Posted on 2018.06.28 by MUSICA編集部

同じ町で同じ世代として育ったDNA共同体バンド、
オーラルの中でも唯一歳もホームも異なる異端児。
中西雅哉の数奇なる運命と、絶大なる信頼を誇る
独自のマネージャー体質、その武勇伝語録!

 

子供の頃は無茶しまくってましたね。20mくらいある看板に上ったりとか。
学校の外をわざわざ使って隣のクラス行くとか。
ケガっていうケガはしたことないから、逆に歯止めが効かなかった

『MUSICA7月号 Vol.135』より引用

 

(前略)

■活発でやりたいことは直情的になんでもやる。で、やれてしまうし、やれないことはやれることを考えるみたいな。そういうストレートパンチ打ち続けるような性格は、ご家庭の中で芽生えたものなの?

「そうですね。うちの家庭がノーを言わない家庭というか、あれしろこれしろ言われたことないし、怒られるっていうこともなかったし」

■割と今言ったようなことで学校に親が呼び出されることはなかったの?

「ありましたね。それこそ学校で高校の時とかも免許取ったのがバレて呼び出されたりとか。でもうちのおかんも変わってたので、免許取れる年で取ってることは違法でもないし、ただの校則やのに呼び出されて、担任とか顧問が集まって話してる状況がおかんはおもろ過ぎたらしく、『免許ごときで、こんな真剣になるんや、何この状況』って(笑)。おかんそういうの楽しむタイプだったんで。怒られもせぇへんし、(免許)取りに行くって言っても、『見つかったらあかんのちゃうの~』くらいの家やったんで。責任は自分でとれみたいな」

■で、サッカー部作って、小学校時代はそこに邁進する感じだったの?

「ずっとサッカーしてましたね。なんでも卒なくできちゃうタイプやったんですけど、あの、体力だけがなくて」

■え!? 体力ないの?(笑)。

「そうなんですよ(笑)。持久力だけがなくて、瞬発力のみやったんすよ。でも、サッカーしてたらそれが必要ってなって、小学校4年とか5年とかのマラソン大会でも後ろから数えたほうが早いくらい遅くて。ショックで。なんでもできると思ってたのになって。悔しくて毎日そこから登下校を走るようにしてて。1年間毎日走って学校通って。そしたら次のマラソン大会は3位くらいになって、やればできるもんなんやってそこで学んで。そこからは真面目にちゃんと学ぼうって」

■そこからの覚醒っていうのは勉強にも表れてくるの?

「勉強がね、これが本当に苦手で。小学校の時の勉強ってテスト範囲の的が狭いので、割とちゃんと先生の言ってたところを真面目にやってたら90点とかずっと取ってて。できるやんって思ってたら、中学校でその的がめっちゃ広なって、その的を絞れへんくなったんですよ。勉強したけど外れてるみたいな。中1の1学期の中間テストで、めっちゃ勉強したのに凄く点数悪くて、そこで俺に勉強は向いてないって思って、勉強は諦めました」

■潔過ぎるね。その小学校時代、音楽は大切な部分を占めてたの?

「小さい頃からジブリずっと観てたから、ジブリの音楽が凄い好きで。そのジブリのアニメの主題歌とかが入ったアルバムを買ったりしてて。当時はテープだったので、テレビのドラマの曲聴いたり。『コーチ』(1996/フジテレビ)っていうドラマがあって、エンディングが玉置浩二さんの“田園”やったんかな。その曲とかがめっちゃ好きで、おとんにこれテープに録りたいって言って、テレビとラジカセつないで録音したりして音楽聴いたりはしてましたね。おとんが音楽好きで、CDコンポみたいな、子供からしたら割と高級なやつを使ってるっていうのがあったんで、もらって。学習机から勉強する本とか全部どけて、コンポを上の棚にドーンと置いて、配線とか自分でやって、そこで音のローとかをこれなんなんやろっていって、自分で音楽聴きながら変えたりして」

■それ、立派なイコライジングじゃないですか!?

「そうそう(笑)。意味わからんけど、こここうやったらこんな音鳴るんやって、小学校の時やってて。自分の好きな音を探すのにハマったんですよね」

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text by鹿野 淳

『MUSICA7月号 Vol.135』