Posted on 2014.03.19 by MUSICA編集部

indigo la End & ゲスの極み乙女。同時メジャーデビュー。
両バンドを率いる張本人、川谷絵音の才気に迫る

『indigoとふたつやってます』ってこと、『ゲスの極み乙女。』っていうバンド名……
そういうファッション的なところばかり理解されてる感覚があって。
もっと自分を出してもいいんじゃないかって思ったんです

『MUSICA 4月号 Vol.84』P.62より掲載

■この取材、紙資料が2枚あるんです。迷惑な取材ですよ(笑)。

「ははははははははははははは!」

■非常にトリッキーかつ、コンセプチュアルな同時発売という形で自らがフロントマンを務める2バンドがメジャーデビューを遂げることになりました。どうですか、この上ない快感って感じですか?

「ぶっちゃけ最初、indigo la Endのやつは、普通にインディーズで出すつもりで作ってて、レコーディングが終わる時まで何も話さなかったんですよ。それが同時発売にしたほうが面白いんじゃないかっていう話があって、乗っかろうってなったんですよね」

■じゃあ相乗効果を狙う戦略みたいなものはなかったんだ?

「むしろ僕は同時に出すことでの弊害のほうを考えていたんで」

■どういうこと?

「やっぱり如実にふたつで差がついちゃったりとかって絶対あると思うし、それって結局自分ひとりのエゴでやってる感じが出てくるというか……他のメンバーに対する悪影響のほうが自分の中ではデカくて。でも実際考えてみたら、ふたつ同時に出すのは面白いし、嫌な部分に勝るものがあったのでやろうかなってなりました」

■そもそも川谷くんの中では、メジャーの話がきたこと自体はどう捉えてたんですか?

「そもそもゲスは、去年3月に最初のアルバムを出した次のライヴには、もうメジャーの人が来ていたんですよ。だからゲスがメジャーに行くのは必然的で。ただ、僕の中でゲスとindigoは全然別に考えてて、indigoはインディーズでもいいかって考えてたんですよね」

■音楽性とかの話は一旦置いておいて、川谷くんが言うこのふたつのバンドが別物っていうのはどういう位置づけなんですか?

「そもそも、僕はindigoを先に真剣にやってて、ゲス自体は遊びで始めたものだったから……本当に最初は、仕事と趣味みたいな位置づけで。でもゲスはふざけててもいいものができるバンドだって気づいて、自分のモチヴェーションは今はどっちも五分五分くらいで」

■ただ事実として、どんどん上手くいっちゃって集客とアンセム度を爆発的に伸ばしているゲスっていうバンドがあって。元々自分の中で真剣にやっていたindigoというバンドとは、どういうバランスで保たれてんですか?

「バンドとしては完全に分かれてはいるんですけど、曲作りの中では分かれていないというか。だから今回も同時に出す2枚のアルバムを合わせて、自分のフルアルバムみたいな状態になってて」

■まさにまったく同じことを、リスナーとしても感じました。でも2バンドをフロントマンとして両立していく中で一番下世話なところを訊いてしまうと、どっちが本妻/愛人みたいな話もあるんじゃないかなって思ってしまうんだけど。

「(笑)元々僕はindigoをがっつりやってて、ゲスは遊びだった分、ゲスのメンバーは僕にindigoの活動はあるものだと思ってて。あとは、全部僕が曲を作ってて、バンドの支配率が割と100パーセントなところがあるから、なんとかなっているというか。だからガッツリ僕に何か言い返してくる鬼嫁のようなメンバーがいたら、もしかしたら上手くいってないのかなって思いますね(笑)」

■ははは、この飄々とした感じでバンドでイニシアチブを完全に握っているっていうのが凄く不思議なんですよね。

「自分では意識してないんですけど、深くつき合っていくと、徐々に人の心を支配していく感じがあるらしくて(笑)。本当はそういうのを眺めてるのが好きなタイプなんですけどね」

■今現在、indigo la Endとゲスの極み乙女。とではモチヴェーションは五分五分と言っていたけど、自分の中では時間とかストレスとか喜びとか全部含め、ちゃんと平等にいこうっていうことは気をつけてやってるんですか?

「完全にスケジュール自体が半々になってて。もう考える暇もないんで……とにかくやることをやろうっていう感じですね。今年の1年はもうサイボーグみたいな感じで生きようと思ってるんですけど」

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text by 鹿野 淳

『MUSICA4月号 Vol.84』

Posted on 2014.03.19 by MUSICA編集部

TK from 凛として時雨、『contrast』リリース。
自らを解放し、本格的なソロの証を刻む今作の深淵に迫る

歪んだギターの中にあるトゲトゲしたポップさは
時雨にしかないもので、そこは伝わってくると思うんですけど。
でも、その歪んだ音という化粧を薄くして、素にしてみたらどう伝わるんだろう?
自分のポップがちゃんと伝わるのかな?
っていう想いが、このソロを作る最初にありましたね

『MUSICA 4月号 Vol.84』P.56より掲載

■去年は凛として時雨としてアルバムを出し、武道館ライヴという証も打ち立て、その後にTK from 凛として時雨として何本かの夏フェスにも登場した年でした。その辺も含めて、ソロのTKとしての活動が今回来たというのは、ある意味必然だったとも思うんですが、どうですか?

「時雨が10周年というところで武道館をやれて、自分達の中でそんなに実感のあるものではないんですけど、一応一区切りできたっていうところはあって。時雨は(ピエール)中野くんがいて、345がいて……ある程度不完全なままでも成立してしまうところもある、ギリギリの崖っぷちの中で音を紡いでいるところでもあるんです。だから3人のバランスが完成していけばいくほど、『自分はひとりになったら何を持ってるんだろう?』って想いが出てきて――弾き語りやり始めたのもそれにあたるんですけど――自分の持ってるものを究極のところまで確認したい衝動に駆られたんですよ。武道館のあとの活動も、その欲求がエネルギーの源になってる感じはありますね」

■ちょっと前の話になるんですが、去年の凛として時雨のアルバム(『I’mperfect』)のプロモーション時に、リズム&ドラム・マガジン、ベース・マガジン、ギター・マガジンの表紙をそれぞれのメンバーが飾ったじゃないですか。あれ、とても戦略的なことだと思ったんですね。凛として時雨というバンドが、3人の「個」というものをしっかり表していく――それが今の凛として時雨だっていうイメージを感じて。TKは、自分のソロプロジェクトにも「from 凛として時雨」とバンド名を表記しているじゃないですか。この辺りにはどのような気持ちが表れているんですか?

「バンドが始まってから今まで、僕の頭の中にある音楽を3人でどう鳴らすかっていうのが根底にあって。あのふたりもそこに対して、常に待っててくれてるんです。僕の視点から見てると、あのふたりのキャラクターっていうのは、時雨の中の立ち位置として凄く確立していて。でも逆に自分自身は一体なんなんだろうっていう気持ちがあって……そういうところで、バンドと個っていうものの対比を意識し始めてるところはあるかもしれないですね」

■今までのソロの2作っていうのは、時雨で作りたかった映像作品をソロとしたり、ピエールが怪我したから空いた時間で作ったりという、偶発的なものでしたよね。ただ、去年の夏は凄くフラットにソロとしてライヴをしていて。そこで僕が感じたのは、TKの中でひとつ、凛として時雨に対して肩の荷が下りたんじゃないかと。だからこそ、ソロも定着させていく意識を持って今作に辿り着いてるところがあると思うんです。

「時雨に対してどのくらい肩の荷が下りたかっていうのは、言われるとそうかもしれないなって思うぐらいで。どちらかと言えば、ソロをやることで自分自身がずっとやってきたバンドっていうものを俯瞰して見れるっていうところが大きくて。ソロの活動の中で、自分の頭の中に鳴っている音を視覚的な部分も含めて表現する中で、いつも本当にいろんな調味料を使って音楽を再現してて(笑)。それを経て、今まで自分がバンドに対してストイックに自分自身の首を絞めながら音を作ってたところも、ソロをやったことで少し緩めてバンドに戻れたら、それはそれで楽なのかなと思ってたんです。……でもどっちかと言うと、締めたまんまでよかったんだなって思えたことが凄く強くて。もちろんソロのプロジェクトっていうのは、ひとりっていうことの余白を凄く楽しんでいる部分もあるんで、バンドの時よりは自分の手の届かない部分も、他のミュージシャンに任せて楽しみながら自分の音を創り出してみたいって想いはあるんです。でもそこで時雨のほうを振り返ってみると、究極の自分のわがままの塊みたいなものが、あのバンドの中に存在してるんだなってことを凄く感じて。だからソロをやることで、解放的な自分の余白みたいなものをそのまま時雨に当てはめるようになったというより、時雨は時雨として自分の中で強い存在として改めて感じられたっていう部分がありますね」

(続きは本誌をチェック!

text by 鹿野 淳

『MUSICA4月号 Vol.84』

Posted on 2014.03.18 by MUSICA編集部

RADWIMPS、約3年ぶりのツアー開始。
変化と進化を漲らせる新モードのライヴ、ロングレポート敢行!!

新モード全開!
歓喜と昂揚のツアー序盤を観た!

『MUSICA 4月号 Vol.84』P.48より掲載

 2月5日の高崎club FLEEZを皮切りに、いよいよ「絶体延命」以来約3年ぶりとなるツアー「RADWIMPS GRAND PRIX 2014 実況生中継」が始まった。韓国・台湾・香港・シンガポール公演を含め、7月まで半年間にわたって44公演を行うというロングツアー。大抵のバンドにとっては異例、しかしこのバンドにとっては最早通例となった「ライヴハウスとアリーナが混在する行程」(何故異例かと言うと、ライヴハウス規模とアリーナ規模ではライヴの性質が違うので、それを交互にやるというのはバンドにとってとてもタフなことなのです)故に、今回のツアーもライヴハウスverとアリーナverが存在する。

このライヴレヴューでお届けするのはツアー8本目にあたる2月22日の熊本DRUM Be-9 V1、キャパ500~600人規模のライヴハウス公演。個人的にも今回のツアー初見であり、『×と○と罪と』を作り上げた彼らが一体どんなライヴを繰り広げるのか興味津々で、とても楽しみにしていた。(中略)

やはり、明らかに、以前のツアーとはまったく異なるモードの新しいRADWIMPSがそこにいた。そしてその変化は、自分が想像していた音楽的なアップグレード以上に、もっとバンドの根本的な部分での変化と進化を感じさせるものだった。それについて今から書いていこうと思うのだけど、でも、きっと、もうすでにここに掲載した写真の数々からあなたにもはっきりと伝わっているんじゃないかなと思う。

 こんなにも自由に、こんなにもフラットに音楽と戯れ、音楽を楽しみ、オーディエンスとのオープンで気さくなコミュニケーションを楽しみ、そしてバンドであることを謳歌しながらステージ上で思い切り弾けているRADWIMPSは、本当に久しぶりに観た。いや、むしろ初めてだと言っていいかもしれない。音楽というものと本当の意味で一心同体になりながら自分達が生み出してきた楽曲を溢れるように歌い鳴らし、音楽の側もバンドに温かく寄り添いながらメンバーのエネルギーをぐんぐん引き出していく、その奇跡的にして確かなる絆と連鎖。そこにオーディエンスの親密で愛に満ちた熱狂が加わったこの日のライヴハウスは、本当に心の底から幸福な開放感でいっぱいだった。

(続きは本誌をチェック!

 

text by 有泉 智子

『MUSICA4月号 Vol.84』

Posted on 2014.03.17 by MUSICA編集部

『RAY』のすべてを語る新曲全曲解説!
さらに、“ray”での初音ミクとの共演について、メンバー全員が語る

 

「今まで」と「これから」に光を当投射した
アルバム『RAY』、3万越えの全曲解説!
そして、衝撃と話題が渦巻く“ray”での
初音ミクとのコラボレートについて――

 

『MUSICA 4月号 Vol.84』P.30より掲載

 

■『RAY』が発売して3日後に出る号の取材です。ようやく『RAY』を聴くことができ、そのあとの最高のサポートとなるものになれればいいなと思ってますので、よろしくお願いします。

一同「よろしくお願いします!」

■それでは、新曲である8曲をすべて紐解いていきたいのですが、その前に、このアルバムへの想いを、みんなから聞かせてもらいます。

直井由文「……ちょっと長くなってもいいですか?」

■もちろん。

直井「『COSMONAUT』っていうアルバムを前回出させてもらって、その時に自分である程度スキルがついてきたかなぁと、ちょっと自信をつけ始めていたんですね。でも、今回の『RAY』ではそれがまったく通用しなくて、のっけからチャレンジの連続で。今回のアルバムをざっくり言わせていただくと、ミュージシャンとしてチャレンジし続けたアルバムかなと思います」

■『COSMONAUT』で得たものは確かにたくさんあったと思うんですよ。それがここにきて挫折に近い感覚を覚えた理由は何だったんですか?

直井「“morning glow”っていう曲がありまして、それはほぼ『COSMONAUT』のアルバムを制作したちょっとあとぐらいにできたのかな? そこで、『COSMONAUT』の流れをもってベースを弾いたんです。でも、その流れでやっても、曲が本来持っている形に全然辿り着けなくて。この曲、結局3年後にようやく録れたんですよ(苦笑)。つまりは『COSMONAUT』以降、早速自分の持っていたノウハウが全然役に立たないっていうことになって、完全に『俺、もうわかってるよ』っていう顔して、『COSMONAUT』ヅラ下げてレコーディングしたら、即効弾かれたっていう……(笑)」

■ボクシングで言うと、互角か自分が有利って思ってたところ、いきなり1ラウンド目にアッパー喰ってノックアウトされちゃった感じだ。

直井「ほんとそうだねぇ。でもこれ、ネガティヴな話じゃなくて、すっごいポジティヴな話で。自分が持ってない引き出しが、まだたくさんあるんだ!っていうのを再認識させられたんです」

(中略)

1. WILL

 

■では1曲ずつ訊いていこうと思います。まずは“WILL”。これは、ツアーのオープニングSE用にフジが作ったの?

藤原基央「そうです。ここに入れるために、ちょっと尺を削ってます。これはライヴの出囃子だったんだけど、この『RAY』っていうアルバムの凄く長い制作期間中……長くもねぇか?」

直井「長いよー」

升秀夫「長い長い」

藤原「その長い期間中、ツアーとかライヴとか凄くいっぱいやって。そういうライヴの影響とかがやっぱり出てると思うので、これが1曲目っていうのは相応しかったんじゃないですかね」

■これはオープニングの映像を見た上でそれをイメージしながらソングラティングしたインストじゃないかと思うんですけど。

藤原「そうですね。結構そうかもね……でも、そうでもねぇのかな」

直井「そうでもないの?(笑)」

藤原「そうでもないかも(笑)。完全に映像の影響もあるんですけど、なんかイメージがあって」

増川弘明「うん、そう言ってたよ」

藤原「そう、山崎(貴)監督の絵を見る前から俺、イメージがあって。この“WILL”の前にもインストの曲があったんですね。それは“GOLD”っていうんですよ」

増川「前のツアーのオープニングの曲ね」

■あれ、“GOLD”っていう曲名なんだ(笑)。

藤原「そう。『GOLD GLIDER TOUR』のオープニングで使われていた曲は“GOLD”っていうんですね。どっちもギターから作り始めて。仕上がりはああいう感じですけど、実は凄く肉体的な音楽だったんです。“WILL”で覚えているのは、凄く熱がある日だったんです。でもこの日に作らなきゃっていう感じで。頭ボーっとしてしんどかったけど、作業自体は凄く楽しかったので、スタジオ籠もって。……うーん、結構しんどいギターだったんですね(笑)」

■過去に「MOTOO FUJIWARA」っていうソロ名義のアルバムがあって。あのソロで作ったインストだったり、昔からゲーム音楽から多大なる影響を受けているっていう話も聞いていたし。こういうインストっていうのは、曲を作ることとしては大好きなんだよね?

藤原「そうだね、ああいうのだったらいくらでも作りたいと思うよ」

直井「本当にこいつ、いくらでも作るんだろうなぁ~。歌詞がねぇの、超得意だもん!」

■あはははははははははは。

藤原「くくくくくくく。歌詞って言うのは本当にめんどくさくって」

直井「ほんっと、曲だけだったら何曲でも書くよな!」

藤原「ねぇ?(笑)。音楽は、音が楽しいと書いて音楽ですから。そういう面では、いくらでも書けると思います。まぁこの曲の場合は、ギターが大変だったっていうのはあるけど」

 

(続きは本誌をチェック!

 

text by 鹿野 淳

『MUSICA4月号 Vol.84』

Posted on 2014.03.15 by MUSICA編集部

遂に開陳されたMAN WITH A MISSIONの新境地、『Tales of Purefly』
全曲解説とストーリーブック解説で完全解剖!!

MWAM流アートとエンタテインメントの融合。
より壮大に、より立体的に、
世界を広げたアルバム『Tales of Purefly』。
Jean-Ken Johnyによる全曲解説および
Kamikaze Boyによるストーリーブック解説で
渾身の新境地を解剖する保存版副読本特集!

 

『MUSICA 4月号 Vol.84』P.14より掲載

 

■MUSICAでも初の表紙巻頭なんですけども、このタイミングで音楽誌の表紙巻頭を制覇する勢いで展開していて。ノリノリですねぇ。

「イヤイヤ、マダマダデスヨ!」

■でも、この状況はMAN WITH A MISSION(以下MWAM)がここ数年でこの国のバンドシーンの中での地位を揺るぎないものにした証だと思うんです。Jean-Kenさんはどう感じてますか?

「デモ本当ニ、マダマダ自分達ガ揺ルギナイ場所マデ来タトイウヨウナ実感ハアマリナイデスネ。タダ、バンド自体ハ凄クイイ状態ナノカナト、ソウイウ実感ハアリマス、イェス。我々ハ音楽制作ノ中デ、ヤハリ常ニ肩肘張ッテ『モット新シイモノヲ!』ト求メテイマスシ、実際ニ何ガシカ新シサヲ取リ入レテキマシタケレドモ、時ニハソレガ歪ンデシマウ場面トイウノモ、自分達デ目ノ当タリニシタコトモアリマシタシ。ケレド、今回ノアルバム制作ニオイテハソウイウ歪ミトイウモノガナカッタ。ソウイウ意味デハ非常ニイイ状態デ新シイ作品ヲ世ノ中ニ出セタノカナト思イマス」

■今回のアルバム、ストーリーブックを含めトータルでのクオリティも凄いんですが、何よりも音楽的に素晴らしい境地を切り拓いたという点で、MWAMにとって重要な意味を持つアルバムだと感じておりまして。具体的には、これまでのパンク/ハードロックに2010年代的なダンスロックの要素を取り込んだ音楽性もありつつも、たとえばThe Smashing Pumpkinsのような、アメリカの壮大かつ重厚なオルタナティヴ・ロックが明確に響いてくる楽曲も多々あって、音楽的な広がりと芸術点がグッと上がったなと感じたんです。

「オー、アリガトウゴザイマス! ソウデスネ、ワタクシ個人モソウ思イマス。特ニ自分ガ作曲作詞シタ楽曲ニ関シテハ強ク感ジマスネ(笑)。ワタクシノ根ッコハ、ムシロ全部オルタナティヴ・ロックニアルト言ッテモ過言デハナイデスカラ。モウドンピシャデハマッテシマッタ音楽ジャンルノヒトツナモノデ。ズブズブニオルタナティヴ好キデアリマス(笑)。前作ノ『MASH UP THE WORLD』ノ時ニモ自分汁ト言イマスカ、自分ノエッセンスヲ結構フンダンニ入レ込ンダツモリデハイタンデスケド、今作ヲ制作スルニアタッテ、マダマダヤリタイコトハアルナト言ウカ、イロイロト盛リ込ミマシテ」

■盛り込みまくり、増し増しですね。

「イェス(笑)。アル意味、コンセプトアルバムデアルニモカカワラズ、ソノコンセプトニ縛ラレルコトナク、非常ニ自由ニ、純粋ニ自分達ガヤッテミタイ音楽的ナ表現ガデキタノデハナイカナ、ト。逆ニ、ムシロコンセプトガアルコトニヨッテ自由ニデキタトイウノガ、凄ク大キカッタト思イマス」

■まさにその通りで。コンセプトアルバムという手法を取ったことで、音楽的な挑戦すらもエンターテイメントとして聴かせることに成功していて。

「イエス! 我々自身モ非常ニ面白カッタデス」

■元々こういった音楽を鳴らしたかったのか、それともこの数年やってきた中で、次の場所に進むための一手としてこういう音楽的な進化を図ったのか、どっちなんでしょうか。

「前者デスネ。次ノステップヘ行クニアタッテコレヲヤッタトイウヨリモ、元々自分達ノ中ニアッタモノ、打チ出シタカッタ音楽トイウモノヲ、自然ト表現デキタノガ今作デアルトイウノガ、率直ナ自分ノ感想デス。前々カラソウイウエッセンスダッタリニュアンスハ盛リ込ンデイタンデスケドモ、ソレガヨリ明確ニ、クリアナ形デ打チ出セタノガ今作ナンジャナイカナト。ソコハ自分達ノ中デモ発見トイウカ、ヤッパリコウイウコトガヤリタカッタンダナト改メテ感ジタトコロハアリマシタ」

(続きは本誌をチェック!

text by 有泉 智子

『MUSICA4月号 Vol.84』