Posted on 2014.07.15 by MUSICA編集部

クリープハイプ、 尾崎恋愛観―――
愛と哀の傑作ラヴソング10選を語る

『MUSICA 8月号 Vol.88』P.38より掲載

 

■まず、そもそも、ラヴソングを書いてるという自覚はどれくらいあるんですか?

「まったくないですね。ゼロです……ゼロでもないか。でも、インタヴューとかで『ラヴソングが多いですね』って言われると、『え?』と思って恥ずかしくなりますね。無意識のうちにこういう感じになりますね、男女のことを歌うという」

■今回は「愛と哀の傑作ラヴソング10選」という企画タイトルで、2006年の“ねがいり”以降、クリープハイプが世の中に出してきた楽曲の中から10曲を選んで話を聞いていこうと思っているんですけど。まず、尾崎は一体いつぐらいから曲は書いてるの?

「中学2年ぐらいの時になんとなく作ってみたりしたけど、それは何が言いたいかわからないし、曲なのかな?っていう感じの曲で。で、高校1年の時にはちゃんと曲だなって、これは大丈夫だろうっていう認識で作るようになりましたね。でも、凄い浅かったですよ。たとえばここにヴォイスレコーダーがあるっていう、それをただ説明するだけのようなことしか書けてなかったですね。今だったら『なんのために置いてあるのか』とか『ここに何が入っているのか』ってことまで書けるけど、その時は自分でもわかってないし伝えられてない、というような。だから水をすくって全部なくなっちゃうような感覚だったんですよ。作ってはいるんだけど、でもこれはなんのために作ってるんだろう?っていう。作っても作っても零れていっちゃうなっていう感じではありましたね」

■この前、『ねがいり』のブックレットを見ながら、「こんな歌詞、今だったら書けない、ワケわかんないですよね」って言ってたけど。

「狂気を感じますよね(笑)。今もそうだけど、満たされてない感じが凄い出てる。神経が剥き出しになってる感じが凄いしますね」

■当時、歌いたかったことはラヴソングでなかったとしたら、なんだったんですか?

「こないだシングルの特典映像を撮りにキャンプに行ったんですけど、その時に魚釣りをしたんですよ。で、沢に入って魚をグッと掴んだ時、エラが開いて中身がグッと見えてうわっとなったんですけど」

■ああ、あのエラの裏側の世界は、生命の残酷さを感じるよね。

「はい。そういう、自分のエラを開いて中身を見て欲しいっていう感覚が凄く強かったですね、その当時は。それで『あっ!』と思わせたいというか。今思えばなんでそうだったのかわからないけど、でも状況がどうしようもなく上手くいってなかったから。『ねがいり』を作ってる時はずっと彼女の家に泊まってて。当時、家が3つあったんですよ。実家と、実家の近くに借りた自分のアパートと、そこからまたちょっと行ったところの彼女の家と。で、ほんとは自分の家でゆっくりしたいんだけど、なんとなくつき合ってる彼女の家に帰らなきゃいけないなと思って帰ってて。バンドも上手くいかないし、バイトも面倒くさいし、もう不安でしょうがなかったし、常に嫌な思いを感じてて。そういうのを全部ぶつけたいというか、傷口を見せて人を巻き込みたいというか…………それって自分をわかって欲しい延長なんですけどね。だからこの当時の歌詞って凄い『欲しがってる』感じがしますよね、人からの気持ちとか。何も持ってない感じが凄くするというか」

■じゃあ、その“ねがいり”から行きましょう。

「はい、よろしくお願いします」

 

“ねがいり”(2006年インディーズ1stMA『ねがいり』、後にシングル『寝癖』収録)

 

■これ、つまりはヒモソングですよね。

「そうですね(笑)。当時はほんとそんな感じでしたからね。バイトもしばらく行ってない時だったかな……次のバイトが見つからなくて(笑)。それで家でずっと魚喃キリコとか南Q太とか、ジョージ朝倉とか、いかにもな漫画ばっかり読んでて。漫画読んで、お昼の番組観て、昼過ぎに外から子供の声とか聞こえてきて、何やってんのかなと思いながら昼寝して、ちょっとフラフラ外を歩いたりしながらまた家でテレビ観るみたいな生活をしてて。で、夜、彼女が帰ってきた時に何も言わずにテレビ観てたら、『あんたは何もしないで家にいるだけなのに、お帰りなさいも言えないのか』って怒られたりして」

■(笑)そう言われて、なんて答えるの?

「『ごめんなさい』って言いました。……という時の歌ですね、“ねがいり”は。ほんとにどうしていいかわからなかったんですよ。どうしたら上手くいくのかも、いいライヴができるのかもまったくわからなくて。当時はまだ3ピースで、家の鏡に向かってギターを構えて、ライヴのセットリストを最初から最後までギター弾きながら練習してましたけど、それも『こんなことしたってしょうがないけど、やっぱやらないよりやってたほうがいいな』っていう気持ちでやってたなぁ」

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text by 鹿野 淳

『MUSICA8月号 Vol.88』