女の子がそうやって言ってくれたからここが繋がったんだろうなって思ったし、その瞬間に、ソールドアウトの新潟RIVERSTに来てくれた一人ひとりも、その子と同じ気持ちを持って僕らに対してきてくれてるんだろうっていうのを凄く感じて――それで、誰もが特別な一人ひとりなんだなっていうことを強く思ったんですよね。で、結局みんなを楽しませるっていうか、幸せにできるかどうかは、ひとりに対してどれだけ愛情を持って接することができるかどうかにかかってるんだって気づいたというか」

■漠然とした「みんな」じゃなくて、他の誰でもない「ひとり」の集積が「みんな」であるってことに自覚的になったんだ?

「まさに。そこが変わったところが強かったなって凄く思います。今思うと、前は誰に届けたいんだろうっていうのが漠然としてたなって。『みんなに届けたい』っていう言葉に頼ってた部分は絶対ありました」

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text by有泉智子

『MUSICA7月号 Vol.111』

Posted on 2016.06.21 by MUSICA編集部

BLUE ENCOUNT、新代表曲『だいじょうぶ』誕生。
その闘争と新フェーズを田邊と語り合う

「ギリギリの状態でも少しずつ夢を叶えてきたんだ」ってところを
全部見せてこられたし、それを積み重ねてきた上での今なら、
後先考えずに思ったことを
アウトプットしていけばいいんだって思ったんです

『MUSICA 7月号 Vol.111』P.62より掲載

 

■この“だいじょうぶ”、もの凄い曲ですね。

「わ、嬉しい! ありがとうございます」

■“HANDS”や“もっと光を”といった、ブルエンの真ん中・背骨にある熱いメッセージソングを今のものに更新していくような曲だなと思いました。同時に、合唱曲のようなメロディも含めて、2ビートで走っているのにスケール感と温かみがあるという新しい聴き応えも感じて。ご自身は、どういう実感を持たれてる曲なんですか。

「まさに言ってもらった通りで、2ビートなのに温かみとスケール感があるなって、自分でも思いますね。そもそもはと言うと――このシングルを出そうとなった時に、今年のリリースを振り返ってみたんです。『はじまり』というバラードを出して、春には『Survivor』という、『はじまり』と真逆のガッシリした四つ打ちナンバーを出して。その上で、上半期だけで3枚もシングルを出させてもらえるなんていう機会を今回もらえたのなら、なおかつ“もっと光を”が自分達とお客さんの間で大切な曲に育ってきた実感があった上で武道館ワンマンまで半年を切った今なら、今までの代表曲を超えて行くものを作ることが次のステップだって思ったんですよ。……でね、実は、この“だいじょうぶ”は2年前くらい、それこそ“もっと光を”を作った時に同時に作った曲なんですよね」

■そうなんですね。メジャーデビュー以降の自分達の真芯を食うメッセージソングを作るタイミングで、すでに生まれてきていた曲だったと。

「そうそう。その時に何曲も作ってた中の1曲としてオケもできあがってて、メロもほぼ今の状態で乗ってて。それでプリプロもしてたんです。で、一番最初の<あなたを待ってた/ぼくらを待ってた>っていう詞もできてたんですよ。その歌詞は、本当にふっと出てきただけだったんですけど――でね、実は高校サッカーの応援歌の時も、『≒』の時も、“だいじょうぶ”を出したいっていう話はしてたんです。だけど『いや、違う』ってなってて。『入れたい』『違う』が2年間ずっと続いてた曲なんですよね」

■この曲を自分達でどういうものだと捉えてたから、「いや、違う」になってきたんだと思います?

「それがね………わからないんですよ。歌詞も<あなたを待ってた/ぼくらは待ってた>しかできていなかったわけだから、曲とメロディそのものが帯びてた魔力が凄かったとしか言えないんですけど。……ただ、それくらいの曲だからこそ、みんなが全員揃って『今出したい』って言えた時に出そうっていう話になったんですよね。もちろん、1月から3月くらいの間にも、さっき言ったような『自分達の新しい代表曲を書きたい』っていう想いでたくさん曲は作ってたし、今回3曲目で思い切り青春パンクをやってる“GO!!”もその中の曲で、みんなで『この曲はヤバい!』って言ってたんですけど。ただ、“GO!!”はもう少し『起爆剤』的な立ち位置の曲だなっていう感触があったし、俺がMCでガーッと言いたいことを言ってから雪崩れ込んでいくような、そういう曲ではないなと思ったんですよ」

■“GO!!”は1番バッターには適任だけど、4番打者ではないなっていうことですよね。で、今の話で言えば、やっぱり自分達にとっての4番っていうのは、田邊さんのMCをそのまま叩き込んだようなメッセージソングであるっていうことを改めて実感したっていう。

「ああ、まさにそうです。そう考えたら、やっぱり“だいじょうぶ”が自分達の中ではもの凄い力を放っていたし、なら、もうこの“だいじょうぶ”を出すしかないっていうふうになったのが今なんですよね。それで、いよいよだと思ってこの“だいじょうぶ”に取りかかったんですけど……もう曲もでき上がってて、<あなたを待ってた/ぼくらを待ってた>っていうアタマも決まってるのに、とにかく歌詞に時間がかかって。俺、そういう癖があるんですよ。何かがスムーズにいった分、どこかで『家が近い子ほど学校に遅刻する』みたいな油断があるというか(笑)。で、今回も歌詞が書けないまま『TOUR 2016 THANKS』が始まってしまいまして――最初の3公演でSUPER BEAVERと一緒に回って、その後、京都でアルカラ先輩、大阪でヒトリエと一緒にやって、神戸でLONGMANとやってから、移動日を合わせて2日間空いて。そこで『ここで書くしかない』となったんです。そしたら不思議なことに、“S.O.B”と“GO!!”の歌詞は3時間で書けたんですよ(笑)。で、そこから“だいじょうぶ”の詞にとりかかったんですけど……最終的には、BLUE ENCOUNT史上一番時間がかかっちゃったんじゃないかなぁ。俺、いつも歌詞は早いほうなんですけど」

■ライヴのモードに入って“S.O.B”と“GO!!”がスパッと書けた中でも“だいじょうぶ”の歌詞が難航したのは、何故だったんですかね?

「やっぱり、アタマの<あなたを待ってた/ぼくらは待ってた>っていう部分から書いていくのが凄く難しかったんですよ。そのアタマの歌詞は、曲を作った時にポンと出てきた言葉ではあったんですけど、<待ってた>っていう言葉以上に刺せるワードってなんなんだ?とか考えてしまって――やっぱりブルエンって、“もっと光を”とか“DAY×DAY”とか“Survivor”とか、聴く人の頭に残らせようと必死な言葉を歌ってきたバンドだと思うんです。そもそも自分達が音楽にしてきたのも、『回りくどいから今ストレートに言うわ!』っていう想いばっかりだし、だからこそ、『待ってた』っていう言葉以上の一撃必殺ワードが何なのか凄く悩んでしまって。で、あれはYON FESの日かな。俺らのライヴが終わった後にメンバーみんなで言葉を出し合ったんですけど、結局どれもハマらなくて。だから1回原点に戻って、俺がこれまでライヴで言ってきたMCを振り返ることになったんです。でもそこで同時に考えたのは――やっぱりライヴのMCって、前後の流れや空気感、そこにある熱量があって初めて成立するものじゃないですか。最近は、いろんなバンドのMCがTwitterで拡散されたりもしているけど、文字だけじゃ、人を傷つけたり意味がまったく違う言葉になっちゃったりするのがMCってもんで。……だからこそ、自分達がいつでも言い続けてきたことや、伝え続けてきた言葉ってなんだろう?っていうことを探していったんですよね」

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text by矢島大地

『MUSICA7月号 Vol.111』

Posted on 2016.06.21 by MUSICA編集部

水曜日のカンパネラ、『UMA』でメジャーデビュー!
彼らの次なるヴィジョンとは

新しいことをさらに押し進めることで、
J-POP臭さがどんどん抜けてったんですよ。
その結果、始まった瞬間は明らかにぶっ飛んでるのに、
普段EXILEを聴いてる子達も
聴き通せるポップさがあると確信しました(ケンモチ)

『MUSICA 7月号 Vol.111』P.50より掲載

 

■今回の『UMA』、非常に攻めているバキバキな作品で、正直ビックリしました。

コムアイ「あはははは! マズイぞー、反省会になりそうだ! 正直、私もやり過ぎたなって思ってます(笑)」

■でも、それって明らかに意図的なものですよね。その上で、まずこの作品が自分にとってどういう作品なのかを、それぞれ教えてください。

コムアイ「今回は、ケンモチさんだけじゃなく、海外のトラックメイカーともやったりしたんですけど、トラックだけ作ってもらって、メロディはこっちが作るのかとか、それとも1から向こうに提案してもらうかとか、何も決まってないままレコーディングしながら少しずつ決めていったというか、探り探りやっていった感じがありますね。その中で、自分のやりたいことに振り回された感じがあって――ある目標に向かってあるモノを作っていくっていう感じじゃなくて、メリーゴーラウンドの外側にいるみたいに、遠心力の強いところで曲達に振り回されました」

ケンモチ「カンパネラ的には、毎回年の前半に出すEPは冒険作というか、新しいことにチャレンジしようということになってるんです。その上で今回、海外の方と一緒にやるっていうことで、これは僕も負けられねぇなっていう感じで、自分の作る3曲に関しては(前作の)『ジパング』よりもう1個上のものが作りたいなって思ってて。あと、今回は締切間近にガッツリ怪我をしてしまいまして――」

■骨折されたと聞いてますが、骨を折るぐらい壮絶なレコーディングだったってことなんですか?

コムアイ「あはははははははははははは!」

ケンモチ「まぁそれは別ですね、レコーディング前のことなんで(失笑)。今回、僕が3曲で、他の4曲は海外のトラックメイカーにお願いしたんですけど――最初はもっと曲作りたいなって思ってたんですけど、結果的には海外のアーティスト達がケンモチヒデフミのピンチに立ち上がって、曲が集ってきた!みたいな感じのいいストーリーができたなって思って(笑)」

コムアイ「それは完全に後づけだけどね(笑)」

ケンモチ「まあ、自分の骨を折って、(レコーディングの)骨を折ることになったってことですかね」

■それが骨折り損にならない作品になってよかったですね(笑)。

Dir.F「はははは。水曜日のカンパネラとしては、一旦『私を鬼ヶ島に連れてって』っていう“桃太郎”が入ってるアルバムで第1章が終わったかなと思っていて。で、次に他の人達と曲を作るっていうことで『トライアスロン』を出して、日本のクリエイターの2組と2曲作ったんですよね。そこから前作の『ジパング』を再びこの3人でやって出して、次はメジャーデビューかなって思ってたんで、このタイミングでメジャーと組む意味を出して行きたかったんです。そういう中で、今までできてなかった部分――それこそ、そのタイミングでちょうど海外趣向が強くなってきていたので、海外のクリエイターと何曲か一緒にできればなと思っていて。いい機会だし、カンパネラとしての楽曲自体もさらに拡張できるし、そこをクリアしたら来るべき次のアルバムもさらに自由度が高い作品ができると思ったんですよね。結果的に外部の人たちにカンパネラっていうキャラクターを広げるのを手伝ってもらったのがこの作品の意味なんですけど」

■前作が『ジパング』っていう名前だったってことが象徴的だったと思うんですけど、トラックに関してはオリエンタル、かつジャポニカな感じがあったと思うし、歌詞の世界に関しても特に昔は話の単語が多かった気がするんです。だけど今回の作品ではほぼバッタリとそういう匂いがしなくなっていて。

コムアイ「確かにそうですね。今回はケンモチさんが作った“チュパカブラ”も“ツチノコ”も、音階は日本的じゃないですもんね。ただ、海外のトラックメイカーを伝って海外の誰かが聴いてくれるとか、そういうことはあんまり意識してなくて、自分達がもう少し広い音楽業界での感覚を掴むために選んだ手段っていう感じのほうが強いかも。曲を作るって『こういう雰囲気がいい』って言いながらやりますよね? 実際、今回そうやって海外の人とやり取りしていく中で、私の英語力も上達したし(笑)、そういうニュアンスの話を海外の人とするっていう経験自体が今後のためになりましたし、楽しかったです」

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text by鹿野 淳

『MUSICA7月号 Vol.111』

Posted on 2016.06.20 by MUSICA編集部

UNISON SQUARE GARDEN、
鮮烈なモンスターアルバム『Dr.Izzy』誕生。
そのメカニズムと芯を3人個別取材で徹底解剖
――Interview with 鈴木貴雄

人間が生きてる意味って大層なものではないと思ってるんですけど、
それでも自分がドラムを一生懸命叩いた時に喜んでくれる人がいたり、
メンバーと一緒にいい音楽を作ることに
凄い喜びがあるのは本当に幸せなことで

『MUSICA 7月号 Vol.111』P.12より掲載

 

■名作誕生おめでとうございます。

「いやいや、そんなことないですよ。いつも通りです」

■なんだそれ(笑)。まあでも、そうだね。ここ2枚含め、ずっと名作アルバムを作り続けているバンドだと思います。その上でのこれっていうか。

「ありがとうございます。毎回アルバムの特色っていうのは、僕が語るべきではないと思ってるんです。それは基本的に田淵のイメージがあって、その上がってきた曲に対してどういうドラムを叩くかっていう、言ってみれば職人的なところに僕の役割があるからなんですけど。なのでディレクターでもプロデューサーでもない自分が、作品そのものに対して思うとこはあんまりないです。なので『いつも通り』っていうことですね(笑)」

■ちなみに斎藤くんはこの『Dr.Izzy』ってアルバムを、「初めて肩の力をちゃんと抜くことができた、今までとはそういう意味で大きく違う作品だ」、というお話をしてくれて。そういう部分に関して言えば、鈴木くんはどう思いますか?

「ああ、それに関しては僕もそう思います……ただ、各々いろんな意見があると思うんですけど、僕はこの12曲を並べて聴いた時にいいアルバムだなとは思いつつ、なんて言うかな……『盗りに行かない』曲っていうんですかね。人の心を盗りにいかない、完全に泣かせにいかない、そういうある種『狙い過ぎてない』曲が結構あるなと思ったんです。で、最初はそれがちょっと物足りなく感じた瞬間もあったんですね。サラッとしてんなって。でもその話を田淵にしてみたら、そのサラッとした部分をむしろ狙ってるんですって」

■それは凄くわかります。

「その中で今作で盗りにいく曲は、たとえば“アトラクションがはじまる(they call it “NO.6”)”、“オトノバ中間試験”、“パンデミックサドンデス”、“mix juiceのいうとおり”、そしてもちろん一番が“シュガーソングとビターステップ”だと思うんですけど、でもそれ以外は敢えて力を抜いたようなんですよ。でも僕はその話を聞いて凄く合点がいったんです。12曲をツルッと聴けちゃって。メインディッシュとメインディッシュの間にサラダやスープがあるというか、それだけでお腹いっぱいにならない間の曲がしっかりあって。それを受けた上で、自分自身も力を抜いてるけど手は抜いてないような、そんな曲達で構成されたアルバムを作れたなって思いました」

■本当にフルコースのディナーですよね。各曲に異なる表情と役割がある。僕は今おっしゃってくれたとのすべてが、このアルバムでは功を奏してると思うよ。それ自体がアルバムとしてこの12曲を聴かせるっていうことへの、巧みなプロデュース力を感じるからなんですけどね。

「わかります。本当に彼(田淵)は名プロデューサーですよね」

■その中で鈴木くんの、今作においてのご自身のプレイヤーとして、また技術屋としての部分はどうでしたか?

「ドラムの音に関しては正直自信があります。最近は自分が思った音を出せるようになってきたなって思ってて。レコーディングでもそうですし、ライヴでも、ライヴハウスによって全然違う鳴りをしている中で、イメージと技術がリンクして自分の力でスッと対応できるようになってきてるなって。音もフレーズもそうなんですけど、なんかがむしゃらに『いいものにしてやりたい!』って思ってやってたような昔のものではなくなって、今はイメージ通りに音もフレーズできるようになってきた実感もあって。この歳になって、自分のなりたいドラマー像っていうのが自分自身の中に明確にできてきたというか」

■今お話ししてくれた、会場に合わせて自分がどうすべきかっていうことがわかってきたっていうのも、ある種ご自分とご自分の太鼓っていうものの定点――つまりはドラマーとしての体幹がわかってきて、そこを基準に状況に対してどうすればいいのかっていうことがわかってきたってことだと思うんですね。これをもっと人間的な話にしていけば、自分っていうものを知れたからこそできるようになった、ってことだと思うんですよ。

「その通りだと思います。自分を知れたってことと、じゃあそれをどう見せたらいいのか?っていう技術的なところのふたつが、全部リンクしたんだと思いますね」

■なんでご自分を知れたんだと思いますか?

「僕、基本的には人間が生きてる意味って、そんな大層なものはないと思ってるんです。でもそんなあまり意味のない生の中でも、やっぱり少なからず自分がドラムを叩いて一生懸命やった時に喜んでくれる人がいたり、メンバーと一緒にいい音楽を作ったりするってことには凄い喜びがあるし幸せなことで。だから音楽を作って演奏する中で人に希望を与えていって、そして逆にその人達からも僕自身が希望をもらってっていうような、そういうふうに生かし合っていくものだと思いながらやってるんですけど。今はそういうサイクルの中で、自分自身の人生とかドラムとかでやるべきこと、やりたいこととの全部がハッキリしたんだと思います」

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text by鹿野 淳

『MUSICA7月号 Vol.111』

Posted on 2016.06.20 by MUSICA編集部

UNISON SQUARE GARDEN、
鮮烈なモンスターアルバム『Dr.Izzy』誕生。
そのメカニズムと芯を3人個別取材で徹底解剖
――Interview with 斎藤宏介

「UNISON SQUARE GARDENが楽しそうに音楽やってるから」
っていう理由で救われる人って、たくさんいると思うんですよ。
それを続けていくための今回のアルバムであり、
これからの活動かなって思いますね

『MUSICA 7月号 Vol.111』P.12より掲載

 

■素晴らしいアルバムを聴かせていただきました。

「あ、ありがとうございます」

■本当に感動するポイントがたくさんあるアルバムだなと思いました。作り終わって数日しか経っていませんが、この生ものの状態の作品に対する印象を語ってもらえますか。

「6枚目のアルバムにしてやっと、肩の力を抜いてやっても成立するバンドになってきたなっていう感触があって。今までは、明確に『こういうアルバムにしたい』とか『こういうところに向けてやっていきたい』とか『あの人を納得させたい』っていう想いがあったんですけど、去年10周年っていうアニヴァーサリーイヤーを終えたことも手伝って、むしろUNISON SQUARE GARDENらしく続けていくことで、認められたり満たされる人達がたくさんいるってことに初めて気づけたんですよね。だから、今は僕らが僕ららしく楽しんで、一生懸命音楽をやっていればそれでいいやっていうところに行きつつあるのかなって思いました」

■斎藤くんが今話してくれたことって、とてもシンプルなことなんだけど、なかなかそう思えないことだと思うんですよね。たとえば、人間って「世の中に通用する」「人が理解してくれる」って自分のことをなかなか思えない生き物だし、ご自分も全部が順調に進んできたわけじゃないですよね。

「そうですね。だから自分を見るより周りを見てそう思ったっていうのもあるんですよね。たとえば、『武道館を経験したバンドがこれからどうなっていくか』っていうことを考えた時に、『よし、もう1回踏ん張って武道館やってやろう!』っていうよりかは、武道館を目指すよりかもっとラフに肩の力を抜くほうがいいなって気づいて。プラス、その中で質の高い音楽を作り続けてるバンドはあんまりいなかった気がしたので、僕らはそっちに向かっていこうって思ったんです」

■要するに、レースに乗らないってことですよね。

「あ、そうですね(笑)」

■この作品に至るまでに、まずは“シュガーソングとビターステップ”がヒットしました。この曲でバンドとしても今までとは違うリスナーを獲得できた。斎藤くんは、この曲のヒットをどう分析してるんですか?

「えっと……まぐれだと思ってます(笑)。もちろん評価されたのは嬉しいですし、数字が出たのも嬉しいんですけど、それはあくまでグレー層の人が買ってくれたのであって、本当のUNISON SQUARE GARDENのファンは“シュガーソングとビターステップ”の枚数よりかは少ないと思ってるんですね。だから、そっちに振り切った自分達は正解だったなって思ってて。あのシングル、10万枚売れたんですよ。10万枚のヒットって、今のご時世あんまりなくて」

■はい。バンドシーンでは、奇跡のような数字でした。

「それ自体は嬉しいです(笑)。でも、こんなこと言ったら怒られるかもしれないですけど、今回は『次のアルバムも10万枚売るぞ!』っていう意気込みで作ったわけではなくて。むしろ10万枚のヒットによって、目に見えないコアな人達がちょっとは増えてるはずなんですよね。“シュガーソングとビターステップ”は大事な曲には変わりないですし、バンドとしても大事な局面だったと思うんで、そこはちゃんと受け止めながら自分達の糧にしていきたくて。だから、このアルバムを含めた今の活動って、そのグレーゾーンの人達を満足させる以外のところにあるんですよね」

■おっしゃる通り、この曲のヒットは自分達のグレーゾーンをもの凄く巨大なものにしたと思うんですよね。でも、グレーゾーンの人達に自分達なりの黒い色に染まっていただくっていう発想もあると思うんですよ。そういう意味では、自分達がこの1曲で得たマーケットを客観的に考えようっていう気持ちにならなかったのはどうしてなんでしょうね?

「そっちに振り切った時に、元々いたUNISON SQUARE GARDENを好きな人達――それこそ武道館に来てくれた12,000人の温かい人達を裏切る行為になってしまうような気がしてたんですよね。やっぱ気持ちいいもんじゃないと思うんですよ、バンドが売れようとしてる姿って(笑)。そこを上手くできる人達はいいと思うんですけど、僕らは『よっしゃ、売れる曲を書こう』っていう時期があった上で今の形に辿り着いてるんで、そこで改めて『よっしゃ、売れよう』っていうふうには到底思えなくて――」

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text by鹿野 淳

『MUSICA7月号 Vol.111』

Posted on 2016.06.19 by MUSICA編集部

Suchmos、さらなる攻勢を確約する
『MINT CONDICTION』リリース。
大きな旋風を巻き起こし始めた彼らの核に迫る

俺らはシーンのブームだのニーズだの意識して
音楽を作るってことはまったくないね。
あくまで自分達の好きなことをやる。
まぁ前からそうだけど、媚びる必要は全然ない

『MUSICA 7月号 Vol.111』P.44より掲載

 

■明らかにブレイクスルーし始めました。自分達でもその実感はあるんじゃないかと思うんですが、どうですか。

KCEE(Dj)「注目が集まっているのは感じてます」

YONCE(Vo)「でも何かが劇的に変わったとは思わないよね。単純に、去年のアルバムからじわじわと認知されていっているなっていうのは感じるし、意識してたわけじゃないけど『LOVE & VICE』、今回の『MINT CONDITION』と然るべき時期に作品を出せていることで、波紋が消える前に上手く次の石を投げ込めているのかなっていう気はしてて」

■バンド内のモードは今どういう感じなの?

TAIHEI(Key)「新曲がバンバンできてます」

HSU(B)「やっぱり先しか見てないよね。相変わらず今でもバンド内のブームはどんどん変わり続けていて、新たなトレンドも入ってきてるし」

KCEE「やっぱり、常に満足してない感じはあるよね」

HSU「ただ、ある程度認知されてきたことも含め、俺達が演奏してYONCEが歌えばどんなものでもSuchmosになるっていう感じはどんどん強くなってきてて。そういう意味では、俺らはシーンのブームだのニーズだの意識して音楽は作るってことはまったくないよね。あくまで自分達の好きなことをやるっていう。まぁ前からそうだけど、媚びる必要は全然ない」

OK(Dr)「全然ない。そういう意味では、さらにドンと構えて制作に臨めるようになった感はあるよね。まぁいい音楽をやっている人は世の中にたくさんいるけど、その中で注目されるか否かは俺らじゃ操作できないことでもあるし。そういうのはまったく気にしてないというか」

■いや、確かに操作はできないけど、でも自信と確信はあるよね。今回の『MINT CONDITION』にしても、これカッコいいだろ?って納得させられる不敵な自信みたいなものがバンドから放出されてる感じがする。それがまた最高なんだけどさ。ブレイクしていくバンドって、そういう理屈じゃない無敵感とか全能感みたいなのがあるんだよ。Suchmosは今完全にそのゾーンに来てるなって感じはするよ。

OK「まぁそれはね」

HSU「間違いなくいい音楽作ってるっていう自信はあるからね」

TAIKING(G)「フェスによってそれぞれ景色が全然違うんですけど、でも俺らは全部行けるんだっていうのは確信したよね。フェスに来るのは俺らのファンだけじゃないじゃないですか。そういう中で、たとえばGreen RoomもVIVA LA ROCKも両方の客層を湧かせられたっていうのは、バンドとして結構自信になったというか」

OK「正直、前まではちょっと斜に構えてる自分達もいたけど、最近は状況を楽しめてるなっていう感覚はあるよね」

HSU「ある。で、なんで楽しいかって言うと、俺らはどっちも出れるバンドだから。どっちがバビロンでどっちがザイオンってことはないけど、俺達はバビロンにもザイオンにも顔を出せる。それが証明されてきてる感じもあるし、それはバンドとしてすげえ強みだなって思いますね。年上のバンドでもどっちにも出れる人達っているけど、明らかに横ノリのイベントにしか出られないような人も多いじゃないですか。やっぱ両方出れるバンドって少ないし、俺らの世代だとさらに少ない。その中で俺らがひとつ指標っていうか、代表になれてる感は絶対あるよね」

KCEE「でも、ほんとはそれって特別なことじゃないとも思うよね」

HSU「そうそうそう、いい音楽ってそういうものなんだよ」

OK「いわゆるJ-ROCKと言われる畑に行って思うことは、もっとみんなやったらいいのになってことで。シーンの隅のほうで『変わらねえ』って嘆いている奴らもいるけど、やっぱジャンルが違うからとか関係ないなって思うよね。いろんな畑に出ていくことで、お客さんに対しても、自分達に対しても、よりポジティヴな作用があるんだなっていうのは実感してて」

KCEE「最近ラジオとかやってても、Jamiroquaiを全然知らないとか、Nirvanaを全然知らないとか、そういう世代がどんどん増えてるんだなって感じるんですよ。どっかのタイミングで日本の音楽カルチャーに断絶が起こってて、その断絶された状態で固定概念を持ったまま音楽を聴いている若い人達がめちゃくちゃ多いなって。その断絶を繋げるというか、それを俺らが代弁していくってことも大事なのかなとは思うよね」

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text by有泉智子

『MUSICA7月号 Vol.111』

Posted on 2016.06.19 by MUSICA編集部

Mrs. GREEN APPLE、バンドの本質を切り取る
シングル『サママ・フェスティバル!』リリース。
彼らのパーソナリティを全員取材で徹底解明!

今まではちゃんと計画を練って作り上げることで
作品のアイデンティティと自分のアイデンティティを確立させて
きたはずなんだけど、今回はもっと
自分達から自然と生まれてくるものを形にしてみようって

『MUSICA 7月号 Vol.111』P.50より掲載

 

(前半略)

■ミセスの音楽って、「みんなの歌である」っていうことと「たったひとりの歌である」っていうことが矛盾なく共存している音楽だと思うんですけど、今回のシングルは3曲で見事にそれを体現していますよね。自分達ではどんなイメージで作ったんですか?

大森「ミセスって『今できること』と『これからしたいこと』を常に表現し続けるバンドなんだろうなって、『TWELVE』を作り上げて思ったんですよ。で、そういうことが表れているシングルだと思うんですけど……やっぱり音楽は楽しめるツールであるべきだと思うんで、表題曲はそういうところだけに重きを置いて作ったんですけど。ただ、今回って実はそんなに深いことを考えずに制作してて。今まではちゃんと計画を練ってしっかり作り上げることで、作品のアイデンティティと自分のアイデンティティを確立させてきたはずなんですけど、今回はもっと自分達から自然と生まれてくるものを形にしてみようってなって」

■パッションをそのまま音楽にしてみよう、と。

大森「本当にそうですね。だから本当に今のMrs. GREEN APPLEがやりたいこととやれることが凄く詰まってる作品だと思いますね」

■なんでそういうモードで作ったの?

大森「……なんでだろう」

■たとえば、『TWELVE』というアルバムで自分達の音楽が世の中に広まったし注目度も増している、と。そういう意味でいくと、その次の一手となるシングルって重要なわけで、それこそ以前のミセスだったら、こういう時だからこそテーマを明確にして、自分達のアイデンティティをどう見せるか?を考え抜いてもおかしくないタイミングだと思うんだけど。

大森「単純に楽しかったんですよね、『TWELVE』を発売して。オリコントップ10に入れたのも凄く嬉しかったし、ワクワク感みたいなものがハンパなかった。将来というか、明日に対するワクワク感がハンパなかったんで、それをまず表現しないと先に進めない!と思ったんです。だし、この時、俺めっちゃポジティヴだったよね?」

藤澤「そうだね。まぁ“サママ・フェスティバル!”っていう曲が送られてきた段階で『どうしちゃったんだろう!?』とは思いましたけど(笑)」

髙野「僕もタイトルから凄いタイトルだなって思った(笑)」

■要するに、こんなに振り切れると思わなかったってことだよね。

藤澤「はい。でも、そうやって解放し切った元貴を見たからこそ、自分達もどこまで素直に楽曲と向き合えるか――どれだけ自分がそのままの状態で楽曲を楽しんで、その楽しんだことを形にできるかっていうことをやったというか。今までは『自分はこういう想いでやんなきゃ』みたいな部分も強かったんですけど、今回はその先に行けた感じがします」

若井「あんまり楽曲について深くまでみんなと話さなかったもんね」

■いつもはそんなにいろいろ話し合うんだ?

藤澤「話します。5人でも話しますし、元貴以外の4人でも話します」

■今回に限らず、元貴くんはかなり完成形に近い、アレンジまで作り込んだデモを作るんですよね? その時点で歌詞もバッチリ乗ってるの?

大森「乗ってますね」

■それを受け取って、まず4人はどうするの?

山中「まずは歌詞を見たり曲を聴いたりして思ったことをお互いに話したり、演奏の方法とか『どういうふうにしたらこの曲を表現できるか』っていうことを出し合うところから始まりますね。それこそ『TWELVE』の時は、元貴以外の4人で歌詞を持ち合って、『ここはこういうことだよね』って話し合ったりしたんですけど」

■それって要するに、一つひとつの歌詞に対して、それぞれが自分の人生観みたいなものも含めた解釈を話し合っていく感じなの?

大森「まさにそうです。アンサンブルがどうこうっていうよりも、そういう擦り合わせが多いですね」

藤澤「同じ歌詞でも細かい部分でそれぞれ見えているものが違ったりするんで、それは刺激にもなるし、その作業をすることでMrs. GREEN APPLEとしてまたひとつの色が増えていく感覚もあるんですよね。で、そこで生まれた色が、また次の曲だったりライヴだったりにも活きてくるものだと思うし。だから5人で感情と感覚、見えるものを共有するっていうことは、自分達の活動にとっては大事な時間かなって思います」

(続きは本誌をチェック!

text by有泉智子

『MUSICA7月号 Vol.111』

Posted on 2016.06.18 by MUSICA編集部

VIVA LA ROCK 2016、
音楽への愛と情熱で満ちた2日間を記録する大特集!
そのドキュメンタリーをここに

3度目のビバラも音楽への愛と熱狂が溢れ返る、
最高に幸福で真摯なロックフェスになりました!
すべての参加者、出演アーティスト、音楽ファンに
心からの感謝とリスペクトを込めて、
恒例のVIVA LA ROCK大特集を送ります!

『MUSICA 7月号 Vol.111』より掲載

 

 まずはお礼を言わせてください。参加してくれた皆さん、このフェスを注目してくれた皆さん、本当にありがとうございました。今年は初めて初日が23,000枚によってソールドアウトすることができました。2日目もそれに準ずる22,000枚という結果を残し、過去2回のどの時よりもたくさんの方々に遊びに来てもらうことができました。埼玉の音楽シーンの活性化、ロックシーンのさらなる可能性の創造、音楽をもっといろいろと聴いたり楽しむためのきっかけの場所になりたいと向かい合ってきたこのフェスは、多くの方に「ビバラ」の愛称で知られるほど認知が増し、話題のフェスになることができました。本当に嬉しいです、ありがとうございました!

 今年はビバラにとって大きな勝負の1年でした。それは、3年一括りとも言われる3年目の開催だったこともあるし、何よりもさいたまスーパーアリーナの改修工事により、通常開催の5月3日〜5日までのGW3日間開催ではなく、3週間以上遅れての2日間開催になったからです。

 VIVA LA ROCK 2016は、まずはその命題ととことん向かい合うことから始まりました。具体的に言うと、3日間開催の集客数で予算組をしているので、それを2日開催レベルに変えるということです。僕らは「ロックフェス」というのは音楽好きの人のために夢を現実の場として描き出す場所だと思って本気で取り組んでいるのですが、その夢をカタチにするのにかなりの制限が出そうな予算組ができ上がり、演出面のスタッフとどうしたもんかと何度も何度も悩みました。しかしそこで悩んだ結果、結束がさらに強くなったり、コストを抑えての最大限の演出効果を考えたり、様々な勉強をすることができたんです。これは結果論として本当に大きなことでした。

 具体的にはSTAR STAGEの演出はレーザー光線を中心に据えて考え、VIVA! STAGEは名物のバルーン巨人を黒色から迷彩に変えるに留め、そしてCAVE STAGEは――そう、このCAVE STAGEが一番のテーマだったんです。それは2日間開催や予算組とはまったく関係ない、でもこのフェスがずっと向かい続けなければいけない「ひとりでも多くライヴを楽しめる空間にしないと」というテーマでした。

 このフェスはさいたまスーパーアリーナ内に3つのステージを設置しているのですが、このCAVEだけが極端に収容人数が少ないのです。だからこそ通路にパブリックヴューイングスペースを作って、ステージエリアの外でも巨大画面とサウンドでCAVEのライヴを観られるようにしたり、それこそフェスに来れなかった音楽ファンへのプロモーションになるように生ストリーミングをしてみたり、様々なフォローアップをしているのですが、それでもなんとかステージエリア内の改良ができないものかと考え、今年はステージの置き場所を抜本的に変えて臨みました。結果的に400人ほど多くの方々に入ってもらうことができましたし、サウンドも独自の「ライヴハウスでもクラブでもガレージでもない、不思議な臨場感が楽しめる場所」になったと思います。正直このCAVE STAGEは永遠に色々なテーマと闘い続けるものだと思っているので、毎年少しずつ改良をしていくことになると思いますが、それでも今年も少しだけ進化することができました。

 このCAVE STAGEが一番入場規制が多く発生するステージでもあります。今年も多くのバンドやアーティストの時に規制がかかり、パブリックヴューイングスペースも溢れ返った時があったと確認しています。今後はその入場規制に関してもより多くの参加者に迅速に伝わるよう、会場内で一斉アナウンスをしたり、善処をしたいと思っています。

 このフェスの特色として多くの方が「VIVA LA GARDEN」を挙げてくれます。このフェスはさいたまスーパーアリーナというアリーナ館内で成立するものですが、そのアリーナの入り口前にある大きな「けやきひろば」を全部借り切って、そこに飲食スペースやステージエリアを始めとする様々なインフラ施設を置く、この「VIVA LA GARDEN」を楽しんでくる方々がとても多くて、僕らもこのフェスの「顔」として毎年楽しんで運営している場所です。

 今年はこのVIVA LA GARDENもリニューアルしました。前述した予算の都合での引き算もありました。何より大きな引き算は「GARDEN STAGEエリア内にフットサルコートを作らなかったこと」なんです。このフェスは自分も含めてサッカー好きが集まってワイワイ語り合いながら始まったもので、だからこそ過去2回のようにこのフェスの間だけ結構高級な人工芝を敷いて、フットサルを誰もが楽しめる場所にし、夕方以降はそこでライヴやDJも楽しめる空間にしよう!というのは、ビバラのスピリッツだと思っているのですが、まあ、それだけで500万以上かかるわけです。なので、今年は泣く泣くその特設フットサルコートを断念し、純粋なステージエリアにしました。そして、まだ改修工事や新規店舗の工事が完成していないけやきひろばの階下のスペースを使えなかったので、昨年まで階下に設置したキッズランド「アソVIVA」をけやきひろば内に作り、代わりにビアガーデンテントを今年だけ廃止にすることにしました。世のお父さんの楽しみを奪って、子供達のランドを守ったわけです(笑)。来年はフットサルコート同様、ビール天国も復活できればと思っています。

 そのGARDEN STAGEもけやきひろば全体を考えるとかなりの人数の方々に音楽を楽しんでもらえるスペースになったので、今年はステージ自体を大きくし、アクト数も増やしました。名実共にさいたまスーパーアリーナとけやきひろばの両方を使うフェスとしてのイメージはでき上がったと思いますし、けやきひろばはフリーエリア(チケットがなくても楽しめる無料スペース)なので、フェスのお客さんとご近所を始めとするさいたまの方々が交流する場所としても今年はとても活性化することができたと思っています。

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA7月号 Vol.111』

Posted on 2016.06.18 by MUSICA編集部

BUMP OF CHICKEN、「BFLY」密着連載第2回!
名古屋公演レポート&福岡公演密着で、
幸福な一期一会を綴る

5月8日愛知ナゴヤドーム、
そして5月22日福岡ヤフオク!ドーム。
巨大スタジアムツアーならではの、ライヴに対する飢え、
そして愛しさの結晶を観た!

『MUSICA 7月号 Vol.111』P.32より掲載

 

(前半略)

5月22日 福岡ヤフオク!ドーム

 

 海沿いに位置し、心地よくも強い風が吹いているスタジアム周辺を感じながらバックエリアに入る。10時11分に升が入ってきて、よっこいしょとリュックをソファーに降ろした。どうやらチャマも一緒に入ってきたようだが、早速どこかに行ったようで確認できない。そして34分に、フジと増川がいつものようにのそっと入ってきた。

 そのフジは楽屋に入るなり、何体もの今回のグッズのニコルのぬいぐるみに服を着せ始めている。今まで見たことのない光景だったので、「もしかして毎回やってたの?」と聞くと、「まあね(笑)。今回、ニコルがグッズになったからさ、ありがとうという気持ちも込めて、責任取んなきゃなと思ってこうやってスタッフが特別に作ってくれた服を着せてるんだよ」と、笑みを浮かべながら淡々と一体一体に丁寧に服を着せてゆく。そして45分から、増川とフジで向かい合い、ふたりでゆっくりとご飯を食べ始めた。

 11時になると、何処かへ行ってた升がいつもの「男マリア」のような懐の広い笑みを浮かべながら戻ってくる。

 その升に「大丈夫?」とフジが真っ先に言う。なんのことだかわからなくて目を丸くしている僕に、升とフジが説明をしてくれたが、どうやら升は一昨日から軽く発熱したらしく、薬を飲んでるのだという。心配気なフジに対して、当の升は「もう大丈夫だよ、薬を飲み忘れそうになるぐらいの感じだから」と、笑いながら返事をしている。少しでも心配を払拭し、完全なコンディションでライヴに向かいたい升は、早く来て別室でマッサージをやってもらったらしく、「身体のダルさはまったく見受けられないから心配しないで」と僕にもリラックスした表情で話してくれた。

 と同時に、升と一緒にスタジアム入りしていたチャマが、いつものようには快活に握手を求めてきた。これにていつもの4人が揃い踏み。中でも一番快活なチャマが、忙しなく楽屋の中を歩いているので注視すると、「寒い寒い」と言い出す。さらに「なんとかせにゃ」と言いながら、空調がオフになってるのを見て慌ててつけながら「オフやないかい!」と連呼している。朝からテンション高めだなと思うと共に、そうか、きっと升を心配してるんだなということに気づく。

 11時25分、楽屋でひとりになったチャマが喉を転がしながら、アコギと共に発声練習をゆっくりとしているので、「今回のツアーは随分とインターバルが空くけど大丈夫?」と訊くと、こう話してくれた。

「確かに人前に出るインターバルはツアーとしては空いてはいるけど、でも俺らの中でのインターバルは空いてないんだよ。何故ならば、まったく休めてないから(笑)。まず、ずっと週3で練習してるんだよね。それ以外にも時間空けば、それぞれが個人練やってるしね。フジくんもいろいろあったり、曲が出てきたりしているみたいだし。スタジアムツアーに関しても、一つひとつのライヴの反省点をじっくり話し合ったり考え合ったりする時間もあるから、それをじっくりやってさ。むしろ今まで以上に頑張り過ぎて、身体が壊さないよう注意し合ってるんだよね(笑)」

 さらにこうつけ加えた。

「それに、そろそろこれからのバンプをどうするか、考えないといけない時期だしね。『20』とかスタジアムツアーとか、ここ最近ずっと特別なことが多過ぎたから(笑)、それを踏まえてこれからいろいろなやり方があるじゃない? それも考え始めてる。それがとても楽しいんだよ」

 そのチャマが11時49分にステージへ向かっていった。サウンドチェックのためだ。しばらくベースの音の調整をPA達とした後、お互いの調子を確かめるように、升のドラマとぶっとい音とビートをでかいステージの上でずっとぶつけ合いながらセッションしている。さっきまで楽屋ではずっと寒い寒いと話していたチャマだが、今度はステージ上で暑い暑いと言っている。つくづくいろいろと忙しい男だ。今に始まったことではないが。

 12時5分にはステージに増川が入ってきてギターのサウンドチェック。リズムもののチェックが終わり上音ものが始まったので、升がステージから降りて客席にあたるグラウンドの散歩をゆっくりとゆっくりと始める。その間、フジは楽屋でひとり、綺麗なアルペジオをギターで爪弾きながら、ほっほっほと時折声出しをしていた。とても流暢なギターと声だ。「今日はどれにしようかね?」と独り言のようにつぶやきながら、ステージ上のギターアンプの上に乗せるニコルをどれにするのか、しばし迷っている。

「バンプのファンは年齢層が広いから、難しいよね」という声が廊下から聞こえてきたと思いきや、その声の主のチャマが、フジと一緒にニコルについて悩む。結局、ベースボールキャップに黒Tのニコルを大事そうに持ち、行ってきますと言い残してフジが12時22分にサウンドチェックのために楽屋を出て行った。チャマはまだ、舞台監督と楽屋の空調が寒くてグラウンドがあんなに暑いのは何故だ?と不思議がっている。

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA7月号 Vol.111』

Posted on 2016.06.17 by MUSICA編集部

BOOM BOOM SATELLITES、
音楽と対峙し続けた彼らの最終章、
『LAY YOUR HANDS ON ME』。
川島、中野両名の言葉をここにおくる

Interview with 中野雅之

僕の川島という人間への興味はこの音楽において大きかった。
何があっても諦めてしまわずに、お互いを共有し、
共感するということに挑戦し続けたんです

『MUSICA 7月号 Vol.111』より掲載

 

■本当に素晴らしい作品だと思います。昨年11月にインタヴューをした際(MUSICA1月号掲載)、中野さんは「僕達は今、答えを出そうとしてる」と話してくれましたけど、その言葉通り、BOOM BOOM SATELLITESが音楽を通して追い求めてきたものやメッセージがもの凄く純度高く結晶化しているし、これ以上ない最高の到達点に達している作品で。最後の作品であるという感慨を排除しても、純粋に音楽作品として素晴らしいものが生まれたなと心から感動しました。

「自分でもそう思います。作品に関してはそんなにたくさん言わなきゃいけないこともないぐらい、満足してます。制作のプロセスにおいては語り尽くせないぐらいのもの凄くいろんなことがあったけど、でき上がったものに関しては、制作過程の大変さはあまり感じさせない、ちゃんと僕らが目指していたものができたっていう感覚があります」

■BOOM BOOM SATELLITESとして鳴らしたかった音楽とメッセージを、この作品の中で100%語り尽くせたという実感がある。

「はい。結果的に4曲、20分強ぐらいだけど、フルアルバムを作るよりも明快なものができているような気もするし。バンドとしての佇まいとか、僕達の美意識みたいなものとか、そういうものが楽曲にもサウンドデザインにも隅々にまでわたって行き届いている感じがしていて。ここまで全部を自分達の手でやってきてよかったなって思えてます。僕達はずっと川島くんと僕のほぼふたりだけで、セルフプロデュース、セルフエンジニアリングで音楽を作ってきたわけですけど。ドラマーを呼んだりしたことはあっても、基本的にはプロダクションのすべてを自分達の責任で動かして、判断してっていうことを繰り返しながら9枚のアルバムを作ってきたから。それって凄く珍しいケースなんですよね」

■バンドとしては世界的に見てもほぼ例がないくらい、稀な在り方だと思います。

「プロデューサーを替えたり、エンジニア含め制作環境を変えたりしながら、アルバムごとの変化とか成長を見せていくのが一般的なバンドの運営の仕方というか、活動とか歴史の積み重ね方だと思うんだけど。それを一切変えないでやっていくことに時々迷いがあったりもしたんですけど。20年近くやってる間にそういうことが頭をよぎったことは何度かある。でも、やっぱり諦めないでやってきてよかったなと、今改めて思いますね。自分達の手を動かすことで歴史を重ねてきたことで、自分達の軌跡っていうものが一番わかりやすい形で残せたと思うし、最後この作品をやり切れたのも、これまで途中で諦めなかったからっていうのがあると思う。だから制作はもの凄く大変だったけど、客観性を失わないで最後まで作り上げることができた。……こういう状況で人の手を借りずに音楽制作をするっていうのは、とてもエゴイスティックになる危険性もあったと思うんです。でもその中で常に冷静に立ち振る舞う――毎日毎日曲と向き合って少しずつ手を加えていく中で、音楽を見失わないようにすることはとても集中力がいるし、緊張感のある毎日だったんだけど」

■精神的にも非常にタフな作業ですよね。

「そうです。本当に、後にも先にもこんなエクストリームな状況下で音楽制作をすることはないっていうぐらいの日々だったけど。でもさっき言ったように、そういう大変さはこの作品を聴く上では感じることはないと思うから……だから、やり切ったと思う。ファンがこれを冷静な状態で聴くっていうことはなかなか難しいと思うんだけど、たとえば1年後とか10年後とか、川島くんの境遇がふと頭から忘れ去った状態の時に聴いてくれたら、きっとこの音楽の力みたいなものはちゃんとわかってもらえると思う」

■きっとそれは目指したところでもありますよね。10年後、20年後、あるいは100年後、もうBOOM BOOM SATELLITESというバンドのドラマや思い出が人の記憶から失われた後でも、この音楽は変わることなく人に強く訴えかけていくものだっていう。

「うん。そう思って作ってきたし、そう願っているということです。で、実際それだけのものが作れたと思う」

(続きは本誌をチェック!

text by有泉智子

『MUSICA7月号 Vol.111』