Posted on 2016.05.18 by MUSICA編集部

ART-SCHOOL、その本質を改めて提示する
新作『Hello darkness, my dear friend』。
木下理樹の深淵に切り込む

僕は音楽をやっていて幸せになることは、まずないと思う。
でも、やらざるを得ない、やらなきゃ死んでしまうからで……
僕が救われることはないけど、聴いてくれる人が救われることがあるなら、
そのためだけにやり続けるんだって、そう思って生きてきたんです

『MUSICA 6月号 Vol.110』P.102より掲載

 

(前半略)

■今回のアルバムは素晴らしいです。まず、前作の『YOU』より音がさらによくなってるよね。これは何が作用してこうなったんですか?

「前回が集大成みたいな作品だったと思うんですよ。で、集大成みたいな作品を作った後って、ないわけじゃないですか」

■集大成っていうのはひとつの終わりだからね。

「そうそう。そこで次に何をやるかを考えた時に、今のメンバーで轟音みたいなことは結構やってきたから、静かなほうっていうか、メロディアスで繊細な音楽性に寄せていったらどうなるのかな?っていうのは、始まりの段階からひとつありましたね」

■それは、バンドの音としてだけじゃなく、たとえばソングライターとして、あるいは歌唄いとして勝負したかったとか、対シーンということを考えた時にそういう音楽性がいいんじゃないかとか、なんらかのことが頭の中にイメージとしてあったんですか?

「休んでる間に自分が聴いている音楽がいろいろ変わっていったんですよ。いわゆるJ-POPみたいなのはあんまり聴かなくて、クラシックとか、The Beach Boysとか近年のジョン・フルシアンテとかをよく聴いてて」

■っていうか、今まではそもそもJ-POPとか聴いてたんだ?

「聴いてますよ! というか僕、MUSICAで毎月レヴューも書いてるんですから、聴いてないわけないじゃないですか!(笑)」

■あぁ(笑)、シーンを俯瞰しないとレヴュアーにはなれないですからね。失礼しました。ということは、今の話は、休止期間中に敢えて1回シーンとの関係をシャットアウトして、静かな世界の中に行ったって感じなの?

「………そもそもを考えると、初期のART-SCHOOLっていうのは綺麗なアルペジオとか美しいメロディで勝負してたと思うんですよ。あと、止むに止まれぬ衝動とか。つまり、轟音というものをあまり求めてなかったはずなんですよね。だからここで1回、改めてそういうものを録ってみたいなっていう欲求はありましたね。じゃないと集大成みたいな作品である前作を超えられない、別の視点から考えないとしょうがないと思って。そこにプラス、無意識的に休んでた時に聴いていたクラシックとかThe Beach Boysの影響も出てきてるのかなとは思うんですけど」

■The Beach Boysは、要するに『Pet Sounds』みたいな静かに狂って彼岸に向かってゆくようなサイケデリックな方向性?

「そう。今さらですけど、『Pet Sounds』ってどうやって作ったのかな?っていうのを構造的に理解したいと思って聴いてた。クラシックで言えば僕はシューベルトが好きなんですけど、そういうのも構造的に理解したいなと思ったし。ジョン・フルシアンテもそうなんですけど」

■その「構造的」っていうのはどういうことなの? 『Pet Sounds』、シューベルト、ジョン・フルシアンテに共通項があるとすれば、それは彼岸的であるってことだと思うんだけど。そういう観念的なものを、ちゃんと改めて音楽的に解釈したいと思っていたということ?

「というか、音楽的に解釈できるスキルを持ちたかったっていうのはありますよね。ただ単純に音楽に惹かれたっていうのもありますけど、それをもっと言語化できないかな?っていうことをやってましたね」

■そこでどういう位置づけや結論が生まれて、このアルバムへと結実していったんですか?

「今回は、結構ひとりでプリプロダクションをしっかりやって、8割ぐらいの高い完成度でみんなに渡したんですよね。つまり――」

■アレンジまで含め、バンドでやる前に自分でかなり構築したんだ。

「そうです。1回家で作って、さらにひとりでスタジオに入ってエンジニアさんと一緒に作って。そこまでやったデモを渡して作ってるんで、より自分が出てきますよね。そういう自分ひとりの世界とバンドサウンドをどう混ぜ合わせるのかっていうのがテーマではありましたね」

■今作の紙資料に「今の状態でのART-SCHOOLのデビューアルバムを作ろうと思った」という理樹の言葉が引用されていて。デビューアルバムって、絶対に2回作れないじゃない? 活動休止してもう1回出てきたからって作れるものじゃない。それは批評家である僕よりも、アーティストである理樹自身のほうがわかってることだと思うんですよね。

「うん」

■ということは、この作品をデビューアルバムのつもりで作る、つまりもう1回衝動を取り戻すっていうのは、自分にとってどういうことだったのかを教えてもらえますか。

「活動休止して、自分でレーベル(Warszawa-Label)を立ち上げたわけですよね。で、最初はDVDを作ったんだけど、その次にフルアルバムを作ろうと思って。それって、デビュー盤作ってるみたいだなって思って」

■……ごめん、つまりどういうこと?(笑)。

「(笑)。新鮮な空気でやりたかったっていうのはあるし、やっぱり以前は意外と気を遣ってた部分もいっぱいあったんですよね」

■それはレーベルやマネジメント含め、あらゆる自分の周りにいる人達に対してっていうこと?

「うん。でも、自分でレーベルを作って自分でマネジメントすることになって、そういうのが全部フレッシュな状態に戻って。もちろん鹿野さんが言うように二度とデビュー盤は作れないんだけど……でも、今回は『これはデビュー盤ですよ』っていう想いが強かったんです。前回集大成みたいなのを作ってしまったってこともあるし、成熟したものももちろんあるんだけど、それを見せつけるんじゃなくて――ちょっと言い方に語弊があるかもわからないけど、もっとみっともないというか、『これが自分なんですよ』っていうのをちゃんと提示したいなと思ったんです」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA6月号 Vol.110』