Posted on 2014.12.17 by MUSICA編集部

cero、明らかな新機軸と
進化を刻むシングル『Orphans/夜去』で
特異なるバンドの立ち位置と通底する思想を紐解く

ブラックミュージックとか魔術的なものを
都市型に押し込めたのがシティポップだけど、
実はそこからはみ出てくるものを、
もうひとつ大きいところで見てみたいんです

『MUSICA 1月号 Vol.93』P.112より掲載

 

■前回のシングル『Yellow Magus』がちょうど1年前になるんですけど。あの時のソウル色とかブラックミュージック色が引き継がれつつ、もっと甘くてメロウなサウンドが鳴ってるシングルで。

高城晶平(Vo&G&Flute)「そうですね。『Yellow Magus』を去年の年末に出して、今年の始めから新曲をバンバン作っていこうということで、3回ぐらい合宿をやりまして。合宿っつうか、厳密に言うと、本当に寝泊りして合宿したのは1回だけなんですけど。近所のスタジオに曲を持ち寄って、3日間ぐらいガッツリ時間を取ってロックアウトでずっとやる、みたいな。そういう感じで曲作りが始まって、『これはシングルとしていいんじゃないか?』って選ばれたのが、この“Orphans”と“夜去”だったんですよね」

■そもそも今までそうやって合宿形式で曲作ったりしてたんでしたっけ?

高城「いや、こういう作り方は初めてですね。思うんですけど、普通のバンドって、ファーストアルバム、セカンドアルバムくらいまでは下積みのストック、プラス書き下ろしの何曲かでやれるところがあるじゃないですか。で、サードくらいからストックがなくなってきて、真のファースト的な感じになっていくみたいな。まさに俺らもそれで。これまでのストックをだいぶ使ったし、割とクリーンな状態で1から作品を作ろうっていうことで、みんなであーだこーだやってみようって。初めてですね、こうやって合宿で曲を集めて作るっていうのは」

■初めてやってみてどうでした?

高城「面白かったよね?」

荒内佑(Key&B&Sampler)「うん」

高城「家で作ってきたデモの段階で、割と設計図がしっかりした状態で持っていくから、続々と集まっていくのが楽しいなって。体育会系の合宿とか、そういう感じではないんです(笑)」

橋本翼(G&Cl)「逆にダラダラできるから、それが向いてるっていうか。時間を贅沢に使ったっていう感じですね」

高城「あぁ、そうだね。あと、“Orphans”は、はしもっちゃんが歌詞なしの状態で持ってきたりして。1日目は、とりあえず歌詞はついてないけど、見切り発車で演奏だけやっとこうか?みたいな感じだったんですよ。で、その日は1回家に帰って、僕が『そういえば、これに合いそうな歌詞が自分のストックの中にあったな』って思って、次の日に『実は歌詞を乗っけました』ってやれたんですよ。『明日もあるから、じゃあ明日までに書いちゃおう』と思ってさーっと書いて持ってきたりもできたし、3日間の中で動きがあることができたっていう意味でも合宿はよかったですね」

荒内「基本的に締め切りがないと曲が作れないからね(笑)。断片とか、何かしらのストックは常にいっぱいあるんですよ。けど、合宿があることで、それを1個1個形にしていこうっていうきっかけになるので」

■じゃあ今回、“Orphans”は初めて橋本さんがceroに持ち込んだ曲になるわけですけど、そうやって合宿で全員が曲を持ち寄る中でこれは自然の流れだったんですか?

橋本「そうですね。今回は合宿で曲を提出するムードがあったんで――」

高城&荒内「ははははははははは!」

橋本「宿題があったんですよね(笑)」

高城「確かにね。『ひとり1曲出そう』っていうコンペ的な合宿だったんで、『はしもっちゃんも出そうよ』みたいな(笑)」

■それって、橋本さん的にはプレッシャーだったりもしたの?

橋本「そうですね。今までなかったから、どうなのかな?って思ってたんですけど……タイミングがよかったんですよね。それでもまだかなりポップ寄りではあるんですけど、バンドのやりたい音楽と一致したっていうか。実はトラック自体は結構昔からあったやつで、ずっと放置してたんですけど、その間に聴いてた音楽に影響を受けて、混ぜてみたらいい感じになるんじゃないかなって思って提出したんです」

■ちなみに、その昔の段階のものもみんなに聴かせてはいたの?

橋本「昔送ったよね?」

高城「うん。『そういえば前に聴いてたな』って思って。5年前ぐらい。『あれ、“Orphans”だったんだ?』って。その時は形にならなかったんですけど、5年経ってちょうど自分達のモードとも合致するところがあって、上手いことこのタイミングで形になりましたね」

橋本「その時とはちょっと違うんですけどね。前のは今回のデモほど作りこまれてない感じでした」

荒内「クラ(クラリネット)が入ってたよね」

高城「今のアレンジほどストイックっていうか、音数の少ないカラッとした感じではなかったかな。もうちょっと可愛い、ポップな感じだったよね。今はそれよりクールっていうか、少し冷めた感じになりましたね」

荒内「ビタースウィートだよね。『Yellow Magus』以降の楽曲群は、いわゆる今のプログレッシヴ・ジャズみたいなものの影響があって、言ってみればちょっとマニアックなものが多いというか。音源だけ聴いてる人にとって『My Lost City』 と次のアルバムに断絶を感じるかもしれない。そこは実は地続きなんだよっていう連続性がちょっと見えづらいと思うんだけど、“Orphans”はその中間でちょうどいいっていうか」

高城「そうそう。今作ってるアルバムの断片になっていくようなピース――多様な曲があって、ライヴに足繁く通ってる人はこれまでのceroと『Yellow Magus』、そこから先の流れがだんだん見えてきてると思いますけど、音源だけ聴いてると、曲によっては『ガラッと変わっちゃったな』って不安になるかなって思って。そういう意味でも、“Orphans”と“夜去”はちょうどよかったんですよ。今の自分達とかつての作品群の間をつなぐ橋渡し的な要素も持ってるなって思って。お客さんと足並みを揃えるっていう意味でも、ここでシングルを切っておいてよかったなっていう感じがしてますね」

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text by 寺田宏幸

『MUSICA1月号 Vol.93』

Posted on 2014.12.17 by MUSICA編集部

大森靖子、表現者としての必然とラディカルな方法論で
誰よりも誠実で切実な音楽を刻む

孤独は怖くないですね。
だって孤独じゃなかったら空っぽじゃないですか。
孤独だけがオリジナリティっていうか。そこがないとヤバいかなって

『MUSICA 1月号 Vol.93』P.106より掲載

 

■今までよりも格段に音楽的な幅が広がった作品になりましたね。これはメジャーに籍を移して最初のアルバムだということも意識してのことだと思うんですが、ご自分では今回どんなイメージやコンセプトをもってアルバムを作っていったんですか?

「J-POPですね。しかもJ-POPの50位から1位までが入ってるアルバムっていうか。そもそも私は90年代のJ-POP50位から1位までを毎月聴くみたいな聴き方で音楽に触れてきたので――あとはピアノ習ったりしてたので、普通にクラシックも聴いてたんですけど――そういう感じになればいいなって」

■それは、自分のベースにあるJ-POP体験を2014年の今、自分なりにやるならどういうものか?っていう発想から生まれているということ?

「っていうよりは、本質的なことを如何に曲げずにメジャーで伝わるようにするかっていうことを考えた時に、普通に『J-POP使えばいいじゃん』って思ったんですよ。J-POPって、売れたらなんでもJ-POPで、ジャンルとかではないじゃないですか」

■言ってみれば売れたもの、つまり大衆に支持されたものがJ-POPというジャンルを作っていくところがありますよね。

「そう。でも一応分析すれば、今のJ-POPの形みたいなのってやっぱりあって。その今の上位50曲の中の40曲ぐらいに当てはまる形式とか、『この音の次はこの音』みたいな、そういう今一番聴き心地がいい音の運びとかBPMとかリズム感っていうのを今回は敢えて使おうと思ったんですよね。そうすることによって……たとえば『はい、毒です』って差し出されたら飲まないけど、オレンジジュースに混ざってたりしたら毒も普通に飲んじゃうよなみたいな。そういう感じですね」

■要は、今のJ-POPの形式を取ることでリスナーに抵抗なく自分の毒を飲ませるという。毒を入れてるっていう意識はやっぱり強いんですか。

「でも毒ではないですけどね。自分が歌ってることは別にマイノリティでもなんでもない、全員が思ってることを言ってるだけなんで、毒っていう意識はなくて。もっと本質っていうか、『人間』っていうか。……普通に社会に生きてる人にとっては、人間くさいのって嫌じゃないですか。でも私は人間くさい人が好きなんですよ。感情的な人が好きだし、喜怒哀楽がいつも爆発してる人が好きだし、喧嘩してる人とか大好きだし、その人がそのままで生きてるほうが面白いなと思う。ただ、それをそのままやっちゃうと嫌がられるというか――」

■そういうのって何かと均質化された今の世の中では異物感が強かったりもするし、相手を選ぶ表現になってしまうこともありますよね。

「そうそう、そこを上手く気づかれないようにやらないと、真ん中(メジャー)に来た意味がないって思うんで。そう考えた時に『だったら今のJ-POPをそのまんま使えばいいじゃん』ってなって。今のタイミングでは音楽的に新しいものは要らないなって思ったんですよ。新しいもの作ろうとすると――新しいものってイコール聴いたことがないものだから、拒否感って絶対に生まれるじゃないですか。今は別にそれは要らないなっていうか、メジャーデビューでわざわざそんなことやんなくいいって思って」

■自分の表現の本質を広く伝えるために、敢えてJ-POPという形を利用したっていう。

「そうですね。だからアレンジの人にも『聴いたことがある音を使って欲しい』っていうことを言ったし」

■ちなみに、アレンジに関しては希望だけ伝えて結構委ねたんですか?

「そうですね。iPhoneに歌とコードを録音して制作部に送って、『この曲はEDMとagehasprings足して2で割った感じでお願いします』みたいなリクエスト出して。で、返ってきて『OKでーす!』みたいな(笑)。私、元からいいメロディをいい声で歌えばいい主義なので、あんまり音楽性みたいなものへのこだわりはないんですよね。弾き語りも便利だったから弾き語りでやってるだけで、音は耳触りのいい音ならなんでも好き(笑)」

■とはいえ、これまでの『魔法が使えないなら死にたい』と『絶対少女』という2枚のアルバムは、結果的にバンドサウンドやカラフルな音色をまとっていても、大前提として弾き語りっていうものを軸とした上でのソングライティングだったと思うんです。でも今回のアルバムでは明らかに弾き語りが前提になっていないメロディなり歌なりが増えていて、その結果、音楽だけでなくメロディや歌の自由度も凄く上がってて。

「うん、自由度は上がってますね」

■『魔法が使えないなら死にたい』を出した後に「次は弾き語りのアルバムを作りたいけど、その次は編曲を全部他の人に任せるようなアルバムを作りたい」という話をしてたのを目にしたことがあるんですけど、そもそもこういう方向に進みたいというヴィジョンがあったんですか。

「そうですね。実際『絶対少女』は最初弾き語りのアルバムを作ろうと思ってたし、自分の弾き語りのライヴが持っている魅力そのものを音源で活かせるように膨らませてもらったアルバムで。でも今回は、ライヴとは全然関係ないものを作ろうと思ってたんですよ。ライヴでほぼやってない曲ばっかりをアルバムに入れようと思って作ったし……やっぱり、弾き語りでやって伝わることって、凄く少ないんですよ。あれはめちゃくちゃ計算しないとできないっていうか、弾き語りでやる歌って言葉をめちゃくちゃ選ばいないとダメだと思ってて。私、他の人の弾き語りとか観るのがほんと嫌いなんですよ。だって凄いつまんないじゃないですか。見た目も地味だし動かないし。ほんと、自分以外の弾き語りライヴってみんな眠いなって思ってるんですけど。で、じゃあどうしたら弾き語りでも魅せられるかってことを考えてくと、無駄な言葉1個も入れられないんです」

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text by 有泉智子

『MUSICA1月号 Vol.93』

Posted on 2014.12.17 by MUSICA編集部

ドレスコーズ、再びひとりになった志磨遼平、
表現者としての深い業と性が白日の下に

信頼し合うとか、期待し合うとか、喧嘩するとか。
そういうのはもう自分には望まない。
だから諦めます。「もうお前、ずっとひとりでやれ」って感じです

『MUSICA 1月号 Vol.93』P.118より掲載

 

■このインタヴューが載る号は12月15日の発売なんで、アルバムが出た後なんですよね。

「あぁ、そうか。でも、めっちゃすぐっすよね」

■うん。だから、もうアルバム聴いてる読者もいるだろうし、いろんなメディアでひと通りの流れみたいなものを知ってる人もいるだろう、と。そんなわけで、あんまり回りくどい表現とかはナシで、ダイレクトに深く切り込んでいきたいと思ってるんですけど。

「わはははははは! 怖いなぁ(笑)。ラスボスじゃないですか」

■(笑)なんで、早速アルバムの話をすると、音楽的にはもの凄くよくて。志磨さんのメロディ、ソングライターとしての才能が凄く発揮されてるし、割り切れない感情の生々しさとか、衝動みたいなもの――ひとりになってから2週間で一気に曲を作って、1ヵ月後にはレコーディングを終えてた、とにかく早く作り上げようとしたっていうのをドキュメンタリーの映像でも見たんですけど、そういうスピード感の中で志磨さんの手癖みたいなものもたくさん入ってると思うし。

「うん、そうですね」

■純粋に音楽として素晴らしい作品になったと思うんです。ただ、ファンとしてバンドのストーリーみたいなものを含めると、なんとも割り切れないし、ポジティヴに捉えるのも難しい位置づけの作品で。

「そうですね(笑)。僕も初めて全部ひとりでやりましたので、今までの中で一番こそばゆい作品ではあるなって。『カッコいいでしょ、うちのバンド』ってわけじゃないから……照れますけど、ご好評いただいてますしね。こういう取材の場とか、友達に聴かせた時もみんな割と『よかったじゃん!』っていう感じで」

■ちなみに、元メンバーのみなさんからも反応は返ってきたんですか?

「ベースの(山中)治雄には会えたんで、渡したんですよ。まだ菅(大智)さんと丸(丸山康太)には会えてなくて、聴かせてないんですけど。治雄からは返事来ましたよ。えーと……(と、携帯を取り出して)『“スーパー、スーパーサッド”、ヤバいね。全部のメロがサビみたいに聴こえる感じ、久々に味わいました。これは志磨くんの葬式でファンが合唱するよ。ウケる(笑)』と来ましたね」

■(笑)。葬式っていうのは別にしても、とてもパーソナルな音楽ですよね。サウンド的にも、ギター、ベース、ドラムの音は鳴ってるけど、いわゆるバンドのダイナミズム的なものはないし、それよりも志磨さんの歌とメロディっていうものが際立っていて。

「確かに。バンドしかやってこなかった人が作る、ひとりのアルバムではありますよね。あのね、バンド的なダイナミズムを排除したかったんですよ、録音の時に。大体自分でアレンジが頭の中になんとなくあったし、スタジオに入って早速録りましょうっていう時に――大体どんなアルバム作る時も最初に、どういうふうに録ろうか?的なサウンドプロダクションを簡単に話すんですね。今回も馴染みのエンジニアさんとやることにしたんですけど、なんとなく宅録というか、ひとりで多重録音していくのがわかるように録りたいって言って」

■それは、バンドじゃなくてソロプロジェクトなんだってことを音像的にも明確にしたかったってこと?

「そうですね。バンドって、バンドのグルーヴ感とかダイナミズムとか一体感みたいなものを無意識に再現しようとするじゃないですか。一発録りとか、ね? ロックバンドがレコーディングの時に望むのは、まるで自分達のライヴがスピーカーから聴こえるように録りたいっていうのが、たぶん刷り込みで無意識にあって。でも、今回は『嘘じゃん!』って思っちゃって。だってバンドいないんだし(笑)。だから、バンドのダイナミズム、ダダダダッバーンッ!みたいなロックのカタルシスみたいなものは全部排除しましたね。逆に、昔の録音ってトラック数が少ないから――たとえばドラム録って、その上にベース録って、ギター、ピアノって録って、最後に歌入れてってやっていくから、最初のほうに録った音がどんどん劣化していくんですよね。ドラムとかすっげぇ小っちゃくなっちゃって。で、一番最後にオマケで手拍子とか入れるもんだから、結果、手拍子が一番デカく入ってるってことってよくあるじゃないですか」

■ありますね(笑)。

「そういうのって、普通の空間、僕らが生きているこの環境の中ではあり得ない響きなんですよね。ドラムよりも手拍子のほうが大きく聴こえることなんて、絶対起こり得ないわけで。架空の世界みたいな。でも、レコードの中だけではそういうことが成立するっていう、レコードの中だけの空間みたいなものが確かにあって。そういう、この世に存在しない、もう1個の架空の世界みたいなものが音楽の世界っていうイメージがあって。今回はそういうふうに聴こえるように録りましたね」

■わざと虚像の世界を作ったんだ?

「そうです。“妄想でバンドをやる(Band in my own head)”って曲が入ってますが、まさしくこれが今回のアルバムのひとつのテーマで。『僕の妄想のバンド』っていう(笑)。だから、まるですぐそこで演奏してるかのような音像は、さっきおっしゃっていただいたようにバンドのヒストリーとか今の僕の状況を知ってる人からすれば、ちょっと考えれば嘘ってわかるじゃないですか。でも、レコーディングって別に嘘をつくことじゃないし。なので、自分が全部の楽器を演奏して重ねていったように、それが敢えて明確にわかるように作りましたね」

■当然、そういう虚像や妄想の中で描かれるバンドって、ご自分にとっては理想形のバンドなわけですよね。つまり、嘘でも虚像でもなんでもいいから、一番最高なバンドの理想形をこのタイミングで志磨さんは求めてたっていうことだと思うんですけど。

「というより、たぶん僕は常々それを求めてて、イレギュラーとしてこの2年半があるって言ったほうが、なんか正確な気がする」

■この2年間半のほうが逆にイレギュラーだったんだ?

「うん、たぶん……」

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text by 寺田宏幸

『MUSICA1月号 Vol.93』

Posted on 2014.12.16 by MUSICA編集部

米津玄師、2枚のアルバムを経て解放された才能が
より自由でディープに花開いたシングル
『Flowerwall』で新章へ

2013年は前の方法論ともうひとつ必要な方法論とで
齟齬が起きることがあって、
これはマズいっていう危機感があったんですけど。
でも、『YANKEE』を作ることによって
そこから解放された感じは凄いあります

『MUSICA 1月号 Vol.93』P.100より掲載

 

■2014年4月のアルバム『YANKEE』以降、一発目のシングルであり取材です。その間に初ライヴを行うという大きなトピックがあったので、まずは初めてライヴをしてみて何を感じたのか?から伺えますか。

「最初はどうなることかって感じだったし、やる前は『もしかしたら二度とやりたくないと思うかもしれない』って思ったこともあったんですけど、結果として一番大きかった感情は『楽しかった』っていうことで。もちろん至らない点は確実にあった――まだまだだなと思うこともいっぱい露呈したし、そういうのはあったんですけど、最終的にやってよかったなって心から思えたんで。それは凄くよかったですね」

■ライヴそのものはもちろん、終演直後に会った米津くんの高揚感溢れる感じというか、興奮と喜びに溢れた姿が凄く印象的だったんですけど。

「なかなかあの感じはないですからね。自分でも結構びっくりしてるところがあって。高校の時とか、ライヴ経験みたいなのはあったんですけど、その時はどうしていいかわからなくて。自分の声も聴こえないし、自分でも何をやってるかわからないみたいな状態で、楽しいと思うことはなかったんですよ。そういうこともあってライヴに対して苦手意識が強かったんですけど……今もその苦手意識は完全に拭えたわけではないんですけど、でも昔ほどライヴというものに対して霞みがかった感じじゃなくなったというか。ある程度、2メートル、5メートル先ぐらいまでは見えるようになったんで。だからちょっと安心しました」

■ライヴを観て思ったのは、確かに未熟な点は多々あったんだけど、でもファーストライヴとは思えないくらい非常に堂々としたものだったし、米津くん自身から強い訴求力を感じたんですよ。やってみなければわからないというよりも、ちゃんと人前で歌を歌う覚悟ができている状態でのライヴだったと思うし、それは言い換えれば、米津くん自身が真摯に真っ向から自分の音楽や歌と向かい合ってきたかの証明だなと思って。

「覚悟があったかどうかって言われると自分ではあんまりよくわかんないんですけど……覚悟がどうとか言うほど余裕がなかったので。ただ、やる限りは、お金を払って来てもらってるわけだから、聴いてくれる人の足しになるものをやらないとっていう意識はありましたし、そこに迷いみたいなものは特になかったですね。とにかく『やるしかない』っていう、『うじうじ言っててもしょうがない』っていう感じだったというか」

■お客さんの様子も凄くよかったですよね。何よりもちゃんと米津くんの音楽と歌を聴きに来てるんだっていうこと、それを自分の心に刻んで帰ろうとしてるんだなっていうことが凄い伝わってきて。

「そうですね、凄い温かったですね。最初に出た瞬間はどうなるんだろうって緊張感みたいなのが自分の中にあったんですけど、あのお客さんの温かい感じに救われた部分は凄いありました」

■ライヴをやってみて、何か変わりました?

「変わった部分は確実にあると思いますね。ライヴを見越したものを作ろうっていう意識が確実に生まれました。それができてるかできてないかは別として、そうしようと思いました」

■で、今回のシングルなんですけど。これはいつ頃作ったんですか?

「今年の夏の終わりぐらいに引っ越しをして。それまであんまり曲ができなくなってたんですよ」

■それは『YANKEE』で出し尽くしてしまった反動?

「そうですね。もうないなって感じが自分の中にあって、『これはいかん』と思ったんですけど、でも環境を変えたら上手くいくんじゃないかっていう感覚があったので、引っ越しをしたんです。そしたら凄い曲ができるようになって。弾き語りでコードとメロディと歌詞があるだけのものなんですけど、そういう骨組みがいっぱいできる期間があったんですよ。この曲も、その中のひとつだったんです」

■米津くんって、そうやって物理的に何かをすることで作曲のギアを入れるところがありますよね。たしか前も、曲ができなくて走り始めたっていうエピソードがあったような気がするんだけど。

「ありましたね。やっぱり精神というのは肉体に定義されるものであって、精神を変えるにはちゃんと事物としてあるものを変えるべきだっていう感覚が自分の中にあるんで。そこから始まりますね」

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text by 有泉智子

『MUSICA1月号 Vol.93』

Posted on 2014.12.16 by MUSICA編集部

年間総括特集:
2バンド同時メジャーデビューを果たし、
質量共に段トツのMVP!
川谷絵音(indigo la End/ゲスの極み乙女。)、
2014年とindigo la End新作『さよならベル』を語る

2015年のスケジュールを見てると、
来年のほうが忙しい感じになってるから、
2014年はそんなに忙しくなかったと思うようにしてます。
これで忙しいって思ってたら、2015年は死んじゃうんで(笑)

『MUSICA 1月号 Vol.93』P.84より掲載

 

■お忙しいですか? って、訊くのも野暮過ぎるほどの状況ですが。

「……まぁ、体調も崩してたんで(笑)」

■ライヴを延期したっていうのは聞いてるんですけど(11月25日、急性咽頭喉頭炎で高松でのライヴを延期)、もう大丈夫なんですか?

「おかげさまでようやく大丈夫になってきました」

■原因は、完全にワークホリック的な?

「いや(笑)、九州で食中りになって……何に中ったかわかんないんですけど、食中りのままライヴした辺りから体調おかしくなってきて。それで免疫が弱ったところで喉にきてしまって……」

■ことさら大袈裟に言うつもりはないんだけど、簡単に言っちゃうと、1年間ずっとギリギリな状態で走り続けてきたから免疫すら欠けてきたと。

「そうですね(笑)。今はもう大丈夫なんですけど」

■そして、indigo la Endの『さよならベル』は、絵音くんがそうやって走り続けてきた1年のフィナーレを飾る作品だと思うんですけど。

「最初は2015年でもいいかなって思ってたんですけど、今の勢い的にもう1枚出しておいたほうがいいかなっていうか。みんな、出さなくても大丈夫だよっていう感覚だったと思うんですけど、僕の中では『今もう1枚出しておいたほうがいいだろうな』っていう――前のシングルが出て、アルバムのレコーディングをしてる時に凄くいい曲ができたから、2015年に出すとなるともったいないし、自分の旬なうちに出したいなと思って」

■アルバムのレコーディングをしていて、今はある程度もう目処がついてきたっていう状況で、その前にちゃんとindigo la Endの今っていうものを刻みたいっていう気持ちがあったんだ。

「そうですね。アルバムの前にもう1枚出しておいたほうが、新しいアルバムの見え方も変わるだろうなと思ったので」

■indigo la Endは『あの街レコード』以降、この1年間で新しい音楽のカラーを作ったと思うんですけど、1曲目の“さよならベル”に関してはその新しいindigoの王道感に強度を増したような楽曲という感じがしました。この曲はどういうところから生まれてきたんですか?

「最初はシングルっていうより、(アルバムの)リード曲を作ろうっていう感じで――ベクトル的には『瞳に映らない』からの流れが自分の中であったので、アルバムもこういう感じにしようっていう構想があった中でリードにする曲というか。ライヴでもちゃんと見せられるし、特徴的なギターのフレーズとか今の4人のグルーヴとか、歌詞もそうなんですけど。indigo的な王道感というか、あんまり違ったことをやろうとかじゃなく、本当にリード曲を作ろうっていうつもりでいろいろ作っていた中でこれができて」

■indigo la Endって、言ってみれば川谷くんの中にあるポツンとした孤独の世界が根底にあるんじゃないかと思ってるんですね。今回のシングルも、特にこの“さよならベル”の歌詞の世界はまさにそういうものだと思うし。ただ、音に関してはどんどんダイナミック、ドラマティック、ファンタスティックなものになっていってて、強度を増してるじゃないですか。

「そうですね。たぶん今の4人の感じがこういう感じなんだろうなと思うんですね。ベースが入って4人になってからまだシングル1枚しか出してない状態ですけど、後鳥(亮介/B)さんが入ってからのindigoっていうのが今のサウンドで。リズム隊に肉体感があるというか。ゲスの時に課長(休日課長/B)にブワーッて言えることが、indigoだと今まであまり言えなかったんですよ。でも、正式に入って言えることも増えたし、しかも後鳥さんはなんでもできるから。やれることが単純に増えましたね」

■そういう意味では、indigo la Endとしてのバンドシップというか、絆とか本音みたいなものがかなり激変したんですか?

「本音っていうか……別に僕、メンバーと話さないので」

■そこは相変わらずなんだ(笑)。

「相変わらずですね(笑)。曲の歌詞の内容について話すこともないし、アルバムの曲順も僕が一人で決めるので。まあ、メンバーも訊いてもこないですしね。普段あんまり自分からコミュニケーション取ろうとしない集まりだし(笑)」

■絵音くんのそのツンデレ・マイナス・デレな感じって、どういうバンドへの哲学から来るの? たとえばバンドによっては、それこそずっと一軒家に一緒に住んでるっていう人達がいたり、幼馴染で生い立ちから関与してるって人達がいたり。別にそういうバンドばっかりじゃないけど、でも2014年のindigo la Endぐらい過密な活動をしてれば、「俺達はmixiで知り合ったけど、今年は今まで言えなかった本音が言えるようになって、本当のバンドになった気がします」みたいなことを言っても当然だと思うんだよね。でも、そうじゃないんだよね?

「(笑)全然そういうわけじゃないですね。でもそういう青春みたいなのが羨ましいなって思ったりもするんですけど、このバンドはあんまり話さなくてもわかるというか。元々、人づき合いが苦手な人達が集まってるんで、後鳥さん以外は。基本的に他の3人は結構そういうタイプなので、特に自分達は何も変わらなくても後鳥さんが勝手に盛り上げてくれて、バンドの雰囲気がよくなったというか――完全に人任せなんですけど(笑)」

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text by 鹿野 淳

『MUSICA1月号 Vol.93』

Posted on 2014.12.16 by MUSICA編集部

年間総括特集:
レーベル移籍とベスト盤騒動、
その1年を経て誕生した傑作アルバム……
尾崎世界観(クリープハイプ)、
2014年総括インタヴュー!

ずっと先のことを考えて、どんどん削れていって、
つまらなくなっていくのが嫌だった。
そもそもずっとバイトしながら誰にも聴いてもらえずにやってきた音楽が、
これだけいろんな人に聴いてもらって、
状況としても気持ちとしても変わったし。
……常に何かに追いかけられてるような気持ちでした

『MUSICA 1月号 Vol.93』P.78より掲載

 

「3年目ですね、今年も楽しみにしてましたよ」

■メジャーデビューからの3年連続で年末振り返りやってます。勝負の3年目。どうだったですか?

「実感として2014年は、(勢いが)どこかで止まるっていうか、なんとなくでできたものが止まる瞬間があるんだなっていうのを凄く感じた年で。最初のほうは、移籍してベストがあってとか、武道館でやったりとかして名前が出たんですけど、あとはしっかり指標を作っていこうと思って、『クリープハイプってなんだろう?』って作品を出していけばいくほど――ピッチャーで例えると、一巡見られたみたいな。最初は抑えてたけど、2巡目から打たれたりするじゃないですか」

■で、打たれたピッチャーは意味がわからずに呆然とするという。

「そうですね(笑)。だから、『見られてるな、バレてるな』って凄く思うんですよ。凄いやりづらかったけど……そこで新しいことを考えたりするのは嫌だったし、そのまんまいつも通りやってることをやるしかないって思ったっていう。しっかり音楽に向き合って――バンドの状態も上がってきたし、表現力も出てきたから、やりたいことができるようになったし。そういうことは凄くできてるんだけど、凄い不気味さを感じながらやってましたね」

■尾崎自身は、自分らの音楽が王道だと思ってるのか、もしくは異端だと思ってるのか、どっちなんですか?

「異端だとは思ってるし、異端だと思われてると思うんですけど、さっき言ったように異端なまま慣れられちゃうというと、凄く難しいですよね。意識的に作った“社会の窓”とか、ライヴで目立つ“HE IS MINE”だったりとか、そういうところを見られたらやっぱり異端だと思うし。去年も“ラブホテル”っていう曲で勝負したし。本当に興味ない人、バンド聴かない人からしたら、今でも『なんだこれ?』って思われると思うんですけど、ある程度聴いてる人からすると、『あぁ、これね』って見切られてるのはどうなんだろうなって思いますよね。普通にもなれないっていうか、後戻りができないっていうか」

■対談でも話し合ってるんだけど、コンプを思いっ切りかけて凄く音を圧縮させて、音像の厚みを増すと共に隙間を一切なくしていって、そこでお客さんに共有してもらうためになるべくミニマムなリズム構成と、サビのところではみんなが連呼できる瞬発力のあるキーワードを使って歌っていくっていうロックがあるよね。ああいう音楽が今の主流だとしたら、自分らの音楽は、そことは凄くかけ離れてる感触を持つの?

「そうですね。でも、それもやってたし、いまだにサビで連呼するとかはやってるし。やってるけど、そこではないと思うんですよね、居場所は。音に関しては、一番新しいアルバムは今までよりもよくなったと思うし。ちゃんと音と音をバラけさせられてるし。そういう意味では、俺が嫌だなって思ってた波の中にいたっていうのが、今年凄くわかったし。でも……もっとやれるのになって思って。もっと評価されたいって思いますね。ちゃんとやってるから。去年よりも一昨年よりもさらによくなってるし、より言いたいことが言えて、やりたいことがやれてる時に………野球の例えばかりであれだけど、むちゃくちゃ肩が整ってきてめっちゃいい球が投げられるのに、どうしても球が真ん中に集まってるから打たれるみたいな」

■(笑)。

「矛盾してますよね(笑)。余計打ちやすい球になっちゃうっていうか。こっちは完璧な球なんですよ。精度も上がって、いいものなんだけど……『なんだよ、クソ』って思いますね。でも、それがやりたいから。そこに投げたいし、その球がいいと思って投げてるから。でも、相手にとっては打ち返しやすいものなのかなって思いますね。だからと言ってそれをやめるわけにいかないし。そういうズレはいまだにあるんだろうと思ってるし。音楽を聴く人と、こっちがやってることがズレてるっていうか、それを楽しんでもらえる期間もあるんだなっていうのも予想した通りだったし………鹿野さんでしたっけ? 前にフェスでのクリープハイプの立ち位置を言ってくれたのって。『フェスではみんな盛り上がりたくて、一体感を求めてやってきてるのに、それじゃないもので敢えて成立させてる』って言われたのは凄く嬉しくて。今はフェス出るためにワンマンをやるバンドが多い感じがして。それは絶対嫌だったから、今年の夏は(フェスに)出なかったし。やっぱり、ワンマンやるためにフェスに出ると思うんですよね。フェスのデカいステージに出るために自分達のフィールドをデカくするのは違うと思うから」

(続きは本誌をチェック!

text by 鹿野 淳

『MUSICA1月号 Vol.93』

Posted on 2014.12.15 by MUSICA編集部

年間総括特集:THE YEAR 2014
鹿野 淳×有泉智子による恒例対談、
2014年の音楽シーン大検証!

四つ打ちロック全盛期の裏でまさに今起こっている新しい波――
確かなる音楽的多様化と多層化を見せた2014年を放談!

『MUSICA 1月号 Vol.93』P.64より掲載

 

有泉「ここではこの1年の邦楽シーンというものを総括していきたいと思っています。まずは、鹿野さんは2014年という1年をどういうふうに捉えていますか」

鹿野「僕は、今年はどんな1年だったかっていうふうに括れませんでした。去年、2013年のシーンっていうのは、震災以前と震災以降の流れも含めて、本当の意味で2010年代のシーンが始まった年じゃないかって位置づけたんだよね。実際にロックシーンでもKANA-BOONやキュウソネコカミ、ゲスの極み乙女。とかが出てきてそういう兆しを感じたし。でも今年はそういうふうに大きく括って言えるようなことがなくて。だから僕は今年を凄く難しい1年だったと位置づけてるんだよね。『難しい』っていうのは、絶望的な意味とかではなくて、位置づけるのが難しい1年だったっていう」

有泉「位置づけるのが難しい1年だったというのは、私も同意ですね。それはつまり、音楽っていうものがより多様化しているっていうことが、今まで以上にはっきりと表れた1年だったと思っていて。たとえば今の邦楽ロックシーンを語るトピックとして、いわゆる『高速四つ打ちのダンスロック』というものがあって。実際、さっき鹿野さんが挙げた3バンドもその時流に上手く乗りながら大きく飛躍したバンドだと思うし。でも実際には、若い世代の中からも本当に多彩な音楽性を持ったアーティストがこの1年で急速に増えているし、一方で、くるりや銀杏BOYZが自分達の音楽性をラジカルに更新する音楽的な意欲に溢れた素晴らしいアルバムをリリースしたり、THE NOVEMBERSやOGRE YOU ASSHOLEなどの00年代後期のギターロック・シーンから出てきたバンドが独自のエッジを磨いたオルタナティヴを鳴らしていたり、いろんな場所でいろんな音楽がたくさん生まれていて」

鹿野「女性アーティストの活動も活発だったよね。椎名林檎とYUKIとaikoという、2000年代のディーヴァ3人が軒並み新作を出して、しかも最高傑作だと思える作品を作っていったっていうのもそうだし、その次の世代であるyuiがFLOWER FLOWERとして素晴らしい脱皮を果たす作品を作ったり、あるいは後藤まりこがライヴハウスシーンからロックというものの新しい形を作り、大森靖子がメジャーのポップに挑んでいっていたりと、女性シンガーのリアリティポップは素晴らしい形で生み出していったのは印象的だった」

有泉「そうですね。だから非常に多層的な中で豊かな音楽がたくさん生まれていった1年だったと思うんですね」

鹿野「それは今回のベスト50を見ても明らかだよね。実は今回の編集部のランキングは四つ打ちロックというものが多い訳ではなく、もっと様々な形の素晴らしい音楽が生まれていることも表していて」

有泉「はい。たとえばフェスの状況だけに気を取られていると見落としてしまうかもしれないけど、こういう状況に目を向けるということはとても重要なことだと思います」

 

 

2014年の勝者は「四つ打ちダンスロック」だったのか?

 

 

鹿野「とはいえ、やっぱり2014年も四つ打ちロック全盛期ではあったと思うから、そこから行きましょう。思ってることがひとつあって。僕は四つ打ちって、そもそも音楽を売らないジャンルだと思ってるんですよ」

有泉「それは、現場で体感する音楽だからっていうことですか?」

鹿野「ざっくり言えばそうだね。たとえば90年代のトランスって、クラブには何万人も集まったんだけど、その人達は基本的にCDを買わなかったんだよね。実際、日本における四つ打ちって90年代、80年代のアイドルや歌謡曲シーンでも使われていて、みんなを楽しませる音楽というか、お茶の間向きのものとして重宝されていたんだけど、そういう歌謡曲が特別にセールスを上げていたかっていうとそうでもなくて。そういうものが現場一体感主義のフェスの時代だから蘇ってきたっていうのはあるけど、そもそも売れない音楽なんじゃないかって根本的に思ってる。だから、サカナクションをひとつの例に出すと、彼らがセールス的にも素晴らしかったのは、デビュー時から『ダンスミュージックとフォークを融合させる』っていう明確な50/50の構造を持っていたからで。サカナクションが成功したのは、その『フォーク』っていう歌謡性によるところが大きいよね。やっぱり歌っていうのは『歌国・日本』って言われている中で人に認知されていくし、記録/保存していきたい音楽として、セールスパワーを持っているものだったりして。そこにクラブミュージックを上手く合わせていったからこそ、セールス的にもブレイクを果たすことができた。でも、そういう戦略性のない四つ打ちロックが売れないっていうのは、凄く必然的なことだと思う」

(続きは本誌をチェック!

text by 鹿野 淳×有泉智子

『MUSICA1月号 Vol.93』

Posted on 2014.12.15 by MUSICA編集部

KANA-BOON、渾身のニューアルバム『TIME』
鮮やかに邁進する今を刻んだ谷口鮪第一声!!

今までは「大事なものは自分だけ、他に何ひとつない」
っていう部分があったんですよ。
それが今までの僕の強さでもあったと思うんです。
でも今は逆に、大事なものを持って、
それを守っていく強さみたいなものが自分の中にある

『MUSICA 1月号 Vol.93』P.32より掲載

 

■いよいよこの号が出る直前に、1月21日にセカンドアルバム『TIME』がリリースされることが発表されます。次号では初の表紙巻頭特集を行うことになっているんですが――。

「よろしくお願いします!」

■こちらこそ。それに向けて、まず今月は鮪くんひとりでアルバム第一声インタヴューを行いたいと思います。

「やっぱりひとりだと緊張しますね」

■(笑)。で、早速アルバムの話なんですが。昨日の夜にアルバム全曲分のTDが終わったばかりということで。

「はい、そうですね」

■つまり、後はマスタリングを残すのみという状態なわけですよね。まずは、ほぼでき上がってみて自分ではどんな感覚を抱いてますか。

「今はまだ終わったばっかりなんで、とにかく『なんとかできたな』っていう感じです。結構スケジュールが大変やったんで。歌録りとかに関しては、初めて1日スタジオ飛ばしてもうて。歌詞ができてなかったんですよ。シングルの時は、みんなが録ってる間にカップリングの歌詞書いてとか、そういうふうにやってたんですけど、アルバムはさすがにそのテンポ感じゃ歌詞が追いつかなくて。ほぼほぼどの曲も歌録りのギリギリまで詰めて、歌詞が完成してすぐ録ってっていう結構ハードなアルバム作りでした」

■逆に言うと楽曲は順調に進んだんだ?

「曲はそうですね、この1年の間に作り溜めてあったものがあったんで、曲に関しては全然困ることなくって感じでした」

■聴かせていただいて、この1年の成長がちゃんと音楽に結実したアルバムだなと思っていて。それはサウンド/演奏面における大幅なボトムアップ――非常に芯の強い、音と演奏それ自体がロックバンドの意志と衝動をきっちりと表すストロングなサウンドが鳴っていることもそうだし、歌詞の内容も含め、この1年の間に改めて確認していったことと新しく決意していったことが非常にリアルな実感と共に楽曲に落とし込まれていることもそうで。昨年のファーストアルバム『DOPPEL』でスタートを切った後、バンドとしてのギアを本格的に上げたこの1年をダイレクトに表したアルバムだと思ったんですけど。

「確かに、ほんまその通りやと思います。実は去年『DOPPEL』を作った後に次に作ろうと思っていたものとは、結果的に全然違うアルバムになったんですけど。その頃は最初にテーマを決めた上でコンセプトアルバムみたいなのを作ろうと思ってたんですよ。でも、そこからシングルを出していくじゃないですか。その時に、コンセプトアルバムにするってことを一切考えずに出してきてしまって。そうなると、今回アルバムにもシングルが4曲入ってるわけで、最初に考えたコンセプトアルバムにするっていうのが難しくなってしまって……」

■そうだったんだ。

「でも、トータルして見ればちゃんとテーマもつけられたし、アルバムとしてはちゃんと一貫性のある作品ができたなとは思ってます」

■『DOPPEL』を作った後にコンセプトアルバムやりたいと思った、その時に考えていたテーマはどういうものだったの?

「なんやったかな………………忘れました」

■おい(笑)。

「あの時はなんか、たぶん『DOPPEL』へのコンプレックスみたいなもんがあったんですよ。自分達の過去の曲を収録していくっていうことに少し抵抗もあったりして。聴く人からしたら全部初めての曲ですけど、僕らからしたらすでに1回味わってる曲だったりするものも結構入ってたから、そこに対するコンプレックスがあったんですよね」

■要するに、ジャスト今の自分達を表したものではないっていう。

「そうですね。だから次作はそうじゃない、ほんとに真新しいものを作りたかったんです。だからテーマも、たぶん考えてはいたんでしょうけど………忘れてしまったな。なんやったんやろう………」

■忘れるくらいのテーマだったのか……。

「あ、でも、ちょっと重めなテーマを考えてたと思います。『DOPPEL』は割とパーソナルな曲が多かったんで、もっと大きいことを歌いたい、みたいな気持ちがあって。そういうバンドになりたいっていう。今もそういう気持ちはもちろんあるんですけど、当時はその意識が凄く強かったんですよね。だから、もしあのままコンセプトアルバムみたいなのを作ってたら、結構重めな、誰が喜ぶねん!みたいなアルバムになってたかもしれない。だから逆によかったです」

■このアルバムは、今のKANA-BOONを見事に刻み込めた作品だと思うんですよ。この1年間にバンドが果たしてきた挑戦と成長と、その上でここからさらに突き進もうとしている意志と方向と理由が、ちゃんと作品として刻まれたものになったと思うんですけど。

「確かにそうですね、デビューしていろいろ大きいワンマンもやったり、フェスでもステージが上がっていったりして。そういう経験とか、そこで生まれた気持ちとか、逆に変わってない芯の部分とか、そういうのは全部ちゃんと曲に落とし込めたような気がします。ほんとに今を詰め込んだ感じですね」

(続きは本誌をチェック!

text by 有泉智子

『MUSICA1月号 Vol.93』

Posted on 2014.12.15 by MUSICA編集部

Mr.Children、5年ぶりのインタヴュー敢行!
『SENSE』から『足音 ~Be Strong』、さらにその先まで
桜井和寿が3万字ですべて語り尽くす

いろんな音楽があるけど、
世の中全体で「この曲のサビが歌える」みたいなのが
どんどんなくなってきているじゃないですか。
その中で自分の中でのシングル曲のあり方が、
“名もなき詩”とか“Tomorrow never knows”の頃の感覚とは
ずいぶん違ってきてるんです

『MUSICA 1月号 Vol.93』P.10より掲載

 

(ジャスト5年前となる2009年12月発売の本誌「さらば00年代」特集号の表紙に掲載されている自らの写真を見ながら)

「ほー、こんなんだったんだ(笑)」

■こんなだったね(笑)。この取材をした日は、ツアー「“Mr.Children DOME TOUR 2009~SUPERMARKET FANTASY ~」の初日の前日だったんだよね。

「へーーーー、本当ですか。そうだったんだ?」

■はい。まあ芝生の上とか、今年はワールドカップイヤーだったもので、ウカスカジーで取材やVIVA LA ROCK でも世話になったし、実はそんなに会ってないわけじゃないけど、Mr.Childrenの桜井くんとしてはジャスト5年ぶりなんです。

「はい。そのMr.Childrenとしては久しぶりという感じはわかります。そう思われる感じは、自分でもわかってるところです(笑)」

■聞いたところでは、このジャスト5年前のウチの表紙取材以来、こういった根を詰めた取材をしていないということで、もうMUSICAという雑誌のことも僕のこともMr.Childrenは忘れ切ってんじゃないかと思ってましたけど(笑)。

「いやいやいやいや(笑)」

■この5年間のたくさんの時間と想いと音楽を、全部語っていただきたいと思います。よろしくお願いします。

「はい、お願いします!」

■まず、今日は記念日ですよね。11月19日、本当に久々の――。

「はい、シングルのリリース日ですね。まぁ、実感ないですね(笑)」

■間隔が空き過ぎて?

「世の中ともちょっとリンクしてるのかもしれないけど、CDをリリースするっていうことに対しての実感というのが薄くなってるんでしょうね。僕自身も、CDを買うっていうことをしなくなってきているし………そんなこともあって、ちょっと実感が薄いんですよね、今日という日は」

■つまり、曲を作り続けていく、そしてそれをみんなに聴いてもらうっていう行為がアーティストとしての本質的な部分だとしたら、それをCDという形にして世に放り出すっていうことが、どんどん小さな一部になってきているってことだよね。

「そうですね、うん」

■ソングライターとしては、それはどういう変化に具体的に繋がっているんですか?

「………なんだろうな。シングルっていう単体で最近は曲を作ってないっていうか、何曲もある中でMr.Childrenの全貌を見せていきたいっていうところがあって、そのうちの一部を切り取った形なんですよね、シングルっていうのは。今回の“足音 ~Be Strong”もそう。……だから本当にこの3曲がベストなチョイスなのかっていうのは、いまだに自分でもわからないし、タイアップとの兼ね合いとかもあるし。それよりも、もっと早くアルバムを聴いてもらいたいっていう想いが強いんですよね」

■振り返ってみると、時代的な背景もあるだろうし、小林(武史)さんもいろいろ込めていたし走り回ったからだろうけど、デビューしてちょっとざわめいた頃から、シングルはほとんどタイアップはついていたわけで。その上で“CROSS ROAD”、“innocent world”で勝負に勝って、そこから今のMr.Childrenがあると思うんですよね。そのへんのシングルに関しての気持ちって、いつぐらいから変化していったの?

「本当に最近なんですよ。最近って言っても……………5年以上前かな、はははは。あぁ、『SUPERMARKET FANTASY』の時なのかな」

■あのアルバムのパイロットソングだった“エソラ”って、シングル切ってないもんね。レコーディング中から、あの“エソラ”が推し曲になる雰囲気はがっつりしてたけど、そういうアクションには出なかった。

「そうですね、(シングルとして)切ってなかったんですよね。……みんなって言ってもいろいろ(な音楽が今も)あるけど、世の中全体であるひとつの『この曲のサビが歌える』みたいなのがどんどんなくなってきているじゃないですか。その中でのシングル曲のあり方が、“名もなき詩”とか“Tomorrow never knows”でやった頃の自分の感覚とはずいぶんと違ったものになってるんですよね」

■凄くフラットに質問しますけど、その今の音楽とどう接するかという感じ、つまり「歌を唄うよりも盛り上がってその場を楽しむ感じ」って、Mr.Childrenや桜井和寿にとっては、どっちかって言ったら追い風よりも向かい風だと思うんですよね。それをソングライターとしてはどう受け止めているんですか?

「今ちょうど作ってるアルバム制作の中で凄く思ったことは、Mr.Childrenの役割って、大衆というものに向けて――それこそ今日の丸の内で撮影した写真じゃないけど――ど真ん中で響かせていきたいっていう感じなんですよね」

(続きは本誌をチェック!

text by 鹿野 淳

『MUSICA1月号 Vol.93』