Posted on 2017.06.21 by MUSICA編集部

ビッケブランカ、圧倒的なエネルギーに満ちた
アルバム『FEARLESS』リリース!
歌う意義と音楽が存在する新作を語り尽くす

マイケルもフレディもMIKAも、
「俺達は無力だ」って言ってるように聴こえるんです。
でも、それが生きることでその先に希望があるから、
僕もまったく同じように歌ってるつもりです

MUSICA 7月号 Vol.123P.102より掲載

 

■『FEARLESS』、本当に語りどころがたくさんある素晴らしい作品です。凄く衝動的な作品だとも思いましたし、グラマラスでセクシーさもありながら、それでいてしっとりと聴かせる部分もあるアルバムになっていると思いますが、ご自分ではどんな1枚になったと思いますか。

「どんな1枚だろうなぁ……なんか変な感じなんですよね、作るとわかんなくなるっていうか。これは捉え方を間違って欲しくないんですけど、もう今は作ったものに対して興味があまりないんです。作る時の熱量っていうのは物凄いものがあった。でも今こうしてでき上がってしまったら、あとはみなさんに聴いてもらって、聴いてくれた人がどう歩み出していくかっていうことに僕は完全に興味がいってるから。どういうふうに捉えてくれて、どの曲を好きって言ってくれて、どの曲に背中を押されてくれるのかっていう、そっちの期待しかないんですよね」

■『FEARLESS』っていうタイトルはどこから来てるんですか?

「そもそも『こんなアルバムにしたい』みたいなものは設けず、今ビッケブランカができることやろうっていうのは変わらずなんですよね。そうやっていく中で今回は2曲目の“Moon Ride”が生まれ、“Take me Take out”という曲があり、バラードの“さよならに来ました”っていうのがあるってなってきたところで曲順から決めてくわけです。で、一番最後を飾る曲がないなぁって思って、じゃあ“THUNDERBOLT”を作ろうってなってなったんですけど。その“THUNDERBOLT”ができた時に、この曲がアルバム名を引っ張ってきたんです」

■この曲が「恐れない」っていうインスピレーションをもたらしたと。

「はい、単語の意味だけ見ると『怖いもの知らず』だとかそういう意味ですよね。その点で言えば、ビッケブランカのライヴを観てくれた人からはキャラに合ってるとか心が強そうとかって言ってくれる人もいるだろうし、その解釈でも僕としては全然構わないんですけど。でもここで僕が本来の意味としてつけたのは、本当に強い人はFEARLESSではないんですよ。本当に強い人はSTRONGだしPOWERFULGREATなわけです。だから強いマッチョマンとかは、FEARLESS マッチョマンとは言わずSTRONG マッチョマンであり、POWERFUL マッチョマンなわけで、じゃあFEARLESSって言葉をどこで使うのかって言ったら、FEARLESS ファイヤーマン(消防士)なわけです。つまり、火事の現場っていう恐ろしいもの、本来なら誰もが怖いと思うようなものに立ち向かっていくその行動こそがFEARLESSなんです。ただ単になんでも無茶しちゃうぜ!っていう、上辺だけものではないんですよね。そういう弱さだったりっていう、ネガティヴなものからの1個反動があるっていう、そこが僕にとっては『FEARLESS』の一番重要な部分かなと思います」

■弱さっていうのは、ビッケさんが抱えているものでもあるんですか?

「それはねえ(笑)………いや、もう僕が自分のことを弱いとか、辛さがあるっていうことをもう言う必要もないのかなって凄く思います。このアルバムができた経緯がどうだとかそういうのはもう野暮過ぎる。可能であれば、このインタヴューでもむしろ僕のほうが意見をどんどん聞きたいぐらいだし、このアルバムについての想いはみなさんにはなんとか曲でわかって欲しいしから。『僕はこんな思いをしました。それを曲に落とすことでこういうことができています』と。『そしてそれをみなさんに聴いてもらって同じように何か乗り越えてもらえたら――』っていうような言葉はもういらないっていうふうに今はなっています」

■たとえば、ネガティヴなものをポジティヴなものに反転させたいっていうのはずっと変わらずあると思うんです。

「それはずっと変わらないですね」

■でも初期のように、ビッケさん自身が先の見えない孤独とか暗闇感を抱えてる感じはあんまりなくなってきてるように見えるんですよね。

「そうかもしれないです。自分の中でのモヤモヤっていうものがどんどんなくなってるし、本当に好きなように作らせてもらってるので、その現状に感謝が止まんないから。というか、むしろ今は『人間が生きるっていうことがもう悲しみである』みたいなところに行ってる。自分の置かれている現状がどうとかじゃなくて、当たり前に人間は悲しいものであり、当然みんなが悲しみを抱えているわけであって、それを転覆させようっていうのはつまり希望に向かって行くことなんだって。そうやってもっと大きいもので捉えるようになったんです。“THUNDERBOLT”はまさにそういう気持ちが出た曲で、ラストはこんな感じで終わりたいって思ったんです。悲しみを抱えた人間――俺達みたいな者が最後にはちゃんとひっくり返るっていうふうにやりたかったんです」

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text by黒田隆太朗

『MUSICA7月号 Vol.123』

Posted on 2017.06.21 by MUSICA編集部

THE ORAL CIGARETTES、
覚悟のシングル『トナリアウ/ONE’S AGAIN』を投下!
語ることのなかったコンプレックスと、確かな自信を語る

主語が全部「自分」になってきた感じがします。
だからこそ「お前が悪い」じゃなくて、
「俺がもっと責任を持ってやればよかった」っていう感じになってきてます

MUSICA 7月号 Vol.123P.96より掲載

 

■前号の仙台PITでのツアー密着から2ヵ月連続の掲載になるんですけど、本当に前号ではいい経験をさせてもらって、いいライヴを観させてもらいました。まず、今回のシングルの話に入る前に、改めて振り返らせていただきたいことが何点かあって。拓也にとって『UNOFFICIAL』というアルバムが自分や音楽シーンにもたらしたものはどういうものだったと思いますか?

「間違いなく自信ですね。何にも代えられない、今までに得たことのない自信みたいなものを『UNOFFICIAL』でもらった。それはきっと、リリースする前に不安になってたからこそっていうのもあるんやと思うんですけど」

■それって、『UNOFFICIAL』で自分達の音楽性をスケールアップさせたことによって不安になったっていう話?

「そうですね。スケール感もアップさせたし、より自分自身の個を尊重した作品だったから。その個を尊重することが今のシーンに合ってるかも正直わからなさ過ぎたし」

■シーン全体に全体主義的な思想が見えるし、音楽を聴くっていう今のスタイルの中にも、みんなで協調していく/共鳴していく状況があるからってこと?

「いや、どちらかと言ったら、元々あった自分の声へのコンプレックスをどう生かしていこう?っていう部分を考えてて……やっぱり自分の声って世間に受け入れられにくいなって感じてた時期があったんですよね、ずっと。『歌い方が気持ち悪い』とか言われることもあったし(笑)」

■ははははは、と笑っていい話ではないけど。酷過ぎて笑うしかないな。

「ですよね(笑)。でも、いい意味でも悪い意味でも、自分の声って今の音楽シーンの中にいないなって思ってたんですよ」

■この10年間で、ひたすらトレンドの声のトーンが高くなってきてるからね。

「そう。僕はそことは真逆を行ってたので、自分の低い声を生かした歌い方をシーンにぶっ込んでいって、さらにそこに歌が生きる時代が欲しいって願ってしまっていて。自分のそういう歌い方って受け入れられるのかな?っていう怖さはあったんですけどね。でも実際『UNOFFICIAL』出した後のライヴとかを通して、自分の声どうこうじゃなくて、アイコン的な形でオーラルの山中拓也が歌ってるっていうところにみんなが共鳴してくれてるんだっていう感覚を得られて。自分がどんな音楽を鳴らして、何を歌うかっていうことも大事やけど、自分がどういう生き方をして、どういう人間であり続けるかっていうことのほうが今は大事なんじゃないかな、っていう自信もそこでもらった。それによって、自分達がやってきたことが間違いじゃなかったんだっていう、生き方を肯定してもらった感じがしました」

■今の話をもうちょっと紐解きたいんですけど、『UNOFFICIAL』で音楽のふり幅も広くしたし、歌の力が強い楽曲が多くなったことによって、必然的に「歌唱」というもののパートが非常に重くなったし、そこが重要なポイントになってくる曲が増えました、っていう話だよね?

「はい、その通りです」

■となると、そもそも拓也はコンプレックスだった自分の声をバンドといういろんな楽器の音と重ね合わせる、叩きつけ合うことで自分の声をサポートしてもらう、もしくはそこでリカヴァーしてもらうみたいな気持ちを持っていたの?

「それ、あったと思います。バンドのサウンドっていうところで言うと、ギターリフをこうしてくれとか、ギターリフを覚えられる楽曲をどんどん作っていこうとしてたし、演奏はちょっと捻くれてる感じで、曲をカッコよくしていこうって思ってたし。そういう思いは『The BKW Show!!』とか『FIXION』までは凄くあった気がします」

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text by鹿野 淳

『MUSICA7月号 Vol.123』

Posted on 2017.06.20 by MUSICA編集部

この1年でひと回りタフになったKANA-BOONから、
等身大のエールソング『バトンロード』が到着。
褪せることのない情熱を4人全員で語る!

結果的に自分達に対してっていうのは強かったかもしれないですね。
上っていこうっていうタイミングでもあったやろうし、
ここから始まっていく自分達への応援歌みたいなところもあったと思います

MUSICA7月号 Vol.123P.90より掲載

 

(前半略)

■“バトンロード”という曲が新しいシングルとしてリリースされます。私はこの曲、つい「バンドロード」って呼びそうになるんだけど(笑)、それは語感が似てるとかいう理由だけじゃなくて、この歌にはKANA-BOONとしてのバンド道というか、バンドを続けていくことへの決意と覚悟が歌われているなと思うからっていう理由が大きいんだけど。いいことばかりじゃないっていう現実もしっかり見つめた上で前を向いて、もがきながら懸命に進んでいる今の4人だからこそ歌い鳴らせるリアルなエールだと思うんです。これはいつくらいに作った曲なんですか?

古賀「1月の9日、10日辺りじゃなかった?」

■ということは、2017年の1発目に作り始めた曲なんだ? 新しい年の最初に取り掛かった、その心意気や決意みたいなものも反映されてるの?

谷口「いや、今回はちょっと特殊な感覚っていうか。前に“シルエット”や“ダイバー”を書いた時は、NARUTOシリーズの主人公達と同じ目線になって、自分達のいろんな状況とかも照らし合わせてって感じだったんですけど、今回はNARUTOの息子のBORUTOが主人公なんで(『BORUTO-ボルト- NARUTO NEXT GENERATIONS』のOPテーマ)、NARUTOから地続きではあるけど、でも僕らがずっと見てきたものの次の世代の新たな物語の始まりで。だから主人公目線ではなくて、それを俯瞰して支えるというか、応援するような形で書いたんですよね。だから『20171発目の曲作りやぞ!』っていう感じよりは、BORUTOの世界にどれだけ入れるかっていうことで書いてて。でも、“シルエット”の時もそうでしたけど、結果的に無理することもなく自然とちゃんと自分達ともマッチする曲ができたなと思います」

■というか、完全に自分達に対するエールじゃないけど、改めての決意宣言のような曲として力強く聴こえてくるなと思いました。

谷口「結果的に自分達に対してっていうのは強かったかもしれないですね。上がっていこうっていうタイミングでもあったやろうし、ここから始まっていく自分達への応援歌みたいなところもきっとあったんやと思いますね」

■去年から、これまでのようなセッションで曲を作っていくのではなく、鮪くんがまずひとりで曲を作り上げてバンドに展開するという形の曲作りを続けているっていう話をしてくれてましたけど、この曲は?

谷口「曲は僕が全部作って、メンバーに送ってというやり方ですね。去年から言ってた新しい作り方をやったっていう感じですね」

■みんなはこの曲聴いた時にどう思いました?

小泉「たしか、古賀がこの曲がいいって初めに言ったんですよね」

飯田「俺はもう1個のほうを推してて」

谷口「これよりも前にもう1曲、候補の曲があったんですよ」

古賀「もう1個のほうはもの凄くポジティヴで、サビメロがメジャー調やったんですけど、NARUTOはそうではないんじゃないかって僕は思ったんですよ。僕らがNARUTOの作品に関わる時に向けてるものって、ちょっと違うなって思ってたんですね。明る過ぎないというか、真剣さが入ってる曲というか。ちゃんと深い意味があって………これ、もう1曲に深い意味がないってことじゃないよ!」

谷口「いやいや、完全にそういう言い方やったやん。もう1曲は深い意味もなくて真剣さがない曲みたいな言い方やった(笑)」

古賀「ちゃうねん! こっちのほうがなんか深いところまで入ってくる感じがしたんです。ストレートに胸に刺さるというか。肩組んで行こうぜって感じじゃなくて、同じ歩幅で進んで行こうぜって感じっていうか。……違うか。うーん、なんて言ったらいいんやろうな」

■明るいだけじゃない、そして上から目線でもない、ちゃんと心を抉るようなリアルなメッセージを曲調からも感じるということなのかな。

古賀「うーん、そんな感じだと思います!」

飯田「今回の曲って凄いエネルギーがあるなって思って。それは音を重ねていったり、でき上がってアニメで放送されてるのを観たり、あとライヴでやってみた時の感触として、だんだん感じるようになったんですけど。今までいろいろ出してきた曲の中でも実はずば抜けてエネルギーがある曲やなって思っていて」

■音像的に4人の音以外も鳴ってるんだけど、でもバンド感の強い、言ってみれば初期衝動感が強い曲だよね。

飯田「そう、Bメロのあの感じとかは凄い思いますね。楽器が4本ガチッと揃ってるみたいな。初期の頃にやってたアプローチを思い出します」

谷口「潔さみたいなものがあればいいなっていうのは思ってましたね。アニメ自体もフレッシュなものやし、自分達の今の状態とも合うなって思って。初期衝動感っていうか、4人がバッと楽器持ってかき鳴らしていくような、そういうイメージは考えながら作りましたね」

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text by有泉智子

『MUSICA7月号 Vol.123』

Posted on 2017.06.20 by MUSICA編集部

KEYTALK、『PARADISE』から僅か3ヵ月で
早くもシングル『黄昏シンフォニー』をリリース!
化学反応を爆発させ続ける4人に全員インタヴュー

音楽から離れる時間も大事だと思うんですよね。
音楽じゃないところから感じたこととかが曲に影響されるし、
それが回り回ってる感じなんで。
いろんなことを経験して人間力を上げていくことが曲に繋がるっていう(寺中)

MUSICA7月号 Vol.123P.84より掲載

 

■アルバム『PARADISE』からわずか3ヵ月で『黄昏シンフォニー』というシングルがリリースされます。シングルの話をする前に、今回は全体論として訊いていきたいんですけど、まずは『PARADISE』というアルバムが自分にとってどんなものだったのか、っていうところを改めて教えてもらえますか。

小野武正(G)「今まさにツアーを周ってる真っ只中なんですけど、『PARADISE』の曲中心にはしつつ、昔の曲もふんだんに取り入れる形でヴォリューミーなセットリストでワンマンをやっていて。なので、『PARADISE』をリリースした時よりも、ライヴを経てより自分らの曲になってきたなって思うし、新しい曲と一緒に昔の曲をやることによって、昔の曲も最新系に引き上げられているなって思いますね。やっぱりリリースしただけで完成じゃなかったんだなっていうのを、今ライヴを周りながら実感している感じだし、ここからたぶんもっとよくなっていくんだろうなっていう感じがしてますね」

寺中友将(Vo&G)「もちろん『PARADISE』をリリースしてのツアーなので、お客さんも『PARADISE』をたくさん聴き込んでくれてるなって思ってますね。どの曲が来ても『待ってました!』感を感じるっていうか。新曲もいろいろチャレンジしてる楽曲が多いので、ライヴでもまた新しい空間が作れてるなって思います。タケも言いましたけど、やっぱり昔の曲の価値が上がったように聴こえるなって思うんですよね。新しい曲を作れば作るほど、どんどん昔の曲も大きくなっていくイメージがあるし」

八木優樹(Dr)「確かに『PARADISE』は攻めた曲が多いんですけど、セットリストに入った時に、自分の中では意外と違和感がないなって思ってるんですよね。もちろんライヴの空気感もあると思うんですけど、みんなが思っていた以上に――自分達では攻めて作ったんですけど、全然KEYTALKだったなって」

■それはどういう意味で?

八木「単純にライヴの幅が凄く広がったなっていう感じがするんですよね。激しい一辺倒だけだったライヴもいろんな見せ方ができるようになってきたし、大人の階段を上り始めたきっかけになったアルバムだなって思います」

首藤義勝(Vo&B)「僕も『PARADISE』は守りに入ったアルバムというよりは、どっちかと言うと挑戦的なアルバムだと思っていて。でもそこでお客さんを置いていっちゃうことなくギリギリのところでちゃんと提示できて、かつちゃんと形になってるのはよかったなって。既存曲も結構セットリストに入れてるんですけど、そこに新曲がいい感じで作用しているんで、ライヴで見せられる幅が広がったっていう意味では手応えを感じながらライヴができてるって感じですね」

■だから、今周っているツアーの中で『PARADISE』っていう作品を客観的に見る機会もあったと思いますし、なおかつあの作品が数字としてもいい結果を残せたことで、自分達の音楽シーンの立ち位置も含め、いろいろ感じたこともあったんじゃないかなと思うんですけど。

寺中「………自分としては、あんまりひとつ上に行けたなっていう感覚はなくて。ただ、『PARADISE』みたいに攻めたことをこれからもやっていけば、常に今の音楽シーンの中にはいれるのかなっていう感じはしました。やっぱりバンドって、勢いがあるバンドと勢いがなくなっていくバンドがいると思うんですけど、その中でちゃんとチャレンジをしていけば、その中から弾け出されずに立ち向かっていけるんじゃないかなっていうのは感じましたね」

■作品的な意味で手応えはあるんだけど、音楽シーンとして全体を見た時に「1ステージが上がった感覚がない」って思うのはどうしてなんですか?

寺中「僕らのやろうとしていることだったり、楽曲のクオリティだったりは確実に上がっていってると思うんですよ。でも、それって後から結果がついてくるものだと思っていて。『PARADISE』を出してドンッ!とリアクションが来るっていうより、後からガンガン効いていきそうな作品な気がするんですよね。だから、あのアルバムでKEYTALKに興味を持ってくれる人がもっと増えていって、ロックシーンを今後も動かしていけたらいいなって思いますね」

首藤「巨匠が言ったように、自分達自身がステップアップしてるっていう実感はあります。でも、シーンで見た時に、自分達がステージを上げられてるのかっていうのはそんなに……気にはするけど、比べてどうこうっていうのは考えないかな。自分達が目指す方向に向けてずっと階段を上り続けてるイメージという感じというか。後ろを見てもしょうがないし、上には上がいっぱいいると思ってるんで、僕らは進むしかないなってる感じです」

■そのモチヴェーションって、どこから来てるんですか。

首藤「今はすべてがモチヴェーションな感じですね。いいアルバムを作れたっていう思いはもちろんありますけど、そこで満足したら終わっちゃうんで。あの作品でまだやりたいことができるなって思わされたし、それがすべてのモチヴェーションに繋がってるんじゃないかなって思います」

八木「僕も周りにいいバンドはいっぱいいるなって思ってるんですけど、シーンや周りがどうこうっていうよりは、自分達にしかできないものができたかなっていう気はします。バンドの立ち位置としては…………宙に浮いてる感じですかね、KEYTALKは」

首藤「……ん?」

小野「舞空術で常に浮いてるんだね(笑)」

八木「そう(笑)。だから、やっぱり4人とも曲を作るようになったのが大きいのかなって思います。『もっとロックバンド的な方向に寄せてもいいんじゃないか』って思われる部分もあると思うんですけど、この4人だと全員のまったく違う感性だったり音楽性、雰囲気を『いいね!』って思いながら楽しめてるんで。そこが他のバンドと違うのかなって思います」

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text by池上麻衣

『MUSICA7月号 Vol.123』

Posted on 2017.06.19 by MUSICA編集部

米津玄師、自らのロック原体験の記憶を探り、
これまでずっと鳴らしたかった音を鮮烈に響かせた
シングル『ピースサイン』をリリース!

社会があればその中にはいろんな問題があって、
それを解決しようとみんな何かを為していくわけじゃないですか。
そういうものの根っこにある何かをちゃんと射貫きたい。
環境にも時代にも関係なく存在する普遍的な事実を見据えたい

MUSICA7月号 Vol.123P.76より掲載

 

■今回の“ピースサイン”は非常にストレートな王道のロックソングで。ではそれが何の王道かというと、2000年代以降の日本のギターロックの王道で、それはつまり、米津くんにとっては自分のロック体験としての原点でもあるんじゃないのかと思うんですけど。で、カップリングの“Neighbourhood”はちょっとOasisのアンセムを彷彿するような、UKロックの王道感がある楽曲になっていて、それも面白いなと思ったんだけど。

「ふふ、そうですね(笑)」

■ともあれ、今回こうやって“ピースサイン”という曲で王道のロックソング、かつ自分の原点的なものを非常にストレートに出してきたのはどうしてなのかっていうところから伺えますか?

「おっしゃる通り、自分の中の原点的なところを確かめてみた結果、この曲ができたっていう感じなんですけど。まず最初に『僕のヒーローアカデミア』というアニメの主題歌になるっていうところから始まった曲でもあって。自分は小中学生の頃、アニメとか凄い観てたんですよね。『僕のヒーローアカデミア』は週刊少年ジャンプの漫画で、少年のために作られた漫画でありアニメであるわけですけど、そういうものを観て育ってきた記憶は自分の中にもあって。で、その主題歌を自分が作るってなった時に、じゃあ何を拠りどころにして作ればいいのかって考えたら、昔観てきたアニメとか、自分が小中学生の時に好きだったものっていうところに立ち返らざるを得なかったっていうのはあって。それでそういうことを思い返した時に……『デジモンアドベンチャー』っていうアニメがあって、それが本当に凄く好きだったんですよ。ウチらの世代の金字塔みたいなアニメで。俺と同じ世代のヤツらと話してると、『あれ観てたよね』みたいな話になるアニメなんですけど(笑)」

■ある世代の『ドラゴンボール』とか、ある世代の『ワンピース』とか、そういうのに近いものですよね。

「そうそうそう。それが自分の中に凄く色濃く残っていて。かつ、そのアニメの初代のオープニングテーマの“Butter-Fly”っていう曲があるんですけど、自分の中でのアニソンってそれなんですよね。で、その“Butter-Fly”がいわゆるロックテイストの曲で、凄くエモーショナルな感じの曲だったんです。だから、自分の中の少年のためのアニメのアニソンって振り返ってみた時に、どうしようもなくそれがあったんですよね。小学生の頃の自分は『デジモン』を観て、“Butter-Fly”を聴いて、毎週もの凄くワクワクしていたし、未だに“Butter-Fly”を聴き返すと当時に関してのこととかをもの凄く鮮明に思い出すことができる。要は、それだけの強い力を持った作品だったんだなっていうことだと思うんですよ。で、やっぱり自分もそういうものを作りたい、やるからにはそれくらいの力を持った作品を作りたいっていう気持ちは強いので。だから結果として、小学生の頃の自分と対話をしながら、『こういうのはどうだ?』、『ああいうのはどうだ?』ってあの頃の自分にお伺いを立てながら作っていて………その結果、こういう形になったっていう感じですかね」

■ただ、子供達の希望となるようなものであったり、エネルギーになるような作品を作りたいっていうのは、米津くんの中に一貫してあるひとつの大きなテーマだと思うんですよ。子供の頃の自分と対話をしながら楽曲を作っていくというのも、今回が初めてではないと思うし。

「はい、そうですね」

■今話してくれたように、今回の曲が少年のためのアニメの主題歌であり、そこにリンクする自分の原体験というものが色濃く反映されているということはとてもよくわかったんですが、とはいえ、それにしてもここまでストレートで明快なロックソングになったのはどうしてなのかっていうことをもう少し聞きたいんですけど。

「昔から自分はこういうものを作りたかったんですよね。作りたかったというか、自分としては作ってるつもりだったんですよ。子供が観たり聴いたりしてワクワクするようなものをずっと作ってるつもりだった。それはVOCALOIDでやっていた頃もそうだし……自分としては一貫してそういうものを作り続けてるつもりではいるんです。だけど、そういうふうに受け止められてもいないんだろうなと思う側面もあって。昔の話ですけど、『diorama』出したくらいの頃に、俺はそうやって子供のために音楽作ってるつもりではいたんですけど、『君の作品って漫画にたとえるとアフタヌーンっぽいね』って言われたことがあって。『あれ? 俺はジャンプのつもりだったんだけどな』と思って(笑)」

■はははははははは。

「でも、そう言われるのも、今となってはわかる感じもするんですね。そことの闘いって言うとおかしいですけど、自分はずっとこの“ピースサイン”みたいな曲を作りたくてやってきた部分があって。それがようやく、『僕のヒーローアカデミア』っていう漫画が今の時代に誕生して、それが週刊少年ジャンプの看板を背負うような作品で。実際、作者の堀越耕平さんもその看板を担おうと頑張りながら作っていると思うんですけど。そういうものが現れて、そういう作品と自分が関わることができる機会が与えられて、結果この“ピースサイン”っていう曲ができて………だから、この瞬間を待ち望んでたんじゃないかなって自分では思ったりもしますね」

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text by有泉智子

『MUSICA7月号 Vol.123』

Posted on 2017.06.19 by MUSICA編集部

indigo la End、文句なしのアルバム『Crying End Roll』完成!
美しい衝動と麗しい抒情が迸る新作をメンバー全員で語る

タフじゃないと今ここにいれないですからね(苦笑)。
バンドでいい曲ができていくことが何よりもの原動力だったんで。
『音楽家としてこれを完成させたい』だけで今はずっと動いてる(川谷)

MUSICA 7月号 Vol.123P.68より掲載

 

(前半略)

■僕が今回のアルバムの中から感じたものを大雑把に言うと、「快楽」と「虚無」だったんですね。たとえば前作って、「命の歌を書きたい」とか明確にコピーライティングできるようなコンセプトがあったと思うんですけど、今回はどういうものをイメージしてたの?

川谷「そもそもコンセプトがないからなぁ。本当にその場その場だったし――でも歌詞に関しては、休止してる期間に考えてたことがあったんで、それが色濃く反映されてるかなとは思います。それこそ右半身は休止前に作ってましたけど、その後の歌詞に関しては、休止中の僕の生活が反映されてるなって」

indigo la Endって言ってみればラヴソングが多いじゃない? ああいう時期を経て、そして休止期間を経て、ラヴソングを作るのをやめようと思ったり、もしくは自分が何を歌うべきか考えることはなかったの?

川谷「いや、俺は本当にそういうのを気にしないタイプなんで、作りたいものをその場で作るっていう感じでしたね。もちろん書きたいことが曲に合わないんだったらやめるし、でも書きたいことがあるなら、世間がどう思おうと関係ないというか。書きたいものを書くだけなんです」

■それは素直に受け取れるんだけど、そう言い切れるのって非常にタフなことだとは思うんですよ。

川谷「……でも、タフじゃないと今ここにいれないですからね(苦笑)。タフっていうより、ひとりじゃないというか、バンドでいい曲ができていくことが何よりもの原動力だったんですよね。音楽家として『これを完成させたい』とか『これを聴かせたい』みたいな、それだけで今はずっと動いてるっていう。……でも、みんなと違って俺はずっとずっと、完全にスイッチオフになってました」

■さっきみんなは「休止してる時も活動をしてたから、この作品の制作も地続きだった」っていう話をしてたけど――。

川谷「俺はもう完全オフになってましたね。曲を作る時は全然作れるんですけど、自分の中でよくわかんないスイッチがあって、そこが完全にオフになってて」

■……全然わかんないわ。

川谷「俺もよくわかってないんですけどね(笑)。で、最近までずっとオフになってたんですけど、昨日やっとオンしたっていう感じです」

■ん? 昨日?

長田「その前もライヴとかやってたよね?(笑)」

川谷「だから、ライヴやってる時も完全にオフだったの(笑)。オンにしたいんだけど、どうしてもスイッチが入らないっていうか、体が完全に動かなくてずっと困ってたの。別にいろいろなことや報道があったから意図的にオフにしていたんじゃなくて、ただただオフになって抜けれなかった」

■あ、でも今の話で全部わかりました。確かにこれはそういう作品になってるよね。『藍色ミュージック』とこの作品の雰囲気の違いって――『藍色~』は凄く圧があるし、オラー!っていうバンド感があるんですよ。でも、このアルバムはもっと音楽的なんだよね。でもだからといって、この作品がシンプルなトラックに変わったかっていうとそうじゃなくて、今まで以上にドンガラガッシャンやっていて。今の話を聞いて、そういう人間的なムードが出てるんじゃないのかなと思った。

川谷「うん、それはあるかもしれないですね。『藍色ミュージック』の時は、もちろんスイッチオンにしてたんで。昨日スイッチが入ったっていうのはなんでかって言うと――俺、家で一切やる気が出ないんで、家でギターを触ることなんてまずないんですよ。でも昨日突然、何も考えずにわざわざハードケースからギターを出して、部屋で3時間籠って弾いてたんです。そこでようやくオンになったんだって思って(笑)。昨日、THE NOVEMBERSのライヴを観たんですけど、そこで完全にスイッチが入っちゃったみたいで」

■ははははははははははははははは。あの壊れた美、みたいなものにヤラれたのかな。

川谷「はい(笑)。そのライヴが凄くよくて、『やっぱりこのバンド愛してるわ』っていう気持ちになって。ライヴで小林さん(小林祐介)がMCで『美しいものっていうのは、そのもの自体が美しいんじゃなくて、それを認識して、『美しい』と名づけた時に美しいものになる』って言ってて。その話を聞いた時に、俺が作ってる音楽も自分では美しいって思ってるけど、その曲自体が美しいわけじゃなくて、聴く人がそれを『美しい』って思ったり、作った本人達が聴いて『これは美しいものだ』って判断してくれてるんだって思って。そういうことをバーッと考えてたら、衝動的にバコーンッとスイッチが入ったんですよね。でも継続的に言うならば、もっと前からオフってたんです。2016年の頭からずっと」

■報道がなされてからですね。

川谷「はい。その時期から自分のスイッチをオンとオフでパコーンッて分けちゃったんですよね。………なんか、第六感的なものがなくなってた感じなんです。たとえばCDってレコードの周波数のいらないところを切って、CDっていうフォーマットに収めてるじゃないですか。でも、実際はその人間に聴こえない周波数が大事で、その周波数があるからこそレコードっていい音のように聴こえるんですよね。それと同じで、聴こえない周波数みたいな第六感が抜け落ちてたんです。そのスイッチがずっと欠落してて、そこが今やっと入ったっていう」

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text by鹿野 淳

『MUSICA7月号 Vol.123』

Posted on 2017.06.19 by MUSICA編集部

flumpool、3度目の武道館公演に密着!
攻めの姿勢を貫いた圧巻のライヴ・ドキュメンタリー

3度目の日本武道館ライヴは、
彼らの活動史上最も根深い闇の歴史への大リベンジだった――。
およそ優等生ポップバンドにはやり切れない
大胆にして斬新な演出力と実行力。
今までのflumpool観を完全に覆えす背水の陣で臨み、
そして見事乗り越えた一夜を完全密着ドキュメント!

MUSICA 7月号 Vol.123P.52より掲載

 

 521日、 flumpool3度目にして本当の勝負の日本武道館2デイズの2日目。

 いや、別に無意味に最初から煽るわけではない。ただ、今回の武道館に密着したかったのは、初回の武道館に密着したからでもあるし、それ以上にシングル“ラストコール”のインタヴューで隆太が話していたことが、心に刺さったからだった――。

「とにかくまずは武道館です。3度目の武道館っていうのもあるし、まずここでケリをつけたいって気持ちがあるんですよね。そうしないと何も始まらなくて。武道館にいい思い出が1つもないんですよ。まず『作られたバンド』として1年目に歌ったし、5年目に歌った2度目の武道館は自分達がやりたいことがあったのに、感情的に関係が難しくなって事務所を離れそうになりかけていた時期で。自分達が一番気にしているふたつの重要な時代のライヴが武道館だったりして、flumpoolのブラックなところを色濃く全部背負ってる場所なんですよね。それを今こそ断ちたい。3度目にまた何かを背負ってしまうのか、それともこれまで背負ってきたものがあったからこそ、やっとここに立てたって気持ちになるのか、そこに懸ける気持ちっていうのは本当に大きいものがあります」

 ここまで明確に武道館に「負」を持ち込んだアーティストもいないだろうし、複数回出演したにも関わらず、未だその呪縛から逃れていないのも相当だ。そのことを踏まえ、バンドとして一からリセットしながら、ドラマの主役級への挑戦までしながらもがき続けているバンドの3度目の正直をできるだけ間近で目撃したくて、このような企画を投じさせてもらった。

 結果から話すと、今までの負が募り詰まったからこそ、斬新という言葉を超えた武道館ライヴを彼らは今回やってのけた。そのドキュメントを届ける。

 

 11時に武道館内に入ると、既に一生(G)と元気(B)が楽屋でまったりしていた。彼らの後ろにあるモニターに映っている武道館のアリーナ部分、というかステージの形が妙に変なので建て込み中かと思い、「あれ、今日2日目だよね? 昨日とは別企画でステージ作り変えてるの?」と問い掛けると、いきなり2人が笑い出す。「いや、その気持ちわかりますが、今回、こんな変なステージ作っちゃったんですよ。これで完成してるんです」と自嘲気味に話してくれた。

 P54中央の写真にもある通り、まともな発想からは絶対に生まれない歪なステージデザイン。とても大きくて立体的で、ドラムを中心に楽器が置いてあるところ以外のスペースががらんとしていて、まったく意味がわからないステージデザイン。

元気「リハーサルを見てもらうとわかってもらえると思うんですが、これひとつのステージであると同時に、ふたつのステージでもあるんです。つまりは、エンドステージ(いわゆる通常のステージ)とセンターステージ(最近、アリーナライヴとかで割とある、アコースティックなどをアリーナ真ん中や後方で行うためのミニステージ)がひとつに合わさったステージを作っちゃったんです」

■ん? ふたつも何もひとつじゃない。なんか巨大な昔の鍵穴というか、そうだ、これ、仁徳天皇陵みたいだ。あれ大阪? 堺? それ繋がり?

元気「いやいやいやいや(笑)。確かに――」

一生「前方後円墳かもしれない(笑)、その見え方どうかと思いますけど」

元気「だから、プロの目線では絶対に作らないステージを作っちゃったんですよ、しかも武道館という大切な場所で。まず今回、360度でやりたかったんです」

■後ろに幕を敷かないで、ステージ後方にもお客さんが入って、ステージがぐるっと囲まれる感じでライヴをやることね。

元気「そう、その360度やりたくて、でもステージを真ん中にするのが嫌で、最初はしっかりエンドステージからやりたくて。でもセンターステージも欲しいんだけど、そのステージ間の移動を花道作ってやるのが嫌で――ってやってったら、鹿野さん曰く墓みたいなステージ(デザイン)になっちゃって(苦笑)」

 その斬新なステージデザインに若干呆然としている中、11時半に隆太(Vo)が入ってきた。「あ、ステージのことですか? なんかね、こんなになっちゃって。マネージャーも乗っちゃって、U2とか参考にしたみたいなんですけど」

■言っている意味はわからないでもないけど、でもU2の演出で驚くことはあれど、ここまで唖然としたことは――。

隆太「ないですよね、わかってます(笑)。何もステージだけでなく、とにかく今回、やり過ぎちゃって。想いが強過ぎるもの全部を自分らで考え、投じてますので、まずは楽しみにしてください」

 と、リラックスしながら話してくれる。12000人もの人々が(2日間共ソールドアウト)、このステージをどう見るのか?と思い浮かべながら楽屋を出て実際にステージを見に行く。が、やはり言葉を失う。言葉を失ったまま再び楽屋に戻ると、一生が誇らしげに「ほら、素人の勝利でしょ?」と話しかけてくる。彼らはこの武道館こそ、やりたいことを妥協せずにやり抜く場所として、そして「作られた場所から作る場所へ」とバンド自体が変わったことを証明する場所だと確信したのだろう。気合いが今までのどのライヴとも違うし、何より高まっていた。

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA7月号 Vol.123』

Posted on 2017.06.19 by MUSICA編集部

スピッツ、30周年を記念し、
シングルコレクションをリリース。
30年史を振り返り書き記すスピッツクロニクル!

MUSICA 7月号 Vol.123P.30より掲載

 

 自分がスピッツと出会ったのは1990年の終わりか1991年の始め。つまりメジャーデビューする何ヶ月か前だった。その頃には、というか1990年の春にリリースされたインディーズ盤の『ヒバリのこころ』からすでに、スピッツは今に至るスタイルを築き始めていたので、彼らの音楽はポストビートロックというか、当時のUKのニューウェイヴ〜アシッドロックの雰囲気を醸し出しながら、しっかりと日本のフォーク発のロックバンド然とした佇まいを持っていた。

 そのスピッツをキャッチし、これは!と当時務めていた雑誌の編集部全体で盛り上がった頃、必然的にどんな出自があったが故にここまで来たのかを知ることになるのだが、まず最初に届いた情報は、芸術系の大学から生まれたバンドだということ。まぁそこはとても「らしい」と思ったのだが、その後の情報がとても興味深かった。それは彼らの出てきたライヴハウスが新宿LOFTだったことである(実際には新宿や渋谷の複数のライヴハウスで活動していたのだが)。当時の新宿LOFTは、いわゆるアンダーグラウンドロックか、生粋のパンクバンドか、もしくはバンドブーム以降のアグレッシヴで個性的な変態ロックバンドの巣窟的な場所だったので、そのどれにも当てはまらないスピッツがここから出てきたというのが意外だったのである。しかも、その時にLOFTでどんなライヴをしていたのか?と訊いた時にプロモーションしてくれた人が答えたのが、「ヨダレ垂らしたりしてましたよ」というもので、最初は自分がその人におちょくられているんじゃないかと思ったものだった。

 しかし数ヶ月後にそのLOFT時代、つまり80年代の彼らのライヴの映像を見せてもらった時に、言葉以上に驚くことになった。それは、ヨダレを垂らしていたかどうかは最早覚えていないが、マサムネの歌っている時の眼が完全にイっていたことと、しっかりとお客を煽っていたこと。しかもとても虚弱なバンドにしか思えない音像を前に、LOFTに客がしっかり集まり、盛り上がっている景色ができ上がっていたことである。

 最早ファンには有名な話だが、スピッツはTHE BLUE HEARTSに憧れ、彼らのように衝動しかないような先が読めないパフォーマンスと楽曲を持っていながら、それが全員で合唱できる極めて身近なロックバンドを目指して始まったのである。LOFT時代はまさにそんなスピッツ前史のドキュメンタリーそのものだったのだろう。

 しかし、彼らは自らの才能と可能性に自覚的になった時に、「そこにいても勝てないんじゃないか?」という正しい疑問符が浮かんだ。そして俯きがちなパフォーマンスの中から、今に至る片鱗を見つけ出し、そこから本当のスピッツが始まったのである。

(続きは本誌をチェック!

text by有泉智子

『MUSICA7月号 Vol.123』

Posted on 2017.06.16 by MUSICA編集部

デビュー30周年を迎えたエレファントカシマシ、
47都道府県ツアー「THE FIGHTING MAN」を敢行!
岐阜&四日市公演に独占密着した表紙巻頭特集!

 

バンド史上初にして念願の47都道府県ツアー「THE FIGHTING MAN」
日本が誇るロックバンドの唯一無二の魂が燃え上がる迫真のその様を
岐阜公演&四日市公演にリハから密着して徹底レポート!

『MUSICA 7月号 Vol.123』P.10より掲載

 

5月27日(土)岐阜・長良川国際会議場

 

 エレカシが岐阜でライヴを行うのは今回が2度目。前回は1990年2月10日、御浪町ホールというキャパ100人の会場だったそうで、実に27年ぶりの岐阜公演となる。この47都道府県ツアーはエレカシにとって初めての土地も数多く含まれていて、その「30年目にして初」という言葉が持つインパクトも凄いが、「27年ぶり」という言葉が放つインパクトは、なんだかそれ以上に凄い。

 まずは宮本が颯爽と登場。挨拶をすると、「わざわざ遠くまで来てくれてありがとう!」と、とてもいい笑顔を返してくれた。この日でツアーは14公演目をカウントしていて、全48公演あることを考えればまだ3分の1に満たないのだけど、でも、実はすでに彼らの通常の全国ツアーよりも多いくらいの本数を行なっている。が、宮本の顔に疲労の色は見えない。ツアーと並行してシングルの制作やプロモーションも行なっているし、体調的にハードではないのか?と訊くと、「これが全然大丈夫なんですよ。むしろツアーの時のほうがご飯も食べるし、割とリズムがある生活になっているのがいいのか、今のところ凄く元気ですね」と。きっと気力が充実しているのもあるんでしょうねと言うと、「それは本当にそう! だってどの会場も(お客さんが)いっぱいなんですよ。今日もソールドアウトなんです。こんなこと、ちょっと信じられないですよね!?」と、その言葉以上に心底驚いていることが全身から伝わってくるくらいような様子で目を見開きながら話す。

 そうなのだ。今のエレカシは、なんとデビュー30年目にして全国各地で過去最高のライヴ動員を記録しているのである。もちろん貴重なるアニヴァーサリーツアーであることも関係しているのだろうが、でもそれだけではこの状況は生まれ得ない。今もなお最前線で闘い続け、名曲を生み出し続け、広く深くその信頼を獲得し続けているからこそのこの状況であることは明白だ。それがどんなに特別なことなのかは、言うまでもない。

 宮本の入りからしばらくして石森、高緑、冨永、そしてサポートギタリストのヒラマミキオ、キーボーディストの村山☆潤が会場に到着。石森はギターを担いでやって来て、ということはつまり、おそらくホテルの部屋でも練習をしていたのだろうなと思う。みんな楽屋に荷物を置くと、そのままステージへ。会場到着から6分後には、もうステージから冨永の叩くドラムの音が聴こえてきた。高緑も石森も、音は出してはいないけれども自分のアンプやエフェクター周りの確認を始めている。早い。そのままそれぞれにセッティングを整えていきながら、徐々に音出しが始まっていき、やがてあのバンドサウンドがホールいっぱいに響きわたっていく。宮本もステージに登場し、メンバー並びにスタッフに「よろしくお願いします!」と声をかけ、リハがスタートした。

 今はまだガランとした客席に、宮本の歌声がしっとりと響く。“風に吹かれて”だ。本番のような圧はないけれど、力を抜いた状態で歌っている分、歌声自体が持つ繊細な美しさが際立って響いてきて思わずハッとさせられる。発声練習も兼ねているのだろう、時折♪ラ〜ラ〜ラ〜ララ〜、あああああ〜ぅあ〜、おおおお〜おお〜♪と喉を開いていくように歌いながら、ひとまず通して演奏が終了。すると、宮本がくるりと冨永のほうへと向き直り、ここからひたすらドラムと向かい合う時間が始まった。フィルの入れ方や力加減など、ドラムの細かい表情について宮本が指示を出し、「そこだけ1回ひとりで叩いてみて」という宮本の言葉に答えて冨永がBメロからサビに向かう部分を演奏。「もう1回」。また叩く。「もう1回」。また叩く。宮本が「そこは頑張り過ぎない、もっと力を抜いて!」等と指示を飛ばす以外は物音のしないシンとしたホールに、冨永のドラムの音だけが何度も何度も響く。その上で、もう一度バンド全員で頭から演奏。そして次の曲へ。

 次の曲も宮本がじっくりと歌い上げるタイプの曲だったのだけど、一度通した後、またしても宮本がくるりと冨永のほうへと向き直り、先ほどとまったく同様に、またひたすらその曲のある1箇所を繰り返し練習していく。「そこのタタットトッダンっていうところの最初のタタッは、2個目のタじゃなくて1個目のタを強くして欲しいんだけど」と宮本。歌の叙情にも大きく関係してくるリズムの表情/ニュアンスについての言及が多く、じっと冨永のプレイを凝視しながら何度も何度もやり直しては理想の形を追究していく。見ているこっちのほうが手に汗握るというか、勝手に緊迫感を感じてしまうやり取りなのだけど、でも彼らにとってはごくごく普通のやり取り、いたって日常的な光景なのだろう。誰も1mmも動じることなく淡々と繰り返されていく。

(続きは本誌をチェック!

text by有泉智子

『MUSICA7月号 Vol.123』

Posted on 2017.06.16 by MUSICA編集部

エレファントカシマシの「今」を捉えた表紙巻頭大特集!
ニューシングル『風と共に』最速取材となる
宮本浩次インタヴューを奪取!

 

仲よしこよしでいれば、いいバンドでいられるわけではない。
僕ら4人もそうなんです。だからこそ、音でもう1回必死に
コミュニケーションを取ろうとするわけだし。そういう4人の姿も、
お客さんを鼓舞するものになってるんじゃないかと思う。

『MUSICA7月号 Vol.123』P.24より掲載

 

(前半略)

■“風と共に”は、デビュー30周年シングルとしての第一弾であると同時に、NHK「みんなのうた」の新曲でもあるわけですが。実は、宮本さんはイシくんやトミに出会う2年ほど前にひとりでレコードデビューをされてて。それが「みんなのうた」の“はじめての僕デス”という曲だったんですよね。

「そうなんですよ! 10歳の時でしたねぇ」

■そこから40年ぶりに「みんなのうた」を歌う、しかも今度はエレファントカシマシとしてご自身の作詞作曲で、というのが今回の“風と共に”になるわけですが。この楽曲、エレファントカシマシの今までの様々な曲の世界が走馬灯のように歌詞に散りばめられてますよね。

「あ、そうですか」

■え。<風の旅人>という言葉や<浮かぶあの雲みたいに>という言葉、あるいは“Sky is blue”を彷彿するフレーズだったりと、これまでのエレカシの旅を振り返りながらも変わらず前へ進んでいく、そういう30周年におけるファンへのアンサーソングのような感覚も覚えたけど……。

「ほぉ〜〜」

■そういう意図のものでは全然なさそうですね(笑)。

「そうですね(笑)。………僕はやっぱり、自分のことを凄く勇気がないと言いますか、流されやすいと言いますか…………というのは、さっきから言ってる他人のことが全然わからないってことでもあるんですが、瞬時にどうしたらいいのかってことがさっぱりわからないんですよ。たとえば、ここは怒ったほうがいいのか?とかもわからなくて、それで怒らなくていい時に急に怒り出したりとかするわけです。そのタイミングを図りかねるというか……まぁみんなそうなのかもしれないけど、自分はそう思っていて。で、たとえば『自由ってなんだろう?』って考えた時に……みんなやっぱり、ビビリながら生きてるじゃない? 僕はビビリながら生きてるんだけど、でも電車の中でみんなを見ていても、みんなもビビリながら生きてるんじゃないかなってなんとなく思う。それは、どうしたらいいかわからないからだと思うんだよね。本当はもっともっとみんなと仲よくしたいんだけど、だからと言って急に人に話しかけるわけにもいかないし、話しかけたからといって仲よくなれるとも思わないし。自分も傷つきたくないし他人も傷つけたくないから、ビビらざるを得ないんだけど。そうすると自由ってなんだろうなって思って………。でも人間、実は不自由な状態のほう、自分が思い通りにいかない状況のほうが逆に上手くいくってこともあるじゃないですか。たとえば失恋もそうだし飼ってるペットが死んじゃったとかもそうだけど、悲しみとか別れっていうものは人を凄い揺さぶるし、いい曲ができたりもする。抵抗がまったくない状態が自由かって言われたら、そんなこともないんだよね。だからそう考えるとなかなか難しいんだけど、でも、ここで歌ってる自由っていうのは『自分が本当にやりたいことっていうのはやっていいんじゃないか』って思ってる自由で。でも、一方でそんなことってあるのかな、そうは言っても何が本当にやりたいことかもわからないしなぁっていう、そんな想いもある。……という歌なんですよね、これは。だからつまり、自由と夢についての歌なんですけど」

■そうですよね。そうやって「風と共に」歩んだ30年間を総括しながら、それでも今ここからまた行くんだって歌っていくところが素晴らしいなと思います。

「………またちょっと話がズレちゃうかもしれないけどさ、たとえば同じ成功者でもクリントンさんとトランプさんでは雰囲気が違うじゃない。で、クリントンさんだとウォーレン・バフェット氏が応援演説に立つわけよ。たとえばオバマさんみたいに黒人で大統領になるっていうのはアメリカンドリームの成功譚の最たるものだし、クリントンさんが女性初の大統領になるっていうのもそう。で、ウォーレン・バフェット氏もどうやって金持ちになったかは知らないけど、でも成功譚のひとつなわけですよね。でももはや、そういう成功譚があまりにもひと握り過ぎちゃって、それを成功譚と思えない人達があまりにも増えてきてしまっている状況なわけで。そうなると、そういう自由とかアメリカンドリームの体現みたいな話よりも、そうじゃない正反対のものが共感を呼ぶんだよね。むしろ自由でも成功できないっていうことが、どれだけ息苦しいかっていうことをみんなが思っているという……成功できるっていう幻を見られている間はよかったんだけど、もう、今までの自由の成功譚っていうのが流行らなくなってしまって、というか説得力がなくなってしまったんだよね。それはアメリカだけじゃなく日本だってそうだし、世界中を見ていて感じるじゃない? ……まぁここで歌ってる自由は、その自由とは違うんだけどさ。でも、大きく自由というものを考えると、そういうことも考えてしまうわけです」

■そういう社会情勢だからこそ、こういう大きな歌を今作りたかったという部分はきっとあるんでしょうね。

「この曲を作った時はそんなこと思ってないです。むしろ、己自身の現況を鑑みるに、やっぱりいいとも悪いとも言えない自分がいてさ。何をやっていてもどうしたらいいのかわからないわけですよ。バンドが本当にいいのか、本当にこのまま続けていっていいのか……やっぱりそういうことは考えるわけ。でも、今我々はこうやってコンサートをやってツアーを周ることで、自分達の活動を肯定してもらってると僕は心から思えてるわけ。本当にこのコンサートをやることで、僕だけじゃなくメンバーも、自分を肯定できるようになったと思う。それは凄く素敵なことで。……やっぱり自分っていうものはわからないじゃない? だからいつだって迷ってるんだけど、でも結局、後戻りも先走りもしないで日々を歩き、そして死んでしまうんだ――っていうことを歌ってるんですよね、大袈裟だけどさ(笑)」

■大袈裟なんかじゃないよ、極めてリアルです。この曲は凄く託されているメッセージソングだと思うんです。で、多くの場合、メッセージソングってあなたへ投げかける形で綴られるんだけど、この曲はあくまでも「私」に向かって歌われていますよね。僕はそういうところにロックソングの原理主義的なところを感じるし、そのスタンスがこの曲を強くしているなとも思うんです。

「あー……そういう意味での自由もあったんですよね。自分ももう50だし、自分が本当にやりたいことってなんだろう?っていうさ。でも、みんなそういうことを思ってるんじゃないかと思うんです。で、これは言い方を変えると“奴隷天国”みたいにもなるし、“ズレてる方がいい”って言葉もそうかもしれないし、風と共に空を見てる自分もそうかもしれないし…………やっぱり人間は、自由ってなんだろう、ここじゃない何かがあるはずだって思っちゃうものだったりもするんだよねぇ」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA7月号 Vol.123』