Posted on 2015.08.19 by MUSICA編集部

04 Limited Sazabys、
地元名古屋・Diamond Hallでのツアーファイナルに完全密着!!

一気にシーンの主役筆頭へと躍り出たフォーリミ。
メロディックパンクシーンを越えて膨らみ続ける熱狂と
めまぐるしく変わりゆく景色のど真ん中で
決して変わらぬバンドの青春を鳴らした、「CAVU tour」
地元名古屋でのファイナルに密着!
天衣無縫に駆けながらも確実に射程に捉えた「次の大海原」を紐解く! 語り合う!

『MUSICA 9月号 Vol.101』P.66より掲載

 

(前半略)

7月17日(金) 名古屋・DIAMOND HALL

 

前日から本州に上陸していた台風が北上している中、ギリギリのところで直撃を免れた名古屋。時折強めの雨こそ降るものの、ライヴに支障はなさそうだ。そう安心していると、まずはメンバー入り予定の12時半にRYU-TAとHIROKAZ、続いてKOUHEIが到着し、早速3人で昼食。このDIAMOND HALLには楽屋がふたつあって、エントランスから奥の広い部屋がメンバー用、手前の小さな部屋がスタッフの荷物置き場になっていたのだが、何故か3人ともスタッフルームで弁当を広げている。そこに入れ替わり立ち代わりライヴスタッフが入ってきては、3人との会話を楽しんでまた仕事へ戻っていく。わざわざスタッフルームで飯を食べるメンバー、わざわざそこに言葉を交わしにくるスタッフ。その感じが、このツアーでどれだけの絆や信頼をチームとして築けたのかを表していて、とてもいい空気である。ちなみにGENは大遅刻で結局14時に会場に入り、遅刻をからかわれながら弁当を食う。RYU-TAが言うには「ま、あいつの寝坊はデフォルトなんで(笑)」とのことだが、GENに言わせると、乗ったタクシーの運転手が悪かったらしい――どちらにせよ、1日の始まりがめちゃくちゃのんびりだ。

14時を過ぎた頃、ステージでKOUHEI、RYU-TA、HIROKAZがサウンドチェックを始めると、GENが、ここ最近使っていなかったバンド結成時のベースを持ってきた。「今日は地元なんで初期からのお客さんもたくさん来てくれるだろうし、バンド結成したばっかりの時は、それこそ『DIAMOND HALLでやれたらいいね』って言いながらライヴ観に来て暴れてたんです。だから、“Standing here”(『Marking all!!!』)とか、懐かしい曲をこれで弾きたくて。音はよくないっすけど(笑)」と話す。GENはライヴの時にいつも「名古屋の04 Limited Sazabysです」と自己紹介するが、それはきっと、GENが話してくれたような音楽の原風景や憧憬や衝動を忘れないためなのだろうし、彼らの場合、それが音楽にあまりに鮮やかに映るところがいいのだ。そこで感じたことはリハーサルを見ていても同じで、5~6曲のブロックを後半からなぞっていき、サウンドチェックが綿密だった分スムーズなリハだな――と思ってたら、“teleport”の辺りで、4人とイベンター、マネージャー、ステージスタッフがRYU-TAを囲んで大真面目に話し合っている。するとRYU-TAは会場の導線を確認しながらステージ裏を移動、2階席まで駆け上がっていった。これは何だ?

RYU-TA「間奏で姿を消して、裏導線を通って2階席に現れるという……“teleport”です(笑)」

 ……そういうことか。そして最終的に、2時間みっちりなリハーサルの中で最も時間をかけたのが、この瞬間移動(?)についてだった。たとえ傍から見れば一瞬でも、下らなくても、面白いと思えば全力でやるし、それをやるのがロックバンドなんだ――そういう音楽であり、バンドであり、チームなのである。こういう「全力の遊び心」が、このバンドの痛快なところなのだ。

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text by矢島大地

『MUSICA9月号 Vol.101』

Posted on 2015.08.19 by MUSICA編集部

THE ORAL CIGARETTES、Zepp DiverCity公演
忘れ得ぬ悔恨と決意を赤裸々ドキュメント

闘い続け、遂に辿り着いたZepp DiverCityワンマン。
歓喜の涙に暮れるはずだったライヴは、
予期もしない悔恨の涙にうずくまることとなった……。
勢いに満ちた起死回生STORYが、
屈辱の途中ステージ離脱とセットリスト減らしとなった、
THE ORAL CIGARETTES、勝負のワンマンに完全密着。
そして後日、山中拓也インタヴュー

『MUSICA 9月号 Vol.101』P.72より掲載

 

 13時に冷房のよく冷えた楽屋に入ると、ヴォーカルの拓也以外、みんな揃っている。ギターのシゲは廊下の隅でギターを爪弾き、ベースのあきらはソファーに座ってイヤフォンで何かを聴きながらベースを弾いている。何を聴いているんだ?と訊ねると、「この前の名古屋のライヴを確認してるんです」という。整理整頓、予習復習を案外ちゃんとするのが、このバンドだ。ドラムの雅哉は……どっか行ってしまった。

 13時30分からテクニカルリハーサルという、ライヴの演出部分の確認会が始まる。今回はバンドにとって初めての大きなワンマンにして、充実のツアーセミファイナルとなる。特別なライヴならではの演出が照明やステージ幕などにいろいろ施されているのだ。

 楽屋でシゲにツアーがどうだった?と訊くと「勉強になりっぱなしというか。こんな場所にこんなにも待っている人がいたとか、イベントなどでは気づかないじゃないですか。何度も感動しました」と目を輝かせながら、話をする。

 14時前にすっと拓也が入ってくる。何故彼だけが遅く入ってきたのか? それは病院に行っていたからである。実は拓也は喉の調子がかなり前から悪く、ツアー中もここまで細かいケアをしながらやって来たが、ここ最近、SiMのDEAD POP FESTiVALやイベントが重なったり、かなり煽りの強いライヴもしたので、この大切なワンマンを前に念入りに治療に行ってから会場入りしたのだ。

 その拓也が「お疲れさまです」と言って近づいてくると、とても強い「薬膳」の臭気がする。まるで中国の山奥から帰ってきた男みたいな匂いをさせている。「ここ何日間か、このライヴのために、薬膳しか口にいれてませんから(笑)」と言う彼も僕も、まだこの時にはライヴがあのようなことになるとは想像もつかなかった。というか、あのようにならないために万全を敷いてきたのだ。

(中略)

 演出進行の中で新しい曲が流れる。“カンタンナコト”だ。これは夏のシーズンに向けてライヴ会場・配信限定でリリースするCDの曲で、ある意味、コンサート中心の今の時代のロックバンド稼業と新しい音源の在り方を模索したCDとも言える。不穏な始まりから、だんだんと糸の隙間をぬって射してくる確信を言葉とグルーヴにして盛り上がりを見せる1曲。簡単ではないことが簡単に済まされたり諦められたりする今の世の中の喉元に笑いながらナイフを突きつける曲は、その音のキレと共にライヴの中でさらに育つ曲となるだろう。

 16時。予定よりだいぶ遅れてリハーサルが始まる――いや、まだ始まらない。サウンドチェックに随分と時間がかかっている。先ほどのテクニカルリハの試行錯誤を含めて、ようやく気づいた。このバンドとスタッフにとって、今日はかつてない勝負の日であり、比べようがないスケールでのワンマンに初めて挑戦する特別過ぎる日なのである。時間がかかるのも無理はない。

 16時30分頃から、ようやくリハーサルが始まる。静かに、しかし爆音だけが木霊しながら、ゆっくりとリハが進んでゆく。17時頃から拓也が喉に気を遣い出し、歌わないリハに変わってゆく。しかも時間がかなり押しているのに、曲がだいぶ残っているので、次々に途中で曲を切ってピッチを上げてゆく。

 THE ORAL CIGARETTESはMASH A&Rという、スペシャやHIPLAND、そしてA-Sketchとウチの会社で作ったロックプロダクションの最初のアーティストなので、感慨が深い分、僕自身はここまで批評的に見れない部分も多かったが、このリハーサルを見つめながら思ったことがある。それはとても斬新な音楽性を持ったバンドだということだ。彼らは四つ打ちギターロックの急先鋒と見られる部分もあるが、そういった曲は実は一部で、それ以外にもメタルとファンクとパンクの要素を曲毎に入れ込んだり入れ込まなかったり、なんと言うか、いわゆるミクスチャーほど活発な音楽性だったりパンクに根ざしたものでもない、インターネットやそこから生まれた音楽特有の鬱屈や箱庭感まであって、本当に「妙な」ロックミュージックを鳴らすバンドだ。こういったバンドがここまで2年ほどで駆け上がってこれたのは、1本1本のライヴで一人ひとりと本気で相対してきた結晶なのだと、まるで哲学のように複雑だけど、そのゾーンに入るとすっと胸の中に降りてくる拓也が綴った歌詞と爆音に囲まれながら思った。

 17時10分頃から新しい試み、アコースティックセットのリハに入る。今まで避けてきた「生音という道」を、このワンマンから導入。盛り上がるだけではなく、曲を感じて欲しいという彼らの気持ちが愚直な形になったパートだ。しかし前述した奇妙なアレンジも相俟って、アコースティックなアレンジに対応するようなシンプルな曲がないので、悩みがリハからそのまま聴こえてくる。このコーナーは、今後への課題もかなり多いものなのだろう。

 17時44分、リハ終了。楽屋に戻ってきたメンバーに「ほんと変な曲ばっかだな」と肩を叩きながらいうと、「それ、俺らには完全に褒め言葉です」と笑って返す。

 その後オープニングの合わせのため再びステージへ呼び戻され、再度リハ。結局開場の直前まで彼らは準備に余念がなかったのである。

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text by鹿野 淳

『MUSICA9月号 Vol.101』

Posted on 2015.08.19 by MUSICA編集部

WANIMA、破竹の勢いで駆けるパンク救世主、
エロも痛みも曝け出す初SG『Think That…』投下!

なんとかしてでも生きていくしかないっていう感じです。
苦しい感じがあっても、一緒になって行けるんやないかっていう。
それを歌って、俺も救われてる感じはするんで。
悲しいことも多いけど……それを引きずってでも先に進まんといかんから

『MUSICA 9月号 Vol.101』P.80より掲載

 

■いろんなところで言われてると思うけど、もうすっかり人気者で――。

松本健太(Vo&B)「(かなり食い気味で)いやいやいや! 全然! 足りないっす! だって、クラブとか違う界隈に行くと全然知られてないんで! こんな小さいとこでは満足しないです!ぐらいは思ってますね!」

■でも、前よりもワンチャンをモノにしてるんじゃないの?

松本「そうですね、そこは後腐れなくやってます!」

■(笑)光真くんはどうですか?

松本「(小声で)光真、『責任感が出てきてる』って言ったほうがええぞ!」

西田光真(G)「(笑)責任感が……出てきてる………よねぇ?」

■ははははははははははは。

藤原弘樹(Dr&Cho)「いやでも、出てきてると思いますよ、本当に」

■どんな時に責任を感じるの?

西田「やっぱりライヴ中かな?」

藤原「ライヴ中もそうだし、ライヴ後や普段の生活でも出てきてると思いますね。関わる人も増えてきましたし」

松本「そうやな。やっぱり街歩きよっても、最近は最寄の駅で声かけられたりするんで。油断できないですね。でもまあ、俺の場合はこういうキャラなんで」

■結構特殊な状況だね(笑)。でも真面目な話、デビュー作の『Can Not Behaved!!』を出してから約10ヵ月経とうとしてますけど、明らかに状況には火がついてきてるわけで。自分達ではこの状況をどう捉えてるの?

松本「確かに、あれを出した時とはもう、全然違いますね。やから、『ワンチャン狙いに来ました、WANIMAです!』ばっかり言うてられないなって。ちゃんと練習するようになったし。やっぱフェスとかでも会場が大きくなって、ライヴハウスも大きくなって、人も増えてきて。そこの責任感ですかね。さっきも藤くんが言ってましたけど。関わる人も多くなって、ちゃんと小さいところまでしっかりやろうっていうふうになりました」

西田「1回1回のライヴに来てくれるお客さんも今までの倍以上とかになってきて……『楽しむ』っていうのは前提にあるんですけど、楽しむための準備を考えるようになりましたね。スタジオは早く行くようになりました。練習してます(笑)」

■藤原くんはどうですか?

藤原「昔から来てくれてるお客さんとかに対して、何も変化ないWANIMAだと申し訳ないじゃないですか。そういうところでちょっとずつでも変化してやっていかなきゃいけないなっていうのが意識としてあると思います」

松本「知らない人が急激に増えてるんで。だからこそ、一過性の流行にならないようにしっかりやろう、とは思います」

■自分達では、なんでこんなに自分達の音楽が熱く迎えられて、人がどんどん増えていってるんだと思います?

松本「たぶん、距離が近いからっていう気がするんですよね。俺らはカッコつけてもカッコつかないし、フェスとかでもお客さんのほう行きますし。やっぱり、対バンしてても『みんなカッコいいなぁ』って思うんですよ。でも、俺らがああいうふうにしてもダサくなっちゃうと思うんで(笑)。だから結局、ごく一般な感じで音楽好きなんで、近いんですよね、お客さんとの距離が。普通に『大きい会場でやりたい』とか『いっぱいの人の前で歌いたい』とかいう想いで東京に出てきたんで、それが楽しい」

■ステージに立ってて、仲間が増えていってるって感じはするの?

松本「一緒に楽しんどる感はあるんですけどね。でも、ステージを降りた時にも『握手してください』とか言われたり、写真とか撮ったりっていうのは不思議ですよ。まあそれも、『今WANIMAって言うときゃ友達増えるやろ』とか『WANIMAと近づけば気になるあの子が振り返ってくれるやろ』みたいな感じやと思うんですけどね」

■「今キテるバンド、WANIMAに乗っとけば、俺もワンチャン狙えるだろう!」って?(笑)。

藤原「『あの子もWANIMA好きだから』みたいな?」

松本「だって、『CD持っとる?』って訊いたら『いや、持ってないです』とか言うんですよ。『はっ!?』とかなっちゃうんですけど、そういう時代かと思って受け止めてます。まぁ一緒に楽しもうや!みたいな」

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text by有泉智子

『MUSICA9月号 Vol.101』

Posted on 2015.08.18 by MUSICA編集部

米津玄師、進化=変化し続ける
彼の新たなる宣言たる名曲『アンビリーバーズ』

誰かに向けて言葉を書いて、
誰かに向けて音を構築するっていう作り方をしたい。
別に人間がみんな100%正しいわけないじゃないですか。
でも、その人の中にある悪い部分も踏まえた上で、
100%肯定してやりたいって思う。
「俺には何ができるのか」ってことをより強く考えるようになったんですよね

『MUSICA 9月号 Vol.101』P.48より掲載

 

■『Flowerwall』以来のシングルですが、その間にツアーがありました。で、そのツアーでは、ハチ時代のボカロ曲(セルフカヴァー)→『diorama』の曲→『YANKEE』の曲と、今に至る流れを時間軸を追ってセットリストを組んでいたわけですけど。どうしてあの形でやろうと思ったんですか。

「簡単に言うと自己紹介っていうか――その前にライヴやった時は3ヵ所くらいだったから、全国回ったのは今回が初めてで。そういうタイミングで何をするべきなんだろう?と考えた時に、自分が今まで何をやってきたかおさらいしてみようと思ったんです。この機会に過去から今現在までをライヴという場で1個にまとめてみたら一体どうなるんだろう?って」

■実際に自分の歴史を辿るライヴをやってみてどうでした?

「昔の曲は暗いですよね」

■ははははは。音楽の形としては暗くないけど、歌詞は暗いよね(笑)。

「今思うと『俺は何を考えてこんな歌詞書いてたんだろう?』って不思議になるんですよ。全然別人の曲みたいに感じることが凄くあって。詞もナンセンスっていうか、一見すると支離滅裂だし。今の自分は――ちょっと前からですけど――ちゃんと伝わるような歌詞を書こうと思いながらやってるんですけど、いざ振り返ってみると『こんな歌詞書いてたんだ』と思って。これはわかんねぇよなって(笑)。もちろんわかってくれる人もいると思うんですけどね。改めて振り返って、不思議な感じがしました」

■初期から順を追うライヴって時々あるけれど、米津くんの場合はほとんどのアーティストとは性質が異なる――要するに初めはVOCALOIDだったし、名義も違ったわけで。で、その時代の曲も含めて今回「米津玄師」のライヴとして体現することができたのは、『YANKEE』を作り終えて何かしら区切りがついたというか、ハチから今までをひとつにしてもいいと思えるようになった部分もあったのかなと思ったんですけど。

「でも、区切りのタイミングはやっぱり“サンタマリア”だったと思います。『diorama』はボカロで培った方法論を全部出して、その時点で考えられる自分の最高のものを作ったアルバムなので、充足感と満足感が凄くあったんですよ。で、やっぱりそういうものを作ると、必然的に同じことはできないわけじゃないですか。だから『diorama』の後はテンションが下がるっていうか、出がらしみたいになった状態の自分を客観的に見て、自分にとって今何が必要なのかっていうのを1年間ぐらいずっと考えて……それが結果的に“サンタマリア”という形になって。あそこは今振り返っても区切りだったと思うんですけど」

■そうですよね。で、実は私は今回の“アンビリーバーズ”を聴いた時、“サンタマリア”の時以来のターニングポイントを感じさせる、ポップミュージックの担い手として新しいフェーズへ飛び出した手応えがある名曲だなと思ったんですよ。ご自分ではどうですか。

「変わっていかなければならないという意識の下に作ったものなので、そう感じてもらえるのは嬉しいです。この曲自体は“Flowerwall”以前にあったんですよね。それこそ一番最初の原型は『YANKEE』を作ってる時にできたんですよ。その時にもうメロディとコードは明確にあって」

(中略)

■初期の頃から祭り囃子のようなビートを取り入れていたダンサブルな楽曲もたくさんあるし、アッパーでカオティックな狂騒感は米津くんのひとつの武器でもあったと思うんですけど。でも“アンビリーバーズ”の音像が描き出す昂揚感とダンスミュージック性というのは、今までの攻め立てるような昂揚感とは違う、もっと開放感と包容力が真ん中にあるスケールの大きなタイプのもので。それが凄く新鮮だなと思ったし、同時に、この1年で始めたライヴだったり、より多くのリスナーを巻き込むようになった最近の米津くんの立ち位置にとても合った音楽性だと思ったんですよ。そういう意識が働いているところもあるんですかね?

「なるほど。……開放したいし、されたいっていうのはあります。開放感っていうのは、今自分の中で凄く重要なキーワードなんですよね。自分が今住んでるところが結構開放的なところで、部屋の窓から見る景色とかが凄い開けてるんですよ。前に川があって、川を挟んで奥のほうにちらほらと建物があって。……今住んでいる街は凄い不思議な街で。ちょうどいろんな建物が新しく作られていっている街なんですよ」

■今まさに変わっていってる街なんだ。

「そうなんです。だから建てかけのビルとか駐車場が凄いいっぱいあって。建てかけなんで鉄鋼剥き出しとか、骨組みだけみたいな感じなんですよね。それって、いわゆる生まれる前の状態だから、言ってみればこの先に希望が望まれる建物っていうことじゃないですか。でも実際に今の状態のそれを目にすると、死体にしか見えないんですよね」

■まだ生気はどこにもないっていう。

「そう。これから生まれていくものなのに、今はまだ死の匂いしかしない。だから、それを見る度に『生まれる前の状態って死んでるのと同じなんだな』とか考えてて。その街で暮らしてると不思議な気分になってくるんですよ。開放感はあるんだけど、人もあんまりいなくて、ちょっとした後ろ暗い気分みたいなのが内包されていて……何かが生まれていくことには希望があるけれども、その先にはやっぱり不安もあるし。生まれゆくものの中に死の匂いがすることもそうだけど、そういう相反するふたつがひとつのものに同居してるっていうのが凄く不思議だし、美しいなと思うんですよね。……だからそれを音楽にしたいなって自然と思いましたね」

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text by有泉智子

『MUSICA9月号 Vol.101』

Posted on 2015.08.18 by MUSICA編集部

UNISON SQUARE GARDEN、
10年の歩みと特異なるバンド哲学を田淵と徹底討論

僕自身がUNISON SQUARE GARDENの客として、
「より多くのCDを売るためには」みたいな会議をしてるバンドは見たくない。
それでここまでの人に見られるようになったなら、
「楽しそうなプチおっさん」ってところは譲っちゃいけないと思う

『MUSICA 9月号 Vol.101』P.54より掲載

 

■インタヴュー、5年半ぶりだね。よろしくお願いします。

「空いたなぁ(笑)。よろしくお願いします!」

■まずは先日(7月24日)の武道館、素晴らしいライヴでした。本当に心から感動したし、心から感動した中の多くの部分で「あのお客さんがついてるバンドは強い」と思ったんですよ。

「ありがとうございます。……まあ、確かにここまでも、『ファンが悲しい思いしないように』っていう神経は払ってやってきましたけどね。でも、別に今ついてるファンが10年後にいるかどうかは、実際にやっていかないとわからないことだし、自分の中ではそれくらいなんですけど」

■「ファンが悲しい思いをしないように」っていうのはどういうこと?

「たとえば、今回のアルバムの数字とか、タイアップでちょっと有名になったのとかって、最終的にずっとファンでいる人からしたら関係ないじゃないですか? やっぱり、いつかいなくなるファンと最後まで残ってるファンの2通りって考えると――『こいつらのライヴは楽しい』とか『このバンド好きな俺でよかった』っていう想いがつまり、『俺達、このバンドに裏切られなかった』っていう実感になっていくと思うんですよ。で、僕らはいろんな階段を上る瞬間を経験してきたし、それは嬉しいことだけど、そこで僕らが『上ったな』って満足してやり方を変えたら、僕らのホームだったAXの頃から来てくれてたお客さん達の気持ちさえ醒めちゃうじゃないですか。そういう意味で、ファンを増やす努力というより、減らさない努力をしてきたんですよ。それを言葉とかの面じゃなくて、ライヴのやり方、セットリストの組み方、アルバムの作り方とかの面でやれてこられたんで、ラッキーなことに上手くいったのかなぁとは思いますけどね」

■振り返ると、音楽の作り方にも、今話したようなことが貫かれてると思う? 10年このバンドをやってきた中で、この5年の間には震災もあったし、周囲の景色も変わっていっただろうし。その中ではどうだったの?

「数字が出たり、それこそ震災があったりしても、別にやることは変わらなかったですよ。作りたい音楽も同じで、他の人に比べて変わんなかった自覚はあって。これは皮肉でもなんでもなく、震災に限らず、周りで結婚する人とかも含めて『人ってこんなに変われるんだ』ってことを対岸で見ながら、『僕は何が起きても変わんねぇな』って思ってた。やっぱり変わることによって裏切っちゃうファンも出てくるし、震災後に何か変えるとか、そこは僕がやらなくてもいいなっていう気持ちもあって。だって大衆を背負ってるわけじゃないし、日本の期待を背負ってるわけでもないから。そう考えると、今も昔も『責任を取らなくていい位置』にいられるのは強いかな。『UNISONがCDを出さなきゃ音楽史は終わりだ』みたいになってたら話は別だけど、現実そうじゃないわけですよ。逆に言うと、そのスタンスだからCD買ってライヴに来てくれる人がいるんだと思いますし」

■たとえばソングライティングの話で、外からのきっかけやネタが欲しい!となるとするじゃない。それこそ人によっては、タイアップっていうヒントがもらえたら助かるっていう場合もあるとは思うんだよね。それはライヴにしてもそうで――今の時代は、フェスとかイベントでステージを上げていくことで、自分達の価値を見出していく人達もいるじゃない? でも、今の話、そして曲そのものを聴いていて、田淵くんはそういう外的要因を必要としない人なのかなって思うんだよね。

「まあ……タイアップはありがたいですけどね? めちゃくちゃヒントになるし、そういう外的要因でモノを作るっていうのはソングライティングに関してもなくはないんですけど。ただ、たとえば『のど飴のCMの曲作ってください』って言われた時に、♪声が枯れた時には~みたいなタイアップに寄せたものを作ったらみんな嫌がるでしょ? そのバランス感覚は、何をやる時もしっかりしてなきゃ、とは思っていて」

■でも実は、タイアップが便利だっていう発想もあるわけですよ。♪声が枯れた時には~っていうのに合わせたメロディを作って、「タイアップだから今回は」っていう理由で裏切れるっていう発想もあるわけじゃない。

「確かにそういう発想もありますよね。でも、そこでちゃんとタイアップ先を満足させる歌詞――たとえば<声が枯れるまで歌えばいい>っていう歌詞にしちゃえば、両方が満足できるじゃないですか。そこに関しての頭の捻り方みたいなのはあるんで、そういう回路を持ってる人間でよかったなって思うかなぁ。やり始めた時は『どれぐらいのバランスでいったらいいのか』って考えることもあったけど、最終的には自分で納得がいったものが、今までのファンからもタイアップ先からも愛してもらえるものになってきたと思うしね。で、ライヴに関しては……さっき言ってくれた外的要因で言うと、フェスで勝ち上がるみたいな発想は個人的にはないんだよなぁ。むしろ、そういう考え方は間違ってると思っちゃう。僕らは大勢を盛り上げるためにやってるバンドじゃないし、なんなら、そんな多くの人の前でやるのはおこがましいんです。ここ数年、大衆の期待を背負って頑張る才能があるバンドもいますけど――去年・今年だったら、僕の中ではSEKAI NO OWARIが象徴的なんですけど、あそこまで1年テレビ出て、最後に『Tree』っていうとんでもないアルバムを出せるのって、よほどの神経がないとできないと思う。僕にはそういう才能ないと思うし、何より、僕がUNISONのファンだったら、そういうUNISONは見たくないから」

■今田淵くんが話してくれた中には「僕達はファンのためにそれをやっちゃいけない」っていうのとともに、「僕達はそこまで背負わないし、そこまで背負う音楽をやってるわけでもない」って意味もあるよね? この前の武道館でもそういうMCをされてたと思うんですけど。ただ、あなたの曲は今の時代に50万枚売れてもなんの不思議もないと僕は思うんですよ。

「まぁ、結果としてそれぐらい売れたら嬉しいですけど……ただ、今までのどこかで、それくらいの位置まで行きたい!っていう欲はなくなったんだよなぁ。EDMでもないし、ロックバンドでいい音を聴かせていくには、まずキャパシティ的な限界がそもそもあって。言ってみれば2000キャパぐらいのホールが限界だと思うんです。そういう意味では、これからUNISONの音楽に引っかかってくれる人達が一番いい形で体験できるようなところに僕達がいないと、その子達がかわいそうなんですよね。たとえばファンも歳をとるわけで、10年のうちに結婚して子供が生まれて、『1年に1回しかライヴに行けない、でもUNISONのライヴには行きたい』っていう人にもちゃんと場所を作るのが僕らみたいなバンドの役目だと思ってて。だから『大衆の期待を背負うのは面倒くさい』っていう理由もあるけど、僕らみたいなのがいないと、ロックバンドっていう時代遅れなカテゴリーは続かなくなっちゃうと思うんです。……でもね、最近のバンドには『音楽じゃないところでなんとかして盛り上げる』っていうやり方を発見しちゃった人もいるでしょ。あれは絶対よくないと思ってて――」

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text by鹿野 淳

『MUSICA9月号 Vol.101』

Posted on 2015.08.17 by MUSICA編集部

BUMP OF CHICKEN、
あの東京ドーム以来364日のワンマンライヴ、
インテックス大阪公演に完全密着!!

あの東京ドームから364日ぶりのワンマンライヴ!
久しぶりの選曲満載、久しぶりのあのオープニング、
久しぶりのライヴと向き合う4人の、新曲満載の攻めの姿勢。
こんなバンプと逢いたかった!と、最高の神対応に絶賛のスペシャルライヴ。
恒例の完全密着にて、本当にすべてをここに!!

『MUSICA 9月号 Vol.101』より掲載

 

 12時40分に着くと、10分前にメンバー全員が楽屋入りしていて、ちょうど食事をしていたところだった。外は灼熱、しかし早くから集まった人も多くグッズの列は果てしない。必然的に1年前の東京ドームの、灼熱夏休み感を思い出す。

 そうか、あれが去年の7月31日、今日が7月30日。あの日から364日ぶりに彼らはワンマンライヴを果たすのだ。

「そういうこと、考えるバンドだと思う?」とフジが笑う。「まあそういうこともあるかってことだよ」。

 楽屋の壁に貼ってあるセットリストを見る。詳しいことは後述するが、一目見て僕はシンプルに「久しぶりの曲と新曲が軸になってるな」、「攻めているセットだな」と思った。で、そのことを彼らに伝えようとしたのだが、どうやら言葉が少なかったらしく、単純に僕が脈絡もなく興奮しているように捉えられ――実際にそれ以外の何ものでもなかったのだが――「しかっぺ、理性を諦めるなよ」と早々にフジになだめられる。それを見ながら、そうだそうだと升が笑っている。失礼しました。

 ご飯を食べながらメニューを見て、「この豚ロースのサルティンボッカって何だ?」と独り言をつぶやくと、「あー、たしか口の中に広がる、みたいな意味の言葉だった気がする」とフジが言う。え、なんで知ってるの?と訊ねると、「実家の家族の料理好きが相まって、前に聞いたことがあるんだよね。たしかイタリア語のイタリア料理のソースの名前だった気が」と言いながらスマホで調べ出し、「やっぱそうだ。サルティンバンコってあったじゃない?(シルク・ドゥ・ソレイユの演目)あれもサルティンって超えるとかそういう意味だったから、きっとそういう意味のソースだよ」と、相変わらずの博識ぶりを挨拶代わりに披露される。そうだな、やはり理性を諦めるのはよくないんだな。

 外ではグッズの列がさらに長く長く伸びている。楽屋前の廊下では「お客さんの数が10,000人で、このグッズだけで6,000個も作ったのに、なんでこんな時間に売り切れちゃうの!?」と、これまたもうすぐ理性を諦めかねなそうなスタッフの声がしている。灼熱の中、グッズを求める人も、それを届ける人も、久しぶりのライヴに関わる人も、みんながこの会場で来るべき時を迎える前に、貴重な夏の1日を過ごしているのだ。

「グッズもさ、今回もいろいろ考えたよ。このサメはさ、夏のライヴのグッズの場合、サマーキャンプ感を前から考えてるんだけど、今回はそれがサメだったんだよ。前からサメが好きだというのもあって、いつか作りたかったんだよね。でもこのサメもそのままイラストにしてもなかなかいい感じにならなくて、こうやってスーパーファミコン調にしたら、やっとバシッときたんだ」とチャマが丁寧に過程を話してくれる。

「ウチは『曲』があるじゃない。フジくんの曲ってほんとなんなんだろうね?っていうくらい最高の曲がいっぱいあるじゃない。自分らのことだけど、凄いことだと思うよ、フジくんの作る曲っていうのは。何をするとか何を作るとか何に出るとか、そういうことを軽く超越しちゃってるんだから。俺らはほんと恵まれてる。だからせめて自分はこれ(グッズ)をデザインして頑張ってるよ」

 ご飯を食べ終え、それぞれがブラブラしながら、まずはチャマが13時49分にいつものアコギを抱えながら発声練習を始め、“ハンマーソングと痛みの塔”のサビの一節を歌い出す。なんか、楽屋で聴くととても新鮮な響きがする。単純にライヴでなかなか披露されない曲だし、今回のセットは前半部に割とそういう曲が多くて、それは久しぶりのライヴであることと共に、今の彼らの新しい音楽的な気分を感じられるライヴになるのだろうという予感を感じる。

 14時40分、フジがどこからか縄跳びを出してきて跳ぼうとするが、初めて使うらしく長さ調整に手間どっている。ハサミがないと歩き回り、持ってきてもらったハサミで縄を切るが、慎重に切るので切ってもまだ長くて、再び切ろうとするがハサミはすでにスタッフが持っていってしまって楽屋になく、再びハサミ探しから始まり、その様子を見てハサミを探しにいった舞台監督は実はサウンドチェックのためにギターのヒロを呼びにきたので、今度はヒロが手持ち無沙汰になるという、とても愉快なBUMP OF CHICKENの空気がこの日も立ち込めている。

 14時47分、ベストな長さに縄を切ったフジが、縄跳びを始める。

 涼しい顔で1分半。「今日はこれからが勝負だから、これぐらいでやめとこうかな」と若干の荒息と共につぶやくが、その後1分半、フジは再び跳び、再び「もうこの辺りでいいか」と言いながら縄跳びを置いた。この男、いつしか基礎体力がもの凄く高められている。もちろん筋肉へのフェティシズムなど一切持たないが、これはライヴをはじめとする音楽への立ち向かい方から生まれたものだろう。

「縄跳びをやるとさ、体や喉の通りがよくなる気がするんだよ」と涼しい顔をしながら14時59分、サウンドチェックのためにステージにフジが上ると、久しぶりにステージの上でBUMP OF CHICKENが完成した。

 ――と思ったが、升がいない。

 辺りを見回すと、いた。いつものようにアリーナ内をジョギングしたり歩き回ったり、フロアをひとりで淡々と行き来している。そんな升が15時07分、フジのギターのサウンドチェックに導かれるように、ステージに吸い込まれていった。今度こそ、79年生まれの4人による(今回のグッズシャツの背中に刻まれた「79」は、彼らの生まれた西暦の数字です)BUMP OF CHICKENが久々にステージの上に現れた。

 15時17分、1年ぶりの会場リハーサルが始まった。最初の曲は、ライヴで初披露となる新曲“ファイター”。

 モニターチェックのみをさらっと確認し、次は“才悩人応援歌”へ。ここでチャマが「この曲の前にいつものように僕がMCで煽りますが、いつもよりも短めになる気がしてます。だからいつもよりも早めに準備を始めてください」と細かい段取りを口にする。

――こういうこと、ありそうで今までなかったバンドだなと感じる。少なくともリハーサルでMCの段取りや流れを口にすることはなかったし、如何に去年のWILLPOLISツアーで、ライヴというエンターテイメントへの責任と役割と自覚が確かなものとして息づいたかを、このリハーサルで生々しく感じる。

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA9月号 Vol.101』

Posted on 2015.08.17 by MUSICA編集部

エレファントカシマシ、滾る激情と新たな名曲を握りしめ、
ニューシングル『愛すべき今日』でここに帰還

バンドだっていいことばかりじゃない。
それは生きていれば当たり前のことだけど、
その当たり前がより重くのしかかってくるし、
それを跳ね返すエネルギーも、若い頃と同じようには持てないという絶望感もある。
でも、俺はたぶん、この何年間かのそういう苦しみから解放されたんだと思う

『MUSICA 9月号 Vol.101』P.40より掲載

 

■できましたね、遂に。

「そうですねぇ」

■表題曲をはじめ曲自体の手応えとしても相当達成感があるのではないかと思いましたし、新春の武道館以降、半年にわたって制作に専念してきた中で到達したシングルであるという意味でも強い達成感があるのではないかと思うんですが。まずはその思いの丈を聞かせていただけますか。

「思いの丈ですか? 思いの丈かぁ…………去年の10月くらいからずっと曲を作り続けてまして……やっぱり俺は曲を作るのが何しろ好きだから、合間を見てはずっと作ってたのね。で、“愛すべき今日”も11月にはあったんです。ただ………たとえば俺自身も、本っ当の意味で体調がよくなったのは本っ当にここ2ヵ月前くらいなんですよ」

■それは、3年ほど前に難聴になって体調を崩して以来?

「そう。もちろんお医者さんにも耳は治ったって言われていたんだけど、でも本当の意味で絶好調になってきたのはようやく、ここ2ヵ月くらい。だから今振り返ってみれば“あなたへ”を作っていた頃はリハビリに近い――もちろん当時としては精一杯ですよ? でも、あの頃はやっぱりまだ曲を作り始めたばっかりっていう感じだったし、そういう中でコンサートも一生懸命やったりしてて。で、前回の取材で話した通り、メンバーもみんな中年になってちょっと身体の調子が悪くなったりもして……そこはもう、なかなか若い時とは違うっていうさ」

■そうですよね。

「でも、シングルは作ろうと思ってたし、アルバムももう3年も出してないからみんなに出せって言われるし、何より俺自身がアルバムを出したいから、そういう中でも一生懸命制作をやっていったわけですけど……ただね、そうやって中年になって若い頃のようには行かないことも出てきているけれども、この4人のバンドとして本当にいい味が出てきていて。写真を撮るにしてもビデオを撮るにしても、それこそローリング・ストーンズのような――ほら、ストーンズって4人が立っているだけでもの凄くカッコいいじゃない? ミック・ジャガーとキース・リチャーズがただそこに突っ立ってるだけで音が鳴ってくるっていうさ。そういう、この4人だけにしか持ち得ない空気みたいなものが、ようやくエレファントカシマシにも生まれ始めているっていうのは間違いないと感じていて」

■いや、本当にその通りだと思います。

「そうなんです、ありがとうございます。それで――――鹿野さん、とにかく僕はこの“愛すべき今日”という曲が大好きなんですよ!」

■宮本さん、僕もこの曲は素晴らしいと思うんですが、ちょっとだけ時系列を整理させてもらってもいいですか?

「はい(笑)」

■まず、前回の取材は今年の頭、武道館公演の直後だったわけですが、その時にここからライヴ活動を休止して制作に専念し、アルバムへと向かうんだという話をしていただきました。で、今のお話だと、この“愛すべき今日”は去年の11月にはすでにあったという――。

「ありました」

■ということは、武道館の時には他にも新曲を披露してたし、それこそ“めんどくせい”の原曲は2013年の復活の時からあったわけで、曲自体はいろいろ選択肢があったと思うんです。その中で、宮本さんはこの“愛すべき今日”で闘おうと選んだってことですよね。

「そうです。“愛すべき今日”はその時からみんなの評判もとてもよかったし、僕も非常に好きだったんですよね。まぁほんとはね、“めんどくせい”ができた当時(難聴の治療後、復活に向かう時期)はこの曲をシングルにしてもいいなとも思ってたんですよ。でも僕がそう言うと、みんな聞こえないフリするの。みんな押し黙っちゃって、僕の発言がその場をスーーッと通り過ぎていくんですよねぇ」

■なんで?

「久しぶりに復活するのに『めんどくせい』はないだろうって(笑)」

■ははははははははははははははは、それはもっともな意見だ。

「ま、僕も確かにその通りだなとは思ったんだけどさ(笑)。ただ、“めんどくせい”にしても“あなたへ”にしても、あの頃は曲ができただけで嬉しかったから。で、“Destiny”は、実は曲としては随分前からあったものなんですよね。それに対して、この“愛すべき今日”は本っ当の意味で――さいたまスーパーアリーナもやって武道館もやって、気持ちも行動も前向きになった上で、何千回か目のリスタートとして、心を込めてる実感を持って作り上げた曲なんですよね。だからね、僕は本当にこの曲が好きだし、手応えを持って作り上げることができた曲なんです。そういう曲です」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA9月号 Vol.101』

Posted on 2015.08.17 by MUSICA編集部

凛として時雨、初のベルリンレコーディングを行った
ミニアルバム『es or s』で新章の幕を切る!
新たな衝動と音像、不変の哲学すべてをTKが語る

自分自身の音楽人生において凄く大事な扉を開けられたなって思います。
「まだこんなのがあったんだ」って
自分が見たことないものに欲求が生まれたことが、凄く嬉しかった

『MUSICA 9月号 Vol.101』P.12より掲載

 

■これまでマスタリングをイギリスで行ったりもしていましたし、TK自身はよく海外に行って、そこで見た景色が歌詞に繋がっていったこともあるという話も前に聞きました。でも、凛として時雨として海外でレコーディングをしたのは、今回が初めてですよね?

「そうですね」

■このタイミングで時雨として作品を作ろうとなった際に、まず海外でレコーディングしようという明確な目的があったんですか?

「前にソロの曲作りをするためにベルリンに行ったことがあって、その時は知人のアパートメントに泊まったりしてたんですけど、せっかくだからピアノを弾きたいなと思って、あらかじめピアノが弾ける場所を探しておいたんです。で、そこでピアノを弾いたり写真を撮ってたりして過ごしてたんですけど」

■それは新しいインプットを求めてのことだったの?

「そうですね。日本でも同じ作業はできるんですけど、見ている景色によってどういった違いが生まれるのかっていうことを試したいなと思って。その時、いろんなタイミングだったり自分の感情みたいなものが上手く重なって、スッと1曲できたんです。それで急遽現地で調べたレコーディングスタジオに行って、『弾き語りで録るから、レコーディングボタンだけ押して出て行ってくれ』ってお願いして(笑)、向こうで録ったんです」

■それは時期としてはいつ頃のこと?

「ソロで『Fantastic Magic』というアルバムを作る時ですね。日本に帰ってきてアルバムを仕上げていく中で、ベルリンで録ってきたその曲と日本で録ったものと並べて聴いたら、やっぱりどこか空気が違っていて。もちろん曲の質感もあるんですけど、向こうで録ってきたものはちょっと空気がシーンとしているというか……電圧とかそういう問題もあると思うんですけど、でもやっぱり、その場で見ている景色だったり空気だったりが音に入り込むんだなっていうことを、初めて自分の実感として感じられたんです。なので、小さな夢として、いつかバンドで海外のスタジオに行けたらなっていうのは漠然とあったんですよね」

■その違いっていうのは、たとえば環境が変わって自分が解放されるみたいな、ある種の解放感を覚えたっていうのに近いんですか?

「そういう感覚とはちょっと違うんですけど……海外だと『自分を見つけられる』っていう感覚を割と強く感じられるんですよね。幽体離脱じゃないですけど、いつも閉鎖された中にいる自分を解き放つというか、自分自身というものからスッと自分が離れて、より客観的に自分を見つめ直せるというか……それこそ『自分ってちっぽけだな』って思ったりとか(笑)。そうやってどこか冷静に自分を見つめることができる状況で音を作るっていうのが凄く新鮮だったんですよ。それで、自分がどういうモチベーションになるかということも含めて、バンドで海外レコーディングできたら面白いんじゃないかっていうふうには感じていたんですよね」

■これは僕の想像なんですけど、凛として時雨の世界って非常にクローズされている世界だし、どれだけ圧迫した世界観の中で音を仕上げていくかということに賭けている部分もあるバンドだと思うんですよ。そういう意味でいくと、自分達の手の内とは違うところに行ってレコーディングするっていうのは、結構大きな決断だったんじゃないかと思うんです。そういう決断をした背景として、1月に初めてのベスト盤を出した後、バンドとして再び新章に向かうタイミングであったということも強く関係しているんですか?

「僕としてはベストアルバムのインタビュー時『時雨として次に何がやりたいのか』っていう話が出た時に、ひとつ海外レコーディングは挙げていたんですよね。その時はいつ実現できるか全然わからない上で話してたんですけど(笑)。ただ……僕としてはベスト以降に初めて3人の作品を作る上で海外レコーディングを選んだっていうのは、ある意味、自分への甘えだったかなっていう想いもあって」

■それはどういう意味で?

「自分が凛として時雨で新しい音を作る上で、一番簡単な場所を選んだなっていう(笑)。今まで閉鎖された中でやってきて、その上でベストっていうひとつの区切りを作って。その後で何をやるかって言った時に、外へ飛び出して音を作ってみようっていうのは、3人で一番フレッシュな気持ちで音に向き合えるっていう意味合いで一番簡単な手段ですから」

■物理的な環境を変えてしまうっていうのは確かに手っ取り早いかもね。

「そうなんです(笑)。もちろん、先ほど話したように海外レコーディングは自分がやりたかったことではあるんですけどね。海外に行って録るっていうのは予算だったりいろいろ難しい面もあるんですけど、そこは周りのスタッフも含めてクリアにしていただいて、スムーズに実現できたので……というか今回はいろんなことがスムーズだったんですよ。で、スムーズに行き過ぎると不安になってきて(笑)」

■ははははは。

「音源も締め切り前に納品して、レコード会社のスタッフに『まだ締め切り当日じゃないですけど、大丈夫ですか?』って確認されましたし(笑)」

■いつもは当日ギリギリまで作業するのに、今回は巻いたと。

「はい。それくらいスムーズだったんで、なんだか自分に甘えちゃってるような気がして(笑)。……でも、メンバーもリラックスした状態でレコーディングができたのでよかったと思います。そこだけ引っかかってたんですよね。自分は海外に行くことも好きですし、向こうで生活することも好きだから、その中で自分が録ったりミックスしたりできるっていうのは、日本とは違うストレスはありつつもそれを超えるインスピレーションが同時に作用するので、凄く過ごしやすいんです。ただ――345はヨーロッパが好きだから大丈夫かなと思いつつ、中野くんはあまり海外旅行とかもしない、どちらかと言うとずっと地元を愛してる感じなので(笑)、環境的にストレスを感じたりしないかなって心配だったんです。でも中野くんも初日から凄く楽しそうにしていたので『あ、これは大丈夫そうだな』と。ビールも環境も上手く合ったみたいなので(笑)」

■まぁドイツはビールが水みたいなもんですから、そういう意味ではピエール的にはばっちりでしょ。

「そうですね(笑)。もちろんスタジオもちゃんとしたところで、楽器も含めて変なストレスはあまりない状態でレコーディングできましたし、バンドとしてとてもよかったなと思いますね」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA9月号 Vol.101』