Posted on 2016.12.17 by MUSICA編集部

cero、待望のシングル『街の報せ』を発表。
その名曲集からバンドの今を探る

自分の感覚としては、このシングルで
『Obscure Ride』は一旦お終い、みたいなイメージ。
次に向かう意味ももちろんあるけど、
ここで1回句点を打つ感じのほうが強いかな(荒内)

『MUSICA 12月号 Vol.117』P.102より掲載

 

■アルバム『Obscure Ride』以来、約1年半ぶりとなるリリースです。『街の報せ』に収録された3曲は、『Obscure Ride』で新しく切り開いたceroの流れを洗練させつつ、リズムを中心にまた新しいアプローチが聴こえてくる作品で。日本でもこの1年でブラックミュージックのエッセンスを取り入れた音楽が増えましたが、その中でもいち早く駒を先へと進めた印象があります。まずは『Obscure Ride』以降、どんなことを思い、何をイメージしてこのシングルに向かってきたのかということから伺えますか?

髙城昌平「『Obscure Ride』を出して、その後、ツアーからフェスからいろいろありまして。だから新曲に向かうというムードはあんまりなかったんですけど、“街の報せ”自体は『Obscure Ride』の特典として、既にあの時に同時進行で作って出してたものだったんで(原曲は『Obscure Ride』のタワーレコード購入者特典として配布されていました)、それを温めつつやっていて。今回シングルとしてまとめようみたいなふうになったのは、ニューヨークに行って、元々あった“街の報せ”に対して、新しく黒田さん(黒田卓也/ニューヨーク・ジャズの前線で活動するジャズ・トランペッター)にブラスを入れてもらったんですよ。で、そうやって新たに“街の報せ”を録ったから、だったら改めてシングルにして行こうじゃないか、みたいになったんですよね」

■ニューヨークに行ったのはいつ頃だったんですか?

荒内佑「今年の5月ですね」

髙城「単純に何をしたいか?ってなった時に、3人で海外に行ってみない?っていう話になって。だからそもそもの話としては、特に録音みたいなことをするつもりはなくて。それくらいの気持ちだったんですけど」

■ニューヨークで録音をしよう!と思って行ったわけじゃなかったんだ?

髙城「違います(笑)。なんかほんとに、みんなでライヴ観たりするだけでもいいし、誰かに会うんでもいいしっていう。『Obscure Ride』出してから、割とクリアな、何もない状態になったんで、次に向かうきっかけ作りのようなものとして、このタイミングでみんなでニューヨークに遊びに行ったらどうかなって。で、ちょうどその前に黒田さんとビルボードで共演もしてたから、黒田さんを頼って遊びに行ってみたら何か面白い刺激を受けられるかもしれないな、ぐらいの感じで行きましたね(笑)。まぁでも、行くならせっかくだから黒田さんと一緒にスタジオで何かしようじゃないかっていう、そういう順番で」

■行き先をニューヨークに決めたのは、現代ジャズの一番エッジなシーンがそこにあるから、というような音楽的な理由もあったりしたんですか?

橋本翼「そういう意識も特になかったよね?(笑)」

髙城「うん(笑)。元からアート・リンゼイだったり、ニューヨーク的な音楽――って言ったら雑な括り方ですけど(笑)、そういう都市的な音楽は好きですけど。だからロサンゼルスよりはニューヨークかな、みたいな(笑)。僕はほんとそれくらいの気持ちだった。アラピーはどうですか?」

荒内「そもそも僕は最初はあんまり行きたくなかったんですけど」

髙城「そういや渋ってたね」

荒内「なんか大学生が自分を変えるために海外行く、みたいなノリだなと思って。30過ぎてそれは嫌だなと思ってたんですけど」

■(笑)。

荒内「だけど、黒田さんが自分の曲のリミックスをして欲しいからレコーディングしませんかって誘ってくれたりもしたし、だったらちゃんと行く理由もあるし、じゃあ行こうっていう。それぐらいのノリでしたね。まぁそうは言っても3人で海外に行ってみるっていうのは面白そうだなとは思ってたし。さすがに10何年一緒にやってきてて、ずっと同じ場所でやってるよりも、多少外部の刺激を入れてもいいのかなと思ってたので」

■そうやって新たな刺激を求めたのは、『Obscure Ride』で新しいceroの音楽を確立したが故のことだったんですかね?

髙城「自分の意識としては、『Obscure Ride』で確立できたというよりも、本当に乗り出したという感じで。全然あれで完結するような生半可なものではないと思ってるんですけど。ただ、そういう中でも『さて、次は何しようかな』っていう、本当に手探りの状態だったんですよね。ひとつの規制もなく、開かれた土地に来たなっていう感覚はあったから」

■あのアルバムは2015年の名盤のひとつとして多くの人に評価されたし、ちょうどあの作品が出た辺りから、日本のバンドミュージックやポップスの中にもブラックミュージックのエッセンスが色濃く入り込んでくる、かつそういうものが表舞台に出てくるようになって。cero自身も、たとえば今年は『SMAP×SMAP』にも出たり、今まで自分達が活動していた場所以外からも大きなリアクションを得たり、実際にそういう場に出て行ったわけですけど。それは自分達ではどんなふうに受け止めてるんですか?

髙城「『Obscure Ride』は、技術的なことも含めて、いろいろと背伸びをした作品だったと思うんですよ」

■というか、明確に挑戦でしたよね。

髙城「はい。ボールを少し遠くに投げて、それに自分が一生懸命追いついていくようなやり方だったというか。結果、それによってセカンドアルバムまでは関わることのなかったようなミュージシャン――それこそ黒田さんを筆頭に、そっち側の人達との交流が生まれたり、ライヴでのお客さんのノリも目に見えて変化があって。だから『Obscure Ride』はやってよかったんだなって思うようなことは凄く多かったんです。いいタイミングでやれたんだなっていうことを、出した後にじわじわっと実感したというか――」

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text by有泉智子

『MUSICA1月号 Vol.117』