Posted on 2017.06.21 by MUSICA編集部

THE ORAL CIGARETTES、
覚悟のシングル『トナリアウ/ONE’S AGAIN』を投下!
語ることのなかったコンプレックスと、確かな自信を語る

主語が全部「自分」になってきた感じがします。
だからこそ「お前が悪い」じゃなくて、
「俺がもっと責任を持ってやればよかった」っていう感じになってきてます

MUSICA 7月号 Vol.123P.96より掲載

 

■前号の仙台PITでのツアー密着から2ヵ月連続の掲載になるんですけど、本当に前号ではいい経験をさせてもらって、いいライヴを観させてもらいました。まず、今回のシングルの話に入る前に、改めて振り返らせていただきたいことが何点かあって。拓也にとって『UNOFFICIAL』というアルバムが自分や音楽シーンにもたらしたものはどういうものだったと思いますか?

「間違いなく自信ですね。何にも代えられない、今までに得たことのない自信みたいなものを『UNOFFICIAL』でもらった。それはきっと、リリースする前に不安になってたからこそっていうのもあるんやと思うんですけど」

■それって、『UNOFFICIAL』で自分達の音楽性をスケールアップさせたことによって不安になったっていう話?

「そうですね。スケール感もアップさせたし、より自分自身の個を尊重した作品だったから。その個を尊重することが今のシーンに合ってるかも正直わからなさ過ぎたし」

■シーン全体に全体主義的な思想が見えるし、音楽を聴くっていう今のスタイルの中にも、みんなで協調していく/共鳴していく状況があるからってこと?

「いや、どちらかと言ったら、元々あった自分の声へのコンプレックスをどう生かしていこう?っていう部分を考えてて……やっぱり自分の声って世間に受け入れられにくいなって感じてた時期があったんですよね、ずっと。『歌い方が気持ち悪い』とか言われることもあったし(笑)」

■ははははは、と笑っていい話ではないけど。酷過ぎて笑うしかないな。

「ですよね(笑)。でも、いい意味でも悪い意味でも、自分の声って今の音楽シーンの中にいないなって思ってたんですよ」

■この10年間で、ひたすらトレンドの声のトーンが高くなってきてるからね。

「そう。僕はそことは真逆を行ってたので、自分の低い声を生かした歌い方をシーンにぶっ込んでいって、さらにそこに歌が生きる時代が欲しいって願ってしまっていて。自分のそういう歌い方って受け入れられるのかな?っていう怖さはあったんですけどね。でも実際『UNOFFICIAL』出した後のライヴとかを通して、自分の声どうこうじゃなくて、アイコン的な形でオーラルの山中拓也が歌ってるっていうところにみんなが共鳴してくれてるんだっていう感覚を得られて。自分がどんな音楽を鳴らして、何を歌うかっていうことも大事やけど、自分がどういう生き方をして、どういう人間であり続けるかっていうことのほうが今は大事なんじゃないかな、っていう自信もそこでもらった。それによって、自分達がやってきたことが間違いじゃなかったんだっていう、生き方を肯定してもらった感じがしました」

■今の話をもうちょっと紐解きたいんですけど、『UNOFFICIAL』で音楽のふり幅も広くしたし、歌の力が強い楽曲が多くなったことによって、必然的に「歌唱」というもののパートが非常に重くなったし、そこが重要なポイントになってくる曲が増えました、っていう話だよね?

「はい、その通りです」

■となると、そもそも拓也はコンプレックスだった自分の声をバンドといういろんな楽器の音と重ね合わせる、叩きつけ合うことで自分の声をサポートしてもらう、もしくはそこでリカヴァーしてもらうみたいな気持ちを持っていたの?

「それ、あったと思います。バンドのサウンドっていうところで言うと、ギターリフをこうしてくれとか、ギターリフを覚えられる楽曲をどんどん作っていこうとしてたし、演奏はちょっと捻くれてる感じで、曲をカッコよくしていこうって思ってたし。そういう思いは『The BKW Show!!』とか『FIXION』までは凄くあった気がします」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA7月号 Vol.123』