Posted on 2014.01.25 by 有泉智子

遅れましたが新年のご挨拶に代えて。

今更だけど、Dragon Ashが出た回の日テレ「LIVE MONSTER」を観た。
OA時に話題になっていたけれど、あの“Fantasista”と、
あれが民放の地上波でOAされたという事実に胸が熱くなった
ステージに向かっていくヘッズ、そんな彼らと拳を交わし合うKj
そして何より、客席に飛び込んで歌い「俺達の歌はお前らのため
にあんだよ!」と咆哮したKj。
おそらく、というか絶対に、
ダイブや演者が客席に飛び込むことは
そもそも収録上はNG事項だったはずで、
それはKj本人も事前に
知っていたはずだ。

でも、そういうことを知っていてなお、彼は飛び込んで歌い叫んだ
言ってみればDragon Ashのライヴにとってはいつもの光景、
だけど、Kjが民放地上
波の収録という制約のある場であれをやったのは、
いつもとは違う
意志と覚悟もあったと思う。

今発売中のMUSICA2月号の表紙巻頭インタヴューの中で、Kjとこんな話をした。

===
音楽は、ロックは、ただの娯楽で終わるものではなく、
そこに自分
自身の日々と人生を投影させることができるものだ。
それは、ロックンロール・ボーイとロックンロール・ガールである私達の絵空事なのかもしれない。
だけど、少なくとも私達はその絵空事が本当のことだって知っていて、
そうやって音楽と共に生きていて。
これを世間に伝えていくのは難しいことだけど、
でも、それを伝え
ることが私達の本望だしやるべきことなんだ。
===

Kjは、そういう気持ちを持っているからこそ、ああいう形で収録に臨んだのだと思う。
そして、それはきっと、あのOAを観た人の
何割かには伝わったんじゃないか。

あの“Fantasista”をルールの下にお蔵入りさせることなく、OAに踏み切ったLIVE MONSTERの製作陣にも心から拍手。

アーティストとメディアでは立場も目的も手段も違うけれど、でも、真ん中に抱えている音楽への想いは重なっていると思ってる。それをもっと鮮やかにたくさんの人に伝えられるように、私ももっともっと頑張らなくては。

もう1月の終わりだけど、みなさん、今年もどうぞよろしくお願いします。(有泉智子)

Posted on 2014.01.17 by MUSICA編集部

天邪鬼に、そして純粋に邁進するSAKANAMON
セカンドアルバムに秘められた世界に深く迫る

 

卑屈なことを書いていくことって、
僕の中で凄くカッコいいことなんです。
みんなが全然笑えない歌詞なのに、
笑顔でそれを見て笑ってるっていうのが好きなんですよ。
それが音楽の力だなっていう気がします

『MUSICA 2月号 Vol.82』P.82より掲載

 

■『INSUROCK』を聴かせてもらったんですが、これまでのSAKANAMONらしいメロディのセンスや衝動性みたいな部分が半分で。もう半分は、いい意味でやりたい放題というか、このバンドが持っているアクとか掴みどころのなさっていうのが際立った作品だなっていう印象を持ったんですけど。

 

「狙い通りですね(笑)」

 

■狙い通りっていうことは、最初からそういう作品を作ろうと思ってたっていうこと?

 

「そうですね。前の『na』を出してからすぐ、次のアルバムはどうしようか?っていうことを考えてたんですけど。『na』って、僕達にとっても初めてのアルバムで、名刺代わりというか、SAKANAMONがどういうバンドか?っていうことをわかりやすく出そうと思って作ったアルバムだったんで。そこでやっぱ『この曲はまだ早い』とか『この曲は初対面ではキツ過ぎるな』って思って、次のアルバムに入れたいなと思ってた曲がたくさんあったんですよ。だから、いわゆるキツいヤツらっていうか(笑)」

 

■独特のクセやアクの強い曲達っていうことですね。

 

「うん。個性豊かな人達をそこに集結させたっていう感じですよね。だから、今回は奇抜めのアルバムになってると思ってます」

 

■じゃあ、割と楽曲もファーストを出してからこの1年で作り溜めてった新しい曲達っていうよりは、比較的前からあったような曲が集約されてる感じなんだ?

 

「あ、でも、そう言われるとちょっと難しくて……『na』はほとんどが昔からやってる曲達ばっかりが入ってたんですけど、リード曲だけ、新しく作って。その時に、1番とサビだけの原型みたいなものをたくさん作って、それ以降はあんまり作ってなかったんです」

 

■候補というか、まだ曲とも呼べないような、本当のデモ段階のラフな素材をいっぱい作ったっていうことね。

 

「はい。で、今回のアルバムのためにそれを肉づけしていったっていう感じですね。だから、昔からあったと言えばあったんですけど、曲としては完成してなかったものが半分というか。で、あとの4分の1はそれよりもっと昔からあるやつで、さらにもう4分の1は、もっと新しい曲っていう感じなんですけど」

 

■じゃあ、『na』を出した直後に次はもっとクセのある部分やドギツイ部分を出そうっていう構想があったこともあるけど、このタイミングでちゃんとそれができるなって思ったのは、やっぱりこの1年間の中でしっかり基本となるSAKANAMONの音楽を提示できたっていう実感もあったからなんですか。

 

「あぁ、それはありますね。提示できたと思います。だからこそ、もっと遊びたいなっていう気持ちもあって、それを今回、頑張って作ったっていう感じです」

 

■ある意味、この1年間の中で、イマイチ遊び切れてないっていう自分達にフラストレーションみたいなものも感じながら?

 

「まぁ、そう言ってしまうとアレなんですけど(笑)。でも、たとえば“エロス”って『na』を作った時に一緒に録った曲なんですよ。それで、アルバムの選曲からは落ちてったんですけど、強い曲っていうよりは歌詞的にもちょっと違うのかなって思って。ほら、なんかあるじゃないですか? ちょっと初対面の合コンでいきなり下ネタ言ったらヤバいな、みたいな」

 

■仲よくなる前に引かれちゃうよね(笑)。

 

「そうそう、もうちょっと仲よくなってから下ネタを振ったほうがいいなっていう(笑)。そういう気遣いですかね」

 

■親しくなって、気持ちを掴んでから、ずいっと攻めるっていうね。

 

「うん。やっぱり最初なんで、ちょっといいとこを結構見せていったっていう感じですよね」

 

■表向きというか、余所行きの自分を。

 

「そうですね。だから、前回は凄く下からいってて、今回は上からいってる感じですかね。聴いてくれる人に対して『こんなバンドなんですよ、聴いてみてください』っていう感じだったのが、『俺達の音楽はこうなんだよ』って提示してる感じというか」

 

(続きは本誌をチェック!

 

text by 寺田 宏幸

『MUSICA2月号 Vol.82』

Posted on 2014.01.17 by MUSICA編集部

OKAMOTO’Sが解き放ったポップと反骨心
『Let It V』の真意に、メンバー全員ソロインタヴューで迫る

 

ほんとに自分でこの曲いいなって思える曲をやっと書けるようになった。
懐古主義なだけじゃない、今の日本だったり2014年だったりにぴったりきてるものをようやく作れた感じがする(オカモトショウ)

『MUSICA 2月号 Vol.82』P.94より掲載

 

Interview with SHO

 

■自分達の音楽性とこの国のロック/ポップソングを融合させることに成功した、OKAMOTO’Sの答えを示す素晴らしいアルバムだと思いました。あと、とにかく曲がいい。ソングライティグの腕を凄まじく上げたね。

 

「嬉しいです、凄く。自分では新しい挑戦のあるアルバムになったなと思ってて。自分の中で決めてたルールを1回壊した部分もあったし、もの凄い手応えを感じてるし。2013年の頭に『OKAMOTO’S』を出して。自分達的には本当に自信作だったし、ツアーでも今までで一番伝わってるなって思えたんですよ。でも、だからってチケットが爆発的に売れるわけでも、CDの売上が大きく上がったわけでもない。ここまでやってもまだ届かないんだっていう思いがあって。だからもっとたくさんの人に自分達の音楽を投げかける挑戦をしたかったんですよね。それで、前作はまだ自分の中にルールがあったんだけど――たとえば、メロディはブルースマナーに則って書くんだっていうことだったり、ビートもロックンロール・バンドらしいビートにこだわる――簡単に言うと4つ打ちはやらないとか、そういうのがあって。けど、ツアー中にみんなで『ここからどうする?』って話し合って、そこで4つ打ちに挑戦してみようっていうことになったんです」

 

■それで生まれたのが“JOY JOY JOY”か。

 

「そう。ロックフェスに行くと一番みんなが踊るヤツをやってみようって。で、“JOY JOY JOY”を作ってツアーの最後にやったら、まだ音源にもしてないのに一番盛り上がるぐらい盛り上がったんです。そこに対して、凄く狙い通りだなっていう冷静な自分の目と、こんな景色が見れるんだっていう歓びと、結局これなんだっていう残念な気持ちがあって……」

 

■「結局4つ打ちなら盛り上がるのか」っていう、一種の無力感。

 

「そう。『俺らじゃなくてもいいのかも』っていう感じがあって。そういうのも感じながら今回のアルバムに向かったんですけど。……前回のアルバムって、俺の中では、自分がバンドの中で力を持てた1枚だと思ってるんですよ。つまりサウンド面をちゃんと握るっていうことができた」

 

■事実、前作で作曲クレジットもショウくんの比重が格段に増えたしね。

 

「そう。……バンドの中で、一番先に俺が危機感を覚えたんですよ。メジャーデビューして3枚アルバム出したけど、このまま好き勝手やるだけだと楽しいけど未来がないなと思って。誰かがそれを警告しなきゃいけないと思ったから、決意を持って曲を作って、みんなにそれを伝えて」

 

■その危機感ってつまり、OKAMOTO’Sはロックンロールやブルースっていうルーツを自分達なりに解釈してやっていて、それを10代がやってる面白さも含めて評価されてデビューしたけれども、その勢いと盛り上がりの中で3枚作ったところで、自分達が思ったほどには状況が爆発してないってことを冷静に見 つめた。それ故の危機感だよね?

 

「ほんとそうなんですよ。俺達が憧れてる60~70年代のミュージシャンって、日本もイギリスもアメリカも関係なく、文化として、アイドルとして、ヒーローとして、もの凄い憧れられてたじゃないですか。そういうバンドを好きだった俺達がそこから学んでやったらみんな喜ぶだろうし、他にそんなことやってるヤツらいないから俺達がいかに特異な感じなのかわかるでしょっていうのが言わなくても伝わると思ってたら、大間違いで」

 

(続きは本誌をチェック!

 text by 有泉 智子

『MUSICA2月号 Vol.82』

Posted on 2014.01.16 by MUSICA編集部

「歌」、そして「音楽」を見つめ直したplenty
新たな始まりと変化を語る

俺はこれまで歌を歌っていながら、歌っていうものを履き違えてた。
…………俺じゃなきゃいけない理由があるわけじゃないですか。
その俺じゃなきゃいけない理由を、もっと歌でちゃんと表したい

『MUSICA 2月号 Vol.82』P.88より掲載

 

■間に『 r e ( construction ) 』を挟みつつ、新曲としては『this』後一発目の作品となるわけですが。アレンジ面でここまでの集大成的な完成度を感じつつ、1曲目の“これから”というタイトルが表す通り、また新たな始まりを表した作品だと思ったんですけど。

 

「うん、そういう感じですね。『 r e ( construction ) 』と半ば同時進行みたいな感じで作ってたから、そういう思いは特にあるかな。これを作ってる時は夢中でしたけどね。前のインタヴューで話した『バンドになりたい!』っていう想いがどんどん凄く強くなってて……とはいえ今回も江島さん(江島啓一/サカナクション)に叩いてもらったんですけど、でもバンドっぽくないですか?」

 

■郁弥くんが言う「バンドっぽい」ってどういう部分?

 

「ドライな感じではない感じにしたかったんですよ」

 

■なるほど、それは生身の衝動やエモーションをより強く感じられるモノってことですよね。

 

「そうそう。『this』はもっとドライというか、緻密さを求めていたところがあったから。でも今回は多少演奏がよれたりミスしたりしても、それよりもバンドで演奏してる感じを大事にしたというか」

 

■今回もアレンジは緻密なんだけどね。ただ、より削ぎ落されていて、バンドの骨が聴こえるサウンドになっていて。今回一発録りでレコーディングすることに重点を置いたって聞いたんですが、それも緻密さよりもバンド感を大切にしたいっていう表れなんだね。

 

「そうですね、そこは大事にした」

 

■ただ、私がその生身のエモーションや衝動性をより強く感じたのは、サウンドよりも実は歌の部分だったんですけど。

 

「あ、もちろん歌もあると思います。そこも含めて………やっぱり『 r e ( construction ) 』を作って、バンドや自分のことを考えてハッと思って。俺はバンドなんだな、俺はバンドがあって初めて伸び伸びするんだなって。そういう話を江島さんともして、今回こういう形になったんですけど………だから凄くいいと思うんだよなぁ」

 

■私はこの作品を聴いて、『this』と『 r e ( construction ) 』を経て音楽性を広げ、いろんなスキルも身につけた今のplentyが、初期のモードというかスタンスで曲を作ったんじゃないかなっていう印象があったんですけど。

 

「そうかも。でも、初期レヴェルアップ版ですよね?」

 

■そう。“先生のススメ”のような怒りや苛立ちを衝動的に表した曲が生まれたことがわかりやすいけど、“これから”や“good bye”にしても歌詞の具体性が増していて。『this』が俯瞰的、抽象的な歌詞の書き方だったのに比べると、テーマや切り取り方が近いというか。

 

「そうそう、そうなんですよ。変な意味じゃなく個人的っていうか、生々しいっていうか。……そういうふうにしたかったんですよね。『this』は俯瞰的なアプローチで書いてたんだけど、今回はもっと俺の想いの丈をそのまま歌おうって感じだった。アレンジも時間はかけたけど、でも、何を歌うかとか、どういう気持ちで曲と向き合うかとか、plentyをこの先どうしようかとか………今回はそういうことばっかり考えてましたね。小手先じゃなくて、もっと自分の想いっていうところで曲を作ろう、それでみんなを巻き込もうって………またそういうところに帰ってきたんです。もちろんアレンジは凄く大事だし、曲も凄く大事だけど――でも、『 r e ( construction ) 』でアレンジだけやってみて、やっぱりアレンジは自分周辺のものなんだよなって感じて。一番堂々としなきゃいけないのは歌なんですよね。アレンジがどんなによくても、歌がよくないと、結局何も伝わらないっていうか……まぁ当たり前のことなんですけど(笑)。それで、じゃあ自分は何を歌いたいのか、どうやったら気持ちよく歌えるのかを一番に考えて曲を作って。アレンジも、歌を第一に考えた上で『じゃあここはギター要らない』、『ドラムは単純過ぎたら歌っててもつまんないから、変なやつでループしよう』って感じでやっていって………その結果、叩けない!みたいなリズムになったんだけど(笑)」

 

(続きは本誌をチェック!

 

text by 有泉 智子

『MUSICA2月号 Vol.82』

Posted on 2014.01.16 by MUSICA編集部

満を持してベスト盤をリリース!
NICO Touches the Wallsの現在地に迫る

やっぱり、俺らはずっと、
この王道感をとにかく人と共有したかったんだよね。
それを確かめられたのは大きいし、
これからもこの曲達を共有していきたいっていう気持ちが強くなった

『MUSICA 2月号 Vol.82』P.76より掲載

 

■1曲目に収録された“ローハイド”という新曲が、会心の一撃って言えるくらいの素晴らしさなんだけど――。

 

全員「ありがとうございまーす(笑)」

 

■その辺りは後ほど話すとして。まずはバンドとして初のベストアルバムをまとめてみて、どんな手応えを持っていますか?

 

光村龍哉(Vo&G)「非常に気持ちよかったですね」

 

■それはどんなところが?

 

光村「やっぱり、当初は不安もあって。今回はライヴにおける必須チューンみたいなものを選曲基準にしたんだけど、それぞれ作ってる時期がバラバラだから――曲を作る時の核心は常に変わらないんだけど、でもその時々によって用いた手法とかレコーディングのムードとか、そういうのは全然違うわけで。だから1枚に集まった時に、もの凄く凸凹したベストになっちゃうんじゃないかなっていう不安があったんです。でも最後、曲が全部出揃って、新曲も含めて曲順も決めてみんなで聴いた時に、『ひとつも気持ち悪いところがない』という気持ちよさがあったというか」

 

坂倉心悟(B)「非常に腑に落ちた感じがしたよね」

 

■坂倉くんが腑に落ちたというのは、具体的にどういうところが?

 

坂倉「うーん……俺も凸凹するだろうなって思ってたし、アップテンポな曲ばっかりだなって思ってたんですよ。だけど、実際に聴いたら純粋にいい曲が多いなって思えたし、自分達らしいなって思えて。最後の最後に裏切ったなっていうのもあるし(笑)」

 

■もう1曲の新曲、“パンドーラ”ね(笑)。

 

坂倉「そう(笑)。あれも含めて自分達らしくて腑に落ちたっていう」

 

■対馬くんはどうですか?

 

対馬祥太郎(Dr)「……個人的に、ベストってあんまり惹かれなかったんですよ。営業的な作戦を凄い感じるので(笑)」

 

■ま、ビジネス的な事情で出されるベストも多々あるからね。

 

対馬「はい。でも今回、“ローハイド”という新曲を頭に時代を遡る形で曲順を考えて、いざこのベストが仕上がった時に『ベストっていいもんだな』って心から思ったんすよね(笑)。明確に今の自分達っていうものをよく映せたというか、NICOのメッセージをど真ん中ストレートで出せたような、そんな感覚があって」

 

坂倉「出すべくして出せたなって思えたよね。今までのをまとめたっていうよりも、今の流れに必要なものとして作れた感覚がある。だからこのベストって、今までのベストというよりも、現在進行形のアルバムなんですよ。俺らの『今』の感じが凄くするんですよね」

 

古村大介(G)「うん、本当に『現在進行形のアルバムだ』って言えるのが凄くいいなと思います。あとは、俺らはいい曲が本当に多いんだなって思えたのが純粋に凄く嬉しかったですね」

 

■今回、初回特典のDVDにスタジオライヴが収録されているんだけど、それは今の4人が2006年のインディーズデビュー盤『Walls Is Beginning』を演奏しているもので。この曲達を作った時はまだ10代だったと思うんだけど、こうやって改めて聴くと、当時の名曲の揃いっぷりにちょっと慄いた。凄いよ。

 

光村「自分達でもびっくりしましたけどね。しかも最近の曲よりも断然渋いっていう(笑)。遡れば遡るほど渋くなっていくっていうのも、おかしな話ですよね。“ローハイド”が一番瑞々しいもんね」

 

古村「ほんとそうね(笑)」

 

坂倉「厄介なバンドだったんだなっていうのが凄いわかる(笑)」

 

光村「やっぱり、最近の瑞々しいムードで作ってる曲と当時の曲とでは、まったくセオリーが違うんですよね。……ただ、今回やってみて、曲が全然古くなってないなぁと思って。だから今演奏してても凄いワクワクするんですよ。それは凄い嬉しかった。当時も『何年経っても演奏してて楽しい曲、何年経っても残っていく曲にしたい』と思いながら作ってたんだけど、それを今回実際に確かめられたってだけでも、俺らとしては十分な意味があった」

 

■私がこれを観て思ったのは、変な話だけど、曲が持ってるポテンシャルだったり世界観っていうものに、8年経ってバンドが――。

 

光村「追いついた感じするでしょ?」

 

■うん、そう思った。

 

光村「それは俺らも本当に思いました。やっぱり当時と今とでは、自分達がインプットしてきたものに対する自信が全然違うんでしょうね。だから当時の曲って、それなりに経験値を積んだ人がやらないと輝き切れなかった曲達だったのかなって思った(笑)」

 

(続きは本誌をチェック!

 

text by 有泉 智子

『MUSICA2月号 Vol.82』

Posted on 2014.01.15 by MUSICA編集部

スペースシャワー列伝JAPANツアー 開催記念!
先輩×後輩対談――Vol.1
光村龍哉(NICO Touches the Walls)×谷口鮪(KANA-BOON)

 

谷口「自分の気持ちいいことじゃないと人前に出せないっていうのはある。
きっと、いつかはそれだけじゃダメになると思うんですけど……」
光村「いや、それだけでいいと思う。
むしろ、それが俺らのモチヴェーションであるべきだと思うよ。
もちろんお客さんは大事だけど、そこに呑まれちゃいけないっていうか」

『MUSICA 2月号 Vol.82』P.64より掲載

 

■ふたりは同じレーベルの先輩後輩でもあるわけですが。まずは、お互いの印象から伺えますか。

 

谷口鮪「最初にNICOを知ったのは高校の頃で。“THE BUNGY”で知ったんですけど、YouTube観てごっつイケメンの人だなと思って。だから凄いクールな、きっと口なんてきいてくれない感じの人かなというイメージだったんですけど、実際に会って話してみたら、なんか親戚のお兄ちゃんみたいな親しみやすさがあって……思ってたより怖い人じゃなくてよかったって思いました(笑)」

 

光村龍哉「いやいや、僕のほうこそ話してくれないんじゃないかと思ってたよ。特に最初の頃の、前髪で目を隠してた頃の鮪くんは(笑)」

 

■(笑)。みっちゃんのKANA-BOONへの印象は?

 

光村「声がとにかく印象的なのと、珍しくギターソロを弾きまくってるバンドだなっていうのが最初の印象でしたね。だから僕の感覚で言うと、新しいというよりは懐かしい感覚があって。今のご時世、世界的に見てもオーセンティックなギターロックバンドは減ってるじゃないですか。その中で、ここまでギターを弾きまくる、しかも割と王道なソロを遠慮なくぶちかましてるのは痛快だなと思って」

 

谷口「ウチのギター(古賀)がそういう奴なんですよ(笑)」

 

光村「でも曲を作ってる時は、『ここでギターソロ、カモン!』みたいな、そういう感じで作ってるの?」

 

谷口「曲はスタジオでセッション的に作っていくことが多いんですけど、セッションやりながらバンドの共通意識的に『この後は(ギターソロが)来る! 来る!』っていう切迫感は結構ある(笑)」

 

光村「ははははははは!」

 

谷口「そうすると、案の定ウチのギターが、すっごいドヤ顔でソロを弾き始めるっていう」

 

光村「それいいね。ウチはみんなへそ曲がりだから、たとえばセッションしてて『このサビが終わったらギターソロだろうな』ってみんなが思ってても、その一方でみんなが『いや、ここで入るのはベタだな。もうちょっと後の美味しいところまで待とう』って思うから、結局そこは何もなくなるっていう」

 

谷口「全員待ってしまうってことですか?(笑)」

 

光村「そう(笑)。だからウチのギターにKANA-BOONのアルバムを聴かせたいよ。『ギターソロはこれだけドヤってていいんだぞ』と。そういうのって、俺らの時代はちょっと恥ずかしいことだったんだよ。でも、それが一周回って最早めちゃくちゃ変化球になってる感があって。非常にいいなと思うよね」

 

■ちなみに鮪くんが今23歳なんだけど、みっちゃんが23歳の時はちょうど『Who are you?』を出した時で。つまりメジャーファーストアルバムを出した年齢は一緒なんだよね。

 

光村「有泉さんにそう言われたから、お互いのファーストを聴き比べて来たんですよ。そうしたら凄く対称的で(笑)。KANA-BOONのアルバムって非常にまっすぐですよね。欲望が120%の形で出てる。それに対して僕らのファーストは滾る欲望を制御しながらなんとか収めたっていう感じの作品で。非常に捻くれてましたね(笑)」

 谷口「僕らからしたらちょっとぐらい捻くれたいですよ」

(続きは本誌をチェック!

 

 

 

text by 有泉 智子

『MUSICA2月号 Vol.82』

Posted on 2014.01.15 by MUSICA編集部

サカナクション2014年始動
ニューシングルに込めた想いと新たな決意に迫る

ロックってなんですか?
――今は人がどう思うかとかじゃなく、
自分がその渦中にいる人間としてその問いに答えられる気がする。
この一年間、ロックじゃない世界を知ったことでそれがわかった気がします

『MUSICA 2月号 Vol.82』P.32より掲載

 

■“グッドバイ”を昨日のCOUNTDOWN JAPANでやってみて、反応をどう受け止めた?

 

「みんな、“ユリイカ”をやると思ってたみたいで、『“ユリイカ”じゃなかったけどよかった』って反応が一番多かったかな(笑)。感動したっていうのとか、いろいろあって。でも正直、あの曲をやってる時はお客さんの顔を一切見てなくて……2013年のことがグワーッと走馬灯のように頭の中を巡ってきて。正直、リスナーのことを全然考えてなかったんですよね」

 

■そうだったんだ。MCで、『挑戦の年でした。だから得たものと失ったものがあったけど、それでもいいんじゃないかと思ってます』って言ってたのが印象的だったんだけど。あの言葉にはどういう気持ちが発露してたんだろうね?

 

「『これをやるとこうなる、これをやらないとこうなる』っていうようなことをずっと僕は気にし過ぎてたのかなって思ってて。オーヴァーグラウンドとアンダーグラウンドの間とか、マジョリティとマイノリティの間を行ったり来たりするっていうのが僕らがずっと言ってきたスタンスだったんだけど、そのスタンスはライヴとメディアを別々に考えてて……たとえば『メディアでこれをやるとダメだな』とか『ライヴではこれをやらなきゃファンが離れていくな』みたいなことばかり考えてて、自分がエモーショナルに歌うっていうことを自体を見失っちゃってたんですよね。だから、そんなことはもう気にしなくてもいい、失うなら失ってもそこに発見があればいい、と。そこに一種、達観した感じはありましたね」

 

■あと、自分を信じてみようっていう気持ちが出てきたのかもね。そんなこと気にしなくても、今までの自分の中の経験値でバランスを取ってきた自分のセンスを信じてみようって。

 

「あぁ、そうかもね。たぶん、やっぱり俺って心配性なんだよね。でも、きっとそれが変わらないまま変わり続けていこうとする原動力になってる気がして。……あの日(COUNTDOWN JAPAN)、バンプのライヴ観て、変わらないっていうことは一種の凄い才能がないとできないなって思った」

 

■自分の中に絶対的な何かをちゃんと持ってて、それを音楽として打ち立てていくっていうことだから?

 

「うん、バンプもそうだけど、俺にとってはレイ・ハラカミさんもそうだったんですよ。あの人は変わらないことが本当にカッコよくて。変わらない何かを求めるっていう意味で、バンプのリスナーがバンプに求めてることと僕がレイ・ハラカミさんに求めていることは一緒で……変わらないでいて欲しいんですよね。でも、サカナクションに求められていることはたぶん違って、『変えて欲しい』って思われていると思う」

 

■間違いないね。

 

「でしょ。それに応えるためには、失うものと手に入れるものを同時に漁っていくようなことが必要で。今、それをやってる」

 

■そんな中、前号のインタヴューの時はまだ未完成だったシングルがいよいよ完成しました。デモテープとか途中までの音源と比べて、“ユリイカ”はとてもポップなものになったと思うし、“グッドバイ”は非常にシンフォニックなものになったと思うんだけど。一郎の中では改めてどう感じていますか?

 

「“ユリイカ”は、前も言った通り、映画のタイアップっていうのが決まってて、そこからスタートした曲で。その中で、ここまでミニマルに音数を減らして、バンドで歌モノを作ったことなかったから、正直、作りながらよくわからなくなってたんですよ(笑)。でも、落ち着いて聴いてみると、めちゃくちゃフォーキーな曲だなって思って。そういう曲をダンスミュージックの要素と一緒にミニマルなものにしていったら、“三日月サンセット”とか“夜の東側”とか“ワード”とか、当初自分達の中で思い描いてた曲の進化系みたいな曲になったんだなって。そういうことを、でき上がってから改めて感じ始めてますけどね」

 

■今日は大晦日なんですが、大瀧詠一さんが亡くなられました。だから言うわけじゃないですけど、大瀧さん(はっぴぃえんど)や山下達郎さん(シュガー・ベイブ)やYMO以前の(高橋)幸宏さん(サディスティック・ミカ・バンド)がやってたような、昭和の東京シティポップな匂いが非常にする曲だなぁと思って。

 

「あぁ、俺もそれを意識して作ったわけじゃないけど、感じてはいた。だって東京に住んでるし、自分は北海道から東京に出てきた人間だけど、こんな生活してたら自分があたかも東京で生まれたかのような気もしちゃって……『釣りビジョン』とか観てて、フィッシングフェスティヴァルが幕張でやってたりすると、『あぁ、行けんじゃん! 俺、東京にいるんだな』って思ったりね(笑)。……“ユリイカ”の歌詞書いてる時に思ったのが、リアルに自分が生活の中で感じてることを歌にしなきゃダメだなってことで。そうじゃないと、自分達がテレビに出た時とかに横に並んでる人達と一緒になっちゃうなと思ったんだよね。バンドとかロックが何かなんてよくわかんないけど、1個言えるのは、人生を歌うとバンドになるし、ロックになるんだなって思った。だから、自分の部屋の中の歌だったり、自分に起きていることを歌にするっていうのは凄く自然で。それがシティポップのようになったのは、俺が今回、街の中で感じたセンチメンタルとか郷愁を歌にしたからだと思うんだけど」

 

(続きは本誌をチェック!

 

text by 鹿野 淳

『MUSICA2月号 Vol.82』

Posted on 2014.01.15 by MUSICA編集部

スペースシャワー列伝JAPANツアー 開催記念!
先輩×後輩対談――Vol.2
石毛輝(the telephones)×ヤマサキセイヤ(キュウソネコカミ)

石毛「どんどん『出過ぎた杭』が出てきたらいい。
そうやって変なことをやって列伝を
盛り上げてくれるような若手が出てくるのを期待してるし、
シーンが面白くなるような気がするよね」
セイヤ「僕ら、今年の4つのバンドの中で一番年上なんですけど、
年甲斐もなく一番無茶してやろうと思ってます」

『MUSICA 2月号 Vol.82』P.68より掲載

 

■まず、セイヤさんは昔、the telephonesのコピーバンドをやってたってことがあるんですよね?

ヤマサキセイヤ「そうです、ずっと昔からライヴとかも行ってました。軽音部で今のキーボード(ヨコタシンノスケ)とかと一緒にthe telephonesのコピーバンドとかやってたんですけど。でも、僕、めっちゃギターが下手クソで。石毛さんって、歌いながら結構ギター弾くじゃないですか。だから、もうひとりギター入れて、5人でやってたっていう(笑)。でも、今のキュウソとかもそれが原型というか、音はthe telephonesに寄せつつ、でも僕、英語が全然できないんで、歌詞は日本語でやるしかねぇって感じでこういう形になって。それで今に至るって感じです。だから、かなり影響受けてます」

 

■それは何年ぐらい前のお話なんですか?

 

セイヤ「2008年か09年ぐらいだと思うんですけど」

 

■じゃあ、ちょうどthe telephonesが列伝JAPANツアーに出てるような時期だ?

 

石毛輝「そうですね、僕らが列伝出たのが2009年なんで。でも、キュウソのレーベルやってるスタッフが、ずっと昔からthe telephonesのこともよく気にかけてくれてた人で。『今度レーベル立ち上げてこういうバンドをやるんだけど、the telephonesのことが好きなんですよ』って、デモを送ってきてくれてたんですよ。だけど、日本語だったし、最初聴いた時は『どっちかって言うと、The Mirrazじゃん』って思って(笑)。それが第一印象でした。実際どうなの? The Mirrazも好きでしょ?」

 

セイヤ「はい(笑)。ゼウスツアー(2010年のthe telephonesとThe Mirrazの対バンツアー)にもめっちゃ行きましたもん。(神戸の)VARITで。ビックリマンシールみたいなんをもらいました」

 

石毛「懐かしい(笑)。まぁ、でも、いいでも悪いでもなくて、世代が変わったんだなっていうのはなんとなく感じましたね。邦楽から影響を受けたバンドなんだなっていうか。僕らが洋楽から影響を受けた最後の世代で――まぁ、HAPPYとかはいますけど、そこで世代の変わりっていうか、不思議な気持ちになったのを覚えてますね。あとは、閃きとかアイディアが面白いなって凄い思って。“良いDJ”って曲とか面白いよね」

 

セイヤ「あれは、完全にthe telephonesの影響で書いた曲ですね」

 

石毛「いや、俺ら、DJをディスってないから!」

 

セイヤ「あははははは!」

 

石毛「俺らは、そういうDJ文化がまだ下火だったから、それを盛り上げたくてGetting BetterとかFREE THROWのイベントに出たり、そういう文化を作ろうとしてたんだけど、キュウソはそれを<あのクソDJしばきたい>ってディスり始めるっていうね(笑)。まぁ、それも面白いサイクルですよね。今、いろんなDJパーティもできてるし、凄い細分化されてるもんね。『このアーティストの曲しかかけません』ってイベントもあるし。たぶん、世界のどこを見ても、そういうイベントをしてるのって日本だけだから。不思議なカルチャーだなと思ってるんですけどね」

 

セイヤ「僕ら、あの曲で最後に<ディスクジョッキー!>って言ってるんですけど、『やべぇ、<DISCO!>とカブらへんかな』ってめっちゃ気にしてて――」

 

 

石毛「どうでもいいわ!」

 

■うん、そこは誰も気にしてないと思う(笑)。

 

セイヤ「いや、<ディ!>がカブってるから、ヤベェかなって」

 

石毛「全然カブってない!! だったら、俺ら、Perfumeと永遠にカブってるわ(笑)。でも、“良いDJ”とか“サブカル女子”も面白いなと思うんだけど、最近そういうのを思ってても歌詞にできない風潮もあるから、それをちゃんと言ってるのは面白いよね」

 

(続きは本誌をチェック!

 

text by 有泉 智子

『MUSICA2月号 Vol.82』

Posted on 2014.01.14 by MUSICA編集部

念願の対談実現!
Kj(Dragon Ash)×Taka(ONE OK ROCK)対談

Taka「Dragon Ashは青の時代にとんでもない革命を起こした。
そして今もそれを続けていて。その力強さを、僕は心底欲しいなって今思う」
Kj「Takaはヴォーカリストとしてモノが違うし、背負ってる十字架もハンパない。
でも、こんなに若くして柔らかいオーラ纏ってるヤツいなかったから。
凄い新しい風吹かせてんなって思うよ」

『MUSICA 2月号 Vol.82』P.24より掲載

 

■実はこの対談はかなり前からやりたいと思っていたんですが、今回遂に実現して。おふたりは交流はあるんですか?

 

Kj「いや、(フェス等の)現場でよく会うくらいだよね」

 

Taka「むしろウチのToruのほうが絡みがありますよね(笑)。なかなか機会がなくてちゃんと話したことないんですよ。今度ぜひ呑みながら話してみたいと思ってたんですけど」

 

■Takaさんにとって、建志さんはどんな存在なんですか?

 

Taka「いや、もう完全にスーパースター、ロックスターでしょ。僕らの世代的に知らない人間は誰もいないですし。完全にオリジナリティがあって、そしてカリスマ性もあって。たぶんみんなが同じように思ってると思うんですけど、僕にとっても大きな存在ですね」

 

■と言われてますが、建志さん?

 

Kj「ま、さっき5万円渡したんで(笑)」

 

Taka「ははははははは」

 

■袖の下をね(笑)。冗談はさておき、建志さんにとってはTakaさんってどんなヴォーカリストでありバンドマンだと思ってます?

 

Kj「ヴォーカリストとしてはモノが違うし、背負ってる十字架もハンパじゃないから。きっと俺らにはないコンプレックスと闘いながらマイク持ってるんだろうなと思うけど。でもさ、こんなに若くして柔らかいオーラを纏ってるヤツらなんて俺らの時代にはいなかったから。みんな仲悪かったしね(笑)。凄い新しい風吹かせてんなって感じがするけどね。もちろん俺らにもいっぱい負けない部分はあるけどさ、俺達にない部分――感性っていうか、真似しようと思ってもできない感覚は確実に持ってるよね」

 

■逆に共感する部分だったり、ご自分と似てる部分ってあります?

 

Kj「お互いに負けず嫌いではあるんじゃない? ラウドなフェスにすっげぇ早い時間に出されて、まだメインアクトとか全然来ない時に自分らのステージやって、そのメインアクトのヤツら観て……っていう階段もきっちり上ってきてるし。反骨精神は凄いよね」

 

Taka「ほんとそうですね。僕らは最初から順調にバンドとして受け入れられたタイプのバンドじゃないんで。だからこそ、もちろん見返してやりたいっていう気持ちも当然あったし、自分達のやってることは絶対間違ってないっていうことも確信的に持って前に進んでたんで。そうやってきたからこそ逆にここまで続けてこれたと思うし、これから先もそこは頑固に、変わることなくずっと進んでいくんじゃないかなと思います」

 

■Kjさんから「階段もきっちり上ってきてる」って言葉がありましたけど、ONE OK ROCKがここまでリスナー/バンドマン双方から強い信頼を集めながら日本のロックシーンを代表するバンドになったのは、ある時期から意識的にライヴの現場で闘って地力を上げてきたからこそでもあって。ライヴを凄く大事にして、ライヴの場でいかに勝っていくか、いかに力を証明していくかを第一に考えてる。そこはDragon Ashと共通してると思うんですけど。

 

Taka「それぞれバンドにはいろいろポリシーとかやり方があると思うんですけど、ライヴでは絶対嘘つけないですからね。嘘ついてるヤツはすぐわかるし。逆に俺らが『いや、バンドはライヴじゃないよ』って言い出したら、じゃあバンドってなんだって話にもなってくるわけで。もちろん世の中には音源を基準に頑張ってるバンドもいるだろうし、別にその人達のやり方を否定はしないけど、逆にそういう人達がいるんだったら俺達は『いや、バンドはライヴだよ』っていうのを自分達の身を削って証明するべきなんじゃないかっていうのは思いますね」

 

Kj「そこがロックが他のジャンルに勝ってる点だよね。俺らはバンドでやってるから、寄せ集めで金もらってやってるわけでもないしさ。才能あれば歌も上手く歌えるし、いい曲も作れるけど、バンドはそういうもんじゃないから。だからひとつのものを一緒に作る共同体としての力も、潜ってきた死線の数も、俺らは同じバンドマン以外には負ける気しないよね。逆に言えば、バンドマンはライヴっていうその一点で負けたら、もうアイデンティティを失う気がする」

 

Taka「確かにそうですね」

 

Kj「特に激しさとか熱量とか、そういうところでは負けちゃいけない、バンドマンは。特にフロントマンはそう。熱量で負けたらもうやってる意味ないよね」

 

■この対談を前から実現したいと思っていた理由は、Dragon AshもONE OK ROCKも、自分達の手でシーンに変革を起こしながら、自分達自身の明日と新しい時代を切り開く意志を明確に持って闘っているバンドだからで。言ってみれば、90年代末から00年代前半にDragon Ashが起こしていった革命を、ONE OK ROCKは新しい世代なりのやり方で今の時代の中で果たそうとしていると思うし。そういう世代を代表するレジスタンスとしてのバトンが受け継がれている感じがするんですよね。そういう意味で、TakaさんがDragon Ashというバンドから受け継いでる部分ってどういうところだと思いますか?

 

Taka「もう全部がリスペクトなんで難しいんですけど(笑)。………でも、やり続けてることが僕は共感でしかないし。いろんなバンドにはいろんなスタイルがあるでしょうし、いろんなやり方があると思うんですよ。BOOWYみたいにパッと辞めるのもカッコいいっていう考え方もあるだろうけど、俺はやり続けることがカッコいいと思ってるので。だから今回みたいにDragon Ashが新しいアルバムを出すことになって、それを聴いた時に俺はすげぇ感動するし、超カッコいいと思う。それがある限り、Dragon Ashへのリスペクトっていうのは変わらなくて。もちろん、そうでなくとも僕は建志くんをひとりの人間として超リスペクトしてるんですけど」

 

Kj「アルバム聴いてもらったんだよね。さっき『アルバム超カッコよかったです』って言われてびっくりした。早ぇな!って(笑)」

(続きは本誌をチェック!

 

text by 有泉 智子

『MUSICA2月号 Vol.82』

Posted on 2014.01.14 by MUSICA編集部

闘い続けたバンドの最重要傑作が完成
Dragon Ash、『THE FACES』を語る

このアルバムを6人で死に物狂いで作ったことが、この後の男としての人生とか、
音楽家としての人生に絶対に活きてくる。それはもう確信してる。
マインドとしてこんなに音楽に向かえるんだっていうのは財産だなと思った

『MUSICA 2月号 Vol.82』P.12より掲載

 

■本っ当に素晴らしいアルバムですね。

 

「ありがとうございまーす!」

 

■Dragon Ashの核心と、この3年の間いろんな苦難に直面しながらも闘い続けてきたバンドのストレートな想いと生き様が素晴らしい楽曲とサウンドに結実したアルバムであると共に、素晴らしいメッセージソング・アルバムでもあって。ご自分ではどうですか?

 

「Dragon AshがDragon Ashであるために作ったアルバムだから、そこは100%できてると思うんだけど、それが素晴らしいかどうかは自分ではちょっとわかんない。でも、みんな誉めてくれるから、やっぱ頑張ったら伝わるんだなとは思ったけど」

 

■なるほど。このアルバムは、この3年間に起こった様々な苦難と悲しみがあったからこそのものでもあるとは思うんですが、そもそも、前作『MIXTURE』を作り終えた後、次にどういうものをめざそうっていうイメージみたいなものはあったんですか。

 

「そもそも『MIXTURE』が終わって次にやるかってなった時に、まず、この状態でここからやるんだったら、コンセプトとか方向性とかそういうことじゃなくて、何も犠牲にせず、1回全部を超越するようなところに行けないとダメだっていうのは思ってた」

 

■それだけ『MIXTURE』に達成感があったってことですよね。

 

「うん。あと、あのアルバムに至るまでに正直遊び尽くしたし、今後また遊ぶために、1回身を削ってガチ

で出さないと意味がないんじゃないかな、みたいな話はしたけどね」

 

■言ってみれば『MIXTURE』ってひとつのコンセプトアルバムでもあったと思うんですよ。それは、ミクスチャーロックバンドっていうのはどういうものなのかってことを他の誰でもないDragon Ashがきっちりと提示し、ポップスに完全に覇権を奪われて存在意義が揺らいでいたロックバンド・シーンに高らかに掲げるっていう。だから曲の作り方も――当時のインタヴューでは、長いやってきて技術もついてるから本当は手首のスナップだけで敵を倒せるんだけど、でも観てる人にとっては『マトリックス』みたいにのけぞったり、派手なKOシーンのほうが盛り上がるわけで、そういう部分も意識をして作ったって話してて。でも、今回の作品はある意味それとは真逆にアプローチで、だけど最もロックバンドっていうものの在り方を体現したアルバムになっていて。

 

「そうだね。今はもう片足ももげてるしさ、『マトリックス』みたいな体勢は取ったり、スレスレのところで見切るってことができない状態だからね。視野に入ってきた人を力いっぱいぶん殴るしか術がない状態だから。前とは違うよね。選択肢の中で身を焦がすっていうのとはワケが違う。選択肢もなく、もう焦げっぱなわけで(笑)」

 

■だからもの凄くエモーショナルだし。スキルであったり音楽的な成熟はもちろんあるんですけど、でも、それこそファーストアルバムのような巨大な初期衝動、しかも切羽詰まった衝動が凄い溢れていて。それが大きな感動に繋がっていくんだと思うんですけど。

 

「うん、わかるわかる。その両立はめちゃくちゃできたよね。どんだけ凝ったアレンジしたりギミック使ったりしても、結果的に衝動性が失われないっていうのが一番カッコよくて。で、そこはできてると俺も思う。それは個人的にめざしてたところではあるけど。まぁでも、そうならざるを得なかったっていう状況もあるよ。だから簡単に言うとゾーンに入ってたって噂もある(笑)。完全に瞳孔開いて研ぎ澄まされた状態のまんま全速力で走るっていう、そういうもの凄い状態を1年間キープして、このアルバム作ったっていう。それをやり遂げることができたっていうのは、やっぱりメンバーのガッツでさ。そこらのバンドとは修羅場の数が違うから。その強靭さとかは放っといても出るんだと思うんだよね。で、それが結実するようなサウンドメイクもできてるし、集中もできてるしっていう状態を1年以上持続できたっていうのが、アルバムを最後まで枯渇せずに作れたことだったり、でき上がって近しいスタッフとか周りのヤツらが『すげぇいい』って言ってくれてる評価だったりに繋がってんだと思うけどね。メンバーの達成感もすげぇ高いし。だからやってよかったなって思ってる」

 

■実質的な1曲目が“The Show Must Go On”という曲で、何故Dragon Ashがあれだけのことがあった上で今もバンドを続けているのかが、シリアスな言葉と共に表明された楽曲なんですけど。この言葉、馬場さんが亡くなった2ヶ月後くらい、つまり2012年の6月末に、“Run to the Sun”の配信リリースに際してウチで記事を作るにあたって建志さんに直筆のメッセージが欲しいってお願いしたんですよ。で、色紙に書いてもらったんですけど、その時に書いてくれたのが、まさにこの「The Show Must Go On」っていうひと言で。

 

「あ、その時からすでにあったんだ! ………ヤバい、間違った認識のまんまインタヴュー30本ぐらい受けたわ(笑)。そっか、そんな早い段階からあったのか」

 

■その時に曲ができてたかどうかはわからないですけど。
 

「いや、曲はなかった。俺の中の座右の銘だよね」

 

■なるほど。このスローガンこそが、今回のアルバムの芯であり、そして今のDragon Ashを走らせているものだと思うんですが。

 

「間違いないね」

 

■曲自体はいつぐらいにできたんですか?

 

「“The Show Must Go On”はレコーディングしたのが6月ぐらいだと思う。そのぐらいの時に『THE FACES』っていうアルバムのタイトルを決めて、アルバムの顔になる“The Show Must Go On”と、あと“Introduction”を録ったんじゃないかな。6月に録ってるってことはもうちょっと前に作ったってことだけど。たしかその頃までにアルバムの半分くらい録ってたんだけど、『まだ1曲目が出てこないな』みたいな感じになって。で、じゃあそろそろ流れ考えて作ってみようかってなって、この“The Show Must Go On”を作ったんだと思う。アルバムの一番最初の歌い出しできっちり自分達のアティテュードを示してから、アルバムに入りたいっていうのは強くあったから。だったらこれを歌うしかないだろうって感じだったんじゃないかな」

(続きは本誌をチェック!

 

text by 有泉 智子

『MUSICA2月号 Vol.82』