Posted on 2015.02.19 by MUSICA編集部

KEYTALK、
『FLAVOR FLAVOR』で再び掴んだ自分達らしさ
――「全員がフロントマン」の自覚と武器

もっと4人の気持ちを固めて、共有して、
発信していかないといけないと思った。
やっぱりKEYTALKって、
誰かひとり強いフロントマンがいるバンドではないので。
全員がフロントマンのバンドだから、
意見を共有しなきゃ次のステージは目指せないと思ったんです

『MUSICA 3月号 Vol.95』P.114より掲載

 

■今回はタイトル曲の“FLAVOR FLAVOR”が首藤さんの作詞作曲、カップリングの“ナンバーブレイン”と“Stand By Me”がそれぞれ小野さんと寺中さんの作詞作曲っていう、3者3様のカラーが並んだシングルになっていて。特に“FLAVOR FLAVOR”は、前作の“MONSTER DANCE”のようなダンサブルな要素を引き継ぎつつ、ポップでメロディアスな要素も全面に出された曲だなと思うんですが。

首藤義勝(Vo&B)「まさに今おっしゃっていただいた通りなんですけど、踊れる要素とポップスとしてメロディが綺麗であるっていうところの両方を1曲にまとめたいっていうのが大本にあって。ノれる音楽にもいろいろあると思うんですけど、今までよりもテンポをちょっと落として、個人個人がパーソナルな空間で踊れるっていうのを目指して、アッパー過ぎず、グッと身体がノれるようなサウンドを作っていきましたね」

八木優樹(Dr)「いつもみたいに勢いとかエッジのある感じで攻め立てるんではなくて、大きいビートの中で16ビートを刻んでるような。だからグッとテンポを落とすことによってメロディは入ってくるんだけど、僕としては一つひとつの音への集中力が速い時よりも増してるっていうか、テンポが速いと気にならなかった部分もわかるので――」

■粗が気になって、いつもより難しかったんだ?

八木「かなり(笑)。如何に自分が勢い任せに叩いてたかっていうのがよくわかって。ハイハットのどの部分にどの角度で当てないと一定にならないとか、置きにいくとノリが全然出なかったり(笑)。いつもとは違うビートの捉え方で、今回はもっと細かいところも感じてやったつもりですね」

寺中友将(Vo&G)「でも、テンポ感の話もそうですけど、今までこういう雰囲気の曲をやってきてなかったわけではなくて。今までもこういう雰囲気の楽曲はあって、個人的にはそういう曲が凄く好きで。だから、KEYTALKの初めての一面じゃなくて、元々僕らにあった一面を前面に押し出していくっていう感じですかね」

■逆に言うと、こういうメロディアスな側面とか少し遅いテンポ感で横ノリっぽいグルーヴのような、これまでもあったのに隠れてた一面っていうのを今回はちゃんと全面に出してやりたかったっていう想いもある?

寺中「それは今までずっとあった感覚ですね。俺と同じようにこういう曲のほうが響きやすい人もたくさんいるんじゃないかと思ってて……これがKEYTALKの本当のよさだって思ってるわけじゃないし、別に『こういうことができるんだぞ』っていう感じともちょっと違うんですけど。でも、たとえば僕らのYouTubeに上がってるような曲しか知らない人達にとっては新しい一面なのかもしれないし、ここからバンド自体の音楽性を広げていく上でだったり、大きいステージでやっていく上で、絶対必要になってくる部分だなとは思うんで。そこへの第一歩のチャレンジですね」

小野武正(G)「やっぱりこの曲はしっかり歌を聴かせていきたいっていうところもあって。そこで今までのKEYTALKの流れを汲んでいろいろぶつけるっていう手法でもよかったと思うんですけど、そうではなく、結構ストレートな曲になるように意識したと思います。もっと広いフィールドでのお客さんが相手だっていうのは、みんなで話した中で出てきたキーワードだったりもしたんで」

■みんなで一度そういう話し合いをしたんだ。

小野「そうですね。昔はあんまりしなかったんですけど、ここ最近のKEYTALKは結構話し合いをすることが多くて。それがバンドとしての一番大きな変化ですね」

■なんで話し合いをするようになったの?

小野「やっぱりしっかり言葉にして共有していかないといけないなって思って。今までは割と流れに沿って、そんなに具体性を帯びた会話をせずにここまで来てしまった感があったので、今もう1回引き締めて、4人一致団結したいっていう想いがあったんですよね。そのほうが今後のスタンスとしてはいいのかなって気がして」

■それは、「俺ら、一度ちゃんと話し合おうぜ」っていうことを誰かが言い出したっていうこと?

小野「僕ですね、僕が言い出しっぺです。たぶん去年の10月くらい頃だった気がしますね、今までもミーティングとか話し合いはしていたんですけど、より密な会話をするようになったんですよね」

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text by 寺田宏幸

『MUSICA3月号 Vol.95』

Posted on 2015.02.19 by MUSICA編集部

NICO Touches the Walls、
初のアコースティック・アルバムで
見つめ直した音楽と次への野心

昔だったら怖くてできなかったかもしれないけど、
今はちゃんとストレートに伝えられる。
そういう自信がついたっていうのも大きい。
今はできるだけ近い距離感で伝わる歌心を大事にしたいんです

『MUSICA 3月号 Vol.95』P.108より掲載

 

■初のアコースティック・アルバムです。これまでDVDの特典映像でアコースティック企画をやってたのはもちろん、昨年はNANO-MUGENでアコースティックライヴをやったり、音楽的にも実は“天地ガエシ”からの流れとして実にいいタイミングでのトライだなと思ったんですが。

光村龍哉(Vo&G)「俺もいろいろ振り返ってみたんですけど、転機としては『Shout to the Walls!』の“Mr. ECHO”辺りから積極的にアコギで曲を作り始めてて。それが“ローハイド”でバシッと自分達のものになって、その上での“天地ガエシ”って流れだったんで……だからアコギの音と自分の声の相性みたいなものが相当いい感じになってきてるなぁとは思ってたんですよ。そういう意味では、アコースティック・アルバムを凄く作りたかったというのはありましたね」

■“天地ガエシ”でカントリーを下敷きにして歌を作り、そしてバンドとしてもアイリッシュなアレンジをしたということも、非常に大きかったのかなと思うんですけど。

光村「そうですね、やっぱりあれは大きかったですよね。たぶん、あれがいいクッションというか、今回へのいい繋ぎになってると思う。あれがあったからこそ、ずっとNICOを聴いてきてくれた人も違和感なくこのアルバムを聴けると思うし、あの曲から呼応してくれた人にも楽しんでもらえる作品になったんじゃないかと思います」

■アコースティックといっても静かな弾き語り作品とは違う、音楽的にもかなり遊んでいるし冒険もしているし、生楽器でダイレクトに空気感が伝わる分バンド自身のグルーヴがダイレクトに表れた曲が入ってますよね。

坂倉心悟(B)「自分でも、所謂アコースティック作品というより、NICOがバンドをやっているという点でカッコいいものができたと思っていて。レコーディングはみんなで一発で録れるようにっていうところを意識して作っていったんですけど、それがいいように働いて。演奏の生々しさというか、ライヴ感が凄く出たと思うし、それが凄くよかったなと思います」

■そうですね。なんかこう、4人がスタジオで音を鳴らし合っているところを覗いてしまったような、そこに招かれたような気持ちになる。

対馬祥太郎(Dr)「あ、その覗き見っていうのは、まさに!ですね(笑)。実際に曲のアレンジをやっている時も、『ちょっとスパニッシュ・ギターとかやってみたいよね』とか言って、俺も含めみんなでやってみたりして。そういうことに1日費やしたり(笑)」

■対馬くんもやってみたんだ?

対馬「はい、俺もやりたがりなんで(笑)」

光村「というか、まだ形にはなってないんだけど、4人でGipsy Kingsになろう!っていうアイディアは2年前くらいからあるんですよ」

■はははははははは、ていうか対馬くんがアコギ持った姿って、確かにGipsy Kingsそのもの的なものがある!(笑)。

一同「はははははははは」

光村「そのために対馬くんに早くアコギ買ってくれって言ったりして。俺Gipsy Kings好きだし、なんか楽しそうでいいじゃないですか(笑)。それこそ去年のVIVA LA ROCKでやりたかったけど、間に合わなくて」

対馬「間に合わなかったねぇ(笑)。まぁでも、そうやって新しいことをアクティヴにやった期間でもありましたね。特に古くんは大変だったよね?」

古村大介(G)「大変だった……だってガットギターもやったしアコギもやったし、“Diver”ではブルースハープも吹いたし………」

光村「もうね、古くんは一生懸命ブルースハープ吹きながら酸欠になってて。あの時はほんと、幼稚園のお遊戯会の父兄の気持ちで古くんを見守ってましたね。『頑張れ! もう一回! 立つんだ古くん!』みたいな(笑)」

古村「あのレコーディングはほんと辛かった。ハープがあんなに肺活量が必要なものだとは思わなかったです(苦笑)。もう本当にね、<息をしたくて>、<ここは苦しくて>っていう歌詞の通りで」

一同「ははははははははははは」

古村「ある意味あの歌詞を体現しちゃったという(笑)」

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text by 有泉智子

『MUSICA3月号 Vol.95』

Posted on 2015.02.19 by MUSICA編集部

エレファントカシマシ、バンドが迎えている新たな季節を
プライヴェートスタジオにて宮本浩次が語る

『STARTING OVER』や『昇れる太陽』というアルバムは、
蔦谷さんやYANAGIMANや亀田(誠治)さんが
一番の僕の心のパートナーだったんです。
だけどそうじゃなくて、
もう一度この4人でエレファントカシマシなんだっていうことを
ほんと久しぶりに取り戻すことができたのが、この1年だった

『MUSICA 3月号 Vol.95』P.100より掲載

 

■この取材のきっかけは、1月4日の日本武道館公演の際、ライヴを観て盛り上がりながら、ただただ漠然とインタヴューがしたいなと思いまして、そのまま終演後の楽屋で宮本さんに直談判させていただいたところから始まったんですが。

「そうですね(笑)。そう言っていただいて、ほんとに嬉しかったです。しかもこうやって、わざわざ遠方までお越しいただいちゃって」

■いや、むしろこうやって宮本さんが日々籠って曲や歌詞を書き、エレカシが日々練習をしているプライヴェートスタジオにお邪魔できるなんて、僕らにとってはとても嬉しいことだし興奮してますよ。話に聞いていた急須を見つけたり、ここはロックの秘密基地です。

「ははははは、そうですか、ありがとうございます(笑)」

■では早速ではありますが、取材を始めましょう。まず、宮本さんにとって、あの久々の新春・武道館2デイズというライヴはどういうものだったんですか。

「やっぱり僕にとっては、本当にあの2デイズを目標に2014年の1年間を生きてきたと言っても過言ではないくらいのものだったんですよ。昨年の春にVIVA LA ROCKをはじめフェスに出演させてもらったところからスタートし、夏フェスもかなり回り、そして9~10月には本当に久しぶりのツアーがあった上での武道館というところで……実はシングルの予定なんかも計画としてはあったんですけど、でも、去年はそれよりもツアーと武道館を最優先して、何しろライヴをやっていくんだっていう意気込みでやってたもので。その区切りであり、また新たなスタートでもあるという位置づけで、あの武道館は臨みました」

■武道館を2日間やるのは15年ぶりのことだし、集客も含めて今までで最も好調を告げている現在のエレカシを象徴するライヴでもあったと思うんですけど、そういう意味ではどうでした?

「それはやっぱり嬉しかったですねぇ。鹿野さんに観てもらった2日目のほうは、実は第一部の中盤くらいでちょっと挫けそうになると言いますか、自分の中で何かこう、もうひとつノリ切れていない感じがあって。前日とは大分曲も変えていたので、そういう曲に対する想いが前日の緊張感とはまた違うものがあって……でも、そういう中で客席から自分が思っている以上の歓声を受けた時に、それが本当に心から嬉しくて、そこから急に盛り返すというか、『やっぱりこの曲順でやってよかったんだ』と確信することができたんです。ほんとにね、初日と2日目では曲順全然変えたんですよ。それはいろいろ考えた上で敢えて変えたわけなんだけど、でも、心のどこかでは『昨日せっかく上手く行ったのに変えるってどうなんだろう』とは思ってて……それが拍手をたくさんもらったことで吹っ切れたんです。元々ね、31日と1日とリハをやったんですけど――」

■え、それって大晦日と元旦にリハをしているということ?

「はい(笑)。まぁ新春公演の時って、みんなその大晦日とか正月のリハが楽しみでもあったりするからさ」

■そういう楽しみ方も世の中にはあるんですね(笑)。

「ただ、実はそのリハの時はそれぞれ27曲くらいしかやってないんです。だけどやってるうちに結局10曲くらい増えちゃって(笑)。というのもね、蔦谷(好位置)さんも、ヒラマ(ミキオ)さんも、金原(千恵子)さんのストリングスチームも、みんな含めて凄くバンドっぽいというか、エレファントカシマシっていうバンドに対して凄く大きな想いを持ってくれて、凄く熱の高い演奏をしてくれて……そういう中で自然と『もっと!もっと! さらに出そう!』という気持ちになれて。それで当日のリハで急に曲を増やしたり、『明日やっぱりこれもやりたいからお願いします』ということになったりして、結果あれだけの曲数になったんです。だからあれは、総勢14人のメンバーが大入りのお客さんの前で心の底から気持ちよく演奏ができたことの証なんです。そういうメンバーとライヴができたことが、僕は本当に嬉しかったです」

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text by 鹿野 淳

『MUSICA3月号 Vol.95』

Posted on 2015.02.19 by MUSICA編集部

米津玄師×wowaka(ヒトリエ)、
新時代を切り拓くふたりの待望の対談が実現!

お互いに意識し合ってる感じは上げる作品からも感じたし。
メロと言葉の乗り方を大事にしようという意識が生まれたのは、
彼がきっかけだった(wowaka)

“ワールズエンド・ダンスホール”は引っくり返るぐらいの衝撃を受けて。
これは負けてらんないって思って、日夜考え尽くしてた記憶があります(米津)

『MUSICA 3月号 Vol.95』P.84より掲載

 

wowaka「ビックリするくらい久しぶりだよね」

米津玄師「もう2年ぐらい会ってなかったですよね」

■昔はそれこそ一緒にイベントをやったり、よく会ってたと思うんだけど。

米津「でもたぶん、よく会ってたっていうと語弊がありますよね。普通の感覚から言うと、そこまでは会ってない(笑)」

wowaka「はははは、確かに。でもイベントに同じサークルで出店したりもしたよね」

■トークイベントも一緒にやってましたよね?

wowaka「そんなこともありましたね(笑)」

米津「遠い昔のことのようだな(笑)」

wowaka「4年前とかじゃない?」

■『diorama』のリリースタイミングでもやってたはずだから、3年弱前くらい?

wowaka「そうか。あれが出た時にロフトプラスワンでイベントやったんだ(笑)」

■出会いはいつ頃、どんな形だったんですか?

wowaka「2009年にお互いVOCALOIDの曲をニコ動で発表し始めたんですよ。たぶん時期も同じぐらいだったんじゃないかな」

米津「うん、ほぼ同じでしたね」

wowaka「で、自分で曲をアップしていると、他の人が気になる時期が来るんですよ。それでいろいろ聴いてた時にすげぇいい曲があるな、やたら(再生回数が)伸びてる奴がいるなと思って意識し始めて。それが“WORLD’S END UMBRELLA”とか“Qualia”とかの時期、だから2009年の夏くらいかな。でも、実際にコンタクトを取ったのはもうちょっと後かな?」

米津「そうですね。で、たしか次の年の初めにボーマス(THE VOC@LOiD M@STER)で一緒になって。その前にTwitterでやり取りはしてたんですけど、会うのはその時が初めてで」

■米津くんがwowakaくんを知ったのはいつ?

津「僕も本当に同じタイミングですね。(2009年の)夏ぐらいに“裏表ラバーズ”が凄い伸び始めて、なんか凄い人がいるって話題になってて。そこで知りました。……伸び始める時期も一緒ぐらいでしたよね? たぶんwowakaさんのほうがちょっと早かったと思うんですけど」

wowaka「ハチくんのほうが早かったよ。『こいつムカつくな』って思ってたから凄い覚えてる(笑)」

米津「はははははは」

wowaka「羨ましかったから(笑)」

米津「やっぱり同期ってめちゃくちゃ気になるんですよ。ちょっと前の人は先輩みたいな感じで、凄いなとは思うけど気になる感じではなくて。でもwowakaさんはまったく同期なんで、かなり相互作用というか、触発されましたね」

wowaka「お互いに意識し合ってる感じは上げる作品からも感じたし。僕は一番最初に聴いた時からずっと、メロがとにかくいいなって思ってて。それは今も変わらずそうなんですけど。めちゃくちゃキャッチーなのにクセがあるというか、メロディを5秒聴いたら彼の曲だとわかるみたいな感じはずっと印象にあって。本当に凄いのがいるなって思ってましたね。自分はメロディ作るのが苦手なんですよ。だから、そういうところで意識してた部分は凄く大きいですね」

米津「wowakaさんの曲も凄いメロディがいいなって思いましたよ。僕はメロディが一番大事な人間で、メロディ至上主義みたいな感じで曲を作ってるんですよ。でもwowakaさんの曲はそれまでに聴いたことないメロディだったし、自分のキャパシティの中にまったくない音楽だったから『こんなのがあるんだ!』って感じで。リズムの取り方とかも凄い独特で……最初に聴いた時は後頭部ガンッて殴られた感じがするくらい衝撃だった」

■相手の楽曲が自分の作るモノにも影響して、フィードバックされたところもあったんですか?

米津「僕は凄くありましたね。あのリズムの取り方とか――wowakaさんの曲は凄い速い曲が多いじゃないですか。あのリズムや譜割は自分の中になかったものだから、自分なりに解釈して対向するにはどうしたらいいか凄く考えましたね。特に“ワールズエンド・ダンスホール”が――」

wowaka「なんかすげぇ褒められたよね(笑)」

米津「あれは引っくり返るぐらいの衝撃を受けて……」

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text by 有泉智子

『MUSICA3月号 Vol.95』

Posted on 2015.02.17 by MUSICA編集部

UVERworld、
「『Ø CHOIR』以降」はすでに始まっていた!
アルバムを引っ提げ行ったツアーをメンバー全員で大総括!!

Zeppとかだと、スピーカーが後ろのほうに向けて設定されてるから、
実は前の人って結構聴こえないんです。
でも、せっかく早く並んで一番前に来たわけだから、
その人達にもちゃんと音をぶつけたくて。
そのためにメンバーでお金を出してスピーカーを買って、
前を狙うスピーカーを毎回4台持ち込んでるんです

『MUSICA 3月号 Vol.95』P.62より掲載

 

■去年の夏からの長きにわたるツアーが終わり、今後もメンバーの誕生日ライブがあるそうですが、『Ø CHOIR』というシーズンが一旦ファイナルを迎え、本日はインタヴューをお願いしました。まずは、このツアーが自分にとってどういうものだったのかを教えてもらえますか。

誠果(Sax)「僕にとっては、このツアーが正式なメンバーとして初めてのツアーだったんですよ。だから新鮮なことが多くて……これまでとスタッフもメンバーも一緒なんですけど、でも試すことが多かったし、新しい発見も多かった。次のツアーに向けて大きな一歩になりました」

■正式なメンバーになってステージの上から見える景色とか、みんなから受け取る感覚っていうのは、違うものなんですか?

誠果「全然違いますね。サポートの時は今ほどスポットライトもなかったし、お客さんからの目線も凄く感じて、やりがいとかも感じますし。それがあるからこそ、いろいろと考えた部分もありますし、同時にこの5人はそれをずっと積み重ねてきたんやなと思うと、こいつらやっぱりすげぇなと思ってましたね(笑)」

彰(G)「僕は、チームとしての強さを実感できたツアーでした。この6人と、このスタッフじゃないとできないツアーだったなと」

■演奏面ではどうだったの?

彰「それは今まで以上に何も考えず、自由にできましたね(笑)」

■ステージの上って、いろんなことを考え出せばキリがないわけじゃない? その中で無心になれるっていうのは素敵なことですよね。

彰「うん。そういう時ほどいかに自分達らしく、今までやってきたことをどれだけ表現できるかっていうのは心がけていましたね」

真太郎(Dr)「自分も、楽しいツアーだったなっていう印象ですね。ツアー回って、その間にアルバムも出て、(大阪の京セラ)ドームもやって、いい感じに回っているなと思いましたね。ツアーって、長くなると中だるみとかも出てくると思うんですけど、それもなかったし」

■それは何がよかったから、ずっと張りつめられたんだろうね?

真太郎「ドームからライヴハウスまで、いろんな規模のライヴが混ざっていたっていうのと、年末のアリーナ始まった時に、ちょっと気抜くとトラブルもあったし、やっぱり怖いなというのも思い出せたし(笑)。ライヴ何本やっても、アリーナに慣れてきても、気は引き締めなアカンなって」

■なるほど。リーダーは?

克哉(G)「去年はいろんなことに喜びを感じられた年でした。大きなツアーやったし、スタッフが臨機応変に対応してくれるのもそうやし、いいアルバムを出せたってのもそうやし、2013年よりも2014年はバンドとして凄く成長できているなって。京セラドームでライヴできたり、毎年、年末福岡でライヴできているってのも、武道館でできたってのもあるし」

■スタッフのケアっていうのは、具体的には今までとどんなところが変わったんですか?

克哉「僕ら、リハーサルで曲順変えたり、急にセットリスト変えたりとかするんで、流れとかあってないようなモンなんですよ。たとえばアリーナツアーだったら、照明がないってこともあったりするんですよ。そういう時に、すぐに合わせてくれたりとか」

■この曲を急にやろうと思っても、それに見合う演出ができない。っていうのが今まではあったんだけど、今はそういうこともあるかもしれないっていうのを見越して用意してくれてたりするってこと?

克哉「そうそう! この曲やるんじゃないかとか、長年一緒にやる中で、(スタッフが)僕たちのことを凄く理解してくれているんですよね。毎回、同じセットリストで回らないっていうのが、僕達にとっては当たり前というか……その場所、その場所でお客さんが聞きたい曲も違うやろうし、来る人も違うし。そういう想いみたいなのもスタッフの人が理解してくれるようになったんですよね」

TAKUYA∞(Vo)「うん。今回のツアーは本当に凄く楽しめたし、やりがいもありましたね。何もかもが自然にできていて、自分達がバンドを結成した時に描いていた『あるべき形』みたいなものにドンドン近づいてこれているなっていうのが実感できました」

■それは何が変化して、何が進化したからだと思いますか?

TAKUYA∞「バンドを結成すると、元々あったものを失っていくし、楽しかったはずのものが楽しくなくなっていったりして……そういうことあるじゃないですか?」

■ビジネス面とかで?

TAKUYA∞「まぁ、そうですね。やる場所が変わっていく中で、自分なりに正しいと思って選んでいったものが、結果違うものに繋がってしまったり。大きい会場でやるにつれて自分がどこで何をやっているのかもわからなくなったりして……」

■そんな時期があったんだ。

TAKUYA∞「そんな時期ばかりだった気もしますから(笑)。でも、そんな中でも自分達がやってきた大好きな音楽っていうもの――UVERworldっていうものを信じて、大切にし続けてきて――それが理想通りに思い描く方に合致してきて――『楽しい』って一言でも、僕は十分だと思ってたんだけど、でもその意味が凄く深くて――単純に楽しいことなんて、凄く難しいことだと思うし。メンバーの不仲とか、セールスに繋がらないとか、そんなことだらけですよ、バンドをやっていくって。でも、そういうのも全部ひっくるめて、ストレスフリーになって楽しいし、総じて楽しかったんですよ。本当に、何していても楽しかったです!」

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text by 鹿野 淳

『MUSICA3月号 Vol.95』

Posted on 2015.02.17 by MUSICA編集部

MAN WITH A MISSION、2015年は何処へ向かうのか。
オオカミ達が新章突入を吠える!

時代ノ瞬間ヲ切リ取ッテイル音楽デモ、
一番ブレテハイケナイ「バンドノ芯」トイウモノガアルトイウコト。
ソノ芯ヲ一貫シテ熱イモノデアリ続ケサセルコトガデキレバ、
ロックバンドハ大丈夫ナンジャナイカッテイウ実感ハアリマシタネ

『MUSICA 3月号 Vol.95』P.62より掲載

 

■『Tales of Purefly』以降、初のシングルとなりますけど、今回表題曲の“Seven Deadly Sins”と“Dive”の2曲に関してはドン・ギルモアをプロデュースに迎えて制作を行ってらっしゃって。

「イェス! 外国人ノプロデューサートイウ方ヲオ迎エシテ制作ニ挑ンダノハ非常ニ新シイ刺激ヲ受ケタ制作デシタネ。レコーディングノプロデュースダケデハナク、楽曲制作ノ時点カラ彼ニ入ッテモラッテ。本当ニ楽曲ソノモノ、歌詞ソノモノニツイテ細カク話シ合イナガラ作ッテイクコトガデキタノデスガ、ソウイウ外部カラノ刺激ニヨッテ、自分達ノ楽曲ノ中カラ新シイ側面ヲ切リ開クコトガデキタナ、トイウ手応エヲ感ジテオリマス」

■『Tales of Purefly』はコンセプトアルバムという形態のみならず、これまで以上にオオカミ達の音楽的なバックグラウンドを盛り込んだという意味でも非常に大作だったし、挑戦的な作品だったと思うんです。あの作品を作り、メッセージ含めてより自分達の業の強いものをお客さんに届けていくツアーをやり遂げた後、そもそもその次の一手として、今回はどういうイメージや志を持って取り組もうと考えていたんですか?

「『Tales of Purefly』ヲ作ッタ時ニ、ソレコソ――(はい、恒例ですが、ここからはジャンケンの言葉を滑らかな日本語へと翻訳してお送りいたします)――自分達の音楽のバックグラウンドをこれでもか!というぐらい惜しみなく出したつもりでいましたし、かつ、コンセプトアルバムにすることで芯の定まった作品にでき上がったので、そういった意味では我々としましてはもの凄く満足したんですね。ただ、別に反省してるわけではないんですけど、結構詰め込んだ作品になったなということもありまして」

■はい、ほんとに濃密なアルバムでしたよね。

「イェス、非常に濃密だったと思うので、次はもっとダイレクトな、凄くシンプルなものをもう一度やってみようかなという考えはありましたね」

■MWAMでいうダイレクトなものって、ダンス性やラウドなダイナミクスでフィジカルに訴えかける方向性と、心に真っ直ぐに歌を届けるエモーショナルな方向性と両方あると思うんですけど、そこはどういう?

「フィジカルな部分でダイレクトにするというよりは、聴こえ方そのものですかね。楽曲そのものがダイレクトに伝わると言いますか。今までの楽曲ももちろん伝えるために書いてきたものだったんですけど、今回はその伝え方や手法の部分、つまりちょっとしたアレンジだったりアプローチだったりを見直すことで、楽曲本来のメッセージが解像度のいい状態で伝わるものを目指しました。で、そこはドン・ギルモアと組むことによって――彼のプロデュース手法はそこにかなり特化したものだったので、凄くいい具合に化学反応できたのかなと思います」

■オオカミのみなさんは音楽に対して非常に深い愛と深い業を持っていらっしゃるということは前作ではっきりと明示されているわけですが、そういう自分達の業や嗜好をベースにしながらも今のオーディエンスの感覚や今の時代の臨場感を非常に巧みかつ緻密に楽曲に取り入れてきたことが、MWAMを今の状況に押し上げたひとつの要因でもあると思うんです。ただ、『Tales of Purefly』を作ったことで、以前よりもそこから自由に解き放たれているような、より大きな音楽というところへ向かっている――その第一歩がこのシングルには刻まれているような気がしたんですが。

「ナルホド。その時代の臨場感を必ず体現した楽曲にしたいっていうことは今でも変わらないんですけどね。ただ、自分達が作っていく音楽が時代の臨場感を帯びたものであるべきだということと同時に、1世紀経っても2世紀経っても、時代を越えて愛されるものでありたい、そういう楽曲を作りたいっていう想いはより大きくなっていて。それは『Tales of Purefly』を作った時にもの凄く感じたところでもありました。今までの我々も、もちろん根っこでは普遍的なものを作ってきたつもりではありますが、手法だったりアプローチの仕方でかなり色濃く、いわゆる時代を切り取った何かを差し込んでいたところがあって。そういった手法はこれからも続けていきたいと思うんですけども、『Tales of Purefly』を作って自分達の根底に流れているものをもう一度見つめ直した時に、そして、それを発表していろんな方からの評価だったりお声をいただきました時に、こういったものって間違ってないんだなっていう確信を得ることができたんですよね。そのおかげで自由になったっていうのは、確かにあるかもしれないです」

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text by 有泉智子

『MUSICA3月号 Vol.95』

Posted on 2015.02.17 by MUSICA編集部

[Alexandros]、
バンドの現在地に迫る2号連続ソロインタヴュー企画敢行!
前編――川上洋平・庄村聡泰

Chapter 1――川上洋平
「ひとりじゃないんだよ」っていう歌が多いけど、
俺は「人はひとりなんだ」って言いたいんです。
何故なら、自分の人生は誰かに頼って生きるものじゃないって思ってるから

『MUSICA 3月号 Vol.95』P.52より掲載

 

■なんとインタヴューするの8ヵ月ぶりなんですよ。これってウチではデビューしてから初めてのことで。

「8ヵ月って言われてビックリしましたよ(笑)」

■これは何を表しているかというと、フェスやイベント、あと年末のディスフェスと、ライヴはコンスタントにやっているけれども、でも基本的には今までになく制作にじっくり向かい合う期間を過ごしていたということで。まずは、どんな8ヵ月を過ごしてました?

「まず5月から6月にかけては、次のアルバムのデモを作ってましたね。その時にできたのが5、6曲ぐらいあって。で、それを夏フェス期間に温めて、秋にまた後半戦の曲作りに挑んでました。実はそれってセカンドアルバムの作り方と同じなんですよ。その感じを取り戻そうぜっていうのを2013年の終わりぐらいに話して。やっぱりここ最近ずっと突っ走ってきたから、このタイミングで1回ちゃんと時間かけてモノを作るってことをやってみたかったっていうのがあって」

■その話は前作『Me No Do Karate.』を作り終わった直後からあったよね。あのアルバムは、アレンジに関してはかなり時間のない中、瞬発力でいろんなアイディアを出し合いながら作り込んだもので。だからと言って妥協した部分はないし、当時のバンドのテンションや勢いが凝縮したアルバムだったけど、だからこそ次はもう一度じっくり曲と向かい合う制作をしてみるべきなんじゃないかって話はしてましたよね。

「そうなんですよね。前作ももちろん満足してるし、あれはあれで凄くいい経験になったんですけど。でも単純に、あれをやり切ったからこそ、次は瞬発力じゃない部分、本当にじっくり作った時に出るものを試してみたいなって思ったというか。その成果は次のアルバムに出ると思います。でもね、たぶん曲調はむしろシンプルになってると思いますね。『これ、本当に作り込んでんの?』みたいな感じになってると思います」

■そのシンプルさは今回のシングルからも感じるけど、作り込むことによって生まれるシンプルさはあるよね。それってつまり、1回盛り込んだアイディアを精査することで引き算ができていくってことなんだけど。

「そうですね。とは言え、まぁかなり幅広いですけどね。本当の意味で面白いことになってます。有泉さんにかなり昔に聴かせてたヤツとかも今回やっと入ってる(笑)」

■そうなんだ。温めてたのを出してきたって感じ?

「そうですね。あと前からシンプルに8ビートをやりたいっていう話はしてましたけど、それがやっとできつつあって。アイディア的にもそうだし、メンバーの温度的にもそういうものができる雰囲気になってきたんで。“Dracula La”もそうですけど、今回そういう曲が結構ありますね。前に作ったメロディで、でもバンドのアンサンブル的にまだ早いなって思ってたものを今回のタイミングで蔵出ししてきたっていう。2年越しの曲とかありますからね」

■私は今回のシングル聴いてて、ソングライティングが凄く自由だなって思ったんだよね。

「あ、そこは僕の今年のテーマですね」

■洋平くんってバンドをカッコよく鳴らす曲を作るのが凄く上手だと思うんだけど、でも作曲者としての本質的な部分では実はバンドに囚われない、シンガーソングライター的な幅広さやポップネスを持っていて。そういうソングライティングの自由度、シンガーとしての自由度が上がってるなぁと思ったんです。

「メロディ作ってる時は、それを凄い感じてましたね。前作はメロディを作っても考え込んでたことが多かったし――メロディ自体は何も考えずに出てくるんですけど、本当にそれでいいのか?っていうのを凄い考えて、何度もやり直したりして」

■『~Karate.』のインタヴューの時、初めてメロディ作りで苦しんだって言ってたもんね。出てくることは出てくるんだけど自分自身が満足できなくて、作っては捨て、作っては捨て、を繰り返してたって。

「そう。でも今は、『俺の中から出てきたメロディは絶対にいいはずだ』っていう自信がより強くなって。だからそこに関して迷いは一切なくなって、とにかく出てきたメロディをどうやって肉づけして、どういうふうに表現してあげたら一番いい形になるのかってことを見出すほうに時間をかけたんですよね」

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text by 有泉智子

『MUSICA3月号 Vol.95』

Posted on 2015.02.16 by MUSICA編集部

BIGMAMA、初の表紙巻頭 総力大特集!
――ARTICLE 2
メンバー全員で振り返る、決定版BIGMAMAクロニクル!

結成前のメンバー同士の邂逅から最新アルバムまで――
一瞬一瞬、そのすべてがターニングポイントだった
BIGMAMAの0から100

『MUSICA 3月号 Vol.95』P.30より掲載

 

■今回の表紙特集は、2部構成でのインタヴューをさせていただいてますが、後編では、『The Vanishing Bride』について5人全員から話を伺うとともに、2001年からのバンドヒストリーを紐解いていければと思っています。

全員「よろしくお願いします!」

■まず、前作以上の、今まで積み上げてきたからこそ生まれるべくして生まれた、素晴らしいアルバムが完成しました。作品全体に緊張感があって、音楽的なバランスもロックバンドとして奔放に広がり切っていて。かつ、非常にポップな作品になっていますが、アルバムを作り終えてどうですか?

安井英人(B)「今回は新しい挑戦を凄くしていて。新しいエンジニアや、マニピュレーターと組んだこともそうだし。自分の楽器やアンプも変えたりしたんです。そういう挑戦の中で、新しいBIGMAMAのスタートを切れたと思います」

リアド偉武(Dr)「僕も『新しいな』っていう印象は凄いありますね。バンドを始めた時は元々、自分達が好きだったメロディックパンクやメロコアのバンドと似た音を出してたと思うし、自分達がやっていたライヴもそういうジャンルに近いものだったと思うんです。だけど、そこから少しずつ音楽性が広がっていって、『こういうこともやっていいんだな』っていうことに気づいたり、『もっとこういうことがやりたい』っていう意見がメンバーから出てくるようにもなったりして――それで、音の面では、5枚目のアルバム『君想う、故に我在り』で自分達の楽曲を突き詰め切ったと思うんですよ。それ以降にもう一度、自分達のライヴを見つめ直して『どうやって、人を熱狂させられるようなライヴをするか』っていうことを考えたんですね。そうして一周してきたところで、アグレッシヴさが前面に出てきた部分がありました。あと、自分の中では『一つひとつにこだわり過ぎないようにしよう』っていうことを決めたというか。今まで自分は、ドラムの音に関してはシンプルな音・リズムが好きだったから、パーカッションやデジタルな音が入ることを好まなかったんですけど、今回は運よく素敵なマニピュレーターと出会ったことで、自分達の音に新しいエッセンスを入れてもらうことができましたね」

■僕は最初に「このアルバム全体から緊張感を感じた」と言いましたけど、それは今ふたりが話してくれた、リズムやグルーヴがバッキバキなことが大きいよね。

リアド「今までとは違って、音の輪郭をはっきりさせました。長くバンドをやってきて、メンバーお互いのこともわかってきて。その中で、もっと緊張感を持ってやっていきたいと思ったし。その結果が、バキバキした強い音になって表れてきたと思うんです」

柿沼広也(G&Vo)「鹿野さんの『緊張感』って言葉に繋がると思うんですけど、今回は『冷静と情熱の間』というか、感情的にもいろんなバランスがとれている作品になったと思うんです。前作の『君想う、故に我在り』を作った時に、バンドとして綺麗な世界観を見せようっていうことをコンセプトにしていて、実際に大好きな作品ができたんですよ。だけど、それをライヴで生で表現してみるとなかなか伝わりづらいと感じることがあったり、言ってしまえば、もっとバンドとして評価されてもいいのにと思うことが多かったりして。そのフラストレーションは結構溜まってしまったんです。だからその苛立ちを次に作った『Roclassick2』に健全に出せたと思うし、それによって勢いがあって凄くいいアルバムになったと思うんですけど、振り返ってみると、とても肩に力が入っていたなぁと感じたんです。そういうことを経て作った今回の『The Vanishing Bride』では、今話したような想いも全部とっ払って、素直に曲も作れたし、素直にプレイできた感じがしましたね」

東出真緒(Vn)「私はこの1年、自分のやりたいことやみんなのやりたいことが、今までになく凄くスムーズに進んでいった印象があって。思い返すと、今まではレコーディングの前日、当日まで思い悩んだりすることもあったと思うんですけど、今回は、みんながみんなのことを理解している感じが凄くあったんです。私はウワモノなので、今までは自分の音を入れる時に、遠慮しながらやってるところがあったんですよ。だけど今回は遠慮なくやれたし、『これがいいと思うんだ』っていうことを素直にやったらそれがマッチしていたっていうことも多くて。以前『Roclassick』を出した後に『君がまたブラウスのボタンを留めるまで』でステップアップした感じと、『Roclassick2』を出した後にこの『The Vanishing Bride』でステップアップできた感じが、自分の中でとてもリンクしてるんですよ」

(中略)

 

2001-2005

バンド紀元前

 

■では、この作品に至るまでのBIGMAMAの歴史を紐解いていきたいと思います。バンドの始まり自体は2001年なんですよね?

金井政人(Vo&G)「高校1年生の時に高校1年生の時に、今のTOTALFATのメンバーが学祭でライヴしていたのを観て、俺とリアドが『何か楽器やりたいね』って言って楽器を始めたんですよ」

リアド「僕と金井は高校に入ってからは帰宅部で宙ぶらりんになっていたので、帰宅部なりに『楽器をやったら面白そうだよね』って思って」

■そのパンキッシュなゆずのふたりが、どうやってバンドになっていったの?

金井「2002年……高校2年生の時に、僕と柿沼と安井が同じクラスになって。2003年にかけてBIGMAMAっていう名前で自分達の曲を作り始めたんですよ。だから、バンドの始まりでいうと、2002年が出発点で」

リアド「でも、2001年の時点で金井と安井はバンドで学園祭に出てたよね?」

■その時には金井と安井くんで組んでたんだ?

リアド「やってましたね。それが伝説のバンドで――」

東出「なんていうバンド名でしたっけ?(笑)」

リアド「『気持ち』」

■あはははははははは!

金井「『世の中で一番大切なものはなんですか?』って言って、『気持ちでしょ、気持ち!』って――それがバンド名になるという(笑)」

(続きは本誌をチェック!

text by 鹿野 淳

『MUSICA3月号 Vol.95』

Posted on 2015.02.16 by MUSICA編集部

SHISHAMO、セカンドアルバム『SHISHAMO 2』完成!
気鋭バンドの本質に迫る宮崎朝子の20年とバンドの本音

松岡が入ったことで、SHISHAMOっていうバンドに
人が入りやすくなったと思うんです。
それは、悪く言えばSHISHAMOに隙ができたっていう意味でもあって。
だから、私は隙を見せたくなかった

『MUSICA 3月号 Vol.95』P.216より掲載

 

■2枚目のアルバム、完成したばかりです。

「まだあんまり実感が湧かないですね。『これが出るのか!』っていう(笑)。なんでかっていうのはわからないんですけど、毎回お店に作品が並んだ時にも『あ、CD出てる』くらいの感じなんですよね……」

■宮崎は曲を作る時は詞先行だよね。作詞して作曲して、それをデモテープにしてレコーディングする。それがCDになって世の中に出る、感想がくる、ツアーをやる――この間のどの瞬間が一番グッとくるの?

「……その全部は比べられないかもしれないですね。でも、CDのことに関して言えば、曲を作って、レコーディングが終わった時に一番グッときます。『終わったぁ』っていう(笑)。やっぱりレコーディングが一番精神的にキツいので……みんなが本気でやってるからこそのぶつかり合いもあるじゃないですか」

■今の話を聞いていると、宮崎が思い描いたイメージを作品にするために、いろんな人達に説明をしたり、ぶつかったりしたんじゃないかと思うんですけど。今回の作品のこだわりはなんだったの?

「『変わらないこと』ですかね。成長っていう面では、これから必要な部分はあると思うんですけど」

■なるほど。でも僕は、この作品を聴いて結構変わったと思ったんですけど。

「え、そうですか(笑)。たとえば私が他のバンドを見ていたとしたら、バンドが変わることが嫌なんです。変わると、失われるものもあるじゃないですか。それが寂しいし、ダサいというか……。それは、いろんなバンドを見ていて思うこともあって。たとえば松岡(彩/B)が入ったことによってバンドが変わることは自然だと思うんです。だけど根本的なところは変わらないでいたくて。だから、このアルバムで『SHISHAMOはSHISHAMOです』って表したかったんです」

■そのためにどういうところを頑張ったの? 

「とにかく『何も考えないようにしよう』っていうのが今回は大きくて。曲を作る上で、まずは私の中から真っ直ぐ出てくるものこそが一番のSHISHAMOらしさなんじゃないかと思って、今回は前よりも好きなように作れたし、自分の好きなメロディがいっぱい出てきて、それを曲にできた実感があります」

■自分の音楽を自分の中でモノにしていってるっていう感覚があるんだ?

「でも、私がいいと思ってるものが『いい』とは限らないし、私の中では私の好きな曲が一番正しいとは思ってるんですけど……一緒にやっている人達が、私が全然よくないと思っているものを『いい』って言ってくれたりもするんですよね。だけど私も、SHISHAMOは自分だけでやってるものではないと思うし、人の言葉を信じると上手くいくっていうのもなんとなくわかってきて。簡単に言うと、信用できてきたってことだと思うんですけど」

■ベースの松岡が新加入してすぐツアーを回ったじゃない? その後に、宮崎はこの新しいSHISHAMOをどう感じたんですか?

「松岡の人柄が一番大きいんですけど、松岡が加入してからの3人のほうが、前のSHISHAMOより好きな人が増えるだろうなと思って。これは音楽じゃない面ですけど」

■彼女がポップな存在だっていうことだよね。

「そうですね。彼女が入った時の全体像のほうが、惹かれる人が多いんじゃないかって」

■あのツアーを観て思ったのは、松岡は決して完成度の高いベーシストとして加入したわけじゃなかったけど、その割には、リズムやサウンドをゴリゴリ鳴らすライヴになったという変化が見えたんだよね。それと共に、松岡が入ったことで、バンド全体の見え方の大衆性が増した。そして、宮崎はツンデレのデレがなくなった、非常にアグレッシヴなキャラクターを解放し始めた(笑)。この3つが非常に大きかったと思ったんだけど、どういう流れでそうなっていったんですか?

「やっぱり、松岡のキャラクターが入ったことで、私が変わったというか……変わらざるを得なかったっていうんですかね?(笑)」

■それは、どういう意味で?

「私が隙を見せたくないと思ったというか。……松岡が入ったことで、人がSHISHAMOっていうバンドに入りやすくなったと思うんですよ。それは、悪く言えばSHISHAMOに隙ができたっていう意味でもあるじゃないですか。でもそれじゃ私は嫌なんです。だから無意識にその部分のバランスを取って、今言われた『デレがない』っていう自分になったのかもしれないです。でも、決してそういう自分も嘘ではないと思うので、今はいい形なんじゃないかなって、トータルで思います」

(続きは本誌をチェック!

text by 鹿野 淳

『MUSICA3月号 Vol.95』

Posted on 2015.02.16 by MUSICA編集部

ONE OK ROCK、
日本のロックシーンから解き放たれ、その照準は「世界」へ
全員ソロインタヴューで紐解く革新作『35xxxv』

interview with Taka――
僕らはアートの世界、音楽の世界で生きてるんだから、
違うと思ったことに恐れを感じて口を閉ざしてしまうよりもちゃんと示したい。
言葉で言ったら誤解を生じるかもしれないけど、
音でそれを示すことはできるんじゃないかって思ったんですよね

『MUSICA 3月号 Vol.95』P.36より掲載

 

■単刀直入に訊きますが、Takaにとってこの7枚目のアルバムは、何をやりにいったアルバムなの?

「そうですね……これまでは、今までの僕らを好きで音楽を聴いてくれていた人達が中心にあったとして、それから半径何Km以内のところで僕らは音楽を作っていたと思うんですよ。その半径何Km以内から外に出てもダメだし、近過ぎてもいけないみたいな――」

■それは成功への戦略として?

「戦略というか、それが日本っていう国でロックをするっていうことの在り方だと思ってたんです。だから、そのバランス感覚だけは常に見失わないように作ってたんですよね。でも、一昨年からいろんな国に行ける機会がたくさんあって、そこで気づかされたことが、やっぱりもの凄く大きくて。それを経験した僕らが――僕は、『人生×僕=』っていうアルバムで、日本で作曲して日本でレコーディングするやり方はやり切ったと思ってるんです。だからこそ次のステージに行かなきゃいけないんですけど、それが今回のアルバムだって作る前からわかってたから。その中で、さっき言った僕らを好きで聴いてくれてる人達のテリトリーとはまた違うところに行って、さらにそこが中心となってもっと大きい輪を作っていくっていうことをめざした――そういうアルバムなんです」

■それは確かなものとしてこのアルバムから聴こえてきました。振り返ってみると、ONE OK ROCKは過去に1回大きな脱皮をしてるわけだよね。それは“完全感覚Dreamer”から『Nicheシンドローム』の時で。あの時の脱皮って、今話してくれたことから言うと、どういう脱皮だったの?

「あの時と今は非常に似てますね。あれは、僕自身がやりたくてもできなかったことができるようになった瞬間で。それは内々の問題ですけど、それまでもうひとりギターがいて、彼とのセンスの投げ合いというか、エゴのぶつけ合いの中で出てきたものを自分達の音楽としてたところがあったんですよ。でも彼が抜けて、言ったら自分のセンスだけをこのバンドで表すことができるようになったっていうのは間違いなくあって。で、今回もそういうことなんですけど、ただ、またちょっとレベルが違うというか。やっぱり圧倒的に違うなって……特にWarped Tourを回って思ったのは、僕らはこういう音楽に憧れてそういう音楽を作っていたつもりだったんだけど、やっぱり日本人だったっていうこと、テリトリーの小さなところでしか判断できてなかったし、作れてなかったんだっていうことで……実際に曲という武器を持って同じステージで闘ってみると、違和感しかないんですよね。当然彼らのパフォーマンスの動きだったり、間だったり曲調だったりのすべてが――僕らは昔からファンとして見てきてる分、パフォーマンスや動きで言うと、本当はすぐに自分らもそこのゾーンに入り込めるはずなんですよ。でも自分達の持ってる曲のせいでそれができなくて、『この違和感はなんだろう?』って思うジレンマがあって。……それは凄く感じましたね。だからこの違和感を早く払拭したい、僕らも胸を張ってこのステージに立ちたいっていうのがまずひとつあって。それと同時に、ヨーロッパや南米、ロシアに行って感じたのが、まだCDも出してない中でこれだけの規模でツアーが回れるっていうのは、何が起きてるかわからないところに行ってしまってるなって。ただ、何もしてないのにこのレベルで世界を回れるってことは、僕らから何かアクションを起こしたらもっとデカいものになっていくんじゃないかって思ったんですよ。……そういうふたつの中で、やっぱりこのタイミングで世界ってものをちゃんと意識するべきだなってところに行き着いたんですよね」

■たとえば、海外では作品をリリースしていない状態にもかかわらず、少なくともアメリカ以外に関してはどこへ行ってもある程度の数のファンがいる、そして盛り上がってくれるという状況を目の当たりにした、と。そういう状況にさせてる今の自分達の個性と武器はなんだと感じていたの?

「でも、やっぱりまだギミックなんですよね。まだ各地で差はあるんですけど、単純にファンを見てるとどこかブームを背負ってきてしまってる人達っていうか……いわゆる純粋な音楽のファンではないように感じるんですよね。少し前に日本で韓国ブームがあったことに近い、日本人っていうことや日本のカルチャーっていうことが僕らにも影響しているというか」

■要するに、アジアンブームとかジャパニーズカルチャーとか東京ポップ感とか、いろんなものが付随した中で自分達が注目されているっていう。

「そうですね。そういう部分もあるっていうことです。そこから入って、聴いてみたら『あ、意外とちょっと違うんだ、このバンドは』っていう、まだそういう次元なんじゃないかと思います。実際ヴィジュアル系のバンドを追っかけてるお客さんもいましたし。それらが合わさってるからこそ凄く大きいものになってるのは間違いないんですけど、でも僕達としては世界を回る上で使うギミックっていうのは、日本人であることだけでいいと思ってるんですよ。それ以外のギミックは一切使いたくない。そういう意味で言うと、もっと僕らが提示していかなきゃいけないことがあると思って。それって僕らが日本でバンドを組んで走り出した時とまったく同じ感情だし、同じ状況なんですよね。状況はもちろん今のほうがいいんですけど。だから、日本でやってきたことをもう1回そのままこのタイミングで他の国でやっていくっていう。単純にそういうことだと思うんです」

(続きは本誌をチェック!

text by 鹿野 淳

『MUSICA3月号 Vol.95』