Posted on 2013.06.24 by 有泉智子

星野源、療養のための一時活動休止によせて

先ほど星野源のオフィシャルサイトから、
療養のための一時活動休止と、
それに伴い、7月19日に日本武道館で予定されていた
「星野源ワンマンライブ”STRANGER IN BUDOKAN”」公演の延期、
そして6月29日にビルボードライブ東京で予定されていた
「星野 源 “moment”」公演の中止が発表されました。
なお、武道館の延期日程に関しては、現在調整中だという旨が記されています。

昨年12月にくも膜下出血で倒れた後、
『Stranger』をちゃんと完成させてリリースし、
そしてこの初の武道館公演を成功させるために
星野さんがどれだけの想いと気力をもって取り組んできたのか。
取材を通してその姿を目の当たりにさせてもらってきただけに、
今回のことは、正直、言葉が見つかりません。

ただ、ひとつだけ。
早い段階で状況がわかって治療に入ることができて、よかった。
無念な気持ちとか、なぜ星野さんにこんなことがとか、
いろいろ思ってやるせない気持ちでいっぱいだけど、
そして星野さん自身のほうがそういう想いでいっぱいだろうけど、
でも、やっぱり、
大事に至る前に療養に入ることができてよかった、
またあんなことにならずによかったと、
心から思います。

だから星野さん、ゆっくり休んでください。
ゆっくり治してください。
いっぱい思うことはあるでしょう。
私には星野さんの心境がわかるなんてとても言えない。
だけど、どうか、じっくりと治療に専念してください。

いつかと同じ言葉になっちゃうけれど、
やっぱりこの言葉以外にないなと思うので、また同じことを言わせてください。

星野さん、愛を込めて、待っています。
いつまででも、待っています。
『Stranger』や『ギャグ』をはじめとする、
たくさんの星野さんの音楽を聴きながら、
ずっとずっと待っています。

なお、MUSICAの連載「精なる日々」は、
今出ている最新号(7月号)の掲載をもって、一度ストップします。
現段階では、今後どのような形になるのかは未定ですが、
ただ、星野さんが復帰した暁には
必ずまた何か一緒にやっていこうと思っています。
その日まで、どうか焦らずゆっくりと。(有泉智子)

Posted on 2013.06.22 by MUSICA編集部

パスピエ、新たなポップの宝物『演出家出演』を
徹底的に掘り下げる

パスピエです、
初めまして。

『MUSICA 7月号 Vol.75』P88に掲載

■初めてMUSICAに登場していただくんですけど、非常に面白いポップマエストロ、ミュージシャンにしてプロデューサーでもあるアーティストが久しぶりに出てきたなとお見受けしてて。今日はお話するのを楽しみにしてました。

「ありがとうございます(笑)」

■いきなり大枠から入りたいんですけど、自分が音楽をやる理由ってなんですか?

「僕、5歳くらいからピアノをやっていて。当時、体が弱かったんですよ、病気を持っていたのもあって。で、姉がピアノをやっていたので家にピアノがあったし、外でなかなか遊ぶこともできなかったので、必然的に弾き出したんですよね。そこからは音楽一筋でやってきて……コンクールや大会に出て、みんなに『頑張りなよ』って言われたりして、それなりに自負も持っていたんですよね。だから結果的に、自分の人生の95%以上が音楽なので、自分を表現するためのツールが音楽だったっていう感じで」

■小さい頃から相当ピアノが上手かったんだ?

「うーん……一般的に見たら上手いほうだったんですかねぇ」

■音楽の授業の時に「成田くん、凄い!」って囲まれるような感じ?

「まさにそういう感じですね」

■それが自分の中で嬉しくて、音楽やピアノに依存していく部分もあったんですか?

「そうそう、そうでしょうね。元々体が弱くて長距離走やサッカーとかもできなかったし、選択肢が限られていたっていうのもあったんですけど。でも、やっぱりそれ以上に自分の存在意義が出てくるというか……」

■当時やってたピアノってクラシックだったんですよね? 世の中に流れている大衆音楽とイコールじゃないわけで。そこで人気のある音楽と自分のやってるピアノとの距離感っていうのは、どういうものだったんですか?

「子供の頃はまだクラシックが何か?とか、ベートーヴェンが何か?とかはわからなかったから、『ピアノが弾ける』『わぁ、凄い!』っていうところで終わっていたんですよね。でも、中学校とか高校に入って『ピアノ、どういうのをやってるの?』って訊かれた時に、『こういう感じのをやってるよ!』って言いながら弾いたら誰にも響かなかったことはありましたよね(笑)。クラシック界では凄い有名なものでも、全然響かなくって。とことん別の世界なんだなって身に沁みてわかってきたというか」

■そこでの孤立感みたいなものって、自分にとってはそこまで大きな問題じゃなかったんですか?

「その時、自分は『クラシックだし、みんな知らない曲なんだけど、それでワッと言わせるためにはどうしたらいいのか?』っていうことを考えていましたね。たとえば、ピアノを弾くっていう行為自体でワッと湧くのであれば、メチャクチャ速い曲を弾いてやろうとか、凄く難しく見える曲を弾いてやろうとか。あとは、“子犬のワルツ”とかベートーヴェンの“月光”みたいな誰でも知っている曲を凄くカッコよく弾いてみよう、とか」

■それは、成田くんにとって自分のやっている音楽を認めさせたかったのか、モテたかったのか――女の子との恋愛っていう意味だけではなくて、もっと広い意味で人気を集めたかったのか、どういう気持ちだったんですか?

「両方あると思いますけど……モテたいって気持ちよりは、前者のほうですね。自分が高校生の時点で10年くらいピアノをやってたので、やっぱりその10年間を何とか肯定させたかったというか」

■やっぱりそうなんだね。何故こういう話を最初に訊いたかっていうと、成田くんの音楽って、気持ち悪いくらいにポップっていうものに対しての欲望と執着があるなぁと思うからなんです。で、その執着の根っこには何らかの「復讐心」に近いものがあるなと思ってて。

「えっ、あ、はいっ」

(続きは本誌をチェック!)

text by 鹿野 淳

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Posted on 2013.06.21 by MUSICA編集部

flumpool、デビュー5周年、新曲“大切なものは君以外に見当たらなくて”に込めた決意

本当の勝負を迎えた山村隆太、その第一声

『MUSICA 7月号 Vol.75』P82に掲載

■リリースとしてはアルバム以来、半年ぶりになるんですけど。明らかな新しい世界が聴こえてくるシングルになったと思います。歌詞についても、曲調についても、大きな世界を描き切った『experience』とは対照的に、小さな世界、日常的なものを“大切なものは君以外に見当たらなくて”という曲では歌っていて。曲に対する発想自体が根本的に変化したなぁと感じました。

「まず最初に“大切なものは君以外に見当たらなくて”というタイトル――要はメッセージがパッと出てきた時点で、下手にカッコいい言葉を並べたてるよりも、ストレートにいきたいなと思ったんです。そもそもflumpoolってそういうバンドだったよなという思いもあって」

■そういう気持ちに至ったのはどうしてなの?

「いろいろな曲を作ったからだと思います。ライヴを数多くやりながら、アルバムを見据えて、どんなことを歌うべきなのかを考えていく中で、いじめや差別の問題とかもそうですけど、人それぞれ抱えている問題は違うからこそ、そのひとつひとつのことを個別に歌っていきたいと思ったんです。なので、いろんなタイプの曲を作ろうとしていたんですけど、そんな時に出てきたのが、この曲のサビのフレーズで。結局僕らが伝えたいことというのは、『君以外に大切なものは見当たらない』っていうことなのかなとふと思って。だから素直に出てきた言葉をそのままいつか伝えたいなと、去年ぐらいから考えてました」

■今はもの凄く情報も溢れてるし、その情報の中にはエポックメイクなものもたくさんある。その中で音楽を通してメッセージを伝えようとしたらたくさんのことができると思うんだけど、そういうものを全部含めて、<大切なものは君以外見当たらなくて/そう 現に愛に世界中 動かされてく>というメッセージが出てきたんだ。

「そうですね。本当にいろんな価値観があるし、その中で音楽がそれぞれの価値観に寄り添っていくというのも今の時代の音楽の在り方のひとつだとは思うんです。でも僕らflumpoolが目指すところはポップバンドとして大衆に音楽を届けていくことなんですよね。さらに欲を言えば、その先で、J-POPというものをどんどん世界に向けて発信していきたいとも思ってますし。カッコいいバンド、インテリでお洒落なバンドが好きな人にはflumpoolは受け入れられづらいかもしれないですけど、僕らがやりたいことは、とにかくストレートに想いを伝えるということなんだと、改めて今思っているんです」

■アルバムリリース以降、アリーナライヴもやったし、台湾でライヴもしたりと、いろんなことがあったと思うんですけど、その経験を通してどんなことを感じました?

「やっぱり……音楽の力を改めて感じましたね。年始のアリーナライヴは、もう一回バンドとして音だけで勝負できるようになりたいという意識が凄く強かったんです。もちろん、これまでの僕らなりのエンターテイメント感――メンバー紹介のMCを面白くやったり、いろいろ演出もしたりっていうやり方も大好きなんですけど、今はあれじゃ何も本当の気持ちが伝わらないと思って」

(続きは本誌をチェック!)

text by 鹿野 淳

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Posted on 2013.06.20 by MUSICA編集部

高橋 優、新作『BREAK MY SILENCE』で
己の殻をぶち破る

これが魂のプロテストソングだ
これがマイノリティの壁を砕く
石のような意志だ
これが私小説という名のもの言うポップだ
そしてこれが、高橋 優だ
『BREAK MY SILENCE』
今、ここに沈黙を破れ――

『MUSICA 7月号 Vol.75』P76に掲載

■メジャー3枚目のアルバムが完成しました。このタイミングは節目であり、勝負でもあり、相当な気合いや覚悟が入ったアルバムになったと思うんですけど。そういう想いはやっぱり強かった?

「とても強かったですよ。今までで一番、自分がやりたいことを、実際にやらせてもらったアルバムになったと思います。3枚目だからってことは考えてはいなかったですけど、去年2回ホールツアーを回らせてもらったことや、当初のシングルを出そうかという話から一転して、『僕らの平成ロックンロール②』というミニアルバムを出したということ。そういう中で自分自身の変化は凄くあったと思うんです。そして、その変化というものを濃縮して、真空パックしたものを今作りたいと考えて、生まれたのがこのアルバムなんです」

■間違いなく、去年の秋以降、高橋優は脱皮をしたと思うし、脱皮した後でどこに着地するのかという意味でも、今回のアルバムは重要なものだったと思うんです。そういう大事な作品を聴いて感じたのは、今まで以上の私小説集であり、魂のプロテストソング集だなということで。

「おお! プロテストソング集ですか」

■そして、そういう歌達をロックンロールで鳴らす。つまりは、限りなくパンクアルバムに近いイデオロギーがあるアルバムになっていると思う。

「……音楽的なカテゴライズは自分の中ではまったく考えていないです。今年に入ってずっと考えていたのが、自分はギターを弾いて歌いたいだけなんだということで。だから最初は弾き語りのアルバムになってもいいんじゃないかと思いながら作り始めました。要は、バンドサウンドはバンドがやればいいんじゃないかって思ったんです」

■その気持ちは、BRAHMANと一緒にやってみて芽生えたものなの?

「それは間違いなくあります。やっぱり、バンドの人達は人生を賭けてバンドサウンドを作り上げているわけじゃないですか。だから、僕がすべきことは、ギター1本抱えて、どこにでも行って歌うということに尽きると思ったんです。もちろんひとりだとサウンドは薄くなるし、見栄え的にもバンドより劣るかもしれないですけど、でもそれこそが高橋優なんだと改めて思ったんですね」

■今の話は、ここまで積み重ねてきたものを全部振りほどいて原点回帰するんだ、というふうに聞こえるんだけど、実際そういう意識だったの? 

「いや、新しいところに向かったんだと思います。『~ロックンロール②』には原点回帰というテーマもありましたけど、あの頃と今では僕自身がフィジカル面でもメンタル面でも変わったんです。以前よりも何十倍も、研究するという意味で音楽を聴くようになりましたし、友達と会うことも少なくなって、友達の数も減りましたし(苦笑)」

■去年の秋以降の激減現象ね。

「だから、弾き語りでどこまでできるのかってことにもう一度チャレンジしたいという気持ちが強くなっているんです。……札幌で路上ライヴを衝動的にやっていた時はもうちょっと薄っぺらい意識だったと思うんですよ」

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text by 鹿野 淳

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Posted on 2013.06.19 by MUSICA編集部

ONE OK ROCK、圧巻の横浜アリーナライヴを
徹底レポート

アリーナが
「ホーム」になった
稀代のロックバンド
ONE OK ROCKの
新たな脱皮を観た

『MUSICA 7月号 Vol.75』P66に掲載

 初めてアリーナに降り立った前回の横浜アリーナライヴ終演後の楽屋で、4人を前に僕はこういう話をした。
「堂々とした、言い訳のひとつもない、潔いライヴだった。後は、もっとTakaが MCで自分の話をすればいいと思った。今日はオーディエンスへの話が多かったけど、今はみんなバンドが、Takaが何を考えてるのか知りたい筈だ。だからもっとそうしてもいいと思った。後は、もっといろいろなことができる素晴らしい曲がいっぱいあるよ。だからさらにアリーナ用にアレンジして大胆な音や楽器が入った曲も聴いてみたいと思った」
 2回目にして3デイズを務めた横浜アリーナライヴ、その3日目。前述したことが全部倍返しで心に響く、素晴らしいライヴだった。何しろTakaのMCの説得力が今まで以上に半端ない。そして最後には「ただ憧れられて励ますだけのロックバンドの時代はもう終わったと思ってます! 一緒に頑張って共に闘おうぜ!」みたいな言葉を放ち、きっとすべてのオーディエンスはあの時、血が逆流して高ぶったり鳥肌立ったりしたことを一生忘れないんじゃないかと思う。
 楽曲はやはり『人生×僕=』の各曲のサイズが、この会場にジャストなものばかりで。要は大陸的などっしりした曲が、アリーナで見事大きな翼を羽ばたかせていたということなのだが、性急なロックが多いシーンの中で、今のワンオクの曲とグルーヴで頭を真っ白にして盛り上がるのは、多くの人にとって新しい体験だと思う。

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text by 鹿野 淳

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Posted on 2013.06.18 by MUSICA編集部

BIGMAMA、歓喜と笑顔の全国ツアー仙台公演を親密に密着

喜びや楽しみは全て君のもので
悲しみや苦しみは全て二人のもので
その笑顔やその涙が何よりも愛しくて幸せを映し出す――
そんな奇跡のような軌跡を残しながら進むツアー「ライブ・イズ・ミルフィーユ」。
数々の想いが駆け巡る仙台にて完全密着。

『MUSICA 7月号 Vol.75』P58に掲載

 街の中心にあるRensaには13時に入るということだったが、金井から「昼ご飯でも食べませんか?」というお誘いを受けたので、ちょっと早く仙台に入り、石巻港直送の寿司屋に入って、ほどほどにつまむ。彼らは前日に新潟でのライヴがあり、その終演後に車で4時間夜走りをし、27時前に仙台入りしたそうだ。その新潟で金井は大好きな名物「タレカツ(薄い豚のカツに甘辛い醤油タレを染み込ませて食べる丼)」をひとりで食べに行ったのだが、夜走りの弁当がまたタレカツで、その動向を読めなかった自分を反省しながら、寿司を食べている。疲れがないことはないだろうが、とても元気だ。しばしツアー中のグルメ話に花が咲き(ちなみに金井は、長崎グルメが大好きで、あそこの餃子にはほっぺが落ちるらしい)、そのままRensaに入った。
 かっきーこと柿沼(G&Vo)、リアド(Dr)、安井(B)、そして真緒ちゃんこと東出(ヴァイオリン)の4人は既にライヴハウスに入っていて、勝手気ままにいろいろやっている。ツアーも中盤を過ぎ、じたばたするより、リハーサルで問題点があるかないかを判断し、本番までのテンションをどう上げていくかにかかっているようだ。スタッフ楽屋で談笑したり、廊下で身体を柔らかくしたり、リアドは楽屋でゴムパッドを叩いたり、それぞれのペースでリハーサルまでを過ごしている。リアドが「仙台、好きなんですよ。割と早い頃、客が10人いなかった頃からやらせてもらっていたし、思い出に残っているライヴも多いし。……今回、初めてこのRensaがソールドしたんですよね。こうやって目に見えて成長しているのがわかると嬉しいですよね」と嬉しそうな表情で話す。
 金井がドサッと紙の束を僕の目の前に置く。よく見ると、「色校」だ。さっき寿司屋で「今、本を作っているんです」と話していた、その色校だ。
 肌触りのいい紙をペラペラとめくっていくと、とてもパーソナルな、もしくは独特の空気感のある時間の止まっている写真が並び、その下には過去のいろいろな曲の歌詞やエッセイのようなメッセージが綴られている。これはツアーファイナルの東京ドームシティホールで特別に販売するものらしいが、単なるグッズとして作ったというより、ここまでの自分の心象風景をまとめることによって、次の世界を見据えたいという考えの下に綴ったものらしい。
「ここまで5枚のアルバムを作ってきて、毎回毎回いろいろ考えながら、それでもひとつの世界を追求してきた気がするんです。でも、もうこれ以上進めないかもって現実的に思うし、何よりも今バンドの調子もいいし、ライヴも人がどんどん増えている。こういう時期に、これから先を長く見据える何かを求めるのは悪くないかなと思って。そのためにもまずは今までを総括して、それをみんなに楽しんでもらえたらという気持ちの本です」

(続きは本誌をチェック!)

text by 鹿野 淳

『MUSICA 7月号 Vol.75』のご購入はこちら

Posted on 2013.06.17 by 有泉智子

MUSICA7月号大好評発売中!

MUSICA7月号、先週末に発売しました。
表紙巻頭特集は[Champagne]、バッッカバーはandymori。
サカナクション幕張密着やBIGMAMAツアー密着、
じん(自然の敵P)の初ロングインタヴューなどなど盛り沢山です。
詳細はこちら → http://musica-net.jp/detail/2013/7/

どうやらいつも以上に売れ行き好調なようで、
完売してるお店もちらほら出てきているようです。
もし何軒回ってもないよ!みたいなことだったらお店から注文していただくか、
ネットショップなどでも買えるのでチェックしてみてください。
そして感想、とてもとても待ってます。 
あなたが思ったことを教えてください。

というわけで写真は巻頭撮影中の[Champagne]。
目次のところに使ってるカットは、この時のですね。

Posted on 2013.06.17 by MUSICA編集部

サカナクション、エンターテイメントの基準値を更新した
幕張ライヴ、完全密着

世界規模の音の遊園地が、日本に生まれた日。
2万人×2日=4万人に、
228本のスピーカー×6.1chサラウンドシステムと
多彩な演出をもって臨んだ、
「表も裏も全部音楽で」なライヴエンターテイメント、
サカナクション幕張メッセライヴ。
多くの難題と向かい合った前日ゲネプロ、
起死回生の完成度を放った初日、
山口一郎による総括語録……
現在のサカナクション現象が何なのか?をすべて凝縮した、
リアルドキュメンタリー!

『MUSICA 7月号 Vol.75』P48に掲載

5月17日 ゲネプロ

 16時過ぎにメッセに入ると、ちょうどリハーサルを終え、メンバーやスタッフが入り交じって本番へ向かう前のいろいろな調整や打ち合わせをしている。ん? 本番? この日はゲネプロという本番日とは違う日なんじゃないの?という疑問が湧くだろう。その通り。ただ、ゲネプロというのは、本番当日とまったく同じ動きをする日でもある。なので、本番日同様に、まずは各々の楽器の音を調整するサウンドチェックをし、リハーサルをし、そして本番同様の演奏とPAと照明と演出をもってライヴを行うのである。
 一郎が自転車に乗って、ステージとPAブースを往復している。演出やサウンド面など、細かい確認と、客目線で観るとどうなのか?を様々なスタッフに尋ねている。2度目の幕張だけど、その空気や姿勢からはまったく2度目感がない。一郎いわく「前回のは、幕張メッセに僕らが合わせていったと思うんですけど、今回はサカナクションに幕張メッセが合わせてくれるものになると思うんですよね。で、そっちのほうが全然大変(笑)」。
 サラウンドの調整が始まると、メンバーはいろいろな場所に散らばって、みんなで音がどう回るのか? その感覚がどれぐらい耳や身体に伝わってくるのか?を体感している。その時に一郎がすすっと横に来て、「凄いでしょ? 楽しいでしょ? でも、正直俺にはわからないんですよね、そのサラウンド感が。だって片耳が聞こえないんだから、ちゃんと体感できないもん。……ここはメンバーに任せて、メンバーを信用してやるしかないんだよね」とサラッと言った。こういう一郎の発言は文字にするととてもショックの大きなものになるが、実際の彼は右耳が聞こえないことを、とてもフラットに話す。この状態になってからもう何年も経つ一郎は、様々な体験の中でそのことと溢れる程向き合ってきたが、それでもまだこういうことが起こるんだということを、ある意味新鮮な想いで受け入れているようだ。
 そのまま5人は楽屋に戻らず延々と会場内と向かい合い続けているので、マネージャーがそろそろひと呼吸置いて、着替えをして本ゲネへ向かおうとメンバーを楽屋に戻し、そこで本番同様のスタイリングをしながらステージへ戻る。
 今回のアリーナライヴに関わる百数十人の自己紹介大会が行われ、一致団結して頑張ろうと意志確認をし、本ゲネが始まった。
 基本、このゲネは本番と同じ進行をするのが目的なので、よほどのことがない限り途中で止めるのはやめようと話し合ってから始まっていて、実際に進行の妨げとなるようなトラブルはなかった。結果、がらんと広がった無人のフロアに向けてメンバーとスタッフは、アンコールまで全部含めて2時間以上のライヴを行った。ちなみにMCも本番同様にこなすが、内容は一郎の昔話から今の話までを使いながらギターのもっちを『公開裁判』していくというもので。この時ばかりはスタッフみんな腹を抱えて大笑い。実際のMC同様に、メッセが一瞬だけ緩んだ。

(続きは本誌をチェック!)

text by 鹿野 淳

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Posted on 2013.06.16 by MUSICA編集部

じん(自然の敵P)、時代を席巻する新世代アーティスト、初ロングインタヴュー

音楽に救われた少年が切り開いた、
新たなる音楽の未来

『MUSICA 7月号 Vol.75』P40に掲載

■まず初めに、そもそもじんさんの中では、音楽というものが表現の一番芯にあるんですか? それとも、物語の作り手として、その中に音楽と小説は同等にあるという感じなんですか?

「正直な話、元々音楽の専門学校に行ってたというのもあるくらいなので、やっぱり自分が優先的に選び取った武器は音楽なんです。『カゲロウプロジェクト』自体も、音楽を作ってみようという時に『面白い形ってなんだろう?』と思ったところから始まってるんですよね。昔から小説とか、自分でお話を妄想したりすることが凄く好きだったんですけど、でも一番衝撃を受けたのはやっぱり音楽なんです。音楽って理屈じゃないじゃないですか。小説ってこういう構成、こういう書き方だから面白いってことは言えるんですけど、音楽ってわからなかったんですよ。ただただ凄い、ただただ感動するっていう……そういう不思議な魅力を高校生の時にTHE BACK HORNやアジカンの音楽から感じて、凄く憧れて。だから、やっぱり真ん中にあるのは音楽でできることっていうところなんだと思います」

■ちなみに、カゲロウプロジェクトのテーマソングという位置づけで作られてシングルにもなった、一連の楽曲の中でも最もメッセージ性の強い“チルドレンレコード”という曲――あとファーストに“ヘッドフォンアクター”っていう曲もありますが――これは、THE BACK HORNのアルバム『ヘッドフォンチルドレン』から来てるんですか?

「そうです、完全にそこです(笑)。あんまり言われないんですけど」

■ふふ、やっぱり。

「僕の人生で一番好きなアルバムが『ヘッドフォンチルドレン』で。僕にとってはもう、凄く救ってもらったアルバムなんです。本当に、今もずっと聴いてる大好きなアルバムで。そんなに強く出すつもりはなかったんですけど、わかりました?」

■“チルドレンレコード”の動画を観た時にピンと来ました。あの曲調と頭の<白いイヤホンを耳にあて>という歌詞、それと登場人物達のヘッドフォンがリンクして、あ、そうかと(笑)。

「これは完全に僕のファン意識というか、憧れが出てしまってます(笑)」

■そもそも音楽を作り始めたのはいつ頃?

「何か伝えようっていうことではなく、本当に趣味として作曲を始めたのは専門学校の1年生とか2年生になる頃です。だから3年ぐらい前」

(続きは本誌をチェック!)

text by 有泉智子

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Posted on 2013.06.15 by MUSICA編集部

andymori、ラストアルバム『宇宙の果てはこの目の前に』、そして解散の真相を語る

やれるだけのことはやったし、全力で歌ったよ。
俺がその時時に何を考えて生きていたか、
それがちゃんと作品になって残ってると思う。
それは、andymoriに関係してくれた人、聴いてくれた人、
そして、ただ一緒の時代を生きた人、
みんなのおかげなんだ。
だから、心残りはないよ(小山田壮平)

『MUSICA 7月号 Vol.75』バックカバーより掲載

■遂にこの日が来ちゃったなという感じなんですけど。

「はい。……なんか思い出深いね。一番最初の取材は、渋谷の事務所だったよね」

■そう。08年の12月。ファーストアルバムができ上がって取材したのが最初。

「あの時、凄く嬉しかったんだよな。“青い空”が好きだって言ってくれて」

■うん。今はどんな気持ちですか?

「でも、発表してスッキリしたよ」

■壮平の中では、いつくらいに解散っていう文字が浮かんだの?

「はっきり思ったのは、『FUN!FUN! FUN!』のツアーが終わった時。ツアーのことを思い出してた時に、『もうこの辺かな』って思って」

■それは、バンドの限界というか、行き止まりが見えちゃったの?

「う~ん、行き止まりが見えたというか……………(少し考える)……………」

■ツアーはいいツアーだったよね?

「そうだね。凄くいいツアーだったと思うよ。ファンファンもいて、いいライヴができたって心から思ってる」

■でも、何かが引っかかったんだ?

「うん。…………自分が全力になれてないというか……………言葉にすると誤解を生むかもしれないけど、でも………このバンドを全力で愛せてないなって、思っちゃったんだよね。心が離れていってしまってるのを感じたと言うか………その感じはツアーよりも前から少しずつ感じてたんだけど。……だから、この何ヶ月かはバンドに関してはちょっと辛い時期だったかもしれない。もちろん楽しいこともいっぱいあったし、そこに嘘はひとつもないんだけど」

■でも、ずっと順調に来たバンドでもないじゃん? 大樹くん(前のDr)が辞める時にも大きなカオスが生まれたし、当時、壮平もかなり苦しんでたと思うし。

「そうだね」

■だけど、あの時は解散は1ミリも考えなかったよね。でも今回は続けられないと思った。その違いはなんだったの?

「次のアルバムでひとつ終わりにしたい、終わりにできるんじゃないかっていう気持ちが出てきたんだよね。続けられるか/続けられないかじゃなくて、ここでいいんじゃないかっていう」

■区切りがついたっていうこと?

「うん。それは本当に、このアルバムを作ってる中で自然とそうなっていったところがあってさ。解散を意識して作り始めたアルバムじゃないんだけど、作ってる内に、自分の中でなんか1周回ってきたんだなっていう感覚があって。たとえば、こうやって“teen’s”や“トワイライトシティー”を歌えたってこととかさ」

■“teen’s”は19歳の時に作った曲だけど、“トワイライトシティー”も昔の曲なんだ? めちゃくちゃいい曲だよね。

「ありがとう(笑)。これ、アンディの一番最初のデモに入ってる曲なんだよ。結成して、一番最初に録った曲。寛が持ってきたコードから生まれた曲で――そういう作り方ってあんまりしないんだけど、この曲は寛のコードを聴いて『ああ、いいコードだな』って思ったところから作ったの。だから、あのイントロの音はその時に録ったデモの音なんだよ」

■そうなんだ。

「そう。で、こういう曲を録っていく内に、ここで終わりにするっていうイメージが湧いてきた。それが今までとは違ったのかな」

■去年の秋に、次のアルバムは今までの集大成というか、これまで自分が曲を作ってきた期間全部から選んだオールタイムベストみたいなアルバムにしたいっていう話をしてたじゃない? 

「うん、話したね」

(続きは本誌をチェック!)

text by 有泉智子

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