Posted on 2016.08.18 by MUSICA編集部

UVERworld、共闘と不惑の意思を叫ぶ
シングル『WE ARE GO/ALL ALONE』リリース。
鋭気漲る現在とその先に迫る

僕はいろんなものを秤に乗せて降ろしたりする作業が上手いんだとは思います。
だから背負い過ぎることもないし、UVERworldに対して他の物事を
軽く見過ぎることもない。常に自分であり続けているというか

『MUSICA 8月号 Vol.112』P.80より掲載

 

■インタヴューは本当にご無沙汰になります。最後にお会いしたのはSKY-HIの楽屋で、横浜マラソンで初のフルマラソンを完走した直後の感動の瞬間だったね(笑)。

「ああーー!! そうだそうだ! そうでしたね(笑)」

■で、今日は膝を突き合わせてじっくり音楽の話と、バンドの現状を教えてもらおうと思います。今回のシングルは、基本的にはタイアップがあってリリースするという位置づけのものなんですか?

「はい、リリース自体はタイアップの話をもらってからです。でも“WE ARE GO”に関しては随分前から作ってて。それもかなり今までとは違う特殊な作り方なんですけど――みんなで合唱してそうな、初めの<We are>っていうところが、実は去年のうちにはカッコいい<We are>が録れてたんすよ」

■それはカッコいいメロディが浮かんだんじゃなくて、カッコいい<We are>のコーラスが、レコーディングでメンバーと一緒に録れたってこと?

「そうです。なんか曲にサウンドステッカーみたいなものが欲しいと思って。たとえば“7th Trigger”やったら口笛だったりとか、他にもパーカッションだったりクランプとか、いろいろあるじゃないですか? それで次の曲はどんな感じでいこうかな?って思った時に、UVERworldって6人で『We are感』あるし(笑)、ファンの人達とのライヴでの一体感も僕らは他のバンドさんに引けを取らないくらい『We are』感あるし、それでこの言葉が出てきた時に、『俺達でこれから何かを切り開いていく。進んでいく』みたいなものが、凄く簡単にイメージとして出てきたんです。そこからはこの<We are>をどうやってカッコよく聴かせようかってことを考えてって、この“WE ARE GO”に辿り着くまでに、あらゆるできてくる曲に次々に<We are>を乗せていったんです」

■はははははははははは、凄いWE ARE な旅だね。

「ははは、本当そうです。で、その都度テンポとかキーは変えてみますけど、『なんか<We are>がもったいないな』ってなったりしながら試行錯誤を続けて――それで最終的には、大体曲の60%くらいをメンバーがパーカッションを叩いてるっていうちょっと特殊な曲ができ上がってきて、そこにこの<We are>っていうサウンドステッカーを置くとグッときたから、それを広げていく作業で。本当に今までにはなかった特殊な作業でしたね」

■たとえば“7日目の決意”とか“僕の言葉ではない これは僕達の言葉”とかのように、夢の中だったりでインスピレーションが生まれた時、それを1曲の歌としてちゃんとメロディを主体にして作っていき、そこにバンドメンバーが合わさっていろんなトラックが集まったりいろんなリズムが入ってって1曲になるっていうのが、TAKUYA∞くんの中では通常のソングライティングだったりするの?

「僕はあんまり曲の作り方にセオリーはないですけど。でも今回は初めてのやり方でしたね、この<We are>というステッカーを活かそうっていうのは(笑)。大体でき上がってくる曲に口笛を入れてみたりとか、そういう発想が多いですし、一番多いのはアコギでの歌とメロディと軽い歌詞があって、そこにみんなが乗っかっていくっていうのが一番多いですね。夢で見るパターンはさすがにそんなにはないです(笑)」

■そりゃそうだよね、すまん(笑)。 

「はい(笑)。でもその中でも僕は割と夢曲があるほうではあるかもしれないですね――僕が拾えてないだけで。“僕の言葉~”と“7日目の決意”の間にも2回ぐらいあって、1回は拾えへんくて、2回目もぼんやり見たような見てないようなって感じなんですけど」

■それって果たして本人にとっては幸福なことなの? というのも、たとえば僕なんかも仕事の夢を見るんです。でもそれは大抵、「あ、まだこの原稿書いてなかった! ヤベぇ!!!」ってことで起きるとか、そういうネガティヴな強迫観念から来る夢だったりして。TAKUYA∞くんにとって、夢の中で未知の音楽が出てくるのは果たして幸福なことなのかな?

「ここまで200曲近くUVERworldで作ってて、ボツにしたものとか合わせたら500曲くらい作ってると思うんですよね。その中で(作曲において)大きなテーマになってくるのは、『いかに自分のいいところを残しつつ自分の癖から離れることができるのか』ってことなんですけど、なかなか癖って取れないんですよね。結局そこに行ってしまったりとか、それを気持ちいいと感じてしまったりとかして。でも夢って自然とそういうところから離れてくれて、自分になかったところに行ってくれるから、これは儲けもんやって思いますね。拾えへんかった時めちゃめちゃ悔しいですけど」

■宝物を逃しちゃうわけだからね(笑)。

「この10年間でも結構逃してて――僕意外と真面目な人やから、東京に来て初めの2年間くらいはずっと、すぐ録音ができるように枕元にテレコ置いて寝てたんですよ。でもデビュー当時くらいに2、3回あったんですけど、録ってみて次の日聴いたらしょうもないものだったんでもうやめてたんです。それが“7日目の決意”で形になって、しっかり拾えへん時は結局自分の癖に落ち着いたりしてしまうんですけど、ちゃんと拾えた時はいいとこにいくというか――ダリの有名な時計がだら~んって垂れてる画(『記憶の固執』)も、寝てる時に思いついたらしくて。で、彼も寝てる時のイメージっていうのは起きた瞬間に忘れてしまうから、一時は座りながらスプーンかなんかを咥えて、樽を下に置いてガクンってなって起きたら、何を見たっけ?って思い出して描いてたみたいな話を聞いて。だから最近は寝てる時にマネージャーが起こして来たら怒ったりします(笑)」

■あははははは! 俺のスリープはソングライティングなんだと(笑)。

「『今曲作ってったんや!』って言って(笑)」

■結果論的に言うと、ずっとこうやってレコーディングを続けていて、TAKUYA∞くんの人生ってほとんどスタジオの中でしょ? 今話していただいた“WE ARE GO”は、言ってみれば曲作りの段階で、非常にコラージュ的な発想が強い音楽だと思うんですよね。それはそういう生活を続けてたことによる自分の成熟や進化の産物なのか、もしくは単純にこういう音楽をやりたかったっていう気まぐれなのか、どっちなんですか?

「後者ですね。まあ何より僕も相当スタジオにいますけど、でもとことんいる人に比べたらそれほどでもないと思うんですよ。自分は無理ができない質なんで、無理にスタジオにいるっていうのができないんですよね。遊ぶ時は遊んでるし――たぶん横浜マラソンの日もメンバーのみんなはスタジオ入ってたと思うんですけど、でもああやって気分転換に走らせてもらったりして。僕はスタジオで机の上に向かっても、いくら考えても出てこないタイプの人なんです。でも外に出て何か吸収して、スタジオで曲作ろうってなった時には、もう大体全体的にはできてるんですよね。だから人生のほとんどスタジオにいるわけではないし、産物っていうより気まぐれです。常に自分の音楽で感動していたい、新鮮さを感じていたいってとこから出てきた感じです」

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text by鹿野 淳

『MUSICA8月号 Vol.112』

Posted on 2016.08.18 by MUSICA編集部

SHISHAMO、初のストリングスを導入した
シングル『夏の恋人』リリース。
さらなる進化を見せる宮崎朝子の心模様を覗く

ちょっとの人しか聴いていないのであれば、私にとって曲の完成ではないんですよ。
SHISHAMOの音楽が変わってきているのはそういうことなのかなって。
たくさんの人に聴いて欲しいっていう想いが音を変えていったのかなって

『MUSICA 8月号 Vol.112』P.100より掲載

 

■あの、SHISHAMOは夏と冬にシングルを出して、「始まりと終わり」の季節である春にアルバムを出すという三種の神器を決めたんだね。

「いや、決めてないです(笑)。でも言われてみたら、確かに。………なんかタイミング的にそういう時期になりがちなんですよね」

■だけどSHISHAMOは出会いや別れを歌う曲が多いから、春にアルバムが出るのは凄くいいと思う。あとは宮崎が夏にビシっと! 冬にビシっと! そして年に1度アルバムをビシっと!書けるかですね。

「……うー、そうできればいいんですけど、あまりそういうことを考えてないですね。タイミングばっかりはわかんないじゃないですか?」

■そりゃそうだよね。で、今回の夏のシングル “夏の恋人”からは、アレンジレベルで新しくやりたいことをたくさん感じました。しかも枯渇感を一切感させない曲でさすがでした。本格的にバンド活動が始まってから3年が経ったけど、実際のところはどんな調子なんですか?

「枯渇感はないです。そもそも、書きたいと思って曲を書いていないですからね」

■そか(笑)。宮崎は「作家」として書いていますからね。

「はい。それでなんとかなっています(笑)。でも本当に、曲ばっかりはできてみないとわからないんですよ。これから凄い曲ができるのかそうじゃないかなんて作ってみないとわからないじゃないですか。だから私が曲がいっさい作れなくなる日がいつ来るのかもわからないし」

■それは怖いことなんですか?

「怖い? 怖いかな? うーん、怖いとは思っていないですね。毎回なんとなくできて、今回も出せる感じなんですよ、今はまだ」

■ただ、作家という意味で言っても、去年のシングル“熱帯夜”からアルバムに入ってた “みんなのうた”、そしてこの“夏の恋人”と、SHISHAMOのファンだけに向けた曲じゃないものもたくさん生まれてきている。これはSHISHAMOが変わってきたっていうことなのか、私が作りたい音楽が変わってきたっていうことなのか、どう思いますか?

「うーん…………というより、本当にやらなきゃいけないことがわかってきたんですよね。元々、誰かに向けて作っていたわけじゃないし。それこそ高校生の時とかは、むしろ(オーディションの)大会に出なきゃいけなかったから作ろう!みたいな感じで作ってたし」

■その中で、自分らがやれるのはこれだ!という曲。

「はい。ファーストアルバムまではそういうのが多かったんですけど。でも今は聴く人のことを考えて作るようになったし、SHISHAMOがやらなきゃいけないことをわかってきたんですよね」

■それってもうちょっと具体的に教えてください。

「ただ作るっていうより、そこにちゃんと意味がないといけないじゃないですか。いいものを作っても、自分だけが納得してるんじゃ嫌なんですよ」

■つまりは結果を出したいと。

「そうですね。たくさんの人に聴いてもらうために私は作っているので。どんなにいい曲でも、ちょっとの人しか聴いていないのであれば、私にとって曲の完成ではないんですよ。いろんな人が良いといてくれないとって思っているので。それを本当に考えてやるようになった。その結果、やることは変わっていないんですけど、でもSHISHAMOの音楽が変わってきているのはそういうことなのかなって。たくさんの人に聴いて欲しいっていう想いが音を変えていったのかなって」

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text by鹿野 淳

『MUSICA8月号 Vol.112』

Posted on 2016.08.18 by MUSICA編集部

シングルが発売延期となったサカナクションの「今」――
その活動の意図と現状に正面から切り込む

今一番怖いのは、
自分がやりたいこととチームがやりたいことに温度差が出ることで。
その温度差を埋める方法を見つけなきゃとは思ってて、
そのために具体的に始めたのが僕の自宅をスタジオ化して、
メンバーが定期的に集まって話し、制作をするスタイルなんです

『MUSICA 8月号 Vol.112』P.88より掲載

 

■インタヴューするのは去年の10月に広島でツアー中にやって以来なので、実はかなりご無沙汰で。いろいろじっくり話したいんだけど、まずは一番近いところ、SAKANATRIBEから行きましょう。

「はい、よろしくお願いします」

■初の野外レイヴ主催、そして5,000人を動員して成功させたことに対して、まず何よりもおめでとう。EDM以外で今この国で5,000人規模のレイヴパーティをやるのはなかなか難しい中で、初回でこれだけ動員を果たしたのは大きな意味があると思いました。終わって10日ほど経過した今、自分の中ではどういう感じですか?

「実際にやってみて、自分が思ってたよりもストイックなパーティになったなと思ったんですよ。天候も雨だったし、フェス(JOIN ALIVE)からそのままオールナイトだったのでお客さん的にもタフな状況だったろうと思うし(JOIN ALIVEと両方参加した人が多数だった)、サウンド的にもバンドなしでDJだけのパーティだったし。たぶんあのパーティで楽しめたら日本全国どこのオールナイトパーティ行っても大丈夫じゃないかっていうぐらいストイックかつタフなパーティになったなと思うんだけど(笑)、5000人の参加者の大多数が最後までちゃんとついてきてくれてたんで、そこは凄く希望があったなと思いました。あと単純に1回やったことでいろんなノウハウもできたんで、来年以降また新しくパーティーをやる時に活かせるなと思いましたね」

■MUSICAの去年のインタヴューでは、2017年に2万人規模でレイヴをやりたいって言ってて。それでいくと1年前倒しで5000人規模のイベントになったわけだけど、これは将来やりたいことの前哨戦を地元でやったっていうふうに捉えればいいの?

「そうですね。僕がやりたいのは日本最大規模のレイヴパーティというか、キャンプと音楽が一緒になった、音楽はもちろん音楽以外のカルチャーにも触れられる空間を作るっていうことで。それがサカナクションの次の夢のひとつでもあるんだけど。それをやるためには勇気も準備も必要なんで、まずそこに向けた前哨戦としてNFというイベントをリキッドルームで始めたんです。で、名古屋、大阪でもやり、その流れで北海道でもやろうという話になって。そんな時にちょうどMount Aliveの山本さん(北海道のイベンターにしてJOIN ALIVEの主催者)から『上でやらない?』っていう話をいただいたんで(今回のSAKANATRIBEの会場は、JOIN ALIVEの会場に隣接するゲレンデの頂上に作られた)、野外イベントの経験を積みたいという部分も含め、今回あの場所で走らせてみたんです。実際やってみて夢があったのは、オールナイトパーティでも保護者と一緒なら未成年も参加できたんですよ。だから高校生や小学生も結構来ていて。たぶんその子らが普段聴く音楽はJ-ROCKやフェスに出る音楽、あるいはもっとエンターテイメントなポップスだったりすると思うんだけど、そういう子達がDJの中でも割とストイックなダンスミュージックを体験する、その楽しみ方をフラットに経験できた――そういうハイブリッド性に僕達が関与できたっていうのは、今の自分達がテーマとしている、『100万枚のセールスを上げてシーンに影響を与えるんじゃなく、未来を見据えてもっと直接的にシーンに影響を与える活動をする』っていうことに直結したかなって思いましたけどね」

■この1年、NFからSAKANATRIBEまでやり続けてきた中で見えてきたポジティヴとネガティヴは、どんなものがあるの?

「これはずっと言い続けてることだけど、音楽って音楽以外のカルチャーの影響も受けているし、かつ音楽以外の仕事の人達も関わっているものじゃないですか。それをリスナーが自覚したり、そこに面白さを覚えるようになると、音楽から他のカルチャーに興味を持ってもらえるようになると思うんですよ。80年代とかそうだったと思うんですけど、それがこれからの音楽の未来でもあると思っていて。プラス、近年音楽の楽しみ方が一方向的になっているけど、そうじゃない形の楽しみ方――浴びるんじゃなくて『探す』音楽の遊び方を提案することを自分の表現の一部にしたいという想いが僕には強くあるから。主にそのふたつの想いの下にNFをやってるわけですけど、それがちょっとずつ実を結びかけてはいるなって感じられてるのがポジティヴな部分。でも、マネタイズ含めて本当に続けていくためのスタミナをどうやってつけるのかは、現実的にまだ手探り状態で。やっぱりビジネス的なメリットがないとシーンは動かないから、それをどう動かしていくか、そのためにどういう人達と組むのかがキーになっていくかなと思ってて。だから今はそのためのチーム作りをやってるんだけど」

■SAKANATRIBEをあの規模でできたのは、サカナクションというブランドが大きいのは言うまでもないことで。それは自分達がちゃんと実績と信頼を培ってきたことの素晴らしい証明であるんだけど、ただ一方では、現実的にやはりサカナクションのメンバー以外のアクトでは、みんな疲れて休んでしまっている様子も多く見受けられて。それは一郎自身も自覚してるよね?

「そうですね」

■そこも含め、自分達が今やってることをどこに着地させていきたいのか、そのためにどれくらい時間がかかると思ってるのか、その辺りはどう?

「………時間はかかるかもしれないけど、今は早くその基盤を作りたいっていう感じですね。僕らはみんなが知らない遊び方を知ってるんで、それをみんなに体験してもらって、より音楽を楽しいと思ってもらいたいし、音楽を探す活力をサカナクションの音楽、表現の中から得て欲しいなって思ってて。かつ、自分達ももっと音楽で遊びたい。それが“新宝島”で歌った自分達が連れて行きたい先だと思ってるから」

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text by鹿野 淳

『MUSICA8月号 Vol.112』

Posted on 2016.08.17 by MUSICA編集部

[Alexandros]、シングル『Swan』リリース。
自由に音楽の旅を続ける今と、来たるべきアルバムの展望

必ずしも今みんなが盛り上がるような曲ではなくて、新しいもの、
自信を持って「これがいい音楽とされるべきなんだよ」と言い切れる曲っていうか。
そういうものを作っていかないとダメなフェーズに、ウチらは入ってる気がする

『MUSICA 8月号 Vol.112』P.72より掲載

 

■前回インタヴューしたのは表紙を飾ってもらった『NEW WALL / I want u to love me』の時だったんですけど、その時に、ここ最近はソングライティングにおける自由度が今まで以上に増しているっていう話をして。で、その背景には、『ALXD』という極めてジャンルレスな作品をメジャー1発目で提示できたことで [Alexandros]というバンドの持つ音楽的な自由度がしっかり認知されたということ、そしてプラス、洋平くんのみならずメンバー全員がより楽曲至上主義になれていることがあるんだっていう話をしてもらったんですけど。

「うん、そうですね」

■そういう中で今回のシングル『Swan』は、表題曲にしてもカップリングの“Newe, Newe”にしても、曲調は違えどどちらも壮大で王道的なメロディが響く、歌がとても強い作品だなと感じて。自分ではどうですか?

「“NEW WALL”もそうだったんですけど、今回の曲はメロディから作っていった曲なんですよ。だからそう思われるのは当然だなと思います」

■“Swan”はピアノとエレクトロビートの静かな世界で始まるから、一瞬“In your face”みたいにポストダブステップ的な曲調かと思いきや――。

「ね(笑)。そこからドーンって一気に変わりますよね」

■間奏はこのバンドが得意なメタルパートのアップデート版みたいになってるしね(笑)。つまり、打ち込みは混ざってはいるけど、久々に衝動的で切迫感のあるバンドサウンドがキーとなるタイプの曲になりましたよね。

「そうですね。実はこの曲、最初は全部バラードだったんですよ。完全にバラードっていうほどじゃなかったんですけど、でも割とゆったりしたビート感がずっと続いて、2番でちょっと四つ打ちが入るぐらいの、静かなタイプの楽曲で。それはそれでよかったんですけど、もしかしたらBPMを変えたらよりいいものになるのでは!?というアイディアが浮かんで。で、ちょうど同じ頃にメンバーからも『これはもうちょっと表舞台に立たせる用のアレンジにしてもいいんじゃないか』っていう意見が出てきたので、試してみたんですよね。とはいえ、単純に全体のBPMを上げるだけだとつまんないなと思ったんで、最初はゆっくり始まって、途中から速くするっていう方法をとったら割とハマりましたね。最後まで悩んだんですけどね、ゆっくりのところは要らないんじゃないかとか。でも、ここがあったほうがこのメロディを立たせることができるなって思ったので」

■最初がバラードだったのは、そういうモードだったんですか。

「いや、単純に何も考えないで作ったデモがそうだったからです(笑)」

■なるほど(笑)。

「デモを10~20曲ぐらいバーッと作ってた時期があって、その時に作ってた中のひとつなんですよ。バラードを作りたいなという意識は特になく、純粋にその時に思いついたメロディがこういうものだったって感じ。エンジニアさんと一緒にスタジオでデモを作ってたんですけど、かなりラフなやり方——本当にその場その場で作っていくというやり方をしてたんですよね。スタジオに行く時に思いついたことを形にしたり、スタジオでだべってる時に『あ、ちょっと思いついたんで、こんなビートで作りましょうか』って言ってリズムパターンを作って、それを流しながら歌ったりとか。もちろんネタはなんとなく持ってるんですけど、でも基本的にはその場の思いつきで作るっていうやり方をして」

■瞬発力で作曲してたんだ。

「そう。そういうことを、スケジュール的に余裕があるうちにやっておいたほうがいいかなって思って、やってた時期があったんですよね。ドラマのお話をいただいた時、他にもいくつか曲はあったんですけど、その中でこの曲を気に入っていただいたので。なので、そこから歌詞を書いて、仕上げていった感じでした。ただ、デモの段階からもう既に<愛を>という言葉はありましたけどね」

■ほぉ。なんで<愛を>っていう言葉が浮かんだんだと思いますか?

「なんでだろう……たぶん歌いやすかったんでしょうね(笑)」

■(笑)。

「メロディが出てきた時に適当に言葉をハメて歌ってたんですけど、その時に<愛を>っていう部分が出てきて。で、そこから紐解いていく感じで歌詞を書いていったんですけど……この曲って、踊り子さんがそのダンスによって人々を魅了していく話なんですよ。女性目線だったり男目線になってたりするんですけど」

■はい、魅了する側と魅了される側の目線が入り混じってるよね。

「そう。で、これは自分も芸の世界に入ってそういうことを目の当たりにする中で、いつか書いてみたいなって思ってたテーマだったんですよね」

■ちなみに、ドラマもそういう話なの?

「いや、まったく違います(笑)。ドラマは猟奇的殺人の話で。だから歌詞は直接的には繋がってないんですけど、でも雰囲気の部分でエグい部分はなかなか当てはまるんじゃないかと思うんですけど」

■確かにこの曲、愛を歌ってるんだけど、内容的にはかなりエグいんですよね。<愛を歌うそぶり魅せつけながら/僕はまた騙され>というフレーズがあるけど、愛に惑わされていく残酷さと狂おしさが描かれていて。

「そうなんですよね。僕のために踊ってるんじゃないってことはわかっていながらもハマっていく、『誰かのために踊ってるんだろうな。でも別にいいや』みたいな、『俺のことをちゃんと愛してくれてないんだろうけど、それでも食われよう』っていう――惑わされているということをどこかでわかっていながら、それでもそこに自分の弱さを預けるみたいな、そういう情景が書きたいなって思ってたんで。実は最初はもっとさらにエグいラヴソングだったんですよ(笑)。でも、もうちょっとラフなほうがいいなと思って少しフィルターを差し込んでボヤけさせていった感じ」

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text by有泉智子

『MUSICA8月号 Vol.112』

Posted on 2016.08.17 by MUSICA編集部

クリープハイプ、本領発揮のアルバム『世界観』完成!
会心の名作を尾崎が存分に語り尽くす

僕は人を巻き込んで、人を背負って
やっていかないと納得できないんだなって。
今こうやってるのもバンドを続けてるのも
人に構ってもらいたかったんです、結局は

『MUSICA 8月号 Vol.112』P.40より掲載

 

■メジャーデビューアルバム以来、もしくは『踊り場から愛を込めて』以来の傑作が生まれたと思います。

「うわ、ありがとうございます。こういう瞬間に頑張ってよかったと思えるんですね。嬉しいです、本当に」

■おめでとう。いろんな意味で有言実行できている作品だし、込めた力が全部音楽になっていると思ったんですけど。ご自分ではどういうふうに感じてますか?

「今回は、前の2枚目、3枚目に比べると、作ってる時はそんなに細かく考えてなかったんですよね。全然時間もなかったし」

■2枚目(『吹き零れる程のI、哀、愛』)の時は、「売れる」っていうことに対してどれだけアルバムで餌を撒けるか、戦略的なものが作れるかっていう時期だったよね。

「そうですね。ファースト(『死ぬまで一生愛されてると思ってたよ』)は元々あった曲が半分以上だったので、そういう意味では『作った』っていう感じはそこまでなかったんですよね。で、セカンドはアルバムをしっかり作るぞっていう気持ちで作ったんです」

■3枚目(『一つになれないなら、せめて二つだけでいよう』)は、現状に対して矢を射ちたいみたいな気持ちがあったよね。

「はい。そういう意味では、3枚目はアルバムを作るっていうことに関して一番成熟してたつもりだったんですよね。でも、真面目にやり過ぎたなって思ってて。それと比べると、今回のはそんなにアルバムを作るっていうモチヴェーションもなかったし(笑)。アルバムを出さなきゃいけないっていうことで曲は作ってたんですけど、その曲がいいか悪いか自分ではよくわからなかったんですよ。で、去年の年末に合宿をやった時に、代ゼミのタイアップで“破花”を作るタイミングがあって。だから、アルバムに気持ちが行ってない中で、今年の5月ぐらいからレコーディングが始まっていったんです。そこから“鬼”の話をもらって――元々、『境界のRINNE』のタイアップの“アイニー”だけがあって、それでアルバムを出すっていう感じだったので、ここからの流れはなんとなく想像できるなって思ってたんですよね。そこで“鬼”の話が来て、『こういうことやってみたいな』と思うことが繋がったというか、“鬼”があることによってちゃんと説得力が出たと思うんですよね。あと、小説(『祐介』)を書いてたことによって、より強い歌詞も完成して、ひとつ自分の中で落ち着いた感じがしてて。それでだいぶ変わっていきました。だから、このアルバムが完成する1ヵ月くらい前まではそんなに手応えないままやってたんですけど」

■前作のアルバムが出てからこの作品を出すまでに、いろんな心模様の変化があったと思うんですよ。僕は、それが全部この作品に出ているなと思ったんだけど、自分の頭の中ではこのアルバムはまとまってないんだ?

「あ、でもこの間聴いた時は凄いよかったですね。『こういうふうにできたんだな』っていう感想はありました。そういう意味では、鹿野さんの言う通りファーストに似てるかもしれないですね。『これでいいのかな?』っていう気持ちがあったんですよね、昔は」

■みんな“オレンジ”を「いい」って言うけど、尾崎自身は「そんなにいい曲かな?」って思ってたりね(笑)。

「そうですね(笑)、それに近かったです。ただ、そうやっていろんなことができたから、やってて楽しかったですけどね。楽しいだけで終わるんじゃないかって思ってたけど、現段階で聴いてもらった人達にも『いい』って言ってもらえてるので。………なんか不思議だなって思います。なんとかしたい時になんとかならなくて、『別にいいや』って思ってる時にそうなるっていうのは」

■そこは不思議ではなく必然だというインタヴューにここからなると思うんですけど、そもそもはどういうものを作りたいと思ってたの?

「とりあえず曲をいっぱい入れたいなって思ってたんですよ。曲は今までで一番入れようと思ってて」

■それは現実的な話として、このタームはシングルが割と多かったっていう理由があるよね。だからこそそれ以外の曲をたくさん入れようと。

「そうですね。前作は曲が少なかった印象があったので、そこだけは最初にこだわってました。単純に『シングルとか、こういう曲が多過ぎたらあれだな』っていうバランスを考えたりしてたんですけど、その結果逆にいろんなことやり過ぎてスタンダードな曲がなくなってたので(笑)、最後に1曲目の“手”っていう曲を作って。そういうのができたことによって、アルバム全体がまとまったかなって思います。でも、結局全部偶然なんですよね。最近の流れとしては、全部がタイミングとして上手くハマって、アルバムに辿り着いた感じがしますね。それは今年の頭から全部そうです。だから理由とか理屈とかが今回は全然ないんです。本当にそういうことを考えてなかったし。最初はなんとかアルバムを完成させないとっていう気持ちだけでやってたぐらいで」

■言ってみれば、『死ぬまで一生~』も理屈がない作品だったもんね。「とにかくやんなきゃ、出さなきゃ、この曲を入れとかなきゃ」ってだけ。

「そうですね。でもその後からは売れたから周りから言われたりして、しかも移籍のこととかもあったから、成功する為の曲ってことを凄く考えてたんですけどね。たぶんそれがよくも悪くも伝わってなくて、わかってもらえてなかったっていうか――」

■いや、伝わってたんだと思うし、僕も伝わってたつもりでした。ただ、悪しき例として位置づけるならば、ちょっと頭が固かったってことだよね。音楽がちゃんとタンスの中にしまわれ過ぎて、このバンド本来の面白さやいい意味での粗暴さが聴こえてこなかったというか。

「『こうして欲しい』っていう自分の理想が曲の中から透けて見え過ぎてたのかな。それが押しつけがましかったのかもしれないです。今回は『別に聴いて欲しいとも思ってねえし』ぐらいの感じで作ったんですけど、聴き返した時に強いものができたからよかったですね」

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text by鹿野 淳

『MUSICA8月号 Vol.112』

Posted on 2016.08.17 by MUSICA編集部

BUMP OF CHICKEN、日産スタジアム公演に完全密着!
バンド初のスタジアムツアーを徹底総括

70,000人を前に、この20年間の孤高の理由をすべて歌い鳴らし切った、
最高のライヴ、最高のフィナーレ。
アリーナバンドになって11年半、スタジアムバンドになって3年、
日本最大収容スタジアムにて
「BUMP OF CHICKENという宝石が鳴った日」に完全密着!

『MUSICA 8月号 Vol.112』P.50より掲載

 

(前半略)

11時2分、4人揃って会場入り。チャマはここに来る前に身体でも動かしてきたのだろうか、いつもより並外れて血色がよく、テカテカしている。フジは喉の奥に蒸気を当てる小さなマシーンを口にふくみながら出てきた。そう、今日のライヴは2日続きの2日目なのだ。

 そのまま4人共楽屋に入るや否や、すぐに舞台監督が来て、昨日の終演後の反省会の課題を確認し、それを含めたリハーサルでやる曲を決めようとしてる。どうやら細かい反省点を全部網羅してリハを行うと、時間的に大きく膨らんでしまうことになるので、その辺りの取捨選択をしているようだ。あらためて、どの曲が課題があるのか、どれが不安だからこそ念入りにするかを、楽屋入り口付近で車座になって確かめ合う。たとえば「そうだね、では“ray”は大丈夫だと思うんだ、俺らもスタッフのみんなも締めてかかれば100点取れると思う。だからリハはなしにしよう」など、テキパキといろいろなことが決まり、楽屋は4人(杜僕)だけになり、ご飯を食べることになった。

 ここでリハーサル曲の次に問われ悩んだのが、「牛丼の具」についてである。

 牛丼の具、つまりすき焼きのようなものをご飯の上にのせるか、もしくはご飯とは別盛りにして食べるか? 間髪入れずに増川は別盛り!と、リハ決めと同じテンションでいたって真面目に返し、むしろその真面目さがおかしくて愛らしい。しばし考えてこれまた別盛りにしたフジは、楽屋内にヨガマットを広げ、早速ストレッチを始めた。

 11時15分。「ご飯ご飯!」と、今まで聞いたことのないメロディに乗せてフジが強い声で歌いながらソファーに座り、増川と同じく別盛りにした牛丼を食べ始める。もうこの牛丼ソングを聞いただけでわかる。彼は2日連続の2日目でありながらいたって絶好調だ!

「いや、だって今日でツアー終わるんだよ? しかっぺ、何本来たっけ? え、全部!? ありがとう(笑)。だったら一番わかるでしょ? こんなにも楽しかったんだよ、ツアーが。なのに疲れてるとか、そういうのもう関係ないでしょう。何でも前向きに考える人がそういうのはわかるかもしれないけど、俺だよ?(笑)。俺がこう言ってるんだから、楽しかったってことが本物だってことだよ(笑)。今日もよろしくね」

 と、ゆっくりと牛丼を口に運びながら確かな気持ちを伝えてくれる。

「でもだからといって快調な朝を迎えたかというと、それはまた別物で(笑)、朝方の5時10分までずっと寝れず、頑張って寝ようと安静にしたけど無理で。じゃあってホテルのバスに湯をはって足湯したりして、でも逆に足湯しながら覚醒しちゃってさ(笑)。したら友達からメールで『ごめーん、こんな早くに。今日楽しみにしてる』と言われ、もう完全に寝れねーなと思っちゃって(笑)。………だからさ、今は3時間は寝たと信じてる(笑)」

 さらに「メシが美味い」と笑顔でつぶやき、前で食べている増川が静かに頷く。ベッドにまで完全密着するのはどうかと思うので、どれだけ本当に寝たのかはわからないが、少なくとも朝ご飯で彼らは充分エネルギーをチャージしていたことは、ここに記しておく。

 

 ちなみに今回、最初の構想では17時から開演する予定だった。遠くから来る方が帰れる時間というのがその理由だが、結果、それが30分ディレイして17時半開演となった。理由は「日差し」である。17時から始めると、本当の後半戦まで殆ど照明やLED映像の演出の効果が弱まる。つまり「夜」がほとんど来ないで終わってしまうのだ。

 しかし日産スタジアムは音止め推奨時間があって、それは20時である。それまでにライヴを終わらせなければいけないギリギリを考え、30分後ろ倒しの17時半開演にしたのだ。

 11時23分、「昨日の予報だと今日は大丈夫らしい」とフジがみんなに言う。一昨日のこともあるから、天気、特に降雨に関してはそれなりに神経質になっているのだろう。フジが話すには、一昨日金曜のゲネ日もそんなに強い雨ではなく、実は建て込み日の木曜から入ってたんだけど、その日のほうが凄かったんだという。実際にゲネプロとしての通しリハこそできなかったが、新曲の“アリア”を含めた気になる曲はほとんどできたから、準備不足とかでそんなに心配でもなかったんだよと話してくれる。

 その後は「これ、うめえな、何だ?」とふたりでしばし悩み、メニューが貼ってあるのを見て、「イカだ! イカの南蛮漬けだ!」と気持ちが小躍りしているフジと増川、そしてそれをゆっくり部屋を歩きながら笑って見つめるチャマ。升はいつものように、きっとステージのチェックに行っているのだろう。

「そういえばさ、本当に秀ちゃんはああいう言い方をしたんだっけ?」と、昨日のMCで話した思い出話シリーズを回想しながら、増川がフジを相手に話し出す。まずは、この後の会話を理解してもらうためにも、前日のこの部分のMCの概略を記す。

 

チャマ「中2のある時に、秀ちゃんがフジくんの胸ぐら掴んで『ロックを変えようぜ!』って言ったことがあって。フジくん、実際、胸ぐらつかんでそんなこと言われてどうだったの?」

フジ「………もっと普通に言えないのかなって思った(笑)。その日、ヒロと秀ちゃんと3人で帰ってて、どうやらふたりとも『あの分かれ道のところで(フジにバンドやろうって)言おうぜ』って示し合わせてたみたいでさ、そこが近づいてくると無駄にすげぇ歩みが遅くて『早く行こうぜ』って思ってたんだけど(笑)。で、ヒロと秀ちゃんが『言うぞ、言うぞ』ってモジモジしながら言ってて――まぁ結局ヒロは何も言わなかったんだけどさ(笑)」

 

「そもそも秀ちゃん、『ロックを変えようぜ!』とはっきり言ったんだっけ? もう少し違う言い方だった気もするんだよね」と増川が言ったところで、ちょうど升が入ってくる。まさにフジが「そこまではっきり言ったかどうか自信がないまま、実は昨日は話しちゃったんだけど」と話しているところに、升が「それ、言ったよ。だって、わざとそう言おうって前日に頑張って台詞を考えて、それをフジくんに言ったんだもん」とあっけらかんと言い放ち、みんなで大爆笑。

「よかった。大体全部合ってたわ」とフジが笑ったのが11時33分。「物事って、言ったほうよりも言われたほうが覚えているもんだよな」と升とフジが言い合っている。このツアー恒例の思い出話MCタイム、今日はどんな話をするのだろうか?

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text by鹿野 淳

『MUSICA8月号 Vol.112』

Posted on 2016.08.16 by MUSICA編集部

ロックの新たな太陽・WANIMA、
シングル『JUICE UP!!』を機に、
初の表紙巻頭特集に堂々登場!
――Chapter1:シングル『JUICE UP!!』インタヴュー

観ていて「あ、カッコいい、可愛い」って思うのは他のバンドに任せていい。
だけど、「共に生きたい」「一緒に行きたい」っていうのは、
俺らに任せて欲しいです。俺らについてきて欲しいです

『MUSICA 8月号 Vol.112』P.10より掲載

 

(前半略)

■で、今回の『JUICE UP!!』なんですが。作品としてはアルバム『Are You Coming?』以来となるシングルなんだけど、『Are You Coming?』は1年前のシングル『Think That…』と同時期にレコーディングしていた作品で。ということは、本格的にブレイクしてから作った作品という意味では、今回のシングルが1発目で。そもそも自分達はどういう作品、どういう歌を作ってみんなに投げかけたいと思ってたんですか?

KENTA「なんやろう……やっぱり『Are You Coming?』を出して、みんなに『もうWANIMAは出し切ったんじゃないか?』って思われてるかもしれんっていうことを考えたりしたんですよ。そういう部分に対しての変な責任感みたいなものは持ってたと思います。絶対みんな『次、WANIMAどうくるんや?』って構えてくるやろうなって思ってたんですよ」

■それはあるよね。ファンはもちろん期待して待ってるだろうし、ファンじゃない人もそれくらい注目してる――乱暴な言い方すれば、WANIMAは一発屋的なものなのか、もっと大きな可能性と実力を持ってるバンドなのか、そこを見定めようとしてる人も多いタイミングだろうね。

KENTA「そう! それはもう、スタジオに入ってる時もずっと3人で言い合ってたんですよ。『WANIMA出し切ったってみんな絶対思ってるから、今回のヤツで超えてやろう!』っていう気持ちは強かったです。だから今回は全曲、自分達の挑戦がいっぱいあります。まずリズムの面で言うと今回は2ビートを使ってないんですよ」

FUJI「よく『WANIMAはパンクバンド』って言われるんですけど、3人の中では『パンクバンド』っていう意識は全然ないんですよ」

KENTA「ま、精神はパンクやけどね!」

FUJI「うん。でも音楽的に言うとパンクだけをやってるっていう意識はなくて。だからそのイメージを今回で壊したいっていうのはありましたね」

KENTA「だから2ビートを使わず、それでいて熱さを失わず、今までのWANIMAの2ビートを聴いて好きだった人もガッカリさせず――っていう一番いいところはないかな?って考えて挑戦していったり。で、何故そうしたのかって言ったら、やっぱりもっともっとたくさんの人に届けたいっていう気持ちが強かったからで。それが今回は凄く強いです」

■『Are You Coming?』にはたくさんのアンセムも入ってるし、だからこそ「もうこれ以上のものは出てこないんじゃないか?」っていう声に対して――まぁ実際のところ、そういう声はそんなにないと思うんだけど。

KENTA「そう、やから自分達で変な責任を感じてただけなんですけど」

FUJI「自分達で追い込んでいった(笑)」

KENTA「なんか、変なカルマを背負いましたね」

■だけど、そういう意識もあって、「パンク」っていうところに括られないWANIMAの大きな可能性をここで見せたいっていう意識が強かったんだ。

KENTA「それは強かったです。あと、やっぱり『Are You Coming?』でも、今思うと『ここはこうすればよかった!』っていうところがたくさんあったんですよ。俺らはやっぱり歌で伝えたいことがたくさんあるし、ただたくさんCDを出してるバンドとは思われたくなくて。ちゃんと伝えたいことを伝えるために作品を出してるし、だからこそ、歌詞にしてもメロディにしても、『Are You Coming?』の時よりも3人でもっともっと音楽に向き合おうっていうことをずっと考えて作った作品だと思います。で、そのためにも3人でもっと共通した意識を持ってやろうっていうことは凄い話しましたね。なんか、こう……やっぱり音やから、形じゃなくて、自分達が感じたものじゃないですか。だからその感じるものとかイメージをとにかく3人の中で一致させていくっていうのを今まで以上にやって。で、その3人で感じたものを本当に強く信じたっていう感じでした」

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text by有泉智子

『MUSICA8月号 Vol.112』

Posted on 2016.08.16 by MUSICA編集部

スピッツ、2号連続企画・後編
草野マサムネによる『醒めない』全曲解説インタヴュー

前作までなら「こういう強い言葉はスピッツっぽくないな」ってカットしてた言葉も、
今回は自主規制レベルをちょい下げてて。
……今巷で流れてるポップな音楽の歌詞の
「あまりの当たり障りのなさ」に、一石投じたい気持ちもなくはないです

『MUSICA 8月号 Vol.112』P.30より掲載

 

1. 醒めない

 

■前号のメンバー全員での表紙巻頭に続いての取材をマサムネくんひとりでお願いするんですが。

「みんな帰っちゃったしね、寂しいです」

■あと2時間ほどおつき合いを。今回は8月16日発売の記事なので、『醒めない』をみんなが聴いた上で読むものになるんじゃないかな。

「あ、じゃあ、なんかこぼれ話的なことも話したほうがいいかな?」

■それは是非お願いしたい! というわけで早速1曲目の“醒めない”から。これは「1曲目を書こう」と思って書いた曲と話してくれましたが。

「そうですね。毎回ね、1曲目の曲って困るんですよね。なるべくシングル曲を1曲目にはしたくないっていうのもあるし」

■それはつまり、新しいアルバムを再生して最初に耳に飛び込んでくる曲は、すでにみんなが知ってる曲ではなく、まっさらな新曲でありたいと。

「そう。で、今回も、今年に入ってしばらく『まだ1曲目っぽい曲はないよなぁ』って思ってたんです。なんかね、これまではずっと『結果としてこの曲が1曲目』みたいな感じで来てたけど、もっとベタにアルバムの幕開け感がある曲を作ってみたいっていうのは実はずっと思ってたところもあったんだよね……で、そうしてるうちに『醒めない』っていうアルバムタイトルが決まったので、じゃあこれで作ろうって。『醒めない』っていう言葉はずっとあたためてた言葉でもあったんで」

■それはもうずいぶん前からってこと?

「ここ2年ぐらいかな? スマホを持つようになってから昔と比べてメモることが凄いラクになって(笑)、パッて浮かんだ『あ、これいいかも』っていう言葉をどんどんメモれるようになったんですよ。それこそ昔は『家に帰るまで忘れないようにしよう!』って思いながらも忘れてしまうこともあったんだけど(笑)。だから今はピンと来た言葉のストックがたくさんあるんですけど、その中のひとつに『醒めない』っていう言葉があって。これは今、自分達の創作におけるキーワードとしてぴったりだなっていうふうには思ってたし、実際に制作をしていくうちにこの言葉がどんどん自分の中で大きくなっていったんで、『これをタイトルにしたら凄く俺らの今っぽいかも』って思ったんですよね」

■このタイトルに込められてるのは「醒めたくない」という想いや「俺達はロックバンド家業から絶対に醒めないんだぞ」っていう意思表示ではなく、現実に俺達はこうやって生きてるんだっていう現実描写なんだね。

「うん、そう。(若い頃は)何十年後かは醒めてるんだろうなぁって思ってたんだけど、醒めてねぇじゃん!っていう(笑)。それは幸せなことだし、『まだまだ醒めないじゃん!』っていう気持ちは、この年齢だからこそ言えることでもあるし。なので、そういう想いを音とか歌詞に込めた曲が作れないかなっていうので取りかかりました。タイトルから曲を作るっていうのは今まで本当にやってなかったんだけど、でも意外と楽しい作業だなとは思いながら、作ってましたね」

■そういう曲を1曲目にしたいっていうのは、どういう気持ちだったんでしょうね?

「うーん……前回のアルバムが割としっとりと暗めな曲から始まっていたし、『とげまる』もどっしりした曲から始まっていたから、今回はもうちょっと軽快で明るい曲から始まってみたいっていうのは流れの上でもあったんですけど。………自分が今聴くんだったら軽快な曲から始まるアルバムを聴きたいなっていうのは強いのかも」

■そこは自分の中の時代に対する反射、もしくは時代に対する提示みたいなものもあるんですか。

「いや、間接的に影響を受けたりはしていると思いますけど、具体的にはないですね。今回は、『小さな生き物』ではまだ再生する前の不安と期待の中にいた主人公が、いよいよ再生しますっていう、そういうアルバムにしたかったので。だからオープニングを飾るファンファーレ的な曲にしたかったのもあったし。実際、ベルの音やラッパの音も入ってますしね」

■<カリスマの服真似た/忘れてしまいたい青い日々/でもね復活しようぜ/恥じらい燃やしてく>という一節があるんですけど、これは昔のご自分に対することですよね?

「ふふふふふ。ま、今思うと『それ違うだろ!』みたいな恥ずかしい格好してましたからね(笑)」

■足にバンダナ巻いてやったりしてたよね(笑)。

「ははははは、そう、あの頃はみんなね――みんなっつって自分を薄めようとしてますけど(笑)」

■僕は“醒めない”と最後の“こんにちは”の2曲は、両方ともロックの神様みたいなものに語りかけている歌なのかなとも思ったんですけど、マサムネくんの中ではそういうものではないのかな?

「………いや、でもそれは近いかもね。神様でもいいし、ロックっていう大陸でもいいし――『ロック大陸』って俺がよく使う言葉なんですけど、そこに対して語りかけてるところはあるかもしれない。……思春期の頃って、どこに掴まっていいのかわからなくてウロウロしているような時期だったんですけど、そこでロックに出会ったことでやっと上陸できる大陸見つけちゃったよ!みたいなワクワク感覚があったんですよ。その感覚が今でも続いているなっていうのはありますね」

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text by鹿野 淳

『MUSICA8月号 Vol.112』

Posted on 2016.08.16 by MUSICA編集部

ロックの新たな太陽・WANIMA、
シングル『JUICE UP!!』を機に、
初の表紙巻頭特集に堂々登場!
――Chapter2:出会いから現在までを辿る
バンドヒストリーインタヴュー!

KO-SHINが東京に来てからも、ドラムが見つかるまでがスゲぇ長くて不安やった。
「ドラムを打ち込みにしてライヴしようか?」って話したこともあったし、
楽器を置いてふたりでラップするか、っていう案もあったくらいで(笑)(KENTA)

『MUSICA 8月号 Vol.112』P.22より掲載

 

(前半略)

WANIMA受胎! 物心ついた頃から

ともに育った兄弟より濃い少年期

 

■いきなり遡りますが、幼馴染のKENTAくんとKO-SHINくんの出会いから、既にWANIMAの歴史は始まっていたようなものだと思うんですが。

KENTA「そうですね。熊本は天草の保育園で4歳の時に会って、それから今までずっと一緒なんですよ。今の僕らを傍から見ると、俺がKO-SHINに意地悪したり一方的にバーッと言ったり、仲悪く見えたり、みたいなイメージやと思うんですけど――」

■いや、仲悪くは全っ然見えない(笑)。

KENTA「小さい時からずっとこんな感じやったし、周りが思ってる以上に一緒に過ごしてたんですよ。俺が家に帰ったら、KO-SHINが先に晩御飯を食べてたりしてて。その時から今まで、腐れ縁みたいな感じというか――たとえ音楽をやってなかったとしても、一緒にいる仲なんじゃないかなって思います。まあ、『殺したい!』って思うくらいムカつくこともあるんですけどね?(笑)。それでも次の日になったら『まぁいっか、KO-SHINやし』みたいになってるんです。4歳の時から20数年、ずっとその繰り返しですね(笑)」

■KO-SHINくんの何がムカつくんですか?

KENTA「あんまり喋らないから、その分KO-SHINの中でいろんなことを考えてるんやろうなって思ったら、何もないんですよ(笑)。そこが腹立ちます。そのくせ頑固で負けず嫌いやし」

KO-SHIN「ふふふ」

KENTA「でも俺が落ちてる時とか、俺のちょっとした変化にもKO-SHINは気づいてくれて、俺の代わりに代弁してくれることもあって。それはたまにですけど、そういうところは感謝してます」

■KO-SHINくんから見たKENTAくんとの出会いはどういうものだったんですか?

KO-SHIN「僕は元々違う町に住んでたんですけど、4歳の時に引っ越してきて、保育園でKENTAと出会ったんですよ。でも、その保育園でイジめられて(笑)。みんなが遊んだ積み木を片づけさせられたりしてましたね」

KENTA「で、代表でイジめてたのが俺です(笑)」

■ははははははははははは。

KO-SHIN「はい。でもお互いの家が近かったので、小学生の時も行き帰りが一緒で。そこから大きくなっていって……今に至るって感じですね」

KENTA「20数年一気に飛ばし過ぎやろ!(笑)」

■なんでイジめてたの?

KENTA「いやいやいやいや! イジメじゃないですよ! またお前がそういう言い方するけん!」

KO-SHIN「(笑)ま、僕はイジめられてるとは思ってなかったですけどね」

KENTA「やったらなんでそんな紛らわしい言い方すると!?」

KO-SHIN「いや、今思い出すと『あれはイジメだったんじゃないか』って(笑)」

KENTA「俺からすると『KO-SHIN片づけとけよ』っていうのは、そうやって話しかけたくなるような、気になる存在やったってことで」

FUJI「それがコミュニケーションだったんだ」

KENTA「そうそう、可愛がってた感じ。KO-SHINが3月の早生まれで俺が4月生まれやから、当時は俺のほうがだいぶ大きかったし。やから、どこか弟みたいに見てたんやと思う」

KO-SHIN「僕は逆に、『この子達は積み木の片づけもできない子達なんだ、しょうがないな』って思ってました」

■逆にお兄さん気分だったんだ(笑)。ちなみに当時から無口で忍耐強かったの?

KO-SHIN「はい。……なんか、精神力が強い人は無口なことが多いらしいですよ(笑)」

FUJI「それ、自分で言うか(笑)」

■ふたりが生まれ育った天草は、どういう場所だったんですか?

KENTA「『ここでどうやったらWANIMAが生まれて音楽やれるんだ!?』って感じると思いますよ。楽器屋もないし、山と海しかない。基本的に、そこで生まれたら漁師か大工しかない町だったので」

KO-SHIN「星が綺麗やったね。街灯がないけん」

KENTA「そうやな。でも真っ暗過ぎてさすがに夜道が怖いから、KO-SHINと一緒に『街灯作ってくれ』って役場に頼みに行ったこともあったんやけど、『月明かりでなんとかしてくれ』って言われるような小さい町でした。小学校は12人ひと学級で6年過ごしたし、高校も全校生徒が56人で。……でも、小さい町だからこそ、人と人の繋がりを凄く大事にする場所だったんです。そういう、都会にはないものがある場所で育ちましたね。たとえば魚釣りしてたら野生のイルカが釣りの邪魔しにきたり――そういう環境にいたので、想像力とか感受性は豊かになったと思うんですけど」

■KENTAくんは、自分でどういう子だったと思います?

KENTA「うーん……小さい頃から変わった子やったと思います。周りの子達が気づかないようなこともよく気づいたり、他の人やったら気にせん部分も目についてしまったり。だから、学校の先生達も俺のこと苦手だったと思います(笑)。特に大人のことはずっと疑ってたというか、『裏側に何かあるかな』みたいな――嘘ついてるな、とか、そういうのはすぐ気づいてた気がしますね」

■外側より内側を見つめるところがあった? 

KENTA「はい。ほんまにそれ思っとるか?とか――でも、明るかったですよ。評判よかったし!」

FUJI「ほんとかよ!(笑)」

■今のWANIMAの音楽の原風景には、そうして生まれ育った場所が映ってると思います?

KENTA「それはありますね! メロディを作っている時なんか、必ず熊本の景色を思い出します。上京する時のばあちゃんの顔も思い出しますし――生まれ育った場所とか、大事な人とか大事な場所は、そのまま全部曲になってると思います」

(続きは本誌をチェック!

text by矢島大地

『MUSICA8月号 Vol.112』