Posted on 2013.11.16 by MUSICA編集部

Dragon Ash、“Lily”(=百合)リリース。
新曲にバンドのシンボルを掲げた意図とは?

人間だから欲深いし聖人君子じゃいられないけど、
それでも自分の中に一輪でも純粋な部分があれば、
それだけで美しいと思える。
それが自分達にとっては音楽なんだけど

 

『MUSICA 12月号 Vol.80』P.98より掲載

 

 

■もう、Dragon Ashが“Lily”というタイトルの新曲を出すっていうだけで期待感を持っているファンも多いと思うんですけど、実際、その期待に違わぬ素晴らしい名曲が生まれました。まずは、何故このタイトルで曲を作ろうと思ったのか?から訊かせてください。

 

「これ、本当は違う曲をシングルにしようって話になってたんだよ。で、ジャケも俺がやってるんで、そのアートワークを進めてる時に、仲間に半端じゃなく絵が上手いヤツがいるから、そいつに『ジャケ一緒に作ろうよ、金色のヒマワリを描いてくれ』ってオファーして。で、そいつが2カ月ぐらい悩んで『できた!』って持ってきたんだけど、それが何故か金色の百合だったんだよ。『ごめん、ヒマワリ描けなかった』っつって」

 

■ええええええっ!?

 

「俺も『えぇっ?』って言った(笑)。でもその絵がよかったからさ(実際に『Lily』のジャケになっている絵です)、『だったら曲書き直すわ』って言って、“Lily”ってタイトルにすることを決めて書いたのが、この曲なんだよね」

 

■なんか、凄い経緯ですね(笑)。

 

「ほんとだよ(笑)。で、内容は、その時に自分の身の回りで起こったこと――俺のことじゃないんだけどさ、でも、今の気持ちを曲にしておこうと思ってたことがあったから。それと“Lily”で曲を作ろうっていうのが混ざってできた」

 

■なるほど。とはいえ、このバンドのひとつの象徴でもある百合=Lilyを掲げて曲を書くっていうのは、大きなことでもあるわけで。

 

「………まぁ正直、俺もみんな凄い『Lily』って言葉に反応してるなと思ってる。そこはね、やや反省もしてるんだけど(笑)」

 

■はははは。そりゃ反応しますよ。だって、Lilyだったり百合っていう言葉がタイトルや歌詞に入った曲は、どれも大切な曲ですもん。

 

「みんな割と人気曲だもんね」

 

■そう、代表曲ばかり。改めて訊きますけど、Kjさんにとって百合の花というのは、どういうものの象徴でありメタファーなんですか?

 

「白百合は純粋なものというか、清らかなものっていうイメージかな。俺らは人間だから欲深いし、いろんな邪念も入ってくるから聖人君子じゃいられないんだけど、それでも自分の中に一輪でも純粋な部分があれば、それだけで美しいと思える。それが自分達にとっては音楽なんだけど。だから、自分達の大事な部分みたいなイメージ。ウィリアム・ブレイクの詩みたいに、薔薇も棘があって、羊にも角があるんだけど、百合は咲いているだけで美しさを讃えてる、みたいなさ。何かひとつでもいいから、そういう部分が自分の中にあり続けるようにしていたいっていう、それは昔からずっと思ってる」

 

■その大切なものを失わないまま、その胸に抱いて生きていこうっていうことを、ずっと鳴らし続けてきたバンドだと思うんですよね。それが外との闘争に向かう時もあったし、仲間と共に自分達の王国を守っていくような時もあったと思うけど、ここ最近のDragon Ashはそれがより広い場所、広いリスナーへのメッセージとして開いていってる感じがしていて。だからこそ、そういう時期に“Lily”というタイトルの曲が来たことの意味はとても大きいと思う。たとえきっかけは友達がヒマワリを描けなかったことだとしても(笑)。

 

「はははは」

 

■でも、そこで百合が来たっていうのも、なんだか凄くこのバンドらしいなとも思うし。

 

「そうだね(笑)」

 

■さっき身の回りで起こったことに対する気持ちを曲にしたって話をしてくれましたけど、“Walk with Dreams”然り、自分の近い人に向けて書いたものが、より広い仲間やファン、さらにはその先の人達にまで歌いかけるメッセージソングになっていくというのは、Dragon Ashのひとつの在り方だと思うんですけど。この曲はまさにそうだと思うし、さらに言えば、Dragon Ashというバンドはこういう気持ちを真ん中に抱えて走り続けているからこそ、これだけの支持を得ているという、言ってみればDragon AshをDragon Ashたらしめるひとつの核となるメッセージが真っ直ぐ歌われている気がしたんですけど。

 

「うん、そうじゃないかな。自分のことは一切意識しないでこの曲を書いてるけど、結果的には今、KenKenの手を借りてライヴやってるわけだし、そういうのは自分にも置き換えられるよね」

 

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text by 有泉 智子

『MUSICA12月号 Vol.80』

Posted on 2013.11.16 by MUSICA編集部

遂にメジャーデビュー!
KEYTALK、初のロングインタヴュー敢行!

「KEYTALK」らしさって、
ひと言で言うと「楽しさ」だと思ってます。
楽曲もライヴも人を楽しませる要素があって、
その人の生活の中になくてはならない音楽で

 

『MUSICA 12月号 Vol.80』P.86より掲載

 ■満を持してのメジャーデビューというタイミングだと思うんですけど。インディーズでやってきた中で一気にこの半年から1年くらいで状況を爆発させた感じだと思うし、率直に今、どう感じてるかっていうところから教えてもらえますか?

 

小野武正(G)「そうですね、やっぱりインディーズで3年間やってきたし、満を持してっていう感じはします。でも、そこまで我慢に我慢してっていう感じではなくて、着実にライヴとツアーを重ねてきた中で、今思えば『ようやく』っていう感じで。だから、軽やかに次のステージに行けるというか、ステップアップできる感じというか」

 

寺中友将(Vo&G)「そうですね。バンド始めた時に思ってたメジャーデビューって凄いことだって思い描いてたんですけど、いざ自分がメジャーデビューするっていう時になると、あんまり構えてはなくて(笑)。さっき小野くんが言ってくれたみたいに、着実にワンマンも少しずつステージが大きいハコでできるようになってきたし、そういう段階を踏んできた中での通過点っていう感じが今回はしていて。延長線上っていうイメージですね」

 

■逆に、昔漠然と思い描いていたメジャーシーンのイメージって、どういうものだったの?

 

寺中「やっぱりテレビに出てる人達っていうのが凄い大きいですかね。本当にドームとか、そういうところでやってる人達の印象があったんで。だから、まだ全然ここから新しいスタート地点っていう感じがしてますね」

 

小野「そうだね。やっぱりメジャーのシーンは今まで以上にたくさんの一般の人にも届くチャンスなんで。だいぶ状況は変わってきそうだし、凄くそれが楽しみですね」

 

八木優樹(Dr)「なんと言うか……やっぱ、ずっと喜んではいられないじゃないですか。このメンバーになってバンドを始めてからメジャーでやりたいなっていう想いはあったし、この話をいただいた時に凄く浮き足だったんですけど、今は落ち着いていて。自然な流れで来たるべき時が来たなって思ってます。一旦、手放しで喜びましたけど、自分がこれからやるべきことを考えた時に『あ、浮き足立ってはいられないな』って思って」

 

首藤義勝(B&Vo)「うん。やっぱりずっとメジャーでやりたいと思って今までやってきたんですけど、結果的に、インディーズの3年間って本当に必要な3年間だったなって思っていて。主に現場を大事にするっていう意味でちゃんとやるべきことを理解できた、いい3年間だったなって思うんですよね。だから、メジャーデビューも漠然とした目標ではあったんですけど、『目標が達成できた!』っていう実感はまったくなくて。いい意味で欲が出てきてる感じがありますね」

 

■現実のほうが夢だったものを追い越しちゃってる感じ?

 

首藤「そうなんですかね(笑)。3年前ぐらいのインタヴューで『バンドの目標はなんですか?』って訊かれて、その時はたしか『(下北沢)SHELTERでワンマンがやりたいです』って言ったんですけど、その後、SHELTERでワンマンやって、(渋谷)QUATTROでワンマンやって、今度はLIQUIDROOMでやったりして。いい意味でインディーズで自信がつけられたっていうのもあるし、これからメジャーになって関わる人、聴いてくれる人が増えて、とにかく凄くワクワクしてますね。不安とかもあんまりなく、これからどんどん大きくなっていくんだろうなって、凄くポジティヴな気持ちです」

 

■今回の『コースター』ってシングルは、カップリングも含めて4曲、非常にこのバンドが持っているいろんな音楽性が凝縮されてるなぁと思っていて。それこそ、スカみたいなものから4つ打ちのダンスビートから、もの凄くJポップ的な歌謡的メロディセンスのものから、ツインヴォーカルのシティ感みたいなものから、いろんなものがギュッと詰まっていて。そういう意味では、今みなさんはメジャーデビューだから云々っていうのはあまり意識されてないっていうふうにおっしゃってましたけど、ここで聴く人が大幅に増えるっていうことも含めて、改めて自分達の長所や「らしさ」みたいなものをちゃんと提示していった作品なのかなって聴かせてもらったんですけど。

 

小野「あぁ……でも、基本的には今までとほとんど変わってなくて、ただ『いい曲を作ろう』というのがあって、この3人(小野・寺中・首藤)が曲を持ち寄って。で、その中からメジャーデビューに向けて特に一番キャッチーなものっていうか、一番KEYTALKらしいものを選んだっていう感じですかね。だから、メジャーに行くからっていう意識よりは、今まで通りの自然体で1曲1曲が立った新作を出すっていう感じですね」

 

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text by 寺田 宏幸

『MUSICA12月号 Vol.80』

Posted on 2013.11.16 by MUSICA編集部

長澤知之、辿り着いた圧倒的最高傑作。
彼だけの音が解き放たれた、今作の所以に迫る

 

どういうふうに人間関係を築けばいいのか、
以前の自分は本当に疎かったと思う。
そういうコミュニケーション能力が
自分にもあるっていうのは、発見だった

 

『MUSICA 12月号 Vol.80』P.92より掲載

 

 

■「ここから新たな長澤知之が始まる!」という新しい息吹きが詰まった、とんでもなく素晴らしいアルバムが完成しましたね。

 

「ありがとうございます(笑)」

 

■中には相変わらず辛辣な歌詞も多かったりするんだけど、作品全体から伝わってくる感覚がとても肯定的で前向きで。長年長澤くんの音楽を聴いてきて、こうして取材をしている人間としては、そこにとても心を打たれました。

 

「そういうふうに感じてもらえて嬉しいですし、実際にこの作品を聴いて、『なんだか開けたねぇ』みたいなことを言ってくれる人がたくさんいて。自分としてはこれまでただ作品を作り続けてきただけで、そこにはほとんど主観しかなかったから、ちょっとまだ作品の全体像を把握できてないかもしれないけど。自分自身としては、ここで何かが変わったという自覚はあまりないんですよ。でも、そういう感想を聞くと、そうなのかもしれないなって思います」

 

■2年前の『JUNKLIFE』のリリースの時は、「ファーストフルアルバムまで長かったね」っていう話から始まりましたけど、あれから非常に充実したミニアルバム『SEVEN』を挟んで、こうしていいペースで作品を生み出してきたことも、このアルバムのいいムードに繋がっているのかなって思ったんですけど。

「そうですね。僕にとってミニアルバムというのはとても重要なもので、6曲とか7曲とか入った作品を作るのも凄く好きなんですけど、アルバムというのはまた別の意味があって」

 

■『SEVEN』の時のインタビューでも、「フルアルバムの覚悟っていうのは、別のものとしてある」って言ってましたよね。

 

「はい。だから、ライヴはもうちょっと数をやりたいとはいつも思ってるんですけど、制作に関してはある程度リズムよく刻めてるのかなって思ってます。欲を言えばきりがないですけど、こうしていい環境でアルバムを作ることもできたし」

 

■今回のアルバム『黄金の在処』は、多くの優れたミュージシャンとの共演が収められた作品になったわけですけど、これは自然とこういうアルバムの作り方になっていった感じだったんですか?

 

「この前の『JUNKLIFE』というアルバムは、相手に対してグッと寄っていって、その耳元で無理矢理こちらから語りかけるような、そういうつもりで作った作品だったので。その火照った身体を一旦冷まして、ちょっと気持ちを落ち着けて、相手とじっくり話し合えるような距離を保つというか。いわゆる、普通の人間関係でいるっていうのかな、そういう今のフラットな気持ちがこういう作品に繋がっていったのかなって思うんですよね。自分自身も、今までよりも人との話し方を覚えたというか、人間関係においてこうしたらいいのかなというようなことをわかってきた感じが最近していて。世渡りと言うんですかね(笑)、そういうものをなんとなく自分なりに覚えてきたような気がしてます」

 

■それって、何気なく言ってますけど、10代の頃ずっと部屋に引きこもっていた長澤くんにとってはとても大きいことですよね。「世渡り」の意味が、他の人が言うよりもずっと重みがある(笑)。

 

「自立への第一歩とでも言うんでしょうか(笑)。ずっと部屋にこもって音楽を作っていて、バンドを組もうとも思ったけど全然上手くいかなくて、バイトはいっぱいしてきたけれど社会経験と言えるような経験はほとんどなくて。そこから今の事務所に入ってここに至るっていう。だから、どういうふうに他の人間とつき合えばいいのか、どういうふうに人間関係を築いていけばいいのか、そういうことについて以前の自分は本当に疎かったんだと思います。それが、少しずつ変わってこれたのかなって」

  

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text by 宇野 維正

『MUSICA12月号 Vol.80』

Posted on 2013.11.16 by MUSICA編集部

RADWIMPS、ニューアルバムで新たな高みへ
野田洋次郎ソロ&メンバー全員インタヴュー敢行―その②

山口「プロツールスや電子ドラムを使うことで
どんどん音探しの旅が広がっていって。
もっと広い脳味噌の中にある何かを探したい、
辿り着きたいっていう思考が今回はあったと思う」

 

『MUSICA 12月号 Vol.80』P.14より掲載

野田洋次郎「さっき話してたんだけど、前回のインタヴューの時は25歳だったんだよ」

 

武田祐介「えぇーっ!」

 

山口智史「それ凄いな、25か……」

 

野田「凄いよね、小6が中3になってるんだよ」

 

桑原 彰「そうか……」

 

■(笑)という、相当お久しぶりな取材なんですけど。さっき洋次郎さんには伝えたんですが、『×と○と罪と』は新しいRADWIMPSが生まれたなっていう印象が凄く強い、もう4ピースのロックバンドであるという枠組すらも自由に凌駕していった、これまで以上に大幅に音楽的な飛躍を遂げた傑作が生まれたと思ってます。まずは、3人のアルバムに対する印象から。

 

山口「はい(満面の笑顔)」

 

■もう、その笑顔をそのまま載せたいくらいなんですけど(笑)。

 

全員「(笑)」

 

山口「それが一番手っ取り早い気もするんですけど(笑)。今『飛躍』っていう言葉をいただきましたけど、自分の手応えも本当にそういう感じですね。今までもアルバムごとに新しい試みをして、新しいRADWIMPSを出してこれたと思うんですけど、今回は作っている時から『より変身したな』っていう実感があって。実際、聴いてみても変化の度合いが今までより大きいんじゃないかなって思います。しかも、決して奇をてらったとかそういうことではなく、自分にとって一番新しくて一番素晴らしいものになってるなって思えてて………傑作だと思います!」

 

武田「先ほどおっしゃっていただいたことを僕も凄い思ってて。レコーディングの最中も、『これ発明じゃね?』とか、『これ今までになかったね!』っていう言葉がメンバー同士で凄くいっぱい出てきて、1曲できる度に凄い喜びがあったんです。それがようやく形になってリリースできるので………ハッピーです(笑)」

 

■桑原さんはどうですか?

 

桑原「僕も一緒なんですけど。今回、メンバーそれぞれがいろんなことに挑戦してて。全員がプロツールスを買ってアレンジをやっていったりとか。やっぱり、洋次郎のソロを受けたことも少し関係してるのかもしれないけど、バンドっていうよりも、音楽集団的な方向が新たに開けたアルバムなんじゃないかなって、ひとりで思ってました」

 

野田「いやいや、こっちもそう思ってたから、ひとりじゃないよ」

 

桑原「ふふ、そうか」

 

■今、桑原さんが言ってくれた音楽集団的な方向っていうのは、まさにそうだと思います。というか、みんなそれぞれにプロツールス上で曲をアレンジしたりしたんですね。

 

野田「そうですね。今回のアルバムの背景にはいろんな要素があると思うけど――それはさっきのインタヴューでわかったんだけど(笑)。その中でも、みんながプロツールスを持ったことは大きかったんじゃないかなって思う。全員がちょっとマニピュレーター的な役割を担うようになって、そういう次元でもセッションし始めたので。そこでいろんなやり取りをしていったことは間違いなく影響してると思うし。さっき有泉さんも言ってくれたように、4人形態のロックバンドというプロセスではない形で音楽を作れたっていうのは凄く大きかった。今まではドラムがあってベースがあってギターがあってヴォーカルがあってっていう、その形が前提だったし、その関連性からいろんな挑戦とか実験をしてたけど、今回は全然違ったから。もう全部が『音』でしかなかったというか。ハットの代わりにギターがいてもいいし、ベースの代わりに鍵盤でもいいし、そういう音の組み合わせ方をしていって」

 

■つまり、パートや楽器関係なく、あくまでその音楽を輝かせるために最適な音と最適なフレーズ、最適なリズムを考えていったってことですよね。

 

野田「そうですね。だから、時にはベースやギターを全部取っちゃうっていう考えもあったし。みんなが音楽集団になるっていうのはそういうことだし、俺が今回のアルバムで望んでたのはそういうことだったのかもしれない。で、それを3人が受け入れて、しかも楽しんでやってくれたから。それは間違いなく、ひとつ新しさを生んでいると思います」

 

(続きは本誌をチェック!))

text by 有泉 智子

『MUSICA12月号 Vol.80』

Posted on 2013.11.15 by MUSICA編集部

SEKAI NO OWARIが現世に生み出したファンタジー空間
「炎と森のカーニバル」完全レポート

終わりなき「夢」を「世界」に変えた夜――
「壮大なるファンタジーの具現化、「炎と森のカーニバル」

『MUSICA 12月号 Vol.80』P.58より掲載

 

 

でも本当は夢ってさ 叶えるモノじゃなくってさ

共に泣いたり笑ったりするモノなんだ

――SEKAI NO OWARIがまだ世界の終わりだった頃からライヴで演奏していた“yume”という曲には、こんな一節がある。10月12日~14日の3日間にわたって開催されたセルフプロデュースによる野外ワンマン「炎と森のカーニバル」。それは、バンドのワンマンライヴという領域を遥かに超えた、まさに「夢」の具現化としか言いようのない壮大なファンタジーでありながら、その場限りで消えてしまう魔法とは明らかに異なる感触を持った、確かなるひとつの「リアル」だった。

 「炎と森のカーニバル」の開催が発表されたのは今年の2月、「ARENA TOUR 2013 『ENTERTAINMENT』」のツアーファイナルでのこと。けれど実際に構想が動き出したのは去年だったというから、ほぼ1年がかりで準備し、実現させたプロジェクトということになる。時々スタッフから「こんな感じになりそうです」という話を聞かせてもらったり、イメージ図のようなものを見せてもらったりもしたけど、発想があまりにも壮大過ぎて現実的な予測がつかないというか、本当に実現できるのか勝手に心配になってしまったくらいだった(もちろん今となっては、その心配は完全な杞憂だったとわかるのだけど)。実際、開催を約2週間後に控えた9月末に都内のスタジオでライヴのリハーサルに励む4人の様子を見に行った際も、Saori(SEKAI NO OWARIのステージは毎回そうだが、今回も彼女がメンバーの意見をまとめ、総合演出を務めました)が「いろんなアイディアを出したし準備やチェックもしてるけど、そういうものが実際にどんなふうに見えるのか、どんなふうに機能するのかは、私達にも現地に入ってセットを組んでみるまでわからなくて」と話していて。Fukaseのこだわりであったステージに「生える」高さ30mの巨大樹と共に今回の目玉となった巨大なウォータースクリーン(特殊ノズルから水を滝のように落として作る水幕スクリーン。映像や文字を映し出すことができる)を使った演出も、当然だけど都内のスタジオでは試すことはできず、現地で実際にステージを設営してから確認する以外に術はないのである。

 とはいえ、リハで会ったメンバーからは、不安な様子はほとんど感じられなかった。ここに至るまでに話し合い(と、おそらく「闘い」笑)も散々したし、考え得る準備はやっているし、あとは制作に励むスタッフ陣を信じ、自分達は音楽の練習に励むだけ……とでも言うような、地に足のついた自信が滲み出るような落ち着いた雰囲気があった。唯一、アリーナツアーの「空中散歩」に続き、今回の目玉演出のひとつとしてマイケル・ジャクソンへのオマージュのごときダンスを「魅せる」ことになったDJ LOVEだけは、ちょっと不安そうで、他のメンバーよりも先にスタジオに入って一生懸命ダンスの個人練習に励んでいたけれど。

(続きは本誌をチェック!))

 

text by 有泉 智子

『MUSICA12月号 Vol.80』

Posted on 2013.11.15 by MUSICA編集部

スガ シカオがスペシャルな夢実現!
のどごし夢のドリーム、その全貌を完全レポート

「スガ シカオに世界に一つだけのテーマソングを作ってほしい!」、遂に実現。
マジシャン希望の23歳に向けて書き下ろされた新曲
その名は“見る前に跳べ.com”!?
スガ シカオ王道のソウルの新たな金字塔、誕生までの「生」ストーリー

 

『MUSICA 12月号 Vol.80』P.64より掲載

 

10月21日、この企画のフィナーレの場所である渋谷クアトロで開催した「披露宴」のスペシャルライヴ上で、無事にこの曲は初披露され、阿部くんに届けられました。阿部くんの夢が、そしてMUSICAと音楽の夢が、ひとつ叶った瞬間でした。阿部くんの顔はクシャクシャになり、集まってくれた600人の音楽ファンはもみくちゃになり、スガ シカオは時にサディスティックに、時にマゾヒスティックに、晴れのステージからみんなを煽りまくり。まさに、最高の空気の中、夢は叶いました。

 ――というわけで、見事この夢を叶えてくれたスガ シカオとのインタヴューをどうぞ――。

 

■よくぞ素晴らしい名曲を作って頂きました。この曲、具体的にいつ頃形になったんですか?

 

「本っ当に最近ですよ。これからアコースティックというか、生音中心のブルースソウルミニアルバムみたいな作品を作る予定なんですよ。その流れの中で、この曲の構想もまとまっていって……ちょっと古い感じのコード使いを1回やりたくて。昔のソウルっぽい感じが出てるのは、まさにそういうミニアルバムを作ろうとしていた中で生まれた曲だからなんです」

 

■凄くセクシーかつアッパーな曲で、仕上がりとしては非常にポップな仕上がりになりましたね。

 

「そこはもう、MUSICAとの企画だってことを意識しましたよ。いっぱい曲を作った中で一番わかりやすくポップなものを出したほうがいいなって思ったから、これにしたんです」

 

■歌詞はどうですか? これは阿部くんだけじゃなく、スガさん自身にも向けた言葉のようにも聴こえたんですけど。実際はどうなの?

 

「これはね、阿部くんのための曲を書くつもりだったのが、書いてるうちにだんだん自分のためにもなってきちゃって。歌詞で歌っている主人公の駄目っぷりが『これ自分のことだなぁ…』って思えてきちゃったから(笑)……それで阿部くんと俺のふたりの歌にすることにしたんですよ」

 

■ペアソングね(笑)。

 

「ははははは、そうそう。阿部くんも頑張る、そして俺も頑張るみたいな。阿部くんのためだけだったら、“見る前に跳べ.com”の歌詞は重過ぎるところもあったんですけど、プラス俺っていう意識が加わって、これしかないって思えたんです」

 

■スガさんが独立してからの自分の姿勢みたいなものを、改めて記す歌にも感じるんですけど。

 

「そうなんですよね。ひとりになってから、怖気づいているといい結果が出ないと思いつつ、やっぱり怖気づいてしまうところが俺の中に繰り返しあって……そこは正直に書いた感じですよね。『怖気づくといい結果が出ないなぁ。かといって、無闇に跳んだからといって、いい結果が出るとは限らないよな……』っていう不安な感情を、かなり等身大で書いてます」

 

(続きは本誌をチェック!))

 

text by 鹿野 淳

『MUSICA12月号 Vol.80』

Posted on 2013.11.15 by MUSICA編集部

これが新たなロック――
覚醒したSHISHAMOの現在地に迫る

 

私自身のことになると、作っていて楽しくなくて。
妄想しているほうが進むし、モチヴェーションが上がる。
自分じゃない世界のことのほうが、
考え1れば考えるほど面白いんですよ

『MUSICA 12月号 Vol.80』P.80より掲載

 

 

■超自信作が作れました……ですよね?

 

「(苦笑)……うーん、いい曲はたくさん作れたなっとは思いますけどね」

 

■何故、いい曲がたくさん作れたんですか?

 

「偶然です(笑)。高校生の時に作った曲が、M1、2、3、5で、5が一番古い楽曲ですね。4は、曲のベースだけが高校の時にありました。その後の後半はぜんぶ、卒業してからの曲です」

 

■そういう自分らの成長期を――。

 

「いや(笑)、これもまた偶然だったんですけど」

 

■そ(笑)。高校生の時と、高校を卒業してからは、自分の気持ちの何が変わったの?

 

「そこまで自分の中で変化したものはないんですけど、やっぱり生活はガラッと変わって。制作の面で、前の『卒業制作』に後悔があったりしたんです。初めてのレコーディングだったし、『こう歌ったらどう聴こえるか』とかがわからない中で、曲作りにもまだ慣れていなかったし。今回は、そういう後悔をなくそう!と思って作ったアルバムですね。……あの頃、自分のやりたいことはこれじゃないのかもしれないって思ったんですよね。自分の曲をまだ自分で好きになれていなかったんです。『卒業制作』の最後に作った“第3ボタン”から、ようやく自分でも好きだと思える曲を作れるようになったんですけど」

 

■高校生の時って、周りにいた人達と自分で、ある意味同じ時間を共有してたでしょ。たとえば、授業が終わったら家に帰る――様々な人生や家はあるんだけど、なんとなくのルールがあってという日々だったと思うんですよ。

 

「はい。リズムとしてはそうですね」

 

■でも卒業してみると、誰かは大学に行ったり、誰かは社会人になったり、新しいルールの中にみんな属していくようになっていって。いろいろと変わったと思うんです。

 

「そうですね。まず、バンドメンバーの中での変化を感じて。前は、学校が終わって部活に行ったら3人でスタジオに入れるっていうリズムがあって、3人が同じで進んでたんですけど、卒業すると、全員が違うリズムになってしまって。そういう部分で、レコーディングみたいに慣れない場で『あれ?』ってズレを感じることが生まれちゃって。うーん……吉川(美冴貴/Dr)がいきなりヘタになってたりとか(笑)。前と違うって感じることや、高校を卒業した最初の頃はやりにくさを感じることはありました。だけど自分自身は大学に進学するのも違うなって感じだったし(吉川は大学に進学したのです)、っていう感じで来ましたね」

 

(続きは本誌をチェック!))

 

text by 鹿野 淳

『MUSICA12月号 Vol.80』

Posted on 2013.11.14 by MUSICA編集部

[Champagne]、次のステージへ――
彼らのツアー密着取材にて目撃したものとは?

より広く大きな景色を手に入れるため。
さらに強く、さらにアグレッシヴに、
ロックバンドの確たる衝動と獰猛なエネルギーを迸らせる
[Champagne]、今その目が見据える「世界」に迫る

『MUSICA 12月号 Vol.80』P.44より掲載

 

10月19日(土)高松MONSTER

 

 12時10分頃にMONSTERに到着。ライヴハウスの楽屋口に近いところに人だかりができているのでもしやと思ったら、バンが停まっていて、ちょうどメンバーが会場へ入っていくところだった。私もそのまま楽屋に向かう。

 9月13日に千葉LOOKでのツアー初日を観に行った時以来で会った4人は、穏やかなテンションで、それぞれに今回のツアーが順調である旨を伝えてくれる。ただ、洋平が何を話すのもウィスパーヴォイスなので「もしかして喉を痛めたのか?」と心配すると、「いや全然、むしろ調子よいです。念のため温存してるだけ(笑)」という返答が。なるほど、無闇に声帯を震わせないようにしてるんですね。なお、洋平と言えば、ツアーが始まる1週間前に自転車事故によってケガを負い、出演予定だったフェスを2本キャンセルしてしまった。一瞬ツアーは大丈夫か?とヒヤリとしたけれど、幸いにも初日までには演奏に支障のないレヴェルまで回復。これまで以上にアグレッシヴなパフォーマンスを披露している今回のツアーの中でも悪化することなく、元気に全国を回っている。

 ツアーが順調に進んでいればいるほど、楽屋というものは落ち着いているもので。変な緊張感もなく、みんなリラックスした雰囲気で、穏やかな時間が流れている。洋平がアメリカやイギリスの最新チャートトップ100をジャンル別に紹介するwebサイトを開き、総合チャートやロックチャートをチェックしているのを、磯部と一緒に覗き込む。総合チャートだとやっぱりあまりロックが入ってこないなとか、USのチャートはハードロックとカントリーっぽいのが多々ランクインしててこれはお国柄だよねとか、そんな話でひとしきり盛り上がる。

 磯部にここまでのツアーの手応えを訊く。

「千葉LOOKの初日からセットリスト自体はほとんど変わってないんですけど、1曲ごとの演奏はもちろん、曲と曲の間とか流れが凄くよくなってきていて。今回のツアー、どの曲も完成度は割と最初から高かったんですけど、どんどん自然になってきてる感じがあって」

 

■ちゃんと自分達のモノにできているって感じ?

 

「そうですね、まさに。ただ、やっぱりツアーだから、いろいろありますよ。特に機材のトラブルは結構あって(苦笑)。俺のアンプが1台飛んじゃったり、洋平のギターがハウりまくったり、上手く音が出なかったり。1回“This Is Teenage”と“Starrrrrrr”でシーケンサーが鳴らなくなったこともあって、その時は打ち込みなしで演奏するという、逆にスペシャルな展開になったんですけど(笑)。……でも、逆にそういうことがあって[Champagne]の強さを再認識できたというか」

 

■それはどういう意味で?

 

「たとえ機材がトラブっても、ちゃんとライヴできるバンドなんだなっていうことが確認できて、それが嬉しかったんですよね。シーケンスだったりいろんな機材も、俺らにとっては『鬼に金棒』で言うところの『金棒』的なもので、勝負しているのはあくまで生身のバンドだってところは変わってないから。ほら、シーケンスや機材が増えていくと、それがないとライヴが成立しないというか、できないバンドも出てくるじゃないですか。でも、[Champagne]は違う。たとえ金棒を取られちゃっても、俺達4人で十分に勝負できる。俺達はちゃんとロックバンドとしてライヴできてるんだなって改めて実感できたんですよね。………それが嬉しかった」

 

 (続きは本誌をチェック!))

 

text by 有泉 智子

『MUSICA12月号 Vol.80』

Posted on 2013.11.14 by MUSICA編集部

THE BAWDIESアジアツアー密着。
苦難を乗り越え彼らが手にしたものとは?

言葉の壁を越え、ロックバンド不遇の逆境に逆らい、
汗とソウルで体当りした旅の過程――
バンドにとって初のアジアツアー、
その口火を切った韓国公演を完全密着レポート!

『MUSICA 12月号 Vol.80』P.52より掲載

15時15分、ホテルのロビーでメンバーと待ち合わせる。メンバーは20日(日)に韓国内でも有数のフェス・Grand Mint Festivalへ出演し、この日で韓国も4日目。この日の午前中は全員で南大門市場へと繰り出し、観光なども楽しんでいたようだ。全員が揃い、歩いて5分程度のサンサンマダンへ向けてみんなで出発。ホテル周辺は連日の食事などで何度も出かけ、地理も完璧に覚えているらしく、MARCYは「ひとりで地図がなくってももう迷わないぐらい」と笑ってみせた。

 数分後、到着したサンサンマダンの建物は、カフェやアートスクール、本やグッズを扱うショップが入ったアート系の総合施設で、地下2階がライヴハウスになっている。地下1階にある楽屋に荷物を置いてすぐ、まずはTAXMANがステージに向かった。空っぽのフロアに向かって音の鳴りを確かめるようにギターを弾いたり、かと思えば、フロアの一番後ろのほうへと駆け下りてステージ全体を舐めるように見渡したり、初めて訪れたハコの感触を噛み締めている。その後、ほどなくしてMARCY、JIMも楽屋から降りてきて、同じようにステージの左右を動き回ったり、楽器を弾いたりしている。「まるでクラブみたいだね。音がパーンッと響く感じ」――“THE SEVEN SEAS”のイントロをさらさらと弾きながら、JIMが言う。確かに音の返りや響き方がやや硬質で、クリアだが余韻や味わいには欠けるようだ。階下のステージでそんな話をしている中で、ふとROYだけが降りてこない。どうしたんだろう?と思って楽屋を覗いてみると、真剣な顔をしてセットリストを決めていた。本編とアンコールの曲数、アッパーな曲やMC等の間の置き所のバランス、新しい曲と比較的昔からある定番曲……大多数が自分達を初めて観ることになるお客さんに向けて、どの曲でどうアピールすればいいか、丁寧に考えていた。最終的にでき上がったセットリストは、アンコールまで入れて合計20曲。90分間でみっちりと自分達の音楽を曝け出す、攻めのセットリストだ。

 ひと通り感触を確かめ終え、ベンチに座りながらタバコを吸っていたJIMとMARCYに、一昨日のフェスがどうだったのか訊いてみると――。

 

JIM「最初はすっげぇヤバかった。会場が広い体育館みたいなところなのに、100人ぐらいしか人いなくて(苦笑)。でも、やってるうちにお客さんも増えてって、ノリがどんどん出てきて」

 

MARCY「別に俺ら、韓国で露出してるわけじゃないし、そんなにお客さんが入んないんじゃないかってのは思ってたけど、でも興味本位で観てくれる人もいるのかなって思ってて。そしたら、『マジか、どうしよう?』ってビビッてたもんね」

 

 聞けば、最初は100人に満たなかったフロアが、ライヴ中にどんどん増えていき、最終的には500、600人近くまでに膨れ上がったそうだ。コーディネイトを行っている韓国側のスタッフに訊くと、それでもTHE BAWDIESはよく盛り上がったほうだという。今の韓国の音楽シーンは、ただでさえクラブミュージックやアイドル文化が強い上に、数年前の流行が落ち着いて以降は、ラジオでも雑誌でも日本のバンドを取り上げなくなったため、アニメ等のテーマソングになってない限り、取っ掛かりがないのだという。いまだに韓国で一番人気のある日本のバンドは、X JAPANなのだそうだ。

  (続きは本誌をチェック!))

 

text by 寺田 宏幸

『MUSICA12月号 Vol.80』

Posted on 2013.11.14 by MUSICA編集部

BUMP OF CHICKEN、ツアー「WILLPOLIS」大団円!
ツアー終盤戦、札幌&武道館でのライヴを完全レポート。

「あなただけと掴める『今』がある」――
“花の名”をそう歌い変えた、北の果てでのあたたかな
「千の夜を超えた一夜の物語」

『MUSICA 12月号 Vol.80』P.34より掲載

10月24日 北海きたえーる

 

10時過ぎには会場である「北海きたえーる」に入った。

 会場周りもすでにたくさんのお客さんが詰めかけていて、10時から販売開始しているグッズにもすでにそれなりの行列待ちができている。楽屋入り口前には、アリーナバンド恒例の、ツアーやバンドのロゴをあしらった「バンドトラック」が3台並んでいて、ファンがそれを撮影したり、ぼんやり眺めている。きっともう頭の中は8時間後ぐらいまでぶっ飛んでいるのだろう。3台のデコトラの横には10台以上のトラックが並んでいて、今回のツアーの演出や装飾の規模の大きさを示していた。こういうのを見ると、昔自分の街にアニメのキャラクター一行やサーカス団などがやって来た時に、眠れない程興奮したことを思い出す。

 北の地に、今、BUMP OF CHICKENがいる。もちろん、音楽を届けに――。

 昼の12時頃からオープニングの映像のチェックがなされている中、12時26分、メンバー4人揃って――例によってこのツアー独特の「穏やかにして爽やかな表情で」――楽屋に入ってきた。これまたいつものようにすぐさま4人でご飯を食べるが、チャマだけがひとつ皿が多い。中を見ると「麺」が入っていて、何度も何度もその麺を混ぜている。何してるんだ?と凝視すると、壁の方を指差す。見てみると、そこには「ようこそBUMP OF CHICKEN様。札幌ライヴ頑張ってください。札幌で大人気の『米風亭の油そば』も用意してあります。よろしければ食べてってください!」という、貼り紙があった。そう、本誌連載でもお馴染みの大泉洋が嵐のTV番組で紹介し、ブレイクした米風亭の油そばだったのだ。

「美味いっっっっっっっ!!」

 さすがチャマ、毎回MCで「今、この瞬間だけの時間を過ごしていて、二度と同じことはできない」と力説しているだけのことはある。今しか喰えないものは、今喰う。

 その後、マネージャーや舞台監督が、何枚かの紙を持って楽屋に入ってきた。見ると、その紙はこのツアーの過去のセットリストだった。

「今日は1デイの日です。なので、セットリストをどうするか決めましょう」

(続きは本誌をチェック!))

 

text by 鹿野 淳

『MUSICA12月号 Vol.80』