Posted on 2017.11.18 by MUSICA編集部

BLUE ENCOUNT、シングル『VS』リリース!
バンドの未来を見据え、よりタブーのない制作を
見せ始めた田邊駿一が語る、その胸の内

確かに女々しかったし、
自信ない時期と自信ある時期を繰り返してる人間だったと思う。
でも今の自分はふらっと現れた別人格みたいな感じがしていて。
こんなに気持ちいいくらい「関係ねえよ」って言える自分なんて、
今までいなかったから

『MUSICA 12月号 Vol.128』P.100より掲載

 

■お祭り感のあるビートが印象的な“VS”にしても、夏フェスに合わせて投下された“SUMMER DIVE”が収録されていることにしても、アッパーなリズムが主役の作品になったと思うんですが。

「そうですね。ブルエンって、割と8ビートを主軸にしてきたバンドだし、『THE END』の次を考えるにあたって、そういう直球なリズムに原点回帰するのはいくらでもできるとは思って。だけど『THE END』っていういろんな一面を出せたアルバムがあった上で、だったら今年はビート感に重きを置いてブルエンの新たな一面を出したいって思ったんだよね。だから4月には『さよなら』っていうスローなバラードを出せたし、夏にはアッパーに振り切った“SUMMER DIVE”も出せた。今年は『THE END』から始まったのを象徴にして、今までのブルエンを壊す1年だったと思うので。そういう意味での仕上げを、この“VS”でやれたと思っていて。……ちょうどこの前、スカパラ先輩と仙台で2マンをやらせていただいた時も、ギターの加藤隆志さんが『リズムが時代を作るし、時代はリズムが尊重してくれる』って話してくれたんだよね。今シーンの中で、どういうリズムをドシッと伝えていけるかということはまさに俺らも考えてたことで」

■“さよなら”は真っ向から歌で勝負した曲でもあったけど、一方ではリズム的な挑戦でもあったと。じゃあ、ブルエンが次のタームに向かうにあたってリズムに主眼を置いたのは、具体的にはどうしてだったの?

「“VS”で言えば、こういう祭り的なリズムで押し通す曲は意外と苦手だったもので。だけど、ようやくフェスシーンでも闘えるようになってきた今だからこそ、今年は敢えて苦手だったところに立ち向かいながら、その中でどれだけブルエンらしさを出せるかを考えて、こうしてリズム面の多彩さを重視するようになったんだと思う。やっぱり時代性やシーンっていうものを考えても、そこと自分達を繋ぎ止めるのはリズムだと思うし」

■フェスシーンで闘えるようになってきたっていう捉え方が面白いと思うんですよ。フェスシーンで十分に勝ってきたからこそ、武道館も幕張ワンマンもできたし、もっとご自身の内面に主眼を置いた『THE END』を作る段階に行けたとも言えるわけで。そういう意味で言うと、田邊くん自身の現状認識ってどういう感じなんですか。

「俺自身は、フェスシーンで勝ったことがあるとは思ってないんだよね。去年なんかは特に『大丈夫かな?』っていう危機感しかなかったから。でも今年は、春フェスでも夏フェスでも自信を持って『勝てた』って言える自分達がいたんだよね。何故かって考えると……やっぱり、観る人にどう思われているか?っていう部分にこだわらなくなったのがデカくて」

■求められることに応えていく以上に、ひたすら音楽に集中できるようになってきたっていうこと?

「そうそう。そうなれたのは、春の『break“THE END”』のツアーが大きかったと思うんだよね。去年まではきっと、毎回『BLUE ENCOUNTはこうです!』みたいな闘い方をしてたと思うんですよ。だからセットリストも変わり映えしない鉄板の曲達になってたんだけど……今年は1ヵ所ごとに変えることもできたし、いきなり古い曲を演奏することもあった。そういうことをフェスのメインステージでできるようになった自分達とはつまり、自分達の王道曲やイメージを1回解き放つことができたっていうことだと思っていて。たとえばフェスのステージのラストをバラードで締めるっていうのは、本来はご法度なやり方じゃない? だけど、それも恐れずにやれるのがブルエンなんだと思えたんだよね。フェスだろうとワンマンだろうと、『楽しかったね』だけで終わる気はさらさらないのは前からだけど、それをもっと突き詰める上で、今までを逸脱するようなことがしたかった。俺らの世代にはフェスで重宝してもらうバンドも多くなってきたけど、それを今でもなぞってちゃダメだと思ったんだよね。そういう意味でも、リズム面での新しいアプローチが重要で」

■「break“THE END”」ツアーがデカかったと言ってくれましたが、それは『THE END』の曲を主軸に置いたことで、自分の弱い部分や情けなさをかつてなく曝け出せたし、だからこそ自由になれたっていうこと?

「それはあると思う。でも一方では、そこだけの範疇でもない気がしてて。弱さとかを曝け出してるっていうのはあるけど、そこからもう一歩進んで、曝け出すことを封印してもいいと思えたツアーだったんだよ。それこそ“city”は、その岐路に立ってる歌だと思うの。確かに俺は女々しかったけど、それを歌った上で、俺はあなたにとっての居場所になりたいっていうことを打ち出せた曲だったから。だから、最近の自分達のいいライヴってどんなライヴだ?って考えると、最初のMCの時点で、何も弱々しいことを言ってない時なんだよね。『せっかく来たんだったら全部俺らに任せてくれ!』って言えてる。もちろん弱さを表現にしたっていい場所でもあるけど、でも、純粋に『カッコいい』っていうことを真っ直ぐに出したほうがいいんだと思えているし、『自分が楽しいと思えるビート』を探してる。そういう発想って、実はインディーズの頃の『BAND OF DESTINATION』の時と似た感覚があって」

■それは、どういう意味で?

「音楽をやんちゃに考えられるっていうか……インディーズの頃はライヴのことだけを考えていたからリズムに重きを置いていたし、たとえば“NEVER ENDING STORY”も、まさにそういう想いからできたもので。2ビートからハーフの跳ねたリズムになるっていう意味でも、躍動的なリズムを基盤にしたっていう意味でも、この“VS”はインディの頃に立ち返ってる曲なんだと思えていて。その上で、あの頃よりももっと音楽的だと思うんだよね。音楽に素直というか。ビートやリズムっていうのは、やっぱり躍動の源じゃない?」

■まさに。音楽自体の基盤でもあるよね。

「そういう部分をしっかり押さえることによって、自分の中のテンションが自然と上がっていくんだよね。もちろんギターもベースも大事だけど、ドラムのやんちゃ感によって内側から滾ってくるものがあるんだなって。そういう意味で、また新鮮な気持ちでやれてるなって思うんだよね。自分自身の歌もより自由になっていけると思ったし――」

(続きは本誌をチェック!)

 

text by矢島大地

『MUSICA12月号 Vol.128』

Posted on 2017.11.18 by MUSICA編集部

Ivy to Fraudurent Game、
メジャーデビューとなるアルバム『回転する』。
原点とこの先への決意を映す本作に秘めた想いとは

自分が抱えてる不安を音楽にすれば
実は有益なんじゃないかって気づけた時に、
もう無理して笑ったり、無理して明るく振る舞ったり
しなくてもいいような気がして。
それが音楽と自分の本性が繋がった瞬間であり、
僕が音楽を鳴らす意味ですね(福島)

『MUSICA 12月号 Vol.128』P.106より掲載

 

(冒頭略)

■今回のアルバムは、初のフルアルバムという意味でもメジャーデビューという意味でも自分達の名詞になる作品なわけですが、新曲に4曲の過去曲を加えた9曲で構成されていて。まず、そういう性格のアルバムに過去曲の中から“青写真”、“アイドル”、“dulcet”、“+”という4曲をピックアップしたのはどうしてだったんですか?

福島「“青写真”と“アイドル”に関してはライヴで欠かせない曲になってることも含め、自分達のライヴのイメージを作ってきた曲なのかなと改めて思って。しかも毎回ライヴでやってるのに音源が入手できないっていうのはどうなのかな?と思って、この2曲は絶対に入れよう決めたんですけど。他の2曲に関しては、ノブの提案だったかな?」

福島「そうだね。新曲3曲を聴いて『こういう感じなんだ』って思った時に、じゃあちょっとシューゲイザー的な“dulcet”と、10代の頃からやってる“+”を入れたらちょうどいいんじゃないかなっていう提案をしたら、すんなりみんないいね!って言ってくれて」

■『継ぐ』が顕著だったけど、作品を重ねる度に音楽性も音像やアプローチも拡張しているし、構造もより複雑になっていってるけど、“青写真”、“アイドル”、“dulcet”、“+”を聴いていると、このバンドの核というか原点はここにあるんだなって思う。自分達ではどうなんですか。

寺口「その通りですね。ギターロックとシューゲイザーやポストロックの両立というか、そういう部分が間違いなく俺達の原点だなと思う」

福島「俺が音楽を聴き始めた頃のすべてというか。この辺りの曲はあまり何も考えないで自然に作ってる曲なので、もしかしたら一番自分らしいのかもしれないです。特に“+”に関しては、本当に曲を最初に作り始めた時期に作った曲なので」

■ノブくんは、当時と今とを比較して、ヴォーカリストとして変わったものは何だと思います?

寺口「時間をかけて培ってきた熟成度、みたいなものはあると思いますね。単純に上手くなったっていうのもあるけど、それ以上に曲に対するアプローチの仕方が、他の人より上手いかなって思いますね」

■表現力が格段に上がってるよね。

寺口「そう思いますね。曲に対する自分なりの味つけの仕方がわかってきた。昔は味つけをしてるつもりでもできてなかったし、むしろそれが変な癖になってたんですけど、今は芯が太くなった気がしますね、声もメンタルの部分も。でも、“青写真”と“アイドル”に関しては歌というよりオケの段階が難しくて。ライヴでかなりやってる中で、かえって音源にした時のカッコよさを出すのが難しいなと思って。俺は基本はレコーディングでギターを弾かないで、バッキングは福ちゃんが弾いたりしてるんですけど。でもこの曲に関しては、俺が弾いてない段階の音を聴いた時に『これじゃちょっと残念だな。迫力がないし、綺麗にまとまり過ぎちゃった感じがする』と思って、後からギターで入ったんですよね」

■特に“青写真”みたいな曲は、ライヴだとダイナミクスもあるし、演奏の荒々しさが逆に快感になってくるわけだけど、そういう熱量をレコーディングで音源に閉じ込めるのって、結構難易度高いところだよね。

寺口「そうですね。ウチのメンバーはそれが下手なんだと思うんです。レコーディングはレコーディングの弾き方になるというか……それはそれで正しいんでしょうけど、でもこういう曲に関してはライヴのよさを何とかして音源でも出さなきゃなって俺は結構考えましたね」

福島「ライヴ感って難しいんだよね」

■このバンドって、音源は凄くテクニカルだし、この一音が少しでもズレたらダメ、みたいなところまで神経を使ってるような緻密な構築性を感じさせますけど、ライヴはエネルギッシュだし感情的で。その辺りはやっぱり、自分達でもまったく違う感覚でやってるんだ?

福島「俺の場合は完全に分けて考えてますね。曲を作る時はライヴのことなんて考えてないし、考える余裕もないんですけど。緻密にひとつずつ構築していくものが音源だと思ってるんですけど、ライヴに関しては初めてみんなで一斉に音を鳴らす瞬間でもあるから、そこにちゃんと落とし込みたいなっていう気持ちがあるし。あと、聴き手の環境とか心情も、ライヴと音源を聴く時では違うとも思っていて。だったらそのアプローチも異なっていて当然だなって思うんですけど」

寺口「でも俺ら、音源よりライヴのほうがいいねって言われるんですよ。ライヴバンドだねって。それはちょっと……嫌だよね(笑)」

福島「俺は嫌だけど、でも好みもあるしね。まぁ好みとか言い出したら終わりなんだけど(笑)」

寺口「もちろん曲調にもよるんだろうなとは思うんですけどね」

■メジャーデビューを発表したリキッドのライヴを観に行ったんですけど、あのライヴはノブくんの声が出にくい状況で、本人としては相当悔しい体験で。実際いつものライヴよりもピッチとか声量っていう意味では歌えてなかったんだけど、でも歌も演奏もエモーショナルで真に迫っていて、ライヴとしては凄くよかったんですよ。このバンドが音楽をやらなきゃいられない理由、ロックバンドとして真ん中に持ってる衝動と必然が露わになってた。それを観ることができて本当によかったなと思いました。

寺口「あの日は悔しさや情けなさと同じくらい……嬉しかったのかな。だからその後も全然下を向かなかったですね。自分の弱さを知って落ち込んでないと言えば嘘になりますけど、でも確実に光は見えてたというか。初めての経験だったかもしれないです。あれだけ自分の声が出なくてしんどくて、終わった後悔しかったけど、でも下を向かなかったっていうのは。自分にとっても凄く不思議な日でした」

(続きは本誌をチェック!)

 

text by有泉智子

『MUSICA12月号 Vol.128』

Posted on 2017.11.17 by MUSICA編集部

ニューシングル『白と黒のモントゥーノ』を
リリースする東京スカパラダイスオーケストラ、
ユニゾン斎藤と総勢10人での言葉の応酬をここに

ユニゾンがフルマラソンだとするならば、今回は短距離走で、
どれだけ走り抜けられるか?っていうところが出せたらいいなと思ってて。
だから基本的にスカパラさんが言ってくれることは全部受け入れよう、と。
『つき合って欲しい』じゃないんです、『抱かれたい』っていう(斎藤)

『MUSICA 12月号 Vol.128』P.86より掲載

(冒頭略)

■この曲は沖さん作曲なんですが、“爆音ラヴソング”も沖さんですよね?

沖「そうですね」

■僕はあの曲を聴いた時、沖さんの曲ってスリリングなんだけど懐かしい曲だなぁと思って。かっ飛ばしてるし凄く「今」なんだけど、でも同時に懐かしい時代の匂いも感じられる。で、今回の“白と黒のモントゥーノ”も同じことを感じたんですが。今回はどういうイメージだったんですか。

沖「スカパラが最近南米に縁があるっていうのもあって、自分の中で漠然と情熱系のものができたらいいなって思ってたんですよ。そしたらなんとなくコード進行ができてきて、これはイケる、自信のあるメロディができたなと思って。なんだけど、僕がキーボーディストということもあって、どうしても自分的に面白く感じるところを探っていく作業を楽しんじゃうんですよ。その結果、よく言えばトリッキー、悪く言えば歌いにくい曲になりましたね(笑)。自分としては元々ロックから入ってるので、自分の中でちゃんと燃焼し切れるようにしたいなっていう気持ちが強いんですよ。プラス、キーボード的に作っていくことによって、いなたいメロディとトリッキーな部分が同居する結果になるのかもしれないですね」

川上「多展開だけど、昔の歌謡曲っぽいムードがあっていい曲ですよね」

■セクシーなピアノも入ってきますもんね。

沖「そういうプレイヤビリティはね、UNISON SQUARE GARDENっていう意識があったので、自然と出てきましたね(笑)。UNISONと対バンすると、編成もやり方もまったく違い過ぎるから、余計に自分のできることをただひたすらガムシャラにやりやすい部分があって(笑)。同じもので比べられると外せないなって思っちゃうんだけど、あまりにやってることが違うから、逆に普段よりも羽目外して遊べるっていうか。だから今回の曲作りも割と伸び伸びできたなぁって思いますね」

■作詞はお馴染み、谷中の筆ですが。谷中の中ではどういうイメージから生まれてるんですか?

谷中「ドラマも含め全体的なことを考えた時に、白黒の写真なんだけど、凄い熱を感じるみたいなイメージがあって。そのイメージはUNISONからも、斎藤くんの歌からも感じるんですよ。冷静なんだけど、凄い情熱があるというか。俺は昔、UNISONの演奏を観て『本当に先まで尖らせた色鉛筆でもの凄い殴り書きしてるみたいな感じなんだけど、それでも鉛筆の芯は最後まで折れない、みたいな音楽だ』って言ったんだけど、その気持ちは今も変わらなくて。綱渡りの綱の上でラテンダンスかますくらい、曲芸的な感じがするというか(笑)。まぁ曲芸を超えて、完全に芸術になってるんだけどね。もしかしたら、綱渡りの綱の上で女の子とメイクラヴできるんじゃないかと――」

■凄い見世物ですよ、それは。

一同「ははははははははははははははははは!」

谷中「(笑)。そういう、不可能はないってくらいもの凄いことができるイメージがあるんですよ。それくらい鍛え上げられてるっていうか」

■宏介くんはどんなイメージで歌ったんですか?

斎藤「僕、今回のプロジェクトは短距離走だと思ってるんですよ。UNISON SQUARE GARDENっていうプロジェクトがフルマラソンだとするならば、今回のプロジェクトは短距離走で、どれだけ走り抜けられるか?っていうところが出せたらいいなと思ってて。なので、基本的にはスカパラさんが言ってくれることは全部受け入れようっていうスタンスでいたんですよね。UNISONでやる時は、たとえば田淵が作ってくる曲や貴雄が叩くフレーズに対して、最初はちょっと疑いから入るんです。それを自分の中でクリアにしないと世に出しちゃいけないような気持ちでやっていて。でも今回に関しては、どれだけ突き抜けられるかだと思ってたので――たとえば『斎藤くんいいね!』って言ってもらったとして、普段だったら『いやいや、そういうことみんなに言ってるんじゃないですか?』ってなるけど、今回に関しては『いいね!』って言われたら『でしょ?』って言えるぐらいのスタンスでいようと思ったんですね」

スカパラ全員「ほぉー」

斎藤「だから、谷中さんの書く歌詞も、凄く谷中さんが滲み出てる歌詞じゃないですか。それを俺が歌うってどうなんだろう?って考え始めたらたぶん負けるというか、歌えなくなっちゃうから、客観的にその詞をいいなと思ったらもう乗っかろう!っていう気持ちでやってましたね」

■それはつまり簡単に言うと、抱かれに行ったっていう感覚なんじゃないかと思うんですけど。

斎藤「あー、そうです、そういうことです」

谷中「『そういうことです』って(笑)」

斎藤「『つき合って欲しい』んじゃないんですよ。『抱かれたい』っていう(笑)」

NARGO「面白いこと言いますねぇ(笑)」

加藤「でもさ、男っぽい人じゃないと、こういうこと言えないですよね。レコーディングしながら、やっぱり斎藤くんは凄い男っぽいなって思ってたんですよね。潔さも含めて」

谷中「わかる。抱かれた後で舌出したりする感じもないもんね」

斎藤「愚痴ったりしないですね。女子会で『あんなことされた』とか喋ったりしないですもん(笑)」

谷中「それは恋愛相手として最高だね(笑)」

一同「ははははははははは!」

(続きは本誌をチェック!)

 

text by鹿野 淳

『MUSICA12月号 Vol.128』

Posted on 2017.11.17 by MUSICA編集部

1年8ヵ月ぶりとなるフィジカルでのシングル
『A/The Sound Of Breath』を発表するSiM。
MAHが抱えるその人知れぬ苦悶

今まで歌ってきたのはきっと、「こう闘うべきなんだ」っていう
理想だったと思う。……でも、ここでは「実際の自分はこうだけど」っていう
言葉が出ちゃってる。カッコつけたい自分もいたけど……
今はもっと正直になってきたんだろうね

『MUSICA 12月号 Vol.128』P.92より掲載

(冒頭略)

■新しいスタートの一撃目が今回の『A/The Sound Of Breath』だと思うんですが。今話していただいたことを経た上で、どういうものをイメージして作っていった作品なんですか。

「この2曲を作ったのは、夏前……5月か6月だったかな。ひとりで一週間くらいスタジオにこもって、まとめて曲作りする期間を設けて。そういう作り方は初めてだったんだよね、今までは何かの合間に曲を作る感じだったから。で、具体的に今までと変えたのは、歌を歌いながら曲を作るようにしたっていうことで。今までは、先に楽器を作ってたんだけど。でも今回は、歌を決めながら曲の展開を変えていくっていう作り方にして。そうしてみたことで、いろんなパターンの曲を自由に作れたんだよね。で、その時考えたのが……いやらしい話に聞こえるかもしれないけど、CMなのか映画なのか、映像作品に合う曲があってもいいよなっていうことで。それをイメージして作った曲のひとつが、“The Sound Of Breath”。それをみんなに聴かせたら、『合うんじゃないか?』っていう話をもらったのが『龍が如く 極2』のタイアップの話だったんだよね。だから逆に言えば、『今後のタームがこうだから、こういう曲を作ろう』ってことはむしろ考えず、SiMが持っているいろんな切り口で自由に曲を作ってみようっていう感じなんだよね。それが何かに繋がっていくんじゃないかなと思って……だから言ってみれば、結構フワッとしている時期かも(笑)」

■じゃあ、メロディを歌いながら曲の展開を変えていく作り方に変えてみたのはどうしてだったんですか。

「『THE BEAUTiFUL PEOPLE』もメロディにこだわった作品だったし、満足はいっていたんだけど、それによって、もっと歌ってみたい空気感や歌い方も思い浮かぶようになってきて。歌が後乗せだと、なかなかそのイメージを生かすことが難しいし、『こういう歌を歌いたいから作った曲』っていうやり方のほうが歌の味を出しやすくて。とはいえ、新しい作り方でもオケは大幅に変わらないようにしたつもりかな。入り口は違うけど結局できたオケは一緒で、中身を見てみれば何かが違う、みたいなイメージ」

■でも思うのは、たとえば“A”なら、ビートダウンしてブルータルになるパートまで、超スムーズに狂っていく感覚があって(笑)。

「ははははは。スムーズに狂ってる、か(笑)」

■“The Sound Of Breath”で言えば、ここまで大合唱を盛り込んで雄大に聴かせるバラードはなかったわけで。音楽の繋ぎ目が、歌によって凄く滑らかなものになってきてる感じがするんですよ。

「確かに、そう言われてみたらそうだと思うわ。“Blah Blah Blah”とか“WHO’S NEXT”を作っていた頃は、楽曲自体がパズルになってる感覚だったからね。1回完成した後にAメロとCメロを入れ替えるとかさ。『最終的には歌でなんとかなるっしょ!』みたいな(笑)」

■(笑)その力技感とカオティックさが、SiMの精神性やMAHさんの脳内の混沌をそのまま音楽化していたっていう言い方もできるとは思うけど。そこで違う見方をしてみると、歌やメロディから作る方法をとったのは、歌のステップアップがSiMの成長の鍵になるという意識でもあったんですか。

「それはもの凄くあった。たぶん、ここ数年のSiMで一番変わった部分は歌だと思ってて。『これキツいな』と思ってた歌も歌えるようになってきたことで、作る段階で『こういう歌ならライヴで映えるんじゃないか』っていうことも考えられるようになったし。自然と歌も曲も幅が広がっていって。やっぱり、アリーナまで行く目標を具現化していく時に今までと一番違ってくるのは、歌を聴く人が多くなるっていうことで。轟音や激しい動きでなんとかなってきたものも、今は歌で伝えることが必要で。……たとえば、ライヴハウスのお客さんで言えば『“KiLLiNG ME”やって欲しい!』って言う人が多かったんだよ。でも大きい場所でのお客さんっていうのは、『“KiLLiNG ME”が流れた』って表現するんだよね」

■あー。面白い話ですね。パフォーマンスとしてではなく、流れる歌・音楽として捉えるお客さんが増えるという。

「そうそう。『2曲目に“KiLLiNG ME”が流れた瞬間ヤバかった!』みたいな(笑)。それで俺も『そうか、CDクオリティじゃねえとダメか!』って思うようになってね。今までは、CDとライヴは違って当たり前だと思ってたけど、感情を込めてしっかり歌うっていう意識が、この2年くらいでどんどん強まってると思う。やっぱり、感情に対してナチュラルに歌っても安定していれば、表現できたり注ぎ込めたりする感情の幅が広がると思うし、メッセージを大事にするならなおさら、歌が大事なんだよね。そこは、だんだんできてきている実感があって。それこそ“The Sound Of Breath”も、そういう気持ちで歌いながら作ったからこそ、一番気持ちいいメロディが書けた実感があるし、ライヴで歌うのが楽しみで。やっぱり俺の周りには上手いヴォーカリストがたくさんいるし、その中で感じてた劣等感みたいなものはずっとあったから。歌いたいと思える曲が書けた時に、そこにだんだん追いつけてきたんじゃないかなって思えるんだよね。この曲は特に、サビのメロディを思いついた時点で凄くスケールの大きな光景が思い浮かんでいて。だから、最後のコーラスの部分は、そこをさらにエモく締めるっていうイメージで出てきたし、俺が歌いたいと思えるメロディだからこそ、エモに近い合唱のアレンジも出てきたんだと思う」

■この曲は、エモいアレンジになってしまう必然を歌詞にも感じてしまうんですね。先ほど「今は耐える時なんだと思う」という話もあったけど、大ラスの<今を耐えて/変えて/前へ>という一節に、そのまま現状への心持ちや切実さが表れている気がしたんですけど。

「確かに。そうだと思う。書き出しは、ゲームのエンディング曲っていうのを踏まえてその世界観を反映して書いたんだけど。でも矢島くんが言う通り、後半に進むにつれて一つひとつの言葉選びに自分の気持ちが出てしまっている、滲み出てしまっている……自覚はあります(笑)。特にラスサビの部分は言葉数も少ないから、その中で歌える強い言葉をたくさん考えたんだけど……そうして考えた強い言葉がそうなったっていうのはきっと、自分が歌っていて『そうだよな』って感じられることを歌いたかったんだろうし、俺自身が言って欲しい言葉だったんだろうね。……やっぱり、このレベルになってくると精神的にきちゃってる友達も周りにいてね。それこそSHOW-HATEも精神的なストレスを抱え続けた結果体調を悪くしたわけで。だけど、俺自身はプレッシャーに押し潰されることもない人間だと思ってきたんだよ。でもやっぱり心の中では悩んでるんだなって、自分が書いた歌詞によって実感することも多い(笑)。こうして吐き出せてるからこそ、壊れないでいられるとも思うんだけど」

(続きは本誌をチェック!)

 

text by矢島大地

『MUSICA12月号 Vol.128』

Posted on 2017.11.17 by MUSICA編集部

キュウソネコカミ、2年ぶりのフルアルバム
『にゅ~うぇいぶ』到着。オリジナリティの結晶たる
渾身の新作をメンバー全員での全曲解説で解く

言いっ放しですよね。帳尻を合わせてない。俺らは結論を出すより
投げかけてる、「俺達は楽しんでるから、好きにしたら?」みたいな
バンドなんで。そこが思いっ切り出せたのはよかったと思いますね

 

『MUSICA 12月号 Vol.128』P.78より掲載

■アルバムがとにかく最高です。

ヨコタシンノスケ(Key&Vo)「やった!」

■最近、精神的に逼迫してて凄い疲れてるんだけど、これを聴くとめちゃめちゃ笑えるんだよ。

一同「はははははははははははははは!」

■歌詞にしても曲にしても、とにかくキレがいいです。一時期悩んでいたのがウソのように吹っ切れた、これまでの最高傑作と言ってもいいようなアルバムになりましたね。これはもちろん手応えあるでしょ?

ヤマサキセイヤ(Vo&G)「手応え……どうなんやろな? 2年かかってるしな(笑)」

オカザワカズマ(G)「最高傑作って言ってくれはったんですけど、全然そんなつもりで作ってはなくて」

■うん、そういうつもりで作ってるわけじゃない作品だってことも、よくわかる。

一同「ははははははははははははは」

オカザワ「なんですけど、でき上がりを聴いてみたら俺らも『めっちゃいいんじゃん!?』ってなって。化けたって言ったら変ですけど、ナチュラルに作ったのがほんまによかったのかなって思いますね」

カワクボタクロウ(B)「直感で作ってたんで、それがいい方向にしか働いてないんですよ。今まではこねくり回すのに一生懸命で変な力入ってたのが、『俺らってそうじゃなかったよな』ってところに戻ったっていうか。スキルアップはしつつも原点回帰を果たしてる」

ヨコタシンノスケ「キュウソって、元々作り込まないのが正解だったところがあると思ってて。隙があるというか。それがここ最近はちょっと『キュウソネコカミとはこうあるべきだ』とか『今はこうだ!』みたいなことを意識して固くなっちゃってたところがあったんですけど、今回は、そこを考えてる部分もあるけど、でも隙も絶対残してるんで。それによって1曲1曲が棘っぽい感じになったところがあると思う」

■いい意味で言いっ放しな感じがあるよね。

ヨコタ「言いっ放しですよね。帳尻を合わせてない。それって俺らは結構大事なんじゃないかなって思いましたね。結論を出すっていうより投げかけてるバンドだし、『これどう?』っていうよりかは『俺達は楽しんでるから、好きにしたら?』みたいなバンドなんで。そこが思いっ切り出せたのはよかったと思いますね」

■そんなアルバムに『にゅ~うぇいぶ』っていう脱力系タイトルをつけたのは何故なんですか?

ヤマサキ「タイトルは正直めっちゃ悩んで。考えてたのがどれも『ここからやり返すぞ!』感が強い言葉で」

■たとえば?

ヤマサキ「反骨!みたいな。で、最終候補が『反骨青春』やったんです。でも、それで1曲目が“5RATS”やったらお客さんが『重っ!』って思うやろなって思って。プラス、『キュウソってヤバイの? 今しんどいんだ?』って思われそうじゃないですか。それでうーんってなってたんですけど、マジでこの日までに決めてくださいって日にスタジオ入ったら、ほんまに突然『にゅ~うぇいぶ』って言葉が浮かんで。で、これオモロイなってことになって」

ヨコタ「『にゅ〜うぇいぶ』ってタイトルが決まった瞬間に、めっちゃ完成した感があったよね。この余裕がいいんじゃない?みたいな。だって、俺達こういう感覚で作ってたじゃん、みたいな。ちょっと真面目に考え過ぎてたけど、そもそもキュウソってそこじゃないんじゃないかって気づいたというか」

ヤマサキ「元々こんなテンションやったもんな」

■では全曲解説に移る前の締めとして、ソゴウくん、このアルバムをひと言で総括してください。

ソゴウタイスケ(Dr)「え!………最高ですよ(小声)」

オカザワ「声めっちゃ小っちゃい(笑)」

ソゴウ「14曲入ってるんですけど、マジでそれぞれ似てる曲がないんですよね。どの曲も個性あるし、それぞれ構成も音も全然違うし。今までは考え過ぎてた部分があったかもしれないんですけど、それが解放されて溢れ出してる感じがこのアルバムには凄くあると思いますね。自由に楽しく作ったアルバムですね」

01. 5RATS

■ヘヴィかつハードにぶちかます系で。歌詞も含め、魂の雄叫び感のある曲だし、キュウソネコカミっていうロックバンドの真顔の本質剥き出しな1曲目だね。

ヤマサキ「これは共感とかをあんまり求めようとしてなくて、自分達の今の立場で歌ってて。だからファーストアルバムで言う“キュウソネコカミ”みたいな曲っすよね。実際、歌詞の<誰にも負けない生き様ぶちかませ>って“キュウソネコカミ”のサビにあるフレーズと同じにしてて。コードもF#だし、キーも一緒で」

■改めての宣言、みたいなところもあるの?

ヤマサキ「になってしまいましたね(笑)。やっぱ、アルバム出してない2年間で新しいバンドもめっちゃ出てきて、俺達の立場も変わったんで。そうなると、こういう曲が生まれてしまうんですよねぇ。なんでも正直に言っちゃうバンドやから、抜かれてんのに抜かれてないフリするとかできないんですよ。むしろ『抜かれてますよ? でも今頑張ってます!』って表明してしまいたくなるバンドなんで。だからこの曲が生まれたのは俺ら的には必然やったなと思いますね」

カワクボ「まぁぶっちゃけ、また追う立場になってきてるなってことだね。曲に関して言うと、戦隊モノのテーマソングみたいなイメージがあって。なんか、こういうカッコいい感じで決意表明する曲って今までなかったんで、逆にいいなって思いますね。『俺達が5RATSだ! ドーン!』って行けてるの半分、冷静に自分達を見つめてるのが半分で、結構いいバランスだなとは思ったんですけど」

オカザワ「とにかくカッコいい曲にしようと思ってましたよね。“NO MORE~”を出して、面白い感じのやつは既にあったんで、じゃあ“5RATS”はストレートにめちゃくちゃカッコよく行こうってなって。レコーディングする時も『もっとカッコいい音にしたいんですけど』とか言ってましたし(笑)」

■音質だけじゃなく演奏スキルも上がってるから、こういうハードなタイプの曲が昔より格段にキマるよね。

カワクボ「昨日言ってたんですけど、スピーカーで聴いた時めっちゃカッコいいなって思って。音圧とかも成長してるやんって(笑)」

(続きは本誌をチェック!)

 

text by有泉智子

『MUSICA12月号 Vol.128』

Posted on 2017.11.16 by MUSICA編集部

UNISON SQUARE GARDEN連載企画第2弾、
新潟LOTS公演密着&鈴木貴雄ソロインタヴュー。
独自の美学でバンドを支える鈴木の脳内に迫る

画一的にされることが凄くストレスだったんですよね。
そんな自分がもし今日のライヴに来ていたとしたら、
その人生を肯定してあげたい。俺もあんなふうに
自由に生きていいんだって思ってもらえるドラマーでありたい

『MUSICA 12月号 Vol.128』P.44より掲載

 

■3ヵ月連続でユニゾンのメンバー一人ひとりに話を聞いていくんですけど、前月はシングルのダブルリリースの件を主眼に田淵くんに話を聞きました。今日は新潟でツアー密着をさせていただいたもので、ライヴの話からいろいろ聞いていきたいなって思うんですけど、今日はいかがでした?

「今日に限らずですけど、メンバーと共にライヴをやれたり、スタッフも優秀なのはもちろん、熱を持って工夫して臨んでくれるし、その中で自分がドラムを叩けて、お客さんがそれを愛してくれることまで含めて、すべてが幸せ過ぎるっていう日々がずっと続いてますね。いつが特別だったっていうのはなくて、いつもライヴが幸せだなって思います。メンバーと過ごしててもわかるんですけど、各々が本当に幸せにできているなって思います。これが10年前だったら、そんなことはなかったです」

■貴雄くんの中で、ライヴ、ツアー、チームがそういう存在だなって思えたきっかけはいつ頃からあったんですか?

「鹿野さんは若いバンドとのつき合いも多いでしょうから、大変そうだなとか、メンバー同士で上手くいってないなとか、見ていてわかると思うんですけど、僕らもそういう時もあったし、特に若い頃はそうで。ライヴやってる時は最高なんですけど、ライヴやってない時にあまり最高じゃない時期っていうのが結構長かったんです。それぞれ問題意識を持ちながら、このままじゃいけないって思ってるんですけど、だからこそぶつかる時もある。若さと言ってしまえばそういうことなんですけど、そこからちょっとずつ改善されていった感じだと思うんですよね、今は」

■このバンドってそれぞれがフロントマンだと思うんですよね。田淵くんはソングライターとしての役割を司ってると思うし、宏介くんはシンガーとしての役割を司ってると思う。その中で、このバンドはリズムから伝わる気分が大事なバンドで、それをひとり後方から司ってるのが貴雄くんで。3人それぞれが主役だと思うんだよね。だからこその難しさを今話してくれたのかなっていう気がするんだけど、その難しさも心地よさも、このバンドを組んだ時から全部感じていたんですか?

「確かに最初からそこが悩んでたポイントですね。俺がドラムヒーローでなきゃいけないし、前のふたりがカッコいいっていう印象だけだと魅力的じゃないなって思っていたんです。『斎藤の歌いいよね。田淵の曲いいよね。でもドラムも超ヤバいよね』って言われるようなバンドじゃないといけない。ドラムはただ支えてるだけだなっていう3ピースのバンドは個人的にはあまり魅力的に思えないから。だから、ふたりが言うことに何でもかんでも納得してはいけないなっていう危機感は、若い時は特に思ってました。凄いふたりだし、頭もいいし能力もあるし、僕はふたりに比べたら能力もないほうだけど、かと言ってそこで負けちゃいけないなって思って尖って、それによってぶつかるっていうことも結構あったと思います。今だったらもう少しいい意味で譲れる部分もあるんですけど。ここは譲りたくない!って言う時は、バンドをよくするために、ある種尖ってはいけない部分を守るためにぶつかっていたところもあるんですよね。『ここを譲ったらカッコよくならないな。このバンドはダメになるな』っていう危機感があったからこそ、ぶつかっていたんだと思います」

■誇りを失わずに尖るっていうことが必ずしもいいことじゃなくて、お互いに溶け合うということもロックバンドとして楽しいことなんだなって思えてきたのは、どういう心境の変化があったからだと思いますか?

「尖ってばかりいると、本当に尖っていなければいけない部分が尖れないっていうか……尖るためには、丸くなるところは丸くならなきゃいけない。自分が尖りたいところを尖らせてもらうために、逆に相手が尖りたい部分に対してこっちが丸くなってやろうというか。普通に仕事してる人とかでも、普段感じることだと思うんですよ。こういう仕事をしたいけど、ここは相手の言うことを聞いてやろう、みたいなことって。一言で言えば、聖徳太子の『和を以て貴しとなす』なんですけど(笑)。ロックをするために尖るためには、和が必要なんだなってことは学んでいったし。笑顔でライヴできてる時は単純に最高だから、そのためには丸くなる部分が必要だなって、ぶつかりながら学んでいったんでしょうね」

■たとえば“flat song”を叩いてる時の幸せな表情とか、“オトノバ中間試験”の最後に3人でドラム台に上がり、椅子から離れスタンディングで叩いてる時の恍惚感とか、表情豊かなドラムが最近の貴雄くんなんじゃないかなって思うだけど。

「3人でライザーの上に乗って叩いてる時なんて、ほんと感謝してますね。メンバーに対しても、自分に対しても、お客さんに対しても。メンバーと目合わせて演奏してる時っていうのは、凄くありがてえなって思うんです」

■今日リハが終わってからステージの上に登らせてもらって、遠くから見ている時は、音数の割にオーソドックスなドラムセットなのかなって思ってたんですけど、カウベルの位置が実は不思議なところにあったり、タムのセットの広がり方とか、かなり妙な感じで。なんか不思議だなって思ってローディの方に話を聞いたら、「変則的過ぎて凄く組みにくいんですよ(苦笑)」って言ってました。どうしてああいう組み方になってるの?

「いろんなバンドのドラムのセッティングを見るんですけど、その人その人の美学が全部詰まってるんですよね。ひとつとして同じセットがない。そこに『コイツっぽいな』っていう人間味を感じるんですけど。僕の場合は、一つひとつの太鼓の場所が全部理に適っていて。たとえば人と一番違う点で言うと、普通は『タカ・トン・トコ・トン』ってやる時のタムが目の前にあるんですよ。それを僕は横に並べて置いている。何故かと言うと、お客さんに自分のリズムを視覚的に見てもらうためなんですね。僕の目の前に太鼓を置いてしまうと、『ド・ド・タン・ド・ド・タン』の動きが全部隠れちゃうんですよ。だから、自分の表情や動き、発したい気持ちがよりストレートに伝わるように、横に置きたいと思うようになって。本当に演奏しづらいんで、それ相応の練習が必要なんですけど(笑)。目立ちたくてやってるとかではなく、自分の中ではそのセットが理に適ってる。教科書には、背筋を伸ばして重心を腰に置いてブレないように叩きなさい、って書いてあるんですけど、僕はまったくそうは思わなくて。背筋を曲げて、首も落として、音楽に合わせてブレるように演奏してるんで」

■割と前のめりですよね。

「完全に前のめりです(笑)。ふたりが前のめりに演奏してる時に、僕だけ淡々とやってたらつまらないじゃないですか。もっと転がっていきたいから」

(続きは本誌をチェック!)

text by鹿野 淳

『MUSICA12月号 Vol.128』

 

Posted on 2017.11.16 by MUSICA編集部

BIGMAMA、初の武道館公演堂々完遂!
メジャー移籍決定、金井の本音を訊いた
後日取材と併せて綴る完全密着特集!

数知れない花束と愛に迎えられ、
数知れない関係者挨拶に明け暮れた、11年目の初武道館。
数知れないほどの演出を込めたステージから、
込めに込めた30曲を浴びせかけ、
しかも聞いたこともない19分間ものMCと、
「引っ越し」と題して伝えたメジャー進出。
何から何まで規格外だった、大きな玉ねぎの下の一日に完全密着。
そして後日寿司屋で語った金井政人の本音

『MUSICA 12月号 Vol.128』P.54より掲載

 

(冒頭略)

 11時10分に金井以外のメンバーが。その10分後に金井が入ってきて、まずは真っ先にステージへ向かう。この日のために用意されたステージの見事さと豪華さと、様々なデザインによる仕掛けの多さに、まずは自らが改めて驚き、そして手綱を引き締めている。ステージの両袖の部分などを右に左に何度も歩いたり、時にスタッフと記念撮影をしたり、記念日の始まりを、みんなで堪能している。

 楽屋に戻ると、たくさんの仲間からの祝いの花やスタッフからのケーキが陳列されていたが、どれを取っても愛に溢れているのを、しきりにカッキー(G)が感謝している。いや、あなた達がそういう人だからこそ、この節目の日がこうなってるんだよと話すと、若干照れている。実際、この日は決して天気のいい日とは言えなかったが、朝早くから自分の祝日のような心持ちと表情を浮かべながら多くのファンが集まり、グッズ購入の列に並んでいた。

 楽屋ではメンバーとスタッフでリハーサルの段取りの確認をしていた。リハーサルだけで2時間ほどの時間がかかるかもしれないことが告げられる。特別な演出、様々なコンセプトによる背景映像、収録班も多くのカメラを構え、その段取りとチェックが続くのだ。ちなみに一昨日、これもまた伝説のライヴ級に素晴らしいライヴを、同じUK.PROJECTの銀杏BOYZが果たした。てっきり流れで武道館を抑えたのかと、場合によっては前日にゲネプロを武道館内で行ったんじゃないかとさえ思ったが、実際には、銀杏とMAMAの間の日にはしっかり「武道」が入っていて、この建て込みに驚くほど時間がかかりそうなステージは、前日の24時を過ぎた瞬間からスタッフの献身的なハードワークにとって設営された。メンバーはそういったことをわかった上で、この日の武道館の中心にいた。

 12時からサウンドチェック。

 ステージ上で真緒ちゃん(Vi)とカッキーが金井を真ん中にして細部にまでデザインが施されている繊細なステージの上でどう交錯するか?などを神妙に話し合っている。この日のライヴにあたり、4日間どっぷり本番を意識したリハーサルをスタジオで行い、演奏のみならずアクションもイメージしたようだが、やはり実際に武道館の、しかもデコラティヴなステージに降り立ってみると、シミュレーションとは違う部分も多々あるようだ。

 サウンドチェック前に楽屋にいるメンバーにしっかり寝たか?と訊くと、リアド(Dr)と安井くん(B)が真っ先に「そりゃもう」という安定感ある答えをくれた。でも金井だけは絶対に寝れてないよね?と話すと、みんな静かに笑いながら頷く。そこにちょうど金井が戻ってきたので、寝てないでしょ?と訊ねると、1.5秒ほど何故バレた?という顔をしながら、「はい(笑)」と答える。そんな彼の目は若干赤くなっていた。

 サウンドチェックが済んだ後、リハーサルに入る前に武道館名物である正面入口の看板前で雨の中、メンバーによるサプライズ撮影大会が行われた。物販待ちの長蛇の列が驚きとそれ以上の喜びや歓迎をもって手を振りながら、触れ合いの時間を楽しんでいる。

 そして12時58分、リハーサルが始まった。

 このライヴの中での音楽的な最大の演出は「ストリングス部隊」の導入であった。8人ものストリングスチームによる音の威力が凄い。ライヴという衝動的な概念と、鑑賞会という厳かな概念が、メンバーの真下に位置したオーケストラピットから響く秩序に満ちた音の絡み合いの中で、渾然一体となってゆく。

 教会や美術館や宮殿の門のようなステージデザインと、真緒ちゃんと8人によるバイオリンやチェロのストリングスサウンドをリハーサルで浴びながら、ふと考えてみた。彼らは確かにデビュー時からまずはメロコアシーンの中ではっきりとしたポジションを獲得し、しかも途中からは音楽性を拡大解釈してポップスとしての機能も増し、フェスなどでは武道館以上のキャパシティでライヴを披露するバンドになったが、その一方で未だ彼らは「インディーズ」である、少なくともこの日までは。たとえば一昨日の銀杏BOYZや[Alexandros](当時は[Champagne])、あるいはKen Yokoyamaなどの例もあるが、よく考えるとインディーズで武道館ライヴというのは希少な出来事だ。

 リハーサルの後半で“Sweet Dreams”を観ていた時に気づいて少々驚いたことがあった。僕は今のBIGMAMAのスケール感を決定づけたのはこの名曲だと確信しているし、彼らがメッセージバンドとして説得力を持ち得たきっかけになった曲だと思っているが、ことライヴに関しては、バンドにとっても曲自体にとっても何故か居心地が悪そうだと思っていた。しかし今日、初めてこの曲がライヴという聖地で居場所を見つけたようにリハーサルにもかかわらず思えたのだ。これはある意味、武道館というスケールでBIGMAMAがライヴをやる理由そのものなのではないかとさえ思った。本番はどうなるのだろう?

(続きは本誌をチェック!)

text by鹿野 淳

『MUSICA12月号 Vol.128』

 

Posted on 2017.11.16 by MUSICA編集部

My Hair is Bad、アルバム『mothers』を
2号連続で徹底特集!
初のメンバー3人全曲解説取材で決定作のすべてを解く

今まで10年一緒にやってきて、
こういう気持ちで演奏しようって言ったことは一度もない。
バヤちゃんとやまじゅんはまったく歌詞に興味がないから、
逆にめちゃくちゃフラットに曲のよさを見ていて。
それが凄くいいと思う。バンドってやっぱいいなと思いますね

『MUSICA 12月号 Vol.128』P.68より掲載

 

■前号の表紙巻頭特集で椎木くんにはガッツリ話を聞いたので、まずはバヤくんとやまじゅんくんそれぞれが『mothers』に対して抱いている手応えや印象を伺うところから始めたいな、と。

山田 淳(Dr/やまじゅん)「前作の『woman’s』が自分達的にも満足の行く、完成度高いやつができたと思ってたんですけど、今回もスケジュール的にはカツカツながらもそれを超えるような作品ができた手応えはあって。フレーズもそうだし、あと今回初めてドラムテックさんにも入ってもらって、音も格段によくなってると思うんで。全体的にクオリティの上がった、『woman’s』超えのアルバムができたなっていう感じはしてます」

山本大樹(B&Cho/バヤ)「この前、車のプレーヤーが調子悪くて曲を飛ばしたりできなくて、曲順そのままスラ~っと聴いたら、『あ、アルバムだ!』って思ったんですよ」

椎木知仁(G&Vo)「(笑)」

山本「なんか、曲の流れが凄くいいというか、アルバムとしていいものになってるなっていう感覚が『woman’s』よりもあったんですよね。曲単体としては前作のほうがいいと思うものもあるんだけど、今回は流れで聴いてすげぇいいなって感じがあって。あと、個人的にも『woman’s』で培ったことを踏まえてまた新しいことを入れられたところがあったんで、それはよかったなと思います」

■今日は全曲解説インタヴューをしていこうと思うんですけど、1曲1曲訊いていく前にまず、そもそもこのバンドってどういう形で曲作りをしてるんですか? 椎木くんがデモを作るの?

椎木「いや、僕の頭の中にあるものを口で説明して、ホワイトボードに書いていって。で、とりあえずこうやってみてって言って3人で音を鳴らしてみて、それで俺がまた疑問に思ったところを『ここはこうしたいんだけど、どう思う?』って感じで擦り合わせていって……みたいな感じです」

■ボードにざっくり構成とかコードを書くの?

椎木「そう。イントロ、Aメロ、サビ、ここはこうなってこうなってここからこういうフレーズで、みたいな。俺らそういうやり方でずっとやってるんですよね。だからあんまり説明し切らなくてもできるところはできちゃうし、特に最近は、俺の頭の中のことをわかってくれる瞬間のほうが増えてきてて。突拍子もないことやる時はガンガン言ったりやり直したりしますけど、でもそういうのがそんなに苦じゃなくなってきてて」

■ちなみにその段階で歌詞があることは多いの?

椎木「いや、最近は時間がなくて――っていうのは言い方悪いんですけど、歌詞先行、メロ先行よりも、バンドでトラックを作ってそこに俺が歌を乗っけていくほうが多いかもしれないですね」

■「俺の頭の中のことをわかってくれる瞬間が増えた」って言ってたけど、バヤくんやまじゅんくん側からしても、そういう感覚はあるの?

山本「そうですね。こうして欲しいんだろうなっていうぐらいのノリではあるんですけど」

山田「なんとなく展開が読めるっていうのはあるよね。椎木はこうしたいんだろうなっていうのがちょっとずつ俺らもわかるようになってきてる感じは確かにあって。だからスムーズに行く時はスムーズに行きます。逆に行かないところはとことん詰まりがちですけど(笑)。2曲目の“熱狂を終え”とかは凄いスムーズだった。大体こうしたいんだろうなっていうのがすぐわかったというか」

椎木「そうだね。でも俺、逆にすぐ過ぎると疑うんだよなぁ、こんな簡単にできていいのかって」

山本&山田「そうだね(笑)」

■そこはもう性格でしょうね(笑)。

 

復讐

 

■では1曲ずつ訊いていきます。疾走感も爆発力もある、バンドのダイナミクスが光る曲です。これはどんな種から生まれたの?

椎木「これは結構最初のほうにできたよね。コード進行的には使い慣れてるというか、かなりMy Hair is Badなコード進行なんだけど、サビがいっぱいある曲っていうイメージで最初は作ってて。<ずっと忘れないでいるから>で始まるところ、<春になったら殺っちゃうぞ!>で始まるところ、あと<神様だってそう言うさ>で始まるところっていう、3つサビがあるようなイメージでふたりに伝えて作ってった感じですかね。オケ自体はそんなに時間かからなかった……あ、でも1回バラしたか。途中で俺がこうじゃないんだよなって言ってバラして、もう1回やり出して」

山田「俺、これが1曲目になるイメージはなかったな。基本、歌詞は歌録りの時に知るぐらいだし、歌メロとかもほんのりしかわかんない状態で作ってるんですよ。だから歌がハマッた時にいい曲になったなっていうイメージがありましたね」

椎木「俺は最初からこれが1曲目っていうか、むしろシングルの1曲目がこれで2曲目が“幻”かなってイメージで作ってはいたんですけど」

山田「そうだったんだ」

椎木「うん。でも途中からバラしたりして切羽詰まってて、歌詞とかあんまりハマらなくて、その最中に“運命”を作り出して。そしたら“運命”がおやおやおやって感じで上がってきたから」

■バヤくんはどうですか?

山本「大体いつも、最初にイメージを聞いた段階で自分の中でわかりやすく『これはいっぱい弾く曲』、『これはあんまり弾かない曲』って決めるんですけど、この曲はたまたまその時にエゴサしてたら『マイヘアのベースって簡単だよね』みたいなことを書かれてて、ちょっとイラッとしたんで、めっちゃ入れてやろう!と思って作ってました。だからベースラインは結構動いてる」

椎木「そういう理由だったんだ(笑)。ドゥルルルルルル、みたいなの入ってるもんね」

山本「そうそう、その後は和音だったりするし」

■つまりベーシストとしての意地が入ってるんだ。

山本「そうですね。レコーディングエンジニアさんに『ここ音が当たってますよ』って言われるぐらい入れました(笑)。3回とも全部違うことやってるし。そんな難しいことはしてないんですけど」

椎木「意外とバヤちゃんのベースがギターっぽいんですよ。結構前にいるっていうか」

■うん、それは割と全体に言えるよね。

椎木「ノリよりかフレーズを担うほうが大きいベーシストにしたのは、たぶん俺のせいもあって。“アフターアワー”もここでベースソロ弾いてくれとか言ったりとか。それこそ昔はストレイテナーとかよく聴いてたし、当時はノリとかグルーヴとかよくわかんないけどあそこでひなっちがカッコいいベース弾くからああいうのやれよ!みたいな感じでやり続けてきたので。だからこういう勢いのある曲のベースだと、ギターが2本あるみたいに聴こえる瞬間もありますよね」

(続きは本誌をチェック!)

text by有泉智子

『MUSICA12月号 Vol.128』

 

Posted on 2017.11.15 by MUSICA編集部

ぼくのりりっくのぼうよみ、今年2作目のアルバム
『Fruits Decaying』。スリリングな音楽的興奮に
満ちた進化作を紐解くバックカバー特集!

多様性を言い訳にしてはいけないんですよ。カルチャーとして
音楽自体を成熟させていくためには、よくないものを淘汰していくぞ!
という気持ちが大事なんじゃないかと思います

『MUSICA 12月号 Vol.128』より掲載

(冒頭略)

■音楽へのスイッチが入ったのはいつぐらいだったんですか?

「でも、実はそれは完成した後の話で」

■え、そうなの?

「そうなんです。今は凄く音楽が好きなんですが、4月の自分はそうではなかったんです。その理由がこの前判明したんですが、よく、『この音楽で希望を与えたいと思って作りました、凄い楽曲です!』とか言っている人いるじゃないですか。僕はそんなふうに思うことが一切ないし、彼らが口にする音楽への愛みたいなものも僕は持ち合わせていないなあと思ったんです。でも実は、単純に自分の中の音楽へのハードルがめちゃめちゃ高いだけで、音楽自体はめっちゃ好きだったんですよ! あと、やたらそういうこと言う人に限って曲が全然よくなくてウケる」

■ということは、この作品を作った満足度が高かったことで、やっぱ音楽凄い好きだわって思えたみたいな感覚なんですか?

「いや、それとも関係なくて。ある人の曲を聴いて『うわ、マジでダサいな!』と思って。で、『Fruits Decaying』が完成した後……作ってる間はすげえナードというか、なんのために音楽やってるのかよくわかんない、もうダメ、みたいな感じで。もちろん曲自体はいいと思いながら作ってたんですけど、でも『音楽としてはいいものを作っているが、だから何?』みたいな。『音楽としていいからってなんなの?』みたいな。だから僕の意欲みたいなものをフルーツにたとえたら腐っていってる、ディケーイングしていってる状態で。だからこのアルバムは『Fruits Decaying』なんです!みたいな話を凄いしてたんですよ」

■アルバムタイトル、そういう意味なの!?

「はい、そもそもは。でも、あまりにもダサ過ぎる曲を聴いたおかげで、いやいやこのアルバムはカッコいいし自分は音楽めっちゃ好きだなってことに気づき、ちょっと頑張ろうと思ったっていう感じです。だからその前後でアルバム自体の見え方が全然変わったし。……なんか、僕はこれまで多様性という言葉を間違って使ってたなと思って」

■もう少し具体的に言うと?

「たとえば、『自分は全然好きじゃないけど、この音楽で喜んでる人がいるならそれは素晴らしいことだよね』みたいなことを言ってたんですよ。でもそれってめちゃめちゃ日和ってるな、ダメでしょと思って。多様性を言い訳にしてはいけないんですよね。アートとエンタメって境がスレスレというか、どっちも混ざり合って作られてるものだと思うんですけど、でもアートであれエンタメであれ中間であれ、一定以上のクオリティはどうしても必要で。そこのチェックを疎かにして、でもこれが好きな人がいるならいいよね、みたいなこと言ってちゃダメな、と。前に何かの例えで、多様性っていうのはスーパーに行った時に1種類のトマトがいっぱい置いてあることじゃなくて、いろんな品種のトマトが置いてあることだよ、みたいな話があってその通りだなと思ってたんですけど、でも、そういうスーパーに腐ったトマトは置いてないかどうかはチェックすべきなんですよ。やっぱりクオリティチェックはするべきだし、クオリティが低いものは淘汰されていくべきだと思って。それが結構(このアルバムのリリースコメントとしてぼくりりが出した)『他の音楽ぶっ殺してやるぜ!』みたいな気持ちに繋がってくるんですけど。そういう意味で自分の音楽は非常にクオリティが高いので、ちゃんと浸透させていきたいと思った感じです」

■つまり、質の悪い音楽が多い現状を鑑みて、音楽のために自分がなんとかしなければ!という気持ちになった、と。

「そこまで大それたことではないかな。どうなんだろ、わかんない。でも、聴き手の人は好きなものを好きに聴いてくれてればいいんですけど、作り手側は、文化というかカルチャーとして音楽自体を成熟させていくためには、やっぱり淘汰していくぞ!という気持ちが大事なんじゃないかっていう。よく『悪貨は良貨を駆逐する』って言うじゃないですか」

■あと「腐ったリンゴは傍らのリンゴを腐らせる」とかね。

「あ、そっちのたとえのほうが今回のアルバムにはいいな! それパクります。そう、腐ったリンゴが箱の中にひとつ入ってるとそれが伝播していくんですよ。それを取り除かなきゃ!みたいな感じの決意が相まって、今回頑張るぞって思ったって感じですね。おぞましいなと思ったのが、ダサい曲を好きな若いお母さんがいると、その子供もその音楽を聴くことになるんですよ。なんならお腹にいる時から聴かされることになるわけじゃないですか。そんなこと許せます? ヤバくないですか? 劇的にクオリティの低いものでもそれを最初から与えられていくと、それが美味しいものなんだと思って育ってしまう。それって悲しいことだなと思って」

■それって、デビューして2年くらい経って音楽の担い手としての、アーティストとしての自覚と責任感、使命感みたいなものが芽生えてきた、みたいな話にも繋がるの?

「そうかもしれませんね。自覚とか持ちたくないんですけどね」

■何故? 創作が縛られちゃうから?

「だって辛くないですか? 僕は生まれつきアーティストアーティストしてないから、アーティストっぽく振る舞うのもダルいし。でも、責任とまでは言わないですけど、ぼくのりりっくのぼうよみとしてやってる以上はそういう気持ちを持って、ぼくりりでいる時間はそういうふうに思いながら行動するべきだなとは思ってます。頑張るぞって。これって責任感なのかな。持ちたくないなー。責任とかないほうが人生楽しいですからね」

■でも、それだけ怒りを持てるっていうことは、音楽に対する愛と音楽家としての誇りが強い証拠だと思う。

「たぶんそうなんでしょうね。気づかないフリをして、っていうか本当に気づいてなかったんですけど、実はそうだったのか、と」

(続きは本誌をチェック!)

text by有泉智子

『MUSICA12月号 Vol.128』

 

Posted on 2017.11.15 by MUSICA編集部

ACIDMAN結成20周年の節目に作り上げた
集大成にして神髄、11作目のニューアルバム『Λ』。
大木伸夫の生々しい語録が光る最速インタヴュー!

抽象画を描けば描くほどアート性が増すと思ってたんですが、
今は1枚のリアルな写真には勝てないのかもなと思って。
ピカソの『ゲルニカ』と、
シリアからの難民の子供が死んじゃった1枚の写真のどっちが強いか? 
今は写真のほうが反戦の心が湧く。
そこから目を背けても音楽はアートにならない

『MUSICA 12月号 Vol.128』P.14より掲載

(冒頭略)

■最初にアルバムの話を訊いていきたいんですが、ほんとに素晴らしい集大成アルバムになりました。これがACIDMANの今のベストアルバムだなと思いました。

「いいですね、まさにベストアルバムです。いつもそう思って作ってますが、今回はベストアルバム以外の何ものでもないと思ってます」

■そこにはふたつの意味があって。まず名実共にBESTという言葉にふさわしい内容だなという意味合い。もうひとつは、このバンドの20年間を音楽性、歌、言葉、全部にきっちりと入れ込んだ、非常に自覚的な周年オリジナルアルバムだと思いました。まさに今、作り終えてどういうふうに思ってますか?

「自分で言うのも手前みそみたいな感じなんですけど、マスタリング終わってこんなに幸せな気分なのは初めてですね。凄く誇らしいアルバムができたな、誇り高い作品になったなっていうのは思います」

■それは今までとは何が違う感じなの?

「今まではいろんなところが気になったり、やっぱりあそこはこうしたほうがよかったかなとか、次の作品のこととかで頭がいっぱいだったり、とにかく『終わった。早く次の作品を作ろう』っていうところだったんですけど、今回は自分が作ってるにも関わらず、かなり入り込んで昇天していくというか。マスタリングの時はちょっとしたトリップ感がありましたね。……今までも曲は自分の子供のように思っていたので、生みの苦しみももちろんそうだし誕生の喜びももちろんあるんだけど、今回はまた言葉に上手くできない圧倒的なものができたなと思ってて。具体的に、わかりやすい言葉を多めに使ってシンプルな言葉を使っていったんですけど、それが功を奏してもの凄く深くなっていって、ひとつの新しい発見もあったので……どんどんそこに吸い寄せられていくというか吸い込まれていって、最後はもの凄く浄化されていく、“愛を両手に”で締めたことが素晴らしく上手くいったなと思いました。いつも言ってることですけど、映画のような作品を作るのが目標なので、たぶん、今までで一番映画的な作品になったなと思いますね」

■マスタリング終わった瞬間に大木とサトマが同じことを言ったんだよね、「音楽を超えた」って。

「はははは、ちょっとそれはクサい言い方ですけどね。でも元々僕の思想がそれなんで、音楽というツールを使って、もちろんエンターテイメントという覚悟はあるんですが、何かもっとできないかなっていうのがあるので、せっかくいろんな人に聴いてもらえるのであれば、僕はいろんな人に喜びを与えたいというよりも、哀しみから救いたいっていうほうが欲望として強いので、そういうものが形にちゃんとできたんです、『Λ』は。だから、音楽ってジャンルじゃないんだろうなとは思いますね」

■アルバムタイトルの『Λ』、このタイトルをつけたのは――。

「普通にギリシャ文字で11という意味なので。11枚目のアルバムだから、最初からΛというワードをどっかで使おうかなと思っていて。でもだんだんアルバム作っていくにあたって、ACIDMANのAでもあるし、これがタイトルでもいいのかなと思っていって。決定的だったのが、インストゥルメンタルの“Λ-CDM”っていう曲が」

■8曲目にあります。

「これ、ACIDMANの略語かと思いきや、Λでいろいろ調べてたら、ダークマターのことなんですね。Cold Dark Matterの略なんですよ、CDMっていうのは。ダークマターって、宇宙の暗黒物質で目に見えないまだ発見されてないダークマター、ダークエネルギーのことなんですよ。あと『Λ』っていうのは元々、宇宙項という意味があって、宇宙定数としてアインシュタインがつけたものなので、もの凄くゆかりがあるなとは思ってたんだけど、最後の決め手が“Λ-CDM”というワードがあるっていうところにびっくりして。こんなACIDMANとしての奇跡的な偶然の一致ってなかなかないし、ここでもう、タイトル『Λ』にしよう!っていうのが決まりました。これはきっと何かに呼ばれてることだと思うので」

■どういうアルバムを作ろうっていうところから始まったんですか?

「20周年イヤーを1年間かけてやって、それで一区切りだっていう感覚があんまり僕にはなかったんで。やっぱり曲を作ることがもの凄く好きで、いまだに曲を作ることが好き過ぎてまとまらないんですよね。だからどんどん出していきたいなと思ったから、とにかく早く次の一発目、20周年じゃなくて21年目がもう始まるぞっていうことでスタートして。で、最初はたっぷり時間はあるなと思ってたんだけど、意外とバタバタッとなっていって(笑)。それは何故かというと、元々やろうとしてた候補曲を5、6曲替えて、新たに作ったりしたからなんですよ。それでどんどんアルバムの輪郭が変わっていったって感じですかね」

■それはもっともっとという気持ちの表れだとは思うんですけど、新しいものを欲した具体的な理由みたいなものはある?

「このアルバムって3年ぐらいかけて作ったんですけど、もうすぐ周年が終わりだなっていう頃に違う気持ちでどんどん曲が作れて。“MEMORIES”っていう曲と“prana”っていう曲はほんとに最近作った曲なんです」

■そっか。その“MEMORIES”と“prana”は僕のメモには「肝曲」って書いてありますけど。

「はははははは。凄い、さすが! 素晴らしい。まさにそれくらい自分のなかでは新鮮な曲で。元々やろうとしてた曲を入れ替えて。言葉じゃ言えないんですけどね、そういうモードなんでしょうね」

■その「そういうモード」というのは、僕に言わせれば「ACIDMANらしいポップさ」みたいなものなんだけど。もっとコンセプト的にどういうアルバムにしたいっていうイメージはあった?

「毎回ないんですよね。でも今回少しだけ強かったのは、わかりやすいものにしたいなとか、その逆にある自分の中のマニアックっていうか、そういう部分も全部出したいなと思ってて、とにかく出し切りたかった。ポップな曲って他にも山ほど作ってて、ジャジーでちょっと優しい曲もいっぱい作ってたんですけど、今回ちょっとそうじゃなくてもっと濃い、ほんとに自分の死生観がどっぷり詰まったものにしたいなっていうのはありましたね。そういう濃いものだから、わかりやすくなればいいなとは思って。元々、言葉(歌詞)がわかりづらいって言われることが半分嬉しくて半分辛かったところもあって。わかる人だけにわかればいいやっていう発想はちょっと寂しいなと思ってたので」

■大木の歌はわかりにくくないし、難しくないの。ただ、歌ってる内容が本質的過ぎて、本質を貫いていくと人類が生命になって、生命イコール宇宙になっていくから、そこがぶっ飛んでる、もしくは難解だっていうことになってると思うんだけど、今回は歌詞が難しいと思ったことはほんとに1回もなかった。

「本当にそうなら嬉しいですけどね、伝えたくて作ったから。これは昔からの目標ですけど、老若男女すべての人にわかって欲しいなと思って。でも、メッセージとしての肝は生と死のことと宇宙のことしかなくて。……あ、あと今回は人間の、まさに隣の人が死んでしまうようなリアリティのあるものっていうのは凄く意識してましたね」

■その「隣の人」という近さというか息遣いというか、それが肝なのかもしれないね。それは具体的に何かがあったからっていうこと?

「シングルの時も話した、“愛を両手に”を作る前にばあちゃんの死っていうのもあったし、自分自身の年齢の重ね方もそうだし、周りを見渡せばそういう人達もいっぱい増えてくるし。どう考えても死っていうのは悲しい、だからその死を越えるために今まで楽曲を作ってきたけど、それでもやっぱり死は悲しいっていうことを、この歳になってくると痛感するので、そういうことをちゃんと伝えての死を越えた喜びというか、生の喜びというか、もう一度向き合いたいなっていうのはありましたね」

(続きは本誌をチェック!) 

text by鹿野 淳

『MUSICA12月号 Vol.128』