Posted on 2018.02.22 by MUSICA編集部

くるり、新たなる名曲“その線は水平線”リリース。
さらなる未知の景色へと歩を進めゆくバンドの今と
とあるモード変化を遂げた岸田繁の今を、雪の夜に語り合う

我々芸術家はただ傍観するだけやなく、
「いいもん見ようぜ」っていう気持ちだけは
意図して持ち続けないとあかん。
長いものに巻かれることには僕は興味はない

『MUSICA 3月号 Vol.131』より引用

 

(前半略)

■今回の “その線は水平線”は、2009〜2010年頃、“奇跡”とかを作っている辺りの時期にできた曲で。

「そうですね。これはほんまなんも考えず、くるり組んだ時からぐらいの自分の作り方で、ただ作った曲で。なんのプレッシャーもなく、BOBOや山内(総一郎/フジファブリック)と一緒にツアー回ってる時に四国かどっかの楽屋で適当に作って。その後も何回かやってたんですけど、今まで形にならずにずっとあった曲なんですよね」

■実際、私も何年か前にペンタトニック(くるりのプライベートスタジオ)でこの曲のプリプロやってるところを見せてもらってるんですが、その時とは聴き心地が全然違う音像になっていて。これは、ご自分がやりたいことを見つけていった中のひとつっていう感じがあるんですか?

「いや、これはそういうわけではないんですけど(笑)。実は、今すでにアルバムに向けて結構な曲数レコーディングしてるんですよ」

■おお、そうなんですね!

「で、そのレコーディングしてる曲達にはふたつの方向性があって。ざっくり言うと、実験的なヤツと歌モノ。そういうのって作っていくと混じってくるのかなと思ってたんですけど、今回はそれが凄く乖離してたんですよね。両方とも僕は好きなんですけど。……くるりって、一時期までは流行りのものの表層を削って粉チーズみたいに自分達の音楽にふりかけるみたいな(笑)、割とそういうやり方をしてきたし、一時期からは自分らの中での流行りを追い求めるみたいになってきたんですけど、もうそういうのもやめて、その曲を、その時に、どう録りましょうかみたいな具合でアルバムを作ってて。このシングルの曲も、僕が行ってる京都精華大学で録ったし、表題曲のほうはその大学で出会った谷川充博さんにエンジニアをやってもらってて。これまでくるりは外国へ行ったりとか、毎回違うやり方で録音してきましたけど、でも録り方自体は至って普通というか、割と他のアーティストもよくやってるやり方でやってたんですけど、この曲は録り方からしてちょっと独特なサウンドに仕上がるチームでやってるというか。で、そういうのもそれが目的だったんやなく、たまたまそうなっただけで。だから、今の僕らはユルユルですよ。僕らユルさって否定してたんですけど、今は凄くユルくやってて。なんか、ユルいのがいいなと思って」

■でも、でき上がったプロダクションにはユルさはないですよね。

「そりゃもう、そこは佐藤(征史/B)さんがやり出したら相当やるんで」

■はははははははは。

「だから僕がユルい分、佐藤さんと、あとディレクションやってる幹宗(山本幹宗)が締めてますね。それでも相当ユルくやってる」

■今回の“その線は水平線”は、表題曲の他に“その線は水平線 Ver.2”という別ヴァージョンも収録されていて。どちらも90年代のオルタナティヴ・ロックのリヴァイヴァル的な印象もある音像なんですが、でも、特に表題曲のほうは実はそれとは全然違っていて。

「そこはもちろんキーワードにはなりました。で、割と表層の部分でそれを追い求めたんがVer.2のほうで、なんかよくわからんものになあったのが表題曲のほうやと思います(中略)今っていろんなデジタル機器の進歩がありますから、なんとかふうの音は割と簡単に作れる時代ですけど、でもほんまにその音を出そうとしたらやっぱりどの機材をどう使うかって話になる。そういう、『あ、この音ってこれで出すからこうなんねんな』ってことを目の当たりにして。で、そういうのって、特にこういうポップスとかロックの制作の現場では楽曲の大きな取っ掛かりになることもあるんやなと改めて思いましたね」

(続きは本誌をチェック!)

text by有泉智子

『MUSICA3月号 Vol.131』

Posted on 2018.02.22 by MUSICA編集部

Mrs. GREEN APPLE流ゴスペルソング
“Love me, Love you”。万華鏡の如く鮮やかな変幻と拡張を
繰り返しながら「音楽」をモノにしていく、
その歓喜とカウンター精神を大森元貴、語る

ずっと自分らが引け目を感じてきた音楽的な強さ、
音楽的な深みっていうところに目を背けず、そこをちゃんとクリアしたかった。
この数ヵ月間はミセスとして次に行くためにいろんなことを考えてましたね

『MUSICA 3月号 Vol.131』より引用

 

■2018年一発目のシングルです。

「はい。……なんかインタヴューするの、すっごく久々な気がする」

■私も凄く久々な気がしてるんだけど、でも去年の8月にリリースした『WanteD! WanteD!』以来だから、言っても半年ぶりくらいなんだよね。だからこの久々感は、このシングルを聴けば明らかな通り、その間にバンドのモードが変わったことが関係してるんじゃないかと思うんですが。

「なるほど、そうかも。“WanteD! WanteD!”と年末に配信限定で出した“WHOO WHOO WHOO”っていう曲でEDMからの流れみたいなものを強く意識して作ってたところからは、モードは確かに変わってて」

■そうなんですよね。“WHOO WHOO WHOO”は昨年の春のツアーに向けてできた曲だったわけだけど、『Mrs. GREEN APPLE』というアルバムに向けたタームから、EDM以降の海外のポップソングから影響を受けての流れがあったんだけど――もちろんその間には“どこかで日は昇る”のような曲もあったとはいえ――今回の表題曲である“Love me, Love you”は生音にこだわったビッグバンド的な編成の、ゴスペル仕様のポップアンセムで。このモードチェンジが起こったのはどうしてだったんですか。

「そもそも、なんで僕らがいろんな音楽の形を吸収しようとしてたかっていうと、音楽的なコンプレックスがあったからでもあるんですよ。僕達って元々ミュージシャンの集いとして集まったメンバーじゃないから。ある意味それが強みでもあるんだけど、でもバンド組んで何回目かのライヴで大人の方々が見つけてくれて、その勢いに自分らが乗っかっていった部分もあったし。もちろんその中でもちゃんとここまで来れたっていうのは自負してるんだけど、どうしてもちょっとコンプレックスだったりするわけですよ。僕らは本当に音楽的に強いバンドなのかどうかっていう、そこがモヤモヤしたりもどかしい感じがある中でずっと音楽をやってて」

■それは演奏スキルだったり音楽のバックグラウンドだったりってこと?

「そう。ライヴに関してもそうだし。若くて勢いがあって、割と華やかで元気なMrs. GREEN APPLEっていうパブリックイメージがあって。そのイメージは僕らも最初に作り上げようとしてたし、なんだかんだそれが僕らの本質だとも思うんだけど、でも、その楽しさってもので補ってた部分もあるような気がしてて……。そういうコンプレックスみたいなものをクリアしたいなと思ったんですよね。だから今回の“Love me, Love you”はビッグバンド編成で、7thと9thのコードしか出てこないようなジャズテイストの雰囲気で、ちゃんと音楽の知識とスキルがないと挑戦できない、それがないまま挑戦したら滑っちゃうようなことを、敢えてやりたいんですって、そういう話をまず制作前にメンバーにしたんですよね。ずっと自分らが引け目を感じてきた音楽的な強さ、音楽的な深みっていうところに目を背けず、そこをちゃんとクリアしたいんだって。そういうふうに、この数ヵ月間はミセスとして次に行くためにいろんなことを考えてたんですよね」

■デビュー当時20代のメンバーもいたけど、でも10代バンドとしてデビューをして。ティーンエイジャーのバンドって、若さ故の衝動と無鉄砲な強さみたいなものがバンドの煌めきになってることも多いし、そうなるとファースト、セカンドはよくても、メンバーが大人になるに従って案外普通のバンドになってしまうっていう例は日本に限らず海外でもたくさんあって。そういう危機感みたいなものもあったんですか?

「僕ひとりのことで考えたら、ぶっちゃけそういう危機感はないんだけど、バンドの中の大森元貴として考えた時には多少危機感があったんだと思う。僕自身は、高校生バンドや10代バンドじゃなくなった時に凄い自由になったなっていう実感があったけど」

(続きは本誌をチェック!)

text by有泉智子

『MUSICA3月号 Vol.131』

Posted on 2018.02.21 by MUSICA編集部

人に向き合い闘ってきたからこそ、今まさに爆風を吹かす
大進撃。何故今SUPER BEAVERなのか、渋谷龍太なのか。
7つのキーワードから紐解く「渋谷龍太・解体新書」!

自分も愛されたいっていう欲を理解して、
その上で反射的な心理で動けるのが愛だと思う。
結局は自分のためだっていうのを自覚することが
人に対しても一番の誠意だと思うから

『MUSICA 3月号 Vol.131』より引用

 

▼1. 真ん中のこと

■今回の取材は、4月の武道館ライヴを目前にしたタイミングも踏まえて、ここ2年のSUPER BEAVER躍進の核である渋谷龍太という人間に踏み込みたいと思った特別企画です。渋谷龍太を形成すると思うキーワードの数々から、立体的に語れればと思ってます。よろしくお願いします。

「なんか照れるけど(笑)、よろしくお願いします」

■まずはザックリ、自分の真ん中のことと言われると何を思います?

「自分で言うのも変だけど、真面目なヤツだなって思う。『固い』と『真面目』は紙一重で、俺は元々、どちらかと言えば固い人間だったと思うの。だけどその固さを真面目っていう言葉に変えられるんじゃないかと思ってやってきた過程な気がしていて……どちらにせよ、昔から『俺は、人にも物事にも真正面から向き合う人間になりたい』と思って生きてきた気がするんだけどね」

■ひとつのことに真剣に取り組む生き方や、物事に真正面から向き合う姿に一種の憧れを抱いて生きてきた背景にあるのは、具体的にはどういう経験なの?

「それは幼少期からのコンプレックスの裏返しだと思う。俺の周りには、生き様として男らしい人が凄く多くてさ。たとえば父ちゃんは人に慕われていたから、どこに行っても俺は『昇くんの息子』で。あと、成田っていういいヤツが親友にいて、どこに行っても俺は『成田の友達』でさ。それが悔しかったし、その一方で俺は父ちゃんや友達を自分の自慢にもさせてもらってきて。だったら今度は周りの人の自慢に自分がなりたいと思ってたんだよね。抽象的だけど、渋谷龍太っていう人間を確立したいっていう気持ちが昔から強かったのはそういう環境が大きいんだと思う。じゃあ男らしさってなんだって言ったら、いつもみんな、俺が困った時にすぐ助けてくれたんだよ。で、そういう周囲の人に対して凄い感謝をする反面、俺は情けないなあと思うことも多かったからこそ、いつか周りの人達に『渋谷龍太にカッコいい生き方を見せてきてよかった』と思わせたかったんだよね。そう考えると、やっぱり周囲の人っていうのが俺の真ん中なんだろうね。人情とか、仁とか、義とか……それは大事にしてきたし、俺がカッコいいと思ってきた人も音楽も、全部その『人情』に根差したものだったと思う。そうやって何事も人として接することで初めて、どこがコンプレックスで、どこが憧れなのかっていうことを自分で整理できたんだよね。その表裏を入れ替えながらやってきたかなっていう気がする」

■それを経てきたことで、渋谷龍太自身はどういう人間に変化してこられたの?

「何かを背負って立つっていうことを好きでやれる人間になったと思う。渋谷龍太を背負って立つ、昇と志津香の息子を背負って立つ、地元・新宿の友達の代表を背負って立つ、SUPER BEAVERをフロントマンとして背負って立つ、友達のバンド達を背負って立つ、SUPER BEAVERを好きでいてくれる人達を背負って立つ。……そういう背負い方を好きでやれるのが、渋谷龍太っぽい部分なんだと思う」

(続きは本誌をチェック!)

text by矢島大地

『MUSICA3月号 Vol.131』

Posted on 2018.02.21 by MUSICA編集部

11年目のメジャーデビューに投下したBIGMAMA流
百花繚乱シングル、『Strawberry Feels』の誕生と、
これからへの確かなる覚悟を、金井政人が独白する

もっと自分達の作った曲を信じようと思ったし、それを好きでいてくれる人を
もっと信じようと思ったんです。そしたら自分の本当に必要なところ、
もっと研ぎ澄ませたいところに焦点が当たった

『MUSICA 3月号 Vol.131』より引用

 

(前半略)

■メジャーに進出したからこそ、金井は今、己を語るより音楽を語りたいし、バンドよりも曲をメジャーに行かせたいんだよね。今回そういうスタンスになってる理由は何なの? メジャーデビューとは関係あるの? 金井が今、変わろうとしているの?

「年齢とかタイミングとか、全部なのかな……あと武道館もそうかな。『もっと本気になろう』、『もっとストイックになろう』って考えた時に、有名になりたいだの、ちやほやされたいだのっていう話じゃなくて、俺はいいもの作って喜んでいたいだけなんだなって改めて考えて。お金持ちになりたいかって言うと、関わってくれた人がちゃんと安心して暮らせるだけは稼ぎたいけど、それ以上の欲は別にないし。……自分達のやってきたことや作ったものを大切にする方法として、喜んでくれるなら断らずに何でもやるっていうスタンスでずっとやって来たんだけど――」

■わかってるよ、その最初のものが一緒に走った東京マラソンだったよね。

「はははは、そうだったね。そこで得たものも凄くたくさんあって、それは財産であり誇りだし。そこで得たものも凄くたくさんあって、それは財産であり誇りだし。で、いろんなものを経た今このタイミングで、一番大切なものは曲であり言葉であり歌詞だなっていう意味で、大切にする仕方を変えたかったんです。でもいきなりこの方法をとるのって不親切だし、今まで協力してくれた人との関係性もあったり、難しいことも凄くたくさんあるんだけど、少なくとも音楽なんだからあらゆることに関して答えが近過ぎるのはよくないなって思って。不親切な説明かもしれないけど、それが音楽にとっては親切なことだってわかったし、信じてるので、その気持ちを裏切りたくなくて。今って何かを調べたいと思ったらすぐ検索して答えが出てくるじゃないですか。ミュージシャン然りですけど、サービス合戦になってるところから、このタイミングだからこそ一旦降りようっていう気持ちなんです。『ちゃんといいものを作ろう。作ったものがちゃんと語ってくれるようにするにはエネルギーをどう注いでいったらいいんだろう?』っていうほうへ向かうと――メジャーデビューとか言われるタイミングに似つかわしくないけど――ここから先ってフィジカルで言うとどんどん劣化していくものだから、自分で磨いていくべきものや見せていくべきものは何かってことを考え直す時間があって。でもちゃんといい曲を作っていいライヴをして、同じものを好きだって言ってくれるしかっぺのような仲間を宝物に思っていくことの中で、考える時間を凄く大切にしたいなって思ったし、そのために自分が今までしてきたことを否定するわけじゃなくて。ちゃんと言葉を選ぼうとか考えようとか、それで口数を減らそうとか、いろんなものを削ぎ落そうとしたら結構自分がいなくなって。今ここでも上手く喋れてないのも申し訳ないんだけど、でもこの自分がいなくなっているのはマイナスではなく、間違いなくBIGMAMAにとっては可能性なんですよ。それを回りくどく今伝えてます」

■このタイミングだからこそ本当にいろんなことを考えたんだね。いろんなことを考えたからこそ、この曲は出てきたんだね……ってことは伝わった。

「はい。凄く責任があるし、責任のないものは嫌いだから。今まで作ってきた分の1にしか過ぎないけど、でも、今まで作ってきた100曲があるからこその1曲だなって。それって武道館の時も思ってたことで、1,000本くらいライヴやってるうちの1だけど、でも1分の1,000だし。この曲も、この3曲も、それを思った上でちゃんと更新してないとダメだなって思ったし」

(続きは本誌をチェック!)

text by鹿野 淳

『MUSICA3月号 Vol.131』

Posted on 2018.02.20 by MUSICA編集部

スカパラ歌モノシリーズ最新作は、遂に峯田和伸が
出張ってきました! 楽曲自体が叫び、叫び自体が
愛と孤独を指切りさせる名曲&名演
“ちえのわ feat.峯田和伸”を、総勢10名で語ります!

峯田くんがあまりにも凄過ぎて。その感覚って、スカパラが
デビューしたばかりの頃の、血が逆流するような感覚と一緒だったんです。
初めてスカパラのステージに立って演奏した時の感覚が戻ってきた(NARGO)

『MUSICA 3月号 Vol.131』より引用

 

(前半略)

■スカパラの側からは峯田っていう存在はどういうふうに見てたんですか。

加藤隆志(G)「コラボレーションの相手を誰とやりたいかっていうのはメンバーの中でよく話すんですけど、もう随分前から、その時に必ず名前が挙がってたんですよ。でも、峯田くんもずっとアルバムを出してない時期があったりもしたし、あと意外と接点があんまりなかったんですよね。僕はファンで『恋と退屈』を読んでたり、出演してる映画も観たりしてたし、時々下北で見かけることも結構あったんだけど、そうすると『あ、峯田だ!』みたいな感じで……」

■それ、完全にただのファンですよ。

全員「はははははははははは」

加藤「そういう感じでずっときてて(笑)。だからスカパラと峯田くんをどう融合させるかってことも含めて、ずっと寝かせてたところがあったんですよね。でも沖さんは、1回、峯田くんと一緒にやってるんですよね?」

沖祐市(Key)「そう、銀杏BOYZでYO-KINGがプロデュースした時に、僕をオルガンで呼んでもらったことがあって」

峯田「2005年くらいでしたね(アルバム『君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命』において、“青春時代”と“東京”の2曲に沖が参加)」

加藤「で、たしか2015年のRISING SUN ROCK FESTIVALの時に、バックエリアで尾崎くんに紹介してもらって初めて話したんですよ。その時に音楽の話をバーッとされて、レゲエとかスカが大好きだって聞いて。そういうイメージがなかったからびっくりしたんですよ。そこからクリープハイプのBowlineに出た時にも一緒になったり、ちょっとずつ距離が近づいてきて……で、これは歌ってくれるんじゃないかなってムードになってきて(笑)。それで去年のRISINGでスカパラがホストバンドになってレゲエ〜スカの歴史の流れを辿るセッションをやった時に、フィッシュマンズの“いかれたBaby”を歌ってもらったんです」

北原「The Specialsの“Little Bitch”とね」

加藤「そう! その2曲を歌ってもらって。それでもうヤッター!って感じになって」

峯田「……あの、なんかね、めちゃくちゃ気になる女の子がいるとするじゃないですか」

■ん? うん。

峯田「めっちゃくちゃ気になってて行きたいんですけど、でも、僕なんかはなぁみたいなところがあって、柱の影から見てるだけ、みたいな」

■それはスカパラへの想いの話をしてるの?(笑)。

峯田「そうです。僕にとってスカパラはそういう存在だったんですよ! そうしたらなんと2年前のRISINGで向こうから声をかけてくれるっていう………もうね、あの時に飲んでたコーヒーの味まで覚えてますよ、僕は」

全員「はははははははははははははは」

峯田「それはね、もう本当に十何年越しの想いが叶った感じですよ」

■ちなみにフィッシュマンズもお好きで。

峯田「もちろんです。大学入った頃かな、友達の影響で聴き始めて、凄いなと思って。佐藤さん(佐藤伸治)の声って凄いなぁって思いながらめっちゃ聴いてた時に亡くなったんです」

茂木欣一(Dr)「そっか、佐藤くんが亡くなったのが1999年だったからね。ちょうどあの頃か」

■歌ってみてどうでした?

峯田「………………えっと、あの…………」

■どうしたの(笑)。

峯田「リハで初めてみなさんと合わせて、『ああ、これは上手く行くかもしれない』と思ったんですよ。で、本番を迎えて、僕は1曲目に“Little Bitch”で2曲目に“いかれたBaby”を歌ったんですけど、もう“Little Bitch”でパ〜〜ッとなっちゃって」
スカパラ全員「わかる、わかるよ!」

峯田「で、“いかれたBaby”で歌詞がバーッと飛んじゃったですよ」

スカパラ全員「ははははははは」

峯田「しかも、その直前にステージ裏でチバさんに『峯田、“いかれた〜”やるんだ? あれは難しいと思うよ』って言われてて(チバユウスケも同じセッションにヴォーカリストとして参加)」

スカパラ全員「えー!?(笑)」

峯田「それで歌詞飛んで、気持ちで歌うしかないと思って最後まで歌ったんですけど、もう俺、ほんとやってしまったと思って。次の日のRISINGで、銀杏BOYZのライヴだったんですけど、朝方ホテル戻ってからも全然寝れなくて。一睡もできなかったです。久しぶりに徹夜して、そのまま銀杏BOYZのライヴやりました」

スカパラ全員「え―――!!!」

(続きは本誌をチェック!)

text by鹿野 淳

『MUSICA3月号 Vol.131』

Posted on 2018.02.19 by MUSICA編集部

これまで以上に多彩な楽曲が無類のメロディと共に響き渡る
KEYTALKの『Rainbow』。4人への個別インタヴューで
解き明かす名盤の内実と、稀有なバンドが秘める真の可能性

より高みを目指す準備ができたぞっていう感じなんです。
『Rainbow』はこれで勝負だー!っていうぐらい強いアルバムなんですけど、
これで準備万端だー!っていうほうが気持ちとしては強いかもしれないです

『MUSICA 3月号 Vol.131』より引用

 

 

INTERVIEW #1 寺中友将

(前略)

■10曲目に“Rainbow road”という巨匠の曲があって、アルバムタイトルとこの曲って因果があるんですか。

「はい。『タイトルどうしよっか』ってみんなで話し合ってる時に、義勝が『Rainbow』でいいんじゃないか?っていう意見を出してくれて。義勝が“Rainbow road”っていう曲名から『このワードいい!』って思ってタイトルを出してくれたんです。それで、この曲の最後の<放物線>っていう歌詞に引っ張られて、義勝が作った1曲目の“ワルシャワの夜に”に<放物線>って歌詞が出てきたりとか。深い意味はなくとも『Rainbow』っていうタイトルがしっくりくるというのが決定的だったというか」

■今回の作品はKEYTALKのイメージをはみ出す、より挑戦をしている楽曲があると思うんです。“雨宿り”という渋谷系のような曲があったりとか、最後の2曲がバンド音楽としてではなくポップスとしてソロアーティストがやっているふうに聴いても過不足ない楽曲とアレンジになっていたりとか。全体的に今までを超越したKEYTALKの七色感や多彩感が込められてることが、この『Rainbow』っていうタイトルにも繋がっているんじゃないかと思うんですけど。

「嬉しいです。でも細かい話を義勝から聞いたわけではないんでわかんないんですけど、“雨宿り”も“FLOWER”も、新しいことをしようとしてやってるわけでは特になくて。今までもアルバムやシングルのタイミングで本当にいろんなネタは出してきたので、その中で今回出してみたいよねっていうモードになっただけだと思うから、特に新しい一面を見せようとかは考えてないんじゃないかな」

■基本的にそういうことは4人とも考えないバンドなんだね。それは考えないでここまで来れたからこそ――つまり、考えなくても上手くやってるしバンドも楽しいから、考えないほうがいいんじゃないか、みたいなこともあるんですか。

「ああ、それははっきりとあります。もちろんまったく考えてないわけではないんですけど、今どんどん勢いのある年下のバンドのライヴを観たり、先輩のズッシリしたライヴを観たり、その中で感じ取ったものが曲作りに割と強く反映されてるんじゃないかっていうふうには思うんです。ただそこで感じてるだけで本当に考えてはないというか、あんまり理屈っぽく細かく考え込まないほうがいいものができたり、楽しくできるって僕はずっと思ってるので」

(続きは本誌をチェック!)

text by鹿野 淳

『MUSICA3月号 Vol.131』

 

 

INTERVIEW#2 八木優樹

(前略)

■『Rainbow』というアルバムができました。どういうアルバムになったなって思っていますか。

「KEYTALKのアルバムの中でもかなりストレートでわかりやすいアルバムなのかなと思います。単純にグッドメロディで言葉がスッと入ってくるアルバムって、今まであんまりなかった気がしてて、そういう意味では歌を押し出してるアルバムなのかなと思いますし、それは他のバンドにはない僕らの強みですよね。僕はメロディのよさに関しては周りのバンドより抜けてると思っているんです。で、それを押し出せたアルバムなのかなと思います」

■その自分達のバンドの強みを確信したのは、いつぐらいの時期なんですか。

「割と最初から思ってたんですけど、特に義勝が作曲をし出した頃からですかね。僕は歌メロが美しいバンドが好きなんですけど、彼がそういう楽曲を凄い持ってきてくれるようになって。それで義勝がどんどん周りの3人に影響を与えていくようになって、J-POP的良メロをひねくれたバンドサウンドに乗せる、みたいな時期に突入してったと思います」

■八木くんもそれで火がついて曲を作りたいなって思ったの?

「いや、僕が作りたいと思うに至ったプロセスはそういう前向きなものではなくて(苦笑)。僕だけが作ってないという事実に関してメンバーに申し訳ない気持ちがあったし、曲を書けないこと、書いてないことがコンプレックスになってたので……。だからそんなにポジティヴな動機ではなかったですね」

■八木くんがそこで踏み出したのは何故だったんですか。

「常々自分も曲を作りたいとは思っていたし、僕のそういう気持ちを許容してくれるメンバーだったのが大きかったと思います。だから僕が曲を書けたのは、メンバーに助けてもらったからって感じですね。最初は他のバンドだったら作って持っていっても『これ、よくないわ』って言われて却下されるレベルだったと思うんですけど、ウチのメンバーは『お前が作ってきたんなら入れるわ』って感じで入れてくれたから。そっから僕の自信と世界が広がっていった感じがします」

(続きは本誌をチェック!)

text by鹿野 淳

『MUSICA3月号 Vol.131』

 

 

INTE RVIEW#3 小野武正

 

(前略)

■ひとつお訊きしたいんですが、今って追い風を感じてるんですか?

「いやぁ、全然追い風ではないんじゃないかな。……KEYTALKは結構難しい時期だと思います。過渡期というか、今後たとえば20年、30年ってKEYTALKの歴史が続いていって振り返った時、この2017年~2019年辺りは鬼門だったねって言うような、そういう時期の真っ只中にいるって自分では感じますね」

■それは外的要因ではどういうところから感じるの?

「元を辿ると、KEYATLKっていうバンドを知ってもらいたいっていうところでがむしゃらに前へ進んでた時期がずっとあって。で、そこからある程度知名度も出てきて、『KEYTALKってこういうバンドだよね』っていうような、あんまり聴いてもらってない人にも先入観を持たれるぐらいになってきたりして。そうしたら新しいお客さんに向けて突き進むこととプラス、今までついてきてくれたお客さんや、ちょっと名前を知ってるある意味偏見を持ってるお客さんだったり、昔は好きだったけどもう好きじゃないっていう方達にも聴いてもらわなきゃいけないわけで。そうやって背負うものが大きくなるっていうか、相手にするものが大きくなるから鬼門なわけで。昔はただ前にひとつ進んでいけばよかったのがそうじゃなくなって……今はその真っ只中なのかなって思います」

■内的要因でそういう過渡期的な意識はあるの?

「それはないかもしれないです。外的にそういうのがバーッと来てるからこそ、今は内的にはむしろより固まって結束が高まってるって感じはしますね」

(続きは本誌をチェック!)

text by鹿野 淳

『MUSICA3月号 Vol.131』

 

 

INTERVIEW#4 首藤義勝

(前略)

■今回は内面的でナーヴァスなもの、一番最後の曲では義勝くんの中にある「愛」というものに対するひとつの考え方が露わになってますよね。それは今のご自分の、あるいは今のKEYTALKの何を表してると思いますか。

「個人的には歌が必ずしもナーヴァスである必要はないと思うんですけど、もっと新しいタイプの歌詞を書いてみたいと思って臨んでいたので、自然とその結果出てきたテーマ達なんです。曲によってシチュエーションは違うんですけど、割と前半には暗い曲が集まったなって。でもダウナーな雰囲気を押し出したいわけではなくて、逆境のエネルギーみたいなものをサウンドの力強さと融合させたかったっていうことなんですけど」

■面白いですね。敢えて訊くんですが、楽しいKEYTALKから脱却したいみたいな気持ちはあったんですか。

「現状に満足したくないなってことはずっと前から思い続けていて。楽しさを排除する必要もなかったんですけど、よりいいものを!って突き詰めた結果、今までみたいなあからさまなパーティチューンは入ってこなかったなって思ってます。無心で振り返らずに、いいものをいいものを……って自然と曲を集めていった結果なので、楽しいところから脱却しようとかは考えてなかったです」

■1曲目にダークに高揚する“ワルシャワの夜に”を持ってきたところに『PARADISE』との如実な違いを感じて。バンドとして影の部分も表現できるんだぜっていう挑戦をはっきり出していったのかなと思ったんです。

「自然な流れでそうなっていったんじゃないかなって思います。たとえば“ワルシャワの夜に”みたいに、ソリッドなサウンドでロックなカッコよさを追求して、自分の琴線に触れるようなメロディを書いて乗っけた結果、自然とこういう歌詞がハマるんじゃないかって思ってシリアスになっていったというか」

(続きは本誌をチェック!)

text by鹿野 淳

『MUSICA3月号 Vol.131』

Posted on 2018.02.16 by MUSICA編集部

2018年の幕開けを飾る星野源のニューシングルは
『ドラえもん』! カウンター精神を持ちながら
ポップエンターテインメントのど真ん中を突き進む、
今最もヤバい音楽家・星野源の心理と真意を探ります!

僕達はなんでもない人達だけど、でもヒーローだけが世界を救うんではなく、
何者でもない僕達のやること1個1個が人知れず世界を変えていくんだ、
そうやって未来を作っていくのだ、そういう気持ちは自分の中に強くある

『MUSICA 3月号 Vol.131』より引用

 

(前段略)

■先ほど去年の夏前に台本をいただいてから具体的に考え始めたとおっしゃってましたけど、完パケたのは……。

「12月の末です」

■つまり、半年以上かけて作ってるわけですよね。それだけこのハードルを越えるのが難しかったってことなんですか?

「最初は今とはまったく違う曲を作ってたんですよ。ディスコの曲をずっと作ってたんです。“ドラえもん”っていうタイトルにするってことと、間奏で“ドラえもんのうた”のイントロか“ぼくドラえもん”のAメロのどっちかをオマージュするっていうことだけは決めてたんですけど」

■あ、オマージュ案も最初から決めてたんだ。

「決めてた。決めてたって言っても自分の中だけで、その許可が下りるかどうかはわからない状態で(笑)、でもこのアイディアは絶対に面白いと思いながら、ディスコティックな曲を作ってたんです。で、それがなかなか上手くいかなかったんですよ。なんだか違うな、なんだか違うなってずっと思いながら、あれこれいじってたんですけど、全然上手く行かず。挿入歌の“ここにいないあなたへ”はもの凄く早くできて、録音もパッと終わったんですけど、それが終わった後にまたもう1回、主題歌に取り掛かっても全然進まず。ミュージシャンのみんなに参加してもらいながら、リズムを変えたりいろいろやってみたりもしたけど、やっぱりダメで」

■それは1回、セッション的に作ってみようとしたってこと?

「いや、一度やって軽く録音してダメで、別のアレンジを考えてまたプリプロして、でも結局、自分が最初に思いついたワクワク感みたいなところに到達できず、これは本当にヤバいと思って……という状況の中で僕が精神的なクライシスを迎えてしまい、10月~1月の2ヵ月ぐらいは『もう何もしたくない!』みたいな状態になっちゃった(笑)」

■制作もやりつつ、『コウノドリ』を撮ってる時期?

「そう。『コウノドリ』を撮ってる時間は、役に入れるから凄く楽しいんです。演じてる間は星野源を忘れられるので(笑)。そういう時期を経て、これは1回リセットしようと思って。普段、作曲してる時に思いついて録音しておいたメロディがいくつかあるんです。それを聴き直したら1フレーズ、これは楽しいなっていうのがあって。その時はまだディスコティックな気持ちだったんで、これは“ドラえもん”にはならないだろうけど、なんか楽しいからちょっとやってみようと思って。それが結果、今の“ドラえもん”のBメロかな? そのフレーズを広げようと思って、コードやその時に作った様子を思い出そうとやってたら、パッとこのイントロが出てきて。『あれ? これ、面白い』と思ってやり続けていったら、バーッと全部ができたんですよ。そこで『あ、これ“ドラえもん”の楽しさと似てる』って思い、アレンジのことを考え始めていったんだけど、そうしたらすぐにできました。あの苦しみはなんだったんだと思うくらい、短い時間で凄く楽しく作曲できました(笑)。で、曲ができたと同時期に、タイミングを合わせたかのようにそれまで感じていた精神的な辛さとかも全部解決していったんですよ」

(続きは本誌をチェック!)

text by有泉智子

『MUSICA3月号 Vol.131』

Posted on 2018.02.16 by MUSICA編集部

メジャー、チャートトップ、ベルリン録音、
様々な挑戦と試行を繰り返した果てで生まれた
アルバム『#5』。TK単独、そして345&ピエール中野の
2部構成でおくる、決定的バックカヴァー特集!

僕はむしろ、ソロプロジェクトよりも凛として時雨においてのほうが
「自分の純度を高めたい」と考えていて。だからこそ、いろんな経験をしても
凛として時雨になった瞬間に一気に時間が引き戻されて、丸裸の状態に戻る

『MUSICA 3月号 Vol.131』より引用

 

【INTERVIEW#1 TK】

(前段略)

■先ほどご自分でもおっしゃった通り、この5年間はとても精力的かつクリエイティヴな期間だったと思うんです。現実的に作品数としても、凛として時雨、TK from凛として時雨、共に多作と言える時期だったと思いますし。そういう5年間は、今回のアルバムにどうフィードバックされていると思いますか。

「面白いもので、これだけソロのプロジェクトだったりプロデュースをやらせてもらって、作品を生み出してきたにもかかわらず、『じゃあ凛として時雨のアルバムを作ろう』って自分の中で決めた時に、5年前、もしくはバンドを始めた頃まで感覚が戻ってしまうんですよね。いろんなプロジェクトで楽曲を作っていくと、もう少しいろんなことを器用にできるようになったり、ソロでやったことをバンドに持ち込んでみたり、そういうことがあるかなと思ったんですけど、全然なかった(笑)。やっぱり凛として時雨においては、そういうものは通用しないんですよ。それはたぶん、自分自身がこのバンドの特異性と言いますか、凛として時雨に対して『こうありたい、こうあるべきだ』っていう、自分の空想にも近いあるべき姿を追い求め過ぎているが故なのかなと思うんですけどね。あと、僕はむしろ、ソロよりも時雨においてのほうが『自分の純度を高めたい』と考えてますし。だからこそ、いろんな経験をしていたはずなのに凛として時雨になった瞬間に一気に時間が引き戻されて、丸裸の状態に戻って、スタート地点よりもむしろ手前の状態に置かれるっていう、そういう感覚が今回もあって。本来だったら、この5年の間にメンバー3人それぞれいろんな動きの中で得てきた収穫を持ち寄って、ひとつパワーアップした姿になるんだろうし、そういうふうになるのかなとは、一瞬は思ったんですけどね(笑)。なんか、凛として時雨は、凛として時雨の時間の中でしか成長しないものなんだなっていうのは改めて凄く思いましたね」

(続きは本誌をチェック!)

text by鹿野 淳

『MUSICA3月号 Vol.131』

  

【INTERVIEW#2 345&ピエール中野】

■ふたりだけでインタヴューするのがほぼ初めてだということで、楽しみにしてます。

ピエール中野(Dr)「革命ですよ、これは!!」

■わかった(笑)。まずはアルバム全体への率直な想い、感想から聞いていきたいんですが。

ピエール「率直な感想としては、『とんでもない作品がちゃんとできたな』というのがまずあって。世に流通するCD作品として初めてリリースした『#4』の時と同じく、これが世に出たらみんなびっくりするんじゃないかなっていう作品になったなと。自分達の演奏とやってきたことをしっかりとパッケージングできたアルバムだと思ってます」

345(Vo&B)「TKがタイトルを『#5』にしようと思ってるって聞いた時に、すべてがピタッと合わさった感じがして。最初に時雨をやり始めた頃の気持ちと、今も同じ気持ちでいられるっていうのを凄く感じましたね」

■TKから話が出る前に、ピエールがアルバムタイトルは『#5』がいいんじゃないかと思ったのは、どういう気持ちだったんですか。

ピエール「曲が出揃って通して聴いてみた時に、昔、小さいライヴハウスでガンガンやって、いろんな人から驚かれてた頃のことを思い出したんですよ。とはいえ、TKはさすがにそうはつけないだろと思ってたんだけど、仮タイトルが『#5』になってるみたいなのがメールで届いて。だったらこれでもう決まりじゃないか!って連絡したのをよく覚えてます」

■凛として時雨ってもはや存在も音楽自体も意外性の塊だったりするし、その意外性がちゃんと受け止められるバンドでもあるわけですけど。今回の作品はこれまでの許容量を超えた意外性が溢れてると思うんです。そういうことは作りながら感じていたんですか。

345「でもそれは、常にそうなんです。デモが来た時点で、いつも意外性を感じさせられるというか。いい意味で『これやるの!?』みたいな、『これ冗談じゃなくて本当にレコーディングするの?』みたいな楽曲が届くのは、最初から変わらずなんですけど(笑)。『これ歌って大丈夫なの?』って思う歌詞もたくさんありますし……」

ピエール「<サラワレタイ夏>(“Sadistic Summer”)とかね」

345「その言葉をずっと歌っててって言われて、最初冗談かなって思うじゃないですか。そういう感覚のまま、早15年ですね(笑)」

(続きは本誌をチェック!)

text by鹿野 淳

『MUSICA3月号 Vol.131』