Posted on 2016.10.18 by MUSICA編集部

フレデリック、
集大成的ファーストフルアルバム『フレデリズム』リリース。
3人取材でその特質を紐解く

本当はこういうことを歌いたかった。
もう遠回しに言いたくない、
俺らは真っ直ぐ前に進みたい気持ちやから、
遠回しに言うのは逃げだなと思うようになった(健司)

『MUSICA 11月号 Vol.115』P.86より掲載

 

■遂にフルアルバムです。考えてみたら溜めに溜めたねぇ。

三原康司(B)「ははははははは、溜めに溜めましたね(笑)」

■このアルバムの中には2011年末の自主盤『死んだサカナのような眼をしたサカナのような生き方はしない』に入っていた“バジルの宴”と“ふしだらフラミンゴ”もリテイクして収録されているわけで。そう考えると、5年越しのファーストフルアルバムって言っていいよね。

赤頭隆児(G)「5年! そんな経つんや……」

■“オドループ”、“オワラセナイト”、“ハローグッバイ”、“オンリーワンダー”という代表曲が全部入っていること含め、集大成的な作品でもあるし、“オドループ”以降のフレデリックをここで改めて再定義するアルバムでもあると思うんですが。直近のシングルである“オンリーワンダー”以降の曲だけでアルバムを作るという選択肢も普通にあったと思うんですけど、どうしてこういう形になったの?

康司「単純に曲が好きだからなんですよね(笑)。ファーストアルバムだから好きな曲を入れたいなっていう気持ちが凄く強くて。それ以上は理由はないかな(笑)。自分は曲書くのが凄く好きなんで、聴いて欲しい曲が昔からたくさんあって。そういう気持ちが凄く出てるなって思ってます」

■だって15曲入りで68分くらいあるわけで。今日日、こんなにフルヴォリュームのアルバムはなかなかないですよ。

康司「初回盤のDVD含めると、24曲ありますから(笑)」

■ははははははははははは。

康司「やっぱり僕ら、めちゃめちゃ伝えたいんですよね(笑)」

赤頭「ここにもう2曲ぐらい入れるつもりやったんですよ(笑)」

■まだ増やそうとしてたのか(笑)。

康司「そうなんです(笑)。でも本当に、今までやってきたことのひとつひとつのステップが気持ちと共に詰まった作品になったなと凄く思います」

■健司くんは、このアルバムに対してどういう実感を持ってます?

三原健司(Vo&G)「『フレデリズム』っていう言葉は昔から言ってる造語なんですけど、フレデリックにとって肝になる言葉だなって思ってて。で、何を入れてもフレデリズムっていうコンセプトの下にいいアルバムになるなって思ってたんですけど、ある程度の想定の中ではやってたんですけど、実際1曲1曲枝分かれしていって、全然違う位置に立っていくのを見ると、自分の想定を超えたアルバムになったなって改めて感じましたね」

■健司くんの想定ではどんな感じだったの?

健司「『フレデリズム』っていうタイトルもそうですけど、このアルバムでフレデリックがわかるやんっていう作品になってるなというのは想定内だったんですけど、でも実際は、自分が思っていた以上に楽曲一つひとつのインパクトが凄くて。『これ、シングルでもよかったんじゃないか?』っていう曲があったりとか、これまで発表してた曲も『この歌詞はこういうこと言ってたんや』って改めて思うことがあったりしたんですよね。ということは、聴いてくれた人の解釈によって、また違う広げ方が生まれる可能性が凄くあると思うんです。そういう意味で想定を超えてるなって」

■隆児くんはどうですか?

赤頭「インディーズの時の曲もあるし、メジャーデビューしてからの曲もあるから、その時その時でいろいろ悩んで考えた曲とかもあって……1枚ずつ作品を出す度に成長していったっていう、それが全部詰まってるアルバムやなって思ってます。今までのフレデリックが全部入ってますね」

■このアルバムは“オンリーワンダー”で始まるんですけど、“オンリーワンダー”、“オドループ”、“オワラセナイト”、“ハローグッバイ”という明確に外に向かっていく攻めの楽曲達が並んでいると共に、アルバムでの新曲では、このバンドの持っていた歌謡性がブラッシュアップされたポップス然とした曲や、ブラックミュージックやニューウェイヴをフレデリックのリズムに昇華する多彩なリズムアプローチの楽曲が収められていて。いざアルバムに向けて新たに曲を作っていく時に、どんなことを考えながらここに向かっていった感じだったんですか?

康司「活動やライヴを続けていく中で『僕らのテンポで遊びましょう』と言うようになったんですけど、じゃあフレデリックでどんなふうに心躍らせられるかな?って考えた時に、やっぱり新しい提案をしたいなって思ったんです。たとえば“サービスナーバス”とかはまさにそうで。でも、サウンド感はラテンノリというか、カーニバル的な感じで――」

■ちょっとトロピカルな感じだよね。

康司「そうなんですよ。なんですけど、ドラムはタイトめにやってたり。これまでとは違った踊らせ方したいなっていう、その提案をしたいっていうことには意識を置いてましたね。“レプリカパプリカ”も、80年代っぽいシンセの感じとバンドの黒いサウンド感が合わさった時に、独特のホワイトソウル感が出せたと思うし。そういう、フレデリックならではの絶妙なケミストリーを考えながら作りましたね。新しいアプローチと今までのフレデリックらしさを融合していくことを考えたというか――」

(続きは本誌をチェック!

text by有泉智子

『MUSICA11月号 Vol.115』

Posted on 2016.10.18 by MUSICA編集部

キュウソネコカミ、伝家の宝刀を抜いた
最高の新曲『わかってんだよ』誕生!
ヤマサキセイヤとのタイマン取材で名曲を解く

自分でもわかってるやろ? お前は普通なんや!
って思ってるんですけど、諦められんくて悪あがきして。
脇役やって気づいてるんやけど、でも主人公でいたい

『MUSICA 11月号 Vol.115』P.92より掲載

 

■インディーズ時代から何回も取材してるし表紙も飾ってもらってるけど、実はセイヤくんとサシでインタヴューするのは初めてなんですよ。

「そうですね。やっぱ緊張しますね(笑)」

■(笑)。今回の“わかってんだよ”はキュウソの本質、そしてセイヤくんの本質が表れていると思うので、サシでやりたいなと思って。

「はい、確かに“わかってんだよ”はそういう曲ですね」

■本当に名曲が誕生したよね。これはキュウソネコカミ、そしてヤマサキセイヤというロックの一番の本質であり一番のダイナモを直球勝負で曝け出す、本当に見事な名曲です。

「嬉しいっす。でも、『自分の曲』過ぎて、最初は自信がなかったんすよ」

■それって、前号で話してくれた、沖縄でのツアーファイナル前日夜中にひとりホテルでこの曲ができて、「すげぇ曲できた!」と思って翌日の本番前のリハで歌ったらメンバーの反応がなかったってのも関係してるの?

「はははははははは。そうそう、すげぇいい曲できたと思って嬉しくて翌日のリハで披露したらめっちゃ無反応っていう(笑)。ま、反応がなかったのは、前日のスタジオで“こみゅ力”をボツにすることが決定して、メンバー内の雰囲気がめちゃくちゃ悪かったからなんですけどね」

■セイヤくんが歌った時にメンバーそれぞれ心の中では「すげぇ曲できてんじゃん!」と思ったけど、とてもじゃないけどそれを言える雰囲気じゃなかったってみんな言ってたよね(笑)。

「そうなんすよ。実は『おいおいおい! こいつ昨日の今日ですげぇの持ってきよったわ! さすがやわ!』って思ってたらしいんですけど」

■これはマジで名曲。メロディもいいし、何より言葉の威力が凄い。めちゃくちゃ生身の心情吐露なんだけど、もう心が苦しくなるくらいぐーっと掴まれて、どうにも泣けてしまう。こんなに直球で泣ける名曲は、今までのキュウソにはなかったよね。

「実は僕も、スタジオで練習しながら何度か泣いてんすよね。出てくるんですよ、何かがバーッて。これ作った時も傷心やったんで、メロディとかでもポロリと来るんですよ。ただ、その涙も、自分のことを歌ってるから泣いてるのか、純粋に曲で泣けてるのか……要は共感がある曲なのかがまだちょっとわかんないんですよね。だから、早くみんなに聴いてもらいたいんすよ。『自分は凄い泣けるんだけど、みんなはどう?』みたいな」

■改めて、どういう経緯から、沖縄でこの曲が生まれたんですか?

「あの頃、僕の中では完全に“こみゅ力”をシングルにするつもりやったんですよ。でも(ツアーで)あんまウケもしないし評価もされなくて、メンバーにも『他に新しい曲ないの?』みたいなこと言われて、それでも『いや、俺は“こみゅ力”をシングルにするねん!』ってかなりガチガチになってて。ほんと“こみゅ力”と“俺は地球”に何曲分ものエネルギーを注ぎ込んでやってたんですけど。で、その状態のまま沖縄に行って――」

■で、ツアーファイナルとして沖縄に行ってるにもかかわらず、現地で曲作りのためにスタジオに入り。

「そう、で、そのスタジオで“こみゅ力”は完全に却下ってことになって。そんなふうに却下されたの初めてやったんで、もうめっちゃ凹んだんですよ。そんでホテル帰ってメールのチェックしてる時に、そう言えばはいからさん(名物マネージャー)から『映画の主題歌の話が来てます』ってメール来てたなぁ思って、スクロールして探したら脚本がついてたんで、やることもないし脚本読もうと思って読んだら、『これ、今の俺とめっちゃリンクするやんけ!』って思ったんですよね。ボロッボロの主人公の被害者意識とか被害妄想みたいなんが、その時の俺の心情にすげぇ重なって。……キュウソって自分はダメや!って追い詰められることに喜びを感じるタイプなんですよ。卑下するタイプなんですよ、凄く」

■うん、その自虐性は改めて言われなくても明白です。

「完全に自虐から始まるバンドのフロントマンなんで、脚本読んだ時に『うわ、これめっちゃわかる!』って思って。友達だと思ってた奴とか後輩やった奴にどんどん抜かれていく感じとか……自分もインテックスと幕張のチケットが売り切れなかったとか、“こみゅ力”がウケてない、挙句にメンバーにも却下されたとかいろんなことが重なって、もう心がグァーッ!ってなって。それで機材車からギター下ろしてきて一気に作りましたね。なんかね、やっぱ心がガンッ!ってなってる時に作る曲って、めちゃくちゃ早くできるんすよ。“何も無い休日”とかもそうやったんですけど」

■まさに“何も無い休日”以来だなぁと思いました、こんなにもやるせなさやぐじゃぐじゃな想いを赤裸々に吐露する曲は。

「ほんまに気持ち入ってますからね、これは。曲を書こうとして書いたもんじゃなくて、もう魂で書いてるっていうか。<ボロボロになってやっと気付いたよ ボロボロになってやっとわかったよ/あぁ僕はただ生きているだけだった 主人公気取りの脇役だった>っていうのも、その時に書いてますし……ほんまにねぇ、俺、主人公気取りの脇役やったと思い知ったんすよ!!! ほら、ちょっと前の連載で『主人公になるにはどうしたらいいですか?』って投稿があったじゃないですか」

■あったね。

「あの時はカッコつけて『俺はずっと主人公やったから、脇役の気持ちとか知らねぇ!!』とか言いましたけど、実はここで1回負けてるんですよね(笑)。その沖縄の夜に『俺は脇役やって気づいてるんやけど、でも主人公ではいたい!』って思って、そこから曲が生まれてるんで。……やっぱりインテックスと幕張で、心のどこかで傷ついたんですよ。そもそも2デイズずつやるって決めたのは、チケットが取れないお客さんがたくさんいるから『絶対埋まらない会場でやろう!』ってことやったんですけど――」

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text by有泉智子

『MUSICA11月号 Vol.115』

Posted on 2016.10.18 by MUSICA編集部

ヤバイTシャツ屋さん、メジャーデビューと共に
処女アルバム『We love Tank-top』を投下!
確かな核心とメカニズムを徹底解剖

そもそも普段は、人の楽しませ方が
わからない、近くの人には優しくできないんですけど、
バンドやったらできるかな。
僕もステージの上やったらいっぱい喋るし

『MUSICA 11月号 Vol.115』P.80より掲載

 

■2回目のインタヴューになります。

「前回はわざわざ大阪までありがとうございました。びっくりしました」

■あれが去年の暮れで、その時のインタヴューを読んだら、「このバンドで食ってこうって気持ちはまったくない」と。「僕はちゃんと仕事をしてて映像を作ったりしてますんで、このスタンスでできるところまでやりたいなと思ってます。これ言うと『ナメとんのか! バンドに命賭けろや!』って先輩方から言われるんですけど、僕らが思う強みってここに命賭けてないからできるっていうラフな感じだから、何やってもいいっていうことだと思うんですよ」とおっしゃられてました。

「はい、おっしゃってました(笑)」

■記事にはしなかったけど、「いろんなところから話は来てるでしょ? どうするの?」って訊いたら「絶対どこへも行きません! 大人はまだ怖い」ってところから、半年後にはこの状況が決まったよね。この嘘つき。

「ひゃははははははははははは」

■どういう風の吹き回しだったんですか?

「面白くないっすか? ヤバイTシャツ屋さんがユニバーサル(外資大手メジャーレーベル)とBADASS(10-FEET所属のロック叩き上げ系事務所)という組み合わせに入るというのは、誰も予想できないじゃないですか」

■まずBADASSとはどういう経緯で繋がったの?

「ユニバーサルの人がEo Music Try(2015年度グランプリ)で優勝した後にライヴを観に来てくれはって、“メロコアバンドのアルバムの3曲目ぐらいによく収録されている感じの曲”とかやってたら『それって10-FEETのことやん』って言われたんで、『僕めちゃめちゃ10-FEETが好きなんです』って伝えたら『昔、10-FEETを担当してました』って教えてくれたんですよ。『今度BADASSの10-FEETのマネージャー連れていきます』って釣られてしまいまして、その後マネージャーさんと会って……『僕のところでやっていいですか?』と訊かれたので、『お願いします』と即答(笑)」

■完全に10-FEETオタクとして釣られてますが。ぶっちゃけ、自分の中でこうなればいいなぁとかいろんな未来予想図とかがあったんですか?

「たぶん、前の時点では『絶対どこへも行きません!』みたいなことを言ってましたけど、心のどこかではヤバTがこの感じのままメジャーへ行ったら面白いなってずっと思ってて、でもいい巡り合わせがなかったら別に特にこのままでもインディーズの今のままでやっていってもいいかなっていう、凄く半々な状態だったんですよ。で、ユニバーサルの担当の人がいるんですけど結構狂ってる感じの人やって。何を言っても『いいよ、いいよ』っていう感じで、今も何を言っても『いいよ、いいよ』って感じで。『こんなんでいいんや』って、お金出してくれてんのに……」

■要求度が低いことしかまだ言ってないから聞いてくれるのでは。

「そうっすかね? でも、僕らだけやったら絶対できひんようなこともお金出してくれてできるのが強いなって思って。勝手なイメージですけど、メジャーに行ったらレコーディングの時とか『ここ、こうしたらアカン』とか『ここはこうしたほうがええんちゃう?』とか言われるもんやと思ってたんですけど、なんにも言われへんくて。逆にこっちが心配になるくらいほったらかしにされてたら思った通りのものができたっていう。DQNとか大麻とかレッドブルって言葉も本当はダメっぽいんですけど確認して使えるようにしてもらったりとか。今のところメジャーにきて正解やったなと思ってます」

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text by鹿野 淳

『MUSICA11月号 Vol.115』

Posted on 2016.10.16 by MUSICA編集部

My Hair is Bad、
僕らのロックたる傑作アルバム『woman’s』完成!
その誕生までの軌跡を、椎木知仁の言葉から辿る

 

50年後は同じような歌を歌えないだろうから、今のうちに歌っておきたい。
「まぁ大丈夫っしょ!」とか「やりたいことやろうぜ!」みたいな、
後先考えずに突っ走ることをライヴで歌えるのって今しかないから

『MUSICA 11月号 Vol.115』P.58より掲載

 

(前半略)

■今回は何よりメロディが素晴らしいし、どの曲においてもメロディの強さが凄く出ている作品だと思うんですよね。メロディの宝庫というか、仮にメロディだけでもずっと聴いていられてしまうくらい素晴らしくて。で、さらに、そんなメロディにバンドの音やリズム、椎木くんの声が見事に一体している、その一体感も今までの作品で一番のものになっていて。

「まさにおっしゃる通りで、そこが俺らの強みだと思っています。さっきの話と似てるんですけど、やっぱり『どんなバンドやってるの?』って訊かれたら、これを渡せばきっとわかってくれるアルバムになったと思います。20代前半の集大成でもあるし、My Hair is Badっていうバンドの名刺として、先輩達にもちゃんと渡せるアルバムというか。俺はメロも含め、歌詞も含め、アレンジも含め、曲のよさだと思ってるんですよ。だから、今回新しく録った10曲も全部いいと思うんですけど――俺、生意気ながら作品としてのバランス感を凄く大事にしているんですよね。逆に、そのバランスがあまり上手く取れなかったのが『時代をあつめて』なんですけど」

■椎木くんの音楽観の中で、メロディってどういう役割を果たしているものなんですか?

「僕はずっと、自分のことを歌詞に重きを置いている人間だと思っていたので、メロディってどういうものかわからなかったんですよね。で、社長に『今回のアルバムはキラーチューンを頼むね』って言われた時に、キラーチューンって何だろう?って自分なりに考えて。その答えが『メロのよさ』だったんですよ。自分の中ではあまり意識していないものだったんですけど、このアルバムを作って、メロディは歌詞を何倍も届かせる役割があることがわかったんです。ポエトリーだけじゃ伝え切れない部分もメロのおかげで届いたりするんですよね」

■特に1曲目の“告白”は言葉とメロがお互いを呼び合っているようなハモリとリズムですもんね。

「伝わってよかった、本当にそうなんすよ。これ作るの大変だった………今までで一番書くのが大変だったと思います」

■ちなみに、いつもはどうやって曲を作っていくんですか?

「いつもはコード進行を決めて、メロをなんとなく決めて曲を作っていきますね。で、歌詞を最後に書くんですけど、今回はコードよりもメロディ先行の曲が多くて。今まで自分の中であったキラーチューンは“ドラマみたいだ”だったり“優しさの行方”だったんですけど、今思い返すとどっちもメロから作ってたんですよね。シャワー浴びながら、ふと思いついたメロにコードを乗せていったんです。そしたら、意外とハマった曲が多かくて。いろんなバンドの曲を聴いてても思うんですけど、絶対にハッとする曲はメロがいいんですよ。今さら何気づいてんだよ!って思われるかもしれないですけど(笑)」

■はははははははははは。

「もちろんメロが大事なのはわかっているつもりだったんですけど、結果的にそういうところが特に表れたアルバムになりましたね」

■椎木くんの音楽って、昔から好きでブログを書いていたり、歌詞を字面としても美しいものにしていったところから始まっていったじゃないですか。そこからメロディへと意識が傾いてから、音楽を作る上で何か今までとは違う感覚みたいなものは生まれました? 

「うーん……今回は結構淡白に作っていたので、感情を乗せていくことをそこまで考えていなかったんですよね。むしろ感覚的にこっちのほうがいいなって思ったメロをそのまま書いていて。単純にものづくりの感覚に似ているというか」

■逆に、今までは「作る」というより「吐き出す」という感覚だった、と。

「はい。バンドで鳴らしている時にメロを歌って、気合いが入っていったら叫んでみたりしていたので(笑)。以前はそれがいいと思ってやっていたし、今もそれはそれでいいと思うんですけど。ひとつ新しいやり方を覚えたっていう感じに近いですかね」

■ただ、実際にでき上がった楽曲群からは淡白な感じは受けないんですよ。それはきっと、それだけ自分の中の感覚や感情を音楽的に昇華することができるようになったからなんだと思うんです。今のMy Hair is Badの凄さは、音楽的な表現力とこのバンドならではの感情だったりエモさの爆発がきっちり結びついていることなんじゃないかと思うんです。

「そう言ってくれると凄く嬉しいです」

■ちなみに、ご自分のメロディの根底にある原風景ってなんなんですか?

「…………でも、やっぱりメロディック(・パンク)に影響を受けてきたんだと思います。近場で言ったら04 Limited Sazabysもメロがいいし。最近、ようやく『このメロディは気持ちいい』とか、『このメロディは気持ち悪い』とかがちょっとずつわかってきたんですよね。たとえば、あるメロディでリズムを刻んでみても、刻まないほうがいいなとか。ELLEGARDENとかからもそういうことは学んできたけど」

■繰り返しになっちゃうけど、このアルバムの素晴らしさのひとつとして、メロディメイカーとしての椎木知仁の覚醒があると思うんですよ。だからこそ、椎木くんにとってメロディっていうのはどんなものなのか?を知りたいなと思うんです。

「………メロに歌詞が乗ったらどうとか、ギターのアルペジオが乗ったら情景が浮かぶのはあるんですけど、メロだけだったらちょっと難しいな……もっと淡白なものだと考えているというか……ただの音符の集まりくらいしか考えていないというか。普通に『好きだ』って言うより、メロに乗って『好きだ』って言ったほうがグッとくるし」

■ということは、やっぱりメロディというのは自分の想いを伝えるための最高の手段みたいなものなんだ。

「ああ、そんな感じかもしれないです」

■今回は特に歌詞がわかりやすくなってると思うんですよ。それはただ単に平易という意味ではなくて、伝わりやすい言葉と情景が浮かびやすい言葉になってるって意味なんですけど。

「凄い嬉しい。生意気な話なんですけど、『語尾はこっちのほうがいい』とか、『ここの部分は何回も繰り返したほうがいい』とか、そういう今まで自分の中で培ってきた部分をちゃんと出せたと思います。たとえば、強い単語と耳に引っかからない単語の量のバランスを自分の中のルールをちゃんと守って書いたんですよ。赤裸々のままいこうとしないというか、強い単語の量とタイミングとかバランスを考えるっていうか……誰から見ても『感心しちゃうなぁ』と思われるようなものを書こうと気をつけてましたね。もちろん今までもやってきたことだったし、“戦争を知らない大人たち”もそうなんですけど――たとえば、“真赤”も最初だけしか<ブラジャー>って言わないから、全体のバランスを考えて作ってたし。だから、今回は自分が今までやってきたことの集大成になっている気がしますね」

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text by矢島大地

『MUSICA11月号 Vol.115』

Posted on 2016.10.16 by MUSICA編集部

サカナクション、シングル『多分、風。』が遂に完成。
今確かに吹き始めた彼らの新たな風を捉える

この曲を作って凄く変わったのは、音や歌でデザインしようとしてること。
今までは自分の塊がどうしたら音楽になるのかって気持ちだったけど、
音でデザインすると曲がどう聴こえるのか?を考えるようになりました

『MUSICA 11月号 Vol.115』P.66より掲載

 

■おめでとうございます。

「ありがとうございます(笑)。ようやくって感じですね。『サカナクション史上、最もポップな曲を作りたい!』みたいな気持ちがあったけど、そこにどう自分達らしさみたいなものをバランス取っていくかっていう。そのいつも通りの悩みがバンドの活動以外、NFであったり、裾野が広がっていった部分も影響してきて、より難易度が上がった制作になったかなぁと思います」

■今日は楽曲の話を丁寧に紐解いていきたいと思うんですけど。まず、自分が初めてこのタイアップの話を聞いたのは去年の灼熱の夏の釣り連載の時で。つまりは去年の夏前ぐらいからこういう話があったんだよね。

「そうですね」

■その時は具体的にはどういう曲にしようと思っていたんですか?

「結構楽観的に考えていて。カルチャー感っていうところをひとつテーマにおいて……」

■あ、そこは史上最強ポップじゃなかったんだ。

「テクノポップだったんですよ。テクノポップだけど、もうちょっと違うカルチャー感? 90年代の雰囲気をしっかり込めた日本の歌謡曲と、当時のポップミュージック……」

■当時からこの仕事をしていた感覚で言うと、それをやれていたのってピチカート・ファイヴと電気グルーヴだったと思うんですけど。

「いや、もっと古いかも。CCBとか“ハイスクールララバイ”(イモ欽トリオ)とか、中山美穂とか、荻野目洋子とか。そっちのほうの歌謡曲と……まぁ80年代だね。80年代の感じかなぁ。あとはグーニーズ(1985年のアメリカ映画)の主題歌って誰でしたっけ?」

■シンディ・ローパー。

「そうだ! シンディ・ローパーとか、あの辺の感覚を、現代の日本の歌謡曲と上手くミックスした今のサウンドを作りたいなっていう」

■今例に出てきたのって全部、底抜けに明るい曲だよね。

「“新宝島”が『バクマン。』で成功して、ミュージックビデオも含めてあの曲でサカナクションを知ったっていう人が、長いスパンであったから。“グッドバイ”であったり、“さよならはエモーション”であったり、リリースはしてたけど、内面に向かって作っていた歌が続いていた分、“新宝島”からグッと若者に知られたっていう気持ちがあったんですよね。そこの層をちゃんとリカバリーしながら、歴代のファンに対して、『外に向かってアピールしていながら楽曲の中で面白さがある』っていうバランスを取るっていうのが、今回のメインテーマで。“新宝島”までは、次のアルバムのテーマになるであろう『東京』とか『郷愁』っていうテーマの根底を作るまでの楽曲だったけど、“新宝島”以降はそれを補強していく楽曲になるし、もうちょっとそれを客観的に見てる楽曲にしていかなきゃいけないなっていう気持ちだったんですよ。特に今回のシングルは、一番客観視していないと遊びも出ないし、いい意味で浮ついた感じにならないだろうなと思って。そこをどう補強しようかなってうのが、凄く難しかったところはありましたね」

■それは過去の例で“セントレイ”でスイッチを入れた時とか、“アイデンティティ”でお祭り騒ぎだ!って、打ち上げ花火を上げた時と同じくらい、自分の中でスイッチを入れようと思って作った曲なの?

「あの時ほどエモーショナルではなかったけど。もうある種、達観しているところがあるから。変な意味ではないけど、自分達の中では、『貫禄』みたいなものがあって。それをどう表現するか?っていう部分が強かったかなって思います。今回は時間もかかったし、いろいろやって、気持ちの揺れがそのままアレンジに反映するのは当たり前で。ここまでやったらダメじゃん、なんかしっくりこないから次トライしよう、次トライしようって、5パターンぐらいのアレンジがあって。でも結果的に、一番最初のパターンに戻って、今までやってきたアレンジのものとガッチャンコしたりして、最終的に落ち着いたのがこの仕上がったアレンジだったんですけど」

■シンプルに問いますが、ここまで時間がかかったのは。終わってみると何をもってしてだったんですか?

「(草刈)愛美ちゃんが完全に子育てで抜けて、アレンジにほぼ入らず、コアな部分に入らず進めていったっていうのが、今回初めてといえば初めてだから。どうなるか?って予想はしてたけど、実際に始めてみると、新しいシステムの中でやっていくっていうのは結構大変で。メンバーも人間だから、今までと違う新しい人間関係を築きながらやっていかなきゃいけなくて。甘く見てたというわけじゃないけど、思ったより難しかったなっていうところがある。あとは、選ぶ要素が、今までと違うジャンル感覚のセレクトになっていくっていうか。今まではこうだったけど、これはやったしな、もっと新しいことやりたいな、新しいことってどういうことだろうな、みたいな。で、やってみて、新しいけどこれは伝わらないだろうな、みたいな。その繰り返しというか。その現象が起きるとは思ってなかった」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA11月号 Vol.115』

Posted on 2016.10.16 by MUSICA編集部

KANDYTOWN、アルバム『KANDYTOWN』でメジャーデビュー。
時代を担う16人からなるクルーに迫る

普通は何かイメージを共有するとか、
コンセプトを立てるとかするんでしょうけど、
そういうのはまったくなく。ただ、俺らは俺らの生活を
そのまま見せようっていうのがそもそものコンセプトだから(YOUNG JUJU)

『MUSICA 11月号 Vol.115』P.74より掲載

 

■初の全国流通盤となるアルバム『KANDYTOWN』が、いきなりメジャーレーベルからのリリースとなります。これはどういう経緯でこうなったの?

YOUNG JUJU「去年『Kruise』を出した後、11月ぐらいにレイジくん(OKAMOTO’S)から『興味持ってる人がいるんだけど、1回でいいから話してみない?』って言われて、今の担当の人と会ったんですよ。で、俺らの意見を尊重してやっていいよってことだったんで、合致して。今まで全部自分達で完結してた――曲を書くこと、ビートを作ること、ミックスすること、映像を撮ることまで全部自分達の中で完結してたから、今回も自分達でやれることは自分達でやりたくて。それでOKということだったから。でもたぶん、ワーナーから話がなくても、今ぐらいの時期にKANDYTOWNとしてアルバムを出そうとしてたとは思うんですけど」

IO「俺らはメジャーとか、どこで出すのかってことは別にそんなに重要じゃなくて。ただ自分達が出すに当たって一番ベストな環境と思ったのが今回のワーナーだったっていうだけだったと思いますね。結果的にメジャーでやってもらうことになったって感じだと思います」

■はたから見てると最高だけどね、ストリートで500枚限定で出してたヒップホップのクルーがいきなりメジャーからファーストを出すっていうのは。KANDYTOWNは幼馴染からなるクルーで、中には保育園から一緒だった奴らもいるわけですが、中でもこの3人の出会いはどんな形なの?

JUJU「俺はIOくんやYUSHI(ズットズレテルズのメンバーでもあった、ドカットの名でも知られるラッパー。2015年2月に急逝)の学校の後輩で。呂布くんはYUSHIとかIO君のクルー(BANKROLL)の人っていう認識だったんです、初めは。紹介してもらったのは15、16歳の時だったと思うんだけど、でもその前からBANKROLLを観てたし聴いてたんで存在はずっと知ってて」

呂布「俺はB.S.C.と中学が一緒で、ヒップホップが好きっていうのがわかって仲よくなって、ライヴとかよく行ってたんですけど。ヒップホップのライヴって中学生の俺らからしたらお兄さんお姉さんばっかりだったんですけど(笑)、でもその中にYUSHIがいて、なんか声かけたんですよね」

■YUSHIくんとは年が一緒なんだっけ?

呂布「一緒です。で、地元も近いんで遊ぶようになって」

JUJU「やっぱYUSHIを主体に繋がってった感じだよね。YUSHIと仲よくなって他の奴らとも出会うとか、知ってはいたけどYUSHIのところで何年か後に再会するとか。特に俺ら年下組はYUSHIが可愛がってるからみたいな感じでBANKROLLの人達から可愛がられてたんだと思うし」

呂布「ほんとそこですね。YUSHIと遊んでる中で必然的に会うようになって。やっぱYUSHIが一番最初にラップ始めたし、一番ヒップホップを知ってたし。そもそもYUSHIがいなければBANKROLLもなかっただろうし、BANKROLLがなければYaBasta(YOUNG JUJU達のクルー)もなかったかもしれないし。要はあいつがいなければKANDYTOWNはなかったかもしれないです(KANDYTOWNはBANKROLLとYaBastaが合わさる形で形成されたクルー)」

■IOくんがラップ始めたのもYUSHIくんがきっかけだったって話だもんね。

IO「そうですね、むしろ俺は無理やりやらされたんです(笑)。元々友達で、みんなで外でドロケイとかやってた遊んでたのが、中学くらいから家の中でリリック書くっていうのが一番の遊びになって」

呂布「ね、むしろそれだけでしか遊んでなかったよね。YUSHIの部屋に集まって、声も入ってないビートがずっと延々とループで流れ続けてて、みんな黙って書いてるんですよ(笑)」

IO「だからラップやらないと退屈で仕方ないんですよ。自分が楽しむためには自らプレイヤーになるしかなかったっていう(笑)。最初はそんな感じだったけど、でもその時にヒップホップが一番カッコいいなと思ったんですよね。ラッパーが一番カッコいいって気づいちゃったって感じです。で、音楽が遊びの中に入ってきて、生活の中に入ってきてから、自分の動き方だったり生活が変わった部分はいっぱいありますね」

■それこそさ、私は最初IOくんって顔立ちからハーフだと思ってたんですよ。そしたらレイジくんに「いや、あいつは黒人になりたさ過ぎて、顔がどんどん変わっていったんですよ! マジで数年前の写真見ると全然日本人の顔してますよ!」って言われてびっくりして。結構感動したんだよね。

IO「レイジ……(笑)。でも、本当にそうなんですよ。ファボラスとか(ジュエルズ・)サンタナとか凄い好きで、PVとか観てカッコいいなと思ってたら、『ハーフ?』って訊かれることが多くなりました。なんかあるじゃないですか、そういうの」

■「イメージがリアルを追いつめる」っていうIO君のパンチラインがありましたけど、まさにそういうことだよね。

「ほんと、黒人のブラックミュージックの振る舞いだったり仕草だったりが一番カッコいいって俺は思ったんで。ファッションもそうだけど、最初は見よう見まねで黒人のスタイルを吸収していって……そしたらこうなったっていう」

(続きは本誌をチェック!

text by有泉智子

『MUSICA11月号 Vol.115』

Posted on 2016.10.15 by MUSICA編集部

SEKAI NO OWARI、
新たな挑戦へと向かうシングル『Hey Ho』完成。
変わりゆく意志と変わらぬ本質を全員で語る

勝つためにっていう気持ちはめちゃくちゃ強いんで、
弱みを見せない、心を許さない部分があったけど、
今は、誰かを愛するということが自分にとっての強さに変わるんじゃないかな
ということがわかってきたんです(Fukase)

『MUSICA 11月号 Vol.115』P.38より掲載

 

(前半略)

■そういう気持ちも全部含めての“Hey Ho”というシングルだと思うんですが。これは動物殺処分ゼロプロジェクトへの支援ですが、まずそれがあっての曲なのか、この曲を出すにあたってのプロジェクトとのドッキングだったのか、どうだったんですか?

Saori「これは支援シングルにしようっていうのが最初です。動物殺処分ゼロプロジェクトに対する支援シングルを作ろうっていうのが一番最初」

Nakajin「曲もその時に決まったよね。元々あったデモ曲の中からFukaseが選んだんですよ。それが僕の作ったデモだったんですけど」

Saori「で、このNakajinが何年か前に作ってたデモをアレンジして、私とFukaseで詞をつけて、1番がSaoriちゃん、2番はFukaseみたいな感じで、分けて書こうっていうふうに」

Nakajin「で、サビは<Hey Ho>でいこうっていう」

Saori「そう、一番最初に『サビは<Hey Ho>って感じなんだよ』っていう電話がツアー中、どこだったか忘れちゃったけどかかってきて。結構酔っ払って電話してきて、メモりながらやったのが最初で。ただツアーが終わったら、直後に録らなきゃいけなかったんで、ツアー中にホテルとかで考えたりしながら書いたっていう印象。みんなそうだよね」

Nakajin「僕もホテルでずっとアレンジをゴリゴリやってました」

■このプロジェクトをやろうと思ったのは何故だったんですか?

Fukase「ミュージシャンなんで曲は出さなきゃいけないじゃないですか。 でも次、何書こうかなっていうのがわかんなくなってきちゃって」

■それはいつぐらいから?

Fukase「“SOS”出した後ぐらいから。わかんなくなったっていうか、そんなにわかろうとも思ってなかったというか、ずっとボーッとしてて。昔は、より広く届けたいっていう気持ちは凄くあって。今でももちろんそれはあるんですけど、俺達この後何しよう、どこ目指そうっていうところから、やっぱり次の曲は“RPG”の続編になっていくんだろうなっていうのはあって。それが“Hey Ho”になっていくんですけど。そこで僕らが目指してるところは動物殺処分ゼロプロジェクトに対する支援だったわけです」

Saori「なんで今、動物殺処分ゼロプロジェクトなんだ?って一番最初は思ったんですけど。私が納得したのは、SEKAI NO OWARIっていつもなんのためにこの曲を出すのか?っていう理由が必要で。どの曲にも私達の看板を背負う理由がちゃんとあって。で、その動物殺処分ゼロっていうもの以外の、支援シングルっていうもの以外のリリースがなんだかしっくりこなかったんです。“ANTI-HERO”とか“RPG”とか“Dragon Night”とか、いろんな私達の性格があって、どの曲も持っていない曲を作りたかった。 “RPG”みたいな曲だけど、“RPG”よりは人気が出なくて、何もかも“RPG”には勝てない曲は、作りたくないんですよね。でもなんとなく作っていくとそういうふうになってしまうから」

■“RPG”は“RPG”でもの凄い切実な気持ちで書いたものだものね。勝ちたい、超えたい、この曖昧な立場をどうにかしたいという気持ちが。

Fukase「そうですね、強くありましたね。その前と今とでは全然気持ちが違うんですけど、でもまた新しい挑戦というか、ここから新しく始めないと次がないというか、そういう気持ちがあって。だから続編になったんだと思うんですけど」

■今回の動物殺処分ゼロへの気持ちは紙資料を読ませてもらいましたし、全部わかってるつもりなんですけど。「The Dinner」の時に配布された、「礎の石孤児院(カンボジアの孤児を支援する団体)」を支援する対談のパンフレットも見て。これもFukaseがきっかけなんだよね。このふたつの活動への支援のもとにあるのは、孤児とペットですよね。これってご自分のなかでアイデンティファイしてるところ、つまり檻の中にいるもの、もしくは弱者、もしくは精神的なことも含めての孤独や孤児という、どこかで自分を鏡で見てることも含めての気持ちがあると思ったんですが。

Fukase「あぁ、それは生い立ち自体もあるんだなとは思いますし、なんで子供と動物かっていうのは自分ではあんまりわかんないですけど。この前も児童養護施設のことをニュースでやってて、そういうニュースはシンクロするというか……。何か自分にできることがあるんじゃないかなって思うんですよね、子供と動物のことに関しては。なんでだろう? 僕、子供もいないしペットもいないんですけど。母が保母さんなんですよ。父は別に動物が凄い好きなわけではないんですけど、無駄な殺生はしないという漠然とした世界観がある人で。だから血なんだと思うんですよね」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA11月号 Vol.115』

Posted on 2016.10.15 by MUSICA編集部

THE YELLOW MONKEY、
復活ツアーから間髪入れずに放つシングル『砂の塔』。
5つの鍵から、現在地をすべて解き明かす!

この4人でまた新しいバンドがやりたいんだ
っていう思いでメールを送ったところから始まって。
今になってみると、地続きだなと思ってるところもありつつ、
また新しいバンドが作れたんじゃないかとも思ってる(吉井)

『MUSICA 11月号 Vol.115』P.14より掲載

 

1

15年ぶりの再集結ツアーが

バンドにもたらしたものとは

一体何だったのか

 

■まずはツアーを終えての実感から伺えますか。

吉井和哉(Vo&G)「成長したよね(笑)」

廣瀬洋一(B、以下ヒーセ)「成長したね(笑)」

■それはどんなところで感じます?

吉井「まずはおまえだ!(とアニーを指す)」

ヒーセ「今から話す感じが成長したところです」

菊地英二(Dr、以下アニー)「なんだよもう、話づれえな(笑)……最初にリハーサルに入ってツアー始めるまでは全然方向性が見えないというか、とりあえずやってみようっていうところから始まったんで、どこに着地するかっていうのは当然まったく見えてなくて。で、代々木の初日、2日目やったところでようやくバンドがある種の方向性を見出して……そこでもう『解散しません』発言が出たわけですけど(笑)」

■3人も驚いた吉井さんの突然の宣言(笑)。

アニー「で、ツアー前半戦はそのままバンドがスケールアップしていったような感じだったんですよね。バンドとしてのステージの感覚も取り戻しつつ、それぞれがパフォーマンスを大きくしていって、バンドがどんどん巨大化していくみたいなことを感じてたんですけど。7月のさいたまスーパーアリーナが終わって、8月頭に横浜アリーナをやる前にもう一回リハーサル入り直したんですよ。ちょっとスペシャルなことが多かったので」

■横アリはツアーのレギュラーのセットリストとは違う、特別なメニューでしたからね。

アニー「そう、あとフェスもあったんで、改めてリハをやって。その時に『もう1回グルーヴを立て直してみようか』っていう話になって。まぁ結果、モニタリングの具合をちょっと変えるとか物理的なことが多かったんですけど、それをやったことで、またバンドの音と結束力が急激に高まって。だからさいたままでの前半戦と、そのリハーサル後の8月以降のグルーヴがまた別ものになっちゃったんですね。なんか急激にバンドが成長したというか、4人がひとつの塊になっている感がさらに強まって。半年も経たないうちにこれだけのパフォーマンスと一体感を取り戻せたのは、このバンドのひとりひとりが持ってるパフォーマンスとポテンシャルが凄いんだなっていうのを再確認しました」

吉井「よっ!(拍手)」

菊地英昭(G、以下エマ)「(笑)」

ヒーセ「以上!」

アニー「以上じゃないよ、もう!(笑)」

■ツアー前半戦が終わってリハに入るっていう時に、もう1回グルーヴを見直してみようってなったのはどうしてなんですか?

アニー「僕、前回のインタヴューの時、もうちょっと2日目の感覚に戻ってもいいんじゃないかってポロッと言ったと思うんですけど――」

■はい。8本目の宮城公演の翌日にインタヴューした時、「今は子供に戻ったみたいにガーッと突っ走ってるけど、もうちょっと落ち着いてじっくりやる感じに立ち戻ってもいいんじゃないか」とおっしゃってましたよね。

アニー「そうそう。それを他のメンバーも感じてたみたいで。このまま肥大化していくのもいいんですけど、もうちょっと最初に目指してたものを1回取り戻してみないかっていうことをやってみたんですよ。そしたらそれでキュッと4人が固まったんで、あっという間に結果が出て」

■エマさんはどうでした?

エマ「実際にツアーをやってみて、ツアーやる前に思い描いてたイエローモンキーのツアーとはいい意味で違ったというか。始まる前は、『今までのイエローモンキーが一歩前進した姿』とはまた違うものを想像してたんですよ。前とは明らかに違う、もっと大人のグルーヴ持った新しいイエローモンキーはこんなんだぜっていうのを見せつけるツアーになるんじゃないかと思ってて」

■それはもう少し具体的に言うと?

エマ「人を小バカにするって言ったら変ですけど、奇を衒うところもイエローモンキーにはあるじゃないですか。だから、往年のイエローモンキーカラーみたいなものとは違う部分をわざと見せて、いい意味でお茶を濁す的なことをやりつつ、そこに大人っぽさを足したような、そういうことをやっちゃうかもしれないなと思ってたんだけど……でも、それは思い過ごしだった(笑)」

吉井「うん、わかる(笑)」

エマ「実際はもっと素直だったなと思いますね。もちろん自然と昔とは違うものになった部分はあるんだけど。ただ、無理やりそこに持っていくってことはなくて。今のウチらがツアーをやってく中で、自然と紆余曲折あって最終的にそうなったんだなっていう気がしてます」

■ツアー中の紆余曲折は、ご自分的にはかなりあった感じなんですか?

エマ「自分もありましたし、メンバーそれぞれあったと思います。やっぱり休止してる間の活動によって、楽器をやる人間としては音が変わったはずだから。4人でまた一緒にイエローモンキーをやる時に、その変化がいいのか悪いのかはもちろんあったし、だからといって昔のイエローモンキーに寄り添うのはどうだろうなとも思ったし。だからバンド自体のグルーヴとか、それをどういうところに持っていったらいいのかはライヴの度に考えましたね。でも結局、考えれば考えるほど思い過ごしみたいな。自分が錯覚に陥ってたところがあったりして」

吉井「エマの話を聞いてて思ったけど、やっぱり究極の自虐バンドだよね。だって解散だって自虐じゃないかと思うもんね、もはや」

■(笑)。

吉井「もちろん解散は絶対だったんだよ。解散しなきゃよかったとか、解散したからこうだとか言うけどさ、でも絶対に解散が必要だったの。っていうぐらい今、上手くいってる(笑)。自分達がどうこう言う以前に運命がそうなってるんだって思うくらい、必然というか、完璧に繋がってて」

アニー「他の選択肢なかったと思うよ」

吉井「ないんだよ。当時『解散という名の活動で』って冗談っぽく言ってたけど、ほんとにそうだった。もう自虐中の自虐……死んだフリだったみたいな。だからお富さんだよ。もうお富さんって呼んでくれ!」

アニー「お富さんは死んでるはずだよ(笑)」

エマ「まぁでも、かさぶたが自然にはがれた感じはあるよね、凄く」

アニー「でも芯は圧倒的に今のほうが強いと思います。枝葉でなんとかしようっていうんじゃなくて、真ん中からドーンと来てる感触はあるんで」

ヒーセ「運命って話でひとつ思うのは、ツアーをジャスト4ヵ月やってたんですけど、飛び飛びの日程だったのでその間にもリハーサルだったりフェスだったり各地キャンペーンだったり、そして『砂の塔』のレコーディングだったりと、いろいろ入ってくるんですよ。そういうのが全部連動して動いてた、ひとつのパッケージだったような気がする。たとえば世の中的にフェスがこういう状況になってから俺達は出たことがなかった――俺達が出てた頃、はまだフェスのニッポンにおけるフェスは黎明期だったわけで。そういう意味でも、あとファン以外の人の目に曝されるという意味でも、今年のフェス出演はこのバンドとして初めて『今』と対峙する場面だったと思うんですけど、そこで対峙できるだけの力をツアー前半で培ったんですよね」

吉井「ほんとそうだよね。もちろんそこを目がけてメンバーも準備してたけど、さっきアニーが言ったグルーヴの修正が間に入ったことも大きいし。あれでギリギリ間に合ったのかもしれないよね」

ヒーセ「うん。シングルの音もそうだけど、この期間のひとつひとつの出来事が全部上手く次の行動に作用してる、バンドを成長させてるなって。再集結っていろんな形での始め方があると思うんですけど、俺達の場合はライヴをやるっていうことで始まりを過ごせたことがすべて実になってるという。そういう意味でも非常にイエローモンキーらしい行動だったなと思いますけど」

(続きは本誌をチェック!

text by有泉智子

『MUSICA11月号 Vol.115』