Posted on 2015.06.14 by MUSICA編集部

降谷建志、ひとりの人間として挑んだ
ソロアルバムのすべて

俺はジミヘンにはなれないし、KenKenにもなれない。
でも、そのコンプレックスが今の自分を作ってる。
敗北感を味わってきた自分が、
こうやって全部できるようになって。
それをちゃんと誰にでもわかる形で
提示できたっていうのは、めちゃめちゃ嬉しいね

『MUSICA 7月号 Vol.99』P.36より掲載

 

■4月号の表紙巻頭でソロ第一声インタヴューをやらせていただいて、何故このタイミングでソロ名義での活動を始めたのか、そこにどんな意図や想いがあるのかという話はたっぷり聞かせてもらったんですが、アルバムが遂に完成して。これは本当に素晴らしい作品が誕生したなと思いました。

「ありがとう!」

■あの時は“Swallow Dive”含めて5曲を聴かせてもらって取材をしたんですけど、「いろんな可能性があったはずだけど、その中でもど真ん中を来ましたね」っていう話をしたんですけど。

「うん、したね」

■それはこうやって完成したアルバムを通して聴いても改めて感じて。オルタナティヴロックを基軸にいろんなエッセンスを取り込んだ音楽性にしても、リリックに綴られた心情にしても、建志さんの人間性や音楽家としてのバックグラウンドがはっきりと浮かび上がってくるパーソナルな音楽であると同時に、自分の音楽とメッセージをちゃんと人に届けよう、伝えようという意志も自覚も強い作品になったなと思ったんですけど。

「言ってみれば、ブログだからね。私的なことを書くけど、でも伝わらないと意味のないもののナンバーワンじゃん、ブログって。空想で書かないでしょ? で、これは本当に俺版ブログみたいなもんだからさ」

■ただ、ひっそりと想いを綴るブログっていうのもあるじゃないですか。でもこれはそういうものじゃない。同じブログでもネットの片隅でひっそりと独白していくようなものではなくて、ちゃんとポピュラーミュージックとして人に届けていくことを前提としているものだと思う。

「人に届けようっていう意識はもちろんあるよ。音楽なんて人に聴いてもらえなければ意味がないもんだと思ってるから。だし、前に話した通り自分の名前で出す作品をサイドプロジェクトにしたくないっていうのはすげぇあったけど。でも、これがポピュラーなものなのかどうかっていうのは、自分じゃなんとも言えないな。それはわかんない。全部の楽器を自分で弾いちゃってるから、グルーヴも含めてあまりにも自分過ぎてさ。Dragonよりも全然俯瞰できてない」

■Dragonに関して言えば、単純にメンバーと一緒にやってるってことだけじゃなくて、建志さん自身がDragon Ashというバンドに対してある種の客観性も持った上で音楽を作ってますしね。

「そうね。俺はDragonでやりたいこと、やれること、やるべきことみたいな見定めがはっきりしてるから。たぶん人によってDragonに対して持ってるイメージはそれぞれ違うんだろうけど、俺としては『Dragonだからこうしよう』と思って曲を作ってるし、アレンジもしてるっていう。でも、ソロに関してはそういうんじゃないからさ。自分で『あ、やっぱ俺ってこうだよな』っていう予定調和を感じてしまうところも含め、いいところも悪いところも全部がとにかく自分らしいっていうか、ほんと自分そのものだなって感じのものだから。客観視できないよね。これまでプレイヤーとしてもソングライターとしても、ほんとにすげえいろんな音楽やらせてもらってるけど、自分だけとこんなに対話するっていうのは俺自身、初体験だし。………プロデュースとかリミックスとか客演とかいっぱいやらせてもらってる要因として、俺は求められることにも幸福に感じるのね。そこをあんまりストレスに感じない」

■求められたもの、必要とされるものに応えることにも喜びを感じると。

「そう。『こういうの一緒にやりたいんだよね』とか『こういうのやって欲しい』って言われるのも全然嫌じゃないっていうか。『カルボナーラください』って言われて作って、相手もカルボナーラ来るのわかってて食って『美味い!』って言われる感じも嬉しいし、楽しめるから」

■さらに言えば、そこで抜群に美味しいカルボナーラを出してやるぞ!みたいな心意気も自負もある、みたいな。

「そうそうそう」

■人間って、誰かに必要とされることによって自分の存在意義だったり存在そのものを自分自身でも認められたり、実感できたりもするじゃないですか。今話してくれたことには、そういう部分もあるんですかね?

「そうだね、俺が自分の存在を実感できるのはやっぱライヴだけど、でも音楽家としてのアイデンティティを自覚できる瞬間ではあるよね。要は、いろんなことにコンプレックスを抱いていて生きてきたわけでさ。いっくらギター練習しても、ナンバーワン・ギタリストとは言われないし」

■ああ、それは自分がってこと?

「そう。どの楽器をいっくら練習しても、『やっぱKjは普通に楽器弾けるもんね』みたいなこと言われちゃうし」

■ま、普通に弾けるっていうレベルではないですけどね。

「だけどさ、やっぱ俺はジミヘンにはなれないし、KenKenにもなれないんだよ。でも、そのコンプレックスが今の自分を作ってるし、結果的にひとりで全部できるようになったのもそのコンプレックスのおかげだから。歌だけで自分を表現できたらこんなことしないのかもしれないし、ギターだけで人を唸らせられたら言葉も紡がないかもしれないけど、でも俺はそうはなれなかったから。そうやって敗北感を味わってきた自分が、今こうやって全部できるようになって――今回のアルバムって、そういう自分を誉めてやれる一番わかりやすい形じゃん? 全部の作詞作曲アレンジも全部の楽器も自分でやって、この名前で出すっていうのは。で、それをちゃんと誰にでもわかる形で提示できたっていうのは自分ならではだとも思うし。そういうことができたのは、めちゃめちゃ嬉しい」

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text by有泉智子

『MUSICA7月号 Vol.99』