Posted on 2015.10.16 by MUSICA編集部

Base Ball Bear、
ロックに警笛を鳴らす挑戦的な原点回帰
『C2』に託す意志

僕らが当たり前だと思っていたことが、
音楽ストリームサービスの登場で
やや滲んだのは事実だと思うんですよ。
その意味ではこのアルバム、とても小難しい作品だと思いますよ

『MUSICA 11月号 Vol.103』P.44より掲載

 

■3ヵ月前にアルバムの仮音源と仮資料をいただきましたけど、完成したものを聴いてそこから内容はあんまり変わってませんでした。ただタイトルが変わったね。

「そうですね。最初はセルフタイトル(『Base Ball Bear』)でやろうと思ってたんですけど、最終決定はちょっと流してたんです。そしてマスタリングやって、落ち着いてじっくり聴いた結果、セルフではなくタイトルはこれ(『C2』)かなっていうところになったんですよね」

■今回のアルバムは非常に興味深い作品で。僕の印象は新しいのか古いのかまったくわからない、だけど凄くロックアルバムって感じで。

「なるほど、ふふふふふふふ」

■実際にアルバムタイトルも、メジャーの1stアルバムの2ndヴァージョンだっていう意味合いで。これはコンセプチュアルなものなの? それとも感覚的なものなの?

「たとえば前作の『二十九歳』とか、その前の『新呼吸』とか、その前の『(WHAT IS THE)LOVE & POP?』とかもそうですけど、うちのバンドってコンセプトアルバムが多いんですよ。ずっとそういうふうにアルバムを作ってきていたし、特に『二十九歳』は長尺かつ、やり切った作品だったので、今回はタイトな作品にしたくて。なので、コンセプトアルバム的な体裁はとっていないですね。……でも、最近、音楽ストリーミングサービスのことを考えたりしているうちに、アルバムを作るということがプレイリストを作るのに近いというか、近くなっていってしまうのかなっていう想像をしていて。アーティストが作るべきなのは『プレイリストという名のアルバム』みたいな時代が来るかもしれない、と。そうなると、コンセプトアルバムっていうのは凄く有効な手段になっていくんじゃないかな、と。言い方を換えれば、確かに、アルバムという楽曲の集合体ほどまとまりがあるプレイリストはないですもんね」

■今の「アルバム=ただのプレイリスト」というコンセプトアルバムに対して小出くんはたぶんシニカルな発言をしたと思うんだけど、小出くんが言うプレイリストっていうものと、既存のアルバムっていう、この概念の違いを教えて下さい。

「全くの別物だと思っていますよ。でも、それぞれが接近してきて、ニアリーイコールになってしまうんじゃないか、っていう」

■今、話を聞いて思ったのは、プレイリストっていうのは完全にサービス、要するに聴き手に対しての、幕の内弁当のような適切な配置をされたもの。で、アルバムっていうのはもっと自己表現であるとか、作品という表現性がインクルードされてるものっていう違いに聞こえました。実際にそう思うしね。

「本質的にはそうなんですけどね。ただ、僕らが当たり前だと思っていたそんなことが、音楽ストリーミングサービスの登場でやや滲んだのは事実だと思うんですよ。だから僕らもそうですけど、理念や大義を言っていこうという反射をしているアーティストも増えましたよね。野暮ったいと思わなくはないけど、野暮ったいくらいスタンスを明らかにした方が良いと思って。そういう意味ではセルフタイトルも有効かなとは思ったんですけど、今回のアルバム全体のテーマをタイトルとしてどう還元しようかと最後に考えた結果、『C2』っていう言い方が一番適切かなって思って」

■どうして、こういった第二の再出発、みたいな、原点回帰を伴うタイトルになったんですか?

「バンドの現在が色濃く反映されたアルバムにはなりましたけど、うちのバンドにとってのセルフタイトルって、もう一段上の話だと思ったんですよね。まだここじゃないな、と。だから、バンドの現在もアルバムの内容も包括するような作品タイトルをしっかり考えようということになり、『二十九歳』というアルバムが自分達のバンド活動の中での大きなフェーズ1の最後という感じがしてたので、これからフェーズ2ですよという意味でこのタイトルっていう感じですかね」

■今話してくれたことってふたつの要素が見受けられる。それは30代になったところで新しいスタートが始まるんだっていう自意識的なもの。あとは自分の中にあるひとつのスタイルはやり切ったなという感覚。これは両方とも持ってた上でここに行き着いてるものなんですか?

「まさにそうだと思いますね」

■特に後者の部分なんですけど、小出くんはたぶん基本的に曲を作るっていうことに対して枯渇というものがない人だと思ってるんですよね。ただ目的を持って、Base Ball Bearで今何をやるべきかっていうことを考えた時に、『二十九歳』の後で結構迷ってたんじゃないかと思ってました。それがたとえばRHYMESTERや岡村靖幸などとのコラボレートシリーズとか、このアルバムに至るまで凄くいろんなことをBase Ball Bearとしてやられていたと思うんですよね。それらが迷走というわけでは全くないけど、でもバンドの筋道としては迷ってると思ってました。

「鹿野さんが言ったみたいに、僕はほんとにあんまり枯渇しないタイプというか。たとえば岡村さんと一緒にやる時みたいな感じで、単純に楽しい音楽を作りたいとか、新しい面白い作品を作りたいみたいなところには割と柔軟に飛び込んでいけるタイプだし、その場で全然音楽を楽しめる人なんですよ。でも、だからこそバンドでやる上で何が一番大事かっていったら、意義とか大義とかで。バンドっていう自分が所属しているグループで何を世の中に対して発信するか、バンドという単位で何を言っていくかっていうそのものが凄く重要というか。やっぱりバンドで、あとロックをやってるっていう、そこが一番重要なのかなと思いますね。その中でそのバンドでロックをやるというのが、とても難しいとずっと思っているんです、今も。それが加味されたのがこのアルバムなんですよねぇ。だからこのアルバム、とても小難しい作品だと思いますよ」

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text by鹿野 淳

『MUSICA11月号 Vol.103』