Posted on 2014.04.17 by MUSICA編集部

ACIDMAN、久しぶりのシングルと共に
再出発への想いと覚悟を語る

今我々は空を見て、宇宙を目指して、
これからきっともっと上を目指すんですよね。
これって昔から受け継いだ、どこかにインプットされた記憶だと思うんです。
それを俺は命と呼ぼうと思って

 

MUSICA 5月号 Vol.85P.120より掲載

 

■(唐突に)大木って、STAP細胞の一連のニュースとか見てて、「あ、こういうことね」みたいに体系立てれる知識を持ってるんだ?

「STAP細胞は、結局まだわからないですけどね。でも、iPS細胞とかは何年も前から言われてたものですよ。熟知はしてないですけど、一般の方よりは知ってますね」

■あのニュース見る度に、大木のことを思い出すんだよね。

「あはははははははは! だからもう、俺は音楽じゃなくても全然いいんですよね、きっと(笑)。たまたま音楽が好きで、バンドが好きでやってて、『さあ、何を書くか』って言った時に、一番好きなものを書かざるを得なかったというだけだと思うんですけどね。で、いまだにやっぱりそれが大好きで」

■では始めましょう。凄くご無沙汰なんですが。お休みしていたんですか?

「いや(笑)、普通にいつも通り、いつも以上にペースを上げて制作してましたね。(事務所が)独立したっていうのもあって、時間は前作から空いてるんですけど、ほとんど休みなく作ってました」

■シングルのリリースとして考えていくと、1年半弱ぶり、アルバムの『新世界』から1年2ヶ月ぶり。これはやはり独立して、自分達の体制を1から作り直したことが大きかったの?

「いや、それはそこまで関係してないですね。曲を作り、ツアーもやり、そしてまた曲を作っての時間の流れで、今のタイミングになったと思うんですよね」

■毎回アルバム後のシングルっていうのは、次のアルバムを見据えて作ってるよね。

「そうです、そうです。基本的に1個のアルバムのレコーディングが終わったすぐ何日か後に、必ずスタジオに籠るんですよ」

■休みたいじゃん。

「もう、1日休むだけで嫌になるんですよね」

■牛角とか行きたいじゃん。

「休みの日に牛角っすか!? 牛角は普段も行けるじゃない(笑)」

■いや、創作とかしてるとさ、ゆっくり焼肉も焼けないでしょ。

「いや(笑)、でもそれが日常なので、全然大丈夫です。それでしばらく曲作りに入って、ある程度の曲数が見えて、2~30曲見えたぐらいでふたり(さとま&いちご)に聴かせるっていう」

■アルバムを作った直後に、間髪入れずに2~30曲作って、独特のラヴレターを渡されるメンバーの気持ちはどうなんだろうね。

「はははは、複雑かもしれないですね。でも作りたいものができてしまって、アルバムが出るまで待てない、もっと早くやりたいって思って。……足りないんですよね、1枚だけだと。足りないから、もっと違うことをやりたいなと思って。世に出ることが巣立ちじゃなくて、俺の中ではレコーディングが終わった時に巣立ちなんですよね。だから、でき上がったアルバムに対しては『もう自由にやってくれ』と。『もうハタチを超えたんだから』っていう感覚になって」

■では、時節を追っていろいろ訊いていこうと思うんですが。まず、『新世界』がリリースされました。そこからアルバムが出るまで何ヵ月間かあったと思うんですけど、その間に事務所を移籍独立して、自分らでやってくというスタンスを取ったんですが。そこに至る経緯を教えてください。

「ずっと長いこと、デビューちょっと前からお世話になってた会社があるんですけど、自分達のこれからのミュージシャンとしての生き様って、事務所に守られてどうのこうのっていうんじゃなくて、ちゃんとお金のことも含めて、責任あることをやっていかなきゃいけないなって、ずっと前から思ってたことで。それがやっとこのタイミングって感じでしたね。3人の息も揃っているので、ちょうど今の時期が一番いいんじゃないかっていう――アルバムのタイトルも『新世界』だったしね」

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text by 鹿野

MUSICA5月号 Vol.85

 

Posted on 2014.04.17 by MUSICA編集部

ART-SCHOOLアルバム『YOU』発売企画:
ありそうでなかった初の親密対談
木下理樹(ART-SCHOOL)×佐藤(きのこ帝国)

 

木下「正直言って、『ロンググッドバイ』を初めて聴いた時は、
凄く落ち込んだ。このバンドには勝てないって。
だからもう、ただのファンですね」

佐藤「木下さんのように、ミュージシャンとして真っ当な姿勢を貫いたまま、
ずっと一線で活躍しているっていうのは、
バンドにとってひとつの理想像ですね」

MUSICA 5月号 Vol.85P.114より掲載

 

■理樹くんと佐藤さんは、もちろん対バンなどでは面識があるわけですが、意外にも、こうして対談をするのは初めてなんですよね?

木下理樹「うん、初めて」

佐藤「そもそも、ふたりだけで話したことはないですよね」

木下「うん。大体、3人とか4人とか」

■その時はどんな話をしたんですか?

木下「割と真面目に音楽の話ばかりしていた記憶がある」

佐藤「ホントですか?(笑) 木下さんは、いつも疲れているイメージがあって。ご飯、食べてんのかな?みたいな(笑)」

■また痩せたよね。

木下「ヤバいね(笑)。もう、単純にストレスで痩せていってるだけですよ」

■今はART-SCHOOLのニューアルバム『YOU』を完成させたばかりだけど、曲作りはまったく楽しいものじゃない?

木下「地獄の中にいるような感じでしたね」

■作品を完成させた直後は毎回言ってますよね?

木下「ちょっとね、今回は期するものがあったので、これまでとは違うレベルでキツかった。以前はプリプロで消耗してたりしてけど、この作品は曲作りの段階からかなり根を詰めてたから。ちょうど曲を作ってた去年の9月頃は、毎日バンドを辞めたいと思ってましたね」

■佐藤さんは、曲作りでそこまで根詰める時はありますか?

佐藤「私の場合、結構ギリギリまで『できないなできないな』ってうんうん唸って、ギリギリになってわーって作ったりすることが多いですね。作り始めたら意外に早いけど、そこまでが大変というタイプです」

■じゃあ、ソングライティングをしていて、ここまで不健康な状態にはならない?

木下「『ここまで』って、失礼な(笑)」

佐藤「自分はどちらかと言うと逆で、曲作りをしないでダラダラしてる時のほうが錆ついてる感じで、ちゃんと曲を作り始めることで、ようやく身体に油が差されるみたいな。作ってない時のほうが、ご飯食べなかったり、寝なかったりして、ボロボロになってたりする」

■佐藤さんは、『YOU』を聴いてどのようなことを思いましたか?

佐藤「とにかく凄くよくって、嬉しかったんですよ。友達でも先輩でも後輩でもそうですけど、音源を貰うことって多いんですよ。でも、知り合いだけに、聴く前は内心結構心配というか、自分的にピンとこなかったらどんな感想言おうって悩むんですけど」

■よくわかります(笑)。

佐藤「だから、貰ってもなかなか聴かない音源とかもあったりするんですけど(笑)。でも、今回の作品を聴いてみたら、『全然心配いらなかったじゃん!』と思って。『むちゃくちゃいいな!』って。まず、音の立ち方がいいっていうのは大前提で、歌のエディットっていうんですかね? 録音されている歌の質感が凄くよくて。今までの作品もそうだったけど、これは最高級にいい歌の録れ方なんじゃないかなって個人的に思って。歌がいいと、聴く側は難しいことを考える必要がなくなるんですよね。普段ロックを聴かないような人も、聴いたら一発でいいなっていうのが直接伝わってくる、そういう作品だと思います」

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text by 宇野維正

MUSICA5月号 Vol.85

 

Posted on 2014.04.17 by MUSICA編集部

神聖かまってちゃん、ここが正念場
――の子、その胸中を赤裸々に語る

闇に触れないと闇は表現できない。
でも、闇に食われたら絶対ダメで。
食われずに闇を使うのがアーティストだと思う。
でも僕は今……ちょっと食われてます

 

MUSICA 5月号 Vol.85P.108より掲載

 

■今日は本当にびっくりしたし、心配しました。傷は大丈夫?

「大丈夫です。まあいろんなことがありますよね、なかなか……」

■昨日のライヴは久しぶりに崩れてしまったけど、最近は落ち着いてるように見えてたんだけど。前のツアーも順調だったし。

「でもそういうのって結局、基本的に表向きです。やっぱ裏側では相変わらず悩んだりはいっぱいしてるし、葛藤がいっぱいあって。そこはたぶん……去年ちょっとチームの編成が変わって、それがきっかけでバンドに一体感みたいなのが生まれてしまったんですね。僕は元々は他の3人とは別々みたいなところがあったんですけど、やっとバンドで一身になれたみたいな、そういう感じがあって。メンバーは今が一番いいみたいに言ってるんですけど……でも僕としては葛藤みたいなものは凄くあって。僕、合わせようとしたんです」

■それはみんなにってこと?

「はい、それも大切なことなんで、バンドやっていく上では。今年は特に、新しいチームになって一丸となってやっていこうっていう時期なんで、僕も協力しますよみたいな感じになったんです」

■2014年のマニフェストも出したしね。

「そうですね。でも、やっぱ違うっていうことがちょっとずつ出てきて……まぁでも、いつだってそうですけどね。それを内に潜めるか表に出すかだけの話で、アップダウンは常にあるんです」

■昨日のライヴは久しぶりにステージ上でmono(Key)くんと取っ組み合いまで行ってしまったわけですけど。メンバー同士の問題というより、お客さんとの子くんのコミュニケーションも途中からちょっと変になってしまって、それも重なった上でメンバーとぶつかってしまったわけだけど、あれは何故だったんだと思いますか。

「あれは単純に僕が最近ちょっと精神が不安定気味で、それが重なっちゃったという珍しいライヴです。過去にも何回もありましたけど、最近は少なくなってたんで………でもきっと、ああいうことはこれからもあると思います」

■昨日のライヴと、今日のリスカは関係あるの?

「今日こうなったのは、それとはまた別で。ただただ全部が嫌んなったっていう(笑)。消えてしまいたくなったというか。でも、自分はタダで死ねるような人間じゃないんで、とりあえず酒を飲んで。普段は全然ビール飲まないですけど、ビール7缶ぐらいガブ飲みして、それと同時に精神薬も飲んでたんで――」

■その取り合わせは本当によくないよ。それやっちゃダメですよ。

「そうなんです。で、その結果、リストカットをザクザクザクザクやってしまったっていう………それをすることによって晴れる気持ちもあるんですけど。なんかちょっと…………………でも、バンド以外にも要因はあるんです。それは自分でもわかってて。これはもう積もり積もったものというか………でもバンドに対しては凄く嫌だなっていうか、未だに辞めたいなと思ったりはしますね」

■ちょっと順を追いますよ。チームが変わる前、去年の春くらいにの子くんの中で、このメンバーではバンドが上手くいかないかもって気持ちになったことがありましたよね。

「はい、ありましたね」

■でも、そこから体制が変わってメンバーも結束して、さっき話してくれた通り自分自身もバンドにもっとジョインしようと思った。

「はい、結束した時に、もっと頻繁にミーティングをしていこうと思って、実際していったんです」

 ■当時は、自分的にはどういう気持ちだったの?

「やはりファンと向き合おうという。メジャーのほうが忙しくなると、ニコ生を筆頭にファンと向き合うことがどんどん疎かになってくるんで、そこをちゃんとしようっていうミーティングを何度も何度も何度も、50回はリアルにやったんですけど。でも、僕が何度そう言っても結局元に戻るということにうんざりして、もう言わなくなったんですね。それこそ今年の初めぐらいですよ、もう言っても無駄だから言うのやめよう、みたいな感じになって。でも解散するのも面倒くせえからな、みたいな」

 

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text by 有泉智子

MUSICA5月号 Vol.85

 

Posted on 2014.04.16 by MUSICA編集部

米津玄師、
「許し」と「肯定」の先に辿り着いた境地とは

自分が子供の頃って、漠然と
「許されてないんじゃないか」って思うことがあった。
でも、子供達っていうのは許されなきゃいけないと思うんですよ。
ちゃんと肯定してくれる他人がいないと、
カラカラなまま生きていかざるを得なくなる

『MUSICA 5月号 Vol.85』P.100より掲載

 

■『YANKEE』は『diorama』と比べると、どこか清々しさを感じるアルバムだと感じて。歌ってる内容が晴れやかだということではなく、音楽を作る覚悟がスッとしていたり、全体に人と向かい合う風通しのよさがあるアルバムだと思う。ご自分ではどうですか?

「清々しさ……確かに『diorama』の頃の暗さというか、そういうのが薄くなったのかなという気は自分でもしてますね」

■悲しさは今も色濃くありますけどね。ただ、鬱屈としてない。

「そうですね。やっぱり前を向いて生きなきゃいけないっていうか………『diorama』の頃は鬱屈としたエネルギーがほぼ全部を占めるようなところがあったんですけど(笑)、それも健康的じゃないというか、生産的じゃないなと思うようになってきたので。もっとプラスの方向に向かって行かなきゃ、もうやることなんてないんじゃないかなと思いまして。それでこういうアルバムを作りました」

■今回、バンドメンバーは『MAD HEAD LOVE』の頃と同じ?

「そうです」

■ということは、同じメンバーと1年近く一緒にやってるってことになるんでしょうか。

「はい。去年の夏からだから、そろそろ1年って感じですかね」

■曲作りの仕方は、その中で変わったところもあるんですか?

「『diorama』を作ってた頃は、人と一緒にものを作ることができない、人からやってくる感性っていうのを自分の中に受け止めることができなかったんですけど、最近はデモをまず作って――デモの段階である程度作っていくんですけど、それを相手に投げて、返ってくるものをあんまり拒まなくなりました。それはそうしようと心がけてるところもあるし、それが嬉しいというか、面白いと思えるようになったところもあって。心境の変化は確かにあります」

■『サンタマリア』の頃、『MAD HEAD LOVE』が出るよりも前は、やっぱり他の人と一緒にやるのは難しいと言ってたし、実際よく録り直したりもしてたと思うんですけど。

「今のメンバーで固まるまでは録り直すことが多かったですね。録り直したドラムとベースを弾いてた人が技術的に未熟だとか完成度が低かったとか、そういうわけではないんです。本当に、自分が許すかどうかだったんですよ。それが許せるようになったのは、自分自身の変化によるところだと思うんですけど」

■今回のアルバムって、「あなた」への想いが凄く強いと思うんですよ。昔から米津くんは、自己を決定するのは他者である――つまり自分というものは他者の認識によって成り立つものだという話をしていましたけど、その他者を受け入れられるようになったというか、他者に向けて自分の表現をしていくんだというふうに根本的な部分が開けたんじゃないかと、この作品を聴いてると強く感じるんです。『diorama』は本当にひとりの脳内が全部詰まっている、ある種、密室性の高い作品だったと思うんですけど、今回は他者の中で生きている自分としての表現だと思うし、そういうメッセージが多い。

「そうですね。やっぱり聴いてくれる人と距離の近いものを作りたいと思ったんですね。『diorama』の頃は、自分が思う美しいこととか、自分が思う楽しいこと、悲しいことだけを抽出して形にするっていう音楽の作り方をしてたんですけど、それが『diorama』を作り終わって『サンタマリア』を出してから今に至るまで、どんどんわかりやすいというか、相手の懐にちゃんと入り込めるような音楽を作っていこうと思うようになって」

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text by 有泉智子

MUSICA5月号 Vol.85

 

Posted on 2014.04.16 by MUSICA編集部

特別企画:UVERworldの5曲――
その歌詞からTAKUYA∞の「これまで」と「今」に迫る

ひと言ですべてをわからす文章が好きで、
中学校の頃からポエムを書いてました。
放課後に友だちに誘われても「今日、ポエム書く日やから」って言って、
部屋でポエムを書いてたんです

 

MUSICA 5月号 Vol.85P.78より掲載

 

■今回の企画は、TAKUYA∞くんの歌詞の世界、そして音楽の中に潜むインナーワールドを探ってみようと思います。(中略)最初の曲は“トキノナミダ”。これは2006年のファーストアルバムの『Timeless』に入ってる曲なんですが。この頃で思い出すことはありますか?

「2006年は自分の人生が一番変わっていった時期なんで、様々なことを覚えてますよ。メンバーと一緒に共同生活をし始めたこととか、上京してきた時のこととか」

■この曲にも、ホームという場所から旅立っていくということ、そしてそこで新しいことを得るということ、でも同時に失うこともあるということ――いろんな複雑な気持ちが綴られていると思うんですよね。

「あぁ……曲作り的には結構悩んでた時期かもしれないですね。まだ歌詞を書くのがそんなに楽しいと思ってない時期です。曲を作るのは楽しいんですけど――」

■コードとかアレンジとか?

「うん。でも、歌詞に関しては上手く書ける時と書けない時があって。『なんで今回は上手く書けたんやろ?』みたいな曲があったり、次は思うように書けてなくて『はっきり言って、何言ってるかわからへん』みたいな曲があったり。でも、理由とかも全然考えずに、『とりあえず次行こ!』みたいな感じもあって(笑)」

■(笑)そもそも自分の中で歌詞が上手く書けたって思う基準はなんなの?

「自分で書いてる最中に泣ける曲とかもあるし、その辺の感情の沸点っていうんですかね。やっぱり、どれだけ自分自身にくるか?っていうのが、いいか悪いかの基準になりますけど」

■逆に言うと、歌詞を書くっていうことは、自分自身の中でモヤモヤしてることへの答えになったり、何かの効果を生んだりしてくれるようなものなんですか?

「そうですね。文字に書いていって、初めてその言葉を自分で理解していくような気がするんですよ。頷きながら書いていってる感じがして。頭の中に描いていたものとかぼんやりあったものを書き上げて、納得して、詞の内容を実際に理解する、みたいな。だから、書いてみて自分で理解できないものは排除していくし。歌詞を書いていると、『あぁ、そういうことか』と自分で納得していく。……変な感じになっていきますね」

■そういう意味でいくと、この曲はどういう気持ちで書けたなって思います?

「うーん……歌詞を書くのに、『時間をかけて凄くいいものができた』『時間をかけたのによくないものができてしまった』『時間をかけずに凄くいいものができた』『時間をかけずに下らないものを作る』っていう4パターンぐらいあるとすれば、これは時間をかけずにいいものがスッと出たなっていう印象がありました。書き出して一気に書き上げて……1枚目のアルバムを作った時に、歌詞の満足度が凄く高い曲でしたね」

■それはどこら辺だったんだろうね。

「サビの頭の<どうして?>っていうのが、いろんなとこにパコーンとハマってきて。メロディが持ってくる世界観との整合性がすげぇ高くて、自分で上手いなって思ったんですよね。スッと簡単に出てくるのも悪くないな、と」

■<どうして?>もそうだけど、自分に言い聞かせてる歌なのに、聴いてる人が自分の歌のようにも思える、そういうレトリックですよね。この曲は、東京という新天地に行く、そういう気持ちが裏にあるテーマなんですか?

「東京に出てきて変わっていった、いろんなものに対して歌った感じがします。具体的な話をしていくと、一番最後の1行――<忘れない 笑顔の中にある涙を>っていうのは、克哉(G)に考えさせたんですよ。この曲、曲自体は克哉が持ってきた曲で。で、そこまで書き終わった後に『最後の1行、お前何言うて欲しい?』って訊いたら、あいつがこれを書いてきたんですけど。上京するっていうだけで、いろんな人との出会いとか別れがあるじゃないですか。そういうものが一番俺らの中に大きく響いてた時期なんかな、と思います」

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text by 鹿野 淳

MUSICA5月号 Vol.85

 

Posted on 2014.04.16 by MUSICA編集部

BIGMAMA、
「ロック×クラシック」第2弾に刻んだ新たな成長

“Sweet Dreams”が生まれたことで、次のアルバムが
バンドの最大到達点になるイメージができて。
そこに、『Roclassick2』の曲が入ることが、
今の自分達に絶対必要なことなんです

 

MUSICA 5月号 Vol.85P.70より掲載

 

■有言実行のBIGMAMAということで、『Roclassick2』(以下『~2』)があっという間に完成しました。おめでとうございます。

「ありがとうございます」

■そもそもなんで再びやろうと思ったんですか? 『Roclassick』でリストアップして、まだやれてない曲や、やりたかった曲があったからなの?

「それもあったし、どんな時でもライヴの切り札になる曲が『Roclassick』にはあって。自分達の音楽を紹介する時間を貰えた時には必ず『Roclassick』の曲をセットリストに入れてたし、自分達が知られてないフェスのようなまっさらな場所でも、『Roclassick』の曲をやると『えぇ!?』ってなるんです。そこで人の気持ちや目線、耳を奪う瞬間っていうのを生み出す効果があるって知って……クラシックとロックを合わせる俺らをちょっとでも観てくれたりすれば、そこからは説き伏せる自信が絶対にあるし、そのきっかけがもう一度欲しかった。で、その曲を、前よりヴァージョンアップさせることが今ならできると思ったんです。……それプラス、『Roclassick』を作っていた時から、『~2』までを想像してました。1作目を作り終った以降、最初に作った曲が“秘密”という曲で」

■ポップでロックで速くてエモい曲だよね。

「そう、いい意味での『Roclassick』からの反動も生まれたんです。だから続編を作る理由っていうのは、バンドとしていっぱいあって」

■今の話は、“秘密”でもう1回バンドとしても音楽的にも弾けられたっていう話ですよね。

「そう。で、それをどのタイミングでもう1回やろうかって考えた時に……『君想う、故に我あり』は自分達が思っていたよりも、ライヴハウスというよりは、家のスピーカーやイヤフォンのほうに向いて振り切っている作品だと、今となっては思うんですね。でも今はもうちょっとロックとクラシックでライヴハウスを盛り上げるっていうことをやりたくて。それが去年の秋冬くらいからちゃんとランニングしていって、今に至るっていう感じですね」

■前の『Roclassick』って、ちょうどバンドが変わりたかった頃――メロディックパンクバンドっていうところから、新しいカテゴリーを手に入れたかった時期だと思うんです。ということは、今回の『~2』のタイミングも、バンドとしての変化やスキルに具体的なものを求めたくてやった部分もあるのかなって思ったんだよね。

「単純に曲をどんどん作っていく時に、ちょっとずつ自分の中の勝利の方程式みたいなものができてしまっていることを感じていて。で、単純に他人の楽曲に触れて、どういう仕組みかを分解して理解してみると、自分の引き出しにないものがいっぱい散らばってるんです。だからここには作曲家としてのヴァージョンアップの役割もあって。あとは、前の3枚のオリジナルアルバムに比べて、最近の3枚は期間も長かったから、このタイミングでまた音楽的な息抜きがしたくなったのかな」

■それはなんとなくご褒美感覚に近いものなの?

「まあね。ネガティヴな言い方をすれば責任もそんなになくて、より実験的に音楽を楽しむところがあって。あとは、これを作るっていう行為は、ロックとクラシックでライヴハウスを盛り上げるっていう外向きなこと以上に、実は内向きなところが凄くあるんですね。ヴァイオリンがいる自分達にしかできない音楽をメンバーで確かめ合う中で、大切なことを教えてくれるアルバム。『~2』をやってくうちに自分達が自然と習得していたものもあったし……」

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text by 鹿野 淳

MUSICA5月号 Vol.85

 

Posted on 2014.04.15 by MUSICA編集部

爆弾ジョニー、
新世代ロックのヒーロー、現る!!

運とかもあるけどさ。
自分はこうやる!っていかに強がれるかっていうか、頑固になれるか。
それで決まってくるじゃん、生き方とかさ。
そういうことを誰かが言わないといけないから
ロックバンドが言えばいいなって

 

MUSICA 5月号 Vol.85P.32より掲載

 

■メジャーデビュー目前だし、この半年で状況もかなり変わって周りがザワザワしてきてると思うんだけど、どんな感じですか?

「楽しみ。早くリリースされたいってことしか考えてない(笑)」

■2月に札幌から東京に出てきたんだよね。何か変わりました?

「変わったことしかないですね。逆に札幌と同じ部分が全然ない」

■それは、どういう感じに変わったの?

「んーとね、給料が出る!」

■はははは、そりゃデカいね。

「デカいよ! みんな自分のバンドで稼いだお金だけで生活してるから。ひとり暮らしで、親がいないところで生活して……生活リズムも、メジャーデビューでバンドの仕事が増えてるから、バンドバンドしてる。あと、みんなバラバラの街に住んでるから受ける刺激とかはそれぞれ違ってて、それもいいなって思う。札幌だとみんな近いところに住んでたからさ、受ける刺激とか限られちゃうけど」

■同じものを見て、同じ刺激を受けてた感じだよね。

「うん。だからこっからメンバーみんながどういうふうになっていくのかなっていう楽しみはあるね、これから変化を楽しみたい」

■なるほど。自分的に新しい刺激はどういうところに感じます?

「食いもんが不味い」

■ま、札幌と比べたらそうだよね(笑)。

「あと北海道は無菌状態だから。東京に来ると臭いとこ多いし、やっぱり人が多いよね。いい刺激は……近くに会社があるのはいいな、レコード会社も事務所も。札幌にいた時はやり取りもメールか、東京に来た時とかしかできないけど。たぶんみんな、遂にちゃんとミュージシャンになったんだなっていう感じがしてると思う」

■それはワクワクすること? それともちょっと怖さもある?

「怖いことは考えないようにしてる(笑)。だからワクワクすることしか考えてないです」

■前回のインタヴュー(本誌2月号掲載)は5人でやったので、今回はりょーめーくんにフォーカスしたいなと思っていて。まず、りょーめーくんが一番最初に歌を歌いたいって思ったのはいつでしたか?

「歌を歌いたいって思ったことは、実はあんまりないんだけど。最初はギタリストになりたかったから。でも、周りにこの人に歌わせたらいいなって人が特にいなくて。爆弾ジョニー組んだ時、しょうがないから俺はもうヴォーカルに徹して、ギターは諦めようって思ったの。だから歌いたいって思ってヴォーカルになったわけじゃないんだよね。今はそれこそヴォーカルだっていうちゃんとした自覚があるけど、それもいつ具体的に芽生えたとかはないんですよ。ほんと、ロックバンドをやりたいって気持ちで始めたから、正直なんでもよかったのかもしれない。ただメンバーがいて、そのメンバーが1個のものをガーンと作ってやるっていうことをやりたいっていう気持ちが先行してたから。それは今もそうだし。だから、歌いたいより、俺が歌わなきゃっていうほうが最初は大きかった」

■ロックバンドをやりたいって思ったのはいつだったの?

「それは小学校3年生の時にハイロウズを聴いて、これやりたいって思った時。俺、小学生の時はカードゲームのカードを集めたり、フィギュアを集めたり、自分の中でカッコいいと思うものをとにかく集めてて。そのカッコいいものの中のひとつとして、ロックバンドというものを知ったの。それまでは人間じゃないもの――たとえばドラゴンとか、そういうのが好きで。でもロックバンドってものを知って、人間がやってるものでもそれと同じぐらいカッコいいものがあるんだっていうのを見つけて。ロックバンドが人間の中でたぶん一番カッコいいなと思ったので、だったら俺はロックバンドをやりたいと思ったのが最初ですね」

■どんなところがカッコよかったんですか?

「ヒーローみたいな感じ。男の子はみんな好きじゃん、戦隊モノとか『仮面ライダー』とかさ。ロックバンドも俺にとってそういうもののひとつなんだけど………でも大きく違うのは、戦隊モノっていうのは正義の味方っていう肩書があってさ、ヒーローにはものごとの半分の『いいほうの面』しかなくて、残りの半分は悪役っていうものが担ってるでしょ。でも、ロックバンドってそのふたつが1個になってる。明るいとか暗いとか、プラスとマイナスとか、正義と悪とか、そういうのがハイロウズには両方感じられて、超カッコいいと思って――」

(続きは本誌をチェック!

 

text by 有泉智子

MUSICA5月号 Vol.85

 

Posted on 2014.04.15 by MUSICA編集部

Gotch、待望の初ソロアルバムで
描き出した音楽の自由と真実

いろんなことに臆病になるのをやめたいなって思った。
「音楽的にこれはどうなのか」っていう問いは置いといて、
もっと自由にやろうよ、元々音楽に正解なんてないんだよって

 

MUSICA 5月号 Vol.85P.60より掲載

 

■『マジックディスク』の頃にソロアルバムを作りたいっておっしゃってた時から本当に待ち望んでたんですけど、遂に完成して。これ、聴いていてもの凄く楽しい、ワクワクするアルバムですね。

「ありがとうございます。よかった、よかった。その楽しいっていう感想は凄く嬉しいです」

■最初に聴いた時、初期のBeckみたいなアルバムだなって思って。Beckがフォーク、ロック、ヒップホップ、ブルースを自由に融合させて彼だけのオルタナティヴを作っていったのと同じ感性とアプローチを感じたんですよね。ご自分ではどうですか?

「今回は特に昇華してないっていうか。意味とか意義とかは置いておいて、日常のルーティーンの中で作りたい、リラックスして作りたいっていうのがひとつの目標としてあったんで。『もういいじゃん、意味とか』みたいな」

■はははははは。

「もちろん考えてないわけじゃないけど、『そういうのはいいじゃん、ちょっと置いておこうよ』っていうようなアティテュードで作ったところもあって」

■聴いていて凄くワクワクするんですよ。それは曲がいいとかもあるけど、何よりも作り手自身が音楽を生み出していく時のワクワクしたフィーリング、閃きや偶発性の中に見た興奮やキラキラ感みたいなものがそのまんま詰まっていて。それが凄くいいんですよ。

「そうですね。作り方として、ラフなスケッチからそのまま完成まで持ってっちゃうっていうやり方をしてるから、最初の思いつきみたいなのが保存されてるっていうのがあると思いますよね。バンドだと、1回キャンパスを変えるから、そこの善し悪しっていうのがあると思って。もちろんそうやって作ったほうがいい音楽もあるけど、今回は、思いついた簡単なフレーズを1回録ったら、そのままそれをベースに重ねていくやり方がいいなって思って」

■「ソロアルバム作りたい」っていうのは『マジックディスク』の頃からあったと思うんですけど、今話したスタンス含め、このアルバムに向かう具体的な作業が始まったのはいつだったんですか?

「でも『マジックディスク』ぐらいから、デモの制作っていうのはやってて。当時からどうしてもアジカンにはあぶれるような作風も出てきちゃってたから。それをどうにかこうにか収めたのが、『マジックディスク』だったような気もするし」

■はい、そうですね。

「だからその時に、すでにある種のアイディアはあったんだと思いますし。で、『ランドマーク』を作りながら――『ランドマーク』はセッションでやっていったんだけど、その中で『これはアジカン向きではないな』ってこぼれたアイディアもあったし。あと、ほんとにパーソナルなフィーリングで作ったものって、バンドに持っていくと噛み合わせが悪いんだなって思ったんだよね。俺は、アジカンに参加する時はアジカンのチャンネルを開いて、それ用に曲作ってるんだなっていうのがわかったというか。だったら、そういうものをバンドに持ち込んで無理なストラグルを抱え込むよりは、自分の作業場でふらっとできたものをふらっと仕上げていったほうがヘルシーなんじゃないかなと思って。実際、そういうやり方にして凄くよかった。風通しがよくなったというか。自分の中に凄くやりたいことがあっても、バンドに持っていった場合はまずどうやってメンバーをこっちに向かせるのか?に労力を使わないといけないから」

■それぞれプレイのスタイルもありますしね。

「そう。重なり合うところと合わないところがあるから。それはどのバンドもそうだと思うけど。そういうところから解放されるっていうのは、ラクと言えばラクですね。いい/悪いはあると思うんだけど、今のタイミングではもの凄くよかったんじゃないかなと」

 (続きは本誌をチェック!

 

text by 有泉智子

MUSICA5月号 Vol.85

 

Posted on 2014.04.15 by MUSICA編集部

クリープハイプ、移籍~ベスト騒動の真意と
ニューシングルをすべて語る

これまでメンバーが辞める時も、自分は曲に助けられてきたんです。
だから、まだ続けようと思えたし、今回も助けられたかった。
そういう曲をもう1回作りたいって思ったんです

MUSICA 5月号 Vol.85P.24より掲載

 

■今、4月3日の夜なんですけど、今日は何をやってたんですか?

「いきなり!? 今日はマスタリングしてましたよ(笑)」 

■昨日は?

「(笑)レコーディングですね。一昨日もレコーディングです。……昨日はラジオで野球の話もしてました」

■(笑)それは素晴らしい仕事だと思うけど――。

「この前話した週刊ベースボールの編集長さんとですよ。どうしてもそこは譲れなかったんで(笑)」

■間違ってないね、それは。でも結構慌ただしい3日間だったんだよね。どうですか、久しぶりにレコーディングをして。

「そっかぁ、レコーディングしたのは1年ぶりぐらいか……ちょっと懐かしかったですね。……ほんと懐かしかったな、なんかあの準備したりする感じが(笑)。面倒くさいんですけどね、レコーディングの準備と片づけって。けど、好きなんですよね。本能的に『子孫を残したい』みたいな感じがあるので。だって不安なんですよ? 曲作っても『消えるんじゃないか?』って思うから。だから、昔からずっとCDを作りたかったんです。レコーディングしてCDにすれば消えないし、誰も忘れないからっていう。だから安心しますね、レコーディングすると」

■レコーディングで曲が形になった瞬間っていうのは、曲が生まれた瞬間と同じぐらい自分にとって大切なものなんだ?

「まさにそうですね。曲ができるっていうのはもちろん大事だけど、それだけじゃまだ仮契約してるみたいで不安なんで、ちゃんとレコーディングしてやっと安心できる感じで」

■ははははは。また相変わらずに夜に歌入れして?

「そうですね、基本的に夜にならないと声が――ってジンクスを今回も担いで。でも、食べるものはちょっとだけ変わったりして」

■そうやって世の中もちょっとずついろんな装いを変えていくわけだけど、クリープハイプにも今回は変化が訪れていて。レコード会社を移籍しました。どうですか、新天地は。

「やりやすいですね、凄く。ディレクターとかもいつもつきっきりでいてくれるし、『曲作んなきゃな』とかCD出すこととかを凄く意識したり考えたりするから、そういう意味では今は合ってるのかなぁと思いますけど」

■個人的にも、変化を起こしたいとか、ひと皮剥けたいっていう気持ちはどれほど強かったの?

「かなりありましたよね、むしろそれだけというか」

■インタヴューするのって去年12月の年間総括特集以来になるんですけど、「2013年も頑張ったじゃないですか」っていう話に、尾崎は「いや、全然駄目です。自分の想定していたレベルと凄いギャップがあって、まったく思い通りに行ってないんだ」ということを話していて。今になって振り返ってみると、今回の移籍は、その話と地続きなわけだよね?

「鹿野さんにはネガティヴな話をしたからそう思うかもしれないけど、でもそんなに……まぁ、地続きと言えばそうだけど、もの凄くってわけでもないと思いますけどね。どうしても変わりたい!っていうよりは、まず残りたいって思って……」

■「残りたい」っていうのは、このシーンに足跡を残し続けたいっていうこと?

「そうですね。もちろん上を目指してはいるんだけど、それ以前にまずはシーンに残り続けられなかったらしょうがないなって。そう思った時に、いろんな言葉をかけてくれる人がいたんですよね。だから、そこで勝負してみようかなと思いました。ずっと同じ今の状態でキープしていくのは嫌だし、上を目指したいから……そう思った時に、今のここ(ユニバーサルミュージック)の環境に行ってみようっていうのがありましたよね。…………上手く言えないな。なんか変なふうにとられそうだから、何を言っても」

(続きは本誌をチェック!

 

text by 鹿野

MUSICA5月号 Vol.85

 

Posted on 2014.04.14 by MUSICA編集部

2度目の病気療養を経て帰ってきた星野源、
2年ぶりの全国ツアー『星野源の復活アアアアア!』
福岡市民会館での公演に完全密着!

 

 

MUSICA 5月号 Vol.85P.42より掲載

 3月15日(土)。冷たい雨が降り注いだ前日の寒さから一転、この日の福岡は綺麗に晴れた空に恵まれ、穏やかな春の陽気に包まれていた。

 ご本人よりも一足先に会場入り。昨年50周年を迎えた福岡市民会館は、しっかりした大小ふたつのホール(星野がライヴを行うのはもちろん大ホール、約1800席ほどある会場)の他にも様々な講習などができるような練習室が備えられている、いわゆる地元密着型な市民会館で、会場に足を踏み入れた瞬間から、なんというか、市民に愛されてきた歴史と共にどこか温かなフィーリングを感じる会場だった。楽屋エリアも、真ん中に小さな中庭があって、そこに柔らかな光が射し込み、ポカポカとした日溜まりを作っている。静かに、穏やかに、日常と非日常が隣り合う空間だ。

 13時54分、星野が会場に到着。楽屋口で出迎えようと外に出ると、車から星野が降り立ち、ピースしながらこちらに向かってきた。大きなマスクをしているのであまり表情は見えなかったけど、目は笑っていて、身振り手振りで「おはよう、今日よろしくお願いします!」みたいな気持ちを伝えてくれる。―――そうなのです、この日の星野さんは、リハと本番のステージ上以外はひと言も「声」を発しませんでした。もちろんそれには理由があって。実は、初日の大阪公演が終わった後に声が嗄れてしまったらしいのだ。そのため、ライヴで100%の歌を歌えるように、ステージ以外の場所では声を使わない、つまりちゃんと声帯を休ませようというわけだ。ちなみに、ツアー中になるべく声を使わないように心がけたり、ウィスパーヴォイスで会話したりというヴォーカリストは結構多い。みんな万全の状態でステージに臨むために、様々な努力をしているのです。

 というわけで、本日の星野とのコミュニケーションはバックエリアから打ち上げまで、メンバーもスタッフも、もちろん私も、オール筆談。ご本人持参のノートとペンでサラサラと書いて答えてくれたり、あるいはタブレットの筆文字アプリを使って筆文字な会話をしたり、あるいはスマホのメール画面を駆使したりと、いろんな形でコミュニケーションしました。「せっかく密着なのにすみません」と言う(書く)星野にツアーの調子を訊くと、「いいです! ただ喉だけ心配。楽しくライヴしたいし、念には念を入れてなるべく喋らないようにしてるの。やっぱり喋らないのが一番いいみたいだから」とのお返事が。体調を崩したことによる喉ケアではないことがわかって、ひとまず安心。声を発しない以外はとても元気そうだ。

 星野が会場入りした20分後の14時15分から、サウンドチェックが始まった。まずはバンドによるサウンドチェックから。今回のツアーメンバーは、ドラムに盟友・伊藤大地、ベースに伊賀航というお馴染みのメンバーに加え、ギターに長岡亮介(ペトロールズ、ex.東京事変)、ピアノ/キーボードに野村卓史、キーボード/マリンバ/フルート/ピアニカ/コーラス等に石橋英子を迎えた、星野も含め6人編成。野村はSAKEROCK初期メンバーであり、武道館公演も共にしているが(武道館のアンコールで、ニセ明の扮装をした星野が野村に「俺はお前と武道館に来れて本当に嬉しいぜ!」と言った瞬間にグッときた人も多かったはず)、長岡と石橋は共にライヴをするのは初めて。長岡とは“ギャグ”や“地獄でなぜ悪い”のレコーディングを共にしているけれど、石橋とは完全なる初共演である。

(続きは本誌をチェック!

 

text by 有泉智子

MUSICA5月号 Vol.85