Posted on 2017.06.19 by MUSICA編集部

スピッツ、30周年を記念し、
シングルコレクションをリリース。
30年史を振り返り書き記すスピッツクロニクル!

MUSICA 7月号 Vol.123P.30より掲載

 

 自分がスピッツと出会ったのは1990年の終わりか1991年の始め。つまりメジャーデビューする何ヶ月か前だった。その頃には、というか1990年の春にリリースされたインディーズ盤の『ヒバリのこころ』からすでに、スピッツは今に至るスタイルを築き始めていたので、彼らの音楽はポストビートロックというか、当時のUKのニューウェイヴ〜アシッドロックの雰囲気を醸し出しながら、しっかりと日本のフォーク発のロックバンド然とした佇まいを持っていた。

 そのスピッツをキャッチし、これは!と当時務めていた雑誌の編集部全体で盛り上がった頃、必然的にどんな出自があったが故にここまで来たのかを知ることになるのだが、まず最初に届いた情報は、芸術系の大学から生まれたバンドだということ。まぁそこはとても「らしい」と思ったのだが、その後の情報がとても興味深かった。それは彼らの出てきたライヴハウスが新宿LOFTだったことである(実際には新宿や渋谷の複数のライヴハウスで活動していたのだが)。当時の新宿LOFTは、いわゆるアンダーグラウンドロックか、生粋のパンクバンドか、もしくはバンドブーム以降のアグレッシヴで個性的な変態ロックバンドの巣窟的な場所だったので、そのどれにも当てはまらないスピッツがここから出てきたというのが意外だったのである。しかも、その時にLOFTでどんなライヴをしていたのか?と訊いた時にプロモーションしてくれた人が答えたのが、「ヨダレ垂らしたりしてましたよ」というもので、最初は自分がその人におちょくられているんじゃないかと思ったものだった。

 しかし数ヶ月後にそのLOFT時代、つまり80年代の彼らのライヴの映像を見せてもらった時に、言葉以上に驚くことになった。それは、ヨダレを垂らしていたかどうかは最早覚えていないが、マサムネの歌っている時の眼が完全にイっていたことと、しっかりとお客を煽っていたこと。しかもとても虚弱なバンドにしか思えない音像を前に、LOFTに客がしっかり集まり、盛り上がっている景色ができ上がっていたことである。

 最早ファンには有名な話だが、スピッツはTHE BLUE HEARTSに憧れ、彼らのように衝動しかないような先が読めないパフォーマンスと楽曲を持っていながら、それが全員で合唱できる極めて身近なロックバンドを目指して始まったのである。LOFT時代はまさにそんなスピッツ前史のドキュメンタリーそのものだったのだろう。

 しかし、彼らは自らの才能と可能性に自覚的になった時に、「そこにいても勝てないんじゃないか?」という正しい疑問符が浮かんだ。そして俯きがちなパフォーマンスの中から、今に至る片鱗を見つけ出し、そこから本当のスピッツが始まったのである。

(続きは本誌をチェック!

text by有泉智子

『MUSICA7月号 Vol.123』