Posted on 2014.07.17 by MUSICA編集部

HAPPY、時代も国も越えて輝く5人が
遂にファーストアルバムを打つ!

HAPPYの音楽で、楽園が作りたいんです。
デカい湖とか自然があって、動物とか鳥が檻に入ってるんじゃなくて
普通に共存してて。そういう、全部が対等で、
地球にあるめっちゃ綺麗なもんっていうイメージなんですよ

『MUSICA 8月号 Vol.88』P.108より掲載

 

■めでたく遂にどこでも聴けてどこでも買えるHAPPYのアルバムが生まれました。今回の『HELLO』、今までのベストアルバムみたいなものだよね、選曲的には。

Alec(Vo&G)「あぁ、そうっすね」

■この1年間のライヴでもたくさんやってきた曲だと思うんですけど、こういう選曲にしたのは何故だったの?

Alec「アルバムのイメージみたいなのは録る前からあって、曲順も(京都の奥から)東京に出てくる前ぐらいからなんとなく考えてて。そこからちょっと変わった曲もあるんですけど、基本的には俺らの今までのベストであって、逆に始まり的なアルバムでもあるっていう感じです」

■ざっくり言うと、最初に初期の名曲があって、真ん中ぐらいで踊れる曲があって、最後はサイケデリックな曲で終わっていくっていう流れで。

Alec「曲のイメージとか数字みたいなのはRicが込めていって――」

■ん? 数字?

Ric(Vo&Syn)「曲順は、『この曲からこの繋がりがいい』っていうよりは、『この曲は1番っぽいわ』とか『この曲は数字で表したら7っぽい』とか、そうやって決めていったんです」

Syu(B&Syn)「曲順の番号じゃなくて、ただの数字で(笑)」

■なんかわかるようで、まったくわかんない(笑)。

一同「あははははははははははははは!」

Ric「なんとなく曲を演奏しとったらあるんですよ、『この曲は3っていうイメージや』とか『数字やったら7や!』みたいな」

Chew(G&Syn)「なんか直観的な感じやんな?」

Alec「たとえば『色でたとえたら赤』みたいな感じで、『数字でたとえたら何番』みたいな(笑)」

Ric「それで並べてみてから、『こことここの繋ぎはこっちのほうがいいな』みたいに並び直してこういう感じになったって感じっす」

■たとえば、5曲目に“Wake Up”が入ってて、“Wake Up”って言ったら起きる曲だから、普通に理屈で考えると1曲目じゃん?

Alec「あぁ、それも考えたんですけど――」

Ric「最初は逆に最後にしようかなと思ってたんです、“Wake Up”は」

■あぁ、それもいいね。次に繋がりそうだからね。

Ric「そうですそうです。でも、“Color”を9番にしてった時に、結構静かな曲なんで、その次に激しい曲がきたら雰囲気台なしになるな、みたいになって――」

Alec「ちょっと落ち着きたい時に聴ける曲順で、9、10は寝る前に再生したらチルっぽくなるかなっていうのを意識しました」

Ric「で、アナログを作るとしたら、“Wake Up”でA面が終わるのもいいし、“Pity(Xmas)”からB面が始まるっていうのもいいかなって」

■まあこの楽しいまま、順を追って話していきたいと思うんですけど。まずこうやって世の中に音源を出すっていうことが決まった。で、東京に出てきた。言ってみれば、今までは京都の山奥で勝手にやってたようなもんだけど、そこで新しく感じたことってあった?

Alec「昔から出会いには恵まれとったなっていうのは思ったんですよね。出会っていく人が全員俺らのこと理解してくれとったり、感覚が合うっていうか。そういう出会いに恵まれてるバンドやなとは思います」

Bob(Dr&Vo)「僕は引っ越して……意外とどこに住んどっても一緒やなって思いました(笑)」

Alec「ああ、それはせやな。ツアーとかでライヴしに来て、そのまま泊まっとるみたいな感じっすね、今も(笑)」

■まぁ、前からそうだよな。永遠なるヒッピーっていう。

一同「あははははは!」

Ric「でも、ライヴとかしてると、やっとHAPPYっていうものをみんな理解してくれるようになってきたかなっていう感じはしますね。前やったら、ライヴやって『あんま手応えないなぁ。これ、お客さん、楽しんどるんかな?』とか思う時があったけど」

Alec「あぁ、それがデカいかもな、一番。東京に来て、客に届いとる感みたいなのは感じてきたと思いますね」

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text by 鹿野 淳

『MUSICA8月号 Vol.88』

Posted on 2014.07.17 by MUSICA編集部

THE ORAL CIGARETTES、
満を持してのメジャーデビューでいきなり吠える!

この1年間って、自分達にとっては本当に我慢やったんですよ。
各々が薄っぺらい人間のまま
THE ORAL CIGARETTESとしてまとまってるんじゃダメやと思ったし、
それで全員が個人として自分達の在り方と闘った1年でもあったと思う。
本当に来たるべきタイミングに向けて、凄く我慢した1年やったんです

『MUSICA 8月号 Vol.88』P.102より掲載

 

■いよいよメジャーデビューですね。今、どんな心境ですか。

山中拓也(Vo&G)「やっぱ責任感みたいなんは今まで以上に感じるようになって。自分の発言とか演奏面もそうやし、本当にプロとしてやっていかないといけないっていう責任感みたいなのが凄い増えたけども。でも、ライヴとか音源制作、他の面に関しては今まで通り挑戦的なスタイルを変えずにやっていこうっていう。そこに関しては、そこまでメジャーデビューによって大きく変わったっていうのはない気がするんやけど――」

鈴木重伸(G)「よりブレなくなったっていうか、自分達の持ってるものを再確認できたっていうか。そういう意味では、お客さんの反応も増えてきて、いろんな意見もくれるんですけど、自分達をだんだん持てるようになってきてるし、自信っていうのも固くなってきてるなっていうのはありますね」

■あきらは?

あきらかにあきら(B)「ライヴの楽しみ方も凄い変わって。今まで俺達がただ投げてただけなのを、ちゃんと返してくれるオーディエンスがついてきたっていうのも変わったとこやし、そういうのを経てだんたん周りに支えられるものが増えてきたし。だから、僕らを取り巻く環境や知名度はどんどん大きくなっていってるのを凄い感じてるんだけど、その分、僕ら4人は今一緒に住み始めて距離が近くなってるし、中心にある凄くコアなものがガシッと固まってきたなっていうのはあって。ちゃんと固く大きなものになってるなっていう印象ですね」

中西雅哉(Dr)「その本質を知る感じやんな? 責任感っていうのもあるし、私生活においても自分の周りのフワフワしたものが形になって、曖昧な部分を自分で把握できるようにしていかなあかんなっていう。そういう意識が強くなったかなって思います」

■具体的に、東京に出てきて一緒に暮らすようになって、制作の面とか音楽的な変化もあったりするんですか?

中西「いい意味でみんなが自由になったというか。今までは離れて暮らしてたから相手のわからん部分もあるし、こっちが気遣ってた部分とかも全部知れて。『あ、こういうとこあんねや』とか『ここはこうやったんやな』とか、認識できたことによって、今まで以上に自然で、遠慮しなくなって。前やったら、たとえば地方行った時のホテルとかでも、起こす時に気遣ってた部分があったけど」

■寝起きね(笑)。喧嘩になるシチュエーションだよね。

中西「今日とか、あきらが朝起こしに来る時、気づいたら俺の上に寝てたりして。前は『雅哉、起きやー』って言うぐらいやったのに、馬乗りになって『起きろよぉ~、起きろよぉ』みたいな」

あきら「あはははは!」

中西「でも、そういうのも気遣わなくなって、お互いが心見せれてるっていうか。そういう部分は凄く大きいんじゃないかなって思う。元々奈良の時代からスタジオとかで『言いたいことは言おう』っていう意識はあったんですけど、それが今の私生活を経て、自然にそういうのがもっとできてくなって思ってます」

■今回の“起死回生STORY”って、本当にメジャーデビューに相応しいっていうか――派手さもあるし、インパクトもあるし、シンガロング感もあるし、これを武器にフェスシーズンで闘っていける曲だし。具体的には、メジャーデビューが決まってからこの曲を書き始めていったんですか?

山中「今年の1月ぐらいにマネージャーから『もしかしたら次の作品はメジャーになるかもしれん』っていうことをうっすら聞かされてたんですけど、僕ら、前作を8月に出した時から、曲作りはずっと継続してやってて。次がアルバムでもシングルでも、メジャーでもそうじゃなくても、どっちでも絶対に推しになる曲を作ろうっていうのを4人の中で決めてたんです。で、今回のシングルでメジャーデビューでっていうのが決まった時に、この“起死回生STORY”っていう曲でいきたいですって言ったんです。僕達なりに新しい挑戦としてやった曲やし、今までのオーラルを知ってもらうんじゃなくて、今のオーラルを知ってもらえる曲がこれやっていうんで」

■じゃあ、メジャーデビュー云々の話関係なく、気持ちとしては次の作品で新しいモードを鳴らそうっていう感じだったんだ?

山中「そうですね。若干、歌詞の内容とかサウンド面でちょっと変わったりもしたんですけど――やっぱり、『メジャーデビューするよ』って言われたら、僕達自身の心境が変わるんで、その心境の変化と共に変わったりして。そういう僕達と一緒にメジャーデビューまで一緒についてきてくれた曲っていうイメージですね。……俺、“起死回生STORY”を作る時に、『今から作る曲は推し曲にします』っていうことを先にメンバーに言ったんですよ。それと同時に『ライヴ会場でみんなが鳥肌立つぐらい、ゾッとするぐらいの一体感を作れる曲が欲しい』って話を3人にして」

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text by 寺田宏幸

『MUSICA8月号 Vol.88』

Posted on 2014.07.17 by MUSICA編集部

高橋優、光と影を露骨に暴く
シンガーソングライター、その深い業

人間って、敵を作るってことが一番簡単で。
誰かの意思で報道されたものを受け取って、
『あいつが悪者だ』って言うのはもう飽きた。
だから今作には、できるだけ愛を入れたかった。
明滅の明は、愛だと思って歌ってるんです

『MUSICA 8月号 Vol.88』P.88より掲載

 

■インディーズの頃から作品ごとにこうやって話をさせていただいて。僕は高橋優っていうのは、進むに化けると書いて「進化」を願っていたし、その階段を上り続けてきたし、そういう作品を作り続けてきたアーティストだなって思ってたんです。でも今回は、深いという字に化けると書いての「深化」――それを凄く自覚的に目指して、具現化したんだなと印象を持ちました。まずそう言われて、どうですか?

「毎回言葉にすると、同じようなことを言ってることになっちゃうんですけど……この4枚目のアルバムは、本当に今までで一番やりたいことをやったし、『やりたい!』って思ったことを明確にしながら、それを具現化する作業が本当に楽しかったし、妥協を許さずにやったアルバムなんです。作詞の段階から、本当に寝ないでずっとやってて(笑)。だから、今鹿野さんが思い描いたものをしっかり具現化したっていう話があって――それができたと思ったから、おっしゃるとおりだと思いました」

■まずは表面的な話から。今作の『今、そこにある明滅と群生』というタイトルに関して訊かせてください。これは高橋優の今までの作品として最もわかりにくいタイトルだと思います。でも僕は敢えてこのタイトルをつけたことに、何かの意味があると思うんですけど、どうなんですか?

「タイトルだけで完結しちゃってたら、『あ、こういうアルバムなのね』ってパッケージ化されちゃうじゃないですか。それをできるだけ拒みたかったんです、今回。入り口を敢えて、『ん? それってどういうこと?』っていうふうに入ってもらって――最後の11曲目を聴いた時に、明滅/群生っていうのはこういうところにあるのかって、何かしらの想いを持ってもらえばいいと思ってて。そう思えたのも、今までのどのアルバムより、楽曲の中に自信があったからだと思います」

■それは自分の今までのキャリアがある程度一周したなっていう感覚から生まれてきたのか、それともこの作品を作りながら生まれていった楽曲という子供を見てそういう感覚になったのか、どっちなんですか?

「うーん、一周したっていう感覚はないんで、どっちかって言ったら後者なのかもしれないです。完成するまでは、本当に1曲1曲がどういうふうに成就していくのかまったくわかんなかったんですね。でもどれもイントロからアウトロ、あとは詞の世界観まで、納得するまではマスタリングに持っていかないようにしたいっていうのを自分の中でコンセプトに置いてたんですよ。鹿野さん、途中の音を聴いてくれた後、『前はメッセージが攻めてたけど、今回は音楽として攻めてる』ってメールくれたじゃないですか。あれ、さすが的を得ているというか、嬉しかったんですよ。だから、どの曲も欽ちゃんの仮装大賞で言えば、プルルルタッタッタッタってならないと、絶対に外に出さないと行けないって思って作ったんです」

■ははははは。のど自慢で言うキンコーンカンコンっていうね。

「そうです、ちゃんとクリアしたもの――ただクリアしただけというよりも、『よし、行ってこい!』っていうもので構成されたアルバム。今までもそうだったとも思うんですけど、自分の中でいろんなハードルが上がっている今、それができたのが凄い嬉しかったんですよね」

■高橋優の歌の中で歌われてる世界って、たとえば言葉の刺激、もしくはその言葉の裏にある重い感情が本質というか、アピールポイントだと思うんです。そういうことに代表されるメディア性の強さ、ドキュメンタリー性の強さこそがセールスポイントにもなっていると思うんですよね。ただ、このアルバムに関しては何を歌うのかっていうよりも、どういう音楽にするのかっていうことに、焦点が絞られた音やアレンジが鳴ってるアルバムだなって思ったんです。どうしてそういう気持ちになったんですか?

「音楽を……僕がもっと音楽を楽しみたかったんだと思います」

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text by 鹿野 淳

『MUSICA8月号 Vol.88』

Posted on 2014.07.17 by MUSICA編集部

ゲスの極み乙女。
確信を胸に堂々のポップ革命宣言!

このシングルで1個変わって、
次の作品は自分の中で到達してしまった感があるんですね。
「これを出したら、バンドを諦める人もいるんじゃないかな」
ってぐらい手応えがあって。
本当にこれでひとつ終わるんじゃないかなっていう自信があります

『MUSICA 8月号 Vol.88』P.96より掲載

 

■調子はどうですか?

「ちょっと風邪ひいてるみたいです」

■いや、体調ではなく、バンドの調子のほう。

「あぁ(笑)。バンドの調子はいい感じだと思いますね」

■ここ最近、ゲスに関しては世の中の状況的に特急に乗ってる感じになっていて。それを象徴する今回のドラマタイアップだと思うんですけど。川谷くん自身は最近の状況をどういうふうに捉えてるんですか?

「でも、メジャーデビューする前に『僕らの音楽』出たりもしたので、今の状況が『より来てるか』って言われると、そうでもない気がします。というかここ3ヵ月ぐらい、状況っていうよりも、ほんと忙殺されてて」

■そんなに忙しいんだ?

「週末はツアー、平日は全部レコーディングみたいな生活を送ってたんで。だからあんまり状況を考える暇がない(笑)。タイアップの話が来た時も『ヤベェ、曲作んないと』みたいな感じになって。今までは音楽を追っかけてやってたんですけど、逆に追われる立場になったような感じがして………」

■はははははは。「音楽を作る」ということに追われて生きてるんだ。

「そんな感じですね」

■ただ、そういう状況にあっても戦略的なことも考えなきゃいけないわけじゃないですか。ゲスに関しては、特にそうだと思うんだけど。

「でも、そういう意味で言えば、これまでかなり戦略を立ててやってきたんで、逆に今だったら何やっても大丈夫かなっていうふうに思っていて。自分の中では攻めてるというか、あまり考えずに曲を作ってます」

■そうなんだ。『みんなノーマル』の取材の時に、その前の『踊れないなら、ゲスになってしまえよ』というアルバムは、流行りモノである4つ打ちロックに対する批評性として敢えて作った作品だったにもかかわらず、イマイチその真意を理解されないまま表層的なところでヒットしてしまったと。そこに疑問点を抱く一方で、でも、ヒットして状況もブレイクした今だからこそ、今度は敢えてBPMを落として流行とは違う踊れるロックを作っても大丈夫なんじゃないかと作ったのが『みんなノーマル』だった……という話をしてくれたんですけど。実際出してみて、感触はどうだった?

「うーん……それもあんまり変わんなかったというか、『みんなノーマル』もすっと受け入れられたんで……だから逆に『ということは、みんな別になんでもいいのかな?』っていうふうに思ったところもあって」

■その「なんでもいいのかな?」という言葉は、凄くシニカルな意味で使ってるのか、それとも「俺が作るものはみんな面白いと思って聴いてくれるんだ」というポジティヴな意味で使ってるのか――。

「あ、後者です。ポジティヴな意味でなんでもアリというか。自分が『いい』と思うものを作れば受け入れられるんだなっていう自信がついた1枚でもありましたね。だから今回のシングルもその延長線上というか、そのままやってみようっていう気持ちで作ったんですけど」

■表題曲である “猟奇的なキスを私にして”はドラマ『アラサーちゃん 無修正』の主題歌であり、歌詞もドラマと絡めて考えてると思うんですけど。実際、どういうことを考えて作ったんですか?

「でも僕、あんまりアラサーの女の人の気持ちとかわかんないんで、原作の漫画を読んでも共感するところまではいかなかったんですよ。だから最初は何を書いていいのかわからなかったんですけど、漫画の内容がエグ過ぎて(笑)。それで『うわっ』って思った時に、<猟奇的>っていう言葉が浮かんで。そこからはサクサク進んでいきました」

■音楽的には、そんなに猟奇的なサウンドアレンジをしてる曲じゃないと思うんですよ。むしろ凄くポップ。これは内容的に「猟奇的な」イメージが生まれたからこそ、音楽的にはポップなものにしたんですか?

「っていうよりは、ドラマの内容的にもエグいサウンドはあんまり合わないだろうなと思ったんで。僕の中では<猟奇的>っていう言葉がポップにハマったんですよ(笑)」

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text by 鹿野 淳

『MUSICA8月号 Vol.88』

Posted on 2014.07.16 by MUSICA編集部

BUMP OF CHICKEN、
「WILLPOLIS 2014」大阪&台湾公演独占密着!

バンド史上最大級にメモリアルなツアーも、いよいよ後半戦。
大阪から初の台湾ライヴへ、海を跨いで完全密着。
ここに来ての、新たな歓喜と表情と覚悟を観た、感じた!

『MUSICA 8月号 Vol.88』P.56より掲載

 

6月28日(土)台北 Legacy Taipei

 

 11時半にホテルのロビーに全員集合し、その後移動しながら、途中で、地元民が食べる美味しいと評判の店で台湾料理を食べる。本当に無茶苦茶美味しいし、「海外でこんなにもご飯が美味しいと食の感触が変わる」だの、「やっぱりご飯って大切だよなぁ」と妙にほのぼのしたりするが、全員ライヴに身体も心も向かってるので、15分でお腹が一杯になる。

 30分ほどして、そのままライヴ会場であるLegacy Taipeiへ。4人は台北に到着してすぐに散歩に出て、偶然このホールの前に辿り着いたらしく、周りにどんな店があるのかなど、こと細かに解説してくれる。

 12時半に会場に到着。周りにはセレクトショップやいろいろな店が建ち並んでいて、中にはLINEがやっているショップなどもあり、若者で賑わっている。ライヴ会場の前にある展示ホールでは、もうすぐONE PIECE展が始まるようで、それも結構な話題になっているとのこと。台湾と日本のいろいろな「近さ」にダイレクトに触れる。そう、たとえば沖縄と台湾は本当に近いし、気象条件や食の文化もとても似ている。沖縄に行っていろいろ散歩した人なら気づくだろうが、沖縄の「お墓」は根本的に本土のそれとは異なっていて、実は台湾と同じお墓である。一見小さな石作りの家に見えるお墓は、よく見ると亀の甲羅状になっており、女性の胎内を意味しているという。つまりは「生まれ落ちた場所に再び帰る」という意味なのだ。余談でした。

 賑わいを見せる道を横切って会場へ。楽屋に入ると、最近の彼らの会場のスケール感の中では、破格に楽屋が狭いことに気づく。

「まぁ、そういうことだよな」

「これ以上求めるほうがおかしいよな」

「久しぶりにライヴハウスに来たって感じがして楽しいな」

 みんな笑顔で口々に言葉を出しながら、それでも自分の荷物を何処に置いたらいいかで、軽くカオスに陥っている。実際には4人の身体のみならず、いろいろ持ってきた機材や衣装も収められ、多くのスタッフも打ち合わせなどに訪れる、約8畳の楽屋。窓のカーテンを開けると、すぐに表の通りが見えたので、慌ててカーテンを閉めるフジ。「いい体験になりそうだね、ふふふふ」と言いながら、同時にみんなが「こりゃ無理だな、どうすっか?」と心配しているのは、何年か前から本番までの時間の中で一番大事な作業となっている、「ストレッチタイム」をどうするか?だ。

 試しにやってみようと、増川が屈伸運動から始めるが、それだけで他のメンバーの楽屋の行き来を妨げてしまう有り様。みんなで話し合った結果、ストレッチに関しては、開場してお客さんが入って来るまでは、約1300人が入場するフロアでやることになった。

次の心配は暑さだ。

「ステージ行ってきたけど、みんなが盛り上がってくれれば、間違いなくステージに熱気はこもる。まぁ、ライヴハウスなんだから当たり前なんだけど」とチャマが報告すると、頷きながら、「この衣装着るの怖いな」といつものジャケットを見詰めながらフジが言う。「怖いというより、正直、死への恐怖を感じる」とチャマ。そこに「台湾まで来て死にたくないな」と合いの手を入れることだけを考えた増川の言葉が絡み、「でも、1300人も入るんでしょ、ここに」とさらに不安を煽る升の言葉に、「そう、そのみんなが一瞬でここで放出するんだぜ」とフジがイメージを喚起させるひと言を放つ。

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text by 鹿野 淳

『MUSICA8月号 Vol.88』

Posted on 2014.07.16 by MUSICA編集部

KANA-BOON、初の全国ワンマンツアー
福岡&広島公演 密着レポート!

確かなる進化と、初めての試練。
強まる確信と、現実との葛藤。
ブレることなく自分達を信じ突き進むKANA-BOON
初の全国ワンマンツアー、福岡&広島に完全密着

『MUSICA 8月号 Vol.88』P.70より掲載

 

6月14日(土)福岡DRUM Be-1

 

 12時50分、メンバー到着。笑顔で車から降りてきた4人はそのまま楽屋に入り、早速グルメタイム。本日のお昼は九州北部の郷土料理であり、名物駅弁でもある東筑軒のかしわめし弁当。甘く炊いた刻みかしわ(鶏肉)がたっぷり乗ってます。

 4人の雰囲気はいたって和やか。お弁当の紐を活用してあやとりに興じる古賀とこいちゃん、マッサージチェアーに気持ちよさげに沈む鮪、ロデオボーイに揺られる飯田と各々ゆるりとした時間を過ごしているところに、昼食直後にもかかわらずさらなるグルメが! その名も「ムツゴロウマンジュウ」。たい焼きのムツゴロウ版みたいな感じで、パンケーキのようなフワモチな皮に明太子やハムエッグ、カスタード等の具材が詰まっております。では、ここでグルメレポーターとしての成長ぶりを計りましょう。まずはハムエッグをチョイスしたこいちゃん。「自家製マヨネーズがポイントですね。このちょっと酸味が効いているところが全体の味を引き立てて、美味しいです」。うん、なかなかのコメントです。お次は明太子をチョイスした鮪。「粒が立ってます。ポテトも入ってるんで、ポテトのノペーっとした感じと粒々が……えーと粒々が…………美味しいモノは美味しいでええやないですか!」。……まだ道は遠いようです。

 13時45分。楽屋では飯田がラジカセをセットし、2日前の名古屋公演のライヴ音源を流し始める。それぞれくだらない話で笑ったりしつつも、耳は自分達の演奏に行っていて、時折「これギターだけテンポ遅い?」とか「ここはベースの白玉(全音符)の弾きが甘い」とか、結構細かい会話が交わされていく。普段は24歳という年齢よりもあどけない表情でワチャワチャ戯れている4人だけど、やっぱり音楽が絡むと顔つきが変わる。

 15時05分、サウンドチェック開始。そのまま15時32分、リハがスタート。“ウォーリーヒーロー”から始まったのだが、演奏のキレがいい。ジャキジャキとしたソリッドなギターサウンドと鮮烈なリズムで空間を斬っていく、ストロングなバンドサウンド。メンバーの呼吸も合っていて、強く鋭いロックバンドの鳴りがガツンと響く。外音やモニター環境を整えたり、途中でヴォーカルマイクを替えたりと調整がなされるも、演奏に関しては問題なく進み、16時50分、リハ終了。

 本番まで1時間ちょっと。楽屋ではグルメ絵日記を書いてお互いの画力のなさを笑ったり(本当になかったです)、長崎から駆けつけた古賀の親戚ご一行様の楽屋訪問を受けたり、鮪と飯田がじゃれたりしながら、特にストイックな空気が高まるわけでもなく穏やかに時間が過ぎていく。初ワンマンツアーにもかかわらず硬さもなく、平常心で開演までをカウントダウンしていく。それは彼らがここまでの道程の中でちゃんとバンドとして積み上げてきたものがあるからこそなのだろう。

 18時05分、開演。九州各地からファンが集結していたフロアの熱狂ぶりはのっけから凄まじく、もう1曲目の“ワールド”から昂揚感マックス。というか、今のKANA-BOONのワンマンは何処もそうだ。このバンドが「初めての僕らのロックバンド」という人も多いだろうし、初ツアー故にこれが待ちに待った初めてのKANA-BOONワンマン体験だという人がほとんどで。その、やっと生で爆音で存分にKANA-BOONのロックを体感するんだという歓喜と興奮が、ライヴハウス全体にもの凄い熱量を弾けさせていく。

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text by 有泉智子

『MUSICA8月号 Vol.88』

Posted on 2014.07.16 by MUSICA編集部

ONE OK ROCK、
制作環境の変化と共に新たな旅へ

僕らのバンドは
ただカッコいいものを作っているだけっていうスタイルではないと思ってて。
僕らが生きて、僕らが音楽を作って、僕らが進んでいくことによって
何かが生まれるのがバンドでありたいと思っているから

『MUSICA 8月号 Vol.88』P.46より掲載

 

■お久しぶりです。このところずーっと海外にいるイメージがあるんですけど、実際その辺はどうなんですか?

Taka(Vo)「まぁ日本にいても基本的にはお休み期間だったんで。だったら、アメリカに行ってレコーディングしたいなって感じでいました。自分達の目指す音がそこにあるのであれば、そこは『行くでしょ』っていう」

■ドキュメンタリー映画(『FOOL COOL ROCK!』)も観たんだけど、あのワールドツアーは2013年の10~12月頭の出来事だよね。その後、年を越してからは基本的にアメリカでレコーディングしてたの?

Toru(G)「年明けて、まず3ヵ月間くらい行きましたね」

■アメリカに行く前にはどういう準備をしてたの?

Tomoya(Dr)「準備というか、みんなで話し合いは1回しましたね。頑張ろう、気合い入れようみたいな感じで(笑)」

Toru「したした。やっぱり、初めての経験が向こうで待ってるわけで」

■それはレコーディングするっていうことも、3ヵ月向こうで生活するっていうことも含めてだよね。

Toru「そうですね。とにかくいろんなことが初めてだから、向こうでも乗り切ろう、いいもの作りに行こうっていう話はしましたね。みんなが同じ気持ちで向かって行ったら絶対いいものが作れるでしょっていうことを確認し合って――その他は別に何も考えずに向こうに行って、環境に慣れて如何に楽しんで音を作るかっていう。それは順調に行ったと思いますね」

■前回の取材は去年8月の表紙巻頭だったんですけど、その日、TomoyaとRyotaが作った曲を初めてTakaとToruに聴かせるっていう日で。

Taka「そうでしたっけ?」

■そう。ということは、当時から曲は作ってたってことだよね。今回のシングルは、その時にはもうあったものだったりするわけ?

Taka「2曲目はそうでしたね。1曲目は本当にもう、年明けてアメリカに行ってから、プリプロをしながら作っていった感じなんですけど。もちろん曲自体はその前から、デモとしては100曲くらいの曲を作ってはいて。その中から選んだやつをアメリカに持って行って、John Feldmann(『人生×僕=』のほとんどの曲でミックスを手がけたアメリカ人プロデューサー)と一緒にやったんです。で、この“Mighty Long Fall”っていう曲自体は、基本的にはToruが作った元々の曲があったんだけど、それをやっていくうちにだんだん道が逸れていって、こういう新曲ができたって感じですかね」

■整理すると、Toruが持ってきた新曲がまずあり――。

Taka「で、それやろうというところでJohn Feldmannも一緒にセッションに入ったんですけど、ズレにズレて、最終的に新曲ができた(笑)」

■(笑)それって、元々の子供を作った自分としても、結果まったく違う子供が生まれちゃったって感じなの?

Toru「そうですね(笑)。ただ、違うものにはなっていったんですけど、これはすげぇいいものができるんじゃないかって予感はあって。信頼関係もあったし、Johnにも明確に見えてるものがいっぱいあったので、特に不安はなかったですね。すべてにおいて規格外だし、スピーディだし。実際、その曲に関してデモの段階でめちゃめちゃこだわってたわけではなかったんで……逆にみんなで楽しく作れたのが一番デカかったですね」

(続きは本誌をチェック!

text by 鹿野 淳

『MUSICA8月号 Vol.88』

Posted on 2014.07.15 by MUSICA編集部

syrup16g、遂に復活!
再結成第一声インタヴューをここに!!

自分の使命に従って戻っていくんだなっていう感じがあって。
「僕の死に場所はここでいいじゃないかな」っていうのを
受け入れたっていうか

『MUSICA 8月号 Vol.88』P.14より掲載

 

■本当に、本当にお久しぶりでございます。

「お久しぶりでございます(笑)。まず、僕の謝罪のほうから――」

■(笑)いや、まったくもって謝ることじゃないし(五十嵐の謝罪とは、犬が吠えるの第一声を表紙巻頭で特集した本誌2009年3月号発売から同時期に解散となったことに対してです)、それよりもこのインタヴューを凄く楽しみにしてたから、謝らないでくれ(笑)。その代わり、今日はじっくり喋っていこうと思ってるので。

「そりゃ喋りたいっすけど、インタヴューがね、超久しぶりなんで」

■それこそあの時のMUSICA以来なの?

「………そう、確かにそうですね」

■となると、取材したのは2009年の1月だから、丸5年とちょっとか。ではインタヴューが凄く好きになるような5時間を過ごしたいと思います。

「いやいやいや! 30分で凝縮して(笑)」

■無理(笑)。では、よろしくお願いします。

「よろしくお願いします」

■まずは本当に、おかえりなさい。

「ああ、ありがとうございます」

■新しいアルバム『Hurt』は、もう仕上がったんですよね?

「そうですね、昨日の朝仕上がって。あとはマスタリングです」

■まず、レコーディングを終えて思うところを聞かせてください。

「安心したっていうのが一番素直なところですけどね。割とタイトだったから――」

■それはスケジュールが?

「そう。それにいろいろ手探りというか、久しぶりのことも多かったし。何しろレコーディング自体が久しぶりだったから」

■これもまた5年ぶりぐらいな感じだったの?

「ですね。前のバンドの時――それこそ鹿野さんに密着していただいた時以来なので、ちょっと大丈夫かな?みたいな心配があったんで……一応形になったっていうのは一番安心してますけど」

■レコーディングの日々はどうでしたか?

「正直、ひと言で言うと大変っていうか……限りなく苦痛に近い大変(笑)」

■(笑)なんか、変わらないね。

「やっぱりなんかしらの理由があって音楽から離れてたと思うんですけど、(レコーディング始めた時は)それに対して折り合いがついてるのかどうかもわからない状態だったし。それはやってみないとわからないので」

■ということは、昨年5月にNHKホールでライヴをやったことで自分の中で次に踏み出す力が確信的に見えた、という感じではなかったんだ?

「それはなかったですね。NHKホールは、遠藤さんや若林さん(それぞれレコード/マネジメント会社であるUKプロジェクト社長、イベンターであるヴィンテージロック社長。両者共にsyrup16g初期から支えてきたスタッフ)から『そろそろ1回、みんなの前に顔出してみようよ』って言ってもらったところから始まった割と単発的な、メモリアルなものというか………継続的な何かのスタートという意識よりは、そこで何かけじめを1回つけられたらなっていうことだったんで」

■ああ、時間が止まってしまったところからその瞬間までの何かに決着をつけたかった感じだったんだ?

「うん。やっぱり自分の中で(音楽を)やりたいのかやりたくないのかわからないので、ちゃんとステージに立てるのかも含めて、期待して『やろうよ』って言ってくれる人達に1回向き合ってみて、答えが出ればいいなっていうのはありましたしね」

■では、今日はこの5年間をできるだけ丁寧に振り返っていきたいなと思います。まずは2009年の春の話から――。

「はい」

(続きは本誌をチェック!

text by 鹿野 淳

『MUSICA8月号 Vol.88』

Posted on 2014.07.15 by MUSICA編集部

クリープハイプ 、ニューシングル『エロ/二十九、三十』
尾崎世界観が語る、バンドの「今」と自らの覚醒

昔、歌手をめざしてる女の人が出てきて歌って
偉そうなプロデューサーがボタン押すと
歌える時間がちょっと伸びるっていう番組があったんですけど。
あの感覚なんですよ。
その間にいい歌を歌わなきゃ、結果出さなきゃ!みたいな

『MUSICA 8月号 Vol.88』P.33より掲載

 

■ちょうど1年ぶりの表紙です。

「そっか、もう1年なんですね」

■はい。前回はアルバムでしたが、今回は素晴らしいシングルと共に飾っていただきます。今回はふたつのテーマに分けてインタヴューしようと思ってて、まずはシングルインタヴュー。で、もうひとつは、尾崎世界観のラヴソングをまな板の上に乗せて、尾崎にとってのラヴソングおよび恋愛観を紐解いていきたいと思ってます。よろしくお願いします。

「よろしくお願いします!」

■まずはシングルなんだけど、ほんとに最近書けるよね、曲が。

「曲は凄い書けますね」

■この豊作状態は自分の中でどういう状況だと思ってるの?

「うーん……でも、『書けてる』というよりも、『書いてるな』って感じですね。曲を書くことに関しては、地に足が着いてるっていうか」

■乱暴に言えば、インディーズの頃、メジャーに行って2枚アルバム作った時期、そして『寝癖』以降と、今のクリープハイプは3段階目に入ってるとも言えると思うんだけど、ここでもう1回自分の中で明確にギアを上げたっていう意識とか、そういうやり方の違いってあるの?

「いや、そういう感じはなくて、全然続いてる感じです。たとえば車の話で言うと、高速に乗ってるわけじゃなくて、ずっと下道で繋がったまま来てる感じはしますね(笑)。だから『どこで止まって、どういう道を来たか』っていうのは凄い明確に覚えてて。……これ、曲を書くことに関してはですよ。バンド活動に対しては、何回か事故ってますから(笑)」

■そうだよね。

「ただ、曲を作って歌詞を書くっていうことに関しては、今は凄い調子がいいっていうのは自覚してます」

■車の例え話に乗って訊くと、ここでバシッとスーパーチャージャーとかターボを積んだぞって感じではないんだ?

「その感覚はないですね。『こんなところにあったんだな』って気づいて、それを使ってる感じ。途中でそれを手に入れたっていうよりも、『あ、ここにこんなボタンあったんだ』っていうのを発見して、ボタン押してみたらもっと速くなったっていう、そういう感じですね。だから、自分の中にないものが急にっていうわけではなくて、それの使い方がわかったっていうか。それはバンドなんですけどね、一番デカいのは。『このボタン、なんなんだろうな?』って思いながらもなんとなく放ったらかしにしてたけど、それを押してみたら、こんなふうになるんだっていう、バンドのボタンだと思います。やっぱりここまでの過程でバンドが上手くなったし、武道館を経験して自信も持てただろうし。それは凄く大きいですね」

■半年前ぐらいから、バンド側からの尾崎の音楽に対しての反射神経は明らかに凄く増してるんだけど、同時に尾崎からもバンドにサインを送ってるんじゃないかと思うんですよ。で、今までとは違うサインの出し方が自分の中でわかってきた部分があるんじゃないかな、と。で、メンバーも「あ、やっとサインを投げてくれたな」って反応して、音を鳴らしてる感じがする。特に“二十九、三十”なんて、バンドのテンションがないと成立しないバラードだと思うんだよ。

「そこはどっちもあると思いますね。メンバーができるようになったから俺からも自然と出てきたし、で、俺の反応が変わったことでメンバーもそこにまた反応してっていう。どっちが先と言うよりは、交互にっていう感じかもしれない――まぁでも、俺から何かを投げかけたっていう感覚はないですね。先に俺が受け取った気はするな。……ストレスなくできるようになったなっていうのは、いつからかあって。……やっぱり、俺は時間をかけてずっと曲を作って歌詞を書いてるけど、3人は聴いた瞬間に反応しなきゃいけないから、凄い緊張感ですよね。たとえて言うなら、俺はペナントレースみたいなことをやってるわけじゃないですか。年間通して延々とバンドのことを考えて曲を作って、歌詞を書いてる。でも、3人は、俺から(新しい曲が)来た時にすぐ返さないといけないっていう、言ってみればこの1試合しかない!みたいな状態の中で毎回やってるわけで。ポイントポイントで俺から来たものをその場で打ち返さなきゃいけないっていう。だから闘い方が違いますよね、たぶん」

(続きは本誌をチェック!

text by 鹿野 淳

『MUSICA8月号 Vol.88』

Posted on 2014.07.15 by MUSICA編集部

クリープハイプ、 尾崎恋愛観―――
愛と哀の傑作ラヴソング10選を語る

『MUSICA 8月号 Vol.88』P.38より掲載

 

■まず、そもそも、ラヴソングを書いてるという自覚はどれくらいあるんですか?

「まったくないですね。ゼロです……ゼロでもないか。でも、インタヴューとかで『ラヴソングが多いですね』って言われると、『え?』と思って恥ずかしくなりますね。無意識のうちにこういう感じになりますね、男女のことを歌うという」

■今回は「愛と哀の傑作ラヴソング10選」という企画タイトルで、2006年の“ねがいり”以降、クリープハイプが世の中に出してきた楽曲の中から10曲を選んで話を聞いていこうと思っているんですけど。まず、尾崎は一体いつぐらいから曲は書いてるの?

「中学2年ぐらいの時になんとなく作ってみたりしたけど、それは何が言いたいかわからないし、曲なのかな?っていう感じの曲で。で、高校1年の時にはちゃんと曲だなって、これは大丈夫だろうっていう認識で作るようになりましたね。でも、凄い浅かったですよ。たとえばここにヴォイスレコーダーがあるっていう、それをただ説明するだけのようなことしか書けてなかったですね。今だったら『なんのために置いてあるのか』とか『ここに何が入っているのか』ってことまで書けるけど、その時は自分でもわかってないし伝えられてない、というような。だから水をすくって全部なくなっちゃうような感覚だったんですよ。作ってはいるんだけど、でもこれはなんのために作ってるんだろう?っていう。作っても作っても零れていっちゃうなっていう感じではありましたね」

■この前、『ねがいり』のブックレットを見ながら、「こんな歌詞、今だったら書けない、ワケわかんないですよね」って言ってたけど。

「狂気を感じますよね(笑)。今もそうだけど、満たされてない感じが凄い出てる。神経が剥き出しになってる感じが凄いしますね」

■当時、歌いたかったことはラヴソングでなかったとしたら、なんだったんですか?

「こないだシングルの特典映像を撮りにキャンプに行ったんですけど、その時に魚釣りをしたんですよ。で、沢に入って魚をグッと掴んだ時、エラが開いて中身がグッと見えてうわっとなったんですけど」

■ああ、あのエラの裏側の世界は、生命の残酷さを感じるよね。

「はい。そういう、自分のエラを開いて中身を見て欲しいっていう感覚が凄く強かったですね、その当時は。それで『あっ!』と思わせたいというか。今思えばなんでそうだったのかわからないけど、でも状況がどうしようもなく上手くいってなかったから。『ねがいり』を作ってる時はずっと彼女の家に泊まってて。当時、家が3つあったんですよ。実家と、実家の近くに借りた自分のアパートと、そこからまたちょっと行ったところの彼女の家と。で、ほんとは自分の家でゆっくりしたいんだけど、なんとなくつき合ってる彼女の家に帰らなきゃいけないなと思って帰ってて。バンドも上手くいかないし、バイトも面倒くさいし、もう不安でしょうがなかったし、常に嫌な思いを感じてて。そういうのを全部ぶつけたいというか、傷口を見せて人を巻き込みたいというか…………それって自分をわかって欲しい延長なんですけどね。だからこの当時の歌詞って凄い『欲しがってる』感じがしますよね、人からの気持ちとか。何も持ってない感じが凄くするというか」

■じゃあ、その“ねがいり”から行きましょう。

「はい、よろしくお願いします」

 

“ねがいり”(2006年インディーズ1stMA『ねがいり』、後にシングル『寝癖』収録)

 

■これ、つまりはヒモソングですよね。

「そうですね(笑)。当時はほんとそんな感じでしたからね。バイトもしばらく行ってない時だったかな……次のバイトが見つからなくて(笑)。それで家でずっと魚喃キリコとか南Q太とか、ジョージ朝倉とか、いかにもな漫画ばっかり読んでて。漫画読んで、お昼の番組観て、昼過ぎに外から子供の声とか聞こえてきて、何やってんのかなと思いながら昼寝して、ちょっとフラフラ外を歩いたりしながらまた家でテレビ観るみたいな生活をしてて。で、夜、彼女が帰ってきた時に何も言わずにテレビ観てたら、『あんたは何もしないで家にいるだけなのに、お帰りなさいも言えないのか』って怒られたりして」

■(笑)そう言われて、なんて答えるの?

「『ごめんなさい』って言いました。……という時の歌ですね、“ねがいり”は。ほんとにどうしていいかわからなかったんですよ。どうしたら上手くいくのかも、いいライヴができるのかもまったくわからなくて。当時はまだ3ピースで、家の鏡に向かってギターを構えて、ライヴのセットリストを最初から最後までギター弾きながら練習してましたけど、それも『こんなことしたってしょうがないけど、やっぱやらないよりやってたほうがいいな』っていう気持ちでやってたなぁ」

(続きは本誌をチェック!

text by 鹿野 淳

『MUSICA8月号 Vol.88』