Posted on 2016.04.19 by MUSICA編集部

My Hair is Bad、心の奥にある本音のすべてを音楽に曝け出す
メジャーデビュー作『時代をあつめて』リリースを機に、
その核と深部に迫る

俺が「女々しい部分も、愛されたいっていう想いも、こんなに持ってるんだよ」
って並べることで、「それは私も持ってます」って相手にも出してもらえた時、
「ほら見ろ!」っていう気持ちになるんです。……そこに安心があるっていうか

『MUSICA 5月号 Vol.109』P.68より掲載

 

■インタヴュー、楽しみにしてました。

「よろしくお願いします!」

■自分の弱いところ、情けないところ、イタい本音などなどを自分から曝していくような歌を歌われる方だなと思って聴かせてもらってるんですが、椎木さん自身は、このバンドの歌と音楽をどう捉えられてるんですか。

「うーん………それが、自分で本当に答えられないんですよ。特に近頃、スペシャ列伝ツアーを回りながら、自分達が知ってるライヴハウスじゃない場所で1ヵ月間3バンドと一緒にやって、そこから元々やっていたライヴハウスに戻ってみた時、『あれ、俺らってどんなライヴしてたっけ?』って、元々いたライヴハウスとのズレが出てきちゃったんですよ。列伝ツアーを回っている時とかは特にですけど、何か大きいものとか強いものに対して立ち向かって噛みついていくのがMy Hair is Badだと思ってたんです。だけど、噛みつくだけが武器じゃないバンドだったよな?っていうことを自分達に対して思ったし、曲でも歌でも、もっと丁寧に伝えることを大切にしてきた部分もあったのがMy Hair is Badだったよなって。だから、奇を衒うよりも、もっといいところを思い出さなきゃなって最近はよく考えるんですよね。……ただ、よくも悪くも日によって違うもんになっちゃうっていうブレが特に強いバンドだなっていうのは自分でも思うので、なおさらこういう歌です、っていうのが上手く言えなくて(苦笑)」

■日によって違うというか、予定調和がまったくないライヴをしますよね。その日の自分を正直に遺す日記みたいなライヴをするし、それが、ライヴバンドとして状況が過熱してきた要因だと思うんですけど。

「ああ、なるほど。……でも、こうやって訊かれてみると、自分達がどういうバンドかっていうのはここまで全然考えてこなかったなって。バンドっていうもので表現してることに対して自覚的なものがないんですよね」

■じゃあ、椎木さんは自分の何を外に出したくて歌ってる人なんですか?

「……今まで、『narimi』っていうアルバムや『一目惚れe.p.』でも、赤裸々な表現をしてきたとは思うんですよ。だけどそれは、自分の中では役者な部分もあるんです。だから、自分にとって歌を歌うっていうのは、もっとカッコいい自分になりたい、もっと調子に乗りたい、褒められたい、っていうところばっかりなんじゃないかなって思いますね。そもそもバンドを始めた時も、モテたい、目立ちたい、それまでやってた野球を辞めて坊主を避けたい、っていう動機だけだったんですよ。だから、それがそのまま続いてるだけな気がしていて。当時も音楽は好きでしたけど、音楽をやりたい!っていうよりは、モテたい!みたいな気持ちで高校2年の時に組んだのがMy Hair is Badなんですけど」

■ちなみに、当時はどんな音楽が好きだったんですか?

「やっぱり核にあるのは、ELLEGARDENなんですけど。今でも、そこに還れば大丈夫だ、っていう存在がELLEGARDENなんですよね。何かに迷った時でも、『これがカッコいいよな!』って思える存在だし、あのカッコよさは自分の中でずっと変わらなくて」

■音楽的な面でもELLEGARDENの影響は強く窺えますけど、椎木さんにとっては、エルレの何が一番グッときたんですか?

「もちろん、入りはメロのよさとか曲のよさだったんですけど、歌詞の和訳の素晴らしさに感動したんですよ。英語の歌が多かったですけど、それを和訳で読んだ時に、凄く綺麗に描写されてるなと思ったんです。ELLEGARDENって、英語の訳の文章も細美さんが書かれてますけど、それが他の方とはまったく違う書き回しだったんですよね。なんか、細美さんの歌詞って……やたら、『彼女がいなくなる』んですよね。<She’s gone>な歌詞なんですよ。いなくなった彼女を思いながら、残された歯ブラシを見つめてたりとか。そういう情景描写が好きだったんですよね。そこに凄く影響を受けたと思います」

■なんで、<She’s gone>な歌詞がグッときたんだと思います?

「なんでなんですかね………たとえば、その歌詞の核にある意味を知るまで、みんな好きにモッシュして、ダイヴして、暴れるわけじゃないですか。だけど、そうやって人が好きに騒いでいる曲は、凄く個人的な女性の歌だったりするっていう。そこに力を感じたんです。だからそれに影響されて、高校の時に自分が書いた曲を見直すと女の人の歌とか、恋の歌ばっかりなんですよね。そういうきっかけで音楽を聴き始めたから、インディーズの頃のback numberを聴いた時に『こういう歌なら、自分の中にあるものでわかりやすくできる気がする』って思って、日本語の歌を大事にするようになっていったんですけど」

■それはつまり、モテたいと思って始まったバンドではあるけど、ただギター背負ってるだけで満足するんじゃなくて、自分のこととか自分の人生を乗っけた歌を書きたいっていう願望が最初から強かったということ?

「ああ、そうですね。やっぱり、モテたい!っていう気持ちがずっと核にあったからこそ、自分がカッコいいと思う人の真似をして、自分にしかできない表現をしている人間になりたかったんです。で、僕の場合は、やっぱり情景描写が鋭い人や、美しい言葉を書く人に憧れたんですよ。だから、バンドを一生懸命やってる!っていうよりは、ブログとか、歌詞を書くことのほうが一生懸命やってたかもしれないです」

■そこではどんなことを書いてたんですか? たとえば、今こうして歌っているように「誰か」への恋心を綴ったりしてたんですか?

「そこで書くことについては、恋だけじゃなくてまちまちだったんですけど――だけど、それを赤裸々に日記みたいに書けた時、恥ずかしさがありつつ、それを見てもらいたい気持ちもあったんです。で、自分でも『こんなこと書いちゃうのか俺は』って思ったり、思っていてもなかなか言えない、自分だけの秘密を外に出していくのが快感だったというか……高校の頃って、特にひとりで音楽を聴いて、ライヴハウスに行って、人と違うことをしていたくて。だけど、夜バイクに乗って、タバコを吸って、悪いことをする――みたいな勇気はなく。そういうものの中で、何か変わっている自分でいたかったから、普段はあんまり言えないこととか、言っちゃいけないことを赤裸々に書くのが魅力的だったんですよ」

(続きは本誌をチェック!

text by矢島大地

『MUSICA5月号 Vol.109』

Posted on 2016.04.19 by MUSICA編集部

キュウソネコカミ、インテックス大阪公演密着!
自身最大規模のワンマンで見せた
リアルドラマの一部始終をおくる

決死&決起の晴れ舞台にして大勝負、
インテックス大阪2デイズ&幕張メッセイベントホール2デイズ、完遂!!
まさに窮鼠猫を噛むように体当たりで壁をぶち破り、
試練もドラマへと転化したまさかの感動的な4日間!
波乱の大阪初日完全密着に加え幕張最終日も目撃し、
その一部始終をメンバーの肉声と共に届けます!

『MUSICA 5月号 Vol.109』P.48より掲載

 

「キュウソネコカミがインテックス大阪と幕張メッセイベントホールで初のアリーナライヴをやる、しかもそれぞれ2デイズで」

――初めてその話を聞いた時はびっくりした。正直言って、今のキュウソの勢いをもってしてもさすがにそれは無謀じゃない?と思ったし、それぞれ1公演ずつにしたほうがいいんじゃない?と非常に現実的なことも思った。でも、そういう側から見たら無謀に思えることに敢えて挑戦してしまうところがキュウソらしいしキュウソチームらしいのかもしれないと思ったのも、また正直なところだったりする。残念ながらやっぱり全公演ソールドアウトには至らなかったけど(そりゃそうだ、いきなり規模広げ過ぎ!)、でも今回の挑戦はキュウソにとってとても意味のあるものになった。それは単純にアリーナライヴの闘い方を覚えたということ以上に、キュウソネコカミのライヴの肝って何? 武器って何?ということを、順風満帆なだけではなかったこの4日間の中でもう一度見つめ直すことができたはずだから、だ。

 1月から行われたワンマンツアーの追加公演として開催された『DMCC-REAL ONEMAN TOUR- EXTRA!!!』。その大阪初日に密着した。

 

 3月12日11時30分、関西ロックキッズには年末のフェス「RADIO CRAZY」でもお馴染みなインテックス大阪に、メンバー到着。今も西宮在住の彼らはこの日も自宅から来たらしい。もちろん!という返事が来るだろうと思いながら「準備万端?」と聞くと、メンバーからもスタッフからも異口同音に「いや、まだ全然バタバタしてます」という言葉が返ってきて思わず苦笑。特にセイヤは「今日初披露する新曲の歌詞まだ書けてないんですよ! ヤバいんすよマジで!!」と焦り気味の表情だ。え、まだ歌詞書いてない? 開演まであと……5時間30分? しかもその間にはがっつり3時間のリハもある。い、いつ書くの……?

 楽屋に入り、リハまでの時間をランチしたり細々とした準備をしたりと、それぞれに過ごす。セイヤとオカザワはすでに販売が始まっている物販エリアの様子を見に外へ。普通に一般エリアを歩いてたんだけど、まだ午前中で人が少なかったからなのか普通にスルーされたのかプライベート(?)を邪魔しないファンの愛故なのかはわからないけど、セイヤもオカザワも特に声をかけられることなく楽屋帰還(笑)。

 楽屋に貼られているセットリストを見ると、初日と2日目では内容がガラリと違う。もちろん両日参加するオーディエンスに対する配慮もあるだろうが、そもそも「同じことはやらない!」を信条にするキュウソらしい組み方だ。具体的には2日目が先のワンマンツアーのセットリストの展開版であるのに対し、初日の今日はマニアックな曲含め初期の楽曲の配分多めなセットリストになっている。シンノスケ曰く、「いつものキュウソのライヴっぽいというか、踊らす曲が多いのが初日で、もうちょっとエモくてしんみりさせるところもあるんだぞってところを見せるのが2日目」。

 12時30分、ステージ両サイドに描かれた2匹の巨大なネズミくんに見守られる中、リハがスタート。すでにゲネや前日リハも済ませているためサウンド面・演奏面は特に問題はないのだけど、かといってなかなかスピーディーにはリハが進んでいかない。何故ならば、様々な演出の段取り確認や調整に時間がかかるのだ。最初に始まったのは「セイヤとシンノスケのチャンバラ確認」。ツアー本編ででやっていたライトセーバーから日本刀へ、効果音もス☆ー・ウォーズからキル・★ルに変わり、ステージ上で合戦を繰り広げるふたり。そのライトのタイミングや見え方を細かく確認するのだけど、フロアから日本刀が見えづらいんじゃないかとか光はこの瞬間に当てるほうがいいとか様々な意見が出て、結局ライトセーバーに戻したり……といった具合で、メンバー主導で細かな確認と改善を重ねてる。“Scary song”では某名作アニメの業火を噴くアレにセイヤが変身。段ボールで作ったとは思えない衣装(というか舞台セット)の見事過ぎる出来栄えに歓声が上がる。なんとコレ、2日前に決まって急遽昨日はいからさんが制作したらしい。音楽業界で段ボールアート作らせたらはいからさんの右に出る者はいない。

 ……なんだか音楽のライヴのリハを観ている気があんまりしない。が、間違いなくキュウソネコカミのリハを観ている実感はある。

 某RPGよろしく宝箱からヘッドセットを取り出したり、「めっちゃムズい!」と言いながらセイヤが大竹馬でフロアを闊歩したりといった様を楽しく見守っていたのだが、やがて聴き慣れないイントロが轟く。新曲のリハだ。今までのキュウソにはないタイプのゴリゴリギャンギャンなヘヴィロック的サウンドに関西弁のセイヤのアジテーションが迸り、サビでは宇宙戦艦ヤマトとかで流れてきそうなアニソン系の哀愁メロディへと展開する。どうやら「地球」をテーマにした楽曲らしい。

 15時30分、予定通りリハ終了。

 この日、楽屋にはふたつの簡易ベッドが用意され鍼&整体師さんが待機していた。ひとつのベッドにはセイヤ以外の4人が代わる代わるマッサージを受けていたのだけど、ひとつはほぼセイヤ専用で、その首から顔面〜頭部にかけて、「えっ!」というくらい大量の鍼が刺され、さらに頭部の鍼には電流が流されている。実はセイヤは数日前から風邪によって喉が腫れてしまい、そのケアなのだ。先ほどのリハではちゃんと歌えていたが、ゲネでは声を出せなかった日もあったらしく、リハ後、たっぷり鍼治療が行われていた。

(続きは本誌をチェック!

text by有泉智子

『MUSICA5月号 Vol.109』

Posted on 2016.04.17 by MUSICA編集部

SKY-HI、
確かな意志と野心を漲らせる彼とのファーストコンタクトで、
その信念と核を徹底究明する

ラッパーとしては、
AAAやってることもコンプレックスや劣等感の要因になり得ますし、
俺のルックスが二枚目であることもそう。
このキャリアとこの顔だけで、曲を作ってると思ってもらえないですから。
そういう根っこは昔からあって、それをひっくり返してくれたのがヒップホップでした

『MUSICA 5月号 Vol.109』よりP.40掲載

 

■この前ライヴを見せていただきましたが。SKY-HIでやってることって、人生はショーでもありリアリティでもある、ショーとリアリティっていう、ある意味真逆にあるものが同列に進んで行くのが人間という矛盾をはらんで生きるものだ、みたいなものを感じました。で、先日リリースしたアルバム『カタルシス』は、それを音像化していったヒップホップショーだと思うんですよ。

「ありがとうございます、確かにそうですね」

■そんな今の日高くんというかSKY-HIがあるのには、外的要因と内的要因があると思うんです。外的要因は、世の中があなたのことをどういうふうに認知してキャッチしたのかってこと。内的要因は日高君自身がどう変わったのかっていうことなんですけど。まず内的要因としては、なんで『カタルシス』がこんなにも前作の『TRICKSTER』(1stアルバム)と比べて、いきなり覚醒するような作品を作れたんですか?

「自分に対して諦めなかったからっていうのが1個あるんですね。『カタルシス』でやってることって実は『TRICKSTER』でも同じようなことをやろうとしてて。『TRICKSTER』やった時に広がってない感じ、それこそ評価を得られてない感じがしたから、そこから目を背けなかったというか。その理由をもう1回自分で考えて、作り方が変わったっていうのはあります。『TRICKSTER』の時はソングライティングっていう意識は低かったですね。あの頃は人が作れない楽曲を作ることに、それこそカタルシスを感じてたところもきっとあるし、絶妙な落としどころの楽曲を作る、それを並べてメッセージを渡すみたいな作業に対して喜びを感じてたと思うんですけど、『カタルシス』は曲単位ではなくて、アルバム全体でそれをするために明確なメッセージを、Aって書いてAを渡すというよりは、Aの周りを塗りつぶしてAを浮かび上がらせたり、『B、C、B』って書くことによって次にAが来るんじゃないかって思わせたりとか、そういう作品の作り方をしようと思ったし、それができたんです。もちろん今回は格段に音像や旋律の流れも緻密に計算したんだけど、『TRICKSTER』でメッセージが伝わり切らなかった要因があるとしたら、1個は自分のリリシズムに足りなかったところがある。聴き終えた時の満足度が『楽しい』に負けちゃうというか。もうちょっと強みのあるものを打ち出したつもりだったんだけど、その強みの部分はそんなに伝わらなかったなと思って。つまり音像の振れ幅にリリックが見合ってなかったから、バラエティで楽しい部分のほうが勝っちゃってたっていう。音像の振れ幅のほうが面白くて、リリシズムが単極で終わってたんですかね。卒業のタイミングで好きな子に『好きでした』って言う時に、たぶん『TRICKSTER』は『好きでした』って言ってて、『カタルシス』は初めて会った時からなんで好きかとか、どのくらい好きかとか、ひょっとしたら実はそのあいだ他の女の子とつき合ってた時期もあるんだけど、それでも忘れられなくてっていうのがちゃんと込められているラブレターなんじゃないですか(笑)」

■要するに人という背景がそこに入ってるものね。

「そうですね、背景も当然そうだし、責任感? その人の人生すべて……聴いてくれるっていうことは、その時間を俺に割いてくれるってことじゃないですか。だから俺は大げさじゃなく、人生をある程度分け与えてもらってるという自覚があって。それに対して責任を持つ覚悟は『カタルシス』を出す時のほうが遥かに強いです。『TRICKSTER』を出して、アルバムを聴いてライブに来てくれた人を見た時に芽生えたものだったかも」

■その人の目には何が映ってたんですか?

「俺自身が映ってたんですよ。あー、ライヴって、目の前の人達って俺を映すんだと思って。その感覚って、ともするとステージに立つ時間が長い人ほど当たり前にしてしまいがちな光景の気がするんですけど、人の目に自分がいるっていうのは。それは時間の長さに関係なく、そのエネルギーとか労力とか、気持ちの動きっぷりを自分に委ねてくれてるっていう。その貴重な時間をもらっておいて、もし気持ちを動かせられなかったら、それ責任だいぶ重大じゃないですか。だから絶対にもらったぶんの時間は利子つけてちゃんと気持ちで返したいし、それをし得る実力があるっていう自負もあったし、それをやりにいくっていう責任とか覚悟とかそういうものが自然と生まれてきました」

■自分が表す音が、時には膨大なボキャブラリーの中のひと言だけでさえ人の人生を変えちゃうし、その人自身の自我が自分の音楽から発されることもあるんだなっていう話だと思うんですよ。長いキャリアでいろんなことをやってるわけじゃないですか。たとえば僕はアイドルに取材をしても音楽的な背景と表現欲求や世界観がわからないから、何を訊いていいかわからなくて遠慮しがちですが、でもそういう人達がどれだけ腹が据わってるのか、どれだけ頑張り屋さんなのか、それによってどれだけ独特の宗教性であるとか、人生を変えちゃうものがあるのかっていうのは十分わかってるつもりなんです。

「偶像崇拝ですもんね、アイドルって言葉自体が」

■日高くんはAAAでそれをやってると思うし、その実感を体験もしてると思う。でもそれとは違うものがこのSKY-HIの中でどうあったのか。プラス、自分自身が夜な夜なクラブに行ったり、フリースタイルやったり、ヒップホップのドープな部分に触れていく理由とそこはどうつながってるのかを教えてください。

「10代後半の最初にクラブシーンに傾倒したラッパーとしての自我が芽生えたっていうのは、本当にしたかったからとしか言いようがない。好奇心の赴くままにですね。2006年にたまたま国内で刺激的なヒップホップの作品が連続的にリリースされ、たまたま俺がそれを渋谷のタワレコの2階の奥のスペースで聴いて、たまたまライヴとかがある場所が近かったから、たまたま行って。たまたまそのまま通うようになって。おのずと自分でやるようになってっていうスタートに関しては好きだったからとしか言いようがないですね。それで結局、昼間はAAAやって、夜はSKY-HIという名前でラップしてっていうのが数年間続くんですけど」

■その言い方凄いね、夜中の顔みたいな感じだね。東電OL殺人事件の当事者みたいだね。昼間はOL、夜は売春婦みたいな。

「そうですね。苦学生のキャバ嬢みたいな感じ(笑)。でもべつに苦学生のキャバ嬢もね、嫌だけど仕事してるとは限らないだろうし、嫌だけど勉強してるとは限らないだろうし。極端なこと言えば嫌だったらどっちかやめちゃえばいいわけだから。スタートはほんと単純で純粋で。だし、原理主義みたいなところもあったし。若い割には頭固かったような気もするし(笑)。だからこそ自分に対して許せないこととか、責任を持ちたいことはたくさんありました。『自分の生きてきた轍みたいなものに誇りを持たないことには人様に言葉を投げかける存在として間違ってると思う』、そこがたぶんスタートかな。その次にプライドが来るのかな。誇りとプライドは近いようでたぶんちょっと違くて。まず最初にその誇りがあって、その次にプライドが来たとして、俺は誰からもナメられないためにラップが他の人より上手い必要があったし。好きだから通ってるわけだから、ナメられたりアイドル云々とかなんか言われたとしても、行かなくなるわけがないじゃないですか、だってそこが大好きなんだから。でも何か言われることに対して、時には言い返さなきゃいけない時があって。わざわざ毎回言い返す必要もないんですけど、その時にまず技術が必要になっくるでしょ? だからラップ上手くならなきゃいけないし、そういう意識は常にありました。今も持ってます。でも音楽として好きになっていく背景と、それは別ものでした。ヒップホップ好きになってからいろんな音楽好きになりましたし、ブラックミュージック中心でしたけど、自分の中で偏見をなくすために、いかにヒップホップがいてくれたか、みたいなのはあるかもしれないです」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA5月号 Vol.109』

Posted on 2016.04.17 by MUSICA編集部

04 Limited Sazabys主催、「YON FES 2016」。
2日間の熱狂とそこで見えた確かな未来像を
レポート&インタヴューでおくる!

04 Limited Sazabysが、
時代を共に疾駆する仲間と描き出した念願の「YON FES」。
全力の青春とライヴバンドの誇りと
バンドロマンの煌めきが投下され続けた爆心地、
その渦のど真ん中から熱狂レポートを綴る!
そしてインタヴューで語り合う!

『MUSICA 5月号 Vol.109』よりP.8掲載

 

昨年の7月に『CAVU』tour・名古屋公演の密着取材をした際、実は4人からすでに「来年の春、フェスをやりたいんです」「絶対ここでやりたい!っていう場所がひとつあるんです」という話は聞いていた。『CAVU』以降一気に加速した状況や動員を考えれば、野外の大規模ワンマンだって、アリーナクラスのライヴだって切れるはず――その時はそんなことも思ったが、よくよくフォーリミ4人が放つ強烈な青春感の源泉を考えれば、「バンドとして主催するフェス」を興すことへの並々ならぬ夢がハッキリと浮かび上がってくる。Hi-STANDARDがAIR JAMで生み出したパンクとストリートカルチャーの融合や、10-FEETが京都大作戦から放ち続ける「仲間と地元ライヴハウスへの巨大な愛」、そうして無謀なほどの夢を掲げて自分達だけの遊び場とムーヴメントを遮二無二ハンドメイドで作り上げた先人達への純粋過ぎる憧憬が、04 Limited Sazabysが放つ無邪気な衝動と熱い遊び場感のルーツにあるものだ。だから、バンドとしての夢を叶え続けてきた先の大きな階段が、迷いなく「フェス」になったのだろう。

さらに両日のラインナップを見てみると、「同世代」「地元・名古屋シーンの盟友」というキーワードが色濃く見えてくるブッキングである。フォーリミ自身もたびたび「この世代がシーンを引っ張っていくんだと示したいんです。それによって、地元の人にもっとバンドに憧れて欲しいし、お世話になってきたライヴハウスや名古屋のシーンに還元したい」と口にしてきた通り、名古屋のメロディックパンクシーンから飛び出し、音楽的な解放と変化と試行錯誤を繰り返しては仲間を増やして駆け上がってきた04 Limited Sazabysのドラマがひとつの輪になって結実したのが、この「YON FES」だったのだと思う。

では、04 Limited Sazabysにとっての「世代感」とは何なのだろう。

GENは以前から「僕達の世代は、もうCDを出しても売れないっていう現実もリアルに見せられてきた世代だと思うんです」と話してきてくれた通り、ライヴハウスシーンのCDセールスもかなりの勢いを誇っていた世代を見て、バンドへのロマンを抱いて育った時代がまずあって。しかしそのうちに、マーケットの中心が次第にデジタルへ移行し、音楽に手軽さとわかりやすさが重視されるようになって、耳にタコができるほど「CDは売れない」と嘆かれるようになった時代を今体感している。僕も彼らとまったく同じ世代だからわかるが、その時代の狭間を物心ついた状態で体感してきたのが、フォーリミの世代なのだと思う。そしてだからこそ面白いのは、「CDが売れない」という現状でも憧れを追い、自分達にしか出せない音・自分達にしか表現できないライヴを追求し、その結果、パンクシーンやギターロックシーンに括られながらも、どこかひとつ角が出たオルタナティヴな音楽性を持つ自由な感性のバンドが次々に頭角を表してきたのが、まさに今なのだ。

事実、この2日間モリコロパークに鳴り続けていた音楽は21バンド21様のバラバラ具合だった。しかし、これまでのフォーマットやそれぞれのルーツに対して各バンドが圧倒的に自由であることこそが、この世代の絆なのである。そういう、個々の闘争宣言のようなライヴで熱いバトンが繋がれていく様は、まさに「ただの最高の屋外ライヴハウス」だったし、その光景にこそ、このフェスをオーガナイズした04 Limited Sazabysというバンドのアティテュードと人柄が映っていた。

たとえば1日目の両ステージのトップバッターを任された、地元・名古屋の盟友BACK LIFTとSpecialThanksのライヴもまさにそういうもので。特にKICHIKUは「フォーリミが俺達にトップバッターとしてこの景色を見せてくれたことが感慨深い」と話したが、そのフォーリミの想いに応えるには、ただひたすら自分達の音楽と色を放っていくことこそがこのステージに立つ意味であり、フォーリミへの最大の敬意なのだと明確に理解しているような、熱量高い歌をどこまでも伸びやかに飛ばすアクトを魅せた。そしてさらに、THE ORAL CIGARETTES、Brian the Sun、HAPPYという、「スペシャ列伝JAPAN TOUR 2015」をフォーリミと共に回った仲間達も集結。まるで同窓会のような団欒が広がっているのを見たKOUHEIが、「バックヤードはまさに同窓会みたいにしたかったから、嬉しいです。……だけどみんな、ライヴはスゲぇ気合いを見せてくると思う」と話したが、その言葉通り、ORALはリハ・サウンドチェックから一気にギアをトップに入れ、そのまま雪崩れ込んだ本編でも、ひたすら拓也の歌とアンサンブルがデッドヒートを繰り広げるようなアクトを叩きつけた。それをステージ袖で見ていたGENは、「本物感がヤバいっすね」とこぼしていた。ただ、そうした刺激と真剣での斬り合いが繰り広げられていたことこそがこのフェスの楽しさの肝で。多くのバンドのライヴで、フォーリミへのリスペクトや初開催を祝う言葉はあっても、その音の目つきは徹頭徹尾鋭かったのである。そんな光景と、多くのバンドがステージ上で話した「フォーリミとは、全然お客さんが入ってなかった頃からお互いに切磋琢磨してきた」というライヴハウスバンドならではのMCが重なって、同窓会にしては熱すぎるドラマが連打されていった。

(続きは本誌をチェック!

text by矢島大地

『MUSICA5月号 Vol.109』

Posted on 2016.04.15 by MUSICA編集部

銀杏BOYZ、新たな始まりを告げる
シングル『生きたい』リリース。
峯田の決意と覚悟を問う

自分のこと「アーティスト」ってあんま言いたくないけど、
ひとりの「アーティスト」として、今回の“生きたい”をまずやっつけねえと、
なんも始めらんねえっていうか。
俺自身にとっても、「銀杏BOYZどうなってんだ!?」ってファンに対しても、
これはケジメなんですよ。
銀杏BOYZとして本当の新しい一歩を踏み出す前に、
絶対この曲を歌わなきゃいけなかった

『MUSICA 5月号 Vol.109』より掲載

 

■昨年も映画関連の仕事でインタヴューはさせてもらいましたが、『MUSICA』でインタヴューをするのは2年ちょっとぶりになります。

「アルバムの時以来?」

■そう。

「銀杏で2年っていうのは早いね!」

■自分で言いますか(笑)。

「なんでも訊いて。音楽の話じゃなくてもいいし」

■今日は音楽の話をしますよ!

「(笑)」

■『光のなかに立っていてね』と『BEACH』、2年前にアルバムを出して、そのあとひとりになってしまったことでツアーとかはできなかったけど、作品は絶賛で迎えられました。

「そうなの?」

■そうですよ(笑)。

「自分としては、あの作品を持って、一緒に作ったメンバーと日本全国をツアーして回れなかったこと、それがとにかく無念だった。2年前のインタヴューの時は、それがとにかく悔しかった」

■うん。

「だから、この3月に『愛地獄』ってライヴ映像作品を出したのも、それの代わりっていっちゃなんだけど、『俺ら4人はこんなだったんだよ』っていうのをちゃんとしたかたちで残したかったからなの。ドキュメンタリーとかは一切入れないで、ライヴ映像だけの2枚組で。『光のなかに立っていてね』の銀杏BOYZを感じてもらうことができなかったファンに、映像だけでも観てもらいたくて」

■なるほど。あの作品をこのタイミングでリリースしたのには、そういう理由があったんですね。特にDISC 2に盛岡公演の全編が収められてた2011年の東北ツアーは、『光のなかに立っていてね』に最も近いサウンドを4人で鳴らしていたライヴだった。

「あの東北ツアーは4ヵ所でやって、3公演目の前の日かな、みんなで被災地のボランティアに行って、ホテルに戻ってきて『みんなでゴハンでもいくか』ってところで、アビちゃんが思い詰めてたのかな、ホテルの部屋に残って。『あぁ、明日のライヴに向けて、気合い入ってるな』って思ったのを今でもよく覚えてますね。それで、DVDに収められているのは最後の4公演目だけど、3公演目と4公演目はすっごく手応えがあったの」

■その時は誰も想像してなかったけれど、それがあの4人での最後のライヴになってしまった。

「そうだね」

■ある意味、あの4人の銀杏BOYZとしての到達点と言えるような、壮絶なライヴでしたよね。今思えば、それはものすごくセンシティヴでフラジャイルなバランスで成り立っていたのかもしれないけど、あそこにいたのは間違いなく『光のなかに立っていてね』の銀杏BOYZだった。

「あの時点で、アルバムのレコーディングも半分は終わっていたからね。で、東北から東京に戻ったその足で、そのまま“ぽあだむ”をレコーディングした。だから、もうかなり光は見えてきていて、『もうそろそろレコーディングが終わるな』って思っていたんですけどね。あの時は……」

■今回リリースするシングル『生きたい』は、どのタイミングで作った曲なんですか?

「この曲も、あの時に東北ツアーから帰ってすぐに書いた曲なんですよ」

■あ、そうなんだ。でも、アルバムに入らなかった。

「その時点で、アルバムに入れる曲はもうほぼ決まってたの。あとは録るだけで。それとは別に、新たに作り始めたのがこの曲。だから、最初の段階では震災直後の日本についてだとか、原発のことだとか、そういうことについてもっと書いてた。曲名も違ったし」

■そっか。

「それが、時間が経つにつれてだんだんパーソナルな歌になっていった」

■最終的に完成したのは?

「去年の5月。VIVA LA ROCKに出る直前。歌詞が完全にできたのは、VIVA LA ROCKに出る前の日、ほとんどその日の朝だった。そのまま会場行って歌ってやろうと思って。確か、MCでも言ったんだよな。『昨日できたばっかりの曲をやります』って」

■ということは、足かけ4年。リリースまでは足かけ5年。

「いくら俺でも、1曲にそこまで時間をかけることはあんまりないんだけど。この曲はそれだけかかった」

■この“生きたい”って曲は、銀杏BOYZの歴史で言うと、“人間”“光”に連なる曲だと思うんですけど。

「そう。作り始めて2年くらい経って、もっとパーソナルな曲にしようって思った時に、『あぁ、これは“光”と繋がる曲なんだな』って気づいて。そこから、『3番(曲の終盤)はバンドで鳴らさないと』って、そこまで見えてて」

■なるほど。いや、思うんですけど、やっぱり“人間”“光”“生きたい”のラインっていうのは、銀杏BOYZの他の曲とはちょっと違うチャンネルというか、より峯田くんの生理に近い特殊なメカニズムから生まれてくる曲だと思うんですよね。

「うん。だから、ライヴでやるのも、“光”ができたら“人間”はもうやらないし、“生きたい”ができたら“光”はもうやらないし」

■まぁ、フェスやイベントで“生きたい”をやると、4曲くらいしか聴けないんですけどね(笑)。

「長いからね。でも、これをやらなきゃ気が済まないっていうのがあって――」

(続きは本誌をチェック!

text by宇野維正

『MUSICA5月号 Vol.109』

Posted on 2016.04.15 by MUSICA編集部

[Alexandros]、
ニューシングル『NEW WALL/I want u to love me』リリース。
川上洋平、充実と挑戦の「今」を語る

ウチらはロックというひとつのジャンルを
楽しんでるわけじゃなくて、
音楽というもの自体を楽しんでる。
だからこそ、頭に思いついたメロディや音を
具現化するためには方法を問わない――
[Alexandros]はそういうバンドなんだって、
よりクリアになった部分はあるかもしれない

『MUSICA 5月号 Vol.109』より掲載

 

(前半略)

■今回は“NEW WALL”と“I want u to love me”という新曲2曲が世の中に出て行くわけですけど。“NEW WALL”は、年末の幕張メッセで「まだ完成前だけど」と断りを入れつつ披露した曲でもあって。さっき“Girl A”と同じくらいにできたって言ってましたけど、着想としてはどんなイメージだったの?

「マネージャーとあることについて話してる時に、頭の中に<Hello New Wall>っていう部分がふわっと浮かんだんですよ。で、その場で『あ、ちょっと思いついたんで歌ってみますね』って歌ったら、『それよさそうじゃん!』って言われて。そこからすぐメンバーで作って、1週間ぐらいでもうほとんど今の形になったんですよね」

■さっきも少し話したけど、この曲は今までだったらギターがカウンターメロディ弾いてたところをストリングスが担っていたり、アレンジの考え方がストリングス主体になってますよね。そういうサウンドとあのリズムパターンによって――。

「ずっと7拍子で進んでいきますからね(笑)」

■そうそう。で、それによって今までにないタイプの高揚感と祝祭感が広がる曲になっていて。どうしてこういうサウンドになったんですか。

「作ってる時にこれはストリングスがいいなと思ったんですよ」

■それはどうして?

「単純にその時ストリングスモードだったんでしょうね(笑)。『ALXD』で結構ガーッとやってたし、同時期に作ってた新曲が“Girl A”だったから、そういう激しさではなく、もう少し品がありつつも、ちょっと土臭い雰囲気の音を求めてたんだと思います。リフができた時にはもう、頭の中ではそのリフのメロディラインがヴァイオリンで鳴ってたんで。リードギターの歪んだ音だったりピアノのクリア過ぎる綺麗な音よりも、もっと直接涙腺だったり感情を揺さぶる楽器が必要だなと思ったんで。だからいやらしいまでにストリングスでいいと思ってましたね」

■歌詞に関しては、“NEW WALL”というタイトルに示唆されている通り、目の前に立ちはだかる壁に挑んでいく、その意志と、そうやって歩んでいく人生を愛し、肯定する内容が歌われていて。『ALXD』以降の [Alexandros]の新しい一歩として、また決意を新たにしていく宣言のようになってるよね。

「一番最初はそういうつもりで書いてたわけではないんですけど、結果的にそうなりましたね(笑)。だから何をしても、どんなこと書いても、想いがあればそこに繋がるんだなっていうのは実感しましたね。だから不安要素がなくなりましたね。意志さえあれば、自ずとそれが歌に出ていくっていう。そこに対して不安に思うことはなくなりました。……でも話が戻りますけど、この7拍子は俺も最後まで悩んだんですよ」

■どうして?

「僕は凄い好きなんですけど、やっぱりノリづらいですよね(笑)」

■あー、まぁそれはそうかもしれないね。

「この前、大阪と名古屋のライヴで“NEW WALL”を初披露したんですけど、『新曲めっちゃよかったです』って言ってくれた割には、映像見返しても誰もノってないんですよ。新曲だからかなと思ったんですけど、“I want u to love me”はめっちゃノリノリだったから。これからどういうことになるんでしょうね」

■でも、たとえばぴょんぴょん跳ねられないから高揚してないっていうわけではないじゃない? 一緒に跳ねられる高揚感とはまた違う、でも凄く大きな高揚と多幸感が広がる曲なわけで。

「そうですね。だからノリづらくても別にいいんですよね。それにたぶんこの曲のリズム的な部分は、出した後にだんだん浸透していくんだろうなとも思いますし、これ、幕張のファイナルでやった時、めちゃくちゃ楽しかったんですよ。とにかく自分達自身がこの音を楽しみながらやることができて。我々は今、ライヴでもそこに重きを置いてるなっていうふうに思うんですよね。“ワタリドリ”の時はどんだけ跳ねさせるかとか、そういうことのほうが重要だった気がするんですけど、“NEW WALL”はちょっと違う。どれだけ歌わせるかとか、どれだけこの音に輝きを見出させるかとか、そっちのほうに集中するべきなのかなと思ってます」

■それは凄く意味のある変化だと思う。そういうトライをしていくことってバンドとして次のステージをめざす時にもの凄く重要だと思いますよ。

「確かに。そこは新しい感覚が自分の中で芽生えたかもしれないですね。……今日のインタヴュー楽しいな、自由に話せて(笑)」

■それはよかった(笑)。で、一方の“I want u to love me”は最初に聴いた時、「これは“Dracula La”の続編的な楽曲だな」って思ったんだけど。

「そうそうそう、これはまさに」

■そこは“Dracula La”と同じく『女くどき飯』の主題歌であるっていうことも関係しているの?

「でも、この曲自体は『女くどき飯 Season2』の話が来る直前から作り始めてた曲だったんですよ。で、その時はめっちゃくちゃショボい音源だったんだけど、『なんかこのチープ感いいな』って思って。なんかちょっと情けない感じがするところが凄い病みつきになっちゃって(笑)。で、そんな時にタイアップのお話をいただいて、じゃあこれどうかなと思って作っていったんですけど。どことなく頼りない雰囲気が見え隠れするのはそのせいかもしれない。最初は情けない曲を作ろうと思ってたから」

■なんで情けない曲を作りたかったの?

「その時、バッキバキな曲か、あるいは“NEW WALL”みたいなふわっとした曲を作ってたから、なんか『オモチャの機材しか使ってません!』みたいな曲を作ってみたくなったんですよね。チープな音をどれだけ集められるかって考えてた気がするな……元々のヤツは子供っぽい感じの曲だったから、それでコーラス隊に子供を呼びましょうってことになったんですけど(笑)。10人ぐらいのプロの聖歌隊的な小学生ぐらいの子をスタジオに呼んで、最後のコーラス歌ってもらったんですよね」

(続きは本誌をチェック!

text by有泉智子

『MUSICA5月号 Vol.109』