Posted on 2015.04.17 by MUSICA編集部

plenty、何故、江沼郁弥は「愛」を歌い始めたのか?
初のアナログシングル『体温』で自身に訪れた変化

俺、ここから変わるんだと思う。そういう時期なんだと思う。
「愛」と「自尊心」というテーマが、
自分の中のどこに着地するのかなって楽しみで。
自分でも初めてのことだから

『MUSICA 5月号 Vol.97』P.98より掲載

 

■初めてのアナログシングルですが、アナログはずっと出したかったの?

「出したかったです! だから遂に!ですよ。3年前くらいから出したいって伝えてたんですけど、やっとOKが出て。めっちゃ嬉しいです」

■カッティング(レコードの溝を掘る作業)も見に行ったんですよね。

「行きました。みんなで顕微鏡で覗いてレコードの溝を見て、『うぉぉぉぉーーっ!』って興奮して(笑)」

■この溝に音が刻まれている、と。

「そう! もう大興奮ですよ! しかも7インチっていうのが、また燃えるんですよね。俺、7インチ好きなんですよ。7インチってすぐ終わっちゃうから(回転数が33RPMの場合片面5~7分、45RPMの場合片面2~4分ほど収録)、針を落としたらもうウロウロできないっていうか、かけたらもうじっくり聴くしかないじゃないですか。その曲に向き合わなきゃいけなくなるっていうか。その感じが凄い好きなんですよね」

■今回の楽曲自体も向き合ってるというか、あなたひとりに対して、あるいは自分自身に対して語りかける濃度が特に高い楽曲なんですけど。これは7インチのそういう特性を意識したところもあるの?

「うん、そこはそういうふうにしようって考えました。自分だったら7インチでどういうものを聴きたいかっていうのを思い描きながら書いたから。それは曲もそうだし、詞もそうだし。言葉の選び方とか、複数に歌っちゃわない感じとか、そういうのは心がけましたね」

■“体温”はそもそも去年の年末、ツアーファイナルの渋谷公会堂の終演後に、楽屋でメンバー&スタッフで選曲会をやっている場に立ち会わせてもらって、そこで弾き語りのデモを聴かせてもらったのが最初だったんだけど。もうその時にめちゃくちゃいいメロディだなぁと思って感動して。で、今回は初めてホーンを導入したアレンジをしているわけですが――。

「有泉さん、その完成形を聴いて『あれ?』と思ったって話は聞きましたよ。ホーンアレンジ、豪華過ぎました?」

■いや、豪華過ぎたってことはないんだけど、率直に言うと最初は戸惑った。何故かと言うと、最後のDメロのところでサックスの印象的なフレーズがバーンと入ってくるんだけど、そのフレーズによって楽曲が一気にレイドバックする感覚があって、そこが気になったんだよね。

「俺はそこが新鮮で気に入ってるんですよ。いい意味でミスマッチじゃないですか。やっぱ、何回も7インチに針落としたくなるのって、俺は違和感だと思うんですよ。ただのいい曲じゃなくて、なんでこの音なんだろう、なんでこのラインなんだろうとか、その違和感が欲しかったんですよね。あの部分だけ時代が入れ違ってる感じがするじゃないですか。ホーンだけ昔のお父さんお母さんが聴いてたテープを再生して、そこに今の自分がギターをつけてみました、ドラムを叩いてみましたっていう違和感というか」

■あ、まさにそう。

「俺はそこに熱を感じるっていうか。だから最初に山本拓夫さん(Sax)がアレンジを考えてきてくれた時は、音の作り方にしてもフレーズにしてももっと現代っぽいというか、曲に自然と寄り添うものも考えてきてくれたんですけど、俺としてはもっと離れて欲しくて。そこはもう、わざとそうしてもらいました。変にピタッとハマりたくなかったし、それって別に今じゃなくてもいいかなって思ったし……というか、そういうものが欲しいんだったら拓夫さんじゃなくてもよかったわけで。でもそうじゃない、拓夫さんという大御所の力を借りて、そこと自分なりに喧嘩をしていくっていうか……そういうチャレンジがやりたかったんですよ」

■それは大袈裟な言い方をすると、古きよき時代のポップミュージックに対して、今の郁弥くんなりの挑戦をしてみたかったという感覚もあるの?

「ああ、あるかもな。自分はちょっと前の音楽、上の世代の人の音楽って凄くいいなぁと思うから。やっぱりもの凄く良質だし、熱量も違うというか……才能とか技術とかじゃなくて、昔のミュージシャンの『この1音に魂込めるんだ』っていう感じというか、どれくらいの想いを込めてその音を鳴らしているかっていう熱量と濃度が今とは全然違うなって思っちゃうから。そういうテンションって憧れるし、カッコいいなって思うんですよね。で、今、自分はミュージシャンとしてやってるけど、もう1回自分でミュージシャンとしての自分を認めるっていうか、そこを確認したいっていう気持ちが強くなってる。……最近ミュージシャンの重みとか人権みたいなものが薄くなってる感じがして、凄く悲しく思うんですよね。俺、引越したんですよ。で、いつもそうなんですけど、職業で落ちるんですよ」

■賃貸の審査の時に、ミュージシャンだからという理由で落ちると。

「そう。今回も落ちて落ちて! で、みんなに『ミュージシャンって言うから落とされるんだよ、普通言わない』って言われて『はぁ?』と思って」

■世間におけるミュージシャンというものはそんなものなのか、と。そしてみんなミュージシャンという職業に誇りを持ってないのか、と。

「うん。で、ムカついて。それで“体温”を作ったんですよね」

■え、マジで!? これ、そういう曲なの? 

「始まりは完全にそう(笑)。そういう出来事とレコードっていうものへの想いがきっかけになって、この曲ができました。最終的にラヴソングにしましたけど、でも曲のスタートの雷的なところはそれでした」

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text by 有泉智子

『MUSICA5月号 Vol.97』

Posted on 2015.04.17 by MUSICA編集部

きのこ帝国、初めて告白された転機と、
名曲を掲げた新たなるスタート

自分がとてつもなく弱くて脆いということを知ったんです。
自分が置いてきた、捨ててきたと思っていたはずのもの達に、
実は未だに支えられてたことに気づいたんですよね

『MUSICA 5月号 Vol.97』P.90より掲載

 

■素晴らしい曲が生まれましたね。

「嬉しい、ありがとうございます」

■“桜が咲く前に”は“東京”から10年前に遡った記憶を綴った曲だとアナウンスされていて、そういう意味では連作という言い方もできるかもしれないけど、それを抜きにしてもこれは“東京”に続くきのこ帝国の代表曲となっていく名曲だと思います。ご自分ではどうですか?

「いい曲ができてよかったなと思ってます。“東京”と『フェイクワールドワンダーランド』の後だったんで、多少気負ってた部分もあったんですけど。絶対にいいものを作らないとなっていう気合いの中で作った曲です」

(中略)

■“東京”という曲は世の中にたくさんあって、その中には上京する気持ちを歌ったものもあれば、夢や憧れのメタファーとして「東京」を歌うものもあったりと様々なんですけど。きのこ帝国の場合の“東京”は、新しい場所に自分の居場所を見つけられたこととその幸福を歌ったものだったと思うんです。で、今回の“桜が咲く前に”は上京前夜の想いを歌っているわけだけど、これはある意味、過去の自分を肯定する歌でもあり、そして同時に、その想いをノスタルジーとしてではなく、今も自分の中に大切にあるものとして歌っている曲でもあって。ただ、そのどちらにしても、今の自分を肯定できていないと歌えない曲だと思うんですよ。やっぱりここ1年くらいの間に佐藤さんの中で大きな変化があったからこそ、“東京”が生まれたし、“桜が咲く前に”が生まれたんだなと思うんですけど。

「変化……うん、あると思います。凄い変わったと思います。どうやってどんなふうに変わったかっていうのは上手く言えないんですけど、でも確実に変わってはいて………どう変わったんでしょうね?(笑)」

■『フェイクワールドワンダーランド』の時にも伝えたけど、あの作品で、佐藤さんは鎧を外したところが凄くあったと思うんです。それは佐藤さん自身の本質が変わったというよりも、強くあるために、あるいはナメられないために、音楽性も含めていろんなもので身を固めていたところがあったのが、それらがストンと落ちて佐藤さん自身というものがそのまま音楽になっていく時期に入ったんだというふうに感じたんですけど。

「はい」

■それを私は『ロンググッドバイ』できっと何かひとつの決着がついたからなのだろうと捉えていたんですけど。で、今回の“桜が咲く前に”も、とても率直に佐藤さん自身の想いが表れている、とても清々しい曲で。

「そうですね。ある時からなんと言われてもいいやっていうふうに開き直った瞬間があって。こういうことをやったらバカにされるかなとか、こういうことをしたらナメられるかなとか、そういう意識は少なからずあったんですけど、そんな制約がどんどんくだらなく思えてきて。そんなことは気にせずに作った音楽のほうが届けたい人にまっすぐ届くんだったらそっちを優先したいと思うようになったというか……逆に言えば焦ってもいるっていうことなんですけど。もっと早く、もっと遠くに届けなきゃっていう漠然とした焦りと不安が強くなってくる中で、そう思うようになって」

■それは前にも話してくれましたよね。

「はい。………でも、本当は『ロンググッドバイ』を出した後に、もうやめちゃおうと思ってたんです」

■えっ? それはバンドをやめるっていうこと?

「はい、バンドをやめちゃおうと思ってました。まあ、割と自分はそういうことを考えたりするんですけど(笑)。でも、あの時はほんとに具体的に……『ロンググッドバイ』のツアーをやった辺りで、なんかもう終わったなと思ってたんです。とりあえずひとつ節目が終わったなって思ったし、これ以上このバンドで何がやっていけるんだって思ってて」

■そうだったんだ。初めて知りました。

「それは誰にも言わずに過ごしてたんですけどね。でも、いろいろ考えて、もう1枚ぐらいアルバムを残してから考えよう、そこまで我慢してバンドで音楽を作って出してから、やめたいか/やめたくないか考えればいいかと思ったんです。で、そういう想いの中で“東京”っていう曲が出てきて………“東京”は、それまでのきのこ帝国っぽくない曲だったと思うんですけど、ああいう曲が出てきたのは、自分としてはもうバンドをやめたいっていう吹っ切れた感覚があったからなんですよね。で、“東京”以降は楽曲至上主義みたいな感じになっていくんですけど………だから『ロンググッドバイ』の時に、きのこ帝国は1回終わってるんです。本当にロンググッドバイみたいな、これを最後にしようという感じで作ってましたから」

■なるほど、そうだったんですね……。

「でも、“東京”ができて、それをみんなで演奏した時に、新しいきのこ帝国が自分の中に見えてきて。もちろん楽曲ありきなんだけど、4人で演奏した時の高揚感っていうのはやっぱり実際にあるなと思えて……その時に結構、感動したんですよね。ただ、“東京”以降は自分の中ではアンコールだったんですよ。『フェイクワールドワンダーランド』は、もう終わったきのこ帝国のアンコールをやってる気分で曲を作ってて。そうやって作り終わって、2014年の年末にちょっとずつメンバーとも話し合ったりして。そういうのもあってライヴを少し休もうっていうふうになったんですよね」

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text by 有泉智子

『MUSICA5月号 Vol.97』

Posted on 2015.04.16 by MUSICA編集部

THE ORAL CIGARETTES、
屈指のラヴソング“エイミー”で
ファンとの絆とバンドの大きな未来を紡ぐ

完全に腹を括ったんです、
自分っていう人間にもオーラルっていうバンドに対しても。
勢いだけで突っ走るんじゃなくて、しっかりお客さんのことを見て、
自分達のこともしっかり見て、
自分がどういうものを提示できるのか考えてるんです

『MUSICA 5月号 Vol.97』P.76より掲載

 

■拓也が初めて書いたラヴソングであり、バンドにとってもインディーズ時代から節目節目で歌ってきた“エイミー”を、新しいアレンジでアップデートさせたオーラルのセカンドシングルになりますが。2枚目のシングルっていうよりは、『The BKW Show!!』の次のシーズンのスタートを切るシングルっていう位置づけのほうが正しいのかなと思っていて。

「あぁ、そうですね。去年の11月に『The BKW Show!!』を出してからは、いい意味でも悪い意味でも進めたなっていう感じが凄くあって。たぶんお客さんからしたら、新鮮味っていう面では少し薄れたんかなって」

■新鮮味っていうのは、バンド自体のニューカマー感が薄れたっていうこと?

「うん。『起死回生STORY』の時に、そういうニューカマー感を凄く感じたんですけど、そっからフェスにも出ていって、『The BKW Show!!』を出すまでは自分達でも目に見えてお客さんが増えていくのを感じてた4ヵ月やったなって思うんですよね。全然心配ないなって思うと同時に、凄く先のことを考えるようになってきた時期が7月から11月までの4ヵ月であって」

■要するに、バンドとして凄く勢いもあったし、どんどん攻めていって勝っていける自信も状況もあった、と。特に、夏のフェスとかイベントとかは手応えがあっただろうし。

「そうです。で、『じゃあ、実際に自分達はどういう音楽をやるのか?』っていうことを考えて、11月に『The BKW Show!!』を出して。表側と裏側の二面性みたいなものをテーマに、この二面性をどうやって上手く伝えたらいいんやろうか?って思いながら作ったんですけど、実際出してみたら、『起死回生STORY』を出した時に比べてニューカマー感が少し薄れたなって感じたんですよね。それはたぶん、僕らが出した楽曲を深く知ってもらえたんじゃないかなってことなんですけど。いい意味でも悪い意味でも『こういう曲もやれる、こういう曲もやれる』っていうのがみんなにわかってもらえたから、離れていったお客さんもいると思うし、もっとついていこうって思ってくれたお客さんもいたアルバムやったなって思って。だから、11月から4月になるまでの今の期間は、それが正しいのか正しくないのかっていうところを考える時間に使ってるんですけど――」

■『The BKW Show!!』の頃を振り返っておくと、あのアルバムは敢えてそういう勝負をした作品でしたよね? “起死回生STORY”から入ってきてくれるお客さんは増えた。ただ、自分達はそういうアッパーでダンサブルなロックだけをやっているわけじゃなくて、もっと湿っぽいミディアムナンバーもやるし、人間の暗部を暴くようなシリアスなナンバーもやる、と。“起死回生STORY”の延長上でウケるものを狙って作るんじゃなくて、ちゃんと自分達の音楽のコアを曝け出した上でバンドを評価してもらおうっていうことに挑戦していったアルバムで。

「そうですね。だから、芯は凄く太くなった気がするんですよ。アルバムでもっとお客さんが求めるほうに寄り添ったアルバムにしてたら今の現状はもっと違ったかもしれへんけど、自分達は意外と勢いみたいなものを感じてなくて、着実に一歩ずつやれてるなっていう感覚というか。やっぱり俺らは一歩ずつ一歩ずつしっかり地面に足つけて、長い目でバンドをやってかなきゃいけないなって実感したんですよね。そこは『起死回生~』を出してからの感覚とは真逆だったというか」

■敢えてはっきりと訊くけど、それは『The BKW Show!!』で自分達が意図していたものとはお客さんの受け止められ方がちょっと違っていたっていうことなの?

「というよりは、いい意味でも悪い意味でも、自分達に期待し過ぎていたし、そういう期待をお客さんにもし過ぎてたのかもしれないって思ってて……言い方が上手く伝わるかどうか難しいんですけど、“起死回生STORY”は自分達の中でもいまだにデカい曲だし、お客さんがあの曲に凄く反応してくれて、フェスにもいっぱい出させてもらって、それがいい流れだったのは間違いないんです。で、そこから先で自分達がやりたいことをしっかり伝えていくためには、もっと自分達の芯を太くしなけりゃ伝わんないなって思った。だから『The BKW Show!!』を出したんです。そこで僕達のことをしっかり知ってくれてる人には『すげぇ、オーラルってこんなこともできるんだ!』って、しっかり僕達の意図が伝わったと思うんですけど、まだまだ『もしかしたらオーラル好きかも』っていうぐらいの人がたくさんいて。そういう人達に対して伝えるには、もっと自分達が頑張らなきゃいけないっていうのもアルバム出してからわかったんですよね。もっともっと自分達の芯――自分達の何がいいのか?とか、自分達のどこを見て『オーラルが好きや』って思ってもらえるのか?とか、もっと自分達について知らないといけないなと思って。じゃないと、応援してくれるお客さんとか『ちょっと気になる』って思ってくれてるお客さんにも失礼やなって。だから、そこはひとつ、山中拓也っていうのがどういう人間なのか?とか、オーラルっていうバンドがどういうバンドなのか?っていうことを見つめ直すきっかけになっていったんですけど」

■じゃあ、そこで見つめ直した結果、自分達のストロングポイントやお客さんが求めている自分達がどういうものなんだって判断して、その上でこのシングルをどういうものにしようと思って今回は作っていったんですか?

「いや、実際に“エイミー”を出すって決めてからも、そこに関しては深く考え続けてるんですよね。なんなら“エイミー”を出すって決めた時には、まだ全然答えが見つかってなかった状態でして。でも、ひとつだけわかってたのは、僕達はお客さんに対しての誠意は絶対にしっかり見せないといけないバンドなんだっていうこと。1回オーラルっていうフィールドに興味を持ってくれたお客さんは、絶対に離したくないっていうか、そういうファンへの感謝の気持ちや誠意を絶対に示していかなきゃいけないなっていうのは確実にわかっていて。だから、4月25日のなんばHatchの上京1周年記念ワンマンもそうやし、しっかり感謝っていうものを見せたかった。そこに向けて出すべきシングルっていうのは何なのか?っていうのを凄く考えて、“エイミー”を出そうと思ったんですよね。流れや相手に合わせただけのセカンドシングルにはしたくなかったから、感謝っていうものをテーマにしたシングルにしようって」

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text by 寺田宏幸

『MUSICA5月号 Vol.97』

Posted on 2015.04.16 by MUSICA編集部

クリープハイプ、“愛の点滅”で手にした確信と
再びの飛躍を誓う

去年は結構絶望的で、今まで音楽やってきて一番キツかったかなぁ。
……そうそう、あの頃はメンバーが俺のことを
無視する夢をよく見てたんですよ。
申し訳ないって気持ちがあったから、
誰かに殺される夢とか変な夢ばっかり見てました

『MUSICA 5月号 Vol.97』P.70より掲載

 

■前号で密着させてもらったライヴハウスツアーが終わって。今はホールツアーが始まり、これがまた心地よく行っているらしいとのことで。

「いやぁ、なんかいいんですよねぇ」

■そして今回、名優真木よう子主演映画のタイアップ(『脳内ポイズンベリー』)もついたシングルも出る、テレビつければ超ヘヴィローテーションでブチュー!とばかりに焼きそばCMの裏で異彩を放つ音楽が流れていて。ようやくサイが投げられ始めた感じがします。

「ほんとそうなんですよ。嬉しいです」

■この1年間積み上げてきたものが、だんだんだんだん咲き始めてる感みたいなものはあるんですか?

「『頑張ってたけど、もうダメなのかな?』とかずっと思ってたけど、意外とここにきてよかったなあって思い始めて。今年は結構ヤバい1年になるだろうから、ちょっともう1回しっかりやらなきゃなあと思ってたけど、ちゃんと伝わるところには伝わってたんだなあと思いました」

■その辺はまた、新しい形で期が熟してきたんだなあと思う?

「うーん……手応えは相変わらずないですけどね、そんなに。去年の年末とかは本当にヤバいと思ってたから、アルバムの結果も含めて」

■自分の中で納得のいくものじゃなかった現実にさらに直面し。

「はい。でもこうやって今年また闘って勝負していくって時に、こういういい状況で向かえるのは嬉しいですね。もうヤバいなと思ってたけど、いろんな人達がチャンスをくれたんだと思ってます。まあ映画の人だったりCMの人だったりそれをちゃんと大事にしつつも、でも一番応えなきゃいけないのはライヴにきてくれたりCD買ってくれたりするお客さんなんで。もう1回そこで勝負したいなと思いますね。そこに関しては去年ほんと悔しかったから。かと言ってバンドの音楽性を変える必要はないし、そういう気持ちもないんで、だから同じようなやり方でもう1回勝負したい。もう1回行くからって『何か作戦があるのか?』って言われたら、今まで通り竹槍一本でぶつかってくしかできないんですけど。でもそれをまたやろうって」

■この“愛の点滅”のセカンドセンテンスに<何かが起きるかもしれない>って言葉があって。先行きへの不安もあり、尾崎の中での危機みたいなものも点滅してたんだよね? その中で敢えてこの言葉を綴った。

「ああ、そうですね」

■自分の中ではかなり黄色信号にはなってたんですか?

「うん。いやもう、完全に赤でしたね」

■何か起きないじゃない、赤じゃ(笑)。

「でも、この曲とかは去年もう(タイアップが)決まってたから、進めるしかなくて。とりあえず死んでもいいから『最後に傷跡残してやる……!』って気持ちで作りました、実は(笑)。結構精神的にもギリギリで本当にヤバかったからなあ。『もうやめるからな!』ってメンバーに本気で言ったりしてましたから。理不尽なことで『ふざけんな!』って簡単にキレたりも」

■ははは。「やめる」って言うと、なんて言われるの?

「何も言われないですね」

■あぁ、ね。

「台風みたいなもんですからね。『止まってくれ!』とか言ったって無理じゃないですか。(メンバーは)ひたすら待ってますよ。雨ガッパ着て」

■逆に言えば、自分は10年以上それをくり返してるんだよね。

「はい(笑)、そうなんですよ。でも『もう帰るわ』って言いたいんすけど、いやでも『帰ったらスタジオ代がもったいないな』ってなるんすですよね」

■はははははははは。

「だからとりあえず今日は練習して帰ろってなって、30分くらい時間置いてやり始めて。そうすると結局、やめずにやる感じになっちゃうんですよね。でも『頼む。もうやめさせてくれ』っていうのは本気で言って。……もう今回は本当に帰りたかったんですけど」

■うん。これ真面目に話す――。

「いや真面目な話ですよ!(笑)。これ本当に言ってる話なんですからね、鹿野さんも真剣に聞いてくださいよ!!」

■そうだよね(笑)。その現場にいないから笑ってられるけど、その現場にいたらたまったもんじゃないよね。

「『このまま帰ったら機材、誰が片づけるのかな?』とか考えたり」

■だから言ってみれば移籍もしたし退路も断ったしっていう中でフラストレーションが溜まって、「ああ、上手く行ってないな」と思う。これは自分の中で袋小路にハマっていく感じなの?

「そうですね。いい曲作れてるし環境はよかったんで、できてると思ってたから、なんで?って。今だったらわかりますけどね。あのアルバム(『一つになれないなら、せめて二つだけでいよう』)は素直にやり過ぎたなとは思う。あまりにも正直にいいもの作ろうと思ってやり過ぎたから……。でもその当時はわからなかったんですよ。『なんでだよ、なんで届かないんだろ』っていう気持ちばかりで」

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text by 鹿野 淳

『MUSICA5月号 Vol.97』

Posted on 2015.04.16 by MUSICA編集部

ゲスの極み乙女。、満を持しての新章突入!
快進撃を続けるバンドの次なる照準を川谷絵音に問う

『魅力がすごいよ』はセールス的には好調だったのかもしれないけど、
自分は全然ダメだったと思っていて……
このバンドがもっと大きくなっていくためには、方向性をグイッと変えて、
何をやりたいのか明確に示さないといけないと思ったんです

『MUSICA 5月号 Vol.97』P.62より掲載

 

■ゲスの極み乙女。のリリースは半年ぶりなんだね。

「そうですね、半年も経っちゃいましたね」

■僕の中で絵音くんは、2ヵ月タームの人で。少なくとも4ヵ月以上はリリースに間を置かない人っていうイメージなんですよね。

「なるほど、間違ってないですね(笑)。僕個人で言ったら2ヵ月ごとにリリースはしているんですよ。10月にゲスの極み乙女。でアルバム出して、12月にindigo la Endのシングル出して、2月にindigo la Endでアルバム出して……本当はこのシングルも2月くらいには出したかったんですよ。でも物理的に時間がかかっちゃって、このタイミングになりました」

■そのシングル、ゲスの極み乙女。としてはかなり攻めているシングルだと思ったんです。今回の曲はまとまりがいいじゃないですか。必ずしもゲスは今、こういう曲がリスナーやマーケットから求められているわけではないと思うんですよ。そういう意味では意図的に盛り上がるものというより、音楽性に寄っていったシングルだと思ったんですけど。

「さっき鹿野さんが言っていた通り、10月にアルバムを出してシングルのリリースが4月ってことで、少し間が空く印象も持たれるのかなとは思ってたんです。『魅力がすごいよ』はセールス的には好調だったのかもしれないんですけど、自分の中では全然駄目だったなって思っていて。このバンドがもっと大きくなっていくためには、この先もアルバムの方向性をそのままやっていくのは違うなっていうのはありましたね。だからここからグイっと変えたいと思ったし、自分達が何をやりたいのかっていうのを明確に示したいなって思ったんです」

■それは、具体的にどういうことだったの?

「歌詞に関しては、“私以外私じゃないの”は凄くメッセージ性が強いんですけど、今回に関してはゲスがどうこうっていうよりは、自分以外は自分じゃないし、自分じゃないとできないっていう僕個人としての所信表明的なシングルにしたいなと思ってました。音楽的には、その時にやりたいことを詰め込んでいったっていう感じで」

■おっしゃる通り、この曲の歌詞は自分へのメッセージソングとして受け取れるし、自己葛藤や忙殺されて頭の中がカオスになっている今の自分へのSOSが歌われてますよね。

「そうですね、正直、体力的に限界がきていて。……バンドをふたつやっていくことの難しさをようやく今、感じてきたんですよね。今までは、どちらかのペースが落ちた時にどちらかのペースを上げていくっていうやり方でやってきたんですけど、今はどっちのバンドもフルにアクセルを踏んでいるので、両方アクセルを踏むとこうなってしまうんだなっていうのが自分の中でわかったんです。今まで以上にindigoとゲスを比べられることも増えたし――『どっちのほうがいい』っていうのは僕としてはどうでもいいんですけど、でも『差別化をしないといけない』と考えた時に生まれる新しい葛藤もずっとあって。その答えは出てないんですけど、今回のシングルに関してはその光が少しは見えてきた作品なのかなっていうのはありますね。ゲスでやりたいのはこういうことなんだな、ってなんとなくわかったというか」

■絵音くんにとって、ゲス優位の状態から、両方のバンドがちゃんとしたスタンダードになったわけだよね。そうなったことによって味わった感覚はどういうものだったの?

「嬉しい悲鳴なのかもしれないですけど、単純に難しいですね。曲はいくらでも書けるけど、俺以外の6人のメンバーに対してどういうバランスをとればいいんだろうって……バランス感覚がちょっと悪くなってきているというか、どっちかが動いている時はそっちに集中しないといけないし、でもその間に片方のレコーディングがあったり、ライヴがあったり……今まではなんとかやってきたんですけど。そこをなんとかしないといけないなって思います。嬉しい悲鳴もありつつ、シリアスな悩みが増えたなって」

■両方のバンドで結果を出したから、どちらかが表で、どちらかが裏って感じではなくなってきたってことだと思うんです。そうなった時に自分の中で活動やパフォーマンスを差別化することが難しくなってきたのか。もしくは、両方とも成功しているバンドとして現状を維持していくっていうプレッシャーにやられてしまっているのか。どういう感じなの?

「プレッシャーもあるんですけど、どちらかっていうと前者のほうが大きいのかなって思いますね。まぁ、今年終わってみて俺がどうなっているのかによるのかな?って思うんですけど。……お互いの差別化を考え込んでも、もう決まっているスケジュールが年内ずっとあるので、まずはそれに向かっていかないと壊れてしまいそうだなっていう感じですね」

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text by 鹿野 淳

『MUSICA5月号 Vol.97』

Posted on 2015.04.15 by MUSICA編集部

BUMP OF CHICKEN、
『Hello,world!/コロニー』リリース!
稀に見るハイペースで曲を生み出す「今」を、
『FLAME VEIN』からの軌跡と共に藤原基央に訊いた!!

制作のスピードが上がったのは
自分達の曲のこと、それからそれを受け取ってくれる人達のことを
勇気を出して、以前よりもより強く深く
信じられるようになっていったっていうのが、
ひとつの大きな要因なんじゃないかな

『MUSICA 5月号 Vol.97』P.12より抜粋

 

■今回の『Hello,world!/コロニー』、そして“ファイター”と“パレード”、これはタイアップがついてるんだけど、(決してそのタイアップありきで作っていった曲ではなくて、)藤原基央にとっての自分のスタジオなのか部屋なのかどこなのか、自分の音楽の砂場で純粋に遊んでて、そこから生まれてきた曲なんですよね。

「そうですね」

■それはメジャーデビューしてから15年以上、自分達がそうやってきた中でずっとそこは移り変わらないやり方だっていう話だよね。

「うん。僕らは曲を書いてレコーディングしてライヴやるだけだから。それ以外にそれにまつわる派手な演出は全部、スタッフのみなさんが一生懸命考えて持ってきてくれるものだから。僕らがテレビとかあんまり出たがらないからさ、彼らはいろいろ考えてくれてるんですよ。それだけのことなんですよね」

■それでいくと、それこそ凄い昔、10年ぐらい前は同じようにスタジオ入ってても、曲を作ってても、なかなかできませんでしたっていう時代もありましたよね。

「ありました、懐かしいですね」

■その時代もサボッてたわけではないことは、誰もが知ってる話で。

「はい」

■何よりもフジ自身が、そのスランプにとても苛ついていたし、苦悩していた。で、『COSMONAUT』から『RAY』にかけてのところでよく話に出てきた、「最近は推敲するのをやめて音楽を作っていたかもしれない」っていう、そういうやり方にシフトすることによって、音楽をちゃんと定期的にリスナーへ届けるという回路が明確にできてきたっていう時代があったと思うんだよね。ただ、今の曲――少なくともこの“Hello,world!”と“コロニー”を聴いてて、これは推敲が薄い歌だなとはまったく思わない、むしろ今回は特に非常に凝りに凝ってる曲だと思うわけで。そうなってくると、以前の葛藤を経てきたフジがなんで今こうやってコンスタントに自分の砂場から僕らに音楽をこうやって届けられるようになったんだと思いますか?

「時間がかかってた頃の最後の記憶は…………まず『FLAME VEIN』っていうアルバムを作ってた時は、あれは簡単だったんです。その時あった曲をまとめただけだったから。もう7曲とか8曲とかできてたのを3日でバーッと録るだけだった。だから曲作りで頭抱えるなんてことはなかった。書きたい時に書いてたものが溜まってたから。16の時に書いて、19ぐらいの時に録ってるはずだから、3年間とか4年間とかの作品をまとめてて。で、『THE LIVING DEAD』の時は、あの時が一番……なんだろな」

■文句言ってたよな、あの作品の作り方に対しては(笑)。

「はははははははは」

■たったの1週間だって文句言ってた。

「あれは1週間とか10日間とかでスタジオ押さえてアルバムを作るってことになって。曲はたしか“LAMP”しかなくて、どうするこれ?みたいになって。歌詞も何もないままオケから作り始めて、メロディもなくてオケだけ作って。みんなにオケだけ教えて練習して。で、どんどん録っていくっていうね。そのオケを聴きながら鼻歌でメロつけて歌詞つけていくっていう、今思い返すとマジで意味不明な曲作りをやっていて。逆に興味深いですね、今やってみようかなとかちょっと思っちゃうようなやり方だったんだよ(笑)。そういうやり方だと、曲のスケール感とかが最初に決まるんですよ、変な話なんだけど。そう考えると、その頃から曲作りに追われてはいたけど、局地的なものだったから、そんなに書けねえ書けねえって悩んだって感じではなかったな。それこそさっき言ってたような『こういう曲やってみよう』みたいなのが自分の歴史の中で唯一あったアルバムだったかなって気がしますね、『THE LIVING DEAD』は。『次は速い曲書くか』みたいなね。まぁ今でもテンポぐらいだったら多少はどういう曲にするかってのはあるんですけどね。でも今は言葉ありきでテンポが決まるみたいなところもあるし……言葉の内容如何で自ずとストロークが速くなるっていうか。だから結構あれは特殊かもしれないです。で、その後は『jupiter』ですけど、あの頃はほんと書けなかったですね。まず『THE LIVING DEAD』を書き終えてメジャーデビューってなった時に、“ダイヤモンド”が書けなかったの。メジャーが決まって、なんかすげえ『メジャー決まっちゃった、BUMP変わる』みたいなふうに言われて、そういうお手紙とかもらって。それこそ『信じてたのに』みたいな手紙ももらって(笑)。その温度感が僕らには全然わかんなくて、戸惑って。そういうので頭でっかちになったんだと思います、たぶん」

■たとえばその後で“天体観測”のヒットがあるよね。そこもたぶん、助長したんだと思うんだよね。

「それもそうです。だから非常に臆病な自分達にとってはとてもやり辛い世界になって。今だったら勇気を持ってお客さんを信じるところを、あの頃は信じ切れなかったというか……だから必要以上に、たとえば『ライヴってこういうものじゃん』っていうのをMCで必要以上に伝えようとして。そういうMCが聞きたいみたいな声を今でもたまにいただくんだけど」

■表向きなとんがってるMCをね。

「でも、そんな残酷なこと言わないでくれって僕は言いたいです(笑)。あの時期の俺も今の俺も同じ俺で、状況だし経験値だし、それですげえいっぱい4人なりにいろんな手段を探っていって、やっぱり自分達の音楽が一番大事で、そこを大事にしていくことが一番正しいっていうことにやっと辿り着いて、それで今があって。だから尖ってたとか丸いとかそういうことじゃないんですよね。ちょっと脱線したけど、それが答えな気がします。自分の曲、自分達の曲のこと、それからそれを受け取ってくれる人達のことを勇気を出して以前よりもより強く深く信じられるようになっていったっていうのが、まずひとつの大きな要因なんじゃないかな、制作のスピードが上がったのは」

■それを凄く明確なサインとして僕らがキャッチできたのが、東京ドームでフジが話したMCだったと思うんですよね。「こんなにも臆病な僕らが今はBUMP OF CHICKENという看板に誇りを持つことができた。誇りを持てるようになったのはあなたがたのおかげです、ありがとう」っていうことをMCで言ったじゃないですか。あれは今まで言わなかったんじゃなくて、言えなかったことなんじゃないのかなと思ったんだよね。あれが言える藤原基央が書いてる曲が今ここに並んでる曲だと思うし、そう考えると、そういう自分になれたっていう部分がとても大きいと思うんですけど。あれは「WILLPOLIS」というツアーだけのことだったのか、それよりも前にそういう自分になる起点があったのか、どうなんですか?

「知らないうちになったのか、何かきっかけがあったのか…………とりあえずMCは思いつきでしゃべってることなんで、わかんないですけど。なんかきっかけとかあったのかな…………ないんじゃねえかな。ああ、でも『COSMONAUT』を作ったのもデカいのかもしれないな。『COSMONAUT』っていうアルバムがあるんですよ、読者のみなさん!」

■そうね(笑)。

「そのアルバムを作る前、ほんとに曲が書けない時期があって。簡単に言えばスランプ的なものだったと思うんですけど。以前、1曲の歌詞が9ヵ月書けなかったっていう経験をして……それは『COSMONAUT』以前、『ユグドラシル』というアルバムの前に“ロストマン”というシングルを書いてる時のことなんですけど。あの時は曲だけ先にできていて、9ヵ月間歌詞が書けないというのを僕は経験していて。“ロストマン”というタイトルもつかなかったくらいだったんですよね。それはそれは生きた心地がしなかったんですけども……」

(続きは本誌をチェック!

text by 鹿野 淳

『MUSICA5月号 Vol.97』

Posted on 2015.04.15 by MUSICA編集部

KANA-BOON、夢のその先へと向かった
初の日本武道館公演、独占密着!

バンドの夢をまたひとつ叶え、
ついでに4人それぞれの夢も叶えちゃった、
初の日本武道館公演、独占密着!
バンドという運命共同体が放つ無二の煌めき、
信じ駆け続ける者達に微笑むロックのエネルギー、
KANA-BOONだからこそ描き出せたその景色――

『MUSICA 5月号 Vol.97』P.52より掲載

 

果てしなく続く道の途中

標識はないがあてはあるさ

少年が耳を澄ましている

あの頃の僕よ、聴こえるかこの声が

―――この日の武道館のアンコールの最後、つまり大舞台の締め括りとして奏でられた、彼らのセカンドアルバム『TIME』のラストソングであり、今回の初アリーナ公演のステージで奏でることを思い描いて作られた楽曲である“パレード”は、こんな歌詞から始まる歌だった。

「あの頃の僕よ、聴こえるかこの声が」

 満員のアリーナいっぱいに響きわたる、大きな大きな歓声。心を通じ合わせ、隣で共に音を鳴らし合う仲間達の音。そして、心の底から湧き上がる喜びを感じながら、ステージの上で思い切り歌い上げる「僕」の歌声ーーーこの日の武道館、そして約1週間前の3月23日の大阪城ホールと2日間にわたって行われたKANA-BOON初のアリーナ公演は、彼らにとってまさに「あの頃の僕」が夢に思い描き続けてきた景色が、信じ続けてきた「遠い未来の声」が、遂に現実のものとなった瞬間だった。アンコールでステージに再登場した際、鮪は感慨深げに「凄いね。武道館に立ってるんですね、今」という言葉を零したが、今回の初アリーナ公演は、「インディデビューから約2年、しかもソールドアウトで達成」と言えば異例のスピードだけど、彼らにとっては高校1年生の時にKANA-BOONを結成してから約9年、鮪に至っては中学の時にロックに出会って生きる目標を見つけた時から10年以上の間、強い決意を握りしめて必死になって努力し、走り続けてきた末に辿り着いた晴れ舞台だった。感情を迸らせるようなバンドサウンドに乗って<大事にしたいもの持って大人になるんだ/どんな時も話さずに守り続けよう/そしたらいつの日か/なにもかも笑えるさ>と歌い上げられた本編ラストの“シルエット”、そして万感の想いと共に<僕らはいまでも信じているよ/これでよかったんだと言えるよ/僕らはこれから茨の道をゆくのさ/傷はもう痛くない>という歌が強く響きわたったオーラスの“パレード”ーー4人が夢を体現し、そしてこのライヴをやり遂げた自信と確信をもってさらなる明日へ向かうあの光景を観ながら、思わず熱いものがこみ上げてきたのは私だけではなかったはずだ。

 という、非常に感動的な武道館公演だったんですが、でもそこはKANA-BOON。大抵のロックバンドが初アリーナ公演に持ち込んでくるのとはまったく違う心意気(?)もぎゅうぎゅうにこの日のライヴに詰め込んでました。では、入りから終演まで全力で駆け回った4人の密着ドキュメントを、ここにお届けします。

 

 早くも満開となった桜が美しく咲き乱れ、午前中からたくさんの花見客が行き交う北の丸公園。その一角に位置する武道館の楽屋口に、11時ほぼちょうど、メンバーがやってきた。車のドアが開くなり「オガヨーゴガイガーグ!」と、最早「おはよーございまーす」とは聞こえない言葉を大声で発しながら飛び出してきた古賀、続いて失笑しながら降りてくる鮪、飯田、こいちゃん。ちなみに4人とも武道館でライヴをするのはもちろん、客としても一度たりとも武道館に足を踏み入れたことがない完全なる武道館童貞。「今日までちゃんと守ってきましたよ」と鮪が何故か得意げな笑顔で言いながら、「せーのっ」と4人揃ってピョンッと館内に飛び込んだ。

(続きは本誌をチェック!

text by 有泉智子

『MUSICA5月号 Vol.97』

Posted on 2015.04.15 by MUSICA編集部

野田洋次郎(RADWIMPS)、
初の主演映画『トイレのピエタ』から“あいとわ”まで、
野田洋次郎にとっての表現/音楽とは何なのか、
今だからこそ語る

撮影終盤は毎日家に帰って泣いてた。
悲し過ぎて、死にたくなくて泣けてきてしまって。
しかも、中盤からほんとに食べられなくなって、どんどん痩せていくし。
ほんとに死ぬのかなみたいな、ほんとに怖かった

『MUSICA 5月号 Vol.97』P.42より掲載

 

■こういうRADWIMPSのアルバムタイミングではない時期に、しかも映画主演を機にインタヴューって、なんだか凄く新鮮な感じですね。

「ほんとですね。まさか音楽誌があると思わなかったです(笑)」

■(笑)お久しぶりですが、元気に過ごしてましたか?

「そうですね、結構忙しくしてますね。3.11の(新曲“あいとわ”を映像作品と共に発表)もあったし。充実してます」

■映画を観せていただいたんですが、初主演にもかかわらず宏という人物をとても生々しくリアルに演じていて。演じているというよりも、洋次郎くんは宏という人生を生きたんだなと感じました。それが凄くよかった。

「ああ、ありがとうございます」

■映画に出ることを決めた理由として「宏があまりにも他人とは思えなかったから」というコメントを拝見したんですが、改めて、何故この役に挑戦しようと思ったんですか?

「でも、本当にそこが一番大きかったですね。脚本を読ませていただいた時に、なんか宏が他人とは思えなくて、何かしらこの作品に携わりたいなって思ったのが一番大きいです。俳優としてオファーを受けたんですけど、最初は『それはちょっと無理だと思います、でも音楽で関わりたいです』っていう話をしつつ。だけど役者じゃない人物を求めてるみたいな話をされて、そこから監督とキャッチボールをして、メールでやり取りして、実際に何回も会って。監督は凄いまっすぐな人で。当然、ミュージシャンが役者をやるっていうことのリスクもわかるし、そのリスクを背負わせることだっていうのもわかった上で、それでも洋次郎にやって欲しいって言ってくれて。それで、わかりましたっていう話になりましたね」

■そこは自分の中ではすんなりと承諾できたんですか?

「いや、やっぱり役者をやるって決断はすんなりとはいかないです(笑)」

■そうですよね(笑)。お話をもらったのはいつ頃だったんですか?

「一昨年の夏前ぐらいですかね」

■ということは2013年か。『×と○と罪と』を作っている頃だ。

「うん、2013年の5月とか6月頃じゃなかったかな。俺が28になるちょっと前で、この28になる宏という若者が死んでいくんだなっていう……ほんとに脚本読んだ時、その時の脚本は最終的な完成形とはまたちょっと違うだけど、とにかく凄まじいエネルギーを感じて。こういう奇跡みたいな出会いがあるんだなと思ったし、ほんと宏が他人とは思えなかったし」

■一番シンクロを感じた部分はどこだったんですか。

「もう全部ですね。この人の行き場のなさと、この人の世界の見方と、斜めから見るその姿と、他人を見下して自分の居場所はここじゃないって常にどっかで自分に言い聞かせながら、だけどそこにどっぷり浸かってる感じと……自分の才能を自分はわかってるんだけど、近い人達に自分を凄いって認めてもらいながらも、世間にはまったく受け入れてもらえずにいるっていう……自分がやってきたこともそうだけど、ものを表現するっていうことだったり、それが認められる/認められないっていうのは、本当に世間とのちょっとした重なり、奇跡みたいなことでしかなくて。俺がもし世間からまったく受け入れられなくても音楽やってるかなって思うと、たぶんやってないと思うんですよ。宏が絵を描くのをやめたように、俺も音楽やめて、でも宙ぶらりんのままダラダラと生きてしまうんじゃないかって思う。だから宏のことがすべて理解できたし……俺がもし余命がこれぐらいだっていきなり言われたとして、真衣みたいな凄まじい存在が目の前に現れたとしたら、最後の最後で音楽を作るのかなって思ったし。その時どんなものができるんだろうっていうのは凄い不思議だし……うん、本当に宏っていう存在全部がシンクロというか、納得しました」

■撮影は実際どうでした?

「朝が早くて、起きるのが大変だった(笑)」

■(笑)。

「でも、僕ができることは限られてたんで、凄い苦労したみたいなことは特になかったです。やっぱ素人だから、中途半端なことをしないっていうのだけは心がけようと思って。モニターを見ないこと、もう一回やらせてくださいって言わないこと、そういうことを自分に課して。監督がいいって言ったらOK、監督がまだって言ったらやり続けるっていうことだけを意識してやってました。でも楽しかった。モノ作りの現場って、これまでは常に自分が主導権を握る場所だったから。いいも悪いも自分が完成形のイメージを持って舵を切る立場だし、その責任を常に負ってやってるから。でも今回は、主演ではあるけど作品は監督のものだし、監督がいいって言うかどうかだったから。モノ作りの現場にいながら自分が主導権を握らないっていうのが初めての経験で、それはとても楽しかったですね」

■それって、具体的には何が楽しいの?

 「みんなで作れる感じ。音楽はもっと孤独だから」

(続きは本誌をチェック!

text by 有泉智子

『MUSICA5月号 Vol.97』