Posted on 2016.11.15 by MUSICA編集部

RADWIMPS史上最も強い光と肯定を放つ『人間開花』。
メンバー全員&野田単独取材の2本立てで、
その軌跡とすべてを紐解く

このアルバムは肯定ですね、今までの自分とバンドと人類の肯定。
11年目にこのアルバムを出せるのは、ほんとにデカくて。
この10年間っていう過去を背負ったアルバムでもあるし、
ここから何十年の未来への一番入口の旗な気もする

『MUSICA 12月号 Vol.116』P.12より掲載

 

(前半略)

■このアルバムに至るまで、つまり前作からの3年間のことを訊きたいんですけど。とはいえ、すでに話に出た通り、やっぱり一番大きな出来事は、何よりも智史くんが病気療養のため無期限休養という形になったということで。

野田「そうですね。3年というか、むしろこのバンドの歴史の中で一番大きいことで」

■休養は去年の9月に発表したわけですけど、無期限休養という結論に至ったのはいつくらいだったの? 前々から考えてたことだったのか、それともまさに発表したあの時期だったんですか?

野田「ほんとにあのタイミング。8月末のSWEET LOVE SHOWERが最後のライヴになったんですけど、あれの1週間前ぐらいだっけ、言われたの」

武田「1週間ちょっと前かな」

野田「SUMMER SONICが8月15日で」

■その1週間後がWILD BUNCHだったよね。

野田「そうだ。……サマソニでのライヴは、僕らの中では手応えがあったんですよ。そこまで数ヵ月、本当に武田とかが智史につきっきりになる形でやってきてたんだけど――」

■ということは、その数ヶ月も、智史くんの状態としては大変な状態だったということ?

野田「はい。それこそリハができる/できない、家を出られる/出られないみたいなのがあって。でも、僕らはサマソニで手応えを感じられたと思ってたんです。そしたら、翌日ぐらいだっけ?」

武田「サマソニの2日後ぐらいだったと思う。次のリハに入った時に、もうできないってなって」

■SWEET LOVE SHOWERで演奏を終えた一番最後に、洋次郎くんが突発的に“トレモロ”を歌い始めたじゃないですか。で、あの頭の部分だけひとりで歌って終わるつもりだったんだけど、智史くんがドラムでちょっと入って。だから結果、4人での最後のステージで最後に鳴った音は、智史くんのドラムの音だったんだよね。

野田「ああ、そうだったね。あの時も頭真っ白になってたね、智史。……本当に限界だったんでしょうね。限界って人それぞれだけど、智史は特にああいう性格だし。俺らは俺らでずっと、側で見ていてどうすることもできないもどかしさと、あと正直、智史の不器用さに対する苛立ちもあって。………どっちかっていうと、あの時は苛立ちのほうが強かったんだよね。あの数ヵ月、俺はある意味ちょっと3人に預けてて。4人全員で智史の病気に対して内側に向かっていくとちょっとヤバいなと思ってたから、俺は俺でなるべく曲作りをやったり、バンドの方向性を考えたり、全体の舵を取ろうっていうふうにやってたんだけど。で、武田がつきっ切りになったり、桑と3人でスタジオ入ったりしてリハビリしてるのを、ちょっと距離を置いて眺めてるっていう感じだったから……だから俺から見ると、余計に桑と武田の絶望は相当なものに見えたんだけど」

武田「うん、本当に絶望でしたね」

桑原「あれからまだ1年ちょっと前か……」

野田「普段はあの時の会話を思い出したりしないもんね、ウチら。実際、あの時どうだった?」

桑原「かなりつきっ切りでやってたよね」

武田「うん。本当にどうにかしよう、どうにかしたいと思いながら、ずっと智史と一緒にやってて」

野田「それが逆効果だったのか?みたいなところまで考えちゃうもんね……」

武田「いや、本当にそれも思った。やっぱりあの時は俺もちょっとまともじゃなかったと思うし」

桑原「武田はプールとかもつき合ってたよね」

武田「そうそう、スタジオに行く前に智史とプールに行って。トレーナーの方に、まず体を疲れさせてからドラムを叩くといいみたいなアドバイスを受けたらしくて、それでプールにつき合ったりもしてたんですけど」

野田「あの時は変な話、『素っ裸でご飯食べたほうがいい』って言われたらそれをやるぐらいのメンタルだったよね。縋れるものには縋りたいっていう、ある意味、宗教的なマインドになってて」

桑原「でも実際、フォームを変えたりとか、何か試すと1日~2日はいい感じになるんだよね。でも、ずっとやってるとまた症状が出てきちゃって。だからあの数ヵ月は、浮き沈みが凄い激しかった。……やっぱり俺もどうしても、あの接し方でよかったんだろうかとかも考えたり、何かもうちょっと言ってあげられることあったかなとも思ったりもして。前に自分がバンドを辞めたいって言った時に智史に言ってもらったことは、今も凄い覚えてて。それと同じようなことを言ったりしたんですけど、智史のほうがヘヴィで上手く行かなかくて。でも、あの時の自分と同じように、智史も『もう1回やりたい』って言ってくるんじゃないかなってどっかで期待してたところはあったんですよね。今のところはまだないんですけど……」

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text by有泉智子

『MUSICA12月号 Vol.116』