Posted on 2015.12.18 by MUSICA編集部

BLUE ENCOUNT、シングル『はじまり』で
新たな始まりを歌うに至った所以を激白

夢も音楽も、あなたが信じたものはそうそう裏切らないよ、
だから信じていいんだよ、って伝えたいんです。
だからこれからのBLUE ENCOUNTは、
さらに「共に闘っていくバンド」になれるんじゃないかと思えてるんです

『MUSICA 1月号 Vol.105』P.120より掲載

 

■来年の1月13日に『はじまり』というシングルが出ます。ということで、ブルエンにとって大飛躍の1年だった2015年もちゃんと振り返りながら、来年の新しい始まりを語り合いたいなと思いまして。

「お、なるほど」

■まずこの“はじまり”は高校サッカーの選手権の応援歌になっている、非常に温かみと包容力のあるバラードですが、どういう出発点から作っていった曲なんですか。

「まず、選手権の応援歌をやってみませんか?っていう話をいただいたのが今年の9月だったんですよ。僕自身、小学生の頃にサッカーをやってましたし、そうでなくても、高校サッカーって言ったら、冬の風物詩的な感覚でご覧になる方も多いと思うんですよ。だから、その事の重大さったらなかったんですけど――ちょうどその頃が、僕にとっては凄く平和な時期だったんです。アルバムもようやく出て、フェスシーズンも落ち着いて、次のシングルをどうしましょうか?っていう話がうっすら出始めるくらいの時期で。だから、7月の『≒』ですべてを出し尽くしてしまったままでしたし、『マズい、切り札になる曲が何もない!』と思って」

■『≒』は、今の自分達の状況に対しての鬱憤も毒も全部吐き出し切ったからこそ作れた作品でしたしね。

「そうなんですよ。なおかつ、その応援歌を作ることに対して、話をくれたチームの方々からは曲調の指定も言葉の指定もなくて。つまり、話をくれたチームの方々がブルエンのライヴやバンドのメッセージを好きでいてくれたから、『BLUE ENCOUNTの書きたいものを書いてください』と。それが凄くありがたくて。……でも一方では、それもまた大変なわけじゃないですか、キャンバスが広いわけだから。それこそ、今年『銀魂』のオープニングテーマをやらせていただいた“DAY×DAY”も『ブルエンの好きなように作ってください』っていうお話でしたけど、新人としてはありえないくらい、ひたすらブルエンらしくいかせてもらった1年だなと思えて。で、これは“DAY×DAY”しかり、“はじまり”しかりですけど、過去にそのテーマソングを歌われた方の曲をイチから聴き直してみて……今回の応援歌も、それに沿おうと思ったんですよね」

■……振り返ると、“DAY×DAY”が生まれる前にも、アニメのタイアップっていうことで真っ向から大衆向けにトライしようとして、最終的にはどれも自分の中で納得いかず、一度音楽が嫌になるほど苦しみましたよね。

「……やっぱり、そこは田邊のクセとして出ちゃったんですよね。それも、選手権がそれだけの伝統とかメッセージを積み重ねてきたものだと思ったからこそなんですけど。で、次の週にはその曲作り用の合宿をして。で、その一週間で自分なりに、選手権の伝統と自分達の伝統を解釈した上で20、30曲作っていったんですよ。今年の夏フェスに多く出させてもらって、どこでもいい景色を見させてもらったのが曲作りの大きな種になってたので、とにかくそこから書きまくったんですけど」

■フェスの景色がもとになったということは、つまりアッパーで強い曲が多かったのかなと思うんですが。

「そうですね。プラス、やっぱり選手権の『伝統』と自分達の『伝統』を重ねてみた時に、いわゆる“HANDS”や“もっと光を”みたいに、アッパーで芯の強い曲がいいなと思ったんです。で、それを作って、高校サッカーの映像に合わせてみたんですけど――どれもハマらなかったんですよ。要するに、“HANDS”や“もっと光を”みたいな曲を作ろう、っていうのが、自分達としては『置きにいってるな』って感じちゃったんです。『こういうの出してくるよね』って言われるんじゃねえかな?って。それを、選手権の映像と合わせて観た時に感じたんですよね」

■要するに、自分達にとっての歴史や伝統は、一番の王道曲でこそ見せられると思ったわけですよね。だけどそういう考え方に対して「俺、計算し過ぎなんじゃねえか」と思っちゃったということ?

「そうですね、要するにただの手グセで『これはできるな』っていう範囲でしかやれてなかったんですね。それで最終的に、『もう、伝統に縛られるのはやめよう!』と思って。やっぱ、ブルエンっていつもそうなんですよ。結局『こういうの作ろう!』と思っても全然できなくて、『もういいや!』って開き直った時に曲が生まれるんですよね」

■そうですよね。一度開き直って、なりふり構わず吐き出そうと腹を決めることでアンセムを生んできたバンドで。

「……毎回そうなのはわかってるのに、最初に器用にやろうとしちゃうんですよ。で、そういうことも振り返った時に、『じゃあ、最初とは真逆に一旦振り切っちゃえ』と思ってバラードを書いたんですよ。そこから『じゃあ、どんな歌を書こう?』と考えて――それもやっぱり、自分達は自分達の等身大でしか書けないなと思ったんですよ。で、汗だくになって闘って、泣いてる選手達の映像を観てたら、自分も、BLUE ENCOUNTを始めた高校時代にタイムスリップして、いろんな出来事がフラッシュバックしてきたんです。軽音部の部室で喧嘩したな、とか、あの時、江口のギターを壊しちゃったな、とか、今までと比べ物にならないくらい鮮明に思い出して……そしたら何故か、悔しさばっかりが浮かんできたんですよね」

■それは、高校時代のどういう悔しさだったんですか?

「僕にとっての高校時代って、バンドっていうものに夢を抱いてた自分がバカにされてた頃で、その時に、自分にはすがるものがなかったんですよ。それこそ、ELLEGARDENだったりBRAHMANだったり、聴いてた音楽さえ単なる『逃げ場』になってて――どこかに『なんかすんません』っていう負い目があったんですよ。それで結局、人の間をとって『上手くやっていこう』っていうイエスマンの自分がいたし、それが巡り巡って、“DAY×DAY”でそういう自分を打破しようと思ったところに繋がるんですけど。だから最終的に、あの頃の『凄く悔しかった高校生の頃の自分』に曲を書こうと思ったんです。大体、今までのブルエンは今の自分に対しての応援歌を書いてきたんですけど、今回は『あの頃の自分』に書いたんですよね。そこで出てきたのがサビの<僕たちが見たこの夢は/きっと きっと 何度でも/明日を繋いでいくよ>っていう歌詞で、そこからまったく変えてなくて。今こうして見返してみても、<明日を繋いでいくよ>っていうところに、まさにブルエンの歩みが出てるんだなって思いますね」

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text by矢島大地

『MUSICA1月号 Vol.105』

Posted on 2015.12.17 by MUSICA編集部

ASIAN KUNG-FU GENERATION、
2015年の総括からシングル『Right Now』までを語る

観念的な凄い狭苦しい風景みたいなものを、最後に
ぶっ壊して終わりたかったんです。
目の前に圧倒的な世界が転がってるのに
自分の内面だけを見つめるっていうのは違うんじゃないかって

『MUSICA 1月号 Vol.105』P.114より掲載

 

■つい先週、ツアーが終わったばかりで。7月からスタートして最後は南米までと長期にわたるツアーだったわけですけど、特に国内は真っ白なビルのようなステージセットにプロジェクションマッピングをしていく演出はもちろん、演奏面のクオリティやセットリストの流れの中から立ち上がってくるメッセージも含め、近年の中でも最も充実したツアーだったんじゃないかと感じたんですが。それぞれツアーの感想から伺えますか。

喜多建介(G&Vo)「毎回いいものを見せている実感がステージ上でもありましたね。国内は本編のセットリストを決め撃ちでやったんですけど、流れも凄くよかったと思いますし。ステージ上にアンプを置かずにやったのは初めての試みで新鮮だったし。衝立の裏にあったんですけど」

■ステージセットの裏側にアンプとマイクを立ててたんですよね。

喜多「そうなんです。で、久々にイヤモニをして。やる前は不安も多かったんですけど、自分好みのバランスで聴けたし、普段よりゴッチの歌もよく聴こえたし、演奏しやすかったですね。今回はライヴというよりもショーという感覚が強かったと思うんですけど、照明も含め後半につれて仕上がっていったというか、完成度が高くなっていった実感もありましたね」

山田貴洋(B&Vo)「イヤモニに戻したことが大きいんですけど、音の捉え方が今までとは違ってできたというか。イヤモニって音の聴こえ方がシビアになるんだけど、転がし(ステージ上に置くタイプのモニター)だと聴こえない音も聴こえるから『あ、こうだったんだ』と気づく部分もあって。ゴッチと建ちゃんのギターの分担も改めて感じながらやれたり、勉強になる部分も大きかった気がしますね。あと今回はコーラスも多かったんですけど、自分で歌うと音程の捉え方も無意識のうちに整うというか。そういう部分で自分なりには成長できたのかなって思います。最後に向かってちゃんと1本1本進化していけたし、本当にいいツアーだったと思いますね」

後藤「今回は自分達のひとつのトライアルっていうか。今はコンサートの現場を特別なものにするために、いろんなトライアルをいろんな人達がしていて。録音した作品を聴くことも、もちろん音楽にとっては絶対に根幹をなす行為だと思うんだけど、でも今はやっぱりコンサートっていう原始的な現場が重要視されてる感じもあるし。そういう中でどういう違いを見せていくのか、どんな面白いことをやるのか――ホールだったらある程度観客が動けないっていう制約があるから、みんながその場で観てどうやって楽しんでもらったり、いかにこっちに引き込んでいくかを考えたら、ある程度セットなり照明なりで見せていくのがひとつのやり方かなと思っていて。SEKAI NO OWARIがデカい木を作ってみたりとかEXILEが塔を建ててみたりとか、エンターテイメントの最前線の人達でもそういう努力をしてるわけだから、ロックバンドもトライアルしてもいいかなと思ってやったのが今回のステージのひとつの主旨だったんですけど」

■はい。だからあの巨大な白い立方体にいろんなグラフィックや光を当てて見せていくのはショーとしてのエンターテイメントという視点も強かったし実際そうやって機能してたわけですけど、でも同時に、表現としての強度を上げる役割もちゃんとあって。グラフィックがちゃんと楽曲と連動していたり、そもそも『Wonder Future』自体に真っ白なキャンバスにそれぞれが自分なりの未来を描いていこうっていうメッセージがあったわけですけど、それとあのセット自体も直結してましたしね。

後藤「アルバムとがっつり繋げたかったっていうのはありますね。さっきセットリストが決め撃ちだった話も出たけど、今回は毎日ランダムに曲順が違うよりも、演劇のようにやるのが正しいかなと思ったんですよ。なんなら劇団四季みたいに同じ場所で1ヵ月ロングランみたいなことでもよかったなと思えるようなツアーにしたかったっていうのもあったし。手応えはありましたね。というところで潔にパスしようかな(笑)」

伊地知潔(Dr)「(笑)。個人的には今回のツアーは楽しいだけじゃなかったんですよ。さっき出たイヤモニの聴こえ方も含めて、(音源の)再現性も考えながら演奏しなきゃいけないっていうのがあって。その中で唯一“リライト”だけセッションパートだったんですけど――」

■今回の“リライト”中盤のセッションパートはかなりロングでしたね。

伊地知「あそこだけですね、毎回リラックスして自由にできたのは」

後藤「そうなの?」

伊地知「うん」

後藤「俺、結構ずっと、そんなに再現性考えてなかったよ」

伊地知「……僕はあそこで1回抜くみたいな感覚が強かったです。あそこでリラックスして、それでまた次の曲で引き締めて演奏に入る感じでやってて。今までのライヴとはひと味違う感じでしたね」

■それって緊張感が強かったってことですか?

伊地知「イヤモニって細かいところまで凄い聴こえるんで、みんなの調子も一聴しただけでわかってしまうというか。『あ、建ちゃん今日調子悪いのかな、緊張してるのかな』とか」

後藤「ああ、建さんはだいたい毎回そうだったでしょ」

喜多「嘘だ! 今回は結構調子よかったよ!(笑)」

伊地知「僕は結構気を遣わなきゃいけない立場なので――」

■ドラマーとして支えるという意味でね。

伊地知「はい。そういうところに神経を使っていると凄く疲れてしまって楽しめなかったなっていう夜は多かったんですよね。でも、もちろん観てる人は楽しんでもらえてるだろうし、実際、再現性もしっかりできて演奏のクオリティも前より遥かに高くなったと思うし。なんかそういう、楽しめなかったんだけどライヴはいい!みたいな葛藤がありました。本当は演奏もよくて楽しめるっていうのが一番いいんですけどね」

後藤「ま、楽しいかどうかは自分で決めることだからね。どんだけ間違えたって楽しんでる奴は楽しんでるからね。潔は几帳面なんだよ、たぶん」

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text by有泉智子

『MUSICA1月号 Vol.105』

Posted on 2015.12.17 by MUSICA編集部

BOOM BOOM SATELLITES、
音楽へと向かい合う「今」を中野雅之が語る

死とか終わりって遅いか早いかだけで、
誰にでも平等に与えられている。
始まったものは必ず終わるわけだから。
僕らは今、それを早めに受け止めて答えを出そうとしていて。
だから特別悲観的になったり、悲しんだりするのは違うと思ってる

『MUSICA 1月号 Vol.105』P.108より掲載

 

■9月4日のニコニコ生放送で川島さんの脳腫瘍再発を公表してからもうすぐ3ヵ月が経とうとしています。結果的にそれをもってライヴ活動休止としていた11月の東京と大阪でのワンマンライヴはキャンセルせざるを得なくなってしまったわけですが、おふたりは少し前から新曲の制作に取りかかっていて。今回は今おふたりがどんな状況で、何を想いながら制作に向かっているのかを伺いたいと思って、このインタヴューをオファーさせていただきました。まず、再発がわかったのはいつだったんですか。

「川島くんの再発はフジロックが終わってすぐにわかって。精密な検査をして確定したのは8月の終わりだったんだけど。………やっぱり『再発している』っていうのは、何回言われても慣れないものだからね。そういう状況の中で、8月のイベントとかフェスはやり切って。で、11月に東京と大阪でやる予定だったライヴで、ライヴ活動は休止しようというふうに決めて発表したんだけど………そもそも11月にやる予定だったライヴは、活動休止前のラストライヴとか、そういう特別なものではなく、通常通りやろうとしていたものだったんですよ。この数年、川島くんの体調もあったんで、ライヴの本数も多くなかったし、ライヴ活動をすること自体に凄く苦労していて。去年(2014年)も放射線治療をしながら『SHINE LIKE A BILLION SUNS』のアルバム制作をするっていう、結構大変な時間を過ごしたわけだけど、それも一旦落ち着いたし、2015年に入ってやっと通常運転できるようになったんじゃないかなって思っていたんですね」

■それで3月にEXシアターでのワンマンをやって、その後「FRONT CHAPTER Vol.4」と銘打って全国8箇所のライヴハウスを回る対バンツアーを行いましたよね。

「そう。つまりアルバムを出してからEXシアターでの1本しかワンマンをやらなかったんですよ。そういうのもあったから、2015年の終わりから2016年にかけては徐々にライヴの規模を大きくしながらワンマンをやっていくつもりで、その前哨戦っていう位置づけで東京と大阪は年内中にやっておこうって思って予定を組んでいて。……今年の春にやった対バンツアーは、ライヴハウス規模で調子を確かめながら回っていったんだけど、それが自分達的には凄くいい感触だったんですよね」

■サポートギターに山本幹宗くんを迎えて、初の4人の体制になりましたしね。ギターが1本増えたことによってライヴでの表現世界がぐっと広がったし、時には川島さんがスタンドマイクで歌うこともあったり、ライヴバンドとしてのBOOM BOOM SATELLITESも更新されて、またひとつ高い領域に達したなぁという手応えがありました。

「その体制もツアーを通してちゃんと固まってきた手応えがあって。僕らは2017年がデビュー20周年だから、そこに向けてやっていこうっていう気持ちもあったんですよ。で、その最初の足がかりっていう意味でのワンマンが11月のライヴだったの。でも、蓋を開けてみたら川島くんは再発をしていて。……実際、7月の終わりに再発がわかった時、個人的にはギリギリ11月はライヴができるかどうかっていうくらい深刻なんじゃないかなって思ってたんです。川島くんは楽観的だから『来年の春くらいまではできるだろう』って思っていたみたいだし、もちろんライヴをやりたい気持ちは強かったから11月のライヴを発表したんだけど。でもやっぱりその見立ては甘くて、現実的にはできなかった。で、『じゃあ川島くんの体調が良くなったら』っていう発想に普通はなろうとするわけだけど、医学的に考えると、正直に言って、今の時点では今後一切ライヴができない可能性が高いんです」

■はい。

「そういう状態って、もちろん今まで経験したことがないわけで。………僕が音楽活動を始めたのは中学生の時だったんだけど、高校の時もいくつかバンドをやっていて。大学の時もこのバンド以外にいくつか掛け持ちでやってたから、自分のスケジュールにライヴの予定が入っていないってことが今までなかったんだよね。たとえ直近に入っていなくても、何ヵ月後のこの時期にはライヴがあるとか、そういうのは見えていて。ずっとライヴがあるのが当たり前の生活をしていたから、知らないうちにそういうものに動かされて生きているのが当たり前になっていて………それがなくなっちゃったので、生活そのものがガラッと変わったんですよ。夏のイベントとかフェスが終わった時に目標になっていたのは11月のワンマンだったけど、それも無理なことがわかってしまって。そこから気持ちを立て直していくのが大変だったなと、振り返れば思いますね。……ライフワークのほとんどを失うから、人生観は変わらないんだけど、人生がガラッと変わったし。今も、これからどうしていくのか、どう自分が生きていくかっていうことは毎日考えるし。もちろん川島くんは生きているわけで、まだ一緒にやりたいこともあるしね。でも………現実的に考えて、恐らく僕のほうが長生きをするから、これから先、どう川島くんと過ごして、僕自身どういう歩みを築いていこうかっていうことも考えざるを得ない。川島くんにもその辺は正直に伝えているんだけど。ただ、今は川島くんができること――川島くんに悔いが残らないように、僕ができる最大限のことを手伝おうとしている。今はそういう日々を過ごしているところです」

■新曲の制作を始めたのはいつからなんですか?

「アルバム(『SHINE LIKE A BILLION SUNS』)が去年の12月に完成していて。で、そのアルバムの曲を再現するEXシアターのライヴが終わった頃には、もう新しい楽曲の制作はスタートしていたかな。だから4月くらいには始めていたと思う。アルバムの手応えがとてもあったから、さらにそれを押し広げて行きたいっていう気持ちがあって。でも実は、川島くんとは全然噛み合っていなくて。ペースが合わなかったりしたんだよね。今振り返ると、その頃から物忘れというか、そういうのがあったんですよね。大事にしている曲があって、今までだったらそれはお互いの共通認識として持てていたんだけど、川島くんはそれが抜け落ちたりしちゃっていて。だから僕のモチヴェーションは高いけど、なかなか制作が進まないっていう時間がずっと続いちゃって。結局夏くらいまで『これだ』って曲はできなかったんです」

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text by有泉智子

『MUSICA1月号 Vol.105』

Posted on 2015.12.16 by MUSICA編集部

THE ORAL CIGARETTES、
決定的作品『FIXION』を携え、バンド戦国時代に真っ向から挑む

「人間は元々汚いものだ」って決めつけたほうがラクだし、
歌詞を書きやすいんですよね。
歌詞の土台に汚いものとか醜いもの、自分勝手、自己中心なところを
敷いてるからこそ優しさが浮き出てくるもんだと僕は思ってて

『MUSICA 1月号 Vol.105』P.100より掲載

 

■勝負のセカンドアルバムができたことを喜ばしく思うとともに、2016年のシーンが見えるアルバムにもなったんじゃないかと思いました。まずはそれぞれの想いを聞かせてください。

中西雅哉(Dr)「今作は、今までよりだいぶスケールが大きくなった作品だと思ってて。それは、たぶん今年の夏フェスで立つステージとか自分達のツアーの規模が大きくなったっていうのがあったからだと思うんですけど。そういうスケール感のある曲もできてきたし、それが自分達の今のスケール感でできてるのが凄くいいなって思ってます。前作『The BKW Show!!』のツアーの時もだんだん規模が大きくなってた時期だったんですけど、スケールアップしていってる状況に自分自身が後から追いついてるっていうか、自分自身の気持ちが後追いな感じだったんですよね。でも、最近はステージが大きくなっていくことを見据えて、自分が見えてる範囲で準備してるなって、全然背伸びせずに作れたんですよね」

あきらかにあきら(B)「このレコーディングのタイミングは、拓也(Vo&G)の喉の(ポリープの)件もあったんで――これが最後のアルバムになっても後悔しないような曲をいっぱい詰め込みたいなって思ってたんですよね。だから、何回も聴けるようなアルバムにしたいなって思ってて。具体的には、アルバムにおけるそれぞれの曲の立ち位置みたいなものを凄い考えて。振り幅を見せるために敢えて不気味な要素を入れる曲があってもいいと思うし、勢い重視でひたすら突っ走る曲があってもいいんじゃないかっていろいろ考えたりして。そうやってどんどん曲のイメージをみんなで共有して、その方向性に向かってそれぞれの曲を仕上げていったんです」

■今話してくれた「これが最後の作品でもいいやと思って作った」っていうのは、アーティストとしての覚悟だよね。

あきら「本当は最後なんて絶対嫌なんですけど……今まで入れたかったけど作り切れてなかったリフを入れたりとか、そういう『曲を完成まで持っていく』っていうみんなの意志みたいなのを感じたんで、今出せるもんを全部出そうってことになったんですよね。だから、レコーディングの直前までフレーズを試行錯誤したりして…………本当に自分が納得いかんまま終わるのは嫌だったんです。そこにはストイックになってた気がします」

鈴木重伸(G)「うん。僕自身も凄く挑戦した曲が多いなって思ってます。今までやったら、サビ裏やAメロであっても『僕のギターの音を聴いてくれ!』っていうエゴがあったし、自分オリジナルのフレーズを弾こうっていう意志が強かったんですよね。でも、今回はみんなが歌に寄せたコードをつけてくれたんで、僕自身も歌やメロディに寄り添うっていうことに対して挑戦しにいったんです。ギタリストとして自分ばっか出してるのは違うなってことにも気づけましたし、ちゃんと自分のリードギターっていう立ち位置を再認識できたアルバムになったと思います」

山中拓也(Vo&G)「僕は、今までの『The BKW Show!!』と『オレンジ(の抜け殻、私が生きたアイの証)』込みで、今作は今出すべくして出すアルバムかなっていう感覚があって。さっきまさやんも言ってたんですけど、このアルバムって『等身大』っていう言葉がピッタリやなって思ってて。自分でもこの『FIXION』を作る中で、音楽に対する想いの幅が広がったなっていう感覚があるんですよね」

■『The BKW~』は、ある意味インディーズの時からの総集編となる作品を作ったよね。今回も“エイミー”っていうインディーズ時代の曲が入ってるとは言え、真新しい世界に行った第1期の集大成が今回の『FIXION』なんじゃないかと思うんですけど。

山中「うん、そうですね」

■拓也の中で、そういうインディーズ時代の集大成を作り終えて曲作りがどう変わったのか、もしくはどういうふうに変えようと思ってこのアルバムに結びついてると思う?

山中「僕、鹿野さんがどっかのタイミングで言ってくれた『オーラルはストーリー性のあるバンドだよな』って言葉がずっと頭の中にこびりついてたんですよね。『The BKW Show!!』の時は、サウンドがどうこうよりも、まず僕達の人間性を伝えることが大事だと思ってて、それで歌詞では自分の奥にある本当の部分を書いてみたんです。だから『The BKW Show!!』は、オーラル4人の人間性をちゃんと出せたアルバムだなって今でも凄く思う。で、今回“エイミー”、“カンタンナコト”、“狂乱 Hey Kids!!”をシングルとして出して、オーラルはこれからどう変わっていこう?って考えた時に、サウンド面に目を向けてみたからこそ、これからオーラルがどういう音楽を発信していくのかっていう視点で今回のアルバムを作れたんですよね。今までは、曲作る時にいろんな音楽を聴いて、『この部分をオーラルの曲に落とし込んでみようかな』っていう作り方をしてたんですけど、ちょっと視野が狭い感覚があるなって思って。今は、他の人の曲聴いて自分に曲をインプットする時に、『このジャンルをオーラルのロックを使って表したらどうするんだろう?』とか『自分達の強みを使って表したらどうするだろうな?』っていう感覚で曲を聴くようになったんです」

■日常的に音楽を聴くにあたって、自分がプロデューサーになってたんだ。

山中「あ、そうかも。だから、いろんな音楽をオーラルとして表現できるようになったし、僕らが鳴らせば僕らの音楽になるっていうのも改めて確信できて。喉の手術をするって決めた時に、『自分の声のいいところがなくなるかもしれない』っていう不安も1回抱えたからこそ、こういうことも考えられるようになったと思うんですけど――」

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text by鹿野 淳

『MUSICA1月号 Vol.105』

Posted on 2015.12.16 by MUSICA編集部

新たな航海を始めたサカナクション、
大阪城ホール&広島文化学園HBGホール公演に密着!

復帰した、ツアーも再開した、悩んでリセットして、
新しい時代との闘い方も見えたし、レーベルも生み出した。
新サカナクションによる新ツアー、そのアリーナとホールに密着。
そして新山口一郎が、2015年と新音楽島の在処を語った。

『MUSICA 1月号 Vol.105』P.66より掲載

 

 サカナクション、久々のツアーである。

 アルバム『sakanaction』をヒットさせ、圧巻の幕張メッセ2デイズを巨大な純粋音楽空間として機能させ、紅白にまで出場をし、その後年が明けてから再びチームサカナクションでホールツアーを回り――そんな2013年から2014年の夏前以来、1年半振りのツアーで感じたのは、彼らの「成熟」と「脱皮」だった。この成熟とはメンバーそれぞれの人間としての部分であり、脱皮とはシーンからの距離感を表すものと思ってもらいたい。

 

 まずはツアーの前半戦を担った「アリーナ編」を10月18日の大阪城ホールで目撃した。

 会場に着くと、15台以上の巨大トラックが会場後方に並んでいる。この時点で相当な演出力を想像しながらバックエリアへ入ると、やはりスタッフの数の多さに圧倒される。楽屋もメンバー5人のものと、それ以上のスペースにやたらサイケデリックかつオーガニックな洋服がたくさん置かれてる楽屋がある。――これは「GOCOO」という自家製和太鼓集団で、新レーベル「NF」主宰のリキッドルームでのパーティーの初回に開場と同時に迎えてくれたことでファンにも知られる、レイヴなどで人気の集団のものであった。なお今回はGoRoというデジュリドゥ奏者も加わっている。

 メンバーはその大きな人の輪の中で淡々と中心にいる感じ。久々のツアー、足並み揃った再出発という力みはどこからも感じられない。これが新しい彼らの雰囲気、さらにプロフェッショナルなバンドに進化したことによるものとわかったのは、もう少し後の話だ。

 リハーサルの時点でかなり演出を見せてもらった。今回のアリーナツアーは何しろ演出が今まで以上にドラマティックかつ創造的だった。ステージ全体360度を巨大なカーテンのような幕で囲み、それが左右、前後に開いたり閉じたり。まるで360度カーテンで囲まれた試着室にいるメンバーを鑑賞するような妙な感覚がステージ上で画期的に表されている。しかも彼ら独特の「5人横並びのラップトップ編成」の時に、幕が開くとメンバーが5メートルほど上空にいたり、とても奇妙な立体感に包まれていた。しかもその幕に囲われた中から姿を出したメンバーとステージに、プロジェクターからプロジェクションマッピングのような(つまり違うものなのだ)映像が投射され、トリッキーかつ奥の知れない世界が描かれていく。

 その演出と人気曲の多いセットリスト(今回はアルバムとかのツアーではないし、久々に体験する人が多いタイミングなので、比較的ベスト的な人気曲がストレートに盛り込まれるものになっていた)が合わさると、改めて彼らがこの5年間で愚直かつ真摯かつ誠実に積み上げてきたストーリーや「マジョリティの中のマイノリティ」という立ち位置、そしてポストロックスタイルとしてのロックバンド像を色濃く感じさせた。

 リハーサルの間も楽屋にいる時も、今までのように一郎が過敏に気配を感じながらムードメイカーとして話題を降ったり、奇行に走ったり、メンバーをいじったりする感じがなく、それぞれが淡々と役割を的確にこなし進めている感じがした。これは一郎からのメンバーへの新しい信頼によるものでもあり、同時に彼らがみんな大人になったことを草刈愛美の結婚→出産=母という喜ばしいトピックスの中から自覚したからだと思う。

 サカナクションは変わらないようで変わった。いや、変わらないということは変わり続けるということでもあり、それは音楽でも人間でも同じ本質中の本質的な概念である。僕らも僕らの日常も、進化や変化から逃げずに生きることこそが変わらない毎日そのものなのであり、今、サカナクションはライヴという現場に久々に戻って来て、そういう根源的なメッセージをさらに自然体で発するバンドになったと、ライヴ中のメンバーの強く優しい表情から何度も感じ取った。

 何しろめまぐるしいステージだった。1曲1曲にふさわしい演出をもって、息を呑むのもためらうようなショー。そう、まるでパリコレのファッションショーを見るような「一曲一絵」と呼ぶべき感覚に何度も襲われた。楽屋で一郎がめいいっぱいお茶目なフリをして「完全に持ち出しのツアーになっちゃって」と話してくれたが、そんなのは見れば誰でもわかるほど、音楽ライヴとしては今までにない角度の演出が施された、ポップアートの醍醐味を生身で味わえるものだった。

 終演後、草刈姉さんは足早に帰路につき、他のメンバーもスタッフと今後への課題を明確にした後はさっと打ち上げに向かった。

 が。

 一郎はここからまだまだエンドレス。グッズを買ってくれた人の袋の中に不特定に入っている当たり券の当選者に、目の前でサインをするというプレゼントを1時間以上行い、その後楽屋に戻ってくると、今後のNF含めた新しいグッズなどをどうするのか、原案含めてスタイリストやデザイナーなどと根を詰めて話し合っている。結果、会場から一番遅くに出て行ったのがステージ撤収チームではなく、一郎ということに相成った。

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA1月号 Vol.105』

Posted on 2015.12.15 by MUSICA編集部

年間総括特集:THE YEAR in MUSIC 2015
2010年代のターニングポイント
「2015年・音楽の今」を振り返る総括対談!

2010年代以降のバンドの価値観がマスにリーチし、
次代のポップ/ロックの景色を変え得る新たな波が台頭した年――
時代も環境も移り変わる中、
節目となった2015年・音楽の今を徹底考察!

『MUSICA 1月号 Vol.105』P.24より掲載

 

有泉智子×鹿野 淳×宇野維正×阿刀“DA”大志

 

 

2010年代前期の流れが変えた「SEKAI NO OWARI」以降のバンドという新たな概念

 

 

有泉「2015年は2010年代の折り返し地点でもあるわけですが、実際に、SEKAI NO OWARIをはじめとする2010年代前半の流れが音楽シーンの景色を変えたことをちゃんと実感させられる1年であったと同時に、次の5年への新たな潮流も感じられた1年だったんじゃないかと思っていて。まずは、みなさんから見た2015年の音楽シーンはどういうものだったのかから聞きたいんですが」

阿刀「僕は今年は前向きな気運が出てきた1年だったかなと思っていて。業界的に下がるところまで下がってもう音楽が売れないことはわかった、だったらゼロから改めて新しいことをやっていこうっていうムードが、レコード会社にしろバンドにしろ出てきたのが特徴なのかなと。現実的にオリコンの年間アルバムチャートを調べるとトップ50の総枚数が去年より全然多かったんですよ。50万枚以上売り上げてるアルバムが7作品ぐらいあって」

鹿野「それって例年の如く男女アイドルとベストばかりではなく?」

阿刀「トップ5は嵐、三代目J Soul Brothers、 ドリカムのベスト、AKB48が2枚ですけど。でも今年はミスチルやサザンもありましたしね」

有泉「SEKAI NO OWARIの『Tree』もそれに近い数字を叩き出してますよね。これは00年代半ば以降にデビューしたバンドとしては、初めての結果だと思うんですけど」

阿刀「それだけで全体を話すことはできないけど、少なくとも人気者の作品はちゃんと売れた年なのかなって思ってます」

有泉「数字で考えると、直近だと星野源の『YELLOW DANCER』が発売初週のセールスで13万枚を超えたっていうことも大きなトピックで。ちなみにこれは今のところ日本の男性ソロアーティストの2015年トップの記録だそうなんですが」

宇野「おお、それは凄いね」

有泉「ロックバンドではONE OK ROCK を除くと累計10万枚を超えるヒットはないけど、でも5万を超えるバンドはそれなりに増えた印象がありますよね」

鹿野「それって、フェスシーンがちゃんと枚数に結実したみたいな綺麗な話にまとめてもいい気がするし、実際にそういう側面もあると思うんだけど、実はそうではない。それよりもロックバンドが当たり前にMステをはじめとする地上波のテレビに出る時代になったということのほうが、むしろそこへの訴求効果が大きい話な気がする」

阿刀「地上波の良質な音楽番組が増えてきたことも含めて、それは大きいと思います。当たり前にいる感じになりましたよね。ただ、その中でKen Yokoyamaの出演はインパクトありましたけど」

鹿野「そうだね。彼の場合は別枠で。覚悟を決めて一発だけ出たんだろうから、それで得た可能性とインパクトだよね。でも、Kenくんのあのアクションが明らかな数字に結びついたっていう現実があって。枚数だけじゃなく、Mステでシングル曲(“I Won’t Turn Off My Radio”)をやったわけだけど、あの曲のライヴでの空気感がMステ前と後でまったく違うらしいんだよ。つまりパンクの中のパンクであり、年齢層が高い人もいるKen Yokoyamaのライヴでも、やっぱりMステ以前と以降で客が求めてるパワーと熱狂が全然違うらしい。それは今の時代のロックバンドのメインカルチャーへのスタンスを表してると思った」

宇野「でも、最近Mステとかでロックバンドを観ると、昔『夜のヒットスタジオ』にBOØWYが出てきた時代みたいだなって。音楽シーン全体におけるロックのポジションみたいなものが、30年経って然るべきところに戻ったんだなって感じがする」

鹿野「なるほど。でもそうなのかな? RCサクセションから始まって、THE BLUE HEARTS、BOØWYってロックバンドがメインカルチャーに出ていった時って、相当な気合いと執念を持って出てたと思うんだよ。だから唾を吐いたりカメラを壊したり、いろんなことをしてお騒がせしたし。これってつまりは『テレビを凄いものだ』と思っていたことでもあるんだよね。ただ、昨今のMステを観ていると、Ken Yokoyamaは今書いたエモーションで出たんだろうけど、他のバンド達は至って普通にフラットに出てるんだと思う。これは実はテレビに対しても価値観も変わったからだと思う」

有泉「間違いなくそうですね。ここ数年、その種のアレルギーって若い世代のロックバンドにはまったくなくなっているというのは確かなことで」

鹿野「それは、ひとつにはフェスの有り様がこの5年でだいぶ移行して、昔はロックとバンドが中心だったのが、今はアイドルもバンドも一緒くたになっているってこととも地続きな気がするんだよね。それはフェスだけではなく、ネットという現場がもたらしたものでもあるけど」

宇野「そういう意味での突破口を開いたのはやっぱりSEKAI NO OWARIですよね。もちろんそのちょっと前にサカナクションとかがやってきたことでもあるけど、決定的にそこをぶち抜いたのはセカオワで。ゲスの極み乙女。も、音楽性もファンの実態も規模も違うと思うけど、でもCMでの使われ方や紅白に出た直後の年明けにアルバムを出すっていうタイミングも含め、完全にセカオワをトレースしていて。だからセカオワがひとつの大きな指針になった感じはありますよね」

鹿野「別の言い方をすると、ゲスのブレイクでそれが決定的になった年だったとも言える」

宇野「セカオワに関して言えば、今年は去年蒔いた種を刈った年だったと思うんだけど――要するに“Dragon Night”が大ヒットした流れでアルバムもバカ売れして。でも“Dragon Night”がカラオケで当たり過ぎてセルアウトしちゃう可能性もあったけど、“ANTI-HERO”と“SOS”で新しい種を蒔いて。そこに関してはまだ大きな結果は出てないけど、相変わらずクレヴァーだなと思う。新しいことをちゃんと考えてるんだろうなって思わせてくれるから。だから消費されたようでされなかったし、相変わらずそういう面では他のバンドの1歩、あるいは3歩ぐらい先に進んでるなって思うんですけど」

有泉「今の話にも出ましたけど、ゲスの極み乙女。は今年のブレイク筆頭格で。またもやMステですが、番組の街頭インタヴュー込みの2015年を象徴するアーティストの5位にゲスが入ってたんですよ。ちなみにそれは1位が福山雅治、2位が嵐、3位が三代目J Soul Brothersっていうランキングで、セカオワは7位。そういういたって大衆的なランキングの中で5位に入っているという現状は、非常に面白いですよね」

鹿野「ゲスをしっかり語ろうとすると、さっき宇野が言った話になるよね。要するに、2010年代以降のバンドの価値観って、サカナクションが名実共に変えたと思うんだよ。いわゆるオールドスクールではないバンドのスタイルがフェスシーンでもトップに立ち、アリーナライヴのトップを張るバンドになった。そこから異次元時へと向かうバトンを受け継いだのが僕はSEKAI NO OWARIだと思うんだよね。で、そのサカナクションのバトンをもっと純粋に受け継いだのがゲスの極み乙女。だと思う。要するにSEKAI NO OWARIほどロックバンドへのアレルギーを出さず、バンドスタイルのまま今の時代感に落とし込んでいったのがゲスの極み乙女。なんじゃないか、と」

有泉「要するに、2010年代の前期というのはマスの中でバンド=ロックバンドという図式が完全に崩れ、最早『バンド』という言葉から想起される音がギター+ベース+ドラムのサウンドではなくなった時代であり、その先駆けが日本ではサカナクションで、それを決定づけたのはSEKAI NO OWARIだったという言い方もできますよね」

鹿野「はい」

有泉「その文脈の中で、今年のゲスの極みの乙女。のお茶の間ブレイクもあったと」

鹿野「うん。だから、SEKAI NO OWARI以降という2015年は本当に大きい臨界点だと思う」

(続きは本誌をチェック!

text by有泉智子×鹿野 淳×宇野維正×阿刀“DA”大志

『MUSICA1月号 Vol.105』

Posted on 2015.12.15 by MUSICA編集部

ゲスの極み乙女。、華麗なるお茶の間侵略を果たした
彼らの次なる勝負のニューアルバム『両成敗』、
川谷絵音ソロ&メンバー3人インタヴューで、いざ解析!!

自分の作るものにハズレはないっていう、
今は特にそういうのが確信になっていて。
言葉とメロディの強さっていうのは絶対あると思うんですよ。
それは誰にも真似できないところまで来てるのかなって自分では思ってて

『MUSICA 1月号 Vol.105』P.46より掲載

 

Interview with 川谷絵音

 

■覚えてるかわからないですけど、国際フォーラムで、「誕生日も近いし、ケーキ買ってくるから、美味しいケーキでも食べながらインタヴューしよう」って言ったんですけど。

「ああ(笑)、言ってましたね」

■それを有泉に言ったら固く叱られまして。「そんな時間ないですから! まずそういう状況じゃないんですから絵音くん、ヘアメイクとかスタイリング入った状態で来ますから、それで口とか服とかベタベタしちゃったらどうなるんですか!」ってすっげえ怒られて。

「ははは、そんなに怒られたんですか。今日はちょっと難解な、30分後に一度抜けさせていただくのでご容赦いただければ」

■初体験なんですよ、25年間やっていて。インタヴューとインタヴューの間に中断して他の媒体の撮影が入るって。

「なるほど。僕もあんまりないです」

■でもそんな状態を今このバンドは招いていて。この状態を嬉々として作ってるのは川谷くんなんですって3人も言っていて。まず今この狂騒の中にどういう気持ちでいるの?

「そんな変わってないですけどね。どっちかっていうと去年ぐらいのほうがそういうふうに思ってたかもしれないですね、ヤベえヤベえ、みたいな。どっちかっていうと今年は割と……忙しかったですけど、indigoの国際フォーラムもソールドしたし、上手くいってるからそんなに」

■去年は状況が予感的なものだったよね、上手くいってるんじゃないか、いってるっぽいぞ。でも今年はリアルに数字もついてきたし、特にゲスの極み乙女。に関しては、お茶の間という世界に本当に素足で入り込める状況の中で今を迎えているって感じなんだけど。

「実際はそんなに、やってやったみたいな感じも全然ないんですけどね。『紅白』が決まって、いろいろ連絡が来たり、初めてぐらいの親戚とかから連絡来たり(笑)、じいちゃんばあちゃんとか喜んでるし。そういうの見てると、お茶の間になったんだなというか。……実感ないんですけど、それぐらいですね」

■ちなみにそれは明確に望んでいた世界だったんですか?

「そうですね。『紅白』に出られるとは思ってなかったですけど、『紅白』っていう明確なものじゃなくても、お茶の間に広がるっていうのは最初から言ってたので、それの一番わかりやすい形かなとは思います」

■前作の『魅力がすごいよ』のリリース後に、結果に対してストレスを感じてるし不満足だって言ってた、そこから1年間で立て直してきたことがここにつながってるんじゃないかなと思うんですけど。

「立て直すっていうよりは、焦りでしかなかったんで。去年の10月にアルバム出して、思ったような結果に自分の中ではならなくて。最初はそこから6月までリリースがないっていう状況だったので、だから焦って1月にレコーディングして、4月に曲を出したりもしたし。そこで“私以外私じゃないの”っていう曲を出したことで今年はいろいろ変わっていったっていうのもあったので、あれは本当に今年の1曲っていうか。『レコード大賞』にも“私以外私じゃないの”がノミネートされてたりっていうのもあるし、あの1曲がなかったらどうなってたんだろうなとは思ったりします。あれがあってよかったな、とはずっと思ってます。ゲスの極み乙女。がこういうバンドだっていうスタンダード化したナンバーって、3つシングル出してなんとなく、敢えて結構わかりやすく作っていったんですけど。言葉がキャッチコピー的な感じで、サビがずっと頭に残るっていう。より言葉の力が増したというか。“私以外私じゃないの”を作って広がったから、そういう曲作りができるようになったというか。あの瞬間からですね、ゲスの極み乙女。の本当はこれからと思えたのは。あれ以来、自分の中で今までをもうなかったことにしてて(笑)。ゲスの極み乙女。は“私以外私じゃないの”という曲から始まってる感じに自分の中でできたのかなって今、思ったんですけど」

■最初にゲスの極み乙女。っていうイメージを作っていったのが “キラーボール”であり、それを形成していったのは、音楽シーンというかフェスシーンだったよね。それが“私以外~”はお茶の間がそのバンドの代表曲を変えたというか、イメージを変えたというか。それの違いが凄い大きかったなと思う。でも、そのイメージを変えさせたのは結局絵音くんだと思うんですよ。というところから始まったものの集大成のアルバムが出るわけですけど。まずお訊きしたいのは、この17曲の超大作に結果的になった、これは前作と比べてもの凄く大きな違いなんですけど、これの意図はどういうところにあるんですか?

「意図というよりは、作ってたらそうなったっていうだけであって(笑)。8月にレコーディングをしてたんですけど、12日間合宿やってて。でも11日で全部録り終えたんですよ。17曲ではなかったですけど、当初の予定の曲は。で、1日余って時間ができたのでいろいろ考えてたら、うーんみたいな感じになってきちゃって」

■何が「うーん」なの?

「いいアルバムできたんだけど、バランス的にどうなんだろうなって思いながらレコーディング終了したんです。そこからアリーナツアーだったんで、とりあえずレコーディングのことは忘れてライヴやろうみたいな感じになり、フェスとかもあったので。そしたら『消滅都市』のタイアップが決まるか決まらないかみたいな、『まだわかんないんだけど』みたいなことを言われたので、だったら作りますって、決まってもないんですけど、急遽ゲームやって(笑)、作ってポーンと投げたらタイアップが決まって。『あ、決まるんだな』と思って。かつ、アルバムは1月発売だけど、まだマスタリングの納期まであるらしいって気づいたので、じゃあこれも入れましょうって言って。これ、たぶん今入れなかったら絶対次のアルバムどころか、シングルにも入れないだろうなって。すぐ飽きちゃうんですよ。10月に作ってたので、10月に作ったものを1月以降のシングルに入れるなんてことは考えられなかったっていうのもあるし、今言ったみたいにアルバムをもうちょっと、よりバラエティのあるものにするためにっていうところでピッタリの曲だったんじゃないかなっていうのはあります」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA1月号 Vol.105』