andymori、ラストアルバム『宇宙の果てはこの目の前に』、そして解散の真相を語る
やれるだけのことはやったし、全力で歌ったよ。
俺がその時時に何を考えて生きていたか、
それがちゃんと作品になって残ってると思う。
それは、andymoriに関係してくれた人、聴いてくれた人、
そして、ただ一緒の時代を生きた人、
みんなのおかげなんだ。
だから、心残りはないよ(小山田壮平)
■遂にこの日が来ちゃったなという感じなんですけど。
「はい。……なんか思い出深いね。一番最初の取材は、渋谷の事務所だったよね」
■そう。08年の12月。ファーストアルバムができ上がって取材したのが最初。
「あの時、凄く嬉しかったんだよな。“青い空”が好きだって言ってくれて」
■うん。今はどんな気持ちですか?
「でも、発表してスッキリしたよ」
■壮平の中では、いつくらいに解散っていう文字が浮かんだの?
「はっきり思ったのは、『FUN!FUN! FUN!』のツアーが終わった時。ツアーのことを思い出してた時に、『もうこの辺かな』って思って」
■それは、バンドの限界というか、行き止まりが見えちゃったの?
「う~ん、行き止まりが見えたというか……………(少し考える)……………」
■ツアーはいいツアーだったよね?
「そうだね。凄くいいツアーだったと思うよ。ファンファンもいて、いいライヴができたって心から思ってる」
■でも、何かが引っかかったんだ?
「うん。…………自分が全力になれてないというか……………言葉にすると誤解を生むかもしれないけど、でも………このバンドを全力で愛せてないなって、思っちゃったんだよね。心が離れていってしまってるのを感じたと言うか………その感じはツアーよりも前から少しずつ感じてたんだけど。……だから、この何ヶ月かはバンドに関してはちょっと辛い時期だったかもしれない。もちろん楽しいこともいっぱいあったし、そこに嘘はひとつもないんだけど」
■でも、ずっと順調に来たバンドでもないじゃん? 大樹くん(前のDr)が辞める時にも大きなカオスが生まれたし、当時、壮平もかなり苦しんでたと思うし。
「そうだね」
■だけど、あの時は解散は1ミリも考えなかったよね。でも今回は続けられないと思った。その違いはなんだったの?
「次のアルバムでひとつ終わりにしたい、終わりにできるんじゃないかっていう気持ちが出てきたんだよね。続けられるか/続けられないかじゃなくて、ここでいいんじゃないかっていう」
■区切りがついたっていうこと?
「うん。それは本当に、このアルバムを作ってる中で自然とそうなっていったところがあってさ。解散を意識して作り始めたアルバムじゃないんだけど、作ってる内に、自分の中でなんか1周回ってきたんだなっていう感覚があって。たとえば、こうやって“teen’s”や“トワイライトシティー”を歌えたってこととかさ」
■“teen’s”は19歳の時に作った曲だけど、“トワイライトシティー”も昔の曲なんだ? めちゃくちゃいい曲だよね。
「ありがとう(笑)。これ、アンディの一番最初のデモに入ってる曲なんだよ。結成して、一番最初に録った曲。寛が持ってきたコードから生まれた曲で――そういう作り方ってあんまりしないんだけど、この曲は寛のコードを聴いて『ああ、いいコードだな』って思ったところから作ったの。だから、あのイントロの音はその時に録ったデモの音なんだよ」
■そうなんだ。
「そう。で、こういう曲を録っていく内に、ここで終わりにするっていうイメージが湧いてきた。それが今までとは違ったのかな」
■去年の秋に、次のアルバムは今までの集大成というか、これまで自分が曲を作ってきた期間全部から選んだオールタイムベストみたいなアルバムにしたいっていう話をしてたじゃない?
「うん、話したね」
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text by 有泉智子
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