Posted on 2015.01.15 by MUSICA編集部

KANA-BOON、初の表紙大特集2本立てインタヴュー②
谷口鮪が今まで決して語らなかったその半生を、初めて語る

僕は自分が孤独であることと引き換えにして音楽を得たと思ってて。
実際、今、親子関係がなかったりするのも、自分が選んだ道やし。
そもそも人間的にわかり合えなかった部分もありますけど、
そこまでの犠牲を払えば音楽がこっちに来てくれると思ったのもあって。
……自分にはもう何もないっていうことが、
ずっと自分を支えてきた感じはあります。
でも、新しい出会いによってそういうものが壊れ始めたというか

『MUSICA 2月号 Vol.94』P.34より掲載

 

■鮪くんはこれまで、自分の生い立ちについて語るということに関しては、意図的にやってこなかったと思うんですけど。

「そうですね、話してこなかったです」

■今回の『TIME』で過去の自分を振り返った曲が生まれていることも含めて、今日は鮪くんのここまでの24年間がどんな人生だったのかを聞かせていただければと思っています。

「はい、よろしくお願いします」

■まずは本当に小さい頃、幼稚園の頃はどんな子供だったんですか?

「幼稚園の頃は……絵を描くのが好きでしたね。絵を描いたり、モノを積み上げて遊んだりとかが好きな子やったと思います。幼稚園にクラブがあって、そこのお絵描きクラブに所属してました。他にもいろんなクラブがあって、女の子がバレエをやってたんですけど、それを覗きに行った記憶があります」

■その歳でバレエの女の子を覗き!? ませてたの?

「わからないです(笑)。覗くっていう行為に何か道が開けてたのかわからないし、ひとりやったのか友達と一緒やったのかも覚えてないんですけど、その記憶があって。でも明るめやったと思いますね。友達もおったし。小学校1年の時にそこから引っ越したんですけど、それまでは大阪で、割と普通の団地暮らしでした」

■一番古い記憶って幼稚園ぐらいですか?

「それが、その覗き事件かもしれないです(笑)。幼稚園の頃の記憶はほとんどないですね。とにかく絵を描くのが好きやったっていうことくらい」

■それはひとりで何かをすることが好きだったっていうこと?

「そんなにひとりが好きやったわけでもないと思うんです。お遊戯会の写真があるんですけど、ピエロの役をやってる自分が写ってたんで。だからそんなにおとなしい子ではなかったと思いますね。で、小学生に上がって……小学校の入学式に行かなかったのは覚えてます」

■どうして行かなかったんですか?

「たぶん、その頃に家がバタバタし始めたからやと思うんですけど。小学校1年の時に親が離婚して、数ヵ月通って引っ越したんですよ。だから小1の頃はあんまり学校に行かなかったような気がする。引っ越す前のことはあんまり覚えてないんですけど……団地の5階に住んでる女の子がいて、その子の顔面にゴキジェットみたいな、ゴキブリのスプレーをぶっかけて」

■それはまた大胆だね。

「どういう経緯でそうなったかは覚えてないんですけど、そしたら団地のその棟で問題になって。その時に人生で初めて土下座させられましたね」

■鮪くんはその子のことが好きだったのかな?

「いや、そういうんじゃなかったですね。好きとかはその頃はなかったと思う」

■でもゴキジェットかけるって凄いことだよ。よっぽど好きか嫌いかじゃない?

「そうなんですよ。なんでそんなことしたんですかね?(笑)。別にそんな猟奇的な人間やったわけじゃないんですよ。友達とも普通に遊んでましたし。うーん…………あ、あと、貧乏でしたね。1階にちょっと年上のお兄さんがいて。言うても小学校5年生ぐらいの人なんですけど、仲よくて。その人の家にカップラーメンもらいに行ってましたね、食うもんなくて。そんな時代でした」

■ご両親が離婚して、それからすぐに引っ越したの?

「いや、最初は父親についたんですよ。だからそのまま団地で少し暮らしてて。でも、どういう事情があったのかはあんまり知らないんですけど、たぶん経済的にも育てられないっていうことで母親に引き取られて、神戸に引っ越したんです」

■それも小学校1年の間に?

「そうですね、1年生の時に。で、引っ越したらもう内縁の旦那さんがいて。一度は母親のところで暮らしていこうっていう話になったんですけど、でも僕はずっと戻りたいって言ってたと思うんです。それでまた父親のほうに戻ることになって。でもやっぱり暮らせないってことで、またすぐに神戸に引き取られることになって。……ただ、向こうの人(内縁の旦那さん)も最初は僕と一緒に暮らしていく気持ちがあったんですけど、でも、僕はすぐ戻るって言ったり、それってそんなにいい気分じゃないじゃないですか。それで、そこから関係が悪くなっていって……それでも小学校4年までは神戸の母親のところで暮らしてました」

■お父さんの記憶っていうのは鮪くんにとってはどういうものなんですか?

「父親はどうしようもない人ですね。小学校4年の時にまた父親のほうに戻って、そこから高校出て家を出るまではずっと父親と一緒だったんですよ。だから記憶っていうのもそんなに浅いもんじゃないですけど……反りが合わなかったっていう感じですね。ギャンブル好きやし、仕事も長続きしないし、人として至らないところだらけというか、子を育てられるような人格者じゃないというか。でも、優しさはあるんですよ。優しい人なんやけど、ただそれが自分に対しても優しいっていう人で………。育ててもらった恩はありますけど、でも、あんまりなんとも思ってないですね。今はもう全然ないものと思って生きてるんで」

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text by 有泉智子

『MUSICA2月号 Vol.94』