Posted on 2012.10.22 by MUSICA編集部

藤巻亮太、ポップとロックの狭間で大いに吼える

ポップとロックの間に
ドデかい荒れ地が広がってしまった
その地にスタンドアローンする『オオカミ青年』藤巻亮太。
今一度、孤独と対峙し、のどの渇きを掻き毟る藤巻が
取り戻そうとしているものは何なのか?

『MUSICA 11月号 Vol.67』P94に掲載

▶1ミリの狂いも無い「デビューアルバム」だなぁと感じました。人生で2度、デビューアルバムを作れるというのは凄く幸せな境遇だと思いました。

「それは本当にありますよね……………。1枚目ってやっぱり特別なものなんですよ。誰もがそれまでの人生があって、自分の衝動ややるべきことを音楽に見出して、時には葛藤することもあって。ファーストアルバムっていうのは、そういうその人のすべてが閉じ込められると思うんですけど、今作もまさしくそうで。自分にとっては、これまでやってきたことを手放し、検証するってことを1曲1曲を作りながらやってきた感覚でしたね」

▶すべてが0から1までの間にある過程って感じ?

「そうですね。過程をここまで閉じ込められることって、そうはないっていうか……そういう意味では凄く素直に作ってるなって思うし、何かを探してる人のアルバムだなって感触がありますね」

▶圧倒的な不安と、圧倒的な希望と、圧倒的な欲望だけで綴られた作品だなぁと。それがデビューっぽいなと思ったんだよね。その無垢さが藤巻から出てきたのは、かなり新鮮だったんですけど。

「そうだなぁ……“オオカミ青年”って曲が生まれた時、アルバム全体を総括するような曲になったと思えたし、ソロってものを一番明確に、腹を括れた曲だなとも思えたんです。それまではうろうろ、いろんなところを掘って、自分が今やらなきゃいけないことはなんだって探すばかりで」

▶曲を作る制作の過程の中で何が変わったのか、曲に込める心の芯をどういうふうに撃つやり方に変わったのか、どういう変化があったの?

「うーん……1個は、やっぱり今まではバンドのストーリー性が曲を書かせてるところがあったんですよね。そういう部分をメンバーと共有できると強くなっていくし、化学反応も起きていく。でも、そのバンドのストーリーと、藤巻亮太個人のストーリーが合わなくなってきたところがあって。それはどっちが正しい/正しくないとかじゃなくてだったんです。たとえば“月食”や“twilight”があって、曲として僕はいいと思ってたんだけど、そういう曲達を本当に生かすためには、一度ソロという形で、自分だけと面と向かってやるしかないなってことを思ったし、自分のストーリーの中で描いていけることが他にも凄くたくさんあるのかもしれないなと思って。そういうところからまずアプローチが始まっていきましたね」

(続きは本誌をチェック!)

text by 鹿野 淳

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