Posted on 2017.09.19 by MUSICA編集部

世界の舞台にも挑み闘い続けた10年を超えて、
coldrainの最高到達点たるフルアルバムが完成。
『FATELESS』のすべてを5人全員で語り尽くす

今までの俺だったら、メロディを任せるなんてできなかったんですよ。
だけど、「ひとりで作ってないんだな」っていう、当たり前だけど
大事な気持ちを持てた。自分を自分で作るんじゃなくて、
仲間によって「coldrainのMasato」がいるんだなって(Masato)

MUSICA 10月号 Vol.126P.106より掲載

 

■約2年の本格的な海外活動を経て、改めて日本のシーンで明確に勝つことを視野に入れた作品だと思いました。それは特に、メロディの起伏の豊かさから感じたことで。素晴らしい作品ができた手応えは、5人自身も感じられてると思うんですけど。

KatsumaDr)「前作『VENA』もそうでしたけど、10年やってきた今、最初にバンド始めた時みたいに純粋にやりたいことを再現できた気がしていて。音数はシンプルになりつつ、だからこそ11曲に自分達の熱が入ってて。今回はさらにそこを更新できたと思うんですよね」

RxYxOB)「シンプルって言ったけど、凝縮できたというか、本当に10年のcoldrainが詰まった作品だと思うんですよね。シンプルだからこそ、曲ごとのパワーを今までで一番感じられていて」

■そのシンプルさって、5人がこのアルバムでやろうとしたことが明確だったからこそギュッと束になれたっていうことでもあるんですか。

MasatoVo)「ああ、それはあると思う。たとえば今までなら、日本で根強いメロコアのシーンにこういうラウドな音をどう届けるか、J-POPしか聴かない人にどうやって頭を振らせるか、みたいなテーマでやってきて。そこである程度の手応えを持った上で今度は海外にも行ってみたいと思って、海外でもツアーをやって。その上で、今度は『日本の音楽をどうやったら海外に伝えられるのか』っていう音源作りが始まっていったのが前回までで。そしたら、日本の音楽、日本のメロディがそのまま海外で通用するっていう確信を得られたんですよ。そういう『VENA』までの流れがあった上で、じゃあもっと日本でも行ける場所があるんじゃないか?っていうことを5人で共有できていたと思うんです」

■そこで生まれた意志は、どういうふうに曲に反映されたと思います?

Masato「何が変わったかと言ったら、ずっと俺が書いていたメロディの部分を、大幅にY.K.Cに任せるようになったんですよ。だから僕は、自分のアレンジやエッセンスをメロディに加えて、歌う・歌詞を書く人に回るっていうことができたんですよね。だから、日本人がメロディを書いてるからこその、日本のルーツも注ぎ込まれた音源になってるんじゃないかなって思います。今言った『日本でも行ける場所がまだある』っていうのを曲にする上で、それが一番大きかった気がしていて」

■逆に言うと、歌うこと自体にもっと熱を宿していきたかった?

Masato「そうそう。そういう気持ちがあったからこそ、メロディをY.K.Cに任せたし。海外でも日本のメロディがそのまま通用すると実感したっていう話もあったけど、海外でツアーをやってみて『ああ、お客さんはここで歌うんだ?』ってビックリすることがあったんですよ。決してサビだけじゃなくて、みんながそれぞれ熱くなる部分で勝手に歌う。それを見て、もっと『歌おう!』って思えたんですよね。思い返してみると、俺は昔から歌うことよりも曲を作ることに喜びがあったタイプだったんですけど、今こそ『歌おう』っていう変化をした方がいいんじゃないかと思った。『俺が作らなきゃいけない』みたいなエゴを捨てられたというか」

SugiG)「そうだね。楽器隊も今までになく前に出てるんだけど、それに負けないヴォーカルの力強さが今回は特にあって――ラウドロックやメタル、いろんなジャンルも全部含めて、どこを切り取ってもイエイ!ってテンション上がるような熱がある。そうやって、わかりやすい形で感情を揺さぶれる歌と曲を俺達自身も作りたいと思ったんですよね」

Y.K.Cさんは、ご自身がメロディを作るようになって生まれた変化や、Masatoさんの歌への意識をどういうふうに見てたんですか。

Y.K.CG)「今までも、最後にMasatoが歌とメロディを入れることで曲が仕上がってたわけですけど、言ってみれば、僕が曲を生み出した後にMasatoが曲に入ってくることで、僕が元々見えてた視野から1回外れて、改めてフォーカス合わせる作業だった。だから、個人的には曲を最初から最後まで作って、作曲家として思い描くゴールまで行く結果を見てみたい想いはあったんです。やっぱり、元々泣きのメロディ感のあった日本的な楽曲も、Masatoが歌うとストイックなカッコよさになっていたんですよ。で、そのヒロイックな部分を信頼してるからこそ、今回は『俺に最後まで作らせてくれないか』っていう話をみんなにしたんです。そうすると純粋に、デモの段階から無駄なものを積まなくていいし、今度は素直に『他に欲しいものない?』ってみんなに訊けるようになっていって。そういう意味では、ファーストアルバムの頃――まだ役割分担が曖昧だった頃の、各々が純粋にやりたいことを出せる部分を拾い集めて、10年目の今、それを改めて上手く使えた気がしていて。だからこそ、日本のデカいところでやる自分達を明確に目指して曲を作っていけたと思っていて」

■今回、音のレンジが圧倒的に広いですよね。分離がめちゃくちゃいいし、それが歌やコーラスの抜けに直結していて。たとえば重たい曲だけじゃなくて“FOR THE THOUSAND TIME”みたいな2ビートも、より一層5音の爆走感を感じられる。このサウンドは、元から意図したものなんですか。

Y.K.C「それは意識しましたね。だから今回はエルヴィスっていうプロデューサーに変えて。彼はコーラスワークが凄く上手いし、80’sのハードロックが大好きな人なんで、泣きというか、日本的なアレンジを共有できるんですよ。難しい上ハモもどんどん入れてくれるので、ギターのフレーズを入れなくても音像が広がる。だからこそ、より演奏隊がひとつの塊としてストイックにアレンジすることができて」

Masatoさん自身は、そうしてメロディもアレンジも変わった上で、coldrain自身に何か新しいものを感じられたりはしましたか。

Masato「まず、世界に行ってわかったのは、日本で勝てなきゃ世界でも勝てないってことだったんですよ。別に完璧に洋楽になることをcoldrainは思い描いてきたわけじゃなかったし、逆に、究極の邦楽として枠を超えていきたかったバンドで。メイドインジャパンで世界と闘いたかったからこそcoldrainは始まったし、今回、それを形にできるバンドなんだって思えましたね。こういうヘヴィな音楽性で、しかも英語で歌ってるけど、そこに対して『日本に向かってるアルバムだ』って言ってくれたのは、一番の褒め言葉だなって思いますね。今一度、それをやりたかったんですよ」

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text by矢島大地

『MUSICA10月号 Vol.126』

Posted on 2017.09.19 by MUSICA編集部

BRADIO、極上の新曲でいざメジャーへ!
バンドの真骨頂かつファンクへの敬意も露わにした
シングル『LA PA PARADISE』を解く

BRADIOJ-POPの中でもソウル、ファンクで行け!」
って言われて、「俺達の時代来た?」って。
それでソウルの根底にある「愛と宇宙とセックス」
というテーマで曲を書いたんです(真行寺)

MUSICA 10月号 Vol.126P.100より掲載

 

(前半略)

Earth, Wind & Fireって何がアースとして占めるのかっていうと、ディスコ・ビートであることは凄く重要なんですけど、それよりほぼファルセットで歌うことであのアース感が出ていたりして。で、“LA PA PARADISE”はまさにそれをやられてるわけなんですけど、その辺は自分の中でどういうイメージを持たれてたんですか?

真行寺「“LA PA PARADISE”自体が、今までのBRADIOの中で一番70年代とかソウルっていうものに近づいた曲だと思ってまして。プロデューサーの藤井さんがそういうブラックなミュージックに凄い強い方なんですけど――元々彼らの音楽は、黒人が迫害されて、その人達が自分達の居場所みたいなものを見出すために、『自分達の居場所はここじゃない、宇宙だ!』みたいな感じでああいう音楽になっていったものらしくて。それで『自分達は宇宙から来た生き物で、俺達は唯一無二なんだ』っていう、あの当時の黒人とその音楽のソウルっていうものを、この曲の歌詞の中に入れようって話になって。それは藤井さんとソウルについて話したからですし、最初からBRADIOに対してこうあって欲しいっていうヴィジョンを最初から持たれていたので、こういう作品になっていきました」

■それはどういうものだったの?

真行寺「BRADIOJ-POPの中でもソウル、ファンクで行け!みたいな感じで。『あれ? 俺達の時代来た?』みたいな」

全員「あはははははははは!」

真行寺「ちゃらんぽらんなんで、『あれ、これ行けるんか?』みたいな(笑)。それで今回歌い方に関しても歌詞に関しても、『愛と宇宙とセックス』っていうソウル・ミュージックの根底にあるようなテーマで書いてみて。別にJ-POPに落とさなきゃいけないみたいな制約があってやっていなかったわけではないんですけど、今まではファルセットは意外と避けてきた部分があって。それを今回全面に出したっていうことに関しても藤井さんが後押ししてくれたからなんです」

■なんかこのインタヴュー、プロデューサー賛辞になりそうだけど、でも本当に効いてます。しかもそのファンクがちゃんと歌謡曲にもなるっていう、そこが見事だなと思う。

真行寺「あ、嬉しいです。それを汲み取ってもらえて」

■そこを含めての冒頭の久保田利伸イズムなんですが(笑)。歌詞に関して、“LA PA PARADISE”には本当にいろんなものが散りばめられていて。僕がわかっているだけでも1980年のRCサクセションの“雨上がりの夜空に”、あと1975年のアースの“Shining Star”、1977年のアースの“宇宙のファンタジー(原題:Fantasy)”――。

真行寺「年代まで!!(笑)。凄い調べてくれましたね」

■時代背景が曲から響いてきたから当然です。あと1996年の久保田利伸の“LALALA LOVE SONG”、1977年の映画『Saturday Night Fever』、1984年のマドンナの“Like a Virgin”。ちなみに他にもあったりします?

真行寺「山本リンダさんの“どうにもとまらない”(1972年)と、あとRCサクセションの“キモちE”(1980年)の『いい』を『E』にして歌ってるのも盛り込みました!!

■あぁ、ここにもあったかぁ。しまったっ!

真行寺「いやいや、とんでもございません!!

大山「めちゃめちゃ凄いっす(笑)」

■そうやって凄く意味のある、言ってみればソウル、ディスコ、ファンク、パンク、歌謡曲、それらがこの国の中で受け入れられてきた歴史というものを思い思いに綴られてるようなものになってるのですが。

真行寺「今回は歌詞中で、今まで<君>と呼んでたところが<お前>っていうふうにしたんです、そこが今までのBRADIOと決定的に違うところですね。藤井さんは僕の人となりをそんなに知らなくて、ライヴとかでの印象だと思うんですけど、『貴秋には<君>って言わないで<お前>って言ってもらいたい』って言われて。それは『愛と宇宙とセックス』っていうテーマの、そのセックスの部分での11っていう、『俺とお前』っていう近い位置を歌詞で表現しようっていうことなんですけど」

■それをプロデューサーに言われた時、どう思ったの?

真行寺「正直ちょっと抵抗ありました。『え、お前って言う……?』みたいな。僕、性格は結構暗いというか、相当暗いというか(苦笑)、あんまり『お前』とか言わないので」

■だからある意味今のこのキャラクターに武装しているわけで。その武装しているキャラクターとしての歌詞を歌ってと言われたってことだけど。

真行寺「かなり戸惑いましたね。でも、書いていくうちに得体の知れないものを感じたというか。それはさっき言った『勘違い』のようなものなんですけど、そこで最近のライヴの時に感じてる勘違いっていうものに繋がった気がして。なんかそういう体験を書いていく中でできたのが、自分の中で大きかったかなと思います」

■ちゃんとセクシーファンクバンドのセンターに乗り移れたんだ。

真行寺「そうですね。ソウルにおけるセックスっていうものがわかってる、っていうのとはまた違うんですけど、こういうのやりたかったみたいな感覚になれたので。それはBRADIOにとっては歌詞からも新しい方面を歌えたかなと思います」

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text by鹿野 淳

『MUSICA10月号 Vol.126』

Posted on 2017.09.19 by MUSICA編集部

純粋な音楽愛と魂がスパークするアルバム『熱唱サマー』。
大きなターニングポイントを迎えた赤い公園の、
決意とまだ見ぬ未来を津野米咲と語り合う

ずっと正直に、正直にやりたかったんです。
今回は本当にそれができた。余計なことを考えず正直に、
自分達の本質で真っ向勝負できたんです。
それは4人でやるのが最後だったからこそだとも思います

MUSICA 10月号 Vol.126P.112より掲載

 

(前半略)

■まず、12曲中8曲がセルフプロデュースです。アルバム曲でいうと、9曲中7曲がセルフで。こういう形になったのは何故なんですか。

「正直、もっとプロデュースをお願いしたい気持ちもあったんですけどね。でもスケジュールの兼ね合いもあって。頼みたいプロデューサーさん達が全然スケジュールが合わなかったんですよ(笑)」

■ははははははは、そこか。でも、このアルバムはセルフプロデュースだからこそ、これだけ素晴らしい作品になったんだと思いますよ。

「でも、これも逆説的な感じになるんですけど、今回のアルバムはとにかくどんどんポップにしていきたい、ポップに挑戦していきたいっていうところから始まっていて。そのポップっていうのを、曲全体のパッケージとして考えるんじゃなくて、骨のみで考えるっていうことを初めてやってみたんですよ。要は、歌詞とメロディのみでポップスを目指してみるっていう、自分のこだわりをそれのみにしたんです。要は、その骨を神経質なまでにしっかり作って、もう演奏は何をやってもいいし何もやらなくてもいいっていう状態をまず最初に作ってみたんですよね。その結果、より思い切ることができたっていう。だから音の使い方は全然違うんですけど、アレンジというか、曲の持っていき方はデビューしたての頃に近いなっていう感覚があって。『公園デビュー』とか『猛烈リトミック』の時の感覚にようやく久しぶりに会えたっていう感じかなって思います」

■よりポップにしていきたいというのは、何をどういうふうに考えたところから出てきたの?

「『猛烈リトミック』はとにかく全体的に派手、猛烈だっていうコンセプトで作って、次は素直に作ってみようと思って『純情ランドセル』ができて。で、その次は普通にみんなが覚えられて、より多くの人が歌えて、より多くの人が愛してくれるような、かつ自分も好きな歌謡曲であるっていうことをやる以外に思いつかなかったんですよね。それを目指すのは一番ラクじゃない選択ではあったんだけど、でも一番必要な選択だと思ったんです。それは『純情~』を出したすぐ後ぐらいからスタッフとも話してて。全部サビがみんなで歌える曲にしよう、と。遊びの方向性とか闇の方向性みたいなものは勝手に出てくるだろうからそこは敢えて考えずに、とにかくポップな歌を、誰もが歌える歌謡曲を作ろうって」

■そういう考えに至ったのは、それこそSMAPに提供した“Joy!!”だったり、自分が作った曲が実際にJ-POPの真ん中で日本のポップスとして鳴り響いたっていう経験だったり、そういう手応えを得ていく中で意識が鮮明化していったところもあったりするの?

「いや、それとはちょっと違ってて。というのも、特に“Joy!!”はSMAPが歌うからこそ、あそこまで行けた曲だと思ってるんですよ。何故ならあのメロディとかは赤い公園の今作よりも全然難しいし、誰でも歌える歌じゃない、SMAPだからこそ歌える曲だったと思うんですよね。だから正直に言うと、あの曲は自分にとってはあんまり歌謡曲ではなくて。で、その他の提供曲とかも、むしろ自分達の作品よりも無理をさせていただいている感じがあるので(笑)、そういう意味では自分のメロディのポップさみたいなものはあんまり信用してないんですけど、ただ、曲を提供する場合ってアレンジャーさんが入ることがほとんどだし、そのやり方も、コミュニケーションを取らずに、私が作った骨を渡して後はお任せしますっていう形でやってもらってるのがほとんどで。で、それをアレンジャーさんがアレンジしてくださって、会ったこともないミュージシャンの方々が演奏してくださるわけですけど、そうやってでき上がったものから自分の作ったデモを引いてみると、残ったものは何かわかるじゃないですか」

■自分が作った骨に何が加わってポップスになっているかがわかる、と。

「そうそう。その中で、自分の中で凝り固まっていた、リズミカルな隙間のあるリズムのサビでは何かの楽器が長い音を鳴らしていよう、みたいな、なんとなく培った気でいたポップスのルールみたいなものが大胆に崩れ去っていったりして。むしろ、そんなルールなんてないんだよっていうことを学んできた感じは凄いあるんですよね。その結果、たとえば今回の“セミロング”は、アレンジとしてはずっと地味だけど、でもちゃんと世界が成り立ってる。これが前作までだったら、どこかに思いっ切りエレキギターを入れてたと思うんですよ。でも、そこをグッとこらえてみるっていうことができて、その結果とてもいい曲になったなと思ってて」

■要するに、ポップスにするにはアレンジ的にこうでなければならない、こういうアレンジをしたらポップス然とするぞ!みたいな概念が取り払われた、だからこそ芯の部分=メロディと言葉に集中しようと思った、と。

「そうですね。最初に骨で勝負するぞ、もうそこから逃げないぞ!みたいな大げさな腹の括り方をしたのがよかったんだと思います」

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text by有泉智子

『MUSICA10月号 Vol.126』

Posted on 2017.09.18 by MUSICA編集部

デビュー20周年を迎えたGRAPEVINEが
新作『ROADSIDE PROPHET』を発表。
終わりなき冒険を行く彼らの新たな名盤を紐解く

メインストリームの声ではない、スポットライトの当たらない人達が
主人公になってる曲が多いなと思って。
でも本当は、スポットの当たらない声にこそ
真実があるんじゃないかと思うんです

MUSICA 9月号 Vol.126P.88より掲載

(前半略)

■今回は『ROADSIDE PROPHET』と、「路傍の預言者」という意味の言葉をアルバムタイトルに掲げていて。これは非常にGRAPEVINEの本質が表れた言葉だなと思うんですが、どんな意味を込めているんですか?

「タイトルをつけるのは一番最後なんですけど。今回も曲が出揃ったところで、全部の歌詞を見直してみて。全体を眺めて何がテーマになってるんやろうって考えた時に、これはメインストリームの声ではないというか、スポットライトの当たらない人達が主人公になっている曲が多いなと思ったんですよね。でも、昨今の世の中と照らし合わせると……今って、割と太字が強い世の中というか、太字がちな世の中になってるじゃないですか」

■強い言葉、極端な言葉で言った者勝ちみたいな。あるいはニュースにしても何にしても、記事のタイトルだけで判断しがち、みたいな。

「そう。でも本当は、太字じゃない部分、逆にスポットの当たらない声にこそ真実があるんじゃないか、みたいなニュアンスのタイトルがつけたくて。それでこういう言い方になりました。まぁでも、このタイトルやテーマはわかりにくいんでしょうね。太字になりにくいバンドが太字にならないテーマのアルバムを作ってるんで、これまた伝えにくい(笑)」

■はははは。でも、スポットの当たらない声にこそ実は真実があるっていうのは、まさにその通りだと思います。別の言い方をすれば、インパクトの強い主張がイコール正義であるなんてはずもないし、太字で片づけられない、白と黒で片づけられないグレーの部分にこそ本当のリアルと真実があるはずなのに、今はそこがないがしろにされがちな世の中で。

「そういうところに日々、かなりの違和感を感じてはいるんでしょうね。それが歌詞を書いていく中で自ずと出てくるんだと思うんですよね」

■というか、アルバムの5曲目に収録されている“Chain”でも<声にならないわずかなエコーを/拾いあげて/こわれそうなそれをどうやって/うたうのだろう>と歌っていますけど、そういうところを掬い取っていくのがGRAPEVINEというバンドというか、田中さんの矜持であり、美学だと思うんですよ。その上で、近年はアルバムの中に何曲か、田中さんの中にある社会に対する違和感、今の社会への批判やメッセージがかなり強く出ている曲が入っていて。特に前作の“BABEL”と“EAST OF THE SUN”はプロテストソングと言っていい曲だったと思いますし。

「あの2曲はパッと聴いて社会的なこと歌ってるもんね、比較的」

■で、今回も全体にそういうメッセージが散りばめられつつ、特に“Shame”と“聖ルチア”の2曲はその側面が割とダイレクトに出ていますよね。

「そうなんです、結構プロテストしてるんですよ。ただ、“Shame”に関しては『あかんわ、わかりやすくし過ぎたな』って思ってますけど(苦笑)。これはちょっと具体的なキーワードを持ってき過ぎた」

■それってたとえば<自国の愛ゆえ 自分を応援します/差別も虐待なども対岸の火事で>とか、<ひと夏の思い出 フェスなどいかがです/虚空へと向かって狂おしく燃え上がれ>とか?

「そうですね。<フェス>とかね、そういう言葉を遣っちゃうとそこばっかりに引っかかってくるじゃないですか。何しろリスナーはみんなフェスに行ってるわけですから。でも、別にフェスの歌ではないんですよ」

■いわゆる邦ロックフェスだけではなく、炎上祭り的なニュアンスも入っているのかな、と。

「そういうつもりですけどね……と言いつつも、まぁこれは半ば嫌味ではありますけど(笑)」

■(笑)。でも、<世界をウォールで閉ざしてしまいます>という歌い出しも、あとサビ頭での<誰を助ければ蹴ればいいんだ>という言葉の遣い方も本当に秀逸だなと思います。特にこのサビ頭は音だけで聴いていると<助ければいいんだ>のリフレインのように聴こえるんだけど、実は後半は<蹴ればいいんだ>となってるという。一聴すると助ければいいんだと繰り返しているようなのに実は真逆というこの感じも含め、正義を気取って自分の利益になるもの以外を平気で迫害したり蹴り倒していく昨今の風潮を上手く音楽に落とし込んでいて、見事だなぁと思いました。

「うん、ここはそのつもりでやってますからね。……僕の場合は結局、どっちの味方かとか、右か左かとか、白か黒かとか、そういうことを書きたいわけではないんですよ。白が黒を、あるいは黒が白を批判するようなメッセージソングを書きたいわけではない。そこは結局リスナー次第というか、『さあ、あなただったらどうする? 我々はどうする?』という問いかけみたいなことをやりたいんですよね。そこには、僕自身、どうしても書きながら『おまえは一体どの立場でものを言ってるんだ』という突っ込みを入れてしまう性格やっていうのもあるんですけど。でもプロテストソングっていうのは本来、『あなただったらどうする? 自分はどうする?』ということを投げかけるもんやと思うんですよ。……まぁそういう表現は、昨今の太字の世の中では伝わりにくいんでしょうけど」

■まぁ、黒を白にするんだっていうわかりやすいイデオロギーのほうが求心力を得やすいし、エネルギーとしては強かったりしますからね。

「かつ、人の背中を押すだったり、元気づけるだったり、そういう作用を起こすためには、やっぱり何か言い切ってもらいたいっていう人間の心理があるんだと思うんですよね。だから太字が強いっていうのは結局そういうことで。ものごとの善し悪しよりも、太字で言われたことにより安心するこのドM社会というか。そういうニュアンスが強いんじゃないかなっていう気がします。そういう意味では、自分のやろうとしてることは時代とは真逆なんやなっていうことを凄く痛感しますね」

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text by有泉智子

『MUSICA10月号 Vol.126』

Posted on 2017.09.18 by MUSICA編集部

RIZE、実に7年ぶりとなるフルアルバム
『THUNDERBOLT~帰ってきたサンダーボルト~』
猛者による稀有な20年をJESSEが語り尽くす

RIZEって何回も1からやり直してるんだよね。
だからこそ20年やれたと思ってる。
何回も気がついたら立ち上がれてる。
立ち上がることができれば、俺は負けだと思わない

MUSICA 10月号 Vol.126P.82より掲載

 

■まず、20周年おめでとうございます。

「ありがとうございます!」

■そして、7年ぶりのアルバムになります。とはいえこの7年も活動してなかったわけじゃないし、いいライヴもたくさん観せてもらってきたと思うんです。このタイミングでアルバム制作、そして完成まで至ったのは、どういうきっかけがあったからなの?

NAKA(中尾宣弘/現在はThe BONEZのメンバー)が抜けてから、1枚だけ3人でのアルバムを出して(2010年の『EXPERIENCE』)。それは『ROOKEY』(ファースト)と同じトリオバンドで作ったものだし、言ってみればRIZEのオリジナルなスタンスではあったんだけど、でもどっかしっくり行かなかったんです。2枚目以降は4人編成で、俺はピンマイクで歌うことが多くなってたわけで。けど、『EXPERIENCE』は、NAKAが抜けてトリオバンドになったが故にグランジとかオルタナの世界に行くしかなかったっていう作品で。それはそれで自分らの好きな部分だからよかったんだけれども、でも正直、爆発できなかったというか、『これってRIZEじゃないよな』って思っちゃったんですよね。で、そこからこの7年の間、ずっと曲は作ってたんだけど……それが結成20周年のタイミングで形になったっていうのは、完全に偶然(笑)。なんか、このアルバムは授かった感じなんですよ。子供って授かるものじゃないっすか。自分らがどれだけ欲しくても、欲しいと思ったタイミングでできるとは限らない。このアルバムもそんな感じなんだよ。プラス、やっぱりこの7年の間で修業ができた感じがしますね。7年前の自分を見ると、背伸びだらけで。やりたいことはわかるんだけど、やれることに特化してないっていうかさ」

■でもさ、ある意味それが自分達の持ち味だったんじゃない?

「っていうか、それでしかなかった(笑)。それで自分らを上げていってたんだけど。でも7年間、毎日の鍛錬をずっとこなしてきたことで、やりたかったことが『やれてること』に変わった。それは僕の歌のスキルもそうだし、あっくん(金子ノブアキ/Dr)の表現力もそうだし。まぁここにあっくんがいたら、それが話せて最高だったんだけど――」

■いるはずだったんだけどね。なんと寝坊して取材に来ねーっていう(笑)。

「ははははははは。俺らふたりがRIZEを始めたけど、俺とあっくんって性格的に真逆で。あいつは家にいたい、俺は外に出たがるタイプだし」

■だから今日も来ねーのか……(ちなみに20年間で取材を飛ばしたのは、これが初めてだそうです)。

「くくくくく。でもそんな真逆の俺らが、今また一周回って、小学校の時と同じぐらい仲がいい状態なんですよ。今が一番ってくらい、俺とあっくんのブラッドフロウが凄くいい。それもあって、今アルバムができたんだと思う。かつ、Rio(下畑良介、サポートギタリスト)の存在もめちゃめちゃデカくて。あいつが今回、本当に名ディレクターだった。Rioがいなかったら完パケできなかったと思うんですよ。俺も忙しいしあっくんも忙しいし、KenKenB)も忙しいけど、Rioが俺らのやりたいことを上手く繋いでくれたところもあるし。特にKenKenなんてさ、RIZEDragon Ashの両方やってるわけで。それってセ・リーグとパ・リーグ両方にいる、みたいな感じじゃないっすか」

■ははははははは、完全にそうだね。

「そんなことできる奴、普通いないだろ!みたいな。ムッシュのこともあったし(今年3月にがんのため亡くなったムッシュかまやつと、LIFE IS GROOVEというバンドを組んでいた)、やっぱKenKenはもの凄い頑張ってんだよね。だから、今は俺だけがひとりで前で『アガれー!』って言ってるんじゃなくて、KenKenもフロントで一緒にフォース出してくれるから。そういう意味では、今までのRIZEにはなかった見え方をしてる」

■まさに。今回のアルバム、全然丸くなってないし、相変わらずなところもたくさんあるんだよね。それが最高だなと思うのと同時に、一方で“COLOURS”や“Where I belong”みたいな、20年間やってきた上での今だからこそ、本当にいろんな人に響くだけの説得力を持ち得たなっていう楽曲もあって。その両方が合わさってるところが凄く素敵だと思う。

「“COLOURS”は……俺、RIZE史上一番よかったなって思えるアルバムが『Spit & Yell』だったの。アメリカ行って解散しかけてさ、次のアルバムで本気出し合おうぜ、ダメだった奴から抜けてく、もしくは解散だ!みたいな意気込みで作ったのが『Spit & Yell』だったんだけど。“COLOURS”は、その『Spit & Yell』の時の気持ちが凄くあるんだよね。プラス、言ってくれたように、バンドメンバーや俺の説得力が前よりも音や言葉に出てる。“Where I belong”に関しても、こういう曲を作れたのもデカかった。<今日も探し続ける>とか歌ってるけど、俺、バンド始めた時となんも変わってないんだなって思えて。そこに凄く喜びがあったの。まだ叶ってないことがいっぱいあること含め、俺はまだ夢があって、それを追いかけられてるんだって思って、それで凄く安心した。そう思っていいんだって、RIZERRIZEファンの総称)にも思って欲しかったから。『もっと新しいことしないと』とか『もっと成長しないと』って無理矢理思わなくてよくない? 『俺、変わってないな』とか『まだ同じこと考えてるよ』とかさ、それでいいじゃん!って伝えたかったというか」

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text by鹿野 淳

『MUSICA10月号 Vol.126』

Posted on 2017.09.18 by MUSICA編集部

シーンの本命となったヤバイTシャツ屋さんが
シングル『パイナップルせんぱい』を発表。
想像の斜め上を行く新曲達に込めたこやまの思惑とは

最近僕、毎日凄い寂しくて、母性を求めてるんですよ。
今までは、ヤバTに弱ってる部分ってなかったんですけど、
こうやって歌詞に書くってことは、ほんまに弱ってるんでしょうね(笑)

MUSICA 10月号 Vol.126P.94より掲載

 

■相変わらず絶好調なようで。

「そう……っすかね?」

2年前と比べて肌の色も全然違うし。日サロとか行ってない?

「いや、全然普通に夏フェス焼けです(笑)」

■という中でシングルが出るんですけど。前作の『どうぶつえんツアー』はメジャーで闘っていくプレッシャーともかち合って、結果的にそこに挑戦していくことへのシナリオがあの作品には入っていたし、特にサビではばっちりヤバTらしさを出そうというバランス感覚もあって、素晴らしいメジャーファーストシングルだったけど。そういう意味では、今回の『パイナップルせんぱい』は、いまいちよくわかってません。

「ははははははは、今日はそういう流れですか(笑)」

■わからないというのは作品としてのいい/悪いの話じゃなくて、意味合いとしてよくわからないんだよね。なので、いろんなことをご教授願いたく、僕は余計な口出しをしないでインタヴューしようと思います。

「はい(笑)。前の作品は“ヤバみ”で新たな一面を見せられたなと思ってるんですよね。で、今回は“ハッピーウェディング前ソング”をリード曲にしてるんですけど、『そこにテーマ設定持ってくるんや?』っていう意外性があるっていう意味では、比較的ヤバTらしい曲じゃないですか。もちろん毎回のリリースが大事なタイミングではあるんですけど、“ヤバみ”を出して、いろんなメディアで『ブレイクすると思う』とか言われてきた中で、僕的にこの“ハッピーウェディング前ソング”はそこに対して攻めたつもりなんですよね。作曲的には王道な作りをしたんですけど、テーマ自体は『このテーマでリード曲にするか?』っていう内容やと思うし。『アルバム曲じゃなくてリード曲でこのテーマやるんや?』みたいな(笑)」

■まさにそこです、僕がわからなかったのは。プラス、「結婚」というテーマとリスナー層がほぼまったく重なってないでしょ。このバンド、別に誰も結婚してないし、むしろ結婚できなさそうだし。

「そうですね(笑)。やっぱ周りで結婚する人が増えてきたなって思ったんですよね。僕の同級生も先輩もそうやけど、結婚式の写真とか見る度にいいなって思ってて。まぁ僕はまだまだ若いうちは結婚しないぞっていうポリシーがあるんです、尊敬するいろいろな諸先輩を見習って。先日とある結婚式を見てて、年齢を重ねてからの結婚というのも幸せそうやなって思ったんで。だから、今までは早めに結婚したいと思ってたんですけど、こうやって大人になっていくにつれて、もっと後でもいいかなって思えてきて」

■…………ということは、自分が影響を受けている先輩の結婚が、この曲を書くきっかけになってるってこと?

「いや、それは違うんですけど(笑)」

■別に本気でゼクシィのタイアップ取りに行ったわけじゃないでしょ?

「全然。今回のリード曲を作るために、初めてひとりで10日間ぐらいスタジオに籠ってみたんです。でも、全然曲ができひんくて。アルバム曲とかリード曲以外の曲やったら、テーマがスラスラ出てくるんですよ。でも、“ヤバみ”の時もそうやったんですけど、リード曲みたいに作品全体のフックになる曲ってなると、結構悩んじゃったりして、その10日間まったく曲できひんくて。他にできそうな曲のテーマを探したり、友達のバンドマンにスタジオまで来てもらって、ずっと喋りながら手待たせをしたり、自分の過去のTwitterを遡って、俺こんなこと考えてたんやって案を出してみたりとかしてて(笑)。それでも思い浮かばなくて悩んでた時に、息抜きに遊びに行こうと思って、友達とか後輩とかと遊びに行ったんですよ。そのメンバーの中につき合ってはないけどいい感じの雰囲気になってる男女がいて。で、♪キッス! キッス! 入籍! 入籍!って言ってたんです」

■はぁ。

「そのふたりを引っつけたくなって、つい(笑)。それが面白いなって思ってメモして、すぐ帰って、バーッと作ったのがこれなんですけど」

■うーん、でも曲のスタートがそこだったとはいえ、なんとなくノリだけで結婚しちゃって、ノリだけでデキちゃって、その後でみんなが不幸になるっていう今の時代感みたいなものをこの曲の中で表してるとも言えるわけだけど、そのテーマに行った理由はなんだったの?

「僕も冷やかしたい気持ちはあるんですけど、こういうタイプってやっぱり2年以内に別れるなって思ってて。そこは自分でもモヤモヤするというか。冷やかしたい気持ちと心配な気持ちがあるんですよ」

■酷い奴だな、お前。

「僕は無責任なんで(笑)、その思ったことはそのまま歌詞にしようと思って。それがヤバTっぽいですし(笑)。でも、別にそこまで社会に対して物申してやるっていう気持ちでは書いてないんですよね。どっちかというと、それは“ヤバみ”のほうが強かったです。やっぱりヤバTって、“あつまれ!パーティーピーポー”が好きなお客さんが多いんですよ。というか、あの曲でヤバTを知ったっていう人が多くて。だからそういう人達に向けて、もう1曲踊れる曲があってもいいんかなって思ってて、これはまさに“あつまれ!パーティーピーポー”が好きな人に向けて作ろうと思って作った曲やって」

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text by鹿野 淳

『MUSICA10月号 Vol.126』

Posted on 2017.09.16 by MUSICA編集部

自身の孤独と闘争へのアンサーソングとも言うべき
BRAHMANのシングル『今夜/ナミノウタゲ』。
今のTOSHI-LOWの在りかに深く触れる

気持ちよさそうに眠ったものは、もうわざわざ動かしたくない。
改めて自分の原動力を見つめ直すと、
長期的に持ってる恨みとかつらみっていうのは意外になくてさ。
やっぱり自分は自分になりたいだけなんだって、また思ったんだよ

MUSICA 10月号 Vol.126P.76より掲載

 

■今回の2曲、「本当にTOSHI-LOWさんが歌ってるのか」と思って驚いたんですよ。これはいい意味で、凄く素直に歌と同化されてますよね。

「ははははは。いい意味でも悪い意味でも、そう聴いてもらえたのなら、どんな意味でもいいよ(笑)」

■特に“今夜”はとても簡潔なフォークソングになってると思うんですけど、この曲をTOSHI-LOWさん自身はどういうふうに捉えてるんですか。

「“今夜”を作ったのは今年の頭くらいなんだけど、家でなんとなくフォークギターを弾いてる時にふと出てきて。だからフォークソングになったんだろうなと思うんだけど。俺、今は弾き語りもやってるじゃない? だから、ギターを抱えて人の曲を練習するっていうことはあったの。それでも、こんなにふとした瞬間に曲が出てきちゃうことはなかったんだよね。そういう意味でも凄く珍しい曲だなと自分でも思うし、作った時から凄くすんなりいった曲なんだよ。俺は曲の作り方がどうしてもメロディ先行なんだけど、今回はメロディを作りながら言葉も溢れてきて」

■“今夜”には、たとえば“PLACEBO”や“FIBS IN THE HAND”に近い趣の深さも感じて。だけど、これまでのそういうタイプの楽曲にあった悲しみや痛みではない、もっと大らかで、ご自身の人生も包み込むような温かいものを感じたんです。そういう意味でも、これまでBRAHMANがやってこなかったタイプの曲だと思っていて。

「ああ、確かにそういう曲達と近い手触りはあるね。ただ今までは、いろんな曲でひとつのことを歌うっていうよりは、1曲でひとつのことを歌い切って完結したいと思ってきて。だけど“今夜”に関しては、基があるというか、繋がりがあるというか――初めて、今と昔とこの先っていうのが筋道になった曲だと思う。この曲自体がこれまでのどこかから生まれてきたっていう感覚が凄く強くてさ。確かに、そういう曲はなかったよね」

■そうして歌の中で過去や今が繋がっていったのは、具体的にはどういう部分が線になったと思われてるんですか。

「元々“PLACEBO”っていう曲があって。で、“PLACEBO”はレコーディングでも『なんか足んねえな』って言ってモメてた曲で、なんとなく未完成のまま終わってたんだけど、ある時、細美武士が『この曲が好きだ』って言ってコーラスをつけてくれてさ。その時に、RONZIDr)が『曲が完成したね!』って言って、俺もそうだなって思えたんだよね。でさ、“PLACEBO”で歌ってるのは拒食症で死んでしまった俺の友達のことなんだけど――そいつを忘れたとかじゃなくて――“PLACEBO”が完成したと思った時に、それをスッと昇華できた感じがあって。その時に、『じゃあ、その先は何なんだ?』って思ったんだよ。別れを悔いるだけで終わってたのが、でも今俺は生きていて、今俺はここにいるっていうことはどういうことなんだ?って思って、その答えを書きたくなった。そう考えるとさ、その孤独感がないと嘘になってしまうと思い続けて、そういう歌を歌ってきた自分を改めて振り返れて」

■結局生まれる時も死ぬ時も人は独りだと。それを無視すればすべてが嘘になってしまうっていう想いが歌になっていることが多かったですよね。

「だけど“PLACEBO”を昇華できたと思った時に、その孤独感を持っていないと嘘になってしまう自分とは違う自分も実感できて。その続きを書くのなら、孤独じゃなきゃいけないっていうことを意図して、わざと孤独になってるほうが嘘だと思ってさ。……『なんであいつだけを置き去りにして、俺は今生きてるんだ?』っていう後ろめたさに対して、やっぱり苦しまないとやってられなかったのが昔なんだよ。でも逆に言えば、俺はその孤独をわざと引きずろうとしてたんじゃねえか?って思うこともあって。でも“PLACEBO”が本当の意味で完成して、もう孤独を引きずる必要がないと思えた時に、初めてその曲の次を歌いたくなった。それで『今だったら誰のことを仲間として歌いたいんだろう?』って考えたら、それこそ細美武士が出てきて。……これはあいつと一緒に飲んだ時の話なんだけど、細美が飲み屋でぶっ潰れちゃって。それでタクシー止めようと思ったら、また駐車場のところでひっくり返ってるわけよ(笑)。そういう風景を見て『懐かしいな』って思ってさ。たとえば“PLACEBO”の歌の中にある世界っていうのは、俺が10代の時にその友達と喧嘩でボコボコにされて、ふたりしてグチャグチャになってひっくり返ってた風景が思い浮かぶもので。『ああ、こんなふうにひっくり返ってたよな、俺達』って思ったんだよね。もちろん、細美武士があいつの代わりだとかそんなことは思わないけど……でも、もしあいつが生きてたら、こんな夜が来てたのかなあって思った。今まで、『もしも』とか考えない人間だったのにね。そういう仲間がいる風景に感じたことをそのまま書いたのが“今夜”なんだよね。もちろん、人なんか生まれて死ぬまでひとりであるっていう死生観は、“今夜”を書いたところで変わらない。でも、今は孤独だから辛いっていうわけでもなくて。だって、そういうものなんだもん。それを受け止める力量がなかっただけなんだろうね。身の周りにあるものも傷つけて、いちいち自分が持てるサイズにしないと気が済まなかったし、それによってヒリヒリした人生観を歌って、生きる意味を探してきたと思うんだけど」

■そうして探し続けた生きる意味が、もっと今あるものを大事にすることから生まれる喜びになったのが“今夜”だと言えるし、おっしゃった通り、これまでの悲しいことも切なさも、あるいは“不倶戴天”みたいな怒りも全部ひとつの線になった曲なんでしょうね。そこが感動的に響いてきて。

「だって、今実際に俺の周りにはあるんだもんね。仲間も、大事なものも。自分を傷つけなくても、ここにあるから。一種の終末思想みたいなものだって、短期的にも長期的にも相変わらず持ってるよ。だけど、これは変わらんのだと実感した瞬間に、もう自分に胸張って生きるしかないと思った。で、そういうふうになれた自分の目で世の中を見るとさ、もちろん切ねえこともたくさんあるけど、切ねえからこそキラキラしてるものだってたくさんあるんだよ。だからこそこの一瞬が尊いし。前はきっと、下から見れば正方形だけど前から見たら長方形じゃん!っていう感じで世界を見てたと思うんだけど、意外とそうでもないのかなって思い始めている自分がいてさ。そういうことを、ガーッとやるだけじゃなくて、音楽で表したいなって思えてる自分がいる。だからこそこういう曲が素直に書けたんだと思うし、もっと素直に歌いたいと思ったし」

(続きは本誌をチェック!

text by矢島大地

『MUSICA10月号 Vol.126』

Posted on 2017.09.16 by MUSICA編集部

THE ORAL CIGARETTES、
勝負シングル『BLACK MEMORY』完成。
絶好調の裏で、葛藤と挑戦を繰り返す山中に迫る

正直に言うと、安定期と不安定期は変わらず昔からあって。
今でも、自分の気持ちをどこに置けばいいのか悩んで、苦しくて………
でも、反比例してTwitterのフォロワーやファンが凄い勢いで増えてて、
プレッシャーを感じてる

MUSICA 10月号 Vol.126P.50より掲載

 

(前半略)

■僕はこのシングルが好きなんですけど、その理由は、ここ最近の作品とは根本的な意味合いが違うような気がしたからなんです。ここ12年くらいのオーラルの一連の作品って、ライヴを意識しているものがとても多かったし、実際、ライヴの現場で得たものをまた楽曲に反映していくという循環があったと思うんです。要は、どんどん大きくなっているライヴのスケール感っていうものを楽曲自体できっちり表現していこうっていう想いが強くあったと思うんだよね。でも、今回はいい意味で、ライヴのイメージが奥にある。ライヴどうこうよりも、そもそも楽曲自体をバンドとして今どういうふうに聴かせるかっていう気持ちのほうが強かったんじゃないかというふうに、今回のシングルを聴いていて感じたし、それが新鮮だったんです。この分析は当たってない?

「うーん……ライヴを意識してないってことは、やっぱりないっすね。最初に『亜人』の制作陣と話して、『ライヴの最後にやってガン上がりするような曲であって欲しい』とは言われてたので」

■盛り上がってドラマチックな感じってこと?

「そう。で、その時点で『ライヴ』っていう言葉が発生しちゃってるから、ライヴバンドとしてはどうしても意識せざるを得なかったっていうのもあるし。あとは、タイアップをやるっていう中で『オーラルの代表曲にしていかないといけない』っていう責任感もあったので、そういう意味でもライヴにおける盛り上がりっていうのは不可欠やったし。でも、確かに鹿野さんが言うように、今まで考えてた感覚でライヴのスケール感を意識して作るっていうより、まず楽曲としてストレートにガン!って作った後に、そこからライヴ的な要素を足していったっていう感覚のほうが近いような気はする、言われて整理できた気持ちなんだけど」

■このシングル3曲ともそのストレートさが伝わってくるもので。憂いのある美メロ、疾走感のあるビート――それがオーラルが持ってるセンターポジションな要素だけど、いろんなタイプの曲が入ってるというよりは、その主軸が3曲に違う形で収まってるっていう。この直球勝負な感じも案外久しぶりだと思う。

「そうかもしれないですね。今回、捻くれたことはまったくしなかったです。歌詞も凄くストレートに書いたなっていう印象があって。その時に落ち込んでた気持ちをそのまま書いたりとか。メンバーとも考えたんですけど、今回はバランスを取るっていうアレンジの仕方をしたんです」

■どういう意味合いで?

「たとえば今までだったら、僕が作ってきた曲をアレンジでより面白くするとか、より凝って複雑にするとか――足し算のやり方を考えていくっていう作業をしてたんですけど、その中でもメンバー3人は『拓也が作ってくるものを世間に出すための架け橋を担ってるのは、俺らだ』って思ってたみたいで。でも今回に関しては、足し算ではなく、『サビ前をもう少しわかりやすくしようよ』とか『この部分を抜こうよ』とか、そうやってストレートなものをさらに削ぎ落していく作業をやったなっていう気がするんですよね。それによってよりわかりやすいものになったなって思うし、今までにない感じだなっていうのは思いますね」

■そうやって作っていったのは、理由があったんですか?

「『UNOFFICIAL』っていうアルバムを作ってから、今まで以上に責任を持って曲を作っていくようになったのが圧倒的にデカくて。あと…………『亜人』の制作陣と話し合いした頃のことなんですけど、その時期、あきら(あきらかにあきら/B)と凄い喧嘩しちゃって」

■それは『亜人』とは関係ないところで喧嘩したの?

「いや、『亜人』の制作の段階で出てた会話に対して、俺が凄くムカついちゃったんですよね。なんて言うんかな………俺らは4人が4人でありたい、同じ目線でずっと行きたいっていう気持ちが強いんですけど、ただ、視点がちょっとズレ始めてた時期だったというか。つまり『何をもって、4人の役割が同じである、とするのか?』っていう問題があって。たとえば、『亜人』の制作陣との話し合いで『曲は誰が作ってるの?』っていう話になった時に、メンバーが『みんなで作ってます』って言ったんですよ。まぁそれでも別にいいかなって思ったんやけど、けどやっぱり、曲の基盤となるものは俺が作ってるわけやから。だから『曲作りについては誰と話したらいいですか?』って言われた時には、ちゃんと俺がメインとして立って、俺自身がちゃんと会話をしたかった……っていう話をあきらにもして。もちろん、実際アレンジはみんなでしてるわけやからメンバーが『俺も作ってます』って言ってくれてもいいし、間違ってはいないんです。そこに対しては4人が4人絶対に責任感を持たなきゃいけないんやけど。でも、曲作りとかクリエイションってどういうことかっていうのを一からメンバーに説明して。そのタイミングで、『アレンジをやるっていうことに対して、もっと自信を持ってくれ』っていう話をしたんですよね」

■拓也が作る曲という骨に対して、アレンジという筋肉をつけるっていう自分達の仕事にもっとプライドと目線を持ってくれってことか。

「そうそう。別に曲の基を作ることが絶対的に偉いなんてことはなくて。ただ俺はそれを作れるから作るし、メンバーはアレンジができるからやるんだよっていう。そういう意味でちゃんと対等というか、同じ目線に立って一緒にやろうよっていう会話をしたのが結構デカかったなって思います。……あの時は喧嘩して気まずかったけど、メンバーもそこで凄く割り切ってくれたんですよね。『拓也が持ってくるものに対して、俺らが責任持ってアレンジをやる。アレンジにも誇りを持つ』っていうテンションになれたから……だから今振り返ってみると、あの喧嘩が凄くよかったなと思うんです。今までも役割分担はしっかりしてきたつもりなんですけど、楽曲制作においての分担がより明確にできるようになったのは大きかったなって」

■その中で拓也自身が「THE ORAL CIGARETTESというバンドの背骨を作っていかなきゃいけないんだ」っていう気持ちを再確認して、それによってこの曲が自分達らしく強い楽曲になったところに繋がってる部分もあるんだろうね。

「まさにその通りです。曲作りとかクリエイションに関して妥協したくないっていう想いはここ1年間で増えたので。そこは俺に任せてって言えるようになったのも、俺とバンドのひとつの成長かなって思いますし。今までは曲作りの中でも、人のせいにして甘えてやってた部分もあったなって思うんですよ。なので、そこが劇的に変わってきた1年なのかなっていうのは感じてるんですけど」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA10月号 Vol.126』

Posted on 2017.09.16 by MUSICA編集部

KANA-BOON、アルバム『NAMiDA』リリース。
挫折も苦難も試練も越えてバンドに向かい合った
谷口の切なる意志、その根幹を深く紐解く

幸せになって音楽が一番じゃなくなることとか、
居心地のよさに浸って変わっていってしまう自分とか、そういうのが怖かった。
バンド以外には当たり前を作りたくないっていう気持ちはずっとあります
初めて見つけた幸せが音楽の中にあったし、バンド人生の中にあったから。
だから僕にはそれしかないやろなって

MUSICA 10月号 Vol.126P.40より掲載

 

(前半略)

■今回の『NAMiDA』の話を聞いていくにあたり、まずは一番最後に収録されている“それでも僕らは願っているよ”という曲の話からしていきたいなと思っていて。私はこの曲がこのアルバムの白眉だと思ってるんですが、この前ブログにも書いていたけど、これは今年の始め、飯田くんのことがあった時にできた曲だということですが。

「そうです。あの時にほんとに自然と曲ができたっていう感じですね。あれを受けて曲を作ろうと意気込んで作ったわけじゃなくて、気づいたら曲を作ってて、音楽が生まれていて。この歌詞で歌ってることがすべてですけど、今までずっと順調にバンドをやってきて、その存在も当たり前やったし、KANA-BOONがなくなってしまうなんてことは本当に頭の中にはなかったんで。でも、初めて、もしかしたらバンドがなくなるかもしれない、バンドを続けられなくなったり、飯田がもうプレイできないような流れになってしまうかもしれないっていう、そういういろんなことが頭をよぎって。でもそこで出てきたのが1サビの歌詞丸々で」

■<さぁすべて/涙とともに流してしまえよ/きりがないほど打ちのめされるけど/それでも僕らは願ってしまう/明日は笑っていられますように>という歌詞ですね。

「最初にこの1番のサビの言葉と同時にメロディが生まれて、そのままもの凄く集中して1曲書き上げたっていう感じなんですけど。そういう経緯で生まれた曲ですね」

■この曲、凄くいいんですよね。歌詞の内容はもちろん、光の中へと突き抜けていくようなサビのメロディも、地に足着きながらも跳ねるビート感も、切なさを孕みながらも強く晴れやかに開けていく全体像も、音楽としてのパワーが凄くある曲だと思います。

「僕もそう思ってます。こういう開いていく感じは他にはなかったんで、できてみて凄く新鮮やったし。僕はこの曲が一番好きで、何より感動しましたね。最近はもうずっと、曲作りってなると『曲を作るぞ!』っていうところからスタートするじゃないですか。でもこの曲はそうじゃなくて、本当に反射的にというか、能動的に曲が生まれていって。そういう形で曲が作れたのは、ほんまに久しぶりやったんで」

■いつぶりくらいのことなの?

「それこそデビューする前とか以来じゃないですかね。やっぱりデビュー以降はどっかで、よし曲を作るぞ!っていうスイッチが入った上で曲作りに挑んでたんで。プロになって自分からなくなってしまっていた感覚をまた感じることができて……自分はまだこうやってナチュラルに曲を作ることができるんやっていう、それに凄く感動したんですよね。自分にもまだこんな体験ができるんやって。歌を作ったり歌ったりする人間としてナチュラルな部分がまだ自分にも残ってたか!と思って……それが凄い嬉しかったり、ああよかったと思えたり」

■それはまさに、『Origin』の頃から、鮪くん自身が自分で取り戻したいと思っていたものでもあったもんね。

「そうなんです。だからこれはほんまに大きかったです。自分自身そういう曲作りの感動と喜びがまた発見できたし、この曲ができたことで飯田の一件から立ち直るじゃないですけど、ちゃんと自分達の姿を見せていくんだっていうことの後押しにもなったし。そういう体験ができた曲ですね」

■そもそも、言葉とメロディが一緒に出てくるってこと自体も鮪くんとしては珍しいんじゃないかと思うんだけど。ここ最近はいつも歌詞に苦労してるイメージがあったし。

「はい(笑)。ここまでフルセットで1サビ丸々自然と出てくるなんてことは本当にないですね。出だしの1行分とか、もしくは<フルドライブフルドライブ>みたいなキーワードが最初に出てくることはありますけど。だから自分的にもよっぽど特殊な状況やったんやなって思う。心の中を曲を作ることで整理しないと過ごせないような状況やったんだと思います。まぁ他の部分はいつも通り苦労しましたけどね、1サビ以外は(笑)」

■でもこの1サビの歌詞は、今のKANA-BOONの想いを描いていると同時に、そもそも鮪くんが音楽を始めていった、バンドをやりたいと思った、バンドで生きていきたいと思った、その根源的な理由が今までで最も素直に表れている言葉だと思います。

「そうですね。自分でも結構衝撃的なところではありましたけどね。<明日は笑っていられますように>って思ったり歌ったりするのかって」

■あ、そこ衝撃的だったんだ?

「凄い衝撃的でした。もちろん、そりゃ明日がいい日になるに越したことはないですけど、でも1日の終わりに自分が<明日は笑っていられますように>なんて願うことは今までなかったし。一歩先の明日に願いをかけて希望を抱こうとしてっていう自分は、かなり衝撃的でしたね。あんまり普段思わないことやから」

■そうなんだ。でも深層心理では思ってたことなんじゃないかと勘ぐってしまうんだけど。何故なら、KANA-BOONの今までの曲も、この先の未来で自分が笑っていられるように、未来の自分が輝いていられるように、そういう日々をちゃんと自分で掴むために頑張って進むんだっていう想いや意志を歌ってはきたと思うんです。その感覚と何が違うの?

「それはたぶんバンドのことやからじゃないですかね。バンドを代表してというか、バンドを思って作る歌はそうなるんですけど、自分個人としてはそういうことをあんまり思わないというか。でも、この曲に関しては始まりは自分個人の感情やったりするんで、それで衝撃的やったっていう。バンドの明日には凄い興味があるけど、自分の明日にはそんなに興味がないというか………バンドがすべてなんで、結局どう考えても明日1日はバンドとして過ごす1日やし。となると、なんだかんだ、自分が自分でいる時間っていうのはないんですよね。でも、やっぱりあの状況は自分ひとりっていうところとも直結したんで………バンドがなくなってしまうっていうことは、僕にとっては、自分がいなくなるのと同じようなことなんですよね。それで、その時は珍しくバンドと切り分けて自分自身のことを考えたんやと思うんですけど」

(続きは本誌をチェック!

text by有泉智子

『MUSICA10月号 Vol.126』

Posted on 2017.09.15 by MUSICA編集部

いよいよシーンのキーマンになり始めたSKY-HI。
彼の必然と信念を解き明かし、新曲も深く語り尽くす
ライフストーリー・インタヴュー!

ラッパーは社会を映す鏡であるはずだから。
知らぬ存ぜぬの社会にするべきだって言うなら
何も言わないが正解なんだろうけど、
俺にはそれが正解とはとても思えない

MUSICA 10月号 Vol.126P.10より掲載

 

■今日はインタヴューに3時間とってます。

「ははははははは、それだけでもう、この取材がどれだけ重要かをわかってもらえますよね」

■はい。この雑誌としておつき合いを初めて1年半になるのかな。

「あー、でもまだそんなものなんですね。いろいろ話したり風穴を開けてもらいましたけど」

■こちらこそありがとうございます。今回、初めての表紙になります。これからのためにいい記事になるものを一緒に作りましょう。

「恐縮です、本当にありがとうございます。このタイミングというのは正直青天の霹靂だったんですけど、思いっ切り覚悟を決めてきました」

■このタイミングで表紙にしたのは、明確な理由があります。『OLIVE』以降、誰よりも精力的と言っていいほど精力的に、かつ意義と勇気のある活動を矢継ぎ早に繰り広げていて。さらには10月から始まるツアーでアメリカ、ヨーロッパ、アジアへ出て行くことも含めてSKY-HIとして次なるフェーズへと突入している今、改めてSKY-HIとは何なのか、日高くんがどういう意志と行動原理を持って、どういう客観性とバランス感覚の下にここまでの道のりを辿ってきたのか、そしてどれだけの攻撃性がこのソロ活動の中で芽生えたのか? そしてここからどう動こうとしているのかをこのタイミングで整理し、明確な形で世の中に伝えていくことは重要ではないかと思い、今回の表紙巻頭特集をオファーさせていただきました。

「ありがとうございます、よろしくお願いします」

■そのために、今回は最新の話だけでなく、人生を紐解いていきながら、その核に迫れればと思います。

「はい、紐解きましょう! 頑張ります!」

 

【とにかく優れた幼少期、そして死と孤独に触れた中学時代】

 

■まず人生の初期から。1986年の1212日生まれですよね。確認ですが、日高光啓というのは本名なんですか?

「本名ですね。大変ですよ、佐川急便とか来るたびに(笑)」

■そっか(笑)。一番幼い記憶はなんですか?

「親父の乗ってた車の廃車の日に、最後の記念でって助手席に乗ったのが一番古い記憶な気がします。髪の毛が生え揃わないくらいの時期」

■なんとも言えない記憶なんですけど(笑)、それを覚えてるのはなんで?

「たぶんそこで初めてカメラを向けられた意識があったからなんだと思うんです。あと、記憶って後追いで塗られて覚えていくものな気がするんですけど。3歳くらいの時にその写真を見て、『あ、これ覚えてる』って思ったから、それで記憶が濃くなってるっていうか」

■ご家族はどういう感じだったんですか?

「ウチは愛情に溢れた家族だったような気がします。姉もふたりいるんですけど、俺、親父が40くらい、母親も35くらいの時の長男だから。あと二世帯でおばあちゃんも住んでたんで、一身に愛を受けてました。俺を取り合って嫁姑間にちょっといろいろあったくらいですかね(笑)。おばあちゃんが勝手にお菓子とかあげて、俺を無責任に甘やかすから(笑)」

■そういう意味では、『サザエさん』的なアットホームな感じ?

「『サザエさん』より『フルハウス』とか、ああいう感じのハッピーさに近いかも。母親が非常にアメリカナイズされた人だったから。俺が生まれる前はアメリカに住んでたんですよ。だから姉ちゃんはあっちで生まれてて、アメリカ国籍で。姉が生まれたタイミングで帰ってきちゃったんですけど、もう2年頑張ってくれてたら俺もアメリカ国籍持ってたのに、チッていうね(笑)。グリーンカード羨ましいんだよなぁ」

■プロフィール的にいいプロフィールになったのにね、海外活動に向けて。

「そうそう。で、そんな母親だったんで、小さい頃は『光啓、Sit down!』とか『Close the door!』とか普通に言われてて。『おやすみ』とか使わなかったですね、ずっと『グンナイ』でした。小学校に入っていろんな子供と触れ合ううちに、『あれ? グンナイはマイノリティだぞ』ってなって、『おやすみなさい』って言うようになったけど(笑)。……母親は、それこそ被差別者意識が結構強いかもしれないですね。アメリカにいた時、バスで座ってると運転手さんに『ノー、ここはホワイトオンリーだからカラードは後ろのほう』って言われた、とかいうのはよく母親から聞いてたな」

■ご家族がアメリカにいたのは、お父さんの仕事の関係だったんですか?

「そうです。親父がまさにスカイハイだったんですよ!」

■ん?

「ははははは、パイロットだったんです。だから俺がSKY-HIって名乗ってるのは何気に喜んでますね。その前から親父のアドレスが『SKY NOBU』だったから(笑)。そこと (ULTRA NANIWATIC MCS)SKY-HIと名付けてもらったのは関係ないんですけどね」

■お父さんがパイロットって子供にとってめちゃくちゃ嬉しいですよね。

「大人になってから思ったんですけど、母親がよくできてたなと思います。父親は1カ月のうち家に1週間いるかいないかぐらいだから、めったに一緒にいられないんだけど、父親がいない時にずっと父親を立ててたから。そのおかげで父親に対するリスペクトは凄い強かったですね。パイロットになりたいと思ったこともあったけど、視力が早々に悪化したから、これ無理っぽいなと思って。小学生の時に親父にパイロットになるための要項を見せてもらったんですけど、もうアウトだと思って諦めました」

■日高くんは左耳に先天的な聴覚障害を持っているそうですが、これは幼い頃から自覚症状があったの?

「ほぼなかったですね。というか、みんなそういうもんなんだと思ってました。利き耳っていうのが人間みんなあって、どっちかの耳だけ使ってもう片方は飾りぐらいのもんなんだと思ってたんですけど。まぁ『シカトすんな!』みたいなことをよく言われるなとは思ってたんですけどね(笑)。でも小学校高学年くらいでさすがに、身体検査で2回くらい引っかかって。聴力検査ってピーって聞こえたらボタン押すけど、あれって周り見てたら『あ、今みんな押してんな』とかわかるじゃないっすか。それで低学年の時は勘で乗り切ってたんですけど(笑)、高学年になって初めて自意識を持って、俺はたぶんみんなとは違うと思って改めて耳鼻科で検査したら、内耳も綺麗だし外的な要因は一切見当たらないんだけど、何故か聞こえないって言われて、今に至ります」

■それは自分にとってどういうことでした?

「その時は不便だな、くらいでしたね。あんまり大ごとだと思ってなかったです。生まれた時からそれで生きてるから、そんなに大きなショックもなかったし。ただ、サッカーはどんどんやりづらくなってきましたね。コーチングが聞こえないから。小学校高学年になってくると、戦術的にだんだん高度になってくるんですよ。そうするとコーチングが大事で。だから最後のほうは右利きなのに左サイドしかやってないんですけど、それは右側で聞かないと困ることが多かったからで。まぁでも、どっちかっていうと今のほうがストレスですね。そりゃそうだって話ですけど(笑)。ま、あんまり気にしないようにはしてますけど」

■ピアノも幼少の頃から嗜んでたというふうに聞いてるんですけど。

「いや、ピアノは家にあったから弾いてたくらいで、ちゃんとやらなかったですね。マッチョイズムじゃないですか、やっぱり男たるもの」

■え、まだそういう時代だっけ? 小学生からIT長者に憧れる時代じゃなかったか。

「うーん……たぶんギリギリ?(笑)。文化系とかには行きたがらない環境だったのかな。親父もどっちかっていうと体育会系だったし。俺の部屋はキングカズのポスターだらけでしたよ。めっちゃくちゃ好きだったんですよ、もう憑りつかれたように。サッカープレイヤーになりたかったし、なると思ってましたね。根拠はないんですけど」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA10月号 Vol.126』