Posted on 2015.12.17 by MUSICA編集部

ASIAN KUNG-FU GENERATION、
2015年の総括からシングル『Right Now』までを語る

観念的な凄い狭苦しい風景みたいなものを、最後に
ぶっ壊して終わりたかったんです。
目の前に圧倒的な世界が転がってるのに
自分の内面だけを見つめるっていうのは違うんじゃないかって

『MUSICA 1月号 Vol.105』P.114より掲載

 

■つい先週、ツアーが終わったばかりで。7月からスタートして最後は南米までと長期にわたるツアーだったわけですけど、特に国内は真っ白なビルのようなステージセットにプロジェクションマッピングをしていく演出はもちろん、演奏面のクオリティやセットリストの流れの中から立ち上がってくるメッセージも含め、近年の中でも最も充実したツアーだったんじゃないかと感じたんですが。それぞれツアーの感想から伺えますか。

喜多建介(G&Vo)「毎回いいものを見せている実感がステージ上でもありましたね。国内は本編のセットリストを決め撃ちでやったんですけど、流れも凄くよかったと思いますし。ステージ上にアンプを置かずにやったのは初めての試みで新鮮だったし。衝立の裏にあったんですけど」

■ステージセットの裏側にアンプとマイクを立ててたんですよね。

喜多「そうなんです。で、久々にイヤモニをして。やる前は不安も多かったんですけど、自分好みのバランスで聴けたし、普段よりゴッチの歌もよく聴こえたし、演奏しやすかったですね。今回はライヴというよりもショーという感覚が強かったと思うんですけど、照明も含め後半につれて仕上がっていったというか、完成度が高くなっていった実感もありましたね」

山田貴洋(B&Vo)「イヤモニに戻したことが大きいんですけど、音の捉え方が今までとは違ってできたというか。イヤモニって音の聴こえ方がシビアになるんだけど、転がし(ステージ上に置くタイプのモニター)だと聴こえない音も聴こえるから『あ、こうだったんだ』と気づく部分もあって。ゴッチと建ちゃんのギターの分担も改めて感じながらやれたり、勉強になる部分も大きかった気がしますね。あと今回はコーラスも多かったんですけど、自分で歌うと音程の捉え方も無意識のうちに整うというか。そういう部分で自分なりには成長できたのかなって思います。最後に向かってちゃんと1本1本進化していけたし、本当にいいツアーだったと思いますね」

後藤「今回は自分達のひとつのトライアルっていうか。今はコンサートの現場を特別なものにするために、いろんなトライアルをいろんな人達がしていて。録音した作品を聴くことも、もちろん音楽にとっては絶対に根幹をなす行為だと思うんだけど、でも今はやっぱりコンサートっていう原始的な現場が重要視されてる感じもあるし。そういう中でどういう違いを見せていくのか、どんな面白いことをやるのか――ホールだったらある程度観客が動けないっていう制約があるから、みんながその場で観てどうやって楽しんでもらったり、いかにこっちに引き込んでいくかを考えたら、ある程度セットなり照明なりで見せていくのがひとつのやり方かなと思っていて。SEKAI NO OWARIがデカい木を作ってみたりとかEXILEが塔を建ててみたりとか、エンターテイメントの最前線の人達でもそういう努力をしてるわけだから、ロックバンドもトライアルしてもいいかなと思ってやったのが今回のステージのひとつの主旨だったんですけど」

■はい。だからあの巨大な白い立方体にいろんなグラフィックや光を当てて見せていくのはショーとしてのエンターテイメントという視点も強かったし実際そうやって機能してたわけですけど、でも同時に、表現としての強度を上げる役割もちゃんとあって。グラフィックがちゃんと楽曲と連動していたり、そもそも『Wonder Future』自体に真っ白なキャンバスにそれぞれが自分なりの未来を描いていこうっていうメッセージがあったわけですけど、それとあのセット自体も直結してましたしね。

後藤「アルバムとがっつり繋げたかったっていうのはありますね。さっきセットリストが決め撃ちだった話も出たけど、今回は毎日ランダムに曲順が違うよりも、演劇のようにやるのが正しいかなと思ったんですよ。なんなら劇団四季みたいに同じ場所で1ヵ月ロングランみたいなことでもよかったなと思えるようなツアーにしたかったっていうのもあったし。手応えはありましたね。というところで潔にパスしようかな(笑)」

伊地知潔(Dr)「(笑)。個人的には今回のツアーは楽しいだけじゃなかったんですよ。さっき出たイヤモニの聴こえ方も含めて、(音源の)再現性も考えながら演奏しなきゃいけないっていうのがあって。その中で唯一“リライト”だけセッションパートだったんですけど――」

■今回の“リライト”中盤のセッションパートはかなりロングでしたね。

伊地知「あそこだけですね、毎回リラックスして自由にできたのは」

後藤「そうなの?」

伊地知「うん」

後藤「俺、結構ずっと、そんなに再現性考えてなかったよ」

伊地知「……僕はあそこで1回抜くみたいな感覚が強かったです。あそこでリラックスして、それでまた次の曲で引き締めて演奏に入る感じでやってて。今までのライヴとはひと味違う感じでしたね」

■それって緊張感が強かったってことですか?

伊地知「イヤモニって細かいところまで凄い聴こえるんで、みんなの調子も一聴しただけでわかってしまうというか。『あ、建ちゃん今日調子悪いのかな、緊張してるのかな』とか」

後藤「ああ、建さんはだいたい毎回そうだったでしょ」

喜多「嘘だ! 今回は結構調子よかったよ!(笑)」

伊地知「僕は結構気を遣わなきゃいけない立場なので――」

■ドラマーとして支えるという意味でね。

伊地知「はい。そういうところに神経を使っていると凄く疲れてしまって楽しめなかったなっていう夜は多かったんですよね。でも、もちろん観てる人は楽しんでもらえてるだろうし、実際、再現性もしっかりできて演奏のクオリティも前より遥かに高くなったと思うし。なんかそういう、楽しめなかったんだけどライヴはいい!みたいな葛藤がありました。本当は演奏もよくて楽しめるっていうのが一番いいんですけどね」

後藤「ま、楽しいかどうかは自分で決めることだからね。どんだけ間違えたって楽しんでる奴は楽しんでるからね。潔は几帳面なんだよ、たぶん」

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text by有泉智子

『MUSICA1月号 Vol.105』