Posted on 2018.06.28 by MUSICA編集部

同じ町で同じ世代として育ったDNA共同体バンド、
オーラルの中でも唯一歳もホームも異なる異端児。
中西雅哉の数奇なる運命と、絶大なる信頼を誇る
独自のマネージャー体質、その武勇伝語録!

 

子供の頃は無茶しまくってましたね。20mくらいある看板に上ったりとか。
学校の外をわざわざ使って隣のクラス行くとか。
ケガっていうケガはしたことないから、逆に歯止めが効かなかった

『MUSICA7月号 Vol.135』より引用

 

(前略)

■活発でやりたいことは直情的になんでもやる。で、やれてしまうし、やれないことはやれることを考えるみたいな。そういうストレートパンチ打ち続けるような性格は、ご家庭の中で芽生えたものなの?

「そうですね。うちの家庭がノーを言わない家庭というか、あれしろこれしろ言われたことないし、怒られるっていうこともなかったし」

■割と今言ったようなことで学校に親が呼び出されることはなかったの?

「ありましたね。それこそ学校で高校の時とかも免許取ったのがバレて呼び出されたりとか。でもうちのおかんも変わってたので、免許取れる年で取ってることは違法でもないし、ただの校則やのに呼び出されて、担任とか顧問が集まって話してる状況がおかんはおもろ過ぎたらしく、『免許ごときで、こんな真剣になるんや、何この状況』って(笑)。おかんそういうの楽しむタイプだったんで。怒られもせぇへんし、(免許)取りに行くって言っても、『見つかったらあかんのちゃうの~』くらいの家やったんで。責任は自分でとれみたいな」

■で、サッカー部作って、小学校時代はそこに邁進する感じだったの?

「ずっとサッカーしてましたね。なんでも卒なくできちゃうタイプやったんですけど、あの、体力だけがなくて」

■え!? 体力ないの?(笑)。

「そうなんですよ(笑)。持久力だけがなくて、瞬発力のみやったんすよ。でも、サッカーしてたらそれが必要ってなって、小学校4年とか5年とかのマラソン大会でも後ろから数えたほうが早いくらい遅くて。ショックで。なんでもできると思ってたのになって。悔しくて毎日そこから登下校を走るようにしてて。1年間毎日走って学校通って。そしたら次のマラソン大会は3位くらいになって、やればできるもんなんやってそこで学んで。そこからは真面目にちゃんと学ぼうって」

■そこからの覚醒っていうのは勉強にも表れてくるの?

「勉強がね、これが本当に苦手で。小学校の時の勉強ってテスト範囲の的が狭いので、割とちゃんと先生の言ってたところを真面目にやってたら90点とかずっと取ってて。できるやんって思ってたら、中学校でその的がめっちゃ広なって、その的を絞れへんくなったんですよ。勉強したけど外れてるみたいな。中1の1学期の中間テストで、めっちゃ勉強したのに凄く点数悪くて、そこで俺に勉強は向いてないって思って、勉強は諦めました」

■潔過ぎるね。その小学校時代、音楽は大切な部分を占めてたの?

「小さい頃からジブリずっと観てたから、ジブリの音楽が凄い好きで。そのジブリのアニメの主題歌とかが入ったアルバムを買ったりしてて。当時はテープだったので、テレビのドラマの曲聴いたり。『コーチ』(1996/フジテレビ)っていうドラマがあって、エンディングが玉置浩二さんの“田園”やったんかな。その曲とかがめっちゃ好きで、おとんにこれテープに録りたいって言って、テレビとラジカセつないで録音したりして音楽聴いたりはしてましたね。おとんが音楽好きで、CDコンポみたいな、子供からしたら割と高級なやつを使ってるっていうのがあったんで、もらって。学習机から勉強する本とか全部どけて、コンポを上の棚にドーンと置いて、配線とか自分でやって、そこで音のローとかをこれなんなんやろっていって、自分で音楽聴きながら変えたりして」

■それ、立派なイコライジングじゃないですか!?

「そうそう(笑)。意味わからんけど、こここうやったらこんな音鳴るんやって、小学校の時やってて。自分の好きな音を探すのにハマったんですよね」

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text by鹿野 淳

『MUSICA7月号 Vol.135』

Posted on 2018.06.27 by MUSICA編集部

待望のコラボレートを“Diver’s High”で果たした
SKY-HIと斎藤宏介! 待ってましたの両雄による
容赦なき対談、絶妙な間合いでがっぷり4つに組みました!

 

日高「プレイヤーとして凄くアイデンティファイしてる
から、一緒にやってて楽しかったんだと思う」
斎藤「僕は本当に好きな人とだけ一緒にいたいと思ってて。
だから、こういうことはたくさんの人とはできないですね」

『MUSICA7月号 Vol.135』より引用

 

(前略)

 ■日高自身の中でも、ロックチューンにしたかったっていうのはあったんですか?

日高「ありましたありました。いわゆるロックのテイストみたいなものは入れたかった。アニメ側からのエレキギターを入れて欲しいっていうのも、要はそういう意味でしたしね。でもそれをラッパーの俺が想像すると、最初に出てくるのってBeastie BoysだったりRUN D.M.Cの“Walk This Way”みたいなものなわけですよ。でもそれがアニメの主題歌として相応しいかってことを思うと……ヤベッ、俺その札持ってないやと思って。結構いろんな札を集めてきたんですけど、その手札は持ってないと思って……それで斎藤さんに助けを求め(笑)。結果7トラックもギター弾いていただいて、あれで相当色づけされましたね」

■これは楽曲としてとても多面的な要素を持ってると思うんです。“Walk This Way”がヒップホップとブルースを合わせたものだとしたら、この曲はヒップホップとグラムロックを合わせたみたいに聴こえるし、さらにJ-POP的なフレーズとEDM的な要素が入ってる。宏介くんはこれを聴いてどう思い、何を考えて参加したんですか?

斎藤「1月5日にこの話が決まり、1月7日に亀田さんのスタジオに行こうって話になり。それで1月5日の夜に、日高くんからリズムトラックとなんとなくのコード進行が送られてきて、それを5日、6日と弾き倒し、自分の引き出しを全部開けてこれでもないあれでもないって繰り返しながらアイディアを貯めてったんです。そしたら6日の深夜に『もう1個作ってみました、こういうパターンもあります。でもたぶん1個目のほうになると思います』って言われて。それで当日、スタジオに行く1時間半ぐらい前に『ごめんなさい、やっぱふたつ目になりました』と言われ」

日高「ヒーッ!」

斎藤「なのでそこで、全部の引き出し開けて考えたアイディアを1回ちゃんとしまって(笑)」

日高「ヒ―――――――ッ!!」

■それは完全にキレるところですよ。

斎藤「いやいやいやいや、あの……そんなことないです、その時にしまったリフとかはもうごっそりUNISONに持って行くんで(笑)。僕としてはストックが増えたというプラスの状態」

日高「……ほんと素晴らしい先輩だ……」

斎藤「とはいえヤバいなとは思いながら(笑)、当日はとりあえずギター1本背負って、ギター侍のような気持ちで亀田さんのスタジオに行き。そしたらもらってたデモにはギターは入ってなかったんだけど、スタジオに行ったらめちゃくちゃ印象的なリフができてて。あれは誰が考えたの?」

日高「亀田さんがギター持って『なんでも言って、僕ドMだから! 言われるほうが嬉しいタイプだから!』ってノーガードで誘ってくるから、ぶっちゃけゴール見えてなかったんですけど、見えてるフリして『じゃあこういうふうに』、『イントロこんなリフで』、『今のよかったっす、ください!』って無我夢中でやってたら、気がついたらあのイントロのリフになってました(笑)」

斎藤「そうだったんだ(笑)。で、1月7日にスタジオ入った時からレコーディングまで1ヵ月ぐらい空いたんですけど、その間にも結構変わっていって。結局今の形になったのはレコーディングの1週間前ぐらいだったよね?」

日高「そうでしたね」

斎藤「なので、その1週間で自分にできること全部詰め込もう、やるならば惜しげもなく自分のできることを全部やろうと思ってたので、『こんなこともできる、こんなこともできる』っていうのを音源にして亀田さんと日高くんに送ったら、投げたアイディアに100%OKをもらったんです。まさか全部OKになると思わなかったからびっくりして」

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text by鹿野 淳

『MUSICA7月号 Vol.135』

Posted on 2018.06.26 by MUSICA編集部

10-FEET、“Fin”Tour! 瑞々しく感慨深かった
61本中59本目の徳島公演に完全密着!
そしてすだち酒を片手にアルバム後のバンド道や
来るべき京都大作戦に向けて、3人と夜を越えて語らう

 

5年ぶりのアルバム『Fin』を引っ提げ全国を行脚した
「“Fin”TOUR 2017-2018」の徳島GRINDHOUSE公演に密着。
終演後に行った全員インタヴューと共に、
『Fin』以降の彼らの強靭かつフレッシュな進化に迫る!

『MUSICA7月号 Vol.135』より引用

 

(前略)

 定刻通り18時半から開場。16時時点で既に何十人もライヴハウスの階下に集結していた人達を含め、一気に人でフロアが埋まってゆく。この天井も低く、お世辞にも広いとは言えないライヴハウスに300人近いお客さんが注ぎ込まれた。これは間違いなく、壮絶な酸欠ライヴになることをメンバーも含め、みんなで覚悟する。そのフロアの光景が見える楽屋のモニターを背にして着替え、週末にあるミリオンロックという金沢のフェスの行程確認やパスをスタッフから渡されている。

 5分押しで行くことがマネージャーからアナウンスされる。その直後にTAKUMAが楽屋から消える。いつもだいたい彼は直前までどこかに消えて、そして静かに戻ってくる。今日もそうだった。

 気づいたが、30分ほど前から、3人が一度も顔も合わさないし話もしない。だからといって緊張感が張り詰めているわけではないが、いや――やはり独特の寡黙な緊張感が張り詰めている。

 その沈黙を突き破ったのはやはりKOUICHI。まさにステージに出ようとする時、KOUICHIがみんなの背中を叩いたり、くすぐったり、愛嬌を入れてゆく。その中でTAKUMAが「(ツアーも)あと3本! 行くぜ!」と叫び、NAOKIが屈伸しながら出て行った。そう、既に彼らのオープニングSE、ドラゴンクエストⅢの“そして伝説へ”が響き、歓声と怒号と手拍子が湧き上がっている。

 さあ、結果的にこのツアーの中でも1、2を争う酸欠ライヴが始まった――。

(中略)

■頭5曲くらいやった後のMCで、「徳島はいつも頭3曲くらいは様子見なんだけど、今日は全然違うな。最初からキてんな!」って言ってたけど、その特別感みたいなものを感じたの?

TAKUMA「そうですね。前は前で凄く感じてくれてるなって思ってたんですけど、若いお客さんが新たに入ってきたり、長年来てるお客さんも見受けられる中で、その両方があるからこそ、見た目わかりやすく激しくノる感じって最近はそんなに感じてないんですよ。盛り上がってないってわけではないし、伝わってないわけではないけど、直接的にはあまり感じてなくって。ちょっと前はそれに戸惑ったんですけど、でも見た目のノリより伝わってるか伝わってへんかが大事やなって思うようになってやってる中、今日はみんながワッて来て、ウチらの最近のライヴの中では結構激しいほうやって。それで僕は凄く嬉しくなったんで、それを言葉にしたらきっと気持ち伝わるなって思ったし、一緒にもっと盛り上がりたいなって気持ちでしたね。びっくりしました」

■僕はこのツアーを観るのは2度目なんですけど、1度目の千葉LOOKと今日と両方とも酸欠ライヴで。50本以上ずっと酸欠してるの?

KOUICHI「基本暑いですね。極端に酸素がないところも場所によってはあります(笑)」

TAKUMA「アルバムの新曲へのお客さんのリアクションも結構いろいろあるんで。これだけ長いツアーやと行ったことある回数も少ないところばっかりやから、場所によって『ここはこういう盛り上がり方するんや!』とか、リアクションが違ったりするのも面白かったりします」

KOUICHI「でも今回のアルバムの曲、みんなめっちゃ歌ってくれてるよな」

TAKUMA「それは俺も思う」

■歌いやすい曲を作ったから?

TAKUMA「確かに今までの10-FEETの作品よりは歌いやすくなってる気はするんですよ。でも歌いやすさを求めて作ったわけじゃなかったんで。前作、前々作から前進するためにどうしたらいいかってことを考えて作り上げた先に生まれた結果やから、それが凄くよかったと思うんです。自分を見てても、自分以外の仲間とか先輩とか、全然関係ない外タレとか見ててもそうなんですけど、一番売れた時期とか一番ガッと行った時期の曲、いわゆる代表曲を求められてる時っていうのがライヴであって。きっと僕らにも“RIVER”とかいろいろあると思うんですよ。で、今回のアルバムを作ってる時は、そこに対してとことん挑みたいと思ってて。たとえばフェスやと代表曲でセットリスト組んでみたいなのが普通だと思うんですけど、そのセットリストにどれだけ今回のアルバムの曲が残っていけるか、音源作ってる時はそこにすっごい挑んでたんです」

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text by鹿野 淳

『MUSICA7月号 Vol.135』

Posted on 2018.06.25 by MUSICA編集部

前人未到のライヴを経て、エポックメイクな様式美と
世界観を全国に運ぼうと果敢に始まった巨大ツアー、
SEKAI NO OWARI「INSOMNIA TRAIN」。
その内と外をロングドキュメンタリーで一気におくります!

 

新潟・国営越後丘陵公園&富士急コニファーフォレスト公演に密着!
弩級のエンターテインメントの芯にあるものと、
彼らが迎えた過渡期に迫るロングドキュメント!

『MUSICA7月号 Vol.135』より引用

 

(前略)

5月19日 ツアー3本目新潟 本番日

 

今回のステージは、ライヴが始まる2時間以上前からオーディエンスに解放していることを踏まえると、照明が全開になっている時間よりもそうでない時間の方が目に晒される時間が長い。だからこそ、照明美による雰囲気で見せるだけではなく、何も明かりが灯されていない状態で独特の雰囲気を出さねばならない。しかも残酷なことに最早、セカオワといえばステージ自体がファンタジーになっていることがデフォルトになっているという、あらかじめとんでもなくハードルが高い中で参加者に新しい世界観をアピールしなければならず、それは本当にハードなことだと思うが、しかしそれを一番楽しんでいるし、そんなハードルはいつだって越えられると思っているのも彼ら自身で、その誇りや挑戦心が、今回の「INSOMNIA TRAIN」ステージには溢れ出ていた。

 リハーサルが始まった。“RAIN”を聴いている時に、Fukaseのライヴにおける歌声の変化や成長を感じた。あのまるでウィーン少年合唱団のような聖なる透明さを放つ声が、透明さというより人の気持ちや奥にある情念のようなものを声自体がきっちりと代弁するような、シンプルに言えば説得力や表現欲、そして様々な感情を代弁するような大きな包容力を感じたのだった。当初はそれこそ「色や意味を歌の中になるべく込めたくない」と、業の深い曲に対して自ら反発するかのような歌唱をしていたFukaseだったが、今はその曲の持っている世界観のその奥にある「願い」がなんなのかを、歌声で表現し切っているようだ。そんな歌を目に見える景色の、そのまた奥を見るように遠くを見つめながら歌っている。その歌を繊細なSaoriの鍵盤とNakajinのギターが支え、随分とタフになったLOVEのビートが前へ前へと進めてゆく。

 12時9分にリハーサルが終わった。まだメンバーもローディーと打ち合わせしたりしていたが、ステージに上らせてもらった。

 まず驚いたのは、実は彼ら4人のステージ上でのスペースがとても狭いこと。ステージ自体があれだけ大胆なデザインになっている分、多くのスペースを演出に寄せているので、実際に彼らがミュージシャンとして動ける範囲がとても狭いのである。その印象を伝えるとNakajinとLOVEが「そうなんですよ。実は毎回こんな感じで。『Tarkus』だけは円形ステージだったから自由度が多くて逆に悩んだりしたんだけど、基本は毎回こうやってきっちりどこで演奏するかが決まっていて、その上で敢えて動いたり、自分がSaoriちゃんのところに様子を伺いに行ったり(笑)してるんです」と話してくれる。

 ツアー初日の熊本でも感じたこのツアー一番の新鮮さは、Fukaseがベースを弾きながら歌う曲が複数あることだったが、この日もリハーサルでも改めてその新鮮さを感じた。面白かったのは“スターゲイザー”。言ってみれば無機質さすら感じる歌を含めてエレクトロがバッキバキな楽曲で、Fukaseがベースを持ち、Nakajinがアコギを持ち、Saoriがピアノを高音域で奏で、アナログなパーカッションも大胆に導入されるというのは電子音楽的なマナーとしてはかなりアナーキーなアレンジだが、彼らはそもそも本能的にしか曲と向かい合えないバンドなので、得てしてこういうことが多くなる。独特の曲の世界観にふさわしい独特のアレンジが、今回のツアーのセットでも披露されそうだ。

 リハが終わって楽屋に戻ってきたFukaseになんでベースをライヴで弾くことにしたの?と尋ねた。すると「そもそもベースが大好きで、前からシンセベースや本物のベースを買ったりしてて。海外を回るEnd of the Worldの時も、日本より遥かにシンプルな構成で、サポートミュージシャンも入らずに(今回のツアーは生ドラムとベーシストの外人ミュージシャンがサポートとして入っている)やってるが故にベースを弾くこともあるから、今回何曲かそうしてみたんです。確かに“スターゲイザー”は鹿野さんが言う通りのエレクトロかもしれないけど、そもそもはほんとに好きなことだけを一気に詰め込んで瞬間的に作った曲だから、僕にはこれが至って普通の姿なんですよね」と話してくれた。

(続きは本誌をチェック!)

text by鹿野 淳

『MUSICA7月号 Vol.135』

Posted on 2018.06.24 by MUSICA編集部

節目の5枚目、お茶の間ブレイク後の1枚目、
つまりはかつてない勝負のアルバム『SHISHAMO 5』。
SHISHAMOの変化、そして宮崎朝子の揺るぎない確信を、
入り組んだ糸を解くように丁寧に紐解く!

 

本当に傷ついてる人のための歌を作ろうと思ったら、
フィクションじゃない、自分の中にあるものを出していかないダメだなって。
それは自分でもちょっとびっくりというか。こうなると思ってなかった

『MUSICA7月号 Vol.135』より引用

 

■『SHISHAMO 5』は節目の5枚目らしい一大変化作だと思っているんですけど、ご本人的にはどう思われているんですか?

「変化……とまでは行かないかもって気持ちです。SHISHAMOをやってる限りはSHISHAMOの音楽というのがあって、核となる部分は変わらないので。だから変化的なものはそんな意識していないのかなって……なんか、今は無事いいアルバムができてよかったなって思っていて。というのも、作ってる最中はわからなかったんです。自分の中でいいものになるかどうか、ちょっとわかんない感じで作ってて。完成してやっと、『あ、大丈夫だ、いいもの作ったな』って思ったんですよね。だからひと安心というか」

■それは今までと違う感覚だったの?

「『SHISHAMO 4』が凄くいいアルバムになったな、と感じていたので。でも次の作品は出さなきゃいけないし、だったら『SHISHAMO 4』よりもいいものを出そうっていうことだけは自分の中で決まっていて。そこに向けてたんで、今までとは違うやり方でアルバムを作ったのは間違いないんですよね。曲の作り方自体は変わってないんですけど、アルバムの作り方として『とにかく作ろう!』って感じで曲を作って……」

■ん? 作り方自体は変わらないけど「とにかく作ろう!」っていうのが違うって、よくわからないんだけど。それは具体的に違うの?

「結構違うんですよ、これは(笑)。今まではアルバムを作る時って、アルバムの完成形をなんとなく見越しながら曲を作ってたんですけど、今回はそうじゃなくて。『SHISHAMO 4』を出してからの1年はとにかく曲を作って、いい曲ができたら、その曲がアルバムに入るかどうかは考えずに、それをレコーディングしていくっていう形でやってきて。その中から一番いいものを選んでアルバムに入れるっていう作り方にしたんです」

■ストーリーやコンセプトイメージよりもベストソング集を作っていたということだと思うんだけど。前作が最高だったとご自分で純粋に思えたのもいいことだったし、同時に結果的にその作品に今までの中で一番お茶の間まで広がった曲(“明日も”)が収録されているという意味で、世の中に対しても結果を残したアルバムになったわけじゃない? そういうことは宮崎の中でどういうふうに整理をした上で今回のアルバムに臨んだの?

「……それは感じていたからこそ、いつもと違う作り方をしたんだと思います。今までだったら、『いい曲できた、じゃあこれアルバム入れよう』ってなってたのが、『いい曲できた、でももっといい曲できるかもしんない』っていうふうな考え方になったし。そういう意味では少し慎重になったのかもしれないですけど。……『SHISHAMO 4』は、SHISHAMOっていうものが一番わかりやすく、SHISHAMOの音楽っていうものが端から端まで示せた――SHISHAMOはいろんな音楽をやると思ってるんですけど、それをちゃんと全部わかりやすく『SHISHAMOです!』って自己紹介ができるアルバムになっていたと思うんです。それをあのタイミングで作れてよかったなって、当時は思ってたんですけど」

■逆に言うと、その後に作るアルバムだというプレッシャーはあったんだ。そのプレッシャーとはどうつき合って、これを作っていったんですか?

「でも、できない時はできないしなぁと思って」

■あはははは。

「(笑)。曲を作れない時は作れない、いい曲ができない時はできないと思うんですよ。だから、もうとにかくやるだけなんです」

(続きは本誌をチェック!)

text by鹿野 淳

『MUSICA7月号 Vol.135』

Posted on 2018.06.23 by MUSICA編集部

エレファントカシマシ、金字塔アルバム『Wake Up』!
何故今これだけ芳醇かつ潔く挑戦的な曲が生まれたのか?
まさに裸一貫リスタートを切ろうとする時期だからこその
決意溢れた意志を、男・宮本、絶頂トークで飾る!

 

やっぱりエレファントカシマシは、ここからまたスタートして
新しいエレファントカシマシを探して、自分達のものにして、それが
10年後にどうなっていくのかってことをやっていかなくちゃいけないし、
やっていきたいと思ってる。だから本当に『Wake Up』なんですよ
自分達の30周年の記念アルバムだって言えるのかもしれないし、同時に、
新しいエレファントカシマシへの第一歩のアルバムであるとも言えます

『MUSICA7月号 Vol.135』より引用

 

(前略)

■考えてみると、宮本さんって攻める時のアルバムは非常にヴァラエティに富んでるんですよ。たとえば『明日に向かって走れ–月夜の歌–』や『STARTING OVER』というセールス的にも大きな結果を残した2枚のアルバムも、それぞれベクトルは違えど、どちらとしても攻めた結果としてのヴァラエティの豊かさを持っていたど思うんです。

「あー、なるほど!」

■で、今回“Easy Go”の中に<神様>という言葉がありますけど、宮本さんがこういう使い方で<神様>という言葉を歌うのは意外なわけですが。

「(笑)」

■その<神様>という言葉は、このアルバム中で最も音楽的に異色であると言えるレゲエ調の“神様俺を”という曲に繋がっているし、そして1曲目の“Wake Up”は、明確に次に“Easy Go”が来ることを念頭に置いた上でオープニング的に作られている曲だと思うんです。そして一方で、“風と共に”の中で歌われる<自由>が、7曲目の“自由”にも繋がっている。何が言いたいかというと、このアルバムは、どれも相互の因果が強い楽曲達で構成されていると思うんですよね。話が長くなって申し訳ないんですが、ご自身では、どうしてこのような形になったんだと思われますか?

「いや〜、ありがとうございます。単純にひとつは、作っている時期が長い期間にわたってるんですよ。……“Easy Go”は完成したのが1月で、おっしゃる通りそれを踏まえて“Wake Up”をその後に作ってるんですが。たとえば『東京の空』というアルバムの時に最後の最後に“この世は最高!”という曲を作ったんですけど。非常に細かい話で申し訳ないんですが、私はその前に“奴隷天国”という曲を作ってまして、それと比べると“この世は最高!”は弱いんじゃないかってことを言う人がスタッフの中にもいたんだけど、でも“この世は最高!”は『東京の空』というアルバムのオープニング曲として絶対に必要だったんです。それと同じで、“Wake Up”もこのアルバムのオープニングとして絶対に必要で………でも、だから最初はこんな4分もあるような曲じゃなかったんですよ。2分20秒くらいの、非常にオープニング然とした、力強くて一番新しいエレファントカシマシの、俺の気持ちがバシッと入ってるものにしたいっていうのがあったんです。で、作ってみたら、この<Wake Up Wake Up〜>という繰り返しと<ゆこう go go go>というのが僕は本当に凄く好きなフレーズで、それが入ったことによって、逆に4分くらいの普通の1曲になっていってしまった(笑)。それこそ『RAINBOW』の1曲目の“3210”みたいな、そういう役割プラスアルファくらいのイメージで始めた作業だったのに、もう見る見る力強くなっていって。しかもその時は“Wake Up”というタイトルは決まってないのに、これができたことでアルバムのタイトルも『Wake Up』になるという、それくらい統一感が出た!という手応えが感じられたんですよね。それくらい最新の曲から、(アルバム曲順の)最後の“いつもの顔で”と“オレを生きる”という2曲は、私が感音性難聴で入院した後、半年以上の時間をかけてようやく曲を作り始めた頃――要は“めんどくせい”(2015年9月発売のシングル『愛すべき今日』収録)と同じ時期にできた曲で。つまり、歌詞は違うんだけど、2013年の曲なんですよ」

■あ、そんなに前の曲なんですね。

「そうなんです。だからこのアルバムには2013年から2018年5月まで、5年にわたるヴァリエーションが入ってるんですよね。しかも、冒頭の説明に近いんですが、“風と共に”や“RESTART”、“Easy Go”も含め、我々の足跡と共にある曲がたくさん入ってる。だから結果的に曲のヴァリエーションが広がったというのは、絶対にあると思うんですよ」

(続きは本誌をチェック!)

text by鹿野 淳

『MUSICA7月号 Vol.135』

Posted on 2018.06.23 by MUSICA編集部

ロックがロックたるための進化を見事果たした
『Chasing the Horizon』! Jean-Ken Johnnyによる
全曲解説と、Kamikaze Boyとのチャットインタビューの
二本立てで、覇気に満ちた名盤を語り尽くす表紙巻頭特集!

 

我々MWAMガ何ヲ軸ニシテ、何ヲ根源ニ掲ゲテ音楽ヲ鳴ラスベキナノカ
鳴ラシタイノカッテイウコトヲ、モノ凄ク再確認シマシタ。
自分達ガバンドトシテ鳴ラスモノニ、
大袈裟カモシレナイケド「意義」ヲ見出シテ、
コレダッテイウ光ガ見エタ。明確ナ道筋ガ見エタナト思イマス

『MUSICA7月号 Vol.135』より引用

 

#1 Jean-Ken Johnnyによる全曲解説インタヴュー

 

(前略)

■各楽曲には様々な形で新しい挑戦やアイディアが織り込まれていますけど、それは何か奇抜な新しい発明が行われているというよりも、自分達のロックというものが今この2018年にあるべき姿を追究し、そのために必要なブラッシュアップと刷新を行なっている。だから結果として凄くMAN WITH A MISSIONらしいなと思えるロック・アルバムなんだけど、でも明らかに今までに聴いたことない感覚を覚える作品なんですよね。で、それは同時に、ヒップホップとR&Bが覇権を握る現在のポップミュージックの世界の中で、ロックというものをいかにリアリティと説得力を持ったアートフォームとして響かせるのかってことへの回答にもなっている。逆に言えば、そのための模索を今まで以上に果たした作品だからこそ、自分達でも全体像が見えなかったのかなと。

「いや、本当におっしゃる通りだと思います。それこそ前回のインタヴューの時に有泉さんと、ロックっていうジャンル自体のアップデートをするのか、それとも、自分達が聴いてきた、ロックが隆盛を極めた90年代のポストロックやオルタナティヴ・シーンのあのメンタリティを引っ提げて、ジャンルというよりはサウンド感をアップデートして、そのメンタリティを打ち出していくのかって話をしたじゃないですか。その両者で肌感的に僕が合ってるなと思ったのは、後者だったんですよね。で、それと同じようなことをエンジニアの人達も口酸っぱく言ってきて、それによってもの凄い自分の中では心のタガが外れたんですよね。確実に目指すべきひとつのフォーマットというか、自分達の取るべきアティテュードが見えたというか。だから実は、あのインタヴューのおかげでいろいろとさらに肩凝りが取れまして。我々のバンドがやるべきこと、やりたいことはこれなんだと、自信と確信を持って言える形になりました」

 (中略)

 01. 2045

 ■最高に痛快な形でアルバムの幕開けを飾る、めちゃくちゃカッコいい名曲です。ポストパンクとテクノ、ハードコアとラップメタルが融合された、非常にスリリングで攻撃的、それでいてダンサブルなロックソングで。これはカミカゼさんが作曲、そしてBOOM BOOM SATELLITESの中野雅之さんがプロデューサーとして参加してますよね。

「デモが上がってきた段階でこれはめちゃくちゃいいなと思ったんですよね。作曲者としての私とカミカゼを比較すると、どちらかというと、自分はロックにあるノスタルジックな部分と言いますか、前時代的な美しさっていうものが今の時代においても説得力があるんじゃないかっていう部分を全面的に押し出してきた側だとすると、カミカゼはロックというジャンルそのものを革新させて、かつポップスとしての大衆性と説得力を持つものを作るというベクトルを持っている側で。で、この曲はその中でも一番いいバランスで革新性が打ち出されてるんじゃないかと思います。よくカミカゼに『これ大丈夫かな?』って訊かれるんですけど、まぁずっと作ってる2匹なので、僕もたまにとてつもなく辛辣なことを言ったりもするんですよ。特にデモの段階では『これ、ちょっとよくわかんないです』とかめちゃくちゃ言うことがあるんですけど(笑)。でもこの曲に関しては、それはなかったです。ただただ、これ絶対めちゃくちゃいいですよ!って。そしたら『自信になります』って言ってましたけど(笑)」

■(笑)。

「特に導入部、イントロからAメロに入る部分がめちゃくちゃカッコいい。日本の音楽ってサビに集中してしまいがちですけど、僕は圧倒的に大事なのはイントロの5秒、10秒だと思ってて――」

(続きは本誌をチェック!)

text by有泉智子

『MUSICA7月号 Vol.135』

 

#2 Kamikaze Boyとのチャットインタヴュー

 

■ジャン・ケンさんは、「自分はどちらかと言えばロックのノスタルジーや王道的な部分を楽曲化していく作曲者で、カミカゼはロックというものをそのジャンル感というところから刷新していくような作曲者である」とおっしゃっていましたよ。

「僕ハ彼ホド『ジャンル』トイウ角度カラ音楽ヲ見テイナイノダト思イマス。コウイッタ所デ言ウ話デハ無イノデスガ、ミュージシャンノインタビュートカ、ホトンド読ンダ事ナインデスヨ。時代ノ背景トカ、ソノアーティストガ影響ヲ受ケタ音楽トカ、ソウイッタモノヲ全然知ラナインデス。ダカラ、耳デシカ音楽ヲ判断シテイナインデスヨネ。ダカラ、マナートカヲ考エズニ、A トB ヲ簡単ニ混在サセヨウトシテシマウノカモシレマセン。凄ク色ンナ人達ニ怒ラレマスガ」

■怒られるんだ(笑)。いや、でもそれは納得の行くお話だなと思います。理屈ではなくご自分の感性と発想でピンと来たものをハイブリッドしているってことだと思いますし、そういう人だからこそ生み出せる楽曲なのだと思いました。たとえば“Please Forgive Me” は、昨今のゴスペルライクなR&B やメロウなEDM とポストロック、ミクスチャーが美しく融合している楽曲ですが、これはどのようなイメージや発想で作られたんですか?

「トテモエモーショナルナ楽曲ヲ制作シタイト考エテイマシテ……イクツカテーマガアッタノデスガ、マズハ、メロディーノフロウヲ童謡ノ様ニシタイ、ト。POP ソングノヨウニ、A・B・サビ、トイッタ構成デハナク、童謡ノ様ニ自由ナ構成ニシタイ、ト。ソシテBPM ヲドンドン変エテ行キタイ、ト。ソウスル事ニヨッテアリキタリデハナク、斬新デ、エモーショナルナ楽曲ガ完成スルノデハナイカ、ト仮説ヲ立テテ、チャレンジシタ楽曲デス」

(続きは本誌をチェック!)

text by有泉智子

『MUSICA7月号 Vol.135』

Posted on 2018.06.23 by MUSICA編集部

遂に到達した、歓喜と喝采の人生賛歌『歓声前夜』!
ロックバンドに胸焦がした原風景と目の前にいる人だけを
瞬きもせず見つめてきた純真なる軌跡、そのすべてに
祝福と拳を捧げるSUPER BEAVERバックカヴァー特集!

 

4人だけでスタートしたバンドだからこそ、
自分でアクションを起こすことの大事さを
知ってるから。自分で行動できた時の感動や自信は、
歌や音楽っていう場でも生むことができるって信じてるんだよ(渋谷)

『MUSICA7月号 Vol.135』より引用

 

■SUPER BEAVER史上最も大きな到達点になるアルバムだと感じました。

柳沢亮太(G&Cho)「おお、嬉しい」

■2012年にインディーズに戻った一撃目として“歓びの明日に”でリスタートして、『未来の始めかた』というアルバムを作りましたよね。歌われていることがあの頃からの線上にしっかりある点にしても、アッパーでFunなリズムが真ん中にある明快な音楽的にも、“歓びの明日に”から始まったバンドが今『歓声前夜』というタイトルを掲げることも、ここまでの道程が結実したっていうふうに受け取れたんですが。

渋谷龍太(Vo)「おお。俺も、歌ってることにしても作り終えた後の感覚にしても“歓びの明日に”や『未来の始めかた』を作った時に凄く近い感覚があったんだよね。だから今、言ってもらって凄いと思った」

■この『歓声前夜』と『未来の始めかた』にどういう近似性を感じてるんですか。

渋谷「着実に聴いてくれる人が増えて大きなところでやれるようになってきて、その現状を加味した上での等身大を出した結果として、人の輪っかの広がりを実感しながら作れた気がするんだよね。それを実感したことで、『未来の始めかた』みたいに、人との距離感が近い歌ばかりになってきて。大きな視野を持っていながらも、ステージの大小に関係なく気持ちよくできる曲が揃ってると思っていて。内緒話の距離でも歌える曲もあれば、大声を出せる曲もあって……そういう、いろんな人との距離が歌と曲に出てるって思う」

■目の前にいる人も遠くにいる人も同じ「ひとり」として歌い続けてきたからこそ。

渋谷「そうそう。個々であるっていうのは絶対ブレてないところだからさ」

■上杉くんはどうですか。

上杉研太(B&Cho)「俺は、ここに辿り着くためにいろんな作品を作ってきたような気がしていて。今までは自分達のステージを大きくするようにして曲が生まれてた部分もあったんだけど、それを踏まえて違う大陸にドーンと行けた感覚がある。それは何かって言うと、頭で狙って作れるようなものじゃない音楽だなって思うの。それはつまり純度が高いものをそのまま出せたっていうことで」

■どうしてそうなれたと思うの?

上杉「やってきたことと目指してきたことが、日本武道館っていうひとつの到達点を超えたところでリンクしたんだと思う。あれだけの規模でのライヴをやれたからこそ、自分達の状況や音楽性、人と人……その全部をちゃんと巻き込めるヴァラエティ感や純度が出せたんだろうなっていうのは思いますね」

藤原“30才”広明(Dr)「でも、一生懸命ヴァラエティ感を作ろうとしたわけではなく、自然とヴァラエティ感が出た作品だなと思ってて。たとえばさっき、ぶーやん(渋谷)が『人との距離感が近い』って言ってたけど、そのぶーやんの歌に対して、サウンドも音色も寄り添ってやれるようになった結果だと思うんだよね」

■渋谷くんが目の前の人にも遠くの人にも届く歌を歌えるようになって、それに対する必然性を持って音楽を作れるようになった結果、ヴァラエティ感が出たっていうこと?

藤原「そうそう。実験的なこともやったと思うし個々での挑戦もあったけど、そういう道程があった上で、4人ともが歌や言葉の向かって行くほうに鳴らせてる感覚があって」

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text by矢島大地

『MUSICA7月号 Vol.135』